はてなキーワード: プレーヤーとは
使い慣れた原宿プレーヤーが提供終了になってしまったので、これを機にニコニコをみるのやめようと思う。
別に、運営が憎いとか、ドワンゴがウザいとかそういう気持ちはまったくないんだけど、
テレビをみない代わりに、ニコニコ動画をダラダラみる習慣がついてしまって、「これは非生産的だなあ」と思うことがよくあった。
だから、「お前らがGINZAをゴリ押しするからこうやってユーザーが離れていくんだよ」とかいう捨て台詞を吐く気持ちはぜんぜんなくて、
むしろ、「意志の弱い自分の時間を取り戻す機会を与えてくれてありがとう」と感謝を述べたい気持ちだ。
世の中には、ニコニコのお陰で生産性が上がる人がいるし、生産性よりも楽しい時間つぶしができれば幸せだという人もいる。
動画をつくったり、生放送をしたり、自分のコンテンツ力を磨きたいと思う人にとって、もの凄く優れている場だし、
そんなに所得に余裕はないけど、少なくとも時間は持て余している、楽しいお祭りに参加するのが幸せだという人にとっても、最適な遊び場だ。
ニコニコは、そういう人たちにこれからももっともっと貢献して、沢山の人をニコニコさせてあげてください。
今まで本当にありがとう。
最終ホールでの優勝を争う最終組の対決。一番の見せ場だ。
一人のプレーヤーは、1打目をフェアウェーキープ。もう一人は、バンカーに入れてしまった。
バンカーに入ったボールは、バンカーのすみっこの芝生との境目に挟まったようになっていて、容易には打てない状態だった。
その場面で解説者は、「これはついていない。ゴルフはわからないものですねぇ」と言っていた。
バンカーに入れたプレーヤーは、なんとか脱出を試みたが、1回目は失敗して、バンカーの真ん中にボールが何とか動いた。
次のバンカーからのショットはすばらしかった。さすがにプロの一打だ。フェアウェーに載せた人と遜色ないすばらしいパフォーマンスだ。
これは、ゴルフに限らないと思う。ちょっとした運の良さ、運の悪さの違いでこれだけの差が出てしまう。
いっしょに見ていたおじちゃんは、フェアウェーキープしたほうは、優勝して賞金3000万で、バンカーのほうは順位を落として500万くらいしかもらえないんじゃないかと言っていた。
プロの世界だから当然だよねという意見があるのはわからないでもない。
どちらもプロとして常人には到底到達できないすさまじい技を持っている。それをシロウトが見て、あっちはすごくてこっちはすごくないというのはどうだろうかと思った。
どちらもすごいよね。
だれかの人生を評するにあたって、同じようなことがいえるのではないかと思った。
ゴルフに限らずして、普通の人生をまじめに進めていても、なかなか出れないバンカーのようなものにはまってしまうことがあるかもしれない。
春先にpresent4youなる、好きな選手を4人も選べて400万円なるキャンペーンをやっていたときの話。
球団社長と選手を吟味していたところ、彼は内川4つを真顔で注文した。王さんは苦笑で聞き返す。彼は真剣に内川4つと告げた。
理由を聞くと、内川が好きで他の味を食べる気にはならない、とのこと。じゃあなんで試合を見て選手を選ぶような素振りをしたのかと聞くと、選ぼうとしたけど選んだ結果やっぱり内川に行き着いた、らしい。
先に言っておくが、彼はいわゆる変わった人ではないし、おかしな人でもない。ただ単に内川が好きなだけなのだ。
私は昔から勝手な思い込みで、野球選手の中でわざわざ内川を選ぶ人は、どことなくバカっぽいと思ってしまうのだ。内川しかいなくて内川を選ぶならともかく、他にもいろいろなプレーヤーがいるのに、わざわざ内川を選ぶ、という行為に対して。しかもモナ岡のホテルのように、球団移籍もあるし野球選手生命以外の要素もある内川、ではなく、純粋内川のチョイスに対して。
別に他人の嗜好にああだこうだ言うつもりはないし、好きな選手を選ぶのだから、自由にすればよい。それは分かっている。バカっぽい、というのもわざわざ口にしないし、心の中でそう思ってるだけ。そういう風に思っている私こそ変わってる、とも思ってる。
内川以外では、マック鈴木。ドラフトでマック鈴木を注文する人は、なんとなくバカっぽく見えてしまう。
ちなみに、友人に、気のおけない仲だからこそだが、この果てしなく下らない偏見の話をしてみたところ、内川もマック鈴木の偏見も分かる気がする、と言われた。
ものによりすぎる。
スポーツ関しては為末の言ってることは正しすぎる。こと陸上に限って言えばほとんどがその肉体能力を直接測ってる様な物がほとんどなので、
生まれた時点での成長の限界値がかなりの域を決める。
スーパーアスリートたちなんてのはその限界値が高い連中がさらに完璧に育ち上がって鍛錬を得た上で成り立っているので。
努力が意味が無い、と言う意味ではない。同じ努力をしても明らかに差が出てしまう部分である、ということだ。
スポーツでも、バレーやバスケなんかだったら身長が低ければトップ選手にはなれない。勿論、低くても役割を得る事は出来るしその部分で凄い選手も居るが、
やはり最高のプレーヤーではない。
サッカーや野球なんかだとまだ技術による物が大きいので、生まれつきが99%と言うことは無いだろう。1%の才能と99%の努力、と言うことも無いと思うが。
野球のほうがパワープレーな部分が大きいので、サッカーの方がまだ差はつきにくいか。
流石にバロンドールまで行くと何が必要かは分からないが、あれでも受賞した選手をみてれば、その彼らが身体的にずば抜けてるかと言えばそうではない。
(いや、ずば抜けては居るんだけど、生まれつきでそうなったか?といえば、他の人でも同じだけの鍛錬を積んだらそれくらいにはなれるんじゃないか?程度。その鍛錬が普通は出来ないほど尋常じゃないわけだけど。)
サッカー的なセンス、ってのは才能なのかどこまで後から獲得できるものなのか分からないところなので。
これは生まれはほぼ関係ない。マトモに大学行って大学院まで行っても許される様な環境ならばだれでも取れる。特にノーベル賞の方は。
ノーベル賞でも物理の理論だったりフィールズ賞的な、もう、ホント常人とは思えないような理論で取ってる場合はもしかしたら生まれつき脳が違うのかもしれないけども。
物理の実験だの化学、医学については誰でも取れるといえば取れるでしょう。流石に生まれつきで決まるもんじゃない。
カンヌで最優秀賞
これは生まれよりは運だろう。作品賞とかならば。
勿論、男優賞とかになれば顔そのものなんだからスポーツなんかよりも余程生まれの要素は高いと思うけど。
これも運。生まれの要素はホントに低い。
その下で言ってることにはかねがね同意するけど。
昨日、モノを捨てた。って言うか、捨てられた。
昼前に起きて一階に降りたら、ステレオセットの上にのっていたものが降ろされていて、掛っていたカバーも外されていた。
