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はてなキーワード: 私小説とは

2020-02-06

え、なろう小説って「こうだったらいいのにな」っていう理想投影するものでしょ

最強の力と無限財産神様からもらって、余力で人助けして感謝されるって、最高じゃん

リアリティ()がほしいなら、私小説純文学でも読んでろよ

2020-01-30

anond:20200130144933

いちおうざっくり試験は終わっている(私小説設定とする)

現行のWindowsとする(32、64問わず) AD対応

UTF8とするが、対応するフォントが無い場合対応すること

エンドポイントがある場合あり 現局対応不可 ログのみ サポセンあり 他社

管理工数など評価 UAC任意 B2B B2C

 

anond:20200130145115

が、当然そんなもの、お客が増えて問い合わせが殺到するとぶっつぶれる

 

そこで、こういうフェーズカスタマイズが入れられる技術者を育成して

ある程度体制ができたら、営業強化という

開発ならではのあるある私小説同人誌風に書いている増田でっす。みなささんよろしくお願いいたします。

2020-01-29

私小説SS

 

AKBに伝わる、お前ならできる!という助言をするセリフ

2019-10-02

日本漫画(の一部)は私小説

漫画小説の訳がない。

そんなことは分かってる。

2019-10-01

素人童貞になって逆に絶望感が増した話

29歳非正規雇用低所得の俺が、会社の先輩に連れられてソープに行って玄人童貞卒業してから一ヶ月くらい、精神不安定になっている。今日もこれを書く前に軽く泣いてしまった。

先に言っておくと、ソープ体験自体は本当に素晴らしかった。尊敬できるくらいにかっこよくてキレイ女性の方に、筆おろしさせて貰えて、童貞なりに自分でがむしゃらに腰を振って(ゴム越しだけど)膣内で射精が出来た、というのは、下手したら人生の中で一番充実感のあった瞬間だったように思える。

もし俺がこれから自分人生と向き合って、恰好良くなって、そういうやり方を学んで、この人が良いと思えた女性と結ばれたなら、俺は今度こそ本当に幸せになれるかもしれない。というか、そもそも俺はそういうことを望んでいたのだと、この体験を通じて身を持って思い知ったような気分だった。

童貞ソープに行けだの、風俗人生が変わっただの、と言うけれども。俺から言わせれば、人生はちっとも変わらないけれども、人生観は十分に変わりうる体験なのだ

で、それから俺は、無頓着に等しかった服装にも気を使うようになり、オーラケア洗顔を念入りに行うようになり、体臭にも気を使うようになった。元々、一年くらい前に体重が百キロを越えて「あっ、俺このままだと死ぬな」と思い、通い始めたジムも、今まで以上に気合を入れて通うようになり、今年中には90キロを切りそうな勢いだ。それでも、やたらと汗っかきな自分身体結構本気でコンプレックスになり始めている。

今の環境だと出会いがなさすぎるので、マッチングアプリも始めた。まさか自分がこういうアプリ登録して、例えば自分写真プロフを載っけて、女の子に片っ端からいいねだのナイスだのを送るようになるとは思わなかった。

でも、上手くいかない。いいねはぜんぜん返って来ないし、マッチングしてもただマッチングするだけで何も返ってこないことがほとんどだ。一度だけ話がものすごくはずんだ子がいたけれども、結局会うことさえ出来ずにフェードアウトされてしまった。

そりゃそうだ。俺、二十九歳。先述の通り非正規雇用フリーランス、というとそれっぽいけれども、要するにコネで入った雑用係に過ぎない)。年収でいうと、300万にギリギリ届かないくらい。手取りはそこそこ貰っているけれども、保険厚生年金もないどころか、フリーランスから交通費さえ出ないのだ。

そもそも俺は短期離職を繰り返してる人間だ。一番最初ブラック営業はいざ知らず、倉庫業、WEBゲーム管理インフラエンジニア……全部正社員か、または戦力として期待されていた業務委託だったけれども、全部一年ももたずに辞めてしまっている。業務委託を抜きにしても、笑えるだろ? 正社員一年行ってないんだぜ? 29にもなって。最後インフラエンジニアは二ヶ月で辞めてるしな。なまじ導入研修で優秀っぽく振る舞ったせいで、「構築」っていうちょい上流工程からいきなりスタート出来る代わりに、めちゃくちゃスパルタ研修に行かされて、そこで潰れて休職してやめてしまった。それで二年くらいアルバイトに行っていた出版社ほとんどコネで拾われて、今の立場というわけだ。

それから、俺はいわゆるクソワナビだ。小説家ラノベ作家)になりたいなりたいとずっと思っているけれども、長編なんてちゃんと書けた試しがない。たまに大学文芸仲間に小説を読ませても、いつも微妙な顔をされて酷評される。大学OB誌を出して、自分以外の部員たちが「これ面白いね」「あー俺これめっちゃ好き」「流石○○だわー!」と褒めあっている中で、自分一人だけが微妙な顔をされて、あれが駄目これが駄目と言われる状況の惨めさが分かるだろうか。一度、ライターテストのようなもの試験合格して、シナリオを書いていた時も、ぜんぜん書けずに遅刻を繰り返し、期待してもらっていた上にこっちも尊敬していた先輩に「貴方は足手まといです」と言われた時の絶望感を俺は今でも覚えてる。そもそも、この文章だってへっっったくそで読みづらいだろう? 今、自分負の感情をこうバーって書いてるからってのもあるのだけれども、要するに俺は、今まで大した努力もしてこなかったクズなのだ

さらさらに、お恥ずかしながら俺は未だに実家ぐらしで、その上母と折り合いが悪くていつも喧嘩ばかりしている。ある時、「お母さんってぶっちゃけ俺のことどういう人間だって思ってんの?」と聞いたことがある。逆に「じゃあお前はお母さんのことをどう思ってんだ」と聞かれたので、「ものすごく色んなことを我慢して一生懸命頑張ってる人」と答えたのに対して、母は俺のことをなんて答えたと思う?

