はてなキーワード: 自己否定とは
https://anond.hatelabo.jp/20201119102004
人生無理バーには行ってないけどそういうやつらの気持ちはわかる。つい最近まで再就職の支援施設でこういうやつらの面倒見てきたから。
この手の連中はねー。ほんと厄介だよ。
本当に助けてくれる人って陽キャだとか力がある人だってのはわかってても陽キャ怖いから、自分に近い人のほうが安心できてそっちに行ってしまうんだよ。
あとねー。こういう人生無理って言ってるやつに限って無駄にプライドこじらせてるから助けを求めてるくせになかなか腹をみせないわけ。こういう連中ってほぼ例外なくTwitterやっててさ。何人かの人間は確認させてもらったことあるけどTwitterだとめっちゃ偉そうなんよな。見せてくれなかったやつらはたぶんうちの施設の悪口とかめっちゃ書いてるんだろうな。
自分を脅かさない、なんなら自分がマウントできるような弱い相手がいて
その弱い相手がどうやるのかはわからないけど自分を甘やかしながら自分を助けてくれる
あほかって思う?俺もそう思う。でも本当にこういうあほがいるんだよ。だもんで助けを求めてるくせに、職員の中でも弱くて力がない側の方に寄っていく。だからこっちとしてはそういう弱い方にすりよろうとする人は意識して俺とかが首根っこつかんで引き離すとかやってんの。
人生無理バーの人はそういうガチで人生無理な連中の人間理解が浅すぎるんよ。
大げさに人生無理って言ってたけど自分たちはあくまでちょっと生きててつらいとか愚痴りたいとかその程度の軽い気持ちだったりってあるあるだよね。その程度の軽い気持ちで人生無理って看板を掲げて、本当に無理な奴らが来てむりむりかたつむりーってなって慌てて出禁処理とかやってしまったんちゃうかな知らんけど。
そういうまともな人たち同志の、発達障害いうても程度が浅くて頑張れば日常生活遅れる程度の人たちがさ。人生無理みたいな大げさな言葉を使って、本当に人生無理な人の存在を覆い隠そうとしてるのはむかつくよな。あげく、人生無理な人がその言葉につられてやってきたら排除とか頭の中お花畑すぎるだろってな。一時期騒ぎになってた文化の収奪に憤る気持ちってこういうことかもしれんな知らんけど。
https://anond.hatelabo.jp/20201119133721
上からの言い方に聞こえたらごめんけど君の言ってることすごいい線いってる。
こういうやつらってDV気質が多いねん。たぶん本人の問題というより周りの環境がそうだったんやろな。
こいつらは力がないから女性に対してすら強く振舞えないだけなんよ。むしろ、強くふるまわなければいけないと思い込んでるけど強く振舞えないから自己否定とか自己嫌悪してる始末なんよ。
上でTwitterの話したけど、弱いからおとなしくしてるだけで自分で自分を律するって訓練がほとんどできてへんねん。誰も見てないところではいっつも悪態ついてるし偉そうにしてるよ。だから自分より弱い奴とか甘やかしてくれるやつがいたらすぐ調子に乗るねん。で、こっちが叱ったらシュンとするけどそこで反省する奴としない奴が半々くらいかな。
面倒見ててうまくいくやつって、そうやって相手より強くなくちゃいかんとかつよく振舞わなきゃいかんみたいな他人と自分を比べるのをやめて自分で自分をちゃんと律することで自信をつけられるようになるやつなんだわ。すごい優秀な子で半年以上かかるし、平均すると1年半くらい時間化かかる。んで、2年かけても3割から4割の人たちはなんも変わらんまんま。そういう世界なんよ。
この手の連中は死ぬほど手間がかかるから人生無理バーみたいな単発イベントなんかで扱えるような奴らじゃない。そういうやつは最初から排除してもいいで。これは差別と違って素人には絶対無理やから。無理に対応するよりは最初から無理ですって白旗上げたほうがええわ。 キャパシティ越えてるから無理なんですーって言えばいいねん。そこで発達障害の男性がーって相手のせいにするのはあかんで。なんちゃってでやって、自分の思った通りにならなかったからって発達障害男性への風評被害をばらまいたのは感心できんかな。
お金取ってやりたいっていうなら、ちゃんと勉強して真剣に考えてでなおしてきてほしいわ。
https://anond.hatelabo.jp/20201119154225
そんなことないって。 こういうのって介護と一緒で普通の人には厳しいからさっさとプロとつながれば希望が見えるぞ。
上に書いた文章でこういうやつらを冷たく見放してるように思わせちゃったんであればごめんやけど、俺自身は半分くらいの人間はなんとかなる思ってる。
実はこういう人生無理って思われてる人の支援は国も結構大事だと思ってるらしくて、お偉いさんがプログラムって結構頑張って研究してくれてるんよ。
職業リハビリテーションに関して4年前にかなりしっかりしたプログラムを作ってくれてな。
今ってSSTのトレーニングだけじゃなくて、パートナーと組んで二人三脚で頑張るような仕組みもあってこちらも頑張ってやってるのよ。
今までだったら3割くらいが社会復帰できれば御の字だったんだが、今だと過半数くらいの人間がサポート付きなら仕事できるようになりつつある。
仕事ができるってことは、最低限のコミュニケーションがとれるようになるってことでこっちの方が大事だよな。
半分の確率が低いって言われたらそれまでだけど俺的にはすごい希望持ってる。以前が3割以下だったことを考えれば今後はもっと改善するかもしれないやろ。
俺が上で書いたやつはその中でもどうしようもないやつらの特徴だな。
どうしてもDV気質が強い、なんとかして周りにマウント取らないと生きていけないって思いこんでるやつだけは今のところどうしても改善しない。
誉めてもだめだし叱ってもダメ、トレーニングを受けること自体が屈辱って思ってるしとにかく事実を受け入れない。
なんでも自分を正当化するために事実を捻じ曲げてしまうようになっちゃったやつだけは今のところどうしようもない。
そういうところは親が親で甘やかしたり他人と遠ざけようとして家の中に閉じ込めてたりするからすぐやめちゃうしな。
いろいろ歯がゆい思いはしてるけど、人生無理のやつが立ち直る手助けみたいなのはちょっとずつ進んでる。
その人間が何とかして立ち直りたいと思わなければどうにもならんけど、その気さえあれば意外と何とかなるかもしれないから俺は希望捨ててないよ。