どうしたのか訊いたら、捨てると言う。昨日の内に業者さんが下見に来ていて、今日これから引き取りに来るって。
エレクトーンも捨てるって。
せめてと思って、慌てて埃を払って廊下へ出した。廊下と玄関の間の引き違い戸を外して、運び出し易くした。
そうしたら、ちょうど業者さんが来た。
記念に撮影したかったけど、いい歳したオッサンがね、そんなこと言うのも気が引けて、ちょっと待ってとも言えなかった。
みんなドナドナされていった。晴れていた。昼前だけど。トラックだけど。
・ヤマハ エレクトーン C-80 & イス(エレクトーンの相方)
母方の伯母夫婦に買ってもらった。当時はお金の出所なんて知らなかったけど。
小さかったころ、知らない人が家に来て、母に「やる?」って訊かれて、よく解らないまま「うん」って言ったら、音楽教室に通うことになった。
結局、よく解からないまま、ロクに弾かないままやめてしまった。
やめてからもときどき音を出していたけど、高校受験を控えたあたりからかな、全然使わなくなって、それきりになった。
本体/ヘッドホン/イスのトリオでウチに来たけど、いつの間にかヘッドホンが行方不明になっていて、本体/イスのコンビで送り出した。
レコードプレーヤーは4段切り替えだったかな。持ってたレコードは33回転と45回転のものしかなかったけど。
プリアンプはトランジスタ、メインアンプとチューナは真空管で組まれている。
電源を入れると背面の放熱口から真空管の光が漏れて暖か味を感じさせる。使っている内に本体の天板が実際に暖かくなってくる。
夏はすごく熱くなる。ウッカリのせっぱなしにしてあったソノシートがふやけたようになってダメになった。
チューナーにはステレオビーコンがついててFMのステレオ放送を受信すると赤いランプが点る。うまくランプが点るようにチューニングするんだよね。
ずいぶん前からロクに使ってなかったけど、ときどき電源を入れると音は出た。ノイズ混じりだけど。真空管かなり傷んでるからね。
プレーヤーとアンプを繋ぐコネクターも傷んでいて、ちゃんと繋ぐにはコツがある。
コネクターの樹脂部分の中で接点金具がズレるんだ。だからガタツキのある接点に繋がったリード線をつまんで接続面側に押し付ける。
押し付けた状態でコネクターの樹脂部分とリード線を持って接続すると、接点がきちんと接触する。
ほかにも傷みは多いし、付属品も欠品が多いけど、説明書はみつけたので一応つけておいた。
こいつは自分が生まれる前からウチに居たらしい。40年くらい前から。
クラッシックのレコードやソノシートが数枚ばかりあったから、あれで胎教でもしてたのかな。
小さかったころは、母にねだってレコードや雑誌の付録のソノシートを掛けてもらったり、一緒にラジオを聴いたりしていた。
生まれた瞬間が人生の頂点だったかもしれない自分にとって、まあまあ幸せだった幼児期を思い起こさせるモノ。
母が死んだら一番の形見になると思ってたけど、その母に捨てられた。まあ、母の持ち物だし、形見なんてあっても仕方ないけど。
形見を見ながら「お前のお婆ちゃんはね…」なんて思い出話しをする相手もいないし。
親が死んだら食い詰めるし。こいつを持って、公園だの橋の下だのに移住するのも大変だもの。
他にも幾つか捨てられたけど、思い入れのあるモノはこの二点だけ。
どちらもウチで過ごした期間の大半は置物/物置台の状態だった。不遇だよね。「スキルを活かして働きた~い」的な意味で。
どちらもまだうごく筈。どうかどうか中古市場の方に流れて、新たな持ち主に恵まれて、モノとしての寿命を全うできますように。
いまだに気持ちがモヤモヤして落ち着かないので、試しに吐き捨ててみようと思って書いています。全くの私事なのだけど。
要らないモノを捨てると、心がスッキリするんじゃなかったっけ?"捨てる"と"捨てられる"とでは話が違うのかな?
何年か前から"整理術"とか"捨てる技術"とか"断捨離"とか流行っていて、テレビでも紹介されているでしょう。
あれで例示されてるケースって、服とか本とか一人が専有/専用しているモノばかりじゃないかな?
家族で共有/共用しているモノはどうするんだろ?詳細は本で?また要らないモノが増えちゃうな。
母も自分も"捨てられない人"なのだけど、今回はその母が突然"捨てた"わけです。自分にとっては「何でそれ捨てるかな?」ってモノをね。
母は食品なんかの空き箱/空き瓶をため込んでいる。保存容器などに使うために。でも、同じ商品を頻繁に買うので、同じ空き箱/空き瓶がどんどんたまる。
いま在る分を捨てても同じものがすぐにたまるのだから、それこそ捨てていいモノだと思うし、そう言ってるんだけどね。
今朝プレーヤーの電池が切れたから、久しぶりにBGMなしでてくてく歩くことになった。
これまでも何度かそういうことあったけど、やっぱり音楽を聴かないほうがいろいろ考えることができるね。
自分の場合、音楽を聴きながら通勤したら思考停止してるんだよね。
なんとなく流れてる音楽を頭の中で口ずさんだりとかすることだけに集中してしまってさ。
通勤通学中くらいはぼーっとしたいってんならいいけど、何か考え事があるなら音楽はむしろ邪魔だなと思った。
もちろん音楽聴きながらいろいろ考えることができる人もいるんだろうけど。
・選手は自己の持てる力を最大限に発揮した試合をしたいと常々願っている。
・観客もそのようなレベルの高い試合を観戦したいと願っている。
・そしてそのようなレベルの高い試合は、選手だけで達成できるものではなく、選手と観客との総合作品である。
こういうことではないのかなと。
特に3番目の、レベルの高い試合は、選手だけで作れるものではなく、観客と選手が一体となって初めて出来るものだ
というところが、テニス観戦の歴史の長い海外ではもしかしたら、観戦マナーとして定着しているのに対して、
もちろん、日本でもまったくなじみがないわけではなく、野球でも、鳴り物自粛だとか、スポーツ以外の分野でも、
観劇のマナーとか、いろいろ定着してはいるけれども、はっきりと言語化した形で、あるいは明確に意識化された形で、
試合中のためいきの是非といったひとつひとつの具体化されたものにまで踏み込んで、意識に根付いているわけではないのだろう。
だから伊達発言に違和感を感じる人は、「プロであるにもかかわらず、自身の不出来を客のせいにするとは」といった反応に
なるのではないだろうか。
だがプロとはいえ、メンタルをもった人間であるから、メンタルに左右されるのは事実として否めない部分はあるのではないだろうか。
たとえば、将棋や囲碁の頭脳ゲームで、周囲で騒音を鳴らしても、ゲームの質は本当に維持されるだろうか。
ゴルフのパターで観客の携帯が鳴ったらプレーヤーの集中力はどうだろうか。
こう考えていくと、「プロといえども…」という部分は、絶対にあるはずで、「いやしくもプロならば…」という気持ちも一方でもちろん
