はてなキーワード: 酩酊とは
明けてしまった。
観てもないテレビの音とか、点けたまま放置してるスマホのゲーム画面とか、窓の隙間から漏れてくる除夜の鐘とか。
全部もう、ぐちゃぐちゃしてて、何がなんだかわからない。
初詣は行かない。どうせ一人だし。あれは自分の中では、親しい友達と言って参拝する行為に価値があるものだから。
今年は一人で新年を迎えた。あと二か月ほどでぼくは二〇歳になるけど。10代最後の年越しは、一人ぼっちだった。
思うのだが、別に一人で新年を迎えるのって、寂しいことではないと思う。そんな人、世の中たくさんいるわけだし。
でも愚かな自分は、それを寂しい、悲しいことだと思っている。
孤独に馴れていないのだ。
就職して、会社に行って、家に帰って、寝て、また会社に行って……。休日は家でのんびり過ごしたり、たまに友達に会ったり。みたいな。
でも基本的にぼくは一人で生きていくわけで。
今は大した孤独じゃない。そう思う。
でも寂しい。
その寂しさを、酒でなんとなく誤魔化している。
……こんな思考に至ってしまうのは、たぶん全部、高校時代のせいだ。
家に帰って早くパソコンをいじったり、本を読んだり、ゲームをしたり。
そういうことが好きな人間だった。
でも、高校に入って、部活に入って、全部変わってしまった。ぼくは孤独に馴れない人間になってしまったのだ。
ここ数年で、ぼくは人間として進化するどころか、退化してしまったように思える。
やり直したい。
やり直したい。
できないなら、死んでしまいたい。
大学に入った理由は不純で、ぼくはもともと就職希望で高校時代を過ごしていた。
でも、高校生活に失敗して、
やり直したくて、
大学に進むことに決めた。
それで今、学費に苦しんだ挙句に一人暮らしなんて馬鹿なことをしている。
今更だけど、たぶん自分は一人酒が得意じゃない。すぐ鬱になるから。でも飲まずにもいられないわけで。だって、飲まなきゃもっと鬱だ。
酩酊で紛らわせ。
ぼくは虚無だ。ぼくは虚無だ。働け。学費を稼げ。家賃を稼げ。とにかく距離を置くのだ。親からも。過去からも。
何で、俺は生きてる? もう、わかんねえ。
最悪の新年だ。
明けましておめでとう。
頭が痛くなるのも嫌だけど、酔っ払っても大して嬉しくないことに気付いたんですよねえ。
勉強して知らなかった考え方とかに触れてハッとなるときの感覚のほうが酩酊感よりも好き。個人的に。
せっかく決意したのでしばらくは水だけを飲むようにします。
ついさっきスーパーまで行ってどさっと1箱、ストロングゼロの500mlの24本入りを買ってきた。
これを来月8日までに飲み干すわけだから、ざっと計算して1日2缶、1,000mlは呑むことになる。
みたいな。
さて、酒は中1から飲み始めたと昨日書いたけれど、今日はそのことについて振り返ってみようと思う。
あー、でも、まだ酔いが足りないかもしれない。
今手に持っているストロングゼロをまず一缶空けてから、キーボードを叩くことにしましょう。
……。
呑み干した。てことで、もう一缶。
にしても不味いな、ストロングゼロ!
ちなみに葡萄ダブルを今呑んでいるが、安いウォッカ特有の、あのザ・アルコールな苦味がなんとも言えない。それを無理やりぶどうの香料で消した感じも、うん、なんとも!
