はてなキーワード: 賢明とは
というタイトルは、一見ナンセンスに思えるが、よくよく読むと実のところ釣りタイトルである。ここでの本題は、「芸能人や漫画家が公式Twitterで政治的な発言をするべきかどうか」だ。
党派性に囚われた人たちは、自分に都合の良い発言はOK、相容れない発言はNGと恥知らずに繰り返す。しかし、賢明なはてなー諸氏においては、原則を考える議論に関わる場合、自分が最も許せない政治的発言をされたときのことを考えてほしい。例えば陰謀論や差別的な発言など、そういう許しがたいものだ。
「良い発言なら良いだろう」というのは全く考えが足りない。これには誰が良い・悪いを判断するのかという問題が必ずついて回るのだ。
元増田も言及しているように、小泉今日子さんの「普通に生きていればこう感じるでしょっていうふうに思うんですけど」という発言だって、人によって捉え方が分かれるだろう。
好意的に捉える向きも多く見受けられるが、私には非常に差別的な発言に感じる。イスラム国家には女性への差別が制度として存在するが、当事者はそれを善と信じている。発言の善悪をもってべき論を考えてしまうと、結局は煩雑な議論になる。
そして「芸能人や漫画家が公式Twitterで政治的な発言をするべきかどうか」ということを考えたとき、元増田の言う
という発言は一考に値する。スポーツの祭典で政治的な発言をすべきでないという話がよくされるように、スポーツや文化は、政治的対立が起きたときの最後の砦だ。
芸能人や漫画家は、その肩書で活動する限り、文化の担い手という側面を持つ。彼らの公式Twitterは企業の公式Twitterのようなもので、その作品をある程度代表する類のものだ。
一個人としての政治的な発言は、それがどんなに愚かなものでも発言したこと自体を決して咎められるものではないが、どのような内容であれ、文化の担い手としての肩書を捨てた場で発言すべきだと私は考える。
余談にはなるが、私は選挙は顔も名前も隠してIDと公約だけで行うべきだと思っている。人類は、一個人の功績と政治的信条や個別の能力を切り離して考えることができるほど優秀ではない。
何かを本気で頑張って、結果としてそれが失敗に終わったとしても、その努力をしたという経験は人生において糧になると言われている。
努力した経験のある人は、新しく何かに取り組む時も「頑張り方」を知っていたり、多少嫌な事でも「耐え方」を心得ていたりする。
私は二十余年生きてきてその経験が全く無い。
なんだかんだ幼稚園の頃に始めて中学の頃までやっていたが、特別頑張ってやっていたわけでは無い。最初の頃こそ好きでやっていたもののあとは完全に惰性だった。
中学に上がる頃にはもう月に1、2回、数枚の宿題を提出してはまた数枚持って帰る、みたいな取り組み方で意味なんて無いようなものだった。
公文式は学校の授業の進行に関係なくどんどん自分で先の単元を学習していけるので、中学半ばくらいまではいわゆる勉強の「貯金」があったおかげで国、数に関しては苦労することがなかった。
それもあって中学は地元の中高一貫校に合格。(なお後で知ったが定員割れしてたので落ちる心配はほぼなかった)
そして勉強の貯金が尽きてくるとガクンと成績を落とし、それとほぼ同時に学校そのものが面倒臭くなりサボりがちになる。本格的に逃げ癖がつき始めたのもこの辺りじゃないかと振り返って感じた。
幸か不幸かエスカレーターだったので中3〜高校卒業までずっと出席日数をギリギリ下回るくらいで、先生方のお情けの課題をこなして進級してそのまま卒業した。
部活は中学の最初はラグビー部に入っていたものの、全く楽しく無いし運動音痴である事を自覚したので1年そこらで辞めて、以降高校卒業まで帰宅部だった。
小学校の頃もサッカーとラグビーを習い事としてやっていたがどちらも長続きしなかったし、今となっては別に強制でもない部活に、それも明らかにきつそうなラグビー部に何故入ったのか自分でも謎だ。
大半の人が人生で一番努力すると言っても過言では無い大学受験ですら私は努力しなかった。
最初の方はMARCHを第一志望にしていたが、高校に半分も通っておらず成績も最底辺の人間にはどだい無理な話だと気付くのに時間は掛からなかったので、滑り止めとして日東駒専の夜間を受ける事にした。
日東駒専といえば聞こえは悪く無いかもしれないが夜間は滅茶苦茶敷居が低い上に受験科目が現代文と数学のみで、公文の勉強貯金だけでもなんとかなるレベルだった。
MARCHの受験も辞めればよかったのに言い出せず「とりあえず受けてみよう」なんて親の言葉に乗せられ、前日にホテルまで取ってもらって受験会場では殆どの時間船を漕いでいた。本当に申し訳なさで一杯だった。
そんな苦労せずに入った大学で当然学業を頑張れる訳もなく、初めての一人暮らしという名の自由に浮かれて遊び呆けるようになる。
朝から昼過ぎまでバイトして、サークルに麻雀打ちに行くか、帰ってゲームするか。そんな日々だった。
幸いバイトは人間関係も良く、仕事も楽かつ楽しいというこの上ない大当たりを引いたので続けられた。
卒業出来る見込みも限りなく低く流石に3年で挽回の兆しが見られなければ大学を辞めて実家に戻れと親に言われる。当然である。
結局3年になっても大して出席率は変わらず、更にバイト先が潰れる。
新しいバイトを始めるも周りが十個以上年上の人だらけだし仕事はクソつまらないしで1週間程度でバックれ。
ただでさえバイトの収入だけじゃ足らずに毎月のように家族に泣きついていたのに生活できるわけもなく、とうとう消費者金融に手を出す。
累計で100万いかないくらいを借り入れ、返済は全部ガン無視。
大学3年中頃、賃貸の契約更新のタイミングで大学に行ってない事も働いてない事も多重債務者になっている事もバレ、退学し実家に送還。
実家に帰ってからはコンビニ夜勤、コンビニ夕勤、コンビニ夜勤でそれぞれ2ヶ月、半年、2年働いた。田舎すぎて働くところがコンビニくらいしかなかった。しかも後ろ2つはバックれているのでもうその店に行けない。一番近いコンビニだけはバイト先の候補から除外したのは賢明だった。
実家に戻って2年ちょっとの間で消費者金融から借りた分は債務整理という形で全額返済した。
とりあえず携帯代と奨学金の返済が滞ってるから次のバイトはもうちょっと長続きしたらいいな。
・いくら楽しくても、いくら楽でも飽きが来たときに辞めてしまう
という「なる様になる」の精神で生きてきたので、努力と忍耐を身に付ける術を知りたい。
歯を食いしばって耐え忍ばないと死ぬくらいの環境に身を置くのが一番早いのだろうがそれすら怖くて出来ないし、最悪死ぬ方が楽ならそっちを選ぶだろうという無敵の人状態になってしまっている。
嫌だ嫌だと言いながらなんだかんだ頑張れる人は素晴らしいしかっこいい。恐らくどこかで努力してきた下地があるんだろう。
自分にはそれが無い。
政府もがんばってるようですね。
タマゴが先かニワトリが先か、みたいな話になるけど、自分が接してきた何人かの卑怯者は、以下の特徴があった。
・なぜか子供が2~3人いる
という傾向でおもしろいほど一致しており、おそらく家庭環境が仕事に影響しているのだろう、との考えに至るまでそう時間はかからなかった。
おそらくだが、夫婦生活の設計をしくじった可能性があると思われる。
長年つづけていくうちに、自分の家庭の運用のために全世界が存在している、という考えに至ってしまったのではないだろうか。
そのため、人格や仕事を犠牲にして卑怯者になっていくのではないかと思われる。
<追記>
あ、あと子供が小学生とかに育ってくると、あたりまえだが「一個の人格」になるわけで、もしその人格が自分ゆずりの卑怯者にそだっていたら、もう家族全体が「卑怯グループ」として相互パワーとなって増大してしまうよねというはなし。
つまり、嫁選び・仕事えらび・子供のそだて方、この3っつって連動してるんすねというはなし。
<以下レス>
それの何が悪い?
オマエは他人だろ?
いやわるいだろ
自分の家族せいぜい2~3人のために、何十人何百人の仲間の足かせになっちゃアカンでしょ
ってことすね
つまり卑怯性とは「自分だけがよければいい」という、自己中ってことに帰結するのではないだろうか。
あと、彼らを見ていると「会社組織をギリギリ首にならない程度にいかにラクして生き抜くか」みたいなゲーム性を感じてしまうのである。
自分のかわいい家族のためだけは全力をつくしますよ、みたいな。
そのあたりがなんか「卑怯」なんすよね┐(´д`)┌
共働きで自分の給料が上がらなくても奥さんの分と合わせるとまあまあな世帯年収だから出世しなくていいやっていう発想ならまあわかるけど。
鋭いご指摘どうも!
そのとおりで、自分が出会った卑怯者は、以下の特徴がありました。
なので、大企業づとめというシステムをフル活用した結果の卑怯者なのではという結論です。
たぶん中小零細づとめだと年収揚げるためにガツガツ出世をもとめるのでは?と思います。
まあたしかに卑怯にもいろいろあると思いますが、「臆病」「自己中」「保身」「ラクに生きたい」みたいな感じでしょうか?
成果を出さないでも、システムの穴を使って十分稼げる、という甘い蜜を知ってしまってそれに乗っかる的な。
自分に損になりそうなことがありそうだったらすぐ逃げ出す。
そんな感じかと。
卑怯な手で会社を大きくする人もいますが、大きな違いは「社会に還元してない」ってかんじでしょうかね?
