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2018-06-29

アイヌ文様やその文化的意味は本当に本来アイヌ文化だったのか

http://lty.hatenablog.com/entry/2018/06/27/041642

エントリー見て、ちょっと気になった。

まだちょこちょこ調べてる最中なんで眉につば付けてから聞いて欲しいけれど

文様江戸時代からあったみたいだが、それに先祖家系を表すといった意味アイヌ文化を記録した日本人学者解釈可能性あるみたいだし

ひょっとすると作られた伝統(それも日本人とのやりとりの中で)かもしれない。そうだったら文化盗用論自体が崩れかねない。

文化文化意味なんて異文化と接触すると割と簡単に変わるので何がオリジナルかってかなり微妙問題になりかねないと思う。

2018-06-27

文化の盗用なんて言わないか

わしの生まれ隼人の地

隼人には象徴的な逆S字の文様がある、隼人の盾を見たことがある人はわかると思う

盗用なんて言わないかもっと使って欲しい

Tシャツだってマグカップにあるとお洒落かもしれない

知って欲しい隼人のこと、いろんな地域のこと

anond:20180627094515

コモディティ問題だな。

レア度の高いアイヌ文様は、雑に使えばレアリティが下がってしまうから忌避される。

逆にコモンレベル着物は、雑に扱われて当然の価値しかないのでそれをSR相当として扱おうとすると「そんなもんスリーブに入れて保護しようとするとかバカじゃねwww」と嗤われる。

anond:20180626233408

少なくとも文様意味も分からず知ろうともしない人はこの問題に口を出すべきではないでしょう。

あなたにとってアイヌってその程度のどうでもいいものなんでしょう。そりゃどう使われようと気にしないですよね。

追記

文様意味も分からず知ろうともしない人」は当事者たりえないってことです。

2018-06-26

当事者』って誰ですか?

とある呉服屋さんが作ったアイヌ文様浴衣が抗議を受けて販売中止になったそうだ。

知らないうちに起こって知らないうちに鎮火していた。

まぁそれはいい。販売中止は呉服屋の判断でありそこに異議を唱えるつもりはない。

気になったのは販売中止を求める人の多くが自身は『和人であると自認しており、

これは我々『和人』がアイヌ文化の盗用しているケースにあたり『アイヌ』に失礼だ、という理屈で抗議していた事である

なかでも「当事者であるアイヌ許可を取るべき」とか、

アイヌが着るならいいけれど…」というようなツイートを見かけて驚いた。

ここで言われる当事者アイヌとは一体どういう人を指すのだろう。

このツイートをした人達の頭の中にいる許可を取るべき窓口としてのアイヌアイヌ文様の入った服を着てもいい当事者アイヌとは一体誰なのか。

ひとりひとりに聞いて回るわけ?誰が?

と考えはじめたらなんかイライラしてきて今これを打っている。

ツイート検索する中で

「私もアイヌの血が流れているがこれの何が悪いのかわからない。

 このような状態では譲られたアイヌ文様浴衣が着づらい」

と言っているツイートを見かけた。

そう。これこれ。

私も同じ気持ちだ。

私にはアイヌの血が流れている。と自認している。

今は北海道には住んでいないが親戚はほぼ道内の一ヶ所に固まっている。

でもそれは田舎はどこもそうだろってレベルの話であり、

アイヌといってもアイヌ村とかアイヌ町とかに固まってるわけじゃない。

みなさんご存じの通り、残念ながら現在は今流行りの漫画の中に描かれているような暮らしをしているアイヌ存在しない。

単純にアイヌと呼ばれていた人達の血の連なりの中にいる人は、数の上ではそれなりに存在する。

でも今いる『アイヌ』とは想いの強さの個人差はあれ

「その血が流れている」という事を認識している“自称アイヌ”達が散り散りにいるだけだ。

と私は思っている。

私はこの年代にしてはアイヌの血について家族から比較的詳しく教わった方だと思うが、

そんなアイヌとしてのアイデンティティがある家族でもこれについては大体同じ感覚だと思う。

もちろん様々な歴史の流れの上でそうなったのだが、そういうのはwikiでも読んでくれ。

その散り散りに暮らす自称アイヌの中には文化研究や普及に熱心な方や殊更民族としての誇りが高いアイヌが居るのも事実だが、

他のアイヌが彼らこそが真のアイヌだ!と思っているかというとそんな事はないし、

逆に彼らのようなアイヌになかなか複雑な気持ちを抱いているアイヌも居るし、

私もそういう道を選んだ少し特殊アイヌ、という認識だ。

活動家みたいな人もいるね、みたいな印象だった。

でも自称和人の皆さんだって正しい日本文化精通研究や普及に熱心な方を見て

これこそが真の日本人だ!とは思わないだろう。

そんな感じ。みんな色んな人が居る中のひとり。

アイヌだって一枚板ではない。

このとおり我々はバラバラ個人なんですけど、

少なくとも血が流れている私はそう思っているんですけど、

抗議した自称和人さんが言うところの当事者アイヌって結局どこにいる誰の事なんですかね?

当事者に聞け当事者アイヌが見たらどう思うかって言いますけど、

血が流れている私でよければいくらでも答えますよ。

じゃんじゃんやれどんどんやれ、誰がどう着てもいいです!!

個人の感想ですけどね。

指摘されてる方もいるけど実はアイヌ文様和服歌舞伎舞台衣装などではなく、現行品としてすでにある。

なので今更感もある。某漫画が売れてるから便乗商売だろって言いたいわけか?だとしても別によくない?

あとTシャツとかスカートとかもあるからね。私も持ってますが。

ちなみに文様意味アイヌですが知りません。

でも私自身はアイヌ文様を見かけ親しみを感じデザインも気にいったので購入した。

それだけ。

でも今後着づらくなってくるよこんな流れになったら。

アイヌは見た目でわからない。

そもそも抗議した人からすれば意味もわからず身に付けてる時点で

私も不勉強文化を踏みつけにする人間という事になるんだろうから

Tシャツスカートの件は置いておくとして、

もし私のような「アイヌの血が流れているだけ」の人間が自前のアイヌ文様のものを身にまとっている時に

赤の他人リアルで「お前本当にアイヌか?そうじゃなかったら文化の盗用だぞ!」と迫られるという事態に遭遇したら、

一体どう証明しろというのだろう?

一体誰がアイヌお墨付きを与えてくれるのだろう?

逆にアイヌの血が流れていな人がそのように迫られた時は謝らなくてはいけないのか?

またどこから正義の人が現れて「当事者アイヌ気持ちを聞いてみよう」と

言い出すのだろうか?

正義の人に引っ張り出されるアイヌって何なのだろう?

アイヌにも色々いるのですが、なぜ「当事者アイヌ」なんて言葉が出てくるのだろう。

今回抗議した自称和人が想定している“呉服屋と直にやりとりすべきアイヌ”って一体誰なんですか。

もしや私が知らないだけでアイヌ協会が正しいアイヌ認定証でも発行してんだろうか?