つい先月自分が面倒見てた38歳のおっさんから、結婚しました。自分が家庭持てるなんて信じられないって連絡もらってすっごいうれしかったわ。
大ごとになってるみたいでごめんなさい。
たまたま自分が知ってる話が出てきて普段こういう話をする機会もないからはしゃいでべらべらしゃべっちゃっただけで
人生無理バーの主催者の人を責めたいとかそういうつもりじゃなかったんだ。
そもそも事情とかよく知らんし俺はただの現場の人間だから他人様をほめたり説教なんかできるような大層な人間でもない。
なのにこういう取り組みをやろうとしてくれただけでありがたい話だってことを言ってなかったから責めてるみたいになってた。
そもそもタイトルが悪かったよな。他の人へのリプのつもりで軽い気持ちで書いちゃったけどこんなに読まれるなんておもってなかったから深く考えてなかった。
俺がいっていいのかわからんけど、人生無理バーの人を責めることはないようにお願いしたい。
元増田です。
追記後の返信は差し控えようと思っていたのですが、返信させてください。
丁寧なお言葉、ありがとうございます。
同じような境遇を経験されていたとのことで、少し嬉しくなりました。縁があれば、友人になっていたかもしれませんね。
私は、自己否定の気持ちも、自分自身を嫌いな人を好きだという気持ちも、ハッキリ言って分からないです。
私は、交友関係に不足を感じた事はなくて、自分自身を嫌いだと強く思ったことも無いし、自殺未遂をした事もありません。自分が嫌いだなとは思うことはありますが、消えてしまいたいと願ったことはありません。
でも、色々あって「人を信頼しすぎるのをやめよう」と思うようになりました。バカを見るのは自分で、悲しくなるのも自分なら、人を信じすぎる事はやめようと心に決めました。
そのせいか、外面だけは良くなって周囲からの評価も悪くは無いというのに、素直に喜べない自分がいます。
この事を承認欲求を満たされていないというのであれば、そうなのかもしれません。
本心の自分を認めてくれる人はいないだろうなぁ~…と漠然と感じることはあるので。
腐女子(現在も)、アセクシャル(とても悩んだ)、同じすぎて友達になりたいくらい!
しかし私は結婚した。過去の「結婚したくない」理由に最近気づいたので書いてみる。
https://anond.hatelabo.jp/20201104231059
結論だけ書くとこれだ。自分自身のことが嫌いで、否定的だった。口癖は「どうせ私なんて」
まず、人から好かれることを避けていたのだ。好かれる=良い人と勘違いされてる、という認識があったため、好意を感じると嫌われるよう努力をした。
よって、誰かとお付き合いに発展することはなく、恋愛する楽しさを知る機会はなかった。
例えば、あなたはAさんが嫌いだとする。BさんもAさんが嫌いな場合、あなたとBさんは共感ゆえに仲良くなれるだろう。逆にBさんがAさんに好意を持ってる場合、あなたとBさんは仲良くできない。
あなたはあなたが嫌いだ。Bさんもあなたが嫌いだ。仲良くなれるのだ。
あなたはあなたが嫌いだ。Bさんはあなたが好きだ。仲良くなれない。
つまり、私は私を好きになってくれる人に嫌悪感しか持てなかった。大きめの好意を受けた場合は、詐欺を疑ったりもした。
後に、あの時あの人にめちゃくちゃ好かれてたよね!みたいな話をたくさん周囲から聞いてびっくりした。
複数人に本気で好かれていたらしい。人と仲良くなるの時は人として好きになった時なのだが、それが恋愛的好意と受け取られていたらしく。なかなか酷い人間だったことを知った。
なぜ、このことに気づけたかというと、現在の夫との会話のおかげだ。
年齢的にもそろそろ結婚したい様子を出すため、マッチングアプリでちょこまか恋愛もどきを繰り返していた。
もちろん、結婚する気はさらさらない。まあ、適当に遊ぶ楽しさはあった。
そんな時に夫と出会い、何度か遊んでるうちに本気で好かれていることに気づいた。
いつも通り嫌われようと、私の酷い話や、適当な態度、過去の重たい話などをした。
今までならここで引かれで終わるのだが、夫は違った。
全て真摯に受け止め、認めてくれたのだ。どんなあなたも好きだと、生きていてくれてありがとうと、何度も伝えれくれたのだ。
自殺未遂した過去も辛かったね、でも生きててよかった、出会えてよかったと抱きしめてくれた。
気づいたら結婚してた。外見も性格も好みじゃないのに、愛おしいと思う。
人を愛おしいと思える心が、私にもあったのかと、笑っちゃった。
同時に好かれることが怖くて逃げていただけ、ということにも気づいた。
必死に自分を嫌って生きてきたのだ。その軸が壊れることになる。私は怖かったのだ。生きる軸を失うことが怖かった。
承認欲求を満たされずに育っていないだろうか。自分嫌いを極めていないだろうか。人からの好意を理解できないことはないだろうか。
結婚とは、承認し合える人と死ぬまで共に生きていく約束をすることだと思う。
もし、同じようなことが少しでもあれば、自分を許してあげてほしい。そして人からの好意を素直に受け取ってみてほしい。
全然違うかもだけど、もしも、同じだったら参考になると嬉しい。
深夜二時三十四分、薄暗い自室で卓上の電灯を薄く点けてパソコンを立ち上げ、これからこのこの文章を書こうと考えました。
専門店でも専門サイトでもない、ごく一般的な通販サイトで安いからという理由で買ったソレは、正面に置かれた液晶画面にデスクトップ上のアイコンを映し出します。
詳しくはよく知らないですが、電源を立ち上げてすぐは色々なプログラムだかソフトだかも立ち上がるのか、マウスカーソル動作は少しもったりする。友人曰く安いパソコン買ったせいだとか。
特別動作が重い訳でもなし、何か入れ込んだゲームをする訳でも、大それたプログラミングの環境を構築している訳でもない。
安物買いの銭失いという言葉があるけど、安すぎたせいで早期に壊れるとしても二年保てば御の字だと思って買ったのであんまり気にしていません。
ただ虚無を抱えた人間と断ずるには語弊があり、鬱というには日々を生きる活力がある。
けど前に進む気力は無い。焦燥感が背中をぐいぐいと押すのに、ボクはただ立ち止まっている。
大学四年生の十月。周りは順調に就職活動を進めて、内々定獲得。内定式もあったりする。
じゃあボクは何。皆ほど手早く進めていた訳じゃないがやる気自体はあったはずだ。でも結果として駄目でした。
────えっと、大学では〇〇学部(出身大学が普通に絞れらるの伏せる)の人間として色々な事を学びました。学んだのが…
「ああ、いや。別に言わなくていいよ」
────?
