はてなキーワード: 地獄とは
ゲーム会社とか同人の外注で生計立ててる身だけど元増田の気持ちはかなり分かる。
風景とかデザイン系の絵師は本職経験あったりTwitterじゃない場所を活動拠点にしてる奴が多くて結構マトモなんだけど、萌え絵師は殆ど素人だし社会人経験ゼロの接客バイト中年とか気に食わないことあると後先考えず晒す精神年齢低めメンヘラオタクがゴロゴロいて、どいつもこいつも事前知識ゼロのTwitterおバズり情報オンリーで企業案件受けようとするからかなり地獄。
そもそもここまで酷い有様なのはTwitterで功名心ウッキウキになって妄想上の法律や契約を広める絵狂い虚言バカオタクと鵜呑みにして広める有害バカがリテラシー低い絵描きの常識を汚染しまくってるのが原因だと思うんだけど、あの辺の盲目信者餌やり体験馴れ合いフレンドリーパーク界隈は怪しすぎる情報鵜呑みにして企業相手に契約アホトラブル起こした後被害者ヅラで炎上して迷惑多段攻撃やらかすから絵描きそのものの信用が失墜して同業的にもかなりクソクソクソクソ迷惑なんだよな。
インボイスでハードル上がったら抑止力になるかと思ってたけど全くそんな事は無かったし、自営業として最低限の責任取れない奴は仕事受けないで欲しいマジで。
発注受けて金貰う絵師は「クライアントが求めるイメージをできるだけ美しく適切な形で出力する職人」以上の何者でもないんだから、そこの認識狂って要求と自意識だけ肥大したらそりゃAIの方がマシって話になるのは当然なんだわ。
遅ればせながらミッドサマー見ました、ディレクターカット版。まぁ夏休みだからね。せっかく見たわけだから、感想をどこかに違法投棄したかった。
だった。
とにかく「共感」という感情の働きをグロテスクに、狂気的に描写している。下馬評を聞いて、カルト村にやってきたよそ者が現地のネーチャンとパコパコした後に、愉快な仲間と共にグロ処刑されるよ!って話だと思っていたので、なんか予想と違う角度からの露悪的な表現に、自室の椅子から転げ落ちてしまった。劇場で見なくてよかった。ありがとうamazon prime。
本作の主人公であるところのダニー、これがまた悲劇的人物で、双極性障害の妹がダニー以外の家族を巻き込んで無理心中してしまうという、壮絶な背景を抱えている(ルックバックであれこれ言われた我が国ではできそうもない設定だ)。さらに言えば、彼女自身もパニック障害持ちと、かなり苦難の人生を歩んでいる。
そんな彼女にも、理解のある彼くんこと、クリスチャンがいます……と思いきや、このクリスチャンは理解ある彼くんになるにしては力不足。作中冒頭でもダニーの電話に辟易としている様子が描写されている。ダニーが不安になるたびに電話がかかってくるので嫌になったんでしょうね。
また、クリスチャン自身もダニーの誕生日を忘れてしまっていたり、自分の旅行の計画を彼女に伝えてなかったりと、純粋に彼力が足りてない部分も描写されている。
そんな彼の落ち度をダニーが非難して謝らせ、ダニーはそこからさらに追撃(本当に心から謝ってる?攻撃)をかまし、そしてクリスチャンに非難され返して慌ててダニーが謝るという場面がある。
そんな彼女の前に現れるのがペレ。この物語はペレに誘われてホルガ村に来たクリスチャンとダニーとその仲間たちが、ダニーを除いて村の生贄にされる話であるから、彼は物語的には黒幕、あるいは元凶である。
そんなペレは、作中でダニーに対し「自分も同じ境遇(家族を失った)だから」と彼女の悲しみに寄り添おうとする。
……と思いきや、不思議なことに彼は作中一度もチンポを出さない[^2]と、いまいち意図がわからないキャラクターとなっている。なんなら誕生日を忘れたクリスチャンをフォローしたのもペレだ。NTR男だとしたら敵に塩もいいところだ。
そんな彼の動機も、作中中盤に明かされる。自身が家族を失った悲しみをコミューン(ホルガ村)に支えてもらったと。だから同じようにダニーもホルガ村で支え合えると。
つまり宗教である。男が女に寄るとき、その理由はセックスか宗教か金の3択だ。こいつも例外ではなかった……というのはさておき、動機だけ見ると善性寄りに思える。
作中でダニーたちが訪れるホルガ村。ホラー作品の類型に漏れず、この村は姥捨てからスピリチュアル儀式、人身御供までを幅広くこなす、分かりやすいキリスト文化圏外のエログロホラーカルト村だった。
ここまでは典型的な因習村といったところだが、ホルガ村にはホラー作品としては珍しい要素がある。
どういうことかというと
など。ホラー因習村としてはユニークな表現だ。そして、これこそがペレの言っていた「家族を失った悲しみをコミューンで支えてもらった」の真相である。この村は、とにかく村民同士で共感し合って、悲しみを乗り越えるようだ。
そして、紆余曲折あったダニーはホルガ村に迎え入れられ、紆余曲折あって知らん女とスピリチュアルセックス儀式をしていたクリスチャンを生贄に捧げることを決意したのであった。燃えるクリスチャンを遠目に眺めながらダニーはニッコリスマイルを浮かべて映画は幕を閉じる。
ここから先は物語の中では描かれず、それぞれの解釈に委ねられている。故に、自分も己の解釈を述べることにする。
