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はてなキーワード: 北樺太とは

2024-03-31

anond:20240331082200

ソ連終戦間際まで日本軍部を支援してたんだよ😡

学校北樺太石油油田のことを習わない日本人バカなんだよ

鬼畜米英石油禁輸した酷い!」じゃないだろ

だって満州石油は日米韓合弁企業だったんだから

歴史大嘘こいてる教師死ね

2023-09-20

anond:20230920131339

満鉄海軍派はわりと親露だろ

北樺太石油関係でまだサハリンの掘削設備利権もあるし

米国ロシア経済制裁によって彼らも牽制していると思うよ

原発村にも旧満州二世かい

司法起訴便宜主義大元ソ連法だし、司法制度英米法よりそっちに似てそうだし

2022-06-13

anond:20220609131448

 新潟まで陸路二日、そこから朝鮮海運の船に割り込んで海路で六日。ようやくウラジオストック到着の報を聞き、甲板に出ると雪がちらついていた。その冬時江が初めて目にした雪であった。

 まだ岸までは五キロメートルほどあったが、灰色景色に沈む懐かしい街が小さく見えていた。しかし懐かしいのは地形ばかりで、港には見慣れぬ高い塔が立ち枯れた林のようにいくつも屹立し、その先端からは黒雲のような煙を絶え間なく吐き出していた。

「あれがぜんぶ煙突か」

発電所です。燃料は石炭で、北樺太にあるのと同じものですな」

 無意識につぶやいた言葉に応じたのは、大太鼓のように太く響く男の声だった。白髪時代遅れの髷に結い、顔の下半分は髭に埋もれた野武士のような容姿だが、ほんの少し前までこの国の老中だった男、遠藤である

「四郎左衛門。あまり寒いところへ出てきては体に障るのではないですか」

「私はすでに四郎左衛門ではありませぬ」

「……そうでした。遠藤殿」

 思わず在職中の感覚で呼びかけてしまい、時江は気まずく言い直した。遠藤、かつての遠藤四郎左衛門蓬莱は本人の言う通り、頼みもしないのに城を下り、この旅に随伴してきた物好きな男だ。

開国して間もない頃、研修にてシベリアを回りました」

「それは初耳です。ウラジオストックへも?」

「無論です」

「どう思いました」

 そう尋ねたのは、ふと、遠藤自分故郷をどう見たか、興味が湧いたからだ。しかし帰ってきたのは時江の思いもよらぬ答えだった。

2022-03-06

anond:20220304161941

日本経済制裁海上封鎖原油輸入ができない状態

どうして真珠湾のあと4年間も戦争継続できたのかね

ソ連日本原油供給していた可能性を考えないと辻褄が合わない

 

南樺太北樺太と陸続きで日本の大きな製紙工場があった

日露戦争のあと南樺太日本領土にしたのも

イギリス黄金バッタのたくらみだったかもしれない

2022-03-05

ロシアボコられたせいで樺太中国に取られてしま

この戦争で間違いなく現在ロシアはなくなるだろう。そうなった場合中国樺太を取りに来るのではないか?と考えている。

樺太ってロシアのものだと思われているけれど、一応南樺太帰属国際法上決まっていない。

千島樺太交換条約で交換しただろうと思うかもしれないけれど、交換したのは北樺太だし、交換したのは千島列島であっていわゆる四島でもないけど(共産党支持者のはてなーはよく知っていることだろう)。

北方領土はともかく、南樺太に関しては中国自分のものだと言ったところで国際法おかしな主張ではない。

中国ロシアは仲がいいみたいに思われがちだけど、アメリカという共通の敵いるか私たちからはそう見えるだけで、シベリア中国人が勝手に入ってくるものからロシア国内シベリア移住者補助金を出して移住を促進しているし、シベリアを守るみたいな発言ロシア政治家によくみられる。

極東においてロシア中国は今までもバチバチやっていたわけ。

シベリアガス田開発も中国じゃなく、日本に声をかけていたし。

そんなロシアボコられて力を失うと、中国シベリア樺太進出するのは間違いないと思われる。

さすがにシベリア直接支配ではなく、独立させて中国傀儡国家になるとかだろう。

ただ樺太は直轄にしたいはず。

仮に、中国南樺太を取るとどうなるのだろうか。

北海道との国境がごく近くなるけれど、さすがの中国北海道への野心をむき出しにして睨みをきかせることはないだろう。

北海道がなくとも南樺太があれば太平洋にも出やすくなる。

北極海ルート拠点として樺太軍港になるかもしれない。南シナ海における牛の舌のように領海の主張を強めてくるだろうか。

そして、アメリカはそれを黙って見ているのか。

そんなはずがない。

樺太中国の手に入れば、いよいよアメリカ本土中国の野心の前にさらけ出されることになる。

今回のウクライナへの侵攻は間接的ではなく直接的に日本へ大きな影響を与える、そう考えている。

2022-03-04

anond:20220301134149


大鵬 幸喜(たいほう こうき、1940年昭和15年5月29日 - 2013年平成25年1月19日)は、北海道川上郡弟子屈町(出生地樺太敷香郡敷香町、第48代横綱本名は納谷 幸喜(なや こうき)であるが、出生名はイヴァーン・ボリシコ(Иван Маркиянович Борышко)で、ウクライナ人の父の血を引いている。一時期は母親再婚によって住吉 幸喜(すみよし こうき)と名乗っていたこともあった。

父のマルキャン1885年1888年ウクライナ東部ハリコフ県ザチピーロフカ地区ルノフシナ村に生まれた。ロシア帝国による極東移住の呼びかけに応じた農民の両親とともに、樺太に入植した。1917年ロシア革命が起こると、北樺太アレクサンドル・クラスノシチョーコフの極東共和国に組み込まれた。1918年北部州都アレクサンドロフスク市のロシア移民未亡人結婚して一女をもうけた。その後、極東共和国が消滅北樺太社会主義化が進むと、

革命政権を嫌って1925年にマルキャンは単身で日本治政下の南樺太の大泊(現:コルサコフ)へ亡命した。

 
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