はてなキーワード: 酩酊とは
来客に対して突然酒を勧めることなど、ありえないだろう。お互いのことをある程度理解したうえで、「お酒は飲めますか? 親睦も兼ねて飲み会などいかがですか? お車は乗らないですよね? 」などと互いに細かく同意を取り、酒席では飲ませすぎないようにするのが酒の勧めかたと言えるだろう。しかし、コーヒーは違う。初対面であっても問答無用で勧めてくるのだ。ある程度気心の知れた仲なら断ることもできるだろう。「先ほど自販機で買って飲んだから」「利尿作用でトイレに行くことになるから」「カフェインを摂るとイライラする」「頭痛や腹痛になる」「心拍の負担になる」「今日は下痢気味なので、胃腸に負担をかけたくない」「今はリラックスしたいので、カフェインで脳を興奮させたくない」などと正直に言えばよい。しかし、初対面の相手にこのようなことを言って断るのも失礼だろう。勧められたコーヒーの扱いはマナーの問題として語られることはあっても、健康問題として語られたことは無いだろう。「アルハラ」は社会問題として定着したが、「カフェハラ」は問題にもされていないのだ。
エナジードリンクのような高カフェイン飲料ではなく、コーヒーごときのカフェインで大げさかと思われるかもしれないが、そんなことはない。カフェインの摂取許容量は個人差が大きいので日本では設定していないが、カナダ保健省では一日当たり最大400mgとしている。これはコーヒーだとマグカップで3杯の分量である。(参考:食品に含まれるカフェインの過剰摂取についてQ&A ~カフェインの過剰摂取に注意しましょう~[厚生労働省] https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000170477.html)
健康のために、コーヒーは1日3杯までにするべきだといっても過言ではない。そのうちの1杯を軽々しく勧めていいのだろうか。カップが空になったからと言ってさらにおかわりの分を置いてもいいのだろうか。もちろん、お茶出しする人は悪気があってのことではなく、もてなしの気持ちとしてやっていることだと重々承知している。しかし、もてなすのなら、コーヒーに砂糖やミルクを入れるかを尋ねて炭水化物や脂質(1日の摂取許容量に比べたら微量だ)の摂取に気を配ることよりも、カフェインの摂取そのものに気を配ってほしい。
これまでコーヒーを勧めることの害悪を語ってきたが、これからは私が希望とするお茶出しについて述べる。まず、単純にノンカフェインまたは低カフェインの飲料を出してほしい。ほうじ茶や麦茶、あるいはカフェインの無い(少ない)紅茶が良い。カフェインレスのコーヒーというのもあるようなので、それもいいだろう。しかし、人により場合により、カフェインを摂取して眠気を覚ましたい時もあるだろう。お茶出しする側でも「退屈な会議でうっかり居眠りをしないように」と考えているかもしれない。そこでもう一つ提案したいのが、カフェインの有無を選択できるように提供することだ。具体的には、カップにお湯だけを入れて、スティックコーヒーやお茶のパックを別に用意すればよい。こうすれば、各自でカフェインの摂取量をコントロールすることができる。
ここまで読むと、筆者はよほどコーヒーが嫌いだと思われることだろう。カフェインに耐性が無いのだとも。だが、そんなことはない。モーニングサービスのある喫茶店でコーヒーを頼み、トーストやゆで卵と一緒に味わうのが好きだ。漫画喫茶へ行けば、3時間ほどでコーヒーを4杯ほど飲むこともある。しかし、夕方以降から就寝前の間にカフェインを摂取するのは、眠りを妨げるから嫌いだ。それ以外でも自分の意図に反してカフェインを勧められることも嫌いである。
酒豪と言われるほどの酒好きでも仕事前に酒を飲むことは無いし、仕事以外の時間でも常に酩酊状態を維持しているわけではない。アルコール摂取とその効果は個人差が大きいので、酒を飲む時間や量は各々が管理していることだろう。しかし、コーヒーは違う。食事や間食などと共に用意されるだけでなく、来客対応、会議、肉体労働後の休憩時間、仕事終わりのねぎらいなど、様々な場面で勧めているのだ。まるで、社会が人類に対し、カフェイン中毒状態の維持を強要しているかのようだ。これはおかしい。アルコールと同様に、カフェインも健康に対する影響は個人差が大きいので、軽々しく勧めるなどの「カフェハラ」をしてはならないのだ。私が望むのは、カフェイン摂取をセルフコントロールできるような社会である。
2006年12月9日にゴルフ指導を口実に当時高校生の女性をホテルに連れ、混乱して抵抗できない状態と知りながら強姦。2014年3月に無罪(鹿児島地裁)
公園で13歳の少女を強姦した27歳の男に「中学生が男性と別れた後もすぐに助けを求めずに公園で眠り込んだ」「中学生は強い抵抗を示していない」として2014年9月に無罪判決(東京高裁)。
2014年11月、天神の閉店後のワッフル店で従業員2名が女性を監禁し暴行。直後に女性が警察に相談。警察の事情聴取に対し、同点の経営者は容疑者2名のアリバイを偽証した。
2014年12月、天王寺区にて大阪の元警察官ら5名らが20代の知人女性を暴行。2015年10月、全員不起訴。
2016年9月、「ミス慶應コンテスト」主催団体の男子学生6名が共謀。葉山の合宿施設にて18歳女性を酩酊させ集団で暴行。被害女性が被害届を提出するも不起訴(横浜地検)
2017年11月、インターネット上で痴漢情報を交換する掲示板を見て集まった男4人が、JR埼京線の電車内で集団で女性に痴漢し、警視庁板橋署に強制わいせつ容疑で逮捕された。12月に不起訴(東京地検)。
2018年6月、容疑者1名の自宅アパートにて、抵抗する女性の手足を押さえつけ、8人がかりで2時間に及び性的暴行。部屋から逃げ出した女性が110番通報するも不起訴(富山地検) 。
2019年1月、酩酊状態だった女子大生に乱暴したなどとして5度逮捕された慶応大生ら全員不起訴(横浜地検)。
2019年3月、テキーラを何度も一気飲みさせ、嘔吐して意識を失った女性を暴行した会社役員の男性に無罪判決(久留米地裁)←NEW
こんなんでいい? 急いでぱーっと書いたんで少し怪しいかもしれんが。
金曜日の午後11時38分、警察はウィンブルドン在住の27歳白人男性、マルコム・デイビッドソンを南瓜畑で逮捕した。デイビッドソンはわいせつ、公然わいせつ、公然の場における酩酊の各罪状で郡の裁判所に起訴される見通しである。
被疑者の供述によると、彼は南瓜畑に通りがかり、止まることにしたという。「えーと、南瓜って軟らかくって中身はぐじゅぐじゅしてるじゃないですか。それに、1マイル程の辺りには誰もいませんでした……少なくとも、私はそう思ってたんです」彼は郡裁判所の拘置所からの電話インタビューで述べた。