なーんて悪態を吐きつつ、でも、人生で一番飲み干した酒缶は間違いなくストロングゼロの自分である。
手元に酒がないとき、とりあえず手軽に安くて簡単に酩酊するにはこれは最適すぎるのだ。
500mlのストロングゼロをぐいぐいと呑みつつ、〆には鬼ころし。あとはタール11mgの重めのラッキーストライクなんかの煙草もつまみにして。
そうすればほら、たったの300円程度で酔っ払いの出来上がりだ。
300円の処方箋。
高校時代から続く、いつまでも煮えたぎっている自己嫌悪だって、とりあえず思考の端には追いやれる。
延々と続く毒にしかならない退屈な時間を、この瞬間だけは確かに、こいつらは薬になって埋めてくれるのだ。
……なんの話をしたいんだっけ? ああ、思い出した。
んー、じゃあ。さて、振り返ってみるとするけれど。
ええと、自分が初めて酒を飲んだのは中学一年の冬……7年前のことになる。
ちょうど7年前。
2010年12月23日のことだ。日付だってちゃんと覚えている。
その日は友達の家でクリスマスパーティーだった。メンバーは曖昧だけれど、六人程度。全員、小学校からの幼馴染だ。そいつらとは今でも仲は良い。
酒を持ってきたのは吉田くんだった。
吉田くんはこの小学校メンバーの中では一番アウトローな存在で、不良を嫌いつつ、行動は不良そのものみたいなやつだった。2010年の当時は、脱法ハーブなんかがまだギリギリ滑り込みで出来ていた時代で、吉田くんはドラッグやアルコールなんかの知識を中学1年生ながら無駄に溜め込んでいた。そんな吉田くんを僕は若干尊敬さえしていた。
彼の存在は、部活も何もない暇な中学生であるぼくにとって、ある意味の「非日常」だったのだ。
わんやわんやと騒ぎ立てて、お菓子やジュースなんかにそろそろみんなが飽きてきたころ、吉田くんは青色の水筒を得意げにカバンから取り出して、
ひとこと。
「酒、持ってきた」
と言った。
――たぶん、そのとき一番その言葉に興奮していたのは自分だったと思う。
吉田くんが飲むやつは、とみんなに訊ねて、ぼくは「飲む! 飲む!」と目を輝かせて挙手した記憶がある。
そうしてにやっと笑った吉田くんは、ぼくのグラスに水筒に入った酒を注いでくれた。
茶色の液体。あとになって知ったことだけれど、ブランデーと呼ばれる種類のものだった。
ぼくは余っていた三ツ矢サイダーでそれを割って、ごくっと勢いよくグラスを呷ってみた。
甘い。
なんか、ケーキのにおいに似てる。
それが生まれて初めてのお酒の感想。当時中学一年生のぼくが抱いたお酒への感想だった。
それからお酒はこのクリパのメンバー中で黙認化されて、新年、進級、七夕、ハロウィン、そういう行事を口実にしては酒を呑む日常が始まった。
それはたぶん今もおんなじで、お酒の味が良いからだとか、そんな理由で呑みたいと思ったことは一度もない。
これに尽きた。
たぶん、LSDだとか、大麻だとか、そういうものの代替え品として使っていたのだ、当時の自分たちは。
こうして中学一年生にしてぼくは、暇な日常からそこそこ楽しく脱するためのツールを知ってしまった。
ただそれだけ。
自分が酒を飲み始めたのは、こんな経緯。
ある意味では健全だった当時の酒の飲み方は、高校に入ってから一変し始めるわけだけれど、それは明日書いてみようと思う。
あー、ほんと、ストロングゼロは不味いなあ。でも酔いが足りない。
だからもう1缶追加しようと思う。
これは最近気づいたことだけど、どうやら自分はウォッカが苦手みたいだ。
それは味だとか、喉越し云々という意味ではなくて。……酩酊の手段として、ウォッカを使うのは自分にとっては劇薬を呑むのと相違ない。
1口目でほろ酔い。
2口目で顔が火照る。
3口、4口、――飲み干した頃には、へいお待ち、酔っ払いの一丁出来上がりだ。
まあ、兎にも角にも、二〇年にも満たない自分の人生の中で、ウォッカという酒は様々な失態を寄越してきた。
それはその、「二〇年にも満たない人生」のほんの一部を振り返ってみる日記だ。
自分みたいな人間はこの世の中に腐るほどいるとは思うけれど、とりあえずは書いてみることにした。
先に自己紹介。
飲酒歴は七年程度。酒は中一から飲み始めた。でも毎日のように飲み始めたのは高二くらいからだったから、きちんと数えるなら三年ほどになるか。煙草もちまちま吸っていた。
そのことについても適当に書いてみるつもり。
毎日ストロングゼロを呑めるだけ呑んで、酩酊の中書いてみるコンセプトでこの日記は進めていこうと思う。
と、日記を書き始めるその前に、最近放映していたnhkでの社会学者の水無田気流さんの若者の孤独感についてのコメントを引用してみる。
かつての自分だったら、きっとこんな孤独感はなかっただろうけれど。
今の自分は、まさにそれだ。
だからこの日記を書く理由もたぶん、誰かに反応してほしくて、自分の存在を存在たらしめたくて、書いている節はあるのだ。不純な動機の日記というわけだ。
この日記は自分の成人式となる一月八日まで、つまり一〇日間に渡って書き進めていくつもり。
それを一日遅れで載せていくつもりだ。
ストロングゼロは、単なるアルコール飲料である。しかし、アルコールの「効き」は、一般に言われているところでは通常の酒類以上のものがある。科学的な立場からは同量のアルコール摂取は同量の酩酊効果を発揮するはずである。果たしてそうであろうか?