もうはっきり言って今現在普通に暮らしているアイヌの血が流れてるものにしてみれば

当事者アイヌ』なんて言葉自称和人から出た事の方が浴衣より拒絶感があった。

そもそも私はあの浴衣別に謝罪する事もない派ですけど。

誰がお前はアイヌだと決めるのか。

結局自称和人が決めるのか。

自称和人アイヌのためと言ってアイヌを引っ張りだす。

その時にだけ出てくる正しいアイヌ

こっちはあなた方一人一人が本当の和人かどうか確かめようなんて思ったことすら無かったのに。

突然「当事者アイヌに聞いてみよう」なんて正義面して言われる。

正直なんか裏切られたような気持ちになった。いい事してると思って何の疑いも無いんですもん。

アイヌと協力して作ればいいものが作れると思います

アイヌ職人さんが自覚的に帯として作って収入を得るということならまだ良い」

協力するアイヌ、正しい知識アイヌ、作って収入を得ていいアイヌ

そんなアイヌを守る私たち

これ正しい事言ってるつもりでめちゃくちゃグロいですよ。

かにアイヌ差別を受けてきた。

それを私が昔話として聞いて「クッソー!ムカつくな!」と思う事と

現在タイムライン正義面して我々がアイヌを守ろうという話をされる事や、

謎の反省をされる事や、

そのツイートをいい事言ってる!正しい文化を守ってあげるからね!といわんばかりに

自信満々にRTされる事に「うるせー!!」と思う事は両立する。

というかこれは表裏一体なのだ体感として理解できた。

ムカついて一気に打ったので正直めちゃくちゃだが最後にもう一度。

今回呉服屋に抗議したような、自分達は政治的に正しいと思っている方々。

一体あなた達が守ろうとしてくれたアイヌって今現在どこにいるのでしょう?

私はその中に入ってますか?

2018-01-30

ワオンポイントカード(青じゃなくて、赤の菱形文様カード)は個人情報登録しなくても

入り口に置いてあるのをもらってそのままレジで渡すだけでお客様感謝デー5%引きになるのに...

2017-10-02

anond:20170930091504

今のままじゃどこに力を入れてスキル上げていけばいいかからない

ということなので、感想と全体的に思ったことを書いてみた。

力を入れたほうがいいと思ったところは、「まずいかなと思ったところ」に書いておいた。

下に行くにしたがって細かい話になるので、読みたいところまで読んで切り上げてもらってOK

物を作る人は応援したいという気持ちで書いてるつもり。

良いところ

・全体的に動きが分かりにくいと思うところはあるけど、そこは慣れなのでがんばってという感じ。

・掛け合いはちゃんと面白い

読者が疲れてドロップアウトしていく感じはないので、十分だと思う。

情報の分量的にはちょうどいいのでは。詰め込む感覚はつかめているように思う

まずいかな?と思ったところ

・全体的に説明がわかりにくい。説明パートに入ると難航している気がする。

・吹き出しの形が違うから区別はつくが、誰が話しているのかがわかりにくい

一人が複数話すなら吹き出しはつなぐ。基本的に会話している二人にもう一人が割り込むなら、割り込む人間の表情を書かないとわかりにくい。

用語はなるべく統一。違う言葉でも属性が近い言葉は似たような用語にした方が、系統立てて頭に入るのでわかりやすい。(敵性体周りの用語はもう少し練って欲しい)

理屈けが弱い。読者に「そんなことあるか?」って思わせてしまったら負け。

簡単出来事でも「ほう」と思わせる説得力がほしい。

かい

1話

「かつて魔導は釜となり…」

魔導が魔力を指すのか、魔法体系そのものを指すのか、

それが釜になるというのはどういうことなのか。

言い伝え調なので、あいまいに書くのはいいのだが、

おぼろげにも想像がつかないほどあいまいにしてしまうと、

入り口から読者を突き放してしまうので、

ミスリードでもいいので、読者が推測できるような文章にしたほうがいい。

魔方陣

ファンタジーでも説得力必要

なぜこの形になったのか、何らかの力学帰結でこの形になったのかという感覚を、

作中で説明しないまでも、作者は把握している程度には持っておいたほうがいい。

・序盤のテンポはい

かいことを言うと、体の文様は浮かぶ途中を書いたほうが変身の様子が想像できるので読者のテンションが上がる。

索敵魔方陣は、索敵する様子(指先の陣の方から通路に光が伸びるとか)を見せた方が動きがあっていいと思う。

通貨のレートの説明はここでせずとも、おいおい明かしていけば「こいつら稼いでるんじゃん!」と見直す間を与えられていいのではないかと思う。(実際にお金をもらっているシーンで書いたほうが効果的)

序盤は必要最低限の説明以外はしないほうが、読者の思考力をストーリーに専念させられていい。

逆に、チカの名前いつまでも出てこないと読者に名前を覚えてもらえない。

2ページ目くらいで、ミユキにもう呼ばせてしまって欲しい。

貯金やぞ

恐らく、「カジノで磨ってるのは先行投資で、いずれ取り返す」という意味なのだろうけど、

この一言だけでは伝わりにくいというのと、

交互に発言している吹き出しで、いきなり片方の発言連続してしまうと混乱するので、

「分ってへんなぁ……」「貯金やぞ」より

「あれは貯金や」「戻ってこない貯金?」くらいのほうがわかりやすいかも。

悪態の口は開く

なんらかの比喩に聞こえてしまうので、「悪態言う元気はあんのな」くらいのほうがいいのでは

高いんや!

…と「じゃあいっとく?」の方向性が同じなので、落ちてないというか締めを引きずってしまっている。

「魂ナシとアンノウンじゃ、もらえる金○倍やで!」とかミユキに言わせて、

逆にチカが「じゃあいっとく?」と言うことで、おまえも結局金か!みたいな二段落ちにしてはどうだろう。

2話

ヒト多すぎ

見た感じだと言うほど多い感じに思えないので、正面の人ごみ突っ込んで埋もれながら言ってみてはどうか

ヘンな名前やねんな

恐らく、人名勘違いしているのだろうが、伝わりにくい。

けったい名前のやっちゃな」とか、わかりやす

・ヒロムが押し売りを追っ払うシーン

なぜ追っ払えたのかわからない。警察だとふかすくらいしてもいいのでは。

ほんまはなんも売る気無かったんちゃうんか……

もう少し照れるか怒るか拗ねるかしないと、自分がお子様扱いされてくやしい様子が伝わらないと思う。

お前ほんとひねくれてんのな

さすがにここは察してると思うので、チカに「そ、そんなことは無いとおもうよぉ」とか言わせておいたほうがチカが萌えている表現もできるし自然に流せるのでは

枯れ葉のみの呪殺が横行し

さすがにここまでカジュアルでは、今までに横行していないほうが不思議になってしまうので、

術式が凝ってるとか、術師が特別とか、コストは掛からないけど真似はできないという説明はないと

説得力がなくなりそう。

経年・社会性・存在目的 そして命の摂取

読者が理由想像しづらいように思う。「自立活性魔導素子」という言葉を作ったのだから

「自立成長」ではなく「自立活性」「活性化」のほうが分かりやすいのでは

「経年・信仰による素子の蓄積、存在意義獲得による活性化、そして他者の魂の直接摂取です」

くらいは説明した方が分かってもらいやすいと思う。

(「社会性」というのは、集団の思惑による魂の発生と解釈したので「信仰」と言い換えた)

漫画の肝であるルール提示はなるべく分かりやすく、あとから見返えせば理解できるようにしたい。

・発端の説明が少し雑すぎる

「教えて」を「殺して」と書き間違えることは「さすがにない」と読者に思わせてしま

手引き

手続き」か「手順」の間違いでは?