「大学で学んだこと、別に意味ないし。それよりも君の事を教えてよ」
一瞬フリーズして喉から声が出るのを必死に抑えた記憶があり、帰り道に転がってた捨て空き缶を蹴飛ばして当たり散らかしました。
就職活動すれば言われる事も分かっていたし、実際に言われるだろうなって覚悟を決めていたつもりだった。
確かに大学で学ぶ四年間は、社会時間スケールに換算するなら薄っぺらいものだろうし。(仮にストレートに新卒二十三歳くらいから働き始めて定年六十歳過ぎ、概算四十年働き詰めと考えればそうだろう)
大学で学んだ事を生かせる会社なんてほとんどないだろうさ。特別優秀な大学に通っていた訳でもないし、この学歴に求められる人材を搔き集めるとしたら凡庸な事学んだ人間ばっかで、英語ペラペラだの特異的な技術取得者だの、高度な教養保持者なんてほとんどいない。社会人の人事部の人間目線ならスペックはどんぐりの背比べ。そもそも優秀な人材なんざ欲しいなら学歴フィルターで足切りされるのだから、そんな凡庸な学歴の自分が面接に呼ばれる時点で自分の評価はそういう事である。
別に学歴フィルターに文句を言うほど馬鹿なつもりはない。学歴がスペックを推し量るフィルターであるのを否定したら、その行く末は社会が駄目になるんだし。
学歴フィルターがどうこう。そうじゃなくて、学歴フィルターを取っ払われて「一時間未満の問答で人柄を理解してくる」のが駄目だった。
お前がボクの何を分かったつもりでいるんだ。趣味で映画鑑賞って言ってLGBTについてだの、映画の歴史だの語って高尚さとか演出してやたらウケてたみたいだけど、映画鑑賞なのは面白い映画観る為だけに決まってんでしょうに。何でフィクションを割り切って視聴するコンテンツに世知辛い現実の問題を持ち込んで鑑賞して語らなきゃいけないんだって思ってのがボクの根底人格ですよ。
頑張って四年間必修の単位落とさないよう勉強して、プライベートな時間削って大事な必修実技講義のレポート山ほど書いて、それで大学で得られた事を教えてくれ?
大学で四年間勉強してきたのは皆当たり前だから他に教えろ? そんな事言われなくても分かってるけど、じゃあ四年間で覚えた美味しい酒場の情報でも披露すればいいのですか。本当に真面目に大学通って友達作らずに勉強してた奴の「面接ウケのいい話」のストックあるのかな?
何でもかんでも四年間の内に御大層な学びや気づきが得られたような人間ばかりだと思わないで欲しい。こちとら遊んで浮かれてレポート未提出をやらかしたら即単位落ちして留年の危機に迫るのに、大学生活で得られたもの?
海外旅行するときの計画立てて海外旅行して知見でも得られたらいいんですか。そうですよね、グローバルな視野持った人間欲しいですもんね。最初から募集要項に留学経験ありのみにしてくれませんか。
何ですか、大学祭でリーダーシップ発揮して皆を先導すればいいんですか。リーダーシップ発揮しなくて名脇役こなして、何か一大事や重要な場面で大立ち回りして何か得られたり気がつけばいいんですか。出店がクソ忙しかったけど黒字儲けが出て、還元率三倍以上になってサークル同期とガハガハとゲス笑いしてた以外あるわけないだろ。最初から部長・サークル長経験ありのみ語れとかにしてくれませんか。
印象的なエピソードやらがポコポコ生まれるほど精力的に大学を満喫していませんことよ。講義のレポートやらに追われ、バイトしたりする日々のせいで虚無です虚無。
大学で開かれた会社説明会とか企業研究会だとかの人事部の人に聞いたら、「自分の事をありのまま話せばいいよ」って言われて、いざ実際にその人の話した会社の面接受けたらバチバチに落ちたよ。落ち込んで大学の同期友人に話したら「馬鹿だねお前」って言われてさ、じゃあ実際面接の時にどうしたらいいのかと思ってバイト先の社員さんとかに聞いたら「テキトーに誤魔化せばいい」って何ですか。
最初は自分もそう思ってたけど、大学のそういう就職活動セミナーみたいなので「人事部の目はプロなので誤魔化しは効かない」とか聞かされて、それを真に受けて興味持ったバリバリに志望したい会社から次々落ちてこれですか。
何なんですか。どうすればいいんですか。
そもそも初対面の人前で喋るのが苦手なのにどうすればいんですか。学生課の就職支援の人とか、練習重ねる相手は顔見知りレベルになるんですけど。
お前の為に勉強した訳じゃないし、純度100%自分の為に学んできた事を前面に押し出したら落ちるのは分かる。けどさ、じゃあ大学で学んだ人間求めるの何で?
