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2024-02-02

ギョーカイ残滓に関する注意喚起の発出

ネット言論的な事、ソーシャルメディアでの短文コメントなどでTV局、アパレルマーケティング広告電通などに関する議題で変なマウントじみた上から目線を感じることがないだろうか?例えば広告出稿の実務や電通業務範囲などの解説に「電通を判ってない」と漠然としたコメントが付いたりする事だ。

亦は例えば脚本家原作者トラブルに端を発した自殺に関して「己の近いところに着弾」などと書いて自殺クリエータナイーブを嗤うような文章だ。

実はこれらには「ギョーカイ」という30年前の知的スノビズム関係しており、現在のその全ての発言者はただのワナビーだ。故に無視するか嘲笑するのがいい。

 

だがギョーカイがどういうのか判らない人には判別が出来ないであうからギョーカイに就いてざっと解説したい。

 

80年代カルチャー誌が当時の若者を釣る為のコンテンツ総体ギョーカイ

1980年代大学生というのはまるで勉強しなかった。これは60年代に反権威主義全共闘世代大学の知の権威攻撃して教授講義尊敬解体してしまった事に由来する。その後反体制という態度も流行らなくなり、更には嘲笑嫌悪さえされるようになっていった。

だが大学権威は復活しなかった。この為に80年代になると大学レジャーランドとなり、特に文系学生教科書さえ買っていないという風になっていた。

 

更にここにプラザ合意という政治状況が追い打ちをかける。日本復興を遂げて70年代には経済規模が異常なほど膨れ上がっていた。アメリカベトナム戦争で、欧州の旧連合国諸国植民地独立による経済構造変化で苦しんでいた(除西独)のと対照的だ。

だが国民生活は然程裕福にはなっていなかった。また戦後の窮乏状態から贅沢を忌避する経済道徳があった。

プラザ合意でこれが一変する。これは円高誘導日本対米貿易黒字を削減する政策なので経済構造がそれまでの輸出産業優先のままだと立ち行かなくなってしまう。

そこでそれまで禁止されていた贅沢がお上お墨付きで推奨されるようになったのだ。国民経済道徳なんて政策で左右されるのである文化は決定因子ではない。

また円高によってそれまで贅沢品だった輸入品価格が下がる。当然購買意欲は刺激される。

この浮ついた好景気が加熱してストックバブルとなり、やがて弾けて失われた30年になったのは皆の知る通り。 

この景気加熱はレジャーランド化していた大学生にも影響を与えた。それまで国内アパレルメーカーが若者向けブランドを展開してそれらが人気を博していたが、海外ブランド志向が進み、遊びの高級化が進んだのだ。有名なのがディスコマハラジャジュリアナ東京であろう。マハラジャ運営会社はそれまで「並」のディスコ経営していたが、マハラジャで極端な高級志向ドレスコードチェック(アメカジとかは入場禁止で上から下までブランド必須)にしたところ大盛況となった。

 

だが大学生が高級志向になったのは自然出来事ではなく、当時のファッションカルチャー誌が誘導したのであった。

 

POPEYEホットドックプレスの例

こういう大学生に影響の大きかった雑誌マガジンハウス社のPOPEYE(以下ポパイ)と講談社ホットドックプレスが挙げられるが、この二つは性格が違った。ポパイが先行、ホットドックプレスが追走、イノベーター理論で言えばポパイアーリーアダプター志向ホットドックプレスマジョリティ志向という感じだ。

マガジンハウスファッションカルチャー専業だけあってイノベーター人脈があるから未来への提案という形で誌面が作れる。

一方、ホットドックプレスは大出版社なのでもっと安牌志向だ。あまり冒険すると滑る危険がある。

そして流行於いてマジョリティ相手にするという事は、アーリーマジョリティになれとけしかける事であり、故に強迫観念的になるのである大学デビューした若者ファッションや遊びを勉強しろと迫る性格を帯びる。

 

山田五郎氏はyoutubeの「オトナの教養講座」を運営して大変引き出しが多くて教養がある人物だ。同氏は同誌の80年代編集長であった。

教養人だが編集長時代マガジンハウスの後追いで背伸びしたい若者楽しいライフスタイル提供というよりも「これぐらいマスターしないとモテないぞ」とオブセッションを刺激して走らせる誌面を作っていた訳で、正直そこについては評価できない。

 

これはホットドックプレスが悪いというのではなくて、トレンドの後追いする方は強迫観念に訴えるようになるという例だ。

 

ギョーカイホイチョイプロとんねるず

そんな雑誌群でやたらと持ち上げられていたのがTV局、アパレル業、広告代理店という業種だ。

ホイチョイプロはこれらのブームが起きる前から広告代理店漫画を書いていたが、このブームに乗って多角展開するに至った。広告業の業務中で電通けが特別視されたり、変なマウント取る奴が現れたりするのはこのホイチョイプロの影響である

またとんねるずパワハラ芸とTV局の内輪ネタ若者の歓心を得て売れるようになった。

特に初期のパワハラ芸が有名だがこのパワハラ芸人同士のそれではなくてTV局での上下関係に限られるのがポイントだ。TV局内とスポンサーなどの上下関係ギョーカイなので売り物になったのである

 

ギョーカイ情況である

故にギョーカイというのは単にがTV局、アパレル業、広告代理店という業種を指すのではなくて、当時の風俗上の序列に裏打ちされたそれら業界という事が出来る。広告代理店業務特別視してマウントするという態度の背景には、輸入ブランド志向、高級ディスコVIPルーム、見せる為の彼/彼女ポストモダン思想という今では時代遅れの事物文脈がある。

一方、家庭を築いて建売とかと言った一般的価値観は外部化されていて入っていない。

 

身に沁み込んだレイトマジョリティへの強迫観念

先に述べたように流行の浸透期には強迫観念に訴える形の言説が商売になる。面白いものがあるよ、じゃなくて時代に遅れるな、だ。

これらはもう時代遅れだが、この強迫観念に訴える扇動効果は残っていて、広告TV局に関する事が話題になると、今でも「電通本質は違う」などという謎マウントが湧き出すという原因になっている。

特に地方在住者に顕著だ。広告への関係の仕方は様々あり、出稿する立場印刷を受注する立場看板屋など様々な立場人間ネットに書き込む。また電通業務のうち広告ではない部門人材派遣イベントプランニングなどに関する議題で書き込む人も居る。

それらに対して謎マウンティングしでいないではいられない人が現れるというのもネットの常だ。

これらの人は自分が参画しえない場所の話だったホイチョイプロなどのギョーカイ話を実業務での経験他者の含む)で上書き具体化するのに失敗し続け、レイトマジョリティ転落の強迫観念駆動され続けているのである

 

彼等の言い方は、「電通とは」など目前の具体的解説よりなどまるでその評価軸が高級だったり知的であるかのようで、事情を知らない人は騙されてしまうが、その実は時代遅れの流行追っかけの知ったかぶりしかないので、騙されないようにして貰いたい。

インターネット下さい」やソーカルコテンパンにされたポストモダンの亜種である

 

この辺の事情を知っていれば、「己の近い場所に着弾」とか原作者自殺をそのナイーブさ故と揶揄するAI画像投稿してTV局の事情通風を吹かす者が現れたとしても、その破廉恥さに憤るよりも前に、その者がオピニオンバラティに数回出ただけでドラマには関係してない事、職域が権利者との折衝と重ならないであろう事、出演回数的に業界風吹かしたい欲が最大化される地点である事、年齢的にギョーカイ特別視のレイトアダプター層である事、とんねるず世代などに着目し、地方バーで「業界出身の人」ってこういう感じだよなぁなど感慨に耽り、祇園精舎鐘の音が胸中に去来するはずである

またマナの力に長ける者であれば、AIに向かって「政権のブレーンとして官邸に出入していた事がある事は履歴的に自慢したくなりますよね?という建前を押し出し笑顔発言者の前で、現在相手にしている読者層がその政権へのドグマ批判を共有するので炎上評価低下を恐れて答えに窮し発言者善意の天然なのか悪意があるのかはかり兼ねて引きつった笑いを浮かべる男性」という詠唱により画像を得る事が出来る筈である

TVに出るようになった切っ掛けってそのブレーン抜擢ですよね」と発言を重ね掛けする画像でもう一枚行けそうである

 

いずれにしてもTV広告業などの話で具体性も無いのにウエメセマウンティングが発生したら、その実は以上のような事情背伸びしたい「追いかける人」であるので、良く知らんけど高級な知識っぽさに騙されないようにして欲しいものである

2023-07-10

エアロビレオタードタイツ60年代から90年代まで

運動着としてのレオタード小史

レオタードはもともとアクロバットのものだった。40年代存在はしていたが、寒いときの重ね着だった。ヒートテックみたいなものか?