摂取されるものがアルコールだけであるならそうである。しかし、アルコール飲料には、他の成分が添加されている。その成分が、何らかの相乗効果を及ぼしているのではなかろうか。このような観点から文献調査を行った。結果、ストロングゼロに含まれる人工甘味料が及ぼすと思われる効果に関する2論文が見出された。
Artificial sweeteners versus regular mixers increase breath alcohol concentrations in male and female social drinkers
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3610858/
Artificially Sweetened Versus Regular Mixers Increase Gastric Emptying and Alcohol Absorption
http://www.amjmed.com/article/S0002-9343(06)00182-3/fulltext
前者は人工甘味料を加えたアルコール飲料のほうが通常のアルコール飲料と比べて呼気中のアルコール濃度が有意に増加するという報告であり、後者は人工甘味料を加えたアルコール飲料ではアルコール吸収速度が増加するという報告である。特に後者は、メカニズムに関する考察があり、興味深い。
朝ではない。昼でもない。走るしかない。機関銃の雨に撥ねる北の大地の泥は、マズルフラッシュにあてられて金雲母のように闇に輝く。
その間を浮遊するバイオチャフにより、ノイズを発するしか能のなくなったウェアラブルオペレーション。バグを起こしてあさっての方向を走り回る援射ロボット。
背にした土嚢の向こう側から迫るオート歩兵の駆動音。隣には陸戦車コントローラを持ったまま冷たくなったT。
再突入の見込みはとっくの昔に消えた。私たちに課せられたミッションは28分前に破棄された。
後に「雪解けの悪夢」として語られるこのトカチガ管制塔奇襲作戦を、ウラジミール・ドッグスたちはまさに犬であることを誇示するように食い散らかした。
迫撃砲の嘶く声。耳をつんざく着弾音。ヘッドギアを抱えて、礫岩の雨を受ける。死。幾度となく投げられた賽は今日ついに、その目を出したようだ。
損傷した鼓膜が耳鳴りを起こしている。乾いた血で固まった強化グローブとギアを外して、右足を失った私は空を見上げる。白んできた銀色の空に浮かぶロシアの無人爆撃機編隊。
通り過ぎると同時に降り注ぐ夥しい数の赤い粒たち。
白煙に包まれながらピンク色に発光する。カザンの血潮と呼ばれ、全道民を震え上がらせた光だ。
その美しさに、私は目を見開く。
これと同じようなものを、私は見た。
「ねえきみ、新入生だよね? よろしくね」
春の日差しのなか、彼女は赤らんだ顔で私にいった。あれはまだこの内戦の起きる前のこと。
19年前、北大に入学してまもなく、花見を兼ねた新歓コンパで2歳年上の彼女に話しかけられた。
「じゃあTくんがハタチになったら一緒に飲もうね」
そう一方的に約束された。サークルに入りしばらくして飲み会が続き、楽しげに酩酊する同級生を見て、飲んでみてもいいか、と思うようになったが、彼女はそれを許さなかった。
そういって彼女は私を見張るという名目でよく一緒にいるようになった。
彼女が飲んでいたチューハイはいつも同じで、アルコール度数の高いものだった。
彼女はそういうと缶のなかをのぞきこんで笑った。勉強に明け暮れた学生生活の中で、彼女との時間は幸福そのものだった。
ただ私は知っている。この記憶が本物ではないことを。
19年前、ここにいる私は存在すらしていなかった。
この記憶はストロング計画と呼ばれる極秘クローン兵士計画の発起者である北大出身科学者Tのものである。
Tは故郷に爆撃を受け、愛する人を失ったその憎悪から自ら軍研究所に志願し、計画を立ち上げた。
北の大地を侵すものに強い攻撃性を持ったTの記憶はデータ化され、1000のストロングアーカイブスに分けられた。
クローン兵士ダブルTたちはその中からランダムに196のアーカイブを植えられ、パーソナリティを獲得する。
ストロング196から1は平時より自由にアクセスができるが、1つだけ全兵士に共通の封印された記憶がある。
そのアーカイブは彼らが死に至るときにだけアクセスが許される。
ストロングゼロ。
それはTがもっとも幸福だったときの記憶だ。まだ、この国が平和だったときの、幸福な。
「買ってきたぞお~」
私は受け取ったポリ袋から、一本を取り出す。シルバーに映える桃色。
