「タイヤ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: タイヤとは

2024-04-08

EVはEVを生かした設計ができないと意味が薄い

増田の指摘は的を得ていて、内燃機関から電気に変わって何が変わるのと言うのは仰る通りだと思われる。

それは何故かと言うと、現在EVは、内燃機関の基本設計を電動化しだけだから

PHEVなどはまだエンジン積んでるから仕方が無いにしても、EVにするんだったら、もうちょっとEVからできる事を追求するべきではないかと思う。

各社色々なコンセプトカーが出ているが、実際にはなかなか普及しない。

インホイールモータ

これがEVで望まれイノベーションの最たるもの。今までの内燃機関だと、中央に大きなエンジンがあり、それをシャフトなどを通じて物理的に力を伝え、2輪もしくは4輪を駆動するという仕組みだった。

その為の機構存在する事から設計制限がある。

これを、車輪の中、あるいは車輪のすぐ近くにモータを置いて、直接タイヤを回してやろうという考え方がある。これを「インホイールモータ」などと言う。

これにすることで、

こんなにいいならじゃあなんで製品化できねえの?と言う話としては、ホイール部分というのは最悪600℃とか超高温になり、10Gとか強い衝撃が加わるため耐久性問題があるのである

よく言われるバネ下質量が大きくなる問題については、実は制御である程度どうにかできるのだが、そのためのコストアップ結構キツい。

ただ、自動車業界は諦めていないので、いつかは商品化されて売れるようになると思う。ただいつになるかは不明

トヨタは小型モビリティから実用化を始めていて、まずはここら辺からかもしれない。

参考記事

https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1479589.html

https://www.nissan-global.com/JP/INNOVATION/TECHNOLOGY/ARCHIVE/IN_WHEEL_MOTOR/

https://response.jp/article/2021/10/05/350066.html

https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/news/18/16374/ (有料だけど)

精密運転支援・自動運転

内燃機関には不可能だが、EVだったら可能制御は実はかなり多い。

最も分かりやすいのが「速度制御」ではなくて「トルク制御」が可能な部分。

速度制御というのは、どれぐらいのスピードで回すか制御するかということ。これはエンジンでも当然できます

一方で、トルク制御というのはどれぐらいの力を出すかという制御ができるということ。これはエンジン車でやるにはかなり大変。トルクセンサでセンシングはできるんだが、制御する方法が摩擦を使う方法ぐらいしかない。

この他にも制御EVの方が優れている部分が多くて、自動車電子制御になればなるほど、EVの利点が上がっていく。

では何故普及していないかというと、電子制御システムが高すぎるから特にセンサーが凄く高く、そのシステムだけで車一台買える価格がする。これでも安くなったんだが、価格の下落は停滞中。

さらに、実はこの部分のメリットを出すだけなら、ハイブリッドカーでもできるんだけどね。と言うか一部はやってる。

Vehicle to Home(V2H)による電力網の制御

車の標準的な利用としては、普段は、一日1時間~2時間ぐらい使って、それ以外は止まっていると言うケースがほとんどなので、バッテリーはせいぜい50~100km分ぐらいしかかわない。

しかし、ちょっと遠出するときに困るため、より多くのバッテリーを搭載していることがある。

この時に、この余っているバッテリーを家庭用蓄電池として使おうと言うのが、このV2H。シンプルには、太陽光発電などで昼間ためた電気を夜使おうと言うことなんだが、これはあんまり筋が良くない。何故かと言うと、昼間は家に車がない。職場などに向かうため充電ができない場合が多いからだ。

なので、一歩進んで

ことにして、自宅という環境から切り離して、電力網全体として備わっているEV電池を電力供給バッファーとして機能させると言う構想。

太陽光発電で昼間余った電力を、その家という範囲を通り越してBEVに充電、夜間放電させ電力供給側に回す。これを面的な制御で行う事で、電力網の最適化と安定化を行おうというわけだ。

既に島単位実験都市などがつくられて実現しているところがあり、有効性も確認されている。のだが、電力網の仕組みそのものから更新しなければならず、更に電力網って装置更新周期が20年とかが当たり前なので、今から普及が始まっても相当に時間がかかると思われている。

ちなみに自動車側の充電規格、CHAdeMO(チャデモ)という規格があるが、これはV2H対応の仕組みが入っているので、CHAdeMO対応しているEVで、ちゃん実装している車はやろうと思えば数にV2Hを適用できる。

日本の規格らしく、最初からこれらに利用できるように整備されている訳だが、一方で北米テスラが作った規格の方は、現在まだ非対応2025年対応予定と言われているが、Teslaの提示スケジュール信頼性ほとんど無いので…)。

また、次に日本中国が中心となって作っているChaoJi(チャオジー)という規格はCHAdeMOの発展形で、こちらもV2Hに最初から対応してスタートする予定。

ちなみに、よく「北米ではテスラスーパーチャージャー標準規格になったんだから日本CHAdeMOなんてガラパゴス規格捨ててそっちに合わせろ」というようなことを言う人がいるけど、あれは日本CHAdeMO規格に乗りたくなくて北米自動車メーカがぶち上げたCOMBOという規格がクソ過ぎた結果、CHAdeMO相当の技術を多少は備えていたスーパーチャージャーになっただけで、別にスーパーチャージャーが優れているわけではない。確かに規格上大容量に対応していると言うが、まだCHAdeMO規格を超えるような高出力出せる充電設備自動車もまだほぼ存在してない。

この辺りはちょっと調べれば嘘だと分かるような事を振れて回っている人がいるので要注意だ。嘘を広めたいか外国から聞こえてくる作られた偶像に踊っているかどちらかだと思うんだけど、EV界隈ってどっちも多いから厄介。

一方でChaoJiと言う規格は日本中国が中心となって作られているが、これはスーパーチャージャーを含め他の規格に対して後方互換を確保し(コネクタ形状の変換だけでいけるので)最終的には、少なくとも内部システムはこれに統一されていくと思われる。

閑話休題

EVであることを生かした設計ができなくても普及する可能性について

この可能性は3つぐらい思いつく。

安い

EV補助金を全開にして購入すると結構安く買え、さらに電力にはガソリン税やら軽油取引税やらかからないので安く済む

例えば、都市内で、一日60km以内ぐらいの配送作業郵便局でだいたい走行距離一日30kmぐらいらしい)で住む宅配ラストワンマイルとかでは既にコストメリットがある。

ただ、地道な改良による電池価格下落は限界が近づいているようなので、苦しい。全固体電池も直接的に価格を安くする技術ではない。

ガススタ消滅問題対処できる

ガソリンスタンドはどんどん減っていて、特に山間部の過疎地で維持出来なくなってきており、燃料供給に影響が出ている。

一方で、電気であれば供給ができると言う話がある。

ただ、市場としてはわずかなのと、トラックなどの商用車EV一般化するのは相当時間がかかると思われるからEV解決してそれにより地方から普及、というには結構厳しいかも知れない。

