はてなキーワード: ブログ記事とは
そう訴えていたブログ記事が消えていた。
なにかしら炎上したのか…??いやなにか心境の変化か。
1.顔がおしり
(しゃべっていても肛門が喋っているようだ、不潔、とのコメントがある)
ただ、あのおしり探偵はお尻のような顔であって口から放屁するものの、もはやそれはゲップ…。
どっちみち下品ではあるが、おしり探偵はご両親も同等の形状のため、そういう生命体である。
おしりと言っている箇所も彼らからするとほっぺであるかもしれない。
2. とくになし
それ以外ないんだよなぁ…。
むしろ、コンテンツとして優秀な分、「なぜお尻にしたんだ!?」と1が攻められている(ごく一部さ)
どんな良質なコンテンツもターゲットが手に取ってくれなければ意味がない。
このため、子どもがつい手にとってしまうキーワードとして「おしり」探偵を選択したのかと推察している。まあ、この点は下ネタだよね。
実際、うんこドリルはこの観点からして成功している(おしりたんていはコンテンツとしては2007年くらいからしており、息が長いようだ)
手にとってみれば楽しい、面白い、ゆえに息の長いコンテンツとして愛されている。
おしり探偵は紳士である。放屁することが凶器であると理解しており、ちゃんとオナラする前は『しつれいこかせていただく」との前置きがある。
あとうちではオナラの前には断ること、でたらごめんね、がわりと定着した。
別にオナラは悪いことでもない。この微妙なラインを教える時にちょうどいい。おしり探偵、オナラしてもかっこいいしな!!
児童書はよんでないが、絵本は一通り読んだ後にもう一度読んで、さらに謎々や追加の〜探し要素があってよかった。
アニメもそうだが、同じ街であの話で出てきた子がここで?!みたいなかんじになるので、割とどこから読んでも大丈夫になっている。
うおおおーーっ!
まさsikuそれです
ラーメンライス麺抜きおかず付きとしてのダルバート沼 - 太陽がまぶしかったから
探してくれたでいだらさんまじでありがとう。でいだらさんでいだらすぎてまじででいだら。、、
あなたはでいだらですけど、ぼっちなんかじゃなくて増田とはてなを盛り上げる英雄にして先導者ですよ!!
しかしながら、私のkぃおく違い甚だしくて恥ずかしいでありますよ。
ほんの1か月ほど前の記事だったなんて、しかもスリランカカレーではなくてネパールカレーのダルバートだったよ。
記事中にリンクを張っている過去記事が2015年だったのでそれと混じって記憶いたのかな?
天下一品の「こってり」はスープカレーである - 太陽がまぶしかったから
ビーフンを短くカットしたかのように長い形のタイ米の食感がたまらなかったでうまかったで。
そこに、様々な具材をちょっとずつタイ米と混ぜて食べて、最後は混然一体のグチャグチャでうまさもグチャグチャでカオス的うまさでありましたよ。
うわっつ。ハイ天書nのままお例の文章を書いていたら誤字がひどすぎるけど、私のパッションをそのまま伝えたいからこのまま追記します。
でいだらさん b:id:daydollarbotch まじでありがとう。!!
