はてなキーワード: 上履きとは
知的障がいのある小学生くらいの男の子がアンパンマンの乗り物に乗ってる画像をSNSに乗せて、その男の子のお母さんが「これ以上息子の体が大きくなったらアンパンマンの乗り物に乗れなくなってしまうからこれ以上大きくならないで」みたいなこと呟いてて切なくなった
産まれたときから意識不明で寝たきりの1歳くらいの女の子のお母さんが女の子にかわいい服を着せた画像をSNSに乗せて「前開きのかわいいデザインの服はせいぜい80まで。これ以上体が大きくなったらかわいい服を着せられなくなってしまう。元気な子供だったら成長は嬉しいことなんだろうけど、私にとっては娘の体が大きくなってかわいい服を着せることができなくなることが悲しい」と呟いていて切なかった
私の娘は年中なんだけど、今度新調する靴のサイズが20cmで、外ばきの靴ならかわいいデザインのものがいくらでもあるのに上靴のかわいいデザインのものが20cmになるとガクッと減ってしまうことにビックリした
スニーカーはかわいいデザインが充実してるから別にいいんだけど(プリキュアの靴が19cmまでなのはとても悲しいけど)
上履きが……あれ?小学生の女の子は上履きはシンプルなデザインのものが好みだから総柄の上履きとかあんまりないの……???あれ???
夕刻、陽が落ちてもまだ蒸し暑いなか、保育園から子供を前と後ろに乗せてアシスト付き自転車がでてくる。たくさん袋を持ってる。上履きにシーツにお着替えに。汗だくの親御さん。
働きながら複数子育てする見知らぬ親御さん、色々言われるけどさシンプルにすごいよ、国とかもっと楽に子育てさせろとか、思うけどそれは別の日にする。今は子育てを心から祝福する。なにせ今日は金曜日なのだから。「明日どこ行く?お出かけしようよ」
うちは子供1人で、もうでかい。そんなこと言わなくなった涙。ヘルメットを被せられスポッと自転車に収まった小さい人に、あんな頃もあったと顔がほころぶ。
好きで産んだんだろとか贅沢品とか時短は迷惑とか、いまはミュート。そういうのも別の日にやろう。つかやるな。2度と来ない子供との時間を、死にそうに大変なのに宇宙一幸せな時間を、今を楽しんで欲しい。ひさびさにビールでも飲むか?
という過去の話。
朧げなのを理由に改変あり。
当時は中1女子。
考えられるいじめられた原因は主に4つ。
本人がいない間にバッグにベルトを入れあっては「やめろよ〜」って言い合う遊びをしていたらしい。
本人抜きで学年主任の授業1時間が学活になった。内容は知らない。
こんな感じのいじめ内容と原因(実際には被害者に言えないようなもっと酷い内容のものもあったのかも)なので、我ながら被害者側がそれなりに悪いと思うし、加害グループも本当に遊んでいただけだと思う。
一部の加害者とは同じ高校に進学し、同じクラスにもなったがあの後全く関わりはない。
その同居人ともうまくいっていない。
親に「風呂に入れ」と怒鳴られたし、今は同居人に「臭い」と言われる。
風呂に毎日入る理由がわからず、外見に変化が見えたり頭が痒くなったり他の人と会う直前になったりしたときに入る。
ここ数ヶ月は1日のほとんどを自宅で過ごすのでまだいいが、毎日出かけていたときも毎日風呂に入れなかった。
また最近、外に出ないので急速にあの頃の体重に戻ってきている。
食生活に気をつけたり、7000歩程度の散歩をしたりしていたが、どんどん太っていったので半分諦めている。
あの頃はその後、自転車でよく出かけるようになって痩せた。
今後も痩せるような機会があれば自然にそれにハマって痩せるだろうし。
私としては、いじめられて傷ついたりは一切していない。
教科書が破られたり、上履きの中に画鋲が置いてあったわけでもないし。
むしろ、誤解を恐れずに言えば、被害者の気持ちを重視せずに解決されたので、感謝はする一方で気持ち悪さを感じる。
被害者の気持ちはどうでもいい、いじめかもしれないことを見過ごせない!
私のクラス、私が主任の学年、この学校でいじめなんてあってはならない!
