http://anond.hatelabo.jp/20061208105505
言葉の定義が曖昧でありながらも、評価軸として決定的に重要なものとして作用する、という矛盾ゆえに多くの議論を呼びやすい言葉であるといえる。
だからじゃないの? もうすっかりめっきりおそろしくってうっかり口に出せないよ。
そういう部分もある。
が、それが全てではないと思う。
要するに、従来使ってきたゲーム性の定義で言うと、例えば、「ゲーム性の高いシューティングゲーム」が売れなくて、「ゲーム性皆無のお料理ナビ」が売れている現状があるということだ。
つまり、消費者の評価軸が変わった。(し、現在進行形で変わっている)
中でも、従来型の「画面の中で完結する」ゲーム性が評価軸としてあまりたいした意味を持たなくなった面が大きいと思う。
(ゲームとしてそこそこ面白いのは当たり前という現状があると、ものすごい画像で迫力があるとか、携帯機でどこでも遊べるとか、好きなキャラクターが出てくるとか、シナリオが泣けるとか、実用性があるとか別の評価基準が発生するのはごく当たり前のことだ)
したがって、今でも(従来型の)ゲーム性を主眼に置いたファミ通の新作のレビューの点数が消費者のゲームの評価とは違うことは小学生でも認識するようになるという結果になる。(せいぜい、製品として丁寧に作ってあるか程度の「目安」にしかならない)
要するに、ファミ通の点数システムは、消費者のニーズと明らかにずれているのであり、任天堂が従来型のゲームの枠に捕らわれないゲームを出すと言っても、相変わらずファミ通の評価基準は従来型のゲームの枠に捕らわれているのである。(もっとも、レビュアーが「ゲーム性」という言葉を(あまり)使わなくなったのは、上記のような批判や世間の空気を読んだ結果なのかも知れない)
慣用的には「老害≒懐古厨」。
昔を懐かしんでばかりで、昔を知らない新参者を貶すような奴。
「昔は良かった」「今どきの若いもんは」が決まり文句。
yosituneがそれなのかは知らないけど。
定時終わりごろに女子トイレにいくといつも死にたくなる。
彼女たちをみていると、私は人としての価値がまったくないような気がする。
中身はからっぽの黒の冬コート。
そんな自分にあいそ笑いしてお化粧直し
「でもまわりにいいヒトいないよね」
輝いている。
一生手に入らないだろうそういうものたちから目をそむけ、
灰色になった私はドアをあけて出ていく背中を見るのだった。
http://anond.hatelabo.jp/20061208064715
現代文化とは「人間を捨てろ」と命じる社会からの要請を受け入れることではないだろうか。
大人からオトナに。人間からニンゲンに。
アンドロメダで機械の身体を手に入れろ。
世界は理不尽だが、合理的に出来ている。
「彼ら」が誰で、誰から復讐されるのかが何度読んでも分からない俺は読解力がないのか?
最近「スルーカ」という言葉が流行ってるみたいだけれど、スルメイカを伏字にしたものですか。
スルーカ(alternative jiangmin)
「カ」ではなくて「力(ちから)」です。つまり、「スルメイカを噛む力」を略したものです。本来は「スル??力」なのですが「??」が WAVE DASH なのか FULL WIDTH TILDE なのかという厄介な問題を回避するため「スルー力」という表記が一般に使われるようになりました。
「スルー力=スルメイカを噛む力」とはすなわち咬合力のことですが、咬合力を鍛えると殴られても効かなくなるという故事から、転じて「打たれ強さ」を意味する言葉として使われるようになりました。
これがさらに転じて、ネットでのコミュニケーションにおける罵倒や煽りに耐えるという比喩的な意味での「打たれ強さ」を「スルー力」と呼ぶようになったのはつい最近のことです。急速に普及してはいますが、まだ定着したとは言えませんし、一過性の流行で終わってしまうかもしれません。来年の『現代用語の基礎知識』に掲載されるかどうか予断を許さない状況です。
ではどうするかというと、地方で募集をかけ、首都圏に逆Iターン的に上京させる。
そういうことか。
地元にある某メーカー子会社が、ずううううううっと同じ中途採用求人の広告を出し続けていて、どういうつもりなのか不思議に思っていた。条件はさほど良くない。応募者が来なくて困れば給与などを上げてきそうなものだが、常に同じ文面。これがまさにそのパターンの求人かもしれない。応募者は継続的に来て、輸出されているのかも。こんなところで謎が解けた。ありがとう。
みんな生き延びて下さい。
今現在でももっと苦しんでいる人はいるだろうが、私の話を書こう。
デジドカ(IT関連の下っ端プログラマ)をやっていた頃、某地方都市の半導体工場に、協力会社の現地作業要員として出張することになった。
お尻(期日)は決まっている。
土曜祝日なし。でも、深夜残業はなかった(工場なので、滞在できる時間が決まっている)。慣れない出張。気ばかり焦り、簡単なミスを連発する。直したと思ったバグが直らない。ヤクザばりの上司の笑顔が怖い(そんな上司は夜、ビジネスホテルに帰ってからもコーディングしていたそうだ)。そんな感じで、朝から晩まで工場の応接室の椅子に座り、ノートPCでコーディングした(場所がないため)。
朝起きると、鼻の表面の毛細血管から血がにじみ出ていた。拭いても拭いても血は止まらない。そんな朝が続いた。俺も限界かな、と思った。
そんな感じで、一週間が過ぎ、一息つくという意味で、一次請けのメーカー子会社の社員と一緒に飲むことになった。
酒の席では、隣に座っている中年のメーカー子社員の話を聞くことになった。彼は嬉しそうに言う。いかに自分が家族に邪険に扱われているかを。会社が規定している残業時間を越えて作業しないと、現実的に仕事が間に合わないということを。いつも帰宅するのは深夜。メーカー子会社が楽?天国なんてどこにもないのだ。
俺にはなぜ彼が嬉しそうなのかわからなかった。
(そして今でもわからない)
あれから、いろいろあり、プログラマの仕事から距離を置くことになったが、首都圏では、いくらプログラマの募集をかけても応募者が来ないという話を聞いた。ではどうするかというと、地方で募集をかけ、首都圏に逆Iターン的に上京させる。もちろん、仕事は過酷であり、彼らは消耗品である。大半は「脱落」するが、それでも一部は適応するそうだ。まるで戦争だな。
団塊Jrとして思うのは、我々の世代で、結婚している正社員はどれくらいいるんだろうかということだ。そして、その中で自分が幸せだと思っている人間はどれくらいいるんだろうか。
世界は理不尽だが、合理的に出来ている。
ダブチって略すとまずそう
200円でチーズバーガーが2個買えるのにダブルチーズバーガーが250円なのは絶対におかしい。
や、たしかに三菱電機と三菱自動車と三菱UFJは別会社なんだけどね。
でもさ、「三菱」って一つの看板・ブランドでしょ?それもあの三菱財閥の。それを社名に入れて普段から掲げてるわけだから、その効果は大きいよね。だから、悪いことが起こったときにも結び付けられるのは仕方ないでしょ、キリンやニコンと違って。それがブランドってものだから。
朝をズバッと斬るのはいいけどさ、「これは悪者」みたいなレッテルのシールをペタペタ骨髄反射で貼って貼って怒ってる感じがして、
それがお茶の間の奥様的に影響力の大きい「もんた」のブランド。TVなら生暖かく見守ってあげましょう。でも外に出たらポコポコ叩いてあげましょうね☆
結局、見て見ぬ振りはできないから、目を閉じているんだ。