「家系ラーメン スリランカカレー コラム」とかで検索しても出てこない。
そのコラムにおいては、筆者は家系ラーメンをライスと一緒に食べるのが好きで、どろりとした家系ラーメンのスープとチャーシュー・ほうれん草・海苔などの具材とライスがあれば麺はいらないという結論に至ったという。
だから、濃厚なカレールーと豊富な具材を有するスリランカカレーは、実質的に家系ラーメンと同じとのことだ。
上記のことは私が朧気ながらも記憶しており、個人のブログで掲載されてたことはかろうじて覚えているものの、筆者が誰なのかは覚えていない。
5年程前にバズったブログ記事であり、ブクマ数もそれなりについていたから覚えている増田・ブクマカもそれなりにいると思うので、ここで尋ねてみる。
https://github.com/lvnkae/blog-collection-filter
など。
例)
<>宇佐美 *定満
宇佐美定満
宇佐美 定満
宇佐美 定満
宇佐美 定満
等、姓名間にスペースが0個以上ある定満はを含むツイートを削除
URL | 概要 |
---|---|
https://blog.livedoor.com/ | ランキング、ブログ速報、カテゴリ、編集部の「推し」、おすすめブログ、ブログ速報 |
https://https://blog.with2.net/ranking/ | ランキング、新着記事 |
https://*,blogmura.com/ | ランキング |
各種ランキングからまとめサイトやコンビニ漫画系(嫁姑、DV、サレが云々)が消えてスッキリ。
しかしランキングサイトはまとめサイトに汚染されていたのだった
今どきはLINEに登録してスマホからブログ見るのが主流と聞き、需要は少なそうですがゼロでもないはず、と思い公開することにしました。amebloのことは忘れましょう。
あれば
https://ishikawayumi.jp/metoobunshun/
twitterで完全にバーサーカーと化して、ひたすら理不尽なことを言い続けていた石川さん。
Twitterをやめてしばらくしてからこうやって落ち着いた状態で記事を書いたらまともな事を書ける人だったのだなと新発見。
Twitterで暴れていたころはブログ記事もひどかったので、やはりTwitterがいけなかったのだろう。
記事の内容については数年前の石川優実さんは魅力的な人だったらしい。少なくとも榊さんがリスクを冒してでもこの女とヤリたいと思えるほどに。或いは榊さんがただの脳みそチンポ星人なんかもしれんが。それで性的被害にあった。石川さんは今までこういう自分が受けた性被害から目をそらすために別のものを叩き続けてきたわけだ。
理解はできるがこういう被害を受けてた恨みを別の場所で晴らそうとするのはやめてほしい、そんなことをしても相手にされなくて当然だ。
逆に今回の件は耳を傾けるに値する。今までの石川さんは言ってることが支離滅裂ですぐヒステリーを起こす精神が壊れてる人間だったと感じていたが今回こうやって吐き出したことによって、戦うべき相手をもう一度まっすぐ見れるようになってほしい。
「なぜ自分は子供が欲しいと思うのか」の自己分析をしてるブログ記事を見かけた。それって幼少期から妊娠適齢期に至るまでの自分の脳内の刷り込みなんじゃないかと思っている。
子供時代からずっと「将来は家族をつくるんだ」「将来は自分も皆と同じように子供持つのかな」と思ってる人は子供欲しいと思うんだろうし、逆に子供時代から「将来子供つくるのとかマジありえん」「大人になったらそういうプレッシャーあるのかな嫌だな」と自分の脳内に語りかけてる人は欲しくないんじゃないだろうか。
自分は小学生くらいの頃に生とか死とかに囚われて色々考えてた時に「えっこのまま生きてたら自分は女だし将来は子供産まなくちゃいけないのか?ありえないおそろしい絶対嫌」という発想に囚われたことを覚えている。ことあるごとにその考えを思い出しては、あー子供欲しくないと思っていた。中学も高校も大学でも思っていた。妊娠適齢期になったら変わるんだろうか、、と思ったこともあったが、そのままずっと子供ほしくない産みたくない気持ちは変わらなかった。
が、これはきっと、本当の自分の性格とか向いてるとか向いてないとか本能とかでもなんでもなくて、数ヶ月おきに自分自身に子供産みたくないなとリマインドしまくった結果のセルフマインドコントロールなのかもなとおもった。そしてその脳回路は完全に固定された。感情、嫌悪感ともガチガチにワイヤリングされてるのでこの先一生変わらないのだろう。変わるか?と思ってたけど適齢期になって本当にわかった。本当に欲しくない。
子供つくらないのはわりと簡単に実現可能だからいいけど、これがもし逆で、子供がどうしても欲しいという気持ちだったら少しタイヘンだったなとおもう。ただそういう人の気持ちはわかる。自分が子供欲しくない気持ちと同じくらい強い気持ちで子供欲しいと思ってるんだろうなあと想像できる。もう脳内に刷り込まれてるのだ。だからなんで子供欲しくないの!?と言いたくてたまらん人の気持ちわかるなとおもっている。刷り込みなのだ。
私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。
そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館で南条さんの本を借りた。当時私はリスカやアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為がきっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。
本には、南条さんという人物について、また彼女がインターネット上に残したものについて書かれていた。
「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」
衝撃だった。
南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。
さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービス名から推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能なブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。
二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志で生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である。
私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身の気持ちが不謹慎でたまらなかった。
インターネットではブログサービスの代りに増田が流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。
このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。
さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。
前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。
私はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィークに旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしまい入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。
ところで北海道の運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任の先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである。
私にとってそんな小学校最後の運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨(北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧な気候の中で、小学校生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。
2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやすく説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生の教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである。
私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロアと中学生のフロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下や教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。
4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度の区切りを迎えてから数日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。
2002年4月8日の月曜日、二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。
2002年の3月末~4月初旬の彼女の日記を確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。
彼女は文学部哲学科を卒業した後、編集者・レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事を日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。
2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。
平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度の決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。
しかしその4月2日水曜日の日記のタイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手な個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事を投稿したのではないかと考える。もしくは、職場のPCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日の日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。
