「商社マン」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 商社マンとは

2021-02-21

家庭的な男子の素晴らしさを学校教育女子に植え付ける必要がある

日本バリキャリ女性政治家管理職)を増やすためには、家事育児介護を引き受けて妻をサポートする主夫を増やすしかない。

毎年公表される度に日本は120位、また下がったと嘆かれるジェンダーギャップ指数だが、内訳を見ると日本が圧倒的に弱いのはバリキャリ女性割合であり、ここさえ上げれば指数は大きく改善される。

主夫を増やすためには、陳腐時間の掛かる道のりだが、やはり学校教育主夫を目指す男子を増やし、女子主夫を夫にするように誘導するしかないだろう。

家事子育てに関心や適性を示す男子教師が他の生徒の前で褒めて褒めて褒めまくるのは当然として、女子にも「結婚するなら家庭的な男」と植え付ける必要がある。

女子の皆さんは、足の速い男子、お勉強のできる男子、お喋りの上手い男子が好きかもしれませんが、ソイツらは家のことは妻に押し付け自分出世することだけを考える大人になるので結婚してはいけません。結婚するなら働く女性サポートする家事子育てが好きで得意な男子しましょう」

「私は大企業役員経験し、起業して成功し、政界に転じて大臣になり、二児の母でもあります。私のキャリアを支えてくれたのは主夫の夫です。夫が育児を全て引き受けてくれたか産休を一ヶ月で切り上げて仕事に戻ることができました。他の女性とは違い子育てキャリアが中断する不利が無かったのです。最高の男性結婚しました!」

「私は名門大学ラグビーをしていた商社マンの夫と結婚しました。良い結婚をしたと思っていましたが、夫はすぐに浮気し、子供を抱えて職歴資格も無い私は離婚もできずに毎日惨めな気持ち暮らしています

 こんなことになるなら、お泊りデートの度に手料理を振る舞ってくれて『僕はビジネス世界競争が苦手だから、家庭に入って愛する人を支える生き方をしたいな』と就職活動もしていなかった学生時代彼氏甲斐性無しと見下さないで、彼と結婚して私は仕事に打ち込む人生を選ぶべきだったと後悔しています

こういう言説を女子に浴びせ続けて夫選びの好みを人工的に改変しなければならない。

2021-02-20

anond:20210219201256

離島高校生まで育ってきて、今東京に住んでるおれが話そう。

まず増田の「文化資本」の定義についてだが、

読む限りだと、

子供自発的選択できるキャリアを増やす機会」

であってるよな?

昆虫図鑑しか手元になくて、「僕昆虫博士になりたい!」っていう子と、

昆虫図鑑と魚図鑑が手元にあって、「僕昆虫博士か魚博士になりたい!」っていう子がいたとき

後者の子のほうが文化資本が多い。

というような。

この前提で間違いないよな?

その前提で話すと、

かに、将来の身の振り方を決めるに至る程の、価値観を変える劇的な出来事は、田舎には全然なかったな。

あのときの〇〇さんとの出来事人生変えました!っていう出来事田舎にはほとんど起こり得ない。

起こり得たとしても、田舎にいる人々、即ち、先生とか医療職の方々との間でしか起きないな。

人としての輝き方の種類が少ないというか。目に入る輝いてる?人たちが公務員医療職以外にまじでない。だから、それ以外になりたい!という大志を抱く機会が、田舎で過ごすとまじで少ないと思う。

で、そんな中で育ったおれが文化資本キャリアの幅を広げるキッカケ)にどうやってアクセスしてきたか?って話を今からする。

おれは2つ幼少の頃なりたいと思ってたものがあった。いわゆる、「こういうキャリアを歩みたい」と思える文化資本と触れ合う機会が2つだけあった。

なりたかったもの

1. ゲーム作る人になりたかった

2. 遊戯王カード効果考える人になりたかった

で、

それを連想させた文化資本

1.「ポケットモンスタールビー

2. 「遊戯王

っていう話。

で、この文化資本をくれたのが家族・親類だったな。

遊戯王はお婆ちゃんがいきなり郵便で送りつけてきた。

ポケットモンスタールビーコロコロコミックで見て欲しいと思ったんだけど、コロコロコミック母親がある日唐突に買って来てくれて、そこからハマった。

こんな感じでおれは文化資本アクセスしたな。

から

1.雑誌とかYou Tubeとか、文化資本に繋がりやす媒体 or 文化資本のもの図鑑とか、解体できる四駆とか)を手が届くところに置いておいてあげる

2. 本人が興味がある分野が出てきたら、金積んで何でも体験させる

とかだな。

キャリアを広げるという意味文化資本は、モノベースであれば、田舎には住んでいても割と金で買い与えられると思う。いわゆる図鑑とか雑誌の類だな。

ただ、体験ベースだと難しいかもな。

スケートリンクに連れてって、子供にスケーターになる将来を連想させたり、サーカスに連れてって、パフォーマーになる機会を連想させたり。

から意識すべきは、金積めば与えられるモノ由来の文化資本と並行して、体験依存する文化資本意識的に与えることだな。

離島育ちのおれがアドバイスするならこんな感じだな。

あと、中段に、

田舎で育てられた自分文化資本が与えられなかった」と落ち込んでほしくない

とあるな。

これはハッキリ言う。増田定義する文化資本に限っていえば、それは思ったことはない。

東京に出て来て初めて見た職業はたくさんあるが、別にからでも成れるものが多いので、

「あー、昔自分も魚図鑑買ってもらってたら、今頃魚博士だったのになーーー」

なんて言うことは全く思わない。

---

ただ、田舎で育って損だったと思うのは、世の中に学歴フィルターなるもの存在することを知らなかったってことだな。

東京来てみて、商社マンとか、外銀とか、そういう職業を知った。

こういう職業だけは、今から努力してもなれないよな?(中途とかは抜きにしてだぞ)

こういう機会に直面したとき

「あーーー、高校時代、いや中学時代学歴フィルターのこと教えてくれよなーーー、そしたらめっちゃ頑張ってたのにーーー」

ってのは思った。

なんでみんな東大を囃し立てるのか分かんなかったし、恐らく田舎高校生MARCHとかすら微塵も知らない。俺も知らなかった。

これだけは今もめっちゃ思ってるな。

子供がある時期になったときどう伝えれば良いかは考えてる。

選択肢が削られた!田舎に住んでたせいで!」と思うのはここくらいかな。

---

あと子供ときにずっとコンプレックスだったのが

とか。

要は趣味を共有できる友達が居なかったことと、趣味までの物理的な距離が一番しんどかったかも。

文化資本与えられたあとで、それに勤しむ機会がないのはしんどかったな!

文化資本担保してあげつつ、こういうところも気にかけてくれ。

趣味があるようだったら自分も同じものを買ってライバルになってあげるとか、東京までの物理的な距離を金で解決してあげるとかそういうやつ。

---

で、ここから話変わるんだけど、おれの文化資本定義を話すぞ。

おれは「文化資本」を、走馬灯で見ることので切る、人生最後映画の厚みだと捉えてる。

俺に言わせれば、ロックしか聞かないやつより、ロッククラシックを聞くヤツのほうが、人生最後映画サントラは充実してると思う。

田舎だと、

船釣りとか、海だとか、庭で焚き火したりとか、近所の畑の仕事手伝ったりとか、畜産農家の牛とか鶏見に行ったりとか。ボロいトタン集めて秘密基地作ったりとか。死ぬ前の走馬灯は、間違いなく都会育ちの人よりは長い(分厚い?知らんけど)と思うな。それはホントに親に感謝してる。

個人的には、後者定義文化資本を捉えるなら、都会の文化資本大人になってからいつでも回収できるけど、田舎文化資本大人で回収するのはむずいな。仕事の都合で大概都会に住んじゃうし、成熟した脳みそじゃあ、釣りよりネットサーフィンのほうが楽しいだろうし。

とりあえず益田に言いたいことは、文化資本を前者の定義と捉えてるなら、それなりに努力必要だな。ただ、後者定義で捉えるなら、田舎への移住ポジティブにとらえていいとおもうぞ。

2021-02-12

anond:20210212104200

その先輩頭ヤベエだろって思ったけど、社会的信用MAX社会人でも飲酒とか機嫌の影響で小動物や血の繋がってない女や幼児を殺せるような精神性の奴たくさんいるよな。

DVガチ勢とか傷害逮捕される商社マンとかマスコミ関係者とかそうだろ。

2021-01-17

新たにコロナ民間病院で受け入れるという事

民間病院コロナ患者受け入れ率が低い状態医療崩壊などというのはけしからん、といった風潮を感じるようになった。

実際民間病院コロナ受け入れ率は2割程度で、8割近くベッドがあいてるじゃん、そこに入院させなさいよ、という事であるが、これがどれだけ荒唐無稽説明してみたい。

コロナ治療自体はこういった病院でも概ねできるだろう。ecmoみたいな特殊技術じゃなければ、最近若い医者はみんな人工呼吸器の使い方くらい知っているし、そもそもコロナ特効薬はないので、薬の使い方も決め打ちで頭を使わなくても済む。じゃあ何故受け入れないかといえば、戸田中央総合病院の例を見れば明らかで、感染対策が難しいのだ。万全の対策には相当頭を使うし、ルールが決まっても皆が守らない事には意味がない。職員全員の練度が求められるのだ。そんなクオリティ担保できる病院がどれだけあるかといえば、今コロナを受け入れている病院以外は軒並み非適当だろう。

あなた飲食業だとしよう。高級店で働いていれば問題ない。市井大衆店で、そこの席空いてるなら、じゃあ料理は高級店が指導するから、客に高級店と同じような満足度を与えろと急に言われるようなもんだ。

あなた運送業だとしよう。普段家庭向けの配送をしているところに、トラックが空いているなら、指導するから高級絵画美術館間で配送しろと言われるようなものだ。

国内ルート取引がメインの商社マンに、指導するから中国ルート新規開拓しろ、というのだ。

もちろん出来るところは出来るのだ。しかし、できなかった時、つまり院内クラスターが発生した時、こんな病院で働いてられるかとスタッフ一定数離職するだろうし、あそこの病院やらかした所だから、といった噂はしばらく病院経営に陰を落とすだろう。ただでさえ病院が潰れてもおかしくない時代に、あえてそんなリスクに手を出す民間病院が2割もいる事に驚きつつも、受け入れている病院への畏敬の念に堪えない。

コロナを受け入れていない8割の病院も、コロナ以外の病気治療するために、コロナ受け入れ病院から流れてくる患者普段業務に加えて受け入れているのだから、人的にも物資的にも余裕があるわけでもない。どこぞの教授が言っているようにインセンティブさえあれば受け入れるというものでもない気がするのだが。

現状コロナによって確実に医療崩壊に向かっていて、これはどこかをチョチョイといじればなんとかなるというものではない。唯一確実な方法は、新規感染者を減らし、感染収束を待つしかないのだ。

2020-12-09

anond:20201209104008

でも男女ひっくり返してエリート商社マンの夫が妻にモラハラ繰り返してたらみんな「許せない!」って叩くんでしょう

2020-11-18

商社は中で抜く

商社マンは中で抜く。サキッチョだけだからなんて嘘。中で抜く。まったくもう。

anond:20201117191525

昭和なら商社マン貿易やってる社長サンになれてたけど

輸出入コロナで滞りがちだし大変だな

まあ通関だけでもおぼえてこい

2020-10-27

地方都市部教育格差

https://anond.hatelabo.jp/20201026003439

バズってる増田を読んだ。

日本海側の3万人クラス田舎出身人間としては共感しかないのだが、嘘松扱いしている人がいるのがなんかむかついたので、私のエピソードも追加して地方の状況を広めたい。個人的には下記の3つが地方の不利さだと思ってる。

大卒で就ける仕事ロールモデルがいない件

元増田も挙げていたが、地方に住んでると高等教育を受けた後に就ける職業イメージが全くわかない。なんていうか、大学進学率が2割台で大卒仕事自体があまりない町なんで、両親や親類、先輩と言った周囲の大人ロールモデルとなる人が全然いないのだ。うちの家族も俺がはじめての大学学者だったりする。そんな俺の10代の頃のイメージはこんな感じ。

医師→都会から来る偉い先生か町1番の秀才

公務員市役所職員(官僚なにそれ?)

金融信金さん(都銀外資系存在しない)

弁護士ドラマ世界の住人

工学部卒のエンジニア→箔のついた工業高校出の現場作業員

建築士→箔のついた大工さん

研究者少年マンガサポートキャラコナン阿笠博士的な発明家ぽい人

その他商社マン広告代理店とかの文系花型の仕事司法書士公認会計士等の仕業そもそも大学行ってから存在を知ったぜ!

見えてる世界が狭かったんで、将来像がそもそもはっきりしないんだよな。俺は結局地方国立工学部に行ったんだけど、箔のついた工業高校だと思ってたから授業で微積をまたやるのに驚いた。なんせオープンキャンパスでは面白理科実験的なことしかしてなかったんで。今となっては笑えるエピソードだけど、地方高校生認識ってマジでこんなもんだと思うよ。

公立中学校の劣悪さ

個人的にはこれが地方の最大の問題点かなと思ってる。3万人の地方田舎町でも、高校には進学コースがあってそれなりにレベルの高い教育を受けられた。ところが中学校ダメダメ動物園状態英語リーディングで笑われるのはまあデフォルトとして、廊下自転車で走るヤンキーがいたり、冬場にストーブ教科書を燃やしたりする馬鹿かいしょっちゅう授業が中断して学習できる環境では無かった。だけど義務教育なんで進度別のクラス分けとかあるわけもなく、校区制なんで学校選択肢もなく。先生も進学熱が無いというか、金八先生に憧れてるようなタイプが多くて生徒指導のことしか頭がない。もしもタイムマシン過去に戻れるなら親に無理を言って県庁所在地中高一貫受験してるだろうな。だけど地方で育つと中学受験という選択肢に思い至らないんだよな。そもそも田舎には通学1時間圏内に進学系の中高一貫自体が無かったりするのがザラなんで。

学習方法や教材の情報の無さ

コレは最初の項目と少し関連してるかもしれない。Amazonが普及した現在でも、参考書は実際に手に取って使ってみないとわからない部分が多いものだが、地方だと蔦屋併設の本屋が町に一軒だけ見たいな事が多くて置いてあるのがせいぜいチャート式赤本だけだったりする。この選択肢の少なさは正直キツかった。もちろん予備校とかも無いので、入試対策全面的高校教師を信頼するしか無かった。幸い俺の担任地方国立数学科院卒の経歴で、難関大学入試問題もスラスラとけるような頼もしい人だったんですごく恵まれてたんだけど、一つ下の学年は教育学部出身ちょっと頼りない先生だったんで、教師ガチャの要素がデカいなと思えたのだ。

まあ同じ地方でも、県庁所在地まで行けば話が変わってくるもしれない。紀伊国屋ジュンク堂的な大型書店があって多種多様参考書を手に取って見れらし、進学校存在してるから、実際に使ってる友人に見せてもらったりできるんでハンデは小さいかもしれない。周りにも県立なんたら大に通うような大学生があるから、それこそ友達のお兄ちゃんとかが自宅から通ってたりして、ノウハウエピソードを聞いたりできそうだし。

そんなわけで

俺も普通に地方は不利だと思うよ。特に県庁所在地以外。

2020-10-26

日本から捨てられた土地で生まれ

この話をフィクションと思われてもいい。嘘松認定されてもいい。誰かの目に触れるだけで嬉しいから。

私は北国の相当の田舎で生まれた。コンビニも車がなければ行けない場所にあるようなところだ。当然電車なんて走っていない。ファミレスもないし、地方都市象徴と言われているイオンなんてものはない。地方都市とも言えない部類の地域だった。

私は小さい頃から勉強ができた。少なくても幼稚園の頃にはひらがなはかけたし、繰り上がりの足し算も誰にも教えられずにできた。漢字は一度見たらすぐに覚えた。だから読んでいた物語に出てくるような高学年向けの漢字も2、3年生の頃には書くことはできた。周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。

そんな私を親も当然理解できなかった。周りの大人は中卒と高卒しかいなかった。学校を出れば男は工場だの大工だの漁師だの農家だのになるもの、女はさっさと結婚して子供を2、3人は生むのが当たり前で、勉強なんてする必要のないものだった。スーツを着る仕事といえば役場の人か車のセールスマンぐらいだった。親も親戚も半分高卒もう半分は中卒という環境だったから、私は突然変異のなにかだったのだろう。私が勉強ができることを何か嫌な目で見ていた。私は親から勉強をしているところを見られるのが嫌で家で勉強をすることが全くできなかった。

家にはパソコンが無かった。インターネットも当然なかった。私の情報手段テレビ新聞学校図書室だけだった。町には本屋もなかった。

私は決して学校勉強から遅れることはなかった。地元中学校から高校に進学するにあたっては、地元に一つある高校ではあまり偏差値が違いすぎたため、バス電車を乗り継いだ地方都市にある校区の最上位高に進学することになった。通学時間は片道2時間以上かかる場所にあった。私の中学校からそこに進学する生徒は数年ぶりだったらしい。交通費がそれなりに掛かる場所にあったが、親は文句一つ言わずお金を出してくれた。ものすごく感謝している。

あと、高校進学とともにスマートフォンが手に入った。ただ、当時スマートフォンを使っている人など一人としていなかった。都会では当たり前だったけど、田舎にはそんなものがなかった。私はインターネットをするためにどうしても必要だった。ガラケーでいいと主張する親をどうにかなだめて、スマートフォンを買ってもらった。iPhoneなどではなく、Androidポンコツだったが、インターネットにつながるというだけで私には十分すぎるものだった。町の中で完結していた私の世界が急に広がった。Twitterを初めてオバマ大統領アカウントフォローした時には、テレビ新聞世界を飛び出した自分が誇らしい気持ちになった。ただ、Twitterでは痛い発言をして、炎上というほどではないクソリプをもらって恥ずかしくなってアカウントを消すという10代の恥ずかしいことも経験した。

同時に高校では人間関係も様変わりした。周りの子たちはよく勉強をよくやっていた。そこで初めて予習復習の必要性を知った。教科書にかかれていることだけやっていては不十分だということだった。大学受験ではそれ以上の問題が出てくるという。私は教科書は一度読めば覚えるものだったので、まともに勉強したことがなく、それだけでは点数が取れない、という経験を初めてやった。参考書も初めて買った。高校があった街は私の住んでいたところよりは何十倍も都会と呼べるところだが、いわゆる地方都市の一つで本屋さんはショッピングモールに一つあるだけだった。私は午後6時にはその街をでないと家に帰れないので、学校が終わっての僅かな時間本屋に向かい、そこで少ないお金で買える参考書立ち読みしながら一つ選んで繰り返し繰り返し勉強した。何冊も買う余裕はなかったし、予備校に通うような時間もなかった。また私は乗り物酔いをしやすいので電車ではともかくバスでは本を読めず、スマートフォン参考書自分朗読した音声を吹き込んでそれを聞いて覚えるようにした。

その後私は大学受験をする。私の地元にはそんなことをする人は誰もいない。私の親は大学受験することは認めたが国公立大学限定した。仕送り必要だし、お金がないからだ。奨学金だって借りる必要がある。私はどうしても東京に行きたかった。東京じゃなくても東京に近い横浜でも千葉でも埼玉でもどこでも良かったが、とにかく都会に住みたかった。田舎の何もなさにうんざりしていた。私は映画が好きだったが、映画というのはテレビしか見れないものだった。運良く私の家はBS契約してくれていたのでNHK BSでやっている昔の名作などを録画しては見ることができたが、面白そうな新作映画テレビYoutube予告編しか見れないものだった。アカデミー賞カンヌを取るような映画は大抵東京最初にやって、その後に地方に回ってくるが、それも大都市限定される。私の住んでいたところはツタヤもなかったのでレンタルすらできなかった。私の憧れは渋谷ミニシアターヨーロッパのどこかの映画を公開初日に見に行くことだった。今思えばそんなつまらない理由だったが、東京に住むという強いモチベーションになった。また、東京には私のような地方から出てきた学生優遇してくれる寮もあった。一人暮らしなんて贅沢はとても言えなかった。

私はどうにか大学受験をして東京とある国立大学に進学することができた。親は私の入学式に出るために人生で2度目の東京の土を踏んだ。私がそんな都会で暮らすことに不安を覚えたらしいが、進む大学も住むところも何もかもすべてを一人で決めてきた私に言えることなど何もなかった。私は親の手には負えない存在だった。

初めての東京に私は圧倒されることになる。一番驚いたのは電車だった。SUICAや本数のことではない。広告の多さだった。駅も電車内も外も広告で満たされている。歩いているだけで色んな情報が入ってくる。私が子供ときに見ていた日曜日昼の番組中吊り大賞などというのがあって週刊誌記事を色々取り上げていたけど、中吊りというものが何だったのかを恥ずかしながらそこで初めて知ったのだった。とき週刊誌卑猥コピー小学生の頭の上で揺れているのにも衝撃を受けた。電車で立っているだけで世の中のことについて情報が入ってくる。それが東京最初に印象に残ったことだ。

私はよくありがちな大学生としてサークル活動も始める。そのサークルインカレでいろんな大学の人とつながることになった。私の出身地のことを話しても誰も知らなかったので、自己紹介では東京から私の町までどうやって行くのかを話すのがつかみとして大いに受けた。

そこである東大慶応学生たちと出会たことが、私の人生そして性格にも極めて大きな影響を与えることになった。お互いの情報交換をするなかで家庭の話になった。私の父は町の工場で働いていた。トヨタなどの大企業ではなく、ただの町工場従業員として何十年も変わらない仕事をしていた。それを話す私のことを動物園の珍しい爬虫類を眺めるような、そんな目でみんなは見ていた。そんな人は誰一人としていなかったからだ。ある男の親は商社マンだった。私が「商社ってなんですか?」と聞いたら何言ってるんだこいつ?って明らかに馬鹿にされたような顔をされた。私は三菱商事三井物産を知らなかった。三菱といえば車か銀行だった。三井遊園地だった。またある女の親はファンドマネージャーで、別の女の親は広告代理店、ある男は外資系企業渡り歩いているらしかった。全員都内実家があった。

私は、自分と彼らの家庭環境のあまり格差の違いを見せつけられる事になった。最大の違いは勉強する目的だった。何を勉強するとどのような仕事につくことができるのか、そのためにはどんな資格を取る必要があるのか、その仕事につけばどれぐらいの年収が得られて、どこでどんな生活ができるのか、それらを彼らは親や親族仕事から知っていたのだ。私はテストで点を取る以上の目的がなかった。テストで点数を取れればこれぐらいの高校大学に行ける、それ以上の意味がなかった。さっき書いたが親兄弟を含めて全員中卒か高卒なので勉強をすること仕事というのはほとんど無関係と言ってよかった。せいぜい工業高校で乙4を取れば、ガソリンスタンド仕事ができるぐらいの意味しかなかった。私は大学に入って、彼らと知り合うことで、大学によってその後の人生が大きく変わることを知ったのだ。

他にもある。勉強する環境だった。彼らは小学校から塾に通って勉強をして私立中高校の一貫校に行っていた。私は中学受験というものも知らなかった。そして中高一貫校では高校1年生などで高校カリキュラムを終え、その後の2年間で大学受験勉強をひたすらにするということも知らなかった。更に学校帰りには予備校に行き、夜遅くまで勉強をするのだという。私は興味があって、知り合った一人から予備校テキストを見せてもらった。そのテキストは私が受験勉強で解けなかった問題を非常にわかやす説明していた。こんなテキストは私の手に届く場所にあった本屋にもなかった。そのテキストを読んだときに私は涙をこぼしてしまった。彼は動揺していた。私は気づいてしまったのだ。

私は東京に生まれて彼らと同じ環境にいれば東大合格できた。

私にとって東大というのは雲の上で超天才がいく学校という印象だった。東大過去問を一度やってみたことがあるが、ほとんど解けなかった。それは私が頭が悪いからだとずっと思っていた。まあ、国公立大学に入れるぐらいなんだからそれでいいよね、というのが私の自分への評価だった。でも違ったのだ。私は勉強をするにはあまりに彼らと環境が違いすぎていた。勉強する友人にも小学校のうちからまれていた。誰も勉強ができることをバカにしたりはしない。親も勉強への投資を惜しまない。彼らが望まなくても英語勉強のために夏休みカナダ語学留学をさせて、ネイティブ発音などを身に着けさせていた。私は英語勉強が好きだったが、流暢な発音馬鹿にされるものであり、英語などは隠れて勉強していた。小さな声でMP3ダウンロードした英語スピーチを繰り返していた私とは違った。彼らは圧倒的重課金と、息をするだけで情報が入ってくる恵まれ環境により、私よりも進んでいただけだった。私が布の服と木の棒で戦っている間に彼らはトマホークミサイルを連発して、敵を木っ端微塵にしていたのだ。

私は自分人生を激しく呪うことになる。生まれ場所が違うだけで、家庭が違うだけでなぜここまでの差をつけられなければいけないのか。彼らは別に頭がいいわけじゃないが、環境だけで私よりもずっと高い学歴を獲得していた。それが悔しくて仕方なかった。私が入った大学別に悪い大学ではない。学歴としては十分に評価されるところだ。でも私は環境さえよければもっと上に行けたのだと。

私はショックだったが、私が住んでいたのは寮だったので部屋に一人で閉じこもって泣き崩れることもできない。私は一人でどんどん悪い考えに蝕まれていった。そして一つの結論に達する。私の住んでいた町は日本から捨てられた土地なのだと。

私が出会った家庭環境に恵まれた彼らは手に入れた学歴武器にこの後は一流企業就職したり官僚になったりするだろう。日本というのは東京大阪に住む一部の裕福な家庭から出てくる人たちで回せるのだと。私のようなど田舎に住んでいる人間そもそもいらないのだと。だから勉強する環境手段も与えられることはない。だから黙って地元で油にまみれて仕事をするか、子供をぽこぽこ産めと。

私が大学卒業した後の話だが、昨年文部科学大臣大学試験について「地方学生はそれなりに」といった発言をして相当問題になった。あれは政府本質なのだと思う。東京に住んでいる人間だけで日本は十分なのだ地方土地以上の価値はないのだ。今地方はどんどん衰退していっている。政府は口先では地方創生などと口走るが、実際はただただ衰退しているだけである高齢化が進む町にだって子供はいる。彼らを救う手段を国が与えたことがあっただろうか。

また、インターネットがあればどこにいたって勉強ができるという発言もよく聞く。あれは戯言だ。東京で使うインターネット地方で使うインターネットはまるで別物であるインターネットを使いこなすためにはまず存在をしらなくてはいけない。例えばPCプログラミングというもの存在を私の田舎認識することは極めて困難である。ただ、都会に住んでいれば、今となっては子供プログラミング教室などに通って小さいころからそういうもの存在を知ることができる。あるいはさっき書いた駅の中吊り広告だっていい。色んな情報が目に入るのだ。田舎では色んな情報存在を知る事もできない。そのような情報格差がある状態インターネットを使ったところで、格差が開く一方なのは容易に想像がつく。インターネットがあれば壁を超えられるというのは、何もわかっていない持っている立場人間発言に過ぎない。孫正義が優秀な子供奨学金を与えたりしているけど、田舎の子供は目立つ手段も知らなければ、そういう行動も取ることができない。結局ああいうので評価されるのは都会で恵まれた親からまれ子供だけである田舎の頭がいいだけで何も知らない子供はただだた埋もれていくだけだ。

話が脱線してしまったのでもとに戻す。

私は田舎を飛び出して東京まで来てしまった。田舎に私を受け入れる場所はどこにも残ってはいない。そして東京にも私が必要とされている場所はない。私のような田舎もの必要とする会社があるのだろうか。私は結婚をすることができるのだろうか。私は鬱々とした気持ちを抱えながらも、彼らに負けたくないと勉強に励むことに大学時代を費やした。奨学金も借りたしバイトもした。得たお金で高い専門書を買って、もとを取るように読みまくった。英語勉強も授業以上に独学でやった。ただ、海外に行ったのは一人でいった卒業旅行の一回だけで、そのときは非英語圏を選んだ。英語は今のところ仕事では役に立たないけど、日常生活での情報収集には役立っている。

とにかく必死だった。帰る場所必要とされる場所もないのであれば、自分で作るしかないのだと。そうがんばれたことが私にとって一番幸運だったということが今ならわかる。あのとき挫折して、引きこもりになっていたかもしれない。もしかしてテロリストのようになっていたかもしれない。あるいは当選の見込みがない政治家を目指そうとしてたかもしれない。そのどれにもならず、今私は社会人としてそれなりのお金を貰えるようになった。ただ、そのお金奨学金の返済を行っている。東京に生まれた人々は奨学金を返す必要もなく入ったお金自由に使って遊んでいるのだろう。私はまだ過去日本が課した呪縛から逃れられていない。

こんな意味のない文章を長々と書いてしまった。ここまで書いてしまったので誰かにまれたらいいと思うけど、おそらく増田の早いタイムラインの中で埋もれてしまう。私が日本が見捨てた小さな田舎で誰にも気づかれることもなく勉強をしていたときのように消えていく運命だと思う。でも書かずにはいられなかったし、誰かの目に止まって嘘松認定いいねの一つでもしてもらえたら、田舎でもがいていた中学生だった頃の私の自尊心が少しでも満たされるかもしれない。

追記1

めでたく嘘認定されたので、ちょっと補足しますね。今は業務休憩中。

高校には社長の息子とか医者ゴロゴロいたでしょって話について。

同級生にいたのは板金塗装屋の社長の子はいたよ。社長はそれぐらい。医者はいなかった。そういうお金持ちの子もっと都会の私立学校にいくのでは?うちは公立だったし。東京と違って地方公立の方がレベルが高いので。

同級生でいい家って言えば市役所の人。これは間違いない。あと警察官とか? 大手企業で働くお家とか? そういえば市議会議員の子もいたのを思い出した。つながり殆どなかったけど。

友達床屋さんの子どもとか、どっかの工場で働く人とかが多かったです。

でもみんなよく勉強してました。

同級生殆ど地元を出たはず。みんなどうしているんだろう。繋がりが切れてしまったので分からないので、あまりわかりませんが、facebook検索したときインターネット系の大手で働いている人はいました。

追記2

追記を書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20201027203138

2020-09-20

anond:20200919165809

私は中国向けに、原材料木材販売する仕事をしています初心者向けアコースティックギターですから使用している木材はスプルース材(カナダ産)です。

①何故日本で作られなくなったのか?

楽器向け木材製造する業者がいなくなった。カナダから輸入する木材の塊(長さ4000㎜幅800㎜厚600㎜とか)を、乾燥し、細かく裁断してギター用材の長さ3尺(909㎜)以下にする必要があるが、

90年代後半以降の不況日本において、機械不能の寸法を製造するザ人海戦術する業者はいなくなった。(3万のギター材料販売黒字化しなくなった)

・最終販売単価が変わらない。完成品の単価は、この30年続く不況で変わなかった。これは後述しますが、スプルース一つとっても木材価格はこの30年で2倍~3倍に価格が上昇している。

スプルース材は日本では長らく建築材料世界において桧の代用品でしたが、今年の相場でいうと下手したら価格が逆転してしまっている。

中国製造品質は悪いのか?

発注元が要求する何十年も不変な販売単価にコミットするために、カナダ産スプルースでも品質が更に低い材料使用するようになる(そもそもカナダ産スプルースアラスカ産に比べ質が低い)

品質が低く木筋はねじれている上に、立木の時点や太平洋横断時にブルー(カビ)が入るので、漂白剤の海に漬けて何とかする。やたら白い/ケミカル臭いのはそういった材を使っている場合がある。

日本コストが合っていた頃は、その辺りの品質管理は適切だった(今では材料/人件費不可能だが)木の塊からギター用材を製造するための人件費と人的余裕が中国にある限り、中国製造はやめられない。

日本相対的に貧しくなった

30年日本インフレなし、給料が上がらない間、先進国途上国も年率数パーセントの上昇を続け、日本購買力販売力が落ちたのは事実です。90年前半における世界の中の日本立ち位置は、

米国に次ぐ木材購買力(米50、日40%ぐらい)があり、原産国カナダ米国人間客扱いしてくれますし、単価交渉も用意でした。30年後のカナダ産シェア率は(米50、中30、日10%)です。米国の景気良いので、日本に売る木材ありませんと真顔で言われます

商社マンブローカーアジア北米で暴れていた時代はもはや過去の物で、30年前の武勇伝で時が止まった高齢業界人ゴロゴロ転がっている。楽器も、日本では販売価格を変えられないので、中身の質が低く、人件費が安い所に変わっていく。

日本における木材文化楽器の方向に向いていない

蛇足ですが、日本は数千年前から木材を主要な材料として使用している歴史がありますしかしその利用用途建築資材(や家具)に向いており、西洋楽器製造には厳しい品ぞろえの市場です。

日本における植生は、杉や桧が多く、広葉樹は(建築に)使いにくいという理由戦後皆伐してしまいました。高級アコースティックギター使用される木材南米原産の木が多いですが、それらは旧スペイン領又は旧ポルトガル領で、当然の権利のように欧州のみ優先して供給されます。「どうにかしろ」と一度酒場ラテンギター職人に言われましたが、この文化の違いはどうしようもないと感じています

2020-09-04

単純に年収だけを比較するのではなくて、“年収/年収を得るための労力”で比較するべきなんじゃないかと思うんだよね

年収1500万円の商社マン年収900万円の自分比較してみると

商社マン寝る時間も削って仕事したり接待飲みしたりして、1500万円稼ぐのに500万パワーを消費してるとする

自分は朝出社してメールチェックだけ済ませたらあとはずっとはてなを見てるだけだから10万パワーの消費

商社マン 1500万円/500万パワー=3

自分 900万円/10万パワー=90

比較すると稼ぎ効率商社マン自分

今日も更なる効率アップのため、朝から懸命に仕事をサボっている

2020-07-21

anond:20200721063254

まぁ結論として公務員以外は40年居られる訳がねぇんだから気楽に当たれば?

新卒カードって言ったって三菱地所行くとか商社マンになるんだバンカーになるんだ戦コンいくんだとかギラついてるわけじゃないんだろ?

クッッソどうでもいいぞ

イヤ!絶対新卒カード有効活用するもん!でも公務員はイヤ😡なら寡占企業でも狙ってみたら?

たとえば、食パンの袋を閉じる水色のプラスチックのやつバッグ・クロージャーっていうんだけど

クイック・ロックジャパンが90%以上のシェアを取ってる

こういう会社ポコポコあるぞ。おそらく引っ越し必要になるとは思う

2020-06-18

私のイージーな姉の話

姉はすごいなと思う。

私は高卒フリーターのあととある接客をしている。姉はニートだ、それも30手前の。

美しい姉だと思う。実際モテてる。

姉は元神童なのに、大学で何かあったらしく気づけば学校をやめてた。詳しくは私も非行に走ってたから知らない。

気づけば水商売をしていたっぽいし、男を途切れさせたことは無い。今は元彼の一流商社の男とよりを戻した。向こうに懇願されて戻したらしい。本当だと思う、姉は絶対終わった人間に媚びないから。

姉は水商売をしていたのに見た目は私よりずっと清楚なところだ。それにどこかの男に買わせたらしい素敵なバッグに、そんなに高価じゃないのに何故か素敵に見えるワンピースを着ている。メイク目力を活かしたナチュラルメイクセルフプロデュースが上手い。

そして私は社会に出て働いて、ちょっとステータスのある人間相手接客業をしてるはずなのに姉をみすぼらしく思ったことがない。いつも教わることが多いのは暇な時間読書ばかりに費やしてるからだろうか。

そして料理が上手い。なんでもつくるし、外で食べてきた美味しかったもの再現して作ってくれる。そして夕食のあとは私や他の家族のお弁当を詰めてくれる。

昔はさんざん喧嘩をした姉だけど今となっては尊敬している。人たらしでみんな姉を大好きで、正直姉がふらっと出かけた日は家が暗い。彼氏ベタ惚れな理由が分かるし、そういえばニートの癖に彼氏医者商社マンに経営者だのステータスの高い人間ばかりだった。なんで知ってるかというと姉は彼氏を連れて私の店に来る、そして誕生日クリスマス、何か喧嘩した時の仲直りのプレゼントを買ってもらうのだ。私はデパートの某ブランドで働いてる。成績に協力して欲しい頼むと何故か男と共に現れて買ってくれる。成金っぽい経営者は私の分までバッグを買ってくれた。そしてすぐ別れていた。

そんな姉は来月苗字が変わる。

結婚ではなく、身寄りのない親戚の養子になるらしい。ニートを許し続けた両親、遺産を渡す代わりに墓の面倒を見て欲しいと頼んだ親戚、歴代の男、甘やかされる才能とはこういうことなんだなと思うと、思春期嫉妬に狂ったかつての自分も納得した気がする。

水商売も姉はする必要がないのにやってたのも今思えば私とは違った形の非行に走った自傷行為なのだろう。

ただあの頭の良さを活かせなかったことを少し哀れに思っている。姉は将来弁護士なりたいと小さい時に言っていた。大学も一流の法学部だった。

追記

仕事してたら姉への独り言が思ったより見てもらえて嬉しい

かにうちは機能不全家庭だったと思う。でも何人かの親族も尽く機能不全家庭で、とてつもなく裕福なのに子供がいなかったり自殺したり、育っても帰ってこなかったりとそんなのばかりだから姉は生まれついてお姫様だった。多分機能不全の血筋だと思う。そんなのあるのか知らないけど。

ちなみにうちは貧乏よりだ。悲しい。

からみんな大学をやめようがふらふらしてようが自殺しないで姉が生きてる、そしてにこにこ料理して気が向けば配り歩いて近所の親族の犬を散歩をしてるってだけで最高だったらしい。

私は姉みたいな愛想はなく頭もあんまりで見た目も受けないし非行に走ったから論外だった。

懇願されて養子になる姉はマンションを買ってもらって、初めての一人暮らしらしい。いつでも遊びにおいでと楽しげだ。養子先の家はうちのデパート重要外商だって仲のいい外商部の人に聞いた。それでも私には姉が幸せそうに全然見えないままだ。

2020-06-12

恋愛コンプ拗れました。

大学三回の時に初めて出来た彼女をまだセックスもしないうちに寝取られから恋愛トラウマになってたんだけど、もうマジで拗らせた。

24の時に大学の時の縁でベンチャー転職して、死に物狂いで働いてたら一昨日29歳の誕生日にそこそこの役職を貰った。めっちゃ喜んだ。FBでも報告して昔からの知り合いにも沢山お祝いしてもらった。そしたら何が起きたか

その日の夜に女の子からLINEが6件来た。取り敢えず無視した。次の日の夜までにもう5件と、返信の催促が3件。どう返せば良いのかが分からいか今日まで取り敢えず無視する事にした。

なんなんだろうな?そいつらとはFBでは繋がってないから多分男友達とか元ゼミメンバーから情報が回ったんだろうな。早くね?よーいドンで財布拾いか

何より気分が悪いのは、一度俺を振った女が今更元気ー?とか送って来てるのが最高にムカつく。お前のせいで死ぬ寸前まで元気無くしてたんだぞ今更どのツラ下げてそんなLINE送って来てんだよ。俺なんかよりあのゴリラみたいな商社マンゴリゴリオチンポでアヘアヘするのが良かったんだろ?

高校の時初恋で告って死ぬほど馬鹿にしてきたあの女も、新卒で入った会社で仲良くなったと思って告ったLINEブロックまでしてくれたあの女もよ。次の週には突然俺が異動する事になってたんだけど、そういう事だよな?

他の奴らもLINE交換してただけでそんな接点無かったよな?

それが何?久々に会いたいって?週末暇かって?ふざけんなよ。マジで。苦い思い出も現在進行形悪夢だわ。もう女は信じられない。滅びよ。

2020-02-23

anond:20200223180656

それは、商社マン世田谷一戸建て持ちに20代で妻子あるマス夫さんや、

同じく20代で美人のたい子と子供を持つブサ面アナゴ商社マン

という設定に、みんな文句言わない大人の事情と同じ理屈です。

2020-02-22

慶應内部商社マンTwitterがアホすぎる

知人で慶應内部体育会商社マンがいるのだけど、そいつTwitter発見したところバカ丸出しドン引きした。本人は頭良くて美男美女体育会な俺サイコーとか思ってるんだろうけどそいつ構成する要素が慶應就活体育会美男美女商社出世しかないみたいで、いつもその話ししかしてない。そのネタだけで1万ツイートしてるのでキモすぎて引いた。知人として恥ずかしいし縁切ろうかな。そういう人はそういう人同士で仲良くやってほしい。陽キャラも行き過ぎてはだめだな

2019-11-25

追いつけ追い越せ

進学校から普通大学に進んだ。オタクの友人の殆どは上位国立大に、残りの数少ない友人も早慶に行った中、クラスダントツ最下位私大偏差値50くらい)に進むことになった時は流石に泣いた。

大学在学中、母校の名に恥じぬように勉強そっちのけで趣味バイトに打ち込み、人並みに恋と失恋をし、ゼミサークルの中ではただ一人一部上場企業に入り、入ってから仕事趣味に打ち込んだ。法学部卒だけど機械系のメーカーに入ったか機械工学と材料科学勉強し、今ではちょっとしたフィールドエンジニア的な仕事ができるようになった。給料は少しずつ、けど着実に増えていった。

やがて恋人ができ、たまの休日には旅に出た。見た目にも気を使うようになり、背は高くないけどある程度見られる姿になったと思う。個人的資格試験勉強も重ね、国家試験を二つ取得し、海外営業できるくらいの英語力は身につけた。

ちょうどその頃、東大大学から英国大へ研究員として渡ることになった同期と飲んだ。政治家の卵として日々身を削っている同期とも飯を食った。早稲田を出てベンチャーに入り、子会社へ出向してマネージャーやってる同期とも酒を飲んだ。自分はまだまだだと思った。

そこからまた仕事を覚え、IT系国家資格も(仕事関係ないけれど)取ることができた。プライベートではとあるフェス出演者として招かれ、断続的にではあるけれど音楽に今まで以上に打ち込む必要が出てきた。その辺りで結婚し、互いの合意の下に結婚式は挙げずに海外へ旅へ出た。一年の後、娘が生まれた。

娘が生まれても音楽は続け、転勤後もすぐに音楽仲間を見つけてそれなりに活動できるようになった。給料は年齢の割に貰えるようになった。今では娘を保育園からピックアップするために週に2回くらい早めに仕事を終えるようになった。育児にもそれなりに参加して、士業をしている嫁ともうまくやっている。

つい先日、所用で地元に帰った。そのタイミングオタク同窓会をやろうという話が持ち上がり、すぐに参加を決めた。久しぶりに会った彼らはあの当時の雰囲気のままだった。一瞬で関係性は昔に戻り、今ではすっかりご無沙汰な二次元トークに花を咲かせた。

その場でうっすらと気づいたけど、彼らの多くは旧帝国大学を出てはいたが仕事はうまくいかず、もしくは世間に順応できずに辛い日々を生きているらしい。恐らく恋人はおらずに日々をスマホゲームに費やし、仕事愚痴ばかりツイートしている。

もちろんそれなりに成功している友人もいて、パイロットや国の研究機関勤務の研究員財閥系の商社マン銀行員国家公務員と挙げればキリがない。ただ、底辺だった自分がそれなりの暮らしができているのは驚きだった。追いつけ追い越せと自分に言い聞かせて過ごした、ここ10年以上の月日を思い出した。

同じような話ができた彼らとも、今ではあまり共通話題がない。少し悲しくなった。もっと俺を嫉妬させて欲しかった。

追記

いろいろ誤字してスマソ。通勤時間で焦ってたんや。昔は音楽の腕も駿台模試の成績も、友人同士でオタク知識まで競い合ってたんだよね。分野は違えど各々得意があって、無限エロい話続けられる奴、帰国子女英語無双する奴、英語以外全国トップの奴、理系オリンピック金メダルとる奴、色んな人がいた。今でも自分の得意を極め続けていて欲しかった。

もちろんゲームだってつの立派な趣味だけど、昔はもっといろいろ持ってた人達なんだ。この10年以上追い求めた理想OB像は彼らに大きく影響されたんだ。その彼らと仕事だったり趣味だったり、高校生並の話を今でも続けていたかったんだ。。

2019-10-31

世田谷上位群の主婦だけど味噌は本当

------

追記

料理教室から帰ってきたら沢山のブコメ批判がついてて驚きました。改めて僻みや嫉妬って怖いんだなって。

リアルでは味噌られの人たちの気持ちももっと考えないといけないんだなと勉強になりました。気をつけます。

------

anond:20191030222754

味噌はまじで塗る。

世田谷区に住んでる主婦だけど、この味噌の件は本当。

ブコメでこんなにツッコミはいってることに少し驚いた。

ママ友の先輩(旦那様は経営者年収3000万円超、頭上がらない)に

なんで味噌か聞いたところ

私たちって塩で頂くことが多いからお味噌自分で使うこと少ないじゃない?

 でもああいう家庭て食卓も濃い味付けがいからっていう皮肉も込めて

 お味噌つけるのが広まったらしいよ」

とのこと。(それ以来うちも自宅ではあんまり味噌を使わないようになった)

でも、確かに同じ学校に明らかにグレードの低い家庭の人がいたりすると

私たちにも悪影響あるし、お味噌つけられるくらいの嫌がらせ年収が低いツケとして

しょうがないのかなーとは思う。(私はつけないけど)

因みに私の旦那年収は1500-1700万くらい(外資系商社マン!)だから

言う権利はある側かなって思う。

2019-09-12

せどらー転売ヤーなのに商社マン勘違いしてるやーつー

大手半導体メーカー代理店にもなれない中小部品商社に限って、無理難題押し付けてくるのが多すぎるのだが…

自社で検品するのに、素手とか、ただラベル張り替えて客に売ってるとかただの転売ヤーとかわらんだろ。

全く無知で客から質問右から左コピペで聞いてくる… 専門商社としての自覚とか誇りなく、脳みそウンコぐらいで生きてるやつが多いー。

つぶれてくれないかなーと思う今日この頃

2019-09-03

anond:20190903004434

なんといおうと毎日当たり前のように夕食囲える都内庭付き一軒家暮らし商社マンはいない

2019-07-08

未来が迫ってくる

私は大学院に通う修士生だ。次の三月で修了して、どこかしらの企業で働き始めることになる予定。

ここまでの人生はそこそこうまくやって来た。そこそこいい大学へ来て、理系の院にまで来た。内定している企業も決して無名どころというわけではない。

ただ、私は就活において、人生ではじめて挫折した。もともと入りたかった企業群はあまり難易度に全滅を喫した。私のすこしばかりの自尊心はズタズタになった。

もともとの夢が粉々になってから、私は目標を見失っていることを自覚している。このままいけば私は某大手商社商社マンになるが、そんなのは希望もしていなかった。ただ給料がいいから受けただけだ。

夢を実現して、最高に格好つけて生きるつもりだったが失敗してしまった。これ以上ないほど、おおきな失敗だ。

私は恐ろしい。ひたすらに恐怖を感じている。向いてもいないような商社マンになって、ちょっとばっか日銭を稼いで疲弊して死んで行くだけの人生が私を待っている。商社マンの大したことない転職価値では企業依存してやっていくことになる。そんなのは時代遅れだ。故人の能力フレキシブル企業間を渡り歩く次代にこんな古びた世界に踏み込んだ。最悪だ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん