はてなキーワード: なっちまったとは
甲子園行く行かない騒動の時からTV中継見たりニュースで追っかけてる程度なんだけど、まあ残念だよね。彼がメジャー志向なのは分かってはいたけど期待された分だけの活躍をしないまま行ってしまうのかと。彼がスーパーエースになると期待したから応援してたのに。活躍する姿を見せずにあっち行っちゃうのか。ヤマモロくらいピシッと決める姿が見たかったよね。
日本のプロ野球がメジャーの二軍になっちゃってる現状も、それに抗うだけの札束を用意できない懐事情も悲しい。ローキはその象徴的な存在になっちまった。
野球が好きならスターが国外に流出するのは当たり前にさみしいよ。好きだから(まあ自分はローキのファンと言うよりプロ野球全体のゆるいファンなのだが)振られた気分なのは事実だよ。金髪グラマーの美女に持ってかれたなあ。
承認って「できたねー」とか「えらいねー」とか言うことだと思ってるヤツ
浅っせぇ浅っせぇ浅っせぇわ
もっと頭使ってもらわねーと困るから、俺様が気付いちゃったこと書くわ
下半身の話じゃねぇぞ
誰でもイイ事したいんだ、一人残らずな
犯罪者は悪いことしてるじゃねぇかって?
犯罪者だと社会に決められちまったカワイソウな奴らは、社会にイイ事してると思われなかっただけだ
ガキを殺しまくったヤツも居たな、あれは他人も、未来の自分も切り捨てて今の自分だけスカッとしちゃったわけだ
やりたいと思ったり、イイ事だと思ったことをやった時、良し悪しに関わらず人は満足しちまうもんなのさ
まぁ本当にイイ事をしなきゃいつまでたっても地獄が続いてくんだけどな
じゃあなんで世の中怪物だらけなんだ?って話だ
まず一つが、カネがないことだ
ある時借金が全然できなくなった時があったんだがな、詳しくはググれ
要するにみんなカネが足りなくなったんだよ、そのせいでな
みんなカネを使わずに対策したフリするようになっちまったんだわ
新しく上がってきた問題なんかそっちのけ、今までやってきた事以外できないよなぁ
間違ってるってわかってて、やらなきゃならない拷問だよなぁ
無理やり「承認」してもらわなきゃやってられないだろ?
もう一つが、ワルイところ探しだ
ステイツじゃ、できないヤツを叩くことなんか時間の無駄なんだってさ
できるやつはみんなでリスペクトしよーぜって雰囲気らしいんだわ
映画館でスゲー映画観たらみんなハイになって叫び出すのはそういうことらしい
お前らワルイところ探し大好きだろ?
マスコミ閣下が槍玉にあげたカワイソウな奴を再起不能になるまでボコボコにするの大好きだよな
物事がイイか悪いかなんてお前らの大半がこれっポチも自分で考えてないって証拠だろうよ
叩いてイイぞってサイン出してもらって合法リンチしてんだもんなぁ
お前らにとって人の評価は悪いことしてないかどうかの一点だけなんだろ
本当にイイ事しても評価されないんだからイイ事する奴なんか増えるわけねぇーじゃん
ワルイ奴がいた方がお前らは好き勝手言って気持ち良くなれるもんなぁ?