怪物

ここは「自立活性魔導素子」という用語を使ったほうがいいのでは

「足がかり」「希」

どちらも通じるが、あえて通じにくい方の言葉を使う意味はなぜなのか

元々あの辺りじゃ俺ら制服組嫌われ者だった……

嫌っているのは現地民として、助けにきたところをなぜわざわざ殺すのか。

全滅しているような状態なら、誰かを嫌っている余裕はないのでは?

行方不明てなに?

先の行方不明22名への対応なのだが、読者は流す部分なので伝わりにくい。

行方不明22てなに?全滅ちゃうん?」とか、もう少し説明がほしい。

もしくは「行方不明22名」と書いてあるシーンで、ミユキになんらかの反応をさせてほしい。

授業で言う「ここ、テストに出ますよ」みたいなガイドがほしい。

煙に巻くべく

行政ごまかしはありとして、住人の不信感に警察が屈するというのもおかしい。

捜査が棚上げになったというなら、臭いものに蓋をしたい政府側の思惑か、

これ以上関わって欲しくない住人の非協力的態度による迷宮入りでは?

本体と遭遇し~

生還0としながら、直後に目撃者がいるのは矛盾している。

容姿もわからないのに能力が判明しているというのもおかしい。

この辺りに説得力を持たせたいなら、呪術的なアプローチ調査をするなどの説明必要なのでは。

・死の条件について

「窒息」と明言されているのだから、「息を吸ったらアウト」ではなく、「酸素が切れたらアウト」では。

「水中にいるのと同じです」といった説明をしたほうが、読者には想像やすいのでは。

解呪は?

生還者0でこのやり取りは無理があるかと。

・落ち

さすがに無理矢理すぎるのでは…

3話

なぜ、増田相談エントリを上げたのか理解できた気がする。

・3話に関しては、2話でのルール設定が固まってないので、話が転がらなくなってしまっているように思う。

6年という月日が流れているなら、主人公たちが存在をしらないのはおかしいし、

今更カルトが暗躍したところで、シャットアウト完了しているのだから

どちらかというとカルト排除に力が向くはず。

話が行き詰ってしまった印象を受けた。

一旦2話に立ち返って、敵性体関連のルールを固めることと、

各人がどの程度この世界ルール理解しているのかを設定したほうがよいように思う。

2017-09-05

トゥモロー・ネバー・ノウズ

昨日からビートルズの「トゥモロー・ネバー・ノウズ」を聞きまくってる。

この歌、歌詞もわりとあてはまるんだけど、退魔モノの左手の甲に文様が刻まれた学ランの少年夜の森コウモリ的な闇属性身体に入り込んで支配されるのに必死で抵抗して歌ってると想像してヘッドホン大音量で聞いたらハマるので試してみて。弦とかカラスの声(ニンゲンの声の加工)とかすごいそれっぽいから。

https://www.youtube.com/watch?v=Ah2ckzXgrx4

2017-06-24

[]

市之倉さかづき美術館に行ってまいりましたわ。

美濃焼は細かな地域ごとに得意な焼き物棲み分けをしていて、

市之倉は盃が特産品なのですわ。

幕末から明治時代にかけて極限に達した職人技で作られた杯が

多数展示されていますの。

重輔銘のアサガオ連想させる形と色合いの盃は注ぐ液体のpH

色が変わりそうな気がしました。

有田焼エビ柄の盃は、イカ娘さんにプレゼントしたいでゲソわ。

特別区画で紹介されている加藤五輔さまの(本名:五助)の説明文に

わたくし言葉がありませんでしたわ。

江戸時代まれの方ですし、たんなる表記のぶれではありませんの?

加藤五輔(本名:五助)さまの経歴が、銅賞や三等ばかり取られていて、

書かれているのは最高でも二等であることも印象的でした。

切ないですわ。

世界各地の酒器が展示されているコーナーもあります

イランの酒器が多いのは、イラン陶器復元研究されていた加藤卓男さまの縁でしょうね。

中国戦時代の鳥尊という酒器の表面にはびっしり文様が描かれていて、

よくみると「雷文」も確認できました。紀元前三世紀にはすでに雷文があったのですわね。

あと「可盃」は、はてなのみなさんに顰蹙を買いそうですわ。

これは器に最初から穴があいていて、指で穴を押さえてお酒を注いでもらい、

そのままでは机に置けないので必ず飲み干さなければいけないという

代物ですの。

まさに物質化したアルハラですわ。

それはともかく、小さな焼き物ですからこそ、職人技術の粋をこらした

姿に感心することができましたの。

ミュージアムショップがとても大きくて、ショッピングも楽しめましたわ。

2017-05-19

朴 泳孝(ぼく えいこう、박영효(パク ヨンヒョ)、1861年7月19日 - 1939年9月20日)は、李氏朝鮮末期から大韓帝国期の政治家で、日本統治時代朝鮮における貴族実業家日本名山崎 永春。

目次 [非表示]

1 生涯

2 家族

3 その他

4 登場するテレビドラマ

5 脚注

6 出典

7 関連文献

生涯[編集]

判書大監朴元陽の子として京畿道水原生まれる。金玉均らと共に開化党(独立党)を結党した。光緒5年(1879年)、金玉均らと共に李東仁を日本に密出国させ、日本の情勢を探らせた。福澤諭吉支援を受け、光緒8年(1882年)、壬午政変(壬午軍乱)の謝罪のために派遣された謝罪使(副使は金晩植と金玉均であった[1])として日本に向かう船上で、現在大韓民国国旗である太極旗デザインを考案したとされる。朴泳孝が日本派遣された4ヶ月間のことを記した日記『使和記略』によると、8月9日仁川から日本船籍明治丸に乗り日本へと向かった朴泳孝らは、船内でイギリス領事アストンイギリス人船長ジェームスにそれまで国旗として提案されていた八卦太極文様を描いた古太極図を見せて国旗について相談したところ、船長八卦が複雑で区別しにくく他国がこれを見て作るのに不便であると述べたため、四卦を削り、残りの四卦を45°傾けて四隅に配した図案が提案され、大・中・小3本の太極旗が作られたという。8月14日神戸に到着した一行は宿泊した西村屋にはじめて太極旗を掲げ、8月22日太極旗小本とともに国旗制定を本国に報告したという。