60年代理想女性像は、女性的で成熟したものから、ほっそりして若々しいものに変化した。きれいな脚が魅力的とされ、スカートが短くなる流れと一致している。

レオタードはこの頃の運動着で、水着のようなものと全身を覆うものがあった。水着タイプは下にタイツを着ることがあった。レオタード対照的な明るい色のタイツ流行った。

長袖、半袖、袖なしがあり、首まわりは丸いのからタートルネックがあった。

70年代になると、ファッション全体は60年代サイケデリックな傾向を脱したが、レオタードはまだ人気だった。しかし、微妙な違いがある。70年代になると、60年代の活気のある色と模様がおとなしくなった。人気のあった色はピンクベージュ茶色、暗い緑や青だ。タイツレオタードの色に合わせることが多い。

いたことに、レオタード70年代には屋外の運動着としても採用された。

ただし、exersuitと言われるもので。ボクサーショーツや紐のついたパンツの下に着られたものだ。外観は40年代運動着に似ている。

以前ハンガリーのレオタードについて書いたが、ハンガリー場合は屋外で水着タイプレオタードを着るものだ。

80年代になると、たとえば袖なしでVネック、レッグウォーマーつきといったデザインが出てくる。

ファッション70年代のものと近いのだが、アクセサリが増えてくる。たとえば、バンドやレッグウォーマーだ。

この頃はフィットネス熱の時代としても知られる。ジム出会い場所にもなりさらにおしゃれになった。写真を見ると、なぜかレオタードの上からブルマーのようなものはいているのもある。

これで60年代80年代レオタードの違いがわかるようになった。

一方で、レオタードの衰退については、この記事には記述がない。

へそ出しやブラトップ流行り出したのがなぜかもわからない。

ビキニとは時代がずれている。

https://thevintagewomanmagazine.com/history-of-exercise-fashion/

ソ連の状況

ソ連エアロビ流行り出したのは1990年代だった。

その兆し中央テレビ放送された「新体操」の番組だ(ロシア語から和訳したのでこの訳語が正しいかからない。オリンピック競技とは別物なので「新式体操」とでも訳すべき?)。

レオタードを身に着けた女性が、エアロビ体操ブーム引き起こした。

保守派の人びとの反感にもかかわらず、「新体操」の起源音楽リトミック教育起源もつ20世紀初頭のスイス人作曲家エミールジャックダルクローズに始まる。

もともとリズム感を鍛えるために、身体リズムに合わせて動かすことを発明した。

エアロビクスは「新体操」とは違う点がたくさんある。

有酸素運動60年代米国のケネスクーパーにより開発され、女優ジェーン・フォンダにより人々に広められた。元々彼女にとっては体操趣味であった。

当時のソ連運動労働者向けに作られた30年代のもの踏襲されていたので、新しいものが導入された。西側であるとの批判をかわすため、番組は「新体操」と呼ばれていた。

https://kulturologia.ru/blogs/160519/43125/

感想

同じレオタード流行った時代でも、タイツをどんな色と合わせるかなどの流行りすたりがあったことは知らなかった。「うる星やつら」とか「キャッツアイ」とか学研頭脳開発ビデオ「わくわくひらがな」でみたレオタードなども、その時代を反映していたのだろう。

また、時代のよって女性理想ファッションや体格が変わってきたのも再確認できてよかった。人気のハリウッド女優によって金髪ブルネットの人気が変わってきたのは知っていたし、楊貴妃の頃はぽっちゃり系がモテたとかそんな話を聞いていたが、ここでも実証された。

世界史を学ぶ醍醐味はここにある。自分の好みや思想もその時代の趨勢とは無縁ではないし、価値観なんてあっという間に変わってしまう。好きなファッションをすればいいし、価値観自分の頭で考えないと大勢に流されっぱなしになってしまう。

そういえば以前書いたが、ソ連のほうがレオタードの導入が早かったらしいことは興味深い。

疑問

先ほど述べたが、レオタードの上からショーツ型(パンティー型)の服を着るケースがあるが、なぜだ?

下の記事11番目の写真も参照。

https://www.elle.com.au/health-fitness/workout-clothes-throughout-history-12669

ブルマショーツ化の流れとも関係しているかもしれないが、証拠を見つけるのは難しいだろう。当時の美意識を(フェティシズムを?)反映していると立証するのはどうすればいいのか。できるのは、同時期のファッションだったという指摘をするだけだ。

今後の展望

最初の項目で引用した記事は他の運動着についても記載しているので、そのうち概略を説明する。全訳すると著作権的にまずい。

かにも、へそ出しファッションが許されるようになったのはいつか、ビキニとはどれくらいずれているかについても調査したい。考えてみればビキニ歴史も意外と知らない。

また、レオタード衰退の理由も知りたい。上のへそだしとも関連するが、スポブラタイプ運動着が流行ったのはいからについても気になる。

ところで、最初ブルマーについての記事投稿してから3年が経った。速いものだと驚きもするし、自分オブセッションの変わらなさに呆れもする。

2021-06-14

anond:20210614025554

何者かになりたい=趣味、という思考が謎すぎると思うよ。その世界第一人者になりたいということ?だとしてもどんな世界でもずっと上手い奴は腐るほどいるわけで…。何者かになりたい=趣味を通じて友達を作りたいということなのかな?

何者かになれるかは別として、長く続く趣味というのは大抵オブセッションが伴っているものだよ。例えば仕事で疲れ果てて帰ってきても5分それに取り組まないと寝られないとか、仕事中も少し暇になればついそのことについて考えてしまうとか。上手い下手は関係なくね。そういうのを探したほうがいいんじゃないかなあ。

2020-11-29

村上春樹小説に登場するヒロイン図鑑

 ギャルゲーのオープニングムービーのノリで紹介していきたいと思う。含ネタバレ


ノルウェイの森

ミドリ

「私なんかね、髪の長い下品女の子二百五十人くらい知ってるわよ、本当よ」

 ノルウェイの森はご存知ダブルヒロインシステムで展開する物語であり、正ヒロインの直子に対する反ヒロインミドリであるミドリは深い自己反省を行う直子とは正反対キャラクターとして描かれているものの、要所で当を得た優れた知性の持ち主でもある。物語の途上、直子との恋愛に疲れ果てていく主人公のワタナベに対して次第に親しみを募らせていき、最終的には恋に落ちる。明るくユーモラスだが苦労人でもあり、「人生ビスケットの缶のようなもの」という独自哲学披露する。

・直子

「たぶん私たち、世の中に借りを返さなくちゃならなかったからよ」

 正ヒロインヤンデレの先駆け。高校時代に亡くなった恋人記憶を延々引きずり続けており、その代償行為としてワタナベとの関係を求めた結果、人生が取り返しのつかないほどこじれてしまった。曰く「自分自身が二つに分裂して木の周りで追いかけっこしている」。物語の中盤から京都サナトリウムにて療養生活を送ることになるが、最終的にワタナベの魂を深淵へと引きずりこむこととなる。

レイコさん

私たちがまともな点は、自分たちがまともじゃないってわかっていることよね」

 ダブルヒロインと銘打ちつつも、中盤以降登場するサブヒロイン

 若い頃は有能なピアニストであったが、演奏ストレスにより精神に不調をきたしてしまい、それ以来人生に振り回れされ続ける。挙げ句の果てに、教師としてピアノ指導していた美少女レズレイプされそうになるなど、人生が取り返しのつかないほどこじれてしまった。主人公とのラストシーンで読者を激しく混乱させる。


海辺のカフカ

さくら

「なんかさ、うまく言えないけど、本当の弟みたいな気がしてるんだ」

 『海辺のカフカ』はドイツにおける「フランツ・カフカ賞」やイスラエル文学賞であるエルサレム賞」の獲得への原動力となった作品であり、ギリシャ悲劇の色彩とインスピレーションを帯びたポップな文体が特徴である主人公は十五歳の少年で、田村カフカという偽名を名乗っており、作中においてその本名は明かされない。

 作中一番最初主人公が邂逅する他者さくらであり、彼女もまた苦労人。幼少期から両親との折り合いがつかず、一刻も早く自立し一人で生きていくことを人生方針にしていた。職業美容師