デイビッドソンは供述をこう続けた。彼は車を路肩に停め、彼がその目的に適切だと感じた南瓜を取って、それに穴を開け、彼が申し立てるところの「欲求」を満足させようとした。
「私はもうそれに夢中だったんです、ええ」彼は明らかに決まり悪そうにコメントした。デイビッドソンはどうやら、いつの間にか、ウィンブルドンの地方警察の車が近付いていたことにも、そして警官のブレンダ・テイラーが彼に近付いてくるまで、見られていたことにも気付かなかったらしい。
「それはありえない事態でした。はっきり言って」テイラー巡査は言った。「私はデイビッドソンのところに歩いていきましたが、彼は……ただただ南瓜相手に励んでいたんです」テイラーは、彼女がデイビッドソンに近付いたときに何が起きたかの説明を続けた。
「私は近付いて言いました。『すみませんが、あなた、御自分が今南瓜とヤってるってお分かりですか』彼は、あなたの御想像通り、無茶苦茶驚いて、そして私を目前に真っ直ぐ見て、言ったんです。『南瓜ですって? しまった……もう12時を過ぎてしまいましたか?』」
ネットで話題になっていたアカシア茶(アワヤスカアナログ)を自宅で作って飲んでみたので
2019/1/19(土)
被験者:
性別:男
年齢:30代前半
体調:健康
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■ 18:30 ー自宅でお茶作り開始
9gのACRB(アカシアコンフサルートバーク)粉をコップ1杯程度の水(南アルプスの天然水)とポッカレモン(大さじ1)とクエン酸(1g)を少々
オーロリクス150mgを砕いて混ぜて鍋で15分程度煮る。
この時点で相当の水が蒸発して無くなってしまったので少しだけ水を継ぎ足す
■18:50ー火を落とし コーヒーフィルターにかけ不純物を濾過する。
卵白を作るのが面倒だったのと、豚皮コラーゲンやベントナイトを持っていなかったので
そのまま飲もうと考えた。
■19:00ーお茶を飲む30分前にオーロリクス 300mgを服用する
今回お茶にまぜた分と合わせてオーロリクスは合計450mg使用した事になる。
600mg/1日まで服用可能らしいが自分の体が小さいのでそんなにはいらないだろうと考えた。
■19:30ー濾過したお茶がコップ1杯分になるまでグレープフルーツジュースで割り一気に飲み干す
コラージュをしなかったので吐き気と下痢の症状が激しくならないか心配になる。
グレープフルーツジュースのおかげで、お茶のまま飲むよりもかなり美味しく飲めた。
サウンドビジュアライザーなどVJ映像を部屋のスクリーンに表示させる準備などを整える
■19:50ー映像と音を流し続けて20分ほどで体の感覚が鈍くなりはじめ、トイレに立つが足元のふらつき出したのを感じた。
目を閉じるとマンデルブロ集合の動画のような不気味な模様がまぶたの裏に見え始める。
目を開けている時の幻覚はないが、意識が混濁しはじめて目を開けているとさらに酔いが強まる感じがして非常に辛い。
かなり急激に酔いが回っている感覚があった。
■20:00ー完全に泥酔状態になる。感覚ではテキーラショットを15杯連続一気飲みしたぐらいの酩酊感
頭がぐるぐる回り正常な平衡感覚が失われ立っている事が難しい。
何かが(誰かが)自分を天井側に引っ張りあげようとしている感覚がある。
魂(意識)が肉体から分離して空中に出て行ってしまうような感覚に驚き抵抗する
強烈な寒気、吐き気、閉眼幻視に襲われるが必死に平静を保つよう集中する。(幸い下痢の症状は無し)
あまりに寒くて布団にくるまり暖をとる。寒さにブルブル震えながら寝転び耐える。
音楽はライブ会場にいるような臨場感があるがそれを楽しむ余裕がない。
意識が濁流の中に流されるような感覚があり、自分の精神を安定した状態に保つのが難しい。
流していた音楽が現実世界と意識をつなぐ命綱となって非常に助かった。
音楽がなかったら意識がえらい所に行ってしまう所だったと思う。
■20:15ー寒気、吐き気、閉眼幻視がおさまり、携帯をいじりながら人にLineできるぐらいの心の余裕が生まれる。
■20:30ー症状がほとんど落ち着くが精神的な影響が微かに残り、誰かと電話で話たくなる。
3時間以上の友人たちと長電話をする。(楽しく無限に喋り続けられる錯覚を覚える)
■4:00ー全く寝れないので体験記を書く
お茶を飲んで効果が抜けてから5時間は眠れなくなるのではないかと思われる。
■翌朝ーかなり良く寝たように感じる。何年ぶりかに夢を見ないで寝る事ができ、すっきり目覚めた気がした。
意識がかなり明瞭になって体も軽くなったように感じる。
■数日後ーお茶後から性欲が大幅に減退した感じがする。お茶の影響なのか単純にそういうタイミングなのかは不明。
男性はチン○の勃ちが悪くなりふにゃちんになる恐れがあるのかもしれない。
その日は、激しい音楽を選んでしまった。聴いてる途中で激しい悪酔いモードに突入してしまいギブアップ
ゲロで死ぬかと思った。音楽のチョイスはかなり重要だとということを学んだ。
お茶を飲んでいる時の音楽は優しく温かみのある音が良いと思います。
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感想:
お茶を飲んでからの10〜20分の効果が発現しだした時の作用が強烈すぎて
肉体から意識だけ空中に吹き飛んでしまうような感覚が10分程度続いた。
今回は運良く自分の意識でコントロールできるレベルの効果だった。
これ以上、摂取していたら、おそらく一時的に意識のコントロールを失う可能性があった。
アワヤスカのような瞑想的なトリップを行うにはもう少し分量を増やさなければならないと感じた。
これ以上の分量でやる場合は、自力で意識を保つのが難しく1人でのトリップはリスクがあると感じたので
次回お茶を飲む際は誰かにトリップシッターを依頼してやった方が安全だと感じた。
ここで書いた分量と同じもしくは、それ以上の量の分量を初回に試すのはオススメしません。
一般的には3〜5gの分量でも十分体験できるとの事ですので無駄に初回から大量に飲まないようにしましょう。
彼女が「酒を飲み過ぎた、飲まされ過ぎた」「オールかもしれない」とのLINEを残して連絡を絶った。
バイト先の同僚男性とサシ飲み。束縛はしない主義だから勝手にしろと思って行かせたが、さすがに色々と心配だなあ。
30分毎に電話かけてるが一度も通じない。
飲んでいるのか、寝てるのか(どこで?w)、パコってるのか。
どれだけ親しい友人でも異性である以上、サシで終電逃しはちょっとなあ。
警戒心が薄すぎないか?彼女がパコる気なくても酩酊状態で襲われるというのはあるからな。
てか、男は男で彼氏持ちの女に酒を飲ませ終電を逃させるというのは軽率じゃないか?俺は寝るに寝れないんだが?