わからなくはないのだが、しかしレベルの高い試合をしたい&見たいという願いは、プレーヤーと客の双方の共通の願いなのであるから
そう考えていくと、観戦の歴史の長い国ではすでに共通認識化されているマナーが、日本ではまだはっきりとそこまでは進んでいなくて、
こんばんは。27歳のニートです。
ひょんなことからエロサイトを作ったら結構デカいサイトになったのでそのことについて書きたいと思います。
巨乳動画ストリーム
http://kyonyudouga.com/
さすがにニート生活にも飽き、何かやりたいなと考えた時にアフィリエイトを思いつく。
実はアフィリエイトについては以前から知っていて実際にやったこともありました。
しかしその時は全く稼げず、またその時は他にやることもあった為すぐにやめてしまいました。
腰を据えてやったらどうなるだろうと思い、再度アフィリエイトを始めることにしました。
どんなサイトを作ろうかと考えた時に真っ先思いついたのがエロサイトでした。
アダルトサイトはアクセスを集める手法としてアクセストレードと呼ばれる
他のアダルトサイトと相互にアクセスを送り合う手法が主流です。
そのため他サイトの画像リンクが増え、とても使いにくいものになっています。
画面をずっとスクロールさせないとコンテンツに辿り着けなかったり、ひどいところは騙しリンクもあります。
当初は私もアクセストレードメインで集客をしており、サイトは画像リンクだらけ。
ごちゃごちゃしていてコンテンツの位置もわかりにくいというお世辞にも良いサイトとは言えませんでした。
そしてアクセストレードというのは結局のところ自サイトのアクセス数により送れるアクセス数に限界があるため、ある程度のところでアクセス数が頭打ちになります。
実際のところ私のサイトも1日3万PV程度で頭打ちになりました。
そのためやる気を無くし半年程放置して2ちゃんまとめブログを始めました。
そこで2ちゃんまとめブログ運営で得たノウハウをエロサイトの方で実行したことろこれが上手くいきました。
これは一般サイトでは当たり前のことなのですがエロサイトは大手サイトでさえ非常にわかりにくい構成のサイトが多いです。
一方で2ちゃんまとめブログは大手サイトほど他サイトへのリンクも少なくわかりやすい構成になっていました。
なので思い切って画像リンク等を全て外し、わかりやすいデザインに変更しました。
②多更新にする
そこで私もエロサイトに多更新を取り入れ1日に1~3回更新だったのを1日24回、1時間に1回更新というスタイルに切り替えました。
③表示速度の改善
エロサイトはとにかく重たいところが多いです。
それは①で書いた通り画像リンクが異様に多いからというのもあるのですが動画共有サイトを利用したエロサイトは誰でも簡単に作れるため
その辺りがかなり適当なところが多いのです。
CSSspriteの使用やCSS,JSファイルのminify等ページの表示速度に関する施策を行っていないところがほとんどです。
無料ブログで運営しているエロサイトはスマートフォンページをしっかり作っていないところがほとんどです。
ほぼ広告ページとしてしか使用しておらず、コンテンツと紛らわしい広告を載せていたり、
コンテンツがあっても共有サイトのプレーヤーのサイズをスマホの画面サイズに合わせていないなど
そこで私はスマートフォンページのテンプレもしっかり作り込み最適化させました。
これらを実行した結果、ページ数が増えるに従い検索からのアクセスが右肩上がりで増え
PCページ40万PV/日、スマホページ20万PV/日というサイトに成長しました。
アクセスが増えた後いくつかの動画配信サイトとサンプル配信提携をすることが出来ました。
これには凄く驚きました。こんなことがあるのかと。
SEO施策はググれば出て来るような基本的なことしかやっていません。
SEO業者も利用していませんし、今のところこのサイトしか持っていないので自演リンクも一切やっていません。
SEOについてもエロサイトは基本すら出来ていないところが多いのでそれだけでライバルと差をつけることが出来ます。
ちなみに私のサイトはビッグキーワードでアクセスを集めているのではなく(一応「巨乳」で4~7位くらいですがそのワードでの流入は少ないです)
ロングテールってやつですね。
ロングテールは検索順位の変動にビクビクせずに済むので良いです。
やはり無料ブログでは出来る事に限界があり、エロサイトとはいえ良いサイトにしたいという思いがあったからです。
wordpressでの運営経験もなくサーバー関係のスキルもないので移転にはかなり苦労しました。
我ながら良いサイトに仕上がったことと移転を期に今までの足跡を残そうと日記を書きました。
jwplayer
Sidr(スマホ)
001 Prime Strategy Translate Accelerator
Contact Form 7
Count Per Day
Exec-PHP
Head Cleaner
Infinite Scroll
Multi Device Switcher
Quick Comments
Search Everything
Search Regex
WP-PageNavi
WP-PostRatings
WP-PostViews
多分これが一番気になるところだと思います。
アフィリエイトという観点からもスマホページの重要性がわかりますね。
あとcookieを利用したブックマーク機能も実装したいです。
エロだけじゃなくて一般サイトやWEBサービスも作りたいと色々模索しております。
どうしようもないクズニートでも頑張ったらこれぐらいのことは出来ました。
ニートでも頑張れば出来るんだ!と思って頂けたら幸いです。
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03:59追記
たくさんのブックマークありがとうございます!
とても嬉しいです。
確かに見やすくて使いやすいな。
けどリンク切れ報告フォームはなくていいの?実際他のサイトでそれが有効に使われてるのかはよくわからないが…
カテゴリ分けがシチュエーション別とかもあるといいなーと思ったけどこれ以上多くすると大変かな。あまり項目を多くするとまた見にくくなるかもしれないし。
リンク切れ報告フォームは以前は置いていたのですがあんまり報告してくれないんですよねw
自動でリンク切れをチェックするシステムを導入する予定なのでそちらで行います。
シチュエーション別もFC2の時はタグを利用してリストを作っていたのですが
FC2はタグをエクスポート出来ないのでwordpressではなくしちゃいました。
出来ないことはないのですが手作業でタグを登録し直さなければならないので…
それだけのスキルを身につけたらどこかに就職できそうだw
WordPressテーマは何を使っているんだろう?
