はてなキーワード: 考察とは
考察厨は何故嫌われるか。
アボガド6やバーバパパのコメント欄にいる人。面白いという人も多いけれど嫌う人も見る。私は苦手意識を持っている。でも、なんで苦手意識を持つかはよく分からない。
一応この人たちはこの人たちで楽しんでることは分かる。冒険みたいな感じだと思う。
数百くらいならまあ遡っても見れる。目に付いたものにいいねしているだけで、誰の発言かあまり意識していないと思う。リプライしているのはその他じゃない人なんだろう。
凝った考察やらなんやらは読むのも面倒だし合う合わないがあるので、気が合うと分かっている人の以外は目が勝手にスルーする。日常のことは共感もしやすいし、ザーッと流しているときでも一目で意味が取れる。
フォロワーは1桁、呟きに対して付く「いいね」は基本的に0、どんなに多くても3が限界という弱小ツイッタラー。
他の相互や絵師、声優に積極的にリプ(意見や感想、労い等)をする人がいるんだけど、
なんだろ、私には全く絡んでこない。(1回だけリプ来たような)
私も絡みに行かないので絡んでほしいというわけではないんだけど、気になるのは「いいね」のしかた。
共通の話題に関するツイートをしても全く「いいね」が来ないと思ったら
クッソどうでもいい独り言に対して秒で「いいね」が来たりすることもあるわけで、
いいね基本0の私にはその一貫性のない振る舞いは異様に目立ち、
ツイッターなんてフォローが数百あったらTL追うのも一苦労だろうし、
こんな取るに足らない人間の過去ツイなんて確認するくらいなら他の人のを見る方が良いと思うんだけど、
だがやっぱり釈然としない。
他の相互の考察ツイなどには"高頻度で"いいねやRTをしているのに、
どうして私にはしてくれないのか。
そいつにはリプしたりしているけど、その振る舞いのせいで一線を引かれているのだろうか。
リア友以外の人には粗相がないようにしているつもりなんだけど……
「またなんか言ってるな、とりあえずいいねしとくかー」
みたいな感じで大して内容も読まれずあしらわれていると考えると正直悲しい。
それならスルーしてくれた方がまだいい、とは思うけどここで折り返し。
一番気になるのは、
内容のある発言を心掛けてけっこう考えて呟いてるのに、
絵師や声優はまあ次元が違う人たちだから比べてもしょうがないのは理解している。
だけど、他より多少熱心なだけのオタクの、
意味があるとは思えない発言に逐一同調を示すのが腑に落ちない。
「そんな余力があるなら、こっちのツイートにももう少し注力してくれてもいいのでは?」
と考えてしまう。
かまってちゃんなのは否定できないけど、表に出さないだけかなり良心的だとは思う。
その相互さんはこっちが先にフォローしたわけで当然嫌いではないし、
なんだったら一番「いいね」してくれる人だしリムる理由が特にない。
本当に困った。
というかこんなツイッター程度で一喜一憂してる自分が一番イライラするわ。
やっぱり人に媚びるのも媚びられるのも嫌いな私にSNSは向いてないわ。
エヴァの元ネタはウルトラマンだとよく言われている。ウルトラマンは巨大で強く、強い自己の化身でもあり、男の憧れる父親そのものでもあり、自分を包み込んでくれる母親でもある。
庵野秀明にとって、エヴァンゲリオンという「作品」は外界と自分を繋げる唯一のものであり、庵野秀明は監督としてそれを操作していた。同時に、エヴァという機体は自分自身の才能でもあった。
同時にその「巨大で強い自己の化身」は、自分のコンプレックスの表れでもある。シンジの持つエヴァの搭乗への葛藤は、創作の才能一つで生きてきた庵野にとっての葛藤そのモノであったのだろう。
エヴァを作るころには周囲には才能を認められていた。宮崎駿やその他の監督、自分の親からの期待、「逃げちゃダメだ」という言葉は、まさに当時の庵野秀明の感情でもあったのではないか。
同時に、当時エヴァの最終話での制作の難航と、それに伴うネットからのバッシング。そして思った以上の膨大な反響、オタクたちはエヴァ作品にのめり込み、数々の作品がエヴァに影響を受け始め世界の潮流を変えた事。
自分の人格を込めたエヴァへの批判は、シンクロすればシンクロする程思い通りに動く作品の代償として、そのまま彼の精神自体に傷をつけただろう。心を無にして、ダミープラグを使いたいと思ったのではないか。
これはエヴァの暴走そのもので、彼自身にとっての作品の勝手な暴走、庵野にとっての一番大きな原体験となっただろう。同時に作品にそれらを「重ねる」という事もまごころを君にでやり始める。
エヴァに頼るな、現実を生きろ。そういうオタクへの批判は同時に、自分自身への批判でもあったんじゃないだろうか。
新劇場版はそういった「エヴァンゲリヲンという作品の制作」を通じて感じたことを再度「エヴァと言う作品」に落とし込む作業だったんだろう。新エヴァでは特に、「エヴァへの搭乗に対するシンジの心の変化」について重点的に視点がある。これは庵野のエヴァ作品への向かい合い方を落とし込んだに違いない。
やれと言われてやった(作った)→批判された(バッシング)→自分に選択肢はない(拗ねる)→他人に任せる。批判されて辞める(エヴァから手を引く)→やっぱり調子に乗って自分の為に乗る(つくる)→失敗……そこから先は庵野の「エヴァと言う作品の向き合い方」そのものなんじゃないだろうか。「エヴァと言う作品」を作った事により、他人を虚構へ誘った罪の意識から同時に、「ニアサーも悪い事ばかりじゃなかった」という言葉は自己への客観視と許しにも思える。ニアサーが起きた後の世界は、エヴァのテレビシリーズが出てからの彼から見えた世界。自分が引き起こした破片があちらこちらに浮かぶ。シンゴジラと言う作品は彼にとって第三村のようなものだったのではないか。
おそらく新劇の時から欝の兆候があったんだろう。周囲に「エヴァを作るな」と言われたことは、そのまま脚本へ落とし込まれていると思う。それでも乗り、精神を壊し、作品を狂わせてしまった。
その作品の中で、異色の存在が出てくる。エヴァを難なく乗りこなし、明るく自分に接してくれた存在。これって妻である「安野モヨコ」そのものなんじゃないかと。いろいろな「エヴァ」つまり「作品」を吸収し、精神も病まず自由に乗りこなす彼女。友達に紹介されたそうなので、パラシュートで降りてきたような物だろう。今まで他人に拒否される事に恐れていた庵野にとっての救済だったのではないか。
