はてなキーワード: 感情移入とは
やはり絵が綺麗というだけで動かすとまるで本当に異世界があるかのような錯覚をキメることができるので
ゲームに美麗なビジュアルというのは面白さに直結してくると思う
前作は未プレイ
予定もない
言いたいことはそうではない
ニーア オートマタはアンドロイドや機械がメインキャラということで
そういえばオートマタという映画があったなとネタバレ記事を検索して読んだ
端的にいうとつまらないらしい
この手のシンギュラリティや人工知能をテーマとしたSFは鬼門だと思う
登ろうとすれば死ぬ
なぜなら作者である人間の頭脳ではどうやっても人間を超越した知能を描写することが不可能だからだ
漫画の登場人物に天才がいてもその天才の頭脳の上限は作者と同じっていうアレだ
だからSFでAIそのものをテーマにした作品に当たりが無いのは当然ともいえる
AIをテーマにしてるようで、実はロボットと人間のハートフルがメインになっていてそこが評価される作品は多々あるが
AIの「人類を超越した知能が引き起こすシンギュラリティ」を本当にメインに扱って評価されている映画は1つもない
あれにしてもスカイネットが人類に反乱を起こした理由に説得力がないし、
何を基軸にして人間と対立しなければいけないのかというのがあやふやにされやすい
狂っているとしたら自己修復できないでAIとしては未完成ではないかという本末転倒な設定もある
だいたいこの手の作品で描かれている人工知能は、現実にある人工無能をちょっと賢くしたバージョンでしかない
ここに作者が人間であることの限界を感じて、のめり込みにくくなるのがAIをメインにした作品の残念なところだと思う
逆に、AIはどれだけ科学力が進んでも作れなかった、という設定のSFだとまだ人類の知恵に有用性が残されているため
冒険が残る世界を描きやすくなると思うので安易にAIを出すのではなくそっち方面で開拓していってもらいたい
そうではない
また話がそれた
とにかくニーア オートマタが機械同士の争いになるということで
プレイヤーである自分がどこに視点をおけば一番楽しめるのかという話だ
警戒している
というのも先に述べたようにAIが間違いを犯さない超越した知能を持っているという見方をすると
もちろんAIには性能差があるだろうからキャラクターが設定できる余地はある
オートマタがどういう物なのかも分かってない
でも機械というのは本来作られた段階からできることが決まっている存在なのだ
厳密にいえば人間にも当てはまるが人間には運命を決める選択権が備わっているので平行世界を渡り歩く権限があるため冒険性が必ず内在する
しかし機械には投げた石の落下地点が計算できるようにたどる結末には変化がない
そういったことを前提に見てしまうニーア オートマタをどういった角度から見れば楽しめるのかを考える
神の視点からか、ニーアの視点からか、ポットからか、はたまた…
登場人物に自分の感覚を重ねることで異世界にいき、異世界の出来事として受け止めることが没入しやすいと思う
こういうときに感情移入しやすいキャラというのはいてくれた方がいいと感じる
出なければ神の視点では人形劇を見る私、で異世界にいけなくなるからだ
住人Aというのも難しい話だろう
とにかく人工知能ネタはロマンもあるけどそれだけに冷めさせるトラップが潜んでいるので気構えというか、気苦労もある
えー、とにかく楽しみにしています
だいぶ前に最新から2,3巻を除いて読んだことがある。
主人公かねきくんは気に入った。グール側の展開は面白いと思う。
ただし警察?側が出てくると駄目だ。うざったい!お話が面白くない!!
グール側から話が始まって主人公に感情移入してるからかもしれないけど警察?側が何のためにいるのかわからない。
いちいち戦闘中にくっさい会話を挟んできてそこの場面が妙に遅く感じる。
そんなことやってる間に攻撃されろ!とスピーディーな展開を気持ちを求める心が止まらない。
ていうか一昔前のヒューマンドラマみたいなコミュニケーションなんとかならん?
第一モブ顔が多すぎるしグールの死骸を利用して作った武器がカッコ悪い。
それグールの元家族じゃん!かわいそうじゃん!怒っても仕方なくない!?
グールは生存のために人体食わなきゃいけないんだからしょうがないじゃん!しょうがないじゃん!!
どうもグール寄りになる。
いや…死刑囚だったり募集制で死体集めてグールに提供しよ?人間社会の中に紛れて生きてる人間と同じ姿してる生き物だってわかってるなら歩み寄ろ?人権考えよ?知性が同等にある生き物じゃん…この世界だと捕鯨問題とかどうなってるん…?シャチはいるんでしょ…。
テクノロジーは十分あるっぽいから人肉の試験管内培養とか、実現可能レベルまでは来てると思うんだよな。
ちゃんとそういうの社会保障としてグールに提供して、人肉を食べなくては生きられませんが人が人を食べるカニバリズムはおぞましいですみたいな倫理観の教育をして、繁殖しないような管理をして、緩やかに絶滅してもらうほうがいいような気がしちゃうんだよなー。
父が死んだとかさ…いや父がグールのほうに寄ってってたんだしグールたくさん殺したよね…?そこはスルー…?まじで?
グール人権が気になる身としては全く人間側の事情が響いてこない。
キャラクターが…つまんない…。魅力ない…。
生活のデティールも興味ない二人のラブシーンもいらないよ…。全然おもろくないし…。
私怨のためにグール殺して正義を語(ってるように見え)るのが気に食わない。
いや社会保安のためにグールと戦ってるんですよね、まあ敵から身を守らなきゃいけないよね、殺されて食われたくないよね、それはわかるんだけどね。
まあグール側もね、もっと大きい冷凍保存場所確保して効率よく食べてかないと、東京といえど足りなくならない?っていうのも気になるけど。
おもしろい…気はするしこうやって物語全体をはっきりと見せないままストーリーはまだまだ現在進行形だよ!ってことなのかな。
キャラクターの掘り下げがすごい!みんな魅力ある!って感想を見たけどそれは、キャラ造詣が気に入ってる人はいいかもだけど、引き延ばしと回収できてないだけっぽく見えるっていうか…面白いっぽく見えるんだけどー、アニメとか面白いっぽく見えるような気もするんだけどーかねきくんがどうなってるのー?かねきくんはー??かねきくんどうなったのーー???モヤモヤが回収されないのがーイライラするんだよねーそれも手なのかもしれないけどー?
おもんなかったっす
つまんねー金返せ!ってなるレベルの駄作じゃなかったけど、ただただ普通に面白くなかった
絵はねー、良いんだよ
何か知らん間に仲良くなっとるというか、
シナリオ通りに動かされてるだけ感?っていうのかな
最後までキャラが脚本の奴隷でしかないように感じられてちっとも感情移入できんかった
とはいえクソってほど酷いわけじゃないんだよね
もしこれが1クールの深夜アニメだったらそこそこ評価してたと思う
でも千円二千円払って映画館で見るのはね……正月から若干もったいない気分にはなった
何かほんとこう、惜しいんだよなあ
シナリオ以外は良いんだからもうちょっとこう、どうにかして欲しかった
エンドロールのあとに高校編ダイジェスト予告みたいなのがあったけど、それをテレビでやってくれたら見ると思う
でも映画なら行かない
それくらいの評価ですね
2.どうして売れないそうなアニメ作るんだろうねとフリを入れてしまった
3.SHIROBAKOの後追いをしようと劣化コピーを出して比較されてしまった
4.女の子は出すけど露骨な脱ぎを減らして性欲を煽り忘れてしまった
5.アニメ業界を批判するはずが途中で怖くなってやめてしまった
6.物語にちゃんとオチを付けなければいけないのになあなあで済ませてしまった
7.主人公は魅力的でなければいけないのに応援したくなるようなキャラではなかった
8.主人公以外の登場人物も魅力的でなければいけないのにただのステレオタイプの寄せ集めだった
9.原作者がライトノベル作家なのにライトノベル作家を出した結果自虐っぽくなりノイズになった
10.まとめサイト常連のようなアニメにお金を落とすわけではないような層にアピールして狙う客を間違えた
5.最初に決めたテーマは最後まで貫き貫けないテーマは最初から避ける
6.物語にはしっかりとしたオチを付けるためちゃんとオチから逆算して作る
7.主人公は魅力的で感情移入をしたくなるような造形にしてする
8.登場人物のキャラは分かりやすくもただのステレオタイプで終わらないように肉付けに手を抜かない
9.作品を鑑賞する邪魔になるような要素は極力減らし関係者の自分語りになるようなものは避ける
10.パイの取り合いを恐れずアニメを買っている層を狙い撃ちして手堅く攻める
これさえ守っていれば2000枚は固いだろうな
漫画図書館Zがリニューアルしたし、年末だし、Jコミ時代から今まで読んできて面白かったZオフィシャルの漫画を紹介するよ。
匿名である以上筆者のパーソナリティに依存するランキングをつけても無価値なので、年代順に列挙する。参考にしたのは、作品本体、著者のホームページ、メディア芸術データベース (https://mediaarts-db.jp/mg/) および Wikipedia。画像がないので説明文多め。あと参考までに連載誌情報も分かった分だけ添えとく。
なお、増田はあんまり漫画を読まないので、この作者は有名とかこの作品は名作とかほとんど知りません。それと投稿制限のため作品ページには直リンクしていません。手間かけさせてごめんね。http か https でアクセスしてね。
猫型のネコン星人と共存社会を作っている、近い未来の地球を舞台にしたコメディーSF。
人間たちに虐げられているネコン星人が自由のために蜂起する話がメインストーリーだけど、漫画の核心はめね田や猫田たち無軌道(猫)大学生たちの傍若無人っぷりを鑑賞することだと思う(特にモーガン所長がひどい目に合わされるところ)。
ずばり少女漫画。ちびなのに馬鹿力で一人称が「オレ」の女の子 弥生と、弥生のことが大好きなのっぽでラグビー馬鹿の陸、通称バイオレンスコンビをめぐるラブストーリー。
陸の方は一途に弥生を思っているのだけど、鈍感で男勝りな弥生は陸を親友としか思っていなくて、いつも悶々させられる陸。やっぱり男の片思いはいいわ。頭の中の箸が進むすすむ。
少女漫画の醍醐味と言えば恋する二人の関係性の変化なんだけど、この作品では、恋愛に無頓着な弥生が、何ものにも代えがたい陸と一緒にいるために、悩んだ末に親友から恋人という関係性の変化を受け入れるところがぐっとくる。恋人となることを受け入れた弥生だけど、陸とはずっと親友関係だったから、急に恋人関係(デート、キス)を求められて戸惑う。その弥生の戸惑いを汲んだ陸が自分が暴走していたと反省するところもいい。二人の幸せは一人と一人の幸せの足し算ではなくて、二人でいることでしか見えてこない幸せのことなんだと思う。
漫画が終わっても、この二人はきっと大丈夫だと思える少女漫画はいい少女漫画だ。
超能力者として戦争のために育てられた子供達「クラリオンの子供たち」をはじめ、冷凍睡眠から目覚めてみれば地上で最後の生き残りとなっていた少年が、電話でマザーコンピューターにグチ垂れる「THE DAY AFTER CARE」など少年少女がメインのSF短編集。
廃棄された街の底で他人の赤子を身ごもる出稼ぎ代理母達が、中東の政治対立に巻き込まれる「マザーズタウンラプソディ」がおすすめ。
ちなみに宮崎駿があとがきで絶賛している。なおハードなSFがよければこちらをどうぞ。
ARMS (www.mangaz.com/book/detail/43001)
女王蟻 (www.mangaz.com/book/detail/3901)
タイトル通り、古びた町の古びた校舎を舞台に、転校生の少女とノスタルジックな夢が交差する漫画。
あらすじ
夏休みのある日、古びた町に転校してきたばかりの宮沢真里は、校舎の中で謎の少女に帰ってきたのと抱きしめられた。その少女は、真里が転校してきたころ偶然目撃してしまった、古びた教室で自らを慰めていた少女 岡部梨絵であった。梨絵と恋人同士になった真里は学校で、原っぱで、古びた路地で、幻想的なときを過ごす。
古い作品なんだけど、色褪せない艶みたいなものを感じる良作。正直はじめて読んだ時、過去にこんな作品があったなんてと、かなりショックだった。
作中にこんなやりとりがある。
梨絵「手沢(しゅたく)って言葉があるわ」
真里「聞いたことある」「よく使われたりさわられたりした木が つやつやに光ってくるようなことでしょ?」
梨絵「そう ここにはいっぱいあるね そういうのが」
まさにそんな作品。
また、田舎の学校の垢抜けない感じがごく自然に表現されていて、増田的には恩田陸の「蛇行する川のほとり」とか「六番目の小夜子」が思い出された(わかる人には伝わってほしい)。
キャラクターとしては真里のちょっとふてぶてしくてまっすぐな性格がよい。友達に対してはおおらかで若者らしく愛する人にはまっすぐ好きと伝える。その全てが自然体で、漫画を読んでいるとまるでどこかに古い学校があって真里が今でもそこにいるような気がしてくる。
レズビアン行為の描写があるので苦手な人は注意ね。
ティリニアという架空の大陸を舞台に「魅猟龍人」や「マジシャンロード」、「サルトーの凱歌」など複数のタイトルにまたがるファンタジー漫画シリーズ。
いわゆる剣があって魔法が偏在している世界なんだけど、今のようにメラの上がメラミでメラミが強くなるとメラゾーマでやまびこの帽子を装備したらメラゾーマ連発でめっちゃ強い、みたいな共通認識がない時代なので、世界設定に作者色が強く滲んでいる(巻末の歴史表および設定資料参照)。
オススメはリンクしてある「魅猟龍人」。魅魔という悪鬼のようなものを狩る一族と、大陸中で迫害される龍族に生まれ魅猟に育てられた主人公の冒険譚。
ビームとか飛行船とか出てくるけど、王宮とか飛行座とか聖武将とかファンタジー濃度が高い、ファンタジック時代風スペースオペラ。
ちょっと増田の語彙では適切に紹介するのが難しいので、冒頭を引いてみる。
広大な星界に散らばる国々を「帝都」と称す専制国家が支配していた時代
『これが墓陵衛星「伊邪那美」か。星ひとつ墓にするなんざ気が知れねえな。』
『「星」というより岩の塊。小さいが造りはいい。気圧も重力も申し分ない。』
『これが”墓”とはね。』
『(こんなところに本当に”奴”がいるのか?)』
おわかりいただけたでしょうか。あんまりこういう漫画読んだことないけど、作者がこんな雰囲気好きなんだろうなーって思える。
なんていうか「デューン 砂の惑星」を初めて読んだ時の感覚といえばいいだろうか、SF的装置と非科学的なよくわからん概念が有機的に結合していて勢いがページから蒸れてくるような感覚。
架空時代物好きなんだーって人にオススメ。
力士と女子高生おかみもの。
少女漫画の彼氏側はかっこよくなくてはならないという不問律と脂肪と筋肉ドーンの力士でどう釣り合いをとったか。
答えは幕下イケメン力士だ! これならイケメンと脂肪のトレードオフにはならないぞ!
あらすじ
高校生の早弓は、たった一人の家族だった祖父の葬式の帰り、二年前に行方不明になった双子の兄 乙矢が斬り殺される幻想を見た。その瞬間、突然現れた黒い鎧武者に巨大な刀で斬りつけられた。目がさめると早弓の体は乙矢となっていた。しかも早弓が目を覚ました世界は現代の日本とは全く違う、戦国の世のような世界であった。兄の乙矢は二年前からこの世界で花敷の国の姫を守る衛士として生きていたのだった。 兄の最後の願い − 姫を守ってほしい − を守るために、早弓は姫の弟で総大将の夜光と共にさらわれた花敷の姫の救出に向かう。常識では考えられない九耀の死人兵や酷たらしい戦闘に、外見は男だが中身が少女の早弓は拒絶し苦しむが、国のため家族のため姉を助けるという夜光の真摯な思いに助けられ、次第に夜光に惹かれていく。しかし、乙矢(早弓の体)は姫と相思の仲であり、姫を無事助け出せれば国中に乙矢と姫の仲を示すこととなる。そして同時にそれは本当の自分を偽り生きていくことであるのだ。
時代伝奇ロマン漫画。いや増田にはBLの気はないと思っているんだけど、男の乙矢(中身は女)に向かって「幾度も思った。お前が女であればと。その度に自分が狂っている気がした。」なんて憔悴した顔で告げる夜光を見ると、なんか歪んだふわぁぁぁみたいな気持ちが湧き上がる。かと思うと男の体で殊勝な乙矢(中身は女)を見ると(少女として)いじらしいしかわいいし全力で応援する気持ちになるから不思議なもんだ。そう考えるとなかなかフェティシズムが詰まった漫画である。
全200ページくらいのよくまとまっている中編なのでオススメ。
諸事情により男子として育てられたノーランドの王女エスター(僕っ娘)が剣士ソール(女アレルギー)と術師テュール(男色家)を護衛に、自分の身代わりに魔狼に連れさらわれた乳兄弟を救いに行くのが一巻。彼らのその後を描いたのが二巻。一応タイトルにはサスペンス・ミステリーと書いてあるけど少女漫画。
こういうのでいいんだよこういうので(その1)。なんとなくお姉ちゃんの本棚にありそうな気がする(姉いないけど)。面白い点を挙げるならば、ソールとテュールの友人同士のフランクなやりとり、男に迫られているエスターを見てエスター一筋のソールがやきもきする姿とか、つまり少女漫画フォーマットそのものという他なくて、この気持ちがわかる人は読んでくれというしかない。
あらすじ
それぞれ違う人生を生きてきた還暦前の幼馴染三人 − 真面目な元小学校教諭の時世、お妾さんだった元芸者のミハル、専業主婦だったけど夫に愛想を尽かし家出してきた待子 − が共同生活を送りながら、第二の人生を支え合い暮らしていく話。
十年以上も前の作品になるけれど、オールドミスの老後や、熟年離婚、ワーカーホリック、仕事人間の退職後問題など、家庭内問題を正面から書いていて好感が持てる。
どの部分も優しくて素敵なんだけど、増田的にオススメしたいのは、恋愛に恵まれなかった時世が、過去一度だけ思い合っていたかもしれない男性と第二の人生で再開し、不器用だけど優しく一緒に過ごそうと決めるところ。この元同僚の男性は妻に先立たれていて、その後同じ職場で出会った時世と再婚しようとしたけれど、子供に新しい母親なんていらないと反抗され再婚を諦めた過去がある。ところがその子供が成長し自分自身が子供連れの女性と再婚したことで、当時の父親の心境を理解して時世に昔のことを謝るシーンがある。とても普通なことなんだけどとても豊かだなって思った。
ウブな時世に、芸者だったために男の酸いも甘いも知り尽くしたミハルさんが寂しさを感じながらもアドバイスするんだけど、仲の良い幼馴染だけの間柄ではなくてこれから幸せになれる女性を羨み祝福する姿勢が中庸で凡庸でとても感じ入る。
感覚投入型の巨大VR空間「BOOM-TOWN」とその街を保守するデバッガたちのお話。
デバッガのお仕事は、BOOM-TOWN に現れるノイズ(バグ)を発見して収束させること、なんだけど……実際は XYZ-P (NPC) のお悩み相談を聞いたり、BOOM-TOWN で自分の力を誇示するハッカーたちのやんちゃを懲らしめたりと何でも屋に近い。また BOOM-TOWN がメイン舞台と言っても、BOOM-TOWN での事件の原因追求のために現実世界でリアルハックを行ったりして、現実と地続きの二面性があってとても面白い仮想現実漫画。
BOOM0TOWN という仮想現実が普及した社会では、同じ人間より XYZ-P に感情移入してしまう人や、逆に人に恋をしてしまう XYZ-P がいたりして、人間もデータ化してVRに参加する以上 NPC と大差ないんだなって思える。
最後に、オススメポイント。主人公達デバッグ課はそれぞれが元ハッカーだったり英才教育施設出身だったりして、かなりプログラマ的な性格をしていてニヤニヤできる。特に、主人公(女性)が楽をするために自分の代わりに仕事(簡易デバッグ)をするボットを作ってサボっていたら、同僚に知らぬ間にボットモデルをスキャンされてボディデータを把握されるという話は非常によかった。あとウィザード級のハッカーと BOOM-TOWN の中でマトリックスばりの戦闘をするんだけど、最終的にVRの中ではなくウィルスによる現実端末ハッキングでハッカーにトドメを刺すところもリアルでよかった。
気がついたら内田さんの作品を紹介するのは二作目だった。多分この作者の乾いたユーモアが好きなんだと思う。
作品ページの紹介より引用。
2007年。 超高速通信ケーブルで繋がれた電脳世界を舞台に、 自ら作成したデータ上のロボット(VP)に搭乗し、 戦いを繰り広げるリアルタイムバトルシミュレーションゲーム 「デンジャープラネット3」。 その名手、国府高専1年生の桐生は、 ある日、謎の巨大VP "ベンケイ"に大敗してしまう。 一体どんな奴が乗っているんだ!?── 隣町のコニーパレス(ゲームセンター)からエントリーしていた 相手VPのパイロットは、高校2年生の可憐な少女だった。 "ベンケイ"のパイロット、彩理に惹かれた桐生は、 トップパイロットのプライドと彼女との交際を賭け、 新しいフルカスタムVP "九郎"で1対1の勝負を挑む。
この作品はデンジャープラネット(DP)に情熱を捧げる高専生たち若者の日々の物語。
この作品を読むと、ビデオゲーム同好会のみんなでワイワイしたり、 DP で勝利するために VP のカスタマイズに勤しんだりと、若い頃を仲の良い誰かと一緒に過ごすことができるというのはとても楽しいものだったんだなと思える。
主人公 桐生の周りの登場人物はみんな個性豊かで面白いんだけど、一番の際物は国府高専ビデオゲーム同好会の長船会長。私服として着ぐるみを毎日着てて国府高専のぬいぐるみ師の異名を持つ会長は、初登場時なんと二十二歳。まだまだ卒業したくないからという理由で計画的に留年しまくりである。さらには生粋のゲームマニアであるので、田舎を巡ってひなびた旅館に置かれているレトレゲーム(の基盤)を収集する旅(同好会の強化合宿)を開催したりと大変変人である。でも材料工学を専攻していてなおかつ構造力学にめちゃくちゃ詳しくて、 DP ではものすごい頼りになるところが実ににくい。
増田の中では、久我という過去に囚われたエンジニアと未来を純粋に見つめる桐生たちとのラストバトルがすごく良くて、ラストバトルの理想の一つになっている。 DP を遊んでいるいちユーザだった桐生が、彩理と出会い少しずつ業界に関わるようになり、 DP のユーザから DP の開発者となっていく。その桐生と彩理の目の前に最後に立ちふさがるのが、 DP に尊敬する人を踏みにじられ業界からドロップアウトした久我。このラストバトルのすべてが、若者たちによる閉塞しようとする未来の打破と過去の解放、まさに BREAK AGE を見事に描いている。
言わずと知れた魔夜先生の作品となります。
面白いので読みましょう。
一言いうならば、SFのうんちくがそこここにあり、独特の味気があるところが面白い。
あらすじ
元気娘の一条あおこは温厚な生物教師の夜光先生が大好き。積極的に毎日しかける(お弁当を一緒に食べる)ものの、夜光先生はのらりくらりと柳の如し。しかしあるとき、いつも夜光先生が両手につけているオパールの指輪をこっそり自分の手にはめてしまったとき、突然人の心の声が、それどころか生き物全ての声が頭の中に流れ込んできた。 実は夜光先生は地球の化身で、先生がつけていたのは生物の声が聞こえるオパールの指輪だったのだ! オパールの指輪を起点として、あおこの環境と夜光先生(地球)が交差していく。しかしその交差の先に待っていたのは……。
こういうのでいいんだよこういうので(その2)。
オパールの指輪をはめて、杉の木の話を聞いたり、カラスの恋愛相談に乗ったり、犬に占いをしてもらったりとのほほんとしてお話も多いのだけど、後半になるにつれて、(略)つまり地球がヤバイとなる。しかし漫画の主題が突き詰めるところあおこと夜光先生の関係性だからノープロブレムである。最後がとっても綺麗にセンチメンタルに終わるので読後感が大変気持ち良い。
友人の手入れが難しい花の世話を、先生に押し付けた時のあおこの名言を紹介しよう「平気 平気 先カンブリア紀から生き物育ててる人さ!!」
あらすじ
聖剣により魔風から守られている世界、その世界の君主国アーサトゥアルの王女エルナは、王族の身でありながら全く魔力を持たないという稀有ではあるが異端の存在であった。 しかし世界の支配を進めようとするアーサトゥアルは、魔力を持たないがゆえに世界を支えている聖剣を引き抜ける唯一の駒としてエルナを利用しようとしていた。 支配を広げようとする自国に対して違和感を持つエルナだったが、一人の力では対抗することができなかった。しかしエルナを暗殺するために彼女の前に敵国の王子シャールヴィが現れたことで、世界を変えるために、自分の力でできること、成すべきことを成すために立ち上がる。
魔力がストック性だったり古代文明の遺産がSF的で独特の味があるファンタジー漫画。
続編であるIIと合わせてどうぞ。
あらすじ
個性豊かな関北高校新聞部は、霊能事件だったり恋の謎解きだったり、今日もあのネタこのネタと東西奔走。毎回締め切りに追われながらも、けっこう低俗なセキホクジャーナルを毎月発刊しています。
こういうのでいいんだよこういうので(その3)。
なんていうか安定感が半端ではない。そうそうこうなるよねと、筋書きも語りも全部頭に入っている落語を聞くような感じがするのは増田だけではないだろう。
なお、作品事情によりヒロインの相手役は眉毛が太い。しかしいい男である。
クロスボーンガンダムで知ってた長谷川裕一作品。なんだかわかんないけど学校が丸ごと魔界へ飛んでしまったという漂流教室的な流れから始まり、わけがわからない内にいきなり敵がガンガン攻め込んでくるというハードな展開。
なんだけど、なんだかんだ7回だけ起動することができる超強力なロボット ダイソードに乗り込む熱血主人公や「サイバトロンかと思ったらモビルアーマーだわ」(自律型兵器かと思ったら搭乗型だったのねという意味)という名言を言い放ったオタク生徒会長(美人)のもと適度にシリアスに適度にコミカルにそしてちょっとエッチに進む。
長谷川作品はご都合展開などで設定を裏切ることはないし、当たり前を当たり前に描いているのでそういったこだわりが好きな人にはおすすめできる。
例えば超強力ロボット ダイソードは7回しか起動できないという制約から、一回起動したらパイロットが気絶したり寝落ちするまで気合い運用するとか、だけど無防備な会長と二人っきりになったせいでずっと悶々と完徹を続けていら、あっさりと「なぜならばナチュラルハイだからだー!」って叫んで貴重な起動回数を使ったりする主人公だったりして実によい。
ちょっとエッチで熱血な異世界漂流学園ロボット漫画である。面白い。
立派な剣士を目指す少年カイル君が、魔法がダメダメけっこうワガママお気楽白エルフのレニフィルと、頼りになる酒乱の姉御こと黒エルフのシルカに振り回されるギャグ漫画。素朴な絵とハイブロウなエルフギャグの落差が良い。
作中では、トールキンを含めたエルフの起源とか、エルフとドワーフとの確執とかを描いていて、意外とファンタジー世界の基礎がしっかりしているところもグッドポイント。
この増田は基本的にギャグマンガの激しい言動とか苦手でげんなりしちゃうんだけど、この作品はボケやツッコミがおとなしい(相対的に迫力がないとも言えるのかも)ので楽しく読めた。それにしてはひどく下品なネタもあったりするんだけどね(ケンタウロスがひっくり返ったときに腹側を見て「わー馬並み」とか)。
漫画図書館Zでだいたい通用する面白さの尺度として、巻数が長いほど面白いというのがある。
つまり18巻あるこの漫画は安定して面白い。あと長いのは奇面組(3年とハイスクール)かね。
内容は車に関する事件物。交通事故鑑定人の環倫一郎が、アメリカ全土を舞台に助手のクリスティーナを引き連れ(しばしば引っ張られながら)交通事故が起きた原因を解明していく。この説明だけだと地味な漫画かと思うかもしれないけど、いつも丁寧語で迫力がない環は実は、交通事故工学の博士号持つアカデミックポストだし、また過去に草レースでカミカゼと恐れられていたほどのドライビングテクニックを持つ元レーサーだし、かなりアメリカンにアクティブである。
ます間違いなく面白い。
透明感のあるSF連作。UFO を信じている少年や、時のエアスポットに落ちてしまった冴えない中年のサラリーマンなど、日常生活のふとした変わり目に立った人たちがメモリ星人を名乗る少女みーむと出会う、ちょっとふしぎな漫画。
みーむは会話の端々で古今東西の古典から引用する; 「恋愛の本質は自由である。」シェリー、「人生は芝居の如し」福澤諭吉、「みーん みんみんみんみんみん み〜〜〜〜ん」これは引用じゃないか……。
こんな、穏やかなんだけど、選べる選択肢には必ずよりよい道があって、だけどもどの選択肢を選んでも結局人生の無意味さに諦めを持てるような作風が増田の好みである。
なお作中にインセストタブーの場面があるので、苦手な人はご注意。
あと、再読した時に解説を梶尾真治(黄泉がえりで有名)が書いていることに気がついてびっくりした。
警視庁刑事部特殊捜査課交渉班(重要犯罪交渉人)という、重大事件での交渉がメインの警察漫画。
テロリストによるハイジャック事件やイジメられた少女の飛び降りの説得、銀行強盗犯への投降の呼びかけなど、犯人の心の葛藤と向き合い、死傷者ゼロすなわち犯人の無事すらも絶対条件とし、人生を諦めた彼らを現実(社会)へ呼び戻す場面が実に迫力がある。
作中のセリフより重要犯罪交渉人の説明を引こう
「交渉人が目指す解決というのは 常に死傷者ゼロですから」
主人公である英太郎のちょっととぼけた頼りなさそうな顔(本人談: 僕の場合はこのルックス自体が罠なんだ)をはじめとして、マイペースでゴーイングマイウェイの臨床心理士 酒堂さん、暗くて怖くて渋い元捜査一課の平光リーダーなどユニークなキャラクターが、ただでさえシリアス全振りになりそうな警察漫画にユーモアを添える。
あと、手書き輪郭線の柔らかい感じがたまらない。特徴的な図作りなんだけど意外と読みやすいと思う。また内容的にも、おそらくオウム事件を下敷きにしている新興宗教団体「メシアの号令」への強制捜査(最終章カルト編)は熱量がものすごい。
パワーがある漫画である。
今回はモアイ
第70回ちばてつや賞の受賞作への雑感。
舞台はもちろん、日常まで漫才の延長線上なノリは、テーマをとても意識しており一貫している。
一つ一つのネタ自体は実のところ、そこまで上手くも面白いとは思わないんだけれども、ちゃんと作りこんであるということが伝わってくる出来だと感じた。
テーマ自体が難しい題材でありながら、細かいところでコマ割やフキダシを使い分ける演出は、読者がノリを迷いにくいようする配慮にもなっていて感心した。
主役にセリフがほぼないこともあって、キャラクターをひたすら動かしているだけの描写が多いね。
無口な分、ストーリー上で主役の行動理由を言葉で説明しなくても読者に伝えるために丁寧に見せる工夫は多少あったほうがいいだろうからね。
けれども、個人的には「そんなに丁寧に描かんでも」、「たるいなあ」と思ってしまった。
それで、なお読みかえさないと分かりにくい箇所も多少あるので、演出上必要なことも大事だが、構成上分かりやすいことも大事かなあ。
ちょっと不思議な設定を含ませた話と見せかけて……という構成はいい感じ。
後半に明かされる「てっちゃん」の隠された真実ってのは、それなりに意味も納得できる理屈も提示されているんだけれども、それ以外が舞台装置的かつ必然性も感じないかなあ。
あと、個人的に「おっ」と思ってフックがかかるシーンがなかった。
ほおー、謎の生物の生態を調べ、そこからドラマを紡いでいくというのがいい。
この生物のメカニズムが徐々に紐解かれ、そこから真相が読み解かれる構成が引き込まれる。
ただ、所々入る回想らしきシーンの描写は、演出の工夫は評価したいんだけれども、やや分かりにくいところがあったかなあ。
主人公が四苦八苦したり、赤ん坊とのやり取りがコミカルで楽しい。
読後感もよろしいが、割と肝心な部分を省略したりして解決させているのが気がかりかな。
主人公と赤ん坊との対話が本筋だから、はしょっても問題ないとはいえ、そこに力を入れて描きたいがために、他がやや杜撰な印象も感じた。
あと、異質な設定の赤ん坊であるにも関わらず素性が明確に明かされないままなこともあって、父と子のハートフルストーリーや、主人公の芸能界による再構成物語と本筋がブレていると感じる部分もあった。
キャラクター自体はデザイン含めてさっぱり気味なんだけれども、背景とか細々とした箇所は丁寧に描かれていて全体的に華やか。
心情描写含めて、言葉で説明しすぎなキライがあるのが気がかりかな。
夢か幻想のような状態でとある人物たちの対話シーンがあるのだが、ここは言葉で説明しすぎ問題が特に顕著で、演出力は総じてイマイチ。
あーいう場面こそ丁寧な絵で彩って演出したほうがいいと思うんだけれどもね。
主人公自身のバックボーン、葛藤や、それゆえの問題解決のための言動にも説得力が出ている。
生徒が小学生というのもあるが、小難しい理屈を捏ねずに主人公なりにベストなアンサーにたどり着く過程は無理がなく読後感もよろしい。
強いて言うなら、やや人物相関や設定が読みきりとしては過多に感じたかな(このあたり主人公の言動に説得力を持たせたり、感情移入させる一助になっているので、一概にいらないとはいいにくいが)。
絵が全体的にカタいなあ、ぎこちない。
いや、身もふたもないことをいえば上手くないってことなんだけれども。
題材自体は興味深いんだけれども、作者の力量がそれについてこれていない。
やや荒い絵だけれども、魅せ方を多少理解しているのかボクシングシーンでは熱量が伝わってくる。
ストーリーやセリフ回し含めて、それっぽいことを言って煙に巻いている構成が気になるかなあ。
そこまで一つの作品に長々と感想書いているわけでもないのに、結構時間かかってしまった。
総括としてはレベル高くて、かつジャンルやテーマも多種多様だったかな。
私があんまり直接的に褒めるような感想を書かないからアレだと受け取られているかもしれないけれども、ベクトルこそ違えど総合的にはどれも良かったよ。
まあ今回の中で、私が単純に好きな作品となると『先生失格!』や『海へ還る』かなあ。
大賞が上手いってことは分かるので、それに異議を唱えるつもりはないけれども。
ガラスの仮面みたいなど根性で這い上がっていくサクセスストーリーはもうゆとりには受けないんだよ。
・天才肌だけど自信のない内向的主人公(優越的な感情移入の対象)
・傍目にはものすごく軽いんだけど本人的には深いっぽい懊悩
・さんざん煽っておきつつも「これは同性愛じゃない」という逃げ道
・どっかで聞いたような安心できる話と設定。
こんなとこでしょ。
ショタというジャンルがあって、相手が男か女かという違いがあり、さらに女が同年代(インピオ)か、上か(おねショタ)という分類だった。
あくまでメインはかわいい男の子であり、お姉さんは付随するものだった。
ショタジャンルのメインシーンであるアンソロは基本的に女人禁制でありショタホモ、あるいはホモインピオが99%で、おねショタモノはコミックRinとかノーマル男性向け雑誌にぽつぽつとある状態だった。
ここへ男の娘(当時は女装男子と呼んでいた。今でも厳密に両者を区別する場合もある)ブームが来て、おねショタブームが続いた。ここでジャンルに変質が起きた。
ショタコンでない作家もおねショタをエロのジャンルとして描くようになり、主従の逆転が起きたのだ。メインはお姉さんであり(例えば艦これの某とか)、男の子はその相手という立ち位置になった。ショタに関しては思い入れがないものだから、男の子がのっぺらぼうだったり、最悪ちっちゃいおっさんだったりする。
この主従の逆転はおそらく感情移入先の逆転だろうと思う。従来のおねショタの移入先はお姉さんの側であり、その欲求はかわいい男の子を犯したい、あるいは犯されたいだった。一方、主従逆転したおねショタの移入先は男の子の方であり、その欲求はお姉さんに犯されたい、甘やかされたいだ。
つまり男性Mシチュエーションとしてのおねショタであり、最近では大人の男そのままにお姉さん(あるいは年下の少女)に甘えるシチュエーションに移行している。
このジャンルの変質にショタコンの自分としては苦々しいものがあった。賞味したいのはかわいい男の子であるのに、その男の子がぞんざいだという不満もある。
それに加えて、おねショタのメイン層は前述した男性Mシチュエーションを求める層であり、男の子の側は徹底した受け身を求めることが多い。つまりお姉さんが常に上位でありその逆転は認められないという立場だ。その証拠にGirls ForMという雑誌ができ、この雑誌の当初の売りは「逆転なし」というものだったはずだ。
一方旧来のおねショタユーザーの自分としては、逆転したりしなかったりという両者の関係の機微が読みたかったりするし、男の子の側が全く上位でも構わない。悪魔的美少年に悪戯されるなんて、とんだご褒美だろ。
対象を評価するにはそれを客体におかなければならない。男の子の側に感情移入するおねショタはショタジャンルたり得ないのではないか。
ただ最近では前述した通り男性Mシチュユーザーが他に移行したこともあってか、旧来の男の子を賞味するおねショタに回復しつつあるように思う。それには女装コスプレブームが関係しているのはないかと考えている。
オカルティック・ナイン。視聴者がすごいと言うより、選民感を感じさせる作りになっているなと感じる。
シュタゲもそうだったが、まず最初のキャラ造形でふるいにかける。どんな人がふるいにかけられるかというと、偏屈で器の小さい人だ。煽るような表現をして申し訳ないけど、まさしくそう思うのだから我慢して欲しい。オタクにはそういう人が多いだろうから、1話切りする人が相当いただろう。
典型的なふるいだなと思ったのが、ネットスラングを多用するキャラがいること。ネットスラングに日常的に触れていて、ネタを理解できる人のうち、反応は2つに分かれる。
「あーハイハイ、クッサ、そういうのマジ勘弁」みたいに受け取る人と
「あーあるよね、そういう人もいるよねウフフ」みたいに受け取る人。
前者は、どちらかというと本当にコアなネット文化の理解者というよりは、にわか感がある人に多い気がする。例えば、にわかファンがよりにわかなファンを叩く光景と同じ原理が働くのだろう。つまりは、自分が理解者であることを自負したいから、他人が理解を表現することを脅威と感じたり陳腐に感じたりする。肥大した自我を守るために他者を矮小化するのだ。もしくは、自分では同族と思っていないかもしれないが、同族嫌悪の感情。いずれにしても、器の小さい人間のすることだ。
本当に理解が深い人は、他人の表現についてもどっしり構えて心静かに観察することができて、いたずらに攻撃的になったりはしない。ネットスラングへの造詣が深かったとしても、自身は現実でもネットでも一切スラングを使っておらず、おくびにも出さないタイプが多いかもしれない。要するに、理解を、自己と同一化していない。自己のステータスにしないしアピールもしない。だから自己と他者を「○○を理解する人/しない人」みたいに分けてマウントするようなことがない。結果として、どんな表現もフラットに受け止めやすい。創作となれば尚更だ。
中高生のころなら、そういうラベリング合戦に執心して見えない敵と戦っていた人も多かろうが、ある程度おとなになると、普通はしなくなるものだ。そう言いつつもこの文章自体がラベリング合戦同然の青臭さを帯びていることについては、見逃して欲しい。私もおとなになれなかった大きな子どもであり、自己矛盾型キャラなのだ。
さておき、作品全体が例に挙げたようなスラングのノリで構成されているわけではない。巨乳の電波系少女を出してきて、イチゲンさんに下品な萌えアニメかと思わせる部分もそうだ。結局それらは、重苦しい世界観を覆い隠すための、しかもそうである必然性が後々わかってくる類の仮面にすぎないのだ。
シリーズのファンであればそのことを重々承知しているので、ああいった初見バイバイな描写に惑わされることはない。けれどそうでない人にとっては、これでもかというほど辟易させる要素が詰め込んであると映る。特にマトモぶった偏屈な人ほどそう感じ、嫌悪感を抱きやすいのではないかと思う。
主人公がウザキャラで、アフィやニート属性であることもひっかけポイントだろう。これらは、現実ではネットほど非難される対象ではない。ネットの卑しい思考回路に染まっている人ほど、これらを執拗に叩く傾向がある。経済を理解している一定層以上の人間なら、アフィリエイト行為自体を叩いたり嫌悪したりはしない。やり方が悪いアフィリエイターが跋扈していることは事実だとしても、アフィ自体を嫌悪の対象にすることはむしろ危惧すべきものだ。ニートに対しても同じ。彼らは時代の産物であって、自己責任論で叩くべき存在というよりは、社会が救済すべきものだという認識が基本だ。そもそも作中の主人公は悪質なアフィリエイターでも、見放されるようなニートでもないので何も嫌悪する要素がない。むしろ可愛らしいものだ。
さらに言えば、忙しく目まぐるしいテンポ、伏線を匂わせる描写の密度が、一般的な作品と比較すると異常な域にある点もそうだ。テンポについては、ネットでは早口だと揶揄される。だが視聴していくと、この作品はむしろこのくらいのテンポが相応しいように感じられるだろう。それでも時折不自然なほど早口だと感じる部分はあって、そういう不自然さがどうしても許せない人がネットには多い。けれどインタビューによると、キャストもその部分には面食らっている。制作側もそれを理解していて、1話台本の冒頭に、どうしてこういう早口な演出が多用されているかの解説があったらしい。そこの部分は視聴者の我々が窺い知ることのできない所ではあるが。
ともかくネットというのは悪意的な見方の人間の声が大きくなりやすい。そして、クリエイティブな制作者に対する声も含め、他者への敬意や謙虚さが微塵もない罵詈雑言が並べ立てられている。そうしたものに思考を汚染され、流されてしまわないためには、実際の制作者やキャストの声を聞いて、かける思いを汲み取ることが重要だ。それはどのアニメ、どの映像作品にも言えることだが、オカンは特にそれが求められる作品だと感じる。
あまりにも密度が濃いので、結局大風呂敷を広げただけで伏線を回収しきれないんだろ、と馬鹿にする声も聞く。しかし10話までみてきた印象としては、かなり綿密に練られている。最新話をみるたび過去話を見返していくと、膝を打つような発見、「そういうことだったのか!」がそこかしこにある。だが、「どうせ回収できない、ご都合主義だ」と侮る声を発する人を納得させることはできないと思う。そういう見方をする時点で全てのフィクションはスポイルされると思うが、それに加えてオカン特有の事情がある。おそらく、アニメ単体では全ての事実は明らかにならない。コミック版は12話からアニメとは別のルートに入ったという告知がされている。アニメは2巻まで出ている原作ノベルを圧縮した内容ではあるが、すでにノベルの先の展開を描いている。アニメ展開に合わせたように発売日が延長→未定となっているノベル3巻もアニメとは別のルートに入る可能性が高い。つまり各メディアを律儀に追っている人ほど、全容を知れるという仕掛けになりそうだ(なんてうまい商売なんだ)。
けれども裏を返せば、そのへんの事情を知らないライト層には不完全な作品と取られる恐れもあるわけだ。そういう整合性に異常に執着するアニメファンは、爆死だなんだと言うだろう。それを見越していながら突き進むスタイルは、ある意味でロックな姿勢ではある。一方でそういう側面こそある種の信者ビジネスの肝だなと冷ややかに見ることもできるが、ストーリーの内容が内容だけに、楽しむことが好きなオタクならばシャレを効かせたメタ展開だと笑って受け止めるだろう。その八福神の会だか300人委員会だか分からないが、自分もそっち側に入信して、賤民には知り得ない真実に辿り着こうではないか、なんてノリにもなるというものだ。
思うに、大ヒットする作品というのは多分にカルト的要素を含むものだ。オカンにもその素地があると感じる。ラブライブにしろ、ガルパンにしろ、エヴァでもガンダムでもいいが、ああいった作品のファンは宗教的なところがある。単に作品が魅力的だというだけではなく、作品に思想が込められていて、そのメッセージ性がいわば「教義」となり、観る人を感動させ、伝播の原動力となるのだ。作品を観ることで、その教義を受け取り、コンテクストを共有する。その域までたどり着いた人はまさに信者であり、選民となる。往々にしてひねくれた演出、尖った演出の数々は、その選民感を増幅させるのに有効に働く。けれど、ついていけない人には、真逆に働く。
よく、「ノリについていけない」とか「登場人物に感情移入できない」という文句を言う人がいる。そういう人はおそらく、メタな感覚で作品を眺めすぎている。無意識に作品の向こうに作者を透かしてみていて、そうやってみる作者のことを「こいつはダメだな、こいつの作品はいけ好かない」と思っていたりする。それで作品本体をまじめに見れなくなっており、雑念がなければ感じ取れたはずの感動を取りこぼしているのではないか。原作者の志倉千代丸氏自身もおちゃめな発言をするタイプではあるが、それも一種のペルソナを演じているだけであって、硬軟かき分ける技量がある懐の深い作家であることは原作ノベルに触れると分かる。だから仮に登場人物がイタくても、キャラ造形が古臭くても、それに引きずられて作品自体や作者をイタいと思うのは間違いだ。
感情移入ができないことを問題視するのも、そもそもおかしな話だ。感情移入ができる、というか、キャラクターの(言外にあらわれる)感情が伝わってくるから感動できる、良い、というのは分かる。しかし、それが分からない、キャラの思考回路が伝わってこないからダメだ、とはならない。異なる価値観とか多様性に対するスタンスについて説教するわけではないが、はっきり言って、そういう人は、自分と近しい環境で生き、近しい感覚・行動原理を備えた登場人物が動く作品しかまともに見れないのではないか。フィクションには強烈な個性を備えたキャラがよくいるものだが、ほとんどの場合、どうしてそういう性格になったのかは察せるものだ。はじめは理解しがたい性格のキャラこそ、大いに想像力を働かせながら読み進め、自分には無かった思考回路や価値観にたどり着く感動が得られるものだ。萌え日常系アニメのキャラならともかく、脚本があるストーリーもののキャラであれば、そうやって「キャラを理解する」作業はたいてい報われる。思っているよりもずっと。そういう作業を序盤で放棄して、「こんなキャラは理解できない、受け付けない、リアルじゃない」と決めつけ、あまつさえ「キャラの作り込みが悪い」などと作品のせいにしている人のなんと多いことか。読書や映像鑑賞は、実は読む・観る側にも作品世界に寄り添っていく想像力や積極性、クリエイティビティが求められるものだが、「消費する側」という立場になりきって選好を重ね、消費の達人になっていけばいくほど、傲慢で想像力を停止した人間になっていくものなのだろう。
難儀なものではあるが、志倉千代丸作品に限っては、さらに、彼がイケメンで曲も詞もコードも書けてオタク力も高い上に金持ち、という超人的な要素があるせいで、僻みも加わってくるのかもしれない。けれども、作品を鑑賞する時というのは、そういう作者がいけ好かないだとか制作会社がどうだとか、そういう世俗的な感覚は基本的に切り離しておくべきものだと思う。そういう感覚を混ぜることで楽しめるならまだしも、雑念になるのならばそれを排除する努力を(作り手ではなく)読み手側がしなければならない。それが創作に対し敬意を払うことだと思うからだ。
どうにもオカンの話ではなくネットのアニオタ批判になってしまったが、これからの時代、コンテンツを楽しむということは、イコール、ネットの俗悪な風評とは距離を置いた賢明で物静かな「選民」になることだと思う。別に私のように選民意識をちらつかせて下層の民を殴ることはしなくていいが、そういう衝突もどんどん表面化していくのだろうと思う。もっと短文で動物的な形になるとは思うけれど。不快だが避けられないネットの未来。そんな未来だとしても、それでも、日本のアニメは「刺さる人には刺さる」方向性で突き進むのが向いていると思う。誰もが楽しめる優等生的な作品作りはディズニーあたりのお仕事。「刺さる人には刺さる」コンテンツ作りの先端を行くオカンのような作品に触れられることを私は幸せだと思う。
その共感する際に小さな事柄を吸収して削除して自分の利になる形で反応することが
まさに体験(経験)する前に歴史を読むことで転ばぬ先の杖としているんだけど理解してんの?
自分で経験論は実証されたものを礎にしてるって言ってるけどこの増田母は実証例がいくつもあるにも関わらず理解しようとせず
自分が共感しようとしてないくせに他人には無条件で共感して欲しいって心の表れでしょ。
他者に対して似たような経験を持つことから差異を削除して共感することができるのは大して違いがないんだが。
要は自分という個をどこまで消して他者に感情移入できるかで思い入れが変わるだろ。
人間の根源的な快・不快・喜怒哀楽が備わってれば差異を削除して移入するだけで実体験の有無にかかわらず感情移入ってもんはできるから。
違うというならなんで実際に存在しないファンタジー世界のキャラを見て泣いたり笑ったりできるんだよ。
ワンピ読者舐めてんのかお前は。
相手にそれを求めようとすんのは控えめに言ってキチガイだから。
同じ経験とか送れるわけねーだろ。
あるのは類似だけだ。
類似なら歴史にいくらでもあるから別にてめーの経験じゃなくていいわけで。
結局、この増田母は自分が他人の心を理解する上で自分の差異を削除するテクニックが幼稚だから実体験が全てだと悟ってしまってるだけの話。
奨学金返せなくて辛いなんて借りたことないやつだってどれくらい辛いか分かるっつーの。
想像力が圧倒的に足りてないだけ。
それを人のせいにすんな、常識だと吹聴するな。
(注:ネタバレまくりです)
泣けなかった。
自分は映画で良く泣く派。
「君の名は」も「聲の形」もガン泣きした。
でも「この世界の片隅に」はまったく泣けなかった。
とてもおもしろかったし、良い作品だと感じました。
でも泣けなかった。
なぜだろう?
その理由を考えてみた。
【すずさんの人生に「困難>幸福」を感じた】
描かれる当時の社会情勢はハンパなく苦しい。
・知らない人といきなり結婚させられ知らない家族と暮らすはめに
・でもって義姉がきつい性格
・まともに食べるものがない
・空襲で姪を失い自分の過失を責める
・自分もいつ空襲で死ぬかわからない
・手を失い大好きな絵を描けなくなるばかりか、家事もできずに嫁としての労働力にならない
などなど。
「それでも彼女はたくましく生きたのです。素晴らしいのです。」
といってしまえばそれも感動ポイントなのかもしれないけど。
自分はそう感じられなかった。
そう言ってしまうにはあまりにも困難の量が膨大すぎる。
それを受け入れて生きるすずさんに、感動でなく哀れみ的な感情を持ってしまった。
もうこれ以上すずさんの困難を描かないでくれ。
映画を見ながらそう思っていた。
怒りにも似た、冷たい気持ちになった。
【底抜けの困難。すずさんとみなしごハッチ】
映画を見てから半月くらいたって気づいたんだけど、この気持…。
そうだ!みなしごハッチとおなじだ。
子供の頃アレを見終えた時に感じた気持ちだ。
ハッチは最後のほうでお母さんと会えたけど
そこに辿り着くまでの困難が膨大すぎて、妙に腹立たしかったのを覚えている。
「いやいやお母さんに会えたのはよかったけどさ、ここまでの困難がちゃらになるとは思えんぞ。こんなんでいいのかハッチ?」と変な感情移入をしたのを覚えている。
コレと同じだ。
(多分養子にした)女の子だっていつ白血病になるかわからない。
こうの史子繋がりで「夕凪の街 桜の国」を読んだ人(もしくは実写映画を見た人)はそう感じた人もいるかも。
すずさんに、さちあれ。
しかし、泣いた作品が必ずしも良い作品、心に残る作品、感動した作品なわけではない。
なぜなら途中10分しか見ていないドラマのその部分だけでも泣いてしまうことがあるからだ。
泣いてしまう場面を考えると、例えば登場人物が念願叶って歓喜していたり、
あるいは絶望に瀕して喘いでいたり、泣いていたり、怒っていたり、
あるいは感情を押し殺すことによって
要するに感情に大きな動きがある場面だ。
おそらく泣くことでしか呼応できない自分の姿に気がついてしまった。
フィクションのさまざまに比べると驚くほどに小さい。
感情を動かすことに慣れない身の上で
以下脱線
相手の内に貯め続けた抑圧がついに破裂して私の頬を切り裂いた瞬間に感じた、あの胸の軋み、頭と身体に血が逆流したかのような感覚。
この断絶される瞬間を私は望んでいたのだろうと思わざるをえない高揚。
私が幸せにならないように行動を抑制妨害してくる自分が確かに居るのだと知覚する。
社会的にも家庭的にも破滅してしまったことだし、もう許して幸せにさせてはくれないものだろうか?
(できることなら、失ってしまった社会的地位や家族を再獲得したい。幸せになりたい。)
(ああでも、マイナスから立て直すというのは酷く面倒だよね。頑張りたくないから壊したくなかったのに。)
自分で自分の足を引っ張るという性質は、弱者の“言い逃れ”のための衝動だとか。
確かに、“私の妨害をしてくる私”とのバトルを最重要問題にしているうちは、頑張らないと掴めない理想の幸せ獲得へ立ち向かわない言い訳になる。
誰からだろうと全ての電話に出ないし、全てのメールを読まない・返さないから、「あなただけ特別無視している」のではないのだと言い逃れしている。
(しかし実際のところ、電話やメールなどの予告ナシに他者から切り込まれる行為に対して、めちゃくちゃ磨耗疲弊するという部分はある。)
『逃げ恥』原作の「なんだか 俺はいつも逃げている」からのくだり、すごく好きなんだよね。身に染みた。
(女だけども、感情移入自己投影するのは圧倒的に平匡さんの方で、みくりちゃんは理想の王子様に見えている。)
私だって、もう戻りたいよ。(でもどうすればいいかわからないんだ)
教会とかで懺悔をすることで、自罰衝動が癒されることもあると聞く。
試す価値あるのかなぁ…という考えを今こうやって増田にぶつけてる。
涙が流れるほど心震えるのは、“正しいこと”が肯定されるシーンと、美しい男性が自意識拗らせて破滅する物語、に触れた時。
“正しいこと”を正しいと認め合うことってさぁ、仕事してるとびっくりするほど少なくない? 私が働いていた環境下がブラックばっかりだっただけかな?
なんかもう生活しているだけで恒常的に信念とか倫理観とか自分の柱を削られまくっていたんだろうね…
綺麗事が王道歩いてる職場って何系に多いの? 転職するから教えてほしい。
美しい男性が自意識拗らせて破滅するっていうのは完全に自己投影の道ずれ慰めだよね。
(文字や絵のイケメン描写よりも、現実の美丈夫が演じている方がたぎる。)
彼らの嘆きがすごくよくわかる。わかるからこそ、“美しい彼らでさえも”救われないということに癒される。私たちの敵はこんなにも強大なのだと(だから負けても仕方がないのだと)。
たぶん女性の物語では駄目なんだよね。破滅する女性では“私の道ずれ”ではなくて私自身とイコールになり、ひとりぼっちになってしまうから。
ねぇ、私はただ、私が考え得る最善な行動をしたいだけなの。
それを自分自身に阻害される・阻害したいという衝動を消去したいだけなの。
どうすればいいの?