加害グループ本人たちから謝られはしたけど、「〇〇さんごめんね」と一人一人言われ、戸惑いながら「うん」としか返せず、それだけ。
配慮してくれた結果だと思うんだけど、蚊帳の外にされている気がした。
こんなことが頭によぎるからいじめられるし、人間関係がうまくいかないのだと思う。
家庭では、風呂に入っていない、適切な下着を着ていないことで親に相談され、風呂に入ったと嘘をつくと怒鳴られる。
風呂に入ることも、入らずに怒鳴られるのも嫌だったのでボディタオルを濡らしてやり過ごしていた。
それで判断していると親が言っていた。
歯磨きも、まだ磨いていないだけなのに歯ブラシの毛先が濡れていないと怒鳴られる。
親のこういうところが気持ち悪い。
現在、あの頃の状態になっており、なんとなくだがこの状況をなんとかしたい。
不健康、不衛生。
他者とうまくいっていないのはずっと。
見えないところで自分のために動いてくれる同級生も教師もいない。
自立したいけれどその術を知らない。
○ご飯
朝:朝マクド。昼:カラムーチョ。夜:にんじん、ピーマン、きのこのスープ。たまごやき。納豆。冷奴。沢庵。間食:チョコ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすんー。
小学生男子けんた君が手作りしたRPGライトの伝説を一緒に遊ぶ”テイ“のゲーム。
当たり前だが実際にはデスクワークスという会社が開発し、アニプレックスがパブリッシュをしている、インディーゲームで、小学生のけんた君はゲーム内のキャラクタだ。
RPGを名乗ってはいるが数値が上下したり戦闘面で工夫する類の自由度はなく、ゲームブックやアドベンチャーゲームに近いジャンル。
(ここでいうRPGやアドベンチャーゲームなどのゲームジャンルは2024年に概ねそのように分類され広報されるゲームとの比較を意味しており、RPGという言葉の定義や歴史の話をしたいわけではない)
ノートに手書きされた街やダンジョンやキャラクタ、ダンボールやビーズで工作されたオブジェクト、文房具や上履きのような小学生に身近な道具を使った演出など、本当に小学生が作ったかのようなリアリティを感じられる。
特に手書きのノートの絵が動く描写は印象的で、初見の作り込みへの凄い感動が最後まで続く。
ビジュアルのルックを楽しむゲームになっていて、テキスト面は小学生が考えた”テイ“の支離滅裂さをあえてやっているのが面白い。
ゲームシステムも文章を読むパートだけでなく、ノートに鉛筆で線を引いて攻撃するバトルパートや、2Dゼルダ風のクォータービューアクションや、シューティングなど様々な要素が次から次へと遊べる。
とにかく終始細かいオブジェクトの作り込みと、小学生けんた君が作った設定に準ずる配慮がなされているのが、非常に印象に残る。
ノートの中に目一杯書き込みがされており、その線一本一本すらけんた君の楽しいゲームを作りたい欲求を感じさせられた。
けんた君目線で徹底された各オブジェクトを調べたときのメッセージは、テキストをその方向で作り込まれている故の世界観の厚みを感じる。
キャラクタに関しても、ポニテで元気っ子な女子ながら歴史家の側面があるアンナ、ダウナーな魔女で敵なのに可愛いミザリーと、それぞれ全員を小学生男子けんた君が演じていることによるメタ的な交錯した感情はさておき、可愛いキャラが揃っている。
いや、さておきと書いたが、さておけない。
何にしてもこのゲームは、小学生男子けんた君の目から見た世界であることが終始徹底されているので、開発者の顔が透けて見えるのだ。
いや、実際の開発者は藤井トムさんと南場ナムさんで小学生ではないから透けて見えてないんだけど。
このゲームの中でゲームを遊んでいるからこその感覚は、かなり独特なもので、けんた君についてどう思うかも重要で、彼に好意的な気持ちを抱きながらプレイできるとより楽しくなる。
靴下の底がグレーや黒のソックスが売られている。
これでもう靴下をごしごし洗いしなくてすむ!!
わたしのような洗濯こだわり派のお母さんは汚れを放置することが怖い
かつて靴下の裏を真っ黒に汚すレベルだったのに、底が黒のソックスを買って、まったく擦り洗いしないとなると
その靴下をはいたときに外履きの靴も上履きも摩擦で汚れがつきそう
そして、靴の中が黒ずみそう
幼児を育てていると靴や靴下が想像以上に汚れてびっくりするけども
めんどくさくても手洗いして汚れがある程度落ちたことを確認しないと不安になるのだが
子供に靴下の底を濃色、濃色のソックスをはかせて見えないから汚れを気にしない手洗いをしない派のお母さんはこういうの平気なんだな…逆にわたしは白ソックスでどれくらい汚れが落ちてるのか確認したい派だ
岡田麿里監督の作品は見たことがなかったが、「あの花」が名作であることは知っていたし
チェンソーマンを見てMAPPAに興味を持っていたので、渾身の劇場作品であるこの作品を見に行こうと思った。
とは言えあまりヒットしている雰囲気はなく、ネットをふわっと見る限り絶賛している人はあまりおらず、
見どころはあるが問題も多い、というような感想が多数なのであまり期待はしてなかった。
鑑賞した結果、見どころはあるが問題が多すぎるのであまり乗れないな、という感想を抱いた。
絵作りは全体的に申し分なく、やりたかったこともわかるし作者の持ち味もわかるが、そこに至るまでに問題が多すぎる。
順に思い出しながら問題点を突っ込んでいく。
◾️冒頭いきなりギャグが滑っている
冒頭、中学生男子が狭いこたつに4人入ってワチャワチャと勉強しているというほのぼのシーンから幕を開ける。
4人組の中のお調子者が、こたつの中で屁をこき、大騒ぎしながら窓を開ける、というのが