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25日02:13追記
えーと下の方でステマだとおっしゃっている方がおりますがそのサイトの製作者と私は別人です。
私はRubyなんて使えません。
こういう事を書くと余計に怪しいと思われてしまうのでしょうけども。
ステマというのは運営者や製作者、その関係者が”利用者のフリをして”モノやサービスを薦める行為の事です。
運営者や製作者自身が「こういうのやってるんですけどどうですか?作ったんですけどどうですか?」と紹介するのはステルスではないただの宣伝です。
上でも書きましたが我ながら良いサイトに仕上がったので見てもらいたいなと思ったのです。
見てもらって感想を聞きたいなと。
エロ動画サイトってアクセスが多くてもコメントもほとんど付かないし感想を聞く機会がほとんどないんですよ。
でもFC2ブログだとさすがに恥ずかしいのでね。
wordpressならまぁ見せても恥ずかしくはないんじゃないかと思いまして。
この日記はたくさんブックマークされましたけどサイトの方はほとんどブックマーク増えてません。
市場の内外と、組織の大小で4分割するフレームワークは概ねあってると思う。
ヒト・モノ・カネの3大リソースはIT化のおかげでますます国をまたがった移動が低コストになっていて、
そうすると大きな資本で集中投資できる大きな組織が、大きな市場で勝負するのが最も効率的で合理的ということになる。
アップル、アマゾン、グーグルのIT御三家は言うに及ばず、ウォルマート、コストコ、日本ならイオンなどの流通業、GAP、ZARA、日本ならユニクロなどのファストファッション、マクドナルド、スタバなどのファストフード、話題の外食チェーン、グローバル展開したりしなかったりしている銀行、保険、証券の金融サービスなど、多くの業種で「大きな組織、大きな市場」モデルによる市場の寡占化が進んでる。
もともと、エネルギー(石油メジャー)、自動車(日米独仏の各国数社)、原発(東芝、日立、三菱)をはじめとする重電分野(米GEが代表例)など参入障壁が高い業種では、「大きな組織、大きな市場」モデルによる寡占的な市場が形成されやすかったが、近年のIT化によって、消費財や消費者向けサービスを提供する上に挙げたような業種でも「大きな組織、大きな市場」モデルが適用できるようになったと見ることもできる。
このように考えると、ひとりの個人として身を立てる、あるいは中小企業やベンチャーが生き残るには夢も希望もない社会のようにも感じられるけれども、俺は必ずしも捨てたもんじゃないとも思ってる。
どういうことかというと、大手資本が「大きな組織、大きな市場」で効率的な市場環境を整えてくれたおかげで、逆説的ではあるが「小さな組織、小さな市場」モデルの個人やスタートアップが活躍できる余地が広がってるんじゃないかということだ。
効率的な市場環境ってなにかというと、例えば決済。国際間の決済が個人レベルでも簡単にできるようになった。
流通もしかり。これは物理的に大きく重いものはまだ敷居が高いけどね。
広告。Googleなどのおかげで世界中に安価かつ瞬時に広告を出せる。
販売。猪木じゃないが「ネットがあればなんでもできる」。そして英語ができれば(かつ物理的に大きく重いものでなければ)世界市場を相手に販売できる。
製造。これはさすがに工芸品のようなものでなければ個人でどうこうするのは難しい。ただしはてな民に馴染みのあるところで言うとenchantMOONが可能性を示したように一介のベンチャーが工業製品を作るのは、規格の標準化や安価な海外リソースの存在もあり、やはり敷居は下がっている。3Dプリンタもここの部分の効率化に大きく寄与しそうだよね。
資金調達:これも可能性は広がっている。上述したようにスタートアップの敷居が思いっきり下がっている現状では競争倍率がハンパないが、ダメなビジネスは資金調達できないという意味ではここも効率化されていると考えることもできる。あとWebサービス系のスタートアップならばプロトタイプ作るところまでは必要なのは人件費だけだから、そういう意味でも個人やスタートアップには恵まれた環境と言える。
こんな感じでビジネスの上流から下流まであまねく効率化、標準化、オープン化されつつあるのが今の世界で、そういうわけで、個人やスタートアップが活躍できる余地が広がっているというのが俺の考えだ。
立ち上げたビジネスは大手に売るか、大手が触手を伸ばさない程度にニッチな市場を狙うか、最高なのはTwitterやDropboxなどのように買収提案を蹴って独立の道を歩めるだけのブランド力あるいは特許をとって身を守りつつ自らが新たな「大手」プレーヤーになるか。
個人にいたっては別にビジネスを立ちあげなくたって能力と英語力さえあれば、国際間での雇用の流動化とクラウドソーシングの普及で、収入を得る方法は格段に広がっている。
逆に今後厳しい立場になると思われるのは、とくにこれと言って強みのない個人や、接待や御用聞きなどの人間関係だけで仕事をとっていた企業。
これまでならそういった企業でも「呼べばすぐ来てくれるから」とか「他に手頃な業者がいないから」ということで仕事にありつけていたのが、コミュニケーションコスト・移動コスト・情報コストの低下で、探せば他に同じ(あるいはもっと高い)バリューを安価にを提供してくれる業者にコンタクトしやすくなると、仕事を失う。
これは日本の製造業や小売業が過去20年でイヤというほど経験してきたことだからここであらためて書くまでもないけどね。
そんなわけで俺は今後数十年の競争社会というのは、増田が言うように大資本が中心にはなると思うけど、大資本以外にも十分にチャンスがある世界だと思ってる。
かくいう俺はフリーランスでやっててこの手の話っていうのはガチで人ごとじゃないので、意見にそういうバイアスがかかっているかもしれないことは断っておく。まあ正直なところ、ここに書いたようなことを自分に言い聞かせてないとやってられんという気持ちはあるな。
ただ同時に、こういうボーダレスな世界だからこそ、俺みたいな組織で生きられない社会不適合人間でも、独立という選択肢を持てて、それなりに家族を養うことができてることも事実なんだよ。まあ俺個人の話は余談でした。
思うところがあった。
『ポケモン』公式Wi-Fi大会で1500人以上が不正なポケモンを使用 ― 運営者の調査で発覚 | インサイド http://www.inside-games.jp/article/2013/08/21/69623.html
ポケモンはメタの読み合いゲーだ。トップメタ、アンチメタから、より尤度が高い情報を取捨しながら勝利を目指す、不完全情報ゲームだ。
で、このゲームは、現状狂っている。問題は、理想のプレーをするためには改造行為をするのが一番手っ取り早い、という現状があり、自分はその雰囲気が嫌で引退した。
一応解説しておくと、種族値というパラメーターがある。これは0~V(32進数で31)で、6つのパラーメータのうちいくつがVかで、3Vとか5Vとかいったりする。
机上の対戦考察では、暗黙の了解として、敵味方ともに6Vであることを前提としている。なぜなら現環境では、それが普通だからだ。たしかバトルビデオ(公開された戦闘ログ)の解析では、全体の半数以上が6Vだったということがわかっている。