一方で、全く燃料インフラ存在しない途上国などでは、ソーラー発電システムさえあればとりあえず電力供給ができるのは大きく、あり得るかもしれない。

ただ、間違いなく採算性が悪い市場からテスラとかは絶対やらないしどうかな、とは思う。

政策補助予算ガッツリ付く

例えば、国内産業の育成のためと言ったような政策予算ガッツリ付いて、安く買える場合、あるいは、政策対応するために購入する必要がある場合

まぁ、でもこれ、中国メーカの台頭で西側諸国がやる意味がなくなったから、しばらくは来ないかな……。

2024-04-07

anond:20240407141307

バッテリーのお陰で車重がアホみたいに重くタイヤの消耗が激しく運動性能が悪い

電気のものガソリンよりエネルギー効率が悪い

EV好きな人は車好きとはまた別な人種日本日本人が憎いリベラルとかAppleとか好きな層

2024-04-02

チャリ乗りたくなってきた。高校以来乗ってない。同級生が乗ってたGIANTのやつ欲しかったな。

前はロードバイクだのクロスバイクだのシュッとしてて、側溝にひっかけそうで見てるだけでなんか不安になるような細さのタイヤ流行ってた。

最近じゃ逆にぶっといタイヤのゴツいやつが流行ってるけど、あれもかっこいい。モペットみたいな見た目の電動チャリいいね。どれもバカ高いけど。

こち亀中川チャリの値段聞いた両さんが、エンジンもない癖にバイクより高いってキレてたけどまさにそんな気持ちだ。電動はともかく。

流行ってるとは言いつつ、目立つだけで実際に買って乗ってる人はそんなにいないのかもしれない。

エシカルコンシャスネスにうるさいファッション世界でも、サステナブルチャリこそが現代スマートイケてる乗り物だぜ!的なムーブがあるっぽい。

環境への配慮とかっこよさは全く別の話だと思うし、おれはバイクの方がかっこいいと思うけど、でもまあチャリにはチャリの良さもある。

GTAとか洋画に出てくるチャリってなんか妙にかっこいい。そこらを走るママチャリと何かが違うんだよなと思っていたけど、カゴの有無がデカいっぽい。ママチャリもカゴ外せば結構かっこいいよなって思う。カゴとは別に、鉄パイプ曲げた背もたれがついてるやつは「ザ・アメリカチャリ」って感じであれもかっこいい。

チャリオタクには叩かれてるらしいけど、やっすいルック車でも買ってしまおうか。あの手の価格帯じゃ最近流行りの感じのはないけど、ここは昔の憧れを追ってシュッとしたやつに乗ってみようかな。BMXとかマウンテンバイクなんかもかっこいい。性能はなくとも見た目だけで十分。

でもそもそもの話として公道チャリで走りたくない。居場所なさすぎだろあの乗り物

2024-04-01

まもって守護月天!を読み終えた その1


当方40代であるはてなユーザーでは平均ほどか。

数年前に父が亡くなり、半年前に母も亡くなった。ずっと実家暮らしで、会社仕事の合間に農業をやっていたが、そろそろこの家ともお別れである家族が俺一人になったので、土地建物を売りに出して、会社の近くにある空き家ハウスに引っ越すのである

相続が終わってから遺品整理屋とかリサイクル屋とか解体屋さんと話をすることが多くなった。処分すべき財産はあっという間に片付いたが、最後に残ったのが……西暦で言うと2000年頃に亡くなった実弟漫画だった。部屋を共有していたので、本棚には俺と弟の漫画が並んでいた。

その大半は、ブックオフでも1冊10円すらつかないモノだった。メルカリで売るにも手間がかかりそうだ。遺品整理屋も「今のご時世、紙のマンガは売れないんですよ」と引き取りを断った。ほかの価値のなさそうなモノは、タダ同然でも引き取ってもらえたのだが。

何か月か経って、今年の正月を過ぎた頃だった。

実家本棚にあった俺の漫画を何冊か、手に取って読んでみた。うーん、これは……「懐かしい」という感情が僅かにあった。一番好きだった漫画、『天使禁猟区』『スカイハイ』『クロマティ高校』を読んでみたが、いまいちピンとこない。楽しい思い出が蘇ってこない。お楽しみの記憶脳裏から消えてしまったのだ……。

ふとここで、亡き弟の漫画を手に取った。あいつは将来裁判官になりたいと言ってたっけ。『家栽の人』が本棚の目につくところに置いてあった。一番上の段だった。

そして、一番下の段に視線を移すと……ここで一番、ドーン!! と、当時の記憶が蘇った。それは、『まもって守護月天!』だった。弟が一番好きだった漫画

家族食卓を囲んでいる時も、旅行をしてる時の車内でも、何気ない団らんの瞬間でも、とにかく弟は、この漫画の話をしてることが多かった。

弟の死因は、自動車に轢かれた後の外傷から内臓の疾患にかかったことにある。交通事故の原因の半分は弟にあり、当時は自業自得だと冷たいことを思ってたけど、まさか亡くなるとは……。病院でお見舞いをしてる時にも、弟はこの漫画を繰り返し読んでいて、ずっとその話の内容とか喋ってるんだよ。どんだけ好きなんだよって思った。

確か、アニメも観たいって言ってたかな。病室にテレビはあったけど、ビデオ再生できるものがなかった。弟は泣いて悔しがっていた。

さて、当時の俺は高校生であり、ガンガンコミックス漫画を読むことはなかった。守護月天漫画を読んでみたことはあったが、すぐに読むのをやめた。「稚拙だな」と思ったのもあるし、「絵がちょっとな~」という思いもあった。当時の俺は、CLAMPが描くような、Xとか聖伝とか、ああい精緻な絵柄のエログロが好きだった。

とにかく弟は『まもって守護月天!』が好きだった。それを、この本棚を見ていて思い出した。この日は休日であり、時間がたくさんあった。せっかくなので、この日から一週間ほどかけて、全11巻を読んでみることにした。

読んでみた感想を、以下に綴っていこう。感想を交えつつ、各巻に1~2箇所ずつ、印象的だったところを抜き出して引用する。

ネタバレがあるように見えるけど、本当に大事なところは抜き出してない。隠してる。まあ、俺の人生で『まもって守護月天!』を取り上げるのはこれっきりなんだし、少しくらいは許してくれ……。

その前に、これはどういう漫画やねん、と気になった方はWikipediaでググってほしい。あらすじは、概ねこんな感じである

~ブックライブから引用

一人暮らしで寂しさを抱える少年と、ご主人様をあらゆる不幸から守る役目を持つ守護月天美少女とのファンタジーラブストーリー一人暮らし中学2年生・七梨太助(しちり・たすけ)は、中国を旅する父親から支天輪(してんりん)という八角の輪を送られる。


まり主人公の何気ない行動をきっかけとして、小璘(シャオリン)という女神様のようなものがやってくる。お互いに惹かれつつ、ラブコメディが進行していく。その中で、超えないといけない壁がいくつもあって、主人公である太助シャオにふさわしい男になるために奮闘する物語である

では、さっそく始める。



【第1巻】

読み始めは、正直キツかった。絵柄が古いのもあるし、漫画表現が昔風なのもあるし、ラブコメを読んだ経験がない人間には何がどう面白いのかわからない。

まり楽しめないのは、すでに四十を過ぎているからだろう。子どもの頃であれば、まだマシだったのかもしれない。ただ、まあ……コンセプトはいいと思う。すごく。

なんとなくだが、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』という映画を思い出した。某グルメ漫画でいうと、「うん こういうのでいいんだよ こういうので」を地で行く。

シャオリンが「この平和時代に、どんなものからご主人様を守るか」を決めたシーン

太助様…」

「…え……」

「もし迷惑でなければ あなたの中にある「孤独」や「寂しさ」から あなたを守ってさしあげたいのですが それではいけませんか?」


シャオ歴代の主を守ってきた手段は、主に暴力である。星神を呼び出して使役し、主人を狙う者を撃退する日々を過ごしてきた。だが、平和現代でそんな行為需要があるはずもなく。シャオは、呼び出されてすぐにお役御免になってしまう。

ならば、主人である太助をどのように守ればいいのか――その答えが上記台詞である。命を狙う敵がいないのであれば、孤独や寂しさから主人を守るのだ。太助には家族が3人いるが、全員家を離れて放浪の旅をしている。ネグレクトに限りなく近いものがあるが、ラブコメの都合というものだ。



【第2巻】

このあたりは、まだだるかった。物語登場人物は揃いつつあるのだが、展開が退屈でなかなか話が進まない。この巻から、慶幸日天の汝昴(ルーアン)という主人公の恋路を邪魔する、まさにお邪魔キャラみたいな人が出てくる。