中学生日記レベルのテンプレギャグであり、中年男性である自分が見てこの4人に親しみを持つことはできないな、と感じたが、
まあギャグが大事な作品ではないのでこんなものだろう。全然許容範囲である。
窓を開けると工場が爆発し世界に異変が起こる。時間が止まり、同じ1日を繰り返す田舎街に閉じ込められることになる。
異変が起こった時に、視聴者と同じ現実世界に生きていたはずの主人公たちがどのようにその異変を認識し受け入れていくか、
という過程を描くことで視聴者も状況を受け入れやすくなるものだが、この作品はいきなり違和感を突きつけてくる。
登場人物たちが異変をすでに受け入れており、諦念に塗れた奇妙な終わらない日常生活を続けているのだ。
徐々に明らかになることだが、時間が止まってから十年以上が経過していたのだ。
かなり挑戦的なストーリーテーリングだが、あまり成功しているとは言えない。
十年以上も外界と隔絶され肉体が変化せず、同じ1日を繰り返しているというのは相当な極限状況である。
田舎町とはいえ数千〜数万人はいるであろう街の人達が、そのような極限状況に置かれているようには見えない。
最初の数年は外界に出ようとしたり、ループから抜け出そうとチャレンジした人達がいて、
彼らが失敗したのを見て人々が諦めて日常を続けることにした、という経緯なのだと思う。
そのような経緯が描かれることはなく、この無茶な状況を説明するのは「自分確認票」とかいうものを人々が
毎日書かされているという設定である。演出的にもこれを毎日書いていることがかなり重要になってくる。
「いつの日か時間が再び動き出した時に、自分が変化し過ぎていると不具合が起こるかもしれないので、自分が昨日と変わっていないことを毎日確認しましょう」
ということらしいのだが、その根拠はなんとなく事情がわかっている風の言動をしている変わり者の神主がそう言ってるから、
この映画の問題点の半分ぐらいはこいつの責任であると言えるだろう。予告編を見るだけで違和感を覚えると思うが、
映画のリアリティラインにそぐわない、いかにもアニメ的なエキセントリックなキャラである。
この突飛なキャラを映画に馴染ませるために、妙にリアルな小物感を感じさせる演技が端々に入るところは面白い。
「こんな奴が現実にいたら絶対に近寄りたくないな」と思わせてくれる。
芝居がかった大仰な喋り方をした後にボソボソと独り言を言ったりするところがやばい奴感のリアリティを高めている。
最大の問題は、街の中でも変わり者として爪弾きにされていたこの男が、世界設定の根幹を握っていることである。
背後にある神道的な神秘設定の描写が非常に薄く、単なる変人の妄言が街を支配しているように見えてしまう。
小物感がリアルに強調されればされるほど、世界観が薄っぺらく見えるという問題。
こいつが単なる変人ではなく、世界の鍵を握るだけの力を持っている描写がもう少し必要だったのではないか。
十年以上自分が変わらないように毎日確認票を書かされている20代中盤の主人公たちの気持ちに感情移入するのは難しい。
街から出られないとはいえ人生経験は十数年分重ねていて、車の運転などもできるようになっているのだ。
肉体が変わらないからなのかメンタルは中学生のままで、意味もなく高い所から飛び降りたり首締めごっこをしたり、
上履きを隠したり、パンチラやブルマー姿を見て喜んだり、わざとパンツを見せてからかったり、みずみずしく痛々しい恋をしたり、
いかにも中学生な行為を続けている。どういう精神状態なのか想像がつかず、共感できない。
物語上の都合のいいところだけ成長して、中学生として見せたい部分は成長しない。随分とご都合主義の設定である。
作者の見せたい都合に引き込む演出の力量が足りていない。
女の子みたいに見える主人公。女みたいと言われるのは嫌いじゃないが男が好きなわけじゃない。
なかなか魅力的な設定だが、そこがそれ以上掘り下げられることはない。そのほかにもフェティッシュの要素がいくつも
散りばめられているがただ作者がやりたかっただけでキャラの魅力につながっていかないことは残念である。
肝試しに地味な女の子と一緒にトンネルに入ったらいきなり告白される、というシーンはこの映画で唯一笑えたシーンだったのだが、
からかわれて傷ついた女の子は心にヒビが入り、そのまま消滅してしまうという全く笑えない結末になってしまう。
実は時間が止まっているというのは神主らが仕組んだ嘘で、主人公たちは聖なる山と工場が生み出した幻だったのだ!
様々な設定の綻びも、不可解な登場人物の心理も、幻だったのなら仕方がない。すべて作者の胸先三寸である。
世界観のペラペラ感がティッシュぐらいの厚みになってしまう。絵的にも、あちこちがひび割れて今にも砕け散りそうになっている。
そこで唯一興味を繋ぎ止めてくれるのが、幻の世界で唯一実在の存在である、未来から迷い込んできた主人公たちの娘である。
濃厚なファーストキスを実の娘に偶然見られるという気まずいだけのシーンを経て、
この娘を現実界に送り返すというミッションが確定してから物語は俄かに力を取り戻し、
監督の確かな力量によって大きな盛り上がりが描かれる。
しかし、そこに至るまでのキャラと世界観の積み上げが非常に脆弱であるために、自分は置いていかれている感がしてまるで乗れなかった。
バックトゥザ・フューチャー的なカーアクションで無茶なアクションを繰り広げるものの、
まあ危なそうに見えるけど所詮は幻だし、どーにでもなるだろ・・・と思うとあんまりハラハラしない。
「幻だって生きているんだ!今を楽しんでもいいんだ!」と言われても、「・・はあ。」としか思わないのである。
最後まで出てこないので調べてみたところ、この話の原型になった、監督が以前作ろうとしていた物語に出てくる嘘つき少女と狼少女の名前らしい。