つまり、6Vでないと戦術が完成しない。少なくとも、ガチ勢の間では、そこを妥協することで敗北した場合、全力を尽くさなかったから、甘えたから負けた、という雰囲気はある。
で、6V、または6Vに近いモンスターを手に入れるには、次のいずれかの方法を取らないといけない。
孵化作業だけはゲームデザインとしてプレーヤーに提案される手法で、とにかく育て屋前で時間をかけて自転車をこぎまくれば強ポケモンが手に入る確率が上がるという、はっきりいって筋が悪いものだ。なんで筋が悪いかといえば、ゲームとは本質的に関係ない作業をプレーヤーに要求するからだ。対人が目的のプレーヤーにとってなんの関係もない、というかほとんどの人間にとって何の関係もない、定期的に右と左を押すだけ、という無為な作業を要求するのは、ゲームデザインとしておかしいと思う。
3Vまでは比較的簡単に作れる。ステータス3つまでは親からのステータス遺伝があるため、ある程度の良個体値の親をもっていれば、1時間で作れる。そっから先は完全に運で、6Vには、3Vが出る確率 * 32の3乗 という、ちょっと現実的ではない壁がそびえている。有料個体値を目指すだけなら、まあ一匹で丸3日かかる程度だ。
個人的な体感では、3Vより先は、実際の対人では事前相性30% その場の戦術30% 個体値10% 運30% ぐらいの印象だが、そもそも3V以前だと、よほど選択を間違えない限り、一方的な虐殺にしかならない。対人環境に出てきた小学生は勝てなくてつまらなくてたまらないだろう。
たとえば同速の竜タイプは、高火力かつお互いに弱点をつけるため、素早さが1でも高いほうが勝つ。素早さに乱数補正はかからない。色々とメタはあるが、基本的には竜は最速が基本。基本は、なのでその上での戦術が色々とあるわけだ。
ターン制のゲームであるため、一撃の重さも大事だ。乱数一発が確定一発になったり、確定3発が乱数2発になったりするのはものすごく大きい。そういうメタゲームに加わるためには、そもそも6Vでないと話にならない、といった現状がある。自分が防御ステータスを甘えたせいで理論上乱数2発が確定2発になったりするわけだ。
あとはイベント限定ポケモンの存在。ガチ勢にとっては欠かせないモンスターが映画館限定、時期限定で配られたりしていた。
絶対零度スイクンと、加速バシャーモは、現状のトップメタでかつイベント限定配布なので、持ってないとそれだけでメタゲームで負けている。
これは乱数調整ではどうにもならない部分なので、改造に対する大きなインセンティブだ。
で、結果として、ゲームとして本質的なプレーに集中するためには、乱数 or 改造は避けられない。賢い人間は、改造 or 乱数にまつわる議論に加わらず、淡々と改造するのが正解、みたいな状況にある。
ポケモンは基本的には良く出来たゲームであると思っている。一般プレーヤー向けのアドベンチャー要素と、エンドゲームでの対人要素を両立している。これができているゲームはあんまりない。一部属性の不遇はあるが、続編が出る度に改善されている。約3年ごとにゲームバランスをいじれるのがポケモンの強みだ。
とにかく、公式、ゲーフリは、強くなるためには右左を交互に時に押す、みたいなクソみたいなゲームデザインを見なおせ。
http://anond.hatelabo.jp/20130814134920
たぶんその予測はただしく、ネトゲ主体になっていく可能性が高いと思う。
せいぜい「ネットに繋ぐ」という点と「仲間と協力する」って点ぐらいか。
メール送ってくるようなガチ勢じゃなけりゃぜんぜん意識しない。
なんか物を売買するフリマ的なアレが嫌で、インスコしてはアンインスコ。
やっぱり対人がめんどくさいから。
そういう人間のために、やっぱり前者の
というか、そう願ってる。
どっか世間的にはズレてる、とは感じるけどね。
「対人をめんどくさがるプレーヤーたちを、開発陣がまっとうなターゲットと見るか否か」
ターゲットではないなら、切り捨てられるだけだね。
たまたま、インターネットコンテンツの進化と相性が抜群だったせいで、うまくいったという側面が大きいような気がする。
Googleをはじめとするコンテンツの進化のおかげじゃないかな?
もちろん、Appleの努力も大きいけど(App StoreとiTunesとiPhoneにつなげたのは、戦略として見事だったと思う)、ジョブズの意図した以上の成功だったと思う。
全て読み切ってたら凄いの一言だけど、ジョブズ本人だって、タッチ操作のできる音楽プレーヤー、おまけにブラウザも実装、くらいにしか考えてなかったろ。
発表のプレゼンを聞く感じだと。
「ワンダと巨像」における「握力」というシステムが、そのまま「集中力」に置き換えることができるんじゃないかという仮説。
巨像を斃す方法は、剣で弱点部位を数回ぶっ刺せばいいだけという至極単純なものだが、そこに至るまでのプロセスに「握力」が必要になってくる。
弱点部位までたどり着くまで、握力を使って根気よく登ったりしがみついたりしなければいけないのがこのゲームの肝である。
握力を切らしてしまったり、不意を衝かれて肝心なときにしがみつけないと、巨像から振り落とされることになり、最初から登り直さなくてはならなくなる。
このゲームにおいて、うまく巨像を斃せるかは握力の使い方によってくる。
どうやって巨像の弱点にたどり着くかがわからなくても、とりあえずしがみついていればそのうち弱点が見つかったりする。
巨像が理不尽なくらいに身体を振り回そうが、根気よくしがみつくことが攻略の糸口なのだ。さもなくば振り落とされ、余計な労力を払って最初から挑まなければならなくなる。
はじめは握力の総量が少ないことを恨めしく思うのだが、扱い方に慣れてくるとうまく運用できるようになる。
「握力」は巨像から手を放すことで時間と共に回復するのだが、それにも上限があり、一定以上には回復しない。慣れてくると一度登るのをやめて、適切なタイミングで巨像の上で握力を回復し、再び登り始めることができるようになる。地上でうろついていることと巨像の上で握力の回復を待つことは全く違うことに気づくだろう。
ある手段によって握力の上限を増やすことができるのだが、実のところ、一切増やさなくてもすべての巨像を斃すことができる。使い方さえ上手ければ最低レベルの握力でも攻略できるように設計されている。
ここまで思いつくままに「ワンダと巨像」における「握力」というシステムについて書き連ねたが、そのまま「集中力」に置き換えられるのではないかとは考えられないだろうか。巨像を斃すことは「問題を解く」ということと置き換えることができる。勉強に限らず広い意味での「問題解決」と考えてもいいかもしれない。
実際に集中力が高いと思う人はいるのだが、総量はそこまで問題じゃない気もする。適度に手をゆるめて、肝心なときにしがみつくというやり方が、「人より集中力が高い」ように見せかけているだけなのかもしれない。私は塾でアルバイトの講師をしていた頃があるのだが、勉強ができないと嘆く生徒は、とにかく投げ出すのが早い。「投げ出す」と書くと能動的に聞こえるが、実際のところ「振り落とされている」だけだ。しがみつき続けるということができないのである。