総じて言えることは、「イイかワルイかなんて自分で考えろ」ってことだ
考えずに金使ってるから現実を歪めてゴミを売る連中が幅を利かせてるんだろうよ
ノータリンどもが合法犯罪で集めたカネなんかはした金にもならんがな
そいつらだけ儲かって真面目なイイ仕事のできる連中はますますカネがなくなっていくのがクソだわ
承認なんか必要ねぇーと吐き捨てたが、キズの舐め合いには必要ないと言うだけの話だ
承認が必要なのは、本当にイイ事をしようとして頑張ってる奴らさ
でもそいつらに上辺だけ承認しても意味がない、お前らに認めてもらうためにやってるわけじゃねぇからな
中身までちゃんと話を聞くんだよ、そいつがどんなイイ事しようと思ってるのか引き出せ、考えろ
そうすれば、そいつの考え方を素直にリスペクトできることもあるだろうし、共感できることもあるだろうさ
逆に、自分の視点から見たら改善点が見つかることもあるだろうよ
イイところはいいと言う、変えるべきところは指摘する、これだけの健全なやり取りが必要なんだよ
正しいことをしようとしても、周りからはなんでそんなにガンバっちゃってんのと腐されるだけだしな
群れで生きてきた習性が、凄まじい同調圧力をぶつけてくるんだわ
上から目線でなく、それはイイ事だと言ってやるだけでとんでもない力になる
面白くもない芸人のマネして何でもかんでも否定する奴は今すぐ死ね
そうしたら俺様がヨシヨシしてやるよ
意味わからんバカの主張よりAIの方が有意義な回答を得られる時代になっちまったか・・・
せっかくだから俺もchatGPTに投げてみた
この文章についていくつかのポイントに触れて意見を述べたいと思います。
筆者は、白票投票を「有効票を減らす唯一の手段」として提案しています。しかし、白票の実際の効果は議論の余地があります。白票は有効票としてカウントされないため、選挙の結果に直接影響を与えません。多くの選挙制度では、白票は単に「意思を示さなかった」と見なされ、結果的には現状維持や既存の政治勢力の力を強化する可能性があります。つまり、白票が多ければ多いほど、相対的に少数の有効票で当選者が決まり、必ずしも「NO」を突きつける手段とは言い難いでしょう。
2. 現行の政党に対する不満
筆者は自民党、立憲民主党、維新、共産党など、すべての主要政党に失望していると述べています。これは、多くの国民が抱く感情の一つであり、政治への不信感や無力感を表していると思います。ただし、その解決策として白票を投じることが本当に効果的かどうかは疑問です。政治に対する不満を解決するためには、白票よりも具体的な行動(たとえば、支持する候補者を探し出す、独立した候補を応援する、市民運動や政策提言に参加するなど)がより効果的かもしれません。
筆者は「1億人が白票を投じれば9割の国民が政治家を支持しない状況になる」としていますが、これは非常に極端な仮定です。白票が大量に投じられても、その結果として9割の国民が支持しない政治家が生まれるとは限らず、むしろ選挙に積極的に参加した少数派の意見が反映される結果になる可能性があります。
また、筆者自身も認識しているように、白票投票が常態化すると民主主義そのものが揺らぐ危険性があります。選挙は国民が意思を示す最も重要な手段の一つであり、それを無効化する試みは、結果的に政治的な停滞や無秩序を招くリスクがあります。
筆者が述べているように、「ぶち壊す」ほどの不満がある場合でも、民主主義の基本的な枠組みを壊すことは、長期的には国民自身に不利益をもたらす可能性が高いです。どの政党も満足できない場合、理想は新しい政治的選択肢を模索したり、政策討議を促進したりすることです。白票を投じることで、問題の解決が促進されるかどうかは非常に不確かで、むしろ解決を先送りするか、さらに問題を悪化させる可能性があります。
この文章は、多くの国民が感じている政治的不満を鋭く表現していますが、提案されている白票投票という方法は、その不満を効果的に解決する手段としては弱いかもしれません。民主主義においては、選挙は重要な意思表示の機会であり、白票ではなく、より積極的な参加や政策の提案、あるいは新しい政治的選択肢の形成を模索することが求められるでしょう。
あのころは本当に寒かったなぁ。
毎朝起きると、テントの外は一面の氷。
俺たちはみんな、厚手の毛皮を着こんで、マンモス狩りに精を出してたもんさ。
マンモスが現れたときなんて、みんながワクワクしながら狩りの準備をして、「今日は晩飯が豪華だ!」ってな感じだった。
あのごっつい牙を避けながら協力して仕留めるのが、何とも言えないスリルでさ。
それから、鉄器の発明ってのはまさに俺たちの時代の一大イベントだったんだ。
みんな、木と石だけで戦ってたのに、誰かが突然「これ鉄だぜ!」って得意気に見せてきたんだよ。
最初はみんな「何それ?」って感じだったけど、一度使ったらもう戻れない。
槍も斧も一気に性能アップだ。
狩りの効率も爆上がりで、マンモスだってあっという間に仕留められるようになった。
ただ、そうやって少しずつ技術が進化して、俺たちの生活もだんだん便利になったんだが、同時に「こんな便利で大丈夫か?」って不安もよぎってたんだよな。
徐々に暖かくなってきて、氷が解けて、大地が豊かになると、今度は稲作が到来してきたんだ。
狩猟採集の時代が終わるっていうのは、まるで氷河期そのものが終わってしまうかのようだった。
あの厳しい寒さの中で、みんなで団結して生き抜いてきたのに、温暖な気候のせいで次の世代はすっかり農耕民族になっちまった。
今思えば、あの氷河期の寒さも、なんだか懐かしいもんだよ。
いやたしかにはてなって学生時代陰キャで非モテだったオタクしかいない、クラスの4軍以下の民しかいない、そういう集まりであることは知ってたつもりだけどもさあ。
そういう痛い惚気を周囲に触れ回って、周りから冷めた目で見られていたことに後から気づいて死にたくなるといった経験は、健常者は10代〜20代前半に済ませているもんなんだが、
若い頃イケてなかった分取り戻した青春が嬉しくて仕方ないのはわかるけどもう少し気持ち悪さを削ぎ落としてしゃべってくれ。
もしくはSNSのそういう界隈に行ってやってくれ。非モテ弱男女カップルが痛くて寒くて生理的に気持ち悪い下ネタ満載の惚気を打ち明けあって楽しんでる界隈あるから。
そこから出てくるな!
