はてなキーワード: phsとは
最近増田でホットなAndroidとiPhoneの罵り合い。楽しいですね。
なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日本でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての本社は市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西のメーカーでAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日本の一大産業であった携帯電話や基地局の生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。
で、よく知られているように日本の携帯電話は1999年のiモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済もできて音楽を聞いてテレビまで見れて、もちろん防水でアプリまで動かすことができた。カッチリ作られた二つ折りやスライド機構は触ってるだけで楽しかったし、こんな携帯は日本メーカー以外どこも作れなかった。
まあそれがガラパゴスと言われて後々の衰退につながるんだけど、実際はドコモはガラパゴスを良しとしてなくて、iモードを普及させようとして海外の携帯キャリアにガンガン出資していたし(その大半が失敗して莫大な損失が生じた)、ドコモの進出と同時に日本メーカーは高機能な携帯を世界に売り込もうとした。でも結局どれもうまく行かなかった。なんとか海外に地盤を築いていたのはソニー・エリクソンと三洋くらいで、三洋はアメリカのスプリントにCDMA携帯を輸出してそこそこのシェアを取っていた。ライヴァルであるモトローラとかサムスンの携帯を買って研究していたのが懐かしい。
後にAndroidやiPhoneがすごい勢いでエコシステムを世界に広げていくのを見ると、どうしてiモードにはそれができなかったのかなと思ったりする。まあでも日本メーカーの小さな筐体にぎっちりと機能の詰まった携帯は、個人的にはサイバーでありジョリーグッドで今でも好きなのだが、海外ではいまいち受けなかったし、ドコモにおんぶにだっこで儲けていたNECやらパナやら富士通は、お付き合い程度にしか海外進出をする気もなかったようだ。
当時すでにスマートフォンは海外ではそこそこ普及しており、SymbianとかPocketPCとかBlackBerryなんかの端末は結構海外のビジネスマンは使っていた。しかし日本ではいわゆる「ガラケー」のデキが良すぎてほとんど普及せず。シャープがWindowsCEを積んだW-ZERO3を出してたくらい(持ってた)。
で、2010年(追記:2008年の間違いだった、申し訳ない)ついにiPhoneが日本で発売。もちろん俺は買った。当時ソフトバンクの独占発売だった。よく知られているように、当時の論調は「iPhoneより日本のガラケーの方がずっと高機能」で、こんなものは驚異にはならないという話だった。確かにiPhoneはすぐに電池が切れるし、FeliCaも防水もワンセグもなし。文章のコピペもできないダメケータイだった。実のところ俺自身も使ってみて、こんなダサいものが日本の携帯に勝てるもんかと思った。しかしソフトバンクがiPhoneの未来イメージとシンプルで安い料金プランでガンガン攻めてきて、auやdocomoは対応せざるを得なかった。
まもなくシャープや富士通東芝、ソニー、NECなどが次々とAndroidスマホ発売。このあたりの大混乱の思い出はブコメでもよく見るけど、未だにどうしてこうなったんだと思わざるを得ない体たらくだった。iPhoneに対抗するためにキャリアがワンセグやFeliCaの搭載を求めたために、開発は難航。第一Androidの開発をしたことがある人なんていなかったし、そもそもスマホなんて作ったことなかったのだった。納期に間に合わせるためにやっつけて作ったソフトは不具合連発。一体何であんなもんを作ったのか未だにわからない、メガネケヱスと言われて1円でばらまかれたシャープの端末、まともに動いた時間のほうが少ないと言われたレグザフォン、ホッカイロスマホと言われ東京湾に在庫が沈められたと噂されたアローズ。この頃俺は端末の開発からは遠ざかっていたけど、何人が死んでるんだろうと思うくらい現場は悲惨だったようだ。
それでも各社はなんとしてでもiPhoneに抗おうと必死だったようだ。AndroidとiOSはほぼ同時期に出てきているんだけど、端末開発では若干iOSが先んじたが、実際のところ世界ではスマホのシェアはあっという間にAndroidがiPhoneを抜き去っている。しかし日本のAndroid勢はソニーエリクソンを除けば総崩れで、iPhoneを扱うソフトバンクへの流出が止まらない。まずauがiPhone4を扱うことに。docomoは当初ツートップ戦略というサムスンとソニーのスマホで推す作戦に出たが、それによってパナやNECといった古くから携帯を作ってきたメーカーが脱落。その後2013年にAppleに屈した。その契約は屈辱的な内容だったらしく、日経は「不平等条約」と書いた。専用の売り場を設けたりといったよく知られている事に加えて、一説によると販売する端末の3~4割がiPhoneでなければならないとか、iPhoneのために莫大な広告宣伝費を負担するなどである。未だに日本ではiPhoneが発売されるとauやdocomoがiPhoneのCMを流すが、あれにはAppleは1銭も出していない。全部キャリアの持ち出しである。彼らの強欲なやり方を告発した、「アップル帝国の正体」という本が出たのもこの頃だ。
結局の所キャリア各社はこの契約を履行するために、iPhone用のお得な料金プランや分割購入プランを作り、窓口でも積極的に売り込んだ。初期のAndroidスマホのできの悪さを見聞きしてきた人たちは一斉に乗り換えていった。キャリアはいままで苦楽をともにしてきた日本メーカーをあっさりと見捨ててAppleを推しまくった。この頃はAndroidの開発もこなれてきて割とマシなスマホを日本メーカーも作れるようになってきたが、もうキャリアも消費者も見向きもしなかったのだ。実際iPhoneは使いやすかったし、膨大なCMと提灯記事とキャリアショップのど真ん中で扱われたことで、もうスマホを買うことはiPhoneを買うことと同じくなっていく。
もうこうなるとiPhoneなしでは全くキャリア戦略は成り立たない。今に至るまでAppleと契約した屈辱的な関係を捨てることはできず、結局の所3キャリアはAppleの言いなりになって莫大な国富を貢ぎ続けた。まあ彼らのやり方がうまかったといえばそうなんだが、こんな事になってしまった国は日本くらいで、いまやアメリカをもしのぎ世界で最もiOSのシェアの高い国である。他の国ではiPhoneは一部の富裕層の持ち物であり、安くて高性能なAndroidスマホがとっくに主流になっている。iPhoneはそのCPUを除けばもうすでにイノベーションからは周回遅れであり、中国メーカーの作るAndroidがいまや先端を突っ走っているが、日本ではなぜか多くの人がiPhoneを最先端で最高性能と信じ続けた。
結果として、この給料のまるで上がらない国で、値段が上がり続けるiPhoneは売れ続け、日経が「最新のiPhoneは日本人平均給与の6割」という記事を書くまでになった。まあ別に何を買おうと勝手なのだけど、貧困女子といったタイトルがつく報道でカップラーメンをすすっている人が持っているスマホが、10万円近いiPhoneだったりするどこか歪んだ社会になってしまった。最近も同僚から「家族みんなでiPhoneを買い換えるので40万かかる」との嘆きを聴いた。OPPOあたりにしとけば全員分買っても10万で済みそうなのだが、その選択肢は彼らにはない。
とにかく日本のキャリアは総務省の顔色を伺いながらiPhoneを売るだけのAppleのポチになってしまった。auもdocomoも傲慢な連中だったが(もっと言えばNECもパナもry)、Appleはそれに輪をかけて傲慢でクズな会社である。彼らが電気電子産業が壊滅した焼け野原の日本から、ケツの毛一本までも利益をむしり取っていく現状は悲劇としか言いようがない。一社が支配的な力を持つ市場はろくなことにならないという証左であろうが、もっともそのクソに完膚なきまでに負けたのも我々である。ほんとすみません。
俺は岐阜のS社の研究所と虎ノ門のDDIポケットの本社を往復してた時代から、百花繚乱のごとく日本の携帯が咲き乱れた黄金期を生きて、それらが全部Appleになぎ倒されていく歴史の中に身を置き、どうしてこうなってしまったのか、どこでどうしたら良かったのかと今も思う。しばらくはiPhoneに使われる部品も日本製が多かったが、今や台湾や韓国にも負けてしまった。スマホのCPUを作れたのはルネサスだけでそれも一世代で消滅。メモリも液晶もだめになって、今やNANDとMLCCくらいか。最終製品を失った日本にもう一度半導体をと言っても虚しく響く。
まあ、もう50すぎのおっさんの独り言です。ちなみに私が使っているのはかつてアメリカ市場で我々とCDMA携帯のシェアを争ったサムスンのGalaxy。妻とむすめはiPhoneです。二人は絶対にiPhoneじゃなきゃいやだ、Androidは使いにくいといいます。おっさんはそんなことないと思います。でも、何言ってももう彼女らは「iPhone」なのです。
サザエさんとか昔の漫画でも、電車の中で新聞を読むのは背景にちょいちょい出るよね
新聞を広げて読むのはもちろん糞邪魔で、そのままうざいおっさんや、折り紙みたいに超ちっちゃく畳んで読むのが職人芸みたいになってるおっさんもいた
俺が高校生くらいの頃には
「大人なのに電車の中でジャンプを読む人たち」ってのがちょっと社会問題っぽく話題になってた
新しもの好きだった親父がちっちゃい弁当箱くらいあるウォークマン(カセットテープ)持ってたけど、家に置きっぱなしになってた
その頃、混雑してる電車の中でスポーツ新聞の風俗情報とかのエロい欄を堂々と読んでるおっさんも結構いて
この頃にはウォークマンもたまーに見るようになる
携帯機はゲームボーイがあったけど、電車の中でやってるやつはありえないレベルの変わり者
今で例えるとコンビニでカップラーメンにお湯入れて電車に乗って食ってるくらい(見たこと無いけど)ありえない
俺は専門学校時代は、電車の中ではやること無いから基本目をつぶってた
1995年くらい、新社会人になって小銭持つようになってからは、古本屋でよく文庫本をかった。
月~金の行き帰りで10回読む時間がある。週に3冊くらい読んでた。
あと記憶が定かでないが、CDウォークマンも多分この頃かな?もうちょい後だったかな…
MDウォークマン(カセットテープ→CDの間に、一瞬で滅んだMDというメディアがあった)も持ってたな
mp3のウォークマンはまだ無い(mp3が発明されていたかどうかも不明)。
まだ携帯はなく、PHS時代。(俺は初めて買ったのは携帯(FOMA)で、PHSは持っていなかった)
Windows95が発売されたが、物好きしか買っていなかった。ご家庭にパソコンがまだない時代。
あ、週刊アスキーをよく買ってた気がする。
確かDQ1がプリインストールされていた気がするが、ほぼ遊んだ記憶がない。(もっと後の機種かも?)
ゲームは好きだし、携帯いじってるのは浮かなかったけど、携帯で遊ぶくらいなら文庫本のほうが面白かった。
Windows95-98の本格普及、インターネットの一般化、ipodの登場。
これでかなり変わった気がする。
ただ、携帯はまだガラケー。ガラケーのゲームはほぼ印象にない。
ipodは買わなかったが、UFOキャッチャーで怪しい中華メーカーのmp3プレイヤーを取って試しに使い、
ものすごい手軽さに感動して、ビクターかどっかの微妙に安いmp3プレイヤーを買った記憶がある。
スマホを初購入。
当時国産のスマホはくっそ遅くて使い物にならなかった。フリックしてちょっとラグがあってスクロールするレベル。
携帯ゲーム機もさほど浮かないようになったのはこの頃くらいではなかろうか。
スマホ出現後はもう今と変わらんと思う。
30代男性です。
そんなレッテル貼りをしたところで何も変わらないんだけど、最近なんか息苦しくて、この生きづらさに理由がほしい。
・テニス部顧問から「強化リーグ出てみないか?」と誘われるも断る。
・夏休みに一定回数プールに行かなければならず友人を誘うが「もうクリアしてるから行かない」と断られ電話先で絶句する。
・中3夏の高校受験模試で商業高校はS判定、進学校はB判定だった。塾講師に「進学校も十分狙える」と言われるも商業高校に進学。
・メールで告白されたが返信しなかった。2週間ぐらいして、その子のクラスメートに責め立てられ渋々お断りのメールを送る。
・反抗期が無かった。
【大学時代】
・ひとつ上の先輩となあなあに付き合い出し、面倒くさくなり連絡を取らなくなる。友人宅にいたところを突撃され別れを切り出された。
・同学年の子となあなあに付き合い出し、面倒くさくなり連絡を取らなくなる。自宅で寝坊したタイミングで突撃され別れを切り出された。
・インターン先の大手SIerから採用試験の案内電話がくるも運悪く取れず。1次面接免除&志望度高かったはずなのに折り返さずに選考不参加。
・大学時代の後輩となあなあに付き合い出す。PHSを契約するも自分からは全く電話しない。
【社会人以降】
・↑の後輩と遠距離恋愛となるが、自分からはほとんど電話しない。そして別れを切り出される。
・合コンで連絡先を交換した子から遊びに行こうと連絡が来るも、返信せずに終わる。
・現妻(お互い社外人)となあなあに付き合い出す。
・プロポーズを実行しようと奮い立つも、部屋でボソっと「結婚しよう」と言うだけ。ノーサプライズ。その後具体的なアクションを起こさず、痺れを切らした妻に促され両親に挨拶に行く。
・業務上の電話で秘密にするようなことでもないのに、周りに話声が聞こえていないか気になる。毎回ではないが、気になりだすと止まらない。
・転職の面接と内定辞退を繰り返す。将来に危機感を抱いての行動だが、いざ内定をもらうと新しい環境にビビって撤退している。
・そして転職したいことや内定もらったことを妻に相談できない。
【その他】
・とにかく電話が嫌い。何をするにもまずWeb手続き、問い合わせができないかを確認する。
・友人と歩いているときに、別グループの友人と会うとめちゃくちゃ居心地が悪い。
こうして振り返ると、どう転んでも幸せにはなれなさそうな人生だなぁ。
ただ、本で紹介されてるような酷い家庭環境では無かったし、成人期迎える頃には寛解することが多いらしのに、むしろ最近になって気になりだしたから、ただのクズなのかもしれない。
恥ずかしげも無く、同じネタで煽り文だけ変えて複数投稿できる感覚、スゴイと思う(憧れないけどw)
●携帯番号「090」はおっさん!? 新たな“おじさん認定”にショックの声…番号の割り当て方を総務省に聞いた(午前11:40 · 2021年5月30日)
https://twitter.com/FNN_News/status/1398831762961145857
●若者からおじさん認定されるのは、最近はその人の言動だけではなく、#携帯 のある番号でも言われるという投稿が話題になっている。
「『携帯番号が090~はおっさん』という若者の発言を聞いてa little bitショックを隠せない」と投稿したのは、げどすら(@gedoslime)さん。(午後4:16 · 2021年5月31日)
https://twitter.com/FNN_News/status/1399263447712296961
●この投稿に「090」番号と思われるTwitterユーザーから「大ショック…」「私おっさんだった」と同じくショックを受けたというコメントが多く寄せられた。なぜ「090」や「080」で始まる携帯番号があるのか?携帯事業者に番号の配布などをしている #総務省 に話を聞いた。(午後4:16 · 2021年5月31日)
https://twitter.com/FNN_News/status/1399263557766639620
●番号として違いはないが、あるとするとそれぞれ携帯電話への指定時期が異なる。番号は数に限りがあるので、少なくなると新しく番号を追加している。070は最初PHS用だったが、現在ではPHSと携帯両方で使用され、080は、02年指定当初から携帯用として利用されています。(午後4:17 · 2021年5月31日)
https://twitter.com/FNN_News/status/1399263632135835652
●「090」で始まる #携帯 番号は約20年前から使われており、解約後の再利用もあるが、基本的に空きがないため「昔から番号を変えていない人が多い=おじさん」となったようだ。一方で、「090番号がうらやましい」などと希少性を感じる若者がいることも興味深い。(午後4:17 · 2021年5月31日)
この増田の話、「自慢したい相手がいない」というところに集約されていて、私は地方暮らしを楽しめない人間ですという吐露を東京ageで合理化してるだけなので皆さんもう解散するよろし。
東京圏(日常的に、山手線の駅まで概ね1時間で到達できる駅くらいの立地まで。概ね国道16号の内側)で生まれ育った人か、そうでないかで反応は大きく異なるのではないかと思う。大阪は住まったことがないのでわからないが概ね環状線内ということになるのだろうか。生まれてこの方自動車などが家にあったことがないというひとならそれがデフォルトだから自動車を生活の基盤に吸えるという発想自体がそもそも無かろう。自動車があって当たり前というところで生まれ育った人ならばそれがデフォルトになるし、非都市部では車がないと著しく不便な生活を強いられることを知っている。以降、めんどくさいので車の不要な大都市圏を「東京」と一緒くたに呼ぶことにする。東京では「駅まで徒歩何分、そこから何分」の世界が非東京では「自宅から車で何分」という世界だ。別の国だ。だからこの増田は東京という別の世界の別の国の別の国民の話である。
人口6千人ほどの関東近辺に生まれ育った私は高円寺あたりのアパートに数年住んだがあそこは無理だった。狭い。部屋も道路も土地も果ては人の心までも狭い。もっとも部屋が狭かったのは私が貧しかったからであるが。「老人と運転免許」の問題ともつながるが、行きたいところに安価に短い時間で好きなときに行けるというのは極めて価値のある「自由」である。東京ではそれは主に公共交通でなされる。自家用車に依存しているところは東京ではない。では駅からバスで十数分みたいなところはというと、そこはやはり東京都内にあっても東京ではない。ところでlibertyとfreedomの違いはあんまりないと言うが、ここで言う自由はたぶんlibertyのほうがしっくり来る自由である。
非東京では公共交通がないか極めて貧弱である。ハイハイから二足歩行に移行してようやく人らしくなるように、徒歩と自転車のみから卒業し自動車という二足歩行で生活することが自立した人間の証明となる。車がないと人間ではないから自由がない。この増田は車持ってないし買うつもりもないという。人権を手に入れてないのだからそれは辛かろう。
東京最高っていう意見には郊外志向の私も賛同せざるを得ない。ADSLの草分けである東京めたりっくもFTTHも、東京からだった。非東京に便利なものが来るのは常にあとだ。それがインフラともなればなおさらだ。
といっても、私は根が田舎者なので土が見えない世界で暮らすのはつらい。将来的には郊外に移っていくことだろう。といっても、東京からちょっと行けば色んな所に行けると言っているように、私は「ちょっと行けば東京」という場所を選ぶだけの話だろう。電気、都市ガス、上下水道、光ファイバー、au携帯の電波(ドコモの電波は日本である限りどこでも入る。彼らのプライドである。)、あとTBSラジオがあればそれ以上は過剰な贅沢というものだ。5Gの電波は・・・初めて聞いた頃はまた新技術かと思ったが知ってみればうわーこれ劣化PHSじゃんかと思ったから多分死にそうになる頃まではいらないだろう。この増田は人気(ひとけ)のないのがつらいという。人が作った色んなものがないのが寂しいという。私には東京は人気(ひとけ)が過剰である。自然の作ったものが少ないのが寂しい。育ちによって培われた志向の違いとはこういうものである。
根源的にはライナスの毛布問題である。慣れ親しんだボロ毛布、捨てられると思ってたけど実は捨てられなかったというだけの話。多くの人間はそんなもんなのだがこの増田は東京にあるいろいろなものがそれであったということである。
誰も理解できなかったな。
物理的な輸送と違って、いったんインフラができたら距離は関係ないじゃんって言ったけど、同意はされなくて反論ばっかりだったわ。
昔って言っても、もう携帯やらインターネットやらが普及してたころなのに。
最近NTTがワイヤレス固定電話を発表して、昔、固定電話型のPHS端末が発売されたときに「携帯なのに固定電話www」とかネタ扱いする連中が多かったのを思い出したわ。
無線だから設置が簡単だし、基本料金が安かったし、普通のPHS端末は固定電話の代わりには使いにくいし、普通にありじゃね?って思ったけど。
世の中って考えに柔軟性のないほうが圧倒的多数なんだよな。
ジメッとする盆過ぎの暑さの頃、そう学生は夏休みの真っ只中だった。
クーラーの効いた個室に入って、仕事中だからこそぐったりする開放感。
しばらくすると電話が鳴り続けるので取ると、フロントからの取次だった。
こんにちはー。何歳ですかー。若いですねー。何歳だと思うー?何してるのー?
違った。「いま私たち、池袋の西口にいるんですけど暇してて。高校生」。
分かった。冷たい飲み物おごってあげるから、ロッテリアで待ち合わせようよ。
「外出します」とフロントに言い、汗がじわりとサンシャイン通りのロッテリアに歩く。
よく周りを見たら、夏休み中の小中高大学生でいっぱいだった。映画を見るのか?見たのか?
いま思えば携帯電話も無しによく待ち合わせできたな。この後PHSを買うことにした。
スーツ姿で22歳で、ロッテリアの前で僕はキョロキョロしている。「すみません、電話の人ですか?」
女子高生二人組は、今年高校入学で、まだ垢抜けない15歳だった。服装も一昔前の中学生みたいだった。
顔も可愛くない寄りの普通だった。
ロッテリアのセットメニューを注文して、冷房が半分効くテラス席に座った。
歳は22歳と15歳と16歳だ。何してるんですか。会社が嫌で嫌で、
テレクラは涼しくて個室で寝れてテレビも漫画もあるからなんだ。
昔の外回りの営業と言えば、パチンコか喫茶店か映画館だろうか。
なんでテレクラに電話してきたの?暇だったし、興味あったし。ねえ。
二人だし昼間だし、怖かったら電話切っちゃえばいいし。そうそう。
いままで何してたの?さっき待ち合わせて、どうしようっかって。埼玉からなんだ。
「これから三人で、涼しいラブホに行かない?コンビニでお菓子買って」
えーえー。ラブホって昼間やってるんですか?昼間は逆に安いんだ。
どこにあるんです?池袋は北口にいっぱいあるんだ。ここから歩いて10分くらい。
行って何するんですか?何もしません。大きなベッドで寝られる。
私は良いけど。エッチなことしないですよね?これを機会に見学見学!
ちなみに僕は、女の子の私でも本気を出したらこいつに喧嘩で勝てる、
歩いてもいいけど、夏の暑さのせいかしら、タクシーで陸橋渡って北口へ。
コンビニの前で降りて、適当にお菓子や飲み物やビールも買った、僕はアルコールは飲まないけど。
新宿のラブホだと、もっと大きくてディズニーランドの建物、ではないけど、まあいいか。
どの部屋がいい?うーん、取り敢えずどれでもいいかな、まずは。
普通の見た目広めの部屋にした。
部屋に入りドアを閉める三人。家族旅行で旅館の部屋に入った時と同じ気持ちだ。
ベッドに飛び乗る。あちこち見る。ボタンを押す。照明をいじる。
浴室を見に行く。テレビをつける。案内板読む読む。エッチなチャンネルにする。
ここはラブホテルでエッチなことする場所だし、エッチなビデオを見てもおかしくないと思います。
なるほど。。今日だけね今日だけね。家で見たことある?無いー。
ビデオ、みんながいつも居る部屋にしかないし。お父さんも見てないと思う。
夜中でもなんかテレビついてたら分かるし。私とお母さんとおばあちゃんが買い物行ってるときとか?
私は中学校の時の友だちのお兄ちゃんのを、友達んちで少し見たことある。
モザイクで見えないよねー。見えない見えない。
僕はそんなお喋りをしてエロビデオを見てる片方の女の子の見えそうで見える白いパンツをじっと見てた。
女の子の視線はテレビのエロビデオ。僕の視線は女の子のスカートの中。
女の子が立膝を崩すのと「モザイクで見えない」と言うのが一緒だった。
「何が?」「おちんちん」「あ、え、」「おちんちんって言わない?英語でぺにす?」
「保健のテストあったじゃん。生理とか子宮とか妊娠はいいけど、
名前とか漢字で書くのやだったなー」「いんけいとかしゃせいとかぼっきとか」
ベッドの上の女の子に普通に近づいで、手前の女の子のスカートの中のパンツの股間に触ってみた。
隣の女の子も気付かないくらい反応はしなくて、後ろにあった枕を取って自分の腿の上に乗せて、押さえつけた。
だからそのまま指をパンツの中に入れたら、ぬるぬるだった。もしかして生理だったのかな、ナプキン無かった。
ここまで書いて疲れた。
女の子のパンツ脱がして二人でよく観察して、指でいじりながら、
上も脱いで脱いでと素っ裸にして、どさくさに胸を揉み揉み。
素っ裸になってエロいことも見られた女の子はもう怖いもの無し、
友だちの女の子に服脱いで。私は嫌だ恥ずかしい。恥ずかしくない、一緒にお風呂に入れる。
胸が小さいからやだ、毛も濃いから恥ずかしい。私もう全部見たじゃん。
男の僕の存在はとくにどうでもいいみたいで、
脱がせましょう!と二人で女の子の服を脱がせた。
パンツは僕が下ろした。女の子の股間に指を当てて、割れ目を開いて、
なんか透明ななんか出てて、ぬるぬるですよ。と、しれっとすごいことをやると、
濡れるの同んなじ、おなにーの時と。指で触ってないのに濡れた。
二人はお風呂に小一時間入って、「おちんちん見たい」って言うけど、
断る理由も無いから見せて触られて握られて、無理無理絶対入らない。
もう女の子の恥ずかしげでない最初に手を出した方の女の子の股間を手でぐいぐいして、
唇にキスしちゃおう、と思ったけど思いとどめて、もう片方の女の子の警戒心無い素っ裸の、
太ももに射精して、うわあったかい、精液白い。プールの臭い。はふぅっ。
手まんしてる女の子、裸で抱きついてくる。
飽きた
90年代半ば位まではタクシー運転手、駅員、警察とかは本当にガラが悪かった。
ワンメーターでキレられるなんて日常茶飯事だし、駅員に何か聞くと「案内に書いてあるだろ!」とかつっけんどんに言われるのが関の山だった。
繁華街で道路にゲロ吐いて痙攣してる若い女の子がいて救急車呼んで保護してあげてください!って交番に駆け込んだら「何でもかんでも警察に言うな!お前が呼べばいいだろ!(ガチで原文このまま)」
と怒鳴られた。
俺を酔っ払いだと思ったらしいが、後日警察署まで乗り込んで苦情を言ったが最終的に頭を下げて謝罪したのはそいつの上司で同席したそいつは最後まで悪態つき顔を合わせずブツブツ言ってて上司が無理やり手で頭下げさせただけ。
不良高校生かよ!と思った。
【ジュネーブ共同】北大西洋および環太平洋保険機関 (NAPHO) のジェームズ事務局長は 17 日の記者会見で、北大西洋および環太平洋地域における COVID-19 の終息を宣言した。先んじて 2041 年 10 月に中国保険機関 (CHO) の出した終息宣言に遅れること約 2 年、2020 年に世界規模での爆発的な広がりを見せた COVID-19 は 23 年の時を経て全世界的な終息宣言がなされたこととなる。
ジェームズ事務局長はまた、2042 年 3 月より 3 度に分けて世界規模の調査を行った結果、地域や世代によってばらつきはあるものの平均して 89% の人々に COVID-19 の感染歴および T 細胞の免疫記憶が確認されたと発表。この度の終息宣言はこの調査に基づくものであり、COVID-19 の罹患リスクおよび重症化リスクが旧来のコロナウイルスと同程度になった事を宣言するもので、人類が COVID-19 を克服したことは意味しないと強調した。
≪COVID-19 および大域国際保険機関に関するこれまでの主な経緯≫
今日は静かですが忙しいですけどそんな午前中よ。
隣の部署というか会社というか私が前いたところは創立記念なんたらで全体でお休みなのよ。
守衛さんとなんかそんなことを話しながら、
じゃあ誰もいないなら私も帰っちゃおうか?って思うけど、
私はさっさと自分のことをやって、
またその隣の会社の部署に借り出されないから今日はいいわねダッシュで帰れるわ!って
オラの方が上回ってっぞ!って言う速さで宇宙一を競えるほどよ。
あいにくちょっとは電話番しなくてはいけない掛かってこない電話をじーっと見つめている要件と言えば、
ファクシミリ送りましたので、
って確認の電話はポケベルやPHSよりも早くに絶滅してほしいものだわ。
届いているのか届いてないのかは向こう次第じゃない。
分からないけど。
ファクシミリって言うのもいつまで使われ続けられるのかしら?と言う
一抹の不安を感じながら、
この世の中でこんな古い機械を使っているところ私だけかも自慢出来ちゃうぐらい
端から見たらそれって、
私今でもガラケーなんですよねって、
薄ら寒い何自慢高分からない古き良きを楽しむのもあなたは良いかもしれないけど、
あの古いもの使ってる自慢ってたまに聞くわよね。
ガラケーで使ってるアドレスから自分のツイッターのアカウントのユニークなメールアドレスにメールを送信すればツイートできる機能はとても便利だったけど、
急に11月を目前にして寒くなってきたように、
ガラケーでツイート出来ていたメールのその仕組みは廃止されたみたいなのよ。
その機能が無くなった途端に
窓から投げ捨てたノキアの端末は今はもう思いでお星様になってしまったわ。
一瞬だけ私もノキアを使っていたら謎のキャリアウーマン的な寒空のもと寒々とした寒いことやってたけど、
あのノキアの端末はたった数年前だってだけなのに懐かしい香りがするラララな。
古きを知り良きを知るの
故きを温ね新しきを知るって
まるで温故知新を地で行くような感じね。
何書いてたか忘れちゃったわ。
違う会社なのに私のデスクのプリンターは隣の会社のネットワークに繋がっている不思議さを兼ね備えつつ
うふふ。
今日はお昼抜くか軽めにと言うことになるかも知れないことを予想しつつ、
朝はしっかり食べておこうと思って、
こういうのが手軽ね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
このご時世、色々な面で限界を感じている人はいると思う。このままだと精神面でヤバいと感じたのでそっと匿名で発散させてほしい。初投稿なのでお見苦しい点はご容赦を。
今年に入ってから、一時期を除いて経営母体に他人との食事を禁じられ続けている(正確には、自粛を求められている)。
もともと入院患者さんがいらっしゃる限り休日など存在しない職業ではあるが、今年は唯一の1週間の長期休暇も他人と過ごすことはできない。もちろん盆も正月もない。時給換算したら…おっと、この話は今日はやめておこう。
都道府県境も有事以外は超えないように言われている。同自治体内の自然溢れる施設などは休日には人が殺到しているため却下。体を動かそうとジムに行けば医療従事者は休んでる方もおられますとやんわり伝えられる。自宅や仮想の森で生身の人間と話さずに過ごすのはもう飽きた、何をして過ごせばいい?
初期の頃は配偶者等を含む家族との食事も禁止だったから自費でホテル住まいをしている人もいた。その頃は皆で一丸となっていて自分達もできることを頑張ろうとモチベーションをもって働いていた。当たり前のようにあった物品が高級品となり、それを案じて寄付してくれる方々もいた。
飛行機や花火を見る暇はないけれど、心のどこかで色んな人が協力してこの状況を乗り越えていくんだと心強く感じていた。
第二波に入ってからは、「まずは経済を優先する」という方針に固まってきたため、複雑な思いを抱きながらも出来る仕事を粛々と行い、どんどん埋まっていくベッド、だんだんと回数が増えていく断らなければいけない救急車用PHSを眺めてきた。時には「重症者は増えても仕方がない」のような意見をネットで見て、今日行った仕事はなんだったのだろうとお風呂で涙したりもした。他方、我々の状況は変わらず、職場では必要最低限の仕事の話を他人とし、家では壁にぶつぶつ話しかけて過ごしている。全ての欲が減衰し、はっきり言って私は経済を去年の半分も回していない。回せる人は頑張って回して欲しい。
蜘蛛の糸を垂らされて、皆で穴の上を目指して強固になったと思っていた梯子は外され、上から水やらなんやらをかけられている気分。目の前の人1人をチームで救う力はあったとしても、世の中の大きな流れは医療崩壊は起きても仕方がないと考えているのかな?
少なくとも私は、1人でも人が亡くなることに関してとても悲しいと感じている。1人でも多くの人をまだ未知の部分も多い疾患から守りたいと思って働くことはそもそも間違っているのだろうか。
それでも心を無にして働くしかない。
流行り病があるからと言って、血圧は下がってくれないし、癌や出血は引っ込んでくれないし、事故が急にゼロになるわけではない。病気は日にち薬や魔法で改善するものだけではない。手の届く範囲で救える人を救いたい。
それでも。せめて誰か一人でいいから、一緒に焼肉を食べてください。私が奢る。
(追記)
お返事の仕方がわからなかったのでこちらでまとめてお返事とさせてください。
家族以外とのご飯が食べられた時期があり、普段以上に友人のありがたさを感じた。これが、ここに書いてまで食べたかった他人との焼肉なんだなぁと思った。ハラミも食べられて嬉しかった。また夏頃までに部屋の掃除をしておくから焼肉できたらいいな。
以下はただの愚痴です。
周りでも次々と院内感染が発生し救急受け入れを一時的に止めたり、そうでなくても満床で受け入れが難しかったりする状況になっている。あまり知られてないようだが、冬は例年ですでに病床がパンパンなことが多い。令和の時代にここまで医療崩壊を意識する時代がやってくるとは去年は想像もできなかったな。
慣れとは恐ろしいもので、私は短期間でも恵まれた期間があったからなんとか働いている。時折色んなニュースに腹を立てながらも、ここに投稿してからはお風呂で泣いたりはなくなりおかげさまですっと憑き物が落ちたようだった。
業界で働く人全員が冬を迎えられるような状況にうまく折り合いをつけられたわけではなく、残念ながら退職される方もいた。病院の収入そのものが私たち医療従事者の収入になることは全くなく、入院患者数が増えたからボーナスが出たり時給が上がるわけじゃない。
粛々と働くだけだけれども心はいつまでも頑丈ではない。人は漸減し負担は増える一方となっている。病床数だけ増やしたとしても新しい場所で働く人は魔法のようには増えない。
この半年間で気づいた人が増えたように、拍手してもらったり花火が上がったりライトアップされたりした数だけ、ビスケットのように医療資源同様、私たちへの補償が生じるわけではないので辞めたい気持ちはすごくよくわかる。
最初はお金を使えず〜と上にも書いたが、慣れた今お金は普通に欲しい。ストレス発散にネットショッピングはめっちゃしている。直接診療している人からの温かい言葉はとても嬉しいけれど、むしろ間接的に仕事を増やしてくる人たちからのうわべだけの感謝の言葉はいらん、お金か、呼び出しも絶対ない本当に病棟に一回も行かなくていい休みを夏休み以外にください。
結局目の前の人を救いたいという気持ちで働いているんだなと再確認した年になった。いろんな方法で多くの人を救う力のある人は本当に頑張ってほしい。目に入ってきてしまう我々に対するいろんな文句や目を疑うような同業者の発言は視力のせいにして見えないことにした。最近は某珈琲のCMのように自分が地球外生命体と思いながら働いている、この星がどういう方向に進んでいくなんて知らない。心がもつ限りやるべきことをやる、それだけだ。
新しいスマホが出ないし回線も遅いので、見切りをつけてエリア最強のドコモにした。
高すぎる。
ドコモスマホのMVNOデザリング制限がなくなったので、機種変後即MNPした。
手間をかけると安くなるが、その手間が面倒なのでやらなかった。(やってたら1400円くらいにはなってただろう)
通信の最適化でSSLが激遅になったので、定住という概念はやめて以後キャンペーンを渡り歩くことにした。
改悪前のmineoとあまり変わらないが、速度切替の反応の悪さと低速3日366MB制限がいまいちだった。
定住するには半端で候補に挙がらない。(複数SIM無料という利点はあるが、使わないので無意味)
定住としては高いので微妙。
LINEモバイルが使い物にならないほど遅いことは知っていたが、楽天モバイル1年無料があったので問題なし。
5ヶ月契約で最短3.5ヶ月使えば良いので、その間の維持費が0円で6370円貰えるならいい方だろう。
非科学的なので放っとこうと思ってたけど、年々時間が経つごとに忘れていくので備忘録書いとく。
昔、救急病院で働いてた頃のこと。
当直中、病棟ナースから電話がかかってきた。いわく、病棟まで来てほしいとのこと。
急変ですか?と聞くも「いや…緊急性はないと思うんですけど…」とはっきりしない。
こういうことはたまにあって、緊急性なさそうだけど微妙に気がかりなケースだったり、地味な困り事だったり、こっそりアイスを食べる共犯にされるとこだったりする。
とりあえず行ってみる。
消灯中の病棟は真っ暗でしーんとしていて、ひとまず急変という雰囲気ではなかった。暗いリノリウムの廊下に非常灯の緑のランプがぼーっと光ってて、左右の病室からたまに患者さんが寝返りを打つ音が聞こえた。その中でナースステーションの明かりだけが煌々と白く灯ってて、近づくにつれて遠隔心電図モニターのプップッていう規則的な音が聞こえてきた。
夜勤の看護師さんは二人。見回りは終わったとこみたいで二人ともナースステーションにいた。その日の担当は一人は中堅さん、もう一人は、年齢は中堅さんと同じくらいだけど最近新しく採用された新入りさん。とりあえず声をかける。
「あの…子供が走ってるみたいで…」
は?
脱走か?解熱して元気になったやんちゃ盛りの子かな。ちゃんと巡回してるはずだし、ここ小児病棟とだいぶ遠いけど。
「いや…」
新入りさんが言い淀む。中堅さんは苦笑いしている。からかわれた?
「いや…なんか子供がいて」
耳をすましてもモニター音以外何も聞こえない。救急車のサイレンもナースコールも誰かの叫び声もない、穏やかな良い夜だ。…寝ていたかった。
一応ダメ元で小児病棟に問い合わせる。「いなくなってる子いませんか?」PHSの向こうの声が怪訝そうに「はぁ?」と言った。一応見回ってくれてるらしき靴音が電話の向こうでちょっとだけ響いて「みんな寝てます」。
だよね。
「あの」
新入りさんが言った。
「幽霊だとおもうんですけど」
今度は私が「はあ?」となった。何でこのクソ眠い時間にオカルト与太話聞かなならんのだ。
たぶん露骨にイラッとした顔してしまったんだろう(ごめん)。中堅さんが新入りさんと私の間に割って入った。
「や、私もパタパタって足音?みたいなの聞いた気がしますし。一回だけ念のため病棟内見てもらえませんか?いやホント、一応」
はーーーーーー?????
こんな静かな夜は珍しいのに。起こされなければ寝てられたのに。いや苛立ってはだめだ。一緒に働く人のメンタルは大事。腹を括って「分かりました」と言う。
新入りさんが何か準備するものないですか、と言った。ナースステーション内を見回すと、お昼に学生さんが実習したシリンジやら針やらが目に入った。
若干腹立ち紛れに50ccシリンジと18G針を手に取り、空のシリンジに『カラ』と書く(使ったシリンジには即中身を書かねばならないので)。人間か幽霊かとかこの際知るか。人の安眠邪魔しやがって。見つけ次第刺す。絶対に刺す。朝まで刺す。
(悪い子には注射するぞーーー!!)
廊下だけじゃなくてリネン室や車イス置き場、トイレ、ストレッチャーの影まで鬼の形相でペンライトを向ける。誰もおらん。当たり前やけど。
可能な限り穏やかに整えたつもりの顔でナースステーションに戻ると、看護師さんが二人ともニコニコしながら私を出迎えた。
「誰もいませんでしたよ」
「みたいですね」
「もう(宿直室に)戻っていいですか?」
「はい!」
二人ともさっきのぎこちなさが嘘のような上機嫌。
新入りさんが笑顔で私の持つシリンジを指差した。捨ててくれるらしい。
お礼と共にシリンジを渡して、私は寝た。
ここまでなら割とよくある、怖がりさんが怖がったけど何も起きなかった話だ。すぐ忘れる。
記憶に残ったのはこの後の展開のせい。
数日だか数週間だか経った頃、たまたまこの病棟で仕事をしていた時のこと。
何気なく目にした看護師さんのカートの上に、筒状の変な布切れの塊?みたいなものが載せてあるのに気付いた。
好奇心で近づいてみると、私があの時持ってた50ccシリンジだった。「カラ」って書いてあるし。お札やらお守りやらでびっしりぐるぐる巻きにされている。
怖!!!!
こんなん感染源やんけ!!
院内感染の元をカートで持ち歩くなよ!!!誰だよ!新入りさんか!!
ごめんけど捨てた。
その数日後だったと思う。(ずっと病院にいすぎてあんまり日付の感覚がない)
血相変えて新入りさんが私のところに来た。半分寝ぼけながらパソコン叩いてた私に小さな白い箱を押し付け、彼女は言った。
「あの、これに祈ってください」
「はい?」
よく見たら箱は18G針100本入りの箱だった。封を切ってないディスポの注射針が箱の中に整然と詰め込まれている。
「祈るって何……」
「念じるだけでもいいので!」
状況が分からず困惑する私。あんまり話したことはなかったけど、新入りさんは割と穏やかな人という印象だった。それが徹夜明けみたいなぼさぼさの頭と化粧っ気のない顔で、目を血走らせてこっちに箱入りの大量の注射針をぐいぐい押し付けてくる。
「握りしめてくれるだけでもいいんです!ぎゅって!!」
いや ぎゅっ じゃねえ。
助けを求めて周りを見回す。(やべー)の顔をした研修医がそそくさと部屋を出て行った。おいやめろ置いていくな。
ヒートアップする新入りさん。
困る私。
脳炎じゃないよな、薬か?精神疾患か?こんな病態あったっけ?何だどうしたどうしよう、と思ってるところに病棟師長さんが来た。師長さんは私に「ごめんね」と言うと、新入りさんの肩を抱いてどこかに(たぶん控室に)行った。
しばらくして、新入りさんが辞めたと聞いた。
いまだに思い出しても謎。
書くの結構大変だな
思い出したらまたメモする