池上彰も、東工大で授業をしていると、学力の高さというのは集中力の高さに依存するのではないかと思ったというようなことを書いている。
「もともと頭のいい人だから勉強ができるのだ」というのは、どうも上っ面だけを見て言い訳をしているだけのように思えてならない。「頭がいい」とされている人も、実際は集中力の使い方が人よりうまいだけであって、その総量も大して人と変わらなかったりするんじゃないかと思うのだ。これは私の持論で、特にこれと言った根拠はないけれど。
このゲームはプレーヤーにかなりのストレスを与えてくるのだが、弱点部位までたどり着いて剣で刺すときのカタルシスがすさまじい。いままで全くダメージが通らなかったのに、一撃ごとに一気に体力メーターを奪っていけるあの快感が、それまでの苦労を忘れさせてくれる。勉強に限らず、問題解決が上手な人はこのカタルシスをうまくモチベーションに繋げられている人のような気がする。
ちょっとした思いつきで長文を書いてしまいました。まとまりがなくてすみません。うまくまとめてくれる方がいたら誰かまとめてください。
みんなが選挙行け行けうるさいので自分がなぜ行かないのかちょっと考えてみた。
めんどくさいからっていう理由を挙げる人は多いけど、これは自分の場合はちょっと違うかなと思っている。
多分正確に言うならば、「中途半端な目的のためにわざわざめんどくさいことをしたくないから」かな。
自分が一票投じることによって何かが変わるとは思えないっていうのも方向性としては同じなんだが、
説明として十分ではないと思うので少し補足したい。
選挙って結局大衆操作に長けた人々のいる陣営が勝つと思っている。
大衆操作と言うと言い方が悪いが、要するに人々を何らかの方法によって啓蒙できるかってことに尽きると思う。
だからもし自分がその戦いに参加するのであれば、自分も本気で人々を啓蒙して自分の味方する陣営を勝たせるようにしなくてはならない。
そういうゲームだと思っている。
そしてそのゲームにおいて、自分がある陣営を勝たせるような行動の一つとして自分の持っている一票を投じるだけっていうのは、
そんなの何もやらないのと変わらない。
自分が本気で行動して何票を自分の応援する側に入れさせることが出来るかは分からない。
だけどそのぐらいの行動をして初めて俺は選挙に参加したと言えると思ってる。
本気でやれないのであれば不参加の方が自分が納得できるという意味で俺はそちらを選ぶ。
要するに日本の政治に関して当事者意識がないってことなんだろうな。
あるならばきっと本気で社会を変えたいって思って何らかの行動を起こしているはずだし、
明確に応援する政党や人物もいるはずだし、コンタクトもしているだろう。
当事者意識があるっていうのは結局政治が個人の生活に密接に関わってきているということであって、大体の場合それはネガティブな意味だろうから。
例えば、自分が黒人で社会が黒人差別をしていて政治もそれを止めていないみたいな状況だったらやっぱり立ち上がると思うよ。
現代の日本では、俺の場合だけかもしれないけど、そういう明確な不利益を政治から被っていないと思っているわけで、だからこそ当事者意識がないんだろう。
というわけで、選挙に行かない、その理由をまとめると
という流れですかね。
おまえ、部下とか外注に仕事してもらうとき顔に不満出まくってるだろ。
そういうことになるのはお前が何かある度にグチグチくだらねえ文句ばっかり言うからだよ。
自分自身で作業する馬力はあるけど人を使って仕事を進めるのは下手クソなタイプだな。
人間は一人一人これまでの経験とか感覚とかが違うから「自分で考えて」仕事をやらせれば
当然おまえの気に食わない部分も出てくる。作業者が偶然おまえと似たバックグラウンドを
持った人材ならおまえの意に沿った成果物が出てくるだろうが、全然違う経験をしてきた人材なら
「はぁ?」と言いたくなるようなものが出てくることもあるだろう。
しかしそれは良い悪いの問題ではなく、バックグラウンド違いすぎる者同士は合わない、というそれだけのことだ。
そういう違いが出るのはアタリマエのことなんだが、おまえは自分の経験から導き出した判断が唯一絶対に
正しいものと思い込んでいるものだから(あるいは、冷静な時はそう考えていなくても忙しい時はそう考えてしまうんだろう?)
「俺と違うモノの考え方をする奴は仕事ができない奴だ!」となってしまうんだよ。
人間はエスパーじゃないんだよ。おまえが頭の中で考えてることなんて誰も透視できないから。
別に文系も理系も今の日本の学部卒業したくらいじゃ知識も技術も何も変わらないわ。
ただ弁護士だっていまや上の方の老害が味しめてるだけで40代くらいから下は駄目だろ。
簡単に1000万行く証券とか外資のコンサルだとかなら理系のが好まれるし。
まあ、理系好む、って言っても統計だとかをきちんと理解してる、って前提だけど、
まあ、はっきり行ってそれも幻想だから文系でも理系でも関係ないわけで。
キチガイに触るなよ
ちなみに海外ではストーリーに一定以上の比重があるゲームではマルチエンディングはほぼ完全に廃れてる、というかマルチエンディング形式はかなり異端な部類
というのも、重厚長大なゲームは制作にも多大なコストがかかるので、一本のソフトに複数のストーリーというのはメーカーが作りたがらない
ヒットした作品は基本的には二、三作ほど続編が作られるので、複数のエンディングが存在する場合必ずどれか一つのエンディングの続きという形を取らざるを得ず、そこに到達出来なかったユーザーが置いてけぼりを食ってしまう(欧米ではゲームを一回しかクリアしないユーザーが相当数いる)
http://anond.hatelabo.jp/20130703234327
http://anond.hatelabo.jp/20130703234632
FPSにせよRPGにせよ、大ヒットしたものでマルチエンディング形式が殆ど存在していないのがその証拠
http://anond.hatelabo.jp/20130703235516
ゲームにたくさん金を出す人=ゲームをたくさん買う人=一本あたりのゲームを遊ぶ時間が少ない人
そういう人達のニーズに最適なゲームの一つがシングルエンディング形式
二周三周繰り返すモチベーションが、未知の新作ソフトを遊ぶモチベーションを上回るのは非常に希
http://anond.hatelabo.jp/20130704001012
かけたコストに対して得られるリターンが割に合わないし、客がシングルエンディングを望んでる
マルチエンディングの需要が高まればメーカーもそっちに力入れるだろうが、これだけ大量に新作が出まくってる現状、それらに目もくれず特定のソフトだけを延々遊び続ける人は少ないし、そんな客ばかりになったら業界自体が衰退してしまう
マリオカート入れっぱなしで他のソフトを全く買わない客ばかりになったWiiがどうなったか?答えは出てる
実際アメリカでも1回クリアしたら速攻で売って次のソフトを買う資金の足しにする人が相当数いて、プレイ時間をいたずらに引き延ばされるようなソフトは避けられる傾向がある
そもそも、じゃあお前の言う「有能なスタッフ」ってどこにいんの?