 主人公はかつて姉と両親の四人暮らしをしていたが、その途上で母と姉は家を去っている。主人公はその、顔もろくに覚えていない姉の姿を、さくらへと重ねるのであるヒロインというか擬似的な姉とも言うべき存在

佐伯さん

あなたは誰なの? どうしていろんなことをそんなによく知っているの?」

 正ヒロイン。五十代の美しい女性であり一切が知的に洗練されているが、巨大なオブセッション強迫観念)によって人生を摩耗させている。

 彼女人物設定は『ノルウェイの森』をなぞる形となっており、先に紹介した直子の鏡写しのような存在である彼女が勤めている私立図書館は、かつての恋人父親の所有であり、話がややこしくなるのだけれどこの父親物語中には登場しない。問題はその恋人とのことで、彼女は幼少期から恋人と親密な関係を築くのだけれど、最終的に死別する。それから三十年以上もの間、彼女自身空虚人生に苦しみ続けた結果、主人公出会う。

大島さん

「いつそれを言ってくれるか、ずっと待っていたんだ」

 ヒロイン欄にこの人物名前を記すこと自体が既にネタバレなのだけれど、とにかくヒロインの一人。ボーイッシュ枠。


世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

・美しい太った娘

「お願い、このままじゃ世界が終わっちゃうのよ」

 美しい太った娘。村上春樹1979年デビューして以来、1987年に至るまで十年近くキャラクター名前を付けるのが恥ずかしかったとのことで、一部の例外あだ名を除いてキャラクター無名である。よって1985年出版された本作においても、一切の登場人物名前は明かされない。

 幼い頃に家族を全て交通事故で失って以来、祖父である天才科学者の「博士」の元で純粋培養された少女。十七歳。教育方針によって学校には通わず英才教育を受ける傍ら、適度に脂肪を取らされ、適度に太らされている。性欲一般に関してあまり理解しておらず、主人公に何かと性的質問を向けては困らせる。

 「博士」による教育の結果、語学などの現実生活を送るための技術複数習得している才女。決断力というか胆力があるが、どこかしら世間知らずな面は否めない。

図書館の娘(表)

「それが何かはわからないけれど、どこかで昔感じたことのあるもの空気とか光とか音とか、そういうものよ」

 多重世界の表の側であるハードボイルドワンダーランド』に登場する娘。なお裏の世界である世界の終り』においても、同一存在として主人公の前に現れる実に因縁深い存在でもある。図書館リファレンス係をしており、主人公一角獣に関するテキスト請求したことから親しくなる。大食漢であり給料の大半が食費に消えるが、上記の娘とは違い極めて均整の取れたスタイルの持ち主である

図書館の娘(裏)

「――私の心をみつけて」

 多重世界の裏の側である世界の終り』に登場する娘。リファレンス係の娘の多重存在。「古い夢」と呼ばれる一角獣の頭蓋骨を、図書館管理している。

 『世界の終り』においては心は動き回る影の形で存在しており、影は人が大人に成長する前に特殊器具によって切り離され、埋葬される。その儀式を経た後は全ての人間は「完全」となり、年を取ることもなく何かに怯えることもない。彼女もまたそのようにして心を喪う中、やがて外の世界からやってきた主人公出会う。

・影(主人公

「俺は君をどうしても外につれだしたかったんだ。君の生きるべき世界ちゃんと外にあるんだ」

 おまけ。

 『世界の終り』に登場する主人公の影。頭の回転が速く機転が利くが、主人公と切り離されてしまったため大きく体力を奪われており、ほぼスペランカーと化している。

 『世界の終り』において門番の男に幽閉され、真綿で締め上げられるような虐待を受け続ける。


などなど

 俺は『騎士団長殺し』を除いて全ての長編読破しているんだけれど、まだまだヒロインはたくさんいる。あるいは続編を書くことになるかもしれない。

 村上春樹ネットで言われてるほどひどい作家じゃないので、皆も読もう。チャオ。

2019-07-29

あなたは充分特異な存在

悪く言えば、あなたは充分「気持ち悪い」。だが、それは見方によっては称賛だ。ちょっと真似できないような奇妙な内実をもち、それに何の疑問も持たずにその通り振る舞い、20年以上生きてきた。いま、改めてそれが「異常だ」と名指され驚いている。その体験事実は、充分にオリジナリティに溢れていて、特異だ。そして、自己の特異さ(つまり気持ち悪さ)に気付いているという意味で、あなたは充分ほかの人より一歩抜きん出ている。

そもそも私たちはみな大体において「気持ち悪い/特異な」存在だ。もしあなた自己認識が「私は普通だ」であったとしても、何から何まで普通だとしたらそれ自体が充分「気持ち悪い/特異」なことだ。何かを目指し「たい」ならあなたは今後とも何かを目指す「べき」だ。なぜなら「それがあなた」であり、あなたの「したいコト」だからだ。「そこまで強烈に誰かを真似したい『というあなたオブセッション/オリジナリティ』」をあなたが追究するのは、他の人が自己のあるべき姿を追い求めるのと全く同じだ。ただ、気をつけなくてはいけないのは、それが無条件で受け容れられることではないかもしれない=「気持ち悪い」ことである、という自己認識を失わないようにすることだ。バレたら破綻するような行為自己を追究していると、常に破綻リスクに怯えたり、今回のような破綻引き起こしたりする。なんと危険なことか。あなたは、自己もつその特異性を発揮できる仕事を目指すべきなのだ

たとえば芸能人マネージャー宗教家の腹心、政治家秘書……etc配下に対して自己を崇拝しコピーのように理解することを求めつつ、かつ「絶対自分を追い越すことをしない」人材を求める世界は数多くある。あなたはそういう世界存在に大きな適性をもっているわけだ。これは皮肉ではないよ。おめでとう。

まりあなたそのままで問題ない。そのままを生かすことができていないことが問題なだけだ。

anond:20190728111842

2019-07-12

昨日の夢で見たラジオスター映画未来のミライ」評

前の週にランダムに決まった映画を私が自腹で映画館にて鑑賞し、その感想20分以上に渡って語り下ろすという、友人やゲストであっても忖度しない型映画評論コーナー。それでは、今夜評論する映画こちら!

未来のミライ』!

山下達郎ミライテーマ』♪)

はい山下達郎さんのこの主題歌、やっぱり沁みますねー。かの名作、アニメ版時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』などを手掛けた、言わずと知れたヒットメイカ細田守監督原作脚本監督を務めたアニメーション映画

これは後ほどの僕の評で触れますけどね、どうも細田監督脚本外注するタームに一旦戻した方がよいんじゃないか僭越ながら思います。というのも、フィルモグラフィを踏まえると、細田さんが脚本に絡めば絡むほど逆にダメさが際立っているのが歴然となるという(笑)

さて、『未来のミライ』、どんな話かと申しますと、甘えん坊の4歳の男の子くんちゃんは生まれたばかりの妹・ミライちゃんと仲良くできず、両親を困らせてばかり。そんなくんちゃんの前にある日、少女が現れる。声の出演上白石萌歌さん。『君の名は。』のヒロイン、三葉を演じた上白石萌音さんの妹さんだそうで。これなんかは、僕、勉強不足で申し訳ない。存じ上げませんでした。それと、黒木華さん、麻生久美子さん。スーパースケベタイムこと星野源さんなんかもね、声を当てております

ということで、この『未来のミライ』、見ましたよ~というリスナーの方から監視報告結果をメールでいただいておりますありがとうございますメールの量は・・・多め。まあ、そんなもんですかね。注目度は高いでしょうからね。ただ、賛否比率が今回、賛のメールが3割、否定的メールが4割、そして普通が3割といった感じで。あらそうですか。まあ賛否両論というか、まあ世間的にも今回は否がちょっと多めな感じですよね。

多かった否定的意見としては、これなんか僕笑っちゃったんですけど、「未就学児にアナルプラグってどうなんですか(笑)」「クソガキにひたすらむかついた」「リアリティラインがずっと迷子演出が全て茶番」とかですね。みなさん手厳しいですね。一方褒める意見としては「まさに子育て中の自分にとってはくんちゃんの言動が“子育てあるある”でつい笑ってしまった」、「あの東京駅の造形は素晴らしい」、「全く予定調和ではない、ほとんどカルト映画のような展開に細田守のすごみを感じた」--最後のこれ褒めてるのかな(笑)--といったところがございました。

リスナー代表意見省略)

ということで『未来のミライ』、私もTOHOシネマズ日劇バルト9で計2回、見てまいりました。正直日劇の方はちょっと寂しい、イマイチの入りだったんですけどね、バルト9の方は、休日ということもあったのか、子供連れのお客さんが多い雰囲気でしたね。おちゃらけたシーンでは子供の笑い声があったりしてね。これ僕意外だったんですけどね。

それで、細田守さんの細かい説明、はもういいかな。もういいですよね?

