やはり絵が綺麗というだけで動かすとまるで本当に異世界があるかのような錯覚をキメることができるので
ゲームに美麗なビジュアルというのは面白さに直結してくると思う
前作は未プレイ
予定もない
言いたいことはそうではない
ニーア オートマタはアンドロイドや機械がメインキャラということで
そういえばオートマタという映画があったなとネタバレ記事を検索して読んだ
端的にいうとつまらないらしい
この手のシンギュラリティや人工知能をテーマとしたSFは鬼門だと思う
登ろうとすれば死ぬ
なぜなら作者である人間の頭脳ではどうやっても人間を超越した知能を描写することが不可能だからだ
漫画の登場人物に天才がいてもその天才の頭脳の上限は作者と同じっていうアレだ
だからSFでAIそのものをテーマにした作品に当たりが無いのは当然ともいえる
AIをテーマにしてるようで、実はロボットと人間のハートフルがメインになっていてそこが評価される作品は多々あるが
AIの「人類を超越した知能が引き起こすシンギュラリティ」を本当にメインに扱って評価されている映画は1つもない
あれにしてもスカイネットが人類に反乱を起こした理由に説得力がないし、
何を基軸にして人間と対立しなければいけないのかというのがあやふやにされやすい
狂っているとしたら自己修復できないでAIとしては未完成ではないかという本末転倒な設定もある
だいたいこの手の作品で描かれている人工知能は、現実にある人工無能をちょっと賢くしたバージョンでしかない
ここに作者が人間であることの限界を感じて、のめり込みにくくなるのがAIをメインにした作品の残念なところだと思う
逆に、AIはどれだけ科学力が進んでも作れなかった、という設定のSFだとまだ人類の知恵に有用性が残されているため
冒険が残る世界を描きやすくなると思うので安易にAIを出すのではなくそっち方面で開拓していってもらいたい
そうではない
また話がそれた
とにかくニーア オートマタが機械同士の争いになるということで
プレイヤーである自分がどこに視点をおけば一番楽しめるのかという話だ
警戒している
というのも先に述べたようにAIが間違いを犯さない超越した知能を持っているという見方をすると
もちろんAIには性能差があるだろうからキャラクターが設定できる余地はある
オートマタがどういう物なのかも分かってない
でも機械というのは本来作られた段階からできることが決まっている存在なのだ
厳密にいえば人間にも当てはまるが人間には運命を決める選択権が備わっているので平行世界を渡り歩く権限があるため冒険性が必ず内在する
しかし機械には投げた石の落下地点が計算できるようにたどる結末には変化がない
そういったことを前提に見てしまうニーア オートマタをどういった角度から見れば楽しめるのかを考える
神の視点からか、ニーアの視点からか、ポットからか、はたまた…
登場人物に自分の感覚を重ねることで異世界にいき、異世界の出来事として受け止めることが没入しやすいと思う
こういうときに感情移入しやすいキャラというのはいてくれた方がいいと感じる
出なければ神の視点では人形劇を見る私、で異世界にいけなくなるからだ
住人Aというのも難しい話だろう
とにかく人工知能ネタはロマンもあるけどそれだけに冷めさせるトラップが潜んでいるので気構えというか、気苦労もある
えー、とにかく楽しみにしています