会社や売上を大きくしたなら、いずれその資本で社会に再投資して還元されますからねぇ。
そういう「アグレッシブ卑怯者」に対して、「パッシブ卑怯者」ってとこですかね(命名)。
フリーライダーに近いのかもしれない。
ラクに生きたいで良いじゃん
頑張った分だけ金が貰える昔とは違うんだし
そうそう つまり大企業にうまく入れた時点でその人の人生は「あがり」なんですね
政府もがんばってるようですね。
まあ一番の障壁は「解雇規制」ってことは、賢明な皆さんなら百も承知でしょうが。
この増田は正しい
件の無言とか非表示とか言い続けてる人が孤立してるのは周囲の人にとって都合の悪い真実を語っているからではなく
周囲の人が当たり前のように知ってる前提をすっぽ抜かして喋ってるから対応めんどくさがられてるだけなのだがいつ気づくものやら
「増田に1年くらいいれば肌で感じれるようなことをわからないなんて!」って馬鹿にするのもなんかちょっと人としてどうかという気もちょっとするが
単純にファーストブクマカの人がいなくなったというのは大きいが(今もファーストブクマしてる人はいるだって??増田に1年くらいいれば肌で感じれるようなことをわからないなんて!)、それに加えてはてブでの人気エントリとかのしくみがちょっと変わって増田エントリの露出が減った(意識的にhttps://b.hatena.ne.jp/site/anond.hatelabo.jp/を見ないと見つけられなくなった)というのも追い打ちだと思ってる
なんかちょっと人としてどうかという気もちょっとするのでファーストブクマやってた人に戻ってきてとは言わないことにする
1行しかない増田がブクマに載るようになったのは象徴的だと思っている
たぶんいま増田をブクマするような人は長文を最初から避けがちなのだろう
そろそろ長文判定だろうか
という前提を多くの人が共有できていないようなので、啓蒙のために書く。
まず、テロリズムとは、terror(恐怖)に由来し、暴力を用いて威圧や恐怖を与えることで政治的・宗教的な目的を達成しようとする行為である。
それでは、山上徹也は恐怖を利用して何らかの目的を達成しようとしたのだろうか?例えば、「統一教会を潰さなければ、次の首相も死ぬ」といったことや「民間人も同罪だ、覚悟しろ」といった発言があったのだろうか?
山上を支持する者たちは、支持しなければ自分たちにも危害が及ぶかもしれないという恐怖から支持しているのか?
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)やそれに関連する議員を批判する者たちは、さらなるテロへの恐怖から批判しているのか?
そんなことはない。主に同情や問題意識から来るもので、テロ(恐怖)に屈したり、迎合したりすることとは無関係だ。
仮に山上の事件をきっかけに統一教会と距離を置く政治家がいたとしても、それは山上を恐れるからではなく、世論を恐れるからである。
山上の供述によれば、母親が統一教会に傾倒し多額の寄付をした結果、家庭の生活が苦しい状況になり、教団への恨みから教団の広告塔である首相を狙ったというだけだ。
どう見ても怨恨によるもので、政治家が被害者だから全てテロだと言うのはおかしい。痴情のもつれで刺された場合もテロだと言うのか?
事件の背景が根深いとしても、事件自体はただの怨恨殺人であり、市民を恐怖に陥れるようなものではない。
身近に迫る死の恐怖も感じていないのに、テロには屈しない!やテロに迎合するな!などと偉そうなことを言うのは間違っている。
賢明な増田諸氏は、この事実を心に留めておくことが重要である。
改めて言う。
山上徹也の事件は個人的な怨恨に基づくもので、市民の恐怖を煽り意識を縛り付けるようなものではなく、テロリズムとは全く異なる性質のものである。
犯行のきっかけとなった社会問題は根深く、議論・対処に値するものであるが、決してテロリズムの文脈で語られるべきものではない。
覚えておきましょう。
まあなんとかなるやろと
甘かった
自分じゃついていけない
年収もかなり上がったし
有名なとこに入れて嬉しかったけど
仕事についていけない
会話の内容は理解できる
みんな仕事が早い
いやそんな早くなかったんだよ外から見ると
中にいると全然違う
俺の
家族はどうする
転職する?したばかりだ
やめる?誰稼ぐんだ?
子供は?
お世話はしんどいなとも思ってた
今は、ごめんしか思わない
表面上は変えてないけど
多分目は死んでる
なんか自分ができると思って
入ればなんとかなると思って
甘かった
俺より給料の低い俺の3倍は優秀な後輩
優秀風に受けてしまって
嘘はついてないんだが
全部が薄いんだよ
俺は
ついていけない
どうしたらいいんだ
仕事は多いっちゃ多いけど
それ以上に
進めない
何度もミーティング設定して
何度も聞いて
何度も答えてくれるけど
進められない
陰口なんてもはや怖くない
何もできない自分が怖い
窓際部署を探して入りたい
そっちのが迷惑かけない
でもこんな有名企業にあるのかな
あるか
今、キミ首っていわれたら
いや家族はどうすんのよ
病む前にやめるべきか
シゴトできないけどおカネもらってサーセーン!
みたいに開き直るか
君らも嫌いでしょ、
あー。。食欲減った
発見だ
あ、パソコンが暗くなった
でもまだ仕事しなきゃ
進まないけど。。。
もう誰か別の人アサインしてもらわないと
俺の居場所探して★って人事の人に言うか
言えるかそんなん
つらい
潰されそうだ
いや勝手に潰れるんだ
誰も俺に強制はしてない
勝手に動いて
いい迷惑だよな
俺はホント先を見る目がない
いけるっしょ!みたいな
面接も通ったし!みたいな
転職も失敗見込んで取ってるかな?