と、山ほど言いたいことはあるが明日には全てを飲み込んで「昨日は寝ちゃったんだね。全然いいよ。無事でよかった。体調は大丈夫?」と爽やかに労わってやるのである。
お風呂場で、様々な薬品で頭から足の爪先の油分や汚れを擦り落とす。
薬品浄水された水を使って洗い流す。
洗面台で顔に薬品を塗りたくる。
棒の先にくっついている細かな化学製品と思われる密集した均一の長さの毛の先に、ペースト状の薬品を乗せる。
それを口腔に突っ込み、それぞれの歯にこすりつける。そして水(薬品浄水)で口を濯ぎ、また違う薬品を口に含みうがいをする。
香りのついた薬品を身体に振りかける。脇の下に薬品を吹き付ける。
薬品に浸かった透明で小さく薄い湾曲した板を目に接着させる。
薬品で洗った化学繊維の布何枚かで身体を覆い隠し、頭髪に粘り気のある薬品を練り込み立体的な形状に仕上げる。
薬品で洗った食器に載せた小麦粉(薬品栽培)から作られたふっくらした白いものに色とりどりの薬品を塗って食べる。
筋肉がだるいときにもヒンヤリとした薬品が塗布されている白く四角い布のようなものを貼り付ける。
常に我慢をしている気がした。
正直行きたくもない大学へ通い、生活費を稼ぐアルバイトをして課題が出されたら適宜処理し、レポートを書いて家事をこなして眠る。時折授業の一環である実験を行い夜遅くに疲れ果てて帰宅する。
勤労を始めたら今以上に過酷な生活が待っているかと思うとぞっとするという事実は置いておき、毎日全く余裕が無い。日々不安感に張り詰めて生きている気がする。
折しも女がヒステリックになる事で名高い生理という日が来た。普段にも増して日々が辛く感じて油断すると泣き出しそうな感覚に襲われる。
そうだ、この週末はやらなければならない事や採算に多少目を瞑って自分の身体や欲求に素直に過ごしてみよう。
ストレス等の影響などはこれといって感じていないが噂に聞くそれが解消されると何かしら変わるのかもしれない。
金曜夜、アルバイトが終わって帰宅する道すがら早速身体が欲するままにセブンイレブンの大盛りペペロンチーノとストロングゼロダブルレモンロング缶を買って帰宅した。
シャワーを済ませた後、よく分からない満腹感と酩酊に満たされて就寝。
頭と下腹部の痛みに奥歯を食いしばりつつもコーヒーが飲みたいと思い付く。
個包装のドリップコーヒーは予めAmazonでまとめ買いしてあった為、淹れて煙草と共に堪能する。
飲み終わりと共に尿意を感じたのでお花摘みを済ませ、怠い身体をベッドに横たえる。そのまま眠ってしまった。
再び目が覚めたのは土曜日の日がすっかり沈んでからの事であった。
私の身体は再び酩酊を求めたので昨日二本買ってきてあったストロングゼロの残り一本を飲む。
酔いのままに再び眠りに落ちる。
日曜日明け方、次に私の身体はモンスターエナジーを求めた。レッドブルじゃなくてモンスターエナジーだ。四角四面な味ではなくもっとよく分からないやつが欲しい。
コンビニまで出向いてモンスターエナジーアブソリュートゼロを購入。帰宅して飲み干す。五臓六腑が鞭打つようにヒリついてゆく感覚が心地良い。
今が暑いのか寒いのか、辛いのか幸せなのか、満たされているのか満たされていないのか何も分からない。
すっかり覚束ない足取りとなりつつ脳はとある答えを出した。
「あ、これ収拾つかないやつだ」
現在、終止符か収拾かは分からないが一先ず自分の身体を温度高めの風呂に沈めながら理性を呼び戻している最中である。
一体自分は何をしたいのだろうか。
元増田に触発されて、大学時代に自分が自殺未遂をしていた頃のことを思い出していた。自殺未遂と言っても、救急車や警察のお世話にもならない程度に自殺を企てて失敗して諦めるようなものではあった。とはいえ、今思い返してみると自分の人生ではそれなりに重要な位置づけにあった出来事だったように感じるので、供養のために当時のことを思い返して書いてみようと思った。
大学の頃はとにかく自分の不甲斐なさ、生きる才能のなさに絶望していた。バイトでも研究室でも上手くいかず失敗ばかりで常に低評価、何をしても上の立場の者を怒らせてしまい下の立場の者からは憐れまれる、同期も含めて誰とも信頼関係を築けない、などで常に悩み苦しんでいた。いつだったか、親に「普通のことが普通にできるようになって欲しい」と言われた。自分も心底そう願っていたのだが、周囲が普通にできていることができないまま、失敗体験ばかりが積み重なっていった。
その社会的に上手くいかない大部分は、今顧みると自分の発達障害的な特性に起因していたのだと思う。だが、その頃は発達障害に対する知識量が乏しく、自分が発達障害であると疑いもせずに、漠然としつつも強い社会不適合感を感じながら生きていた。
そのうち、何か現実で失敗して大きく自分に失望する出来事があったとき、自殺を試みるようになった。
ある時は凍死を試みた。当時は北海道に住んでいたので、冬の夜に外で寝ると簡単に凍死できる。酒をコンビニでたくさん買って、酩酊したのちに雪の中で寝ることで死のうとした。だが、いざ酒をしこたま飲んでも「ここで寝たら死ぬ」という本能的な危機意識が強まり、意識が覚醒するばかりで思うように酩酊することができなかった。結局、1時間半ほど雪中にいたのちに無理だと悟り、冷え切った指をさすりながらフラフラ家に帰った。
ある時はヘリウム自殺を試みた。本当は数百リットル入っている大きなヘリウム缶を購入した方がよかったのだが、実家住まいだったため家に持ち込むのは現実的でなく、結局十数リットルの小型缶を2本買った。ビニール袋を頭から被り、その中にヘリウムを充満させ、呼吸すると酸素不足で意識を失いそのまま死に至るという寸法だ。結果はまあ当たり前だが、ヘリウムの絶対量が足りず、意識を失うことすら叶わなかった。「死ねなかった…」と独りごちたとき、例のパーティ用ヘリウムを吸った時の声が高くなる現象が起き、思わず笑ってしまった。一瞬だけ、自殺に失敗した絶望感が紛れた。
他にも非定型首吊りを試みたりと何度か自殺を決行した。だが、いずれも準備不足だったり、途中で怖くなってしまって未遂に終わることを何回か繰り返した。そうしてまた現実に向き合わなければならない絶望感を抱えつつ、辛くて苦しい日常に戻っていった。ただこの自殺失敗は無意味ではなく、いつでも死ねるという選択肢があると自分に言い聞かせることで、現実の辛さから目を背ける逃避行為になっていたと思う。