帰国後は漢城判尹となり、開化政策を進めるが守旧派事大党)の反対に遭って挫折さらに光緒10年(1884年)12月にはクーデター閔妃から政権奪還を図ったが失敗(甲申政変)、日本郵船の「千歳丸」で日本亡命慶應義塾に隣接していた福沢邸に寄食し、転じて神戸に居を構えた。

光緒20年(1894年)に甲午改革が始まると、帰国して内務大臣となり、改革の中心的な役割を果たすが、開国504年(1895年)に謀反の疑いをかけられ、再び日本亡命した。その後光武11年(1907年)に再度韓国に戻り、李完用内閣宮内大臣となったが、大臣暗殺陰謀の疑いで済州島流刑処分とされた。

隆熙4年(1910年)の韓国併合後には侯爵朝鮮貴族)となり、朝鮮貴族会長1911年)、朝鮮銀行理事1918年)、朝鮮経済会長1919年)、朝鮮維民会会長1919年)、東亜日報社初代社長1920年)、朝鮮人産業大会会長1921年)、朝鮮倶楽部の発起人(1921年11月)、京城紡績社初代社長朝鮮殖産銀行理事朝鮮総督府中枢院顧問1921年)[2]、東光会朝鮮支部初代会長1922年)、貴族院議員1932年)など、日本統治下の朝鮮における要職歴任した。昭和10年(1935年)、 朝鮮総督府編纂した"朝鮮功労者名鑑"に朝鮮人功労者353人のうちの一人に収録されている。

2016-08-20

[]

愛知県陶磁美術館朝日遺跡展に行ってきましたわ。

クリアアサヒッですわ。

朝日遺跡は防御施設をもった弥生時代遺跡として著名なのですけれど、常設展示が充実していないのですわ。

広大な施設もつ愛知県陶磁美術館特別展を開いてくれて感謝感激雨あられですわ。

展示はやはりパレススタイル土器にドキドしましたわ。

弥生土器なのに縄文土器のような装飾性!

色彩だけではなく、文様でもずいぶん手間が掛かっていることが分かって驚きました。

製品の出土品が多いことも印象的で、弥生人生活全体が感じられましたわ。

でも、ミュージアムショップ朝日遺跡の関連書籍が見当たらなかったのが不思議でしたわ。

鉄は熱いうちに打つべきですわ。

もっとも、配布冊子がたいへん充実していたので、わたくしのようなアマサバには十分かもしれませんけれど。

2016-07-08

結構みんな権威主義なんだね。

どれに依存するのもおいらはきらい。

権力は均衡してるのがいい。

米(自民)、官僚民主)、その他。

かたよっちゃだめ。

栄養と同じよ。

国民の方が断然数が多いんだから

そっち中心にしたいわ。

うまくデザインして三つ巴文様にしたい。

それが民主主義だぜい。

2016-03-12

プログレッシブ最高じゃねえかNHK死ね

元日マイクロソフト古川享さんブログより。このブログかなり前から消えてるんだけど、復活の目処は無いのだろうか

放送通信の在り方に関する、私見その9

http://furukawablog.spaces.live.com/blog/cns!156823E649BD3714!4256.entry

https://web.archive.org/web/20061105065656/http://furukawablog.spaces.live.com/blog/cns!156823E649BD3714!4256.entry

さて、この話をいつかはちゃん記述しておかねばと常々思っていたのですが、それに取り掛かろうと思うと胸の古傷が疼くというか、平常心を保って書こうと思ってもキーボードを叩く手に自然と汗が滲んでくるのです。しっかり深呼吸をして、書きます。(またまた長文にて、失礼)

まず、1999年5月24日発表の郵政省資料地上デジタルTV放送方式について電気通信技術審議会から答申」に記述のある以下の文章をご査読ください;

「また、昨年9月の暫定方式や既に答申がなされているBSデジタル放送方式CSデジタル放送方式技術的条件において、実証実験必要とする映像の表示方法とされていた720p(有効走査線数720本の順次走査による映像表示方法)について実験を行った結果、その性能が確認されたこと等が併せて報告されました。 この中で、720pは技術的にHDTV放送位置付けることが可能である、と結論付けられています。」(同上答申より引用

関連記事は、日経産業新聞(1999年5月25日PP.3)、日本経済新聞(1999年5月25日PP.11)、電波新聞(1999年5月26日PP.2)などにも掲載されています

以下は、そこに至るまでの「血と汗と涙のお話」であります

今となっては、720pや1080pのプログレッシブ方式プラズマ液晶テレビとの親和性映画CGなどの映像制作に有利なバリアブル・ピッチによる撮影パソコンによる編集再生環境においてその優位性を疑う人は居ないと思うのですが...1998年からこの1999年5月24日までの間、この720pを日本放送業界から抹殺しようとする「ありとあらゆる活動を展開した集団」がおり、その軋轢の中で多くの人が傷付き市場から去ることになったのでした。

個人の主張、そしてマイクロソフト立場は、1080iと720pどちらが良いか、どちらかひとつを採択するかではなく、仕様の中に1080iと720pを併記して頂きたいというものでした。 米国放送方式はATSCによるHD放送に向けた放送の標準フォーマットとして早くから1080i、720p、480p、480iが規定されていました。50年以上前発明されたテレビ放送米国に合わせてNTSC方式日本採用し、ヨーロッパ中国ロシアなどがPAL方式採用してきた背景からすれば、日米のテレビ方式デジタルハイビジョンHD放送)の時代になっても米国と同様の1080i及び720pを両方サポートするということは自然なことと思われました。日米間の互換性だけではなく、当時よりブラウン管チューブを使った重たいテレビ受像機は、急激な勢いでプラズマTV液晶テレビに取って変わることは明らかであり、走査線が走り一本ずつの光るスダレを交互に表示して人間の眼の残像を利用してひとつ映像に重ね合わせるという飛び越し走査よりは、一つ一つのセルが自ら発光する、もしくは遮光をオン・オフして光源を反射もしくは直視映像表現するフラットパネル時代には、プログレッシブ順次方式が有利と思われました。さらに、映像圧縮採用されたMPEG2方式においては、1080iは22Mbpsでは最高品質映像を表示するも、その転送レートを15Mbps以下まで落としてくると映像破綻するという現象も既知のことでした。720pはMPEG2による映像圧縮でも15Mbpsでほぼ最高品質を達成し,12Mbpsでもほぼ実用の域を保ち、さらMPEG2以外の圧縮方式MPEG4H.264WMV現在のVC1)などを使えば8Mbpsから12MbpsでHD放送を伝送できるというのが、私たちの主張でした。

当時の私の主張をまとめると、「HD放送1080iもしくは720pいずれでも撮影、記録、編集、伝送、受信、視聴できることとする。映像圧縮に関してはMPEG2に限らず、将来の斬新な圧縮技術を随時採択できることにする。コンテンツ保護技術や、個人認証課金技術特定技術一つに限らず、複数技術をそれぞれもしくは組み合わせて提供可能とする。放送通信の融合(連携サービス記述するメタ言語HTMLベースに各種プラグインそしてXML対応する。XHTMLベースにしたBMLはそのサブセットとして組み込む。」

それに対して、1080i擁護派は、「1080iが優れた方式で、議論余地は無い、プログレッシブの話をするなら帰れ!!」(実際に砧の某研究所で当時の所長に言われた言葉ですが...今の所長さん(E並氏)はとても紳士ですので、私は尊敬しております。決して誤解のないように)郵政省会合でも何度となく放送プロ達に諭(さと)されたものです。「君はPC業界に都合の良い方向へ持っていこうとしてるんでしょ」「崇高な放送世界邪悪世界に引き込もうとしている」と..多くの人が同席する会議の場で私は名指しで糾弾されたものです。

将来のデジタル放送の規格に720pは絶対入れないという強い意思とあらゆる活動は「1080iと720pを併記したらどうか」と主張する陣営を徹底的に痛めつけました。

当時、松下電器産業殿は720pの優位性を説きながらDVC Proをレリースされ、1080iと720pの両用機能を持った松下電器産業HD D5という放送局用ビデオデッキは、AJ-HD2700やAJ-HD3700という型番で欧米放送局でも沢山採用され、放送業界権威あるエミー賞DVC ProもHD D5も受賞されています。このD5というビデオデッキNHK殿に納入する時、720pの機能が付いているなんてことがバレると殺されるので、本体に点在するボタン11個以上押さないと、(つまり二人の人間の指を駆使してボタンを押さないと720pの機能アクティブにならないように細工がしてあったそうです。)..まるで隠れキリシタンが隠し絵にキリスト像を描いていたような話でありますが..この類(たぐい)のプレッシャは日々激しいものになってきて、魔女狩りに駆り出された狂信的な信者が、誰彼となく次々と火あぶりに挙げるような行為が続いたのです。

480pと720pの実験放送をやっていた日本テレビSさんKさんの受けた仕打ちは、某放送局のEB沢さんから直接日テレ社長のUJ家氏に電話をかけてこられて、「お宅の技術トップ人間は、ウチに対抗して何かやっているようだけど、けしからん話だ。そんなことではデジタルハイビジョン映像をウチから供給できなくなるけれど、それでも良いのかねぇ」と迫ったそうです。その結果SさんKさんは当然将来取締役約束されてもおかしくない何十年にも渡る業界に対する貢献がありながらいつのまにか表街道を去ってしまうことになりました。

テレビ朝日殿が新しいスタジオを作るにあたり、1080i/720pの両用ビデオスイッチャーを東芝から導入された時、某放送局のキツイお達しがテレ朝東芝に飛び、720pの機能は殺して納入するようにとの指示が飛んだそうです。そして、BS-iスタジオ導入で,1080iのカメラと720pのカメラを性能評価したという話を聞きつけて、「まさか720pのカメラを導入するなんてことはありませんね?」という問い合わせが某局から入ったそうです。

TBS殿も全く同様にメインスタジオへのHD機材導入にあたって1080iと720pの両用システムの導入計画純粋技術観点選択肢だけではなく、それ以外の見えない力に奔走されておられました。「魂の報道」を標榜するTBS殿の報道部門が、DVC Pro 720pを採択されたことが、唯一の救いと感じられました。

NAB98の会場にて明日から開場というまさに前日のこと、某放送局のY氏、会場を事前に巡回されJVC殿の会場にて1080iと720pの両用カメラ発見JVC殿に対して「好ましくない表示は控えるようにと一括」結果としてNAB98の初日には無残にも綺麗にできた展示パネル1080i/720pの文字列の720pの部分にはガムテープが張ってありました。

毎週のようにこのような話を耳にするにつけ、これは魔女狩りでも特高警察検閲でもあるまいに…現代の話なのに本当にそんなことが起っているのだろうかと自分の耳を疑っていました。そしてそれが、とうとう我が身にも降りかかったのでした。

1998年NABショウでマイクロソフトは初めて放送関連のコンベンション技術展示をすることになりました(関連記事)。松下殿より当時500万円程したHD D5デッキマイクロソフトは購入し、1080iと720pの映像を左右1対で比較デモ表示し、どのように優位性が表示されるか比較デモを予定していました。1080iの標準的撮影は1440x1150の1080i標準ビデオカメラによる撮影結果を1920x1080の映像計算しなおし(アップスケール)、それをスダレのような偶数奇数フィールドに振り分け送出するという方式を取っていました(現在デジタルハイビジョン放送の標準撮影方法です。)。そして同じ映像1280x720の720p標準カメラ撮影しD5デッキに録画した映像をそのまま720pで再生するというデモ内容でした。映像再生には当時の最高品質CRTスタジオモニター(8000ドルクラスSONY製品を2台)をマイクロソフトの展示会場に用意しておりました。比較展示用デモ映像は同じスタジオ環境撮影した1080iと720pのそれぞれの映像データをお持ちの松下電器産業殿からD5の録画テープをお借りして、初日デモへ向けて全ての設営と映像チェックが終わった時のことです。某放送局の方が、マイクロソフトブース垣間見るや、とても渋い顔をしておられます

私は夕方の6時過ぎに会場の設営も終わり、ホテルに戻ろうとしていたところ、松下殿から緊急の連絡が入り、展示に使っていたビデオテープを持って松下殿の技術担当役員ホテルの部屋まで来て欲しいとのこと..部屋に入るとその役員さんは、ベッドの上にあぐらをかいて、その両脇には15人を超そうという松下の方々が壁沿いに2列にずらりと並んで座っているではないですか..その姿はまるで、新入りの囚人(私)が牢名主親分に「今日からお世話になります」と仁義を切るのかい、というような雰囲気でありました。

そしてその親分さんが言うには、「そのテープ黙って置いて、帰ってくれ」とのこと..「冗談じゃない、そんなことしたら明日の展示は何も映像が表示できないではないですか?何故そんな唐突な話をこの期に及んでされるのですか」と問いただしたところ、松下マイクロソフトに協力して720pを推進するのはけしからんと、某放送からお叱りを受けたと..それだけでも絶句出来事なのに…「とにかく松下から映像を貸し出すなどとんでもない..即効撤収してくるように」との具体的な命令を受け私は必至に食い下がり、「その映像作品は全て松下殿の著作物であり、某放送局に文句を言われる筋のモノでは無いはずです。それを何故ゆえに引き上げなければならないのですか?」と伺えば..「その中のヨーロッパのお城のシーンはARIB加盟各社がテスト映像として皆で利用するために松下が供出したもので、そのテスト映像ARIBの会員でもないマイクロソフト勝手に使うのは如何なものか?」とのこと..私はさらに一歩も引かず交渉を続け…もしそれが現実になるのなら「明日の朝は急遽説明パネルを書いて、某放送局の名前実名で明らかにした上で、この名前会社の不当な介入でマイクロソフトでは展示ができなくなりました」と張り出しますよとまで迫りましたが担当役員は首を立てに振りません。最期に私は「判りましたこテープはここに置いて行きますが、夜中に誰かにまれたということにして私が犯人になりますから..盗難届けを出してください!!それでは如何でしょうか?」と交渉は3時間を越える押し問答となりました。

その結果最後に明らかにされた背景は、某放送局の方から松下役員に語られた厳しい言葉でした。それは、「君、僕らは今年50億円くらい君の会社からモノ買う予定だよねぇ、そんな態度でいると、50億円のビジネス失うことになるよ、君ぃ!! それでも良いのだね!!!」というもので、担当役員は縮み上がってしまったのだそうです。技術担当役員マイクロソフトの展示に協力をした結果、50億円のビジネスを失うことになったら営業担当役員との軋轢を生むことは必至であり、そこまでのリスクを負ってまでビデオテープマイクロソフトに貸し出すわけにはいかないとの判断、私はビジネス交渉でこんなに困り果てたことは一生に何度も無いというぐらい意気消沈しきっておりました。

10時にならんとするタイミングで、日本からシアトル経由でラスベガスに到着後、時差から回復する間も無く会場の設営を手伝っていた私はもうダウン寸前…そこで思いついた解決策は「判りました、このテープはお返ししましょう。その代わり今から新規撮影を開始しまから必要な機材と人を朝まで貸してください」と何とも無謀な提案を申し出たのでした。 NABのメイン会場からマイクロソフトの借りていたヒルトンホテルの部屋まで、HDカメラ(当時は100kg以上あったと思います)とD5のデッキを担いで深夜に部屋へ持ち込みスイッチャーや編集機もないままイッパツ撮りでデモ映像を仕上げなければなりません。私はそれまでにいくつかの放送スタジオ見学に行ったことはあるものの、映像プロデュースも撮影も全くのシロウトですので、カメラライティング撮影オペレーションに付き合ってくれる人たち3人ほどに朝まで付き合ってもらいました。

途方に暮れて困ったことは、深夜の12時にラスベガスホテル撮影できる生素材など有りはしないのです。それも著作権肖像権侵害せず、HD映像の違いが際立って表現できる素材、なおかつ1080iより720pの方が綺麗に見えるという素材(多くは、風にそよぐ木々とか波打つ水面、キックされたサッカーボールなんてものが使われるのですが..残された時間日中ロケハンに出かけることもできず、全てはラスベガスヒルトンの部屋で深夜、朝までの6時間以内に解決しなければなりません。

まず、深夜のルームサービス果物の盛り込みを頼みました。そしてその果物の表面に霧を吹いて光るリンゴの表面に張り付く水滴なんてもの撮影しました。本格的なスタジオと違って光の回り方も映像モニタを視ても、思ったような映像にはなりません。

夜も更けて3時を廻り4時にならんとした頃でしょうか、雑誌カラーグラビアをメクりながら、この際著作権の許諾を無視して雑誌に写っている写真撮影してしまおうか?こんな深夜にマトモに著作権の許諾などできる素材など有りはしないし、と途方に暮れていたところ、あるアイディアが湧き出てきました。「そうだ、ドル紙幣撮影すれば手彫りのエッチング表現された人間の顔やお札の文様HD撮影すればビックリするほど細かい映像として撮影対象になるに違いない、誰でもそのパターンが何か理解できるはずだし、何よりもお札の縦横無尽に走っているストライプが際立って720pと1080iの違いを引き立ててくれるに違いない」と確信するに至ったのです。ドル紙幣ビデオ撮影しても肖像権著作権を主張する人もあるまい、という点が一番大事ポイントだったのです。

壁に貼り付けた50ドル札(私の持っていたピン札はそれしかなかったので)にバッチリライティングを施し、撮影した結果は「キタキタキターッ」という感じ!!カメラパンして右へ左へ振りながらお札の表面を舐めるように撮影した720pの映像は細かい線の1本1本を明確に表示して、1080iの映像は実に見事にモアレ縞が出まくり画面にチリチリと汚い映像が糸を引きます。これでこの映像をそれぞれディスプレィに表示した上で、 Permalink | 記事への反応(0) | 11:32

2016-02-28

死霊術師井上

死霊術師としてのすべては、今は亡き祖母から伝習した。大学では文学部に進学した。これはもともと歴史学に興味があったことと、死霊術師としていつか遭遇するかも知ない事態に備えるためだった。

大学3年生の終わりころ、死霊術師としていよいよその事態を迎えることになった。

ある日テレビを見ていると、旅番組のようなものがやっていて、滋賀県西部の山林地帯をいつも見る芸能人が歩いていた。何の変哲もない番組だった。しかし、テレビを介しても充分過ぎるほどに、死者が放つ霊の波動が伝わってきた。もちろん、普段生活していてもその種の死者の波動を感じることはある。霊波は一般に、腐ったり火葬したりして身体が失われると弱まる。またたとえ身体があっても、時間経過によっても霊の波動は弱まる。人間やその他の生き物は、その場にとどまろうという意志を長くはもちえないのだ。恨みだとか、一般に強そうと言われる意志ですらそうだ。こういうのは仏教的に言うと成仏していくってことなんだろう。魂は残らない。めったには。

テレビで知った、滋賀県の霊波は別次元と言えるほど古く、そして強力だった。おそらく、亡骸がある程度そのままの、古い死体があるのだろう。そして、強靭意志21世紀でも保っている。

死体と強い意志。これが重要だ。死者蘇生の用件を満たしている。そしてかなり古い。

腕試しにはちょうどいい。見つけてしまったらもう止められない。死霊術の行使者として、その興味関心を止めることはできない。

祖母から習った作法で、霊波の質から霊が生きた(死んだ?)時代のおおよその年代を感じとった。520年+-30年前くらい? 手元の『日本史辞典』を紐解く。室町後期? 手が震える。研究室で『国史辞典』にかぶりついた。

その頃の近江一般に長享・延徳の乱と呼ばれる動乱期にあった。守護六角氏討伐のために将軍足利義尚が長く近江に陣を設けていた。どうやら死体はこの時期のものらしい。

私は大学研究室院生の先輩に聴いてその時期の文献を学んだ。また隣りの言語学研究室国文学研究室に行って、室町時代言語やその発音について質問した。かなり難しい。筆談の方がいいかもしれない、と祖母アドバイスを実感をもって思い出した。まさか室町期の死体に会えるなんて。せいぜい行って天保期くらいだと思っていた。古い死体なんてもの時代を遡るにつれて加速度的に少なくなる。祖母明治4年に死んだ男の死体蘇生したことがあると言う。これでもだいぶん古い方だ。室町期の死体なんて、祖母からもきいたことがない。後で聞けば、先輩方は私が卒論室町時代後期を扱うから一生懸命調べていると勘違いしていたそうだ。