爆炎に飲み込まれながら、私は生まれて初めて、その味を知った。
現在の群馬県と長野県の県境、地図も当てにならないような山中にひときわ目立つ石碑が無造作に転がっているのを知る者はあまりいない。石碑には「強力零」とだけ力強く彫られている。
群馬大学の研究チーム9名が1999年に調査したところによると、その力強さは同年代に彫られた石碑の文字に比べて約9%増しであることが判明した。これが何を意味するのか、当時の知見では解明されることはなかった。
零戦を強力に改良した航空機の開発が推し進められていたことは周知の事実だろう。その名称はもちろん「強力零」であり、従来型よりも戦闘力を9%向上させる設計となっていた。アメリカ側も当然にその事実を握っていた。英語での呼称は、言うまでもないだろう。
「そういえば」と強力零作戦に配属されたばかりの青年が言った。「じいちゃんが言ってましたよ」
「何?」と上官。
「その昔、祭りでは酒が振る舞われていたって」
「酒くらい飲むだろ」
「いやいや、その酒ってのが特別な代物で、強烈な多幸感をもたらすんだそうです。それがあったからこそ、暮らしに活力がみなぎって、明日から頑張るかって気になるとか。先祖代々伝わる話ですよ。もはや伝説ですよね」
人類の歴史は密造酒との戦いであるとも言えるだろう。無法者が蔵を構えたのは監視の行き届かない山奥であった。違法であるからこそ享楽は9%増しになる。当時、日本で最も人気のあった密造酒はアルコール度数99%の「強力零」。ここから認知バイアスによって陶酔が9%増しになるということは、アルコール度数108%。ハレの日には「強力零」が大量に振る舞われ、人々は「酒が飲めないなんて人生の9%を損している」とその幸福に酔いしれた。
999年、その酒蔵は忽然と姿を消した――。
未来と過去を行き来するストロングゼロの正体とは。その陰謀に巻き込まれた九条強と山鳥・アッパラッパー・幸子。生存確率は9%。果たして彼らは999人の政府関係者と9999人のギャングから本物のストロングゼロを取り戻し、ハレの日にアッパラッパーすることができるのか。
①人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、わいせつな行為をした者は、第176条の例による。
②女子の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、姦淫した者は、前条の例による。
理由としては
今回、被害者である女性は、相当量の酒を飲まされていたということなので、「被害者の証言」という証拠の信憑性は低いと考えざるを得ません。
また、被害者の女性が準強姦罪(現準強制性交等罪)の成立に必要な心神喪失(意識不明レベル)か抗拒不能(抵抗することがとても難しいレベル)にあったのかどうかを評価することが難しいということもあります。再現するのも難しいでしょう。
と不起訴の正当性を主張する記事もあるが、酔ってたから信用できない、どれくらい酔ってたか解らないでは準強姦罪を訴えるのは不可能なのでは
しかも今回は被害者が警察に訴えたリベンジとして犯人達が強姦中に実況撮影した動画や知人に強姦実況したテレビ電話画面が学内で拡散されている
それでも立証できないからと不起訴になるのでは強姦犯にとって日本は天国のような国になってしまう
大気中の炭素分を人工的に固定しようとすれば、膨大なエネルギーが必要になる。
まして、大気量が宇宙船とは比較にならない月面基地の話である。
月面基地の自給自足のため、農耕施設の拡張はかなり高い優先順位で行われている。
これは、月面基地が人類の開拓最前線として、宇宙への定住を大きなテーマとして掲げていることに発しており、作ってしまえば低コストで二酸化炭素吸収源として運用できる見込みである緑地帯には予算が付きやすいのだ。
計算上は、一人の排出する炭素を帳消しするのに数ヘクタールの緑地が必要などと計算値は出されているものの、それも眉唾であり、少なくとも向こう十年は馬鹿でかい炭素除去装置をフル稼働しなければいけない。
さて、緑地といえども『壁の外は死の世界』でおなじみの月面基地では、やはり室内に農地を作る必要がある。
横穴を掘って、太陽照明か光ファイバーで日光を当て、水を確保すればそれで育つのであって、野菜工場に土は必要がないのだ。
堀り開いた洞穴に、土を敷均し、種を撒いた研究班もいくつかあった。
基本的に、月面の土壌は有用微生物はおろか有機物が皆無である上に、有用金属類でさえもほとんど含まないという砂漠か砂利の河原よりも条件の悪いものである。