庵野にとっての「人類補完」へのあこがれはこの結婚によって無くなったんじゃないかと思う。この時点で多分、「妻にもう一度会いたいゲンドウ」にしか感情移入できなくなってる。
世界を変えてしまった庵野にとって、ニアサーの後の世界は、新劇を作り始めた時の世界そのモノだったんだろう。やっぱり彼は止められても新劇を作り、自分を傷つけた。そしてギリギリ自殺しそうになったのをニアサーで表現したんじゃないか。自分を、他人を変えたいと思い始めた創作、エヴァ化しそこなった首の無い人はファンたちの事だろう。
ミサト率いるヴィレは自殺を止める自分の理性であり、シンエヴァの幻想的な戦いは彼の心象風景そのものだったんじゃないか。
・エヴァの居ない世界は、そのまま庵野にとって「エヴァを作る必要のない世界」の事
作中の突如現れる空白の14年は、庵野にとってエヴァを作らなかった数年の事だろう。当時の声優も、アニメーターもファンも大人になってしまった。
第三村で、嘗て殴ってきた友達も、カメラ片手にちょこまかしてたアホガキも、かたや医者になり子供を作り、かたや一人で生き抜く一人前の男になっていた。
色に乱れてた赤城リツコも「煩悩」を髪の毛と一緒に切り、ミサトは母になった。その中で、エヴァを作り続けて悩んで苦しんでる庵野は自分自身を「何も変わってない少年」だと思っただろう。
庵野にとってそんな自分に優しく手を差し伸べる周囲の人間は、なお一層コンプレックスを掻きたてたに違いない。しかし一方で、「エヴァで皆を助けただけでも偉い」という自己肯定の言葉もちらほらみられる。
シンゴジラも成功したし、安野モヨコの夫婦漫画でありのままの自分を受け入れてもらえるし、庵野は社会的地位を手に入れて金もある。尊敬もある。
彼は自分自身を知ってもらうために「エヴァ」を作る必要などないのだ。エヴァに乗る必要なんかない。エヴァを作らなくても、エヴァに乗らなくても自分を認めてくれる人が沢山いるから。
もう他人の血も、友達を殴った手の感触も、やけどする程の熱さも、自慰で流した精子も、彼の右手には必要ない。だってもう彼の右手には握ってくれるもう一つの手があるのだから。
・雑感
無責任。これに尽きる。最近の監督は無責任だ。新宿を綺麗に描くのが得意な監督は、今まで自分が作ってきた、願った世界を子供に押し付けて「大丈夫だ」なんて言わせるし
庵野秀明は勝手に悩んで、勝手に大人になって、ずっと自分しか見えていない癖に、子供のままの俺たちを置いて去ってしまった。
世の中にはな、世界を作れなかった人間、人を気にして何も動けず下敷きになってしまった人、大人になれない髭の生えた子供たちが沢山いるんだ
そういう人に寄り添ってくれる作品を作ってくれる人はおらんのかね。若者に厳しい世の中になってしまった。
この度「有機ELモデル」という新型が発表されたニンテンドースイッチ。
だが、一部ネット上で噂(あるいは期待)されていたのは、所謂Proモデルだったので、その界隈からは落胆の声も上がっているようだ。
では、どうしてSwitch Proは出なかったのか?
その理由を考えてみた。
それはズバリ
だ。
身も蓋もない言い方をすれば、nvidiaの力不足という話だ。
Switchというゲーム機は据置機と携帯機の両方の性質を持つ特殊なハードウェアだ。
そのため、搭載するSoCは「性能」と「省電力性」の両立が求められる。
例えばプレイステーションやXBOXのように、世代交代を重ねるごとに電力バカ食いモンスターのCPUやGPUを採用する、なんて事が出来ない。
「Tegra X1と同等の省電力性を最低限維持しつつ、より高性能なSoCの開発を!」と言われた事だろう。
そして、残念ながらそのハードルを未だクリア出来るものを生み出せなかったのではないか?
という推測だ。
その他、噂されていたSwitch Proの要素はだいたい今回の有機ELモデルで実現している。
なので、実際に水面下ではProモデルの開発と検証自体は進められていたのだと思う。
その結果、SoCだけが目標をクリア出来なかったと思うと、悲しいな。
また、2年後に期待しようか…。
身内向けにまとめたものの、結構しっかり書いたから勿体ないな〜と思ったのと、割と好評だったのでここにも載せることにする。マイナスに取られからないことも書いてる上に当然無許可の推薦なのでURLは載せないでおくが、どれも怖いし面白いので興味がある人は是非見てみてほしい。
・ゾゾゾ
心霊スポット探索系YouTuber。「家賃の安い部屋」というチャンネルで視聴者から寄せられた心霊写真を考察する動画も上げている。起きる心霊現象こそささやかではあるが、故にリアリティが高くいい感じに怖い。全動画に置いて管理者の許可を取って探索しているため、そういうのが気になる人にもオススメ。逆にガッツリ幽霊が映り込むのが見たい人には物足りないかもしれない。
心霊スポット探索系YouTuber。こっちはしっかり幽霊が映ったり大きめの心霊現象が起きてほしい人向け。ただし加工や演技ぽさも否めないので、リアリティが低くてもそういう創作作品として楽しめないと見てられないかもしれない。代わりに心霊映像としての見応えはものすごくあるしちゃんと怖い。毎回派手に何かが起きてるので見応えが強いのが売り(だと思ってる)。
霊視芸人のシークエンスはやとものYouTubeチャンネル。彼の実体験を話すスタイルで、しっかり心霊現象が起きる話が多いものの、喋りが上手く聞きやすい上にリアリティも高く感じる(当社比)。怖いし芸人さんなだけあって面白いが、前世の話題などのスピ系や自分探しなどの自己啓発系の動画も上がっているので、そういうのが苦手な人にはオススメできない。
・禍話
完全オリジナルの青空怪談を朗読するツイキャス。最近はYouTubeにも進出した。朗読系が苦手な人にはnoteに「#禍話リライト」というタグで有志の文字起こしもある。話の傾向は様々で、しっかり心霊現象が起きる話から少し不思議な話まで幅広くぜんぶ怖い。全部ではないが自己責任系の話もあるので、苦手な人は確認を忘れないようにしてほしい。
・みさき る
Kindleで発売されている電子書籍のみの「忌録」という本に収録されているうちの一話だが、この話のみ無料でインターネット上で読むことができる。ある少女が不自然に行方不明になった事件とその後の少女の両親の行動などの資料や手記、画像を読んでいくオムニバス形式になっており、読んでいくうちに少女の失踪理由の考察ができるというもの。めちゃくちゃ怖い。