ニッポンの夏と言えばもう細田作品、となりましたね。春はドラえもんしんちゃんコナンくん、そして夏は細田作品というね。改めて振り返るとですね、あの押しも押されぬ名作『時をかける少女』以来、なんとキッチリ3年ごとに細田監督劇場用新作長編アニメが天下の日テレをバックにつけて全国のシネコンでがんがん流れされるという。この光景果たしてユートピアなのかそれともディストピアなのか(笑)!・・・といった風情でございますが、“ポスト宮崎駿”という形容が正しいかどうかはひとまず置いておいて、現在日本アニメーション代表する監督のお一人であることは間違いございません!一方ですね、これだけ大メジャーになっても、細田さんの作品は、毎回変なんですよ、はい

日テレがバックにいます山手線にも全面広告出してます、たくさんの有名どころの芸能人が声あててます主題歌山下達郎です、で、騙されちゃいけませんよみなさん(笑)!“変”なんです。これも後で触れますけど、残念ながら悪い意味で、ですけれども。

細田さんなりの意識としてはね、今回はこれを描こう、これがテーマだというものがあると思うんです。そして大出世作時をかける少女』を除けば、特に細田さんのオリジナル作品には、ドーンと太い幹のテーマとして、「家族」たるもの、そのあり方、に明らかにオブセッションがありますよね。ジャンルも角度も全く違いますが、大枠のテーマ設定自体是枝裕和監督共通してる、ともいえます。両者とも相手作品のことは苦手そうですが(笑)

そして今回は最もそのテーマがわかりやすく出ているからこそ、これまで周辺の諸々で覆い隠せていたダメさが際立ってしまってるという。

これねえ、細田さんのホント悪い癖だと思うんですけどねえ。実生活作品に反映させすぎてるんですよ。

もちろんですね、ここは誤解しないでいただきたいんですけど、私も含めてですが、まずリアル生活があって、日々作品クリエイトしているわけでございますからそのことを安直かつ一概に悪いというつもりは毛頭ございません!我々の業界でも、それはそれはまあ古今東西のあちこちで「リアル」か「非・リアル」か、ということが作品、ひいてはクリエイターとしての評価軸として語られてきた闘争歴史があるわけでございます。まあここらへんの話はし出すと切りがないからやめときますが、また別の機会に特集でやれたらなと考えています

ただね、これ、我々とも共通しているんですけど、決して間違えちゃいけないのは、「リアル」だから偉いんじゃないんですよ。そして「非・リアルイコールダメじゃないんです。“リアル生活があってのクリエイト”の裏っ返しとして、作品ウンコなら、いくら本人的にリアルものであってもダメダメなんです。まあ当然の話ですけどね。言い換えると、てめえ創作をなめてんじゃねえぞ(笑)!というね。どういうことかというとですね、僕が常日頃から大変尊敬しております、故・藤子・F・不二雄先生のですね、こちらも大傑作『エスパー魔美』にですね、こんなエピソードがあります。大変有名なエピソードなのでご存じの方やこの流れでピンと来た方も多いとは思いますが改めてここで引用させていただきます

主人公魔美に対し、画家である魔美のパパの絵を酷評した評論家がこう言い放ちます。曰く「芸術は結果だけが問題なのだ。たとえ、飲んだくれて鼻唄まじりにかいた絵でも、傑作は傑作。どんなに心血をそそいでかいても駄作駄作。」と。さらに、魔美公の「父の絵が駄作だと・・・!?」という問いに対しても、件の評論家曰く「残念だが・・・・・・」と。

「くたばれ評論家」というタイトルの話ですけれども、前後も含めて気になる方は是非全編読んでみてください。文庫版第1巻収録でございます。これ、我々クリエイターにとっては誠におっそろしい、喉元に切っ先をつきつける真実言葉ですよ。作品内の一エピソードとはいえ、これを自作評論家に言わせるF先生のすごみってのが改めて感じられますけども。

これを今回のリアル/非リアル問題に引き直しますとね、こうなりますはいドーン!!

「結局、創作においては作品が全てなのだ。たとえ、童貞くんや処女ちゃんが作るAVでも傑作は傑作。ヤリチンビッチがその経験を総動員して作るAVでも駄作駄作。」

はい、そういうことでね(笑)、まず『未来のミライ』、何が一番ダメか、というと、これ、あちこちインタビュー細田監督自身がね・・・これホントダサいよなー・・・言い訳がましく語っているところでもありますが、4歳の男の子主人公なんですね。で、彼の視点で基本話が進んでいくんですけども、監督曰く、同じ4歳でも、女の子じゃなくて男の子がいいという。そんで、監督女の子男の子の二児をもった経験をそのまま持ってきているという。

これねえ、頼んでもいないのにてめえで勝手に4歳男児主人公にしといてね、4歳男児からね!彼の目線から!そういう体で!大目に見てよね!って言い訳にしてもクソダサいにもほどがありますよ!細田さん、昔はそんな人じゃなかったでしょ!?

なんでてめえんちの、オチもかわいげもないクソガキのホームビデオを延々と見せてんだ!っていう(笑)。一億万歩譲ってですね、ホームビデオだとしてもいくらでも演出のしようがあるだろ、と。こっちは先週ガチャが当たったおかげでクソガキのホームビデオ鑑賞に1800円の2回、合計3600円自腹で払ってんだぞ(笑)!っていう(笑)。まあ、最後のは僕だけの事情ですけど(笑)

別にね、幼児を主役にすんな、ホームビデオ劇場で流すな、ってそんな単純な話じゃないんです。北野武監督の『TAKESHIS'』『監督・ばんざい!』『アキレスと亀』のいわゆる芸術3部作ね。僕なんかは敬愛を込めて“偉大なる失敗作群”と呼んでますけど、あれらだってフェリーニの『8 1/2』方式といえばよいんでしょうか、意地悪な言い方すると豪勢なホームビデオっちゃあホームビデオですよね。それでもK.U.F.Uややり方次第で、いくらでも幼児ならでは、ホームビデオならではの特性を生かすことはできるんですよ。

これ、他の幼児キャラと比べるとはっきりわかると思うんですけど、みなさんご存じ“嵐を呼ぶ園児野原しんのすけ!これはまあちょっと特殊な例ですけど、もう少しリアルよりのちょっぴりわがまま幼児といえば『トトロ』のメイちゃんなんかもそうですね。あと、変化球としては、F先生オバQだってその言動だけ捉えたら幼児的な異物といえます

どういうことかと申しますと、もう名前も言いたくないな(笑)、今回のこのクソガキ様の挙動ビタイチ、ホンットビタイチおもしろくもない、かわいらしくもない、ムカツクだけ。“好きくない”?はやんねーしはやらせねーぞ。

要するにですね、このガキ、いや、おガキ様、ほぼ全編に渡って、人間のむき出しの感情欲望を、アクセル踏みっぱなしで発散しまくる、という非常に独特かつ個性的キャラクターであらせられ、たてまつられ候なわけなんですね。で、ここを「面白いかわいい!」と思える大変奇特な方も世の中には一定数いらっしゃると思います、あるいは、残念ながら僕のように「このクソガキ!」っていう風にやっぱり、拒否反応を感じてしまう方もいらっしゃると。これはねえ・・・もうしょうがない!

いや、実はしょうがなくはないんですけど。僕なんかはね、僕は自分の子供もおらず、あと僕自身末っ子なんで弟感、妹感ってのがイマイチからないですけど。でもね、その人の実生活上の“あるある”なんぞに頼らざるをえない時点で作品としてはその時点で“負け”なわけなんですよ。

どういうことが言いたいかというとですね、先ほどの例であげた『トトロ』のメイちゃんね。これ、宮崎監督さすがだなあと思うんですけど、ダダをこねるシーン、グズるシーン、いずれもひじょーにロジカルに「何故彼女がそういう行動に至ったか」というのが、お父さん、さつきちゃんとの関係性も含めてストンと腑に落ちる作りになっている。しか説明的なセリフほとんどなく。

さらに悪いのはですね、クソガキのダダこねに対してお父さん、お母さん--こち星野源さん・麻生久美子さん自体は好演だったと思いますけど--が突如ですね。表現過激申し訳ありませんね。白痴になられる(笑)。要はキャラクターとしての一貫性がないんですよ。

どういうことか。産休明け出勤時のお母さんは目の前に居る4歳児の甘え要請をガン無視(笑)。いやいやいや・・・(笑)。第二子が生まれとき第一子のフォローって別に特別知識経験がなくたって、“人として”ちゃんとやってやんないとヤバいのは直感でわかるでしょう?