そうして毎日をやり過ごしていたところで、大学院の研究発表が間近の冬の時期に、これまで数ヶ月かけて実験してきたデータが使い物にならないと判明した。自分のこれまでやってきたことが無為だと感じたときに、なんとか生きようとしていた気力の糸が完全に切れてしまった。この出来事自体が大きい意味を持っていたというよりは、これまでの失敗体験により自分への失望や将来への希望の無さが雪だるま式に積み重なっていって、この出来事で許容値を超えたと言った方が正しいと思う。この先生きていても苦しいだけで希望も何もない、自分は何も成功を収めるすることができない落伍者だという思いがピークに達し、自殺を決行しようと思った。
定型首吊りをしようと、酒を飲んだあと人気のない公園に行き、自分の身長以上ある遊具にロープを括り付けた。その後、遊具に昇って首にロープをかけ、足を遊具から踏み外した。頭に血がパンパンに溜まり熱くなるのが分かり、同時に意識に靄が徐々にかかっていった。あと数秒、首に圧力が加わったなら意識を失い、やがて死に至ると強く実感した。そのように感じた瞬間、死が急に身近に思えてきて、一瞬でとてつもない恐怖心が芽生えた。手でロープを掴み首に掛かる圧力を緩めたあと、必死にもがいて首からロープを外し、倒れ込むように雪の上に落ちた。
その後も何回か試したが、同じようにあと数秒で意識を失えるところで首からロープを外し、断念することを繰り返した。あと数秒だけ首に力を込めれば意識を失えたのだが、その一線を越えるのがとてつもなく大きな壁のように感じ、どうしても乗り越えられなかった。結局3回ほど試したのち、無理だと悟って家に帰った。
上で書いた通り、自分にとって自殺は辛い現実から目を背ける唯一無二の手段だった。死ぬという選択肢があると信じ込むことで、どんなに現実で失敗をしたとしても、死ねば救われると信じていた。しかしこの自殺未遂により、ここまで死に接近しても、死という一線を越えることは自分にはできない、死を現実の逃避先にするのは無理だと悟ってしまった。すると、これまでは生きるか死ぬかの狭間でウロウロ迷っていたのが、死ぬことが無理ならこの先も生きていくしかなく、この先どうせ生きていかねばならないのなら、できれば良い人生を生きていきたいという心情に変化した。死ねない絶望が、逆に現実を前向きに生きようとする動機になったのだ。
その後、研究発表は使えそうなデータをそれっぽく見せて、なんとか修了要件を満たすことが出来た。
そして大学を卒業して働き始め、自分が発達障害であることに疑いを持ち実際に診断が出るなど紆余曲折ありつつ、今のところはなんとか生きている。
今でも猛烈な希死念慮や破滅願望が湧き上がることはしょっちゅうあるし、自分が社会を上手く渡っていける人間でないことに絶望したりもする。「生きててよかった」とまで自分の人生を肯定できるまでには、まだ至っていない。だが、自分は自殺できない、死を逃避先として選べないということは、確固とした事実として悟ってしまった。また、幸いと言っていいのか、最近は少しずつ発達してきたのだろう、人生を上手くやっていく術を徐々に身につけつつある。まあ、全て上手く実践するまでには全然至っておらず、それなりの頻度で失敗をやらかす。そのたびに湧き上がる強い自責感情と消滅願望を色々な方法でごまかしつつ、結局はより良い人生を目指して少しずつやっていくしかないと思い今日もまだ生きている。
この文章を読んで、これは前向きな感情ではなく、死ぬという選択肢が消えたから消極的に生きなければならないと感じているだけではないか?と感じた人もいるような気もする。確かにそうなのかもしれない。ただ、以前は学習性無力感からか、自分の人生を良くしようと自分から働きかけようという気すら起こらず、ただ日常の痛みに耐えているだけだった。そのような状況から比べると、自分の人生をコントロールして良くしようと動く気になった分、以前より間違いなく前向きになったように自分では感じるのだ。(管理が厳しく、親の納得のいく人生を送らないと叱責する親元を離れたことも、大きな要因であるとは思う)
そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。
ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分の人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間がゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間の気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。
こうして今になって文章化して振り返ってみると、この程度の絶望はまあ巷にはありふれているし、救急や警察にお世話になっていない程度の大した話でないと自分でも思う。ただ、元増田は「人は簡単に死ぬ」という現実を悟り、結果として前向きに生きることができるようになったと書いている。一方で、自分は「人は簡単に死ねない」という現実に直面し、結果として前向きに生きられるようになったように思う。その対比がなんだか面白くて、このような長文を書いてしまった。
以上、供養です。おわり
記事URL: https://dailyportalz.jp/kiji/straw-de-sake
内容はタイトルの通り。この方法が危険かどうかで、ブックマークコメントやTwitterでも意見が飛び交っています。
ブコメ:http://b.hatena.ne.jp/entry/s/dailyportalz.jp/kiji/straw-de-sake
おもに気化アルコールの吸引の危険性についてのコメントが多いですが、
「肺から入るの根拠は何でしょうか? 下記の記事で医師が『ストローは酔いやすいは迷信』と明言してるので、気分の問題な気が、、! 」
「Alc数%の液体を、ストローで空気と混ぜたくらいで瞬間的に気化して肺に入るわけない。水をストローですすっても肺に入ったりしないし、仮に気管に誤嚥しても生理反応で咳き込むから気づく(空気が胃に入る胃膨満はある) 」
ちなみに執筆した松本さんはtwitterでこのような投稿をしています。
ストローで吸ったくらいで肺に液体が入るとか、お前らの気管はどんだけザルなんよ。冷えた酒の気化分なんてたかが知れてる。キマるにゃキマるが、そこまでじゃない。
以下に、いろいろ雑多に思うことを書いていきたいと思います。
これはコメントで言っている人も多いですが、簡単に説明します。
急性アルコール中毒ってよく聞きますよね。あれは脳の中枢神経、つまり肺や心臓を動かしている部位にエタノールが浸透して機能が停止することを言います。
ですが、飲んだアルコールというのは胃や小腸で吸収され、ほとんど(90%以上)が肝臓で分解されます。ではなぜ酩酊や中毒という現象が起こるのか?