「思いやりがない」「自己中」「物事を深く考えすぎ」……。

ああ、俺、やっぱり母親に嫌われてんだなぁって思った。少なくとも母親にとって俺という存在は、決して誇れる存在じゃねーんだなって思った。下手したら居なくなって欲しいって思ってんじゃねーかな? 俺は親父は死んでいるけれども、母はもし時間が戻っても、決して父とは結婚しないと言っていた。

要するに、自業自得なのだ。俺が低所得で、年齢=彼女いないで、社会人として全くの無能なのも、全部俺が悪いのだ。性格も悪ければ、それを治そうという努力もしないし、それを補ってあまりあるような能力だって何一つない。正直、俺が今のこの立場でなければ、ワナビだって辞めている。今は逆に何もなさすぎて、ラノベなんていう今やすっかり斜陽になった業界で、「年収300万が400万くらいになったらいいなー」みたいな情けのない望みにすがって、書けもしないラノベを書こうとあがいているのだ。あがいているアピールをしているだけなのだ

こんなことなら、あんなに素晴らしい女性とのセックスの素晴らしさを知ってしまたことで、こんな風に情けのない自分自身と向き合うことになるくらいなら、俺は玄人童貞なんて捨てなければよかった。童貞童貞らしく、みっともなく逃げ回るべきだったのだ。

その癖に、俺は諦めきれないのだ。今からでも頑張れば、俺はかっこいい人間になれて、ラノベ作家にもなれて、俺が選んだ女性と結ばれて、幸せになれるかもしれない、なんて望みが頭をかすめてしまうのだ。

ソープにいって男としての自信がついた、みたいな話もあるけれども、俺から言わせれば「自信がつく」のではない。「俺が俺であるために雄として強くならなければならない」という強迫観念に襲われるのだ。それが結果として「自信」に見えるようななにかになるのかもしれない。でも、その裏で、そのような強迫観念に潰されそうになっているのだ。

ああ、無駄に長くなってしまった。こんなクソ下らない素人童貞煩悶にこんな長文を使うことがもったいない。こんなことを書き連ねても、どうしようもない29歳素人童貞の惨めな自意識しか出てこないのに。こんなことばかりはいくらでも書けるのに、小説なんてぜんぜん書けない。だからいつまでたっても上手くならないし、面白いという言葉をかけてもらえないのだ。

最近書いた小説を、たまたまコネで知り合えたフリー編集者に見せる機会があった。

「本気でこれをエンタメだと考えてるなら向いてない」「やっぱりこの人は純文学を書くべきだ」

うるせえよ。純文学なんて誰が書くか。こんなくっそくだらねえ自意識グダグダグダグダグダグダグダグダグダ書いて、「これが純文学でござい、芸術でござい」なんてほざくような人間になるくらいなら死んだほうがマシだ。

俺は純文学ライトノベルも大好きなんだよ。だから純文学なんて書きたくないし、ライトノベルを書きたいんだよ。

だって自分自意識くそみたいな私小説風に書いたら、そんなもの純文学に対する侮辱しかならないから。そうなるくらいなら、俺はライトノベルという土俵で、みんなに面白いと思ってもらえるような小説が書けるようになりてぇんだよ。

からこんな下らない自分邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔だ。自分なんていらない自意識なんていらないただただみんなが面白いと思うものを書き続けられるロボットになりたい。こんな悲観なんて捨てて、みんなが喜んでくれるような楽観を書けるような人間になりたい。

だって、きっとその方が、俺がいいなと思えるような女の子だって振り返ってくれるだろう? そういう人間になってしまえたほうが俺は幸せになれるんだろう?

「いちいち考え過ぎだよ」も「深く考えすぎるなよ」も「自分を変えるしかないんだよ」も「何回も同じ失敗をするなよ」も「お前はこんなことも出来ないのかよ」も「コミュ障」も「キモい」も「要領が悪い」も、十回くらいは死に到れる程度には、言われ続けてきた。

それでも変われなかった、俺は変われなかったんだよ。むしろそうやって変わっていった連中を、そういうことを言う側に回った連中を、俺は憎むようになったんだよ。

なあ、誰か助けてくれよ。マジで。こんなどうしようもない俺を、誰か助けてくれよ、頼むよ、なあ……。

追記

「あーあムシャクシャしてやっちまった。ここ増田だし、さぞや死にたくなるような集中砲火をくらいまくるんだろうなー」と思っていたら、案外温かみのあるコメントが多いですね。ありがとう。今はちょっと精神が落ち着いてるから、お礼だけでも言わせてください(お礼だけ言って去るとは言っていない)。

全ての始まり会社の先輩にソープに連れて行って貰ったことだけど、その時は「金払って玄人童貞捨てたところで俺みたいなクズが変わる訳ねーじゃんバーカw愛のないセックス如きネタにしてくれるわw」みたいな気持ちだったんですわ。元増田にも書いた通り、嬢がすごく良い人で。こういうかっこいい女性を、自分の力で口説けるような男になりたいな、という感情を五百倍くらいグチャグチャにしたような情念が急激に襲ってきまして、で、今に至るというわけです。

ごく端的に、俺はあまり人生無駄に過ごしてきてしまいました。呑気に童貞やってる場合じゃなかったんだな、と(まあ素人童貞なんて実質ただの童貞ですわ、あはは)。

正直、どーせ結婚恋愛も出来ないし、俺は作家にはなれそうもないし、社会人的にも救い難く無能からあとはゆるゆる詰むだけですね、こんなヤベー奴の人生女性を巻き込みたくないし、なんて他人事みたいに思っていたわけですが、それが全部ひっくり返ってしまって。今からでも人生をもう一度考えなくては! みたいな事態なわけなんです。

「あの夜を自分の手で取り返せるのならば、俺は命だって賭けられる」

結構マジで、そんなことを思いながら今は生きています。でも、それと同時に、そう決意するにはあまりに遅すぎた、という思いも拭えません。まあ実際のところ、命は賭けられんからな。恋人でもないどころか友人ですらない人間のために命賭けるとかないわー

でも、僕は僕の玄人童貞を奪ってくれた嬢のことは、恩人だと思っています純粋に、感謝しています。命は賭けんし、金がなけりゃ行かんけどな。

というわけで、「俺は強くなる、強くなるんだ!」と力強い決意がみなぎることもあれば、「俺はもうだめだ……俺の人生は惨めなままなんだ……」と死にたくもなる、みたいな躁鬱的日常を今は過ごしていますまぁなしろ、29歳非正規低所得なんてそりゃ普通なら積みだからな! ガハハハ!

俺は本当に、社会人としてはあまり無能です。少なくとも営業絶対出来ないなー。だから俺はどうあがいても稼げん人間なのです。作家目指すほうがまだマシ、というレベルで。

でも、取りあえずあがいてきたいとは思っています。この投稿はその一環で、ぶっちゃけ、「自分の赤裸々な感情小説ですらない文章にして不特定多数に読んでもらい、忌憚のない意見を貰う」みたいな経験、なかったわけですよ。純粋に、すげー勉強になりました。しっかし俺、マジで経験値低すぎだな! ガハハハ!