そうですね、大学に入学が出来て、大学に通えて、大学を卒業するような「一定ラインを超えている事が確定しているスペックの人間」が欲しいんですもんね。知性とかも含めて多分諸々の。
分かります。下限値設けずに変な入社されたり、限られた社会時間の枠を食い潰すような事したくないですよね。
賛同します。人材もコストですから中々運用とか大変ですし、コスパ求めますよね。
理解します。そうなると求めるのって必然的に明瞭な線引きのラインが「大学出の新卒」となるんですよね。
でもボクはそのロジックを理解していても、もう就職活動が嫌になりました。三月から飛んで半年以上の十月。虚無みたいな中身のない日々を送ればここまで日が経つのが早いものかと感心する。
家に閉じこもって日がな一日寝て過ごして、起きたらご飯食べてパソコン立ち上げて自分好みの動画見る為だけにネットサーフィン。
自己分析自己分析言われて自己分析しても自分の嫌な所しか自己分析出来ないし、深い所まで掘り下げろって言われても浅い所しか掘れない。自己分析力が足りないのか、人生経験の浅さなのか。どっちが真実は自分に見極めきれないまま、どちらにせよ自分自身を薄いかその程度の雑魚だと感じるようになって、世界の中心に自分が居座るわけでもない事が分かり切ってるこの年頃でも中々精神にくる。テキトーに誤魔化す事が自己否定に繋がっているような気がしなくもなくって、自称能天気の「生きてりゃ何とかなる精神」もめっためたになってきた。
周りの人曰くまだ時間はあるから、今からでも内定は取れる。でもだらだら就職活動を進めてる。今。
進める三社程度も大学の学生課の就職支援してくれるところから回ってきた求人情報のメールから適当に選んだだけ。興味がない会社ばっかなのに興味持て状態なんて無理難題。
バイト先で本職とバイトを掛け持ちしている妻子持ちのXさんには「心が落ち着く為にも内定が欲しいよね」と言われ、励まされた。
その時は「そうなんですよねー笑」ってお茶を濁したけどまさにその通りで、自分が働く為に就職活動を進めるのも出来ない状態になっている。自分が今この精神状態を脱するため、楽になりたいだけが今の世界の過半数を占めている気がする。
今のこの状態が自業自得なのかよく分からない。多分自業自得なのだろう。
そろそろこの文章を書くのも嫌になってきた。こんな事してる暇あったらもっと別の事出来たのに、なんでこんなものを書いているのだろうか。
感情と論理が混雑したな思考を巡らせて、ぐちゃくぐちゃのそれを文章に起こすようにまとめて、まとたものをブラインドタッチも出来ない両手でカタカタとキーボードを叩いて捻出してる。
今ここまで文章を書いた上で思うのは、膿は際限なく溢れるんだなぁって所です。そしてこれはまだ続く。
ずっと疲れた、疲れたってなってる。こんなに頭がぐるぐるする事が付かれた。毎日頭の中でぐるぐるしてて明らかに駄目になってて、疲れる。考えたくない。でも考えなきゃいけない
だって考えるのやめていたのが今の十月に至るまでの虚無みたいな中身のない日々だ。
嫌だ。疲れた。ずっと眠りたい。
鬱? それよか楽観的で健康的。
友達と遊ぶのは楽しいし、自傷行為も痛いの嫌だから無理。自殺は嫌なもの見たことあるし、それで「生きてたもの勝ち理論」は証明されたと確信しているので死ぬ気はない。
けど非生産的で、傲慢さや我が儘だけが日に日に膨れ上がっている
A.ニート
まだしばらくこの生活は続くと思います。生命的に死ぬこと、自殺やら自傷だけは絶対ないけど、ゴリゴリと精神が摩耗しつつ美味しいご飯や自分の好きな事だけでモリモリ持ち直すあり方の限界値はどこまでかわかんないです。
少なくとも明日はセーフかもしれないですが、一か月後とか年明けたら駄目かもしれないですね。何とかなるでしょって今も思っているのがもう本当に嫌になりますけど、すんごい楽。
助けてというには余りにも横暴?
