はてなキーワード: 聖人とは
起源が逆やろ。ビザンティン美術において単なる天使・聖人と一般人の区別として光輪が使われてた
その結果天使=光輪のイメージがついて定番の表現として使われるようになった
人が死んでも天使になるわけじゃない、キリスト教的世界観においても
この表現を多用している一番有名な漫画はおそらくドラゴンボールだろう
どこかで発想の飛躍があったのかな
気になるねえ、ぐぐりましょうねえ
天使に限らず聖人などを描いた絵画にも、聖人の後ろに光が差す表現が用いられたのだとか
天使に限らないのであれば以降は天使の輪じゃなくヘイローとここでは書くようにしておこう、ブルーアーカイブ風の呼び方
発想としては仏教の後光と同じか
まだ足りない
天使や聖人を描いた絵画→???→漫画的表現の死者を表す記号としてのヘイロー、間に挟まるものを探さないと
なんかこれだ!って情報がなかなかヒットしないな
勘だけど風刺画が間に挟まる気がするんだよな
天使や聖人を描いた絵画のパロディで、天使を例えば政治家に差し替えた風刺画みたいなのがどっかにあるんじゃないか
それが転じて死者の頭上にヘイローを用いるのが一般化したとか?
一応、英語圏のイラストで死者の頭上にヘイローがあるイラストはまあまああるっぽいが……
日本でもなんかドラゴンボール以前に死者の頭上にヘイローがある表現をした漫画無いかな
……手塚治虫がやってる気がする
あの人だいたい何でもやってるからな、あとで探すか
うーん、探し方が下手
wikipediaの「光輪 (宗教美術)」の「大衆文化における使用」の記述が少ないな
英語版だと……英語版の「Halo (religious iconography)」には大衆文化の項自体無いのか
うーんアメコミにもヘイローの使用あるかもだが、アメコミに詳しくない
ここまで調べたというメモ
なんかコレ!っていう本があれば読みたいんだが、この疑問をずばっと解決する文化史本は無いかもなあ
今週の『サチ録』、番外編15を読んだ結果
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こういう路線で調べていくのがよさそうか
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なぜ亡くなった人の頭上に「天使の輪」を描くようになったのでしょうかよろしく... - Yahoo!知恵袋
漫画の記号的表現としては昔からある定番スタイルですよね。 ディズニーのアニメにも、ヨーロッパのカートゥーン(cartoon)にも良く死者の記号として使われていますね。
人間は死ぬと天使になりますか | ものみの塔 オンライン・ライブラリー
アリーロという,まだ7歳の幼い女の子が亡くなりました。悲しみに打ちひしがれた両親は,柩に横たわる白いドレス姿の娘を前に,ぼう然としています。慰めようとして,神父がこう言います。「神様は,天使をもうひとりお望みになって,アリーロちゃんをお召しになったのです。幼子の魂は,今ごろ,神様のみそばで翼を広げて飛んでいますよ」。
死んだ人間の魂が天使になる,と信じている人は少なくありません。公式の教理として教えられることはまれですが,映画やテレビの連続ドラマでは,死んだ人が翼のある天使になって,生きている人を守る,という話がよく取り上げられます。
あなたはいかがですか。愛する人が死後に天使になると考えておられますか。聖書は何と教えているでしょうか。では,天使の本質について,また死んだ人の本当の状態について,聖書そのものが何と述べているかを調べてみましょう。
うーん、「死んだ人間の魂が天使になる」という発想は無いわけではないのか
それが転じて天使ではない死者の霊魂的な何かの頭上にもヘイローが描かれるようになった?
っていうかドラゴンボールつまみ食い的にしか読んだこともアニメを見たこともないんだよな
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ここら辺の本があるいは参考になるか
だいたい最終章は「現代における天使がどのような姿で描かれているか」みたいな話題だから、そこに期待が出来る
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英語圏の情報を探そうとしてもゲームの『HALO』ばっかり引っ掛かってやりにくいったらありゃしない
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そうだ、『トムとジェリー』で爆死したトムが雲の上でヘイローつけた状態で不満そうな顔してるってオチのエピソードがあった気がする
プレゼントボックスに入ったトムが針でめった刺しにされるシーンは涙なしでは見られない
やっぱり「死んだら天使になる」って発想がポップカルチャーである程度一般的に表現されていたようだ
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ってことは
天使や聖人を描いた絵画→死後に天使になる認識、またそれを表現したイラストやアニメ→天使ではなく単なる死者にもヘイローがつけられた
……か?
まだ足りないぞ
キリスト教の教義だと死んでも天使になるわけじゃない、それはカトリックだろうがプロテスタントだろうがエホバだろうが他の何かであろうがだいたい同じだろう
ヘイローは聖なるものの加護を表すからどんな死者でもヘイローは頭上に表れる?
でもトムは爆死して天使になっとるじゃろがい
まだまだ調べないと納得できないな
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ひょっとしたら演劇やミュージカル側の文化が関係している可能性もある
死者を表現する記号として頭の上にヘイローをのっけた衣装を着ていた……とか、あるかもしれない
一応留意して調べる事
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「池にコインを投げる風習はいつから始まったのか?」みたいなテーマでおととい調べて日記書いたときは、その風習を有名にした「Three Coins in the Fountain」っていうアカデミー賞受賞作品を見つけたんだよな
聖者の記号としてではなく、単なる死者の記号としてヘイローを使った何らかのヒット作品があったので一般化したみたいなキッカケがひょっとしたらあるかもしれない
しかしあんまりこの仮説に固執するのはよくないな、気長に探そう
あるとすれば19世紀後半以降くらいのはず
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そうか、調べるポイントが二つに分かれちゃったんだなあ
②漫画的表現で死者が天使となった描写→漫画的表現で死者に(翼など他の天使的要素抜きで)ヘイローのみが付与される描写となった転換点を探すルート
こりゃ大変だ、いったん追加調査ここまで
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次にやる事
→実は守護聖人の頭上にヘイローだけでなく、翼がはえているなどあったりするかどうか
:積んでるキリスト教入門みたいな本をさっさと読む
→なんもかんも体系的な知識が欠けているのが悪い
→でもなー、自分の興味の向き先は「キリスト教の教義はこういうものです」って知識じゃなくて「人々はキリスト教をこのように解釈して信仰していました」という知識なんだよなあ、基礎の勉強ってどうしても飽きちゃって
→第一次世界大戦は1914年7月28日~1918年11月11日、ちょうど探したい年代
:キリスト教的素養がない私がヘイローの描写を見たとき、それが宗教的な性質を持っているのかそれとも記号化したものなのかを区別できるのか?という点について考える
:そもそもヘイローがあって翼があったらそれは天使とみなしていいのか?「天使」って何?「御使い」って何?何もわからない、調べる
→基礎(略
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②についてだが「ゲームのドット絵でキャラが死んだことを表現するのにヘイローが便利で、ドット絵で翼を描くのが大変だったから省略された」という仮説を思いついた
流石にお話として出来すぎな気がする、この仮説は最終的に棄却することになりそうだ
しかし調べるとっかかりとしては魅力的
ヘイロー関係ないけど「ゲームで戦闘不能をどう表現するか?」というテーマを調べるのめちゃくちゃ楽しそう
また別の機会に調べよう
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「Heaven Cartoons」というジャンルの風刺画があるらしい
画像検索してみるとなるほど確かに天国で天使がなんやかんやする種類の一コマ漫画
いつ頃から描かれているかをちょっと調べてみたがなかなか難しい
Wikipediaの「カリカチュア」のページの「主な作家」の項に載ってる人の代表作を一つずつ見ていくしかない
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星新一がアメリカの一コマ漫画を蒐集してそれについてエッセイを書いた『進化した猿たち: The Best』をkindleで購入
権利関係の問題のせいかほとんど掲載が無くなってしまっているようだ
もっと挿絵を見たいから挿絵が載ってる物理書籍のほうを読まないといけないなこれは
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やっとひとつ見つけた
ざっくり言うと政治家が天に召されている様子の風刺画が1868年?1869年?に描かれた、ってところか
翼があり、ヘイローもしっかり完備
しかし余談だけれど死後4年後たってから風刺画が描かれていて不思議だ
なんか「天使になる」ってのは語弊があって「昇天するときに天使と同じ装いをする」という言い方の方が正確なのかもしれない
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トムとジェリー以前のオールドカートゥーンを片っ端から観ているが、天に召されるシーン自体を全然見つけることができていない
ところでチャップリンの『キッド』に天使が登場するシーンがあった
オールドカートゥーンの本当に初期の初期は紙の漫画をそのまま映像化したようなやつだったから、漫画の文脈だと思うんだけどな……
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『マーク・トウェインの天国建設の旅』という論文を見つけたが、これは読む価値がありそうだ
絵やイラストとして描かれていなくても天国に行くとヘイローと翼とハープが通行証かのように与えられる認識は当時の人々視点で昔からあったようだ
18~19世紀の文学作品で天国を描写しているものを探すべきだな
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Elizabeth Stuart Phelps Wardという人が書いた『The Gates Ajar』という宗教小説がアメリカで1868年に刊行されめちゃくちゃ売れたらしい
当時の人々の天国観に影響ありそうに見える
In contrast with traditions of Calvinism, Phelps's version of heaven is corporeal where the dead have "spiritual bodies", live in houses, raise families, and participate in various activities.
カルヴァン主義の伝統とは対照的に、フェルプス版天国は、死者が「霊的な身体」を持ち、家に住み、家族を養い、さまざまな活動に参加する身体的なものである。
とのこと(『The Gates Ajar』のwikipedia英ページより引用しdeepl翻訳)
うーむ、おぼろげに流れが見えてきた気がする
『マーク・トウェインの天国建設の旅』という論文の序文あたりに19世紀半ば以降に天国ものの小説が流行ったみたいなことが書いてあったが、その一因はこの小説な気がする
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そういえばこの日記メモには記述をしていなかったが、宗教美術におけるヘイローは写実主義の高まりによって19世紀までにほとんど衰退しているらしい
なので宗教美術において死者(例えば聖人、殉職者など)にヘイローが描かれたものがあったとしても、カートゥーンのヘイロー描写がその影響を受けているとはちょっと考えにくいのではないか
一度断絶しているのでは?という疑問を持っている
ヘイロー描写は一度衰退し、再び風刺画やカートゥーンなどで記号として便利なので復活したという前提で調べている
あー、いや……この前提本当に大丈夫か?自信ないな
19世紀のアメリカで人々が見ることが出来た美術や絵画はどのようなものだったのか?というのがわからないと正確なことは言えないな……
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自分が確認した限り、カートゥーンアニメで「死んだら天使の装いをして天に召される」表現をやった一番古いものは『トムとジェリー』の『ネズミ取り必勝法』
オールドカートゥーンを全て総ざらいして確認したわけではないからもっと古いのがあってもおかしくはない(アカデミー短編アニメ賞受賞作品すらすべて確認できていない)
幽霊は沢山出てくるんだけどねえ
『ネズミ取り必勝法』はアカデミー賞とる程度には人気だったので、カートゥーンにおける元祖でなかったとしてもビジュアルイメージ固定に大きく貢献したといっていいかも
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キリスト教の教義では死者は天使になるわけではない、という認識があった(今でもそうではある)
→19世紀半ばにスピリチュアルな小説が流行り、人々の天国観を変えた
→それは死後に霊的な体を持った死者が天国で現世と同じような生活を営むものだった
→たまたま印刷技術の発展とタイミングが同じで新聞の挿絵、風刺画、漫画などで聖人でもなんでもない普通の人の死者の絵が多く描かれるようになった
→死者に天使の装いをさせた風刺画、紙の漫画、カートゥーンアニメでビジュアルイメージが固定される(この時点ではヘイローと翼はセット、あくまで天使など聖なる魂的な存在(専門用語を適切に使う自信が無いので曖昧な表現)と同じ装い)
→日本でキリスト教の文脈が無視された記号的な描写がされ、ヘイローのみで死者を表す記号的表現となる
……という流れだという仮説を立てることが出来た
うーん、自信ない
「18世紀以前に普通の死者も天に召されるときは天使と同じ装いをするという認識があった」と言える材料を見つけることができていない
印刷技術が生まれる以前だと絵画にそこらへんの人が天に召される絵なんて描かれないんだよなあ
探すとすれば厳格な宗教者が教義通りに書いた本でなく、人々を慰撫する目的で教義からすれば不正確な内容が書かれた本みたいなのがあればあるいは……(というか、それが『The Gates Ajar』なのよ)
また、『The Gates Ajar』などの天国観を変えるイベントによって死者が天使の装いをするようになった、とある程度の自信をもって言えるような材料は正直見つけることができていない
しかし、とりあえず一定のレベルで納得は出来たからこの疑問はクローズ
25歳くらいまで、顔はそこそこいいだけの、ガチガチのコミュ障だった。というか童貞だった。
犬は好きだけれど、人は嫌いだった。見た目が可愛いわけでもないし、俺のことを嫌うこともあるし、扱いが分らない。
国語は得意だったけれど言語的なコミュニケーションが大の苦手。吃音も少し入ってるからとにかく自信が無かった。
父親は学者、恐らくASDが入っていて無神経で人の気持ちが理解できない。母親は専業主婦、やかんを定期的に焦がしてやっていることを忘れる軽度のADHD。
恐らくその両方の特性が俺にも入っていたんだろう。そして強迫性障害持ちでもあった。
それでも周りが優しかったり話しかけてくれたりコミュニティに入れてくれたのは、俺がそこそこ顔が良かったからだろう。
だからこそ、母親からうつったとにかく他人を否定から入るクセなどが無くなり、「一般人を模倣」することができた。
そして初めて彼女ができても、話もしたくないし、体にしか興味ないから結局フラれた。
根本的に人間に興味が無くて、もっぱらイラストの技術や哲学、世の中の自称を抽象的にまとめたり、他人の主張のアラをみつけて指摘することが楽しみだった。
自分にすら興味が無く、うっすらと人間全体に不信感を抱いていたけれど、性欲はあった。
マッチングアプリは正直性欲のために始めた。いろんな女とセックスしてみたかった。
だからこそ人間心理や営業方法を学び、メモをしまくり、成果が出てくると同時に相手の「気持ち」を学ぶきっかけにもなった。
どんなことを言ったら傷つくか、ここで学べた気がする。人間に対する恐怖心も無くなった。
犬嫌いが犬を飼って犬好きになるように、人間をうっすらと好きになるきっかけも与えてもらえた気になったのが28歳。