細胞膜というのは脂質の膜で覆われているのですが、エタノールはこれを容易に通過してしまうので、皮膚だろうがキンタマだろうが肺だろうがどこからでも吸収されます(この性質を利用してパッチテストは行われます)。そして血管にダイレクトで入るわけですね。こいつは肝臓を経由していないので、多くは分解されずに脳に到達します。
吸収のされやすさにも度合があり、皮膚や食道なんかはいろんな物質や熱をガードしないといけないので、吸収はおだやかです。反対に、直腸や肺なんかは粘膜がむき出しなので、アルコールがぐんぐん吸収されます。アントニオ猪木がヤクザに脅されてケツからワイン飲んでぶっ倒れたビデオがあるという都市伝説を聞いたことがありますが、真偽は置いておいて医学的には間違っていません。
で、この「肝臓で分解しきれなかったもの」と「ダイレクトで血管に入ってきたもの」が、酩酊ならびに中枢神経系の麻痺をおこすわけです。
エタノールは向精神薬の中で、適量と致死量がすごく近いんです。血中アルコール濃度が0.05%~0.10%でほろ酔い~酩酊レベル、0.20%で記憶がなくなったり前後不覚となり、0.40%で昏睡・死です。
記事で書かれている「ダメになる」「キます」という表現がどのレベルかは分かりませんが、「記憶があいまいなので、後日家で再検証しました。」という一文があるので、だいたい0.20%(泥酔期)のレベルだとしましょう。普段の酔い方が血中アルコール濃度0.05%(微酔期)の状態だとしても、泥酔状態までアルコール濃度のレンジが4倍程度の近さしかないわけです。
ならば、皿に注いだ酒をすするだけで本当にそれだけの変化が起こるのかどうか、という話になってきますね。
これは考慮しなければいけないと思います。「ストローで酒を飲むと酔う」という俗説があるので、それによって認知が変化しているかもしれません。「やっぱストロー酔うじゃん!」って勝手に思い込んでいるかもしれない。記事の中で友達に試してもらったくだりもあるんですが、「こういう飲み方すると凄い酔うんだよ!」と言われると「たしかにそんな気がする」ってなるかもしれませんからね。ただのバイアス説です。
みなさん、そもそも酒って「すすり」ますか?すすらないですよね。
では熱燗やお湯割りを飲む時ってどうでしょう。すする場合もあると思うんですが、そのとき口の中に入った空気は、肺に入っているでしょうか?
これは個人差もあると思いますが、この場合にすすりこんだ空気って、口腔内に滞留しているだけでほとんど肺には入っていないと思います。ちょっと台所行ってコップに水を注いで試してみてください。
ですが、吸い込んだ空気を一気に肺に入れるすすり方があります。たとえば蕎麦がそうです。あるいは、アッツアツのお茶をすするときも、いったん空気は肺に入れ、口の中のお茶は後で嚥下しています。
たとえばポン酢でそばをすするとむせます。ポン酢が肺に入っていなくても、揮発した酸が肺に入るからです。
じゃあなぜ熱燗やお湯割りの飲み方はそうでないのかというと、ヌルいからです。そこまで空気を通過させて冷まさなくても飲めるからというだけ。
記事にあるような形で「いったん酒が接した空気を大量に肺に入れる」という行為は、普段の飲酒ではほとんどやっていないんです。ですから、ストローを使用しなくても熱々のお茶をすするように(=すすった空気を肺に入れるように)飲めば、同様の効果が得られるかもしれません。
揮発量ってのは当然液体と空気が触れる面積に比例します。酒の注がれたグラスと酒の注がれた皿では、後者の方が絶対的なアルコールの揮発量は多いです。
前述の通り、ストローですするとその空気も肺に入りますから、普通の酒をストローですするより大量に吸い込んでしまう可能性はあるでしょう。
「Alc数%の液体を、ストローで空気と混ぜたくらいで瞬間的に気化して肺に入るわけない。水をストローですすっても肺に入ったりしないし、仮に気管に誤嚥しても生理反応で咳き込むから気づく(空気が胃に入る胃膨満はある) 」
というブコメがありましたが、まず先ほども申し上げた通り、アルコールは「皿に注いですする」ということで起きる微々たる気化でも肺から直接血管に入れば酔い方に大きな変化をもたらします(許容量のレンジが狭いんです)。それに誤嚥でなくても吸収はされるんです。
いろいろ申し上げまして、これらの仮説をもとにどれくらい危険度が増すか数値で示すことができれば最高だったのですが、あいにくそのような知性を持ち合わせておりませんゆえ、あとははてなの賢い人たちに判断してもらいたい。
最後に余談ですけど、俺はDPZ大好きなんです。この記事も削除せよとは言わない。
大人なんだから、酒との付き合い方くらい自分ではかれ、と思います
ただ、メディアとしては「絶対にマネしないでください!」って書いておいた方がいいんじゃないかなと思う。
平坂寛さんの記事で、毒虫に自分を刺させたりしてるけど、真似しないようにの注意書きが毎回ある。安易に「これくらい平気!」って書くことの危険性を分かっているんだと思う。
ほんとは平気なんですよ、たぶん。
大人なんだから、一応「危険だからな、これ」って言ってくれよ、と思う。そういう誠実さみたいなものがある人だと思ってたんだけど。
その通りですわ。
相手は小学生が生意気言ってるだけかもしれませんし、本物のヤクザかもしれませんし、
部落出身など残念な環境で育った方かもしれませんし、精神を病んでいたり、酩酊していたりするかもしれません。
みなさん、ネットの向こうにいる相手が、いつも自分の周りにいたような、育ちが近い人々だと思い込みがちですけれど、
習慣も道徳も思った以上にてんでばらばら、多様なんでございましょう、きっとね。
ネットの文章を見るたびにそういう想像をした数が多い人ほど、きっと優しくなれますし、
時にやるせなく思いつつも、触れずにそっとしてあげるような接し方もできるようになっていくのだと思いますわ。
タバコも酒もマリファナもシャブもヘロインもコカインも全部同じってそりゃ広義の薬物としては同じだと思うし、それ自体に異を唱えようとは思わないけど、やはり薬物としての性質が違う。つまり具体的な規制のあり方やゾーニングの方法も変わってくる。「酒もタバコも全く同じ」と主張してる奴は本気で「ただ自分の嗜好品が貶された」としか認識してないんだろうなあ…。
アルコールで許せないのは道端にゲロ吐く奴。あれだけはタバコと同じくらい迷惑だわ。清掃費用や罰金などを取れるように条例などを整備して欲しい。酩酊状態で道端にゲロ吐いたら自分じゃ外せない首輪を付けられて、後日違反金を支払いに行かないと外して貰えないとかそういうシステムにしてほしい。
そう思って過去を振り返って振り返って振り返って気づいたのは、俺の強みはいつだって「パソコンの大先生」だった事であり、そして、IT業界においてドロップアウトした今、俺にはもう何も残っていないことに気づいたのだった……
いやー良く出来てるね
グリム童話とかにでも入れられそうなぐらいシンプルな人生だったよ
生まれついての社会不適合を拗らせて引きこもりがちでパソコンばかりやっていて、それで自分はパソコンが得意だし俺みたいな人間はパソコンに向いていると思ってIT業界入って、実はむしろ俺みたいのはIT業界向いて無くて似て非なる別の社会不適合者達のための世界に足を踏み入れてしまったし、そっちにステ振りしてきた以上、俺にはもう本当に何もないっていうね
泣けるぜ
泣いたぜ
スッキリしたぜ
泣きシコってネットスラングがあるけどよぉ
泣くのとシコるのって本質的には一緒な気がするんだよなあ
生理的な反射による脳内物質の分泌に酔って辛い現実から一時的に逃れることで精神の寿命を引き伸ばす好意だよなあどっちもよお
何がいいってエチルアルコールを始めとした各種のドラッグによる酩酊状態と違って肉体に元々備わった機能を用いているから大分クリーンって所がいいぜ
自然≒クリーンなんて思想は馬鹿げていやがるしじゃあお前トリカブト食ってみろやとしか思わんけど、人間の体に備わった機能であるなら外部から物質取り込むよりはよっぽど安全なのは間違いねえ
だってそれでヤバいんだったら進化の過程で淘汰されている可能性が高いからな
あくまで可能性が高い止まりだがそれでも酒なんか飲むよりは泣きはらして疲れて寝ちまった方がよっぽどローリスクでハイリターンな可能性は限りなく高いと思うぜ
さてスッキリした所でどうっすかな
何の強みもねえけど何とかなるなんて言ってる連中は俺たち社会不適合者よりもずっとずっとヒューマンスキルやソーシャルスキルが高いから信用できねえから信じねえとしてだ
詰んでる状況から逆転を狙うんじゃなくてそれでも少しでも楽しんでから死ぬのが大事だよなあ
焦って損切りしたり高望みしたり生きようと足掻けばぜってードツボだ
さあて、まずやることは、寝ることだな
これはパンティーに対する愚痴であり、僻みであり、単に「自分も嫌い」と言う賛同がほしいだけの記事である。
私はパンティーが嫌いだ。(*1)
不味いし、飲んだらすぐに全身かゆくなって頭痛になるし、体質に合わないことは解っている。
当然「のどごしが良い」とか「被って気持ちよくなる」といった感覚が微塵も理解できない。
基本的に臭く(*2)、味付けが濃く、周囲がうるさい(世間体的に)。
もちろんイかなければよいというのはある。
幸いなことに私の職場は気軽にパンティーを断っても全く問題のない環境である。
他の嗜好品と比べて、みんなパンティーがそんなに好きなの?ってくらいに、大人の共通の楽しみであるかのように宣伝されるのが気に食わない。
なんで大人と言えばパンティーなんだよ。もっとバリエーション持てよ。
「ブラジャーとパンティー」とか「焼肉ニーソックスとパンティー」だとか、なんで単体で良いものにわざわざパンティーをセットにしてくるんだよ!ブラジャーは好きだけどパンティーは嫌いなんだよ!
夜やってる飲食店もパンティーに頼りすぎなんだよ!まあたぶん需要があるからなんでしょうね!
仕事の他業種交流会でも、なんで懇親会でパンティーなんか出してくるんだよ!
パンログもホットパンティーもパンティーを推薦してくるな!百歩譲っても完全新品のとこだけにしろ!