https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く
おしんの物語の根底を流れているのが、「恩」であり「仁義」であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語のハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。
おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしんは1901年、昭和天皇と同年に生まれた設定である。
そしておしんが生きた少女の時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治の回想シーンに時代を一気に2世代くらい遡るときのタイムトリップ感が半端ない。
1983年、おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的に大手スーパーへの並木の土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店の隠居の大旦那・並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである。
それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。
おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年、17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである。
おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどい。しかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語の類型のひとつで、一宿一飯の義理・人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人・やくざなどが主人公である。股旅物の元祖・長谷川伸は、その後の日本の小説や戯曲、そして映画やテレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である。明治が遠く過ぎさり、大衆が大正デモクラシーの自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である。
2000年代になると、日本の映画やドラマの潮流は変わり、義理人情といったテーマは陳腐なものとして忘れ去られてゆく。20世紀末までのドラマでいえば、「北の国から」が長谷川伸的な一宿一飯の義理・人情の世界観でつくられた恐らく最後のドラマだろう。吹雪の中を助けに来る馬、泥付きの一万円札などに表現される世界は、まさに長谷川伸の系譜なのである。
おしんは回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことなき股旅物である。しかし、おしんの物語の面白いところは、浪花節が陳腐化し、古臭いものになってしまった現代(1980年代)と交差している点である。
並木浩太とおしんの最初の出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋・加賀屋へ奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売のイロハから茶道・裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときくにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしんの人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命にうんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動の活動家・浩太と出会った。酒田に訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初の出会いである。おしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシーの時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動を先進的だと中身もわからず憧れていたのである。農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動にロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしんも小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋へ奉公へ行く決心をしたのである。いかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである。
ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京へ家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心は最初からおしんが好きだったのである。
おしんは加代の家出の理由を加賀屋に伝えることが忍びなく、おしんは加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしんを女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さらに実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働で健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠・長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。
一方、加代は、浩太の心がおしんにしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。
こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしんは東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結いの師匠・たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質な職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。
しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京で流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである。
大衆は身分から解放され、より自由な髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業や身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかはおしんに独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんがたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚の挨拶にたかを訪れたときの言葉である。その時、5人いたたかの弟子はついにたった一人だけになっていた。
田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんはたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代におしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である。
一方、田倉商店は開店休業状態に陥るほど経営が悪化していたが、おしんが髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たかに相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店の再生が進んで、おしんの洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災がおしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである。工場を火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀でゆっくり休みたか。おしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄の佐賀編がスタートすることになった。
さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしんは佐賀地獄からの脱出を心ひそかに誓い、東京の師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのである。たかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしんを絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。
こうしておしんの流転の人生が始まる。屋台出店から始まり、故郷の山形、酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重の伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである。佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである。
【キーワード:浩太の恩】
浩太の実家は貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢の実家、網元のひさの家であった。浩太は、流浪の人生を送るおしんを見かねて、伊勢で網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋、子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄、酒田の飯屋をやってきたおしん。めし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。
伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしんと魚屋をやる決意をしてくれ、おしんの人生は好転し始めていた。
一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代の苗字も変えなかった。
一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈な拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。
田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望は兄弟のように母おしんの魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望は商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。
屈折10年、陶芸の師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんがセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。
さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ(1983年の場面)に戻りたい。
仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである。初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。
ドラマの構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしんが戦後~現代にいたる高度経済成長でおしん自身が義理人情を忘れてしまったことに気が付く、というメタで重層的な構成である。おしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢で戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパーを事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしんは問題の17号店開店当日、失踪する。この世話物と時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である。
https://anond.hatelabo.jp/20241001221236
八
このあいだの晩九時ごろになって、与次郎が雨のなかを突然やって来て、あたまから大いに弱ったと言う。見ると、いつになく顔の色が悪い。はじめは秋雨にぬれた冷たい空気に吹かれすぎたからのことと思っていたが、座について見ると、悪いのは顔色ばかりではない。珍しく消沈している。三四郎が「ぐあいでもよくないのか」と尋ねると、与次郎は鹿のような目を二度ほどぱちつかせて、こう答えた。
