はてなキーワード: ポケットモンスタールビーとは
思い出せない。
小学校に上がる頃にはそれなりに知っていた気がする。
親に言われてお小遣い帳をつけていたりもした。
小学一年生の冬だったか、冬休み明けの集団登校で「お年玉いくらもらった?」という話をしていた。
そこで1学年上の田山君が総額10万円貰ったのだと聞いた時に、すごいなと思ったのをよくおぼえている。
素直に羨ましいと思った。
僕は8000円くらいだったのですこし恥ずかしいと感じた。
なぜ僕は8000円で田山君は10万円なんだろうと疑問に思った。
とはいえ当時は子供だったしそんな「格差」について思い悩んだりなどはしなかった。
当時欲しかったポケットモンスタールビーを買うには十分なお金だったし、それでホクホクしていた。
なんだか昔からそんな感じだ。
お金との縁は変わっていない。
お金がないわけではないが決して多くはない。
そういう人生の流れの中にいるのかなと思ったりもする。
田山君が今どんな生活をしているのか知らないが、彼はきっと裕福な気がする。
それでいいと思う。
読む限りだと、
であってるよな?
昆虫図鑑しか手元になくて、「僕昆虫博士になりたい!」っていう子と、
昆虫図鑑と魚図鑑が手元にあって、「僕昆虫博士か魚博士になりたい!」っていう子がいたとき、
というような。
この前提で間違いないよな?
その前提で話すと、
確かに、将来の身の振り方を決めるに至る程の、価値観を変える劇的な出来事は、田舎には全然なかったな。
あのときの〇〇さんとの出来事が人生変えました!っていう出来事は田舎にはほとんど起こり得ない。
起こり得たとしても、田舎にいる人々、即ち、先生とか医療職の方々との間でしか起きないな。
人としての輝き方の種類が少ないというか。目に入る輝いてる?人たちが公務員か医療職以外にまじでない。だから、それ以外になりたい!という大志を抱く機会が、田舎で過ごすとまじで少ないと思う。
で、そんな中で育ったおれが文化資本(キャリアの幅を広げるキッカケ)にどうやってアクセスしてきたか?って話を今からする。
おれは2つ幼少の頃なりたいと思ってたものがあった。いわゆる、「こういうキャリアを歩みたい」と思える文化資本と触れ合う機会が2つだけあった。
で、
1.「ポケットモンスタールビー」
2. 「遊戯王」
っていう話。
ポケットモンスタールビーはコロコロコミックで見て欲しいと思ったんだけど、コロコロコミックは母親がある日唐突に買って来てくれて、そこからハマった。
だから、
1.雑誌とかYou Tubeとか、文化資本に繋がりやすい媒体 or 文化資本そのもの(図鑑とか、解体できる四駆とか)を手が届くところに置いておいてあげる
2. 本人が興味がある分野が出てきたら、金積んで何でも体験させる
とかだな。
キャリアを広げるという意味の文化資本は、モノベースであれば、田舎には住んでいても割と金で買い与えられると思う。いわゆる図鑑とか雑誌の類だな。
スケートリンクに連れてって、子供にスケーターになる将来を連想させたり、サーカスに連れてって、パフォーマーになる機会を連想させたり。
だから、意識すべきは、金積めば与えられるモノ由来の文化資本と並行して、体験に依存する文化資本も意識的に与えることだな。
あと、中段に、
「田舎で育てられた自分は文化資本が与えられなかった」と落ち込んでほしくない
とあるな。
これはハッキリ言う。増田が定義する文化資本に限っていえば、それは思ったことはない。
東京に出て来て初めて見た職業はたくさんあるが、別に今からでも成れるものが多いので、
「あー、昔自分も魚図鑑買ってもらってたら、今頃魚博士だったのになーーー」
なんて言うことは全く思わない。
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ただ、田舎で育って損だったと思うのは、世の中に学歴フィルターなるものが存在することを知らなかったってことだな。
東京来てみて、商社マンとか、外銀とか、そういう職業を知った。
こういう職業だけは、今から努力してもなれないよな?(中途とかは抜きにしてだぞ)
こういう機会に直面したとき、
「あーーー、高校時代、いや中学時代に学歴フィルターのこと教えてくれよなーーー、そしたらめっちゃ頑張ってたのにーーー」
ってのは思った。
なんでみんな東大を囃し立てるのか分かんなかったし、恐らく田舎の高校生はMARCHとかすら微塵も知らない。俺も知らなかった。
これだけは今もめっちゃ思ってるな。
「選択肢が削られた!田舎に住んでたせいで!」と思うのはここくらいかな。
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とか。
要は趣味を共有できる友達が居なかったことと、趣味までの物理的な距離が一番しんどかったかも。
文化資本与えられたあとで、それに勤しむ機会がないのはしんどかったな!
文化資本も担保してあげつつ、こういうところも気にかけてくれ。
趣味があるようだったら自分も同じものを買ってライバルになってあげるとか、東京までの物理的な距離を金で解決してあげるとかそういうやつ。
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で、ここから話変わるんだけど、おれの文化資本の定義を話すぞ。
おれは「文化資本」を、走馬灯で見ることので切る、人生最後の映画の厚みだと捉えてる。
俺に言わせれば、ロックしか聞かないやつより、ロックとクラシックを聞くヤツのほうが、人生最後の映画のサントラは充実してると思う。
田舎だと、
船釣りとか、海だとか、庭で焚き火したりとか、近所の畑の仕事手伝ったりとか、畜産農家の牛とか鶏見に行ったりとか。ボロいトタン集めて秘密基地作ったりとか。死ぬ前の走馬灯は、間違いなく都会育ちの人よりは長い(分厚い?知らんけど)と思うな。それはホントに親に感謝してる。
個人的には、後者の定義で文化資本を捉えるなら、都会の文化資本は大人になってからいつでも回収できるけど、田舎の文化資本は大人で回収するのはむずいな。仕事の都合で大概都会に住んじゃうし、成熟した脳みそじゃあ、釣りよりネットサーフィンのほうが楽しいだろうし。
とりあえず益田に言いたいことは、文化資本を前者の定義と捉えてるなら、それなりに努力は必要だな。ただ、後者の定義で捉えるなら、田舎への移住はポジティブにとらえていいとおもうぞ。