2023-07-21

娘よ、パパは小学校が嫌いだった。

今年、娘が小学生になった。都内公立小学校に通っている。そんな娘に「パパは小学校しかった?」と聞かれて、僕は「楽しかったよ」と答えたけど、これはハッキリ言って嘘だ。

娘に変な先入観を持ってほしくないから、ポジティブに答えたけれどパパは小学校が大嫌いだった。正確には学年が上がるとともに制度先生が嫌いになっていった。

平成初期に生まれた僕は小学校3年生まで80年代に開発された所謂ニュータウンに住んでいた。比較若い住民が多く、大きな電機メーカー工場などが集積していたので、所得教育水準もそれなりに高かったのだと思う。小学校も開校20年程度だったと思う。好きな先生もいたし、友達ともよく遊んだ。指の皮が剥けるまでスマブラ64をしていたと思う。

その後、両親の離婚を経て、僕は母方の祖父母の家に住み、かつて祖母や母が通ったという小学校に転校した。明治時代からある古い学校だった。

カルチャーショック

この学校に転校した時は激しいカルチャーショックに見舞われたので一部ご紹介する。

1.男女でトイレが分かれていなかった。壁際に小便器がずらっと並び、その後ろには個室が並ぶ。要するに男子便所と同じ構造だ。そして、この個室には男子女子関係なく入る。ジェンダーレストイレが話題になった今となっては時代最先端なのかもしれないが、当時は本当に驚いた。

2.自転車に乗っていいのは小学4年生から自転車の解禁が小学4年生以降だった。何も知らずに毎日自転車乗っていたら、ある日学年集会でいきなり晒し上げられてルールを知った。

こういう一つ一つ、当時の自分が嫌なポイントが増えていったのだが、決定的だったのは先生の質の低さだ。

小学校先生たち

3年生当時

30歳前後/女性

とにかくヒステリーをよく起こす人で、どうでもいいことで一々叫び散らす先生だった。クラスで少し問題があるとなんでもかんでも集団責任と言い、一々放課後に全員で居残りさせられて迷惑だった。クラスいじめられている子がいて、僕は転校生クラスヒエラルキーの外にいたので、助けようとして喧嘩になったら怒られたり、その放課後に、このクラスいじめはありません!とか宣言しててこの人もうダメだと思った。毎日上履きに泥を詰められたりして、◯◯菌とか言われてる奴がいじめられてなかったらなんなんだろう。

4年生

40代後半前後/男性

この先生はかなり変なおじさんだったが、好きだった。いつも扇子を持ち歩き、教室に畳を敷いて、カーテンを簾に変えていた。将棋趣味将棋を教えていた。その先生から将棋を教わって将棋を始めたクラスメイトはその後、当時史上最年少で女流棋士としてプロになったのでその一点だけでも凄い人だと思う。

5,6年生

30代半ば/男性

この人はマッチョな見た目そのままの脳筋だった。子供ながらこんなに頭悪いのに学校先生になれるんだなぁ、と思ったものだ。悪気があるのか無いのかわからないが、事ある毎にうちが母子家庭であることをクラスで話し、当時は今ほどシングルマザー理解も無かった時代、そして土地柄。そのせいでクラスメイトやその親から「お父さんいないってどんな気持ち?」と聞かれたり、煽ってくる奴がいた。

決定的におかしいと思ったのが、成績の評価だった。大前提として、僕は公立小学校程度のテストならばどの科目も殆ど100点以外取ったことが無かった。年に1回の県統一学力テストでも成績は学年1位だった。そういうわけで国語算数理科社会通信簿は常に5段階中の5以外もらったことがない。

ところが、僕はこの先生に「3」を付けられたのだ。そして、自分より頭の悪い子が5を取っていた。この成績を見た母は「1学年1位の息子が何故3なのか?」と学校に問い合せた。実は当時、通信簿評価がそれまでの相対評価から絶対評価に切り替わった。先生曰く、生徒一人ひとりの成長を元に点数を付けることになったが、100点しか取らない僕は成長が見られないので中評価だという説明だった。

それに加えて、各科目の課題や授業に対する態度が悪いということ。具体的にはドリルとか問題集とか、その学期を通して行うべき課題最初の1週間で全部終わらせて提出したことが悪い、授業中騒いだり他のことをしたりするわけではないが、かと言って授業も真面目に聞いていないことも理由であったと。

全く意味がわからなかった。

学校簡単テストは100点以外取りようが無いのに、どうやって成長を示せばいいのか。簡単宿題を早く終わらせて一体何が悪いというのか。教科書を読めば一瞬でわかることを延々と説明する授業の一体なにを聞けばいいのか。僕は授業の邪魔することもなく、ただただ黙って大人しく時間が過ぎるのを待っていたのに。

ちなみに結局その後、試しに中学受験に向けた全国模試を受けたら偏差値は55~60くらいしかなくて、中学受験組の中では精々中の上程度だとわかった。そして日能研の「シカクいアタマをマルくする」とかい広告問題全然解けなかった。別に自分が頭が良いわけではないことを理解出来た。そして実際に市川という上の下くらいの中学校になんとか滑り込んだ、というのが僕の実際の実力だ。開成筑駒?渋幕?全然無理、って感じ。

何故嫌いになったのか

当時を振り返ると嫌いになった要素がいくつかあると思う。

まず第一に、制度問題日本公教育は、基本的に出来ない子に合わせざるを得ない環境であり、そもそも人間としての最低限の指導しかしてもらえない。加えてその基準は非常に低い所にありすぎて、子どもたちの学力すらもまともに測れない。物差しすら用意していない。当たり前のことが出来るだけでメーターを振り切ってしまう。そして相対評価の謎運用無駄な不平等を生み出している。

そして先生問題先生の魅力というのは、学力だけでなく教育への熱意や広く言えば人間力など様々な観点があると思う。そしてその仕事過酷さが度々話題になるように大変な仕事なのもわかる。

しかし僕が出会った先生は今思い出してもヒステリーなオバさんや脳筋が多く、学歴的にも大凡他人に物を教える事ができるようなレベルではない。人間力含めたって精々小学生くらいにしか教えを説けるレベルになかったと思う。

考えてみれば、そこそこの学歴を持つ友人を見渡した時、高校教員大学教員になった奴はいても小学生相手をしている奴なんて殆どいない。

そんなことを考えると、子供私立小学校に入れる選択肢を考える親の気持ちもわかる。ただ、個人的には小学校の時に悪かった友達大人になって逮捕されたりしてるのを見ていると、人種の坩堝に身を投じて色々な人がいるということを理解するのも大事な気がする。

娘よ、そういうわけでパパは小学校が嫌いだった。お前が思ってるよりしょうもない大人先生をやっているからな。そういうことにも一つ一つ気づいていきながら人生を歩んで欲しい。

  • パパには学校嫌いだけど、好きと言っとこ。

  • なんで子供に嘘つくの? 学校は楽しい場所じゃないこともあるんだからそういう話をしてあげないと。

  • 頑張って書いたんだねって感じだけどまあ釣りだよね

  • もし娘が学校やだ行きたくないなんて言い出したらこの話を教えてあげなよ 私は娘の立場だったんだけどさ、父も学校嫌いだったと知れたこと、学校が嫌いでもまともな大人にはなれる...

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