春休み近江に旅した。大きなスーツケースを持って。蓬莱なんてお誂えむけの地名だ。山の方に入っていく。山は静かだった。ほどなくして現場に到着した。霊波は強い耳鳴りのような形で私の身体に具現する。こんな古くて強い霊波、他の死霊術師が気付かなかったのはちょっと不思議だ。まぁ波長が合う、合わない、はかなり厳密だから。私にもってこいのチャンスなのだ。私は女ながらオリエンテーリング部で体を鍛えていたから山歩きは結構得意なのだオリエンテーリングなんて全然興味が無かったんだけど、新人歓迎コンパで迎えてくれた先輩方の雰囲気がすごく良かった。サークルでは、大学生なりだけど、人との付き合い方、間の取り方を学べたと思う。高校生の時にはあまり意識できなかった、人間(じんかん)の距離感や発話。

山道から沢に下りる。死体が残った理由が、何となくわかった。日本では死体はすぐ腐って亡くなってしまう。しかし沢下にはぽっかりと、知られざる洞窟が顔をのぞかせていた。多分ここに死体がある。相違ないだろう。もしかしたら近年はずっと埋まっていて、最近になって地震などで再び穴が地表に現れたのかもしれない。だから今まで波動に誰も気づかなかったのかも? 洞窟は沢が近く低温が保たれ死体が保存されたのかも。あるいは永久凍土なんかがあって風穴で涼しいのかも。ま、これを考えても詮無い。とにかく、死体があるのは明らかなのだから

ひんやりした洞窟に足を踏み入れる。かなり急だ。いよいよだ。震えるほどだ。周囲には驚かれるけれど、死霊術の技術は、実は私にとってはとても簡単なものだ。血も継いでいるし、祖母と言う佳き師もあったから。祖母もいっていたことだが、基本的死霊術師は技術的な部分はそんなに問題にならない。むしろ重要なのは、死者と会い、契約する時の対話の仕方だ。死者が生きた時代言語常識を、こちらが把握してしっかり対話せねばならない。そうしないと蘇生に応じないこともあるだろうし、蘇生したい旨すら伝えられないこともあるだろう。死霊を怒らせてしまっては、あるいは成仏させてしまっては元も子もない。死霊術師の実力はここで決まる。このことを上手くやるために、私は大学では文学部へ行ったのだ。もし死霊術師に生まれなかったら、稲の光合成研究をしに理学部農学部へ行きたかった。

洞窟の奥にややひらけた場所があり、その壁によりかかるように木製の箱型の人工物が見える。…ああ、かなり古い牛車だ。小八葉の牛車? 公家が移動手段として用いていたもの。八葉の大きさ、小さい? 大きい? これで身分が大体分かるのだが…肝腎の大きさが、大きいのか小さいのかわからない。そんなの文献に載ってない。牛車なんて初めて見るんだ。そもそも近江に牛車。やや不可解? 足利義尚近江出陣の際には公家近江まで出向いたというから牛車できてたのか? それにしたって牛車で近江まで行くの? なにもかも自信が無くなってくる。

これではだめだ。祖母の言によれば、まずはその人をそのまま、そのままに感じるのだ。先入主観は退けるのだ。牛車の文様が大八葉だろうが小八葉だろうが、なかに居る主こそを見るべきなのだ

精神を澄ませる。霊とは頭の中で会話する。結局、『太平記』のテキストをメインに準備を進めていた。『太平記』は南北朝時代を描いた軍記物で、室町後期には往来物として身分を問わず人々に広まっていた。死体教養がいかほどであっても『太平記』の語調なら大丈夫ではないか、と考えた。とうぜんテキスト変わっているんだろうけど…。

太平記』の文法で私は語りかける。

「私はあなたよりも後世を生きる人間で、その間に人間が語る言葉も変わってしまった。この言葉あなたにどの程度通じるか私にはわからないが、どうか話を聞いてほしい」。ここまでテンプレ国文学研究室富田先輩ありがとう

…牛車がガタガタと動く。御簾が超自然的な動きを示し、内の暗闇をあらわにする。お化けが怖い人はびっくりするんだろうけどもちろん私はそんなことはない。打掛の裾が見える。小袖が二重? そして茶色く干からびた手のひらが…暗くてよく見えない…が、死者に話しかけた段階で幽界との淡いが生起し、この世ならざる強烈なイメージ五感以外から五感を経由し認知される。死体は髪の長い公家女性が見える。平安時代のオカメ十二単イメージがあるけど、それより軽装だ。でも相当めかしこんでいる。この時代人間は小さいしガリガリだな。さぁ、いよいよだ。頑張って蘇生素体になってくれるよう語りかけよう。

「…私の寂滅からどれくらいの時間が経過しまたか?」むむ、なんとかこれくらいなら聴き取れる。うほっ、「太平記読み」専攻の坂田先輩ありがとう! 高校非常勤やりながら大変でしょうけど博論頑張ってください。

「五百有余年でございます。『太平記』を読んであなた時代言葉を学びました」「…私も『源氏物語』で古の言葉の遣いに触れました。」「実は、…今日あなたお話しがあって武蔵国から参ったのです」いよいよ本題だ。

あなたは強い心をお持ちで五百有余年をお過ごしになられました。そして幸いにしてお体も崩れず残されております。私はあなた精神と身体とを結び付かせ、再び現し世に復することができます。再び洞窟の外に出て暮らしてみるのはいかがでしょうか」

「たしかに私はまだ黄泉の食物を口にしておりませんね」さすが公家の娘だけある。当意即妙にこたえねば。「私なら黄泉比良坂をあなたを連れて戻ることができます。」「どうして私を選ぶのです」「あなたのように長らく意識と身体とを保つ例はめったにないことなのです。」実はこれはあまり理由になっていない。死霊術師の衝動説明するには、私には言葉が足りない。彼女が尋ねる。

「当時(筆者注:ここでは現在の事を指す)は死者を供養する作法は未だ仏式を用いますか?」意外な質問だ。自らの供養を望んでいるのか? 「ええ、大分形はかわっておりますが仏の教えは今でも通用しております」「ならば既に死んだ者を私なりのやり方で供養して、意味があるということですね」…あやうく意味を取り損ねるところだった。ちょっと不可解な質問だ。彼女は何を考えているのか。彼女の事を深く知った今になって考えると、これは彼女なりにかなり考え抜かれた、ある種の哲学のようなものだった。彼女の培った供養の作法。そのルールがもし現代で途絶えていたら。つまり仏教現代に伝わらなくて、もし私たちが何か違う祈りの作法で死者を弔っていたら。きっと彼女蘇生に応じなかっただろう。彼女の知っているルール現代でも供養ができる。これが彼女にとって重要だったのだ。