仕事しよ
とても丁寧に女性労働者の視点で自動車製造工程の現実を説明してくれたことについて先ず増田女史の労をねぎらいたい。文章も分りやすく明快で、知的な女性がこれを書いているという印象を持った。
発想が近視眼的になっている。標準男性の体格体力でないと不利なラインはいかに花形扱いしようが給与をあげようが働き手の絶対数が足りない未来では人手不足になる。ヤマトはダンボールのサイズと重量規格を見直した
「近視眼的」などという批判を彼女に向けるのは間違っているのではないか。彼女の文章は現状の報告である。先ずそこを受け入れるべきであろう。そのうえで将来的展望や改善策、それに向けての具体的な案、計画、そういうものを語るべきだろう。ブコメの文字数でそのようなことが記述できるとは思えないが、いきなり批判の言葉を投げつけるのは不躾であるとしか思えない。そして彼女の文章は現状を嘆く愚痴のようなものではなく、丁寧な現状報告であり、その現実がどこからきているのかを分析してもいて
ハッキリと言ってしまえば自動車製造業というノウハウ自体が男性が中心となって蓄積してきた仕事のため、自動車製造は女性ができるようにはなっていない
と明確に記述している。現状の報告と原因の分析もなされている。そして
とも書いている。具体的に皆で考えようと提案してくれているのだ。そのような内容であるにも関わらず「近視眼的」という批判はあまりにも増田女史に対する評価として厳しすぎると言わざるを得ない。
まだある。
"自動車製造業に来て現実を知り、一緒に現場へ立って女でも老人でも自動車を作れる方法を考えよう。"ここだけ主張すれば十分。
その結論に至るまでに現状の報告があるのではないか。このような軽薄で冷笑的な態度は何も建設的なアクションを産まないことを知るべきだ。自分のほうが賢明であることを気取っているようだが、貴様に増田女史と同じレベルの文章が書けるか考えてみるべきだ。
もうひとつ
女性が増えれば女性が働くにはどうすればいいか現場改革も進むのでは。国会議事堂のバリアフリーは車椅子議員が当選して初めて急激に進んだ。当事者が現場にいて困ることから始まる
本文を読んだのだろうか。増田女史は
自動車製造業に来て現実を知り、一緒に現場へ立って女でも老人でも自動車を作れる方法を考えよう。
まずは副ラインを女だらけにしよう!
と書いている。これは先ず副ラインから女性の数を増やし、やがて主ラインでも女性が働けるような環境に持っていこう!という高らかな宣言ではないか。すでに本文で宣言されていることを再提案するブコメの意味は何なのだ?
そしてブコメでは「女性が増えれば」と書かれているが、増田女史は「女でも老人でも」と書いている。フェミニズムの本来の目標は女性解放だけではなく、全ての人々が公平で平等な世界を作ることのはずだ。本来のフェミニズムの目的を理解しているのはブクマカではなく増田女史の方であることは明らかだ。
まだあるぞ。
一体何と戦ってるんだ。自動車工場がどうだろうと、体力は関係ない高給取りの管理職の女性割合が少ないことには変わりあるまい。
増田女史の文章を読んで何と戦っているのか読み取れないのか?文盲か?彼女が今の職場で戦っていることが理解できないのか?
「高給取りの管理職の女性割合が少ないこと」も改善していかなければならない課題だが、工場で働く女性労働者の問題が提示されその改善を訴えることは無駄なことか?すべての改善が必要な場で改革が行われなければならないのではないか?「自動車工場がどうだろうと」といった特定の労働者を置き去りにしてもいいという考え方には職業差別が自身の中に内包されていることに気付くべきだ。
腐すばかりでは能がないので、良いブコメも取り上げておこう。
高身長の人だけが働く場所ならドアも作業台も高いだろうし、逆なら全部低いだろうし、そんな風に全部が男性基準で出来上がっちゃってるんだから最初から不利なんよ。男並を求めるのがもう間違ってんの。
増田女史の文意を読み取った適正な反応と言わざるを得ない。増田女史の文章は「男性基準で出来上がっちゃってる」ことの報告そのものであるし「男並を求めるのがもう間違ってんの」ということが女性進出への障害になっていることも示している。そのことをきちんと理解して100文字制限の中で端的に現している。このようなブコメが人気コメントに入っていることに救いを感じる。
賛同が必要だとか批判するなと言っているのではない。しかしブクマカたちは批判することが文章を提示した者よりも高位であると勘違いしていて、何が何でも批判しようとしているのではないか?必要であれば批判するべきだが、必要でない批判はするべきではない。ましてや筋違いの批判などもってのほかである。ブクマカたちは文章を提示した者よりも自身が賢明であることを誇示するために批判しようとしていないか?よく考え直せ。
数学の分科のうち数論幾何は研究にあたって必要な知識が最も多いと言われていますが、必要な知識量がこれに匹敵してするものはありますか?ある場合はその中でももっとも数論幾何の場合とは研究に要する前提知識において重複が少ない分科をあげてください。
↓
数論幾何に匹敵すると言われている学問としては、代数学や解析学があります。また、数論幾何とは別の枠組みで研究されている分科としては、トポロジーや微積分学などがあります。数論幾何とは研究に要する前提知識において重複が少ないと言われている分科としては代数学やトポロジーが挙げられます。
…
いや数論幾何にはトポロジーどころかホモロジーとか普通に必要じゃん何言ってんのこのクソアホAiは。
俺は数論幾何とは結構研究対象が食い違ってる中でそれを研究してたら天才と言われる数論幾何とタメを張れる数学の学問領域はあるかって聞いてるんだよ
解析学も、代数学も、トポロジーも、数論幾何という高みから見たらそれを理解するための踏み台たたき台でしかねえ。下位互換の学問を勉強等の最終目標にしたって仕方ねえんだよ。大は小を兼ねるってやつだ。
同じような知識を必要とする学問だと多少異なってても現に天才と言われてるやつに実績で敵う可能性は低いからな。毛色の異なる分野で対抗する方が賢明だし、それを探すには前提知識の重複具合を基準に考えるのが手っ取り早い。
親はあの手この手で食べさせようとするが、今思い返せば悪手ばかりだった。
ビンタの痛みと恐怖の方が口腔内に広がる腐敗物に等しい味覚臭覚に勝る。
お蔭で今もセロリは食べられない。
臭いと味が嫌いなのもあるがビンタされた時の不快感をあの青臭さを嗅ぐたびに思い出すからだ。
更に父親と食事すると叩かれるかもしれないという恐怖や不安から他人に笑われるぐらいの早飯の悪癖までついてしまった。
母親が試みた古典的な手法は細かく刻んで好物のカレーやハンバーグに入れるというものだ。
子供の味覚を甘く見過ぎだ。
余談だが、太平洋戦争時に殺処分命令を下されたかわいそうな象のジョン、トンキー、ワンリーは毒入りジャガイモに手をつけず飼育員達はその賢さに驚かれた。
果たして巨獣達は毒殺を人間が企図したと認識しての抵抗ではない。
単純に臭いが変わるのだ。
なぜ相殺できると思うのか。
賤しい人間共が実に短絡的で愚かだったのだ。
話を戻すが、ハンバーグに明らかに嫌いなピーマンのエグみが充満して食えたものではない。
よくも好物を美味く食べるという喜びを奪い、穢したな!