別に、なんということはない恋愛妨害工作なのだが、この時代ラブコメ高橋留美子の影響がまだ色濃いのだろうか、暴力性が強い。この巻以外にも「死ぬやろ……」というシーンがけっこうある。昔は気にならなかっただろうが、やはり時代というものか。

ルーアンの計略によりシャオ太助の元から離れようか迷っているシーン ※太助が駆けつける

「えーっと 今はうまく言えないけど… 俺はシャオにずっとここにいてほしいんだ ――それだけじゃここにいてもらう理由にならないかな……」

「…いいえ… ………あの 私…… 太助様がここに来てくれるの 待ってたかもしれないです」


ルーアンがそれっぽい発言をして、「シャオ現代には不要ではないか」という意見を伝える(あなたなんて いても邪魔なだけなのよ)。シャオは真に受けてしまって、支天輪に帰ろうとするのだが……すんでのところで太助がやってくる。そして、ふたりきりの状態で上のような会話をする。

この場面は気に入っている。シャオ気持ちも、太助気持ちリアルに描いていたからだ。ストレートさがいい。



【第3巻】

このあたりから恋愛路線に入ってくる。太助シャオ愛情意識する場面が出てくる。

ネタバレは避けるが、シャオには恋愛ができない事情がある。本人ですら認識できない事情が。

以下の山野辺というのは、最初の頃は万引きとかするキャラとして描かれていた。物語が進むにつれて応援キャラになっていく。

シャオ山野辺が一緒に温泉に入っているシーン

「なあ シャオ…」

「…………」

シャオ?」

はい?」

「なんか元気ないけど七梨と何かあったのか?」

翔子さん…………私 病気かもしれないです なんだか…ね 胸が苦しい… 太助様がルーアンさんと一緒にいると とっても胸が苦しくなります さっきなんか どうしてだか自分でもわからないけど そっけない態度とっちゃったし太助様が話しかけてくれたのに 太助様にきっと変に思われちゃった きっと悪い病気にかかっちゃったんです ――でも どうしたらいいのか わからなくて…」 

(へえ…精霊ってのも 人を好きになったりするんだあ…)


うん。女性作者が描いてるラブコメってさ。女性側の心理描写リアルだよな。女の子ってさ、好きな男性の目の前だと萎縮することがあるじゃん意中の人を目の前にすると、体がつい後ろに下がってしまうとか、廊下を走って逃げだす子とかいるよな。

なんかこう、恋愛感情に対して不安になった時の女性心理というか。リアルさが伝わってくる。子ども時代に読んでも全く認識はできなかったろう。



【第4巻】

この巻くらいになると、ストーリーの基本線が定まってくる。何らかの事件イベントが起こって、太助シャオが巻き込まれて、レギュラーキャラがそれぞれの立ち位置で動き回って、なんやかんかで解決して、ふたり(又はほかのキャラ同士)の間柄が深まって……という流れである

基本は、太助シャオ関係性がメインだ。この作品うまいところは、ふたりばかりを推すのではなく、ほかのキャラクター間の友情とか愛情ガッツリ描いてる。

この巻だと、2つの場面が印象に残っている。いずれも、ルーアンふたりの仲を妨害するための工作を試みて、やってしまった結果である

④-1太助高速道路自転車走行中にタイヤバースト、そして前方車両(トラック)と自転車を括っていたロープが取れて転倒した後のシーン

「………え 太助様!? 太助太助様!! 太…助様あ… ……う…」

「あ…あの小璘さん…」

「どうしよう…どうしようどうしよう ルーアンさん! ――太助様が 死んじゃったらどうしよう!!」

「あ…いや まさかそんなあ」

「どうして支天輪を車に乗せちゃったりしたんですか 私……太助様に何かあったら ルーアンさんのこと絶対さない!!」

「…………」

太助様に…太助様に何かあったら… 太助様… 太助様早く帰って来てください」

「小璘…………あんた」

④-2保健室で、シャオがベッドに横たわって寝ているシーン

「なあ…ルーアン

はい!?」

「…俺シャオのこと 好きにならない方がいいのかな…」

「………… あんたあのおじょちゃんになんか言われたでしょ ――じゃあひとつ聞くけどなんでそう思うの?」

「――…」

「小璘が人間じゃないから?」

「…………」

「………俺とシャオって絶対結ばれないのかなって…」

「…ねえ たー様 あたしは たー様のこと好きよ 考えれば悩みなんていくらでも出てくるけど 一番大切なのは自分気持ちでしょ だからあたしはあんたみたいに悩まない 悩んでも変わらない想いなら 悩むだけ損だと思わない?」


気持ち、とでもいうのかな。かの有名な『BLEACH』でいうと、ウルキオラ・シファーの名台詞ひとつである



心か



みたいな感じだ。登場人物の心境がさ、わかるんだよな。喜んでるのもわかるし、苦しんでるのもわかる。そんな中でキャラクターが足掻いている姿が印象に残った。

漫画を読む前に下調べはしなかった。今も一切してない。よって推測になるんだけど、この作者である桜野みねねっていう人は、この時(1998頃?)は大学生かそこらの年齢なんだよな。作者あとがきを読むと、若いんだなというのは伝わってくる。

俺が二十代前半の頃は、地面から出てきたばかりのカブトムシの如き勢いでスポーツをするか、水道工事現場であくせく働くか、盛りのついた獣のように女を口説いて、年間に何人とセックスたか記録を付けるとか……同じ会社女の子と無理やりそういうことをした後でも、最後にベッドの上で「愛してるよ」と言ったら許されるから大丈夫とか、そんなことしか考えてなかった。人間性が動物レベルだった。

でも、この桜野みねねという人は、そんなどす黒い人間の対極を行く感性がある。この作者は凄い……と、いい年になったおっさんは感じた。※私個人と作者の年齢差は、干支0.5周り分ほどと思われる。



【第5巻】

20年以上前漫画なので、さすがに創作でも……というシチュエーションが生じることがある。作品内では、たまに登場人物がみんなで旅行とか海とか温泉に行くのだが、メインキャラがほぼ中学生で、20才以上は大変少ない。無理があるし違和感がある。

しかし、旅行とかでないと表現できないラブコメ的なシチュエーションもあると思うので……そこが創作の難しいところである。いや、文学作品創作とかしたこといからわかんないけどさ。

⑤仲間と海に来ていて、ようやく夜の海岸で二人で話ができたシーン

「なんだかね………私 太助様ととってもお話たかったです 別にお話したいことがあるわけじゃないの… でも… 太助様とお話してるととっても落ち着くから…」

「……シャオ

だってお話してるってことは 一緒にいるってことでしょ? だから…」

(だから… きっとこんなに 安心できるのね)


太助シャオは、何度もこういうシチュエーションになっている。が、恋愛が進む気配はない。事情はあるのだが、あまり絶望的な事情なのだ

あと、文章量の都合で載せなかったが、クラス演劇(かぐや姫)の数話分も大変よかった。ルーアンと、ほぼサブキャラの乎一郎が主体の話なのだが、中学校の学芸会かぐや姫をやることを通じて、「離れていても心は繋がってる」という要素を表現している。

この回は、大人ながらにしみじみときた。気になる人は、是非5巻を読んでほしい(ダイレクトマーケティング決行)。

大まかな流れを言うと、ラストのお別れシーンでかぐや姫役のルーアン台本にないセリフを言う → 月の使者役のシャオがお迎えを中止発言 → 乎一郎がそれを制止 → その後の会話のやりとりで、離れていても心は繋がっていることを示唆~といった具合である

ここまで五千字以上は書いている。一旦切ることにする。



文量の都合で2分割。

次に続きます

https://anond.hatelabo.jp/20240401122023

2024-03-28

やーっとタイヤ処分した

使わないものは手放していきたい

一番使えないものはワイ自身だけどな!

2024-03-27

[] おととい

猫が近寄ってきたと思ったら自転車タイヤスポークをガジガジとかじりはじめた

歯磨きだか牙研ぎだかがしたかったんだなと思ってがっかりした

2024-03-26

anond:20240326134447

ゲームあんま興味ないし、本文もあまり精査して読まずに書くんだけど、

どこかのアニメ監督さんだったかな?インタビュー記事だったかで読んだ記憶がある、うろ覚えなんだけど、

劇伴やらせるなら、音大とか出てないと駄目、独学から出てきたような人は採用しない、って言ってたんだけど、

それって、もっともなことだと思ったんだよね

劇伴、要はアニメとかドラマBGM効果音的にも使われたりすることもあるわけだけど、

あい仕事をするのに、それこそバンド活動から音楽理論独学してはい上がって来たような人がいたとしても、まあ駄目だと思うんだよね

あらゆる楽器精通してないといけないし、オケ知識とか必要だし、厚い音楽理論経験に裏打ちされてないとならない

そこに、突飛さは求められてなくて、監督さんが、というか、シナリオ上こう悲しいんだ、こう嬉しいんだ、こう絶体絶命で、こう快進撃で、

みたいなあらゆる要求に、それに適した楽器とか編成とか、もちろん楽曲を用意しなければならない、あらゆる手配もしなければならない

すごく失礼なこと書くけど、自分最近八十八ヶ所巡礼みたいなの好きだし、古くはたまみたいな日本プログレだって好きだし、

あぶらだこみたいなのも好きだし、ヒカシューみたいなのも好きになっちゃったし(みんなオーガス2のせいだ)、

なんか既存音楽セオリーテンポ楽器編成、何かを壊してほしいと思ってる

超絶技巧ピアニカ奏者とか最高だと思ってる

でも、そういう人たちは、劇伴世界では求められてないと思うんだよね

ギターけが上手い人、タンバリンカスタネットだってとんでもないほど奥が深い楽器だということを承知で書くけど、

パーカッションだけ特化した人、一点豪華主義ギターベースドラムボーカルできますみたいなバンド世界だけの人、

劇伴はそれじゃ駄目だと思うんだよね

もっと、あらゆる楽器精通してて、音楽理論とかの正規教育に裏打ちされてて、

だって、最終目標監督要求に応えること、というか、音楽は主役ではなくて、あくまでその物語を盛り上げる道具にすぎないわけで、

から、道具に突飛さを求めるなら、それこそ独学だったり、ちょっとおかしい狂ってる(誉め言葉)人を採用するべきなんだろう

そういう人を音大芸大に求めるのは間違っているんじゃないかな?

端的に言えば、彼らは指示通りに動くわけだから、指示を出してる人、監督さんとかゲーム本体を作ってる側に問題があるのでは?

彼らに求められるのはクライアントのあらゆる要求に応えることであって、突飛なアイディアを出せとか、客の目を引き付ける変なものを作れとか、そういうことじゃないんじゃないか

音大芸大を出ている彼らはプロフェッショナルではあるのだろうからプロにはちゃんプロに適した指示を出さないと、クライアントは望んだものが得られないと思うよ

まり、ここから木の枝にタイヤがぶら下げられてるとか、ジェットコースター🎢とか、顧客が本当に必要だったのはガンダムでもジムでもなくてボールだったとか、

そういう話になると思うので、この話を終了させていただきます本日は本当にご清聴ありがとうございました

2024-03-24

車椅子に乗っていた同級生のお母さん

少し前に車椅子女性話題で盛り上がっていたときに思い出した。

小学生時代、ある同級生母親は、彼女の夫が押す車椅子に乗って運動会やら授業参観やらの行事を観に来ていた。周りの保護者より少し若く見える、痩せた、色の白いお母さんだった。


その同級生子供のくせにそこはかとなく辛気臭いオーラを纏っていて、暗くて友達もいないのに一人で何か喋ってニヤニヤしているようなやつだった。当たり前にずっといじめられていた。仮にOとする。


Oは児童養護施設から通ってきているのに、学校行事はいつも両親が揃って参加していた。休日には家族揃ってスーパーで買い物する姿を度々見かけた。

母親病気のこととか何か事情があって家族で暮らせないのだろう、と今ならば想像するに難くないけど、施設育ち=親がいないという認識の当時のわたしたちの目には、別に居を構えながらも仲がよさそうなO一家の姿は異様なものとして映った。

ひどい話だけど、Oだけでなく家族ごと、クラスメイトから、いや学年中から差別されていた。気がする。

例のごとく車椅子グラウンドにやってきて運動会を観覧し、教室に戻って昼食をとる際、土のついたタイヤのまま校舎に乗り込むO夫婦の姿を、わたしたちは冷ややかな目で見た。ちゃん入り口にそれ用のマットが敷いてあって、踏んできているにもかかわらず。


小学校高学年、思春期にさしかかり不安定な心身をもてあまし、わけのわからない苛立ちやさみしさをお互いに悟られまいと取り繕っていた。障害とか施設育ちとかの事情を抱え、差別されながらも健気に生きているO一家の姿はいじらしく、尖った心を持ち寄るわたしたちの格好の的だった。


ある土曜日の午後、市の陸上大会に向けての練習があった。全員参加ではなく有志の集まりだったので、普段教室であまり喋らないタイプの子とも仲良くなれて、楽しい

練習が終わって、わたしたち麦茶を飲みながらずっと喋っていた。日焼けするからと木陰のところに集まって、実はあの子のことが嫌いとか好きとかキャアキャア叫びながら喋った。

ふと話が途切れ、もうそろそろ帰る?という雰囲気になったところで、一人が「そいえばさー」と口を開いた。

「そういえばさ、どうでもいいんだけど、こないだイオン行ったらOがまた家族でいたんだよ。

でねぇ、これマジだよ?…Oのお母さんが、歩いてた」


わたしたちは、爆笑した。ゲラゲラ笑った。全員で涙を流して、息も絶え絶え転げ回って笑った。

おかしかった。いつも白い顔をして、旦那車椅子を押されているお母さん。そんなお母さんが自立して歩いているなんて、突飛で、シュールナンセンスだった。前衛的な発想のようだった。


おかしい以上に、気持ちよかった。言ってはいけない、笑ってはいけないことなのはみんな分かっていた。

広い校庭にわたしたちしかいなくて、おかしことなんて何もないのに馬鹿笑いして、すっごく悪いこと言ってるのに誰にも迷惑をかけていないか咎められなくて、こんなひどいわたしたちを誰か止めてほしいのに、芝生の上に転がったままどこへでも行けそうな、行ってしまいそうな気がして、怖いけど楽しくて、無敵だった。

曇ってるけど日射しは強くて湿った風が吹いていて、みんな同じ日焼け止めの匂いがしていた。ひざの裏側に芝生が刺さってチクチクしたけど、手で払うとさらりと落ちた。気持ちよかった。


家に帰り、キッチンに立つ母にOのお母さん歩いてんだってーと言うと、「Oさんの奥さんは脚が悪いんじゃなくて病気で体力がないか車椅子なんでしょ。何言ってんの」と返ってきた。つとめて不愛想な母の声になんでか安心したのだった。


数年後Oのお母さんは亡くなったと聞いた。

陸上練習ときメンバーは、中学に入って少しヤンキー風味になったけど、成人後に同窓会をしたときにはごく普通かわいいお嬢さんの姿だった。今ではほとんどの子結婚して親になって、忙しく過ごしていることと思う。

Oが大人になった姿はどうしても想像できない。どんな暮らしをしているんだろうか。


校庭でひどいことを言って笑い転げて、誰か止めてほしいと思った。

その後の人生で、ちゃんと止めてもらえたと思う。元々優しい気持ちの子もたくさんいるけど、意地悪だったわたしたちも、失敗して傷ついて、自分のことが嫌になってもそれでも生きていくという選択をしたとき他人に寛容になろうと努めて、その習慣が体に馴染んだと思っている。

何の罪もないO一家に冷たい目線を向けて嘲笑っていたことを思い出すとき、ひどかったなと思う気持ちは本当なのだけど、あの陸上練習後のお喋りの時間には青春フィルターがかかっていて、思い出すとキュンとする。

キュンとしたあと、でもやっぱり酷すぎるよねと心の中でつぶやいて、少し許されたような気持ちで回想を終えている。

2024-03-22

anond:20240321150628

昔のBEVに対しての識者の見解は、車がコモディティ化するって話だった気がする。

90年代は、たしかこんなこと言ってた気がする。

エンジンと違って、モーターは電圧かければ速く回るって言う簡単な仕組みだから、もう電圧コントロールだけ。ギヤチェンジクラッチも要らない。

パーツはモーターとバッテリーとシャーシにボディだけ。

PC/AT互換機Windows覇権を握ったらパソコンメーカーが乱立したように、家電メーカーまで車を作れるようになる。

燃費でもBEVが圧勝する。

発電所は車みたいに加減速を繰り返さないから、同じ速度で燃やし続ければいいだけ。同じ石油からエネルギーを取り出すにしても、車の内燃機関にはよく精製された油しか使えない。送電ロスを考慮しても、圧勝する。

車の形も、車の動きも自由になる。

ガソリンタンクと違ってバッテリーはいろんな形にできる。モーターはエンジンより小型だし、電力を伝える配線さえできればいい。

それぞれのホイールの中にモーター入れちゃえば、それぞれタイヤが別々の動きが可能。その場で旋回だって簡単

自動運転との相性もいい。内燃機関自動運転なんて夢のまた夢だけど、シンプルなBEVなら実現の可能性がある。

んで、2010年代にそれまでアーリーアダプター向けの高級車しかさなかったテスラが、庶民も手が届く小型車を出して、いよいよBEVの時代か?

って雰囲気だった。

航続距離に多少の不便はあるにせよ、充電ステーションが各地に整備されればほとんど無視できるようになる。

ということをいろんな人が言ってたと思う。

anond:20240321112259

火を吹けレーシングタイヤっ!

唸れマシンハヤブサっ!

マシンはボクだぁーっ!!

ボクがマシンだぁーっ!!

漢の命を、燃やすんだぁ~っ♪

倒せ、卑劣な敵を~

レースの誇りのために~

ダーッシュ!ダーッシュ!

ダーッシュ!ダーッシュ!

スーパー蝉の夢を見た

スーパー蝉とは普通の蝉よりもすごい蝉のことだ。

まず飛び方が違う。スーパー蝉は羽をパタパタ動かすことなく、トンボのようにホバリング飛行ができる。それはまるで死んで動かなくなった蝉がテレキネシスで宙に浮かんでいるみたいな光景である。蝉のホバリングというものを初めて目にすると違和感がすごいのだ。

スーパー蝉の触覚は長く固く太く、先端が鋭く尖っており、ミミズのようにウネウネ動く。スーパー蝉を手で捕まえるとこの触覚を指に突き刺そうとする。とても攻撃性が高い。

スーパー蝉の外殻は非常に頑丈で、ちょっとやそっとじゃ潰れない。大型トラックタイヤに轢かれても平気で生きている。ましてや人間の足で踏み潰すことは不可能である

そんなスーパー蝉の夢を見た。

こわかった。

2024-03-20

anond:20240319223941

個人的EVの肝ってホイール周辺にセンサー類仕込んだ上での、タイヤと路面との摩擦の最適化だと思うんよ。

そうする事でエンジン車にはできない乗り心地を実現できれば、エコとか関係ない乗り物としてのEVの強みになるはずなんだ。

摩擦の最適化が乗り心地に関係があるとは思えないが。

トルクベクタリングのことを言いたいのか?

anond:20240320130433

燃料費は有利でも重たいEVタイヤもすぐヘタれるし保険料も高いらしいし代わりに払うものいからな

anond:20240319223941

からICE車が延命する未来とかないのに、「EVザマア」「知ってた」「テスラ墓場」「なお冬季」「タイヤ粉生成器w」「トヨタ勝利」「HEVしか勝たん」「漢は水平対向だよな」とか薄いエビデンスで大騒ぎしてるの異常じゃね?(勝間さんだけはまともかな。)あとEVダメだ、みたいな記事乗っけてるメディアに専門誌はなくてほぼネット炎上系の無料配信メディアってのも気になるよ。

2024-03-19

なんで今はEV無理って話が反EV扱いされてるんだろ?

例えばガソリンがやたら高くなる離島なんかでは大分からEV活用に力入れてて、日産サクラ三菱eKクロスEV)の人気ってそういうとこで使われてた三菱i-MiEV更新用ってとこがある訳じゃん。

自動運転を考えるならAI制御やすいのはエンジンよりもモーターの方だろうし。

でも今すぐEVに全面移行を目指すのはまだ技術的に難しいでしょ。

バッテリーの性能がネックになってるし、廃棄バッテリーの処理の問題もある。

バッテリー製造省エネだって必要になるだろう。

車体の形状にしたって、エンジン車の形をそのまま使ってる事にも問題があると思ってる。

個人的EVの肝ってホイール周辺にセンサー類仕込んだ上での、タイヤと路面との摩擦の最適化だと思うんよ。

そうする事でエンジン車にはできない乗り心地を実現できれば、エコとか関係ない乗り物としてのEVの強みになるはずなんだ。

現状のEVはまだその段階ではないよね。

今は田舎でよくある短距離移動用として、2台目に買う軽自動車ポジションを置き換える存在に留まると思う。

或いはテスラみたいな所有する事自体趣味って位置づけの車ってとこでしょ。

それでも離島ゴルフカートみたいなので実証実験してた頃に比べたら、格段に進歩してるんよ。

全固体電池実用化もそろそろ見えてきてるし、AI関連技術の発展はEVにも良い影響を与えるだろう。

から10年後くらいには状況がかなり変わってるとは思うんだ。

でも今すぐにEVに移行するのは無理で、間を埋めるもの必要でしょ。

現状のEV否定的な人だって技術面やインフラ面の課題問題視してる人がほとんどで、EVから全否定って人はそんなに居ないと思うんよ。

こういうEVが今すぐエンジン車を置き換えるのは無理だよね、って話まで反EVだと抵抗勢力扱いしてる人は一旦冷静になった方が良いと思うよ。

2024-03-18

「全天候型」という言葉があるけど

晴天型タイヤとか晴天型戦闘機とかあって、晴れの日しか使えなかったら不便すぎじゃない?

おはます

そろそろタイヤ、変えようかな

2024-03-17

車いすを押してきた人間として、いま複雑な気持ちでいる

俺は、爺さんと親父と2人の車いすを押してきた人間として、映画館対応炎上している今の騒動を複雑な気持ちで見ている。

少し愚痴書き込みたい。

単純な話として、もし自分の働いているところにああい車いすユーザーが来たら、表面的な対応は別としても内心では腹が立つ。これはもうしょうがない。

クソみたいなクレーマーは多いし、ちょっとこっちが仏心を出すとそこにつけこむクソ客も多い。

とりあえず言ってみて通ればめっけもん、一度通ればそっからはソコを最低ラインとしてさらに言う、対応できなきゃ文句を言う。対応する側としてはクソ客以外の何物でもない。

ただ、そういう対応する側からすると速やかにおかえり願えないかなと思うようなゴリゴリ押してくる車いすユーザーが先陣を切ってくれなければ、変わらなかっただろうな、とも思う自分が居る。

爺さんの時は、俺も車いすを押したが、主に調べたのは親父やおふくろだった。

何を調べたか?外出する際のすべてだ。

移動手段から、途中の休憩所、行く店や行きたがりそうな店、レストラン喫茶店、経路上にある公園トイレに至るまで全部だ。

そんなん普通にしてれば良いじゃんって思うかもしれないけどそうじゃない。

車いすを押す側としては、車いすユーザーって言うのは、おおむね3つのパターンがある。

  • 支えられながらなら自分で立って数歩なら歩ける
  • 支えながらなら乗り換えできる
  • プロがいないと降りられない

爺さんは、2番目の支えられながらなら乗り換えできる、だった。いわゆる介助が入ればベットから車いすへ、車いすから椅子へ行けるってやつだ。

それでも、爺さんのころは相当面倒だった。

今回の件で多少は周知されたようで何よりだが、車いすにとって段差は割と致命的だ。

出張で使うようなキャリーケース、無理したら行けるような段差があると思う。アレが致命的なレベル

想像してほしいのは、女性だと両手で押して限界って感じの巨大なスーツケースだ。アレに近い。段差即詰んだって感じ。

それでも、先人のおかげで都内ならかなり自由がきいた。事前に連絡しておけばバスJR問題ないし、問題がある場合エレベーターが無いとか乗り換えが面倒とか)でも教えてもらえた。

店もまあまああったし、爺さんが好きな美術品なんかも、まあ結構柔軟に対応してもらえるところは多かった。やはり大手に限られるけど、飛行機もなんとかなった。

とはいえ、気苦労は多かった。昔の人に比べたら事前準備さえすればできることは格段に多いとはいえ家族としてはやはり一大イベントにならざるを得なかった。

これが、まあ平成後期や令和になってからの親父の時は、相当に楽になった。

例えば行きたい美術館が車いすOKって書いてあったら、特に調べず一発行ってみっかで行って詰むことはほぼ無くなった。

流石にバスタクシーの時は事前に確認の連絡を入れたが、親父の時は車のトランクに入る折り畳みの車いすを使っていたこともあり、何だったら普通タクシーでも捕まえれば乗れたりした。

JRなんか事前連絡なしで行っても対応してくれることが多かったように思う。爺さんの時には考えられないスムーズさで対応してもらえた。

チェーン店レストランなんかだと、よっぽどのことが無い限り車いすでも特に問題無く食事できるようになった。ホテルレストランだと親父の時に断られた記憶は一度もない。

からすりゃ面倒が増えたんだろうけど、こっちが事前連絡なしでいきなりいっても対応してくれる場所や店は相当多かった。

親父は最終的には3番の、車いすからプロに頼まないと(家族であっても)乗り換えできないようになった。

なんかゲーミングチェアーに自転車の小径車タイヤが付いた装甲車みたいなゴツイ車いすに、酸素ボンベと薬を積んで、きつかったらボタン押して薬が自動で入る、みたいな状態でも出かけた。

これは、相当に制限がかかる。移動はほぼ専門の介護タクシーを呼んでなんか自動エレベーターで後ろに積み込まれるみたいな状態でないと難しかった。

それでも、だ。

そんな折り畳み車いすの何倍もでかい状態であっても、結構場所には行けたし、なんだったらレストラン食事もできた。

まあ流石に予約するとき車いす結構デカめなんすけど、みたいな話はするが、サイズを伝えて問題になることはほぼなかった。

驚くなかれ、博物館美術館だと、事前に確認さえとっとき普通に行けることもあった(さすがに特別展かにはいかなかったが、常設展だと普通に行けることが多い。ただ流石にこれは個別調べてくれ)

で、こっからが本題だが。

くだんの映画館の件は、まああり得ないだろう。善意にフル乗っかりした上で、責任取れないんでムリっすって言われて逆ギレしてるようにしか見えない。

ただ、だ。

あいう、もークソ客きたよめんどくせぇなーと俺が思うようなユーザーがいないと、商業施設なんか一ミリたりともお金出して改善する気が無いのも確かだ。

いま、都内大手映画館で、車いす席がないシアターは無いと思う。これは俺からすれば画期的だ。正直な話親父とも何度か映画は観に行った。普通に行けたし苦労もなかった。

(まあ、さすがに初回は調べて問い合わせは入れるし、パンフを買う時に親父にはちょっと待っててもらって俺が並んで買ってくる、みたいなのはあったけど)

そしてたぶんだけど、ああいう(もし俺が対応するとしたら内心思う)しちめんどくさい客がいないと、車いすの客が使えるようなプレミアムシートとかアップグレードシートっては、未来永劫設置されない。

ギリギリまで車いすで移動して、あとは家族が介助してなんとか歩けて椅子に座れるって状態なら、飛行機ビジネスだって乗れるこのご時世に、映画館プレミアムシートはやたら階段を昇った先にしかない、とかは普通にある。

(ちなみに、探すと車いすギリギリまで移動して家族が介助すると座れるプレミアムなシートがある映画館存在はする。主にゆったりできるって理由階段で移動しなくて良い場所たまたま設置されているからだが)

この辺は、車いすユーザーを通常より優遇すると悪さする奴も出てくるんで、多少難しいところはあると思う。

海外なんかだと、車いすユーザー+介助者1名だけは別ルートで入れてくれるけど、それ以外の家族別に並べ、みたいなところは結構あった。まあこの経験は爺さんの時なんで今は違うかもしれんが。

そういう意味で、爺さんは海外では車いす特権じゃないがプレミアム体験を親父としてたりした(なんなら家族の俺もその恩恵にあずかることもあった)が、国内では優遇されてやっと普通と同じ、という感じではある。

複雑な気持ちなんでまとめようもないんだが、まあそういうことだ。

労働者としての俺は、ああいう客が来たらほんっと勘弁してほしいと思うし、心底はよ帰ってくれんかなーと思う。

また、将来的に車いすユーザーになる可能性が高いだろう俺は、車いすに余計なヘイトをかってくれるなよ、とも思う。

ただ、わがまま放題で主張しまくりで、いわゆる健常者が出来てるプレミアム体験を俺にも寄越せ!と叫ぶ先駆者がいてくれないと、変わんねえだろうな、とも思ってる。

まあそういう意味ではね、プレミアム車いす置き場と介助者シートを作って、倍の値段で予約してくれれば良い体験映画見れまっせってのは、都内ならたぶん予約途切れないと思うんスよ、どうスか?

くらいが関の山ではあるんだよね。実際、マジでめんどい客がいてくんないと世の中変わんないからなー

俺が今回の件で、自分の目の前に来たら正直クソ客帰れよと思ってしまうのと同じ心が、あんまり叩いてくれるなと強く思うのは、これって尊厳死消極的安楽死から一歩踏み出す時にすごく怖いからなんだよな。

いるじゃん。医療の補助なしで命が繋がらないならそりゃもう寿命なんだって言うヤツ。アレ嫌いなんだよね。爺さんも親父も医療の補助無しならもっと早くに何もできずに死んでた。

間違いなく爺さんも親父も、五体満足で生きてる人に比べれば、社会リソースに余分な負荷をかけていってみりゃ娯楽だの余生の楽しみだの、別に本人が望みさえしなきゃかけなくて良い負担社会に強いてたわけだよ。

でもよ、いやじゃん車いすになったとたんに、趣味だった美術館巡りがさ、常設展のこの区画ならお楽しみいただけますが、車いすの方はこちらの別館はちょっと……みたいな状態はさ。

そういう時にさ、なんだよ健常者様ならプレミアムなシートで映画見られんのに我々車いすユーザーは端っこで見ろってのか!って激昂する人が一定数いてくれるとさ、声上げてくれる人がいるとさ、助かるわけよ。

繰り返しになるけど、俺ですら目の前に来られたら嫌だよそんな客。でもさ、そういう人がいてくれるからこその、今、とも思うんだよね。複雑な気持ちよ。

----

(ココから追記

ただの愚痴を思ったより読んでもらってありがとう

少し話題が落ち着いてきたみたいなので、追記しておきます

X(旧Twitter)上で、車いすユーザー問題じゃない、いや障害者問題ですらない、彼女自身問題だ、みたいなポストを見ちゃって流石にちょっとそれはと思ったんで記録がてら追記しに来た。

