2016-11-26

メディアによる権威の低下がもたらすもの

中高年の世代権威主義の人が多いように思えるが、権威物事の正誤を判断するのは非常に愚かな行為で、

頭の良い層にとっては愚かさの極みであると思われる。

特に理系人間であれば、正当かを判断するのには非常に慎重になる必要があると理解できるだろう。

有名な機関が発表していたとしても、その主張に至るまでのプロセスなどを加味した上で蓋然性の高さを評価する。

時には権威主義人間が愚かに思え、雰囲気で正誤を判断してしまう風潮を変えたいと思うようになる。

 

最近ではテレビで有名大学の学生だったり医者弁護士など、権威を認められた人間が、

意外にも一般人と大差がなく、そこには誤謬も偏りもあるという情報が共有されるようになってきた。

特に大学入試に関してはテクニック世界であることが露呈され、テスト手段や知力の指標としては危ういものになっていると感じる。 

この流れが、権威に対する疑問をもたらし、今までの絶対的判断の仕方に変化をもたらすのではないかと期待する。

 

だが一方で、インターネット上では耳学問で得たあやふや知識と不完全な思考力を持つ人間が、

陰謀論や極論を論拠に、非常に知識正当性にも長けた人間否定する動きが見られる。

こういう理屈が通じない人間には、圧倒的な権威正当性を認めさせるのが有効手段なのだろうが、

その方面に関して言えば逆行していると言えるだろう。

 

勉強しなくても生きていける世の中であるが、こうした頭の悪い、世の中をかき乱すだけの人間を減らすには各々に勉強をさせる必要があるだろう。

正当な人間をも権威が低下した中で、自己評価肥大した人間諌める手段は非常に効率の悪いものになると想像する。

権威の低下と同時に、個々に学習必要性啓蒙していく責任メディアにはあるはずなのだ

ただ、現行の義務教育の中には科学的に正当性判断するための手段論理性と想像力を身につけさせる手段は入っていないが。

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