・梨.psdさん
主な活動場所はSCPだが、最近はnoteやTwitterでも投稿されている。SCPやnoteの作品も活動報告はTwitterでされているので、Twitterのフォローがオススメ。作風は「みさき る」に近い資料を読んで考察するタイプのホラーだが、ホラー要素がかなり強め。日本の幽霊とか妖怪とか神様とかが好きな人には特に刺さると思う。ほぼ全部が自己責任系なので苦手な人はやめておこう。
・芦花公園さん
主な活動場所はカクヨムで、多数ホラー小説を投稿されている。代表作で私が一番好きな「ほねがらみ」という作品は書籍化された為現在は途中までしか読めなくなってしまっているが、途中まででも十分怖い。人の悪意とヤバい怪異を同時に書くのが上手く、ヒトコワと純粋な怪談を同時に楽しめるのがすごい。キャラクターがちょっと強めなのでそれだけ苦手な人は注意。
・煙鳥さん
ニコニコ動画で「百物語全部俺」と銘打って一人で百物語をしたり、noteに自身が取材した形式の実話怪談を投稿するなどマルチに活動されている。個人的なおすすめはnote。いわくつきの土地の謎を探る「土地遣い」、相談者の女性の店に通っていたという謎の女と謎の儀式を巡る「足を食べる女」など。リアリティも高く怖いが謎が謎のまま終わったりしがちなので、それが嫌な人は百物語の方を見よう。
その名の通りTwitterで怪談を話すアライさんのアカウント。過去の投稿をnoteにまとめてくれているので読みやすい。強い怖さというよりは不思議めだったりほんのり怖い話が多め。怖い話が苦手だけど読みたい!って人はこの人のやつから入ると丁度いい怖さだと思う。超怖い話が読みたい!って人にはちょっとパンチが足りないかも。
・茸谷(なばたに)きの子さん
Vtuberなのだが、Twitterでホラー漫画を投稿されている。創作ではあるのだが、作中に登場したTwitterアカウントやブログが作られているなど作り込みが細かく考察もしやすい。怪異か女の子の形を取っていたり、女の子が怪異の被害にあったりと完全なホラー漫画!というよりはキャラクターが強めだったりはするのと、創作の為バッドエンドで終わる作品が多いのにも注意。怖さは結構強めかな。
以上。本当は20前後書いてたんだけど、はてなに載せると作者さんに迷惑がかかってしまいそうなもの(同じアカウントで同人活動をされているなど)、見るのにお金が若干でもかかるもの(アマプラなどのサブスクに入らないと無理など)は抜いて特にオススメの10個をまとめてみた。インターネットで簡単に無料で読めるホラーコンテンツ、結構あるのでぜひ読んでみてほしい。そして発掘したら自分にも教えてほしい。夏だし。暑いし。ホラーの季節ですよ。
引っ越す。だから光回線の契約を持ち越しか解約かすることになった。
いざ解約しようとすると、どうしていいのかわからん。散々ググって、必要なIDは最初に届いた用紙に書いてあるだけだと分かった。
プロバイダ・NTTともユーザーページもあるようだが、ログインするにはその紙のIDが必要。プロバイダのログインは手が込んでいて、ネットにつなぐID・パスワードではだめで、プロバイダ発行のメールアドレス・パスワードが必要らしい。
つまり、必要な情報は徹底して紙に限定してる。デジタルな話のはずだが、メールを漁っても手掛かりはなく、ログイン情報の復旧はweb上ではできず。紙をなくしたら、コールセンターに電話するしかない。明日朝電話するつもりだが、そこでも電話が繋がるまで15分くらいは待たされるだろう。そこからまた無意味に不条理にたらい回しされるんだろう。と被害妄想は膨らむばかりだ。
解約しづらいスキームを組むのは、日本のビジネスマンの悪癖だよな。目先の利益を、ユーザーの不利益と交換する。Amazonだのが「顧客満足最優先だ!」といって伸びてきた現代はまるで目に入らないかのように、どうしたら嫌がられようとも売上を作れるか。
「解約率を下げろ」というニンジンを与えたら、なんでもいいから下げる。「そうだ、解約ボタンを奥の方に置けばいい!」とクソみたいに閃く。ざっくりいってすべての商売は「なにがしか世の役割を担って金もらうよ」という成り立ちをしている。だがそんな本筋はどうでもよくなり、解約率を下げる手段に気付けばそいつはエースだ。
後ろめたいような手段であるほど、「仕事は真剣」「遊びじゃない」「大人の世界は甘くない」といった、割り切り=カッコイイ図式の中で謎に正当化される。「あれ、世の役に立つというか、妨げてない?」みたいな現象は、見えていないし、そんなのは「大人の外側の甘っちょろい話」となる。(便利さを全面に押し出して大成功を収めている、Amazon, Netfix, Tiktokなどの成功譚のお陰で、ジャパンを覆う謎の「オトナ・シゴト・カッコイイ幻想」は滑稽この上ない形に仕上がった)
戦闘機に出撃させても戦果が上がらず、しかも帰還も望めないような状況があったとしよう。
それは既にどうしようもない状況なのだが、そこでマジメなやつが「そうだ閃いた!駄目で元々なのだから、体当たりした方がマシだ!もとより悪くなることはない!これだ!」と考える。そして目を覆う地獄が展開する。
現場の担当者、部分的な責任者の仕事なんざ、その程度のことなんだよな。「そもそも無理な状況だな。講和だな」などといった考察は任されていない。
だが「駄目でした」と言えばいいところで、無駄に一生懸命に、無茶苦茶なソリューションを閃きやがる。「これに掛けてみよう」なんて空気になる。それが精神的に抵抗感のある、一見コスパが悪く見える、自己犠牲的なモノであった場合、なにか免罪のような効果を持つ。むしろカッコイイ。「それができるやつ、さすが」なんて話で盛り上がる。涙する。そのとき誰も、戦果も全体的な勝利も見据えようとしていない。結果、「無理そうな情勢ですよ」というリアルな報告は上層まで届かず、地獄は地獄のまま放置される。報告は「みんなこの上なく頑張っているのですが、、」などと言い添えたそうな口調だ。涙だ。戦局分析ではなく、涙だ。止めたくなるほど知る者は「それは自分の仕事ではない。職掌を犯すなどあり得ない。自分の持ち場で全力を出せたか?俺は全力でやれたのか?」という点のみに腐心して努力そのものだけを完遂しようとし、止めるべき者が止めるべきであることに気付く日はこない。クソだ。
とことん俯瞰して考えることができないんだろうな。んでよくわからん「努力至上主義=頑張ってる感じな他はどうでもいい主義」が蔓延する。
▼腐女子を中心に使われているshipperという自称について - wschldrnの日記
https://wschldrn.hatenablog.com/entry/2020/10/08/192730
英語圏におけるshipperの用法と来歴
Shipping in fandom is the act of supporting or wishing for a particular romantic relationship — that is, a het (different-sex), slash (male/male), femslash (female/female), or poly (three or more partners) ship — by discussing it, writing meta about it, or creating other types of fanworks exploring it. Fans who have and promote favorite ships are called shippers.*3
同人ジャンル内におけるshippingとは、特定の恋愛関係—ヘテロ(異性愛)、スラッシュ(男性同性愛)、フェムスラッシュ(女性同性愛)、もしくはポリガミー(3人かそれ以上のパートナー)における関係—を議論したり、考察したり、二次創作で掘り下げることによって支持および希求する行為である。自分のお気に入りの関係性を持っていたり、広めたりするファンをshippersと呼ぶ。(筆者訳)
ここでもshippingやshippersは使われても単数形名詞のshipperは使われていません。
私は主に英語圏の同人界隈に生息してますが、I'm a shipperみたいな言い回しは普通しないです。shipper自体がかなり古い用語で(初出は1993年のX-ファイルジャンルだと先述の記事にある)、これはgen(general=同人界隈においてはカプなし二次創作の意)の対比として使われていたものです。今でもジャンル名またはカプ名+shipperという用法は見ますが(たとえば"Spirk shipper"という言い方はします)、shipperを使わずに単にfanとかloverとかいうほうが割合としては多いんじゃないかな。カプらせる、の意味で動詞としてshipを使うのが一番一般的。
加えて、英語圏の一部ではshippingが「原作や公式に対し自分の望みどおりのカップリング展開を要求する行為」を指す言葉として使われてもいるようで*4、shipperと名乗る=カプ押し付け厨みたいに思われるリスクもあるのかもしれない。
私は正直にいうとshipperは死語だと思ってたので、この数年で日本語圏でshipperを名乗る人が出てきたことになんで今さら?という気持ち。それもカプ名もジャンル名もなしに単にshipperとだけプロフに書かれると「目についたものを何でもかんでも恋愛関係にして妄想します!ってことなのか……?」ってくらい意味が分からない
オッドタクシーはセイウチのタクシー運転手がいろいろな客を乗せることで事件に巻き込まれていく
オッドタクシー「変わり者の運転手」(BSテレ東)の番組情報ページ | テレビ東京・BSテレ東 7ch(公式) https://www.bs-tvtokyo.co.jp/oddtaxi/
現在、アマゾンプライムビデオ独占配信ですが7/7からBSテレ東でもやります
オススメはこのBSで毎週ハラハラドキドキしながらみることですよ
オッドタクシーOfficial - YouTube https://www.youtube.com/channel/UC7vSI218btwcth8yKEGfe0g
さらに毎話ごとにその後のおまけであるオーディオドラマを聞いていきましょう
オッドタクシーはミステリな展開で、サブスクでおなじみのアメリカのドラマ風のモノですが、さらに文芸よりのアプローチをしているような気がします
綿密に物語を積み重ね丁寧に張られた伏線を丁寧に回収していく「ちゃんとした」お話を読む快感
ミスリードも多いのでそれをしてガッカリしたり、最後のほうに派手な展開がないと不満を持つひともいるだろうけどこれはそういうものだから
それでいてアニメ
アニメということを考えると本作ほどアニメであることが重要なものもないです
海外の反応で「実写でやってくれ」っていったけどそれやる意味はないしいろいろ台無しになる
声優という演技で考えると拙いところも多いけど
彼らじゃないと出せない味がある
ちょいと冗長ともいえるやりとりが続くのがサブカルっぽいと鼻につくかもしれないけどそれすら狙いだからな
映像やら音声のあちこちに伏線だったり伏線と見せかけたミスリードだったり結局あいまいにしてYou Tubeの考察が捗るのとか仕掛けが満載
昔のでいうとツイン・ピークスのような
ただしあれよりはすっきりと終わる
いくつかの流れはキレイに
それはキレイに回収される
ぶっちゃけ学部のレポートは、要領さえ掴んでしまえば心理的な負担はそこそこ減らせる
スーパー優秀な人以外はそれなりに時間はかかるから、タスクの進行速度はそこまで気にしなくてもいい
レポートでやるべきことを列挙する
・手が詰まる箇所は飛ばせ(考察が考えられないとか)
それ以外はコピペで済ませろ
他人には期待しない、だね
>ハマっているジャンルの考察や萌え語りツイートが面白い人だった。
他にもニュースやバズった物事、炎上案件に対して自分の意見を述べるツイートをしていた。
その意見が私の考えと違うことはもちろんあった。でもひとつひとつの物事に対してきちんと考え、意見を持って明確に言葉にすることは私にはできないことだ。芯の通った考えを持つ聡明な人だと思っていた。
久々に新幹線移動した
いつもとは違う時間帯に電車に乗ったからか絶えず左腕を左右に動かし続ける男に遭遇した
なんなんだろう彼は
動作から卓球選手?サウスポーボクサー?など色々と考察をしてみたがふくらはぎの筋肉のつき方を見てスポーツ選手では無いと断定
単なる左腕を動かし続ける男と判定
実害はないがずっと動かし続けるのですごい気になる
左手でスマホを持って右手でタップしてるが左手がひたすら左右に動いているのでタップしにくくないのか?
男がポニーテールが好きなのは揺れるからだと言われているが左腕がひたすら動き続けてるのは好きではないが気になった
動かすのやめろ!!!って叫びたくなったが、それをすると左腕を動かし続ける男と突然叫び出す男が出現することになるのでこれはマズイと思い却下
ちなみに新幹線は空いていました
過去形のタイトルを付けましたが、探してるけど見つからない、必要じゃないと開き直れないって感じです。
49歳、非正規、子なしバツ1、学歴なし、貯金も多くはなく年金も不安、世間一般に言うところの世代平均を持ってない女です。
どれもない私、Instagramのキラキラ感に取りこぼされたり、Facebookの幸せそうな同級生や同世代のがんばる姿を見てションボリする気持ちはとっくに過ぎて。
でもわかりあいたい、誰かと話したい、話が聞きたい。同世代だったり、私のような境遇を共感しあえるコミュニティを探すしかないと思ったんです。
でも、何者にもなれなかったキャリアも金もない初老女が拠り所にできるコミュニティはなかなか見つからずにいました。
そこでふと思いました。もう雑誌も何年も読んでない。フォローしてるようなインフルエンサーもいない。ラジオでも聞いてみようかな、共感できる文化人のPodcastはどうだろう。とにかくいろいろ探してみようと。
ロールモデルという言葉を見つけてから、私の世代を代弁してくれる人って誰かなと探し始め、岡田育さんやジェーン・スーさんなんかにたどり着きました。
でもやっぱりどちらも成功者の理論、がんばっていきいき暮らしていることが前提条件な気がして、老後の心配しかない私の代弁者、ロールモデルにはなり得ないと脱落しました。
友達が欲しいです。寂しいです。
一晩寝たらたくさんの反応・共感をいただき、吐き出せてよかった、それを読んで一緒に考えてくれた方がいることに救われました。ありがとうございました。
雑誌、メディア、コミュニティといったあたりの考察をしましたが、ロールモデルという言葉を知って「増田さんは○○系の人ね」という自己紹介があれば、同じ方向の人とスッと繋がれるのではとイメージしたんです。そして根本はコメントにもあったように「さみしかった」のだと気づけました。
コロナで趣味の友達にも会いにくくなり、イベントも開催されず、一人暮らしで職場や家庭に理解者がいない中で、人と繋がりたい、さみしいと思ったんですね。
そのために「私はこんな人です」という自己紹介にあたるものが欲しかったんです。
思いつくまま書きましたが、ジェーン・スーさんの「おばさん」という言葉を受け入れて自分らしいおばさんを生きる方向も、不安の中でもそれなりに経済的な余裕があり、自立していることが前提でとても私には遠い物に感じました。
取りこぼされた、と感じるのは受け身で人のせいにしてるんだとも思うと、さらに落ち込みました。
阿佐ヶ谷姉妹さん、光浦靖子さんを上げてくださった方もいてなるほどと思いました。一言で「○○みたいな人」が当てはまらない私にできることは、どう生きていくかの覚悟をすること、腹をくくることなのかなと思えました。
何者にもなれなかった、変われずこうなってしまった現実。でも、それに気づけたならまず覚悟を決めることなんだなと。そこからがんばってみます。
経済的には難しくても、精神的には自立…誰かをモデルにするのではなく、自分の足で立てるのかなと。そして、同じ覚悟を決めた人と友達になれたら嬉しいです。
週刊少年ジャンプ2021年30号掲載の『ONE PIECE』第1017話で、衝撃の事実が明かされた。
それは、12年前、ゴムゴムの実が「政府の船」で「護送」されていた、というものだ。
ここからシャンクスやその他のキャラに繋げて与太話のような考察……というか憶測が飛び交っているが、
ここでは確実に拾える台詞だけを抜き出して、この真意について書き記したいと思う。
[第1話]ONE PIECE - 尾田栄一郎 | 少年ジャンプ+
物語の後半で、赤髪海賊団のベン・ベックマンは、山賊ヒグマにこう言う。
「ウチと一戦やりたきゃ」「軍艦でも引っぱって来るんだな」
軽く読み飛ばしてしまいそうな一言だが、違和感はないだろうか?
一般人の口語であれば、そんな定義を明確にはしないだろう。だが、これは漫画で、作者、(アシスタント)、担当編集、編集長と、複数のファクトチェックが入る。
「軍艦」「戦艦」「艦隊」……いくつもの言い換えができるが、この文脈で言いたいのは「個ではない戦力」のはずだ。
それならば、より攻撃的なイメージを持つ「戦艦」を使うべきではないだろうか。
日本大百科全書(ニッポニカ)では「軍艦」をこう定義している。
“「一つの国の軍隊に属する船舶で、当該国の国籍を有する船舶であることを示す外部標識を掲げ、当該国の政府によって正式に任命されてその氏名が軍務に従事する者の適当な名簿またはこれに相当するものに記載されている士官の指揮下にあり、かつ正規の軍隊の規律に服する乗組員が配置されているもの」”
長ったらしいが、要するに“一つの国の軍隊に属する船舶”を軍艦と呼ぶ、ということだ。
デジタル大辞泉では“海軍の艦艇で、戦闘力をもつものの総称。”とある。
「軍」艦、である。『ONE PIECE』世界を考えるなら、「海軍の戦力」と読むべきだろう。
「うぬぼれるなよ 山賊………!!」
一騎当千の赤髪海賊団(他の四皇と比べて「高い懸賞金アベレージを誇」ると評されている)と
戦うには数が足りない、それなら船でも持ってくるんだな、山賊だけど、という煽りであれば、
なおさら「戦艦」と言うべきだろう。「軍艦」を持ってくることなどできないのだから。
――つまり、ベン・ベックマンは、ヒグマが「軍艦」を「引っぱって来」られることを知っていたのだ。
話は第1017話に戻る。
政府の護送していた、CP9の乗る船で、ゴムゴムの実を護送していた。
行先はマリンフォードか、エニエス・ロビーか、インペルダウンか、マリージョアか。
いずれにせよ、海軍以上の組織の手に渡るはずのものだったのだろう。
ならば、それで終わるだろうか。海賊の襲撃に遭ってロストした、で納得するだろうか?