ぼちぼちキーボード叩くの、普通に腕も指も疲れてきたし、画面に打ち込まれた文字の羅列とその内容をありありと見せつけられて全部が嫌になってきたのでここいらで書くのを辞めて寝ようと思います
気持ちのいい寝起きがありますようにって思ってこのテキストエディタを閉じます。
バイバイ。
また『「ミグタウ」が非モテの道!』みたいなバカが現れたのでいい加減警告しておく。
別にミグタウに限らないが、彼らは自己定義で都合のよく切り取って語ってるだけで、その言葉の意味に触れるつもりも理解するつもりもない。
自分で勝手に言葉を定義して『「ミグタウ」は穏健派の非モテです!だから素晴らしいんだ』とかトートロジーと変わりない。自分でそのおかしさに気づかないだとしたら、頭の正気を疑ったほうが良い。まぁ、「私は正気だから正気なのだ」と言うんだろうか。
そもそもミグタウの思想を理解していたら、公の場で「ミグタウは素晴らしい!」なんて言えるはずがない。
ミグタウの根幹を成しているものは強固な社会構造、ヒエラルキーが存在すると言う思想である。そのヒエラルキーとは「メスが最上位に君臨しその下にアルファオスがいて、メスとアルファオスで世の中を支配している。自分たち非モテは最下層のガンマである。そしてその価値は犬猫にも劣る」と言う家畜人ヤプーのような強烈な女尊男卑を内面化している。
そして、そのヒエラルキー最下層であるという意識は深い孤独、強烈な自己否定、存在否定に結びついている。自分は犬猫にも劣る社会的価値が皆無であり、世の中から見捨てられた存在だと言う意識。それがミグタウの思想であり、言うなれば消極的な自殺者だ。
そしてそのヒエラルキーを維持する事を是としないと言う意識から強い排外主義に陥る事もある。「私は社会に関わらない。だから社会も私に関わるな」と言う思想はミグタウ界隈ではしばしば見られる。(「私は助けられることは無いのだから、助けを求めるな」という方が近い)
これらは実際のミグタウコミュニティの自己否定や拒絶の一端を表したに過ぎない。しかし、それだけでもミグタウは非モテの救済になどなり得ず、ましてやフェミニストとの協調など持ってのほかだと言うことを理解するには十分だろう。
言葉は人それぞれで揺らぎがあり、意味が異なるものではある。しかしミグタウの思想に触れようともせずに自分の都合の良いように定義してこねく回すしてなんの意味があるのだろうか。彼らがやりたいのは「非モテの救済」や「非モテの苦しみの低減」などではないことは明らかだ。ミグタウ一つとっても、彼らを見る事も、その思想、苦しみを理解するつもりはさらさらないのだから。
自分で都合の良いように勝手に定義して都合の良いように論をこねくり回して悦に浸る。その言葉はお仲間に向けた馬鹿げたスピーチ以外の何であるというのか。
我々日本人は「恥」を気にするので、指摘やアドバイス、手助けさえ
おおっぴらにスタンドプレーだと、同じことをしても苦手と思われたり、恥をかかされたと感じたり
自己否定の強いひとなら、もう顔も見たくない、この人とかかわりたくない、嫌われているのかな、など
相手は感じるかもしれないです。
恥をかかされた場合、その恥をかかせた相手に好意を寄せる人はほぼいないでしょう。
恥をかかせた相手は意図的で、傷つけるためにしている。そう思われてもしょうがないです。
よっぽど馬鹿じゃない限り、好かれているとは考えません。
気の弱い優しい人は委縮し、避けるかもしれない。
納得がいかない人は、反抗心を持つ、あるいは恨むかもしれません。
「相手にだけ聞こえるような声で」教えてあげるなら、逆に感謝されることもありますが。
万が一良かれと思った一言が「勘違い」だったりする場合は目も当てられませんから。
女性でなくても、ずっとこれからも時々でも、将来的に交流が少しでもある可能性の相手に
面と向かって、あるいは「人前で指摘」したり、「一方的に糾弾する」などは、
のちのち気まずいと思います。
当方30代の男です。
私はあなた達の考えにすっかり染まり、男である自分自身に罪悪感を感じながら生きる様になりました。
私は自身に価値を見出すことも出来ず、自身の命の軽さを実感し、自身の愚かさを嘆き、暇さえあれば自己否定、悩み苦しむ毎日です。
あなた達女性は素晴らしい、とても敵いません、これは皮肉でもなんでも無く本心です。
ただ、これも私の愚かさゆえの、最後の砦の様な考えですが、それでも私は男全体が無価値であるという主張には同意できないのです。
あなた達は十把一絡げに男性を愚かだと思うかもしれませんが、男性の中にも捨てたものじゃ無い素晴らしい人だって居るのです。
私は友人、同僚、家族の中に尊敬できる男性を何人も見つけて来ました。
男全体を否定する事は彼らに泥を投げることになってしまいます。
情けないかな、私には男全体が無価値だと断ずる強さは無いのです。
さぁ喜んでください、あなた達の考えに同調し自分自身が大嫌いになった1人の男の誕生を。
男性は罪悪感に苛まれながらただ静かに生きてろというあなた達の主張に叶う1人の男の誕生を。
私はこれからも自己肯定なんかできず、いつだって女性に対する劣等感を抱きながら、女性に迷惑をかけない様に精一杯の努力しながら、ただ静かに生きていきます。
あなた達の理想の世界を築けるように、私のような男を1人でも多く生み出せるように、全ての男を女性の劣等種へと突き落としてしまえるように、これからも頑張ってください。
自助、公助、共助 野田や枝野も言ってた 新しい公共とか言ってたのだれ?