というわけで、お付き合いいただきありがとうございました。

以降は追記はせず、適宜気になった方、特にお礼なり質問なりなんなりを言いたい人に、個別コメントしていきます

2019-08-22

「お薬の時間ですよ」「読解力がない」みたいな常套句だけで書き込みしてる匿名投稿って非常にインターネットという気がして嫌いじゃないです。

人間の脳はきちんと考えるように出来てないけど格好はつけたい、そういう自我人間にはあるんですよ。自我を描くことは私小説に近いですね。

文学文学。ぺったらぺたらこぺったっこ。

2019-08-17

同人私小説 ごんぎつね

男はごんぎつね毎日いたずらされながらも

一生懸命ごんぎつねに尽くして

長生しろよと大切に共同生活をしていました

 

あるひ猟師がやってきて

このへんに悪いきつねがいると聞いてやってきたと

猟銃を見せました

2019-08-12

追記あり古市憲寿さんが芥川賞選考委員にいろいろ言われちゃってる件

10日発売の『文藝春秋』に芥川賞の選評が載っていて、二回連続落選した古市さんがいろいろ言われている。

候補作は単行本出版されているが、まだ読んでない。だが、高学歴なのにビルの窓の清掃員をやってる主人公の話で、参考文献が詳細にあげられているらしいことは、なぜか知っている。

参考文献については、前回だったか候補作の剽窃問題があって、その辺の対策らしいと噂されていた。

で、選評である

まず山田詠美はこう書く。“(参考文献の)木村友祐作「天空絵描きたち」を読んでみた。

そして、びっくり! 極めてシンプルで、奇をてらわない正攻法候補作よりはるかおもしろい”

候補作が真似や剽窃に当たる訳ではない。もちろん、オマージュでもない。ここにあるのは、もっとずっと巧妙な、何か。それについて考えると哀しくなって来る”


続いて川上弘美。“結論からいいますわたしは悲しかった。木村友祐さんの声がそのまま「百の夜は跳ねて」の中に、消化されず、ひどく生のまま、響いていると、強く感じてしまたからです”

古市さんのおこなったことは、ものを創り出そうとする者としての矜持にかける行為であると、わたしは思います


吉田修一。“本作に対して、盗作とはまた別種のいやらしさを感じた”

あいにく『天空の…』の方は書籍化さえされておらず入手困難であり、まさにこの辺りに本作が持ついやらしさがあるように思う。”


堀江敏幸。“他者小説の、最も重要な部分をかっぱいでも、ガラスは濁るだけではないか”(原文では「かっぱいでも」に傍点あり)




要するに、古市さん、文芸誌掲載されたが出版されていない佳作を探してきて、うまいこと翻案して小説書いたようである

いや、具体的にどの程度の参考具合なのはかめてないので、なんとも言えないが、当代きっての作家先生方が、かなり憤っておられるようなので、相当なものなんだろう。

是非比較して見たいところだが、「参考文献」の方は、『文学界2012年10月号、だそうなので、確かめるには、図書館バックナンバーを出してもらうしかなさそう。

にしても、古市さん、お忙しそうなのに、純文学文芸誌まで必死にあさって「参考文献」集める努力は大したもんだが。

まあ「情報集め」は嫌いじゃなさそうだしな。

まさかとは思うが、担当編集者うまいこと見繕って選んだのを古市さんに読ませてるとか、そういうことじゃないよね?





参考文献問題に触れてない選評にしても、あまり芳しくない。

島田雅彦曰く“ナルシスト的私語りが中心で、リアリティ構築に必要な細部も情報パッチワークに終始しているのが気になった。”

宮本輝は“他の登場人物たちがみな類型の寄せ集めなのだ。”

どうやら評価したのは奥泉光だけで、“今回自分が一番押したのは、古市憲寿氏の「百の夜は跳ねて」だったが、選考会の場で評価する声はほとんど聞かれず、大分弱った”そうである

“外にあるさまざまな言葉コラージュして小説を作る作者の方向を、小説とは元来そういうものであると考える自分肯定的に捉えた”そうだ。

ここには、小説における“オリジナリティ”とは何か?という問いが含まれている。

ま、小説なんてそもそも「すでにある言葉」の組み合わせでしか書けないじゃん、というのはある。

で、ありものコラージュでも新しいものが生まれればいいけど、山田詠美は「参考文献」の方が「はるか面白い」って言ってるしなあ。

吉田修一は、「参考文献問題」以外にも手厳しくて、“凡庸差別的価値観主人公小説で書いてもいいのだが、作者もまた同じような価値観なのではないかと思えるふしもあり、とすれば、作家としては致命的ではないだろうか”なんて言っちゃってる。

これは、社会学者にして人気コメンテーター(タレント?)としての活動にも少なからず影響しそうな評価だと思うけど、ま、芥川賞の選評なんて、今時の世間に影響力なんかないのかな?




古市さんという人、本をちょっと読んだことがあるのと、時おりメディアでお見かけするだけで、どんな人か詳しくは知らない。

ただ、妙に芥川賞を取りたがっているらしいという噂は聞く。

なんでだろ?

“気鋭の若手社会学者”も“テレビ毒舌が人気の論客”も、実に空虚脆弱肩書きで在ることに、ご本人が一番気づいているということだろうか?

そこで、「学者として研究に力を入れる」ではなく、「いい感じの小説を見つけてきて、うまいこと翻案して芥川賞ねらう」って辺りが、実に薄っぺらいけど。

テレビ知名度得た人が芥川賞狙うって図式では、又吉直樹といつ成功例がある。

あの「火花」という作品が、そこまで傑作かどうかはともかく、この人は本当に、太宰治を筆頭に、文学というものが大好きで、おそらく文学に救われたという経験を持っていて、文学リスペクトしていることが端々から伝わってくる。

文学に対して真摯謙虚なんたろうな、と感じられるのである

片や古市さん、文学とか小説とか、本当にお好きなんだろうか?

あんまり文学とか語ってるのを聞いたり読んだりした印象がないのだが。

前回の選評では、「ナルシシズムが過ぎる」とか「自己肯定というより自己過信」とか、これまたかなり厳しい言葉が並んでいたと記憶する。

単なる自分語りの舞台として小説を選んでいるのだとしたら、ずいぶん旧い、日本文学における「私小説偏重文学観をうすっぺらくなぞっただけかもしれないが。

なんだろうなあ?

社会学者コメンテーターも、ありもの言葉を組み合わせつつ、持ち前の地頭センスと要領でなんとなく現在地位を掴めちまったっぽいだけに、「小説? これくらいなら、ボクでもかけるじゃん」とか思っちゃったんじゃないかなあ、という疑いを禁じ得ない。

で、今後も小説は書いていかれるんだろうか?

追記

えらくブクマついてる。文藝春秋なんて読んでないけど、中身は気になるって人は多いのかなあ、と思ったり。

「参考文献」の著者、木村友祐さんがtwitter発言されておられるので、追記しておく。

本件、「古市さんが窓拭きに興味をもち、取材依頼があり、応じました。窓拭きの達人を紹介しました。古市さんはその取材をもとに書いてます。」そうだ。

選評からの推測で「翻案」などと評したのは、勇み足だった。

お詫びしたい。

なお、「窓拭きの細部以外は、ぼくの作品古市さんの作品は別のものです。そしてぼくは、〝知名度がないゆえに作品を利用されたかわいそうな小説家〟ではありません」とのこと。

にしても、選考委員先生方は、どの程度経緯をご存じの上で選評を書かれたのかは分からないけれど、えらく憤っておられるようで、なにがそんなに山田川上吉田各氏に火を着けたのか、検証してみたくはある。

二冊並べて売ったら、「出版ビジネス」としては面白いと思うけど、難しいのだろうか。

2019-08-06

黄金頭さんに作詞してほしい

作詞というか、あの日記がそのまま歌詞でもいい

薄汚れて下衆で暗く卑屈な私小説みたいなのをそのまま歌詞にして、宝塚スターミュージカル風に歌えばいい

それを聴きながら焼酎煽って頭空っぽにして寝るのが夢なんだー

2019-07-12

anond:20190712112035

昔は文士の身内や知り合いってのはこういう目に遭うってのが相場でそれが社会的にある程度許容されていた(というか不満は誰も聞き入れなかった)んだけれど。これからはなかなか難しい面があるね。

私小説プライバシー侵害されたと訴えて勝った判例があるから、思いっきり事を荒立てれば、そういう意味での勝利は勝ち取れるかも知れない。

それにメリットがあるか?って言われると微妙な気がするけど。

2019-03-11

ヤマカンが復活するには今までの被害妄想)を恨み節たっぷり私小説にして芥川賞でも取っとけ。けっこういけると思うよ。

2019-01-22

腐女子カースト底辺同士のマウント合戦~」のこと 1

1.はじめに

(前のエントリを削除して分割します。ご了承ください)

私は漫画を描きます

BLではないですが、好きな作品ファンアート二次創作)も描きます

友人には腐女子の方も、そうでない女オタクの方も居ます腐男子も男オタクも居ます。どちらの性別にも属さない方も。即売会にもほそぼそとスペース参加しております

今回において「腐女子カースト底辺同士のマウント合戦~(COMIC維新りあら)」という漫画作品脅迫的な批判をするつもりはありません。法律条例抵触するかどうかを語りはしません。ただ少し倫理的に問うことは一つ二つあります

また、各配信サイト無料試し読みで設定された話数が、出版責任者が「つかみ」と判断した範囲とみなし、その中で感じた所感だけにとどめることを事前に断っておきます

匿名場所にこうして文書を上げるのも、私自身の「顔」や「作品」や交友関係などのプライベートを見たがる人達に対する、防衛だと了承していただければ幸いです。いかなる名品名作であっても、つつけば必ず「粗」が見つかり賛否がわかれる物だと私は考えております。私は自分作品を愛していますが、悪意をいちいち気にしてしまう繊細さも自覚しておりますし、大事な友人達迷惑はかけられません。

なのでこの文書は、ある漫画書きの、ごく個人的感想として見て頂ければと思います

誰にでもわかるようにと書いた結果長くなってしまいましたが、よろしければお付き合いください。

=====

2.前提として物語作法戦略について知り得ること

まず私は、自由創造性、表現というもの尊重したい人です。

同時に読者は面白くないと思ったもの面白くない、酷いと思えるものを酷い、ノットフォーミー(自分向けではない)な作品はそうだと言える自由も有ってほしいと思います。彼らの感想もまた創造性を持つ表現行為からです。

そして作品流行することによって起こる「意見封殺」と文化の断絶は、人々の自由に害を与え、文化を停滞させるものであるため、避けるべきだと思っています

この文章は、それが起こってほしくないがために出す私の意見なのです。

以下の諸々の前提について、あなた再確認する必要がないと思ったなら3.まで飛ばしてください。


今やWEBでの作品公開は、電子化された過去の名作や現代の人気作と同じ土俵で戦うことになるため、無料公開しても「時間電池もったいない」と思われては不利です。戦略的に失敗に陥りやすいです。時事ネタについても個人の公開速度には叶いません。

ただただ露悪的な本はただただ露悪的で、熱心ではない、無駄お金を出したくないライト層だけに消費されて消えていきます私自身がそれを好んで読み、染まっていた時期が長らくあったために、それらの寿命が如何に短いのかをよく知っております

外側に居ても内側に居ても不明瞭です。

その文化の多様さや精神性、変容の歴史を、長く迫害を受け分化してきた巨大宗教のようなものだと今の私は捉えております

そうした点と、物語を見る目が肥えていることも含めて、漫画で描くには「気を付けるべき題材」であると考えています

 

今回の作品腐女子カースト」にはエッセイというジャンルが振り当てられています

もしも仮にあなたが「作品ジャンルが実録エッセイなら、ヤマ・オチ意味のない物語でも成立するのだ」と考えているのであれば、それは読者への甘え、ひいては全てのエッセイ作家への侮辱となることでしょう。

そのように考えて行動した時のリスクを、自身のために想像しなくてはいけません。

エッセイとは自らを省みる内観であり、自らの魅力でもって読者を個人的生活に惹き込むものです。『私小説』『ドキュメンタリー』『ノンフィクション』に連なる伝統的なジャンルです。

そこに登場人物を増やすのであれば、名前を出さな通りすがりの人であっても、存在しない架空人物であっても、最大限に配慮しなければなりません。

エッセイ漫画は「画力が伴わずとも描ける」としばしば思われていますが、それ以外の部分での構成力と魅力を問われるものなのです。

エッセイからと言って、醜い本音を受け入れてもらえると思ってはいけません。空費させてはいけません。

エッセイからこそ『第一話』の初対面で『印象良く』見えるように、深く考えなければ、思った通りに読んでもらえないのです。

それは化粧にも似ています。化粧に作法手順があるように、漫画第一話にも作法があるのです。

 

現実とずれた部分、主人公の欠落した部分、作者個人主観があるなら、それもまた、納得を得て面白くするために、最初のフックの時点で、注意深く描写するべきなのです。

共感できる相手だけを狙って描くのも間違いではありませんが、共感できない者でも楽しめる工夫、そして+αで得る物が無ければ、買って読むまでもない孤独見世物的な内容になってしまます結果的に長続きはしません。

誰もが作品アップロードできる現代では、心の底から叫びを見つめ続けた尖った『自主制作作品』が作者本人の手によってすぐに届けられるのです。それと競争することを考えても、エッセイますます難しいジャンルになっています

 

足すべき部分は足し、引くべき部分は引かなければなりません。本当に面白漫画はたったの1コマでも、読者を満足させるのです。

技巧や経験とは必ずしも正比例しません。作家が描くべき時に描いた時に輝くのです。

面白くないと感じながら、面白くないと言われながら描くのはとてもつらいことです。それは作家がするべき我慢ではありません。感覚麻痺してしまます

最初から捨てるつもりの名義だったとしても、それを描いたという傷は全人類記憶喪失でもしないかぎり一生描いた本人に残ります

本当に面白作品で、届くべき人の所に届けば、口コミで売れていくという強みが電子書籍にはあります

そのためには、読者の目を甘く見てはいけませんし、読者の声を額面通りに受け取らないように注意すべきです。

作品作家自由であるためには、正しい戦略を立てなければ、生き残ることは難しいのです。


3.率直なる感想は『想像力の狭さ』

作品内の第一話、即売会イベントへ向かう電車内で、ノーメイク女性二人連れに主人公が心の中でツッコむシーンがあります

この時の主人公の思慮の浅さは、エッセイ漫画としても致命的ではないでしょうか。

表情や服装から即売会という目的地を同じにしていると確信しているからこそ、ノーメイク女性を「同志だ」と確信して、その気を抜いた姿と能天気な様子に、イベントへ向けて気合いを入れて来た主人公は憤慨しているのかもしれません。

しかし、続くコマはただただ妄想の中で、相手が言いそうな言葉言い訳だと否定し、持論を展開するだけで、相手のことを考えていません。

取材力想像力ともに範囲が充分でありません。狭いのです。自分の中で完結してしまっています

たとえば化粧を禁止されている、お小遣いギリギリ学生かも知れない。

遠征電車高速バスが遅延して時間がなかったのかもしれない。

身バレ可能性があり、恥を忍んで素顔に近い顔で来たのかもしれない。

経済的に苦しくて、自分に合う化粧品ファッション出会えずにいるかもしれない。

家庭事情経済事情もさまざまです。また、障害を持つ場合もあります

化粧をしない理由はそれぞれです。

それぞれが努力によって対策可能だったとしても、皆がそれを完璧にこなせる訳ではありません。

私が考え過ぎで、素顔で出歩くことに特に理由がない人もいるでしょう。普段から化粧をする必要がない仕事に就いているのかもしれない。それを「ろくでもない仕事」だと考えることは職業差別です。

しかしたら彼女達は「ノーメイクで行く」という行動と、互いの美醜を互いにイジらないという暗黙の了解によって、目に見えない友情を確かめあっているのかもしれません。私はそれを尊いと感じます。決して馬鹿にはできません。その感情に、外見も性別関係ありません。

素顔で出歩く女性を、腐女子というだけで見下してしまうのであれば、もしも、彼女達が会場前の駅に降りず、手前で降りたなら、あるいは過ぎ去ったならどう感じたでしょうか?

腐女子について話すためにここまで考えなければならない理由がわかるでしょうか?

「格好がバラバラ集団がいたら高確率腐女子」という有名なネット上の言説があります。これはオタバレの指摘でありながら、腐女子文化を捉えることができる好ましい例なのです。

化粧やお洒落のものが大好きで趣味とする女性は居ます。それと同じくらい、化粧とお洒落をしない、できない女性は決して珍しくありません。この二者は普段生活では交わらない存在です。それでありながら、ただ「腐女子」「オタク」「アマチュア作家であるというだけで、同じものが好きというだけで、SNS作品を通して同志となり話し合えるのです。

本当に「腐女子カースト」は存在するのでしょうか。色眼鏡をずらして、少し観察すればわかることです。実際に腐女子の集まりを見て、外見の美しい人にそうでない人が付き従ってるように見えましたか

なぜ、かような形で消化してしまったのでしょうか? なんのフォローもなく、嘲笑して終わってしまったのでしょうか?

私は想像力が狭いまま物を作り続ける人間に対して「そのままでは続けられないよ」と教える以上のことはできません。

想像力を鍛えるには『違う価値観』と対話インプットしなくてはなりません。他人との会話でもいいです。怖いなら文学でも好きな漫画でも、アニメドラマ映画音楽。なんでもいいです。時間がある時に良質だと思う作品に、幾度も視点を変えて触れてみてください。でなければ、他人を知ることが出来ず、それゆえに自分を正しく見つめることも出来ず、自分だけの世界に閉じこもってしまます

インプットをしないまま作品を描けば、描くほどに、ただ自らが傷つき続けることになるからです。

4.最低限の礼儀って、何ですか?

また作者は最低限の身嗜みを礼儀と捉えているようですが、その最低限ライン上記理由で人それぞれだと想像できなければなりません。好みの服装もそれぞれ、地域文化仕事もそれぞれです。

主人公が綺麗でかわいいと感じた『神』の多くも、自分や買いに来た人の姿を気にしていません。コスプレイヤーだってキャラに入っていない時の自分の姿は出来れば注目されたくないのです。懸命に作って共感を求めた作品ではなく、日常の延長で作った「最低限の礼儀」の姿を褒められても、彼女達は嬉しくありません。そこがそういう場だからです。

腐女子オタクが「恥ずかしい趣味だ」という感覚最近では少なくなってきています

オタク向けのイベントに行くなら、張り切ってグッズを身に纏って「オタクの姿」をすべきだと判断する人もきっといるでしょう。それもやはりその人なりの身嗜みなのです。

またイベント外なら、服装の奇抜さだけでオタクかどうかを判断する材料にはなりません。ゴス原宿系等、日ごろから周りに迎合しない、自分自身を出したお洒落を好む人々が存在します。似合うか似合わないか他人判断基準で彼らは服を選びません。オタク文化と重なる部分も多いですが、その文化オタクと一括りにするのは、私は違うと思っています

そもそも即売会は『交流』のためのものです。街の本屋さんとは違います。売り手と買い手の信頼で構成された、本来技術の見本市なのです。この辺りは運営委員会ガイドラインなどにも書いてある範囲でしょう。

会場において相手の姿を気にする時間はありません。イベント会場はまさしく「戦場」なのです。時には顔すらも覚えておりません(これまで自分のスペースに来てくれてる方、すみません)人気壁サークルでなくとも、友人に頼んで売り子を立てる作家さんも居られます

時間が限られているのに、車の試乗会で車を見に来たのに、同時にディーラーの外見をいちいち品定めしてチェックしますか?

自社のために技術を持つ小さな会社契約したあとで、社長ブログに自慢が書いてあっただけで「そういえばあの社長不細工だったな、嫁さんも不細工だろう」などと、いちいち思うのですか?