見せしめとして当時CP9だったフーズ・フーは投獄された。しかし、それは「解決」ではない。
政府直属の諜報機関サイファーポール、あるいは海軍といった組織が、奪還に動かなければおかしい。
ヒグマの懸賞金額は「800万ベリー」だ。また、「56人殺した」と言っている。
つまり、この手配書は偽物だったと見るべきだ。殺したのは、CP9として、だ。
「軍艦を呼べて」「殺人が許されている」……ヒグマはCP9であるとしか思えない。
「ウチと一戦やりたきゃ」「軍艦でも引っぱって来るんだな」
違和感がある。ヒグマがCP9であることを知っていたのなら、「軍艦で来い」と言うはずだ。
「引っぱって来い」……。
海軍から権限を譲渡されたCP9が「軍艦」を「引っぱって来」ることといえば――
つまり、ここの“煽り”というのは、「山賊は戦艦を用意できない」ではなく、
「CP9ですらバスターコールが発令できない」という意味だったのだ。
それは、四皇であるシャンクスに喧嘩を売る以上に、ゴア王国がガープの故郷だからだ。
四皇と海軍の英雄、両方に泥を塗れないだろう、という煽りだったのである。
命だけは助かりたいから? 否。フーズ・フーを見ていれば、お咎めなしにならないことは自明だ。
ゴムゴムの実は、政府が護送するほどに重要な悪魔の実だったのだろう。
来るべき時、来るべき者が口にするために、命を賭してでも――
というよりは「自分視点での感想」をさも「考察」であるかのように語る輩が多すぎるということかな。
ネットで感想を書き続けると人間の次式は肥大化してゆくゆくは感想と考察の区別がつかなくなるのだろうか?
だがこのまま私が黙って「感想と考察の区別もつかねーのかこのカスは」と思い続けていても自体は解決しない。
どうやら私が書いてやる必要があるらしい。
「おおかみこどもの雨と雪の考察」を。
脚本の奥寺佐渡子は細田守の考えを「一般人に伝わる形かつ、一般人も楽しめる形」に落とし込むための存在であるため、作品において「なんでここがこうなったの?」に対しての答えを彼女に求めても「作劇的にその方が面白くなるから」以外の要素は出てこない。
だから考察をするのならば奥寺佐渡子の意図はあまり考えなくていい。
気をつけたいのは、「でも細田守がそういう意図を持っていたのなら、作品の質を落としてでもここはこうしたのでは?」という部分に関しては「奥寺佐渡子がうまい具合にハンドルやブレーキを操作した」と判断すべきであるということだ。
脚本に2人が名前を連ねていることが、おおかみこどもの雨と雪の考察を若干難しくする。
おおかみこどもの制作が始まる2年前、サマーウォーズの製作中に細田守は母親と祖母を無くしている。
父親の方はそれより11年前に既になくなっている。
おおかみこどものキャラクター造形において、この3名の死は深く関わることになる。
この辺については詳しくはインタビューを読んで貰ったほうが早いので手短いに言うと、細田守が自分で「作品作りにおいて影響があった」と口にしているのだ。
主人公が母親であること、父親が途中でなくなること、そういった要素についてフェミニズムだの男女平等社会だの社会派気取りだのあーだこーだと考える必要はなく、「そのときの細田守の境遇がそういった家族像を作中に描くことを求めた」で説明は終わるのである。
母親のモチーフが細田守の実母であるということは、おおかみこどものモチーフは細田守自身となるわけだ。
ちなみに細田守は幼少期に吃音症を患っており、この感覚が社会に普通の子供として上手く馴染むことが出来ない幼少期の雨と雪を形作っていくことになるのは想像に難くない。
それぞれは自分の性質や出会う人物に合わせて、人間社会と山という全く別の社会における適応を目指すことになる。
また、それぞれが目指そうとする場所は途中で交差して入れ替わる。
全く異なる2つの社会をそれぞれに目指す姿は、細田守がアニメ業界という力と才能が支配するオタクの世界と、宣伝や社会性が重視される一般的な社会という2つの世界を行き来しながら有名アニメ監督となった細田守の人生観の反映であろう。
つまり、山において師匠に野生の生き方を学ぶ雨は、アニメ業界で才能を頼りに生きることを選んだ細田守であり。
一方、現実世界で恋をして普通に生きることを選んだ雪は、細田守の妻子持ちとしてのプライベートの姿である。
才能を振り回しケモノとして生きる道と、人間らしく生きる道に対して、細田守が感じる二足のわらじの感覚が、おおかみこどもを二人にするという設定を構築しているのだ。
と思った人はバケモノの子や未来のミライを通して答え合わせをして欲しい。
おおかみこどもの雨と雪はいわば細田守考察における出題編であり、その後のバケモノの子と未来のミライによって、おおかみこどもで考えた考察が深読みだったのか、実際にそうだったのかが徐々にハッキリするという構図になっている。
バケモノの子は7月9日の金曜ロードショー、未来のミライはアマゾンプライムビデオで見ることができる。
それはおおかみこどもの雨と雪だけでやるとゲスの勘ぐりみたいになる。
バケモノの子や未来のミライで伏線回収が終わってから戻ってくるとまあ露骨にそうなんだよねって分かりはするんだけどさー。
分かると言えばサマーウォーズの家族観とかもあとから見るとなるほどねーってなるんだけど、この辺もやっぱバケモノとミライを見てからじゃないと分かりにくいんだわ。
答えから逆算すると簡単な迷路ってたまにあるけど、細田守映画の世界観もあとからだと分かるけどサマーウォーズとかの頃は上手くやってるなーって。
まあまさにこれは「奥寺佐渡子がハンドルとブレーキを上手く使ってた」ってことなんだけどさ。
凄いわあの人も。
私の住む自治体でも7月より、65歳未満かつ基礎疾患がある者を対象とした摂取が始まるが、それ以外については広報されていない状況である。
一方ワクチン接種の実績は、漸く100万回以上を安定して摂取されるようになっている。このペースが維持できるなら、10月頭には、集団免疫効果が得られる接種率六割が見えてきている。
是非ともこのペースで推進してほしい所に、ワクチン供給量減少の報道である。
おそらく、需給を基にしたサプライチェーンマネジメントが失敗していると思うのだが、報道や、政府が公開する情報が断片的で、全体として何が起きているのかさっぱりわからない。
なのでこうやってまとめて考えを整理する。
マネジメントの専門家でも調べものが得意でもロジスティクスに詳しいわけではない。
この記事を見る人がいて、間違っているところや、ふさわしい一次情報元がありましたらご指摘いただけるとありがたいです。
[1] https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_16195.html