そんで、自宅で仕事をしているとはいえ、4歳の幼児新生児をかかえてワンオペ育児父ちゃんの、千と千尋父ちゃんちゃんにも匹敵するレベル無慈悲既読スルー(笑)。『風立ちぬ』の堀越二郎だってもう少し周り見えてたぞ(笑)マジでこいつらサイコパス夫婦なの?何か目に見えない妖怪的なものに取り憑かれているとかそういうこわい系の話なの、これ?というね(笑)。他の作品でこんなの見たことあります?っていう感じですよね。僕、見たことないです。

あとねえ、僕個人的に一番許せないのがね、劇中、クソガキがミライちゃんとあるひどいことをします。この“ひどいこと”自体も、「ためにする」展開の脚本しかないんで、ただただ単に不快なだけなんだけど、その現場を見ていないはずのサイコちゃんが「何で仲良くできないの!仲良くするって言ったでしょ?!」と頭ごなしに怒るんですよね。僕、子供いなくたってわかりますよ、一番やっちゃいけないっしょこれ。これもねえ、怒る前に母ちゃん些細なイライラエピソードを入れるとか、クソガキが所在ない感じを示唆するとか、怒ってしまった後の後悔の瞬間をちらっといれるとかだけでも相当違うと思うんですよ。もちろん説明セリフじゃなくてですよ?少なくとも映画における省略技法ってこういうことじゃあないと思うんだけどなあ(笑)

(続く)

2018-03-06

オレがやることはあらゆる方面で間違ってるから何をやってもムダだし迷惑しかならないって思ってるけど

それでもやらなければならないという使命感というかオブセッションがあって、

まあそれが根本敬の言う「でもやるんだよ」ということなんだろうなあと思う

「でもやるんだよ」の概念は小綺麗な感じに洗練されていいように扱われている気がする

俺はお前を傷つけ殺す表現をやるだろう それは社会から認められるはずもない でもやるんだよ

あーくだらない さっさと死にたい

2017-12-11

月蝕歌劇団をまた観に行った記録

なんか、ひょんなことから月蝕歌劇団(という小劇団が都内にあると思ってほしい)の公演を見に行って、それ以来なんか芝居づいている。

これまで演劇なんてぜんぜん興味がなかったのに。

いくつか劇場に足を運んだところで、もう1回くらい観ればもっと色々と見えてくるものがあるかと思い、また月蝕歌劇団に足を運んでみた。

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演目は『ねじ式・紅い花』と『盲人書簡−上海篇』の2本立て連続公演

(前回の観劇の記録は

https://anond.hatelabo.jp/20170925212923 

 を参照のこと)

ということで、自分のログを兼ねて、また観劇記を残しておくことにする。

御用とお急ぎでない方は、しばしお付き合いを。

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ただし。

自分は舞台観劇についてはとことん素人なんで、これから書くのは、通りすがりの素人が見た印象批評くらいのつもりで、紹介文としての情報は期待しないでほしい。

(というか印象批評というワード小林秀雄みたいで偉そうだな。ほんとに感想文くらいの感じで、ひとつ

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■全体として

歴史の長い劇団というのは知っていたけれど、今回は公演100回記念とのこと。

で、旗揚げ時代からのライバル劇団その他のビッグネームが集結した大プレミアム公演だったらしい。

普段は若い女性主体の “少女歌劇団” っていう感じの劇団なんだけど、今回はキャストの年齢が大はばに高めだった。

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ちょっと変わった構成をしていて、1つのシーズンというか公演期間を前後に分けて、2種類の演目を上演する。

さらに各演目について前座というか露払いというか、出演キャストの歌唱ショー、寸劇、詩の朗読その他をまとめたパフォーマンスとして “詩劇ライブ” というのがある。

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なので、フルで鑑賞すると1シーズンで合計4演目。

これを多いと思うか、アリだと思うか。

いろんな作品世界が見られてオトクだとも言えるし。

リハーサルシナリオ練り込み等々のリソースは分散されるから内容的に落ちるものになるかもしれないし。

自分が見たところ、器用な高能力キャストと、まぁそうでもないキャストでうまく仕事を振り分けて、不満を感じさせない作りにしている感じだった。

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順番に見ていってみると。

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■前半の前座『詩劇ライブ メメクラゲ』(11月19日

先に不満点を言わせてもらうと。

演目『老人と子供のポルカ』の歌唱。

左卜前役のベテランキャストカンペ片手に左右のキャスト(岬花音菜、慶徳優菜)を振り回して大暴れ。

休みなく次の曲『本牧メルヘン』が始まり、そのまま岬花音菜がマイクを握るが、息の上がった彼女にはキーが低すぎた。

おかげで貴重な戦力(岬)を空費。

トリの白永歩美キッチリと『バフォメット(と、あとなにか悪魔がもう一柱)の歌』(詳細不明)で締めてくれたのが、せめてもの救い。

それにしても、あの大狼藉は、ハプニングプロットか。

ハプニングなら再発防止策を取ってほしいし、プロットなら、申し訳ない、あれに快哉を送るハイなセンスは自分は持ち合わせていない。

しかし。

詩劇ライブというのがファンミーティング同窓会だというのなら。

いとしの大スターがいつにないハジケっぷりを開陳したほうがファンサービスとしてのお値打ち感は高いのかもしれない。

と、思って周囲を見回してみると、自分と同じか、あるいはさらに年配の観客がホクホク顔で舞台を見守っている。

ハテ、招カレザル客ハ自分ノホウデアッタカ。

うん、わかった。

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■後半の前座『詩劇ライブ 暗黒少年探偵団』

詩劇三傑(←たったいま自分が決めた。はるのうらこ、岬花音菜、そして白永歩美の3人)のパフォーマンスたっぷり見られたので実に良し。

はるの嬢は前回と同じギター伴奏かと思ったら、ギターからキーだけもらって、ほぼ独唱。それでいてピッチは正確、ハイノートも申し分なく出ていたし、なんというか、 “このヒト、ひょっとして劇団の隠れた屋台骨なのではないか?” という予感がさらに強まる。

(↑それは本編でガツンと証明されるんだけど)

なぜ合唱のときは控え(それはもう、あからさまな控え)にまわるんだろう?

リハーサルの負荷をソロに集中させるためか。

岬花音菜はカッパの舞。そして小阪知子を舞台に引き出してカッパの相撲。

あいかわらず、この人は歌って動いてが実に良い。

そしてトリは白永歩美

朗読、歌唱と大活躍。

いつ見ても、この人は安定しているなぁ。

はかなげで、あやうげで、その状態のままガッチリ安定しているという不思議キャラクター

そういえば『Those ware the days』に日本語歌詞をつけたものを歌ってたんだけど、受付で立ち読みしたセットリストにそんなのなかったぞ、と思って調べてみたら、『悲しき天使』なんていう日本語版があったのね。

知らなかった。

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さて本編。

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■前半の本編『ねじ式・紅い花』

つげ義春の原作、『ねじ式』『紅い花』『女忍』『沼』『狂人屋敷の謎』をまとめて1つのストーリーにしてある。

実を言うと、前回の公演を見たあとに、某氏から、

「なに、月蝕歌劇団が面白かったって? それじゃアレだ。主催の高取英のアレ読んどけアレ」

といって勧められたのが、『聖ミカエラ学園漂流記』(小説版と戯曲版)。

前回の公演を観たときに、

「この人の持ち味は “奔放に見えて実は緻密な複数世界のマッシュアップ” だろうな」

と感じていたのが、この本で確信に変わったのだけど。

原作が2作品や3作品なら、例えば2つの世界の登場人物呉越同舟で共闘する、みたいな展開もあり得るけど、さすがに5作品同時となるとメドレー形式にならざるを得ない、という感じ。

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さて、もう1つ、高取氏の特長と思ったのが、ストーリーに必ずクライマックスを用意する、という点で。