まず想像してほしいんだけど、彼女が五体満足で「プレミアムなシートで映画見まーす。イエーイ」みたいな投稿するクソ陽キャだった場合なんだけど、炎上はしないと思うんだよね。

毎回プレミアム映画鑑賞かよクソが、と、俺は思うかもしれないけど、それぐらいなんだよね。

からこれはまごうことな車いすユーザー問題なわけよ。車いすのクソビッチプレミアムなシートで映画を見ることが出来ないという問題車いす専用スペースはあるけどプレミアムじゃない。

ほんで、あんま主張するのが得意じゃない車いすユーザーだった俺の親父とかは、映画スムーズに見られるだけで感動して、席次(?)に文句を言うようなことは無かったわけよ。実際ありがたかったし。

でもさあ、もしプレミアムなシートでも映画観られますよっていわれたら、そっち選んでたと思うわけよ。やっぱいい席で見て欲しいじゃん。

まあわかるのよ、まったく同じにはならんだろうってことは。俺だって普段労働者側じゃん。身内にいて苦労した経験があったとしても俺が対応するとしたらゲェって思うわけよ。

でもこれもさ、過去映画観るのは遊興なんだから車いすユーザーはそこまで求めるの贅沢じゃね?」みたいなのを乗り越えてきてくれた人がいたからこそ、スムーズに親父は映画を観られたわけよ。

だってさ、不要不急かつ生存必要なわけじゃないじゃん。代替手段として例えばいまならストリーミングサービスとかもあるわけだし。

でも、車いすユーザー映画館映画が見られる。どっかで引かれてたラインが、良い方に移動したわけよ。

で、こっから重要なんだけどさ、わかるよ、正しいルートで正しい手順を踏んで、ちゃんと段階を踏んで法律とか条令とか、企業努力に訴えかけたりメリットを訴えるって方法があるのは。

でもさ、ほんとは高校デビューしてアタシもビッチとして青春謳歌してみたかったなみたいな、世間一般で言うところの常識的車いすユーザーとかさ、その後ろにけっこうな数いるわけよ。いやすんごい良くなってるのよ世の中。

でも、車いすだっていうだけで、できないことがあるのは事実なのよ。正規の手順で正規ルートで訴えていくことが出来る中学生がいたとして、彼ら彼女らの青春が終わる前にプレミアムなシートで映画体験できるようになりますか?という。

から、俺個人としては止めて欲しい、もし自分が同じ立場だったら申し訳ないんですが車いす専用スペースで見てくださいプレミアムなシートは席のご用意が無いんですスミマセンスミマセン上に要望は上げるんで、という感じになると思うのよ。

それをぶっ飛ばして、いやプレミアムシートの下の段に自力スロープで上がるんで、介助者連れてくるんでええやん、みたいな人が居てくれるとさ、いやーそれはどうなんだろちょっとのもの相談しますね、みたいになると思うのよ。

それがさ、もしかすると、今回の件で、介助者がいて避難誘導時に介助者が誘導補助をするなら、通路に面したシートに普通に座っても良いですよ、となる可能だってあるわけじゃん。

その結果、車いすユーザーを含む高校生活を楽しむグループが、横一列で映画館映画を観ることが出来るかもしれない。そういうのがあると良いな、と思うわけよ。

あと見かけたのでは、リソースが有限だからっていう理屈。俺は嫌いだ。

健常者が普通に出来ることが、障碍者なんだから制限受けてん当然、みたいなの、俺は嫌なのよ。

災害時にリソースが足りないのはわかる。避難所では人工透析が出来ないです、インスリン注射補給できないです、車いすユーザー車いすを館内に入れないでください。ある程度制限がかかるのはしょうがない。

でもよう、労働者としての俺がさ、いやだってキミ英語中国語も喋れないじゃん、リソース有限なのよわかる?英語も喋れないようじゃ家は買えないよ常識的に考えてとか不動産から急に言われるのとか嫌だよ。

外部環境に左右されるリソースって単語で、日常生活制限かけられるのは、やっぱ嫌だよ。

車いすユーザーあんありがとうとか言わないよな、ありがとうっていうだけでそんな大変?ってのはなー

まれ育ちや頻度にもよるから何とも言えないんだけど、五体満足である俺ら側が許容してあげる度量は持ちたい。

俺は一回爺さんに言われてやってみたことがあるんだけど、右足と左足を動かすたびに、心の中でいいから右足と左足にありがとう、助かったよみたいに声をかけてあげるの一週間やってみてくれよ。

あ、いま右足で体重支えてくれてありがとう階段上ってくれてありがとう。止まれて助かったよ。ドア閉めてくれてありがとう、踏ん張ってくれて助かった、立ち上がってくれてありがとう靴下はくとき位置移動してくれてありがとう寝返り打てたよありがとう

俺は3日でギブアップ。確かにこの頻度や感覚ありがとうを言わないといけないんだぜって言われると、それはしんどい。だからしてもらって当然と無感覚なっちゃう人がいてもしょうがないと思う。

あ、見てて気の毒なくらいありがとう、ごめんなさいねっていう人もいるよ。それはいるって。

あと、俺の書き方に配慮が無かったって話(大意)。それは申し訳ないことをしたと思う。

例えば、そもそも配給会社に言うしかないタイプ障害を持ってる人がいるのも知ってはいたけど書かなかった。

その結果、心無い言葉に触れてしまった人がいたのはほんと申し訳なかった。

例えば、 映画みにいこ! ってサイトがある。

https://www.bfeiga.net/

視覚障害がある人が映画を観るときに使う音声ガイドがある映画とか、

聴覚障害がある人が映画を観るときに使う字幕メガネ貸し出しの映画館とか、

そういうのがある。

映画は何も晴眼者で健聴者であるものけが楽しむ娯楽じゃない。でもそこが十分にフォローされてるかっていうと、たぶんされてない。

そういう意味で、車いすユーザーはある程度わがままを言っても身の危険を感じることが少ないっていうのは、確かにそうかもしれない

最後になんだけど、俺はそういうクソ客はクソがと思うし、めんどいと思うし、俺の目の前に来たらやっぱ嫌だと思う。

あと、法律はそうなってないとか、車いすの作りがそうなってないとか、そういう対応コストがかかるとかも、わかる。

ハイ今はそういう意味じゃないしそうなってないでーす、バーカバーカじゃなくてさ、

じゃあそれは良い方に変わったら良いね、という風に思ってはくれないだろうか。

車いすユーザープレミアムシートで楽しめると良いね、ただクソビッチはむかつく、という風に分けて考えてくれないだろうか。

でもたぶん分けて考えるの難しいよなあとも思って、複雑な気持ちは今も変わらない。

2024-03-14

サルベージした日記

 私の故郷は、海抜六〇〇メートル丘陵地に佇む半農半漁の村で、後方は形のよい峯が三つ並び、前方には大きな入江があって多島海に伸び、子供の頃は、その入江で魚つりに興じました。

竹の棒に糸を張った粗末な釣具で、餌もミミズでしたが、満潮の時などは入れたら釣れ、入れたら釣れで、一時間もすれば小鯛などバケツいっぱいになりました。

腹が立つのフグで、五回に一度はかかり、フグに毒があることは子供にも分かることでしたから、腹立ちまぎれフグの白い腹を石にこすりつけるとみるみる大きくなり、このガキッとばかりに思い切り石に叩きつけと、パーンという音がして腹が裂け、溜飲を下げました。

 私は五人兄弟次男として畑仕事や魚釣りに勤しんでいましたが、田舎の貧しい暮らしから豊かな生活を夢見て、一足先に日本へ行った八歳年上の兄祥雨を追いかけて◇◇へ来ました。

その時十七歳で、一九三九年でした。兄は布施(東◇◇市)でセルロイド工場経営し、腕輪やクシを作っていました。

その兄の元へ身を寄せ、普通学校四年を卒業したものの、価値ある社会活動をしていくためにはさらに学が必要だと感じ、向学心に燃えて◇◇・東成区夜間学校(◇◇商工実務学校)へ通うことにしました。