[2] https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA14D210U1A510C2000000/
5000万回分追加はニュースにはなってるけど、厚生労働省のページからは見つからなかった…。
モデルナは追加5000万回分の交渉に入ったニュースはあったが、その後どうなったんでしょう
ファイザー | 6月末までに1億回分[1] 7月~9月に7000万回分 |
モデルナ | 9月末までに5000万回[2] |
[1] https://www.cao.go.jp/minister/2009_t_kono/kaiken/20210623kaiken.html
[2] https://www.cao.go.jp/minister/2009_t_kono/kaiken/20210622.html
【出典】https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/vaccine_supply.html
日付 | 箱数 | 回数(万回) | 累計(万回) |
---|---|---|---|
3月1日 | 500 | 49 | 49 |
3月8日 | 500 | 49 | 98 |
3月22日 | 700 | 68 | 166 |
3月29日 | 700 | 68 | 234 |
4月12日 | 1400 | 137 | 371 |
4月19日 | 1400 | 137 | 507 |
5月3日 | 1200 | 117 | 624 |
5月10日 | 2200 | 215 | 839 |
※ 第5クールからは6回分取得できる注射同梱ということだが、全自治体で利用できているとは思えないので、引き続き1バイアル5回接種計算
日付 | 箱数 | 回数(万回) | 累計(万回) | 医療者向けとの累計(万回) |
---|---|---|---|---|
第1クール[4/5-4/11] | 100 | 10 | 10 | 848 |
第2クール[4/12-4/18] | 500 | 49 | 59 | 897 |
第3クール[4/19-4/25] | 500 | 49 | 107 | 946 |
第4クール[4/26-5/9] | 5741 | 560 | 667 | 1505 |
第5クール[5/10-5/23] | 16000 | 1560 | 2227 | 3065 |
第6クール[5/24-6/6] | 16000 | 1560 | 3787 | 4625 |
第7クール[6/7-6/20] | 13500 | 1316 | 5103 | 5942 |
第8クール[6/21-7/4] ★いまここ | 16000 | 1560 | 6663 | 7502 |
第9クール[7/5-7/12] | 11000 | 1073 | 7736 | 8574 |
第10クール[7/19-7/26] | 10600 | 1034 | 8769 | 9608 |
7/3日時点で、地方自治体へ6663万回分が供給されている。
【出典】 https://www.kantei.go.jp/jp/headline/kansensho/vaccine.html
医療従事者向け | 10,882,527回 | 1088万回 |
一般接種 | 35,366,445回 | 3537万回 |
※1 一般接種実績はVRSに基づく
※2 一般接種実績はファイザー/モデルナと区別された値かわからなった(open dataにそのような欄は無かった)
【出典】https://www.cao.go.jp/minister/2009_t_kono/kaiken/20210623kaiken.html
輸入済みのファイザーワクチンは1億回分だが、地方自治体への配送済みワクチン数は6663万回分である。
スケジュールよりも多く供給している可能性も考えたが、河野大臣も「1億回分が供給され」という書き方もしているので
配送数が1億回分ではないと考えられる。
一般接種の実績は3537万回分であるが、VRSへ入力していない自治体がいる・モデルナも含みそうなので、
雑にVRS入力漏れとモデルナを相殺して考えると、自治体の在庫は差の3126万回分である。
ここで、現時点でのワクチン接種実績は、平日110万回, 休日100万回を記録していることから、
7月にペースを維持するためには、3320万回分が必要にある。
7月に送付されるワクチンは合計2100万回分になるため、在庫は自治体に偏在しているので、
安全在庫数を割る自治体が発生してしまう状況になっていると思われる。VRS入力漏れがどの程度発生しているかも不明だ。
安全在庫数をどう見積もったら良いのか、私には土地勘がないので、詳しい方求む
上記のファイザー配送計画をみるとわかるように、全クールを終えても累計は1億回以下である。
すなわち、7月末までに送付されるワクチン数は、7月の輸入数を反映していない。
この状況で、7/2現時点でのワクチン接種実績は
2回接種数:11,762,355
2回目接種を達成するためには、7月中に1306万回分の確保が必要である。
よって、現時点での在庫で1回接種に回せるワクチンは1820万回分である。
ここで、7月に1度目の接種を行いたい場合、4週間後に2度目の摂取が行えるかどうかが問題になる。
現時点では8月以降の配送計画が発表されていないため、在庫追加を前提とした予約が取るのが難しい状況になってしまう。
現在発表されている7月の自治体への供給数は、当初計画から変更されていない。
すなわち、現在のペースを維持するためには、当初計画よりも供給量を増加させる必要があったことになる。
ここで、7月末迄に送付されるワクチンの総数が7月の輸入数を反映していないことから、供給増のためには、
6月中の輸入量を増加させるか、7月輸入分を増加させ、自治体供給に加える必要があったことが分かる。
何れもファイザー社との交渉が必要であり、ファイザー社のリードタイムを考えると、前者は現実的ではない。
後者を行うにしても、流石に6月上旬には交渉締結に動く必要があったと思われる。
ここで、VRSへの入力遅れによる、実績の把握の遅れが影響してくると思われる。
最終値では、6/9の地点でデイリー100万回に近い値に達していたが、数値が確定したのは
6/24であった[1][2]
すなわち、動くべきタイミングでは実態がつかめておらず、分かったときには不足が確定していたと思われる。
政府は成果として発表していただろうが、青くなっていた厚生労働省職員もいたであろう。
[1] https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA213OT0R20C21A6000000/