(それが、エンターテイナーとしての氏の本性によるものか、それとも “客にはなんとしてもカタルシスを持ち帰ってもらわないと次につながらない” という興行師としての冷徹な計算によるものか、そこまではわからない)

それが、つげ義春の茫漠としたアンチクライマックスな世界とどう折り合いをつけるのか、そこに興味があったんだけど。

これが『紅い花』を中心に最小限の改変を加えただけで、見事に全ての原作が一斉に収束に向かうオチといえるオチになっているのは、さすが。

最後にはねじ式青年が『パーマー・エルドリッチの3つの聖痕』(P. K. ディック)みたいに無限増殖するあたりの幻想テイストが高取氏らしい。

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あと、前回公演みたいな「身捨つるほどの祖国はありや」的な大きな主題は今回は抑制されている。

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助成金云々の楽屋落ちは生臭いので忘れたことにする。

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そして、この劇団特有の時間がゆがむ感覚をまた味わう。

今回は、サヨコの祖父の楽屋オチ的な台詞。

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「最近、嵐山光三郎が書いたんですがね、松尾芭蕉は忍者だったんですよ」

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えーと、嵐山光三郎の “芭蕉忍者説” は2000年代なんですが。

高取氏の作品世界が戦前、戦後、昭和30年代、1960年代1980年代みたいに複数の時代を放浪するように、劇団自体も、60年代80年代、そして2000年代の全ての時代に存在しながら、どの時代にも存在しないような不思議立ち位置

それが、この劇団の持ち味でもあり。

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あ、あと、狐舞の意味がやっとわかった。

なんのことはない、 “ここから現実感見当識がゆるんで、心象風景と象徴劇が始まりますよ” という演出効果だ。

多色発光LEDを掲げた葬列も、夜光塗料の試験管をもった少女たちも、おそらく同じ。

少女漫画で「なんでクライマックスに花びらが飛び回ってるの?」とか訊かないでしょ? アレと同じだ。

そういえば、最近の子供は漫符(怒りの青筋とか緊張の汗とか)がわからないケースが多いらしい。

つまり自分は月蝕の鑑賞において子供だったわけだ。

というあたりで。

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そして、問題の↓

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■後半の本編『盲人書簡−上海篇−』

あー、うん。

むかし『草迷宮』(寺山修司)を観て途方に暮れたことを思い出した。

あるいは、さらにむかし『原始人』(チャーリー・ミンガス)を聴きながら、

「これは良い音楽なんだ、良い音楽なんだ、みんながそう言ってるから良い音楽なんだ」

と歯を食いしばっていたことを思い出した。

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はっきりしたこと。

自分に “前衛” を受け止める感受性はない。

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それでも、なんとか受容を試みてみる。

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(1)1930年代の第二次国共合作を背景にした不穏で混沌とした上海共同租界。

(2)明智小五郎小林少年という、戦前・戦後の言ってみれば “陽のヒーロー” をどす黒く改変したキャラクターと、堕落した母親としての小林少年の母。

(3)白痴の少年と娼窟の姉妹がからむ、不快にユーモラスな人物群。

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この3つの人物群を主なストーリーラインとして、失明した小林少年を中心に “目明きと盲(めしい)、世界が見えているのはどちらか” という問いを主題として話はすすむ(ように見える)んだけど。

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途中、影を喪失した少女、みたいな挿入話をはさみながら、ひたすらグロテスクストーリーとも言えないストーリーの断片が続く。

クライマックス小林少年と恋人(?)のマサ子の再開を中心にしながら、全てが虚構の中の虚構、悪夢の中の悪夢、という入れ子の構造をあからさまにするところで、唐突に終わる。

最後の最後には第四の壁も突破して現実のキャストの名前まで出てくる。

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うーむ、書いておいてなんだが、なんの説明にもなっていない。

ねぇ、寺山修司って、ホント70年代80年代青少年カリスマだったの?

(今度、『書を捨てよ云々』でも読んでみるか……)

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可能性としては、今どきの若者がP. K. ディックやら筒井康隆やら読み慣れてるせいで、 “崩壊する現実” やら “虚構の中の虚構” を普通においしく摂取しているのに対して、当時はその種の超現実的な幻想悪夢ワールドが知的にトガった青年だけの愉悦であったとか。

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ま、さておき。

これ以上はどうにも言いようがない。

自分にとって確かなことは。

高取氏オリジナルの作品、脚色作品のうほうがずっと面白い

ということ。

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さて。

キャスト、演出その他については、以下の通り。

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白永歩美

女忍コジカの息子、宗近と小林少年を好演。

このヒトが、登場するだけで舞台が猟奇的ビザールな空気になるような、言ってみれば “嶋田久作” 的な怪優でありながら、それでいて結構な美人サンである、というのは劇団にとって大きなアドバンテージなんじゃなかろうか。

劇団のカラーを一人で体現しているような。

ビジュアル、演技、歌唱、トップの名称は伊達じゃない、って感じ。

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というか。

実のところ、トップというネーミング自体はどうでもいい。

それがプリマドンナでもソリストでもエースでも四番でも同じことで。

その種の人に求められるのは才能でも鍛錬でも、ましてやプロデューサーディレクターの寵愛でもなく。

それは「いつ、いかなるときでも、自分が前に出ていってなんとかする」という思考形態だと思う。

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例えば才能、というか生まれつきの資質なら。

前回の公演には高畑亜美という彼女に負けず劣らずのビザール美人さんがいた。

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例えば技能なら。

前回の公演で、白川沙夜というキャストは、ストーリーテラーコメディリリーフ、仇役という3つの仕事を3本の腕で同時につかんでブンブン振り回して大暴れしていた。

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でも、彼女たちは今回はいない。事情は知らない。

いっぽうトップには「事情により今回は出演しません」という選択が無い。

脚光も浴びる、注目もされる、そのかわり劇団の出来が悪ければ矢オモテ、火ダルマ、槍ブスマと。

群像劇主体の劇団で、ある程度は負荷が分散するにせよ、あの細っそい体にかかっている重責を想像すると、なんというか、なんというか。

長くなった。

ともあれ、健康にお気をつけて。

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■川合瑞恵

前回までは “作りようによっては、いかめしく見える” ビジュアルを活かしたワンポイント役だったのが、今回は『女忍』パートのキーとなる女忍コジカに大抜擢。

これが大根だったら目もあてられないところを、実に器用に演じきってしまった。

本職はモデルさんだと思ってたんだけど。違うの?

芸能関係って器用な人が多いのよね。

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■岬花音菜

演技はさておき、まずは狐舞。

今見ているのがカラダのオモテなのかウラなのか、腕なのか脚なのか分からなくなってくる超絶変態空間機動がひっさびさに大炸裂!!

これだ! これが観たかった!

いや、じつは、このところモヤモヤしていた。

「いや、たしかに踊りも歌も演技も良いけど、ここまで追っかけるほどか?」

でも、たしかに思いちがいじゃなかった。

ほんのちょっと前のことなのに、忘れかけていた。

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そこには、たしかに岬花音菜がいた。

およそ2ヶ月前、片目の猫の舞で自分の脳味噌をブチ抜いた岬花音菜が。

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ちなみに。

あとから取材を試みたところ。

あの一連の動きは、ボランティアアルバイト?)のダンス教室で子供たちに最初のウケを取るために編み出した動物踊りがオリジナルだとのこと。

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するとなにか。

自分の鑑賞眼は子供レベルか。

まあいいけど。

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というか、彼女の狐舞に視線をもぎ取られ、ねじ式青年と女医のベッドシーンの大半を見逃していたことに、劇場を出てから気がついた。誠に申し訳ない。

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さて。

キャストとしては『紅い花』パートのシンデンのマサジ、『盲人書簡』で白痴の少年を担当。

この演技、周囲の評価はウナギ昇りだろう。

じっさいTwitterを中心にネットを見ると、彼女と慶徳優菜の評価はウナギ昇っている。

ただ。

自分としては評価は保留としたい。

なぜって?