それらを書いた冊子を、彼らの職種を冠したタイトルで売ったらどうなるでしょうか。

まさにそれこそ、礼儀を欠いた行動ではないでしょうか。

表現自由の下であっても、不快になった当事者には怒る権利があります

ここまでの説明によって第一話のあの一連の流れが如何に的の外れた低俗な「笑い」であるか、理解できたでしょうか。

ありとあらゆる多様な価値基準無視して、己が良しとするものだけに迎合する。そこを頂点に据えて妄想の中でカースト構成する。

腐女子を冠して発表するには、あまりにも浅く、無防備なのです。

5.悪意の扱いについて

そして、何分の一か、ほんの一部だけ、この作品主人公のように他人を品定めししま人間も、腐女子は間口が広いがゆえに存在しているのです。

主人公と同じ悪意を秘めた女性達は、この作品を読めば共感するでしょう。

ひっそりと楽しんでいた人もいたのかもしれません。

しかし、この「腐女子カースト底辺同士のマウント合戦~」はつい最近無料公開分がツイッター投稿されました。現在アカウントごと消滅しております

範囲の誰もが評論できる場所に出してしまえば、本を共有してしまえば、彼女達の罪悪感を無理矢理抉り出すだけの結果になってしまます

安易な形で発表し、コントロール不可能批判を浴びたことによって、彼女達は愛想笑いを続けて、怒れる友人と一緒になって作品を叩かなければいけません。作中で一般人擬態する主人公のように、怒れる腐女子としてその社会の中で信頼を維持しなければなりません。腐女子という世界の中にカースト存在しなくても、社会存在しています愚痴垢や捨て垢で陰口を叩いて共感しあうのとは全く違います

そうして作品を叩くうちに作者を、版元を本当に憎悪していくか、あるいは交友関係を切って何もかも忘れてしまうというような極端な行動しか取れなくなります

彼女達をますます孤独にしてしまったのです。

作品は、発表の仕方まで気を使わなくてはいけません。これもまた貴重な顧客を失う『失敗』なのです。

この主人公のように、見た印象だけで人を判断して遠ざけて来た記憶が、私にもあります作家デビューした相手嫉妬したこともありました。自分と交わらない人間人生を、いかに踏みにじってきたのか。それを考えるたびに私は後悔と反省を繰り返しています

つづきます。(https://anond.hatelabo.jp/20190122052653

2018-12-06

anond:20181206120550

はてなブログ用と増田用とで同じ日記でも書き方変えるのくらい知ってるよな。

私小説も見せる芸があってこそ成り立ったんだよ。嘘まじりだよ。

2018-11-12

anond:20181112155052

幸せ人間小説なんかわざわざかかなくていい世の中なのでは。

となると小説ってフォアグラみたいな虐待産物みえてくるなあ。特に私小説

2018-08-27

仕事がつらいけど、将来のことを考えたら辞められない

タイトルまま。

 

性格的に合っていない職種についてしまった。

毎日怒られないかだけを考えて、それでも怒られて、どんどん自身と元気がなくなっていく。

休日も「明日から仕事か……嫌だなあ」とばかり考えてしまって、楽しめないうちに終わる。

リフレッシュが下手だなあと思う。

 

そんなにつらいなら辞めた方がいいんじゃない、と思うけれども、

今までそうやって私は何度も仕事を辞めてきて、

どんどんどんどん転職活動が厳しくなってきている。

ここで辞めたら、次はもう今より低い給料のところでしか働けない気がする。

 

私には結婚約束している彼氏がいて、将来子供が欲しいねっていう話もしていて、

彼氏給料は決して高いわけではなくて、

子供を持った上で金銭的に余裕を持った生活をしたいのであれば、共働きで二倍の馬力お金を稼がないと厳しい。

そう考えると、今の仕事を辞められない。

 

どんなに今が辛くても、今の会社なら産休育休も取れる。

いまは我慢ときなのだろうか。

毎日会社に行きたくなくて泣いて、

こんなに卑屈な性格になってしまって彼氏に嫌われないか考えてまた泣いて、

どうせ転職したしたとしても今みたい辛くなって辞めるんだろうなとか考えたら死にたくなって、

でも死ぬ元気もなくて、休みますって会社に連絡できなくて電車に乗って通勤する。

あと数年頑張ればいいんだろうか。長い人生の中の数年なんだから耐えるべきか。いや、もうつらいよ。でもなあ…。

 

 

から読書文章を書くことが好きで小説家になりたくて、

学生時代はよく掌編小説を書いていたんだけど今はそんなパワーなくて、

よし、小説家になって会社員辞めてやるぞ!って思って小説を書いていたけど、

公募に応募できるような長編小説を書ききる力がないし、

どこかで読んだ文章の焼き増しになってしまって、

「あ、私小説家になれないんだ」って思ったら書くのが辛くなった。

この文章だってそう。この広いインターネットを探せば、どこかの誰かが書いたブログに同じようなことが書いてあると思う。

 

もう疲れたし、夜も同じようなこと考えてつらいんだろうなってことがわかるから人生終わりにしたい。

いや、人生終わらすくらいなら仕事やめたい。でも仕事辞めたら子供産めない。

死にたいって思うくせに、子供欲しいとか思って仕事辞めれないの笑うよね。

2018-08-02

anond:20180802041537

前半部分は論証として認めるが、後半は話がずれてる

明治期以来の自然主義みたいな一人称私小説が今のラノベの源流というのは無理がありすぎるw

エロゲライター含めてラノベにも三人称が多い事実了解したが、影響関係という一点のみでは、近代文学一人称私小説よりは、ここ20年ほどの一人称文体ノベルゲームの方が、なろう系に影響しているのではないか

anond:20180802000305

ゼロ魔三人称

神様家族三人称

GOSICK三人称

とらドラ!三人称

Fate/ZERO三人称

別にエロゲ出身ラノベ作家一人称で書くと決まったわけではない。

そもそもエロゲ自体一人称と決まっているわけではなし。

さらに、いまラノベいちばん一人称が用いられているジャンルはなろう系ファンタジーだ。

その他のラノベ別に一人称が多いわけでもなければ、もちろん一人称三人称の混在が多いわけでもない。

逆に言えば、一人称も、一人称三人称の混在も、別にラノベ専売特許というわけではなく、一般文芸にもよくよく見られるものだろう。

そもそも一人称三人称かは作品内容によるものであって、作者がエロゲ出身かどうかで決まるのではない。

同じ作家でも、キャラの多いストーリーだと三人称になりがちだし、主人公視点や心情を重視するのであれば一人称になりがちというだけだ。

それで言えば、純文学のうちの私小説なんかは、一人称が適したジャンル代表格だろう(別に三人称私小説も多いが)。

あらゆる面で増田の言っていることは的外れの嘘まみれ。

小説を読んでいないという元増田に吹き込むような話ではない。

2018-07-18

anond:20180718024831

増田の方です。なかなか分かりづらい文章だと我ながら思ったけど、読んでくれてありがとう

そして元増田もこんな俺に付き合ってくれて嬉しいなと思っている。

これは、近代的自我モダニズム私小説問題だと考えたんだけど、違うか?