[2] https://vacprogressbar.com/note.html
9月末までに7000万回分という数字はあるのだけど、月あたりどれくらいか分からない。
10クール以降の計画が未だに出てきていないことから、7月の輸入数は遅れるか、かなり少ないのではないかと疑念がわく
完走した感想ですが、コールドチェーンがネックになっているのかなと思っていたのですが、どうもファイザー社からの輸入数が焦点になりそうな可能性が高いです。
輸入計画がどうなっているか、どなたか調べてもらえると嬉しい。記者会見から起こすのは箱だったりバイアルだったり回数だったり週だったり月だったり単位がバラバラで挫折した。
実験内容は興味がないわけではないし、なかなかお目にかかれない機器を使ってデータをとるのはなかなか楽しい。
しかし、レポートがきつい。とにかく量が膨大だ。回によってまちまちではあるが、少なくても15ページで4000字程度、多いとその倍以上になることもある。これを1週間で書き上げなければならない。
書いても書いても終わらず期限目前になってしまい、中途半端な出来で提出して再提出を食らってしまう。そもそもタスク割りが下手なのもあると思う。
再提出の締め切りは1週間後で良心的に思えるが、次の実験のレポートの締め切りと被っている。再提出のレポートをやるのに時間をとられ、次のレポートに取り掛かることができずこちらも再提出になってしまう。以下同じ事が永遠にループしている。とうとう今週は再提出のレポートも次のレポートも提出できずに終わってしまった。我ながら情けない。
タスクが終わらない不安感はメンタルを蝕んでいく。おとといから2日ほどレポートもほかの授業の課題も手につかず、一人暮らししているアパートの一室で横になってぼんやりしていた。部屋にはゴミが散乱して台所のシンクには洗い物が溜まっている。何もする気力が起きない。できるのはYouTubeや漫画を眺めるくらい。今も死にそうになりながらキーボードをたたいている。
実験を一緒にやっている班員は「きつい」といいつつも、きっちり期限内にレポートを仕上げて提出しているようだ。同じ学科の友人も同様にうまいことやっている。周りが優秀なだけに、どうして自分だけ無能なんだろう、と自分を責め続けてしまう。
そもそも学部3年の実験なんて、やる内容も決まりきっている。結果もわかりきってて考察内容だって模範解答が存在するものだ。舗装された登山道を自力で登るようなものだろうに、なんで私だけできないんだろう。ここで躓いていたら、4年の卒論や修士課程なんて乗り越えられるはずがない。
実はメンタルが不調になるのは初めてではない。大学に入学した直後にも派手にやられている。今よりもかなりひどくて、なかなか2年生に進級できず1年生を2,3回やったほどだった。
そのときは大学のメンタルヘルス部門を訪れたり休学して実家に戻ったりして、何とか復調できた。一度元気になってからは順調で、フル単ではないが3年生までストレートに進級できていた。
国内の新型コロナウイルスワクチンは足りているのか足りていないのか?
(アストラゼネカ社のワクチンは今のところ使われそうにないので除外する)
■ファイザー社
6月末 6,000万回
9月末 5,000万回
12月末 8,400万回
■モデルナ社
6月末 2,000万回
残り 500万回(納入期限不明)
二社を合わせると
6月末 8,000万回(4000万人分)
9月末 5.000万回(2500万人分)累計6,500万人分
12月末 8,400万回(4200万人分)累計1億700万人分
少なくとも、6月末までに8000万回分のワクチンが日本に到着する契約となっている。
この契約が履行されていれば、8000万回分のワクチンはあるはずだ。
ちなみに、先行医療従事者は480万人、65歳以上の高齢対象者は3549万人となっている。あわせると4029万人で、8058万回分のワクチンが必要となる。(あれ?微妙に足りない、、けどまあ誤差の範囲としよう)
政府が7月末までに65歳以上高齢者への接種完了を目指すと言っているからには、7月末までに全国に約8000万回分は供給されるはずだ。
(一瞬脱線するが、この計算でいくと64歳以下への接種を早く始めちゃうと、肝心の高齢者向けの供給が滞ったりしないのかしら? まあ随時供給されるのであれば問題なさそうな気はする)
さて、一方の接種実績。
7月2日時点での接種実績は3024万9911回(ヤフーに出てた)。8000万回分が契約通りに日本に納品されているのであれば、入荷した量の約38%が使われた計算になる。
残りは5000万回分弱。廃棄されたものもあるだろうから75万回分ほど割り引くとして(ここは勝手に減らしてみた)、4900万回分の在庫が国内にまだあるはず。
でもってここからは完全に仮定の数字遊びの話になるが、4900万回分のワクチンを、一日平均80万回分消費する(直近は一日60万回~100万回で推移している)と仮定すると、61.25日で使い切ることになる。
いまが7月の頭だから、61日後というのは8月末~9月頭。それまでは国内のワクチン在庫は枯渇しない計算になる。
ただしこれは総量の話なので、どこかで在庫を抱え込んでいると、別の場所で不足することは起こりうる。当初、厚労省は恐らくこれを避けるために「V-SYS」なるシステムを使って、需要と供給を把握・コントロールしようとしていたと思われる。
また脱線するけど、仮に毎日80万回くらいのペースで接種が進むとすると、9月頭の時点での接種完了数はのべ8000万回(4000万人)。日本の人口が1億2712万人なので、残りの国民8712万人全員を接種するには1,74億回の接種が必要。もちろん低年齢で対象外だったり、希望しない人もいる。適当だけど3000万人くらいは接種しないと勝手にしてみよう(疲れてきたので11歳未満の人口とか調べるの面倒になってきた)。
8,712万ー3,000万=5,712万(人)
接種回数でいうと倍なので11,424万回の接種が必要となる。これを相変わらずの一日80万回ペースで接種し続けると、
11424万÷80万=142.8(日)となる。
9月頭から142日ということは、約5か月弱とすると2022年1月中旬から下旬。
この仮定条件では、希望者全員への2回接種が完了するのは2022年1月という計算になる。
(繰り返しますが、これは素人が勝手に計算しているもの。独り歩きしないか不安になってきた)
自治体ごと、職域ごとに配送した量と接種報告を突き合わせれば、どこの自治体や企業・大学などにどれくらい未使用在庫があるかは突き止められる(一般企業でいうところの棚卸ですな)。
全国の自治体の数は2000もないので、本気で調査すれば1、2日あれば調査は終わるはず。(数日分の誤差はあれど、概算の調査は可能なはず)