それでも植物の種子とはよくできたもので、水分と温度さえあれば目を出すし、光と水と空気があれば根を張り、葉を茂らせる。
各班、こぞって精強な植物の種を植えたが、結果、最も栽培に適していると判断されたのは大麻だった。
有用植物としては、アブラナなんかも有力視されていたが、受粉に膨大な手間がかかることから、そのまま成長し、利用もできる大麻に駆逐されてしまった。
当面は炭素吸収源として、大麻が盛んに栽培されることになるだろう。
大麻から採取できる繊維は強靭で、土嚢袋やコンクリート添加物に利用され、それ以外にも家畜の餌や敷材に用いられた。
そして、これが実は重要なのだが、乾燥大麻が地球向けの輸出商品として最初の生産物となった。
過剰物として生産され、水分は抜き取れるため、月面基地にとって大変都合がよかったのだ。
と、いうことで『ルナ・ベース』と銘打った大麻は、初回出荷分に証明書が添付され、オークションにかけられた。
これについては、同量の金より高価といわれる輸送費を上回る価格が付き、大手博物館に落札された。
もっとも、当のルナ・ベースの住民たちは火気厳禁であるため、月面基地でその煙に酔うことはできないでいる。
精神科医も薬剤は処方できず(薬剤の処方が必要と診断されれば即帰還となる)ドライフルーツや穀物でアルコールを自作しようというツワモノもいたが、発酵という工程そのものが限られた大気量では致命的な結果を招きかねず、発覚と同時に厳重な処分が科せられた。
しかし、人類というのは罪深いもので、どうやったって酩酊を求める者が存在する。
目下、当局が新たな取り締まりとして注目しているのは、低酸素酩酊であり、気密室への監視が強められている。
更には、ウルトラマラソン等の低強度、長時間運動を繰り返す事によりエンドルフィンを嗜む層もおり、直線で数キロにも及ぶ廊下を延々と数時間から数十時間走り続ける者もいる。
こちらについては、低重力下であり、高ストレスにさらされる事から未だに正式な禁止令等は出されていないが、酸素を大量に消費し、なにより通行の邪魔であることから大多数からは眉をひそめられる趣味である。
中には複合技として、気密室にルームランナーを持ち込み、低気圧マラソンを実施する強者もおり、当局に確保されたが、本人の心肺能力及び代謝機能に著しい発達が見られ、やがて彼は科学者で有りながら人類の環境適応に関する実験体を兼務するようになり、今では大手を振って疑似高地トレーニングに耽っている。
そんな話題がでてたので、ファンタジーの中でもハヤカワFTのなかで印象深いものをメモしてみる。
ハヤカワFT031。ユーモアファンタジー魔法の国ザンスシリーズの1。ユーモアっていうか、ダジャレファンタジー。全編ダジャレ。好きな人と嫌いな人がかなり別れる。とはいえ、ダジャレと韜晦で煙に巻きながら、少年少女の自立とか誠意式の芽生えと思いやりとか、結構ちゃんとしたテーマはそれはそれでそれなりにやっているのが偉い。
ハヤカワFT文庫は、文庫設立当時は、あちらで有名な基本的名作をポチポチ紹介してたんだけど(マキリップ、フィニィ、ダンセイニあたり)このザンスシリーズ辺りから、複数巻にまたがるシリーズを紹介し始めて、おそらく収益的にも安定し始めたんじゃないかと思う。
ハヤカワFT055。妖魔(他作品で言うところの精霊的存在)の真の名を掴んで指輪に封じることで魔法を使う青年クレイを主人公とした上下巻。魔法の不可思議さや、おとぎ話的な雰囲気がどこまでも魅力的な作品。寓話的なストーリーとあいまって、「ファンタジーモノの原点ってそういえばこんなだったなあ」感ある。ネバーエンディングストーリー的な意味で、読者はその世界の脅威に魅了されながら読むという今では廃れきったスタイルの佳作。
ハヤカワFT055。やったー! みんな大好き俺TUEEE。序盤は地に足の着いた泥臭いファンタジーなのだが、異次元世界の魔術先進帝国から侵略をきっかけに主人公の少年が段々と魔術の才能を開花させて、無数の次元の秘密に迫る大魔術師に成長する話です。能力的なインフレもするんだけど、世界観や物語の構築がしっかりしているせいでご都合主義的な匂いはなくて、古代の英雄譚な味わいになっていくのが面白い。
FT106。大傑作大名作。指輪物語と同じような「グループが使命を果たすために旅をする物語」なのですが、読みやすさといい感情移入といい、こちらの方を押したい。メンバーが皆魅力的です。ウルフおじいさんとこそ泥王子のシルクはファンになっちゃいますね。ぶっちゃけこのシリーズがあるだけでハヤカワFT黄金時代だったと思う。
このシリーズは「ベルガリアード物語」が全5巻、続編となる「マロリオン物語」が全10巻あるので、シリーズ好きな人にはたっぷり楽しめる。。
FT137。シリーズじゃなくて一冊読み切り。現代(というか、今現在からするとちょい前?)くらいのロンドンを舞台としたファンタジー。高層ビルの屋根や屋根裏をすみかとして、ワイヤーとリールで空中を移動しながら生きている一族という、「現実世界にもファンタジーはひそんでいるんだぞ」設定がまず魅力的。子供の夢想みたいなのを実力ある作家が物語にしちゃったケースなので、読後の「もしそうだったらなー」というファンタジー特有の酩酊みたいなのが味わえます。
FT308。全五部作予定だったシリーズの最初の一巻。いろいろあって三巻までしかでなかったのだけど、話自体は一巻完結なので特に問題はない感じ。架空の中国唐代を舞台にしたチャイナファンタジーに、古典中国のアレヤコレヤを詰め込んだ、最高級の「ほら話」。文章には癖があり、何より密度がめちゃくちゃ高いので活字を読み慣れない人は体力を消耗しちゃいかねないんだけど、皮肉とブラックジョークの影に描かれた物語はびっくりするほど美しい。主人公コンビ、力持ちだけが特技の農村の垢抜けない青年十牛と、老賢者(というかイカサマ師)の李高老師は、ちっともヒーローらしくないデコボココンビなのだけど、迷宮、幽霊、過去の因縁話、宮廷につきもののスキャンダルをくぐり抜けていくと愛すべき人物だと気づく。ラストシーンは本当に素晴らしい。
伊藤詩織氏と山口敬之氏との件について、最初の彼女の会見から、事件の本質と関係ないことも含めて多くのことが語られ、多くの人がその事件の本質と関係ないことに気を取られてややこしくしてるように見えるので、整理する意味でちょっと書く。
実際、「レイプがあったかどうか」という核心にだけ絞れば出来事はかなりシンプルだと思う。で、先に結論めいたことから言うと、(真実はひとつだとしても)今回の両者の言い分や状況から第三者が客観的に判断しようとした場合、どちらかが間違っててどちらかが正しいということだけでなく、ある程度のところまで両者の言い分がともに正しいという可能性がある、ということを考えてる。
まず、俺はとりあえず男な(一応、これは最初に言っておこう)。伊藤詩織氏の最初の会見、先日のFCCJの会見をはじめ、公になっているインタビュー記事やそれへのネットの反応などは一通りチェック済み。Blackboxは申し訳ないが未読。山口氏のフェイスブックでの投稿や先日上がったHanada動画は視聴済み。
法律の専門家じゃないのでそのへんの解釈や定義は曖昧なところあるかも。いずれにしても素人の感想ではあるので、そのつもりで。
就職を斡旋してやるからセックスさせろとか、就職を世話してやる俺の酒は断るな、ということはなかったようなので、そういう点でのセクハラ、パワハラ、アルハラというのは除外していいよね。あくまで二人で食事に行ったきっかけに過ぎない。
これは重要かつ決定的物証となり得ると思うけど、実際どうだったかを今の段階で科学的に検証できないのであれば、この論点に拘り続けることはできない。
この辺はやや重要なところではある。刑事事件としては一応結論が出てしまったわけだけど、この件の本質的な争点は、当時の伊藤氏の状態が準強姦の定義である「心神喪失」「抗拒不能」に当たるかどうかだと思うから。
でも、タクシーの中では「駅でおろしてほしい」とわりとまともなことを言ってたようだし、このタクシー運転手の証言だけでは、山口氏が挿入した際に「心神喪失」「抗拒不能」だったとまで断定することは難しいだろうと思う。一目撃者に過ぎないのでは。
これについては山口氏がHanadaの動画の中で自分で確認したと言っているが、伊藤氏はふらふらながら自分でカバンを抱え、自分の足で歩いていたという。ここで伊藤氏の主張と食い違いが見られるが、民事でこの映像が証拠として出ればはっきりするはずなので、これ以上はここでは触れない。何か明確なものが写ってることを願う。
2軒目の寿司屋のトイレあたりから記憶を失っていた伊藤氏。目を覚ましたときには山口氏に挿入されていたという。それに対して山口氏は、伊藤氏は嘔吐して水を飲んだり土下座して吐いたことを謝ったりしていたという。ここは完全に二人にしか分からない上に、伊藤氏は自身でも記憶を失くしていたと言っているので、証言という点で伊藤氏は不利にならざるを得ないだろう。
ここで俺が引っかかったのは、「行為中に目を覚ました」ということだ。
ちょっと本筋から外れるけど、これまでいろんなテレビドラマや映画、漫画など創作の世界(敢えていうが欧米のも含めて)で、羽目を外して飲み過ぎて記憶を失い、翌朝目が覚めたら見知らぬ男の部屋のベッドで事後だった、みたいなのってあるよなぁって。
物語だと、だいたい自分の失態として、あちゃーやっちゃった、みたいな後悔と二日酔いを抱えてとぼとぼ家に帰るってことになるんだけど、考えてみれば、それもほとんどレイプ(準強姦)と同じなんだなってこと。だけど、自分が楽しく酒を飲んでたっていう記憶と、行為中の記憶がないっていうことによって、「レイプだ」とまではなかなか本人(また、そういう創作物を見ている側)は思わないというのも、人の心理というか、人情なのかもしれない。
(断っておくが、俺は、だからこうした演出や筋書きをすべて準強姦的だと非難したいわけじゃないし、そういう女性は「レイプ被害者」だと自覚を持てとか言いたいわけじゃない。まあ、なんていうか人の営みってそういうところあるよねって感じ。何でもかんでも法律だ警察だってことではないだろとは普通に思う)
ともあれ、伊藤氏がここまでこの件を引っ張るのは、行為中に我に返ったからで、実際に痛みと恐怖を感じたからなんだろうな、と察することはできる。
あと、アルコール性健忘症というのもなかなか厄介だ。その時は普通に受け答えをしているけど後になると本人は覚えてないってやつ。これも、後から本人がそういう状態にあったということを科学的に立証することはできないんだろう。
この件を、確定的な出来事に即してシンプルに見れば、男と女が飲みに行き、女が飲み過ぎか体調不良で意識が朦朧とし、男がホテルに連れ込んでセックスがあった、という、ありきたりといえば言い過ぎだけど、珍しくはない話でしかないだろってこと。そして、アルコール性健忘症を鑑みたときに、伊藤氏と山口氏のどっちが正しいということでなく、伊藤氏が記憶を失くしているときに山口氏の主張したとおりの行動をしたのかもしれず、たまたま挿入中に目覚めた伊藤氏が痛みと恐怖で逃げ出した、という、両者の言い分が相当なところまで両立することも有り得るんじゃないの、という可能性を指摘したかった。
だって、最近伊藤氏の応援側は、酩酊した女性を病院に連れて行かずにホテルに連れ込むとは何事だ、ぐらいなことしか言えなくなってんだもん。いやまあ、そりゃあそうだけどさ。実際、本当に明らかになっていることで第三者がはっきり言えるのってこれぐらいのことなんだよな。そりゃメディアも取り上げにくいだろ。
伊藤氏がまるきり嘘ついてるとは思わないし、望まない性行為があったのは事実のようだからいろんな意味で彼女の行動が報われてほしいと思うけど、実際、これからメディアで発言していくにしても、「刑事事件としては不起訴処分」みたいな注釈をいちいちつけられるわけだろ、なんか運が悪いっつーか。
で、最後に、敢えて触れなかったが、逮捕状が出たけど直前でもみ消された件。
人によっては、この点こそがこの件の本質だと思ってるんだろうが、これについては俺にはよく分からん、ので特に言えることはない。そもそも、ここまで書いてきたようにこの件で本当に客観的に準強姦が立証できるかというのもなかなか難しいんじゃねって俺は思ってるけど、実際に政権上層部の人間の恣意的な判断があったならぜひ明らかになってほしいとは思う。安倍政権にかかわらず、権力に何ができるのかということは国民は知るべきだろ。
以上、読んでくれてサンクス。山口氏に肩入れするつもりはないけど、まあ、そう読めるかもしれん。何度も言うように伊藤氏が嘘をついているとも思ってないので、山口氏に味方していると言われるのは本意じゃない。念を押すが、両者の言い分がある程度までともに正しいという可能性がある、ということを主張したかっただけ。あと、行為中に我に返ったというところが事態のかなり大きな分かれ目になってるのでは、ということは言われてないように思えたので。大した結論出てなくてすまん。民事でどうなるかは、ここで俺が書いた以上の決定的な新事実が出てこない限り、どっちかが完全勝訴みたいにはならないんじゃないかな。まあ、裁判のことはよくわからんが。最後に、デートレイプドラッグはきちんと啓蒙すべきだ。これ大事な。
大麻草は、日本に広く自生してる植物。ほとんど雑草と言っても良い。種を撒いときゃ生えてくる植物は全面合法化と共に商品価値はほとんどなくなる。ビジネスにもならないし、税収にもつながらない。しかも、日本では現状そこまで大きな裏ビジネスではないから大規模な犯罪組織を壊滅させるというようなメリットもない。かといって、少ないながら依存性があるのはもちろん、酩酊効果もある。未成年の使用、運転時等の新たな法整備がいろんな場面で必要になってくるし、大麻絡みの副次的犯罪もでてくる。
こういったリスクからもともと定着してない嗜好品をいきなり全面合法化するなんてバカなことは絶対しない。あり得るのは、当然世界の潮流の非犯罪化や医療大麻の合法化の流れだろう。まず、非犯罪化に関しては上に書いたような取り締まりが増えることを考えれば、非犯罪化することのデメリットの方がかなり大きいだろう。一方メリットはこれといってない。ヤクザを追って大きなしのぎにならないようにコントロールしてるほうが警察としても楽だ。
問題は医療大麻の合法化だが、多くの患者が大麻の合法化を待ち望んでるというのは知ってる。大麻の代わりとして機能する薬が十分用意されているという意見もあれば、選択肢は広い方が良いという専門家の意見もあって難しいところだ。どちらも間違っていないのだろうが、専門家でないから必要性の度合いが感覚的分からない。だから、この点に関して答えが出てないというのが本音だ。
ただ、最悪なのは合法化の議論だけして大麻の物質的安全性を周知し結局何も変えないという結論を出すことだ。それでは、ヤクザのしのぎとしての大麻市場を潤すプロモーションにしかならないからだ。そして、日本の場合その可能性が十分あると俺は思ってる。全然、ギャングの拡大に関する危機感、緊迫感がアメリカなんかと違うんだから。
聴いてるだけで、幻覚が見えそうなぐらいの酩酊感を覚える。それでいてどこか叙情的。
後半から入ってくるラップのねっとりしたグルーヴも、また良い。
ビヨンビヨンしたベースが印象的。対照的に、ボーカルは爽やかでエモい。
ドリーミーな中盤から再びビートに回帰する時、現実に引き戻される残酷さを感じる。
悪夢が見れそう。
アカシア根皮茶(ACRB)を試す機会があったので、様子を書いてみる。
例えば飲酒したとき、吐く寸前くらいの酩酊時は、気分が大きくなり、説教を垂れたり思考が飛び飛びになったりする経験がある人も多いと思うが、この草の場合は酩酊と同時に視覚と聴覚の幻覚も一緒に楽しめる。
(効果は人によって異なり、効かない人はアルコールの悪酔い程度にしかならない。自分は多いにキマった)
試してみたい場合や調べてみたくなった場合はこのURLから辿っていけば一通りを知ることが出来る。 http://storys.jp/story/24344
13:20 アルコールの酩酊に近い状態になる。寝転がっているのが楽で、座っているのが面倒に感じる。目を閉じていた時にも視界に液晶モニタを間近で見たようなツブツブが見えてくる。
13:30 目を開けていても、気を抜いていると何も無い白壁や、陶器の皿にプリズムのような幾何学模様のパターンが見えてくる(ルイス・ウェインのフラクタルな猫のような見え方)白い皿の輪郭部分から色収差のように赤と緑の線が見える。
13:32 気分が悪くなり、嘔吐。体温が低く感じる。
13:40 目を開けて意識をしっかり持っている時はアルコールの酩酊と同じ感じ。目を開けてぼーっとしていると視界が何重にも見え、幻覚の幾何学模様のパターンが更に激しくなる。この視界が何重にも見えるのをぼーっと楽しんでいるだけで多幸感がある。目を閉じていても、フラクタルパターンやモノクロの部屋など、各種幻覚が強制的に見られる。
14:00 感覚の鋭敏感のピーク。瞬きしたときの視界の変化が知覚できるようになる。蛇口から水がポタポタ落ちる環境音などにタイミングを合わせて視界が歪む。毛布や服の感触に安心感を覚える。同居人に現在の様子を説明するときに、自分の心情や見えている物が伝わらないのがもどかしく感じる。
14:10 音楽や映像を摂取すると精神が持って行かれそうな状態になる。音楽や映像を全部止めて、ぼーっと天井を見ている。その時に天井のシーリングライトの丸い形状が愛おしく感じる。角張ったものに対する忌避感がある。
14:30 思考が断片化しているのを自覚する。喋ったり文字を打っている途中にもう別の事を考えてしまい、発話がおいつかなくなる。おそらく、ボイスレコーダーをセットしておいて独り言を言い放題にしておくと、後で聞き返して悶絶しそう。
15:00 視覚と聴覚の幻覚や幻聴が無くなる。以降は酩酊した状態に近い精神状態。連続した思考が出来なくて、自分の意思と無関係に考える対象がポンポンと飛ぶのが、まるで自分の頭が良くなった、悟りを開いた、と誤解してしまう。
16:00 酩酊も一通り収まり、外に出る。太陽の光がまぶしい。
まとめ
ここまでキマると思っていなかったので、音楽や映像の用意をしていなかったのが悔やまれる。人と話していたいのか、映像を流して視覚がめちゃくちゃに過敏になっているのを楽しみたいのか、ぼーっとしていたいのか、の様に方針を決めておくほうが良い。