「私は京都六角富小路邸宅がある公家(筆者注:ここでは「こうけ」って読んでね!)に生まれました。大乱(筆者注:ここでは応仁の乱を指す)の後の騒擾の世でありますから、私は近江根拠にする武家の御仁に嫁ぐことになりました。いよいよ渡嫁のとき、牛車が谷に落ちて私は命を落としたのです。嫁ぐことが決まってから武家奉公人生活が如何様であるか、主人が如何なる稟性を持つのか。和歌は読めるのか古典は存じているのか。いつも想像していました。」死霊術師の常識から考えれば、それだけでここまで精神は保てない。私はほとんど確信をもって尋ねた。「もちろんそれだけで想いを保つことはできなかったでしょう。どうして。」

彼女はここで初めて表情を私に感じさせた。「実は洛中で一度彼の人をお見かけ申上げたことがあるのです。私の生家は上って四位の家柄ですから、ふらふらと外にでてもあまり咎められることは有りませんでした。ある日京師が物騒になり武家の人が20騎ばかり邸宅の前を過ぎりました。颯爽と武者を連れていたのが、後々判ったことですが我が主人となる方でありました」え? それだけ。うーん恋愛感情ってわからないけど、そんな単純な感情で何百年も持つのかな? 単純だからこそ長持ちする? わからんね。すると彼女が続ける。

「死んだあとはずっと新しい生活の事を考えていました。武家生活。今まで見知った知識や噂話全てからひとつひとつ、未だ来ぬ時の先をずっと、ひとつひとつ限りなく。一日の起きてから寝るまで衣服の糸先から世情に至るまで。とにかくひとつひとつ。世に現れるであろう現象をすべて想像しうる限り、ひとつひとつ。彼や周囲の人間との交わされたであろう会話をひとつひとつ。彼の人とのありうべき時と出来ごとの全てをひとつひとつ想像していたのです。そうしたら、ええと、五百有余年過ぎ去っていたというわけです。」そうして彼女は莞爾した。私は一発でこの女性を好ましいと思ってしまった。こんな偏執的で叮嚀な思考回路を持った人があるだろうか。この人なら。彼女21世紀平成の世の中で夫となるはずだった人の菩提を弔わせたり、あるいは彼の一族についてその後どうなったか調べさせたりすることは、彼女の心性をおそらく負に傾けることはないだろう。ひとつひとつ彼女には想像したことの自分なりの答え合わせをしてもらえたら。私がそのお手伝いができたら。ちょっと勝手か。とにかく、この人なら大丈夫だ。

好奇心イマジネーションとを併せ持って、平成の世まで意識を有した五条顕子姫の死体は、その意識と共に、こうして私の赤羽マンションにやってきた。

2016-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20160112205130

なんか勘違いされがちだけどイスラム禁止しているのは「偶像崇拝」であって「偶像」は禁止してないし

故にイスラム美術には絵画彫刻もある

また、アラベスク文様モスク建築も、

しろ偶像崇拝禁止しなければ、あそこまで素晴らしい物は生まれなかっただろう

2015-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20150823150207

カムカするという娯楽だろう。俺も同じ目的朝日新聞という題字の印刷された梱包材の文様を熱心に読むことがある。

2015-08-14

プロデザイナー存在意義って……

私は大昔に美術大学グラフィックデザイン科を卒業し、デジタル以前から現在まで、デザインで飯を食ってきたが、

つの時代でもデザイナーというのは(就業人口の少なさという意味で)マイナーなので、

一般からは業務の実際を知られていないなあと思う。

オリンピックエンブレム問題から派生した諸問題に、周囲のデザイナー界隈は今、みんなウンザリしている。

そんな中で、とある記事ブコメ典型的な「普通の人」の意見を見つけ、

ああ、残念だなあと思った。

曰く、「デザインという感性世界作品に、コンペで優劣を付けることが可能か?」

私の答えは「はい。優劣の評価は可能です。点数を付けることだってできます

ただし、一定得点を越えると”感性”の差ではなく、一種の”政治的判断”で得点が変わります。」となる。

デザイン感性みたいなふわっとした物言いに、とても違和感がある。

感性」とは置き換えればカッコイイ・美しい・訴求力があるものの選択能力だが、

商業デザインプロは、それらを理論化・数値化・データ化して考えるものなんだ。

プレゼンに勝つためにもね。

上記のブコメのような質問は、プロフェッショナル否定論につながる。

コンペで好き嫌い当落を決めてたら、

審査員がただのどシロウトということになるし、

好き嫌い選考されるものに応募するデザイナーはいなくなる。

デザインを構築する要素の大部分は、実は厳密な理論や、歴史から学んだハック、

あるいはマーケティングから得られたデータであって、

わりと理系寄りな教養トレーニングの積み重ねがないとプロになれない。

また、そうでなければ、安定した職業として成り立たない。

例えば、話題多摩美術大学の、2014年度履修科目の中から『共通基礎教育科目』を見てみるといい。

絵ばっかり描いているわけじゃないのだ。

一部抜き出すと、

心理学芸術心理学/造形心理学歴史学日本文化史論/文学美学概論/美学考古学文化人類学民俗学芸術科学/図学/日本美術史概論/東洋美術史概論/西洋美術史概論/宗教学人間工学/色彩論/芸術材料学/近代デザイン史/染織史/文様史/写真論/社会心理学マスコミ心理学映像メディア論情報論/情報工学演習(コンピュータ基礎、情報機器操作3DCG)/総合講座デザイン論/現代工芸論/服飾文化

基礎学問を学んだ上で、自分の手を動かして作品を作る実践授業を受ける。

特に「造形心理学」「色彩論」あたりは、自分が学んだ頃よりずっと進化している学問分野だろう。)

すると、おのずと他人作品を見て、「こういう背景をふまえて、こういう意図で作ったな」という

コンテキスト、というか文脈が透けて見えるようになる。

かかってる予算すら、読めてしまう。

プロなら分かる」って、どこの分野でも同じだろう。

プログラマならコードを見ればわかる。八百屋なら野菜を見ればわかる。

でも「何をどうわかってるか」を他人に伝えるには、膨大な説明が必要になる。

しかもいざ説明しようとすると「長い、3行で」となって聞いてくれない。

多くのデザイン関係者が今でも「オリンピックエンブレム盗作に当たらない」と断じているのは

まさに上記のような、職業人としての訓練の結果(及び法的手続きの結果)だが、

ネットでそれを言うと、手斧を持ったモヒカンが大挙して襲って来るよね。

何でもかんでもポジショントークに見えてしまうんだろうね。

その様子を見ていて、「多数決文化を殺す」って感じるよね。

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