はてなキーワード: 何だかとは
電車で座席前に立っていたんだけど、隣に化粧しながら立つオバサンが居た。
化粧くらい家でしてくれば良いのに……と思っていたら、
次の駅に停車する前に、私の前の席の人がどこうとした。
「座っても良いですか!」
そう叫んだ。「余程の理由が無ければ断れまい!」と言いたげな口調だった。
にこやかに言うわけでもなく、周囲を睨みつけ、孤立無援の状態で叫んでるような感じだった。
ビックリして回答する間もなく、座られた。周囲の目が何だか痛かった。
オバサンが立っていた目の前の席と、その隣の席の人も同じ駅で降りたんだけど、
誰も座ろうとしなかった。だから、オバサンが立っていた前の席は私が座った。
優しくて、本当に座りたいおばあちゃんとかだったら「ありがとうね」とか言ったんだろうなぁとしみじみ。
今まで、そうやって口で牽制して席を奪ってきたんだろうなと思った。
そして、そのオバサンは2駅程度(3分)で化粧した後、降りていった。
周りの人のことも考えて欲しいな。
座れるところは基本的に空いてない。
読んでざっくり回答するけど
増田、心狭すぎない?譲ってやろうぜ
普通のトーンで「すみません、座りたいので良いですか?」なら良かったんだけど
「座っても良いですか!!!!」と車内に響くほどに叫ばれたから心臓に悪かったんだよ。
結局私も座れたし、まぁ座れなくても他に移動するから良いんだけどさ。
当たり前だけど……世の中言ったもの勝ち、主張したもの勝ちなんだなと思った。
本当に欲しいなら、勝ち取らないといけないんだなぁ。
物心着いた頃から家に本はなかった。絵本もろくに買ってもらったことはないし、親もガラケーかスマホばかり見ていた記憶がある。小学生になって初めて友達の家に行って、世の中の人は本を読むということを学んだ。本屋にある本はみんな偉い人が読むものだと思っていた。だから私は今でも本屋に行くとここは自分のような者がいてはいけないと思う。学校で本を読むのは勉強だから仕方ないと思ってた。私は本を読むのは勉強だからつまらないと思った。図書の時間が嫌いでクラスで頭のいい女子がたくさん本を読んでいるのが嫌だった。男子はかいけつゾロリの取り合いで女子は男子は子供だと思ってた。私は周りに合わせてそだねと言っていた。
小学五年生のとき友達にこれエロいよって本を借りた。表紙が可愛いから中身を見てみたらすごくエロかった。女の子が男の人とエッチしてて、エロいことに興味があった私はその本を一気読みした。ホストと付き合って女の子が死んじゃう話だった。ホストが何だかよくわからなかったけど、悲しいと思った。だから泣けるねって友達に返した。友達はまた本を貸してくれた。わからない言葉が出てきたので親に聞いたら怒られてこんな本は読むなって捨てられそうになった。今思うと小学生がソープ嬢ってなあにとか笑える。それから中学になってガラケーを買ってもらって、毎晩こっそり魔法のiらんどや野いちごでエロい小説を探した。好きな小説は恋愛小説と言っていたけど、本当はエロいことばかり考えていた。男の人のエロサイトも見てみたけど私にはよくわからなかった。私も真似をしてエロい小説を書いた。エロと言っても実際のSEXはよくわかってなかったのでキスと喘ぎ声だけで5ページとか使ってた。本を貸してくれた友達も書いていた。私は毎回コメントを書いていたけど、別の高校に入って疎遠になってそれきりになってきた。最近その子が結婚して子供がいるらしいと聞いて昔のことを思い出したので匿名で吐き出してみた。今では順調に拗らせ喪女してます。
うだうだと関係性を持ち続けた元カノと、遂に関係性を断ち切った。
なんかTwitterのフォロワー減ってるなと思ったら元カノからフォローが外され、向こうはアカウントに鍵をかけ、僕からツイートは見れなくなった。
別れた後も何だかんだ1度会う機会があり、その際に復縁を匂わせるような発言を受ける。必ず考えた結果を伝えるとのことだったので、こちらとしては待つほかはない。大した音沙汰もなく、時間だけが空虚に過ぎ去る。変に手綱を握られてるだけにこっちも何となく落ち着かない。
それから1月後、タイミングが合いランチをする。向こうから話し出すかと思ったのにも関わらずそんな感じでもなくただ最近の状況を話してして解散。
こっちも流石に嫌気がさしていた。早くこのどっちつかずの状況を打破したいと思っていただけに今日のことは願ってもない状況であった。
変にモヤモヤした感情が残ってただけに、もうこれから関わることが無いと割り切れてからの心は快晴そのもの、澄み渡った青空が広がっている。
僕はこの『ヴァリアブルオリジナル』を読んで、正義とは何か、愛や平和とは何かを学びました。
まず序章では主人公ヴェノラの、現世での日常生活が丁寧に描かれます。
そんな疑問も長くは続かず、主人公は5ページ目あたりで幼馴染をかばって大型の貨物自動車に轢かれます。
そして、どっかの神様が彼の決死の行動に感動し、異世界で新たに生きるチャンスを与えて序章は終わります。
異世界での冒険を早く読みたかった僕は、最初この話を余計だと感じていました。
異世界行くんだから現世の話を長くやる必要はないんじゃないかと思ったのです。
だけど後になって、この序章は主人公の人格を早めに読者に印象付けつつ、彼が異世界へ行くことに説得力を持たせるためのものだと気づきました。
おかげで僕は自然とヴェノラのキャラクターに魅了され、彼が異世界で冒険することに何も疑問を持たなくて済んだのです。
続く第一章では、主人公を通じて異世界がどのようなシステムかが描かれました。
異世界は彼が元いた世界とは違う世界であり、勿論そこで生きる人々や動物も似て非なるものです。
ロールプレイングゲームのような魔法やスキルもあって、まさに異世界なんだと伝わってきます。
そんな世界の違いに戸惑うヴェノラの姿にはとてもリアリティがあり、僕は「外国にホームステイしたらこんな感じなんだろうな」と思いました。
だけど、生きていくためにヴェノラは試行錯誤してシステムを学んでいきます。
僕は読んでいて最初は「うわー、勉強イヤだなあ」と思いましたが、ゲームのような世界観のおかげで分かりやすくて、スラスラ読むことができました。
ヴェノラが魔法やスキルを理解するのと同じスピードで、読者である僕も世界観を感じていくので、何だか二人三脚で走っているような気分でした。
僕はこの第一章で、自ら進んで何かを学ぼうとする姿勢の大切さを知りました。
私も「この仕事は私に合ってないんじゃないか」と思いながら25年も大きな組織の歯車として働いてます。
元増田さんは人の気持ちを察する能力がそれなりにあるようなので、ご自分で思っているよりはサラリーマンとしての適性があるんじゃないですかね。
空気を読むのが苦手で、ほとんど職場で仲の良い人ができない私は、常に仕事を辞めたいと思っていますが、脱サラしても今より稼ぐ自信がないのと、趣味にお金をかけたいのでいやいや仕事を続けています。
数年前、優秀だと評判だった同期が辞めたので、彼女が良い再就職先を見つけられるかどうかを見届けてからでもいいかと見守っていますが、SNSで緩くつながっているだけの状況から察するにはとりあえず自由な時間を手に入れたけれど、経済的には食べていけて多少の趣味を楽しめればいい程度に見えます。
今の会社から飛び出してもそれなりに稼げるスキルがあるなら退職しても良いと思いますが、組織で上手くやっていけない人(特にコミュ障)は自営業でも苦労すると思います。もし今それなりの収入があって、それで家族を養っておられるなら現状に甘んじるのも一つの手かと…。
何だかんだと言っても安定した収入は大事ですよ。ブラック職場でこき使われているなら転職を考えるのもありですが、そこまで悪くない環境ならもうしばらく我慢してみてはどうでしょうか?