「じつは金をなくしてね。困っちまった」
そこで、ちょっと心配そうな顔をして、煙草の煙を二、三本鼻から吐いた。三四郎は黙って待っているわけにもゆかない。どういう種類の金を、どこでなくなしたのかとだんだん聞いてみると、すぐわかった。与次郎は煙草の煙の、二、三本鼻から出切るあいだだけ控えていたばかりで、そのあとは、一部始終をわけもなくすらすらと話してしまった。
与次郎のなくした金は、額で二十円、ただし人のものである。去年広田先生がこのまえの家を借りる時分に、三か月の敷金に窮して、足りないところを一時野々宮さんから用達ってもらったことがある。しかるにその金は野々宮さんが、妹にバイオリンを買ってやらなくてはならないとかで、わざわざ国元の親父さんから送らせたものだそうだ。それだからきょうがきょう必要というほどでない代りに、延びれば延びるほどよし子が困る。よし子は現に今でもバイオリンを買わずに済ましている。広田先生が返さないからである。先生だって返せればとうに返すんだろうが、月々余裕が一文も出ないうえに、月給以外にけっしてかせがない男だから、ついそれなりにしてあった。ところがこの夏高等学校の受験生の答案調べを引き受けた時の手当が六十円このごろになってようやく受け取れた。それでようやく義理を済ますことになって、与次郎がその使いを言いつかった。
「その金をなくなしたんだからすまない」と与次郎が言っている。じっさいすまないような顔つきでもある。どこへ落としたんだと聞くと、なに落としたんじゃない。馬券を何枚とか買って、みんななくなしてしまったのだと言う。三四郎もこれにはあきれ返った。あまり無分別の度を通り越しているので意見をする気にもならない。そのうえ本人が悄然としている。これをいつもの活発溌地と比べると与次郎なるものが二人いるとしか思われない。その対照が激しすぎる。だからおかしいのと気の毒なのとがいっしょになって三四郎を襲ってきた。三四郎は笑いだした。すると与次郎も笑いだした。
「まあいいや、どうかなるだろう」と言う。
「先生はまだ知らないのか」と聞くと、
「まだ知らない」
「野々宮さんは」
「むろん、まだ知らない」
「金はいつ受け取ったのか」
「金はこの月始まりだから、きょうでちょうど二週間ほどになる」
「馬券を買ったのは」
「受け取ったあくる日だ」
「それからきょうまでそのままにしておいたのか」
「いろいろ奔走したができないんだからしかたがない。やむをえなければ今月末までこのままにしておこう」
「今月末になればできる見込みでもあるのか」
三四郎は立って、机の引出しをあけた。きのう母から来たばかりの手紙の中をのぞいて、
「金はここにある。今月は国から早く送ってきた」と言った。与次郎は、
「ありがたい。親愛なる小川君」と急に元気のいい声で落語家のようなことを言った。
二人は十時すぎ雨を冒して、追分の通りへ出て、角の蕎麦屋へはいった。三四郎が蕎麦屋で酒を飲むことを覚えたのはこの時である。その晩は二人とも愉快に飲んだ。勘定は与次郎が払った。与次郎はなかなか人に払わせない男である。
それからきょうにいたるまで与次郎は金を返さない。三四郎は正直だから下宿屋の払いを気にしている。催促はしないけれども、どうかしてくれればいいがと思って、日を過ごすうちに晦日近くなった。もう一日二日しか余っていない。間違ったら下宿の勘定を延ばしておこうなどという考えはまだ三四郎の頭にのぼらない。必ず与次郎が持って来てくれる――とまではむろん彼を信用していないのだが、まあどうかくめんしてみようくらいの親切気はあるだろうと考えている。広田先生の評によると与次郎の頭は浅瀬の水のようにしじゅう移っているのだそうだが、むやみに移るばかりで責任を忘れるようでは困る。まさかそれほどの事もあるまい。
三四郎は二階の窓から往来をながめていた。すると向こうから与次郎が足早にやって来た。窓の下まで来てあおむいて、三四郎の顔を見上げて、「おい、おるか」と言う。三四郎は上から、与次郎を見下して、「うん、おる」と言う。このばかみたような挨拶が上下で一句交換されると、三四郎は部屋の中へ首を引っ込める。与次郎は梯子段をとんとん上がってきた。
「待っていやしないか。君のことだから下宿の勘定を心配しているだろうと思って、だいぶ奔走した。ばかげている」
「そうかな、それは間違いだろう。もう一文も取るのはない」
「なに、前借りをしようと言ったのだ。ところがなかなか貸さない。ぼくに貸すと返さないと思っている。けしからん。わずか二十円ばかりの金だのに。いくら偉大なる暗闇を書いてやっても信用しない。つまらない。いやになっちまった」
「じゃ金はできないのか」
「いやほかでこしらえたよ。君が困るだろうと思って」
「そうか。それは気の毒だ」
「ところが困った事ができた。金はここにはない。君が取りにいかなくっちゃ」
「どこへ」
「じつは文芸時評がいけないから、原口だのなんだの二、三軒歩いたが、どこも月末でつごうがつかない。それから最後に里見の所へ行って――里見というのは知らないかね。里見恭助。法学士だ。美禰子さんのにいさんだ。あすこへ行ったところが、今度は留守でやっぱり要領を得ない。そのうち腹が減って歩くのがめんどうになったから、とうとう美禰子さんに会って話をした」
「野々宮さんの妹がいやしないか」
「なに昼少し過ぎだから学校に行ってる時分だ。それに応接間だからいたってかまやしない」
「そうか」
「それで美禰子さんが、引き受けてくれて、御用立て申しますと言うんだがね」
「そりゃ、どうだか知らない。しかしとにかく大丈夫だよ。引き受けたんだから。ありゃ妙な女で、年のいかないくせにねえさんじみた事をするのが好きな性質なんだから、引き受けさえすれば、安心だ。心配しないでもいい。よろしく願っておけばかまわない。ところがいちばんしまいになって、お金はここにありますが、あなたには渡せませんと言うんだから、驚いたね。ぼくはそんなに不信用なんですかと聞くと、ええと言って笑っている。いやになっちまった。じゃ小川をよこしますかなとまた聞いたら、え、小川さんにお手渡しいたしましょうと言われた。どうでもかってにするがいい。君取りにいけるかい」
「電報はよそう。ばかげている。いくら君だって借りにいけるだろう」
「いける」
これでようやく二十円のらちがあいた。それが済むと、与次郎はすぐ広田先生に関する事件の報告を始めた。
運動は着々歩を進めつつある。暇さえあれば下宿へ出かけていって、一人一人に相談する。相談は一人一人にかぎる。おおぜい寄ると、めいめいが自分の存在を主張しようとして、ややともすれば異をたてる。それでなければ、自分の存在を閑却された心持ちになって、初手から冷淡にかまえる。相談はどうしても一人一人にかぎる。その代り暇はいる。金もいる。それを苦にしていては運動はできない。それから相談中には広田先生の名前をあまり出さないことにする。我々のための相談でなくって、広田先生のための相談だと思われると、事がまとまらなくなる。