つまり睦実と五実のことを指している。監督の内部の問題でしかないので心底どうでもいい。
五実が10年間言語すら教えられずに育ったのも、「狼に育てられた少女」をやりたかった名残というだけで、設定的に特に意味はないということだけはわかった。
いや無理あるでしょその設定・・・
◾️どうすればよかったか
いやどうしようもなくね?「実は全部幻でした!」というオチに物語として説得力持たせるのは無理だよ!と最初は思ったが、
閉じ込めれた幻としての主人公たちをメタファーとして捉えるなら、共感を誘うような中学生あるある描写は抑え、
閉じ込められた違和感、脱出しようと足掻く姿を押し出した方が良かったのではないか。
「狼に育てられた少女」をやりたいのなら、五実と神機狼の関わりをもっと描くべきだった。
神機狼と佐上の関わりも、もっと神秘的に描いていれば世界観に厚みが出たと思う。
神道っぽい儀式をやるシーンが新海誠作品によくあるけど、ああいうの大事だよね。
突然失踪して終盤急に日記が発見される父親もその辺りの設定に絡められたのでは。
佐上の周囲に腰巾着みたいな面白キャラを配置して浮きすぎた佐上のクッションにするのもいいかもしれない。
ラグビーワールドカップ・ニュージーランド大会とスポーツアジア大会が始まった。
今回に限らず、世界的なスポーツ大会では、メディアは日本応援一色になるのが常だ。
(ノーベル賞とか海外で活躍する人とかについても同様の傾向があるが、ここでは取りあげない)
毎回のようにこのムードを見せられると、はっきり言ってうんざりしてくる。
嫌なら見るなといわれても、どうやっても目に入ってくるので、どうしようもない。
私が思っていることをつらつらと書いていきたい。
幽谷霧子(の中の人)と同じ日に生まれた(投稿日現在)27歳男。ちなみにアナスタシアの中の人は誕生日が一緒。
個人的にアングラネタ(淫夢、Syamu、オウム、北朝鮮、恒心教)が好き。
面白い人(元首相銃撃の後ろで転んだ女子高生、「私は森の妖精です」の人、優木せつ菜推しの上履きの匂いフェチなど)も好き。
ハプニング(まれに起こるストライキ、皇族のコロナ感染、北朝鮮のミサイルなど)はもっと好き。
シャニマスのキーホルダーが生徒にウケた。デレマスのフルグラフィックTシャツ(二次元コスパ)で授業すればもっとウケた(そのまま退勤したら女子高生にすれ違いざまにキモイと言われたが)。
っていうか、10月のシャニマスのライブ、ゲーム先行と一般抽選両方やって全部外れたんだけど。
せっかく283プロのレッスンジャージにイルミネーションスターズの腕時計、ライブ公式グッズもいろいろ買って準備してたのに。
言いたいことはこれに尽きる。
別にどこが勝とうと自分には何のメリットもないのに、なぜ日本だけを応援するかわからない。
もちろん日本が勝ったら給料が上がるというのであれば応援する理由にもなるし、本気で応援する。しかし現実そうではない。
自国やそこにいる人やチームなどを応援する気持ちは、どうやら昔軍隊がいたころの名残なんだそう。戦勝は自民族の生存に直結するためだからだ。
現在の日本だと、防衛大学校がこれと似たような状況になっているらしい。
というのも、2年次の手漕ぎボート大会で自分たちの宿舎が勝てば、宿舎の雰囲気がよくなり今後の学生生活がぐっと楽になるから、1年生は先輩を本気で応援するんだそう。
でも日本全体が防衛大学校と同じ環境なわけはないし、それに日本人や日本代表チームは軍隊ではない。別に勝ったとしても生存には関係ない。
仮にそれが軍隊だったり、日本戦が戦争に相当するようなもの(結果で自国の未来が決まる)だとしても、そのうち日本は衰退して消えるんだし、あまり応援する意味はないんじゃない。
もし日本が消えても、なんだかんだでどこか別のところに拾ってもらえるんじゃないかしら。なんなら英語できるし。
言い換えると「日本が勝ったからといって、自分が勝ったわけではない」「スゴイのはその選手やチームであって、自分ではない」ということ。
なので、日本が勝とうが自分がすごいとは思わないし、正直日本戦の結果はどうでもいい。
ほぼ毎回のように「感動をありがとう」なんていうメッセージが飛び交う。
しかし私は、なぜ日本代表が勝っただけで感動するのかわからない。
同じ日本人でも、私は日本代表のメンバーではない。自分のことではないのだから勝とうが負けようがどちらでもいい。
日本代表が勝ったとして、自分には何の影響もないのだから、感動するわけがない。
感動がらみでいえば、選手側からの「感動を与えたい(届けたい)」がある。
日本戦で感動しないのは上で書いたとおりだが、その前に感動は自分で勝手にするものであって、誰かに与えてもらうものではない。
というか、「与えたい」とはずいぶん偉そうだこと。
「俺様たちの素晴らしいプレーを見て感動しやがれ」とでも言いたいのだろうか。
「与えたい」もそうだが、「届けたい」もひどさ満点の言葉だ。
だから押しつけがましいつってんの。要らないのに勝手に押し売りするのやめてもらえませんかね。返品していいっすか。
よくテレビで言われる、(日本代表の活躍などに)「日本中が熱狂した」。
自分たちの思っていることをそのままメディアに起こすのであれば、どこかは対戦国を応援していたりしていてもいいはずだ。
まぁ、今のインターネットの状況を見ているとさもありなん、って感じかな。
少し日本を応援しないだけでやれ反日だ、○○人だ(なんかそういうデータあるんですか?)、祖国に帰れ、などと、愛国心しか取り柄のない暇人日本人が騒ぐ。
そういう意図がなくても、誰かの勝手な妄想で尾びれ背びれがつくものだから、ありもしない話が出来上がっていく。