あまりに、あまりにもハマり役すぎて、いま見ているのがキャラクターなのか、それともキャスト本人なのか、観劇素人の自分には判然としないから。

(これ、自分の中では笠智衆と同じ位置づけだ)

大竹しのぶアニーを演じたり、同じ劇団でいえば白永歩美ピーターパンを演るのとは、意味が違う。

『紅い花』ではプレ思春期の少年のいら立ちを、『盲人書簡』ではスケベなアホの子を、と、いろいろ打ち出しているのは分かる。

分かるけど、いずれも、まずは本人あっての効果であって。

このあと彼女は “月蝕きっての永遠の少年役” として存在感を増していくのだろうか。

それもアリだと思うけど。

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■慶徳優菜

『紅い花』キクチサヨコ役。

昭和の山村、思春期の少年の心に思い描くマドンナ

うん。もうずばり田舎のマドンナそのもの

だけど彼女の評価も保留。

理由は岬花音菜と同じで本人そのものだから。

その意味では、娼窟の妹と小林少年の想い人のほうが、本人のポテンシャルがよく分かる気がする。

そっちの方はというと、うん、悪くない。

ただ、これは自分の思い込みかもしれないけど。

なんというか彼女は “月蝕、次世代プリマドンナ育成枠” というのに完全に入っている気がする。

この直感が正しければ、それはおそらく本人の十分な資質と劇団の目算があってのことだろうけど。

なんかモヤっとする。ほかの新人も若手も、ひとしく頑張っている(ように見える)のに。

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はるのうらこ

なんというか、詩劇ライブのときは “ひかえめな、でもシャレのわかるおねーさん” というオモムキの彼女。

キーとなる配役のキャスティングが多いから、信頼の厚いキャストなんだろうな、という以上の認識はなかったんだけど。

(そしてそれは、ねじ式青年という大役を見ても動かなかったんだけど)

これが。

『盲人書簡』娼窟姉妹の姉役。実にすごい。

あのフワっとしたキャラが、女の嫌なところを全部集めて煮詰めたようなキャラクターに大変身。

慶徳優菜をサポートに娼窟パートカラーというか空気を完全に支配していた。

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あと、些細なことだけど。

キーアイテムとなるタバコチャイナドレスに入れ忘れたか、取り出せなくなったか。

取り出そうと悪戦苦闘して2秒。

見切りをつけてアタマの中でプロットを切り替えるのにコンマ2秒。

架空のタバコをふかして場面転換の決め台詞につなげるまでの時間の空費がわずか2.2秒。

はるの氏にとっては迷惑な賞賛かもしれないけど、ここの所作の切れ味に地味に鳥肌が立った。

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■宍倉暁子

彼女が登場すると、そこだけ別の照明があたってるようだった。

さらに今回の千本桜ホールより少し大きめの劇場向けにチューニングされた、よく通る発声。

今回集結した “夢のベテラン勢” の中では、彼女が出色だった。

彼女だけは気になって調べたら、舞台を中心にTV、映画と活躍の現役大ベテラン

たしかに分かる。

自分の外見と所作が人にどう見えるか、何十年にもわたって掘り下げていないと、ああは行かないと思う。

『紅い花』では漂泊の釣り人。すこし困り顔の茫漠とした旅客でありながら、マサジのカウンターパートとして要所を締める。

『盲人書簡』では軍人と密通する小林少年の母として、実に汚ならしい堕落した母親像を体現。

教科書的に言えば寺山修司の作品世界に通底するコンプレックスというかオブセッションというか、ともかく “その部分” を実に彼女一人で背負って担当していた。

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大久保千代太夫

今回最高の当たり役の一人。

犬丸は尾張織田と敵対している設定だけど、人物造形はおそらく美濃のマムシこと斎藤道三ベースだと思われ。

自分に襲いかかった刺客を手籠めにして側室にする一代の梟雄らしい悪太郎ぶりと、戦国武将の透徹した死生観が、もう全身からみなぎっていた。

『盲人書簡』の方は。

うーん、自分の中では “生ける舞台装置” としての黒い苦力(クーリー)の集団は、なんというか、全員が均質な筋肉質の没個性の集団だったんで、あの巨躯が逆にマイナスにはたらいた気がする。

こればっかりは、いたしかたなし。

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■小阪知子

影の殊勲者にして功労者

前説とカッパ相撲のときから(自分の見立てでは)この人は切れ者だろうな、と思ってたんだけど、今では確信に近い。

馬鹿をやる、それもビビッドに馬鹿をやれる人間は、なんというか、切れる。これは自分の持論。

自分が見るかぎりでは、月蝕歌劇団キャストベテラン高位職者(?)には2つのカテゴリがあって。

1つは白永歩美、岬花音菜のように “スタア” 役を仰せつかってスポットライトを浴びる職種。

もう1つは、前回公演の鈴乃月葉や今回の彼女のように “ひとり10役をこなしてストーリーラインを維持する” という重責の担当者

月蝕歌劇団は後者の高能力キャストがいないと成立しない。

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■若松真夢

薄い眉、暗く沈んだ眼。白永歩美が陽のビザールだとしたら、彼女は陰のビザール美人。

もっといろんなキャストで見てみたいと思った。できれば和装で。

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城之崎リアン

詩劇ライブのみに登場。OGか。

男装の貴公子然とした男装の貴公子。うん、貴公子

そりゃ、男女問わず固定ファンガッツリと付いたことは想像にかたくない。

問題は、貴公子以外にどんなキャストをやっていたのか、想像がしにくいことで。

もっと昔から見ていなかったことがくやまれる。

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■登利忌理生

前回の中村ナツ子に続き、今回の「なにものだ! このひと!」ワクに期待のダークホースが登場。

自分は茶髪に偏見があるようで、「えっとぉ、学校卒業の記念にぃ、オーディション受けちゃいましたー!」みたいなハスッパな外見と、そこから飛び出す恐ろしい長セリフと演技巧者ぶりのギャップに舌を巻いた。

本当に何者だ! と思って調べてみたけれど、月蝕以前の芸歴がまったく引っかからない。

あれか。学生演劇出身か。

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■音無ねむ

今は、まだ大部屋女優といった立ち位置

(たぶん。自分が調べた限りでは、まだ無名)

何者でもない。

何者にも、まだなっていない。

だけど、あの男に引けを取らない長身とキリっとしたマスクには、絶対に活きる使いみちがあるはず。

実際、『盲人書簡』の “新聞朗読笑い男” には何とも言えない味があった。

キャスティングの認識、間違ってないよね?)

陵南の田岡監督ふうにいえば、「体力や技術を身につけさせることはできる。だが、彼女をでかくすることはできない。立派な才能だ」ということ。

まずは、その長身を恥じるような猫背をやめて、胸郭を開いてまっすぐ立つところから、カンバレ!!

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J・A・シーザー(と音響)

ふむ。ふむふむ。

エンディング、こんな感じかにゃ? 間違ってるかもだけど。

(いま手元にGarage Bandしか無いんで大変)

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Bm....................BmM7(←Daugかも)

寺 の 坊 ん さ ん 根 性 が 悪 い

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Bm.............Bm........F#m..GM7

守 り 子 い な し て 門 し め る

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F#m.........Bm........F#m......Bm.E

ど し た い こ り ゃ き こ え た (か)

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(間奏2+4小節)

E.................Bm.......Bm.......Bm.......Bm

+--------+--------+--------+--------+--------+--------+

.

Bm.......D/A...GM7..........Bm.D/A..E..

守 り が 憎 い と て 破 れ 傘 き せ て

.

Bm.......D.....GM7.......Fm#......GM7

か わ い が る 子 に 雨 や か か る

.

Fm#.........GM7.......Fm#......GM7

ど し た い こ り ゃ き こ え た か

.

(間奏4小節)(以下同じ)

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※各コーラスの7、8小節目のメロディが元の民謡と違う。

 メジャーセブンに合わせて変えたか。

※地味に1コーラス目と2コーラス目以降でコード進行が違う。

 採譜するまで気が付かなった。

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えー、日本のニロ抜き音階(いわゆる田舎節)で作られた民謡/童謡に、7th、9thがタップリ乗ったモダンコードをあわせて。

さらに、それを流行りのリズムパターンに乗せると、こう、実にカッコいいニューエイジワールドミュージックになるのは皆さんご存知のとおり。

(今回はハードロックリズムビート

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こういう音楽はみんな大好き。ボクも大好き!