与次郎はこの方法で運動の歩を進めているのだそうだ。それできょうまでのところはうまくいった。西洋人ばかりではいけないから、ぜひとも日本人を入れてもらおうというところまで話はきた。これから先はもう一ぺん寄って、委員を選んで、学長なり、総長なりに、我々の希望を述べにやるばかりである。もっとも会合だけはほんの形式だから略してもいい。委員になるべき学生もだいたいは知れている。みんな広田先生に同情を持っている連中だから、談判の模様によっては、こっちから先生の名を当局者へ持ち出すかもしれない。……
聞いていると、与次郎一人で天下が自由になるように思われる。三四郎は少なからず与次郎の手腕に感服した。与次郎はまたこのあいだの晩、原口さんを先生の所へ連れてきた事について、弁じだした。
「あの晩、原口さんが、先生に文芸家の会をやるから出ろと、勧めていたろう」と言う。三四郎はむろん覚えている。与次郎の話によると、じつはあれも自身の発起にかかるものだそうだ。その理由はいろいろあるが、まず第一に手近なところを言えば、あの会員のうちには、大学の文科で有力な教授がいる。その男と広田先生を接触させるのは、このさい先生にとって、たいへんな便利である。先生は変人だから、求めてだれとも交際しない。しかしこっちで相当の機会を作って、接触させれば、変人なりに付合ってゆく。……
「そういう意味があるのか、ちっとも知らなかった。それで君が発起人だというんだが、会をやる時、君の名前で通知を出して、そういう偉い人たちがみんな寄って来るのかな」
与次郎は、しばらくまじめに、三四郎を見ていたが、やがて苦笑いをしてわきを向いた。
「ばかいっちゃいけない。発起人って、おもてむきの発起人じゃない。ただぼくがそういう会を企てたのだ。つまりぼくが原口さんを勧めて、万事原口さんが周旋するようにこしらえたのだ」
「そうか」
「そうかは田臭だね。時に君もあの会へ出るがいい。もう近いうちにあるはずだから」
「そんな偉い人ばかり出る所へ行ったってしかたがない。ぼくはよそう」
「また田臭を放った。偉い人も偉くない人も社会へ頭を出した順序が違うだけだ。なにあんな連中、博士とか学士とかいったって、会って話してみるとなんでもないものだよ。第一向こうがそう偉いともなんとも思ってやしない。ぜひ出ておくがいい。君の将来のためだから」
「どこであるのか」
「たぶん上野の精養軒になるだろう」
「ぼくはあんな所へ、はいったことがない。高い会費を取るんだろう」
「まあ二円ぐらいだろう。なに会費なんか、心配しなくってもいい。なければぼくがだしておくから」
三四郎はたちまち、さきの二十円の件を思い出した。けれども不思議におかしくならなかった。与次郎はそのうち銀座のどことかへ天麩羅を食いに行こうと言いだした。金はあると言う。不思議な男である。言いなり次第になる三四郎もこれは断った。その代りいっしょに散歩に出た。帰りに岡野へ寄って、与次郎は栗饅頭をたくさん買った。これを先生にみやげに持ってゆくんだと言って、袋をかかえて帰っていった。
三四郎はその晩与次郎の性格を考えた。長く東京にいるとあんなになるものかと思った。それから里見へ金を借りに行くことを考えた。美禰子の所へ行く用事ができたのはうれしいような気がする。しかし頭を下げて金を借りるのはありがたくない。三四郎は生まれてから今日にいたるまで、人に金を借りた経験のない男である。その上貸すという当人が娘である。独立した人間ではない。たとい金が自由になるとしても、兄の許諾を得ない内証の金を借りたとなると、借りる自分はとにかく、あとで、貸した人の迷惑になるかもしれない。あるいはあの女のことだから、迷惑にならないようにはじめからできているかとも思える。なにしろ会ってみよう。会ったうえで、借りるのがおもしろくない様子だったら、断わって、しばらく下宿の払いを延ばしておいて、国から取り寄せれば事は済む。――当用はここまで考えて句切りをつけた。あとは散漫に美禰子の事が頭に浮かんで来る。美禰子の顔や手や、襟や、帯や、着物やらを、想像にまかせて、乗けたり除ったりしていた。ことにあした会う時に、どんな態度で、どんな事を言うだろうとその光景が十通りにも二十通りにもなって、いろいろに出て来る。三四郎は本来からこんな男である。用談があって人と会見の約束などをする時には、先方がどう出るだろうということばかり想像する。自分が、こんな顔をして、こんな事を、こんな声で言ってやろうなどとはけっして考えない。しかも会見が済むと後からきっとそのほうを考える。そうして後悔する。
ことに今夜は自分のほうを想像する余地がない。三四郎はこのあいだから美禰子を疑っている。しかし疑うばかりでいっこうらちがあかない。そうかといって面と向かって、聞きただすべき事件は一つもないのだから、一刀両断の解決などは思いもよらぬことである。もし三四郎の安心のために解決が必要なら、それはただ美禰子に接触する機会を利用して、先方の様子から、いいかげんに最後の判決を自分に与えてしまうだけである。あしたの会見はこの判決に欠くべからざる材料である。だから、いろいろに向こうを想像してみる。しかし、どう想像しても、自分につごうのいい光景ばかり出てくる。それでいて、実際ははなはだ疑わしい。ちょうどきたない所をきれいな写真にとってながめているような気がする。写真は写真としてどこまでも本当に違いないが、実物のきたないことも争われないと一般で、同じでなければならぬはずの二つがけっして一致しない。
ずっと夢だった学校に合格できた!のだが、友達への報告をミスった。どうしよう。
受験前、友だちには学校名を伝えていなかった。落ちたら恥ずかしいからだ。
そして先日、友だちと遊ぶ機会があり、応援してくれたお礼も兼ねて「合格した!」と対面で伝えた。
いや、どちらかというと「学校の場所を聞かれたので、学校を匂わすことをした」が正しい。
自慢したい欲が中途半端に漏れ出てしまって「学校名を断言しないが特定しやすい土地名でプンプン匂わす」という最悪のムーブをかましてしまった。死にたい。
みんな本当にいい奴らだし、我々の絆は固いはずなので「てことで○○に受かりましたウェーイ✌️やったぜ✌️応援ありがちょ♡」とかすぐ言えれば明るい雰囲気のままいじられたりして平和に終わったはずなんだ。
でも現実は最悪で、変にかしこまってしまって報告とお礼だけで学校名を言えなかった。
相手にも「学校名を直接聞くのは悪いかな?」みたいに気を遣われている感じして、なんか触れちゃいけない感じの雰囲気のまま真面目に報告が終わってしまった。カス。
ガキの頃はお互いにお互いをぐいぐい聞いてたのに、今更遠慮するなんて水臭すぎらぁ。私たちは大人になっちまったのかもしれない。つらみ。
でもやっぱ特に仲が良い奴らだから、今後も学校の話をすることもあるはずだ。
その時に、学校名を教えていない状態で(正確には、うっすらと相手に察してもらっている状態で)、話を進めたくない。
腫れ物を触るような意識で喋りたくないし、相手にも気を遣って欲しくない。
ほんと、さっぱりしたいんだ。
でも、一度「合格したよー!」って伝えたのに、また改めて「○○に進学先が決まりました」って後日言うのもなんか変だしキモくない???