 ・元増田私小説家的な立場近代的自我モダニズム自明さを持てない。ゆえに自分日本に拠り所となるかっこよさを探すのを止められない(無いのは知っているが)

 ・増田モダニスト哲学科学など、広く使われる手続きにのっとって、我々の限界を探求しつつ知を構造化するしかない。(拠り所の無さを受け入れて)

って感じで対立している感じ。

対立構造という程のものではないけど、元増田増田(俺)の立ち位置はご指摘の通りだと思う。

ただ、強いていうなら俺もまた元増田と同じ事を考えていたし、その色々と調べるうちに

昔とは違う立ち位置にたどり着いてしまったと思っていて、だからこの辺の文献を読んでは

どうかという主旨の発言をしているつもり。あえていやらしい言い方をすると、先輩ぶっている。

俺は、元増田立場に近いところにいると感じる。一方、その立場が無理なのは理解している。なれるなら増田立場に移行するのが理想だ。

から増田がなぜモダニスト立場に立てるのかを聞きたい。言い換えると、音楽において自分の基盤を探りたい欲求を止め、なぜ哲学科学方法で済ませられるのか、を知りたい。

日本にいると、幼い頃から身近に学者官僚芸術家がいないと、モダニズム自明ものとみなすのはまだ難しいと考えている。でも、意思の力でそれを引き受けられる人がいたなら、その意見が聞きたいのだ。

それについては明確に違うので俺の言い分を書いておきたい。

俺は日本人だが、やはり当事者自身日本文化を取り扱う事は大変に難易度が高いと思っていて、

研究に目を通す事は多々あるけれども発信はしていない。日本文化について言及する事を意図的に避けている。

レヴィ=ストロースのいう所のメタ視点自分自身とほぼ接点のない文化に対しては適用できても、

自らに適用する事はそう簡単ではない。だからはっきり言ってしまえばポピュラー音楽研究界隈が

あえて日本文化に切り込んでいくのを、民族音楽学者は指を咥えて見ているという状況が続いて久しい。

元増田が挙げる輪島さんにしても、増田さんにしても、二人ともポピュラー音楽研究界隈の人だ。

彼らは大衆流行や、何となく時代雰囲気分析する事に特化しているので遠慮なく物申せる部分がある。

だが民族音楽学者は違う。人間社会の織りなす文化はどれも等しく価値あるよねという大前提に立っている。

はいいところ探しに特化しているので、雑な意見反論はしても発信自体にとても慎重だ。

これではいかんと重い腰をあげる動きもあるのだが、全体的にフットワークは正直軽くなく、

その点についての批判真摯に受け止めなくてはならない、という程度の後ろめたさはある。

自分の手持ち武器は当該社会に深刻なダメージを与えるかもしれない、そんな畏れが心の底にある。

ただ、だからこそプロパガンダ的な、意図的文化志向を捻じ曲げて指針を示すような言説にはとても厳しい。

日本には侘び寂びの文化があるとか、礼儀作法を大切にするとか、伝統を重んじるとか、

何言ってんだこの野郎と率直に感じる。ごく一部の慣習を民族全体の伝統に置き換えるのはあまり乱暴すぎるのではないか

嘘で自分を着飾って自尊心を満たす事ほど愚かしい事はない。

もっと雑多でぐちゃぐちゃで日和見主義で、醜い部分から目をそらす事も多々あるだろと。

どんな事から目を逸らしたいのか、何を受け入れたくないと感じる美意識規範、無言の空気があるのか。

そんな部分も含めて全てを率直に受け入れつつ、肯定的評価していきたいというのが

俺や他の民族音楽学者の立ち位置だと思う。

除霊方法が聞きたいんだ。

からね。本当の事を言うと除霊は俺もできてないんだ。

自らのフィールドワーク体験からメタ視点については理解した。

でもそれを自らに適用する事はこの上なく恐ろしい事だ。

anond:20180718013950

横だけど、面白かった。こんな文章増田で読めるのは嬉しい。

 

レスは追っていないんだけど、元増田

はいっても正直なところ、西洋音楽を基にした音楽を、日本的ものとして認めたくないという気持ちもある。

日本の長い歴史から見れば、西洋音楽が入ってきたのはつい最近のことだし、つい最近入ってきただけの音楽価値観社会的支配的になってしまうのは、なんかおかしい。

西洋音楽を取り入れた日本音楽」であれば、それは過去からの発展とみなすことができるけど、

日本音楽を取り入れた西洋音楽」は、過去からの断絶のように感じられてします。

和声進行を基にした音楽」というのはやっぱり西洋音楽である、というふうになってしまうわけです。

https://anond.hatelabo.jp/20180708114227

 

いや、僕は個人的には、演歌日本の伝統ではないと思ってるんですけど、それは個人主観的価値観なんですよ。

僕はナショナリストなので、日本の伝統はかっこいいものであってほしいし、個人的演歌がかっこいい音楽だとは思えないので、演歌日本の伝統ではないとみなしたい、という「個人の感想」です。

から演歌日本の伝統だと思う人がいても、特に問題がない、はずです。単なる好みの違いでしかない。

https://anond.hatelabo.jp/20180714150641

 

というレスが、目をひいた。

 

これは、近代的自我モダニズム私小説問題だと考えたんだけど、違うか?

 ・元増田私小説家的な立場近代的自我モダニズム自明さを持てない。ゆえに自分日本に拠り所となるかっこよさを探すのを止められない(無いのは知っているが)

 ・増田モダニスト哲学科学など、広く使われる手続きにのっとって、我々の限界を探求しつつ知を構造化するしかない。(拠り所の無さを受け入れて)

って感じで対立している感じ。

見当違いのことを言っていたら、以下スルーしてくれ。

 

俺は、元増田立場に近いところにいると感じる。一方、その立場が無理なのは理解している。なれるなら増田立場に移行するのが理想だ。

から増田がなぜモダニスト立場に立てるのかを聞きたい。言い換えると、音楽において自分の基盤を探りたい欲求を止め、なぜ哲学科学方法で済ませられるのか、を知りたい。

 

日本にいると、幼い頃から身近に学者官僚芸術家がいないと、モダニズム自明ものとみなすのはまだ難しいと考えている。でも、意思の力でそれを引き受けられる人がいたなら、その意見が聞きたいのだ。

 

蛇足だが、もう少しこっちの立場を補足すると

日本的なかっこよさを探してしまう感じ」は、「幽霊に取り憑かれている」や「神経症」と言ってもいいかもしれない。

レヴィ=ストロースは、未開社会にもそれぞれ高度な構造を持った文明があるとしたが、日本開国前に持っていた構造の中にあった、かっこよさの幽霊がまだ潜んでいて、日本人の頭の中に巣食っていると言っても良い。そして幽霊が復活する期待を捨てられない(あるいは、幽霊が復活する可能性に賭け、下部構造を変えようとイデオロギー工作を頑張る)