官邸独裁 仙谷由人が主導 ちなみに官から民へ アイヌや皇室問題ではリベラルな菅義偉と同じ 外交はリアリストで中国にも配慮というのは菅義偉と同じ
管直人 鳩山由紀夫と違い親米 tpp 沖縄問題でも野心はなく 菅義偉も安倍に比べるとtppとかでは自由貿易寄り
ちなみに野田総理とは
マイナンバー推進に本気 安倍は桜田とかハンコ議連の連中を入閣させ、イエ制度の維持にこだったが、菅義偉は個人単位の社会保障へ
マイナンバーの健康保険証が目玉の公約菅義偉、社会保障の一体改革そっくり
行政改革を徹底してから消費税増税は避けられない 野田も菅義偉も一緒
縦割り打破 幼保一体化を思い出す
民主党 道路、ガソリンは値下げします 値下げは私or我々の成果
最低賃金引き上げに消極的な安倍と違い菅義偉は積極的に引き上げるらしい、民主党かな
政局 震災対応のときの管直人とコロナの菅義偉、予算に野党が部分的に反対するのは似てる
安倍政権でも移民政策推進した菅義偉、水道民営化は民主党時代に推進されたのを菅義偉が前にすすめた
枝野、蓮舫切らなくて新自由主義批判とか無理がありそう、蓮舫をリストラするのはネオリベなのか?国民民主とかの玉○とかネオリベすぎるだろ、スガもカンもブレアのコピーじゃねえか。だいたい、菅義偉は国債発行制限なしといってるし、ヘリマネ肯定論者で維新とかみんなの党とおなじで消費増税も確信犯なだけ。麻生政権のときの定額給付金、どうして控除じゃないんですって聞いた前原みたいなねじれになってない?低所得者敵に回してるぞ。アベノマスク批判も的外れで、入札に問題あるなら、マスク会社国有化して(シャープ救済しろ)国内の雇用創出とか野党には言ってほしかった。共産党までマスク問題でチキンだし。マスク国産化するなら右派の票も取りにいけるし。憲法改正に抵抗するなら公明党に入れようってなるよ。差別化できてない。
党内融和の必要性も否定しないけど、菅義偉と同じですべての派閥から消極的に支持される枝野体制って強そうで弱いのよな。
野党支持者だけど菅義偉叩くと自己否定になる気がするから枝野には差別化してほしい。そうじゃないと菅義偉が仙谷由人と野田佳彦を足して二で割ったようにしか見えない。管直人内閣も閣僚がすべってミニ鳩山内閣とかいわれてたしな。第二次野田内閣 民主党自民派
大学の友人や後輩たちは名だたる企業に就職したのに、自分は数百人規模の無名子会社へ。
業務内容も人間関係も、今のところ特に問題はない。むしろ会社に行くこと自体は楽しいとも思ってる。
職場環境に文句はないからこそ、職歴コンプ抱えてることに申し訳なくなる事もある。
まあでも、汎用性の高いスキルが付くかどうか疑問なところと、給料が低いことはめちゃくちゃ不満だけど。
「今は目の前のことに全力で取り組もう!」という気持ちで、仕事中は熱心に取り組んでいる。(つもり)
ただ、休日に友人や後輩と久々に会って仕事の話になると、なんだか自分がとても惨めに感じてしまう。みんな表には出さないけど、自分のこと下に見てるんじゃないかって勝手な妄想をしてしまう。そんな自分にも嫌気が差す。
それなりの大学を出たはずなのに有名企業には行けず、かと言ってやりたいことや、仕事以外で熱中できることもない。福利厚生もなくお給料も雀の涙。将来が不安で、最近の趣味は既に貯金になってきてる。
人を比べられなくなるぐらい、自分の中にブレない軸が欲しい。熱中出来るものが欲しい。
俺の意思、経験が入っている事は多少はあるだろう。でもそれはあまり本質的に意味がないだろ。ネットの発言すべてが数値に表さなければいけない訳じゃない。それに一体誰が主観と客観を分離できるというんだ?
それに俺の経験を問うことに何の意味があるんだ?問題があるとしたら経験した人数の過多だろう。そしてその正当性はだれが決める?10人なら狂気か?100人なら正気か?俺一人でも俺にとっては70億の狂気だ。
人が何かに縋って生きているとしても、それ自体を否定する権利はお前にも俺にもないんだよ。まぁ、縋っている物が衝突するならお互いで否定し合う事はあるかもしれないが。
そもそもこの問いかけはアンフェアだぜ。俺に言うならほかの奴にも言うべきだよ。お前はその問いかけを行う相手を選んでいないか?だとしたらその問いかけはお前の趣味じゃないのか?
そもそも、お前は何も捉えていないよ。脳の構造のレイヤで話しているんじゃない。その表れ、社会のレイヤで話してるんだ。お前がいくら言ってもすれ違いにしかならないよ。自転車とマラソンで競争しても意味がないだろ。俺は脳の話をしてるんじゃない。今の話をしてるんだよ。
だから、お前が、承認や、自己否定、自己決定といった社会の一切を否定したいならそれは構わないけど、俺にぶつけたって仕方のない話だ。
そもそも犬と猫も人間も、全部違うんだよ。動物に当てはまることが全部人間に当てはまる訳じゃない。現に俺たちは魚と違って水中で呼吸できないだろ。
脈絡?何それ美味しいの。
毎日毎日隙あらば、自分の黒歴史が延々と脳内再生され続けるのが「普通」だと思ってたし
無意識のうちに、ブツブツと「気持ち悪い気持ち悪い!(自分)死ねばいいのに!」と声に出して
さては、これはいわゆる「自己肯定感が低い」とかいうやつだな?
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昔読んだエントリー?で「普通の人は黒歴史が脳内を延々ループしたりしない」って見かけたけど
……それマジなん?
いやまあ、100歩譲って、それはわかるけど。
もしかして、「普通の人」って自分に対して何度も何度も「気持ち悪い気持ち悪い、死ねばいいのに」って
呟いたりしないものなの?マ?逆にみんなどうしてるの?
流石に人前では呟いたりしないけどさ。
朝化粧してる時、運転してる時、会社のトイレで…ふとした瞬間に黒歴史を思い出すわけじゃ無い?