プログラミングまったく理解してないけど某大手の下請けでSEとして5年くらい働いてた。
偏差値ギリ50くらいの大学の情報系の学科で、JavaとかC言語とかのプログラミングが必修科目だったし、基本情報も過去問丸暗記で合格したんだけど、まっっったくプログラミングが理解できないのにSEとかいう大それた名前の仕事についてしまって死ぬほど後悔した。
forっていうんは、なんか繰り返し同じことするやつで〜、i=i+1って書いてあったらiが一個ずつ増えるんだっけ?みたいなレベル。
最初の行に書いてある〜.〜みたいなやつどのプログラムでも同じだけど何?ライブラリって本借りるとこでは?ポインター?オブジェクト指向…?型?桁溢れ?何語…?全然わかんない…
いやもうほんと、社名とか書いたら「こんなのがよく働いてたな…あの会社やばいな…」って思われそう。
そんなくらいの不出来さでも、現場の人手が足りないから、1日に何度も上司に怒鳴られながら、機能追加も故障改修もやったし、顧客問い合わせの対応も本番環境のトラブル対応もした。
徹夜も休出もサビ残も代休がいつのまにか消えてるのも経験した。
流石に二年三年働けば何だかんだできることは確かに増えたし、リリース関係の社内手続きとか、一人で夜間本番監視なんかもどうにかこなせるようにはなったけど…
しかし上司もよくあれだけ怒りながら四年も面倒見てくれたなぁ…とちょっと思ったので、恨みレベルが「子供に早死にされろ」から「40手前でバーコードハゲのメタボになれ」くらいになった。
話逸れた。
今の仕事でも、既存のマクロでエラー出たときに原因箇所を調べたりするのは出来るけど、そこから何を直したら直るのかわかんない。
欲しいマクロの機能の要望とかフローチャートとかは作れるけど、それがプログラムにならない。
この先ずっと、大学から8年も触れてきたのに意味もわからないし苦手なもの、って思い続けるのが嫌すぎてこの八年分の人生を無駄にした気がして憂鬱になる。
八年あったら簿記とかFPとかTOEICとか勉強できたんじゃないか?とか、社労士とか書士とかそういう職業につながる資格の勉強できる大学にした方が良かったんじゃないか?とか。長い人生のうち八年かもしれないけど、人生80年としたら一割だし、自立して過ごせるのが18〜60くらいだとしたら二割だし、二割分出遅れたらもうフツーの人間はゴールする前に足切りされちゃうでしょ多分…
大学はよく考えて選んだ方が良いし、大学で失敗してもせめて仕事はよく選んだ方が良いよぉ…
仕事選びも失敗したなら、辞めるなら早い方が良いよぉ…
小さい頃から引っ込み思案で、小学校、中学生、高校、大学、大学院(修士で別の大学に行った)の入学式では、また新しく人間関係を構築しなければならないのかと胃が痛くなった覚えがある。
友達を作るのも、友達でい続けるのも得意ではない。今まで関係が続いている友達は三人くらいしかいない。私からも誘わないとと思うのだが、迷惑がられたらどうしようと思うと連絡ができなくなる。
好きになった人に告白したこともない。気持ち悪がられたら立ち直れないからだ。告白してきてくれた人と、断りにくくて付き合い、私がやっぱり好きになれなかったり、向こうが愛想をつかして別れる(このパターンが多い)ということを何度か繰り返してきた。
この記述でわかるように、私は自分が傷つくのが怖くて、自分が一番大切で、自分の気持ちとか存在とかを度外視して人にぶつかっていくことができない。
まずは親の影響だ。これはかなり大きいと思う。ただし、それで親を恨んではいないし、むしろ好きだ。彼らは友人がほとんどいなくて、社交性もあまりない。家族全員がいわゆる陰キャである。
それから、私は空気が全然読めないのだが、多分そのせいで小中高といじめに遭った。田舎の閉鎖的な環境だったから逃げ場がなかった。
そうして、人間関係において受け身で消極的な人間ができあがった。
周りにいる社交的でぐいぐい距離を詰めていける人を見て、あんな風になれたらなぁと羨むけど、彼らとは育ってきた環境が違うのだし、無理して真似してもストレスになるだけだとも思う。
心のどこかで、私は子供の頃受け身人間養成コースに在籍せざるを得なくて、彼らはきっとそうでなかったのだから、いまは私が受け身で彼らに積極的になってもらってもいいじゃないか、これは辻褄合わせなんだ、などと思っているのだ。
しかし、よくよく考えてみると、これは
子供の頃恵まれず貧困の中満足な教育も受けられず過ごしたのだから、金持ちで十分な教育を受けた「持てる者」からちょっとぐらい色々なものを奪ったっていいじゃないか、辻褄合わせだ、
そう思うと、やっぱり今からでも変わる努力をしなきゃいけないような気がしてくる。でも、コミュニケーションを頑張った日は酷く消耗して、次の日が休みの場合一日中寝込んでいたりするので、精神的肉体的負担が大きい。そのうち慣れるのだろうか。でも本当の自分と大きく外れた振る舞いをして頑張るのは何だか間違っているようにも思えるのだ。
まとまらなくなってきた。私はどうしたらいいんだろう。
菊田早苗さま
こんにちは。初めまして。
私はもうすぐ30代になる女性です。
今日このエントリーを書いたのは、最近YouTubeで貴方の事を知りまして
思いが溢れて溢れて止まらないため、文章にさせて貰うことにしました。
今は事情があり、自分に自信がないので匿名でのエントリとさせていただきます。
中学生の時からプロレスを好んで見ていたにも関わらず、ほとんどWWEしか見ていなかったので、菊田さんのことをよく知らないまま大人になってしまいました。
ある日、私が一方的に知っている女性が「格闘代理戦争」に出ることになったので見始めたところ
その中のトークやいじられなどをみて何だか気になる存在になっていきました。
それでも、生観戦した格闘代理戦争の決勝戦でお見掛けしたのにまだこの時は「あ、マッコイさんに謝らされてる人だ」くらいに思っていました。
その後、YouTubeチャンネルでのトークの面白さと優しそうなお人柄に触れる事ができ
お料理も手際が大変よく、しかも食レポも伝わりやすくて視聴者に寄り添った動画作りをされていることにとても好感をおぼえました。
さらに過去の試合についても拝見したところ、温厚なお人柄とはまた対称的な力強い部分、
そして頭の回転がとても早くスタミナもあるところに惹かれてしまいました。
そして、お恥ずかしい話ですがルックスと体型も見ているうちにどんどん好きになってしまいました。
正直、「推し」とかの気持ちを超えてしまって文章にしてはいけないような事さえも考える自分に「いい加減にしろ!」と思ったりもします。
ある日の動画で菊田さんが独身であることを知ってから毎晩ドキドキして眠ることができずにいます。
過去のインタビュー本などを買って読んでみたところ彼女さんの存在が明記されていたため、
頑張って適切な体重になってから、何かの機会に同じ空気を吸わせて頂きたいと思います。
最後に…
ここ最近好きになったにわか者ですが、これからもずっと応援していきたいと思います。
このエントリーをご覧になることがあれば、それ以上に嬉しいことはありません。
地球に生まれてくださって、メディア(YouTube含む)露出をしてくださって、心から感謝します。
本当に、ありがとうございます。
大好きです。これからもずっと、です。
…と思ってるんですよね。
特に創作界隈における「絵が上手くて羨ましい」って一律して僻み嫉み嫌味の類だと思ってる人がめちゃめちゃ多い気がして何だかなあと思ってしまったんですよね…
実際嫌味のニュアンスで使う人が多いんだろうけどニュアンス次第で必ずしも嫌味ではないと思っているので釈然としない気持ちになってしまったんですよね…!!!
そも羨ましいの本来の意味って「他の人が自分より恵まれているように見えて、自分もそうならよいのにという気持ち」ですよ。
「羨ましい」って僻み嫌味たっぷりに言えばそりゃ「私が持てないものを持ってるおかげで(後は大したことないのに)いろんなことが上手くいってて良いな、私もそれ1つ持ててればもっと上手くいけたのかもな」くらいのニュアンス孕んだりしてますけど
完全にそれ以外の他意が無い「羨ましい」って単純に「私が持てないものを持ってて良いな、私もそんな風になりたいな」ってそれこそ「尊敬」の上位互換のニュアンスがあると思ってるんですよ
前者と後者だとある程度共通する感情こそあれ最終的に当人に伝えたいニュアンスって真逆ですよ
「本当は大したことないのに1つ芸があるからって良い気にならないで欲しい」と
「本当にすごいものを持っていることを、それを持てていない自分と比較してでも分かって欲しい」
私は基本的に他人が羨ましくて、特に創作において絵が描ける人って本当に羨ましくて、
私としては後者の最上級の尊敬を込めたニュアンスで「羨ましいなあ」と本当に絵が上手い人に対して零すことがあったのですが、あまり良い顔をされなくて挙句「努力もしてないのにそういうこと言うのはどうかと思う」と言われました。
先日似たようなニュアンスの画像がRTで回ってきたのを見たんですよ。
「最初は誰も上手くいくわけじゃなくて見えない努力をしたから今の自分がいるんだから、そう思うなら自分を信じて描いて学べば良い」って。
それは明らかに嫌味な反応を受けての返しだったのでまあそうだなと思いもしたんですけど。
同時に先日言われたことも多分嫌味に近いニュアンスで受け取られていたんだろうなとも思いました。
でも私としては尊敬してる意を込めた「羨ましい」だったので尊敬してるんだという旨がきっと伝わらずじまいでむしろ嫌な思いをさせてしまったんだということがすごく心残りです。
「絵が上手い、反応もある、すごいと思うよ」と言っても良くも悪くも数値に囚われない人だったので(今のご時世それもすごいなと思うんですけど)釈然としてくれなくて。
それなら「絵が上手くなくて反応もそんなに無い私と比べてそれよりすごいことができているんだと分かって欲しい」みたいな、そういう身近な比較対象を持つことで実感して貰えないかな〜みたいなそれくらいの意図でした。
紙一重すぎて嫌味に伝わりかねないとこもあるんですけど、やっぱりポジティブに捉えて貰いたかったなあと今でも思います。
特にクリエイティブな側面での才能を羨んだとき出てくることが多いように思うこの見解について。
羨まれる側のこの言い分って自分が持ってるものは「努力すれば手に入る」大前提のもと言ってるなあと思うんですけど。
嫌味とかでなく、羨む側からしたら「努力したとしても恐らく手に入らない、先天的な「才能」を感じての感情だろうし、そもそも努力ができる時点ですごい」んですよ。
「絵を描くのが好きで、上手い下手とか以前に描き続けるのが好きで気付いたら羨まれるものを作っていた」でも「絵を描くのは得意ではなかったし劣等感もあったけど、それでも絵を描き続けたら羨まれるものが作れるようになった」でも結果としては同じです
「継続できること」「継続することを技能として身に出来ること」って「才能」だと思います。
「出来て当たり前」だと思ってるから「したら出来ることを何でしないんだ(その上人に当たるんだ)」って感情になりがちなのかもしれないですけど「『出来るようになって当たり前だと思っていること』をできない人がいる」と思ったらまずそれが「才能(長所)」なんだと気付いて欲しいなと私は思っています。
クリエイティブな話にかかわらず私は基本的にいろんな人が羨ましくて、例えば人と話すことは好きなのに人付き合いを面倒に思いがちな自分からしたら「人付き合いが楽しい人」「気の置ける友達がいる人」「一人でずっといることは別に苦ではない人」そういう人達が本当に羨ましいです。
世の中自分に持てないものを持ってる人たちばかりだなと思います。
自分の持てないものを持てる人達は本当にすごいなと思っています。
悪意のあるものだって少なからずある以上、全てをポジティブに捉えることは決して無いとは思いますがそれでも人からの「羨ましい」は自分の才能を自覚できる機会だと思います。
特に悪意のない「羨ましい」を受け取ったら(思ってもいなかったことがその人にとっては「自分の長所」だと思われているんだ)と好意的に受け止めてもらえたら嬉しいなと思います。
日曜日が終わってしまうので、ここらで一発、何らかの生産的な行動をやっていきたいぞ、と思ったわけですけども、なぜかこうして増田に張り付いています。
前頭前野の敗北であり、辺縁系の勝利です。勝利、勝利、大勝利。長良は辺縁系ではありません。
なぜか私のPCデスクには知恵の輪が転がっています。なぜでしょう。お見舞いでもらった品です。なぜ知恵の輪。ボケ防止にとのことでしたが。
ところで、先程PCデスクと言いましたが、これは厳密に言うと、いえ別にそんな厳密とかじゃなくて普通に言ってそうなんですが、私が今パソコンを置いている場所は、PCデスクなどという大層な代物ではありません。
というかデスクですらありません。
私は椅子の上にディスプレイとキーボードとマウスを置いています。
正確には、椅子の上に、ホームセンターで買った合板を乗せて、それを机とし、周辺機器を乗っけているのです。
これは案外便利です。広い、安い、手軽、収納しやすい。見た目のアレさにさえ目をつむれば、非常に合理的な選択であると言ってよいでしょう。
あるいは、見た目などという些事に囚われていないことが、余計に合理的な選択であることを強調している、とさえ言ってもよいかもしれません。
ところで、さっきまで、やむを得ない事情により、VBAなる恐ろしい言語を使っていたのですが、これには様々な謎仕様があるようです。それらは名状しがたき恐怖で我々を戦かせます。
一般的に知られていると思われる謎仕様と致しましては、例えば、配列におけるReDimなるステートメントが上げられるでしょう。
他にも、例えばマクロの高速化のための方策として、範囲を配列に代入するというテクニックが紹介されることがありますが、この配列と範囲との間にも謎の関係性が存在しています。
この手のソフトウェアを扱うに当たり、いちいち一つずつセルに値を書き込むことはご法度、というのが定番ではありまして、私も素直にこの定石にしたがい、セル範囲を二次元配列に格納したりしております。
しかし、範囲を配列に代入した場合、その配列の要素のインデックスは、どうも1から始まるようなのです。
なぜ1スタートなのでしょうか。VBAの仕様においても、配列の添字はいちおう0から始まることになっているのですが、範囲を配列に格納した場合、0行0列の要素は空となっており、Array(1,1)にRangeの始点の値が格納されております。
まあたとえ1スタートであっても、言語内で仕様が統一されているのであれば、まだよいのです。
しかしここが彼の言語の恐怖ポイントなのでありまして、どういうことかといいますと、
すなわち、今度は逆に配列を範囲に代入、すなわち配列の各要素の値を対応する範囲のセルに書き込む場合、インデックスが0である要素から順に処理されるのです。
範囲を配列に代入するときはインデックスが1から始まるのに、配列を範囲に代入するときはインデックスが0から始まるのです。
Array = Range
Range = Array
とすると、一番上の行と一番左の列が、空白行、空白列になってしまうのです。
なんですかこれは。誰が考えたんですか。おかしいでしょう。私はおかしさのあまり死にました。
この理不尽さに比べれば、Collectionなる連想配列の添字が1から始まることなど些事に過ぎません。
昨日までJavaJavaしていた人は、どうやら配列なんぞには目もくれていなかった様子でしたので、この謎仕様に気づくこともなかったのでしょうが、悲しいことに、この謎仕様の配列を用いた高速化テクニックはほぼ必須のスキルでありますので、例の御人も、遅かれ早かれ、この罠に絡め取られていたことでしょう。
あるいは、この謎現象を回避するための方策はきちんと用意されており、無知な私はそれを知らないがゆえに、このような的はずれな不満をぶちまけているのかもしれません。
しかし、上述したような単純かつ直感的な代入が上手くいかないという仕様は、やはり、なかなかの欠陥ではないかと思うわけです。
まあそんな愚痴はどうでもいいのです。変な仕様は適当にハックしてやればよいのです。
でもクラスモジュールとやらのパワーは貧弱なのでそれも大変困難ではあります。
標準モジュールでライブラリもどきをちまちまと作っていくしかないのでしょうか。
とてもではありませんが、こんなもんを極める気にはなりませんので、そこら辺のことをいい感じにまとめてくれている知見があればよいのですけれども、しかし、まともな人間はこんなもんを相手にしたりはしない、というパラドックスがあります。
(https://sites.google.com/site/compositiosystemae/home/vbaworld/upper/interface はわりとよかったような気がします。システムハンガリアン使ってますけど)
こんなもんを扱わざるを得ないような環境に留まってしまっている私がおかしいという話もあります。
悪いことは言いません。pythonで書かせてください。お願いします。
そんな増田の切なる願いは、社会という名の抗いがたい泥沼に絡め取られ、今日も悲しみに満ち満ちたコードを生成していくのであります。
そういえば今日は休日でした。休日は普通楽しいものなのではないでしょうか。どうしてこんな悲しい気分になっているのでしょう。
答えは簡単でして、悲しいことを書いているからです。楽しい気分になるには、楽しいことを書く必要があります。
楽しいこととは何でしょうか。例えばオナニーなどが挙げられます。人生において、オナニーよりも楽しいことは、あまりありません。
よって、楽しくなるには、オナニーの話をすればよいです。
私は一時期、DLditeで同人音声を漁っておりまして、催眠に掛かるべく邁進していた時期もありました。
なぜ私は催眠に掛かれないのか。
集中力の欠如、衝動性の強さ、慢心、環境の違いなど、様々な要因が考えられますが、最も大きな原因と思われるのは、台詞がめっちゃ気になることです。
おっさんが考えた可愛い二次元の女の子みたいな台詞が、えらく癇に障るのです。
そのために、可愛らしい女性の声に没頭できないばかりか、声によって現実に引き戻されてしまう、という逆説に襲われるのです。
おっさんは蓮を咲かせる泥だという話もありますが、恐らく、真に良質な泥おっさんというのは、非常に稀な存在なのでしょう。
つまり、いいおっさんは泥ですが、悪いおっさんはゲロということです。
しかし、これもおっさんに限らず、大抵のことに言える話でありまして、良質なものはどこでも少ないものです。
生の増田を見てもそうでしょう。
ホッテントリに上がる増田しか見ないライト増田、あるいはブクマカには想像もできない世界が、生の増田には広がっています。例えばこの増田とかです。
(これは私見ですが、VIPやなんj、あるいは虹裏などと比べても、増田の毛色は違います)
増田のほとんどは泥であり、ホッテントリに上がった増田は花なのです。
何だかまた悲しい話になってるじゃないですか。なぜ私はいつも悲しい話をしてしまうのですか。
それは恐らく、心の通奏低音(俗用)のようなものが、悲しみに染まっているからです。
この感覚伝わるだろうか
今時給1000円のバイト始めたら、年収200万くらいまで落とせる
今まったく異業種に転職したら、新人と同レベルかそれ以下の存在に成れる
顎で使われ、どやされ、お前は年のくせに使えねー新人だなと鼻で笑われる
そして世の中には1400万円稼げる職より、そっちの職の方が数が多い
今職が突然なくなったら、あるいは働けなくなったら
引っ越さないといけないし、切り詰めなきゃいけない
誰も自分を顧みないし、顧みられても困る
稼げば稼ぐほど、キャリアを積めば詰むほど
アンバランスなトランプタワーを積んでるような気分になってくる
あと一段、もう一段積む自信はあるが、次の瞬間には崩れているかもしれない
___
少し考えたけど、こういうのは何度か崩してみたほうが色々安定するのではないか
以前、1500万行くたびに500万まで落とす人の話を見たことがある、新たな領域に飛び込むんだとか
成長して1400個売れるようになった、とかなら安心感があるんだけどな
ドラマ版一話を観て今まであれだけ好きで同人誌版まで読みこんでいた「きのう何食べた」を売った。
決定的な理由はただひとつ、シロさんをどうしても推し俳優にやってほしかったからだ。
約6年間脳内で推し俳優で再生し続けた結果、現実に訪れた実写化への拒絶反応が思ったより深刻で
大切にしていた分売るのも忍びなく、溶解処分してくれるところに送った。
「きのう何食べた?」と出会ったのはツイッターのおかげである。
ドラマや映画に時間を取られ普段あまり漫画を読まなくなっていたところに
“シロさんを脳内で○○(推し俳優)で再生してる”というような
ツイートが流れてきて、同じファンの幾人かがそれに賛同していた。
どういう漫画かもわからず検索したらすっきりとした絵の漫画の情報が出てきた。
西洋骨董洋菓子店の人だとすぐわかった。あれはそこそこ面白かった記憶がある。
その週のうちに1巻を買い、次の週には当時出ていた全巻を揃えた。5巻まで出ていたころだった。
正直、読んだ当時は強烈に面白いとまでは思わなかった。
それでも最新話は立ち読みするようになり、単行本は必ず買い、ついには同人誌まで購入するようになった。
何食べきっかけでBLも読むようになったけど、私にとって一番のカップルはずっとシロさんとケンジだった。
これといって大きな事件の起こらないシロさんとケンジの暮らしがいつの間にか自分にとって本当に愛おしい物語になっていた。
売れている漫画だしきっとそういう読者が私以外にもたくさんいるのだろう。
ただ私が間違ってしまった事は、ツイッターで知った時からこの漫画を脳内でずっっっっと
作者の実績からいっても実写化はいつかするだろうと思っていたし、
推しがキャスティングされる可能性が低い事は理解していたつもりだった。
それでもツイッターなどで実写化の妄想キャスティングが盛り上がるたび
推しの名前が挙がるので、もしかしたら実現するかも…という期待があったのだと思う。
実際に発表された時点では、実はあまりダメージは受けていなかった。
実写と漫画は別だし、と割切るつもりだった。
しかし当然ながらドラマ化にあたりプロモーションはどんどん熱が入っていく。
どんどん漫画と実写が並べられて「これは同じキャラクターですよ」と言われる。
どんどん各種インタビュー記事が上がりこの俳優たちが“シロさん”と“ケンジ”ですよというプロモーションがつみあがっていく。
意外とダメージを受けている自分に気づき途中から目を通さないようにしていたが
駅にドラマのキャストと漫画のキャラが並べられた広告が出たのには笑ってしまった。駅に地雷が設置されてるなんてことある?
そして決定的だったのは作者が今後この実写化を原作に取り入れていく…というようなインタビューをwebで見てしまった事だった。
正直パニックになってしまいすぐ閉じたのでどういう意味だったのか思い出せないけど二度と読むことはないからまぁいいか。
とにかくもうダメかも…ギブかも…と思った。
でもせめて別物にしておく余地をもうちょっと残して置いてくれよ!!
それにこのプロモーションなら今後実写から入った人は実写のキャストを念頭に漫画を読むんだと思ったらなぜかそれもつらかった。
無理だ。
それでも1話は観ようと踏ん張った。
観たら案外いいかもしれない、案ずるよりなんとやらで観たら別物と思えるかもしれない…
ハイそれで昨日観ました。
ケンジはおどろいた。正直こちらの方がどうなるのかわからないななんて思っていた事を恥じた。
ケンジはめちゃくちゃハマってると思う。
ケンジ動いてる!!と感動した。
でもシロさんがさ…なんかムキムキじゃん知ってるよこの人なんかムキムキでしょ!!!別のドラマで見たよ!!黒いし!!
マジでこれならなんで推しじゃないの!?推しでよくない!??ハァ???
これ見たいなら家電のCMでいつでも見れるだろうが!!!!!!!
これはシロさんじゃなくていつものこいつだよ!!!!!!!!!!!!!!!
力が入っていて、絶対当てるぞという意識の高さがもう画面の隅から隅まで充満している。
「これを推しで観たかった!!」という悔しさがすべてを上回ってしまう。
どうせこれから7月までの間にツイッターでドラマに精通してるアルファ実況クラスタやらライターがこぞって褒め称え
ギャラクシー賞かなんか獲るんだろ。あーもういやだ。考えただけでつらくなる。
すべて私が悪くて私の責任だ。
この原作を好きになったことがそもそもの間違いだったんだなと一日考えて結論付けた。
この増田は頭の整理のために打ってるんだけど、
打っているうちに気がついた。
私は好きだった漫画にとっていらない読者になってしまったのがつらかったんだ。
みんなにとって文句のつけどころの無い喜ばしい実写化を受け入れられない悪い読者、
足を引っ張る読者、ターゲット外の読者だったことに気づいてしまったから苦しいんだ。
原作はまだまだ続くだろうけどもう読めない。
というか読む資格が無くなったと今は感じる。
そもそもここ最近はすでに開くのもつらかった。表紙すらつらい。
好きだった漫画がいつの間にか全く違うものになっていた気がしてしまうけど、そもそも自分の楽しみ方が間違っていたという事実に愕然とする。
あー本当にすいませんでした。私みたいなのが読んじゃって。好きな漫画とかいっちゃって。ご迷惑おかけしました。
というわけで全巻処分した。今まで楽しませてくれてありがとう何食べ。
人に布教するために何度もいろんな人に貸したり
本当にいろんな思い出がある。
お世話になりました。
日付が変わる前にどこかに吐き出さないとさらに頭がおかしくなりそうなのでここに流すことにした。
何か察した友人やフォロワーの皆様はしばらくそっとしておいてほしい。
最後にもう一回言う
世間の「プログラミング習得」のハウツーがマウントばっかりで腹立つから
俺も簡単に書く
何なんだよ
何でそんな酷いこと言うの?