なんかね、「本当はその気になれば簡単に作れるんだけれども、世界中の無数のゲームメーカーは一社たりとも客が望んでるゲームを一本も作ってなくて、客は仕方なく嫌々渋々ゲームやってる」って事にしたがってる奴がいるみたいだけど、完全に逆だからね。
客が望むゲームをコンスタントに供給し続けられるメーカーやタイトルが生き残った結果が今の状況だから。
http://anond.hatelabo.jp/20130704013228
最近のゲームもろくに遊んでない、過去のレトロゲームも全然知らないお前個人の妄想が、世界中の数億人のゲームファンの声を代表してるとか笑えるわ
http://anond.hatelabo.jp/20130704020136
ご託はいい。
古今東西、世界的にヒットしたゲームのストーリーモードにマルチエンディング形式が殆ど存在しない理由の説明に全然なってない。
理由は簡単。
まああったとしても、求められる品質と、かけられるコストと、売れる本数のバランスが成立しない。
「本筋に毛が生えた程度」の分岐で満たされるニーズならとっくに世界中のメーカーが取り組んでる。
つか、過去にそういう子供だましなボリュームの水増しが横行して業界そのものの消滅が危惧された事すらあったんだが。
その反省を経て持ち直したのが現状なわけ。
「あのステージは難しかったな」「あの敵は強かったな」「あのシーンは感動したな」といった経験を大勢と共有し合う事が今は求められてる。
ま、仮に将来それが飽きられたら別の路線を模索するだけだが。
http://anond.hatelabo.jp/20130704031844
へえ、不満なものを延々買い続けてる物好きが世界にウン億人といるのか
もっと正確に言うと経済のルールが変わるからそれに合わせないといけなくなったという事なのだ。
昔のルールは;お金を稼ぐのは日本国内で日本語を話していればいいよって言うルール。
これからのルールは:国内のお金はだんだん少なくなるからお金を稼ぐのなら英語を使って海外で稼いでねーっていうルール。
ルールが変わったからゲームのプレーヤー(この場合は国民とか産業とか小さな意味では先生とか学生)はこれに適応しなければ生存できなくなるかもっていうこと。
それを分かっていないと、小手先の議論になってしまって、入学試験制度は大学が自由に作れるはずとか、高校生の基礎学力が落ちているとか、今の大学制度に問題はないのに
なせかえるんだとか、入試制度を変えれば問題が解決する訳ではないとか (おもにここに書いてある事だが(笑)http://blogos.com/article/63882/?axis=&p=1)
今までのルールは
と言う形。日本は確かに輸出で儲けたがそれでも経済は内需型。2010年の対GDP比で輸出依存度は11.4%で先進国ではアメリカに次いで低い。
ちなみに韓国は43%、ドイツは33%、中国でも24%。2010年でもその程度なのでそれ以前はもっと低い。一桁だったときもある。
そのような経済状況で必要な教育は内需経済のために必要な教育でいい。
だから国内の大学同士を競わせ、優劣を付け、教育のレベルをあげるというのでよかった。英語教育もいらない。英語は優劣を付けるための手段であり、
では、これから20年後どうなるのか?
2)内需の縮小
3)経済のグローバル化、知識のグローバル化による日本の産業の競争力の低下
が見込まれる。っていうかもう始まってる。
日本の経済を成長させ続けるためには本格的に外需で食べる事が出来るような体力をつけないと、
そうなると日本は国策として国内の大学同士を競わせて内需向けの労働者を大学で育成しても
貴重な外貨を稼ぐ事が出来ない。
また、人口が少なくなる中、海外からの優秀な頭脳を取り入れなければ競争力を持続できないが、
インターネットをつかったコンピューターネットワークが出来てしまった事によって英語の優位性は
もう既に決まってしまった。今後300年くらいっていうか未来永劫英語は世界の言語になってしまった。
それ以外の言葉はあまりにもお金を稼ぐのに不利になってしまったんだ。
お金を稼ぐルールが変わってしまった以上、プレイヤーはルールに従ってお金を稼ぐしかない。
で、いままでのルールでは日本国内だけで競っていれば良かったものが、国外の経済と競わなければならなくなった。
内需ならばいくらでも保護貿易できたんだけど、外に行くとなると保護できない。それどころか排除される側。
しかも輸出したい国は中国韓国はじめとする新興国から、欧米の先進国まですべての分野で競争相手がいるのだ。
また競争するためには時には相手とくむ事だってある。そのときの相手も日本語話してくれない。
つまり英語使って交渉できなければ売る事も研究も、つまるところ仕事ができないのだよ。
今回の入試改革によって入学試験は学力の面では圧倒的に緩和されるだろう。
そして大学に入るのには、勉強するに足りる基礎学力(特に理数系)、仕事に使う英語、交渉の際に必要な論理性の3つにおいて
ある程度のレベルを達していればよいとなるはずだ。
またそのためには勉強のスコアだけではなくて面接(特に英語、論理性)が試されるようになるに違いない。
入学試験は学力で学生を選抜する試験ではなく、学生の適正、能力、伸びしろをみるための試験となる。
一部の一芸に非常に優れた学生(たとえば数学オリンピックに出るような才能)はその枠で、
それ以外の学生に対しても可能性という枠で席を与えていかねばならないのだ。
勉強のできる学生が選抜されて入ってくる従来の制度では大学は入試が大事であとは学生が勝手に勉強してくれた。
これからは可能性のある学生が入ってくるのであとは「大学が育てる」という形になるはずだ。
故に大学は本当に勉強も教えなければいけなくなるだろう。また勉強だけではなくてコミュニケーションと論理性を育てる場所である必要がある。
これまで大学は国内の学生の選抜システムという形で機能していたが、これからは本当の意味での「学びの場」にならねばならぬのだ。
ルールが変わったのだから今までの国内のランキングなど関係なく東大を抜かす事だって出来るのだ。
この変革によって大学のレベルはより平準化され、専門化される。そしてその事が日本の大学のへきんレベルを底上げするだろうし、一部の学校は
妻が技術書を持って帰ってきた。
妻はウェブエンジニア、とは名ばかりのなんちゃってエンジニアである。
素人の俺が見てもわかるほどのナメた姿勢で、先進的な技術を学ぼうともしないし、仕事を受けるのも積極的だはないようだ。
学生の頃はむしろしっかり者に見えていたから、その変化に最初は戸惑った。
俺が彼女に遅れること一年、社会人になり、仕事の感覚を身につけていくと、彼女の仕事に対する姿勢が気になりだした。
そんな彼女に、俺はこの先生きのこるには〜といったことを何度も言った。
生業としてその職業を選び、携わる以上、情報収集から訓練まで常日頃からことなうべきだと。
でも、その度、喧嘩になった。
妻は、本当は仕事は続けたくない、でも、稼ぐ必要があるからと言った。
話がそこに至るに及び、養えるほど稼ぎのない俺は沈黙した。
遅れて社会に出た俺は去年ようやく彼女の年収を超えた程度。養うにはまだかかる。
なんとかという人が書いた本の訳本らしい。
アサラーと呼ばれる歳に差し掛かった彼女の小さな変化だと思った。
俺は嬉しくなった。いよいよやる気になったんだと思った。
でも違った。聞いたところ、彼女は上司に読むよう指示されたのだった。
経緯を聞いてすぐに不安になった。その上司の考え方が危険過ぎた。