恐怖心はあったが、比較対象がフリーランスライター達とマッチングアプリ、親なので、皆聖人に見えた。
一重に自分がある程度コミュ力を身につけられたのは、性欲があって、顔が悪くなくて、ASDのパターン化の傾向、若さがあったからだ。
何度も書かんでいいぞ
■これまで2社のブラック企業を経験したんだが共通点が物凄く多くて驚いた(再掲)
そうと知らず有名大学出て入ってしまう新卒が不憫すぎる。言っとくけど、君らの同級生の多くがうちの会社と比較にならないくらいまともな環境で、うちの会社じゃほぼお目にかかれないくらい道徳的にまともな人達に囲まれて働いてるからな。)
ブラックな面に関しては、ネット上ですっかり広まってるような「ブラック企業あるある」では全然挙がらないようなものがかなり多かったのに、俺が経験した2社では色んな点で被ってたから本当に不思議だった。
鬱病休職者が出た時に「うわぁマジかあ……あいつ遂に障害者になっちゃったのかあ!!!」と顔を覆う同僚がいた点。
鬱病休職者が復帰した後、女性社員の一部が『挨拶されたこと』、『(仕事にまつわる)内線がかかってきたこと』を涙を流さんばかりに怖がって周りの同僚たちに慰められているという光景。
社内の常識的にメンタル休職=人の形をしたバケモノの誕生だった。
〇セクハラ
セクハラはブラックあるあるなんだろうけど、具体的な手口まで全く同じセクハラがいくつかあった。
同期飲みのときに、男性陣がニヤニヤしながら大人しいタイプの女同期に遠回しのセクハラ言動を投げかけてチキンレースする遊び。
ターゲットの女同期に対して白子ポン酢をさりげなく食べるよう勧めてその子が実際に口に入れるやいなや一人の男が「アッ‼あっ…ああ……」と射精っぽい声を挙げて他の男性陣が爆笑する、
「あの、ちょっといいですか?〇〇(AVメーカーや有名なAVのシリーズ)って知ってますか?」と他意のない風に問いかけてニヤニヤする、
これら二つのセクハラ手口まで被ってたのを見て自分がデジャブを起こしたのかと衝撃を受けた(もしかしてこれSNSとかで流行ってたのか?)。
言うまでもなく上司から若手女性社員に対するボディタッチとか、えぐいセクハラLINEとか、上司が女性社員たちだけを飲みに誘ってホステス扱いするとかもあった。
〇パワハラ
ポンコツ社員をみんなの前で立たせながら、あるいは別室に移動して1~2時間大説教。
大説教の最中はまるでその場で何事も起こっていないかのように完全に黙り込んで仕事を続けていた周りのみんなが、上司とポンコツ社員が離席したタイミングで爆発したように湧き上がって『ヤベえぞ!!ヤベえぞ!!(笑)』と最高に楽しそうに盛り上がる点、
パワハラといえばあの人!みたいな社員がたくさんいて、彼らが他の社員から顰蹙を買うということはなく、むしろパワハラ被害とは無縁でいられている社員たちが皆「あの人俺にはすげえ優しいんだよな」と誇っている点、
『おめえぶっ殺すぞ!!』とか『てめえの親ここに呼んで来いよおおおおお!!!』とか一発アウトを通り越してるような異常言動が出た時は周りが完全に同じタイミングで「ガーッハッハッハハハwww」と大爆笑することで冗談の体を守り通そうと忖度する点、
これらは共通してた。
とか
「あいつはこうこうこういうミスして何やってももう怒鳴られるようになったんだぞ(笑)」
とかレクチャーして心を掴もうとする連中がたくさんいる。
〇会議
発言を求められた社員が頓珍漢なことを言うというか、10文字くらい発声したタイミングで揚げ足取ったりツッコミ入れたりして発言を完遂させない。
例えば
社員「それに関してですg」
上司「いや、それってなんだよ(笑)どれ?これのこと?これはボールペンだよ?そんなこと聞いてませんよ?(笑)それともこれ?これは手帳ですよ?(笑)」
とかマジでこんな感じ。
凄い強引に笑い物にする。で、周りの社員が「ガーッハッハッハハハwwwwww」と大爆笑して和気あいあい風を演出するまでがワンセット。
(ていうか、全く同じタイミングでそこにいる皆が一斉に大爆笑し始めるのって某巨大新興宗教団体もそうだけど、 あれってマジでなんなんだろ)
嘱託社員に対して「おめえ今日も座りにきたの?」とか「あんた何言ってんのかわかんねえよ」とか課長や次長が率先して喧嘩売りに行ってた。
『パワハラモンスターみたいな先輩社員や上司にどれだけ好かれているか』
が今後の出世のバロメーターになるみたいな地獄みたいな認識が共有されていたので、なるべく目立つようにフロア中に響き渡るような大声出して自分の親と同じくらいの年齢の嘱託社員をめちゃくちゃに罵倒して侮辱するキレ芸に走る奴が何人かいた(恐ろしいことに、こういうことやる若手や中堅が本当に出世していってた。まあ基本的に年功序列だから誤差みたいな違いだけど)。
ウソみたいだけど、これまであげた様々なブラック面、かなり具体性があるのにもかかわらずどっちのブラック企業でも共通している点だった。
2社目に入ってしばらくは「また同じような会社を引き当ててしまうなんて俺はなんて運がないんだ」と愕然としたけど、やがて「こんな都合よく似通うものなのか?これって本当に偶然なのか?」と疑うようになった。
つまり、遺伝子と形質の関係のように、会社を近似のブラック環境たらしめる何かがあるんじゃないかと思うようになったのだ。
それがなんなのか探り当てることはできていないのだが、何かヒントになるものが潜んでいるかもしれないので2社間の細かい共通点を列挙していこうと思う。
こんなブラック企業はごめんだ、絶対に人生で関わり合いたくないという人の参考になれば幸いだ。
・平均年齢45歳(毎年多少の変動はあるけどまあこのくらいだった)
・平均年収800万弱
職場公認のサンドバッグみたいな立場の人だと年収700万で頭打ち。順調に出世すれば50歳くらいで年収950~1000万くらい。
平時だと8時出勤20時退社がデフォで繁忙期だと23時退社。年1回特定の短期間だけ27時退社がデフォになる人はいた。残業代は月30時間までつく。
あくまで平均なので、かなりレベルが低い大学の出身者も結構いた。一方で上振れはあまりなくて早慶以上出身者は少なかった。
・女性社員がナチュラルセクハラ以外ではめちゃくちゃ大事にされている
どんなパワハラ怪物も女性社員には猫なで声でめちゃくちゃ優しく接していたし、産休育休取得は余裕だし、定時退社がデフォだった。
だから寿退社する人はそんないなくて、30~40代(10~20年選手)の女性社員がめちゃくちゃ多い。
(ゆえに女性社員の多くはパワハラ上司がどんなに暴れていようとビビッていなかった。「〇〇ちゃんまた大暴れしてたね~(笑)」とかキャラ化して人間模様を楽しんでる感すらあった)
無論、早出の部分には残業代はつかないし、恐ろしくてつくかどうかを尋ねたことすらない。
多分、実際に訊いたとしたら訊いたという行動自体が罪になって一気に社内カースト最下位になったと思う。
・社員の大半が既婚者
・離職率がめちゃくちゃ低い(平均勤続年数20年軽く超えてた)
・今後50年はまあ潰れない
・「うちの会社ほど悪い人がいない会社はなかなかない」と言い合っている
・「社名 ブラック」とか「社名 パワハラ」とかでググっても全然醜聞が出てこない
・髪型とか身に付けている小物とかを工夫して、外見を意図的に昭和っぽいヤクザに寄せてきてる役職者がポツポツいた。
でも学生時代本当に本職顔負けの武勇伝に溢れてた人が中央法とかに行ってお行儀よく新卒で固い会社に就職して~、みたいな人生行路を歩むはずがないのでゴッコなんだろう。
となると40代、50代にもなってまだ精神性が中高生並みということになってしまう。
【追記】
しかも給料は悪くない会社みたいだから、下手したらこの手のセクハラ・パワハラしている人が、社会的に立派な肩書きを持っていることになって、許容されていると思っちゃうわけだから。
天下に轟く大企業!!とかでは全くないけど、親なんかは「(手堅い、安心という意味で)いい会社に受かったねえ」と安心するし、住宅ローンの審査は超余裕で通るし。
それだけに、中に入ってから異常性が炸裂している様をありありと見せつけられて大ショックだった。あとそこに関して自浄作用が全く働いてなかったのも絶望的だった。
付け加えておくと、社員が100%異常者ってわけじゃ決してなくて、(あくまで俺基準だと)40%くらいまともな範疇に入るような人だった。それこそ人格的に優れていて仕事もできて~みたいな聖人みたいな人は2%くらいいた。
ただ40%くらいいる”まとも”な社員たちも、パワハラには加担しないまでも、目の前で繰り広げられるパワハラを苦笑いで見守り、ひと段落ついた頃にパワハラ加害者に対して「ずいぶん怒ってたね~(笑)」とか調子は合わせるし、まあ傍観者のスタンスでいた。
聖人みたいな人はというと、異常社員もパワハラ被害者もイジメ被害者も分け隔てなく慈しんでいて、全員で仲良くやりたいみたいなタイプだから、パワハラの最中は悲しそうにしていて、終わったあとはタイミング見計らって被害者のとこいって慰める程度にとどまっていた。
従って、自浄作用は働きようがなかった。
で、残り60%の「普通じゃない人」はさぞかしキチガイ極まってると思われるだろう。
確かに彼ら彼女らは間近で行われているパワハラを完全に余興のように楽しんでいたし、時に「あいつ(パワハラ被害者)朝眠い眠い言ってましたよ?ここは一発指導したほうがいいんじゃないっすか?(笑)」とか上司を煽ってパワハラ誘因するときすらあったし(上司のほうも「ほんと~?(笑)じゃあやっとかないとね(笑)」とか冗談めかしてにこやかに返していたのを見るに、マジで当事者はエンタメとして楽しんでたんだと思う)。
ただ、彼らはどっからどう見ても外形的にはまともの中のまともだった。
30歳過ぎても高校や大学時代の仲良しグループたちとBBQ行ったり、家族ぐるみで川に遊びに行ったり、完成した新居に呼んだり呼ばれたり~みたいな、キチガイでは到底築きえないような人間関係の輪を彼らは持ってたし、加えて彼らの多くは良き家庭人・良き父親であった。
マジモンのキチガイや性悪でも友達は作れるけど社会に出ると同時にフェードアウトされるのが普通だと思うし、30歳過ぎてまで家族ぐるみの友人付き合い維持できるなんて人格破綻者ではないことの証明だと思う。
じゃあ、なんで彼らが会社では異常者や異常空間形成の共犯者に化けてしまうのか不思議なところだが、俺は彼らの社会性の高さが原因じゃないかと疑ってる。
武士がお家を守ることにアイデンティティを抱いていたように、彼らは習性として自分が属するコミュニティの様態や安定性を維持することに全力を注ぎ(告発や改革などもってのほか)、結果として”会社共同体ではキチガイなのに非利益共同体では良き隣人”という矛盾を孕むことになったんじゃないかと。
となると、会社という”器”それ自体がキチガイ性や異常性でもって均衡が保たれてるのかって話になるけど、もしかしたらそういうオカルトじみた現象ってあるのかもしれない。
現世の天下の民が困窮しているようでは、この国は滅びてしまう。政治を担うには相応しい器ではない小人どもに国を治めさせておけば、災害が次々と生じてしまうと、昔の聖人は、後世の人々に強く言い残している。
徳川家康公も「善い政治とは、身寄りもない人たちに対して、もっとも深い哀れみを掛けてあげることだ」と言われた。
ところがどうか?
これまでの240~50年もの間、戦乱はなかった。しかし、社会の上層部の者たちは、贅沢の限りを尽くすようになってしまった。
大事な政策を担う役人たちは、公然と賄賂を贈ったり、賄賂を受け取ったりしている。
そのくせ、自分たちが支配している民、百姓たちからは、重い税を取り立てている。
ただでさえ、重い年貢や賦役に苦しんできた多くの人々は、このような無体な強要に追いまくられ、出費がかさみ、貧困に苦しめられるようになってしまった。
民の恨みに呼応して、天も怒っている。
近年、地震、火災、山崩れ、洪水等々の自然災害が頻発するようになった。
そして、ついに、食糧危機までもが発生してしまった。 これぞ、天が下している深い戒めである。
ところが、上層部は、この天の戒めの意味に気付いていない。器が小さく奸計ばかりをめぐらす輩たちが政治を牛耳っている。
下々の民を彼らは悩ませ、米や金銭を取り立てることばかりに熱中している。
目の前で起こっている天災や天罰を見ても畏れ入ることもなく、餓死寸前の貧民や乞食を救おうともせず、山海の珍味を食し、妾宅に入り浸たり、揚屋や茶屋に高位の武家の家来たちを招待して、高価な酒を湯水のごとく飲んでいる。
多くの人々が難渋しているのに、絹の着物を着て、芝居の役者や芸子たちを引き連れて、世の中が平穏であるかのように、つまり、危機状態にあることを知らぬげに、歓楽にふけっている。
なんたることか。
これでは、昔、紂王が連夜、酒宴を催していたという故事そのものではないか。
いま、奉行や役人たちが緊急に取り組まなくてはならない事態は、自分たちならできる政治力でもって、これら不届きな輩を取締り、下々の庶民を救うべきではないのか。
彼らは、それができなくて、堂島での相場にのめり込み、録をかすめ取ることばかりしている。
このような役人や商人たちの所業は、天道や聖人の御心に叶うはずはなく、天は、許してくれないだろう。
いままで、じっと我慢していた私たちは、もはや我慢することに耐えられなくなった。
私たちには、湯王や武王の威勢はなく、孔孟の人徳もないが、天下のために、親類縁者に被害が及ぶことも厭わず、この度、有志で話し合って蜂起した。
そして、彼らが隠し持っている金銀銅貨、あちこちの蔵屋敷に保管されている扶持米を運び出して、人々に配る。
人に言ったら困った顔をさせてしまうからあまり口には出さない。
検索すると、自己肯定感がどうとか、うつ病の症状だとか、いろいろ言及されている。
答えは無理矢理まとめりゃ大体「前向きになれ」。
しんだ方がマシだとは思えない。
しのうとも思えない。
生きてても死んでてもどっちでも変わらないと思う。
いてもいなくても社会に影響はないから、他人に迷惑かけないようにひっそり息をしてる、それだけ。
CMで、使えないからゴミなら使えるようにすればゴミじゃないと言っていた。
それなら使えるようになればいいかなと頑張ってみたこともある。
結果、使えるゴミが育っただけだった。
汚いゴミ箱は人に迷惑だからなるべく身の回りはきれいにしている。
いつか回収されるなら、それもいいかなって思う。
人に話を聞いてもらえなくても、自分がゴミだと思っていれば「まあゴミの話は聞かないよな」で終わる。
親切な人がいればゴミの扱いさえも丁寧な聖人に見えるし、自分の周りで関わってくれる人たちのことまで汚さないよう迷惑かけないよう過ごしてる。
自分がゴミを捨てるとき同族意識が募るから、物を大切にするようになった。
使い捨てのものはあまり使わなくなって結果ゴミは減ったから、環境にも優しくできているのかもしれない。
ゴミと人間を比べても意味がないから、他人と自分を比較することもなくなった。
他人の感情やライフステージの変化にダメージを受けることもない。
とりあえず細々と誰の迷惑にもならないよう過ごしている。
頼まれれば地域の活動にも参加して、仕事だけこなして帰ってくる。
誰かに褒められることもないけど誰かに誹られることもない(と思う)。
というより、そこまで興味を持たれていないと思う。
俺もADHDだけど、とてもそういう態度にはなれないな。
そこにつけこんで好き放題通してきそうな奴については周囲の評判を確認してから「貞子VS」とか「ゴジラVS」みたいなノリで普通の人から見たら怪獣大戦争になっちゃうような形で喧嘩してきたけど。
クソだと思った奴は同じくクソ扱いされている自分が潰す、それが自分にできるせめてもの社会貢献だと信じているから。
一方的に他人をクソ扱いして、自分は病気なだけのご立派な聖人だと思いこんでいる一部のADHDが本当に嫌いだ。
自分が今まで潰し合ってきたクソの中にもきっと沢山いるんだろうな。
生まれつき社会に適合できないなら適合するために努力するしかないじゃん。
強くなれよ。
「絶対の権利者である原作者が蔑ろにされた!」って受け取るとこまでは良いんだけどさ、
なんでそこから、
「自分こそが真犯人をコテンパンにブッ叩く正義の使者だ!」に飛躍するんだよ?
原作者は「誰か個人を責めたいわけじゃない」ってメッセージを残してるんだぞ。
そうじゃなくても、人が亡くなってるのがわかってて犯人捜しを続けるって、「もうそういうこと」だろ?
しかもなぜか「正義感」に駆られて、悪いことをしてる自覚すらない。
イカレすぎだろ。
どういう脳みそなんだ。
そんな目的でコメントし続けてる奴に、誰かを責める権利なんてある訳ないだろ。
普段おまえらが馬鹿にしてるX(Twitter)ですら、「これ以上個人攻撃するのはゴミすぎる」って了解が当然のように広まってるぞ。
なのにはてブでは「誰々叩き」が正当な行為かのように、活動歴の長いユーザーが当たり前のように続けてる。
異常だよマジで。
自分ではコメントしてなくても、誰かが脚本家を責めてるコメントに、ニヤニヤしながらスターをつけまくってる。
なんなんだよこいつら。
だから「落ち着こう、頼むから冷静になってくれ」って趣旨の投稿がいくつもされてるのに、
それにすら「無理筋擁護」「論点ずらそうと必死」「どんな読解力?」とか半笑いでコメントしてる。
お前らこそどんな読解力だよ。
その命題に従ってみんな文章を書いてるのが、なんで理解できない?
お前ら、糞フェミとか糞ウヨとか、もはやそういうレベルですらなくなってるぞ。
あっという間に底が抜けてる。
「騒動の最中に人が死んでる」のに、匿名ですらない場所で、新たな死者を出そうとコメントし続けてるんだぞお前らは。
そんなつもりはない、無自覚だというなら、それこそ終わってる。
海外のネットと違って、コイツらは麻薬すら使わないでこの有様なわけだろ。
マジでどうなってるんだ。
茉莉花べにこ@beniko71
マルフォイ役のせいで、学校では卵をぶつけられカッター刃入りの手紙を渡されるなどのいじめを受け、成人してからも子供達から定期的にアンチレターをもらうも、それに対し「良い子でいないと魔法をかけるぞ!」と直筆で返信するトム・フェルトンは聖人、よってスリザリンに1億点を与える!!!
JiggyICE@FF14民香水沼でMHWに回帰中@Jiggy_ICE
この人壮絶よ…幼少期の悪役は外でも悪役として扱われるせいか、この人アルコール依存症にまでなってたんよ。
でも日本って役と人を別けるのが当たり前だから、熱烈に歓迎されてからこの人心を取り戻したの有名な話し。
それ以来、震災とかあるとチャリティーやったり都度助けてくれるのよ。熱い男や。
そう信じたいけど日本では差別をするドラコ・マルフォイを「性格の悪い嫌な奴」程度にしか考えてないからってのもあると思う、、、ハッキリと「汚れた血」と発言してるし純血主義のレイシストなんだけどフォイ!でネタ化してるから受け入れられてる所も大きいと思えて仕方がない
その後マルフォイとハリーは和解するし息子同士も親友になるけど、あの時の差別は確かにあったんだよ。人はやり直せるって言うけどあの時の謝罪はハーマイオニーにしただろうか?僕は原作読んでるけど無かったような気がするんだけどな
ディズニー+に入ったので小さい頃に観たディズニー作品を再履修している。何せ記憶がほとんどないので、改めて見ると新しい発見が色々あって楽しい。タイトルだけ知ってて中身を見たことがない作品もいい機会だから見ることにした。
・開幕から大嘘のミュージカル。コウノトリが方々へ飛びながら「世界中に赤ちゃんを運ぶよ〜〜」みたいなことを歌う
・ダンボ母ではなくダンボにいたずらした子どもの方を投獄してほしかった。裁判なら勝ってた
・メス象たちの陰湿さがラインを超えてる。保健体育をコウノトリでぼかすなら倫理にもモザイクをかけてくれ
・労災が発生している
・この京劇メイクのダンボだけ記憶にある。やっぱり見たことあるっぽい
・ダンボがお母さんに会いに行って鼻だけでスキンシップ取るところあまりに悲しすぎて泣いてしまった。愛情だったり名残惜しさだったりを鼻の動きひとつで表すのがうますぎる。うますぎるがこんな悲しいことに世界屈指のアニメーション技術を使わないでほしい
・ダンボが未成年飲酒してシャボン玉で遊ぶシーン、母親が投獄されて以来初めてダンボの笑顔を見たかもしれない。できれば酒以外の福祉を頼ってほしかった
・信じられない映像が流れてきた
・自分が知らないうちに薬をやって幻覚を見たのか、ディズニーが薬をやった時の幻覚みたいなアニメを描いたのか、未だに判断がつきかねている。でもディズニーがあんなアニメを描くわけがないから自分が薬をやったんだろうな
・ダンボがサーカスで好き放題やるくだり、ただ嬉しくて拳をぎゅっと握りしめてしまった
・ダンボ母にまた会えてよかった。あのまま今生の別れになったらどうしようって心配してたからちゃんと命があってよかった
・初見
・ジャックがカリスマ。登場時は「ナナフシすぎる」と思ったのに歌と動きであっという間に魅了された
・サリーを作った博士、何度も毒を盛られるし毎回律儀に引っかかってぶっ倒れる。勉強のできるアホ
・キラッキラのクリスマスシティに迷い込んで「なに!?」「なぜ!?」を連発するジャックがとてもかわいい
・ジャックのうろ覚えのクリスマス、全部間違ってて愛おしい。0点だけど花丸あげたい
・地獄みたいなクリスマスをやらかしたジャック、死ぬほど凹んだあと「……まぁいっか!」「頑張ったし!」「貴重な経験だった!」と信じられない切り替えの早さを見せる。キツめの不動産営業とかやらせた方がいいメンタル
・サンタを早く元の場所に返して適切なカウンセリングを受けさせてほしい。PTSDになっちゃう
・最後にジャックのやらかしをサンタが全部尻拭いしてくれる。拉致られて拷問までされかけたのに。サンタクロースってもしかして聖人なのか?
・初見。たぶん家にあったけど実写は大人が見るものだと思って観てなかった
・写真と絵の中間みたいな不思議な背景。写真にしては幻想的だし、絵にしては立体的でずっと見てしまう
・メリーポピンズ、セリフのひとつひとつが格言めいている。日めくりカレンダーとかにしたい
・魔法が日常と隣り合ってる感じがいい。メリーポピンズが勿体ぶらずにひょいっと魔法を使うので、自分でもひょっとしたら使えるんじゃないかと錯覚する
・この歌って踊れる職業不詳の山寺宏一はバートという名前らしい
・メリーゴーランドの馬がコースアウトして駆け回るのとか、煙が階段の形になって登れるようになるのとか、現実のちょっと先に補助線を引くような魔法が一番ワクワクする
・楽しいことをいっぱい知ってて何でもできるけど風向き次第であっさり消えてしまいそうな女、もし思春期に出会ってたら多分まともな恋ができなくなってた
・銀行に呼び出された堅物ダディが急に奇行のギアを上げてきたのでびっくりした。みんなもびっくりしてた
・死を起点としたピタゴラスイッチで急に全てがうまくいってしまった
・「いい乳母は感情に惑わされない」と口に出しながら表情が感情だらけなメリーポピンズ、とてもいい
・初見
・ハデスに相対する神々、全体的に陽キャすぎてオタクが一人もいないテニサーの新歓に迷い込んだような居心地の悪さが伝わってくる。言っても伝わらないジョーク、ポジディブで大味なコミュニケーション、ちらちらと刺さる怪訝な眼差し。悪かったよ。こんなとこ来るもんじゃない。カビ臭い文化部棟に帰らせてくれ
・少年ヘラクレス、シンプル厄災。力が有り余りすぎて「あっ」「やべ」「あー」ぐらいのテンポで街が滅んだ
・教えを仰ぐ武道の達人がスケベなパターンってドラゴンボールやナルトでもあったけど確かに強いやつがスケベだともっと強そうに見えるな
・なんか色気のとんでもない女性が出てきた。ヴィランかヒロインかどっちだろうと思ってたらヴィランでありヒロインだった
・ディズニーヒロインは初恋しかしないって先入観があったけど、メグにはしっかりと元カレがいるしなんなら男に捨てられた経験もある。斬新だしこの設定でないと出せない味があってすごくいい
・言うなれば飛んだ元カレの借金を返すために昼はパチ屋のコーヒーショップで、夜はスナックで、朝はコンビニで終わりなく働き続ける女のようなくたびれと諦めと、それでも損なわれない根っからの美しさがある。そこへ朝練のパン買いに来た体育大生が絡みに行ってあしらわれてる感じ
・ヘラクレスのガタイで誤魔化されてるけどこれっておねショタの構図なのでは?
・この擦れてて屈折してて色気で窒息しそうなのにどこか幼くて放っておけない声は誰なんだと思って調べたら工藤静香だった。今日からファンになる
・もうメグのことしか考えられない
・メグ……
・ヘラクレスがボコボコになる展開、少年漫画だったら主線が筆ペンになってる熱さ
・デカい戦いが終わって話も終わると思ったら死者の国を第2ステージに話が展開して最高だった
・メグの元カレのこと許せなかったけどあいつもこの死人洗濯機のどっかでグルグル回ってんのかなと思ったらちょっとだけ気が晴れた
・メグ、幸せになってくれ
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前回はこれ
https://anond.hatelabo.jp/20240126051251
続き物にすると匿名っぽくなくなるかもしれないから迷ったけど、作品のおすすめもいくつかもらってたし感想を誰かに共有したくて結局書いてしまった。
またいくつか観たら書きにくるかもしれない。
ヒカキンが聖人と呼ばれているのは、どいつもこいつもYoutuberがスキャンダルを起こす中、かなりの古参&大御所Youtuberでありながらスキャンダルをほぼ起こしてこなかったヒカキンのあり方に対する評価だからなぁ。