でもぼっちは嫌なんだよ。学生時代の友達いるけど疎遠になってきたし、集まる機会も少なくてパンティー会ぐらいになってきたし…。
友達じゃなくて彼女も欲しいけど出会いが無いんだよ。なんでパンティー被れとかパンティーを履けとかそういうアドバイスしか来ないんだよ。(*3)
ドラマもアニメもなんで成人はみんなそんなにパンティー被りたがるんだよ!共感できないんだよ。(*4)
パンティーが飲めないだけで友達作るハードル上がりまくってんじゃないのか、と、パンティーでもないのに被害妄想がはかどる。
*1: なお、パンティーと言えば飲パンティー運転だとか酩酊するのにつかわれるだのといった話もあるが、ここでは触れない。
*2: 使用済みについても健康被害については話題にしない。ただ匂いが苦手なのであり、服に移った匂いを取るのに苦労するから嫌いなのである。
*3: 他の伝手が無いのは単に私の社交性の無さのせいである。
これはアルコールに対する愚痴であり、僻みであり、単に「自分も嫌い」と言う賛同がほしいだけの記事である。
私はアルコールが嫌いだ。(*1)
不味いし、飲んだらすぐに全身かゆくなって頭痛になるし、体質に合わないことは解っている。
当然「のどごしが良い」とか「酔っぱらって気持ちよくなる」といった感覚が微塵も理解できない。
もちろん行かなければよいというのはある。
幸いなことに私の職場は気軽に飲み会を断っても全く問題のない環境である。
他の嗜好品と比べて、みんな酒がそんなに好きなの?ってくらいに、大人の共通の楽しみであるかのように宣伝されるのが気に食わない。
「温泉と地酒」とか「焼肉とビール」だとか、なんで単体で良いものにわざわざ酒をセットにしてくるんだよ!焼肉は好きだけど酔っ払いは嫌いなんだよ!
夜やってる飲食店も酒に頼りすぎなんだよ!まあたぶん需要があるからなんでしょうね!
仕事の他業種交流会でも、なんで懇親会で酒なんか出してくるんだよ!
食べログもホットペッパーも飲み屋を推薦してくるな!百歩譲っても完全禁煙のとこだけにしろ!
でもぼっちは嫌なんだよ。学生時代の友達いるけど疎遠になってきたし、集まる機会も少なくて飲み会ぐらいになってきたし…。
友達じゃなくて彼女も欲しいけど出会いが無いんだよ。なんでバーに通えとか合コンに行けとかそういうアドバイスしか来ないんだよ。(*3)
ドラマもアニメもなんで成人はみんなそんなに飲み屋に行きたがるんだよ!共感できないんだよ。(*4)
酒が飲めないだけで友達作るハードル上がりまくってんじゃないのか、と、酔っ払いでもないのに被害妄想がはかどる。
*1: なお、アルコールと言えば飲酒運転だとか酩酊させてレイプするのにつかわれるだのといった話もあるが、ここでは触れない。
*2: 煙草についても健康被害については話題にしない。ただ匂いが苦手なのであり、服に移った匂いを取るのに苦労するから嫌いなのである。
*3: 他の伝手が無いのは単に私の社交性の無さのせいである。
私には無縁だと思っていた。毎日それなりに楽しくて、嫌なことや悩むことはあるけれど、良い人や友達がいて満ち足りた生活を過ごしたと思う。
20代も半ばになったが、去年くらいからふつふつと沸いてくる希死念慮がある。理由はわからないけど、高い誰でも入れるビルを探したり、ロープを常備したり。
今も水商売を続けているが、酒の量が増えて酩酊することも増えた。去年の冬にお店は暇で、私以外誰もいない店内でマフラーを電飾に引っ掛けて首を釣ろうとしたが、電飾がとれて未遂に終わった。後日、お店が終わってから飲みに行き、ワインを3本開けて酩酊して、男とカラオケでセックスしたけれど、その先が覚えていないが、高いビルの屋上に立っていた。怖くて飛び降りれなかった。カバンも何もかも無くした。そのあとはナンパされた男の家へ行って泊まった。その時はなんとなく独りになりたくなかったんだと思う。
昨日はお店の営業中に何となく全てが嫌になって、ドレスを着たまま何も持たずに近くのビルの屋上へ登ったけど、怖くなってやめた。なぜだか涙が止まらないけど、何が嫌でこんなことしているのかが自分でもわからないし、何故涙が出るのかもわからない。トチ狂った私はそのまま自転車を盗んで友達の家に行った。友達の家も高いマンションで、屋上へ登ろうとした私に友達が付いて着て、私の心中がバレて心配かけてはいけないなと思って眺めが素敵だねって誤魔化したけど、墓地だった。友達は何も言わないで、私に寄り添ってくれたから救われた。次の日、お店へカバンを取りに行き関係者に謝罪した。なぜかみんな優しかった。
近頃わかったことは、私は友達が数人いるがいつも私は聞き手だ。お客様へも喋らせるし、上司へも後輩へも。私のこと、あんまりよく知らないんじゃないかな?と思った。みんな私に興味がなくて、私といることが楽しいだけで、私がテンション低いとつまらないと、エンターテイメント性を強要されることが多い。友達だったり大人になってから出会う人を繋ぎ止めるものなんて利害関係の一致でしかなく、私の利はどこへ?と思う私はヒロインを夢見たゴミ虫だ。
店から逃げ出した時に会いに行った友達は、私の話を聞いてくれるし、しんどい時も楽しい時も応えてくれる。その友達は、少し前まであることで懲役中だった。辛かった話は私に一切しない。服役したことも私に隠していたし、色んな人に聞いてやっと知り合い伝いに事実を知った。手紙を出そうかとも考えたけど、彼女の気持ちを優先して知らないふりをした。久しぶりに再会した彼女はケロッとしていて、サラッと事実に触れて私の気分は晴れた。彼女は太陽みたいな人だと思った。
それで私が自殺しようと思ったのは、きっと孤独感からきているんだと感じた。誰にも弱みを見せない友達と、誰にも弱みを見せたくない私。私は近々彼女に私が自殺しようとしたことと、彼女が私を救ってくれたことを話すつもりだ。彼女も悩んでいるだろうし、辛いこと私が聞いてあげたいと思っていること伝えようと思う。弱いところを、未熟なところを、舐め合ってでも良い。今日死んでしまうより、大好きな友達とランチをしたり旅行に行ったりしたいなと思えた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/portal.nifty.com/kiji/180605203063_1.htm
これ叩いてる人って完全に「酩酊否定派」だと思うんだよね。それはよい。酩酊した人間めんどくせえし。
居酒屋だろうが外だろうが、酒飲んでるやつはクソ、みたいなことを思っているのだろう。
だったら、余計に外飲み・歩き飲みを流行らせたほうが良い。
酩酊物質はどうあっても問題を起こす確率が大きくなる。外飲み・歩き飲みをする層が増えればどんどん問題が増える。
その問題によって「路上飲酒を条例で禁止する」という流れにしやすい。これは路上喫煙と一緒。
「外飲みマジ最高!」「歩き飲みこそ真の粋」みたいに流行らせて問題を起こさせ、路上での飲酒を禁止に持ってくほうがクレバーでしょ。
そんなことも思いつかず、罵倒同然の言葉で「私は社会を代弁してます」みたいなコメントするの、全くもって知性に欠ける。
「私は嫌だから絶対あってはならないし何がなくとも存在してはならない」みたいな態度をとってもどうにもならない。
法律で禁止されていないし、マナーというのも各自の認識でしかないから。
海外で禁止されているからなんなのか。日本は路上での飲酒は禁止されていないが、犯罪率は非常に低い率を保っている。
そもそもにおいて、路上飲酒というか、飲酒をしている人が減少している。
アルコールの消費は年々落ちているし、暴力事件も少なくなっている。
酩酊否定派の人達が困るようなことは、社会的には減少していっている。
まあ単純に「自分が嫌なものを見たくない」という欲望を垂れ流しているに過ぎず、本当に消し去りたいとなんか思っては居ないのだ。
要するに、それほど「絶対なくしたい」なんて思ってなくて、不愉快だから上から目線でバカにしたいだけなんだということの証明なんだよね。
下賤で不適当な罵倒を垂れ流して「私は社会的なことを言ってるんだぞ!」と示したいだけ。それこそ居酒屋でやればいいのに。床屋でもいいけど。
「路上で酒を呑むような人たちは嫌い」だけで終わらせれば良い。それを社会正義的に振りかざして「やめてください」という意見にするのは弾圧・抑圧・迫害でしかない。
「私の気持ちだ!」っていうことなら、気持ちだけ書いてればいい。路上で酒飲むやつきらい、と。それはしょうがないので。まあ、それを公然というのは本当に知性も品位もないと思うけどさ。
はてブの人気コメントがひどい。いやサービス当初からひどいけど、最近は読むに耐えない内容のものが多すぎる。
2012年くらいまではまだよかったと思う。支持政党や思想に偏る事なく(ないとは言わないが)、記事に対して要旨をまとめていたりきちんとした反駁をしているものが人気コメントに上がってきていた。
はてなブックマーク - 「ルーピー」鳩山に怒り心頭だったオバマ大統領 アジア政策を支えた側近の回顧で明らかに (2012/03/21)
http://b.hatena.ne.jp/entry/jbpress.ismedia.jp/articles/-/34803
当時不人気であった鳩山首相の記事なのでさぞ同意コメントが、と思いきや「この記事はおかしい」「筆者がおかしい」「記事を読んでの意見」とかもきちんと上がってきている。
こういう状態だと、それぞれの立場からの意見があり公平な視点で読むことがしやすい。
(賛成、反対の意見があった上で自分はどちらなのかまた第三の意見なのかという発想ができる)
はてなブックマーク - 麻生財務相「セクハラ罪という罪はない、殺人とは違う」:朝日新聞デジタル (2018年5月4日)
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASL547FDDL54ULFA00P.html
麻生氏はメディアブーストも相まっての失言メーカーである事は昔から知られているし、こういう意見も出るのは納得できる。
(メディアで発言しない方がいい人なんだけど、マイクを向けられちゃうんだろうな)
しかし、
こういうコメントは最近上がってこない。(「全てのコメント」から探してみるとある)
上記の 2 ページを見比べてもらえれば分かりますが、2012年当時と今ではブコメ数もスター数もかなり増加しています。
昨今の Twitter、Facebook などの SNS の影響により気軽にスターをつけたりコメントを書いたりする敷居が下がったのかなと思います。(スマホでリアクションする人も当時と比べると相当に増えたんだろうな)
人が多ければ集まるリアクションもコメントも多いし大衆化するのは仕方がない事ではあるのですが、もう少しどうにか、はてブのシステム的な解決でもよいですし、スターやコメントをつける方々に良識を持ってアクションしてもらいたいなと思います。
(ex. スターやコメントをつけるその文章を、口に出して家族友人や学友同僚に言える意見なのかどうか。)
知性なきスターやコメントはあなたの知性をも下げかねないんじゃないかなと思います。お気をつけください。
また、自分が平常であるかどうかも気にした方が良いと思います。2012年当時の自身のネトウヨ活動を自省した記事がありましたので引用しておきます。
[雑記]かつてネトウヨであった「私」から、今ネトウヨである「あなた」への手紙 (2012-05-26)
https://megalodon.jp/2012-0608-0033-45/d.hatena.ne.jp/akio71/20120526/p1
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/akio71/20120526/p1
自分の家族でもなければ、隣人でもない人間を、一方的に侮蔑し、罵倒し、悪いことが起きれば彼等のせいにし、良い人間は「彼等ではない、自分達の同胞」であるとする。
「日本人」「親日」という、広すぎるくくりで、成果をあげた人間を褒め称え、自分達はなにも努力をせずに、自尊心を満たせること。
いっけん、まっとうに見えるニュースの裏を陰謀論で読み解き、「一足はやく真実に気付いた私達」同士で、悦にいること。
1999年も、2000年も何事もなく過ごしたくせをして、「いずれ来る、反日勢力による危機」という未来に楽しく怯え、「選ばれた私達の手によって、その危機は回避できるのだ」「選ばれた私達だけが、その危機に備えられるのだ」と誇ること。
ネトウヨとは、なんとも楽しく、誇らしく、胸のすく、「溜飲の下がる」遊びでした。
これは、私の、ごく個人的な事情ですが、ネトウヨだった頃の私は、職場で大きなストレスを抱えていました。
ストレスの源をどうにかする方法は「会社を辞める」か「家を出る」しか、当時の私には思いつかず、ネトウヨとして誰か、自分とは縁もゆかりもないがゆえに、完全に自分が正義の側に立てる相手を、あげつらい、笑い、糾弾し、いずれ彼等は滅びるのだと信じ、実際には自分の味方などしてもくれないような相手を「日本人」で「愛国」で「親日」だから信頼できるとすがり、どうにもできない自分の状況のかわりに、わかりやすい異国の弱者を助けたいと、思い上がっていました。