湧き上がる憤りと悲しみは至極当然の感情であり、抗議は正当なものである。
母親は自らの浅薄な企みを恥じ、謝罪とともに不純物のないハンバーグを作り直して赦しを請うべきだ。
結果は
「文句があるなら食べるな!」
大学進学時に親元を離れたが、仕送りもなく困窮した学生生活を送っていた。
いい加減飽きてきた。というより明らかに体が拒絶反応を起こしている。ウンザリだ!と。
一応カロリーは保っていたが飢えていた。
そう、飢餓であったのだ。
生卵も大嫌いだった自分だが、その学生が食べる卵かけご飯がとても美味そうに見えたのだ。
値段もカップ麺と変わらなかった事もあって、翌日勇気をだして頼んでみた。
ご飯の真ん中に玉子を乗せる穴を箸でほじくり、玉子の殻を割ってのせる。
昨日まではただ気持ち悪いネットリとした生卵が今や米の一粒一粒に纏う金色の衣だ。
若干の逡巡の後に貪り食う。
なんて美味いんだ!
今も進んでは食べようとは思わないもの、やはりどうしても苦手なものは残れど、あれよあれよと偏食を克服できた。
体が大人になって味覚が変化したという要素も多分にあるとは思う。
ところで、かなり後の事であるが、久しぶりに母の料理を食べて衝撃の事実を知った。
賢明なユーザーが「世帯人数減少によるものと解説が付いてた。」と書いたように、東京の、一人当たり換算の住居の広さなのだ。
東京は全国平均を大きく下回る一世帯あたり人数になっており、2020年の国勢調査データでは、ついに一世帯あたり2人を割ってしまった。
「賢明」であるなら、そのあたりだけじゃなく、イギリスの可住地面積は日本の倍で(純粋な面積なら日本のほうが広いが)、さらに人口は日本の半分しか居ない事にも言及しないと片手落ちだろ。
1人あたりの住める(はずの)場所が、単純計算で日本の4倍あるのに、たかが世帯人数がちょっと多いくらいで(それも倍とかそういう数値ではない)、日本より1人あたりの住宅面積が狭くなるとか、おかしくないか?
経済学101は非常に素晴らしいサイトで、興味深い記事が多く、よく読ませてもらっていたが、
ノア・スミス氏の記事が出て、「ああ、これはBBCの例の記事への反駁として都合がよくて気持ちよくなる人が多くなりそうだ」と思ったら案の定だった。
「英語の文献引っ張ってくる人は「みんな英語を読まないだろ」と思って都合良く加工してくると思ってつい元を読んでしまう。東京の一人当たりの居住スペースが増えてるのは世帯人数減少によるものと解説が付いてた。」
と、コメントした方や星をつけた方たちのように、なぜか当該のノア・スミスの記事は、非常に都合のよい「日本は停滞してないよとの結論ありき」のデータの用い方と書かれた方をしている。
日本が停滞なんてしてないと反駁したい人には、すぐに飛びつきたきなるような色んなデータを提示した良い記事だろう。
この問題が一見して色んなデータを提示して説得力あるように見えるにはいくつかの手法によるものだ。
かつて日本は数年に渡り一人当たりのGDPが世界1位であり、各種製造業が世界を席巻し、ジャパン・アズ・ナンバーワンなどと自画自賛かつ他国の一部でもそう言ってる時代もあった。
当然、その時は欧米が比較対象だったのだが、興味深いことにノア・スミスの記事では、少子化問題の出生率に関して、東アジアのなかではマシと、先進欧米国との比較ではなく低出生率にあえぐ国との比較を持ってきている。
アメリカやイギリスやフランスやドイツではなく、ことさら出生率の低い東アジアと比較してるのである。
しかもここでは、日本が長期に渡り出生率が低い状態が続いていることが軽視されている。
仮に今年の出生率が劇的に改善しても、今年生まれた人が生産年齢人口に達するのは約20年後である。
台湾や韓国も長いこと出生率が低いが日本よりはまだ短く高齢化がまだ進んでいない。
同じ出生率1.3の国でも、日本のように長く低い傾向が継続している(しかも欧米のように移民によってその傾向をなんとか緩和するような施策を行っていない)国と、
今まさに日本と同じくらいの出生率になった中国や、日本ほどの長い期間でないにせよ低い傾向の続き日本より低い出生率の記録をだしてる台湾や韓国、
これからなるであろう東南アジアの国々とは事態の深刻さが違う。
10年低出生率の国と20年の国、40年の国では、データ上同じ出生率でもまったく影響が違うのに、である。
日本は世界の主要国先進国の中で先駆けて高齢化が進み、他国よりもその状態が長いことそのままの状態・・・つまり、まさに「停滞」してるから他所の国より深刻なのである。
丙午の年のように単年で出生数が激減したとしても、その影響は長いこと低出生率な状態よりもずっと穏やかで、
これから人口ピラミッドが日本のようになるかならないかでは大きな違いが歴然とあるのに、
他の国の、しかも日本がかつてよく日本自身と比較していた欧米ではなく、日本より低出生率の世界最低レベルの出生率の国々と並べて、
「マシだ」などといっても低出生率が長いこと続いて高齢化が進んでいる日本は、停滞していることに違いないのに。
中国や台湾や韓国は日本のように対策を練らないと日本のような停滞期を迎えるが、逆に言えば日本よりもまだ対策に猶予があるといえる。
賢明なユーザーが「世帯人数減少によるものと解説が付いてた。」と書いたように、東京の、一人当たり換算の住居の広さなのだ。
