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はてなキーワード: 大人の女性とは

2017-10-17

そもそも身近に成熟し自立した大人の女性いくらでもいる環境日本人女性に向かうって

そいつどんだけロリコンなんだよ

anond:20171017110054

補足すると

自分観測範囲だとむしろ男性共働き希望者、女性専業主婦希望者が増えて、そっちでミスマッチが起こってるような気がする。

とか言ってるのがブコメトップだが、実際は「共働き=自立した本妻」「専業主婦バカで幼稚な愛人」なんて構図でもないよ。

「賢く自立した大人の女性である専業主婦」を指す「良妻賢母」と言う言葉が遥か昔からあるだろうが。

本妻」が働いている事を求めるか専業主婦である事を求めるか、ってのは些細な違いに過ぎない。

強いて言えば、金持ちの男は妻に稼いで貰う必要はなく、使用人を雇っているか家事肉体労働的な育児をさせる必要もなく、

妻に求めるのは子の教育だったり同階級の他の人間との社交だったりな訳で、それに必要な育ちの良さや教養を持っている女を求めていたのに対し、

下層は自分の稼ぐ金だけじゃ食えないから妻にも稼ぐ事を求め、更に家事育児介護他人を雇う金など勿論無いから妻に求める傾向が強く、

妻にはそれらの大量の労働をこなせる丈夫な働き者である事を求めていたが、そんなのは本質的な違いではない。

現代の男が専業主婦志望の女より共働き希望の女を選びたがるようになったというのは

単に大多数の人が貧しくなった(心理的に。金銭的には昔の方が貧しいんだが)のと、中流以下による上流階級への憧れが減っただけかと思う。

anond:20171016201635

「自立していて賢い一人前の大人の女性」を本妻にして、「頭と精神が未熟な童顔巨乳」を愛人にしたい

ってのが、伝統的な日本人男性外国人男性の多くも)の理想でしょ。

本妻は「自立」しているから夫に依存しないし「賢い」から夫が愛人作ってもギャアギャア喚き立てたりせず許す

最近ゲス不倫ブームで夫に不倫されてもさほど怒らず離婚もせず許した女性たちが賞賛されてたように、

こういう女性を「理想の妻」とする男性認識は根強い)、

愛人はとにかく頭が悪いので適当に遊んでポイ捨てしても泣き寝入りする、って前提で。

セックス相手の女として好みなのは後者だけど、そんなバカ結婚して家庭を任せる訳にはいかないし

どうせすぐ飽きるからこういう女はあくま愛人まりで飼っておいて飽きたら捨てられるようにしておいて、

本妻は家庭を任せられるような賢さと、金や地位(本人が稼ぐ場合もあれば、実家が太いという事もあるだろう)と、

夫が女としては相手にしなかろうが他に愛人作ろうが耐える「賢さ(=男にとっての都合の良さ)」を求める、と。

でもそんな都合がいい女は現実にはそうそういない事に気付いた男性の一部が

二次元で両者のハイブリッド(「年下のママ」など。勿論矛盾しまくってるので現実ではあり得ない)を求めるようになったのでは。

anond:20171016201635

疲弊していて大人の女性を楽しむ余力もないからじゃないの。

だってバブーバブーって言いながら甘えたとして、それが100%受け入れられたら楽じゃない?

バブーで済むんよ。低コスト。余力がなくても楽しめそう。

anond:20171016201635

>>10年位前の方がまだ「自立していて賢い一人前の大人の女性」が理想とされる空気男性間にもあったような気がする。

そんなもんはない。「賢い一人前の大人の女性」は昔から需要があるが、そこに「自立した」が付け加えられたことはほぼない。フェミ妄想

自立した人間パートナーなんかいらない。

anond:20171016201635

ロリコンにもいろいろあるけど、日本人男性場合女性、への征服欲は旺盛なのに征服する実力が伴っていない恋愛弱者特に多いと思う。

ショタには征服欲はないけど恋愛に踏み出せない人が多いと思う。

『「自立していて賢い一人前の大人の女性」が理想とされる空気』が目減りしてしまったのは、女性と接する経験値を得られない男性が増えてきているからだと思う。

経験値の高い女性征服したいと持っていても自分恋愛経験値が低いのでは制服できない。

から性的征服欲を満たす「他の何か」にすがっているんだと思う。

経験値0でホイミは使えないもんね。

それとは別に親心ベースロリコン日本はいるけど、割愛

次元とか物語恋愛世界に飛んでしまいがちの人はまず異性がよく読む雑誌をこっそりいろいろ買って読むといいよ。恋愛小説とかではなく。

女の人ってどう思ってるのか。男の人ってどう思っているのか、少しは分かるよ。

ちなみに、私の恋愛経験値は別として、異性を制服しようなんて相当な人でないと無理。頑張っても半分征服するくらい。

そもそも異性を消費しようという考え自体子供じみている。

恋愛は如何に相手に消費されないように豊かな燃料を蓄えるか、だよ。

2017-10-16

日本男児ロリコン

10年位前の方がまだ「自立していて賢い一人前の大人の女性」が理想とされる空気男性間にもあったような気がする。

ところが最近は、「頭と精神が未熟な童顔巨乳」という2次元理想がそのまま3次元にも求められる傾向がますます強くなってる気がする。

それに反するように女性大学進出率は増加し、自立を目指して努力してきた「強い」女性達が今、相応しい相手が見つから子供を産まないまま出産適齢期を終えようとしている。

ロリ崇拝」する日本男性と、「自立したい」日本女性は、悲しいほどミスマッチだなと思った。

追記

さすがにこんなのがホッテントリ入りするとはおもわなかった。何故だ。

追記2

江戸時代とかのブコメは流し読みだが、トラバは盛り上がってて結構面白かったよ。

2017-09-26

いつから大人の女性を「女の子」と言うようになったのだろう?

ひよっこ」見てると普通に女の子」って言ってるんだけどめちゃ違和感ある。

あの時代のことは知らないけど、もっと後の時代でも「女の子」なんて言わなかったんじゃないの?

女の子」なんてせいぜい高校生まででしょ。

キャバレーとか風俗では「嬢」とか呼ばれてたかもしれない。

成人した女性に使うときはどっか性的な響きのある言葉

普通に使うようになったのは、最初中年女性を「お嬢様」と呼んだりするネタがあって

その流れでネタとして使ってたんじゃないかと思う

そのネタがいつの間にかガチになってしまった感じじゃないか

2017-09-25

月蝕歌劇団の公演を見に行った記録

なんかひょんなことから月蝕歌劇団の公演を観てきた。

怪人二十面相 黒蜥蜴復活篇-ガス人間第二号とフランケンシュタイン-』

ピーターパン 月蝕版』

自分にとっては初めての月蝕歌劇団

忘れてしまわないうちに記憶を記録に変えるため、レビューを残しておくことにする。

月蝕歌劇団を知らない人は目の前の箱でググってほしい)

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■全体として

劇団標榜しているところの“アングラ”とは何か、つかんだ。

マジックリアリズム大衆演劇の合体だ。

これ、過去の演目を見る限り、そう間違ってはいないはず。

自分のボキャブラリでいうと、ボルヘス池澤夏樹イタロ・カルヴィーノ筒井康隆、このあたり(マルケス積ん読状態なので知らん)。

怪人二十面相』やら『ピーターパン』やら、もとからマジカルな舞台設定の既存作品をさらに2つも3つもカットアップマッシュアップして、"魔法世界の中で、さらに有りえねぇ超現実が起きる"ある意味なんでもありの“ごった煮”的な世界設定を作って、舞台の制約が許すかぎり絢爛豪華なスペクタクルに仕立てる。

で、そこに昭和風俗をまぜ込んで(たとえば突然、山口百恵のワンフレーズが出てきたり、吉本新喜劇的なシークエンスが乱入してきたり)、さらに'60年代新宿のアングラシーンの楽屋オチ、「唐十郎李麗仙が~」みたいなネタをチクリ、チクリと混ぜ込めば月蝕歌劇団になる。

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あと、これはどうかな……はずれてるかもしれないけど。

60年安保、70年安保的な新左翼臭いと、その文化の“祭りの終わり”みたいな寂寥感が通底しているような気がする。

自分が当時のアングラシーンの空気と政治的な空気を混同しているだけかもしれないけど。

でも、“岸信介”とか、“ロシア革命”とか、そういうワードはちらほら出てくる。

2演目とも、終盤クライマックスマシンガンの乱射をきっかけに急速に話が収束するところも、かならず流血をみるところも、まあ、ほら、いろいろと。

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ともかく自分にとっての月蝕歌劇団はそんな感じ。

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あと、演目の間に『詩劇ライブ』というのがあって、基本は歌唱ショー。短い芝居と群舞。

キャストの紹介も兼ねている、のかな?

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良かったかって? うん、良かった。

ただね。

大正末期(1910年代)の冒険小説明智小五郎シリーズが戦後(1945年~)に伝奇ロマン化したものアングラ時代(1960年代)の空気感舞台化しようとして、当時の若手(高取英1985年)が古豪となって2017年に上演した作品世界に、どの時代の気分で接すればいいのか、混乱するところはあった。

寺山修司とかが登場する楽屋オチに、どの時代の気分で笑えばいいのやら。

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良かったところは……、

舞台は超現実的なんだけどプロット自体は、なんというか、それぞれの人物群が自分たちの課題の解決を目指して動くような、破綻も不条理も無いオーソドックスな作り。

ときどき舞台袖で狐舞が始まったりとか、解釈に困るような隠喩的な演出が入るほかには、ストーリーを楽しむのに支障はない。

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くわえて、これは自分が舞台観劇初心者だからだろうけど、衣装舞台と演技と、つまり色々と作りこんだ箱庭を見ているような感覚

これが新鮮。

そりゃ、どんな超現実もCGでリアルに作ってしまハリウッド映画はすごいけど、いっぽうで、いろいろと“作りもの感”のある世界を、19世紀見世物小屋パノラマのぞき窓みたいに見ている感覚が良い。

(どうしても想像できない人は、映画でいうと

 『バロン』(テリー・ギリアム)、

 『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』(ティム・バートン)、

 『落下の王国』(ターセム・シン

 あたりを思い浮かべてください)

同じビジュアルスペクタクルでも、モデリングレンダリングが古びてしまったら一気に観る価値がなくなってしまうVFXではなくて、どんなに古びても観ていたくなる、吊り操演とミニチュアと火薬の特撮みたいな。

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で、そこに少女歌劇団(厳密には若手女性主体の歌劇団)の、なんというか、キャッキャウフフ感がのっかってくる。

実際、終演後にはチェキ時間があったりと、アイドル公演的な。

(昨年だか一昨年だかに『アリスインデッドリースクール』を観たときにはチェキ握手会があったけど、そういうのって少女演劇のスタンダードなのか?)

というわけで、全体として

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 1)呪術的なストーリーテリング

 2)箱庭的な幻想感

 3)若い娘さんたちが頑張ってる感

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が、それぞれX軸、Y軸、Z軸に広がって立体的にホンワカした気分になってくる。

これで役満。いい気分。

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以下は、キャスト演出について。

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■岬花音

歌、ダンス、芝居、3枚そろって超人。

もともと彼女アンテナに引っかかったか舞台を観に行ったわけで。

行く前は「ひょっとしたら芝居が弱いかなー」と思ってたけど、そんなことはなかった。

純朴ショタ(少年探偵団の小林少年)からガラッパチ女子高生まで演じ分けていた。

いま確認したら、全体の振り付けもやってる。スゲェよこの人。

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白永歩美

上に書いた岬花音菜嬢がトップか一枚看板かと思ったら、すごい人がいた。

白永歩美

OG客演なのか、現役トップなのか、よくわからん。(そもそも一般的な意味でのトップと、月蝕歌劇団の“ヒロイン”とか“トップ”の意味が違うのかもわからんが)

動いて良し、喋って良し、歌って良し。加えて舞台向きの強力な眼と唇、長い手足その他ビジュアル

ピーターパンになって最後は飛ぶ(榊原郁恵ばりとは行かないけど)。

普段は何やってる人だ? 専属か?

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白川沙夜

コメディアクションストーリーテリング、怪盗紅あざみのパートほとんど彼女一人で回していた。

アンサンブル彼女が周囲をブン回している感じ。(いや、周りが抑制しているのか? そこまでの鑑賞眼は俺にはない)

イヤそりゃ紅あさみ役なんだから当然といえば当然なんだけど、そういう長時間の高負荷に耐えられるキャストなんだから、信頼性の高い人なんだろう。

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新大久保

どうしても必要なサポートには男優さんも入る。

で、この人。

発声から演技まで、一人レベルが違った。

いや、レベルというのとは違うな。

キャラクターの性格と感情と現在の意図がわかりやすい、演劇らしい演劇をしていた。

キャリアの違いか。

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■河合瑞恵

この人というか、この人を見て思ったことを書く。

河合瑞恵さん、男役として帝国軍人とラスプーチンを好演。なんだけど、それとは別に幕間のライブで『夢は夜ひらく』(藤圭子)を歌っていて、これが実に良かった。

宝塚OG的な妖艶な雰囲気が出ていて。

そこで気が付いた。

「この劇団、成熟した大人の女性の出番がない」

いや、大人の女性キャラクターは出てくるのよ。でも、『二十面相』の誘拐少女の母親にしても、『ピーターパン』のアレクサンドラ皇后にしても、設定上の年齢よりは10歳か20歳は若いキャストが演じてる。黒蜥蜴も紅アザミも、おそらく。

少女ショタと男役とサポート男優だけで構成されていて、大人の女性存在がすっぽり抜け落ちてる、この劇団

いつもそうなのか? そういうコンセプトなんだろうな。暗黒タカラヅカだし。

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■嘴音杏

タイガーリリー役はさておき。詩劇ライブ歌唱

上手い、凄い、空気も変わる。専業で本業なんだから当然か。

声量といいキャラクターといい、どれをとってもレベルが違う。

ただ、ほかのキャストが黒を基調にした演出で、おそらく劇団ストック音源をバックにJ・A・シーザーの幻想世界や女心とかを切々と歌ってるところに、パーソナルカラーの赤コルセットと赤ドレスで生バンドの高音質2MIXをバックにブルースゴリゴリ歌って月蝕歌劇団を3分間だけ痴人倶楽部にしてしまった感じがする。

良いか悪いかは別として。

芝居は。んー、良しあしが言えるようなキャラクターじゃなかった。

政治的に正しくない、だけど、ある意味では由緒正しい戯画化された“インディアン”だったので。

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■江花実里(と高畑亜美

明智小五郎+α役。オフの顔を見たら、アラかわいいお嬢さんベテラン主体の劇団だったら、小林少年をやっててもおかしくない。

客演らしい。

「美丈夫ですか? やりますよー」といってこなせる彼女みたいな人が、実は隠れた高能力者なのかもしれない。

だってあれよ? 明智小五郎と黒蜥蜴といったら、つまり天地茂と丸山明宏よ? そういうダークで苦みのあるキャラを演じて象徴的にせよベッドシーンまでこなす。役者ってすごい。

そういえば高畑亜美さん。一緒に観劇した元同僚が「あの黒ボンデージの人は役者魂を感じる」と言っていた。

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■北條華生

緊縛師をエキストラで連れてきたのかと思ったら、そのままシレっと芝居を初めて、V・フランケンシュタイン博士を演じきってしまった。しかもうまい

調べたら緊縛師ではなくて緊縛もこなす役者さんだった。みんな多芸なのね。

吊るしのとき、役者の影で見えなかったけど、1/2なり1/3なりのプルアップ・システム(滑車みたいに距離2倍、荷重1/2にするロープワーク)をやってるはずで、一瞬、芝居が停滞したように見えたけど、あれでも相当手際が良かったんだなと後から思った。

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はるのうらこ

北條さんのロープワークもさることながら、吊るしというのは吊るされる方にも技量がいるわけで、ハーネスガッチリつかんだまま気絶するという難しいことをやっていた。

男役。

悩める青年将校をきっちり演じきっていたけれど、華奢なのはいかんともしがたい。女性役であらためて見てみたいと思った。

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中村ナツ子

な!に!も!の!だ!? こ!の!ひ!と!

Web/エディトリアルデザイナーライターイラストレーター、Photoshopper。

チャラっと調べてみたけれど、原稿(というか体当たりルポ)もロゴデザインも依頼主のテイストに合わせて手堅くこなす。

役者で声優。前説もこなす。となりの知乃さんにも目配りしながら観客席と当意即妙のやり取り。

舞台にも立つ。しかも端役じゃなくてしっかりスポットのあたる役どころ。

これでJavescriptとSQLが書けたらホンマモンの超人や。

こういう人が一番まぶしい、そして怖い。

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プロップ舞台

足りぬ足りぬは工夫が足りぬ。いやそうなんだけど、せめて南部十四年式拳銃は用意してほしかった。ポスターにもあるんだし。

ネバーランドの崩落シーン。大道具の意地と苦労がしのばれる。というか、そのための柱だったのね。

周囲の柱といい、中央の小部屋といい、随所に設けられたピットといい、演目に合わせて必要十分な空間の設計がなされていることに、いまさら感心する。

意地と苦労といえば、ピーターパンの飛行シーンも、無くても成立するだけに、「これをいれねば!」とウィンチを仕込んだ意地と心意気がうかがえるよなぁ。

ところで、いま調べたら、中央の小部屋は常設みたい。

なるほど、上手と下手のほかに中手があると、バーン! と登場するシーンとかに便利だよね。

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J・A・シーザー(と音響

絶対運命黙示録』『私の中の古生代』(←だったっけ?)しか知らなかったんだけど、「ほかにどんな曲があるんだろ」と思ってたところ、つまりはこれこそがシーザー節だった。

主旋律の音域を広く取ってロングトーン多用おまけに変拍子の幻惑的なスタイル

これがそのまま歌手泣かせの難易度となって跳ね返ってくるわけで。ノリで合わせていたら絶対にロストする、ブレスで死ぬ、超絶覚えゲーみたいな世界

こりゃ役者さんが大変だろうと思った。

あと音でいえば、既成の歌謡曲のダビングものJ・A・シーザー氏の打ち込み音源、ボーカル無しで舞台で歌うものボーカルありの既成曲で舞台でも歌うものマイクあり、マイク無し、古いローファイ音源と新しいハイファイ音源、とバラバラのチグハグだったのが気になった。

歴史の長い劇団だから地層のように多種多様な音源が混ざってるんだろうと想像するけど、どこかで専門家がDAWで新録して整理しないと、大変なことになると思う。

あとマシンガン銃声のポン出し、キャストトリガーを渡せるような仕組みはないものか?

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……んー、こんなところか。

機会があったら、一度は観てみても良いと思います。そこでハマるかハマらないかは、あなた次第。

自分? チャンスがあったら、もう何回か行こうと思ってる。

2017-08-25

男性子供に近づけてはいけない

精神科医が「男性の優しさは性欲に基づくものから、優しくされたかったら性欲を否定するな」という旨の漫画を上げて、プチ炎上していた。

確かに反感を買いそうな内容ではあるが、強ち間違いでもないように思った。そして、「やはり子供男性から遠ざけるべき」とも思った。

大人の女性なら「一切奢らなくていいから性欲を向けないでくれ」ときっぱり断れるが、子供はどうだろう。

学校先生や、保護者会のお偉いさんなど、子供と接触の機会の多い人物が優しくしてあげていても、周りは不思議に思わない。子供も素直に喜ぶだろう。でもその優しさも性欲によるものだとしたら背筋が凍る。

小学校の高学年や中学生くらいになったら、欲しいものも出てくる。多少高額にもなる。「何でも買ってあげるよ」という言葉の裏にある意図に、大人なら気づいて「自分で買うからいいです」と言えるが、子供なら甘えてしまわないか

こういった意見に「BBA嫉妬www」と反応する人の言葉に耳を傾ける必要はない。子供性犯罪から守るのも大人の役目だ。男性子供距離をなるべく取るようにしよう。

2017-08-24

https://anond.hatelabo.jp/20170824103552

つか高校生なら許されるとか言ってるけど

それはそれが他人事高校生なんてまだ子供だから子供がする事に目くじら立ててはいけないと考える大人立場からであって

当事者高校生女子からしたら大人の女性以上に深く傷つく事もあるんだよな

それで不登校になって親や先生大騒ぎ、ってケースも世の中あるわけだし

2017-07-05

拗らせている人をただ眺めている話

ところどころフェイクを入れる。だいぶ長い。

その女性とはもう10年ほど前に会った。

すごく綺麗で"大人の女性"という雰囲気があり、いつも颯爽としていてかっこよく、紫の光沢を帯びたヒールが似合っている人だった。3年ほどお世話になった。もう6~7年ほど会っていない。

私は慕っていたけど、その空白期間彼女に連絡する気はなかった。というのも、最後に私がちゃんと挨拶しないまま彼女がどこかへ行ってしまったので、やや気まずい雰囲気で終わった経緯があるからだ。

ある日なんとはなしに彼女名前検索したところ、彼女本名ブログを見つけて驚いた。独立して仕事をしていることが容易にわかった。私が慕っていた頃とあまり変わらない様子でやっていることがわかった。

「本当は、"〜〜したい"という欲求大事にしよう」

「びっくりしたなんて嘘でしょう。本当は傷ついて、怒っているんでしょう?自分感情と向き合おうよ。」

感激していた。自分が慕うきっかけになった人生訓時を、書いてくれている。コメントブクマも一切しなかったが、わりに彼女ブログを覗いていた方だったと思う。

率直に言って、ネトスト気質だと我ながら思う。

しかし私もただ彼女人生訓時を読んでいたわけではない。そこに2つの感情を抱いていた。

まず、彼女独立をして仕事をしていることに嫉妬を覚えていた。年齢差があるとはいえ、(私から見た限り)本人の特性に合ったことで働く彼女に、憧れや羨望以上に焦りがあったのだと思う。

そして同時に疑問の感情も湧いていた。「これでどうやって稼いで、生計を立てているのだ?」、と。

ブログを読む限り集客モデルはおろか、ビジネスモデルとして成り立っていないと正直思った。仕事の詳細は触れないが、言ってしまえば『綺麗な言葉を並べて、詐欺まがいに近い』と思っていた。コンサルタントというと言葉の響きはいいかもしれないが、一歩間違えば紛れもなくフリーターだった。彼女学歴も職歴も不確かな人間なのだ

そして彼女精神面に寄り添って更に言うと、「これは彼女ではないのでは」とも感じた。言葉が綺麗でポジティブになりすぎていたのである

彼女はどちらかといえば、ネガティブ人間臭さのある人で、けして綺麗な言葉ばかりを言う人ではなかった。

彼女が今までとは違う生き方を真に選んで生きていきたいなら、第三者の私は口出しをすべきではないだろう。

しかしそれも踏まえた上であえて書くと、「でも彼女は、そうしたポジティブな考え方を続けることができない人だ」と、直感が言っていた。

これは経験的な勘なのでこれ以上は説明できないが、私の感性はそのように告げていた。

そんな気持ちますますふくらむころ、前触れもなく彼女ブログ更新は止まった。

彼女の近況が知れなくなったのは寂しくもあったが、「もしかしていい人でも見つけて、結婚でもしたのかな」とぼんやり考えていた。

たまに彼女名前検索して、やや胡散臭い文章で止まったままのブログを読みに行っていた。

しかしあるときいつもの検索ページ上位に、違う結果が表示された。

そのページを眺めたら、よくわからないイベント主催者として表示されていたのだ。

「ああ、胡散臭いな」と思った。そう思わせるイベントだったのである

苗字も変わっていないので結婚はしていないのだろう。そんなことを知った。

そしてまたあるとき検索ページ結果上位が変わる。

彼女の新しいブログができていた。しかし、仕事内容とは関係がないように思えた。

"何か"をエントリーしたようだったが、すでに公開を取り下げたようだった。

それからまた、転機が訪れる。彼女が更に新しく作ったブログの、最新エントリが表示された。

その記事は1日前に更新されたようだったが、やはりすでに公開取り下げをしていた。

けれどタイミングよく私はそのエントリキャッシュを得ることができ"てしまっ"た。

そのブログはとても長い内容だった。

"ブログを始めるにあたり、自己紹介を始める。"

その書き下しで始まったのだが、本当にそれは"自己紹介"だった。

彼女本名・生年月日・血液型からまり、何に興味を持っているのか、何に興味を持たないのか、彼女はどんな人なのか。それはとても詳細に書かれていた。

「これは紛れもなく彼女だ。」、そんな気持ちを得たのに、文字を追うにつれて不安感が募ってきた。

・外見の印象は普通だが、中身はプライドが高い。

我慢も、所属も嫌い。

・社交性が低いのではなく、社交に興味がないのかもしれない。

・うわべだけの会話が苦手。社交辞令も苦手。

・本当でないものが、嫌い。

・究極、真実でないものが嫌い。

こんな感じの、箇条書きが続いた。

そしてこう続く。

・こういう自分が、本当に面倒臭い

・生きる理由がわからないけど、死ぬ理由もないから、とりあえず生きている。

読んでいて、どんどん辛くなってきた。

"面倒臭い自分と生きていく。"

そんな小見出しで、さら文章が続く。

ある友人から、「あなた自分自身の面倒臭い部分を見つめて、それと向き合って生きていける人」と言われたエピソードが本当に嬉しかったこと。

彼女が、いかに面倒な彼女自身人間性とどのように付き合っていくか、その哲学人生の半分を費やしたこと。彼女が今までにどのように行動を起こしたのかということ。

いっときは変わったとも思っていたが、周りの人から「素敵な人だ」「やさしい」といった言葉を受けるたびに、内面彼女と外面の彼女とが乖離している気持ちを受けたこと。

"自分はいかに愛されキャラポジションとは真逆で、いか他人と付き合いにくいキャラか。客観的自分を見て、自分友達になりたいかと言われたら、沈黙を選ぶ。けど、そんな自分も悪くないと思っている。"

そんなことを、ひたすら綴って終わっていた。

「これが、こじらせの末路か。」

そんなことを思った。

ほとんどの人は、うわべだけの付き合いなんて望んでいないだろう。

社交辞令は嫌い。本物の言葉が欲しい。」と彼女は言うが、彼女他者仮面を剥ぎ取るような努力を真に続けたのだろうか。

ほとんどの人が、いろいろな人間関係に揉まれて、切磋琢磨して、心が安らぐ人との真に揺るがない信頼や親愛を勝ち得るのである

彼女は、自分を開示するような努力を、したのだろうか?


「こんなに面倒臭い私だが、こんな私であるという唯一事実降伏して、生きていく。」

「こんな面倒な私だが、まんざらでもない。」


結びの言葉に、「ああ、この人は一人で生きていくしかないな」と素直に感じた。

自分の不完全を認めた上で、それを他者に補完してもらうことで、人と人は共生できる。

もちろん社会多様化した結果、自分一人で生きていける人もいるだろう。しかし、多くの人間がそうであれば、社会は成り立たない。

自分の不完全さを自分一人で完全に受け入れて、自分を愛しては生きていけないのだ。特に彼女のような人は。

(あるいは、彼女のような人こそ、一人で生きるべきなのかもしれない。)

彼女の不気味な自撮りで終わったそのブログをそっと閉じて、もう二度と会うこともないだろうと思った。

2017-04-30

今思えば

当時25歳くらいだったときのこと。自分お金を稼げるようになり、大人の女性としてエステに通いたいと思うようになった。

あ、そういう話ではないです。

で、職場の近くに個人経営エステがあり、クーポンサイトに紹介されていた顔のマッサージを受けることにした。担当したのは、たぶん40代くらいの女性の方だった。

エステは痛気持ち良い、というイメージで、グイグイやるのかと思っていたら、全然痛くないマッサージだった。顔にオイルを塗って、指先だけで軽く押しながらすべらせる程度の力だった。こんなんで私のむくみは取れんのか?という感じだった。

ゆるゆると指を動かすマッサージが続いた。気持ち良いというより、もっとちゃんとグイグイやってください、という気分だった。ものたりないというか、じれったい感じだった。

やがて、くすぐったいという感覚が混ざり、なぜかマッサージされていない身体がむずむずする感じがした。がまんしよう、と思って腹に力を入れた。しかしふと気を緩めたら身体勝手に動いてしまった。

すみません、と私が言う前に、マッサージしていた女性が、じゃあ次は**しますねー、と別の作業に移った。それ以降は何もなかった。

その後、怪しい記事でこのマッサージセックスが何倍も気持ちよくなる、という特集を読んだとき、この記憶がよみがえった。あのマッサージ、これじゃん。

いや。女性同士だし。まさかなー。でもちょっと変なマッサージだった。そういう話。

2017-04-23

スイスレーティッシュ鉄道とみちかがどう違うのか?

https://togetter.com/li/1103527

別のまとめだけど、ここでは以下のように説明されているみたい。引用すると、

みちかは「下がり眉毛で頬を紅潮させ、体をくねらせ、物理法則に反するレベル衣服が密着している」けど

レーティッシュ鉄道の方は「はつらつとした表情でぴしっと敬礼をし、体のラインが見えないルーズ制服

かららしい。その理由が「公共」だからってのはちょっとよくわからないけど、まあ一理あるのかも。

でも、その後のツイートでも「レーティッシュ鉄道のほうがむしろ興奮する」って声が、政治家からも上がっているように、

からといってレーティッシュ鉄道ならいいってことに果たしてなるのかは疑問だと思う。

まとめ内での「違う説明」では言及されてないけど、

そもそもみちかは「大人の女性」でレーティッシュ鉄道のほうは「ロリ」なんだよ。

まなざし村に限らないが、「ロリにピシッと敬礼させる」ってのはある意味オタク征服欲を示していてけしからんみたいに言う人が出てきそうじゃないのか?

特に海外の標準」を持ち出すなら、20代30代の大人日本女性でも、今回の萌えキャラのような貧乳だと実年無視ロリと扱う場合もあるし。

しろみちかのほうが「ロリではない」を強調しててその点はマシなのでは?

そもそもみちかが「エロに分類」されるからけしからんって言ってる人が多いわけだけど

レーティッシュ鉄道だって、まいてつのに近いって指摘があるのにそれはエロに分類されないってのはどういう理論なのか。

物理法則的に不自然かどうかっていう話、たしかにみちかは不自然だ。

でも、のぞみだってこんなロリが駅員ってのも不自然なのでは?

そもそもこういうゆるキャラ萌えキャラの類にいちいち「不自然」を理由批判するってのはなんかずれてる気がするし。

勿論不自然であることを否定したいわけではないが。

2017-04-19

子ども妊娠して産んでから小学生になるまでの驚きまとめ

妊娠した→よし産もう→えっ いまだに無痛分娩が主流じゃないの・・・病院探すのも大変だし問い合わせても出産予約いっぱいとかすぐ言われるし・・・どうなってるのこの国・・・

はい産んだ→育児大変→頑張ろう→子どもが1歳超えたぐらいから働きたいな→保育所入れません絶対入れません→下手に働くより働かないほうが税金とか健康保険とか年金とか安くつく・・・働けない・・・どうなってるのこの国・・・

子ども幼稚園in→PTAキター役員選出のコーナーで場が凍り付いたまま2時間×3年→えっ PTAってそんなに大変なの下の子小さいけど私でいいならやるよ・・・ベルマークチョキチョキ→なにこの非生産的活動・・・大人の女性がたくさん集まってベルマークチョキチョキで2時間、時給に換算したらベルマークの何倍になるの・・・どうなってるのこの国・・・

子ども小学校in→PTA選出はクジ→やばいこの緊張感なにこの押し付け合い下手に役員になったら二日に1度は学校に来なきゃいけないらしいよやばいやばい働いてる人無理じゃん・・・はずれた(ホッ→うわっまたベルマーク集めてる・・・当番制のなんとか多い・・・そろそろ働きたいんだけど役員クジ当たっちゃったらどうしよう・・・子ども1人につき1回は何かやれって言われてるんですけど・・・イマココ

2017-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20170417084357

元増田とはちょっとずれるけど

幼い子供に関して「この子自分と性行為がしたいと思っている」と言う可能性を僅かでも考えられる、ってのが

二次元フィクション)の常識ロリ大人精神が宿っててロリコンに優しくしてくれる世界

の影響なんだろうか

現実世界では、例え大人の女性相手だとしてもこんな発想をしたら勘違い甚だしい基地外扱いだろうに

子供がそんな事を考えているわけがないだろうという発想はないんだろうか

たまーに「ロリの方も俺とセックスしたいと思ってるかもしれないのに

それを阻止しようとするのは子供の性を否定するものであり云々」的な事を言うロリコンっているけど

あれ、ただの言い訳とか煽ってるんじゃなくて本気で考えてるのか…

2017-03-04

風俗嬢と付き合う方法

これまでに数々の風俗嬢を見てきたが、きちんと付き合ったのは一人だけ。

彼女は19歳の専門学校生だった。

そのヘルスでもなかなかの人気者で、やめた後も掲示板に書かれるくらいの人気ぶりだ。

19歳のEカップというのは、本当に張りがあって、さわり心地が良い。

さて、本題に入ります

初めてお店で会ってから、すぐに気に入った。

最初から口説くつもりがあったわけではないが、何となく週一か週二で通うようになった。

お店は一回1.5万円もいかないようなお店だったので、掘り出し物だったと思う。

2回目までは普通サービスだったが、3回目から一線を越えたサービスが始まった。

これまでも、そういったサービスを受けたことがないわけではないので、特段、好意をもったというよりは、良い風俗嬢だと思った。

何回か通ったいる内、帰り際にスマホを出してきたので、LINEを交換した。

平日の夜に、青山レストランに連れて行き、少し大人世界を見せると、後は簡単だった。

10代の女の子がこんなにかわいいとは思っていなかったが、やはり良い。あまり頭が良いとは言えないが、20代、30代の女性のように、無駄なお世辞なんか言う必要はない。

もちろんあるタイミングセフレぐらいにはしたいと思っていたので、何点か気をつけた。

・一人の大人の女性として扱うこと。10の子はまだ20代や30代の女性のように扱われている経験が少ない。

風俗嬢も一つの仕事として、認めること。今どき、借金の返済のためのような、昔話はないと思うが、学費生活費を稼ぐために人より大変な仕事をしているということを理解する。

・お店では、とにかく女の子気持ち良くしてあげる。お金を払うのはこちらであるが、彼女を喜ばせるように接する。

・ご飯は割り勘にしないが、たまにおごってもらう。人気風俗嬢はそれなりに収入があるので、プライドを傷つけない。

結婚していることは黙っておく。

2017-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20170227094535

ブコメで散々突っ込まれてるが、

戦隊ライダーは見ている男児ママターゲットなので

出て来る男が育児料理したがるのはママウケ狙いってだけな気もする

(女、特に既婚女は育児料理する男が大好きだからね)

女性キャラ大人の女性から見て嫌われないようなタイプが多いのもその為だろうね

逆にプリキュアの方はママターゲットに入ってない(勿論普通のパパも入ってない、オタク男は入ってるけど)から

特撮より描写が偏るのかもしれない

どうせ大人なんか見てねーし子供騙しでいいだろと思うからなのか、単に予算が乏しいからなのかは知らんが

同じ東映ライダーより話の作り方も雑だし

女児アニメでも、アナ雪などディズニーなら女児ウケとママウケを両立させられてるものも多いけど

日本ではそういうものを作るのは無理なんだろうか

2017-02-11

教師との恋愛という罪の告白

 先生出会ったのは、わたし中学生の時です。彼は大学院卒業後、国語非常勤講師として赴任してきました。わたしと1周りほど年が離れていて、身長10cm程度高く、かわいい顔立ちをした、少し年齢不詳気味の人でした。

 当時のわたしは、授業中は寝ているか教科書の隅に落書きをしていて、学年下位をふらふらと彷徨っている、やる気のない生徒でした。そんなわたしに「やればできるから」と声をかけ、必死に授業に参加させようとする先生は、いかにも「教師になりたて」で。その熱い眼差しで見られる度に、わたしは居心地の悪い思いをしていました。どれだけ無視をしても「おはよう」と笑顔で手を振る先生、「わからないことがあればいつでも聞いてね」と教室を去る間際、席までわざわざ歩いてきて声をかけてくる先生わたしは、彼の笑顔がどうしても嘘くさく見えて、大嫌いでした。

 気持ちが変わったのは、制服シャツが半袖に変わり始めた頃でした。一週間遅れで課題を提出しに行った際に、とある難関大学過去問を意地悪のつもりで聞いてみたら、さらりと答えられてしまい、その際に知った彼の学歴の高さに意外性を感じたからです。先生はいま思い返してみても、とても頭の良い人でした。自分が頭の良いことを知った上で、きちんと、相手にあわせたレベルで話ができる、勉強を教えることのできる優秀な先生でした。彼の解説を聞きながら、初めて、答えを導き出す楽しさに気付き、勉強楽しいと思うことができたのです。

 いま思えば、わたしは彼のパフォーマンスの引き立て役のひとりでしかなかったのでしょう。後々、彼の鞄から発見した、クラスの成績表の書き込みを見れば分かります。伸びしろはあるがやる気がない、かつ、やる気になれば伸びるタイプわたしは「ちょうど良い生徒」に過ぎなかったのです。そして、幸か不幸か、彼の好きなタイプの顔立ちをしていました。

 先生は褒めるのが上手でした。たった10問の小テストで満点をとっただけでも「偉いなあ、嬉しいなあ」と、にこにこ頷いてくれました。自分で言うのもアレですが、わたし地頭は悪くなかったので、少し本腰をいれて勉強するだけで見る見る間に成績は上がっていきました。周りの教師が驚いた眼で答案を返してくるのが面白くて、わたしもっと良い点数が取りたいと思い始めていたのです。

 いや、違うかもしれません。分からない問題先生に聞きに行きたいがために勉強をしていたのかもしれません。先生担当教科の国語だけでなく、どの教科も教えることができ、また、教え方が上手だった。だから、分からないものがあれば、どの教科でも先生に聞きに行っていた。わざと分からない振りをしていると見抜かれてしまうので、本当に分からない問題を探し、解決していく内に、分からない問題は減っていき、どんどん難解になってしまった。わたし先生に会いたい、質問をしたい、話したい一心で、教科書に向き合っていたのです。

 たったの半年程度で、わたし順位は下の下から、上の上へと上がっていきました。先生は桁数の違う成績表を見比べて笑っていました。その彼の横顔を見ながら、わたしは少しだけ、意地の悪い考えを抱いてしまいました。言わなければ、幸せでいられた言葉を言ってしまったのです。

「1位を取ったらデートしてください」

 先生は、びっくりした顔でわたしを何秒か見つめた後、視線を宙に泳がせました。「お願い」。そう、一歩前に出たわたしから距離を開けるように後ずさり「1位は難しいよ?」と苦笑いしました。「無理だと思うなら、約束してください」。その時の彼の脳内には、きっと、学費免除をされている学年主席優等生の顔が浮かんでいたのだと思います先生は意を決したように「いいよ、ただし、全教科合計順位で」と小声で告げました。

 300人いない程度の学年でも、1位を取るのは簡単なことではありません。優等生は、わたし学校でも飛びぬけて頭の良い少女でした。しかし、わたしには彼女に負けない思いがある。恋心です。

 わたしは、先生とのデート権利をかけて彼女一方的勝負を挑みました。彼女の苦手科目であった生物攻略することで、大幅に点差をつけたわたしは、僅差で勝つことができました。学年末試験の結果が書かれたA4のペラ紙を持って、勝ち誇った笑みを湛えながら職員室に飛び込んできたわたしを見て、先生は少し罰の悪そうな顔をして「おめでとう」と返しました。

 誰かに見つかるのは避けたいと提案された場所は、あろうことか先生の自宅でした。少し驚きましたが、恋は盲目状態だったわたし先生からメールが届いた瞬間、秒速で返信しました。春休み、まだ蕾のままの桜並木を見ながら、ミスタードーナツの袋を下げて、先生の自宅への道を歩みました、人生で1番幸福な瞬間でした。私服姿の先生想像の何倍もおしゃれで、部屋も黒を基調とした、かっこいいものでした。

 わたしたちはドーナッツを食べながら「教師と生徒」という禁断の響きに似つかわしくないほど、平凡で下世話な話をして盛り上がりました。教室内のヒエラルキー職員室内のパワーバランスも変わらず馬鹿らしいと腹を抱えて笑いあいました。先生が録画をしていた、ただ絵面だけが派手な洋画を見ながら、作品とは全く関係ない話に興じました。

 映画を見終わった頃、先生が不意に真剣な表情で聞いてきたこと、その声音を、わたしは忘れることができません。「俺のこと好きなの?」。いつも飄々としていた先生が、こんなに真剣になるのを見たのは初めてでした。報われぬ片想い今日最後にするつもりだったわたしは、笑顔で「大好きです、結婚したいみたいな意味で好き」と頷きました。次に出てくる、哀れで馬鹿な生徒の恋心を突き放す言葉に怯えながら。

 しかし、先生の口から発せられた言葉は、予想の真逆をいくものでした。わたしのことがひとりの女性として好きなこと、これからもこうして会いたいこと。しかし、くれぐれも周りの人に気付かれてはいけないこと、それが守れなくなった時点で離れたいこと。彼の話していた言葉はよく覚えていませんが、約束事の多さだけは覚えています。「教師と生徒」の恋に怯える先生気持ちを手に取るようで、その真剣眼差しに促されるように、わたしは「はいはい」と頷いていました。

 先生が、なぜわたしのことを好きだったのかはわかりませんが、彼はよく「愛に飢えててかわいそう」とわたしを評しました。両親も健在ですし、人並みに可愛がってもらえていたはずですが、わたしは両親との関係性というものがどうしても希薄しか感じられなかった。そんな姿が、愛に飢えているように見えたのかもしれません。彼は小さなから過剰な愛、過干渉を受け育ったそうです。だから、その与えられすぎた愛を持たざる者(と彼が思うもの)に受け渡すことで、バランスを取っていたのかもしれません。

 先生わたしは、密かに逢瀬を重ねていきました。学校では、若いお気に入り教師に熱を上げる馬鹿な生徒を演じ続けました。その一方で、2人で会う時のわたしは、あまり騒ぎませんでした。先生に似合う、大人の女性に早くなりたかったので、静かに、黙っていました。

 高校生になり、バイトを始めると、わたしの身なりは少しずつ「ちんちくりんな子供」を脱却し始めました。大人になるにつれ、彼の熱が上がるのを感じ、気分が良くて仕方がなく、その感覚を味わう度に自分の箍が外れていく気がしました。己のアイデンテイティがうまく掴めなくなり、自分子供なのか大人なのか分からなくなる瞬間が増え、ぼーっとした日々を過ごしていました。誰にも言えないまま、大人になるストレスは存外厳しく、不安に泣いた日も多かった気がします。

 そして何よりも、わたしは頭が良くなってしまった、なりすぎてしまった。あんなにも尊敬していた彼の大学の合否判定は「A」しかでませんでした。学年1位は優等生からわたしの手に移ってしまった。彼が枕元で得意げに語る知識に、目を輝かせることは、もはやできなくなり、ただ黙って薄笑いを浮かべることで精いっぱいになりました。そういったわたしの変化を感じてか、彼はわたしの「人に言えない」ことに漬け込むようになっていきました。

共犯者だよ、君も捕まる」

 そんな言葉を言われる度に、わたしの頭の中はぐちゃぐちゃにかき回され、嗚咽をあげて泣くか、へらへら笑うことしかできなくなりました。誰かに言わなくては、と思いつつも、その先に待つ破滅を考えると声が出せない。何よりも「淫行教師」と「可哀想女生徒」として衆目に晒されるのが耐えられませんでした。

 わたしは、先生のことを本気で愛していました。彼の未来は輝かしいものであってほしかった。たとえその先に、わたしがいなくても。先生がどれだけ汚い姿を見せてきても、教室の隅で燻っていたわたしを救ってくれた人に他ならないのですから。それが例え、先生の株をあげるためのパフォーマンスであっても、救いだったのですから

 物語の幕引きは、あっけないものでした。先生は、自分の罪を周囲に告白してしまったのです。2度目の冬のことでした。放課後、その曜日先生学校に来ていない日だったので、早めに家に帰って漫画でも読もうといそいそ帰りの支度をしていたわたし学年主任が呼び止めました。主任は、まるで化け物でも見たような、恐ろしい、それでいて悲しそうな目でわたしを見ていました。すべてを察しました。

 先生は、主任校長にだけわたしたちの関係告白しました。校外で2人で会っていた事実を認め、これ以上関係が深くなる前に学校を去りたいと告げたそうでした。主任校長は、わたしに深く頭を下げました。そんなことしてほしくないのに、する必要ないのにと焦るわたしを2人は涙を堪えた目で見上げてきました。そして、痛切な表情で「肉体関係はあったのか」と問うてきました。「ありません、断じて」とだけ答えると、先生たちは泣き出し、再び謝り始めました。わたし校長室の分厚い壁が、この大きな泣き声を外部に漏らさないかだけが心配でした。

 先生からはその数日後、直接、学校を去ることを告げられました。彼は、わたしが嘘をついたことを責めました。勝手な生き物だと、少し幻滅したのを覚えています一方的に罪を告白し、逃げ出すのはルール違反だと怒りたい気分でした、しかし、解放されたがっている自分がいたのも、また、事実でした。わたしたちは主任校長に話したこと「だけ」が2人の間にあった関係であることを確認会話し、男と女関係を辞めました。

 先生わたしは、3学期中をいつも通りに過ごしました。終業式で言い渡された先生退職を聞き、泣いている生徒の多いこと。別れを告げ、さよならを惜しむ生徒たちを横目に見ながら職員室に顔を出さずに、わたしは去りました。先生の机に重なった書類の多さは、1日やそっとで持ち帰れる量ではないと判断たからです。

 春休みわたし毎日のように学校に通いました。先生の机が見える、職員室と質問コーナーの境目に陣取って赤本を進めました。毎日うつもりでしたが、たったの1日だけ大雨が降り、行かない日がありました。その翌日、いつものように職員室に向かうと、先生の机はもぬけの殻になっていました。わたしはその瞬間、初めて人前で叫び声をあげ、怒り狂いました。教師たちの静止の声も聞かず、わたしは何度も横に立ち、椅子にもたれかかり、無意味に引き出しを開け閉めして遊んだ、彼の机を蹴り上げました。そして、糸が切れたようにしゃがみ込み、永遠と、わんわんと小さな子供のように泣いていました。

 高校3年生の時、知り合いか先生都内の某大学で働いていると知らされました。わたしは当時の志望校よりも幾分か偏差値の低いその大学第一希望に変更し、無事に合格しました。学びたい学問でもなんでもありません、ただ、先生いるからでした。何も言わず、大雨の中逃げるように去っていった彼に、文句の一つでも言ってやりたかたからです。大学生としてあらわれたわたしを見た先生は、怯えきっていました。「お金ならあげるから」と言われた瞬間、わたしは、あの日職員室で暴れた時のように先生の鞄を投げ捨て、近くのベンチを蹴り上げました。

 なぜか彼は土下座をして、許しを乞うてきました。わたしがしたかったのは、してほしかったのは、そんなことではありません。ただ「さようなら」とだけ言いたかっただけなのです。先生は、季節が夏になる前に海外へと去っていきました、何か月か後に届いたエアメールには「許してほしい」と何度も綴られていました。

 先生は、わたしのことが恐ろしくて仕方がないようでした。大学でふとすれ違っただけで、化け物を見るような顔をして踵を返されるたびに、わたしの心は潰れました。きちんと別れを言いたいだけだったのに、いつしか、互いに恨みが募っていってしまったのです。彼はすでに日本に戻ってきているようですが、わたしは、まだ会いに行けていません。会うのが怖いのです。あの目が怖いのです。

 わたしの家には毎年、主任校長から年賀状が届きます。他の生徒には届いていないようですが、わたしにだけは届くのです。罪を共有し合う仲間ですからわたしはその年賀状に、便箋3枚程度の手紙で近況や1年の振り返りを送るのが常でした。母は、特別親しくもなかった教師への手紙を綴るわたしを眺めては、毎年、不思議がっていました。

 はじめて家を出ることになり、年賀状の送付先が変わることを告げる手紙を綴る最中わたしはぽろりと母に罪を告白してしまいました、勿論、関係については「公然事実」のみ伝えました。母は「でも、好きだったんでしょう?」と聞いてきました。そうです、わたしは好きだったのです、先生のことが。そして、今でも好きなのです。「さよなら」を言えないまま、わたし片想いの渦にまだ囚われているのです。「なら、良いじゃない、世間はどういうか分からないけれど」。そうです、他人など、どうでもいいのです。どうでもよかったのです。

 冬になり、主任校長一人暮らしになったわたし年賀状を出すことなく、立て続けにこの世を去りました。わたしのことをずっと気遣ってくれた2人は、成人し、就職が決まったことをとても褒めてくれました。彼らが、あの日以降、罪について話題に出した日は一度もありませんでした。わたしを気遣う優しい文面、文化祭に遊びに行ったわたしを出迎えてくれた笑顔、どこまでも優しい2人でした。

 2人の葬儀には沢山の生徒、教師が集まりました。その中の誰も、わたしの罪を知る者はもういません。しかし、幼き日の思い出話に花を咲かせれば、誰もが「あなたは、あの先生が好きだったのでしょう?」と聞いてきますわたしはその質問をされる度に「好きです、今でも」と答えるのです。そう答えながら、喪服姿の先生を横目で探してしまうのです。ヒールはいわたしと同じぐらいの身長、年の割にかわいい顔立ちをした年齢不詳の人。わたしは、彼がどんな姿をしていたのかも、もう曖昧しか思い出せません。一緒に撮った写真はたったの1枚しかありませんでしたし、それもどこかに消えてしまいました。

 

 はじめて会った日から、気付けばもう10年以上の月日が流れてしまいました。あの頃急速に大人になってしまったわたしは、ひどくアンバランスな心を抱えて生きていますわたしの心は未だに、あの新しいようで古ぼけた校舎に囚われたままなのです。職員室を入って右側の島、奥から3番目の灰色の大きな机、先生の足元にしゃがんで、顎をひんやりとした板にのせて、話すのが大好きな子供のままなのです。

 しかし、わたしがいまいる場所は、生きている場所は、あの箱庭ではないのです。過去の罪に囚われる時代はもう終わりなのです。だからこそ、口に出さなくてはいけないのです。だからこそ、会いたいのです。会って、言いたいのです。

 せんせぇ、さようなら

 はいさようなら

 いつか終わりを迎える日に、罪を抱えた半身の行方を知らずに眠ることが、わたしはできそうにないのです。

2017-02-09

女児アニメで人気が出るのは

純粋に疑問に思ったのでだらだら書こうと思います

あくま自分主観なのでツッコミどころはあると思いますが許して下さい

推敲もせず思ったまま書いているのでそれも許してください

デザインとか設定についてだけ言っているので詳しい内容とかはべつです あくまで見た目だけの話です

全体的にすっごいカラフルな印象です

あと色に対するキャラの忠実さは異常

「わかりやすい」のが一番いいからですかね

主人公ピンク、黄(金髪

女児に人気のある色トップピンク

それに加えて戦隊物の赤主人公の流れを汲んでピンクなんだと思います

衣装の色がピンクだったりプリキュアにはそもそも髪色がピンクな子が多いです

金髪の子も多いです ぴちぴちピッチアイカツ プリキュアにも金髪ピンクが増えてきました

多分ピンクと合わせやすいし可愛いからじゃないですかね 昔との差別化とか

サポート役は青、黄、オレンジ、緑、

主人公と逆の寒色は1人は必ずいると思います 画面のバランス

あと経験則からなんですけど、ピンクが嫌いな子は大体水色が好きなのでやっぱどの層もいれようってことだと思います

青はクール、黄はポップ、オレンジは元気、緑はインテリor天然

キャラ少ないので自身はないのですがおっとりしてるかメガネかけてるかって印象があります

強い人は紫、黒、赤、白

強い人の例は神崎美月やかなめちゃんです

小学生白書最後URLからみても人気上位ですね

紫はミステリアスっていうイメージがあるので、大人の女性に憧れがちな年頃の子に人気出る傾向があります

白銀リリィちゃんとか

プリキュアの追加キュアも紫か赤

髪型

ツインテorロング

ヘアアレンジができるようにやっぱり長い髪の子が多い

ツインテはぱっと見て可愛い自動的にロングにできるので結構多いです ここたまとかリルリルフェアリルとか

ポニテは正面からわかりづらいから少な目かな?

ショートの子別に特徴があったり(前髪はねてたり)リボンや髪飾りをつけてます

おしゃれ的な問題で髪に装飾多め

主人公ツインテだったら周りはショートおろしてる子で固めたり主人公との差別化は大きいですね

大人向けだったら同じ髪型結構あります

ダブル主人公とか立ててるアニメは二人ともおんなじ髪型がある気がする RLなど

DCD流行先駆けのおしゃれ魔女ラブ&ベリーは二人ともショートでしたね

あれは髪型カードがまた別にあるからシンプルにしたのだと思います

服の装飾

最近リボンが多いですね 縛り方や色によって可愛いクールもいけるし

プリキュアでは前はハートが多かったですが最近ではダサい感じに見える(暴論)

星は定番で柄にしたり髪飾りでつけたり

モチーフ

お姫様童話)、花、トランプが多い

お姫様は安定して人気があると思いますふたご姫リルぷりっGoプリ)

色んなお姫様がいるしね

トランプクラス分けに使われてるイメージ

設定

アイドルもの多いと思ったけどそうでもないですね

アイカツアイスタプリパラの二大アイドルアニメがあるからそう錯覚したのかも

アイドルものは昔からありますね きらレボなど

みんなやっぱり憧れるからでしょか

魔法少女もの戦闘もの女児向けから大人向け男性向けに移行(という言い方は正しくないが)していると思います

多分まどマギから

日常ものは意外と少ないイメージ 違う世界を求めてるってことでしょうか

まとめ

よくわからなくなってきたのでやめにしま

料理ものとか流行りそうな気がするけどなあ

追記

キューティーハニーの時は生きていませんしプリキュアは見てますプリキュアはお料理ものではないしプリパラ結構異端ですよね そこがよい

参考文献

小学生白書Web2015年10月

http://www.gakken.co.jp/kyouikusouken/whitepaper/201510/chapter4/05.html

2017-02-02

[]大久保圭「アルテ」6巻まで

前3巻まで読んだ感想書いたけど、何気なく調べたら6巻も出てたから改めて最初から全部通して読んだ

貴族だけど絵かくのが好きで貴族やめて町に下りて絵の師匠従事してがんばる話

・・・が前まで読んでた3巻あたりまでの内容だったけど、4~6巻は舞台をフィレンツエからベネチアうつして、問題児家庭教師ってのがメインテーマになってて絵はほとんど関係なくなっちゃってたな

まあお嬢様かわいかったし、お話もありがちだけど面白かったからいいけど

ユーリさんがアルテをこどもっていうのは大人の女性がよっぽどぼいんぼいnだったりするからなのかなあ

アルテだって結構かい子供って見るにはちょっと無理があるかんじするけど

なんだかんだでさびしいレオさん・・・

再読途中で、女が作者だからageの話になりがちなのちょっと微妙だなと思ってたけど、家庭教師編はそこんとこがほとんどでてこなかったからよかった

刊行ペース遅い・・・とおもった けどぐぐったら半年1冊ペースだから遅いわけではないんだよな

悪人がいないのが安心して読める一方でいまいちカタルシス不足になりがちな部分があるのは否めないけど

でも初連載でここまで書けるってすごいなあ

2017-01-29

女性保育士はほんとは男児のあそこなんてみたくないんじゃないの

私は女性です。

学校での内科検診で、男性医師がすごく嫌でしたね。

なるべく女性医師がいいです。

なにがなんでも男女平等はいかないのかと思います

私は幼稚園でしたが記憶が断片的で、お着替えの思い出が全くない

昔なので男性保育士はいなかったですが、

男性保育士にもガンガンお着替えしてもらっていたよってもし今聞かされたらショックかなぁ…

そしてその男保育士大人の女性となった今、会いたくないですよね…(^-^;

女性保育士とかつての教え子で大人になった男性は会っても平気なことが多いのかな…?

なんでだろう

やはり力の差とか?本能的に男性には力でかないませんからね…

か弱いおじいいいいちゃんになってしまった男性保育士ならあまり敵対心はわかない?かなぁ

力がないから??かな

でもえろいおじいちゃんやえろいおばあちゃんだっているものなぁ

心だけが女性男性の方だっているし

なにも全て型にはめられないよね

銭湯はどんなに小さくても男女それぞれの湯へ行くのが望ましい派

しわたしがトイレやお風呂できなくなったら、介護士さん女性がいいけど…

むりだよなぁ

希望を言える、希望が叶うって贅沢なこと幸せなことかな

タイトルは思いついたことかきたした

だれだって異性のあそこなんて見たくないし見られたくないんじゃないの

年長さんなんてもう立派な人間よね

トイレとかに限った話で言えば理想はやっぱり男女わけて対応することじゃないか

男女わけられない心や体をもつ子はひとりひとりむきあえたらいいのかな

2017-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20170126154745 (改行有り版)

化粧が嫌いだった.

より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.

理由はいろいろある.

第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.

そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.

思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.

大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.

美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.

人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識ときはたとえば風景無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.

顔というのは社会活動必須アイコンからだ.

から人間の顔は美しくはないが面白い.

話がずれた.

雑誌モデルなどについてはどうだろう.

確かに彼らは美しいような顔をしている.

彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランス問題だと思われる.

彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.

彼らは芸術品だ.

相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.

人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.

そういうひとが一般的美人だと認識され,掘り出されて芸能人モデルなどになっているわけだ.

おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたし芸能人名前を覚えられない).

化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.

それは相貌認識理屈に合わないので納得できない.

芸術品になりたいわけでもあるまいし.

猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.

第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身価値観や美意識大衆側に捻じ曲げなければならない.

それが面倒くさくて,とびきり惨めな気分になるからなのだ.

それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.

マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.

そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.

その上で,どうすればそういう要素の自分顔面再現できるかを学習し,実践しなければならない.

それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.

生意気は死だ.

思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.

そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.

それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.

それが大人になるということだとしても.

第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.

蔓延似非科学.

薬事法を逸脱してはならないがために生まれあやふや表現の数々.

コラーゲンヒアルロン酸プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.

当たり前だ.

人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.

乾燥していることは肌には負担だ.

なので保湿はメリットがある.

ただそれだけの話.

睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.

たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境破綻が起こっている場合自助努力効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).

そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.

「化粧をしていないものには死を.

肌が荒れている? 生ぬるい.

それはあなた努力不足だ」.

このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.

とんだ生存バイアスだ.

「この商品が効きました」というレビューがある.

わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.

思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.

しかたのない話だ.

肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色形態をとるようになってから歴史は存外短いのだから.

分かっていないことの方が多い.

結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.

なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.

「救われぬ」状態が少なから存在する以上,社会が求めるボーダーもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.

なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.

それが基礎化粧品だ.

カルト宗教じみている.

社会悪だ.

吐き気がする.

使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか

そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体意識してしま自分自身矮小さへの憤りだった.

そうと気付いてから世間体ではなく自分自身価値あるもの,好きだと思うもの意識して大切にするようにした.

重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人否定しなくても,自己同一性を維持することができる.

それは心の平穏に繋がった.

他人を称賛することもできる.

そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.

化粧をした自分の顔は好きだ.

スポンジのように様々な知識収集した.

こうして自分コンプレックスは一度終わりを告げたに見えた.

けれど問題は,技術稚拙であるということだ.

周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.

熱意はたかが知れている.

そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.

無理をしたって仕方がないのだ.

だいたいなにか目的があるわけでもない.

わたしわたし自身幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.

ファッションなどもそうだ.

女性社会は以前ほど嫌いではなくなったが,化粧は技術が難しいし金がかかるし手も汚れるので,やはりめんどくさいなあと思う.

一周回ってこういう結論にたどりついた人間がいてもよいのだ,と思うことにしている.

化粧が嫌いだった

化粧が嫌いだった.より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.理由はいろいろある.第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識ときはたとえば風景無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.顔というのは社会活動必須アイコンからだ.だから人間の顔は美しくはないが面白い.話がずれた.雑誌モデルなどについてはどうだろう.確かに彼らは美しいような顔をしている.彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランス問題だと思われる.彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.彼らは芸術品だ.相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.そういうひとが一般的美人だと認識され,掘り出されて芸能人モデルなどになっているわけだ.おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたし芸能人名前を覚えられない).化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.それは相貌認識理屈に合わないので納得できない.芸術品になりたいわけでもあるまいし.猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身価値観や美意識大衆側に捻じ曲げなければならない.それが面倒くさくて,とびきり惨めな気分になるからなのだ.それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.その上で,どうすればそういう要素の自分顔面再現できるかを学習し,実践しなければならない.それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.生意気は死だ.思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.それが大人になるということだとしても.第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.蔓延似非科学薬事法を逸脱してはならないがために生まれあやふや表現の数々.コラーゲンヒアルロン酸プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.当たり前だ.人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.乾燥していることは肌には負担だ.なので保湿はメリットがある.ただそれだけの話.「睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境破綻が起こっている場合自助努力効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.「化粧をしていないものには死を.肌が荒れている? 生ぬるい.それはあなた努力不足だ」.このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.とんだ生存バイアスだ.「この商品が効きました」というレビューがある.「わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.しかたのない話だ.肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色形態をとるようになってから歴史は存外短いのだから.分かっていないことの方が多い.結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.「救われぬ」状態が少なから存在する以上,社会が求めるボーダーもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.それが基礎化粧品だ.カルト宗教じみている.社会悪だ.吐き気がする.使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか

そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体意識してしま自分自身矮小さへの憤りだった.そうと気付いてから世間体ではなく自分自身価値あるもの,好きだと思うもの意識して大切にするようにした.重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人否定しなくても,自己同一性を維持することができる.それは心の平穏に繋がった.他人を称賛することもできる.そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.化粧をした自分の顔は好きだ.スポンジのように様々な知識収集した.こうして自分コンプレックスは一度終わりを告げたに見えた.

けれど問題は,技術稚拙であるということだ.周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.熱意はたかが知れている.そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.無理をしたって仕方がないのだ.だいたいなにか目的があるわけでもない.わたしわたし自身幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.ファッションなどもそうだ.女性社会は以前ほど嫌いではなくなったが,化粧は技術が難しいし金がかかるし手も汚れるので,やはりめんどくさいなあと思う.一周回ってこういう結論にたどりついた人間がいてもよいのだ,と思うことにしている.

2016-12-31

とにかく原作雪の女王が最高なんだよ

賢い大人の女性や女同士の絆も書かれててフェミニズム的にも先進的な名作なんだよ

ディズニー正統派の『雪の女王』のアニメが作られるなら名作になったに違いのに…

アナ雪のせいでその芽が摘まれしまった

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