はてなキーワード: プリアンプとは
恥ずかしながら、さっきのNHKで初めて知った
最近、YouTubeで「LUNA SEA、伝説の鹿鳴館ライブ…」とかレコメンドされてたけど見てなかった、そういうことだったのか
調べてみると、リアンプがどうとか書いてある
https://www.yamaha.com/ja/about/business/music-connect/real-sound-viewing/
プリアンプ?と思ったけど、リアンプという手法があるのか、理解した
つまり、自分が普段ギターをオーディオインターフェースに直結させて、エフェクターやアンプはソフトウェアのシミュレーションでやってるように、
録音自体はエレキギターの生音で、それをソフトウェアのエフェクター、アンプじゃなくて、現実のアンプに出力するわけか…
しかし、だったら今時エフェクターなしで、マーシャルアンプだけなんてことはあまりないと思うし、
そうなると、録音した生音から、どうやってエフェクターやアンプを再現するんだろう
ライブやコンサートでアンプやエフェクターは何を使ったか、記録しておいて、再現するときは同じ機材を揃えるんだろうか
それだとなんかバカっぽい気がする
もしかしたら、YAMAHAのことだから、エレキギターの生音とそれにエフェクトがかかった音の両方のデータがあったら、
その変換ができるエフェクターみたいなものを自動で生成できるのかもしれないけど、そういうのって可能なんだろうか
だとしたら、プロが生音と最終成果の音のデータ両方を提供して、そこから一括変換できるエフェクターが作れるわけだから、
それをみんなに販売すれば、プロの機材を買ったり試行錯誤しなくても、同じ音が出せることになる
夢があるなぁ、と思うけど、そんなことできるんだろうか…😟
昨日、モノを捨てた。って言うか、捨てられた。
昼前に起きて一階に降りたら、ステレオセットの上にのっていたものが降ろされていて、掛っていたカバーも外されていた。
どうしたのか訊いたら、捨てると言う。昨日の内に業者さんが下見に来ていて、今日これから引き取りに来るって。
エレクトーンも捨てるって。
せめてと思って、慌てて埃を払って廊下へ出した。廊下と玄関の間の引き違い戸を外して、運び出し易くした。
そうしたら、ちょうど業者さんが来た。
記念に撮影したかったけど、いい歳したオッサンがね、そんなこと言うのも気が引けて、ちょっと待ってとも言えなかった。
みんなドナドナされていった。晴れていた。昼前だけど。トラックだけど。
・ヤマハ エレクトーン C-80 & イス(エレクトーンの相方)
母方の伯母夫婦に買ってもらった。当時はお金の出所なんて知らなかったけど。
小さかったころ、知らない人が家に来て、母に「やる?」って訊かれて、よく解らないまま「うん」って言ったら、音楽教室に通うことになった。
結局、よく解からないまま、ロクに弾かないままやめてしまった。
やめてからもときどき音を出していたけど、高校受験を控えたあたりからかな、全然使わなくなって、それきりになった。
本体/ヘッドホン/イスのトリオでウチに来たけど、いつの間にかヘッドホンが行方不明になっていて、本体/イスのコンビで送り出した。
レコードプレーヤーは4段切り替えだったかな。持ってたレコードは33回転と45回転のものしかなかったけど。
プリアンプはトランジスタ、メインアンプとチューナは真空管で組まれている。
電源を入れると背面の放熱口から真空管の光が漏れて暖か味を感じさせる。使っている内に本体の天板が実際に暖かくなってくる。
夏はすごく熱くなる。ウッカリのせっぱなしにしてあったソノシートがふやけたようになってダメになった。
チューナーにはステレオビーコンがついててFMのステレオ放送を受信すると赤いランプが点る。うまくランプが点るようにチューニングするんだよね。
ずいぶん前からロクに使ってなかったけど、ときどき電源を入れると音は出た。ノイズ混じりだけど。真空管かなり傷んでるからね。
プレーヤーとアンプを繋ぐコネクターも傷んでいて、ちゃんと繋ぐにはコツがある。
コネクターの樹脂部分の中で接点金具がズレるんだ。だからガタツキのある接点に繋がったリード線をつまんで接続面側に押し付ける。
押し付けた状態でコネクターの樹脂部分とリード線を持って接続すると、接点がきちんと接触する。
ほかにも傷みは多いし、付属品も欠品が多いけど、説明書はみつけたので一応つけておいた。
こいつは自分が生まれる前からウチに居たらしい。40年くらい前から。
クラッシックのレコードやソノシートが数枚ばかりあったから、あれで胎教でもしてたのかな。
小さかったころは、母にねだってレコードや雑誌の付録のソノシートを掛けてもらったり、一緒にラジオを聴いたりしていた。
生まれた瞬間が人生の頂点だったかもしれない自分にとって、まあまあ幸せだった幼児期を思い起こさせるモノ。
母が死んだら一番の形見になると思ってたけど、その母に捨てられた。まあ、母の持ち物だし、形見なんてあっても仕方ないけど。
形見を見ながら「お前のお婆ちゃんはね…」なんて思い出話しをする相手もいないし。
親が死んだら食い詰めるし。こいつを持って、公園だの橋の下だのに移住するのも大変だもの。
他にも幾つか捨てられたけど、思い入れのあるモノはこの二点だけ。
どちらもウチで過ごした期間の大半は置物/物置台の状態だった。不遇だよね。「スキルを活かして働きた~い」的な意味で。
どちらもまだうごく筈。どうかどうか中古市場の方に流れて、新たな持ち主に恵まれて、モノとしての寿命を全うできますように。
いまだに気持ちがモヤモヤして落ち着かないので、試しに吐き捨ててみようと思って書いています。全くの私事なのだけど。
要らないモノを捨てると、心がスッキリするんじゃなかったっけ?"捨てる"と"捨てられる"とでは話が違うのかな?
何年か前から"整理術"とか"捨てる技術"とか"断捨離"とか流行っていて、テレビでも紹介されているでしょう。
あれで例示されてるケースって、服とか本とか一人が専有/専用しているモノばかりじゃないかな?
家族で共有/共用しているモノはどうするんだろ?詳細は本で?また要らないモノが増えちゃうな。
母も自分も"捨てられない人"なのだけど、今回はその母が突然"捨てた"わけです。自分にとっては「何でそれ捨てるかな?」ってモノをね。
母は食品なんかの空き箱/空き瓶をため込んでいる。保存容器などに使うために。でも、同じ商品を頻繁に買うので、同じ空き箱/空き瓶がどんどんたまる。
いま在る分を捨てても同じものがすぐにたまるのだから、それこそ捨てていいモノだと思うし、そう言ってるんだけどね。