ホルガ村で行われている、この共感メソッド。その目的は、個人が抱えるには重すぎる苦痛をコミューン全員が共有・分配することで苦痛を乗り越えることにある。また、協力して苦難を乗り越えることからコミューン内の結束力を高める効果もあるだろうし、感情の共有を徹底すれば「村民同士で共感しない感情については村として承認しない」という仕組みを作ることができる。これぞまさに共産主義的な支配に他ならない。
現に、姥捨の場面では「こんなことおかしい」と叫ぶ余所者の感情には一切共感せず、しかし村に迎え入れられたダニーの嗚咽には共感してみせた。このように、村をあげた共感の儀式は、その他の共感しない感情を排除する効果がある。カルト式の集団運営に一役買っているのだ。
双極性障害の妹から連絡が絶えた不安に共感して欲しい、この不気味な村から早く抜け出したい、そういった感情への共感を、ダニーはクリスチャンに求めてきた。しかしクリスチャンはそれを受け止め切ることができず、ダニーはそれに不満を感じていた。
そして、共感に対する内なる欲求をペレに見透かされたからこそ、ペレはダニーがホルガ村に来ると知ったすぐ側から、ダニーに寄り添い始めたのだ。村人が「ペレの見る目は確か」と言ったのは、そういうところを指しての言葉だろう。
しかしながら、ずっと笑顔の戻らなかったダニーが、スピリチュアルメイポールを通じて村の女性と心を通わせ、恋人を失う悲しみを共有することでやっと笑顔を取り戻すという展開からは、ホルガ村を迎え入れたことそのものが幸か不幸かは判断がし辛くはある。
人は誰しも自分の感情に共感してもらいたいものだ。しかしながら、共感を他人に問答無用で押し付け、そして押し付けられることを選んだコミューンの行き着く先がエログロカルト村というのも、寓意を感じずにはいられない描写だ。
なにより、ダニーのような、恋人に感情労働を押し付ける女がそのようなコミューンに適合するという描写が、そのような人間の行き着く先は地獄であると暗に示しているようでならない。
現代ではエコーチェンバー効果という言葉を聞くことも珍しくなくなってきた。思想の似通った者同士が通じ合い、かくして狂気は産まれるのだというストーリーは、思い返せば現実でもよく見る構図であった。
もし、この映画から得られる教訓があるとくれば、それは「共感のしすぎ、求めすぎ」は狂気を招くということではないだろうか。
是非とも身に覚えのあるメンヘラ女の諸氏におかれては、このことを胸の片隅にでも置きながら、周囲への配慮を怠らずにいてくれれば幸いである[^3]。
---
[^1]: このように書くと、パニック障害なのだから仕方ないじゃないか、差別だなどと書かれるかもしれないが、そもそも恋人は無料セラピストではないのだ。クリスチャン自身もダニーを支えきれないことを自覚し、別れ話を持ちかけようともしているのに、単純にクリスチャンをクズ男扱いして死んで当然扱いする感想記事があり、あまりにもあまりにもであったので、ささやかな抵抗として、このように駄文をゴミ捨て場に投げ捨てている。
[^2]: ちなみにクリスチャンはチンポを見せている。
[^3]: 決して私怨ではない。
https://togetter.com/li/2410227
これ見て思ったんだけど、これもうもはやbashのワンライナーとかの域越えてるよね。
ぱっと見分かんなくても、解説されれば大抵スクリプトのワンライナーのってわかるけど、エクセル関数は説明されてもさっぱり分からん。
思うに、大抵の言語は人間にわかりやすく表記するという方向で進化し続けて来たのに対して、エクセルはそんな事知ったことではないからこういう進化になるんだろうね。
分かりやすさ利便性向上する為にもっと出来ることがあるのに、対して役に立たない関数増やすばっかりで、読みやすくしようとか、書きやすくしようとか言うことに全く意識が向いていない。
こんな不便な状況なのに、こういう理解不可能なティップスは増えるばかりだ。
そして理解できないけど、とりあえず動くからとコピペで使用する。おかげでメンテナンス性はボロボロだ。
でもマイクロソフトは全く気にしない。エクセルはプログラミング言語ではないからだ。実質的にプログラミング言語だとしても、その言い訳でずっと関数の整理もせずにゴチャゴチャしたシートは相変わらず量産され続ける。
地獄だな
これねぇ、その友人が部下と結婚する前は、元増田がその友人に対して「金稼いでますマウント」「女も自分で稼ぐ時代マウント」をナチュラルにかましててそれを友人はうざがっていたんだよ。
で、稼いでる男と結婚して養ってもらえる立場になれたからこれ幸いと今度は友人が元増田に対して「金持ってる男と結婚できたマウント」を取るようになったんだよ。
で、そんな友人をうざったく思った元増田は「その男は私の部下マウント」「紹介してやったのは私マウント」を取るようになったわけだ。
で、友人は負けじと「男の金で生活できない女は負け組マウント」で元増田をやりこめようとしてるわけ。
で、元増田はそんな友人の考え方を「生活を他人の稼ぎに依存するのはヤバいでしょマウント」で反撃してるのが現在の戦況。
で、元増田は「私は部下の評価を悪くしたり、干していくのも可能な立場なんだよマウント」を隠し球として持っていることで精神的安定を保とうとしているわけだ。
で、元増田がこんな精神安定剤を欲するのは友人が後々「女は結婚、出産してなんぼマウント」「専業主婦だから子供に対するきめ細かいケアができるマウント」をかましてくるのが目に見えているから。ここが元増田のアキレス腱。
で、友人がそういうマウントかましてきたら満を持して「お前の夫の生殺与奪権を握っているのは私だよマウント」で切り返そうとしてるのよ。
で、友人の出方(「女の幸せは結婚、出産、子育てにあるのよマウント」「それができない女は負け組マウント」など)によっては実際に部下の評価を下げて給料もカットしてしまって「あらら、おたくの旦那さん大丈夫?マウント」「パートに出るしかないわねマウント」を発動しようとしてるわけ。
前の会社を辞めて、今月でちょうど十年になる。いい機会だから振り返ってみたい。若かりし日のことを。
この振り返りの日記が、ソーシャルゲーム業界や、ゲーム開発者への理解を深めるきっかけになれば幸いだ。
大学を出て、新卒で入ったのがその会社(以下D社とする)だった。私が入社した頃がちょうど、D社が経済社会の中で一番ノッてくる時期だった。
出身大学は、準MARCH的な目立たないところである。D社の入社試験を受けてみようと思ったのは、なんとなくだった。
リクルートは仕事に全振りしてる人が多そう、旅行業界はインドアの自分にはちょっと、メーカーは父が苦労していたのを見ている、飲食業界が地獄なのは身に染みて知っている、という具合に就職マップの本を見て絞っていった。そして、残ったのがゲーム・エンタメ・ITの世界だった。
在学中にD社のサービスを体験していて、悪くないなと思っていた。面接試験は自然体が大事で、「自分の想いを素直に話して、それで落ちたのだとしたらお互いにwinwin」だと思っていた。
それで、淫キャラである自分が受かるかどうかは不安だったけど、D社とK社のふたつから内定をもらった。自分の魅力をアピールできたと思う。
私は採用パンフレットに載っているキラキラした人ではなかったけど、嬉しかった。一週間ほど悩んで、D社のオファーを受けた。
ソーシャルゲームを開発する部署への配属だった。開発といっても、実際のプログラミングといった手を動かす仕事は委託先がやってくれる。主には企画開発がメインだった。
ソーシャルゲーム、という言葉はまだ一般的じゃなかった。言われ始めた頃だったかな。いろんな会社がDeNA(怪盗ロワイヤル)に続けと、雨後の筍のように湧いていた。
新入社員の頃は、どうだったかな? 研修はあまりなかったと思う。今だったら半年はやりそうだ。ベンチャー企業らしく、良くも悪くも飾らないシンプルな研修だった。
配属当初も、ゲーム開発をがっつりやるわけではない。座学だったり、職場や協力会社の見学だった。会議や打合せの端っこに混ぜてもらって、「増田さん、とりあえず意見を笑」みたいに振られることもあった。できるだけ率直に思ったことを言っていた。レベルは低かったと思う。
デバッグはよくやった。専用の画面でゲームをするのだが、開発段階なので不具合が多数ある。すると、エンジニアの人がババッとコードが入った画面を開いて、適宜修正を検討する。当然私にはできなかった。今ならコードを読むことはできる。
Q&Aの仕事もやらされた。今でいうCS部門(カスタマーサポート)である。「やらされた」というと受け身だけど、本来はほかの部署の仕事だった。社内アルバイトのようなもの。ベンチャーなので、そのあたりの垣根は低い。
文章を作る力は、わりかし評価されていた。中学生や高校生と思しき人が、よくわからない問い合わせメールを送ってくることがあったけど、粘り強く取り組んで、一件一件解決していった。速度は遅かったけど……チームリーダーに褒めてもらえた。
意外な学びもあった。実際のCSのやり取りで中学生かな? と思っていたら、40代ほどのおじさんおばさんだったりすることがよくあった。ゲームアカウント名は、どう考えても子どもが名付けそうな名前(卍侍候extreme卍 みたいな...「はべらいそうろう」が読めなかった笑)だったけど、自分の世界が狭くて気付かなかった。こういう体験は今でも大事にしてる。
社会人一年目は、ひたすら下働きをして学びを深めていった。年度の最後の方では、担当ゲームをひとつ持たせてもらえた。開発チームの末端だったけど嬉しかった。
二年目は……といっても、二年目で当日記(に書く内容)は終わりだ。一言いっておきたい。
すごく、キツイ記憶を思い出そうとしている。二年目の終わり頃は、朝によく吐いていたし、会社に行きたくなかったし、おそらく消費者庁に提出する反省文の原案を作らないといけなかったし、ほかのチームメンバーも死にそうな顔だったし、毎日とんでもない量の苦情の電話やメールがあって辛かった。
電車で通勤してたんだけど、夜に電車がホームに入ってくるのを見ると、「飛び込んでみようかな」と思ったりした。体が勝手に飛び込んでくれたらなぁ、とも思った。
その年の4月時点で、所属チームが開発していたのは地味なゲームだった。
ほかの同業他社が出してるソシャゲは、日の目が当たるキャラ性の主体がメインでゲーム世界を形作っていた(海賊とかドラゴンとか)。対してこちらは、ドリルで地面に穴を掘り続けるゲームだった。それで宝を集める。圧倒的地味。しかし奥深いゲームで、かくいう自分もどハマリしていた。
私の仕事はルーティンが多かった。ゲームシステムの保守である。一般社会でいうと、道路を管理するための特殊車両がウインウインウイン……と低速で走っていて、アスファルト舗装の亀裂を見つけてると思う。ああいう地味な仕事だ。
みんなが楽しくゲームできるように、バグが生じていないか点検したり、ユーザーからの質問に答えたりする。
その穴掘りゲームだけど、突如終了がきまった。うちの会社がイケイケ(死語)になり始めた時期であり、収益性の低い穴掘りゲームは終了のようだった。老舗タイトルだったからか、名前だけは残された。
私は、ガワだけを変えたそのソシャゲ風カードゲーム(以下、『幣タイトル』とする。今のゲームに例えると、「グランブルーファンタジー」や「Fate/Grand Order」をもっとシンプルにした感じ~)のチームへと異動になった。
多忙な日々だった。アクティブユーザー数は前のゲームの10倍近かった。最終的には20倍ほどになる。
穴掘りゲームと比べたら射幸性が高い。みんなよくガチャを回してくれたし、ダンジョンも進んでくれたし、回復アイテムを買ってくれたし、協力プレイで敵モンスターを叩くのにも意欲的だった。
ゲームを楽しんでいる感が伝わってきた。業務量はものすごかったけど、あの頃は楽しかった。社会の役に立っている実感があった。ただ若かっただけかもしれないけど。
秋に入っても、幣タイトルの人気はうなぎのぼりだった。既存の人気ゲームを追い越して、世間に知られるゲームになっていた。自分もリリースからちょっとの間だけどプレイしていた。醍醐味は協力プレイだ。電車の中でできる気軽さがいい。
ただ、お金がかかるのが難点だった。そのゲームには、特定のカードを【ガチャによって】○枚集めると強力なキャラクターカードが手に入る仕組みになっていた。しかし、○枚の中にはすぐに手に入るものもあれば、そうでないものもある。
ちょっとだけ確率の話をする。例えば、10%の確率で手に入るコンプ対象カードが5枚あったとする。最初の1枚目のカードの入手確率は50%だけど、最後の1枚になってからを考えると10%になる。実際には、一番難しいカード群の排出率は2~3%だった。プレイヤーは厳しい戦いを強いられる。
電子上のガチャというのは、コンビニのくじ引きとは違って箱の中味が無限だ。この場合、ちょっと前提が変わってくる。箱の中に100枚のくじ(当たり×1)がある場合だと、100回引くまでに必ず当たりが出る。でも、プログラム上のガチャだと、1回以上当たりを引ける確率は約63%だ。
※箱のくじと違って当たりを2つ以上引ける可能性もある。電子上のガチャはハイリスク・ハイリターンということだ。なお、コンプガチャだと当たりを2つ引いても意味はない。強力カードを手に入れるためのフラグなので。
実際のコンプガチャでは、一番難しい入手率2~3%のカードを引けた時には、ほかのカードも揃っている可能性が高いためだろうか~~期待値は約10~15万円ほどで推移していた。
コンプガチャというのは、「影響力の武器」などの名著に書いてあるコミットメントという心理的手法になる。とにかく、まず最初にやってもらうということだ。
この仕組みを考えたのが誰かは知らない。「自分が考えました」と主張する人間が、当時の開発チームのリーダーや、他部署の先輩・上司や役員クラスまで含めて、少なくとも5名はいた。誰が最初の考案者かは本当にわからない。
あの頃は、「うちの会社は儲かってる。CMもこんなにやってる。やった、すごい!!」。それくらいしか思ってなかった。今では思う。当時の自分達がやっていたのは、暗号資産投資と本質は一緒だった。
つまり、純然たる賭博(ギャンブル)であるものを別の何かで覆い隠している。ビットコインの場合は『未来の技術』であり、幣タイトルの場合は『ソーシャルカードゲーム』になる。
会社の飲み会は、いつも大騒ぎだった。自分達は新興ゲーム業界のリーディングカンパニーであり、このまま規模を拡大して、伝統的なゲームメーカーとも肩を並べて、いずれは任天堂を追い越して……といった未来を、和風洋風エスニック、いろんなお店がある都内某エリアの飲み屋で深夜まで語り明かしていた。
__________________
同じくらいの文字数です。
後半
生きたまま子猫をミキサーにかけると生まれたての子猫は骨が柔らかいのかすぐミンチになる。
が、生後1ヶ月たつと骨もしっかりするため刃に内蔵や骨が引っかかってミキサーの動きが弱くなり、下半身がズタズタになるだけでなかなか死ねない地獄の苦しみを味わう。
なのでじっくり楽しむのならある程度育った子猫に限る。
https://anond.hatelabo.jp/20240729161221
普通にエアコン買う金も無ければ、電気代増えて払う金もないんだが
まさか、はてなでパンがなければケーキを食べればいいじゃないかと言われてるとは思ってなかった
ちな朝になるともう耐えられない暑さだから、何かしらの店に入って涼んでる
夜ふかしなんかすると地獄
どんなに眠くても熱くて起きちゃう
逆に酷く酔ってて起きれなかったら死んでてもおかしくない
お前ら少しは想像力働かせてくれよ
俺みたいなやつはどうやって生きていくのか考えるのが、持ってるものの務めだろ
それが出来ないから俺みたいな奴が最終的に無敵の人になって犯罪するしかなくなるんじゃないのか?
もっとお前らがしっかりしてくれよ
休憩挟めない方が地獄やん😟
(アンフェはカサンドラは障害者ヘイトで男性差別だ!カサンドラなんてない!って言ってたけど)
夫婦以上に逃げ場がないのは親子だ
自分の子供がAさんだったら、子供を愛せない毒親にならないと、なぜ言えるのか
「生きてるだけで嫌われる」漫画では包丁を突きつけられる発達障害主人公がいた
読者は包丁突きつける側に「散々迷惑かけられてきたんだろう」と同情し、主人公を叩きまくっていた
だが、繰り返すが職場の同僚ならば大人同士だし逃げようがあるのだ
親子ならばなおのことAさんタイプは鬱陶しいだろう
包丁突きつける虐待に発展し、世間からひどい親だ、可哀想だとバッシングされる可能性は大いにある
え?もう1回言えってことですか?
https://anond.hatelabo.jp/20200304103252
引きこもり男性のような、あからさまに態度がヤバくて入り口で拒否されるパターンではなく、
数か月した頃に「こいつ、うまく言えないけど、なんかイラつくな…」みたいになるから言語化・可視化しづらく厄介というか。
こういう子は、最初はみんな愛想よくしてくれたのに、数か月するとみんな冷たくなるという経験を何度も味わっている。
そのせいで、子供を欲しがるんだよね。子供は母親から逃げていかないから。
同世代からするとイラッとくるような人でも、子供はママしか頼れないし、ママ、ママとなつく。
だから可愛い。大人はすぐ冷たくなって離れていくけど、子供は長い期間を母親に執着するから、母親が子供に依存してしまう。
そうして、子供を作ったはいいけど夫がイラついて離婚されて…、養育費は払われず…、世代をまたいで連鎖してしまう…。
女性の弱者は初対面で好意的に接してもらえた成功体験があるのか、男性よりも孤独への耐性がなくて我慢できないのか、
人懐っこい態度や、縋りつくような態度をとることが多い。(媚びや縋りつきと同時に不快な言動もある…)
モラルがある男女からは「居心地悪そうな苦笑い」と「そっと距離置き」、
モラルない女性からは「イジメ」、モラルない男性からは「ヤリ捨て」「孕ませ捨て」をされる。
そして「悲しい」という気持ちでいっぱいになってしまって、食べ物・アイドルやアニメなどの力で悲しみを乗り越えて……
……同じことを繰り返す。
https://anond.hatelabo.jp/20210626183848#
頭のおかしい私には人と話しをする職業は向いていなかったが、「見た目を褒められるんだからいつか花が咲くはず」とすがりついていた。
その頃のデリヘルは当欠遅刻早退当たり前の私に優しい世界だった。
キャバクラは勤怠に厳しい。遅刻もダメだしメンタルが病んでても出勤日は這ってでも出勤しなくちゃいけなかった。それもストレスだった私には酷く魅力的で仕事内容の糞さよりそのメリットの方がデカく感じた。
出勤したい日に出勤したい時間だけいれば店のパネルを見て容姿のいい私に客は当然殺到して10万円は確実だし性病の事を考えなければ私のライフスタイル的には適職だった。
風俗御用達の男共御用達のシティヘブンの台頭で業界の風向きが変わった。
媚びた写メ日記に際どい写真を付けて自己努力での客呼び込み。地獄だ。
今まで店にいれば対して日記を書かなくてもパネル指名とちょっと頭おかしくても許してくれる本指名でナンバーを取ってきた私はどんどん日記の上手い子に負けて1日5万の世界に堕とされた。
コロナのせいで今まで普通の仕事をしてきた真面目な子が風俗に流れ込んでくるようになった。
店は勤怠真面目で仕事もしっかりこなしてくれる子を優遇するようになり、とうとう私が風俗の旨みだと思っていた当欠遅刻早退禁止の店ばかりになってきた。
当欠魔の私はそのせいでクビになったり雇われなくなったりしてきた。
最早見た目じゃなく勤怠の時代だ。
ここまでくると見た目の良さなんて周りのおべっかなんじゃないかと思えてきたが、見た目とスタイル重視採用の高級店にも受かったりしてきたから悪くは無い筈。
ただ時代が追い求める風俗嬢は決まった日に決まった時間しっかり出勤出来る子を求めるようになってしまっただけだ。そう思いたい。私の見た目はそれなりだ。
キャバクラでもパッとせず終わって、普通の仕事はアタオカなせいですぐに使えない駒扱いされ冷遇され、風俗は私の最後の砦だった。
普通の仕事はまともに出来ない、キャバクラやラウンジでやっていけるトーク力もない。すぐメンタルやられて休む。そんな私に出来る最後の仕事だった。
やはりどうあっても原作を未読・未視聴・未プレイをわざわざ公言する二次創作作者は意味がわからない
https://anond.hatelabo.jp/20220523032059#
全然知識もこだわりも愛ないし関連商品も買って無いけどアイドルグループ○○の△△オタ・ファンです
全然知識もこだわりも愛ないし関連商品も買って無いけどクラッシク・jazzオタ・ファンです
全然知識もこだわりも愛ないし1台も買っていないけど車オタ・ファンです
全然知識もこだわりも愛ないし1台も買っていないけど自転車オタ・ファンです
全然知識もこだわりも愛ないし服買わないけど服オタ・ファンです
全然知識もこだわり愛もないしジーンズ買わないけどジーンズオタ・ファンです
上記のように、知識もこだわりも愛ない・関連商品買わない人がオタクやファンを名乗ったら、
他のジャンルでは『バカ扱い』『かわいそうな人扱い』されるので覚えておこうね?
そもそも生きづらいさん本人だって、コミュニケーションのハンデキャップが重篤でなければ、話題についていけないことを自覚して輪に加わらないでしょ
けれどアニメ・マンガ・ゲームだけは何故か違って "知識もこだわりも求められない" "商品の購入も求められない"
それどころか、作品のファンでないことを公言してファンアート作ることさえ許される雰囲気
ある知り合いが飲みの席で「私が家事代行を使うと批判されるのは、男性からの女性差別だ」と言った際に、
真正面の席の人から「みんな、あなたのことが、が嫌いなだけだよ。」と指摘される地獄のような場面があった。
最近だと、女性政治家が選挙に落ちた際に、女性差別だと声あげる集団もいる。(その選挙は、べつの女性政治家が当選した)
また現在、発達障害を自認する者による問題行動への苦労報告を、差別だと主張する意見もある。
マリーアントワネットの首が歌うシーンが興味深かったから、意図をしりたくて、いろいろ読んだ。
具体的に言及はされていなかったから、はっきりとはわからなかったが、インタビューはどれも面白かった。
id:hazlittさんが教えてくれた、ラジオ番組からいろいろ読み始めた。
増田はフランス語は多少わかるが、わからないところは、DeepL先生に頼っているため、正確性は保証できない。
ホスト:昨日私たちは、コンシェルジュリーにおいて、革命の中、斬首されたマリーアントワネットがゴジラ(というパンクバンド)とマリナ・ヴィオッティと歌うというシーンを見ました。このシークエンスは、いったいどのような意図で書かれたのですか、ダミアン。
ダミアン・ガブリアック(監督):まず私は一人で書いたのではありません。すべてみんな(4人の中心人物)で書きました。そして理由は極めてシンプルです。私たちは、選手が進むルートに沿ってシークエンスを進めていくことにしていました。そして、ここではコンシェルジュリーです。マリー・アントワネットが斬首の前に幽閉されていた場所です。我々は自分たちに、これについては言及せざるを得ない、と言い聞かせました。ここで起きた歴史的なイベントは世界中が知っています。私たちはそこにエネルギッシュであることを求めました。だからゴジラです。そして、斬首されたマリーアントワネット、その両方。私たちは顔を突き合わせ、私たちが価値を見出していた(後述する)ロンドンのエリザベス女王とジェームスボンドを改めて思い起こしました。これだ、これだ、と。
パトリック・ブシュロン:そうですね、まず私たちがやった、みたものは、完全に、楽しく、集合的であったと考えています。そしてそれは全く同じく、議論するつもりがないことです、正確に。議論するつもりはないのです。私たちが見たものはまさに、さきほど述べられた通り、似ているのです。この多様性の物語、これが私たちのあり方だと、私たちが、大胆に主張している、複雑さと。それらは、あの歴史的なモニュメント(コンシェルジェリー)と、その美しさ、威圧的であることを望まない美しさ、私たちを勇気づける過去と一緒に示されました。私たちは誇りを回復しました、国家はアイデンティティではなく、あくまで政治的プロジェクトなのだ、という誇りを回復しました。私はそれらを若者に見せることができてとてもうれしいです。私の娘もコースでそれを見ました。あの悲痛なものを見たのです。それこそが全てです。シンプルです。私たちは、わずか数分の間にバスティーユを奪還したのです。
(中略)
ホスト:ダミアン、実際にこのセレモニーは、世代間的でもありましたね、だれにとっても自分事であるような感覚、ミュージカルレベルでもそうですし、サウンドトラックはすばらしかった。ダリダもあったし、クラシックもあった。とてもエモーショナルでした。とても美しかった。そして、話を変えるが、橋の上でのクィアたちとの最後の晩餐。かれらと一緒に生きているというシーンでしたね?ダミアン。
ダミアン:その通り。クィアはいた。でも付け加えるなら、フランスのすべてがあった。背が高い、低い、太っている、痩せている、黒人、白人、アラブ人、みんな違う衣装で、同じプレイリストを踊ったんだ。グアドループ(カリブ海)の音楽、オーヴェルニュの音楽、ヨーロッパの音楽を、同じ時にね。
トーマス・ジョリー監督に選ばれたパトリック・ブシュロンは、このセレモニーに寄せられる期待や懸念さえも承知の上で、「私たちに似た」物語を望むと改めて表明した。 「私たちはバカバカしいことや傲慢にならないように努めます。それをやったら、とんでもなく長い道のりになってしまうよ」と冗談を言う。
(中略)
「最初のシーンには、『エミリーパリへ行く』シリーズを観たアメリカ人などが期待する、パリで見られるものをすべて詰め込みました。きっと反応は「ありきたりなだな」だろうけど、それは違う。少し忍耐が必要です。所要時間は 3 時間 45 分です。紆余曲折があるでしょう。次に、これらのイメージは正反対の方向に進み、スノードームが転がるように、私たちはエッフェル塔(私たちが期待しているもの)を目にするでしょう 。私たちはすべてを揺るがすでしょう。違うものが出てきますよ。 」
(中略)
共同執筆者たちは、過去の開会セレモニーを研究しました。そして、アテネの謙虚さと、ロンドンの自虐性を継承することとし、北京の誇張されたナショナリズムを拒否することにしたのです。
「ディベートの仕方を知っている国に生きることはとても大きなアドバンテージです。おそらく、(この国に暮らす)外国人たちが我々にもたらしている、楽しい面のカオス、それには多くの憤りと尊敬が同居していますが、私たちはそれを見せなければならないのです。」
開会セレモニーの原点は、セーヌ川の流れとともに進む、という点である。
「私たちが見せる、このゆっくりとした流れるイメージ、この空想上のパレードは、パリが示すべき力の中にあります。このステージは軍隊のデモンストレーションパレードではないのです。フランスはもはやー私は全く望んでいませんがー世界に対して、我々の歴史について講釈を垂れるような立場ではないのです。私たちは、持っているもの、信じているものでやるしかないのです。我々が込めたメッセージはシンプルです。言葉で、あるいは映像で、伝わればうれしいですが、そうです、それは、”すべてがある、それでも私たちは一緒に生きていける”ということです。」
パリの歴史から離れて、歴史家は、パリジャンの通勤のあり方についても、言葉を用いずに示すつもりだといいます。
「英雄的物語の反対にあるもの」を語る、というこの歴史家が大量のインクを費やしてきたフレーズにおいて、彼は、その立場を明らかにした。「私たちはしゃべりすぎです』と彼は笑う。宣言も挑発もない。オリンピックゲームは、包括性、平等性、多様性という価値観に基づいています。セレモニーはそうでなければならない。私は歴史家だから、ナポレオンの話をしなければならないなら、どうすればいいか知っているし、そうするつもりです!しかし、それだけではありません。絵画(Tableau)ではより完全なものになります。私たちは何も削除していないのです。追加しているんです。セレモニーは軍事パレードではないが、謙虚でないのに謙虚なふりをするつもりはない。その一方で、私たちは互いの違いに連帯感を示すことができる。誰もが楽しめるものになるでしょう。」
少し考えた後、彼はこう付け加えた。
「私に、世界(の見たくないもの)に対して目をつむることを期待しないでください。パリに世界を迎えるのであれば、ありのままの世界、ドラマなども含めて歓迎します。オリンピックは原義的に政治的なものですから、政治的なものを排除するということはありえません。しかし世界の最も公正な感覚の中にあってほしいとのぞみます。」
彼は微笑みながら、「こんなに複雑なものに参加することになるとは思ってもみなかった」と話した。
(増田はルモンドやリベラシオンに課金はしていないので、まとめ記事が助かった)
(略)
ジョリーと4人の作家が2022年末に共同の冒険を始めたとき、ルートはすでに決められていました。
東のアウステルリッツ駅から始まり、ノートルダム大聖堂、マリー・アントワネットが投獄されたコンシェルジュリー、ルーブル美術館、 ガラスのドームが特徴のグラン・パレなど中世の遺跡を通り過ぎ、エッフェル塔のふもとで終わります。
「私たちはダウンジャケットを着て、アウステルリッツ橋からエッフェル塔 までボートで川を上下しました」とジョリーはル・モンドに語った。
「私たちはパリの歴史の一部であるあらゆるものを見ました。通り、記念碑、広場、彫像。文学的な書簡、映画、ミュージカルも調べました。」
彼らは何度もブレインストーミングした後、約9か月間秘密裏に執筆を続けた。
フランスのカルト映画「アメリ」やアメリカのネットフリックスシリーズ「エミリーパリへ行く」の夢のようなパリに引き込まれることを警戒し、 彼らは「常套句やアメリカ流のフランス解釈についても、茶化さずに扱わなければならない」とわかっていたとジョリーは語った。
彼らはショーを12の絵画(セーヌ川沿い、セーヌ川の上、さらにはセーヌ川から出る)に分割し、約90隻の船に乗ったアスリートのパレードと掛け合わせた。
3,000人を超えるダンサーや俳優が岸壁や橋の上でパフォーマンスを披露し、それぞれの絵画は、パリのシンボルと、過去と現在の両方について呼び起こすものを描いており、世界をパリの歴史と建築の旅へと誘う。
例えば、ノートルダム大聖堂は、ゴシック様式の記念碑であり、19世紀の作家ヴィクトル・ユゴーとのつながりであると同時に、猛烈な地獄でもあるなど、人によってさまざまな意味を持っています。
「世界が最後にテレビでノートルダム大聖堂を見たのは、火災のときでした」とブシュロン氏は言う。「誇りと壮大さの物語だけではなく、感動の、再建の物語でもあるのです。私たちが演じたかったのは、どんな困難にも負けずに共に生きていこうとする粘り強く創造的な意志の物語です。」
自らを「現代を愛する歴史家」と称するブシュロン氏は、式典はできるだけ多くの人々に語りかけるものでなければならなかったと語る。
「パーティーを開いてお気に入りのプレイリストをかけるのとは違います。世界からフランスへ、そしてフランスから世界へ語りかけるものでなければなりません。私たちはただ、人々が共感できるように、当時の状況を描写しようとしただけです。」
(略)
エマニュエル・マクロン大統領は、セレモニーでは1789年のフランス革命から1948年の世界人権宣言まで、「解放と自由の偉大な物語」を提供すると述べた。
セレモニーの詳細は秘密のベールに包まれているが、フランスの価値観が何らかの形で讃えられると推測されている。フランス系モロッコ人の小説家であるレイラ・スリマニは、パリが集合的であろうとする努力に価値を置いていることーそして力を合わせることで考えられないようなものを生み出せるーを高く評価している、とル・モンド紙に語っている。
4人の作家は、自分たちの物語に寛大な精神を持たせたかったという。
「喜び、模倣、動き、興奮、輝きがなければならない。フランスが時に自信過剰に見せたがる伝統的、哲学的、価値観だけでなくね。」
(略)
一方、昨年9月にパリで開催されたラグビーワールドカップの開会式は、「反例となった」とブシュロンは言う。
『アーティスト』のオスカー俳優ジャン・デュジャルダンが、ベレー帽にバゲットという出立ちで、1950年代のフランスの村々を再現した模型を自転車で巡り、ミルク絞りの女性やダンサーに手を振るというこのショーは、多くの批評家から、時代遅れの陳腐なフランス表現だと非難された。そして、非常に内向きなフランスだった。
「ただの古臭い過去のイメージや、現在の単純な賞賛ではないものでなければならない。歴史は揺らいでいるもので、国家はアイデンティティではなく、政治的プロジェクトであることを忘れてはならない。だから未来を語るのです。だから、私たちはセーヌ川を大旅行し、みんなを巻き込もうとしています。」
ブシュロンは、最も感動的なショーとして、ジャン=ポール・グードによる壮大な舞台美術を伴った、1989年のフランス革命200周年記念式典を挙げている。
当時20歳だったブシュロンは、それを見て歴史家になろうと決意した。
「それは歴史を痛感した瞬間でした。1989年、ソ連、中国(天安門広場の抗議活動)など、世界では多くの出来事が起こっていました。当時、私たちは多文化フランスと呼ばれていたものの価値を声高に明確に宣言することができました。それはより困難になり、ある種の幻滅感もありますが、私たちは怯んではなりません。」
数週間前、フランスでは議会選挙後に極右政党「国民連合」が政権を握るかもしれないという懸念が真剣にあった。その場合、ショーは「ある種の抵抗のセレモニーに変貌していただろう」とジョリー氏は語った。
結局、マリーヌ・ル・ペン氏の党は好成績を収めたが、セレモニーの書き直しを必要とするほどではなかった。
「私たちは、切実に、いたるところで起こっている暴力から離れて、平和の瞬間、止められた瞬間を共有することを必要としています」とスリマニは言った。
「私は本当に、7月26日にみんなが流れに身を任せてくれることを願っています。私たちの中の子供の部分、発見する楽しみを思い出してほしいです。今では本当に珍しいものになってしまいました」
と思っていたけど、セーヌ川、コンシェルジュリーが先にあることがわかった。ルイ16世でない理由もそこにある。またマリーがサン・キュロット版のア・サ・イラをうたい上げた後に上がった数多くの血しぶきは、その後のコンシェルジュリーで数多く処刑された人々のものであろうとも思う。なぜなら、マリーはすでに断頭済みだから。そして、ガブリアック氏、ブシュロン氏のコメントから、別に完全に誇っているわけでもないこともわかりました。やるしかねぇな、と言っているのですから。またブシェロン氏はdéchirer(悲痛な、引き裂かれる痛み)という言葉を使って、あそこで起きたことを示しており、歴史家である彼は当然革命期のその後の悲劇を知っているわけですから。それでもなお、彼は「バスティーユを奪還した」といい、国家は終わるもので、政治的プロジェクトに過ぎないのだ、ということを「誇って」いるという点が印象的でした。右派が怒ることなども承知の上でしょう、なにしろ、「ディベートの仕方を知っている国に生きている」のですからね。
開会式全体に込められたメッセージから判断すると、別にキリスト教を揶揄はしていないんでしょうね。挑発はしているかもしれませんが。クィアは存在する(キリスト教がないものとみなしている)ということを目ぇ開いてしっかり見ろ、ということが言いたいのでしょうから。真正面からね。
要は、暴力やクィアなど、みたくない、特にオリンピックにおいて、というものも当然パリは包摂してるぜ、外国人問題とかもカオスだけど、でもちゃんと一緒に生きてるんだぜっていうメッセージと受け取ったね。論争が起きるのとか、まさに狙い通りでしかないんじゃないですかね。