 

下部構造が変わったから、共同幻想も変わりつつあり、その過程にいるだけ、と言い切れればいんだけどな。

除霊方法が聞きたいんだ。

2018-07-07

作家デビューできたら低能先生の完全勝利

言論人としての現状は、死人に口無しのHagex塀の中の人になった低能先生引き分けね。

でも低能先生には獄中作家になるという逆転の道がある。

文学部に8年いて中退って、社会人に向かないこと自覚してモラトリアム延長して作家目指して足掻いていたとしか思えない。

名門大学中退中退底辺職→無頼無職)→前科者と並べるとレールから外れたインテリにとって作家になる黄金ルートでしょ。

もう作家になるしかないと自分を追い込むための試練ぐらいに本人思ってるんじゃないかな。

100年後には『怒りの葡萄』みたく低能先生氷河期半生私小説平成不況象徴する文学になっている可能性はゼロじゃあない(弱気)。

2018-06-03

作品と作者の評価は別などと言うが

クズの書いた作品なんて大体クズ思想がにじみ出たゴミだし、そもそもクズが作り出したホラ話に時間を割くのもばかばかしい。作品ってのはすべてが私小説なんだよ。作者の消失したゼロ地点を目指すという芸術スタンス理解するけど、それですら私小説の一部でしかない。

2018-02-12

母親に抑圧される女性」が好き

<追記しました : anond:20180214203640

ここ一年くらいでついに自覚するに至った。

母親に心や進路を決めつけられ抑圧されている女性」に心から興奮する。ワクワクする。

もう少し噛み砕いて言うと、

母親からの抑圧から逃れようともがいて喘いでいる」姿に心打たれる。

同性どうしだからなのか、母親は基本 娘に進むべき道を「かくあるべし」と強く誘導するケースが多いような気がする。

勿論そうじゃない人も沢山いる。ウチの母ときょうだいの中ではそういう感じはあまりなく今でも関係は良好のようだし。

最近だと例のレズ風俗漫画は本当にとても良かった。

「母に作られた価値観から逃れたい」と苦しんで苦しんで、

それでも母親と通じ会えるのかもしれないと諦めきれず、

結局は自分から母と離れることを苦心の末選ぼうとしていた。

レズ風俗に通ったこと」はただの物語スパイスで、

あえて言うならタイトルを目立たせるための箔付けのような感じだった。

少し前だと"響け! ユーフォニアム2"の田中あすか & 黄前麻美子(姉)も良かった。母を捨てる娘いいよね。

あとど根性カエルの娘のやつ。あれ父親のこと描きたいんじゃなくて、

母親の壊れてるところの方が描きたかった本質だよね。

女性作家私小説的に親子関係を書くと必ずややホラーめいた被抑圧関係を書いてしまうのだろうか。

少し古めの少女漫画とかレディコミとかにありがちな

「私のかわいい娘ちゃん、言う通りにして良い子になるのよ」

「ヒェッ怖すぎやんけ!」みたいな松本洋子的なアレも、

そういう経緯でよく「なかよし」とかに載っていたのかな。

書店で眺めてみると予想以上に「母親からの影響を断ち切るための本」が

自己啓発的なコーナーに並んでいて驚いたこともある。

-----

妻も一時期沢山そういう本を読んでいた。

から逃れたいとか細い声で語ってさめざめと涙を流した妻は、

から愛おしいと思ったものだった。

その時は単純に彼女を手助けしてあげたいと思っていただけだったが、

ある種の「性癖」に気付いてしまった今考えると、アレはいわゆる

あかんまって無理マジ尊いストライクな瞬間」だったのかもしれない。

引っ越し母親と一切縁が切れた妻は、

今はスッキリリラックスして人生を楽しんでいるようで、

何よりだと思っている。

-----

そんなわけで「母親からの抑圧にもがく女性だいすき部」の方がいたら是非オススメ作品を教えて頂けないだろうか。

しかしたら体験済みの作品もあるかもしれないが、

自分の好きだったあの作品もこのパターンだったのか!いやー結構結構!」とヒザを打ちたくもあるので

ドンドン聞いてみたい所存である

2018-01-23

anond:20180120180731

なろうにおける「おっさん」っていうのは、意味的には「少年でも青年でもない」程度の意味だと思うよ。「少年主人公希望する読者」や「青年主人公希望する読者」をフィルタリングするための装置であって(なお老人主人公ってのはそもそもラノベ的には射程に入ってなかった。いまはおっさんの延長線上でまま存在する)、そのもの獲得形質存在しないんだと思う。

もうすこし補足すると、「少年性や青年性の喪失」であっても「おっさん性の獲得」ではないってことになる。

まあ、そもそものはなし、現実おっさん中年)も、現代においてはままそうなんじゃないかな。

少年期の全能感や幸福感や無限の体力はもはやなく、青年期の情熱や異性に対する期待や将来に対する不安希望ももうなく、じゃあ、その代わりに何かを獲得できてるか? と問えば手に入ったものは少ないのではないかな。少なくとも自分は、日々を大過なく過ごすための惰性めいた処世術とか、職を時間内にこなすための小器用さであるとか、その程度のものしか身についたとはいえない。

その程度のおっさんしかない自分が、少年青年のもの結晶化したような主人公や、彼らの物語を直接摂取してしまうと、内臓に負荷がかかってしまう(お腹痛くなる)ってのはある。出来が良ければフィクションとして切り離して楽しめるけれど、私小説としてそれを読んでしまうと痛い。

カリオストロの城において、ルパンクラリスとらぶらぶちゅっちゅにはならんでしょ。ルパンは「おっさん」だからおっさんから父性の混じった誠意をクラリスに向けられたし、あの物語において、あれこそが美しい。ただしくおっさん物語だ。

からおっさん」というタグは「エビや卵成分は入ってません」みたいな、食品におけるアレルギー表示みたいなものなんじゃないかな。

もちろん、なろうっていう場所混沌のものなので、書き手によってはそこまで考えてもいなく、ただ単純に少年青年主人公で展開された物語の骨子を、おっさんというテクスチャで再梱包しただけのものもあり、その場合アレルギー表記はむしろ罠として読者に襲いかかる。

秒速5センチメートルみたいなのを、主人公おっさん差し替えてやったらどうなるかって、それはなんかキモくなるだけだって話だね。

おっさん」というタグ物語を巡るいろんな問ってのはまだまだあるんだけど、個人的には、当面は以上のような理解で良いんじゃないかと思っております

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