逆にこの炎上を逆手にとって注目を集めることもできるが、マスメディアがやるとリスクが高いのだろう。
それに、スポーツ観戦は結果がはっきりしてる分、自分のパッとしない人生を自分が頑張れない分投影できて人気もいいらしい。
となると、無理やりでも日本を応援して、そういう人たちのニーズにこたえた方が堅実に利益になるというわけか。
もしそのムードに水を差すと思われる発言をした出演者に対しては、他の出演者は軌道修正を図るか、冷たくあしらいなるべく関わらないようにする。
前者はファインプレーを視聴者にアピールし、人気を得るために使う。
後者はこちらに延焼しないようにするためのもの。和田アキ子あたりがやっていたような(こちらはリスクを冒してまで人気を取る必要もないんだけど)。
マスメディアがダイレクトに日本を応援するのはよくあるが、一見中立に見せかけてやっぱり日本を応援するパターンもある。
それは、このように識者や人工知能を使って勝敗を予想するパターンだ。
そりゃそうだ。日本が負けるなんて言えないもんね。
この押し付けがましい応援ムード、どうも裏で金が動いているように感じてしまう。
スポンサーがうるさいから、下品な音とテロップで日本応援ばかりしてるようにしか見えない。
出演者はもっと大変だ。どんなに心にないことだろうが、どんなに勝ち目がなかろうが、無理やりオーバーな声とジェスチャーで日本を応援しないと仕事がなくなるもんな。
多くは雇用契約でなく、メディアや所属事務所との個人契約なので、簡単に切れるし。
一見プライベートを映してそうなSNSも、結局は営業のためのツールに過ぎない。
プライベートでも応援してますって風を装って、オナホアピールをしているだけなんだよな。
しばしば、試合会場で自主的なごみ拾いをしていることから「日本人は世界一マナーがいい」といわれることがある。
だがそれは対外的なもの(国内外に対する宣伝)であり、見えないところでのマナーはお世辞にもいいとはいえない。
・郷に入っては郷に従えを錦の御旗に、外国人を差別(イスラム教徒に豚肉を食べさせたり…)する
・法で認められた権利を主張しようすると、同じ立場のくせして足を引っ張ってくる
・「自分に実害がなければ別に私はいいですよ」というのが理解できずいちいち無関係な他人に干渉する→多様性の阻害
・なによりも匿名や強い立場になると何でも言っていいと思っているし、実際にそうする
…まだまだあるが、全部日本人がやってることだが。これのどこがマナーがいいんだ。
そのくせ、何の合理性もないマナーを放置(上座下座とか)したり、余計なマナー(マナー講師、お前らだよ)を作ったり。
日本は災害が多いが、そのたびにスポーツが出てきて、スポーツの感動で復興みたいはわけのわからない話が出てくる。
そのたびに言われるのが「みんな一緒になって頑張ろう」とか「絆」てきなフレーズだ。
そのくせして、なんで勝手に見ず知らずの人と絆があったことにされ、協力を強制されるのか理解できない。
絆は感じたい人だけで、協力はしたい人だけで勝手にやっていればいい。こちらを巻き込むな。
日本の応援と一緒に、他国(特に韓国)を貶す動きがみられる。特にTwitter(現・X)。
過度な応援ムードだけでも十分気持ち悪いが、他国を貶し負けを願うものはもっと気持ち悪い。
相手を貶して、そして相手が負けたからといって、何になるんだろう。
話を聞いてみると、昔貶されたから貶してやるんだそう。
どこを見ても日本応援一色だ。嫌なら見るなといわれて他を当たろうにも、やはり同じものが目に入ってくる。
スポーツ観戦しようにも、せめて一歩離れて中立に見たいのに、ここまでニッポンニッポンうるさいのは勘弁してほしい。
他のチームの状況を知りたくても、ほとんど取り上げない。それどころか、日本が負けそうになると中継を切ることさえある。
(似た傾向は、ノーベル賞などでも見られる)
どうにかならないのこの風潮。
だが、上に書いたようなことが重なり合うと、過度な応援ムードだけでなく、日本代表そのものにもネガティブな感情しかわかなくなる。
というか、これから先もメディアに取り上げられる前にさっさと負けてくれた方がうるさくなくて済む。
できるなら日本代表には再起不能になってほしい。二度の目の前に現れないでほしい。
色々書いたが、要するに日本応援一色のムードが嫌で嫌で仕方がない。
他のメディアに変えようが、どこへ行こうが、どうやってもこの話題が入ってくるので避けようもない。
どうすればいいんだろう。
今年、娘が小学生になった。都内の公立小学校に通っている。そんな娘に「パパは小学校楽しかった?」と聞かれて、僕は「楽しかったよ」と答えたけど、これはハッキリ言って嘘だ。
娘に変な先入観を持ってほしくないから、ポジティブに答えたけれどパパは小学校が大嫌いだった。正確には学年が上がるとともに制度と先生が嫌いになっていった。
平成初期に生まれた僕は小学校3年生まで80年代に開発された所謂ニュータウンに住んでいた。比較的若い住民が多く、大きな電機メーカーの工場などが集積していたので、所得や教育水準もそれなりに高かったのだと思う。小学校も開校20年程度だったと思う。好きな先生もいたし、友達ともよく遊んだ。指の皮が剥けるまでスマブラ64をしていたと思う。
その後、両親の離婚を経て、僕は母方の祖父母の家に住み、かつて祖母や母が通ったという小学校に転校した。明治時代からある古い学校だった。
この学校に転校した時は激しいカルチャーショックに見舞われたので一部ご紹介する。
1.男女でトイレが分かれていなかった。壁際に小便器がずらっと並び、その後ろには個室が並ぶ。要するに男子便所と同じ構造だ。そして、この個室には男子も女子も関係なく入る。ジェンダーレストイレが話題になった今となっては時代の最先端なのかもしれないが、当時は本当に驚いた。
2.自転車に乗っていいのは小学4年生から自転車の解禁が小学4年生以降だった。何も知らずに毎日自転車乗っていたら、ある日学年集会でいきなり晒し上げられてルールを知った。
こういう一つ一つ、当時の自分が嫌なポイントが増えていったのだが、決定的だったのは先生の質の低さだ。
とにかくヒステリーをよく起こす人で、どうでもいいことで一々叫び散らす先生だった。クラスで少し問題があるとなんでもかんでも集団責任と言い、一々放課後に全員で居残りさせられて迷惑だった。クラスでいじめられている子がいて、僕は転校生でクラスのヒエラルキーの外にいたので、助けようとして喧嘩になったら怒られたり、その放課後に、このクラスにいじめはありません!とか宣言しててこの人もうダメだと思った。毎日上履きに泥を詰められたりして、◯◯菌とか言われてる奴がいじめられてなかったらなんなんだろう。
この先生はかなり変なおじさんだったが、好きだった。いつも扇子を持ち歩き、教室に畳を敷いて、カーテンを簾に変えていた。将棋が趣味で将棋を教えていた。その先生から将棋を教わって将棋を始めたクラスメイトはその後、当時史上最年少で女流棋士としてプロになったのでその一点だけでも凄い人だと思う。
30代半ば/男性
この人はマッチョな見た目そのままの脳筋だった。子供ながらこんなに頭悪いのに学校の先生になれるんだなぁ、と思ったものだ。悪気があるのか無いのかわからないが、事ある毎にうちが母子家庭であることをクラスで話し、当時は今ほどシングルマザーに理解も無かった時代、そして土地柄。そのせいでクラスメイトやその親から「お父さんいないってどんな気持ち?」と聞かれたり、煽ってくる奴がいた。
決定的におかしいと思ったのが、成績の評価だった。大前提として、僕は公立小学校程度のテストならばどの科目も殆ど100点以外取ったことが無かった。年に1回の県統一の学力テストでも成績は学年1位だった。そういうわけで国語、算数、理科、社会の通信簿は常に5段階中の5以外もらったことがない。
ところが、僕はこの先生に「3」を付けられたのだ。そして、自分より頭の悪い子が5を取っていた。この成績を見た母は「1学年1位の息子が何故3なのか?」と学校に問い合せた。実は当時、通信簿の評価がそれまでの相対評価から絶対評価に切り替わった。先生曰く、生徒一人ひとりの成長を元に点数を付けることになったが、100点しか取らない僕は成長が見られないので中評価だという説明だった。
それに加えて、各科目の課題や授業に対する態度が悪いということ。具体的にはドリルとか問題集とか、その学期を通して行うべき課題を最初の1週間で全部終わらせて提出したことが悪い、授業中騒いだり他のことをしたりするわけではないが、かと言って授業も真面目に聞いていないことも理由であったと。
学校の簡単なテストは100点以外取りようが無いのに、どうやって成長を示せばいいのか。簡単な宿題を早く終わらせて一体何が悪いというのか。教科書を読めば一瞬でわかることを延々と説明する授業の一体なにを聞けばいいのか。僕は授業の邪魔することもなく、ただただ黙って大人しく時間が過ぎるのを待っていたのに。
ちなみに結局その後、試しに中学受験に向けた全国模試を受けたら偏差値は55~60くらいしかなくて、中学受験組の中では精々中の上程度だとわかった。そして日能研の「シカクいアタマをマルくする」とかいう広告の問題は全然解けなかった。別に自分が頭が良いわけではないことを理解出来た。そして実際に市川という上の下くらいの中学校になんとか滑り込んだ、というのが僕の実際の実力だ。開成?筑駒?渋幕?全然無理、って感じ。
当時を振り返ると嫌いになった要素がいくつかあると思う。
まず第一に、制度の問題。日本の公教育は、基本的に出来ない子に合わせざるを得ない環境であり、そもそも人間としての最低限の指導しかしてもらえない。加えてその基準は非常に低い所にありすぎて、子どもたちの学力すらもまともに測れない。物差しすら用意していない。当たり前のことが出来るだけでメーターを振り切ってしまう。そして相対評価の謎運用で無駄な不平等を生み出している。
そして先生の問題。先生の魅力というのは、学力だけでなく教育への熱意や広く言えば人間力など様々な観点があると思う。そしてその仕事の過酷さが度々話題になるように大変な仕事なのもわかる。
しかし僕が出会った先生は今思い出してもヒステリーなオバさんや脳筋が多く、学歴的にも大凡、他人に物を教える事ができるようなレベルではない。人間力含めたって精々小学生くらいにしか教えを説けるレベルになかったと思う。
考えてみれば、そこそこの学歴を持つ友人を見渡した時、高校の教員や大学教員になった奴はいても小学生の相手をしている奴なんて殆どいない。
そんなことを考えると、子供を私立の小学校に入れる選択肢を考える親の気持ちもわかる。ただ、個人的には小学校の時に悪かった友達が大人になって逮捕されたりしてるのを見ていると、人種の坩堝に身を投じて色々な人がいるということを理解するのも大事な気がする。
娘よ、そういうわけでパパは小学校が嫌いだった。お前が思ってるよりしょうもない大人が先生をやっているからな。そういうことにも一つ一つ気づいていきながら人生を歩んで欲しい。
子供の幼稚園のグッズ、レッスンバッグとか上履き袋などに名前をつけるために手縫いで名前を書いた布を縫い付けてたら
腰がむちゃくちゃ痛くなった
もともと裁縫は苦手で、ミシンでするより手縫いのほうがいいよね。ミシン苦手だし……と手縫いでやったけど不器用すぎて半日がかり
たま止めたま結びで躓くレベルだったので
毎回、縫い物する度たま止めたま結びの記憶がリセットされてできなくなる
でもYouTubeのおかげでたま止めたま結びはできるようになりました
腰がとてもいたくなって今寝込んでる
アイロンシートや裁縫上手の糊でくっつける方法もあるけど洗濯してはがれたらイライラするのは目に見えているのでぜったい縫い付け派なんだよな
割と自由の利く仕事をしていてちょっと縁があるアメリカの地方都市にいる。
もともと日本が大好きで他国に住むなんて有り得ないと思っていたが、子供たちを無痛でほいほいと出産してから居着いている。
子供たちは現地校に通わせているが日本人とも遊ぶし、駐在の人たちにも仲良くしてもらってる。
夏の一時帰国の予定を立てるにあたって去年都市部の実家に一時帰国した時の面倒くささが蘇ってしまった。
一時受け入れをしてくれた幼稚園、小学校の持ち物にサイズ指定があるのにまず驚いた。
上履き袋は横開きの240mm*140mmでマジックテープ、縦に吊るせる紐を付ける。上履き袋を壁のフックに効率よくかける為らしい。
芋袋も布で用意する。芋ほり体験の後にサツマイモを持って帰ってくるための巾着袋を布で縫う。
お昼寝布団はセットで自転車通園でも大きな袋を毎週よっこらよっこら抱えていかないといけない。
出羽守仕草をやらせてもらうが、アメリカの学校ではそういったものはない。
上履き袋は市販品でいいし、芋袋はガロンサイズのジップロックでいいし、お昼寝セットは市販のナップマットを丸めれば肩に掛けて歩ける。
日本でベビーカーを押していても邪魔にされたり、ひどい時は信号のない横断歩道でギリギリまで車を寄せられたりクラクションを鳴らされたりする。
駅のエレベーターは譲られるどころか並んでいる前に普通の人が次々と入り込み降車から5分10分とかかってやっとホーム階に行ける。
もちろん日本製のアップリカでサイズが邪魔になっている訳ではない。
アメリカで車をベビーカーに寄せたりするのは極悪人だしクラクションなんかしたら人非人扱いだ。
ヒーロー志向が良い方向に働いてエレベーターは並んでいても子連れが譲られるし段差があれば男女関係なく誰かしら助けてくれる。
日本で重く勝手に閉まるタイプのドアを開けてさあ入ろうという時に他の人が入ることはある。
勿論アメリカで開けたドアを他の人に譲ることは多くある。しかし必ず礼を言うものだ。
日本では半分以上の人がドアを押さえる私を無視して素通りする。私はドアマンじゃねえよ。
こくりと会釈か目礼する人で、ありがとうと声に出す人は滅多にいない。
街を歩いていてもテレビを流していても、それはどうなの?というソシャゲのCMばかり。
温泉むすめや雀魂が炎上したがどうもどちらの言い分も飲み込み兼ねる。
私も長らくオタクだったので表現の自由派だったが、日本の街のどこもかしこもアキバみたいなノリなのはきつい。
あんたもコンビニの外壁に貼られるならせめて親戚の家に行く時に失礼にならない程度の露出度の服を着なさいよ。
長々と書いたがアメリカ出羽守の戯言なので叩きたければどうぞ。
色々な肌や言語の家族がいるけど子供たちは普通にバスケやニンテンドーで遊んでいる。
遭遇するかしないかわからないアジア人差別より遭遇率の高いぶつかりおじさんの方が嫌。
日本での勤労と納税の義務は果たしているが子供たちが小さい内はあまり帰りたくない。
嫌なら帰ってくるなと言われるのはわかっている。
嫌だから帰りたくないな〜と思っている話。
今日、駅のホームで電車が来るまでベンチで待とうとしていたら、隅にトートバッグが落ちているのに気付いた
ホームには自分しかいなくて、持ち主はいないようだったので、改札までもっていくことにした
そうしたら、改札には「7時から12時」の文字があり、駅員さんはその時間しかいないらしい
「御用の方はこちら」と描かれたモニタ付きのインターフォンがあったので、押すとオペレーターのおっさんが出てきた
拾った場所を聞かれ、中身は靴と上履きっぽいサンダルだった旨を話すと、「ここで降りる予定ですか?」と聞かれ、「いや、今から電車に乗ろうと思っていました」と答えた
そうするとどこまで行くか聞かれて、「〇〇駅ですね」と教えると、「もしよろしければその駅の改札まで届けてくれませんか」とのことだった
その他のオプションはあるのか聞く勇気はなく、仕方なしに知らんトートバッグを抱えて、電車に乗った
そもそも知らん人のものを持ち歩くのは落ち着かない気持ちになる
それに、なぜおっさんが呪術回戦のトートバッグを抱えなければならないのだろう
上履きっぽいサンダルには男の子の名前が書かれており、駅そばの高校の男子高校生の荷物じゃないかと思われる
それなのに、15駅も離れた駅の改札に運ぶのは善い行いと言えるのだろうか
私が運んでいる間に失くしたと思った男子高校生が駅に取りに戻ったりしないだろうか
しかし、落し物は結局は遺失物置き場に集積されるだろうし、彼が駅に問い合わせた場合、基本的には遺失物置き場へ行くよう案内されるだろう
この行為は自己満足の類ではないかと悶々としながら、電車の中の時間を過ごした
彼が通っているかもしれない高校に電話して、もしこの名の生徒がいらっしゃったらみたいなことを言づけようかとも思ったが、結局それは彼が駅に問い合わせた場合の結果と何も変わらないのでやめた
目的地の駅で降り、改札で駅員に事情と拾った場所を話し、呪術回戦のトートバッグを渡した
「不謹慎ネタや事件で興奮が抑えられない件」(anond:20230207123046) を読んでいただきありがとうございました。
匿名ダイアリーやブックマークでいただいたコメントに返信していきたいと思います。
ブックマークにて私の年齢を推測するコメントがいくつか見られた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4732017395807396836/comment/Cunliffe
この増田は、昭和天皇が死んだときレンタルビデオ屋が空前の賑わいだったのを覚えてるんじゃないかなあ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4732017395807396836/comment/manFromTomorrow
年齢が気になる、40〜50代だろうか
https://b.hatena.ne.jp/entry/4732017395807396836/comment/wosamu
他多数
多くの方が私を40-50歳代(1970-80年代生まれ・団塊ジュニア/ポスト団塊ジュニア/就職氷河期)と考えているようだが違います。
もし私が40-50歳代なら、デレマス・シャニマスじゃなくて初代(765AS)か、百歩譲って続編のミリオンライブにハマっている。
記事でネタにした、オウムについて、この年の暮れに解散命令判決が確定したそうな。
(アレフとかひかりの輪とか山田らの集団とかが出てきてるけど)。
アイマスシリーズでも、年下のキャストはシャニマス(めぐる)にしかいない。
成田空港管制塔占拠事件も、昭和天皇の死直後のアレコレも、オウム事件も、実体験などなくすべてインターネットで知った。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4732017395807396836/comment/catan_coton
政府はあくまで「お願いベース」なのだから、「政府のお願いを聞くかどうかはこちらの判断」と考えている。
そんなにマスクしてほしいなら、自粛してほしいなら政府で義務化してみろ、その代わり金銭補償もセットな、と思っている。
アイマスライブなんかその典型例で、ノーマスクの入場拒否や途中で発覚した場合の退場処分をさせるとあります。
あと、コンビニやレストランなどではマスク着用の指示があります。
そこでは私もきちんとやってますよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4732017395807396836/comment/hironagi
変に抑えるより増田なり5chなりで吐き出しといた方がよさそう。
イスラム教はごく一部のカルトと違って大多数は何の問題もない人ばかりであり、彼らをネタにすることはできないと思っている。
(イスラム国とは別物。というか、一部が過激化するのはどの人間集団でもあること)
この他、個人的には、以下をネタにしたものは笑えないし、絶対にしてはいけないと思っている。
性別(sex)及び性自認(gender)・年齢・国籍及び人種/出身地・障害の有無やその種類・マイノリティ全般・憲法で定められた権利
(一般的には、法に反すること、本人が生まれつき持っているもの、身体に関すること、本人の力では変えられないものは一律不可)
あとは、時々面白い容疑者やインタビューが出てくるのが面白いと思っている。例えば
・しぇしぇしぇのしぇー
・「キィィエー」「私は森の妖精です」「今ならからあげクン1個増量中」
・(メイドカフェ勤務の女性が襲われたとき)「えーなんすか!?それは許せないと思います」
・逮捕時にせつ菜のTシャツを着ていた女子小学生の上履きの匂いフェチ
意外にも少ないんだね。こんだけ書いてるのに。
アイマスオタ厄介
厄介とは失礼な…別にUOグルグルもイエッタイガーもしてません。んなことしたらつまみ出されます。
つか設定ではなんか結構なおっさんになってるけど、実はそこそこ若い人か?
初代が入っていないのは、単に世代が合わないだけです。
やったことあるのはシャニマス・ポプマス・デレステのみで、アーケード版やコンシューマー版には手を付けていません。
屁理屈を申し上げれば、なんどでも笑おうなら(オンリーではないにせよ)初代のキャストもいますよ。
Mってなんすか?続編のミリオンライブですか?それとも男版のアレですか?
そういや、この前のライブ(Sunrich Colorful)では、高額な等身大スタンドが売られていたんですってね。買う人いたのかな?
ちなみに、アイマスのプロデューサーになったのは去年2月、「お願い!シンデレラ」のアニメMVを見たことがきっかけです。
ふと思ってアソビストアの購入履歴を見てみると、この1年で60,350円も使ってました。
(283プロ特製レッスンジャージとか、#cg_ootdのスニーカーとか、1つ1つが高いんだよね)
父親がDV男だったから、男への敵対心だけは昔から人一倍強かった。なんとかしていじめてやろうと思ってた。
力では叶わないなら、別のことで。
小学生の頃はよく男の持ち物を隠していた。上履き、鉛筆、ノート、ほかなんでも。幸い私は優等生だったから、全然怪しまれなかった。
父親に暴力を振るわれた日はなんとかして男を痛い目に合わせたい衝動が強くなって、上履きに画鋲入れたりちょっと危険なこともした。
どんな男でも男が困ってるとスカッとした。
中学の頃の男の先生は気に入らなかったので友達と嵌めて退学に追い込んだ。めちゃくちゃ楽しかった。
好きだと言ってきた男は酷い噂を流して加害者に仕立て上げて振った。めちゃくちゃ楽しかった。
全部父親への怒りを他の男を不幸にすることで晴らす為だった。
脳卒中で半身不随になった。
それどころか、将来どんな酷い評判の老人ホームに入れて虐待の憂き目に合わせようかとか、睡眠薬飲ませて思考を溶けさせようとか、そんなことしか考えられない。