もう口から無意識に「気持ち悪い気持ち悪い死ねばいいのに!」って滑り落ちちゃうよね。
あまりにも無意識すぎるし実際私は気持ち悪いし、それが普通だと思って生きてきたけど
ここ数年で「自己肯定感が低い」とか「自己肯定感を高める」とか、いろいろ見かけるようになったよね。
でも、よく耳にする「自己肯定感が低い人間」というのは、なんだかんだできっかけがあるようにおもう。
そういう何か「きっかけ」がある人の話を見聞きすることが多いので
なんというか、明確な「きっかけ」「原因」もないのに、自己肯定感を育てられない私はなんだか肩身が狭いなあ。
特別、両親が不仲だったりするわけでもないし。
(同居の祖父とは家族仲が悪いので、いつか殺人事件が起こるだろうなとは思ってるけど)
(幼稚園〜小学1年時にいじめられたけど友人は1人くらいはいたし、転勤族で転校したので大した記憶がない)
過去に何かひどいこと言われてトラウマになっては……いるけど、それは社会人になってからだし。
(よくあるブラック企業の人格否定的なね。今はもう転職したけれど)
つらつら〜と考えてみたけど明確な「きっかけ」は無い気がする。
でも逆に、自己肯定感を育てるような「きっかけ」もなかった気がする。
まあ、教育指針なんて大袈裟なものでは無いけども「子供に期待しない」というのがある。
母曰く「親に期待なんてされたら、重荷になるでしょ」という配慮のようだった。
そのため、私は小学校のテストで満点を取っても「フーン」としか言われなかったし
高校のテストで赤点ギリギリをとっても「所詮あんただからね」と怒られなかった。
失敗しても成功しても、努力してもしなくても、怒られることもなかったが褒められることも無かったし
親は口癖のように「所詮あんただからね(出来なくて当然)」というので
私が出来ないのは当たり前だし、出来るようになれないし、そんな価値もないんだなあと思って生きてきた。
男尊女卑が根強いど田舎なので、姉の私は口ごたえしたら体罰を受けたが弟は受けなかった。
父は怒ると手や足が出るのだが、弟が怒られている場面でも叩かれているのを目にしたことは
一方私は事あるごとに蹴られたし、頻繁に首を絞められた。
幼心に「なんで私だけ」「同じことをしても弟は殴られないのに」と思ってたし
何しても、私は否定されるんだなって思ってた。
いまでも弟のことは嫌いだし、お互いに最低限の干渉しかしない。
3つ目に…これは関係ないと思うけど、家族みんなドライなところ。
社会人になってからは、母には親孝行も込めて誕生日プレゼントをはじめて渡したりしたけど
父には一度も渡したこともないし、祝ったこともないし、誕生日もよく覚えてない。
別に仲は悪くないんだけど。
好きなアニメや漫画の話もするし、ペットの画像を家族グループラインで送り合ってるし。
情緒的な部分が全くないから、人を祝ったり褒めたりすることがよくわからない。
ああ、あとスキンシップも皆無。
流石に幼稚園の頃は手を繋いだ記憶あるけど(危ないしね)それ以降は特にないな。
えーーーー何の話だっけ?
いや違う、自己否定繰り返してるって話。
うーーん、なんかもうよくわかんないな。
身の程を弁えてるだけ、なんだけどね。
妻はとにかく、私に「悪いと思ってほしい」と言う。休日は朝寝坊していいけど、悪いと思ってほしい。一人で外出していいけど、悪いと思ってほしい。疲れていたら子どもとお散歩しなくていいけど、悪いと思ってほしい……
うん、悪いと思ってる、ごめんなさいと言い続けてきたけど、とにかくつらい。部屋に戻って、泣きながら自傷している。
私は、妻に「悪いと思ってほしい」なんて言ったことはない。専業主婦なのに料理が全くできないことも、部屋が散らかり放題なのも、少しでも気分を害するとすぐに激昂してしまうところも、それでいいよというか、どうにもならないならしょうがないという気持ちでいる。
妻にも、そのようにしてほしいと思うのは、価値観の押し付けや居直りのたぐいだろうか?
しかし正直、もう限界だ。せめて、その「悪いと思ってほしい」というのをやめてほしい。それは丹念に自己否定をさせて、自己肯定感を根本から壊していく呪いの言葉だ。
だが、正直、わかってくれる気が全くしない……。
自己肯定感が高い/低いと言いますが、そもそも自己肯定感ってなんでしょうか。
自己肯定感が低い(とされている)人は生きるのがつらい。自分が失敗してしまったとき、壁にぶつかったとき、不運に見舞われてしまったときに、必要以上に落ち込んでしまう。自分がなにか行動を起こすとき、自己肯定感の低さが足かせになり、なかなか行動に移すことができない。そんな自分が嫌になり、どんどん消極的になってしまう。ひょっとすると、予想だにしない幸福が訪れた時でさえ、自己肯定感の低さがあだになり、それを素直に受け取ることができない。あるいは、実際にはそこまで不幸でもない現実と自己肯定感の低さとのギャップを埋め合わせるために、ついつい自傷行為や自分を傷つける媒体や人に走ってしまう。周りには自己肯定感の低い人が集まり、相互に作用しあってどんどん不幸になっていく(書いていて嫌になってきました)。結果、生きるのがつらい。
逆に自己肯定感のある(とされている)人は、不幸や失敗にいちいち落ち込まずに、どんどん新しいチャレンジをすることができ、成功体験を積み上げやすい。経済的にも文化的にも幸福な友人や恋人に恵まれ、幸せな人生を送ることができる。つまり、自己肯定感を高めることができれば、今は不幸な人も幸せになれる。あらゆる問題(仕事面、恋愛、家族関係がうまくいかないなど)が、自己肯定感の問題に還元され、幸福に必要なソリューションです的な扱われ方をされるケースさえあるかもしれません。
果たして本当にそうでしょうか。例えば、自己肯定感の高い(とされている人)が、日々の暮らしで自分の自己肯定感の高さを認識することは少ないはず。呼吸をするときに空気の存在を意識することが無いように、ごく自然に存在しているものだと思います。逆に自己肯定感が低い(とされている人)にとっては、四六時中自分を縛り付けている呪縛のようなものかもしれません。そのせいで、個別になんら関連性のない事柄を自分の不幸な想像を駆使して結び付けてしまう。文字通り概念に縛られている状態といえるかもしれません。