一投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。
しかし彼女の複数回に及ぶブログ投稿を現代の増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田(メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期の中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。
さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本からの引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人からの手紙を引用している投稿も見られる。
ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプの人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるからである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないとき」である。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitterで思考の整理を行う。なぜなら自分自身の脳内の回転及びそれによって生じる思考をインターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。
そしてなぜあえてインターネットに吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会で相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉で相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーションに挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。
彼女の本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手に彼女と自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。
ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分の作品が残るとは、そういうことなのだと思う。
2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病を発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったかと記憶している。休み時間には、情報の担当教諭がヤフージオシティーズのアカウント取得を手伝ってくれた。
やはり、当時はまだブログがそこまで一般的なものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約し個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナー(ハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通の趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。
私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有の地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。
やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitterの複垢(サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。
私は日本におけるインターネット内でポエムが馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章をポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。
このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったかと記憶している。
二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日で更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。
そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである。
人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記をありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンをシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女のことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。
断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。
冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。
もしかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要や編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったからである。
果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。
事実、書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。
文中で軽く触れたが、私にとって増田は思考の整理のためのツールとして役立っている。
私は物心ついた頃より、「この子はぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。
私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲で相談をし、さらに増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ。
私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。
果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。
今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネットで事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかしインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。
私はリアル社会の中で、絶望に絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネットに絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。
インターネットを彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。
二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女の日記のどこかで触れられているのかもしれない。
しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康な人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。
しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者がインターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。
相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情の上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名で披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。
私は自分自身の人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。
「自分自身とよく似たパーソナリティの人物の言動や思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報を医療機関で提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。
私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法でアドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。
私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的に自分自身の不幸を開示していこうと考えている。
某ピシュさんのブログ記事のタイトルが悪目立ちしてバズったけど、わたしのは本当にただの風邪だった。
独身、ほぼ在宅ワークで外出は1日1回。徒歩2分のスーパーに買い物にいってその前後でドトールに読書し行くのが日課。
ノドの違和感以外は朝から快調だったけど、昼前ぐらいにインフルエンザにかかったときのような節々の痛みに気づく。幸いにも身体の痛みは昼寝をしたら消失した。この時点で熱を何度も測っていたけどずっと36℃台で、風邪かコロナかただの疲れか判断できず、水曜日は自宅でおとなしく仕事していた。
しかし、その日の深夜から猛烈なノドの痛みが襲ってきた。嚥下できない。口にたまる唾液を飲み込むのすらつらい。断続的につづく咳でまたノドがさらに痛くなり、眠りが浅いまま朝を迎える。
ノドの痛みは継続。あいかわらずノドが痛いだけで熱はない。さすがにコロナ診察を受けようと決心し感染時の受診案内を確認した。
市のコロナ受診相談窓口に電話したのち、自分で病院に電話して予約することになっている。ふとここで手が止まった。電話する理由はなんだ?
今日は休日。相談窓口は開いているらしいが病院は休診。週明けに病院に行ったとしてPCR検査の結果判明までもう2−3日。意味あるか?
それならば軽症だしわざわざ行く必要はもうないと思い、もう電話するのをやめた。検査受けなければ感染したことにもならないし外出制限もされない。
いまだにノドはまあまあ痛いけど、我慢できないほどじゃない。
それよりも去年ワクチンの2回目を打ったときの悪寒と高熱の方が命の危険をおぼえたぐらい苦しかった。
無症候性の人、軽症の人はこんな感じで街にでてるんじゃないだろうか。
身体的な異常や不都合がないなら手間と面倒がかかるだけの診察や検査をうける理由がない。軽症だと薬もないし、まちがいなく自宅療養対象になるし、PCR検査を受けてやっぱり陽性でしたーって確認のためして病院行く理由がない。どうせじぶんで買い物行くことになるしね。
https://qiita.com/muumu/items/1da55b3c8760cec6d25c
うちの会社には有用な情報を共有するためのグループチャンネルがあって、頻繁にこういった記事がシェアされてる。そんで、この記事も「非常にためになる。皆でソフトスキルを高めていこう」って注釈と共にあるメンバーにシェアされてた。
それ自体はありがたいことなんだけど、難しさを感じたのはこのメンバーこそが「有害な振る舞いをする人」とチームで認識されてる人なのよね。指摘に対してすぐ怒りを滲ませ反論する、やり方にこだわりがあり周囲のペースに合わせない、攻撃的なメッセージをチャットに投稿する、等、自分も正直あまり関わりたくない。
ブログ記事を読んで自分は真っ先にこの人が思い浮かんだのだけど、当の本人は周囲のソフトスキルの低さを懸念してるのだと思うと(はっきり言ってそのメンバー以外のソフトスキルは高い)、ああいったメッセージは届けたい人には届かないんだなと改めて感じた。
これ。
https://mgkkk.hatenablog.com/entry/2021/02/25/221556
書いたのは好きな漫画家さんで、過去のブログ記事を読んでいたら見つけた。
とくに共感したのは、この部分。
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これは一般化はできない話だと思うんですけど、少なくとも僕は「男たるもの女にこう接するべき」という話を女の人からとにかくされまくっていました。そして、僕があまりその男像に合わせられないことでひたすら叱られていました。それが知り合いぐらいなら距離をとればいいだけの話なんですけど、付き合っている相手とかになってくると、もはや逃げ場がなくかなりしんどい気持ちになってしましました。
僕は結局その人たちの望むように変わることができなかったのですが、それは向こうからすると僕がカスなんだという話なんだと思うんですけど(そもそも人間関係は歩み寄りなのでそれができない僕に良くないところが当然ある…)、それでも僕はどうしてもその人たちの望むように振る舞うことができなかったということがありました。
そのような関係は最終的に、僕がどれだけダメかという説教&罵倒をくらって人間関係が壊れるので、とにかくキツい気持ちになっていた覚えがあります。
「こういう男はダメ」という言い方で、とにかく「自分たちの言うことを聞かないと、アナタを低く評価します」という態度をとられることを当時は繰り返されたので、そういうふうに扱われるがマジで無理だなと思っていました。それを引きずっているのか、中年になった今でも、女の人のことは基本的に怖く感じてしまいます。
そうなってしまったのは、人と仲良くなっていく過程で、男の人相手よりも、女の人相手の方がこちらに踏み越えてくることが、早くて大きかったことが多かったからかなと思います。これは異性だからかもしれません。こういうことも一般化はできないでしょうし、僕の社会性が乏しく拙いというのが、そうなってしまった主因なんでしょうけれど、とにかく、「女の人には怒られる」というトラウマのようなものがあり、その後、女の友達ができても、この人もそのうち僕を怒るのだろうか?ビクビクしてしまっているところがあります。
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大学生のときにバイト仲間から「女なのに料理しないなんて引く」と言われたことが未だに忘れられないのと、異性と仲良くなる過程で一方的に女らしさを押し付けられて関係が終了したことが何度もあるので、「男たるものこうあるべき」は男性も困っているんだと知れてよかったです。
大体こうゆう押し付けをする女性って、男性経験が乏しいから世間一般の価値観とか自分の両親から受けた影響みたいなものを相手に求めてしまいがちなんですよね。
男慣れているというか、男性経験豊富な女性は色々な男性と付き合って色々な男性が世の中にはいるということを知っているから、あまり男性に理想を押し付けない傾向があると思うんですよ。
理想に近い男性を探して付き合うか、付き合った男性にうまく「わたしはこうゆう男性が理想だからあなたもこうなってほしい」と交渉できるテクニックがある(だから色々な男性と付き合える)ので。
まぁ、もちろん経験豊富な女性の中にも付き合った男性に理想の男性像を一方的に押し付ける女性はいるとは思いますが…。
なので、男らしさを押し付けられたくない男性が理想の男性像に縛られている女性と付き合うと地獄かもしれないです。
というか、ちゃんと話し合いができる相手かどうかが付き合う上では大事だよ、という話かもしれません。
わたしも女らしさを押し付ける男性が無理なので、三次元男性との恋愛は避けていて、結果的にそれで幸せなので、生きづらい男性も男らしさから降りてほしいと心の底から思いました。
「男性皆殺し協会」について再度議論される~一方で関連のHPやまとめ、次々閲覧不可能に。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1798749
まったく意味が分からないまとめなのに、女を攻撃できるなら何でもいい連中が集ってるのか。北村氏には何も不適切な点はないよ。
そんなのに興味ないのだが、その協会とやらに反対しないと、男性が皆殺しされることに賛成したことになるの?だとするなら、何かがいろいろ間違ってる。
「男性」はマジョリティなので、とりあえずヘイトスピーチにはなりえない。なるとすれば他の罪。で、罪になるかどうかは、内容が風刺として受け入れられるか、社会問題の提起として機能しているか次第。
また反フェミニストの人たちが捏造してsaebou氏を中傷してる。反フェミニストの連中の卑劣さ、異常な攻撃性を心の底から軽蔑する。反フェミニストの人たちは自分の「正義」を疑わず、発言を捏造して中傷する連中。
うーん、ちょっとずれるけど、女性が最も取り上げられてる権利の一つに「露悪的である権利」「露悪を楽しむ権利」があるなと思った。こうやって話ねじ曲げられて叩かれるから必要以上に真面目になるしかないんだな
くだんのブログ記事を目にしたときは憂さ晴らしのジョーダンくらいに受け取っていたのですが、ちがうのですか? ツイッターでのことは経緯見てないのでそことの絡みは自分には分かりませんが。
「男性根絶協会マニフェスト」の内容が「楽しい」と言ってるわけではなく、「セックス」で検索してブログにくる人がマニフェストの翻訳を見て「びびる」のを想像して「楽しい」と言ってるみたいだけど。文脈切り取り
これまで、
https://anond.hatelabo.jp/20210828113740
https://anond.hatelabo.jp/20210918200735
とこき下ろしながらも様子を見ていたが、当初の売りだったはずのChromium派生のブラウザを諦め、Firefoxベースのブラウザとなるようだ。当初の「2022年までしかサポートしない」発言はどこに行ったのやら。
https://blog.ablaze.one/786/2021-11-11/ より。
Chromiumを採用しなくなったワケ
結論、Google API や Chromium の機能が原因です。 (中略)Google 側としては、 Chrome のシェアを伸ばしたいので、Edge に対してなんらかの形で Chromium から機能制限をかけると私は予想しています。
具体的には次が挙げられます
- Chrome ウェブストアが Chrome 以外の Chromium 派生ブラウザで使用禁止になる
- FLoC 強制オン
- Google サービス関係の利便性低下(YouTube、Google Drive、Google ドキュメント etc…)
- 広告ブロッカー無効化
(中略)Google は現在、独占禁止法で裁判にかけられており、負けた場合、(中略)Chromium というウェブの世界になんらかの規制をかけてもおかしくありません。
のように理由が挙げられているが、言い訳を自分の都合のいい方向に持って行っていないか?これらはFloorpをリリースする前に検討すべきことであって、リリース時点では多少であっても対策しているべきものである。
ので、Edgeにほとんどダメージは受けない。本気でEdgeを開発終了に追い込ませるなら、Chromiumを開発終了させてChromeだけをクローズドソースで開発すれば良いわけだが、オープンソース文化を破壊することになるし、Edge側もChromiumに貢献している部分があり簡単には止められないだろう。
もちろん、個人の寄せ集めでは難しいレベルにはなってきているし、当初に思った以上に面倒なことになるからFirefoxに浮気したのではないか。
これだけあっさりとChromium派生からFirefox派生へ乗り換えたのは、上記のブログの記事にある理由よりも、どちらかと言えばKinzaのパッチ適用が想像よりも遙かに難しかったからだろう。コーデックの問題がどうにもならなかったからもあるだろう。それと開発者が受験という一生を左右する大事なイベントを迎えて、Chromium派生をメンテナンスする人が誰もいなくなるからではないのか。それらをなぜ正直に書かない。まあ当事者だったら書きたくないわな、そんな都合の悪いこと。
これまでのChromiumベースとは使い勝手と全く異なるFirefoxベースとして作り直している最中で、独自機能を追加していくことになるだろう。独自機能が果たしてFirefoxのアドオンで十分まかなえる機能にすぎないのか、その範疇を超えるものなのか。革新的で軽量なブラウザー(自称)はFirefoxベースでも宣伝するつもりなのか、Fireminだけ入れておいて「最軽量」とまた言うつもりなのか。
自分が過去にどのように考えて投票したかを書き残しておいて、後から見直すと面白そうだなと思ったので増田に投下しておく。
筆者の属性としては20代後半男性・インドア派・いわゆるオタクでゲームが好き。
基本的に各候補者についてインターネットで調べて投票先を決めた。前回の総選挙の時と比較すると、コロナの影響もありフルリモートでの勤務になったので、駅前での演説みたいなのには全く触れる機会がなかった。わざわざ人の多いところに行きたくもないし......