プログラミングは難しい
用途に応じていっぱいあるんだ
全部覚えようと思って攻略本を開くと、目眩がするのは目に見えてる
途方も無くて死にたくなる
でもよく考えてみろ
必要なだけ使えりゃ良いんだよ
だというのに世の中のハウツーはアレコレ覚えさせようとする
「これは基礎だから」「これは常識だから」「覚えて初めて一人前だから」みたいなこと言ってくる
そんな量覚えられるわけねーだろ、3分で忘れる自信あるわ
100点取らなくていいの、解くべき問題が解ければそれでいいの、動けばいいの!!
みんなどうせ何だかんだ言ってその程度だから、雰囲気でやってるから
つーかなんで何か作るって時に、いきなり教科書や参考書を全部読もうとしてんだよ
お前、ひょっとしてゲームプレイする前に説明書と攻略本読破するタイプ??
やめろよ、ちょっと引くよ
操作方法とキャラ紹介、あとルールを飽きる程度読んどけば良いんだって
教科書なら最初の1/3くらい読んであー飽きたなーってところくらいでちょうどいい
そしたらまず取り掛かるんだよ
「Hello World!!」
あとは大体同じだから
そしたら次は何か作ってみるんだよ
とか言ったら「SNSを作ってみたいです」とか「3Dゲームを作ってみたいです」とか言い出すんだよな
お前、ひょっとしてゲーム開始直後に行っちゃいけないと言われたエリアに行って1回全滅しないと気が済まないタイプ??
まあ良いよそれでも
まず機能に分解して、その機能も分解していって、ゴミみたいな最低限の何かに分解してみればいい
クソみたいな小さい機能に分解したら・・・その実装方法がわからないだろ?
でもそういうもんだ、それを延々続けていったら・・・やがて詰む
そう簡単に完成しない、するわけない
この程度のことすらできねーのかって悲しくなる
でもそんなもんだ、残念ながらゲームみたいにお膳立てがされていない
ひょっとしたら不可能なのかもしれない、別の案が必要かもしれない
でもダメそうなら諦めろ
諦めて別のもの作ればいい
「最後まで諦めず作りきる力」とかたまに聞くけど
Lv1時点でLv100の敵を倒そうとしても詰むだろ
「最後まで諦めず作りきれるって大事だよね」とか言ってる奴も、何度も作りきれず諦めてる下手くそ共だから
こだわるな、死ぬぞ
お前はその程度だ、皆もその程度だ
でも作ったり諦めたりするうちに、作れるものと作れないもの、簡単なものと難しいものが薄っすら分かってくるから
そしたら「こういうのは作れそう」ってのが見えてくるんだよ
そのうち3回に1回くらい作りきれるようになるから
まあ調子乗って「皆の役に立つものを!」とか欲を出すとまた詰むんだけど
表に公開して話題になる人なんて、ベテランでも難しいから、そこを基準にするなよ
あとは繰り返してると、だんだんパーツを流用できそうだと分かってくるから
パーツがいっぱいあるじゃん!とか、こいつめっちゃ上手くやってる!パクろう!ってなるから
そしたら今度他人のコードを理解するためにもう一段プログラムについて学びたくなるんだよ
まあ結局難しくて理解できないんだけどな
何でも良いから見つけろ
つまんねープロダクトに取り組むな、既にあるものでも良い、作ることに意味を見出せ、プログラムはただの道具だ
ブコメでは「母親は追い詰められていただけで悪くない」一色なのも含めて胸糞悪い。
母親は気の毒だとは思うけど、やっぱりしてはいけないことをしてしまったんだからそれなりの処罰は必要だと思う。それに記事を見る限りサポートが得られなかったとか周囲から意地悪されたとかそういうのじゃなくて、自分で自分を追い詰めていたところもあると思う。「母親なんてみんなそうだから~」とは言っても、やってはいけないことはやってはいけない。
追い詰められていたら介護現場で虐待してもいいのかって話になるし、医者が患者の応対をしないで死なせてもいいのかってなるし、コンビニバイトが店長を刺していいのかってなる。追い詰められていたから可哀想、は同情であって何の救いにもならないと思う。
サポート体制の不備を指摘する旨もあるけど、サポートっていうのは困っている人が「私困っています」って手を挙げないと動けないんだよ。でもみんな「私困ってます」って言わないから空気読んで「困ったらいつでも言ってね」くらいしか広報出来ない。まさか赤ちゃんのいる家庭全部に「あなた虐待する可能性あるわよ、サポート受けなさい」とは言えないし。
でも最近だと自治体で配る赤ちゃんガイドみたいなのにも「困ったらまず深呼吸して」「少し泣いてても大丈夫だからトイレに逃げ込んで」「イライラが止まらなかったり涙が出てきたらここに電話して」ってかなり大きく紹介されているし、露骨にストップ虐待のチラシが入っていたりする。何だか「お前虐待しそうだな」と言われてるみたいで不愉快だけど、必要な人に届けるために仕方ないのだろうと思う。
この事件の本質は多胎育児じゃなくて、本当にサポートが必要な時にどうしてもサポートが欲しいと主張する覚悟なんじゃないだろうかと思う。親は頼れないし、マンションから出られないからサポートは諦める、夫にも弱味は見せないなんて外から見ればいい格好なのかもしれないけど、困ったときに困ったと言えないのは忘れものして泣いている幼稚園児と一緒。どこかに繋がろうと思えば繋がる場所はあったんじゃないかと思う。
後になってるからこんなことを言えるのであって渦中の人には届かないだろうけど、マジで「少し楽するくらいがちょうどいい」って思っていろんなところに掛け合って欲しい。誰かに適切に頼れるのが本当に大人だと思うから。
日本で,ツイッターアカウントがロックされる事態が多発してますね
ただでさえ,最近のTwitterJPは,人種差別やヘイト好きなアベ政権寄りのアカウントを野放しにする運営をしていて,不気味な印象が有りましたが……
これは聞いた話で,本当かどうかは知りませんが,もしかして,改元を契機に,TwitterJPは,中国の微博[weibo:ウェイボー]の真似をして,権力と結託して,情報を統制しようとでもしているのでしょうか?
選挙前ですしね
未だにロックしている理由ははっきりしませんが,少なくとも,今のところ判っているのは,ロック解除に電話番号(とりわけ,SMSが使える携帯電話番号)を登録させる動きです
以前,Facebookが,アカウント主の個人情報を,無断で勝手に権力に売り飛ばした事が表面化して問題になりましたが,Twitterも同様に,己の収益確保の為に,個人情報を売り飛ばす積りなのでしょうか?
その一環としての情報収集?
最近,搾取の横行が過ぎて,経済が低迷し,世界のあちこちで権力の側が支配力を強め,ここ日本でも,パソコンやスマホを始め,ルーターやIoT機器を政府機関がハッキングしたり,大手ポイントサービス企業が,顧客の個人情報を勝手に政府に売り飛ばすなどして,市井の人々の私生活や思想信条を覗き見するという動きが起こってますが,本当に気色悪いです
それらをアベ政権が突合せて,庶民に対する監視を強めようとしてるとしか,どうしても見えないです
考え過ぎでしょうか?
しかし,この件に限らず,嵌ってしまってからでは,取り返しの付かない事になってしまうという事象は,過去の歴史から見ても,明らかではないでしょうか?
とにかく,ツイッターに関しても,表向きの“スパム対策”は結構ですが,その基準が曖昧で(そもそも,当初からの,認証マークを与えている基準ですら曖昧過ぎでしたし),何だか,悪い意味で,俺様感が色濃く反映して来ているような気がして,あまりにも息苦しさを感じずにはいられません
終身雇用制、手厚い福利厚生、残業は多めだが全額出る、そんな昭和の夢の残滓のような会社に勤めていたんだけど昨年退職した。
待遇は非常に良かったんだけど(0.6Googleくらい)、安定が自分の中で恐怖に変わっていき、やがて耐えられなくなってしまったので退職に至った。今は年収が半分になってベンチャーみたいなところにいる。預金残高を見て不安になることはあっても前職で感じたような、先細りの籠に閉じ込められたような気持ちには未だなったことがない。
前職のような会社は日本にあまり無いから参考になる人は少ないかもしれない。これはあくまでも平成という時代に10年間昭和のサラリーマンをやってきた自分のそれまでの人生のまとめであり弔辞だ。
もしかしたら、公務員とかレガシーな産業で利益を独占的に得られる会社に潜り込んだ人にとって何かの参考になれば幸いである。
地方都市生まれ、小中高と公立育ち、大学は他県の国立大学へ、理系でマスターを修了後に学校推薦で就職。
地方の医学部に進学した人がバズってたけど、私は井の中の蛙というか幸せな環境で育ったなあと思う。学区が良かっただけかもしれないけど、所謂ヤンキー的なタイプは少なくて、開業医の子息とかとも普通に遊んでた。うちは公務員だったけど(子供だったから気が付かなかったという事情もあり)、引け目や負い目を感じたことはなかったと思う。財力の違いを感じたのは高3で進学先に私立の医学部を選んでたときくらい、他は塾とかも選択肢が限られていたのでみんな一緒だった。
理系を選んだのは高校で7割くらいが理系を選ぶ環境だから何となくという要素が大きい、医者になりたいとかエンジニアになりたいとか思わなくもなかったけど、何より理系は潰しが効くし、数学が苦手じゃなかったらやっとけくらいの気持ちだった。
高3のときの偏差値は公立の医学部には足りず、迷わず他県の地方国立大に進学。大学でやりたいこと云々より自分の偏差値で行ける最大限の学歴に行ったという感じ。お陰様で入学後に学力不足を感じて本当に苦労した、かろうじて留年を逃れたくらいの成績。マスターは殆どの人が行くからというだけで選択、例によって院試は内部生にも関わらず死ぬかと思った。
そんな体たらくだったので、就職のときは仕事と研究との関連性だとか一切興味がなく、学校推薦で行ける会社の年収を四季報で確認して上から順番に面接。お辞儀できれば受かるという情報通りヌルい面接をあっさり通り前職に内定した。
○どんな会社だったのか
・環境
東京から車で2,3時間くらいでコンビニまで徒歩30分くらいかかる僻地、面接に行ったときヤバイかなと思ったけど、地方の大学生からすれば東京まで2,3時間で行けるというのはそれなりにメリットがあった。あとアマゾンが送料無料をやり始めた頃で、アマゾンが届けば生きていけるかなあとも思ってた。
・待遇
これは無茶苦茶良かった、待遇というか給与だけだけど。就職を決めたときの四季報だと平均年収は0.5Googleくらいで(平均年齢43歳のね)、辞めたときの年収は0.6Googleくらいあった。ただし、基本給:残業代:賞与が4:4:4で、賞与は完全に業績連動のため期待は禁物。リーマンショックの頃に3,4年働いても基本給が5000円しか上がらなかったのは忘れられない(さすがにその後是正された、けど過去の貰えていない分の保証はなし)。
残業代が4というところからお察しの通りで、残業時間は年間で700〜900時間くらい。寮や社宅は完備のため、平日は会社の敷地から一度も出ることなく過ごしていた。
・業務
表向きは最新技術の研究開発となっているけど、実際は雑用と書類仕事に疲弊していた。入社してから一度も新しい技術みたいなのを研究したことはないと思う。ひたすらに社内調整、下請を買い叩く、行き当たりばったりで問題を解決するの繰り返し。更に営業案件とか製造案件の雑用がバシバシ入ってくる。先のことを考える余裕なんて一切なくてアワアワしているだけで10年過ぎてしまった。
私に限らず全社的にそんな仕事ぶりだったけど、市場は寡占状態なので会社は常に儲かっていた。そもそも枯れた技術なので顧客は新商品とか新機能は望んでいないのだから。たまに声の大きい営業が上げてくるマイナな案件に対応するために右往左往して終わり。そのマイナな案件にかける時間を全体に対する原価削減に当てたほうが良いのではとは皆が感じていた。
一応良いところを挙げておくと、暗い実験室に引き篭もって量産の目処のない机上の空論をやるよりは、現場の問題を拾い上げて設計に反映するのは楽しかった、それは生産技術の仕事ではないのかと思いつつも。
同僚も学校推薦で来る似たようタイプなので、穏やかで話が早くやりやすかった。東大東工大が主な学閥なので地方国立大は肩身が狭いとか無いの?とかはたまに聞かれたけど、管理職になりたいだとか野心がない限りは別段に何も不自由は無かった、学歴よりも上司だとか部署のガチャ要素が大きかったし、皆が平等に不公平という感じだった。
・組織
上の意向を忖度して言われる前にやることが尊ばれる文化という感じ。基本的にマネジメントというものは全く無く仕事もこれやっといてというだけで納期も仕様も何もない。上司の指示どおりに働いていたら、その上から烈火のように直接指導されることもザラ(そうゆう時の上司は沈黙)。酷いなと思いつつも、上司とその上も同じような関係だし、その上もそのまた上も…
これがいわゆる昭和の日系企業かぁと思っていた(違ったらごめん)。賽の河原に石を積むというか、降り積もる雪をひたすら取り除くような気持ちで働いていた。
人事評価みたいなのも形式的で、上司は査定するけど、結局は偉い人の好みに合わせて査定をつけないと書き換えられてしまったうえで上司の評価も下がるので(人を見る目が無いという理由で)、偉い人の好みをどうやって察して査定をつけるかという作業になっていた。偉い人に取り入ろうにも年に一度も話すことがないし。逆に気に入られている人もそんなに親しげではないので、何が基準かは永遠にわからなかった。
こんな状況でどうしてやる気を失わなかったのかというと、査定が悪かろうと昇進が遅れようと、何だかんだで高給をもらっている自覚と責任を感じていたからだと思う。少なくとも自分の給与以上は働かないと、お世話になっている子会社や取引先に会わせる顔が無いという気持ちで踏ん張っていた。
○どうして辞めようと思ったのか
20代の頃は仕事や組織に不満がいくらあっても、それを上回る待遇を得ていたので辞めようとは思わなかった。仕事なんてものは所詮は時間と感情の切り売りで、仕事にやりがいとかいうのは、金が払えない会社の言い訳だと思っていた。
ところが30代になり預金残高が1Googleを超えたあたりで、ふと将来のことを考え始めた。余りにも遅すぎた自我の芽生えだったのかもしれない。
いつの間にか同僚はみな結婚して家のローンや保育園の話をしている。家族がいる奴は良い、自分の代わりにお金を使ってくれて、それで幸せになれるのだから。ここで暮らしていれば子供の1人くらいは私立の医学部に入れられるかもしれない。で、私はどうなる?20代の頃と預金残高以外で何が変わった?
お前も結婚すれば良いのではないかと言う声が聞こえるけど、これは中々上手く行かなかった。こんな僻地にある会社だから、相手は地元の人ばかり。上記のように地方を転々としてきた自分とはどうしても感覚が合わない、例えば同僚の結婚式で、高校の部活の先輩後輩の関係が30過ぎても未だに残っているのが嫌だった。
敵を増やしそうだけど、地方にはヤンキーと良家の子女しか残っていないんだと思う。ヤンキーは説明不要でいわゆる地元のマイルドヤンキーさん、看護学校もあるので一人でやっていけるこの手のタイプは多い。良家の子女は女子大を出て実家に戻って地元の金融機関に就職という感じ。同僚の奥さんはどちらも結婚したら寿退社して社宅に住んでいた。
私だったら、相手が1Google稼いでいても専業主夫になりたくないなあと思う。その程度の収入に自分の後の人生の選択肢の全てを預けたくない。私は夫婦は人生の連帯保証人だと思っているので、こうゆう自分の感覚と合っている人と結婚したかったんだけど、残念ながらそんな人とは出逢えなかった。それほど立ち入った話はしないけど同僚と上のような話をしていたら「そもそも君は結婚相手に何を求めているの」と言われたのが印象深かった。私は友だちとか親友的な要素、少なくとも同じ地平で物事を見渡せる人が欲しかったし、これまでもそうゆうタイプと仲良くなってきたけど、同僚的にはそうじゃないらしい。明確な言語化はできないけど配偶者に求める要素は、自分や家庭を甘やかし指導する父母か、育て導く愚かな子女で、少なくても対等の関係という要素を求めてはいないようだった。
そんな食わず嫌いをしているうちに同僚の息子は小学1年生、これからも私がああだこうだ言っている間に大学生になって家を出るのだと思う。その頃の私はきっと40代半ば、もう結婚もできないし転職もできない、ただ自分は失敗した、取り替えしがつかないという気持ちを抱えながら、報われることのない仕事をしている。やがて50代になって預金残高が5Googleを超えて、高級老人ホームに入ること夢見て死ぬんだろう。
安定している故に見えてしまう自分の将来、この少し広い会社の敷地の中で人生を終えるであろう現実、その恐怖に囚われてしまってからはもう辞めること以外は考えられなくなってしまった。そこからは早い、たまたま自分のやっていた職種と募集がマッチングしたから逃れることができたけど、本当だったらこの歳で逃れることは難しかったと思う。前述のように賽の河原のような雑務がメインなのでとても潰しが効かないし、何よりも給与が激減する不安に耐えられない。
高校生に対してライフプラン(仕事と出産などを含んだもの)を教育するみたいな話をニュースで見たけど、これは年齢関係なく必要だなと心から思う。別に結婚とか子供とか興味は無く、食べてくために働くというのは本心として良いと思う。けれど同期同僚が結婚して子供ができて、仕事に意味や成果は無く、ただ歳だけが増えていく状況であなたはどこまで正気を保てますか?というのは自分自身によく確認したほうが良い。登山なりゴルフなり何かしら見つけられた人はそれで良いし正気を保ち続けることができると思う、私にはそれができなかった。
昭和という時代は、定職さえあれば誰もが家庭を持ち豊かで幸せになれるという幻想を皆で信じていたから実現できた神話だったんだと思う。家族がいれば多少の理不尽にも耐えられたし仕事に魅力が無く潰しが効かなくても何とかなった。けど平成が終わるこの時代に神話はもう死んでいた。
私は辞めることができたからまだ良い、けど私のような気持ちで辞めることすらできない人が、あの会社に大量に留まっているとするなら。前職に留まらず、世の中の会社や社会のどこかに、私のような人間が大量に潜んでいるとするのなら。
欧米でよくある銃乱射事件とかは、こうゆう時代の歪みから発生するんじゃないかなと思う。俺はきちんとレールに沿って人生を進んできたのになぜ幸せになれない?俺がおかしいのかそれとも社会が狂っているのか?
話が逸れてしまった。10年間よく会社に尽くしたし、会社も十分それに報いてくれたと思う、総じて良い会社だった。ただ、私は会社と同じ昭和の夢を見ることができなくなってしまった、それが退職理由。平成の終わりにこうやって昭和の夢の残滓のような会社を去ることができたのは何か奇縁を感じる。
増田は賢い人だと思う。
周りの様子で、こんな人もいるということを理解し、受け止めようとしている。
東大理三やハーバードなんかに行ったら、絶対に経験できなかったとこを、経験しているはずで、
若いうちに気づかれたのは、ある意味、貴重で大事な事だと思います。
自分は逆のパターンで、田舎->3大都市圏の流れで、本物の金持ちとか、医者家系を都会に出て初めて見ました。
都会は、貧乏人にはいくらでも上が見えて、お金がないと息苦しい、辛い、世界なんだなと気付かされました。
お気づきのように田舎では、質素に生きることが美徳のような空気もあります。
見せびらかすのは良くないことと、なんとなく教えられ、考えている人がほとんどのように感じます。
私なんかは就職して少し自由になるお金ができても、数万以上の高価なものを買うとき、うっすら罪悪感すら覚える始末です。
都会では、のし上がっても、目立とうとしても、周りにいくらでも上があるので、真の意味では目立っていないように思います。
人間の数が減るということは、そういうことです。