はてなキーワード: あやふやとは
わたし、双極性障害を患っているんですよ、それほど重くはないんだけど。大体1年周期で躁と鬱を行ったり来たりする。
冬は鬱、夏は躁。
薬を飲んで躁も鬱も抑えてはいるのだけど、それで感情の波はあるわけで。
イライラしたり、悲観的になったり、新しいことを始めたくなったり。
しかし、それらは病気が見せる妄想のようなものだったりもするわけですよ。
だから自分の心に波風が立つたびに、はてこれは自分の本心なんだろうか、病気のせいなのか、はたまた薬の副作用なのか、と自問自答しなければいけない。
で、そもそも本心って何?とか、考え出すと迷路の中に迷い込むわけです。
自分の考えていること、感じていることが信じられなくなると、なんか世界もあやふやになっていくわけです。
この話にオチなんかない。
結構前に見た
ネットリテラシーだか炎上騒ぎだかについて「情弱」側として書いた個人ブログの1記事なんだけど
そこに書かれてた
「私はツイッターやフェイスブックというものは知ってるけどインターネットなんてものは知らない」
みたいな記述にすごく衝撃を受けた
ネットリテラシーを語る上で
携帯電話(スマートフォン)の急速な普及等により激増した「新規」と言われる人たち
今まで根暗オタクの掃き溜めだったインターネットに大挙して押し寄せてきた
インターネットを現実の、フェイストゥフェイスのコミュニケーションの延長のように使う人たち
「ツイッターやフェイスブックは知っているけどインターネットというものは知らない」
という言葉はすんごいしっくり来た
もう一度その原文を読みたいんだけど
どうしても見つからない
誰か知ってる人教えて欲しい
※追記
まさにそれだった
元増田です。
そういうことはあり得るかも知れない。
ただ、それを理由に「信仰を捨てる(信仰しない)」という風に考えるクリスチャンはほとんどいないと思う。
個人的な考えだけれど、キリスト教の信仰というのは、あやふやな神の存在を能動的に「信じる」ものではなくて、歴然と示された神の存在を受動的に「受け入れる」ものなんだと思う。
当人にとって、神の存在は純然たる事実のレベルなので、信じるも信じないも、もはや選択の余地がないんだよ。
だから、仮に日本でキリスト教を信仰することに何らかの問題(愛の理念から離れる、とか)があると感じても、まずは信仰の範囲内で解決策を模索する方向にしか思考が向きようがない。
この辺りの感覚が、まさに日本人にキリスト教が理解されにくい理由の一端だと思う。
一応補足しておくと、もちろん上記の疑問をキッカケに、神の存在自体に疑念を抱いて、結果として信仰を捨てるクリスチャンはいるかもしれない。
ただ、神の存在を確信したままで、それでも信仰を捨てるというチョイスを採るクリスチャンというのは相当レアなケースだろうと私は思う。
生命保険会社の営業の「ライフプロデューサー」という職種を受けに行った時、数百人の名前を書き込める名簿を見せられて
「この名簿に周りの人の名前、住所を書き込んで、その人に保険を売ってこい(大意)」
と言われて、ああこういう仕事なんだなと思った。
「この仕事の一年の退職率は、9割(具体的な数字はあやふやだけど、凄い退職率なのは覚えてる)」
と言われて、すぐに、大半の人が辞めていくんだなと思った。
生命保険の営業を受けに行ったけど、給与体系はどこも同じで、大抵、最初は「固定給+インセンティブ」だけど、「固定給」が減っていって、「インセンティブ」だけ残る。
としきりに面接で聞かれた。
化粧が嫌いだった.
より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.
第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.
そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.
思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.
大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.
美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.
人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識)ときはたとえば風景な無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.
話がずれた.
雑誌モデルなどについてはどうだろう.
確かに彼らは美しいような顔をしている.
彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランスの問題だと思われる.
彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.
彼らは芸術品だ.
相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.
人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.
そういうひとが一般的に美人だと認識され,掘り出されて芸能人やモデルなどになっているわけだ.
おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたしは芸能人の名前を覚えられない).
化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.
芸術品になりたいわけでもあるまいし.
猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.
第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身の価値観や美意識を大衆側に捻じ曲げなければならない.
それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.
マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.
そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.
その上で,どうすればそういう要素の自分の顔面に再現できるかを学習し,実践しなければならない.
それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.
生意気は死だ.
思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.
そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.
それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在に自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.
それが大人になるということだとしても.
第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.
薬事法を逸脱してはならないがために生まれたあやふやな表現の数々.
コラーゲン,ヒアルロン酸,プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.
当たり前だ.
人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.
なので保湿はメリットがある.
ただそれだけの話.
「睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.
たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境の破綻が起こっている場合,自助努力の効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).
そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.
「化粧をしていないものには死を.
肌が荒れている? 生ぬるい.
このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.
「わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.
思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題が改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.
しかたのない話だ.
肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色の形態をとるようになってからの歴史は存外短いのだから.
分かっていないことの方が多い.
結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.
なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.
「救われぬ」状態が少なからず存在する以上,社会が求めるボーダーはもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.
なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.
それが基礎化粧品だ.
社会悪だ.
吐き気がする.
使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか!
そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体を意識してしまう自分自身の矮小さへの憤りだった.
そうと気付いてからは世間体ではなく自分自身が価値あるもの,好きだと思うものを意識して大切にするようにした.
重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人を否定しなくても,自己の同一性を維持することができる.
それは心の平穏に繋がった.
他人を称賛することもできる.
そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.
化粧をした自分の顔は好きだ.
周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.
熱意はたかが知れている.
そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.
無理をしたって仕方がないのだ.
だいたいなにか目的があるわけでもない.
わたしはわたし自身の幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.
ファッションなどもそうだ.
化粧が嫌いだった.より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.理由はいろいろある.第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識)ときはたとえば風景な無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.顔というのは社会活動に必須なアイコンだからだ.だから人間の顔は美しくはないが面白い.話がずれた.雑誌モデルなどについてはどうだろう.確かに彼らは美しいような顔をしている.彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランスの問題だと思われる.彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.彼らは芸術品だ.相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.そういうひとが一般的に美人だと認識され,掘り出されて芸能人やモデルなどになっているわけだ.おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたしは芸能人の名前を覚えられない).化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.それは相貌認識の理屈に合わないので納得できない.芸術品になりたいわけでもあるまいし.猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身の価値観や美意識を大衆側に捻じ曲げなければならない.それが面倒くさくて,とびきり惨めな気分になるから嫌なのだ.それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.その上で,どうすればそういう要素の自分の顔面に再現できるかを学習し,実践しなければならない.それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.生意気は死だ.思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在に自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.それが大人になるということだとしても.第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.蔓延る似非科学.薬事法を逸脱してはならないがために生まれたあやふやな表現の数々.コラーゲン,ヒアルロン酸,プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.当たり前だ.人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.乾燥していることは肌には負担だ.なので保湿はメリットがある.ただそれだけの話.「睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境の破綻が起こっている場合,自助努力の効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.「化粧をしていないものには死を.肌が荒れている? 生ぬるい.それはあなたの努力不足だ」.このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.とんだ生存バイアスだ.「この商品が効きました」というレビューがある.「わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題が改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.しかたのない話だ.肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色の形態をとるようになってからの歴史は存外短いのだから.分かっていないことの方が多い.結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.「救われぬ」状態が少なからず存在する以上,社会が求めるボーダーはもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.それが基礎化粧品だ.カルト宗教じみている.社会悪だ.吐き気がする.使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか!
そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体を意識してしまう自分自身の矮小さへの憤りだった.そうと気付いてからは世間体ではなく自分自身が価値あるもの,好きだと思うものを意識して大切にするようにした.重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人を否定しなくても,自己の同一性を維持することができる.それは心の平穏に繋がった.他人を称賛することもできる.そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.化粧をした自分の顔は好きだ.スポンジのように様々な知識を収集した.こうして自分のコンプレックスは一度終わりを告げたに見えた.
けれど問題は,技術が稚拙であるということだ.周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.熱意はたかが知れている.そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.無理をしたって仕方がないのだ.だいたいなにか目的があるわけでもない.わたしはわたし自身の幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.ファッションなどもそうだ.女性社会は以前ほど嫌いではなくなったが,化粧は技術が難しいし金がかかるし手も汚れるので,やはりめんどくさいなあと思う.一周回ってこういう結論にたどりついた人間がいてもよいのだ,と思うことにしている.
未だに一昔前の大学観で大学を語ってる人いい加減にしろよ。まず自分の大学知識が今も当てはまってるのかを確認してから語って欲しい。
「その大学にそんな学部はない。よって騙りだな」とか言う前に大学のホームページぐらい見るとか。
資格が取れるかどうか、取れるにしてもどう取るとか、そういうのだって数十年前どころか数年で変わっても可笑しくない。
再確認をしていない、あやふやな知識で人をバカにするのは明らかに不適切だと思う。
これは大学個々の話だけではなく、大学同士のランク差とかにも言えるからな。単に上か下かとかだけじゃなくて、どれぐらい上なのかとかそういうのも。
あと、「大学全入時代」であることも意識して欲しい。馬鹿な高校だから大学は絶対に行かないはずだと勝手に決めつけて、馬鹿な高校の受験生を異常者と決めてかかるとか
今の時代ではほんとにありえない。
ゲームとしてのダンガンロンパ最新作だったV3ですね。えー、やりました。もう結構某所とかで言われてるみたいなんですけど最初に私も同じこと言います。
オチが酷い。
プロローグ、1章〜6章、エピローグといういつもの構成だったんですが正直申し上げますと5章終了ないし6章クロ当てまで進めたらそこでプレー辞めることを推奨します。それ以上進めると「それ以前のダンガンロンパシリーズの記憶」を破壊されます。マジで。書き換える、のがわかりやすいかな〜ゲーム内容的にはな〜...
「V3は新章で別だって言ってたじゃん!」との声、普通にあると思います。私もその情報が事前にあったのでアニメ3でぐちゃぐちゃになった世界とは別!と思い購入しました。"嘘"がテーマであることで物語がどのような発展をみせるのか気になりましたし。単純に偽証システムが見てみたかったのもありますが...
率直に言うと「世界観一新」は"嘘"ですね。ダンガンロンパチームの。だからといってシリーズ経験者にお薦めできるかというとNOですし、しかし新規が入りやすいわけではなく踏みいれれば過去作のネタバレと価値の不法投棄を目の前で行われることになります。端的に言ってお薦めできません。とある人物周りの伏線回収も現状ではずさんだったとしかいえないでしょう。
受け止めかたの問題だ!冷静になれば面白い!とかいう意見に対しては、6章クロ当てからの一連の流れは製作者からの悪意がふんだんに織り交ぜられているために絶望よりも不快感がこみあげてくるものになっていて、肝心の伝えたかったであろうテーマにまで泥を塗る結果になっていた、とだけ言っておきます。私個人としては様々な不可解な状況証拠から"黒幕の台詞は多くが嘘"という結論に達したので全否定するつもりはありませんが、確実な真実への道程を作中で示さず全てをあやふやなままで終わらせた時点で世に出す作品として中の下だったということは変わらないと思います。
では問題のオチ以外、つまりプロローグ〜5章まではどうだったかといいますと、過去作に比類する出来だったのではないかと私は考えます。トリックに一部引っかかりを覚える部分もないとは言い切れないのですが基本的に破綻せず進行しているように感じました。キャラ描写は...その......勿体ないな〜と思わなくもないのですが通信簿があることを踏まえれば5章までは良作の部類だったかと。5章まではね...イヤほんと5章で終わっておまけ要素解放されてたら雑な神ゲー認定してたな......気に入ったキャラ結構いたし.........
いつまでもシナリオの話しててもしょうがないので学級裁判のシステム周りについての感想にいきたいと思います。
まずは今までのコトダマ論破に「V論破/賛同」が追加されました。R長押しで精神集中すると色つき主張に「ウィークポイント」となる赤い点が浮かび、そこを上手く撃ち抜くとV論破達成となり、得点があがるという本作のアクション成分をアップさせる要素となっています。さらに直後の台詞等も少し変わる...らしいのですが2周めをまだしていないので詳しくはよくわかりません。
次に「コトダマの偽証」。△長押しで選択されていたコトダマを"反対の意味"のコトダマ(=ウソダマ)に変えることができる要素が追加されました。このウソダマを正解となる相手の発言に撃ち込むことで「偽証」が成立し、停滞した議論に開拓の道を示すことが可能となります。もちろんこれも「V偽証」することができます。
ウソダマを使用するにはデメリットがあるものの正解に撃てば帳消しになるので、タイミングがわかれば気軽にでき適度に学級裁判を盛り上げてくれました。まぁだからといってそれでシナリオの大きなルート分岐もなければ事態の核心に迫れるわけでもないので勿体ない使い方してるなとは思いましたが......
「議論スクラム」について。参加者内で意見が2つに割れ、裁判の円滑な進行が阻害されたときに発生します。その時点での各キャラクターの立ち位置や意見が全てわかるうえ、相手の意見とパズルのように合致させまとめて論破できるので爽快感が強く、また台詞間の幅が主人公の味方側キャラへの名前呼びかけで無くなるためテンポが非常に良くなっており臨場感も味わえるというとても面白いものになっていました。過去作でも是非やってみたかったとまで思える要素だったので、ここは評価されていいと思います。ここだけでしか見れない横顔が綺麗に見れるのもポイント。
「パニック議論」に関してはノンストップ議論が3つ並行して行い時折大声で主張する人が現れ他を阻害してくるという、スタンダードながらも場の騒々しさが伝わってくるもので面白さがあったように思います。アクション難易度があがる場面なので、このときに上手くV論破が決まると達成感も得られました。
「発掘イマジネーション」は単なるモノリスなので割愛。あとは「ブレインドライブ」と「理論武装」ですが...どっちも微妙だったな、としか。
「ブレインドライブ」はレースゲームの時点でゲーム性は限られていましたが、スキルを取らないととにかく冗長なだけで単調でした。カジノ版みたいにアイテムが道端に落ちていればアリだったかもしれません。道路脇デザインのネオン街は本編と何の繋がりもないけどお洒落で好きです。繋がりないけど。
「理論武装」はリズムゲーにしては音に併せるとmissするという目押しゲーなのにもかかわらずその目押しゲージをお邪魔の隠しで潰してくるという割と意味不明なものでした。これもスキルをとればマシにはなるのですが、この要素の都合上裁判のクライマックス付近で発生するものなので真相への疾走感の障害にしかなっていなかったなぁと感じます。
「反論ショーダウン・真打」は正直なところ前作のほうがやりやすかったです。これもV斬りを狙えるのですが操作性の都合でとても難しくなっていました。
思いつく限りではこんなところでしょうか。あくまでネタバレ無しなので詳細はありませんが感想としては以上になります。無論これは個人差があるのでこの意見が全て他の人にとって真実とは言えないはずですが、私のなかでは嘘ではないので、この日記に目をとめてくださったかたのひとつの目安になれればと思います。
やはり絵が綺麗というだけで動かすとまるで本当に異世界があるかのような錯覚をキメることができるので
ゲームに美麗なビジュアルというのは面白さに直結してくると思う
前作は未プレイ
予定もない
言いたいことはそうではない
ニーア オートマタはアンドロイドや機械がメインキャラということで
そういえばオートマタという映画があったなとネタバレ記事を検索して読んだ
端的にいうとつまらないらしい
この手のシンギュラリティや人工知能をテーマとしたSFは鬼門だと思う
登ろうとすれば死ぬ
なぜなら作者である人間の頭脳ではどうやっても人間を超越した知能を描写することが不可能だからだ
漫画の登場人物に天才がいてもその天才の頭脳の上限は作者と同じっていうアレだ
だからSFでAIそのものをテーマにした作品に当たりが無いのは当然ともいえる
AIをテーマにしてるようで、実はロボットと人間のハートフルがメインになっていてそこが評価される作品は多々あるが
AIの「人類を超越した知能が引き起こすシンギュラリティ」を本当にメインに扱って評価されている映画は1つもない
あれにしてもスカイネットが人類に反乱を起こした理由に説得力がないし、
何を基軸にして人間と対立しなければいけないのかというのがあやふやにされやすい
狂っているとしたら自己修復できないでAIとしては未完成ではないかという本末転倒な設定もある
だいたいこの手の作品で描かれている人工知能は、現実にある人工無能をちょっと賢くしたバージョンでしかない
ここに作者が人間であることの限界を感じて、のめり込みにくくなるのがAIをメインにした作品の残念なところだと思う
逆に、AIはどれだけ科学力が進んでも作れなかった、という設定のSFだとまだ人類の知恵に有用性が残されているため
冒険が残る世界を描きやすくなると思うので安易にAIを出すのではなくそっち方面で開拓していってもらいたい
そうではない
また話がそれた
とにかくニーア オートマタが機械同士の争いになるということで
プレイヤーである自分がどこに視点をおけば一番楽しめるのかという話だ
警戒している
というのも先に述べたようにAIが間違いを犯さない超越した知能を持っているという見方をすると
もちろんAIには性能差があるだろうからキャラクターが設定できる余地はある
オートマタがどういう物なのかも分かってない
でも機械というのは本来作られた段階からできることが決まっている存在なのだ
厳密にいえば人間にも当てはまるが人間には運命を決める選択権が備わっているので平行世界を渡り歩く権限があるため冒険性が必ず内在する
しかし機械には投げた石の落下地点が計算できるようにたどる結末には変化がない
そういったことを前提に見てしまうニーア オートマタをどういった角度から見れば楽しめるのかを考える
神の視点からか、ニーアの視点からか、ポットからか、はたまた…
登場人物に自分の感覚を重ねることで異世界にいき、異世界の出来事として受け止めることが没入しやすいと思う
こういうときに感情移入しやすいキャラというのはいてくれた方がいいと感じる
出なければ神の視点では人形劇を見る私、で異世界にいけなくなるからだ
住人Aというのも難しい話だろう
とにかく人工知能ネタはロマンもあるけどそれだけに冷めさせるトラップが潜んでいるので気構えというか、気苦労もある
えー、とにかく楽しみにしています
ぐぐったらたくさんあるんだね。
読んでて思ったこと。
・創価学会の教えは現世利益追求みたい。宗教って死後の世界に救いを求めるものが多いもんだと思ってたけど、どうも創価学会は題目を唱えることが現世利益につながるという教えらしい。他方、死後どうなるかについては割とあやふや。
・上の教えの結果、脱会者が口をそろえて言うのは、「題目を唱えても何にも幸せにならなかったよ」ということ。題目唱えてたのに病気になったとか、受験に落ちたとか、熱心だったあの人も今は無年金だ、とかそういうのが多い。
・この点、死ぬまで幸福になるかどうか分からないキリスト教はうまいな、と思った。
・そう思っていても抜けられない人がいるのは、題目をやめることで何か不幸が起こると教えているのが一つの要因らしい。なので脱会者は「脱会しても別に不幸にならなかったよ」と言う人も多い。
・とはいえ脱会しても信仰までは捨てられず、別の宗教に走る(だいたい日蓮宗みたいだけど)人が多いらしい。ただそこでまたカルトに引っかかる人が多いとのこと。
・脱会者による創価学会、熱心な活動をする家族(「バリ活」と言うらしい)に対する罵詈雑言はものすごいけど、結構無理して言っているようにも見える。背骨から出る罵倒じゃないというか、縁を切りたくて必死になってる感じ。
・創価学会の集金力はやはりすごいとのこと。一応寄付(「財務」と言うらしい)は任意で、実際に全く支払わない人というのもいるらしい(それでも別に何も言われないとのこと)。ただ、題目を唱えるだけでなく、学会の活動を熱心にやることも現世利益につながるという教えらしく、救いを求めて高額の寄付をする人も多いみたい。そもそも100万人信者がいたとして、それが一人頭年2万円支払う(つまり聖教新聞をとる)だけで年200億円の収入なんだからすげーな。
・崇拝の対象は日蓮やお釈迦さまではなく、歴代3代の会長(理事長)らしい。特に池田大作先生の尊敬され具合はすごいらしい。
・上の結果、池田大作先生が亡くなる日(「Xデー」と言うらしい)には創価学会にはかなりの激震が奔ることが予想されるとのこと。
・被害者とはいえやっぱり人の悪口をみんなして言ってるのは見ててつらいなと思った。
※追記
書き終わってから改めてブログ見て気付いたんだけど、創価学会の教えから脱却するだけだと救いがないなぁ、と思った。
もともと、題目を唱える⇒現世利益を得る、という教えを受け容れていたのに、これをやめるとどうなるか。
「X⇒現世利益を得る」という図式の中で、題目に代わってXに入るものは何なのか、という話になる。
無宗教の場合、ふつうXに入るのは、努力だとか才気だとか運だとか、そういうものだろう。
しかし創価学会を脱会した人というのは、割と40代50代の人が多い印象を受ける(違うかもしれない)。脱会してからこれらを積み上げていくのは困難が多いだろう。
そうなるともう疑いを持っていたとしても辞めづらいし、辞めたとしても辛い人生が待ち受けている。
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
でも、一日一回は見る種類の客というのがいる。
それは、店に入ってくるなり
「タイトルも著者も出版社もわからないけど、ほしい本がある。内容はあんまり覚えてない」
僕は、本がとても好きだから、本がほしくて買いに来る人の気持ちがすごくわかる。
しかも本屋をしている。だから、できるだけ力になりたいと思う。
だけどさ、、、、、、、、、、
内容について聞き出そうとしても、男が出てくるとかそういう無限の可能性がありそうなことを言う。
そんなんで、わかるわけないじゃん、、、、、、、
ほしい本があったら、わからないなりに調べる術はあるんじゃないのか?って思う。
あなたが手に持ってる小さいコンピュータは調べものができるんですよ?
だけど仕事だし見つけ出したいから、こっちも必死になって探す。
うまいこと見つかる場合もあるけど、結局わからない場合ももちろんある。
そうしたら、しょうがないのかもしれないけどものすごいふくれっ面されるときがある。ガミガミ怒られることもある。
だけど、手がかりなかったらこっちも調べようがないよ。
だけど、この
>パソコンとインターネットの違いが分かるのは当然だし、スマホもタブレットも使いこなす。
>飛行機や新幹線のチケットはネットで買うのが当たり前だし、分からないことは全て自力で調べられる。
を読んで、意識が変わった。「溝」に気付いたのだろう。
僕が知った何らかの「溝」は、低学歴と高学歴の溝かどうかはわからないけれど。
そういうお客さんたちは、調べ方を知らないんだ。
そして、多分誰かに教えてもらっても、やらないんだと思う。
だけど、これは見下していることになるのかな?
本当だったら悲しいな
でも以前こういう(透過して重ねただけ)検証は再検証すると重なってなかったりするという話を聞いたことがあったから、イマイチ信用できなかった。検証雑すぎるし透過重ねでも言うほどトレース感がない、せいぜいポーズ参考したのかな?ぐらい
ただ私は絵を描かないしたくさんの人がうわこれはって言ってるからそうなのかな、どうなんだろ、不安だなと思っていた
しかも最初に出回った検証画像はフォトショ加工されてる可能性がある?えっ?
ゾッとした。怖かった。
誰かが不当に作品を貶めようとして、おそらく成功しかけていることに。
微妙に線ズラしてるから悪質、まんまトレースじゃないってそれはもうトレースと呼ぶものじゃないじゃないですか
ズラして書こうとしたら全身のバランスずれるからやってないんじゃないかなみたいな。
疑惑のイラストは肩や腰がズレてるからわざわざズラして描くと細かい調整が必要になって、ポーズ参考して描く方がずっと楽だって
私は絵を描かないからわかんない
わかんないけど
でもあやふやな検証が出回ってそれを信じる人がいて、って現状がとても怖い
構図が近いって言っても今回話題にあがってるのはポールダンスの正式な技で、技名で検索かけたら似たような構図の写真がたくさん出てくることだってあった
わかんないけどトレースじゃないらいしってことは思った
そんで著作権についても色々調べて、仮に構図を参考にしていたとしても著作権違反にならないものだなとも思った。
ポーズには著作権ないし、構図が特殊かと聞かれるとポールダンスの技の構図(その技が魅力的に見える、一般的な構図)はだいたい決まってくるから。だから多分、構図にも著作権は発生してない
(私は写真そのものやイラストそのものの著作権についてではなく、それに映った、描かれたポーズや構図について著作権が発生しないという話をしています)
でも過去の判例とかも見たうえで問題になるようなものじゃないんじゃないかなって思った
服のオマージュについて色々言ってる人は一回意匠権って調べてきてくれ……あと私は他の作品、それも多くの作品で「このキャラの着てる服これっぽいね!似てるね!」てのを見たことあるけどそれはいいのにユーリだけダメなの?
意味わかんないや
なんか、何かを「なんとなく受け付けない」「この辺が嫌い」って言うのはわかるけど、あやふやな情報信じて「この作品はクソ!」「この作品好きな奴は頭がおかしい」って言うのは信じられない
先日、12月分の給与明細が配られた。ボーナス月は明細が2枚渡される。
商業施設に勤めてるんだけど、この夏かなりの大型イベントがあり、人員確保や現場運営にかなり奮闘した。
(夏の頑張りがやっと報われる〜)とウキウキしていたら、私だけ明細が一枚しか渡されない。
会社の人間関係が上手くいかず、3月いっぱいで辞めますと伝えた矢先のことだった。
いやいや何も聞いてないし。夏にあれだけ頑張ったのに他のみんなはもらえて私はいきなり全額カット?こんな仕打ち受けて冬の繁忙期みんなと(ボーナスもらえた人と)乗り越えなきゃいけないの?いくらなんでもそりゃないでしょ。
てか普通事前に説明するよね?なにしれっと明細一枚だけ渡してきてんの?何も突っ込まなかったらそのままだったってことだよね?賞与は約束されたものじゃないからって?いやいや皆ふつーに年2回もらってんじゃねーかよ恒常的に発生してるものを事前通達なしに全額カットする方がおかしいだろ。
てか退職届も出してないし。退職日もちゃんと決まってないし。面談希望したのに「辞めるの分かってるからしなくていい」って言ってたよね?
ぜんぶあやふやなままなのにそこだけはきっちりするんだー。ふーん。それで繁忙期はがっつり働かせるんだー。まじありえねー。
中高年の世代は権威主義の人が多いように思えるが、権威で物事の正誤を判断するのは非常に愚かな行為で、
頭の良い層にとっては愚かさの極みであると思われる。
特に理系の人間であれば、正当かを判断するのには非常に慎重になる必要があると理解できるだろう。
有名な機関が発表していたとしても、その主張に至るまでのプロセスなどを加味した上で蓋然性の高さを評価する。
時には権威主義の人間が愚かに思え、雰囲気で正誤を判断してしまう風潮を変えたいと思うようになる。
最近ではテレビで有名大学の学生だったり医者や弁護士など、権威を認められた人間が、
意外にも一般人と大差がなく、そこには誤謬も偏りもあるという情報が共有されるようになってきた。
特に大学入試に関してはテクニックの世界であることが露呈され、テストの手段や知力の指標としては危ういものになっていると感じる。
この流れが、権威に対する疑問をもたらし、今までの絶対的な判断の仕方に変化をもたらすのではないかと期待する。
だが一方で、インターネット上では耳学問で得たあやふやな知識と不完全な思考力を持つ人間が、
陰謀論や極論を論拠に、非常に知識も正当性にも長けた人間を否定する動きが見られる。
こういう理屈が通じない人間には、圧倒的な権威で正当性を認めさせるのが有効な手段なのだろうが、
その方面に関して言えば逆行していると言えるだろう。
勉強しなくても生きていける世の中であるが、こうした頭の悪い、世の中をかき乱すだけの人間を減らすには各々に勉強をさせる必要があるだろう。
正当な人間をも権威が低下した中で、自己評価が肥大した人間を諌める手段は非常に効率の悪いものになると想像する。
急に書きたくなったので勢いのままに書いてみます。
普段はTwitterで短い言葉でしか書いてないから、ブログ型式はよくわかりません。
タイトル通りアイドルマスターという作品にハマった後に一度離れ、
その後にもう一度復帰するまでの事です。
そのため、中心になるのは765ASですが、一応、他のシリーズについてもちょっとは触れておこうと思います。
アーケード~最新のプラチナスターズまでの所謂765ASだけのやつ((この紹介の仕方も年明けのPミで何かいいのが出来るかな?))です。
アイマスとの出会いはアーケードが世に出た後、冬コミのオフ会で面白いゲームがあるぞ、と教えてもらった事でした。
アキバのとあるゲーセンにワンフロア全てがアイマスしかないところがあり、そこでプレイしてはまりました。
とはいえ、当時は学生でしたのであまりお金もなく、月2回ゲーセンに行ってたかな?ぐらいです。
そんなプレイスタイルだったため、最終的なPレベルも低いし、アイドル達のランクも低いものでした。
アーケードでプロデュースしたのは、春香、あずさ、雪歩だったはずです。
XBOX360版ですが、私は結局やってません。アイマスだけのために本体買うほどの気持ちでは無かったので。
この頃、ちょうどニコニコ動画が出来た時期で、箱版アイマスを利用したMADが数多く作られていました。
ただ、私は新キャラが箱版出たんだな~ぐらいのアーケードで情報が止まっていたような状態であったので、
ちょっと時期があやふやなのでもっと後かもしれませんが、特に春閣下系はどうにも苦手でしたね。
今になって思うと、この頃はキャラクターを、特にアーケードでプロデュースした3人を、本物のアイドルとして見ていたように思います。
当然3つそれぞれを購入し、プロデュースしましたが、周囲とのギャップを感じたのが、
箱版で新キャラとしてデビューしたはずなのにSPではよその事務所へ行ってライバルになる、という展開ですが、
これに私の周りのPがけっこうな反発をしてました。
「PSPだから」とか「人数バランスの関係で」とかいろいろ苦しい説得をしたような記憶がありますが、
このときに話した内容が全てアイマス2での竜宮小町という特大ブーメランとして返ってくるのが恐ろしい話しです。
ゼノグラシアもこのあたりだったような気がしますが、見ていないので分かりません。
また、ここでようやくライブに参加します。4th大阪の振替公演です。
いろいろと偶然が重なって取れたチケットでしたので感謝しかありません。
そして、やっとキャラと声優さん両方を応援していくスタイルが自分の中で確立できたように思います。
ですが、その悪い部分がさっそく5thで起こってしまいました。
そうです、雪歩のCV交代です。
これがだいぶショックでした。
これの少し前からだったと思いますが、DLCで新曲が来るたび「雪歩の声が違う」、「こんなの雪歩じゃない」というコメントがニコニコ動画で見られました。
私自身はなにを言っているんだこいつらは、という感じで気にもしていなかったのですが、
理由はおそらく違うと思いたいのですが、ネットから感じる雰囲気として「雪歩のキャラ声が出せないから交代(したorさせられた)」が多かったのです。
ファンがそういう風に語っているのを見て、こいつらとは楽しめない。
既にそういう心境だったため、竜宮小町やJupiterについてもたいしたショックはありませんでした。
こうしてアイマス2を前に私とアイマスとの関係は一度幕を閉じました。
765ASに復活したのは、結局シンデレラガールズを通してのSSA合同ライブ後になります。
SSA合同ライブの頃には雪歩のCV交代に対してのショックも和らいでいましたので、
OFA、プラチナスターズは買っていますし、DLCも何個か購入済みですし、
ただ、どうしてもアニメだけは見れません。
シンデレラアニメの合間に再放送もしていて、録画していますが未視聴のままです。
おそらくミリオンの子達が出ていたからではないかと思っています。
765ASだけのシリーズへの愛は、一度すり潰した後に、シンデレラ、ミリオンの助けを借りて、かき集めたような物なので今後どうなっていくのか分かりません。
嫌いではないので、今後も追いかけていくのでしょうね。
上の765AS関連で触れていませんでしたが、ゲームは触っていません。
一番不遇なキャラ達かもしれませんが、たまにひょっこり現れるので。
無かった事には出来ないけれど、かといって積極的に活動も出来ないというなんとも歯がゆい立ち位置になってしまいましたね。
いっそ吸収合併するのもありかなと思っていましたが。。。
アイマス熱が冷めきっていた頃にあらわれ、再びアイマスへ戻るきっかけになった作品です。
あの頃は(今も?)アニメ化するならソシャゲも出すというのが一連の流れになっていたと思います。
ただ、しばらくしてネットのあちこちでシンデレラが面白い事になっていると聞こえてきたのをきっかけに
一度はあれだけ愛したアイマスだし、、、という気持ちも働いて軽い気持ちで始めたのがきっかけでした。
CD第1弾が発表される前、2012年年明けすぐぐらいだったと思いますが、
ゲーム部分は使い古されたよくあるソシャゲという認識で、ただ、キャラに「ティンときた」ものがあったので、
あっという間にハマってしまいました。
ちなみにそのキャラは月宮雅ちゃんです。課金はほとんどしていなかったので最初の方にでた雅ちゃんが長いことフロントに入っていた記憶があります。
この頃のシンデレラといえば、新キャラがどんどん登場するなどして徐々に765AS色が消えていく過渡期と感じていました。
もし、ずっと765ASが残っていたなら今ほど熱心にはなれなかったでしょう。
サイゲームスかバンナムか分かりませんが、方針転換はナイスだったと思います。
もしかすると、後のミリオンが765プロという事で、そことの差別化もあったのかもしれません。
この後、CDはシリーズ化していき、SSA合同ライブ、単独ライブ、アニメ化、デレステ、などなど様々な展開を見せてくれています。
シンデレラに関しては一連の展開の仕方がうまいなと日頃から感じています。
モバゲー版からアニメへ、そしてアニメからデレステへとうまく誘導出来ていますね。
このままの勢いがどこまで継続できるか分かりませんが、目指せ10周年です。
個人的には、何とか今年の紅白にワンチャン無いかと。μ'sとアクアの世代交代が完了しないうちになんとか。
765ASにとってのドームライブのような夢を持っていきたい。
発表当初はシンデレラとの差別化をどうするの?って心配しか無かった。
いきなり37人も増えられても分からないし、しかも全員CV付き。
なんというかバンナムの本気度がうかがえたので、逆にシンデレラがヤバイのではという気持ちになりました。
本格的にゲームに触ったのはSSA合同ライブ後、それ以降おもにキャラよりも声優さん目当てで追いかけている気がします。
全体的な流れもそうなんでしょうか?
年明けには武道館ライブがありますが、はたしてアニメ化はあるのか。
たしかにタイミングを考えると、そろそろやって欲しいところですが。
SSA合同ライブで発表、人気すぎて一度クローズ、となるなどなかなか期待値は高いように思います。
男性アイドルものとしてみると、うたプリ先輩が大きすぎて大変そうです。
オリジナルキャラはもちろんですが、Jupiter、秋月涼といった他事務所からの移動組をうまいこと使っているなと思います。
とにかく年明けの2ndライブがどうなるか楽しみです。
いずれは全部合同のライブもやって欲しいですね。
しんどい。もう馬鹿みたい。とりあえずストレスを全部は無理かもしれないけど吐き出そう。なので長文です。それに乱文です。
払うことになり、時期が悪いだの(ある意味会社のせい、それも急にだったので。)、空気読めないだのと責められ、そもそも元々言ってたのに。。自分自身ストレスが溜まってたので、そんな言葉を投げられ爆発し喧嘩になった。なぜそんなこと言われなきゃなんないの。こっちも必死で頑張ってるのに。別に私が悪いわけではないので(これに関しては)反論したら黙れ。うるせぇよ。本来なら来年から払おうと思ってた、だけどクソ年金事務所は、こまいから、更にいえば勝手に会社側が無駄にシフトを入れやがった。契約と違うじゃん。そのおかげで106万越えました。まだ一度ひかかったらまだしも、2回目だったら前回よりも、アホみたいに加算してお金が取られるかも知れないのが嫌だったから仕方なく入っただけなのに。それをわからない親。前回はお金が無くて親が代わりに払ってくれて、情けないなど言われてトラウマになって。なんか親矛盾してるなwなら情けない言うなよ。106万超えるなも言うなよ。そんなの会社側が勝手にしてどうしようもないし。督促状もウゼーし。
改めて年金事務所?かなんかはお金取ることしか能がないよね、まさにカネカネキンコwwそれが仕事か。督促する以外のやることあるのにね。
情けないけど、今まで年金払ったことない。これからは払うよ。てかさ、何で少ねぇ給料で年金払わなきゃなんないんだ?何が納税の義務?なにそれ?おいしいの?
これこそ金持ちから取るべき。全然金あったら払うっすよw余裕あるもん。あと宝くじ廃止したらいいじゃん。それこそ税金とかに役立てて欲しい。
何で国は余裕のない人からお金取るの?平等かどうかしらないけどさ。だったらもう少し貧乏な人からは安めに設定すりゃいいじゃん。馬鹿みたいに生活保護とかにも金使うからわるい。そりゃ本当に必要な人なら仕方ない。でもアルバイトでもする気がない馬鹿も金もらってるんでしょ?こっちは、しんどい思いしてでも働いてるし、正直ニートなりたいくらい、馬鹿らしくなる。こっちがナマポ貰いたいくらいやわ。
改めて、なんか国はアルバイトでも低賃金の職種着いても自分の責任?みたいに言うのか、平等を求めるのか貧乏人から馬鹿みたいに税金取りやがる、それならさ希望したらある程度は正規雇用される義務?つくればいいのにね。
そして私はアルバイトしてるんだけど、正規雇用の面接落ちた。所詮数社かもしれないけど、発達障害の私にしちゃあ自信喪失は普通の人より倍もする、そのうえ面接とかしてて、発達障害者での難しさを痛感した。
面接した企業の悪口かイタ電しようかと本気で思ったよ、そんなに落としたかったら募集しなきゃいいのに、つか採用人数書けばいいのにw
しかもさ、発達障害繋がりだったら、比べても仕方ないけどさ、愛子様。結構有名な話、この国は幸い不敬罪?はなかったと思う。愛子様が小学生のときだっけ??別にいじめられてないのに、被害妄想を持たれたのか、たかがちいさい子供に転校?かなんか処置して皇族だったら何でも許されるのかよ?
確かあやふやだけど、国民が人権?かなんか忘れたけど、そういうのは優先だったかな。だから本来は転校させる必要がないし、するのがおかしい。
何が言いたいかというと私も発達障害があるので被害妄想みたいになるときはあります、わかります。だけど、私はこれ以上にいじめられてました。そのいじめてた人たちに処置なんぞありません、愛子様みたいに学校も休ませてくれなかった。ある意味、私の親は毒親ですからね。理不尽。
話しはそれるけど親との地味な確執と、書きませんが、たしかに私も原因があるのはわかってます、いろいろな人に裏切られたり避けられたり理不尽な事言われたりで、上記のイジメで人を信じられなくなったり、人を平気で傷つけたり、恐らく二次障害の鬱を発症したのかも知れません。
毎日しんどいし、ただやっと二十数年間の中で素敵な人に出会い、1度は傷つけてしまったけど、彼はこんなクズ人間の私が好きみたいで、それを糧に何とか生きてます。
最後に愛子様は、私と違い将来とか気にしなくていいのが羨ましいし、一般の親は、無理してなれない普通の子にされる(それでもモドキにもなれない)理解がない毒親も多いからしんどいしね。とにかく今が精一杯。
おもろかった
アニメはかったるすぎて確か最後まで見た・・・か見てないかあやふや
アニメでこれだから原作だとさぞかったるいんだろうなとまったくゲームはやる気にならなかった
でもこの漫画版はうまいこと緩急織り交ぜてまとめてクレタから、せっかちな自分にはちょうどよかった
シヒラ竜也ってエロ同人だかのイメージしかなかったけど、全然そんなことないのね
ウィキペディアみたら驚いた
ちょっと目の位置がおかしいかもってのはあったけど、全体としてみればクオリティ高くて読み応えあった
最後らへんはちょっと駆け足だったけど、まああれでよかったと思う
ただ相変わらず主人公は好きになれなかったな
後輩のショートの子は全然漫画出てこなかったし個性あんまなかった気がする
ゲームは賛否両論だけど、少なくともこの作者は漫画を書くにあたって、作者の本心はともかく、ロボノをしっかり愛して伝えよう、描こうっていう気概、心意気が感じられて、
非常によかった
こなちゃんかわいかったし
『ソラニン』って映画みて、オッサンのハートがイグニッション。
即レスポンス、即土日会おうとのこと。
いやしかしね、俺、もうアラサー。メンバーは20歳前後の3人。
怖くね?
ってかね、熱い思いを語られちゃったんだけど。
ヒモや実家暮らしはダメなんだって、だって、「音楽で食っていくのにそれは恥ずかしいでしょ」
え???
俺の中のデビルが叫んでいるんだ「ヒップホップで食っていくのは無理だ」って。
そもそも、俺、『ソラニン』を見て考えたのは、「こんなデブのおっさんみたいな風貌の奴でも、後輩から慕われてキスされるとかあるの?中年素人童貞卒業しちゃえるんじゃねバンドやれば?」そういう下心しかない。
あの、確かに、友達にはなりたいよ、20歳の若者たちと。飲み会とかカラオケはぜひ行きたい。
でも、申し訳ないけど、バンドは趣味程度でやりたいんだよねえ。
うん。
無理なんだよね。
でもでも、土日に一応面接あるらしい。
タトゥーとか入ってるゴリゴリの若者が着たらひいちゃうんだけど、大丈夫だよね?
あった瞬間、「なんだこのオッサン!?」ってなりそうだけど、大丈夫だよね?
セフレ見つけたり、女の子に惚れさせて風俗で働かせたり、そういういわゆる勝ち組男の青春がしたいだけなんだ。
オッサン、勉強ばっかで安定的な人生で社会の勝ち組になったから、そういうアウトローのおいしいところもかじってみたいだけなんだ。
怖い、土日に会って殺されないか。
いや、殺されるどうこうよりも、若者の熱にあてられて、次の音合わせとか平気で参加しちゃうかもしれないじゃんん。
怖え。
若者の『熱』が怖いぜ。
バンドの内容は、あやふやで、アニソンやるって言ったり、キュウソネコカムとからしい。
バックレる予定満々。
まあ、バックレても話のネタになるし。