工場住込の私の仕事はまず、朝五時に起きて無煙炭をおこし、六時半に出勤する職人さんの仕事に間に合うように湯を湧かしておくことでした。

そして、仕事が終わるのは夕方の六時。急いで自転車を走らせ学校へ行き、帰りは一〇時で、それから夕食をとり、深夜の一時過ぎ、二時過ぎまで勉強して、寝るのが連日三、四時間でした。

休日は一日と一五日でしたが、それも畑仕事に追われました。

 その死にものぐるいの努力が効を奏して、成績はトップとなり、幸か不幸か、級長をやらされました。

戦時中でしたから、訓練ばかりで、「前へ進め」「全体とまれ」と号令をかけるのが級長の役目でした。

ところが、私は強度の「どもり」でしたから、その号令の文句がなかなか言えず、落ち込んでしまって、《死んでしまおう》と何度線路に寝込んだかわかりません。

星の光が目に入るたびに、《ちょっと待て、死ぬんだったら、もういっぺん努力してみよう》という気持になり、「どもり」の矯正学校を五つも修了して、死ぬほどの努力を重ね、矯正しました。

こうして、《ヤレバデキル、ダメナコトハナイ・・・》の信念を貫いて苦節の日々を克服したことが、大きな自信となりました。

 終戦後の一九四八年のことですが、体を悪くして、マイシン注射を打ったところ、耳に障害が発生し、聞こえなくなってしまいました。

これまた、苦節の日々で、断食をしたり、いろんなことをやってみましたが、完治するまでには至らず、補聴器の世話になる毎日となりました。

ところで、戦争は激しくなり、私も協和会の勤労報国隊に徴用されて、九州炭坑で二ヶ月ほど働かされました。

石炭を掘って出てきたら顔は真っ黒で、目が辛うじて見え、つらい日々でした。

そうこうするうちに戦争が終わり、兄はそのまま日本に残りましたが、私は里心がついて故郷へ帰りました。

ところが、祖国はとても住める状態ではありませんでした。

日本兵が釜山の港からどんどん引き揚げて行くさなか、私も小さな船で玄界灘の荒波を掻き分け、決死覚悟日本へ戻ってきました。

一九四八年に兄と、資本金二〇万円の◇◇グリップ化工株式会社設立し、自転車ハンドルグリップセルロイド製造し、販売しました。

以来、資材をセルロイドからプラスチックに変え、◆◆◆グリップの普及に努力しました。

その途上、兄を交通事故で失い、私が会社を引き継ぐことになりましたが、中小企業信用保証協会や育成協会から資金融資韓国人業者としては第一号だと思います

 一九九〇年に◇◇グリップ化工から◆◆◆技研に社名を変え、現在では日本全国の占有率九〇パーセントを獲得し、一億人以上の人に◆◆◆グリップを握ってもらっています

私は、金属木材等で作られている従来の物をプラスチックに代えて作るという物づくりを企業の基本理念の一つにしてきましたから、事業の発展に伴い、グリップの他にも車輪、カゴ、チェインケース、泥除け等、タイヤ以外のものは全てプラスチック化し、その間の特許も数百にのぼって、◆◆◆製品世界ブランドとなりました。《継続は力なり》の精神で、より精度の高い関連商品の開発に努めています

 一九六〇年頃、日本韓国との間にはまだ国交はなく公式には往来できない時で、金融機関祖国産業視察団の一員として、初めて祖国訪問しました。

公式の日程を終えて、私の生まれ故郷に帰りました。

懐かしい山河景色幼なじみの顔、感激の涙に浸るばかりでした。

その感激もさめやらぬ時、町からキロも離れていず、一六〇戸もあるわが懐かしい村には電気水道設備もないことに気づき、昔と変わらぬ貧しい古い部落がそこにありました。

故郷のために何かしてやりたい》という衝動かられ、その後、回を重ねて訪問する毎に藁葺きの集会所を二階建の近代的な建物にして

事務所や老人らの憩いの場に使用できるようにし、また、電気架設の資金協力や子供たちの遊び場等も寄贈し、植木スピーカー等も添えて故郷の人の心を癒やすことに努めました。

 人間は誰しも食うがため、生活するがために働き、事業するものだと思いますが、私もご多分に漏れ世間並みの生活を夢見て渡日し、口では言えない苦労と努力を重ね、一応の目的は達したと、自分を顧みています

これまで、通産大臣府知事税務署長などの表彰を受け、韓国政府から国民勲章冬柏章を受章しましたが、私の企業活動に対� =キる評価だと喜んでいます

現在、◆◆◆ー技研のグループ企業として◆◆◆販売韓国◆◆◆があり、◆◆◆技研は私の長男に任せています

◆◆◆販売は兄の息子が取りしきり、ヘルメットを中心としたオートバイスポーツ用品製造販売し、韓国◆◆◆は弟の息子が社長を務め、スキー水泳用品を主力としたスポーツ製品製造販売し、輸出による外貨を稼いで祖国経済発展寄与しています最近中国青島にも進出し、六〇〇人ほど雇用しています

 兄の処世訓は《まず、自分自身が立派になり、次に家族の支えなり、その次に身近な社会に貢献する》ということでした。

私は、兄の遺志も引き継いで、家族会を設け、年一回会合を開いて、十親等以内の全学徒に、成績に応じて奨学金支給しています

その家族会の会長は私ですが、弟の息子がすべて代行してやってくれています

いわば、祖国故郷で私の夢を実現してくれる代理人のような存在です。後は、全家門の子孫たちが末永く仲良くしてくれればいいと願うばかりです。

振りかえってみれば、私の人生は苦しいことのみの連続で、喜びや楽しみというものがあっただろうかと思う時がありますが、◆◆◆販売の新社屋落成式(一九八四年)に、私が挨拶をし、息子夫婦、兄の子夫婦韓国の甥夫婦を紹介し、その三人を後継者として披露しました。

三人はそれぞれに立派に成長してくれ、私の夢を実現してくれる後継者になってくれたことが人生最大の喜びです。それに子孫たちが、私の喜寿(七十七歳)をニューオオタニホテルで祝ってくれたことも忘れられない喜びです。

 外孫まで入れると四十五、六人になりますが、アメリカに行っている七、八人の子孫たちもその日(一九九八年九月一八日)にはみな帰っ� =トきて祝ってくれました。

私たち韓国人は、税金人一倍納め、社会に貢献しているにもかかわらず、後ろ指をさされる傾向が強いのですが、人間というもの生存競争なかにあってライバル意識を持ち、自分より事業を大きくやっていたり変わったことを大きくやっていたりすると、ねたみの心が出てきて、あらぬ中傷に走るのではないでしょうか。

私たち韓国人の側にも虐げられたひがみ根性というものが抜けきれないのではないかと思いますが、真面目に生き、社会に貢献していくことが肝心で、価値ある社会人になるためには自分自身が努力し、そのためには人の話を聞くことです。

何か疑問を感じたら、聞くのが一番の近道で、その疑問を解いてくれる人が見つかるまで聞きつづけたらいいのではないでしょうか。聞くことにお金はかかりませんし、それが私の処世訓の一つです。

2024-03-13

anond:20240313200826

EVは重いのでタイヤが滅茶苦茶早く減る!」→別にリーフとかそんな話なくね?

EVは重いので道路への負荷が高いっ!」→別に4トン車10トン車普通に道走っているが?

EVは冬弱すぎる。テスラ墓場を見ただろ?」→ソースGIZMODE?wFOX?wスウェーデンではEV普及してるけど?

2024-03-10

anond:20240310210742

ドンキーコングタイヤが出てくると、なぜタイヤが?車輪のついた乗り物は出てこないだろう?ははあ、さては、人類滅亡世界かな?と妄想捗る

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん