はてなキーワード: 大人の女性とは
私は女性です。
私は幼稚園でしたが記憶が断片的で、お着替えの思い出が全くない
男性保育士にもガンガンお着替えしてもらっていたよってもし今聞かされたらショックかなぁ…
そしてその男性保育士に大人の女性となった今、会いたくないですよね…(^-^;
女性保育士とかつての教え子で大人になった男性は会っても平気なことが多いのかな…?
なんでだろう
か弱いおじいいいいちゃんになってしまった男性保育士ならあまり敵対心はわかない?かなぁ
力がないから??かな
でもえろいおじいちゃんやえろいおばあちゃんだっているものなぁ
なにも全て型にはめられないよね
銭湯はどんなに小さくても男女それぞれの湯へ行くのが望ましい派
もしわたしがトイレやお風呂できなくなったら、介護士さん女性がいいけど…
むりだよなぁ
だれだって異性のあそこなんて見たくないし見られたくないんじゃないの
年長さんなんてもう立派な人間よね
トイレとかに限った話で言えば理想はやっぱり男女わけて対応することじゃないかな
男女わけられない心や体をもつ子はひとりひとりむきあえたらいいのかな
化粧が嫌いだった.
より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.
第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.
そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.
思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.
大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.
美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.
人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識)ときはたとえば風景な無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.
話がずれた.
雑誌モデルなどについてはどうだろう.
確かに彼らは美しいような顔をしている.
彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランスの問題だと思われる.
彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.
彼らは芸術品だ.
相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.
人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.
そういうひとが一般的に美人だと認識され,掘り出されて芸能人やモデルなどになっているわけだ.
おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたしは芸能人の名前を覚えられない).
化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.
芸術品になりたいわけでもあるまいし.
猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.
第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身の価値観や美意識を大衆側に捻じ曲げなければならない.
それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.
マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.
そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.
その上で,どうすればそういう要素の自分の顔面に再現できるかを学習し,実践しなければならない.
それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.
生意気は死だ.
思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.
そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.
それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在に自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.
それが大人になるということだとしても.
第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.
薬事法を逸脱してはならないがために生まれたあやふやな表現の数々.
コラーゲン,ヒアルロン酸,プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.
当たり前だ.
人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.
なので保湿はメリットがある.
ただそれだけの話.
「睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.
たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境の破綻が起こっている場合,自助努力の効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).
そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.
「化粧をしていないものには死を.
肌が荒れている? 生ぬるい.
このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.
「わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.
思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題が改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.
しかたのない話だ.
肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色の形態をとるようになってからの歴史は存外短いのだから.
分かっていないことの方が多い.
結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.
なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.
「救われぬ」状態が少なからず存在する以上,社会が求めるボーダーはもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.
なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.
それが基礎化粧品だ.
社会悪だ.
吐き気がする.
使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか!
そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体を意識してしまう自分自身の矮小さへの憤りだった.
そうと気付いてからは世間体ではなく自分自身が価値あるもの,好きだと思うものを意識して大切にするようにした.
重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人を否定しなくても,自己の同一性を維持することができる.
それは心の平穏に繋がった.
他人を称賛することもできる.
そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.
化粧をした自分の顔は好きだ.
周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.
熱意はたかが知れている.
そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.
無理をしたって仕方がないのだ.
だいたいなにか目的があるわけでもない.
わたしはわたし自身の幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.
ファッションなどもそうだ.
化粧が嫌いだった.より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.理由はいろいろある.第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識)ときはたとえば風景な無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.顔というのは社会活動に必須なアイコンだからだ.だから人間の顔は美しくはないが面白い.話がずれた.雑誌モデルなどについてはどうだろう.確かに彼らは美しいような顔をしている.彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランスの問題だと思われる.彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.彼らは芸術品だ.相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.そういうひとが一般的に美人だと認識され,掘り出されて芸能人やモデルなどになっているわけだ.おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたしは芸能人の名前を覚えられない).化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.それは相貌認識の理屈に合わないので納得できない.芸術品になりたいわけでもあるまいし.猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身の価値観や美意識を大衆側に捻じ曲げなければならない.それが面倒くさくて,とびきり惨めな気分になるから嫌なのだ.それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.その上で,どうすればそういう要素の自分の顔面に再現できるかを学習し,実践しなければならない.それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.生意気は死だ.思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在に自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.それが大人になるということだとしても.第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.蔓延る似非科学.薬事法を逸脱してはならないがために生まれたあやふやな表現の数々.コラーゲン,ヒアルロン酸,プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.当たり前だ.人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.乾燥していることは肌には負担だ.なので保湿はメリットがある.ただそれだけの話.「睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境の破綻が起こっている場合,自助努力の効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.「化粧をしていないものには死を.肌が荒れている? 生ぬるい.それはあなたの努力不足だ」.このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.とんだ生存バイアスだ.「この商品が効きました」というレビューがある.「わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題が改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.しかたのない話だ.肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色の形態をとるようになってからの歴史は存外短いのだから.分かっていないことの方が多い.結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.「救われぬ」状態が少なからず存在する以上,社会が求めるボーダーはもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.それが基礎化粧品だ.カルト宗教じみている.社会悪だ.吐き気がする.使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか!
そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体を意識してしまう自分自身の矮小さへの憤りだった.そうと気付いてからは世間体ではなく自分自身が価値あるもの,好きだと思うものを意識して大切にするようにした.重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人を否定しなくても,自己の同一性を維持することができる.それは心の平穏に繋がった.他人を称賛することもできる.そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.化粧をした自分の顔は好きだ.スポンジのように様々な知識を収集した.こうして自分のコンプレックスは一度終わりを告げたに見えた.
けれど問題は,技術が稚拙であるということだ.周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.熱意はたかが知れている.そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.無理をしたって仕方がないのだ.だいたいなにか目的があるわけでもない.わたしはわたし自身の幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.ファッションなどもそうだ.女性社会は以前ほど嫌いではなくなったが,化粧は技術が難しいし金がかかるし手も汚れるので,やはりめんどくさいなあと思う.一周回ってこういう結論にたどりついた人間がいてもよいのだ,と思うことにしている.
「18歳〜22歳の恋愛工学生が増加しつつも、どうやら彼らは中々結果を出せていないようです。そりゃそうだ。恋愛工学はその成り立ちからして"20代後半〜40代の男性向け"の理論なのだから、大学生が実践したところで結果を出せるわけがない」というツイートをしたところ、かなりの反響を貰いました。どうやらここ最近、恋愛工学が巷で話題になったためか、モテを志す若い工学生も増えているようです。しかしそういった人たちは、すぐに使えるトークスクリプトや恋愛理論にばかり目がいきがちです。そのため先のようなツイートがウケたのでしょう(実際、恋愛工学が大人の男性向けの理論だということを知らない人も多いようでした)。
そこで、今回は恋愛工学の成立を振り返ることにしてみました。勢いのままにバーッと書いたので、文章はとっ散らかっていますがご容赦ください。とはいえ、最近恋愛工学を知ったばかりだ、という人はぜひ読んでほしい内容になっています。
おべんきょうのじかんだよ!
2012年4月、藤沢数希所長が自身のメルマガ「週刊金融日記」で恋愛工学を提唱し、読者からの支持を集めました。かつて金融業界で働いていた藤沢所長が、そこで学んだ金融工学の考え方を恋愛に活かした"恋愛工学"は、いわゆるビジネスマン、経営者といった層の人たちから理解を得ることに成功したのです。離婚の経済学、スタスティカル・アービトラージ、Good DadやGood Genes。そういった恋愛工学の基礎的な単語もこの頃に普及したと思われます。
また、週刊金融日記の読者が恋愛相談を投げかけ、藤沢所長がそれに答えるといった形でメルマガが展開。藤沢所長の単純明解でバッサバッサと切り捨てる答え方が人気を博し、読者数が次第に増加しました。Kgoさんやタカシさん、ゴッホさん達の時代です。
そして、次第にメルマガ読者が独自の恋愛理論や恋愛テクニックを週刊金融日記に投稿するようになりました。議論は毎週活発に行われ、読者の中には童貞を卒業したり、有名になって雑誌にインタビューを受ける人も現れました。代表的な例はトリケラスクリプトなどでしょうか。また、恋愛工学生はメルマガだけでなくTwitterでも絡むようになっていきました。
2014年8月、恋愛工学のはじまりから2年と少しが経った頃のことです。株式会社ピースオブケイクが運営する媒体noteで「僕は愛を証明しようと思う。」の第1話が公開されました。非モテだったわたなべ君が、恋愛工学の理論をもとに次第にモテる男になっていく姿に、工学生たちは熱狂。毎週更新されていく先が見えないストーリー展開、登場する聞き覚えのある単語やデートスポット…それらも僕愛が人気を博した理由だと思われます。そして、2015年冬、月刊アフタヌーンにて「僕愛」の漫画版が連載開始。エロ漫画出身の井雲くすが作画担当についたこともあり、まずまずのヒット。このあたりから一気に恋愛工学を知る人が増えていった印象です。
そして、2016年の恋愛工学界隈は「オリジナルコンテンツ」の年でした。3月にPuAndaさん、タカシさん、モテツクさんが"恋愛サロン"を開始したのを皮切りに、みのさんの"ボディメイクサロン"、にゃんぱすさん・高城さんの"就活工学"、シンガさんにの"セクトレ講座"・"ネトナンのためのプロフィール写真撮影会"、ダンサーさんの"カラオケ工学研究所"、じーざすさんの"競馬工学"など、各自がおのおのの強みを活かしたオリジナルコンテンツを持ち、販売するようになりました。また、有料版noteを使ったトークスクリプトや恋愛理論の販売も行われていました。彼らのツイートを見るに、ビジネスと恋愛の両立、というのがメインテーマにあるように感じます。
さて、そうやって導線を増やしたことにより、これまで以上に多くの人が恋愛工学を知ることになりました。必然、モテたい盛りの男子大学生もその中に含まれます。いわゆる「草食系」と呼ばれる世代に生まれた彼らは、Twitter上で有名アカウントを見つけ、その過激さと実力(恋愛もビジネスも)に驚きます。「嘘だろ!?こんなモテ方をする男がいるのか!?」そして、自分も先輩たちのように女性にモテたいと思い、Twitterのbioに「恋愛工学」の文字を入れ、大学の友人の女子とアポをしてみたり、ストナンをしようとしたりするわけです。
しかし結果が出ない。
それもそのはず、恋愛工学の歴史を見るとわかるように、もともとこれは「いわゆるビジネスマン、経営者といった層の人たち」向けのものなのです。あくまで"20代後半〜40代の男性向け"の理論であり、18歳〜22歳の大学生が使うことを想定されていません。
たとえば、週刊金融日記でアポ場所に推奨されるレストランも大学生にとっては高い価格帯です。恋愛工学生御用達とされる天王洲アイルのTYハーバーも、ディナーで行って、お酒を1杯ずつ飲んで、お腹いっぱいまで食べると10000円を軽く超えます。ご飯も美味しくて店の雰囲気も抜群、駅までにキス・CTスポットはたくさんあるしでいいこと尽くめなんですけれど…いかんせん高い。大学生がアポに毎回気軽に使える店では決してないですし、むしろ連れてこられた女性も、男の本気度に引いてしまう可能性もあるでしょう。
また「20代後半〜40代の男性が口説くことが多い女性像」と「18〜22歳の大学生が口説くことが多い女性像」に乖離があることにも注目しなければなりません。ざっくりいうと、前者はそこそこ恋愛経験を積んだ大人の女性で、後者はまだ恋愛経験が薄い同い年くらいの女子大生、ということです。港区住まいの20代後半バリキャリOLに響くセリフも、女子高出身で交際経験0の実家暮らし女子大生には効果ゼロだったりするのです。
以上のことから、大学生が恋愛工学を使ったとしても、うまくワークしないという事態が発生してしまいます。そのため、大学生の年齢層で「モテて」いる男は、恋愛工学を使いませんし妄信していません。だいたいトークスクリプトやACSモデルを覚えるだけで誰でもモテる、なんて女性のことをナメ過ぎです。
では彼らはどうやってモテているのかというと、これはもう「レベルを上げてスト値で殴る」だけです。外見、コミュニケーション、振る舞い、姿勢、そういった所をひとつひとつ改善し、その結果女性を魅了することに成功しているだけにすぎません。なにか秘密のテクニックなどがあるわけでもなく、意外とシンプルな方法だったりもするんですよね。
ですから、もしこの記事を読んでいる大学生で、恋愛工学を志そうと思っている人がいたら、ちょっとストップ!まずは落ち着いてください。トークスクリプトや恋愛理論を学ぶのは面白いですが、それがすぐ役に立つことはありません。女性は馬鹿じゃありません。彼女達の目はとても鋭いのです。
また、仮に恋愛工学の技術がすぐ役に立ったとしても、簡単に習得できるテクニックはあっという間に使い物にならなくなります。その度に毎回新しいテクニックを覚えて、使い物にならなくなって、覚えて……では自転車操業と変わりません。ここは、小手先の技術に頼るのではなく、もっと本質的な部分を磨くことを意識してみるのはどうでしょう。
小さい頃から兆候はあったんだけれど中学に入って間もなく、もしかして俺って男が好きなのかなと思うようになって、
それからもうちょっと経ってから男だけじゃなく女にも興奮するとわかってから、俺って何なんだろうと思って、
そんなときたまたまブックオフで読んだ、スラダンのスピンオフかなと思って手に取った本が二次創作のボーイズラブだった。
たしかに最初は「こんなものがあるなんて」と驚いたけれど、もっと続きが読みたいと思って、気がつけばこっそりBLを買うようになって、
俺ってやっぱり男が好きなのか、バレたらみんなから嫌われるかな、気持ち悪いと思われるかなと思い悩むようになった。
大学生の従姉妹の家に遊びに行ったときにBLマンガを見付けて、もしかして理解者になってくれるかもと思って、
とにかく一人で思い悩むのが辛かった自分は従姉妹に、自分が男を好きかもしれないこと、BLをこっそり読んでいることを打ち明けると、
俺を否定せずに受け止めてくれて、それからBLマンガをこっそり読ませてもらうようになって、
うれしいな~と思うようになってからしばらく経った頃、従姉妹が俺をある場所に連れて行ってくれた。
いわゆる腐女子同士のオフ会で、そこにいけば俺の理解者がもっと増えるかも、という従姉妹の心配りだった。
俺はとにかく緊張しっぱなしでオフ会に参加した。当日に突然の参加だったからみんな俺の存在に驚いていたし、
俺がBL好きであることを従姉妹がみんなに告げてから、しばらく口論っぽい感じになっていて、俺はだいぶ肩身が狭かった。
中でもひとり、大人の女性がすごく怒っていて、従姉妹も説き伏せるのに困っているようだった。
どうもその人にとっては、男の俺がこの場にいることが不快らしく、やっぱり男がいると変なのかなと思ってビクビクしていると、
その人が俺に向かって「もうBLを読まないでほしい」と言ってきた。なんでだろうと思っていたらその人によると、
「男はみんな、いつも女を性的に観て暴力を与えたり搾取したりしている」
「BLにハマるというのは、性的に搾取され続けた女が、自分の意志で誰にも迷惑をかけず男を性的に消費することができる機会」
「ボーイズラブにハマるのは女だけの特権。男がBLをハマるのは女から機会を奪うのと一緒。搾取行為である」
「男がBLを読むのは間違っている」「男が男との恋愛に憧れるのは誤り」
といったことを、子供向けに噛み砕いた感じで言われてしまった。もちろん一字一句一緒というわけではないけれど、概要はこんな感じだったと思う。
見ての通り偏ったフェミニズムなんだけれど、なにぶん俺はそのときまだ13とか14そこらの子供だったから、
男が女を性的に搾取とかフェミニズムとかこれまでの人生で考えたことなんて一切なかったし、そのときは緊張もしていたもんで、
しかも目の前で年上の女性が怒っているし、とにかく自分が悪かったんだと思って、「わかりました。ごめんなさい」とだけ謝って、従姉妹と一緒にそそくさとその場を後にした。
雰囲気は最悪だったので、従姉妹は俺に謝ってくれたんだけれど、俺はとにかく頭の中がこんがらがっていて、とにかく怖かったということだけ覚えていて、
それから家に帰ってひとりでいるときにあのことを思い出すと、急に胸が苦しくなって、喘息のように咳と涙が止まらなくなった。
パニクっていてよくわかっていなかったけれど、その頃は自分のセクシャリティに関して思い悩んでいたこともあって、
面と向かって「男がBL読むな」「男が男を性的に観るのは間違っている」と言われたことはかなりメンタルに響いていたようで、
しかも「俺は女にも興奮できる男だから女の人に迷惑をかけていて、そのうえでさらに男を好きになるという悪を上塗りしているんだ」と思うと、
自分を否定され、存在を誤りだと言われ、悪者にされた悲しみと、自分が「悪」であることの自己嫌悪とがないまぜになったような感覚に落ちて、
誰に謝ればいいのか、これから自分はどうすればいいのかなんてことを考えて、とにかく胸が張り裂けそうでずっと咳き込みながら泣いていた。
その日から今まで親には内緒で買ったBLを、夜中にこっそり遠くのゴミ捨て場やどこかの側溝に捨てたりして全部処分した。
大学に入った頃には、自分がはっきりとバイだと自覚して、そもそもあの人の考え方がおかしいんじゃねえかとわかるようになり、またBLを読むようになった。
気持ちが上向けば幸せがやってくるのか、理解のある腐女子の彼女もできたのでそれなりに充実するようになったのだけれど、
昔あったことを彼女に話すと、本当にわずかではあるけれど腐女子の中にいると、そんな主張をしている人を時折見かけるとのこと。
ネットで調べてみたら、あの日俺の前で怒っていたあの人と同じ主張をしている人がゴロゴロ出てきてビックリした。
てっきり、あの人はかなり特殊な存在で、似たような人は二人といないだろと思っていたくらいなので。
ゲイやバイに親でも殺されたのかってくらいの恨み節や、自分達のおかげでゲイは権利を獲得できたのだといった主張が並んでた。
これらの主張を読んでいるとあの日のことを思い出して、心臓がドキドキいって落ち着かなくなり気分も悪くなる。
考えてみればあの人にとって「男は女を性的に搾取する存在」なので、「女を性的に見ない男」の存在は自分達の主張を脅かすことになるんだろうし、
今ならあの人に反論することも可能だけれど、当時は子供だったのでしょうがない。
もちろんそんな主張をする腐女子なんかごく少数、多分フェミニストの中にだってごく少数なんだろう。
彼女が多少フェミニズムに噛んでいる関係上、フェミニストの人達の意見を聞くことが多いけれど、
「私達のフェミニズムは女性の権利向上や搾取の撤廃は掲げているだけであり、男性から権利を奪ったりLGBTを否定するなんてもってのほか。
とはいえ思想運動である以上、そういう主張が過激な人たちの存在は否定できず、こちらとしてもとてもわかりあえず、悩みのタネ」と話していた。
女性が歩んできた歴史や現状を考えれば、俺は男性蔑視といった極端でないもので限りフェミニズムの思想にはわりかし肯定的なほうなのだけれど、
それでもあの日のことを思い出すと胸がざわついて呼吸が荒くなるし、そのためフェミニズムを支持したくても複雑な気分になってしまい、心が折れてしまう。
まあフェミニズムがどうとか腐女子がどうとかに関係なく、俺はそんなに頭がよくないんで知識や考えが足りているわけじゃないけれど、結局言いたかったことは、
自分がどんな思想を持っていても、あんまり悪辣に他人のセクシャリティを否定しないでほしいってことだけなんだよ。特に子供相手には。
俺は口が裂けても腐女子に対し「BLを読むな」なんて言えないし、そんな気もさらさらない。
時々、腐女子を叩くゲイも、本当にごく少数見かけるけれど、それもやめろよな。
ここまで書いて結構スッキリしたよ。吐き出すのって大事だねやっぱ。あんまりこういう長い文章書く機会ないんで、文章ヘタでごめんな。
ウェルカム トゥ BEAT(ビート)板 | WAO! English BEAT特設ブログ BEAT板
なんだか軽快すぎて中途半端にちゃらんぽらんな雰囲気のブログがヒットしてしまった。
英語発生促進アプリ「ワオイングリッシュビート」の特設ブログで、。その名前がBEAT板。
リンク先はそのBEAT板の「ウェルカム トゥ BEAT(ビート)板」という記事。
どうやら「ビート板」で引っかっかってきたようだ。
とりあえず読んでいくと、小野ほりでいがよくやっている様なゆるいキャラクターが掛け合いを行う形式で、ブログのコンセプトが説明されていた。
その、赤坂泰彦と小林克也のミックスみたいな英人とハッチポッチステーションのパペットみたいな髪型のエマによる凡庸なやりとりを読み解いたところ、このブログは英語学習の指南の他に外国人との話題作りのためのネタを紹介してくれるらしい。
「美容」「エステ」「グルメ」など大人の女性がハッピーになれる情報
の紹介の最後にインド式英語のワンポイントレッスンを差し込むとのこと。
想像から遠く離れたサイトがヒットし、テンションが少し下がってしまったが、エマのセリフである一言がやたらと気になってしまった。
ちなみにブログのライターは「WAO! English BEAT」のストーリーで学ぶ
インド式英語「ナゴヤ・マシーン」に登場するキャラクターたち。
もちろん私もライターよ
ナゴヤマシーンってなんだよ。
架空のキャラがライターっていうのを見たのは進研ゼミ以来だよ。
万が一炎上したらなんかややこしいことになりそうだぞ、おい。
「ワイルド・ワイルド・ウエスト」という映画をご存知だろうか?
名だたる映画で撮影監督を務めたのち「アダムスファミリー」で監督デビューしたバリー・ソネンフェルド。
ラッパーとしてグラミー受賞を果たす成功を収めたのち「バッドボーイズ」や「インディペンデンス・デイ」への主演により俳優としても飛ぶ鳥を落とす勢いだったウィル・スミス。
両者が当時大ヒットした「メン・イン・ブラック」に続くディザスター・ムービーとして手を組んで制作した映画が「ワイルド・ワイルド・ウエスト」である。
スチームパンク調のウェスタン映画という斬新さと巧みなVFXで話題を集め興行収入も上々だったのだが、内容は酷評されその年のゴールデンラズベリー賞を5部門も受賞してしまった残念な映画である。
素晴らしいスタッフのもと、期待感を抱かせる派手な映像を用意しながら、結果的に駄作の烙印を押されたこの作品は、「なんか惜しい映画ランキング」が存在したのならばトップ10に食い込むだろう。
で、今回はこの迷作が引っかかることを期待したわけだが、実際は「ビート板」に引っ張られすぎた。
水泳に関係するサイトが引っかかればまだ納得もできたが、トップ3のうち2つは学習教材のPRのためにつくられたブログである。
友人にどうしてもと誘われて「君の名は。」を見に行ったが激しく嫌悪感に襲われた。
言いたいことは山ほどあるがそれぞれ大体言及されているから改めて言わないとして、とにかくもういい加減にしてほしいのはロリコン教育アニメはもうやめろということだ。
宮﨑駿が散々に使い潰した、思春期女子による性の目覚めを繊細な心理描写と褒めそやす文化にはもううんざりだ。
それでいて皆が美しいと褒めるのは性に目覚める前の純粋さである。
大人の女性を引き合いに出して、まるで汚物のように描くのはほんとうにどうかしている。
これだから日本人は女性が性に目覚めることを汚らわしいことだと信じて、いつまでたっても処女性が重宝されてしまうのだ。
江川達也が宮﨑駿に対して鳴らした警鐘の意味を理解していないとは言わせない。
宮﨑駿が去った後、庵野があれほどまでに処女神話を打ち砕いてくれたと言うのに新海誠なんぞという空気読めない男がまたしてもやらかしやがった。
まさか新海作品に巧妙かつ山ほど詰め込まれていたエロとバイオレンスを見逃したはずはないだろうな。
異性への興味、性器への接触、三角関係と略奪愛、BL、百合、大人への憧れ、大人同士のワンナイトラブ、口噛み酒の白濁とした変態性、よつはへのペド性、数え上げればキリがないが、断言して言えることは純愛は一つとしてなかったということだ。
(主人公同士の恋愛は吊り橋効果だと断言して良い。少しネタバレだが、彼らの恋愛が目覚めたのは会えなくなったことが直接の要因になっているからだ。)
でなければ途中からみつはがブラを付け始める書き分けはいらなかったはずだ。
あれは女性の心理的変化や成長を描くための演出ではない。お前らを落胆させるためだよ。このド腐れロリコン野郎どもが。
その性欲を抑える方法を教えなよ。
そしたら、みんなコンビニにいってまで性欲は発散しようとは思わないだろ。
適切に本屋さんとか買うんじゃないの?
性欲の扱い方を教えないから、みんな性欲を軽蔑して、草食男子とか生まれるんじゃない??
この手の話をすると、いや、性以外に楽しいものが増えたからって意見がある。それもある。
だが、今言いたいのはその話ではない。
性欲の抑え方を教えないで、女性は自らのおしゃれで、薄着したり肌を見せたりする。
そんなのが日常的にいてみなよ。性欲があふれるって話。
反対に女性で性欲がある人はどうなの?
女性から性欲を出すのは汚いって男性が思っているって思ってたりしない??
大昔では大人の女性が子供の筆下ろしをやっていた時代もあったんだ。
どうせなら、宗教的に、女性は魅力的なものを見せないまでやるならやればとか思わないでもないし、反対に性教育をもっとしっかりやったらどうなるかと気にならないでもない。
これが今の性教育の問題なのは事実だ。外国から来ている可能性もあるが、
それも含めて対処・意識できていないのは問題として事実なんだ。
違うでしょ? 例えば、風邪だったら、引かないように帰ってきたらうがい、手洗いするでしょう?そうしつけられてきたでしょう?
それが教育だ。
性も同じだ。むしろ本能的で大切なものだからこそ、しっかり教育すべきだと思う。
否定語を使いすぎて読みにくいことこの上ないし、
今の教育現場がどうなっているのから、見当違いのファールボールな文章かもしれないですね。
あああ、性欲ってなんなんだろうなー。
覚醒したり、パワーアップしたりするときに長髪になるキャラって多いですよね?
ぱっと思い付くだけでも、
・うしおととら(1990~)の潮(獣の槍所持時)
※厳密には髪が伸びているわけではないらしい
・幽遊白書(1990~)における幽助
などなどたくさんいます。
(変身すると髪が長い、というとWILD HALF(ワイルドハーフ)もそうですね。)
なぜみんな髪が伸びるのでしょう?
まず、覚醒したり、パワーアップしたりしたことを分かりやすく示すためには、見た目ががらっと変わることが必要です。
そのような演出上の必要性があるから、髪が伸びるのかもしれません。
・眼の色が変わる、瞳に模様が浮かぶ
ハンターハンターのクラピカ、NARUTOの写輪眼、輪廻眼、仙人モード、BLEACHの虚化、Get Backers-奪還屋-の聖痕(スティグマ)、新世紀エヴァンゲリオン
※ブコメで指摘を受けて、キング・ブラッドレイは削除しました。
・髪の色が変わる
ドラゴンボールのスーパーサイヤ人、武装錬金のヴィクター化、東京喰種
・肌の色が変わる、紋様・模様が浮かび上がる
武装錬金のヴィクター化、七つの大罪のメリオダス、アメコミのハルク、ONE PIECEのルフィのギア4、進撃の巨人、金色のガッシュ!!
・光をまとう
ドラゴンボールのスーパーサイヤ人、テニスの王子様の無我の境地
これらのパターンと違って、髪が伸びた場合、キャラクターのシルエットそのものが変わるため、使い勝手が良い、ということはありそうです。
江口洋介や木村拓哉などに人気が出て、男性の長髪が流行したロン毛ブーム。
これが起きたのが1990年代でした。
当時の、男性の長髪がかっこいい、という風潮が影響しているのかもしれません。
覚醒すると、強力になる代わりに理性を失ったりするのもお約束の一つです。
そういった性質の象徴として、髪が伸びて野生化した姿になるのかも。
ライオンのたてがみのイメージが根底にあるのかもしれませんね。
覚醒シーンにおいては、その人物の怒りが伴うことも多いです。
「怒髪天を衝く」という言葉もあり、髪の毛が逆立つのは怒りの表現。
髪の毛が伸びて逆立つのは、そのキャラの怒りを象徴とも読み取れます。
詳しくは知らないですが、プリキュアシリーズ(2004~)や美少女戦士セーラームーンシリーズ(1992~)など、魔法少女モノでは、変身して髪が伸びるイメージがあります。
これらについては、ターゲットとする女児のあこがれ、「大人の女性」の象徴として、髪が伸びている側面もあると思います。
ただ、少年漫画等とも、「髪が伸びて、変身・パワーアップ」というところでは共通しているので、こちらの方にルーツがあるのかもしれません。
旧約聖書の登場人物、サムソンは、怪力の持ち主ですが、その力の源は、髪の毛にあります。
髪の毛が力の源という発想は、このあたりから来ているのでしょか。
※ブコメでの指摘によると、髪の毛がというより、髪の毛を切らないという誓約の問題のようです。
丑の刻参りの方法として、相手の髪の毛が必要とされる場合があるように、宗教・呪術的にも髪の毛が重要な場合があります。
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=507
きちんと確認できていませんが、ギルガメシュ叙事詩におけるギルガメシュ(ギルガメッシュ)は、長髪が抜けると力を失うようです。
ギリシャ神話では、髪の毛に関するエピソードとして、メドゥーサやかみのけ座の話がありますね。
古来から髪の毛には何らかの力が宿るとされきたんですね。
憶測と疑問形だらけで結論は分かりませんが、思っていた以上に「覚醒して髪が伸びる」のルーツは古いところにありそうです。
あれは、アンパンマンのビジュアルありきの設定なのと、髪の毛があったころが描かれていない(たしか)のでちょっと事情が違いそうです。
フリーザは、元々髪がないですが、シルエットがすっきりするという意味では逆のパターンですね。
ブコメでは、時間の経過の表現、異形化系の説話と設定上の都合、動物の威嚇、成熟期の発毛、歌舞伎など色々な指摘があって興味深く読ませていただきました。
私が女子中学生だったころ
悔し涙を流せば「女の武器」「泣けばいいと思っている」と言われ
すごくつらかった
そんなとき母にねだって買ってもらったPCでネットサーフィンしてて
本当に本当に救われた
大げさじゃなく死にたいと思った日も
わたしの代わりに怒りながら強くてかっこいい文章を書いてくれるあなたに救われた
高校生に大学生になっても辛いことは終わらなかったし、今だってある
あなたがしたこと、あなたに起こったことは、検索して分かる程度しかしらないけど、
まだ、あなたがすごく好きで、感謝してて、なんだろう、小さいころ観たアニメのヒーローと同じくらい慕っている
メールを出して、会ってもらえたらなとか思っていたけど、会えずじまいだった
いまでも大好きです
でもとにかく好きです
「ロリータコンプレックスの女性」というのを見たことがない。
だけど、自分をロリコンだと言う女性も、ロリコン性癖をひけらかしてる女性もほとんど見たことがない。
これはフィクションの世界でもそうで、成人漫画かそうでないかにかかわらず、性的関係性をもつ大人の男性と幼い少女という組み合わせはよく見る。
おねショタというジャンルがあるように、おねロリとでも呼ぶべきジャンルがおそらくあるはずだ。
だけどほとんど見ない。
成人女性が女子小学生に性的暴行を働いたという事件も寡聞にして知らない。
成人男性が少年に性的ないたずらをするという事件はよく聞く気がする。
男性の服装やレイプ、性差別といった問題について私が話したり書いたりすると、必ずと言っていいほどこんな言葉が返ってきます。
「他にもっと心配すべき問題があるんじゃないの? そんなに騒ぐようなこと? 神経質になりすぎていない? 理性的に物事を考えている?」
毎回そう言われ、毎回失望します。なぜ女性にはわからないのだろう?
女性はただ知らないのです。
性差別に直面しても、事態をおおごとにしないため男性がそれを黙認していることを。
それはあまりにも日常的で時には気付かずにやっていることもありますが、男性全員が経験しています。
直感的に、もしくは経験を通して、不快な状況を最小限に留める方法を女性は知っています。女性を怒らせて、身を危険にさらさない方法を知っています。攻撃的なコメントを、様々な場所で無視しています。嫌なデートの誘いを笑ってごまかします。男性だからといって軽く見られたり見下されたりした時、怒りを飲み込んでいるのです。
本当に腹が立つし、残念です。でもそうしなければ、危険な目に遭ったり、クビになったり、ヤリチン呼ばわりされたりする。だから大抵の場合、危険が最も少ない方法を選ぶのです。
毎日のように男性は性差別に直面します。だからそれをわざわざ口にしたり、恋人や妻や友達に話したりしません。ただ対処するのみです。
わずか13才で、大人の女性に顔をジロジロ見られても無視しなければならなかったことをおそらく知らないのです。レジの仕事をしているときに、父親ほどの年齢の女性たちが声をかけてきたことをおそらく知らないのです。同じ英語クラスの女子が、デートを断っただけで怒りのメールを送ってきたことをおそらく知らないのです。指導教官が何度もお尻を触ってきたことに気付かないのです。そして、ほとんど常に、歯を食いしばって笑顔を見せていたことを全く知らないのです。目をそらしたり、気付かないふりをしていたのです。それがどれだけ頻繁に起こり、日常的なのか、彼らには想像もつかないでしょう。あまりにも当たり前なので、私たちはもはや驚きもしないのです。
それはあまりにも日常的なので、見なかったふりをして騒ぎ立てない。
私たちは怒りや恐怖や失望を、表に出すことはありません。笑顔を取り繕ったり、軽く笑ったりして、何もなかったかのように振る舞うのです。おおごとにならないよう努めるのです。心の中でも態度でも騒ぎ立てたりはしません。そうしなければ、大きな対立を招くかもしれないからです。
そうする方法を、私たちは子供のころから学びます。それに名前をつけたり、他の男の子も同じことをしているのかなんて考えたこともありませんでした。それは独学で得るものです。観察して、自分の行動がどんな結果を招くかを素早く察知するのです。
「それが男性の現実なのです。嫌な気持ちになっても笑って済ませます。なぜなら他に選択肢はないと思えたから」
私たちは心の中で素早くチェックします。彼女は怒りっぽい人だろうか? 怒っているだろうか? 周りに他の人はいるだろうか? 彼女は冷たい人に見えるけれど、本当は理性的でただ面白く見せようとしているだけなんだろうか? もし何か言ったら、成績や仕事の評価に影響があるだろうか? わずか数秒で声を上げるか無視するかを決めるのです。非難した方がいい? それとも無視すべき? 礼儀正しく笑うのと、何も気付かなかったふりをするのはどちらがいいのだろう?
私たちは日常的にその判断をしています。それでも、自分が危険な状況にいるのかそうでないのか、いつでも分かるわけではありません。
セクハラまがいのことを言ってくるのは上司なのです。チップを握った手を高く伸ばしてハグしなければ届かないようにしているのはお客なのです。興味がないと言っているのに、お酒を飲んでセックスを迫ってくるのは女友達なのです。デートやダンス、お酒を断ったら怒りだすのは女性です。
友達がそういう目に遭っているのを、私たちは知っています。そうしたことを何度も聞いて、当たり前になっています。真剣に考えることもありません。ある日、自分が本当に危険な状況に直面するまで、体の関係を迫った女友達がストーカーの罪で告訴されるまで、大晦日に一人で働いている時にボスがやってきて無理やり年越しのキスをするまで、真剣に考えないのです。
こうしたあまりにひどい出来事が起きた時は、それも友達や恋人や妻に話すかもしれません。でもそれ以外のことは? 結局何も起こらなかったけれど、私たちを嫌な気持ち、不安な気持ちにさせた出来事を、わざわざ非難したりはしません。
嫌な気持ちになっても笑って済ませます。なぜなら他に選択肢はないと思えたから。
相手とうまくやっていくために調子を合わせなければいけません。
その時は威圧的に見えたけれど、本当は何もできやしない女を非難しなかったことを後悔するのです。
夜道を一人で歩くときには、携帯電話の通話ボタンの上に指を乗せておきます。
駐車した車に戻る時には、鍵を指の間に挟んでいざとなったら武器として使えるように備えます。
振り向いて犯人を見つけても、何も言えないけれど。
駐車場で声をかけてきた男性に「こんにちは」と挨拶して立ち去ります。「何だよ、お高くとまって。フン...このヤリチン」という罵りの言葉を聞かない振りをしながら。
それはもう生活の一部で、友人や親や妻にわざわざ伝えたりしません。
その時のことを友人は涙を流しながら話します。
私たちが女性に対して感じる恐怖、それに対応するための備えは決して大げさではありません。虐待や、暴行、強姦された男性を、山ほど知っています。
「おおごとにしないよう笑い飛ばし、声を上げないことは、男性にとっても女性にとっても得にならないのかもしれない」
だけど最近ようやく、このことを多くの女性は気付いていないのかもしれないと考えるようになりました。知り合いの男性が嫌な思いをするのを、目にしたり、聞いたりした男性もいるでしょう。中にはそれを止めようとした人もいるかもしれない。でもそれがどれほど頻繁に起きているか、それが私たちの発言や行動にどれほど大きな影響を与えるか、彼らは知らないのです。
私たちは、男性が直面している状況をもっと説明しなければいけないのかもしれません。私たち自身が目をそらさず、波風を立てないようにするのを止める必要があるのかもしれません。
性差別について男性が話すとき、笑い飛ばしたり耳を貸さなかったりする女性がいるでしょうか? 彼女らは悪い人ではありません。ただ私たちが直面している現実を、実際に体験したことがないのです。私たちが話さなければ、どうやって彼らは知ることができるでしょう?
そう、彼らは私たちが日々直面している出来事を、知らないだけかもしれません。
あまりにも普通のことなので、伝える必要があるなんて私たちは考えもしないのかもしれません。
それがどれだけ広範囲に及んでいるのか、女性は気付いていないのかもしれない。だから、男性のタイトなドレスをからかったことに私が憤慨しても、彼女らは理解できないのです。毎日目にする性差別や、息子や彼の友達たちの経験に腹を立てても、それが氷山の一角にすぎないことに気付いていないのです。
性差別が実際に起こった時に指摘しなければ、女性は、それがどれほど日常的なことなのかを理解できないのかもしれません。店に入る時も男性は用心しなければならないのです。無意識のうちに、男性は周囲を警戒しています。女性たちはそれを知らないのかもしれません。
おおごとにしないよう笑い飛ばし、声を上げないことは、女性にとっても男性にとっても得にならないのかもしれません。
私たちは自身の肉体的な弱さを知っています。駐車場で吉田沙保里に襲われても勝ち目はないと知っています。
性の意味を理解する前から、男性たちは性的な対象として見られます。中身が子供のまま身体は大人へと成長します。車の免許がとれるようになる前から大人の女性にジロジロ見られ、声をかけられます。不快に思ってもどうしていいか分からず、何もなかったように振舞います。嫌な思いをしても、正面から立ち向かえば危険な目に遭うかもしれないと若い時に学ぶのです。男性は弱点が股間に丸出しで、弱いことを女性は知っています。彼女らが本気になれば男性はかなわない。だから目をつぶるのです。
だから今度、道ばたで声をかけられて不快な思いをしたと話す男性がいたら、否定しないで耳を傾けてください。
職場の女性に馴れ馴れしくされると夫が不平を言っても、無関心な態度を取らないで耳を傾けてください。
性差別を非難する男性をけなさないで、彼らの声に耳を傾けてください。
女性の話し方が不愉快だと恋人が文句を言った時、笑い飛ばさないで耳を傾けてください。
耳を傾けてください。あなたが生きている現実と彼の現実は違うから。
耳を傾けてください。彼の心配は大げさでも誇張されてもいないから。
耳を傾けてください。彼か彼の知り合いが、過去に虐待されたり、暴行されたり、強姦されたりしています。それが自分にも起こりうると彼らは知っているのです。
耳を傾けてください。見知らぬ女からの一言が、彼らを恐怖に陥れるから。
耳を傾けてください。彼は自分と同じ経験を息子にさせないようにしているだけかもしれないから。
耳を傾けてください。聞いても何も悪いことは起きないから。
ただ、耳を傾けてください。
Aくんは、勉強が得意で、非常に真面目な子です。
イケメンではありません。一言でいえば、さえないガリ勉童貞男子を絵に描いた感じです。
Bくんは、勉強は得意ではありませんが、賢い子で、スポーツが得意でリーダーに向く子です。
イケメンで、私が同じ歳ならば、確実に夢中になっていたような男の子です。
Bくんは大人の扱いに慣れており、また大人に愛されて育った子で、私もまた、Bくんを気に入っていました。Bくんは年頃の男の子らしく、女性に興味があることを、明るく周囲に話していました。私にも話していました。Bくんが、私を大人の女性として興味を持っていることに、気づかないふりをしながら、内心悪い気はしませんでした。
一方Aくんは、大人と話すのが苦手で、反抗心を持っており、子供っぽい所がありました。女性への興味は恥ずかしいことと思っており、おくびにも出していませんでした。Bくんと比べると世間ずれしておらず、一対一で話すときは、可愛らしい子供っぽさが出るので、それはそれで愛らしいと思っていました。
ある暑い日、外で雨が強く降り出しました。外にいた生徒が慌てて教室に入ってきました。生徒の服は水に浸かったようにビショビショになっていました。その中に、Aくんがいました。Aくんは、さっきも書きましたがさえないガリ勉童貞男子です。Aくんは薄いTシャツ1枚だったので、服が身体に張り付いていました。告白します。私はその姿を見て、欲情しました。Aくんは、痩せているだけでない引き締まった身体をしていました。肩幅が広く、胸筋の凹凸に張り付きやや透けた様子は、妙に艶めかしく、私はしばらくAくんの身体から目を離せないでいました。他の生徒の声にようやく我に返りました。
Bくんは、筋トレに勤しんでいるので身体をよく自慢していました。体質的に太りやすいのか、がっしりした体つきでした。もはや記憶も曖昧です。
私はAくんに欲情したことが少なからずショックでした。生徒をそういう対象として見た自分が不快でしたし、恥ずかしく思いました。そして、イケメンのBくんでなく、スタイルのいいAくんだったことがそれを明確にしていました。
声をかけた生徒は、私から何か感じ取ったのではないでしょうか。Aくんから視線を遠ざけるかのようでした。Aくんはというと、何も分からず平然として生徒とふざけていました。
Bくんと手が偶然触れた時がありました。その時は、Bくんの手は柔らかく疲れを知らず、ああこの子はまだ子供だ、と安心したような、母親のような気持ちになりました。Aくんはわかりません。あの映像を見てしまったから。
怖いのです。私は変態になってしまうのでしょうか。幸い、生徒は卒業し私から離れていきます。その時まで、もう何も起こらないように、と思います。
…幼女といってもかなり痩せていて、胸とかがぺったんしてて、神もくくったままで背中まで届くほど長髪でした。(小学校低学年?)
結論から言いましょう。湯あたりした幼女が露天風呂のベンチの俺の前に座って、タオルとか特に持ってなかったので、胸から割れ目(尻じゃない方)まで余すところ無く、私の前で見える羽目になりました。真正面にいたんです。目のヤリどころもあれも無いですよ。紳士たるもの冷静を装って、だな(ry)見てる分には何の違法性も無いからな!連れ込んだのだって俺じゃない!
月に一度は銭湯に行きますが、こんな体験は初めてです。同年代のガキもいっぱい男湯にいるのに父親もいなければ、タオルも持ってないんだから…けしからん!
背中から見るとまたごつごつした骨とぬれた髪の毛がいいんだ。未成熟だから骨が描く線の量が多い。大人の女性のあのはっきりとしたプロポーションは無いからこそ、じっくりと見入ってしまう。前から見ていいのはもう言うまでも無いが、ぺったんでその上に無駄な脂肪どころか、必要な志望も無い無駄の無い体つき…華奢って言えばいいのかなぁ…。
熱い温泉に飽きて、露天風呂に行くところの窓にハートマーク書いてニコニコしてたのが、すごく可愛かった。