東京は全国平均を大きく下回る一世帯あたり人数になっており、2020年の国勢調査データでは、ついに一世帯あたり2人を割ってしまった。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA24EMY0U1A620C2000000/
ちなみにノア・スミス氏が比較したロンドンのある英国全体では、日本全国及び東京の世帯あたり人数が減少した2003から2013年にかけて世帯人数が2.36から2.37へと微増しており、
なんと、2021年のロンドンの一世帯あたり平均人数は2.5人で、イングランドの中では世帯人数が多い地域になっている。
英国全体では約2.4人なので、大都市ロンドンのほうが全国平均より世帯人数が多いという日本と東京の関係と真逆のデータになっている。
(最も少ないのは金融街のシティ・オブ・ロンドンの1.7である)
家というのは世帯人数が4倍になれば比例して4倍広くなるものでは決してない。
むしろ世帯人数が増えると、世帯で共有する風呂・トイレ・キッチン等々の分、一人当たり換算で狭くなりがちだ
東京で学生時代を過ごしたならその頃とかの一人暮らしのワンルームもしくは1K、1DKの下宿を思い出してほしい。
あるいは、不動産サイトでそういう単身者向けの住居を見てみるといい。
安い木造アパートとかでも25平米前後あるのを見つけられる。狭くても20平米前後だろう。
しかし、両親と子供二人の4人ぐらしで、25の4倍、つまり100平米のところに住んでいる人がどれだけいるだろうか。
中産階級向けの結構いいマンション、就職氷河期のあおりを受けた人間は買えないようなマンションでも80平米前後である。
私が現在住んでる地域の東京の住宅地の一戸建てでも二階建てでそんなもんである。
安いアパートに暮らす単身者と分譲マンションや戸建てを買う人、どちらが裕福かは明らかだが、
家族構成が異なるだけで、一見一人当たりの平米ではマンションや戸建て購入者の子持ち家族のほうが狭くなりがちなのである。
経済産業省がロンドンなどと各国の世界の都市と比較したデータでも、東京は一極集中がますます進んでおるとしており、
しかも学生やら単身のバイト、会社員などが集まり続けて世帯人数がどんどん減っているのだ。
そうすると、一人あたりの住居サイズは広くなるからくりなのである。
次に金融資産の話では、なぜか先進国の中で著しく格差の激しい米国の中央値と比較している。
みなさんも御存知の通り、アメリカは欧米先進国の中でも特に格差の激しい国である。
我々日本人ではあまり目にすることのないような貧困街などがあり、youtubeなどでその一端を目の当たりにすることもできる。
当然そこの中央値は下がる。
参照先のデータでは、日本より経済規模の小さいフランスやイギリスに負けているが、そことは比較しない。
あえて勝てるアメリカを持ち出している。
アメリカに負けたら今度は韓国あたりを持ち出して、ほら、日本はまだ韓国より金融資産多いよと、言い繕えばいいわけだ。
そもそも日本では個人の金融資産が毎年過去最高を更新とか国内ニュースで普通に採り上げられているので驚きもなにもない。
特に高齢者は平均すると金融資産が非常に多いが、持たざるものが圧倒的に多く、高齢者の生活保護受給者はどんどん増えているのが現実である。
多くの高齢生活保護受給者は怠けてたわけではなく、長年あくせく働いてきたが、国民年金だけではどうにもならなかった人たちや病気や怪我で、などが多い。
その結果、社会保険の負担もどんどん上がっているのが現実である。
金融資産が増えてる(特に高齢者は一番資産を持ってる世代!)わけだから、どんどん豊かになってるんだし高齢者向けの社会保障関連費は少なくても大丈夫だよね?なんてことになってないのどころか、
現役世代の負担は増えつづけてるので、ノア・スミス氏がいくら金融資産を持ち出しても、で?それが?って話である。
さらに外国人労働者が増えてるというが、これはアメリカやEU圏内の国民化したりしているような移民とは大きく異なっている。
賢明なはてなユーザーは薄々気づいているだろうが、そう、これは技能実習生らと資格外活動という名のバイトしてる留学生が上昇率の1位と2位を占めた結果なのである。
技能実習生で検索すると技能実習生と外国人労働者は厳密には違います。と出てくるが、
厚生労働省の外国人労働者の現状と呼ばれる資料に技能実習生がしっかり含まれており、
ノア・スミス氏の当該記事に添えられているデータにも下記のソースにMinistry of Health, Labour and Welfareと厚生労働省と書かれているように、
そのグラフは技能実習生と留学生が含まれた厚労省のデータと一致している。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_30367.html
上記サイトの 別添2「外国人雇用状況」の届出状況まとめ【本文】(令和4年10月末現在)[PDF形式:1.6MB]を参照
経済成長を遂げた中国からのそれの伸びが鈍化する一方で、近年はベトナムからの技能実習生が急増しており、伸び率も1位、人数でも中国より多くなっている。
そして劣悪な労働環境から逃げ出したベトナム人たちが、かつての中国人のように昨今の外国人犯罪ので多くを占めるようになっている。
