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はてなキーワード: 異変とは

2021-03-25

酒が飲めない

成人してちょっと経ったが、自分でも驚くくらい酒が飲めない。

こんなに飲めない人見たことないくらい飲めない。

元々苦い味が好きじゃないから、アルコール独特の後味が好きではないのもある。

でも、ほぼジュースでしょ!みたいな扱いをされてるほろよいなどの酒でさえ、飲むと体に異変が起こる。

酒を飲むと10分後にお腹がギュルルと鳴り始め、すぐに下痢っぽくなってトイレから出られなくなってしまう。そして、下痢が治まると、顔から血の気が引いていく感覚がして、原因不明の腹痛が3時間くらい治らない。

自分以外にこんなに弱い人見たことないんだけど、こういうの起こる人いない?

まりにも酒が飲めないか人生不安になってきた。

2021-03-22

孤島

私はまだ三十にもならぬに、濃い髪の毛が、一本も残らず真白まっしろになっている。この様ような不思議人間が外ほかにあろうか。嘗かつて白頭宰相はくとうさいしょうと云いわれた人にも劣らぬ見事な綿帽子が、若い私の頭上にかぶさっているのだ。私の身の上を知らぬ人は、私に会うと第一に私の頭に不審の目を向ける。無遠慮な人は、挨拶あいさつがすむかすまぬに、先まず私の白頭についていぶかしげに質問する。これは男女に拘かかわらず私を悩ます所の質問であるが、その外にもう一つ、私の家内かないと極ごく親しい婦人丈だけがそっと私に聞きに来る疑問がある。少々無躾ぶしつけに亙わたるが、それは私の妻の腰の左側の腿ももの上部の所にある、恐ろしく大きな傷の痕あとについてである。そこには不規則な円形の、大手術の跡あとかと見える、むごたらしい赤あざがあるのだ。

 この二つの異様な事柄は、併しかし、別段私達の秘密だと云う訳わけではないし、私は殊更ことさらにそれらのものの原因について語ることを拒こばむ訳でもない。ただ、私の話を相手に分わからせることが非常に面倒なのだ。それについては実に長々しい物語があるのだし、又仮令たとえその煩わずらわしさを我慢して話をして見た所で、私の話のし方が下手なせいもあろうけれど、聞手ききては私の話を容易に信じてはくれない。大抵の人は「まさかそんなことが」と頭から相手にしない。私が大法螺吹おおぼらふきか何ぞの様に云いう。私の白頭と、妻の傷痕という、れっきとした証拠物があるにも拘らず、人々は信用しない。それ程私達の経験した事柄というのは奇怪至極しごくなものであったのだ。

 私は、嘗て「白髪鬼」という小説を読んだことがある。それには、ある貴族が早過ぎた埋葬に会って、出るに出られぬ墓場の中で死の苦しみを嘗なめた為ため、一夜にして漆黒しっこくの頭髪が、悉ことごとく白毛しらがと化した事が書いてあった。又、鉄製の樽たるの中へ入ってナイヤガラの滝たきへ飛込とびこんだ男の話を聞いたことがある。その男は仕合しあわせにも大した怪我けがもせず、瀑布ばくふを下ることが出来たけれど、その一刹那せつなに、頭髪がすっかり白くなってしまった由よしである。凡およそ、人間の頭髪を真白にしてしまう程ほどの出来事は、この様に、世にためしのない大恐怖か、大苦痛を伴っているものだ。三十にもならぬ私のこの白頭も、人々が信用し兼かねる程の異常事を、私が経験した証拠にはならないだろうか。妻の傷痕にしても同じことが云える。あの傷痕を外科医に見せたならば、彼はきっと、それが何故なにゆえの傷であるかを判断するに苦しむに相違ない。あんな大きな腫物はれもののあとなんてある筈はずがないし、筋肉の内部の病気にしても、これ程大きな切口を残す様な藪やぶ医者は何所どこにもないのだ。焼やけどにしては、治癒ゆのあとが違うし、生れつきのあざでもない。それは丁度ちょうどそこからもう一本足が生えていて、それを切り取ったら定さだめしこんな傷痕が残るであろうと思われる様な、何かそんな風な変てこな感じを与える傷口なのだ。これとても亦また、並大抵の異変で生じるものではないのである

 そんな訳で、私は、このことを逢あう人毎ごとに聞かれるのが煩しいばかりでなく、折角せっかく身の上話をしても、相手が信用してくれない歯痒はがゆさもあるし、それに実を云うと私は、世人せじんが嘗かつて想像もしなかった様な、あの奇怪事を、――私達の経験した人外境じんがいきょうを、この世にはこんな恐ろしい事実もあるのだぞと、ハッキリと人々に告げ知らせ度たい慾望もある。そこで、例の質問をあびせられた時には、「それについては、私の著書に詳しく書いてあります。どうかこれを読んで御疑いをはらして下さい」と云って、その人の前に差出すことの出来る様な、一冊の書物に、私の経験談を書き上げて見ようと、思立おもいたった訳である

 だが、何を云うにも、私には文章素養がない。小説が好きで読む方は随分ずいぶん読んでいるけれど、実業学校の初年級で作文を教わった以来、事務的手紙文章などの外ほかには、文章というものを書いたことがないのだ。なに、今の小説を見るのに、ただ思ったことをダラダラと書いて行けばいいらしいのだから、私にだってあの位の真似まねは出来よう。それに私のは作り話でなく、身を以もって経験した事柄なのだから、一層いっそう書き易やすいと云うものだ、などと、たかを括くくって、さて書き出して見た所が、仲々なかなかそんな楽なものでないことが分って来た。第一予想とは正反対に、物語が実際の出来事である為ために、却かえって非常に骨が折れる。文章に不馴ふなれな私は、文章を駆使くしするのでなくて文章に駆使されて、つい余計よけいなことを書いてしまったり、必要なことが書けなかったりして、折角の事実が、世のつまらない小説よりも、一層作り話みたいになってしまう。本当のことを本当らしく書くことさえ、どんなに難しいかということを、今更いまさらの様に感じたのである

 物語の発端ほったん丈だけでも、私は二十回も、書いては破り書いては破りした。そして、結局、私と木崎初代きざきはつよとの恋物語から始めるのが一番穏当だと思う様になった。実を云うと、自分の恋の打開うちあけ話を、書物にして衆人の目にさらすというのは、小説家でない私には、妙に恥しく、苦痛でさえあるのだが、どう考えて見ても、それを書かないでは、物語筋道すじみちを失うので、初代との関係ばかりではなく、その外の同じ様な事実をも、甚はなはだしいのは、一人物との間に醸かもされた同性恋愛的な事件までをも、恥を忍んで、私は暴露ばくろしなければなるまいかと思う。

 際立きわだった事件の方から云うと、この物語は二月ふたつきばかり間あいだを置いて起おこった二人の人物の変死事件――殺人事件を発端とするので、この話が世の探偵小説怪奇小説という様なもの類似るいじしていながら、その実甚だしく風変りであることは、全体としての事件が、まだ本筋に入らぬ内に、主人公(或あるいは副主人公である私の恋人木崎初代が殺されてしまい、もう一人は、私の尊敬する素人しろうと探偵で、私が初代変死事件解決を依頼した深山木幸吉みやまぎこうきちが、早くも殺されてしまうのであるしかも私の語ろうとする怪異談は、この二人物の変死事件を単に発端とするばかりで、本筋は、もっともっと驚嘆すべく、戦慄せんりつすべき大規模な邪悪、未いまだ嘗かつて何人なんぴとも想像しなかった罪業ざいごうに関する、私の経験談なのである

 素人の悲しさに、大袈裟おおげさな前ぶればかりしていて、一向いっこう読者に迫る所がない様であるから、(だが、この前ぶれが少しも誇張でないことは、後々あとあとに至って読者に合点がってんが行くであろう)前置きはこの位に止とどめて、さて、私の拙つたない物語を始めることにしよう。

2021-03-19

anond:20210319084903

ぼくは自動的なんだよ。周囲に異変を察したときに、宮下藤花から浮かび上がって来るんだ。だから、名をブギーポップ という。

2021-03-05

バカカバ

ここはアフリカの広大な草原帯のどこか。よく、サバンナとかサバナとか呼ばれたりするところ。

あっちにはキリンの長い首が何頭か見え、その近くにはシマウマ達が群れをなし、色々な鳥達が木々で羽を休めて、囀りあっており、そして草むらをよく見ると、草食動物を虎視眈々と狙う肉食獣が何匹か身を潜めている、長閑に見えて実際には緊張の走るところ。

 

そんなに様々な動物達が一望できるのは、そこには大きな水溜り、ちょっとした池のような沼にも見える動物達には欠かせない水分補給の場があったからだ。

そこで最も支配的だったのは象達だった。

象達はとても頭がよく、身体も大きく、意外と俊敏でもあり、肉食獣に狙われることはあったにせよ、肉食獣にとっても沢山の肉が手に入る敵ではあったものの、できれば避けたい相手でもあった。

それ故、象達は仲間の何匹かを見張りにつかせつつ、悠々と水飲み場一等地占有していた。

一等地というのは、まず水があまり濁っていないことであった。濁っている水は不味く、病気になることも多いと象だけでなく他の動物達でさえ知っており、濁りの多い場所は閑散としていた。

 

そして、象達から少し離れた、一等地ではないものの、そこそこ水の綺麗な場所を陣取っていたのは、カバの群れだった。

カバは象ほどは賢くはないし、体は大きいものの、象ほどには身軽ではなく、獰猛さを見せることもできたが、象には敵わなかった。しかも、カバ水飲み場を移動するという行動をほとんど取ることができなかった。

それがカバの生態であるから仕方がなかったが、カバにとって大事大事水飲み場、象に一頭地を占有されるのは仕方ないとしても、それでもその水飲み場から離れることはできず、二等地とも呼べるその場所を死守していたのである

 

そのカバの群れは30頭ほどと言ったところだったが、そのカバの群れの中でも身分のようなものがあった。

その身分は、いわば利口さのようなもので決まっていた。

から、利口なカバほど水の澄んだ場所を選ぶことができ、そうでないカバほど汚れた水の場所しか選ぶことができなかった。

なぜなら、一等地の象達は、そこが一等地であるが故に、水の汚れを気にする必要ほとんどなかったが、カバ達の場所は水の流れなどで汚れた場所が日々変わり、利口なカバほどそのことをよく知っていたので、常に水の状態意識して生活していたかである

しかし、利口でないカバはいつも汚い水の場所で水を得なければならなかった。そういうわけで、汚い水を選択せざるを得ない利口でないカバ病気にかかりやすく、死ぬことも多かった。

しかもそれ故にも、汚い水しか飲めないカバ病気持ちのカバと思われることが多く、仲間内からも蔑んだ目で見られており、あまり相手にされることもなかったのである

 

そんな利口でないカバの一頭であった彼を取り敢えず、カバ九郎と呼ぶことにしよう。

カバ九郎は最初は確かに利口ではなかったので、いつも汚れた水の場所しかいなかったが、しかし、実際には他のカバ達に比べそれほど利口ではないということもなかった。

単に、性格が違っただけだった。カバ九郎にはある種のずる賢さがあったと言えよう。

カバ九郎が汚れた水の場所しかいないのは、最初こそ仲間の利口さに負けたからだが、ずっとそこにしかいないのは実際のところは理由が他のカバが考える理由とは違っていた。

実は、汚れた水の中には魚がいっぱいいたのである

カバは草食ではあるものの、完全な草食動物ではなかった。草食が主体ではあっても、肉を食っているカバがいることは近年になってよく知られるようになった。

カバ九郎は、汚れた水の中にいる魚達がとても美味しいことを発見し、他のカバにはそのことは決して言わず自分だけで独占したのである

所詮は池・沼地に過ぎないので、ちょっとでもこのことを教えたら自分は魚をあまり食べられなくなってしまうから

そして、その魚を食べ続けたことが影響したのかどうかわからないが、カバ九郎は全く病気にかかることもなく、それどころかどんどん栄養が満たされて太り、肌も艶艶で、どう見ても、汚れた水にいるカバのようには見えなくなっていったのである

そしてカバ九郎は、他の利口なカバ達が苦心して綺麗な水のところを探す努力を心の中で笑い物にし、本当に利口なのは俺だ!と奢るようにさえなっていったのである

 

最初にそのカバ九郎の異変に気がついた仲間の一人をカバ太と呼ぼう。

(どうしてアイツは病気にならず、それどころかどう見ても他のカバより健康そうなんだろう?)

カバ太は、カバ九郎に近づくと他の仲間からカバ九郎と同一視されて蔑まれしまリスクも分かっていたが、どうしても気になってある日、カバ九郎に直接聞いたのである

「なぁなぁ、カバ九郎、どうしてそんなに肌が艶艶なんだ?何か秘訣でもあるのか?」

カバ九郎はよほどのことが無い限り、仲間からしかけられたことはなかったので、吃驚したものの、嬉しくなった。だから、他のカバ達には絶対に教えたくなかったが、つい秘密カバ太に教えてしまったのである

絶対に、秘密にしてくれるか?」

「ああ、絶対秘密にする。その秘訣をぜひ教えてくれ」

「実はさ、ほんとに誰にも言っちゃいけないぜ、この汚れた水の中には魚が……」

その日から、汚れた水のところにいるカバカバ九郎とカバ太の二頭になった。

 

カバも人も同じである。一度知ってしまった秘密はどうしても外部に漏らしたくなるのである

絶対誰にも言うなよ……」

と、ついに群れの半数以上のカバが汚れた水の場所生活するようになってしまったのである

すると、事態カバ九郎の予想したとおりになってしまった、食える魚がどんどん減り、酷い日には一匹も食えない状態にまで陥ってしまった。

最初は、カバ九郎もどんどんと自分の仲間が増えて、有頂天になって、汚れた水場にいる仲間からはまるで殿様のような扱いを受けていたから、そのことの方が嬉しくて、リスクは知っていたものの、事態悪化を見過ごしてしまったのだった。

だが、とうとうカバ九郎も堪忍袋の尾が切れたか、そんな事態我慢できなくなり、ブチ切れた。

 

「てめーら良い加減にしろよ! ここは俺の水場だ! てめーら出ていけ!」

 

第一カバ戦争勃発である。……そんなことはどうでもいいが、その日以降、汚れた水飲み場カバ達は毎日のように争い続けるようになり、魚達はカバに踏み潰されることが多くなってしまい、とうとう一匹の魚も寄り付かなくなってしまって、汚れた水飲み場にいたカバ達の群れは、カバ九郎一頭を残して消えてしまったのだった。

そして、魚を食えなくなったカバ九郎の肌の艶もどんどんなくなり、日頃、そんなに草食地で餌を探す苦労もしてなかったものから、いっつも他のカバ達に食い荒らされた草地に言って残り滓を食べる以外に方法がなくなってしまい、汚れた水場ばかり利用していたのでとうとう病気になって、痩せ衰えたのもあり、あっさり死んでしまったのである

 

その群れのカバ太は仲間にぽつりと漏らした。

「なぁ、カバ九郎って利口だったのかな? 利口じゃなかったのかな?」

すると、その言葉を聞いていた群れのリーダーがこう言った。

カバなんてのは全員バカなんだよ」と。

2021-02-15

世界各国の最盛期

イタリア五賢帝時代

五賢帝は、1世紀から2世紀後期に在位したローマ帝国の5人の皇帝、またその在位した時代のこと。しばしばネルウァ=アントニヌス朝とも称される。共和政時代から続いてきた領土拡大が一種集大成を迎え、ローマ帝国始まって以来の平和繁栄が訪れた。パクス・ロマーナと呼ばれる時代一角なす

中国貞観の治」

貞観の治(じょうがんのち)は、中国唐(618年 - 907年)の第2代皇帝太宗の治世、貞観(元年 - 23年)時代(627年 - 649年)の政治を指す。この時代中国史上最も良く国内が治まった時代と言われ、後世に政治的な理想時代とされた。わずかな異変でも改元を行った王朝時代において、同一の元号23年も続くというのはまれであり、その治世がいかに安定していたかが窺える。

スペイン黄金の世紀」

16世紀中盤から17世紀前半までの約80年間はスペインが史上最も繁栄した時期であり、黄金世紀(Siglo de oro)と呼ばれている。スペイン君主カルロス1世神聖ローマ帝国皇帝即位した際には、ヨーロッパにも本国以外の広大な領土を持つなど、その繁栄の様は「太陽の沈まない国」と形容された。

イギリスヴィクトリア朝

19世紀後半のヴィクトリア女王時代近代イギリスで最も繁栄し、多くの自治領植民地を所有し、工業生産金融の面で世界経済ヘゲモニーを握り、第二帝国時代ともいわれた。国内政治では保守党自由党二大政党が交互に政権担当する政党政治機能し、文化面でも世界リードパックスブリタニカを実現した。

フランスベル・エポック

ベル・エポック(Belle Époque、仏:「良き時代」)とは、厳密な定義ではないが、主に19世紀から第一次世界大戦勃発(1914年)までのパリ繁栄した華やかな時代、及びその文化を回顧して用いられる言葉である19世紀中頃のフランス普仏戦争に敗れ、パリ・コミューン成立などの混乱が続き、第三共和制も不安定政治体制であったが、19世紀末までには産業革命も進み、ボンマルシェ百貨店などに象徴される都市の消費文化が栄えるようになった。1900年の第5回パリ万国博覧会はその一つの頂点であった。

アメリカ「狂騒の20年代

第一次世界大戦特需アメリカは大いに沸いた。アメリカ経済は空前の大繁栄をとげ、戦前債務国から世界最大の債権国に発展した。世界経済の中心はロンドンからニューヨークウォール街に移った。大衆生活大量生産・大量消費の生活様式が確立する。一般には「黄金20年代」と呼ばれ自家用車ラジオ洗濯機冷蔵庫等の家電製品が普及した。1920年には女性への参政権が与えられるようになった。ベーブルースによる野球人気やチャップリン映画黒人音楽ジャズなどのアメリカ的な文化が開花した。

日本

いつ?

2021-02-12

anond:20210212121628

そもそもコロナ発症の2日ぐらい前からウィルス排出するので、体調がおかしくなってからマスクをしたら遅い

発症まで3~5日ぐらいだから、1~3日目にはウィルスを撒き散らす可能性がある

からリスクが高い行為をしたら、体調に何も異変がなくてもとりあえずマスクして用心したほうがいいよね

家族(子供含む)に伝染さないようにするなら、気をつかうよね

2021-02-04

僕も森さんの映画考えた

2021年初頭、コロナの影響は増々軽視できない状況になる。

頼みの綱のワクチン製造段階で遅延が発生、夏までの安定供給絶望的。

あの菅総理でさえも、会見でオリンピック開催を口に出すことが無くなってきてしまった。

森は失言以来、公での発言を止められ続けている。

自分の部屋で死んだような目でニュースを見ている森。

窓の外では桜のつぼみが開花を今か今かと待つかのように膨らみつつあった。

そしてついに菅総理が会見でオリンピック中止を発表する日が来た。

国立競技場で、JOC会長である森も同席をしての会見。

「延期が続いているオリンピックについてであります」という菅総理言葉を聞きながら森は会見場をゆっくり見渡した。

会場には「開催の判断を待つ」という理由で延期され続けてきた聖火リレートーチも飾られていた。

本来であれば今頃、あれが日本中を駆け巡り、人々に喜びを、希望を繋いでいたはずなのだ

本来であれば?

そうだまだ、オリンピックは中止になっていないのだ。

からでも遅くない!

森はガバっと席から跳ね上がった。

森の異変に気が付かず「苦渋の決断ではありますが…」と続ける菅首相を、横からドーンと突き飛ばす森。

ラグビー時代タックルはこの年になっても健在だ。

森はマイクを掴むと一呼吸、カメラに向かって叫んだ。

聖火リレー、始めるぞ!」

止められてはまずい。

森はすぐさま飾られているトーチをひっつかむと報道陣を突き飛ばしながら会見場を飛び出した。

追ってくる記者も何人かいるが、若いとはいえいつもデスクにへばりついているような足で、元ラグビー部の森の足にはかなわない。

まさに森の独走、森は高々とトーチを掲げながら国立競技場を後にする。

走りながら森は高揚感を覚えていた。

俺のやるべきことは、インタビューや会見でしゃべることじゃない、こうやって俺自身が先頭に立って走ることだったんだ!

大学時代ボールを脇に抱えインゴールラインを目指して走ってた自分の姿が脳裏に蘇ってきた。

ワン・フォーオールオールフォー・ワン。

俺がまずオリンピックのためのワン・フォーオールにならねば。

はいしか満開の桜が咲き誇る明治神宮外苑差し掛かる。

降りしきる桜の花びらにほほえみながら森は走り続けた。


5年後。

明治神宮の沿道ではとある銅像の除幕式が行われていた。

除幕を前に語りあう報道陣達。

「まあなんていうか、良い逝き方だったっすよね」

「結局オリンピックは中止になったけど、彼の中では大成功だったんじゃないかな」

みんなが空を見上げると、そこにはあの日と同じく、満開の桜が揺れていた。

ファンファーレとともに幕が下りるとそこにはトーチを片手に走る森の銅像が。

台座にはこう書かれていた。

日本フォレストガンプ

https://anond.hatelabo.jp/20210203195544

2021-01-29

うつ病になった人間備忘録

精神科になんとかかかり、鬱症状が見られるとされて服薬中の人間の備忘録。少しでも似たことがあるなら、早めに対処した方がリカバリーやすいのではないのかなという自戒も込めて。

まぁ記憶がやられているので時期とかは記憶違いない可能性もあります

異変その1:睡眠

以前の私は日付が変わる前に寝て6時から7時に起きる生活毎日繰り返していました。しかし、昨年ごろから異変が。眠れない。体は疲れているはずなのにいつも通り布団に入っても何時間も眠れない。しかし翌日は平日なので7時までには起きなければいけない。蓄積された疲労は時に限界に達して化粧も落とさず布団もかけずに気絶する、という日々を繰り返しました。

ストレッチしてから〜とか白湯を飲んでから〜とかあらゆる方法に手を出して改善しなかったのですが、一番効果があったのが酒でした。アルコールに弱かったので缶ビール1缶飲んでそのまま寝る、という生活でなんとか行き止まってましたが、今思うとアル中まっしぐらでしたね…(現在は飲んでません。)

異変その2:食生活

私の場合食欲不振でした。

元々は食べるの大好きな私。しかし、一時は一日一食でもいいなーというか食べなくてもいいかなーとなっていました。

あといろんなものを食べたがっていたのにウィダーインゼリーみたいなのでいっか、ってなってました。

胃腸が弱りすぎているのか脳は食べたいと思うものでも胃が受け付けてくれないのはよくあります

その3:趣味への興味が薄れる

私の趣味の一つは漫画を読むことです。近年電子書籍に切り替えたことで収納を気にする必要がなくなり、月10冊以上は買っています

しかし、頭に話が入らない。面白いと思えない。数ページ読むだけで疲れてしまう。などといった傾向が突然見られるように。この時は私も成長して趣向が変わったのかな、とりあえず買って今度読めばいいや、と放置していました。

他の趣味でも似たようなことがみられ、共通していたことは「集中力不足」でした。30分程度のアニメを見ることもできない。数分の音楽一曲聴くことが限界。とりあえずツイッターでは周りに合わせて普段通りに振る舞う

このような状態が続いていたにも関わらず放置し、加えてその他要因が諸々絡み合った結果、今の私は毎日起き上がるのもやっとの生活?になってしまい、毎日泣き死ぬことだけ考えていたので流石にまずいと思い精神科受診抗うつ剤眠剤を服薬をしています

一番虚無だったのが睡眠だったのですが、睡眠導入剤を処方していただき、寝ようと思ってから30分で寝れる現在生活は少し楽です。寝れるようになってから酒を飲みたいという感情が一切なくなったのも衝撃的でした。

あと、少しずつ漫画も読めるようになってきました。難しい漫画も楽しめるようになったらいいな。

私はもう限界だ、となってから初めて精神科にかかったのですが、診察の時間内科などより基本的に長いので予約制のところが多いところがハードルが高いだけで、普通病院、なんなら普通よりも穏やかなところだな、と感じました。異変をある程度わかりやすく伝えられるスキルさえあればきっと大丈夫

長文失礼いたしました。

2021-01-26

犬を飼うということ

犬を飼うって大変すぎた。

 

飼い主に従順なのがイッヌと言われているけど

我が家ではピラミッドトップに君臨してるし

なんなら自分のこと人間だって思ってる。

 

幼い頃は色んなところでトイレしたり

留守番させたら物がむちゃくちゃに破壊されてたり

ケージからジャンプで逃亡したり

なんなら嫌がらせで布団にう○こがしてあったりする。

 

何より自分人間だと思ってるからか知らんが、

他の犬と仲良く出来なかったし。

その中でも唯一仲良かった近所のダックスさんが

目の前でトラックに轢かれて亡くなったとき

さすがに悲しい声を出してた。クゥクゥ鳴いてた。

でもその日から他の犬を見ると飛びかかるようになって

色んなところで酷く吠えるようになった。

夜中に物音がしただけで吠えたりするから近所迷惑甚だしい。

そんなだから一人で留守番させた日には一日中吠えるので留守番させられなくなった。家族旅行なんか行けなくなった。

 

病気には何回もなった。

ワクチン受けてたって他の病気にはなる。

ヘルニアになって動けずご飯が食べられなくなったり、

お尻に腫瘍が出来てオスなのに生理みたいに血垂れ流して手術受けたり、

目の上にデッカイ腫瘍が出来て爆発して手術したり。

なんなら目の上の腫瘍は悪性だったらしくて取ってなかったらやばかったらしい。

1回の手術で15万円なんか普通に越える。今までかかった金額はいくらになるのか。獣医儲かりまくり

犬用の保険だって昔は入ってたけど、

結局手術とかは保険適用外とかにされちゃっていつしか解約した。

 

何が嫌だったって私が実家を離れる度に

犬に異変が起こることだったな。

1回目は留学半年ほど実家を離れたとき

帰ってきたら皮膚がボロボロになってた。

原因は不明だけどフケが出てるみたいに皮膚がボロボロになっていつも痒そうだった。

 

2回目の留学は1年ほど実家を離れることになって

その間はほんとに一気にキた。

一気に足腰が弱くなってトイレがうまく出来ないかオムツをする。ご飯を食べない。毎日死ぬほど要求されてた散歩にも行かない。1日寝たっきり。腎臓が悪くて毎日薬を4錠くらい飲まないといけなかった。

からは「もうそろそろかもしれない。早く帰ってきてあげて」と言われてた。

 

1年経って帰ったとき、犬は衰弱してた。

言われてた通り、いつものお帰りの歓迎の挨拶はないし、何ならこっちが見えてないくらいの感じで。

寝たままの犬を撫でたら、あんだけデブ犬と言われてたのに、ガリガリになって骨が飛び出てた。

垂れた耳の毛はハゲて、ペラペラに薄くて。

「耳がタン塩みたいやんw」

なんて冗談言って何でもないフリしたけど1年でこんなに衰弱するなんて正直悲しかった。

 

留学から帰って犬と向き合うためにニートになった。

最後まで見届けてあげたいと思った。

極力ひとりで留守番はさせなかった。

夜のトイレかに対応出来るようにリビングに布団敷いて犬と一緒に寝た。

ひたすらに犬に尽くした。

 

ある日、寝てばっかりの犬を起こして

たまには散歩に行こうと無理やりリードつけて外に連れてった。

そしたら案外楽しそうにしてて久々にしっぽが立ってた。親に聞いたら2カ月ぶりの散歩だったらしい。

 

次の日、犬がソワソワしていた。

久々の散歩が楽しかったみたいでまた行こうと催促された。散歩に行くと「どうだ!僕はまだ歩けるんだぞ」と言わんばかりに毎日散歩ルートをズンズン先に歩いて案内された。

そこから毎日また散歩に行くようになった。

 

散歩に行けばおやつをあげるのが我が家の鉄則だった。

犬用おっとっとをバクバク食べると、食欲が刺激されたのか普段食べなかった腎臓に良いエサやら缶詰バクバク食べるようになった。

その日から犬は散歩ご飯も催促するようになった。

 

すると、散歩に行くほど足を使うからか、あんだけ弱かった足腰がちょっと強くなって、一人で立ってスタスタ歩けるようになった。

ご飯バクバク食べるので体重が1キロほど増えてガリガリがマシになった。耳の毛も伸びてきて、タン塩に見えないようにトリミングとき耳毛は残してもらった。

 

犬は私に元気な姿を見せようと頑張ってくれてた。

私もそれに答えようとずっとそばで世話をした。

 

でも"それ"はこの前突然起こった。

寝ている犬がいきなり激しく痙攣し始めた。首が90度くらい上に向いて、足をバタバタもがいてる。目は白目を向いていた。

私は犬の名前叫びながら犬を抱き締めて、大丈夫大丈夫、ここにいるよー、大丈夫よー、と唱え続けた。自分に言い聞かせるように。

家族が集まって犬を囲んだ。白目を向いたままよだれを垂らしてひたすらに足をバタつかせてる。それを落ち着かせようと抱っこしながら抱き締めた。大丈夫だと言い聞かせた。

しかし父が「もしかしてもしかして………」といらん事を言ったせいで、ずっと耐えていた涙がこぼれて、

いや、死なないで、お願い、死なないでと泣きながら犬を抱き締めた。

 

痙攣が収まって静かになった。まだ生きている。

生きてはいるが様子がおかしい。ウロウロと歩いては壁に頭をゴツンとぶつけている。完全に前が見えてなかった。頭をぶつけるのを阻止するがひたすらに歩きたがる。

痙攣からくるパニックなのか興奮なのか、それが3時間くらい続き、犬は疲れ果てて寝た。次の日のお昼くらいまで爆睡してた。

 

次の日、病院に連れてくと、先生

「老犬だから色んなことが起こる。痙攣も原因は分からない。」みたいなことを言われた。

犬は16歳だった。人間年齢だと80歳を越えている。

 

2回目の痙攣は私が一人のときに起こった。

また首を90度くらいに曲げて白目を向いて足をバタつかせている。今回は息が出来ないのかしんどそうにハフハフ言いながらよだれを垂れ流していた。

大丈夫よ、と言いながら抱き締めていると、排泄物が垂れ流しで出ていた。とりあえずトレーナーで受け止めた。

犬は痙攣中、意識がないらしい。

なので痙攣が終わると脳がパニックになってウロウロと歩き回ったり、普段と違う行動を取るとか。

その日も3時間くらいウロウロしたあと、疲れ果てたのか寝てしまった。

 

 

今でも健気にご飯バクバク食べているが、いつなんどき痙攣が起こるか分からず、一人にさせられない。

足腰はさらに弱くなってしまって一人で立てなくなったため、座り込んだら立たせてあげる。逆に一人で上手く座れないので座らせてあげる。水を飲むのもご飯を食べるのもうまくできないので食べさせてあげる。トイレするときは支えてあげる。こんな感じで介助が必要になった。

毎日の薬は増えて薬代だけで月に3万以上かかっている。定期的に行う血液検査で2万、その他もろもろでいくらかかってるのか分からない。

 

正直、幼いときより今が一番手がかかるし、お金もかかるし、トイレを失敗されたりするとノイローゼになったりする。

 

でも、どこかから帰ってくる度に熱烈な歓迎をしてくれる犬、寝るとき絶対腕枕で寝る犬、いびきをかく犬、水を飲むから手伝えとアピールしてくる犬、おやつくれとせがむ犬、全てが愛おしい。愛おしくてたまらない。

このままずっと一緒に居れたらいいのに。

 

別れを想像すると辛すぎて、ふと犬なんか飼わなければよかったと思う。

出会わなければこんな感情になることもなかったと、横でプープー寝息を鳴らしながら幸せそうに犬は寝てるのに、すでにペットロス気味な飼い主がここにいる。

あんたは世界一幸せな犬だよ、ほんとに。

気晴らしの外出とか

ちょっとした運動としてのウォーキング

というのは

必要があれば3ヶ月はできなくはないが

確実に体に異変を感じる

それを10万円=10兆円というペナルティーもなしに、発動しても良いと考えた

人間奴隷のように管理したい人

の疑いはあるから、なにかのペナルティーで10兆円程度はやれよ、総理大臣

というのはある。1週間で10兆円なら1年でおおよそ国家予算の4倍

まぁ、そのぐらいは最低でも必要だろうというのはある。

何のリスクも追わずに、はい自粛ON

みたいな価値観賛同できない

しかインキンタムシでもウイルスなら、何でも発動できるんだろ?

など だからウイルスなら何でも良いんだろ?

からさまに、インフルエンザではないウイルスということしか共通点がないウイルスに発動しているからなぁ

2021-01-21

一ヶ月英語の勉強サボったらめっちゃ能力落ちた件

2年ほどオンライン英会話TOEIC勉強を地味に続けてきた、そのかいあって結構話せるようになったし英文記事もそこそこ読めるようになったと自信がついていた。

12月に返ってきたTOEICの結果は800を超えてた。ネットにはそれくらい高得点ホルダーはゴロゴロいるように見えるが、この成績は統計上は上位20パーセント内に収まる。自分でも一定の成果が出たし、そろそろ勉強を落ち着かせてもよいかと思い、俺は月1万払っていたオンライン英会話を退会し、テキストも開かなくなった。ただBBCニュースを読んだり字幕動画リスニングだけはしていた。

そして一ヶ月、異変に気がついたのは外国人の友人と久々に通話した時だった。

「あれお前の英語下手になってね?」

しか単語は頭の中にあるが、英文法的な組み立てが明らかにこちなくなっていた。

そして英語的な発音を生む口や舌の動きも鈍くなったことで日本語的なアクセントが強まってしまい、友人に今なんて?と聞き返されてしまう始末。

ショックだった。

子供の頃走るのが得意だった人が久々に身体を動かしたらすぐ息切れて、あれ?こんなはずではと戸惑う。たった一ヶ月でそんな感じだった。

調べたところ、リーディングリスニング理解力は落ちづらいが、スピーキングライティングなどアウトプットの面は言語学的にも使わなければどんどん能力は落ちるらしい。腑に落ちた。

先程二時間ほどオンライン英会話のレッスンを組んだが、機能回復訓練のような感じになってしまった。はぁ。

2021-01-14

不都合な真実が明らかになるのが怖くて病院に行けない

最近、体調が悪くて仕事も家庭もうまく行かない。喉のイガイガや微熱など、体調の微妙異変イライラが続いている。恐らく、コロナ感染してるんだと思う。

ただ、「自分がこうも低能なのはアスペADHDからだと思ったら、検査陰性。ただの無能だった。。。。」ににてる感じで、「病院検査行ったらコロナどころから風邪でもなんでもなかった。ただの無能だった。。。。」みたいな不都合な真実が明らかになるのが怖くて、病院に行けない。

2021-01-12

市営自転車置き場で起きた事件

事件がやっと解決したので、ここに吐き出してみる。

登場人物

ワイ

30代 子なし ベンチャー企業エンジニアアニオタ

地方のそこそこ大きい市に住んでる

小遣いをなんとかやりくりしてアニメBD原作を買う日々

30代 ベンチャー企業事務 腐女子

よく腐女子仲間とイベントに行ったりしていたが新型コロナ渦でイベントが無くなり、ゲーム重課金するようになった(←課金するなら俺の小遣いもっと増やしてくれないかなぁ......)

1. 嫁に初めて土下座をしたあの日

2020年8月 夏のボーナスを手にして、ワイは嫁に「電動アシスト自転車を買わせてくれ」と懇願した。

ワイの自転車新卒の時に買ったホームセンターで1.5万位のもので、最低限のメンテはしていたが10年近く経ってあちこちが錆びて、汚くなっていた。

また、結婚を機に引っ越し土地は坂がキツく、それまでデスクワークをしていた我が身にはキツかった。

そこでワイは嫁を説得し、子供が出来たら保育園の朝の送りだけでもワイがその自転車でやることを条件に、電動アシスト自転車の購入許可下りた。

ワイは早速、近所のホームセンターへ向かい15万弱の電動アシスト自転車を手に入れた。

1週間ほど経ち、ホームセンターから商品の用意が出来ました」と電話が来たときには、これでもう毎朝の心臓破りをしなくて済むと天にも昇る気分になったことを覚えている。

待ちに待った自転車が納車された後の初出勤は電動アシストの偉大さを噛みしめ、いつぞやにみたルビコンの決断ヤマハ電動アシスト自転車の開発の回を思い出し、静岡に足を向けて眠れないと思ったほどである

2. それは突然起きた

2020年11月 ワイはいものように家路についてた。最寄り駅を降り、自転車置き場へ向かうと異変に気づいた。

「ワイの愛車がない......」

自転車置き場においてある自転車をすべて確認しても愛車はどこにもなく、嫁に「愛車がない......どうしたらいい......?」と電話した。

嫁に自転車置き場の管理人相談しろと言われて、ワイは大急ぎで管理人室へ向かった。

管理人自転車がなくなったことを伝えると、半分あきれられた様な表情で紙を渡された。

その紙には「放置自転車撤去のお知らせ」と書かれていた。

この自転車置き場では無断駐輪や駐輪期限が過ぎた自転車を月1で市の保管所に回収される事になっているようで、今日がその日だったわけである

だが、ワイは8月に愛車用にここの駐輪代を1年分まとめて支払い、駐輪シールも後輪の泥ハネに貼っていたはずである

そのことを伝えたところ、だったら警察に行ってくれと言われ、駅前交番に向かった。

交番盗難届を提出し、徒歩で自宅に帰った。

3. 愛車発見

愛車が無くなり数日が経った頃、警察から自転車が見つかったと連絡が入った。

見つかったのはなんと、市の自転車保管所だった。

警察からの話によると、回収した自転車盗難だったりの可能性があるので、一度登録番号を調べているらしい。その過程でワイが出した盗難届が引っかかり、見つかった。

警察がしてくれるのはそこまでらしく、自転車自分で取りに行かないとならなかった。

保管所は平日しかやっていなかったので、有休を取りバスを乗り継ぎ、保管所に向かった。

保管所で自転車の受け取り手続きを進めるととんでもないことを言われた。

「回収代と保管代で1万円頂きます

と。ワイはぶち切れそうになった。期限が切れてないのに勝手に持っていったあげく、回収代と保管代まで取るのかと。

だが保管所にはシルバー人材派遣しかおらず、責任者がこの場にいないことも厄介だった。

保管所の人が責任者電話をしてくれたらしく、とりあえずワイは責任者と話をするために市役所に行くことになった。

4. 役所職員がクソすぎた

またバスを乗り継いで役所に着き、責任者と話をすることができた。そこで責任者謝罪するどころか、こっちが思いもよらぬ事を言い出した。

「1年契約してる人があまりいないし、シールの年の表記が小さいから期限切れで持って行かれてしまったんでしょう。でも年間払いで、安くしてるんだから少しくらい不手際があってもまぁご愛敬ってことで」

これを聞いてワイはブチ切れて窓口で大声を上げてしまった。

わざわざバス代を払って、時間をかけて保管所まで行き、役所まで来て、この対応かと。

大声を上げたせいで警備員が来てしまい、別室に移された。

別室に行きしばらく待っていると、窓口の職員と別の職員が入ってきた。

その職員も物腰は丁寧でちゃん謝罪はしてくれたが、1万払えという部分だけはどうしても引けない様子だった。

なんでも過去に事例が無いらしく、規約に沿った対応しか出来ないということだった。

ワイは自転車が手元に戻ってこないと困るので、渋々なけなしの1万を払うことにした。

役所から保管所までは役所の車で送ってもらえることになった。

5. これ終わる訳がない

保管所に着き、愛車と数日ぶりに対面したのだが、その姿は知っている姿とは違っていた。

外装が割れ、中身が見えているバッテリーパック、傷が入り塗装がはげてしまっているフレーム、それ以外にも様々なダメージが入っていた。

ワイは役所電話をかけ、さっきの職員を呼び出し、修理代を出してもらえるのかと訊いたが、それはできないと言われ大激怒した。

とりあえず自転車の状況を写真で記録した後家に帰り、リビングで嫁の帰りを待ちながら安達としまむらを見ることで精神落ち着けていた。

嫁が帰還したので事の顛末を伝えると相当お怒りになったらしく、二人で相談して弁護士に入って貰うことになった。

6. 嫁ネットワーク強し

幸運なことに嫁の知り合いに弁護士事務所に勤めている人がいて、その人経由で弁護士を紹介してもらえた。

弁護士に事のすべてを伝えたところ、引き受けてもらえることになった。

とりあえず、自転車は修理に出し、その修理代と回収・保管費用、その他を含めて民事訴訟解決するという形になった。

7. 裁判所に初めて入った

テレビでよく見るようなところでやるのかと思ったら普通会議室みたいなところに市の担当者とワイと弁護士が通され、そこで話し合いをすることになった。

訴訟という言葉に怯んだのか、こちらの要望はほぼ通りで和解になることになった。

和解した後すぐに市から請求金額が振り込まれた。

弁護士費用を払っても若干プラスになったので嫁と焼き肉に行った。

8. その後

さすがにこの市に住み続ける気がゼロになってしまったので、転居シーズンが終わった頃にどこかに引っ越そうかと思っている。

市を相手取った訴訟がこんなに簡単に終わるとは思っていなかったが、思いのほか楽に終わったので何よりである

2021-01-05

anond:20210104114710

今は良くなったるとはいえ悪化した場合増田自分身体に少しでも異変を感じたら妻に入院を勧めてほしい。共倒れになるよ。家族が「自分で看る」を責任感のある行為だと勘違いしている人は多数いるけどプロが看る方が回復に繋がることもある。

2021-01-04

妻が統合失調症になった

昨年11月に妻が統合失調症になった。

当時は統合失調症って若い人がなる病気だと思っていて、発症時妻は36歳だったので正直ショックが大きかった。

発端は昨年7月。「フェィスブックがハッキングされてる!」と大騒ぎしていたので、ログイン履歴確認して、誰にもハッキングされてないことを説明していたが、どうも納得してくれていなかった。

そのやりとりが週に1回あり、次第に頻度が増えていた。後半はめんどくさくなって「心配しすぎ!されてないよ!」とだけ答えていた。

その時点で統合失調症の初期症状を疑うべきだったと今でも後悔している。

ハッキング被害妄想だけではなく、ものすごく色々なことに敏感になっていた。自分の食べるもの、着るものから何まで清潔じゃないと気が済まなくなったし、夜中にアパートの上の階の軽い物音がしたたけでイライラしていた。この時点ではコロナの影響によるストレスだと思っていたので、あまり心配していなかった。

10月ものすごい喧嘩をした。翌日に大事仕事があったので、早めに就寝したかったのだが、夜中にハッキングされてるとか、隣の人がうちに入り込もうとしてくるとかよくわからないことを言っていたので、声を荒げて怒ってしまった。これが妻の症状を重くしたのではないかとすごく後悔している。

11月初め、仕事から帰ってくると、妻が靴も履かずに外に出ようとした。どうしたの?と聞いても何も言わないので、とりあえず私もついて行った。

いつもはマスクをつけるはずだが、何もつけずに外に出たので、これはおかしいと感じた。5分くらい外に出て徘徊→家に戻るが何度も続いた。認知機能障害もあるように見えた。

私がスマホでその異変検索すると、妻が私のスマホを床に投げつけて、「これはハッキングされているものから触るな」と怒りだし、大変な状況になってしまったと自分を責めた。

すでに病院は閉まっている時間だったので、精神科救急相談窓口に電話した。私は統合失調症若年性アルツハイマー病を疑っていたが、窓口の方は統合失調症可能性が高いですので、次の日に病院に行ってくださいと言われた。電話中ショックで泣いてしまい、なぜか窓口の方も泣いていて、「旦那さんが寄り添ってあげることが一番大事です。」と言われて、電話の後しばらく現実を受け止めるのに時間がかかった。

夜中もずっと徘徊をするので、自分も朝まで付き添った。朝になり、病院に行くことを伝えると妻は必死に嫌がった。精神病棟に入院するのではないかと疑い、ずっとあなたは私を騙そうとしていると言っていた。みるみる人格も変貌していて奇声を発したり、包丁を持って自殺しようとしていて、いっそのこと2人で自殺した方がよいのではないかと考えていた。

ふとした瞬間に元の妻の人格に戻ったので病院に行くか、一緒に自殺するかの選択を迫ると病院に行く方を選んだので、タクシーに乗ってすぐに精神科に行った。

病院の待合室でもアカジシア(絶えず貧乏ゆすりをしたり、身体を動かす衝動)の症状が出ていて、妻も辛そうだった。医師からは「精神病棟への入院」か「あなたが見るか」を迫られたが私が見ることを決断した。薬はジプレキサを処方いただいた。薬を飲んでも2日くらいは状態が変わらずに、だいぶ不安になったが、徐々に元の妻に戻ってきてたまらなくうれしくなった。

統合失調症って初期であればあるほど回復も早いので、7月の段階で病院に行っていればとか、自分結婚しなければならなかったのではと今も自分を責めることがある。

人口の1%とかなりの方がなる病気なので、なんかおかしいなと思ったらすぐに対処してあげてほしい。

2020-12-26

中野さら無駄に停まる

中野駅は、千葉から三鷹市を結ぶ総武線や、山梨大月まで伸びている中央本線の中継点になっている。ふだん通勤新宿駅阿佐ヶ谷駅あいだ(つまり総武線のほんの一部区間)を毎日行ったり来たりしているだけの私には、中野は少しイラッとさせられる駅だ。停車時間がいつも長いからだ。中野駅電車がいったん着くと、ドアを開けたまま、再び走り出す気配すらない。思い出したように電車が再び走り出すまでの間、乗客列車の中で押し黙っている。

乗客の忍耐を承認と受け取ったのか、国鉄中野駅での停車時間を少しずつ延長しはじめたみたいだった。

2分間停車とアナウンスはいっているのに、それより長く感じる。たぶん自分が焦っているだけだろうと思い、最初の頃は気に留めなかった。数日後、やっぱり長いなと思って時計で計ると、5分を越えていた。それから日ごとに中野での停車時間は長くなっていき、20分を越えた頃にはさすがに乗客ほとんどが異変気づきはじめた。停車時間が2時間を越えた頃にはもう国鉄は隠すこともしなくなった。これから2時間停車する旨アナウンス流れると、乗客は全員降りていった。

中野毎日2時間電車を待つのはそれなりに大変だったが、しだいに慣れた。電車待ちの客をあてにした商売中野駅の周辺で増えて、時間を潰す場所には困らなかったからだ。駅前広場パブリックハンギングで人が首にロープをつけたまま落下するのを眺めたり、うずら園へ行ってお茶を飲んだり卵を拾ったりしていると、それなりにしのげた。

停車時間が2日間になったときには、もっと腰を据えて時間を潰さなくてはいけなくなった。それだけ時間があるなら歩いて阿佐ヶ谷へ帰ろうかとも思ったが、検問が行われていて中野から西へは自由に行けなかった。これほど長く乗客中野に留め置くことは疫病対策になにか関係があるらしかったが、詳しいことはわからなかった。

なんにせよ2日間は長い。食料を仕入れて寝る場所を探そうと思い、とりあえずブロードエイに行った。その名のとおりブロードエイはとても広く、20〜30mくらい幅がありそうな道路の両端にはかすかに黄色い葉を残す銀杏が並び、樹の下には雑多な屋台が出ていた。植木屋金物屋肉屋魚屋おでん、綿あめ、射的、大人のおもちゃ根付オーディオ用品、型抜き、スマートボール骨董品、ありとあらゆるものがあった。

道路脇にプロパンガスボンベを持ち込んでソーセージを焼いていたので、2本買った。真冬でも麦わら帽子かぶったおばさんが、ちぎった生のキャベツ、青い唐辛子と一緒に小さなビニール袋へ入れてくれた。この辺でどこか安く泊まれるところはありませんかとついでに訊くと、最近電車待ちの人向けにキャンプ場ができたよと教えてくれた。

キャンプ場はうずら園の裏手にあった。入口で受付を済ませると、カーキ色のテントと寝袋を借りた。米も売っていたので買った。調理場にたくさん積んである飯盒を借りて米を炊いているうちに日が暮れた。

暗くなると一気に寒くなった。このまま寝られるかどうかもわからないほど寒かったので、斜め向かいテント前でやっている焚き火にあたらせてもらった。そこにいたのは自分と同じくらいか少し上の年頃の男性で、柔らかい物言いのわりに目の奥の光が鋭かった。焚き火の上で沸かしていたお湯で焼酎を割って飲ませてくれたので、自分ポケットに入っていた南部せんべいを渡した。

これから毎回、西に向かおうとする度に足止めを食らわせるつもりなんですかね、国も呑気なもんですね、などと話し合っているうちに私たちは打ち解けた。国分寺に住むミヤシタさんというそ男性カメラマンで、戦場というよりは紛争地帯取材を専門にしているらしく、数年前、パキスタンからアフガニスタンへ入った時の話をしていた。自動小銃を持ち、黒い布で顔を覆ったタリバン兵士が乗るピックアップトラックについて村を、学校を周って子どもたちを撮影したこと。片目のない子、腿から膝にかけて爆撃の痕で肉がえぐれたままの子が珍しがって寄ってきたこと、阿片栽培関連の場所は一切撮影を許されなかったこと。暗闇の中で炎を眺めながらそんな話を聞いていると、自分東京にいることを一瞬忘れた。

テントに戻って眠りについたものの、寒さで目が覚めた。寝袋が冬用なのかどうかわからない。奥歯がガチガチ鳴るのを自分では抑えることができなかった。このまま横になっているのに限界を感じて外に出ると、空がかすかに明るくなり始めていた。バラックトタン屋根が、木が、電柱が、金色紫色の混じった光から現れてきた。今日一日をどうするかはまだ決まっていなかった。

2020-12-25

いま「尖閣諸島」で何が? 中国公船の動きに異変…(コロナが厳しくなったら国防ネタごまかす

秘書勝手にやってるんだろうね

https://www.youtube.com/watch?v=GbSuaXBANfw

東方幻想万華鏡 紅霧異変の章 とかいう最高の作品

福神制作東方二次創作アニメなのだが、これがまたお気に入り作品なんだ。作画が神懸かっているのは当然のこと、演出構成テーマ脚本が非常に良く出来ている。

 この話は霊夢魔理沙の回想で話が進む。紅魔館での戦いと東方キャラオールスター宴会が楽しめるという豪華なストーリーになっている。魔利沙の回想はチルノとの戦いの後、紅魔館に潜入する所から始まる。まず館内のサスペンス映画さながらの不気味な雰囲気がいい。その後、子ども部屋に入ると唐突に後ろからフランが現れる。初っ端からラスボスと戦うという逆説的なストーリー展開に度肝を抜かれる。お馴染みのテーマと共に無表情で儚げな雰囲気を漂わせつつゆっくりと着地するフランの圧倒的強キャラ感。これがなんとも恐ろしい。興味津々に魔理沙を観察したと思いきや何の前触れもなく攻撃を食らわしてくる。うつむき加減に孤独を訴えた後、抱きしめたぬいぐるみ破壊し、今度は笑いながら「私魔理沙で遊ぶ!」と叫ぶ。この脈絡のない行動がフランの無邪気さと狂気を見事に表している。そして、フランとの戦いが始まると思いきや、シーンが代わり今度はレミリア登場である。暗闇の中笑みを浮かべるレミリアは美しくも恐ろしい。続いて幻想郷を覆い尽くす霧の演出も美しい。魔理沙フランの戦いに戻る。と思いきや、大魔法使いパチュリーの登場で戦いは中断される。魔理沙の動揺をよそに淡々と語るパチュリー強者オーラを放っている。「さすがは幻想郷ね。子どもがちょいとかじった程度の魔法でこの私をどうにかできると思うなんて、全く大した幻想だわ」と名言も炸裂する。当たりの風景が一転し、宇宙空間のような光景が広がる。1話の時点でバトルシーンに関してはお預けであるが、それでもよく出来た演出のおかげで見応えのある作品となっている。

 2話ではルーミア美鈴との戦いは端折られている。その分、咲夜戦はしっかりと描かれている。優雅なたたずまいを崩さず闇から現れる咲夜がなんとも美しい。雨あられの様にナイフが降り注ぎ霊夢に襲いかかるシーンは圧巻だ。裏をかい咲夜を捕らえ、ゆっくりと歩み寄る霊夢が頼もしく強者の貫禄を漂わせている。何より魔理沙フラン下りも丁寧に描かれている。周囲が自分を置き去りにして事を進めていく中、フラン孤独理不尽に打ちひしがれる。そんなフランを励ますかの如く周囲の光景が一転する。パチュリーに打ち勝ち、壮大なファンファーレと共に埃の中颯爽と歩く魔理沙はとても少女とは思えないほどかっこいい。尻込みしたフランに魔理砂は「他人に指図されないで自分の思うように生きようと思ったら戦わなきゃ駄目なんだぜ」と叱咤激励する。東方二次創作屈指の名シーンであり、筆者は勇気がほしいときに何度もこのシーンに励まされた。シンプルでごく当たり前だが皆忘れがちなことを思い出させてくれる魔理沙は流石であるフランは外に出るため、レミリア決闘を挑みにいくのだが、そのレミリアの姿が余りに美しいのだ。紅の光を浴びながらステンドグラスから外を眺める姿はなんとも形容しがたい。フランの反抗にも特に動揺した姿を見せず、まさに強者ならではの落ち着きだ。回想のレミリアは暗闇の中にいて姿がよく見えないため、その分もっと観たいという視聴者に思わせるのだ。秘すれば華なりとはこのことだ。振り向きながら浮かべる邪悪な笑みは背筋が凍るような恐ろしさだ。このアニメでは敵キャラ達がとにかく恐ろしく、美しいのだ。この演出は並の二次創作の及ぶところではない。

 3話で大詰めを迎える。魔理沙が見つめる中対峙する姉妹の姿も美しい。レーヴティンを手に孤独を打ち破り自由になるため今まで逆らえなかった姉に自分の思いをぶちまけるフランがとても勇ましい。このアニメ異変解決だけでなくフランの成長も描いた作品なのだ。戦いの最中レミリアフランを抱きしめる場面も感動のシーンだ。原作にはなかった姉妹葛藤と絆を描いているのがこの作品の魅力だろう。本編の魅力を損なわず新たな魅力やテーマを加えるというのは二次創作において非常に重要姿勢である。回想が終わり、宴会の場面に戻るがそこでレミリアフラン姉妹げんかが始まる。回想で葛藤を描き、最後に仲良く喧嘩する場面で終わるというのは最高の構成ではないだろうか。このように幻想万華鏡王道的な豪華さを兼ね備えた二次創作の鏡と言うべき作品なのだ

2020-12-19

ジブリ再上映は実質鬼滅の刃外伝で実質ジブ柱だという説

ちゃんと調べて書いてないのでこれ投稿した時点で鬼滅が興収1位になってたら笑い話だがまあ聞いてほしい。

先日、千と千尋の神隠し興行収入上方修正されて「ゴールが逃げた」だの「そこまでして負けたくないのか」だの色々言われていたが、私的には今年のジブリ再上映は実質鬼滅の刃外伝ジブリ4作品は柱の一角だと思っているという話である

このタイミング興収修正が入ったのは当然水差しではないし、「お前はもっとやれるはずだ、俺たちを越えていけ」的な熱い展開だといえるんじゃないかと思ってこの文章を書かせてもらう。

鬼滅の刃は史上最速の勢いで興収100億達成して、現在も破竹の勢いだ。

一年間を振り返ってみれば今年は鬼滅の刃一色の年だったんじゃないかと思えるぐらいだ。

実際1位こそ「密」だったものの、今年の漢字10位以内に「鬼」「滅」両方がランクインしていたまさに鬼滅な年であったといえるだろう。

でも待ってほしい、映画の公開自体10中旬からであり、それ以前にもブームがあったとはいえこの驚異的な勢いは一年が四分の三終わってからことなのだ(勿論だからこそとんでもないブームなのだが)。

ではそれ以前に何があったか

そこで登場するのがジブ柱の四人衆なのである

本当に映画館が苦しんでいたのは今年の上半期、特に緊急事態宣言前後の時期であったといっていいはずだ。あの頃は本当に街に人が居なかった。

新作映画も続々と公開延期となり、映画関係者が途方に暮れていたその時、6月26日に彼らは現れた。

「俺が来るまでよく堪えた 後は任せろ」

ジブである

厳密にはジブリ作品ではないスタジオジブリの原点、大冒険感は四柱の中でも最高

 鴎柱「風の谷のナウシカ

壮大な自然音響の美しさ、何よりあの静寂の凄まじさは劇場からこそ味わえた

 怪柱「もののけ姫」

見るもの聞くもの全てが情報の塊、魔導書を脳みそに直接ぶち込まれるような感覚を味わえる怪作

 湯柱「千と千尋の神隠し

矢鱈と歩くシーンが多くて唐突に歌うけど、独特の雰囲気と情景の美しさは俺好きだよ

 歌柱「ゲド戦記

四人の柱が立ち上がり、命を賭して映画館を守ってくれたからこそ劇場の命脈は繋がり、無限列車編で見事な復活を果たすのだ。

どう考えてもこれ立ちふさがった壁とか逃げたゴールじゃなくて柱だろ。

興収8億プラスですらより高く飛び立てるように滑走路が伸びたとかそういう風に思えてきたわ。

本編で語られない過去外伝主人公活躍が間接的に本編ラスボス撃破に影響してるみたいな熱さである

しかもこいつらコロナ禍を反映して、全作品呪いや胞子や祟りやら疫病めいた要素が登場するからな。

まるで異変発生初期に投入された対疫病用特殊部隊の厳しい戦いを描いた鬼滅の刃外伝じゃないか

私はジブ柱全部見ました。劇場で見れて本当に良かった。一生の思い出でございます

というわけで、ジブリは柱。QED.照明終了。

ちなみにジブリリバイバル上映は8月までやっていたので、厳密にはジブリと鬼滅の間に中継ぎ的な柱がおそらく存在しています

公開時期的に竜柱「のび太の新恐竜」とか突柱「今日から俺は!!」とかが柱の一角なんじゃないかと思うがその辺はほかの人に任せます。以上。

2020-12-07

anond:20201205155542

ふと思ったこと。ぶつかり男はこの習性意図的に利用しているのではなかろうか。

二元論は余り好きではないが、この記事賛同する男性諸君は、自分にぶつかってくるルートを取る男がいるとして、異変を察知して回避行動を取れる人が大多数ではないだろうか。

一方で、ぶつかり男の餌食になる女性は、ぶつかる直前まで異変に気が付けず、結果として回避が間に合わず(あるいはするつもりがなく)衝突するという話。あり得るかも知れないなぁ。

2020-12-05

身体異変があるくらい薬を飲みたい

処方される睡眠導入剤が一番好きだけど、抗ヒスタミン薬風邪薬でもまあ良い。しかし手元にない。困った。

アルコールは家にあるけどアルコール頭痛くなるからまらない。吐いてしまうのが早いからつまらない。

今日時間を贅沢に使っちゃうもんね〜って思って薬箱開いたら何もなくなってやんの。むかつく。

市販品で済ませる時はパブロン鼻炎カプセルか、パブロンゴールドブランが評判良いのは知ってるけど、天邪鬼からか手を出したくなくて、パブロンゴールドを主に飲んでる。それが瓶が空っぽだった。今日はいっぱい飲む予定が。

2020-11-27

依存心と幼少期の出来事

暑いとか寒いとか退屈だとか、部屋が汚くて不愉快だとか、お腹が空いたとか、そういう原始的欲求

そういう欲求を抱いていることに気づいて、自分で満たすのが苦手なのだと気づいた。


自分の機嫌を取って、常にご機嫌でいること。

重要だと聞いていたけど、話半分に聞いていた。

その言葉がしっくりこなかった理由が、今ようやく分かった。

私は、自分不快環境に置かれていることに鈍い。

不快環境に置かれていることが自分デフォルトであるべきだと思い込んでいる。


理由にはなんとなく思い当たる

子供の頃から、軽いネグレクトを受けていた。

うちは貧乏で、両親は共働きで、父は単身赴任だったので家には母と私だけだった。

母は朝から晩まで働いていたから、怠惰とか怠慢ではなく、単に子供に割けるリソースがなかったのだと思う。

それでも私の置かれた環境は、客観的に見てネグレクトだったと思う。


私の家はゴミ屋敷で、しかも母は私を放任していた。

なので保育園のない日は、床も見えないほどゴミの散乱した部屋で遊び道具を探しながら、ひたすら母の帰宅を待った。

暑いのも寒いのもお腹が空くのも、部屋が汚いのも、退屈なのも、全部母に解決してもらうしかない。

私は母に依存して生きていた。


私の最古の記憶は5歳で、5歳の私は必死に母に縋って生きている。

母は応えられる限りの要望に応えている。

かい家族の絵図だと思う。

でもあの時、母は私に生きるための細々とした知識を教えてくれなかった。


例えば、エアコン操作が分からなかった。

私は母にエアコン付けてとねだる。母はエアコンリモコン黄色ボタンを押しながら、「これくらい自分でやりなさいよ」と言う。

一度、留守番の時にそうしてみたら、部屋が気持ちよくなるはずが逆に息苦しくなった。帰宅した母は驚いてリモコンを見、ダンボウになっていると言った。

ダンボウの何が悪いか分からなかったが、見よう見まねではリモコン操作できないようだった。黄色ボタンの他に、様々な大きさのボタンがあったが、意味は分からずじまい。

母は簡単にそのリモコン操作する。だからきっと操作簡単なんだろう。でも私は理解できなかったし、母が察して教えてくれることもなかった。

そういうものだと思った。母は面倒くさそうに「こんなの自分でできるでしょ」と言うけど、私には何故かできない。でも成長したらできるようになるのかもしれないと思って、ひとまず自分の成長を待つことにした。


それからゴミ分別も分からなかった。生活で出たゴミを母に渡すと、三つ並んだゴミ箱のどれかに放り込んでくれる。何か規則があるらしいけれど、どんな規則か分からなかった。

規則を知るために質問たかもしれない。しかしおそらく、まだ早いからといった感じではぐらかされたのだと思う。教わった記憶がない。

から正しいゴミの捨て方が分からず、いつまでも母を呼びつけてゴミを預けた。これも「いい加減自分でやりなさいよ」と言われた。「でも、どうやって捨てればいいかからない」とある時私は言った(と思う)。すると母は、「そんなの簡単じゃん、こういう燃えないゴミはこの箱!」と言って、三つのゴミ箱のどれかにゴミを放り込んだ。

悲しいことに、どのゴミ箱が燃えないゴミの箱だったか、一瞬では覚えられなかった。しかも、「燃えないゴミ」と「燃えゴミ」の区別も分からなかった。でも多分幼い私はそういう新たな疑問を咄嗟言葉にできなかったし、母は苛立っていたから、質問をやめた、ような気がする。


とにかく耐えれば済む話だった。不快さに耐えて、母に依存し、時に嫌味を言われながらも、「いつか規則理解できる日」が来れば、自分で何でも解決できるようになるはずだった。

しかし、そんな日は来なかった。規則常識は生きていれば自然と肌を通じて浸透するものではなく、どこかでルールとして誰かに教わらなければならないらしかった。

ところが、私の周りにはそうしたルールを親身に教えてくれる人はいなかったので、私はずっとルールを知らず、知らないのを誤魔化しながら生きていたのだった。


なぜこんな話を書いたのか。それはたぶん、ついにその生き方限界を感じ始めたからだ。


きっかけは今取り組んでいる卒論である

今まで人に質問する習慣がなかった私は、大抵の疑問をネット検索して解決してきた。

ところが卒論の書き方なんてネット上に解説されてない。

初めての事態に、私はフリーズした。

文字通りのフリーズで、頭が全く働かなくなった。

空っぽの鍋の底をお玉で何度も引っ掻くように、全く手応えのない脳内に答えを求め続けた。


そうして前のゼミから全く進捗のない週を何度も経験し、自分が情けなくて何度もゼミを欠席した。

すると教授院生さんが私の異変に気づいたのか、どんな些細なことでも質問してくれていいと言ってくださったり、私がやるべきことについて詳しく説明してくださるようになった。

正直、手取り足取り教わるというのは初めてだった。

しかちゃんと手順を教わると、あれ程上手く進められなかった作業ちゃんと進むのだ。

この世はそんなに簡単でいいのか、と思った。


でも、家に帰って一人になると途端にやる気が出なくなる。

私が私のためにできることなんてないような気がする。

お腹が空いても、部屋が寒くても、部屋が汚くても、私にはどうすることもできないから耐えるしかない。

毛布にくるまりながら、あのドアが開くのを待つしかない。

そういうどうしようもない気持ちになって、どうしようもない現実を耐えて過ごすだけの人間になる。


正直この状態になると全くダメで、特に卒論作業が上手くいった日ほど大きなギャップを感じ、次の日以降の作業に身が入らなくなる。

さすがにこのままではまずいので、家にいる時の底なし無力感について考えたところ、幼少期の経験に行き当たった。


質問してもちゃんと答えてもらえなかったり、理解できるようには教えてもらえなかったこと。

教わらなくても理解しているのが当たり前で、理解していない自分人一倍出来が悪いと思ってしまたこと。

自分のやることは間違いだらけなので、自分で考えて行動するなど以ての外だと思っていたこと。

自分自分欲求を満たすような行動を勝手に起こしてはいけないと思ってしまっていたこと。


幼少期の経験から、おそらくこうした思い込みが私の中に芽生え、私をずっと規定し続けてきた。

それがセルフネグレクトや自信喪失に繋がっていたのだと思う。

母と私の関係も、悪くいえば母が私を依存させるよう仕向けるようなものだったと思う。

ただ、自覚してしまえばもう大丈夫な気がする。


卒論によって、私は生まれて初めて誰かに質問したり、頼ったりしなければいけない状況に追い込まれた。

でもそれが結果として、私に質問する習慣を与えてくれた。

人に分からないことを聞き、相手時間をいただいて教えてもらうというのは、こんなに有意義価値あるものかと知ることができた。

人生、どこでどんな発見を得られるか分からないと思う。

本当はくだらない人生だと思ってたし、自殺するために飛行機距離ほど離れた大学に進学したけれど、卒論を書くほどまで生きていたのは結果的に良かったのかもしれない。


結局とりとめのない文になった。

でも、私と似た境遇の人に読んでもらえれば嬉しい。

2020-11-26

断食してわかったこ

一年ほど前、2週間飲み物以外口にしなかったことがある。仕事のことで病んでしまい、これはもう死ぬか倒れるかして今の状況から逃れるしかないと思い詰めていた。水分摂取は可、固形物は不可、というルール断食をまるまる2週間おこなった。その時にわかたことを、今後ハンガーストライキをする人のために列挙する。

・食欲はかなり強い欲求である

ーー 自分普段からさほど食欲がなく、食が細いタイプだったのでこれまで気づかなかったが、言うまでもなく食欲は絶望している人にも等しく訪れる。食べないことを続けるのはかなりの精神力必要。ちなみに断食中、彼女カフェに行き、目の前でケーキを食べられた時は殺意を感じた。

・水分だけでも人は長期間生きられる

ーー 水、お茶ジュースの他は何も口にしなかったが、2週間普通に仕事を続け、一見何も問題なく生き続けられた。土日は彼女デートしてたしね。もっとも、1週間ほど経ったところで❶首周りが激痛で動かなくなった(このため、左右上下を見たい時は上半身ごと動かすハメになった)ほか、❷寝汗が信じられないくらい出て(シャツを絞るとビチャビチャと出るくらい、最初おねしょかと思うくらいの量)夜中に目覚めるといった、体調への異変はあった。

・ふとしたこと断食は終わる

ーー 2週間が経ったある日、仕事後に友達の家に泊まろうとしたが、友達仕事が終わらないので、マクドナルド時間を潰していた時、なんとなくポテトを食べてしまい、そこであっけなく断食は終わった。仕事に起因する精神的な問題は何も解決してなかったが、それでも人生は続いてしまった。今でも人生をなんとか辞めたいと思い続けているが、人は意外と死なないものだ。

病院現場感がまったく違うなあ

コロナで大変とネット実名で書いてる医師がいる一方で、

自分の近所ではまったく異変を感じられない

というか、異変を感じられないように病院が隠してるとか?

それも変な話だよなあ

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