その上司曰く、仕事は実戦であり、家での学習が訓練であるという。だから、闘いの準備は家でして来いと。
建前ではあるが、仕事のトレーニングは仕事の中でこそ行なわれるべきだろう。
なにも手取り足取り教えるというものでもないはずだ。定期的にチェックし、アドバイスを与えるだけでいい。
次に、仕事に対する動機付けが人によって異なることを無視している。
妻は稼ぐために働いている。動機はパートタイマーと大差なく、世界を変えたいとか、社会を良くしたいとまでは考えていない。彼女は春と秋の旅行を楽しみにしている。
そして、一番驚いたのは指示内容だ。
曰く、
“この本を読み、学べ(ここまではいい)。それに従い、働け。
本の内容や、私の指示を無視しても構わない。
ただし、上司である私の指示に従わない以上、上司として責任は取らない。“
これはチームをまとめながら、仕事をする人間の言うことだろうか? 俺はこの上司を否定する。
妻の上司は、自らの価値観を強いているに過ぎない。期待しているのは自分のような人間、または自分のように働く機械なのだ。
妻の姿勢に問題がないとは言わないが、前のめりでないだけでやることはやってるはずだ(なんだかんだで少しずつでも昇給してるし)。
優秀なプレーヤーが優れたマネージャーになるとは限らないと言うが、これがその典型なのではないかと想像する。
協働者として敬い、彼らの仕事に対する動機付けを理解し、その上に教育があるべきだ。そしてその上に実地がある(もちろん理想は、だけれど)。
妻の上司は、それらを否定し、読む本すらも強要し、紋切り型のエンジニアを作ろうとしている。
それを騙しすかしするための小狡さも、フォローするためのマインドシップももっていない。
かつて、その上司のチームにいた女性が、方針についていけなくて退職したと聞いた。
上司は、その女性の姿勢やスキルが足りてなかったと言っていたらしいが、実際は違うだろう。
その女性は、自分の人生を選択し、上司の機械になることを拒否したにすぎない。
妻には、姿勢について改善すべき点はあるが、それは自主的に行われるべきだと思う。言いはするが強いるものではない。
彼女は彼女の人生の中で、職業を選び、働く理由があってそこにいる。仕事は人生の一部だ。
彼女の会社が潰れそうでも、堪えて働くのか、さっさと辞めるのかは本人の選択だ。
俺は妻に、転職先を調べておくべきだと言った。
チーム運営で最も悩む点は、多様な人間の背景と目的を可能な限り成果に向けしめ、ミッションを達成することだと思うが、彼女の上司は機械化することで悩みをないことにしている。そんなところにいるべきではないと。
「基本的にどちらも正しいです」じゃねーわw
意味がわからない。社会現象から関係を物理的に分析するなら話はわかります。男女の関係性の変化や在り方を語るならわかりますが
あなたはホモソーシャルを「同性愛回避」以外に説明していないし、原型と言わんばかりに「同性愛回避」一択で恋愛観を説明しています。
社会学で人間を見るのは、人生ゲームを上から眺めてあーだこーだ言うようなもので、プレーヤー視点で何を考えているかを断言できません。
恋愛に限らず「◯◯観」というのはものの見方で、幼少期に教育を通じて刷り込まれ経験によって培われるものです。
そのホモソーシャルがどのように刷り込まれたか、全然説明していない。原型のごとく「ホモソーシャルがあった」という話しかしていませんよ。
ひとつずつ取り上げると埒が明かないのでスルーしてたんですが、話が通じないのでおかしなところをあげていきますね。
具体的にはギャルになったりして自分が体目的であることをアピールしたり、男性におごってもらったりして、男性にモテようとします
生物学的には、原始時代には男性は狩りをして、女性は家庭を守っていました
特にここが支離滅裂だった。ホモソーシャルとミソジニーの解説から、狩猟と採集の話が出てきて、突然ギャルがモテる話になるってイミフw
ホモソーシャルからミソジニーの話へ移行して「体アピールでおごり目的のギャル」を説明するならば、女性の社会化に伴う説明が必要で、
これまで男権の元で行われていた性の商品化を、女性が自主的に商品化し始めたのか云々…という話を書かなければ意味不明です。
文献までは覚えていませんが、その手の話は援助交際が盛んだった頃に出ていましたよ。
あと、
とかさ、どういう理屈で「渡したがる」と言えるのか、意味がわからないし説明もされていない。
むしろこの一文からは、ホモソーシャルの最小単位である家の正妻、もしくは従属するパートナーに渡すと考えるのが自然でしょ。
肉体だけが目的でお金を渡す、おごられたくてギャルが媚びると言うなら、それは性売買の話になりませんか?
どうして恋愛依存症なのよ?
ってさ、まったく説明になってないじゃん。
何度も「恋愛は近代化の産物です」とヒントを書きましたが、現在に通じる恋愛観は、近代化により啓蒙され広まったものです。
この恋愛観は幼い頃から、絵本や児童書やアニメなどで「男らしさ」「女らしさ」とともに刷り込まれています。
女子は赤ずきんで貞操観念を、シンデレラや白雪姫で、愛されて幸せになる女性の恋愛観を刷り込まれています。
(セーラームーンやプリキュア等の戦う女子集団は、女子のホモソーシャル化と言える)
一方の男子は、冒険物語やスポ根漫画などで支配構造や仲間達との友情を刷り込まれています。そして、ヒロインの存在はいつも戦利品として描かれています。
姫を助けだすのも、彼女のために戦いに勝利するなどと意気込むのも、社会維持のためにホモソーシャルの刷り込みがなされているんですよ。
どのように恋愛観が培われるのか、そのメカニズムを書かないで「ホモソーシャルだから同性愛を避けるために体目的です」とは言い切れません。
「恋愛したがる」について答えると、昔は恋愛しなくても結婚出来ました。
女性には選択の余地がないし「恋愛できる」という発想もなかった。そこで一般市民が恋愛する小説や芝居を作って啓蒙しました。
そうして「恋愛→結婚」が刷り込まれ、婚姻関係を結ぶには恋愛せざるを得ない状況が出来上がりました。
従来通り、家に入りたい女性にとっては恋愛が死活問題に直結するので必死にならざるを得ない。だから恋愛するんです。そう刷り込まれているから。
社会に適応した女性にとっては、結婚は人生を左右するものではなくなってきました。
しかし「モテ」の社会評価には依存しています。「愛される」じゃなくなったのはホモソーシャル化です。
(社会的自己と性的自己に矛盾を感じて、どちらにも上手く適応できていない→こじらせ女子)
男性が体だけの関係を求める理由は、男性社会の中で優位に立つためですが、その方法の1つに同性愛にならないというのがあります
どうして同性愛になっちゃいけないんですか?アッー!を避けるためですか?
ホモソーシャルは「同性愛的」であって、アッー!そのものじゃないでしょう。
あなたは「体目的の男性にモテようとする女性」をとても気にしていますが、女性の肉食化の話ですよね?
これは女性が社会進出し、男権社会に押し付けられた「女性らしさ」から脱却した結果だと考えられています。
ビッチと言われてもおかしくない男の数自慢(権化)したり、女子会を開き情報交換(相互評価)を行うのは、
ホモソーシャルの真似事をしていると見ることができます。なお、女性のホモソーシャル化=レズビアンではありません。
女性の社会進出がホモソーシャルにどんな影響を及ぼしたのか、その結果、従来の「男性らしさ」がどう変化したのか、