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はてなキーワード: 混沌とは

2020-04-06

たまにぼーっとしてる時に思うけど、ツイッター意見書いたら世界って変わるの?

最近コロナ混沌を見てても思う。みんなああして欲しいこうして欲しいってツイッターに書き連ねるけどあれって意味あるのかな。

なんで現実では行動起こさないんだろう。それともツイッターに書けば本当に変わる力がツイッターにはあるのか…?

そんな事考えてたらお腹すいてきた。

2020-03-29

anond:20200329120815

無能民主主義 を利用して、隠れ独裁者になる人物が現れてきたから 社会混沌している。

2020-03-25

anond:20200325071225

色々な税金を無くして

社会保障も無し

公共事業も無し

警察消防等含む公務員を無くしてみると良い

かなり混沌とした国になるであろう

2020-03-18

交差点左折するときに右に膨らんで曲がる奴

車両は、左折するときは、あらかじめその前からできる限り道路の左側端に寄り、かつ、できる限り道路の左側端に沿つて(道路標識等により通行すべき部分が指定されているときは、その指定された部分を通行して)徐行しなければならない。

教習所自動車学校で習っているはずなのだが、それをすっかりと忘れて、わざわざ右側に一度膨れて左折をする奴がいるのである

右側にわざわざ膨らむという行為は、周りの車からすれば危険行為なのだ

左折する際に左に寄るというのは運転手にとって常識である

その常識に従わないということは、後続車からしたら予想外の挙動をしているということでもある。そして予想外の挙動というのは事故に繋がりやすい。

二輪車巻き込み事故や、隣車線の車両との接触危険性も高いだろう。

このようなリスクが生じることはちょっと考えればわかるはずである

なぜわざわざ右に膨らみたがるのか。

右に膨らんで曲がったほうがスムーズに曲がれると言うかもしれない。

スムーズに曲がれる?その通りだろう。

だが、そのせいで周囲の車に迷惑をかけていると気付いてないのである

周囲の車のことを考えれば、右にわざわざ膨らむことはしないはずだ。

それをしているということは、そいつは全く周囲の車のことを考えてない自己である

車両感覚に自信がなく、左側に寄せられないと言うかもしれない。

運転技術稚拙さで周囲の車に迷惑をかけている一例である。左端に寄って曲がれるようになるまで初心者マークを貼るか、もう一度教習所に通って練習することをおすすめする。

安全運転をするためにはある程度の運転技術必要不可欠なのだ

下手くそは危ないのである

公道大勢人間走行している混沌とした場所だ。

そんなところで、周りの車のことを考えないで走ってないだろうか?

そもそも安全運転をするために必要運転技術を持っているだろうか?

安全運転義務であり、それを可能にする考え方や運転技術の取得も同時に義務である

これを読んでいる運転手は、自分がそういった運転をしていないかどうか、一度考えてみてほしい。

2020-03-15

ねえちょっといい?

iwaraで夜空メルってVtuberを知ってモデルがやたら可愛いから本物も見てみるかと思ったわけよ。

んでつべ公式チャンネルへ行って、無難そうな1周年放送を見てみたわけよ。

そしたらなんとバイノーラルで耳元でふにゃふにゃ喋ってるわけ。えっここYouTubeだよね?

主観視点視聴者あなたの耳を餃子だーとかいってかぷかぷしてくるんですよ。

まるでDLsite同人エロ音声と大差ないクオリティえっちボイスですよこれは。

俺は思ったね。Vtuberってこんなことやらされるのか。ヤバいな。

しかもついてるコメントはお祝いコメばかりで、今さっきiwaraで孤独に役目を果たしたマイサンエンチャント魔法を掛けてくるこのえっちっちな所業には全く触れられてないのよ。

明るい場所深淵が渦巻いていることほどヤバいもんはないね

はいつもどおり宵闇に紛れて混沌を食らうダークモスターのままでいようと思いました。

2020-02-27

anond:20200227143508

そして、28にわかること。 それはまだ...混沌の中。

それが...新コロナ

anond:20200227011604

https://www.etymonline.com/word/kick-off

このサイトによると1857年フットボール試合の開始を意味する言葉として使われ始めたのだという。1875年イベントの開始を指す言葉としても使われ始めたのだとか。

1857年フットボールってどのフットボールなのだろう?

万延元年(1860)のフットボールアメフトだったのかな。アメリカフットボールが紹介されたのがWikipediaによると1867年だという。それよりは前の話だ。

ロンドンフットボール・アソシエーションが設立されたのが1863年サッカーはここが起源

フットボールがまだ混沌としていた時代にできた言葉なんだな。

2020-02-21

anond:20200221173933

僕は何かを叩くのが好き

憎しみが憎しみを呼んで混沌としてくるのが好き

暴力も好き

自分が振るったり振るわれたりするのは好きじゃないけど、

何かが殺されたり食われたりレイプされたりレイプ犯が処刑されたり村人がリンチにして誰かを殺してたり、暴力暴力を呼んでめちゃくちゃになってるのが好き

2020-02-20

怪文書でも書かなきゃ落ち着かない

2/5,政治主導の旗の下,憂国の志士達からなる対策会議は,14日間の隔離と称する行動制限を開始した。動かしやすく命知らずな災害救助隊を派遣し,慣れ親しんだトリアージで緊急性の高い患者を救助し,それ以外の乗員乗客も2/19に開放する。輝かしい戦果が予定されたのである

2/11とある感染症専門家が,仲間とともに現地に入った。彼らは「空気感染エロゾル感染経路を想定し、PAPRを持ち込」む,常識的に万全の準備をした。

しかし,そこは実際には「ベッドマップラインリストもエピカーブも作れない世界」であり,「間接的接触感染概念すら誰も理解してい」なかった。

このような状況で14日間行動制限を課したところで,行動制限開始以降に感染した者についての非感染担保されない。したがって本来は,この時点からでも名ばかりではない隔離を開始し,「14日間」の終点を固定しなければならない。それには船内のリソースでは足りない。十分な空間のある地上の設備を用意したいし,「その際、国籍別の移送隔離現実的選択である。」

しかし,そのような手段を採ることはできなかった。

隔離の新たな始点を設定することは,それまでの隔離と称する行動制限の失敗を世に晒すことになる。外国人無意味身体拘束した点で外交問題となるか。いや,それ以上に,これを主導した愛国者達の名声を貶めるものとなりかねなかった。愛国者の輝かしい軌跡が2/5から始まっている以上,その終点は2/19しかありえない。

彼は「PCRの結果を要求する力が混沌事象律速要素になっていることに驚き、その方針決定プロセスの解明は」彼「の職責ではないものの、少なくとも臨床疫学者の視点ではないと直感し」た。「我が国移送手段提供してでも国際共同オペレーション実施」するというのは,もはや彼の「個人的な夢」に留めるほか無かったのである

2/12,「船での作戦は既に破綻していました。」

彼は,もはや「予防衛生的なニュアンス」が通用しないと悟り,「ミリタリーオペレーション」的な「感染制御」に舵を切ることにした。

じきに,具体的には2/19に,感染者が解放される。否,そもそも本船以外から流入を阻止できているとは思われない。そうであれば,「新型インフルエンザ対策概念」を「何も変える必要はない」。市中感染は不可避であるという前提に立ち,「医療への過剰な期待や欲求」を捨て,感染拡大を抑制ピークを下げる戦略をとるべきなのである。なぁに,「大方の若者にとっては悪性の風邪程度に過ぎない。卵酒を飲み、体量のおばん茶でも飲みながら家で寝ていれば良いのだ。」

目標は定まった。感染の阻止ではなく抑制。2/19に下船する3000人の感染者予備軍において,感染者が一人でも少なくなるようにすべきなのだ

2/13,彼はそこで見てきた光景大衆に伝える役割を任された。しかし,第一に「厚労省の許しがないと全てを話すことはできない」。すなわち,愛国者の面目を潰すような,船内感染が止まっていないことをあからさまに述べてはならず,むしろ対策がうまく行っていると述べなければならない。実際のところ,トリアージそれ自体必要なことでもあった。

彼は「厚生労働省重症リスクの高い高齢者らを優先的に下船させる方針を示したことについて「判断は正しい」と評価した。」

行動制限効果は覿面である新規感染は,それ以前に比べれば大幅に減少している。スタッフにも多少の発症者が出ているが,想定の範疇だ。

2/18,珍入者が,船内での隔離が為されていないことを暴露した。なるほど御説によれば,いまからでも隔離を開始し,今から14日後に下船させよということなのだろう。もう1週間も前に捨てたアイデアである

しかし,感染を防ぐ手立てが不十分な中,現場感染覚悟して頑張ってきた。すなわちスタッフ全員が感染者予備軍である。今からグリーンゾーン形成しようとすればスタッフ全員を入れ替えなければならず,それはまったくもって非現実的である。「現場にいなかった者にはただのカオスに見えたのでしょう」が,船には「多くの意思決定プロセスがあります。」

また,隔離現実的に行えないということは,船全体が培養シャーレと言って良い状態である。「どうやら船の中の感染率は5-6%のレベルにあり、武漢市内に匹敵するレベルにある。もちろん日本国内より遥かに高く、クルーでは更に感染率が高いだろう。」したがって「いかなる理由でも下船を躊躇すれば、全員を危険晒す事になるであろう。全員下船を急がねばならない。」

下船を中止させかねない世論が突発的に生じてはならない。下船者が感染者予備軍であることを明かしてはならない。

2/19,感染者予備軍の下船が始まった。

本来であれば彼らは「自宅で自己検疫(self quarantine)を行うことが必要です。実際には、検温や不要不急の外出自粛、なるべく人に会わずに14日間を過ごすなどです。」

もっとも,自己検疫の推奨は2/5に始まった隔離と称する行動制限無意味であったことを宣伝することに他ならない。つまり,下船者は完全に解放されなければならず,公に自己検疫を勧めるようなことはあってはならないのであった。

恐れることはない。3月上旬頃には既に感染ルート不明患者だらけになるのだから愛国措置が失敗であったことを証明する手立てはない。いや,仮にそれが失敗だと断じられたところで,失敗したのは2/11以降に関与したにもかかわらず正しい手を打てなかった専門家集団である。極初期においてトリアージ船舶自体隔離が正しかった以上,愛国者判断は間違いではない。

さいわい,諸外国自己検疫ではなく自国で検疫を行うようだ。海外への感染拡大を防ぐべく,英語での発信を優先したのは間違いでは無かった。

2020-02-13

anond:20200213120254

なんかゴーンと擬えられそうで...

他に方法はあるのかなあ?

......

クルーズ船の日本政府対応 海外非難の声も

横浜港で検疫中のクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス」を巡る日本政府対応について、ロシア外務省のザハロワ情報局長は「専門家とも話したが日本対応混沌としており、体系立ったものではない」と批判した。ロシアラジオ番組での発言としてタス通信11日に報じた。

タス通信によると、ザハロワ情報局長は「これまでの対応には多くの答えられていない疑問が残っている」と非難した。

CNNテレビは、船内にいる米国人の新婚夫婦を取り上げ、取材に応じた女性は「私たち感染確認された船内ではなく、安全で衛生的な環境で検疫されるべきだ」とコメントした。豪紙シドニーモーニングヘラルド(電子版)も乗船者のコメントとして「船内にいる人にとってはとてもストレスたまる環境だ」と紹介した。

2020-02-06

孤独栄光

吐き出させて下さい。

私は産まれて30余年、常に独りでした。

別に孤児でもなければ、天涯孤独でもありません。話し相手は少ないながらもどの年齢でもいたし、いじめを受けたわけではありません。

それでも私は、どうしようもなく孤独でした。どこで誰と何をしていても、自分が何物とも繋がっていないような感覚ばかりがありました。

理由は何とでもこじつけられる気がします。望まれて産まれたとは到底信じられない家庭環境遺伝的、精神的欠陥。それらを覆せなかった自分の弱さ。

…思い出せる昔の記憶は、階下から響く両親の罵り合い、私が男でありながら腰を振る兄。視線ひとつくれず、仏頂面で鬱陶しそうな顔で過ごす母。家事をろくにしない母への憎しみを私にぶつける父。

記憶にある唯一の母の声は、休日の朝に朝食をせがんだときに聞いた、「風邪ひいたから」という子供でも分かるような嘘。塩ごはん牛乳ごはんなどという手料理も、それが普通だと信じたかった。

両親は自分問題だけで手一杯で、明らかに私を愛していなかったが、それでも奇妙なバランスの上で形を保っていた。だから消極的にも期待していた。いつか両親が真っ直ぐな愛情と関心を私に向けてくれることに。だから耐えるように、道化を演じてみたり問題を起こさないよう強く自分を抑え込む術を自然と身に付けていった。

同級生達とは、関わる度に違和感を感じていた。彼らから発せられる、家族からの温かい愛情やそれに基づく自信めいたものを感じるのが辛く、眩しく、何より悔しかった。私もそうありたいと願い同じように振る舞うのだが、自分を偽った罰なのか、常に自分の中にヘドロのような憎しみが募り、それがとき漏れだしては、私の人間関係破綻させていった。

…ある日、母が消えた。言葉ひとつも、書き置きも無く、突然と。だが何の感情も湧かず、涙も流れなかった。幼心に予想と覚悟はしていたのだろう。そうして、孤独と共に生きるというテーマが課せられた気がした。…それからは、忍耐から麻痺が生きる手段だった。

家はまるで会社のように感じた。父という経営者の下、勉強という仕事の対価に衣食住という報酬を得るような環境。己を律しきれず感情を顕にすれば、待っているのはクビ、つまり死ぬこと。逃げ出す勇気も、自分環境を変える強さも無かった。経を淡々と読み上げるような修験者のように、無痛のうちに日々が流れていった。

不幸にも中途半端事務処理能力が高かったのか、大学入学できた。大学理系で、物理を専攻する学部だった。今にして思えば私はそれそのものには興味は無く、ただただ盲信できる唯一無二の真実を、家族自己内面ではなく、外側の世界に求めていたのかも知れない。

契機はすぐに訪れた。その頃の私は誰の、何の助けも無く生きることに歪んだプライドを懸けており、独りの力で講義をこなそうとしていた。しかし当然のように挫折した。当然のように孤立した。

ある朝、いつもと同じように無痛のまま大学へ向かおうとしたが、体が動かず、講義をサボった。その日からぷっつりと糸が切れたように、大学に行けなくなった。

そしてそのまま2年間引きこもった。無痛という手段も通じないと分かってしまった私には、生きるために何をすればいいのか分からなくなってしまった。しかし罪悪感以上に、解放感と、呪縛から逃れたような安心感があった。そして同時に、いよいよプライドも生きる理由も意欲も自負も、全て失った。

兆候はあったがその頃から急激に死に惹かれるようになった。自分事故病気でいきなり死ぬ妄想をしたり、楽に死ねるという情報から練炭と七輪を買い、日常的に自傷をし、着々と死に近付いていった。流れる血と生々しい傷に、不気味なほど安堵と溜飲が下がる思いを感じた。堆積した恨みの攻撃性の解消と、自罰感情と、ボロボロ精神投影先を見出せる行為だった。それゆえ日々エスカレートし、あるとき刃が大きな血管を切った。噴水のように噴き出す血を眺めながら、まだ死ぬ準備が整っていなかったため、止血の処置をした。特に感慨は無かった。ああ…あのまま放っておけば死ねるんだ…と、妙に冷静になっていた。

そこから、少し何かが変わった。本当に死の一歩手前にまで陥っても、やっぱり私に救いの手は差し伸べられず、また自分の力で生き残ってしまった、と思うと、諦めを通り越した何かが芽生えた。自分は生きることも死ぬこともできない、苦しみ抜いて幽鬼のように漂うのだろう。歪んだ悟りのような暗い閃きを覚え、そこから自傷は少なくなっていった。そこから記憶ほとんど無い。大学へ行かず引きこもっていることがばれ、地元へ戻った。また無痛から忍耐の日々へ逆戻りした。挫折経験したが再起を図る息子を演じつつも、心の底では誰かが殺してくれることを願うばかりだった。

そしてまた不幸にも、さほど時間は掛から定職に就いた。待っていたのは、学生時代より遥かに開いていた周囲との差。普通の人々が青春友情愛情経験している間に自分したことといえば、暗闇の中でもがき蠢いていただけ。真の孤独は人と人の間にあるという言葉通り、人に近付く度に遠く感じた。

しかしそんな生活もそれなりの期間が経てば慣れていった。相変わらず人間の振りをするような不自然な過ごし方であったが、歳を重ねた恩恵なのか、排斥に対するヒリヒリとした警戒心、切迫感は和らいでいった。多様性容認する組織だったからかも知れない。孤独は続いていたが、別種の孤独を抱えた年上の人々との関わりが、私の乾いた傷口を薄く濡らした。

そんな積み重ねから、ようやく初めて「人間」というもの形の一端に触れられた気がした。同時に、自分家系の歪さを思い知らされた。そして、ようやく家系が受け継いできた負の連鎖に気が付いた。

狡猾さと傲慢さ。口では愛を語り、家族を意のままに操作し、自分理想を叶えるための道具としようとする悪辣さ。その邪悪気質を、互いに感じ取っているからこそ罵り合い、また山彦のように帰ってゆき自分をも傷付ける。そんな不毛なやり取りをしながらも、本当は誰よりも自分が得をしたい、愛されたいと思っているからこそ離れられない。その矛盾混沌の中で、私の家系は奇妙な内臓のようにぐぎゅるぐぎゅると腐って混ざりあっていた。

私は先月、家族と絶縁した。帰省しない私に業を煮やし職場に押し掛けてきたとき、従わぬ者に実力行使をする傲慢さに、どうやらこの人達とは一生分かり合えないらしいと確信した。

いよいよ社会的にも孤独になったが、さしたる感慨も無かった。きっとこれもどこかで予想と覚悟を済ませていたのだろう。私の手元には、いつの間にか独りで生きるには充分な資金があったのも、このことを予見していたからのような気さえする。

今になって思う。私は無意識のうちに、生きるための最善を選択していた。代償や失ったものは多いが、今では孤独も不幸も憎しみも、その先にある役割天命のようなものを果たすためだと感じるようになった。両親や神の寵愛を受けて産まれた者と、孤独に魅入れられように産まれる者もいる。そうしてその中間中庸となり、人々の生き方基準が出来上がる。そういう仕組みなのかも知れないと、ぼんやりと考える。

相変わらず生きる理由も意欲も無いが、自分が生き続けることには何らかの意味があるから、こうして結果的に死んでいないのだと思う。人生のどの段階でも、死のイメージといつか自分は人を殺すだろうという直感があった。人生のどの段階でも、自分解放して周囲を巻き込んで破滅することはできた。だがその度にそれを踏み留ませてきた何かを知ることが、目下の関心だ。天寿を全うする気はさらさら無いが、何らかの答えを得るまでは生きてみようと思う。それをもし得られたとき孤独意味と真の栄光を手に入れられると信じて。

…長くなりました。ここまで見ていただいてありがとうございます

2020-01-27

普通」と「既成概念」を小ばかにする人たちへ

普通って何だよ」

普通常識)って何だよ」。これを言っていいのは瑞々しい反抗期中高生までだと思ってる。二十歳過ぎてこれ言う奴は逮捕して送検して起訴して欲しいとさえ思う。だから大人になって「普通って何だよ」って言う奴が嫌いだ。大抵の場合これを大人になって言うやつはドヤ顔だ。なので俺は反射的に「教えてやんねえよ」と思いながらそいつを幼稚なやつと認定して見下すことにしてる。

というかそれを言う時点でお前は「普通」という言葉意味理解していないことを宣言しているのでこれまでの人生における人間関係において「普通」という言葉知ったかぶりしていたんだな?「普通はこうだよね」とか「普通の人」なんて言い回し二度とするんじゃないぞ?「普通うまい」とか言ってろよ。

そもそもお前が「普通」にケチをつける理由はお前の価値観なり美意識なりが「普通」と対立しているからだ。都合が悪いからだ。そして「普通」に対して分が悪い。だが自分が「普通」に寄せるのはイヤなので「普通」を否定するのだ。正確には否定しきる程のロジック自分の中に持ってないから「揶揄」するのだ。「普通って何だよ」とぼけて見せるのだ。知ってるくせに。卑怯者。教えてやんねえよ。

かと言って自分自身価値観と美意識を、問答無用説得力でもって「普通」の人たちに啓蒙し新たな「普通」になろうとは思っていない。あくま自分はトガっていたいのだ。個性的でありたいのだ。相対的に「普通」という概念が基礎になければ個性なんて成立しないのに。

「既成概念に囚われるな」

個性を求めて「既成概念に囚われないものを」と言って若者を唆す中高年の大人が嫌いだ。そんなこと言ってお前ら自身それほど「個性」が好きじゃないだろ?そんなにしてまで若者に嫌われたくないか老害って言われたくないか

どんなジャンルであっても大抵の若者は既成概念の塊である教育を、訓練を、経験を持っていない。そんな彼らに身に着けてもいない概念否定を言ったとしたら彼らはどうするか?どうしたらいいのかわからず「戸惑って立ち尽くす」か「奇をてらう」のだ。そしてお前らはそれを二つとも否定するのだ。そして説教と言うマウントを始めるのだ。まったくもって不毛だ。

世の中ってのは圧倒的に普通の、凡庸な、面白味の無い、退屈な人間達で占められている。俺はもちろんお前だってそうだ。だから自分個性だと思い込んでいるもののために普通バカにするのをやめないか?そして普通若者たちを「既成概念に囚われるな」などと自分が認めるつもりのない個性要求するのをやめないか?「みんなちがってみんないい」は結局人間動物園の混沌しか生み出さない。そして「みんなそろってみんないい」は決して全体主義ではない。「普通」の「既成概念」の退屈な凪のような秩序の中から初めて突出した本当の個性突然変異的に生まれると思うのだ。

普通バカにするなよ。既成概念をないがしろにするなよ。

2020-01-26

anond:20200125235536

お札の向きなんてどうでもいいけど、もらったレシートが財布のお札入れのところでバラバラになるのが心底いやなんだよ!

ヨドバシセブンの長ったらしいレシートあいつらは中央で折り曲げるからギリ許す。

でもマック無印イケアレシートは本気で許せない。あいつらが入ってくると途端にお札入れに混沌をもたらすんだよ!

2019-12-10

彼女ができない苦しみを整理したい(追記)

はい23歳だけど、これまで一度も彼女ができたことがない。

そしてそれに対して死ぬほど苦しい思いを抱いてるので、一度文字として残してその思いを整理したい。

俺が感じる苦しみは大きく分けて①セックスがしたいのにできない苦しみ②他者と深いつながりを作りたいのに作れない苦しみ③モテる人間に対する嫉妬の苦しみ④これから彼女ができる見込みがないように思える苦しみ、の四つあると思う。

セックスがしたいのにできない苦しみ

俺は性欲が強く、2日に1回ほど自慰行為に耽る生活高校時代からずっと続けている。そんな俺がセックスに強い関心を持つのは当然のことだ。高校時代から他者と肉体を重ね合う場面を想像し、「いつか彼女ができればこういうことができるんだ」という希望を持っていた。浪人する羽目になって死んでしまおうかと思った時も、「大学に入れば彼女が作れてセックスができる」と思って自分を慰め(ダブルミーニング)ていたおかげで、なんとかもう一年頑張れた。俺にとってセックスとは人生の救いであり、混沌とした世界の中できっとやって来る数少ない希望だった。

しかし「いつか来る希望」だったセックスは今や「見果てぬ夢」になってしまった。自分がどれだけセックスを望んでも、それが叶うことはない。人生の救いが虚構に過ぎないと気づいてしまった俺は、次に何に縋ればいいのかわからない。最近エロ動画を見ても、ふと「この『救い』が俺にもたらされることはないんだ」という思いが頭をよぎり、深い絶望感を覚えることがある。それでも俺は自慰行為をやめられない。決して救いが与えられることがないと知りながら自慰に耽る俺は、殺される直前まで神に祈る宗教者と似た滑稽さがあるだろう。

他者と深いつながりを作りたいのに作れない苦しみ

俺には尊敬できる両親がいて、少ないが友人がいて、高校時代から続いている親友と呼べるような人もいる。それでも俺は強い孤独感を覚えている。この孤独は、誰かと恋愛的な意味でつながれないことから来ていると思う。愛し愛されたい。一番好きな人になりたい。家族親友にも言えない思いを打ち明けたい。甘えて甘えられたい。他者と手を繋いで歩きたい。こうした思いは、幼少期を除けばほとんど満たされたことはなかった。昔はそれでも平気だったが、歳を取るにつれ嫌なことや辛いことが増え、それらを経験するたびにこの思いが心の奥底からとめどなく溢れ出て来る。それでも、いくら思いが溢れようともそれが実現することはない。ぶつける相手のいない思いを一人で抱え込むたびに、自分はたった一人だ、と感じずにはいられない。

最近、異性と裸で抱きあう妄想をよくする。これは性的妄想ではなく、誰かと深く繋がった状態妄想しているのだ。(ちなみに、俺が風俗に行かない理由はこれだ。金を払って誰かとセックスしてしまったら、この妄想に縋ることはもはやできなくなってしまうんじゃないかと恐れている。)

このように書くと「お前は恋愛関係理想化し過ぎている」と言われてしまうかもしれない。本当は恋人がいる人も、これに似た苦しみを感じているのかもしれない。しかしそれでも俺は彼女が欲しい。彼女がいない苦しみと、彼女がいても感じる苦しみは、似ていても全く違うものからだ。

恋人がいる人間に対する嫉妬の苦しみ

これはつまり、①と②を享受できている人間への嫉妬だ。なんでお前たちには恋人がいて、俺が死んでも手に入れたいものを当たり前のように持っているんだ。俺はお前らよりも頑張っているのんだ。浪人期は毎日11時間勉強してたんだ。就活で30社落ちて人格否定されても続けたんだ。毎日ラジオ聞いて会話の勉強したんだ。社交不安症だけどいくつもサークルに顔出してたんだ。サークルで俺以外の同期でクリスマス会やったと聞いても通ってたんだ。その結果がこのザマだ。お前らはこんなに努力してたのか?してないだろ?なのになんで俺には彼女がいないんだ。ふざけんなよ。お前らはいつも俺よりずっと学生生活を楽しんでるよな。俺が死ぬ思いで頑張ってる横で「人生チョロいわ」みたいな顔してたよな。頼むから地獄へ落ちてくれよ。そうでもしないと釣り合いが取れないだろ。

わかってる。本当は皆俺と同じか、もしくはそれ以上に頑張ってるし、平気そうに見えても多分それぞれ苦しんでる。頭で考えればそんなことはちゃんとわかってる。それでも、俺は嫉妬せずにいられない。なぜなら、彼らは、俺にはない特権を持っているように見えてしまうからだ。俺は一度も彼女ができたことがないのに、彼らは何度も何度も恋人を作っているように見える。そこにはどうしようもない格差存在するとしか思えない。社会の中に何か正しくない、理不尽ものがあり、そのせいで俺は恋人ができないんだと恨まずにはいられないのだ。

④これから彼女ができる見込みがないように思える苦しみ

これは人生に対する絶望だ。俺はきっと一生①②③を感じながら生きていくしかないんだろう。もはやこの苦しみは一時のものではなく、永遠に続く苦しみなのだ。今ですらこれだけ死にたいのに、歳を重ね、周りに既婚者が増えたらどうなるのだろう。これから先、そんな絶望しか待っていないのに、生きていく必要があるんだろうか、とふと考えることがある。

そして、それでもなお俺が生きている理由は、多分まだ何処かで自分彼女ができるんじゃないかという希望を持ってしまっているからだと思う。本当はそんな希望はないことを、頭では理解しているのに。もしこの希望虚構だと、心が気づいてしまったら、その時は本当に死んでしまうのだろうか。それは自分でもわからない。


追記(12/11 18:02)

誤字を修正した。(三つ→四つ、私→俺)

③の嫉妬を綴っている時、つい気持ちが入り過ぎて普段一人称が出てしまった。

予想外に伸びていてびっくりしたけど嬉しかった。俺の人生を削って書いたものから、誰にも反応されなかったらちょっと落ち込んでいたと思う。

トラバブコメは全て読ませてもらってる。共感批判アドバイス色々あったけど、俺個人としてはどれもすごくありがたかった。今までこの悩みをここまできちんと吐露したことがなかったので、増田に書いてよかったと思う。自分の中の脆い部分に沢山の人が反応してくれたおかげで、悩みについての考えが深まり自分もっと知るきっかけになった。

明日明後日コメントに対する返事をまとめようと思う。あくまで俺自身の悩みを整理するためになのできちんとした返事ではないかもしれないが。

追記(12/13 17:08)

https://anond.hatelabo.jp/20191213170850

主な混沌の原因ではあるけど、自演の読み合いは増田醍醐味でもある

本当に違うのに自演認定された時はやめろよ俺を巻き込むなよって感じだけど

2019-12-05

エンジニア職に就いたあと辞めたポエム

補足→ https://anond.hatelabo.jp/20191205212350


これは退職アドベントカレンダー2019 (https://adventar.org/calendars/4051) 5日目の記事です。最初自分ブログに書くつもりでしたが、書いてるうちにどこまで筆が滑っているのかわからなくなったので増田に投げることしました。そしたら余計にタガが外れたのはご愛嬌

What's this

よく見かける「未経験からエンジニアへ!」ストーリーの、あまりなさそうなルートです。よくあるルートのほうはなぜかTwitterで報告して「○○系エンジニア」的な命名をしてから入社その後の動向が闇に葬られているのをかなりの確度で見かけますが、まあ、なんか、いろいろあるんでしょう。逆にそういう成功(?)体験生存バイアスを強化する情報ばかりあふれていると情報として健全でないように感じます

ということで、今年あった自分体験談を残すことにします。

といいつつ後日しれっと消えてたらInternetArchivesか魚拓で会いましょう。

この話はここから先はフィクションです。剣も魔法労基法も出てこないファンタジーです。

who are you

地方に潜むフリーターです。好きなvirtual beingsはロボ子さんと東雲めぐさんれいきらさんです。

これまでは自分のためのプログラムを書き散らすだけで、ITとは無関係バイトをしてきました。玉掛フォークリフトなら任せろーバリバリ

入社の経緯

会社にもぐりこんだいきさつはやや特殊なのでぼやかします。とあるきっかけで知り合った人から誘われました。リファラルです。なお、とあるきっかけはなにかと炎上しがちないわゆるプログラミングスクールなどではないことを防火剤がわりに書いておきます。そんなもんに使う金など無い。

その人のことはあんまりよく知らなかったのですが、CTOとして手伝っている会社システム部門で人手を探しているとのことでした。会社ホームページにはリクルートページなど無く、何をやっているかいまいち要領が掴めなかったのですが、ざっくりと自社製のWebアプリ開発をやる感じらしく、内容も聞いた限りでは(自分スキルと照らし合わせて)そんなにどえらいわけでもない印象でした。ちょうど金もないし無職だし、少し経験でも積んでみるかという気になったので、この際ホームページDreamWeaverサンプルを流用したまんまといった細かいところは観なかったことにしました。

面接にいくと社長から「いつからこれるの?」と言われたので「あっこれは」となりましたが、金がなかったので是非もなくそのまま入社の運びとなりました。この頃はプログラム書いて金もらえるなんてサイコーとか思ってました。ちなみにgithubatcoderアカウントを書いた職務経歴書は一顧だにされませんでした。

やったこ

地方製造業システム部門を切り出して別会社にした形態の、創立数年ほどの会社です。自分のほかにもうひとり、社内情シスのようなことをしている方がいましたが、基本的にはサポートが専門な感じでした(ただし肩書自分と同じでしたが)。紹介してくれたCTOは週に一度のMTGに顔を出すだけということで、実質的に常駐している人間プログラムが分かるのは業界経験自分だけというチャレンジングな環境からスタートしました。なお入社して社内の平均年齢を大幅に下げることになりました。

レスポンシブ化

ちょうど入ったタイミング情シスの方が抱えている仕事があり、とくにやることもなかったので手伝いました。グループ会社サイトスマホ対応させるもので、事情はわかりませんがそれまで他社に制作委託していたものを自社で運用することにしたとのことです。みてみるとWordPress4でPHP5が動き、Bootstrap3を使ったオリジナルカスタムテーマ運用してきた様でした。もちろん仕様書ローカル環境もあるはずがないのですが、どうせ自分Webデザインなど知らんのでとりあえず直にheader.phpにviewportを書いてmain.cssメディアクエリを設定して、ザ・web制作初歩みたいなレスポンシブ対応しましたが、デザインについて当事者との意見のすり合わせの機会なんかの開発手順はなかったので良しとしました。

新規Webサービス

入社して2周間ほどのち、社長についてこいと言われた打ち合わせの後日、MTGで「昨日のアレの進捗はどんな感じなの?」と聞かれたこから、いつのまにか新規案件自分に一任されていることに気づきました。仕様は前日の打ち合わせがすべてだった模様です。要件定義技術選定・検証のような工程など決まってないので好みで揃えました。趣味と関心からExpress+Mongo+Reactのセットか、触ったことのあるDjango/Railsでざっくりやるか、どうせならDockerも使い時か、こんなとき相談できる同僚やメンターが欲しいなぁなどと考えていたら、CTOがそれまで作っていたやつをみるとPHP+ES5+MySQLだったのでなんだかんだでそうすることになりました。PHPを初めて触り、「これがペラ1のphpjscssもなにもかも書いていくといういにしえのスタイルか…!」と新鮮な感じでやってました。

既存システムの移行

Windows Server 2012で動いていたサービスLinuxに移行しました。これは自分が入る前から情シスの方が任されていたのですが、マニュアルに沿ってコマンドを打ちこんではどこかで転け、エラーは読まずにあきらめてCentOSインストールからやり直すということを繰り返していたのを見るに見かねて手伝いました。SSHPowerShellからマニュアルコマンドコピペして実行する方法を教えてあげると目を丸くされました。shellファイルを書いてあげると魔法をみるのような顔で驚かれました。自分が入ってなければどうなっていたんだろうか...

自分ツール作成

毎日出退時間規定EXCELフォーマットに記帳する必要があり、これが非常にめんどくさく無駄に思えたので、自動記述するpython/Goスクリプトを書きました。これは入社して2日目とかだった気がします。しかしここを自動化しても「印刷して人事に提出し、それをもとに人事の方がまたEXCELに書き込む」と知り虚無になったりしました。

FE取得

これはやったことというか思うところあってプライベートで取り組んだことです。自分想像していた開発現場との乖離を感じたので、こういうのはFE勉強すればわかるのかもしれないと思って1ヶ月くらいやって取りましたが、得られた知識会社に活かせそうなものは何一つありませんでした。

チーム開発などという概念存在せず、「1案件を1人で上流から実装運用保守サポートまですべてやる」という進め方でびっくりしました。手持ちの技術スタックでできる範囲ギリギリなんとかやった感じです。よく転職サイト上で見かける文言で「お任せします」がありますが、これとかも要するに「丸投げ」の換言なんでしょうか。わたし気になります

とりくめなかったこ

自分のように途中からジョインした人に対しての業務移行のシステムがないことから感じていましたが、案の定「誰かが抜けたあとの引き継ぎの機能」も整備されてないことに気づきました。もともとオンボーディングや研修概念などありません。えらいひとは「そのへんは現場で協力してうまくやって」と丸投げし、すべての作業を自宅でやっているCTOは社内のこうした事情については放任で、いちおう情シスの方がいつのまにかメンター代わりになっていたものの、不明点を尋ねても頓珍漢な返答が多くもどかしかったです。どのサーバでどんなサービスが動いているのかやSSH情報を聞き出すのに苦労しました。こうした不幸と無駄時間をなくすためにドキュメントを整備しようとしたのですが、頓挫しました。これから物理フォルダーと社内サーバ散逸した各種の情報混沌を深めていくのでしょう。gitも無いし。

サーバオンプレでした。自分クレカをもっていないためパブリッククラウドを試す機会がなく、ぜひとも触ってみたかったのですが、承認を得るための説明がうまくいかず、結局VBoxでやることになりました。唯一、それまで使われていたVBoxではなくVagrantを導入したのは少しだけ救いでした。どうせ自分しかいじらないのですが。

余談ですがオンプレ面白かったのはHDD増設のために初めてデータセンターなるものに入ったことです。インフラ/ネットワークはまったく分からんしなかなか個人で試せない領域だし縁がないかなと思っていたのですがやはりそこに見える物理層が存在するというのはテンションがあがりますね(断層みたいに言うな)

イキってカイゼンジャーニー情熱プログラマーを買って読んだりもしました。目につくように共同図書のつもりで「ご自由にどうぞ」を添えて自分ロッカーに置いておいたら「私物は持ち帰れ」と言われてしまったので持ち帰りました。

退職経緯

さてお待ちかねメインディッシュですね。

もともと技術コンテンツ会社ではなく、技術畑の人間がまったくいないことのインプレッションが次第に違和感として強く響いてきました。ITエンジニアとしてやっていくつもりの観点でみると、学習や成長の土壌は無いように思えました。協調関係や信頼がうまく築けず、自分のすべき道筋不明瞭のままやっていけるほどタフなYATTEIKI精神ではなかったのです。

これは地方の、それもIT気質のあるわけではない、ワンマン経営中小製造業ならばどこにでもあることかと思われますが、随所に感じるレガシーさに疲れてしまいました。一例を挙げると、毎朝30分に亘り行われる全社清掃(もちろん業務時間外)、社是の復唱、『感謝言葉をみんなで味わうポエム』の輪読、その感想大会、頻繁に行われる中身のない会議日報エクセルで書いてメールで送ったり、出退勤表を毎日エクセルに書いて印刷して事務方に持っていくなどのルーティンがけっこう苦痛でした。

社内のコミュニケーションツールLINEだったので使い勝手も悪く、会議chatworkslackを使いましょうと提案しても誰一人としてそれらの存在を知らず、「勝手にやってくれ」と言われてしまったり。LINE WARKすら知らんやんけ。説明しても「skypeじゃ駄目なの?」と言われたので諦めました。

えらい人の思いつきのたびに方向性が変わり、当人発言したらそれで全て完了した気になってしまったのか、会議終了後の10分後に「さっき言ったやつまだ出来てないの?」などと言われた時はギャグかと思いました。会議議事録も誰も見返さないので果たして意味があったのか疑問です。誰かひとりでもmarkdownが書けたり、少なくとも書く気があれば勉強会を開催してHackMDなどを推せたのですが。議事録機能していないエピソードとしてひとつ思い出しました。開発中に機能追加を下された際に、その挙動は完全にプラットフォームネイティブであり今の技術選定だと作り直しになり、結果納期に間に合わない(し、自分技術スタックからも遠く外れていたので学習コストも加算)と発言したらその場は収まったのですが、会議終了後に個人メールで「やはり機能マストだ」と伝えられました。当然それは議事録に反映されることなく、なんかしらんけどそういうことになっているという感じになりました。

初めてのエンジニア職でしたが、社内に開発をる人やマネージャー職は不在で、いわゆる開発現場での流れを学ぶことはできませんでした。少なくとも技術を知らないえらいひとが「俺がスケジュールを立てたからこれに沿ってやれ」と、”開発”と”広告作成しか書かれていない2週間の計画表をもってくるような現場システム開発として正しいのか、 と本能が警告を発していました。

もともと会社製造業から始まったため、えらい人たちとの見解齟齬があったのは体感としてあります。同じものづくりといえど設備マンパワー時間線形的に結果に結びつく工場業務と異なり、システムエンジニアリングはかける時間見積もりも容易でなく、かかった時間が必ずしも結果に結びつかないものである、と言う事実は受け入れられ難く、知識ドメインマインドセットが異なれば説明も困難です。しかしながらえらいひとは一様に「経営視点を」の号令で、経営誌を配り、その感想文の提出を義務付けるなど、現場視点を欠いた行動で現場(というか私)を疲弊してました。気づいたらSEO対策や別部署MTGのためのプロジェクター設定、全PCwindows updateに伴うドライバ更新の役も同一の職掌として役付けられそうになっていたり(一部は実際に情シスの人がやってた)、It’s not my workなシーンがみられるようになっていました。

そして、よくあることですが、理念実態乖離していたことです。世界をよりよくと言いつつ、目先の掛け算を考えてばかりのように思えました。グロースする中で発生しそうなあれこれをすっ飛ばし利益だけを皮算用するのはいいとして、データ量やトラフィックを指摘すると「そこは現場努力でしょう」となるので、世界を良くする前に精神を悪くしてしま人生で初めて心療内科にいったりもしました。一応グローバル展開を目指しているとしながらサーバからMailerDaemonが飛んできたら「ギャっ英語っ!」と言って読まず捨ててたり、急にサービスが止まった時には激怒して責任所在の追求を求められたため、草創期にえらい人の個人アドレスで取得してほったらかしにしていたドメインが失効したことが原因と伝えたら「あれはもう読んでいないアドレスだし仕方ない。こういうピンチときこそチャンスにしようぜ」という謎理論を出されたこともありました。

違和感が確かなものになったのは、外部に提出する資料で社内の数字が異なっているとを指摘すると「こういうのは見栄が大事なんだ」と暗に公文書偽造をほのめかされたことですが、これ以上は闇っぽいので書きません(たぶんどこもやってて罷り通ってる範囲だと思うけど)

総じて、心理的安全性の低さ、そこからくる身動きのとれなさ、ロールモデルの不在、前時代的な風潮、社内文化へのミスマッチと不理解、成長の実感が沸かない不安と不満、それらに伴う摂取アルコール量の異常な増大と過食、といった要因の積み重ねが、ネガティヴな形での退職へと駆り立てることになったのだと思います。まあ、よく知らんうちにリファラルしてるところからして「採用教育コストを考えてないのでは?」の念はあったのですが。中身がまったく不透明状態で飛び込んだらそうなるよなぁ、の好例かもしれません。誘われた時はわりと藁にも縋る思いだったのでしかたないね

これから

現在スキー場住み込みバイトしてます。無考えに退職すると年を越せないことに気づきました。

可処分所得可処分時間いずれも今の方が上なのはちょっとウケます賃金ふつうに生きていければいいので前職程度でも気にしなかった程度なんですが。いまは映画をみたり積ん読を消費したり、在職時は深いところまで触れなかったPHPをいじったり、生PHPしかやってないことに気づいたのでcakeやったり、あとはweb周辺も久しぶりにキャッチアップしたりしてます。nodeネイティブおじさんなのでFWはangularしか知らないんですよね。vue/nest面白そうな感じです。あと寮のwifi談話室限定で窒息しそうだったので、持ち込んでいたラズパイルータにして部屋まで飛ばしたら隣室の同僚から感謝されたりと活動は多岐に渡ります

先のことはなにも決まってませんが、ちゃんエンジニアリングしている組織で開発してみたいなという気持ちがありますレビュースクラムアジャイルなんてのはひとりだと不可能ですし。ですが、やはりそういった会社日本では都市部にばかり集中しているのでしょう。自分空気の悪いところには住めないし、案外また辺鄙なところでtechとは無関係のことをしているのかもしれません。ワーホリでも使って海外大麻栽培でも始めようかなぁ。

いかがでしたか

巷説に流布する「未経験からエンジニアへ」の言説のたぐいは、どちらかというと技術力よりもコミュ力が偏って高いタイプ生存しがちな雰囲気を感じます。たまにTLに流れてきたのを見かけますが、ああいった立ち回りは自分にはできないしやりたくないなぁと思ってきました。社会要請ならばそれまでですが。

自分は体系的な情報教育を受けていないどこにでもいる地方高卒で、下手の横好きで趣味プログラムを書いてきたし、続けてるってことはそれなりに好きなんだと思います。得意じゃないけど。んで、こんなのがITエンジニアをしたサンプルというのは見かけないかもなぁと思って投稿しました。光あるところに闇あり。

といいつつ、やっぱり好きなことの結果がおかねになるのはいいよなぁと思った次第です。プログラムを書くのは楽しいけどエンジニアリングは超絶むずい、が雑な総括ですが、今回のことを顛末次第にはする気はないので、どこかに拾ってもらえるよう精進するきもちになりました。

ぼくのポエムはこれでおしまい。じゃあね。

2019-11-25

anond:20191125154655

それって見る人によって解釈かなり変わるから嘘松と一緒だねほんと)

ツイフェミは悪!って言いきれないのも厄介だしなんか混沌としてるね…

他人事でいたい

2019-11-22

飽きやす

かなり飽きやす

特に対人関係がそう

相手の底が見えるともう駄目

 

底無しの人が昔から好きだ

特にオタク界隈の人は底無しだしさらには広がるから好き

 

自分も飽きて捨てられないように拡張し続ける混沌存在でありたい

2019-11-15

君の名は。で思い出したけど

もし男児妊娠している巫女さんがいたとして、胎動のショックをきっかけに男児精神とお母さんの精神が入れ替わった時、どんな感じなんだろう?

母体側がわけも分から混沌とした世界模索的に徘徊し、胎児側はどうすることもできず思索にふけるだけだろうか?

anond:20191115144524

最近switchとrestoreを入れてみたり、ちょっと問題視してますアピールが感じられるが、

git混沌としたコマンド体系はちょっと便利なコマンドを追加したくらいでは

とても解消できるもんではない。

過去互換性を捨てて一貫性を持ったコマンドに作り直さんと、どうにもならんでしょ。

 

あと、

変な初心者事故ったときリカバリ効かん

初心者リカバリできんだけで、システム的には基本的リカバリできるよ。

それもreflogとreset大丈夫パターンが大半。

anond:20191115033544

少なくとも、東都北都西都の3つに分断される程度じゃすまないくらいには混沌を極めるだろうね

2019-11-09

anond:20191109002356

喧嘩稼業新刊が出てるじゃないかパンティー。これは嬉しくて語尾にパンティーを履かせてしまパンティーとは何事だパンティ!!!眠いからあとで追記するパンティー。

追記:

喧嘩稼業新刊が出てるじゃないかパンティー。これは嬉しくて語尾にパンティーを履かせてしまパンティーとは何事だパンティ!!!語尾にパンティーを被せるのはやめてくださいパンティー!!そもそも語尾にパンティーを履かせるとは何事だパンティー!!被るものじゃないのかパンティーはパンティー!倒置法でも語尾パンティー!飾りじゃないのよ涙はパンティ!!!何なんだパンティー!語尾がパンティーだと文章意味が全く分からなくなるパンティー!涙は飾りじゃなくて、パンティーなのかパンティー?お前は何を言ってるんだパンティー!

混沌とした意識の中パンティー 、語尾パンティ増田がまず取った行動は自分の首から上にパンティーを被っている事の確認パンティ

「被ってたパンティー」

そんなシーンはないパンティ!!!被ってたパンティーとかそんなイカれた発言もないパンティー!!ギリ倒置法風味の発言でもないパンティー!まず、パンティーを被ってるかどうか自分でも定かではないってどんな状況だよパンティー!!語尾がパンティーという一点だけで全てが台無しパンティー!!語尾がパンティーだと何もかもめちゃくちゃになる事になる事はそろそろ分かっただろパンティー!!パンティーいい加減にしろパンティ!!!喧嘩稼業読んだ事ないけど、あってるパンティー?とにかく、言いたい事は以上だパンティー!語尾にパンティーは、意味が分からいからやめなさいパンティ!!!

2019-11-03

一人暮らしをはじめた。

一人暮らしをはじめた。

はじめてフローリングほとんどが見える部屋で暮らしはじめた。はじめてゴキブリに怯えない部屋で暮らした。はじめて服の山から今日着る服を引っ張り出し、靴下の片割れを探さなくていい暮らしをはじめた。お風呂場は元の色がわからないほどカビまみれではない。ご飯に虫は入っていない。机の上は広く、勉強道具や趣味の道具を広げても怒られない。ものが腐ったような臭いもない。床に散乱する雑多の書類に足を滑らせ、転ぶことも無い。

両親はとてもいい人だとは思うけれど生活することについては、よくない人だった。私はだいぶ大きくなるまで、布団は毎日畳んでしまものだと知らなかった。小学校でしているような掃除を、家庭でもやっていることを知らなかった。掃除機は年に一度見るか見ないかの頻度で登場し、その後はなんだかよくわからないものに埋もれていった。テレビドラマに出てくる家はフィクションなので床が見えるのだと思っていた。

小学校に上がると友達の家に行くことがあった。フィクションのような綺麗な家にただただ驚いたのを覚えている。友達の家は、私が片付けをしないので出禁になった。

私が友達を家に呼んだことは1度だけある。次の日、学校で「○○ちゃんのいえはきたないね」と言われた。それ以降は人が来たことは無い。

小学校から制服があってよかった。

なんだか少しずつおかしいなと思ってはいたけれど、ご飯は出てくるし、暴力を受けることは無いのでこれは虐待じゃないと考えていた。親は私を愛していたと思う。

持病は酷かった。高校の時はじめて1人で医者に行くと「寝具はどのくらいのペースで洗濯していますか?」と聞かれた。「どのぐらいの頻度がいいのでしょうか?」と質問質問で返した。家の寝具の洗濯ペースより遥かに短い頻度を答えられた。このときはじめて、あぁこの生活健康に悪いんだなと思った。

闇金ウ○ジマくんを読むと自分達の将来の姿に思えてならなかった。登場するたくさんのクズ大人たちより、よっぽど散らかった部屋で鬱々と暮らす自分はもうダメなんだろうと落ち込んだ。

毎日毎日書類が見つからないたび、靴下が見つからないたび、スープに浮かぶ虫や髪の毛を見つけるたび、部屋で転ぶたびに漠然と死にたかったけど、部屋が汚いか死ぬの?と突っ込む自分がいた。

大学は死にものぐるいで家から離れたところにした。部屋の片付け方を調べて、たくさん本を読んだ。色々な場所掃除する頻度も調べた。自分の部屋だけ綺麗に保ち続け、私は大丈夫なのだと言い聞かせた。親のものを捨てると怒られるので何もしなかった。

一人暮らしをはじめて数年が経つ。最初は上手くいかなかったけれど、今となってはだいぶ慣れてきた。ものが少ないと管理がしやすいのでその形に落ち着いた。今流行りのミニマリストみたいなものだろう。

実家には年に1回行くか行かないかの頻度だ。自分の家が整然と片付くほど、実家混沌とした状態に耐えられなくなった。連絡はしている。親が家に来ることもある。たくさん言い合いをして、説得した。親は片付けるという発言20数年実現したことは無い。

先日、久しぶりに実家に行くと私の部屋は、よくわからないもので埋め尽くされていた。

実家に私の部屋はもうない。

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