この種の音楽の嚆矢は自分が知る限りYMO(実質、坂本龍一)で、80年代ではあるけど、このスタイルが「教授(坂本)のパクリじゃ〜ん!」と言われなくなったのはEnigmaやDeep Forrestが日本でワサワサ紹介されて一般化した90年代のような感じがしていて。

(“姫神せんせいしょん” や喜多郎については、当時ノーマークだった自分に語る資格はない)

問題は、J・A・シーザー氏が、何故この時期にこの種のスタイルをぶつけてきたか、だ。

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  • ここで急遽訂正!!-------

本公演エンディングの『竹田の子守歌』はJ・A・シーザー氏の手になるものではないとの指摘がありました。

お詫びして、訂正します。

以下、上記の誤りを前提にした言及をカットします。

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でも、今回のエンディングが実にイイ感じだったことは確かで、これからもこの路線はアリなんじゃないか、と思った次第。

うん、自分に言えるのはそれだけ。

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最後に音響について。

なんか、今回の殺陣は斬撃の効果音タイミングがやたらと良かった。

何か条件が変わったんだろうか。

ただ、いつもながら思うのは、客席一番奥にコントロールブースを置かないで、それでもあのレベルの音響を維持できているのは、それ自体が奇跡に近いことだ。

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プロップ大道具の印象は前回と同じ。

ただ、生きている動物の仕込みはさぞかし苦労しただろうな、と。

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んー、今回の月蝕歌劇団はこんな感じでした。

全体としてどうなのかって?

うん、良いところもあれば、首をかしげるところもある。

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まずは。

自分はもともと聖子ちゃんキョンキョンのころから、それほどアイドルが好きではないので、フレッシュキャストライブ感、というのにはそれほど重きをおかない。

なので、(おそらくは)キャストのものに入れ込んでほしい、という劇団の方針には同意しかねる。

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しかしながら。

高取英氏の作品世界。これにはどーしても、どーしても不思議な引力を感じでしまう。

結果として、スケジュールが合って演目の印象が良ければ、これからも足を運ぶような、そんな感じがしている。

というあたりで。

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また機会があれば。

2014-06-13

名誉外国人

http://anond.hatelabo.jp/20140613132842

日本人海外で過ごすって、ここまで卑屈に地べたに這いつくばって「自分たちは無害で善良な存在です。日本人無礼にも代わりに謝罪して、破廉恥文化には自ら断罪して生きています。仲間に入れてください」って言い続けないといけないとしたら、本当にゆるやかな地獄だよなぁ…世界同調圧力が無いとか誰が言ったんだよ!?

kanose氏が書いてたこの発言とか、

https://twitter.com/TrinityNYC/status/474972934554275840

そのマテリアルが、実物のこどもの性器をアップした写真であろうが、「実の妹12歳をレイプ☆」みたいな二次元萌え漫画世界だろうが、消費する側のSickなオブセッションを満足するための搾取対称としてこどもを使っているという意味でどちらも充分に児童ポルノだ。何の違いがあるというのか。

名誉外国人でいる為に、どんだけ卑屈でいなくちゃいけないか。外国で暮らすってどういうことか?って事を改めて思い知らされるよ。自分たちがその地位でいるために、日本の何かはどんどん彼らの貢物として、プレゼントされたり安く売られたりしていく訳ですよ。

昔、日系二世アメリカ移民の人が、アメリカ兵として率先して前線で戦い、たくさんの死人やら何やらを出しながら、必死で受け入れてもらったっていう話は、現在進行形なんだね。

2008-11-18

アート畑w

アート畑の人が作ったら偉くてオタ畑の人がつくったら全部キモアニメ」っすか。

アート畑か。

あの、ゲロはいてアートアート言うみたいな奴とかのことかww

あれがアートで偉いなら

場末路地裏でウープウープ言ってる奴ぁ神様だな。

そんな肩肘張る必要がどこにある?

所詮作品が全てだろうが。

で、良い作品が評価され、(あんたの定義で)二流三流の作品が評価されない、と。

正しいじゃないか。どこに問題が?

大体あんたヲタの「害悪」なんてほとんど言えてないじゃんか。

ヲタ叩く必要なんてどこにあるのさ?

個人的なオブセッションかなんかか?

よく分からんね。

http://anond.hatelabo.jp/20081117202039

2008-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20080911195139

10年後を考えてみろ。

まかり間違ってその彼女結婚するとする。

でもって子どもが生まれたとする。

子どもに箸の持ち方を誰が教えるんだ?

(1)嫁が教えるルート

15年後……増田家のみんなが食卓を囲んでいる。増田の嫁、娘、息子……みんな無茶苦茶な箸の持ち方、使い方だ。増田一人だけがもくもくとまともな箸の持ち方をしている。そのことについて、もはや誰も触れようとしない。静かな食卓で、増田は、もっとも親しいはずの人々がただ無茶苦茶な箸の持ち方で食事している光景を見せつけられ続ける。毎晩毎晩。そしてずっと。

30年後……増田一族のみんなが盆に里帰りをしてきている。増田の嫁、息子一家は孫娘も孫息子もみんな無茶苦茶な箸の使い方で食卓は荒れ放題に荒れている。娘は「箸の使い方がなっていない」という理由で離婚され、今は実家パラサイトだ。ふと見ると息子の嫁は無表情に、一人だけきちんとした箸の使い方をしてる。二人の視線が一瞬絡む。救われたような目で、しかし息子の嫁ははっと気が付く。『どうしてこの人は自分の息子の箸の持ち方を直してくれなかったのかしら?!』……たった一人の理解者になってくれたかもしれない人は、こうして増田を敵と認識することになる……。増田に味方は現れない。多分死ぬまで。

(2)増田が教えるルート

15年後……増田家のみんなが食卓を囲んでいる。増田の娘も息子もきちんと箸が使える自慢の子どもたちだ。「ねえ、お母さんは今頃ご飯たべてるかな…」と息子が手を止めて尋ねる。増田も手を止めて(食べながら話をするような行儀の悪い真似は誰もしない)「そうだなあ……あそこの病院の食事は結構早いから、もう終わってるかもしれないな」。

増田の嫁は、息子にも娘にもなじめず、更年期になって神経症を発症ししばらく病院にいる。「食事の時間になにか拭いがたいオブセッションを抱えているようです……食事姿を見られるのが嫌なようで……一人で食事をしている分には大丈夫みたいなんですが……」と主治医は言った。やむを得ないだろう。結婚するとき、オレは彼女幸せにすると誓ったハズだった。でもときどきふっと思う。彼女はオレと結婚しない方が幸せだったのではないだろうか、と。

な?

別れるのが正解だ。

一択だ。

2008-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20080713162117

そのとおり。長くなっちまったので増田へぽいと。あまり作法がわからないのだけど、ここでは長文は忌避されるのか。

失われた若さへの嫉妬。そんなの元文面から自明だし、彼女の悩みの本質には関係ないから言及しなかったんだけど。

じゃあ、苦学して医者になった者の収入へのオブセッションとかも書かないといけなかったかな。そっちのほうが彼のコンプレックスの核心だとおもうし。

機微を描くということは悉皆描写とはことなるんじゃないかな。いちいち書いてたら論旨が拡散すると思うけど。

でも、感想ありがとう。初投稿で意見にふれられてうれしかったよ。

2007-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20070507001453

なんかちゃんとした文章で慰めてくれてありがとうよ。慰めるってのも違うかとは思うけど。増田愛してる。

確かに多様性があってくれるから、なんとか自分のようなのでも隙間で息がつけていて、助かるなとは思う。ただ、「お洒落な方がいい」とか「前向きな方がいい」とかの、わりとエスタブリッシュメントコードは動かないし、それは隙間でしかないなーとは思ってしまうのだけど。

センシティブさ加減」と、暫く前にどこかの増田が言っていた「欲望が薄い」ってのが見事に結託するとしんどいですね。お前らが好きだ嫌いだいうのは、為にする発言なんだよね?ただのコードだよね?とか思うんだけど、どうやらそうでもないらしくて。人並みの人、というのは本気で思っていたりするから、彼ら彼女らには好きとか嫌いの時に感じる内的な感覚がしっかりとあるのかな、と思えてしまうのだよな。とすると、単にコードではなくて、解体できないような精神的なオブセッションだとか、生まれつきの生理的な基盤みたいなもんがあるのだろうか、と。とすると、それがインストール失敗な俺だめじゃん。人生オワタ、とも思えてくる。

みんなジャンクなこと言ってるだけだよねー、と思って適当言い散らかそう、と思うのだが、なんかその気力が今は湧かない。

まとまらなくてゴメン。

2006-12-08

異論! 反論! オブジェクション!

無言! 煩悶! オブセッション

無名! 有名! アブダクション!

うどん! 天丼! ぼく連れション

座禅! 学舎! エクスタシー

 
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