ホームページの政策集が読みやすくて好感。内容もまあそうだねという感じ。かなり防衛副大臣・外務副大臣・安保委にいたんだなあというのをすごく感じる。
オタクとしては「内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、クールジャパン戦略、知的財産戦略)」なのにクールジャパンには触れておらず、知財関連も内容が薄いのは気になった。
政策集がないのはどうして......
コラムとかの内容は面白いところもあるし、ブログ記事を見ると政策の内容も掴めないではないが、若宮健嗣のHPを見た後だと情報が掴みにくく感じた。まあ幹事長代理だから立憲のホームページ見ろという話なのかもしれないが......
やっぱり情報を簡単に掴める方が楽なので、次の選挙までには改善されてるととても嬉しい。
公式ホームページは読みやすいが、トップページの6つの政策と、政策の詳細の番号が一致していないのは少し混乱した。
なんだかんだワクチン接種に力を入れて、コロナが落ち着く状態に持っていったというのはかなり好感。
一方で、桜だとかなんだとかのそれ自体の是非はともかくとして、情報公開が進んでいないというのは評価が下がるポイントだった。
民主党の流れを汲んでいないこともない党として、情報公開という面では期待ができそう。例えば事業仕分けもやりすぎではあったし個人的には嫌いだが、プロセスの公開という意味では評価できるポイント。
一方で、本多議員のゴタゴタとかもあって、現状の立憲にプロセスの公開をするという意思があるのか?というのは相当不安なところとなった。
あと共産と手を組んでいるということで投票先としての優先度が下がった。
前回の比例は共産だったが、オタクなのでアニメゲームの規制をどうこうみたいなことを急に言われると流石に入れたくなくなった。
先程の共産の件でもTwitterで反応していたりと、結構身軽に動いているなというイメージ。政策に特に不満もないが、まあめちゃくちゃ実績があるわけでもないという認識。
とはいえ、自民の情報公開に対する姿勢には不安もあるし、今回は国民に入れるか、というくらいの考えだった。これで無茶苦茶をしたら次回は違う党に入れるということで。
そう思うようになった理由がほんと変。
十数年前に、Webで二次創作をすることを私は覚えた。同人活動という趣味があることは、もっと子供の頃から知っていたけど、顔の見えない相手と交流しながらそれをやるという事は、自分のパソコンを持つまで知らなかったのだ。たぶん2008年くらいの事だったと思う。
その翌年くらいにpixivが二次創作オタクの間で爆発的に人気になって、民族大移動みたいに個人サイトからpixivに移っていった。当時の、個人サイト衰退末期くらいの頃に、私が「二次創作活動」が嫌いになった原因がある。
携帯無料ホームページサービスにて、自分の二次創作サイトを初めて持った時には、それなりに楽しんでいた。だが、ジャンルを通して交流の幅を広げていく度に、なんか変だな? と気づいた。ジャンルの人達、猫も杓子も「かの国」の悪口をブログに書き込むのだ。日常雑記に隙あらば「かの国」disを書き込む。創作をサボり萌語りを休んでも、「かの国」disだけは休まない。要は、ジャンル全体が広く浅く時にはかなりディープにネトウヨ化していたのだ。
二次創作という趣味の場で、それとは全く関係のない政治活動が活発に行われている。それ自体が私にはとても不快なことだった。私はネットの門戸が一般人にも開かれた時の2ちゃんねるの文化に浸かり込んだ人間ではない。けれども、同世代や自分よりも少し上の世代でネットにずぶずぶの人達が、2ちゃんねるを通して右翼思想にどっぷり浸かり込んでいることは一応知っていたので、まぁそういう人達とWeb上の二次創作オタクの多くがカブっているのだから、二次創作界隈が右寄り(一時期はスーパーライトだったと思うけど)なのは仕方のないことなのかと諦めた。
毎日のようにジャンルの仲間達のお友達サイトを見てまわる日々。多くの二次創作者がブログに脈絡もなく「かの国」disを紛れ込ませているのを目撃する日々。そんな日々の中で、最高にヤバいスーパーライト二次創作オタクのサイトを発見してしまった。ブログ開いて秒でそっ閉じ。一目見てコイツはヤベェと思うくらいの極まりっぷりだった。一体何がこの人を突き動かすのだろう? と疑問がむくむくと膨れあがった。当時は何だかよくわからねぇがヤベェなこの人……と思うだけだったけど、今思えばあれは一種の布教活動のようなものだったのだろう。おかしなブログ記事の数々は気の触れた者のご乱心ではなく、わざと信者獲得のために書かれたもので、二次創作の方はメインではなく釣り針だったのではないだろうか。
同ジャンル者のサイトを転々と見ていくと、ジャンルのオンリーイベントの記録なんかが出てくるわけだが、キレキレスーパーライトのブログ主が、あんなにヤベェ言動ばかり繰り返している割に、他人から遠巻きにされるどころかむしろジャンルの中心でカプとか関係なくちやほやされており、記念写真のど真ん中に美少女のコスプレをしてダブルピースで映っていたりする。アフターにも勿論参加していて、他のジャンル者とキャッキャと交流しているのがわかる。
だが、スーパーライトはスーパーライトとしての活動の手を弛めることはない。時々怖いもの見たさでその人のサイトを覗いたが、常にガンギマリ状態で一つもぶれないようだった。
そんな人を平然と受け入れるジャンル。懐が深いとか、器がでっかいとか、言えるのかもしれない。が、些細なことで揉めては敗者を叩き出しているので、別に緩くて平和という訳でもなかった。
ずっと、もやもやとした居心地の悪さにつける名前もなく、何となくこいつらと一緒にされるのは嫌だと思い続けてきた。だから私は二次創作はするけど二次創作を通して他人と交流することはろくにせず、書いた作品をpixivに投げ捨てるように投稿するくらいだった。
最近、ネットニュースやはてブを見て色々思うことがあった。色々端折って結論だけ言うけど、二次創作界隈という境界のぼんやりとした集団というのも、何か別の活動に使おうと思えば使えるのであり、ただ推しカプのエッチな二次創作が見たいという助平な私欲の為にポリシーも捨てるという人が多くいたりする、ということなんだと思った。
そうとわかったので、二次創作からは本格的に足を洗うことにした。
なんかさあ、これまでのセクハラ事件に比べると事実関係の証拠が乏しいように思うんだよね。
確かにはんつ遠藤のブログ記事は気持ち悪いし自白もしているようにも読めるんだけど
あれは本人的には事件性のあることはしていないから冗談めかしているようにも見える。
両者の話で整合性があるのは人妻シリーズに載せる写真を断られたってことくらいで。
SNSに載せる写真撮っていいですか、お断りします、というやりとりくらい普通によくあるし、
まあ、それが写真を撮られることに神経質になっている元アイドルということで同情すべき点はあるんだけど。
ニュアンス次第という感じはある。
たとえば、録音した音声とか同席者の証言があれば証拠になるのにそういうのが全くない。
個人事業主なのに専務を自称する人が同席したとか、どういう経緯で自分の店で会食することになったのかとか
その辺も謎。
それにしても本気で刺すつもりなら、大森靖子のパワハラ音声くらいの証拠あげられたんじゃないの?
別のラーメン評論家S氏とのやりとりも、一方的な被害者というには弱いし。
なんていうか、嫌な思いをしたのは多分本当なんだろうけど、微妙な本人証言をもとに
先入観で気持ち悪い側をセクハラ認定するのにちょっと怖さを感じてる。
いまのところ実際に起きたのが微罪なのか重罪なのかの判断つかなくね?
デブでコミュ障でマウントしがちな中年男性だって、無条件で気持ちよくフルスイングで殴っていいわけじゃなくて
犯した罪に応じて適切な力で殴られるべき。
は事実関係の明確化を第一として,説明義務を怠った責任を認め、被害者への無思慮を反省する内容になっている。
内省的な描写は省かれており、おそらく受ける印象は異なると思う。ざっと翻訳したから日本語の謝罪文と比べてみてね。
2021年7月、学生時代に同級生をいじめていたと雑誌のインタビューで過去に発言したことが報道され、東京オリンピックの開会式のクリエイティブチームを辞任しました。オリンピックが終わった今、事実関係を明らかにしたいと思います。
きっかけとなったのは、今から27年前(1994年と1995年)に『ROCKIN'ON JAPAN (1994年1月号)』と『QUICK JAPAN (1995年8月号)』という2つの雑誌に掲載されたインタビュー記事で、私が小中学生の頃に経験した学校でのいじめについて語るという内容でした。
大々的に報道された『ROCKIN'ON JAPAN』の見出しには、私がクラスメートに糞尿を食べさせたり、自慰行為をさせたりしたと書かれていました。私は同級生にそのような行為を強要したこともなければ、そのような提案をしたこともありません。
インタビューの中で、私は自分の成長過程や学校に通った経験について話しました。
その中で、小学校からの帰り道、クラスメイトの一人が道端に落ちていた犬の糞を「食べられる」と冗談で言い、拾って口に入れ、すぐに吐き出した話をしました。その行為を行った彼本人を含め、そこにいた子供たちは皆笑っていました。
もうひとつの話は、同級生に自慰行為を強要したことですが、これもやっていません。加害者は年上の上級生で、私たちに威圧感を与えていました。私はそのインタビューの中で、学生時代に自分のモラルの限界を超えた非道な暴力を目の当たりにし、その人たちから距離を置くようになったことを話しました。
インタビューではそのようなことを話しましたが、掲載された雑誌には「同級生に暴力を振るった」という誤解を招くような見出しがついていました。事前に『ROCKIN' ON』の原稿をチェックすることができなかったので、記事を目にしたのは発売後でした。事実と異なる内容にショックを受けましたが、当時の私には訂正すべきだと考えるに至るほどの分別がありませんでした。今にして思えば、『ROCKIN' ON』で直接、誤解を解いておけばよかったと後悔しています。
『QUICK JAPAN (1995年8月号)』のインタビュー記事で、いじめをテーマにすることに同意したのは、私が誤った情報を正したいと思っていたからです。いじめをテーマにした出版社の企画や意図は、現在の私の理解では、被害者や同じ立場の人の気持ちへの配慮を欠いた非倫理的なものだと思います。しかし、当時の私はそのようなことは考えずに取材に応じ、自分が子供の頃に目撃したことを話しました。
この2つの雑誌が出版された後、あたかも私が陰惨な暴力行為の加害者であるかのように編集されたブログ記事が掲載されました。『QUICK JAPAN』のインタビューでは、暴力行為は私が行ったものではないと明確に述べられているにもかかわらず、この誤った情報は様々なフォーラムやSNSで拡散され、現在ではほとんどの報道のニュースソースとして使用されています。
私は、この2つのインタビューにおける私の話し方が下品で不適切であったことを完全に認めています。このような恐ろしい出来事を持ち出したこと、そして、いじめ被害者の個人的なトラウマを世間に晒すことでいじめ被害者に与えることになる屈辱、痛み、苦しみへの無思慮について、関係者の皆様に心からお詫び申し上げます。
20年近くにわたってインターネット上に流布していた私についての誤った情報について、説明や訂正のための適切な行動を取らなかったのは、私自身の責任であると考えています。その結果、同級生やそのご家族、同じ経験をされた方々に二次的な被害を与えてしまったと考えており、本当に申し訳なく思っています。
恥ずべき私の過去の態度が表れてしまった、過去の私の行動、および記事の中での言動を、深く反省しています。この20年間、私はより広い視野で物事を考え、社会との関わり方や貢献の仕方を意識するようにしてきました。今後は、個人として、音楽家として、これまで以上に反省していきたいと思います。