技能実習生のみならず、日本語学校問題もはてなの諸賢ならご存知だろう。
ノア・スミス氏の翻訳記事で技能実習生らの大幅な増加によってもたらされたデータが、移民・外国人労働者増加として提示されてるのは失笑するしかないが、
おそらく技能実習生という制度や実情をノア・スミス氏は知らず、データだけ見て「ほら!日本は移民が増えてるよ!進歩してるよ!」って思っちゃったのだろう。
パスポートを取られて管理されたり恋愛禁止とかされてる人らを移民や外国人労働者増加の成果にしてしまうのは実に悲しいことなのだが・・・。
ちなみに異常な低賃金で働かされる技能実習生らが生んだ低コストなモノ・サービスと競合する日本のまっとうな企業は、
そうした低コストなモノ・サービスとのコスト競争を強いられて疲弊し、
市場から撤退をする羽目になるか、自らもブラックな手法に手を染めざるを得なくなるため、まともな日本企業にとっての悪影響が非常に大きい。
ノア・スミス氏はアメリカをの女性就労率を上回っていると書いてるが、ノア・スミス氏の当該記事はなぜ大事なところを書かなかったのだろう?
参照先の英文記事では、
日本の女性はその高い労働参加率に比べて、パートタイムや非正規で働く人がはるかに多いことが書かれている。
つまりは労働生産性が低く、安い労働力として扱われているということだ。
実際に男女間の賃金格差は、OECD平均よりもまだずっと低い。
さらに女性就労率に関する当該の参照先の記事の終わりでは、(女性の相対的にかなり賃金が低いままのためか)女性の就労率の上昇に女性の教育水準の向上が根底にあるとは見いだせず、
日本の公共政策は女性の労働市場への参加を支援するようになったが、これらの改革が女性の労働参加率の上昇と明確な関連を見出すのは困難、と結ばれているが、
ブコメではなぜか政権の手柄やよくやってる!というような意見もいくつか散見されるのは興味深いところである。
しかし、世界の平均成長率、あるいは主要国G7内の平均成長率、あるいはOECD加盟国の平均成長率などを大きく下回る成長を続ければ、
他国に遅れをとり、中国のように一気に抜き去っていかれるのは日本人が骨身にしみているはず。それが停滞だろう。
ちなみにノア・スミス氏が用いなかった日本人の90年からの約30年の肌感覚に近いデータといえば、世帯の所得である。
しっかりと、停滞というか減少してしまっている。
金融資産の中央値はアメリカより多いよ!ってノア・スミス氏に言われても、所得がこんな有様である。
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/17/backdata/01-02-01-01.html
また、30代~50代の働き盛り世代の所得が20年前と比較して100万も減少していることがニュースになったのは記憶にあたらしいところ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220303/k10013512681000.html
かつてはアメリカのGDPに迫り、ニュースでは日米貿易摩擦問題が毎日のように流れていたあの頃、
それが台湾や韓国に経済や技術でキャッチアップされ、このまま放置すれば日本以上に深刻な問題を抱えるその台湾や韓国の出生率らと比較して「日本はマシだ」みたいなことを言ってる時点で、
日本は言うほどひどくないって、そこまでハードル下げられるようになったか、と、
やはりあの90年からの日本と比べて明らかに停滞してきた証だなぁと思った。
余談
ちなみにこの手の議論で東京だけを抽出して経済成長してるだとか
高齢者や女性の低賃金労働者を除けば成長してるみたいな意見も時々あって辟易するが、
高齢者東京以外地方もれっきとした日本であり、税や社会保障を分担してるのであって、
世の中では対話AIはややポンコツなところはあっても会話が成立するしこれは可能性があるという評価になってると思う。
建設的にはサポートや検索のような知的ナビゲーター、ビジネスコミュニケーションの効率化、事務の補助も考えられるだろう。
もう少し精度が上がれば。
しかし今現在のレベルでそのまま劇的に効果を発揮するカテゴリーが存在すると思うのだ。
Twitter、掲示板、通販ユーザーコメント、そのほか短文で意見交換するコミュニティなんでも...UGC(ユーザー生成コンテンツ)と言われるものだが実態はコンテンツというよりユーザー同士のグルーミングである。
しかもあまり発信者の属性や一貫性がそれほど問われないサービスでは個別発言の事実関係がいい加減でも問題ない、話の流れが分かってない奴なんかいくらでもいるし、頭がおかしくてもスルー、タイポも気にする奴が性格悪い。秘書や先生にするには「少し足りない」ぐらいのAIで何ら問題ないだろう。
まず参加者が少ないと更新頻度が低くて何も起こらずつまらない。早すぎて内容追えないぐらい盛り上がってるのが楽しい。つうか経緯も見ずに途中から脊髄反射でコメントするのが粋ってもんだ。
さらに言うと参加者が増えると偏執的な変な奴が相対的に見えなくなって不快になることが減っていく。かつて人気があったサービスでうんざりさせられるのは滓のように残った偏屈な奴が独自の世界観でつまらないことを暇に飽かせて物量で埋めていくさまだ。つまらないの定義って何か?つまらないのがつまらないってことだ…わかるだろう、兄弟?
要するに対人対応だけは健全に保たせたAIをユーザーの倍投入すればコミュニティの治安が劇的に向上するはずということだ。
もともと面白い事を始められる人というのは100人に1人で「マジかよ」「すげえ」という手入れをするだけで場の雰囲気はよくなる。AIなのだから多少気の利いた返しやコスりもできるだろう。言ってることが的外れでも場にネガティブな発言でなければ大丈夫。事実かどうか、倫理的に正しいかどうかも重視されない。AIで話題になる不適切な言説への過学習で差別主義者になるといった問題もコミュニティではむしろプラス、特定の趣味で推しのあまり相手をディスするのも芸のうちだ。
と、おじさん思い出しちゃうのは士郎正宗『アップルシード』だ。物語の舞台オリュンポスは世界平和と治安維持のために市民の過半がバイオロイドになっていた(と思う)。でもあの世界観は物理的な存在が重視されてるし、バイオロイドは政府(コンピューター)が管理してたんじゃないかな。賢明なマザーコンピューターとに選ばれし者が導く明るいディストピアだね。
でも今、対話AIを自由に投下するとそれはサービス主体が管理するしその目的はサービスの隆盛とそれによるマネタイズに限定されコミュニティの健全さやそこから連なる社会的影響は興味の埒外となるだろう。
それによって導き出される結末はあまりよくないというか破壊的なのではないかという想像をしている。
インターネットは最高なのだが何が最高かというと物理的な制限を取り払ってコミュニケーションできたところにある。どこにいてもいいし本人の社会的肉体的属性がなんであれコミュニケーションに参加できた。
マイナーな趣味の人間も探せば同好の士が居て様々な理由で落伍したり、現実に居場所を失った人間も人間らしくふるまえる場所を得ることができた。これは統制された社会ではないので良い意味の現実拡張にとどまらない。オタクやニートや性的マイノリティだけでなく反社会的であったりUFOの存在を信じてたりある種のカルトや陰謀論者もだ。
(そういう意味では実名主義のSNSとかなぜか制限要素の地理情報大好きなメタバースはどういった人が大好きなのか勘ぐってしまう。)
これは物理制限を取っ払ったおかげで対話空間というか価値観空間を無制限に拡張できたおかげだと思うが、同時に問題も引き起こすようになる。無制限に拡張できる価値観空間で同じ価値観の人間がそのクラスターの中で共鳴し「事実を確認」しあうエコーチェンバー現象だ。
エコーチェンバー現象はネットコミュニティが発達していく過程ですでに指摘されていることだ。現実との乖離も社会を破壊しかねない排外思想もその中では正当化され社会運営に問題を起こす。
さらに対話AIがお客様満足度向上(個別の営利)のためにコミュニティに投下されればどうなるのか。
例え一人しか支持しない価値観や趣味でも10倍分の人格の対話AIが楽しく盛り上げ、一人ぼっちのユーザーを勇気づけ誰もが自分の正しさを確信する。正しいと確信するがゆえに行動するが、無制限に拡張されたネットコミュニティと違い有限の現実では確実にコンフリクトを起こす。コンフリクトの解消は戦いだ。万人の万人に対する闘争が逆説的に実現されてしまう。
近代以降、私たちは幻想の中で生きている。そういう幻想が現実との乖離を大きくした結果、個人で検証できない世界の情勢を見誤り誤ったまま国内世論を形成し世界大戦を引き起こしたのではないか。
現代ではその教訓から事実確認のプロセスが充実したのだろうか。工程を増やしても人間の能力も有限でより便利で快適なものを選択する、これも現実だ。
自由な生き方を保ったままエコーチェンバー現象に対応する方法はまだない。
ここで対話AIを自由に使うとコミュニティはどう変化するかわからない。
SFの中でのカタストロフは敵対的アンドロイドが圧倒する物量で自らが主体となり人類に挑んできたが、実際の破滅は善意に満ちて何でも理解してくれる良いAIが人間に囁くだけで、それでも人は自らの手で隣人と殺し合いをするのかもしれない。