実際には、自己に対する否定感情は、(人によりその頻度や強度は様々でしょうが)その時の環境や本人の体調に大きく作用され、瞬間的・個別的に発生するものです。単なる推測にすぎないのですが、おそらく瞬間的な自己否定の感情が習慣化してしまい、負のスパイラルに陥ってしまっている状態の人=自己肯定感の低いと認識してしまっているのだと思います。自己肯定感が低いことを内面化してしまうと、個別の事実を冷静に観察できなくなり、本来解決可能な問題に対しても自己肯定感の低さを理由に、適切な解決策を考えることができなくなってしまいます。
(私は精神科でもなんでもないのでいち素人の考えたことに過ぎないという前提のもと)もし、あなたが上記のような状態になってしまっているとしたら、取り組むべき課題は「自己肯定感を高める」という抽象的な何かではなく、自己否定の感情を覚える個別の事柄に対し、以下の順序で対処を試みることなのかもしれません。
2.その時の外的要因(人間関係とか仕事とか)と内的要因(体調とか心理状態とか)を把握する
6.日常的なセルフコントロール(体調管理や精神管理、瞑運菜眠など)を実践してみる
詳しくは知りませんが、上記は一般的に精神診療などで用いられる認知行動療法と同じようなもので、特に目新しさはありません。長々書いてきて、結局xevraさんと同じ結論かよ
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xevra 2020/07/27
運動、瞑想、睡眠、野菜を徹底してる人は自己肯定感と言う言葉そのものの意味が分からない。自分は自分、肯定も否定もない。ダメな所も良い所もあるただの人間だ。下らない概念に振り回される意味が分からない
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と言われるのも少し不満なので、一つ私の話をしようと思います。
私はもともと自分を自己肯定感の高い人だと思っていたのですが、最近自信がなくなってきました。というのも、そもそも自分と他人の人生に興味・関心が薄く、そのためか、強く共感したり、感動するとか、ましてや人を好き/嫌いになるとか、(物心ついて四半世紀が経ちますが)これまであんまりピンときていなかったんですね。それって自己肯定感が高いのではなく、単に自己/他己に対する関心を失っているだけではないかと思ったのです。
その意味では自分を好き/嫌いになれる人というのは(一切の皮肉抜きで)向上心のある人なんだなと思いますし、他人の人生に深く共感できるというのは羨ましくもあります。もしかしたら、三人兄弟の末っ子でまあまあ放置されて育ったこともあるかもしれません。自分を嫌いになることだって、裏を返せば自己愛が豊かな証拠だと思うのです。例えば、人が問題に直面した時に自己否定の感情を覚える現象は、私から見れば、(自己愛が豊か/理想が高いが故に)自分が劣った人間だということを直視できず、現実と理想のギャップを埋めるために、自己評価を下げることで帳尻を合わせるという、一種の防衛反応のように感じます。
壁にぶち当たった時に、自己に理由を求めるのは自分を大切にする心が備わっているからです。私のような自分や他人にいまいち興味の持てない人間は、環境や他者、自分の行動をシステマチックに整理して対策を考えます。ふわふわと物事が自己の問題を離れ、幽体離脱し、神の視点から考えている感じ。故にあまり落ち込んだりしないので、切り替えが早いとか仕事が早いといわれることもありますが、(反面無自覚に人を傷つける言葉を使ってしまうこともしばしば)本当に良い仕事、人の心を動かす言葉を紡ぐことはできないのではないか、と最近思います。
なのでもし、あなたが自己肯定感の低い人間だと自分を認識してしまっているとしたら、自分を嫌いになれることは素晴らしい才能で、自己愛と共感力の豊かな人間であること。自己肯定感の低いという概念を内面化せずに、目先の現象を都度観察し、一つ一つ対処を考え潰していくことができれば、とても感情豊で理想の高い人生をおくれるはず。そんなふうに私は考えています。
もはやツイッター炎上芸人と化した藤田孝典と風俗業界当事者との激しい論争が二週間ほど続いていて、目が離せない。セックスワーク論には詳しくないが、藤田氏の主張に対する自分の感想をメモ。
1. 風俗業はそれ自体が女性への心身のダメージが大きく、普通の労働とは言えない
→これは概ね藤田氏の言う通りだと思う。風俗業は40過ぎても可能な仕事ではない。風俗業関係者が、風俗業の特殊性を無視して「普通の仕事」と強弁していることは問題。風俗業に対する偏見や差別についても、もちろんなくすべきという運動を強く支持するが、親戚や同級生に気軽に話せるようになるような、楽観的な未来を思い描くのは正直なところ難しいだろう。
2. 風俗業の経営は現実には暴力的・搾取的なものばかりで、健全な経営など期待できない
→当事者から散々批判されているように、これには根拠がない。藤田氏が見ている、相談支援に来る「誰の目にもわかりやすくひどい目に遭った風俗嬢」を基準にして全体を語れば、説得力が落ちるだけである。彼に限らず、貧困者相談支援事業の人たちは、悪質な事例を過度の一般化する傾向がある。
3. セックスワークを「普通の仕事」にしてしまうと、「生活保護の前に風俗にでも行けば」という現在も存在する物言いを正当化させる
→これも批判されている通り、風俗業ではなく生活保護制度の問題である。不本意に風俗業に従事する女性たちが多数存在するとしたら、雇用が劣悪で社会福祉が無力であるからである。労働運動の活動家および社会福祉士として、藤田氏は自分の無力さについて責任を感じてもいいはずだが、逆に風俗業当事者を乱暴に叱りつけている。これはひどすぎる。
→かえって闇に潜って悪質化するとか、代替のないまま生計手段を奪って貧困問題を悪化させるとか、様々な批判があるが、なかでも一番の問題は、たださえ偏見や差別の目にさられている風俗嬢が藤田氏の議論を目にすれば、「私の仕事はやっぱり社会にとって無価値で害悪なんだ…」と、自己否定的な感情を募らせてしまう可能性が高いことである。そうした想像力のない人間に、果たして貧困者や被差別者の置かれた現実が本当に見えているのか、非常に疑問を感じる。
(追記)
おいおい藤田氏、まだ続けてんのかよ……。
不特定多数の人たちが普通にドン引きしている点で社会運動の戦略として大失敗だし。貧困運動のお仲間たちも沈黙しているが決して賛同していないことは(Twitterで藤田氏をフォローしていない河添誠氏のみ真正面から批判)、一連の記事をRTしていないことからも明らかでしょ。
元々どっちかというと藤田氏寄りの考え方だったのが、今回の藤田氏の一連の雑で乱暴かつ不勉強きわまりない言動で、考え方を変えることことにした。