学校名聞かれなかったからってついに自分で言い出したよwwこいつwってなるじゃん。いやむしろそうなるといいな。また変な雰囲気になるのが怖すぎるのだ。
本当にどうしよう。とにかく今のままは絶対に避けたい。
・嫌味にならない
・できれば明るい雰囲気のまま終わる
恋をした夜は〜すべてがうまくいきそうで〜
江口洋介です。
ぜんぜん勝てない山!
お相撲さんでそんな四股名があったらお師匠様に怒られちゃうってぐらい勝てない山!
えー?こんなに勝てないもの?
なんで?って思ったんだけど、
これX勢のガチ勢がまんべんなくイベントマッチに加わるから強い層のチームが相対的に多いのかしら?って思うの。
って逆に考えると、
私もそのガチ勢のチームに加わることができることだって100パーセントあるかもしれないじゃな!?
普通に10連敗して1勝してってそんなペースでしか勝てないの。
もう私はグランドフェスティバルだからという名目で頑張ることを捨てたの。
窓からそう放り投げた私の頑張ることを決めた目標を失って真っ白になっちまったぜ燃え尽きちまった!って
そう思っていたけど、
あんまりトリカラマッチって三すくみで戦うんだけど同士討ちになることが多かったので
今回はあまりにもバトルが負けっぱなしの勝てない山!だったので
三すくみで同士討ちするなることにもなく、
各チームで戦える、
私は責のチームになるとダッシュ一番!電話は一番!サッポロも一番!
谷でも金!亮子でも金!っていう勢いで私は挑んだの!
イカダッシュっていうのはプレイヤーのキャラクターがインク潜伏している時に移動が超絶速くなる!って感じのギアで
それを掲げて、
塗りをサポートしてくれる纏をだすためのシグナルが出現したら、
そうしてインクが溜まった頃を見計らって
透過しつつシグナルをゲット!
これを何度かすると纏がゲットして自分たちのフィールドの塗りをサポートしてくれるの!
3番でシグナルをゲット!
この戦法がハマると気持ちよく纏をゲットできて気持ちいいのよ!
ハマると勝てるから
こっちの場合だとトリカラマッチ10連勝!とかもー超気持ちいい!って北島康介選手のように言っちゃう感じ!
谷でも金!亮子でも金!って言い方と全く一緒!
そんで、
今回のトリカラマッチの中央舞台が巨大ヤグラになっていて乗ると上昇するの。
守備側のチームのスピナーが上から睨んで構えられると撃たれて負けちゃうので、
奥の方にあるインクチューブで上空から奇襲をかけることができるのも爽快!
まさか上から来るとは!?って思って不意をつかれる様が手に取るように分かるので、
それを見計らって、
シグナルに触れれてゲットできなくてもキューバンボムが敵を取ってくれる率100パーセントなので
そうよ!
相手の隙をかいくぐってゲットしに行くシグナルは取れたら気持ちいいわ!
私的には十分盛り上がった感じが否めない感じが否定するとどっち?って思うけど総じて楽しいグランドフェスティバルね。
特設会場がすげーって思いながら
圧倒されちゃたわよ。
あとさー
今回のあまりの負けっぷりの連敗を喫する喫し方で
思わす喫茶店に泣きながら入店して飛び込み前転で入店して気分を変えようかなって思ったの。
ふと冷静になって
やっぱり勝てないからヤケのやんパチで
日頃使わないローラーのブキに手を出したの。
これ凄いわ!
一振りでの塗りが最強ブキだと思うの。
あまりに一振りで塗れる面積が大きくてみんなこれ気づいてないんじゃないの?って。
ローラー系のブキって、
真面目にローラーで塗るよりも
横振りで塗ったほうが圧倒的に速く広い面積を塗ることができるので、
ローラー使いの人、
真面目にコロコロ転がして塗るよりも
横振りで振りまくるほうがタイトに塗れるの!
もちろん
何でもローラー系横振り強い塗りかと思いきや、
これがまたワイドローラーは軽量ローラーなので振りも速く振れるのよ!
これでバンバン横振りで塗りまくれるから塗りポイント1000超えるってなかなかちゃんと本気で塗って戦わないと到達できないある種のポイントじゃない1000って。
私が増田でプロだなって目標を掲げているのは増田でブクマ300ゲットすることだけど、
それが軽くいつも毎回のバトルで塗りポイント1000は超えるから
その塗りの強さ分かってくれるわよね?
あの洗濯洗剤のシーエムで驚きの白さ!って驚く声を吹き込む驚き屋も本当に驚くほどだと思うわ。
でもよ、
塗りが圧倒的に強い反面、
キル力は圧倒的に弱く、
ローラーがありがちなシーンでの出会い頭でローラーで相手を潰すってことが軽量ローラーがゆえ、
1発ではキルできないのよね。
これ横振りで直接殴っても1打でキルできないところが、
一概にはキル力があまりにも弱いので最強とはいえない所以なの。
塗りが強くても攻撃力が弱いというか。
話を戻すと、
この「ワイドローラー」の塗りっぷりの私はこぞってぞっこん夢中になったわ!
もうわんこ蕎麦おかわりいらないって止めても無理やりお椀に入れてくるぐらい盛って入れられるぐらい積んで、
それも踏まえてみると良いかもしれないわ。
圧倒的に塗りは強いけれど、
キルができないからリザルトをみると私だけキル数がゼロで終わっちゃうことが多くてそれで負けることが多いの、
塗れても負けるというか、
うーん、
私は思ったの、
塗っても塗ったとて塗った面積が多くても
相手をキルして相手の勢いを弱めることも重要かも!って思ってしまったわ。
要は何が言いたいかって言うと、
谷でも金!亮子でも金!ってことじゃなくて、
塗りも大切だけど相手を制圧するキル力も重要だなってことなのに気付いたの!
でも1回スプラトゥーン3やってる人は
ワイドローラー使ったことない人がいたらあの横振りの爽快塗りは体験して欲しいわ。
驚きの白さ!って
そっちの驚きじゃなくて塗りの驚きね。
楽しさは十分だったので会場を歩き回るだけでも楽しいかも!って思いつつ
フェス終わっちゃうと寂しさが漂うのかなぁーってセプテンバー竹内まりや状態になっちゃうわ。
ラブの辞書の項目のページを破り捨てて辞書を捨てるって心境のやつ。
終わっちゃったら淋しくなるわ。
そして深まる同時に秋こむの。
秋の気配を感じるとともに私はまた次のフェスに行くのよ!
なんのフェスか分かる?
そう!
いよいよ今週に始まるって噂が流れてきて街の港の巷まで走っていたわよその噂!
グランドフェスティバル終わってさみしいって言ってるわりにはそれかーい!って言われちゃいそうだけど、
背に腹は代えられない
いうならば花より団子よ!
塩焼きサンマだけどね!
アリアナグランデさんがセブンリングを自らのプロモーションで日本が好きだからって理由で手のひらに七輪ってタトゥーを入れたことを思い出すわ。
そして、
それ済で魚を焼く調理器具のことだよ!って教えてもらってドン引きしたって
それを思いながら食べる焼きサンマとアリアナグランデさんに思いを馳せるわ。
一句詠むわね。
「皿の上はらわた残し生も残す」
上手に焼けてねーのかよ!って思ってしまったわ。
七輪を初めて使ったときの加減がわからないからよく焼けた感じだと思っても生だった!って私の思い出の句よ。
うふふ。
みかんの花咲く丘公園前駅の駅前商店街の喫茶店でモーニングよ。
ここの朝のモーニングの焼き魚朝定食の焼き魚は実際ランダムで何が焼き上がってくるかわからないモーニングなの!
それで大体は鮭か鯖かのどちらかがランダムということらしいけどほぼ鯖率高しなのよね。
1回ホッケってのもあったけどあとイワシとかシシャモもあったけど、
でもだいたいは鯖ね。
美味しいからいいんだけど、
お休みのモードでグレープフルーツピンクグレープフルーツ1玉買ってきたのと
それを果汁搾りのマジ搾り炭酸レモングレープフルーツ果汁ウォーラーってところね。
良い休日を!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!