はてなキーワード: phsとは
一時期、ポストの中に入るバイトをしていた。びっくりする人もいるだろうけど、地下鉄サリン〜911の社会がテロに敏感だった時期は、本当にそういう仕事があった。PHSを持たされて、1人でポストに入る。怪しいものが投函されたらエリア担当に電話して、専用の機械で中身をチェックして貰う...という仕事だった。自分が働いていた半年間で疑惑の物体が投函されたのは4回だけで、一番酷いものでもカレーの入ったタッパーだった。でも同じ時期に仕事を始めた音大卒の人は、近所の住民を一時避難させる事態に遭遇した。何があったのか教えて貰えなかったけど、念のため精密検査を受けると言っていた。話してる感じでは非常に元気だったのに、次の日からその人は来なくなった。
NTTの退職エントリが流行っているようなのでそもそも入れなかった人の話でも書きます。
といっても1X年前の話です。
リーマンショック直前の超売り手市場に新卒で4月初頭というゴールデンタイムにNTT系列何社も受けて全滅したアホ。
趣味はプログラミング。ICPFCとか参加したり小さいツールを書いたりしてた。
大学の専攻は数学。日本ではやたら偏差値の高いらしいT大学に現役で入ってそのまま修士卒。
NTT株、NTTD、NTTS、NTTH、NTTCなど。略称がどこを指すかは適当に考えてね。
全部落ちてます。4月はこのせいでお祈りされまくり、結局決まったのはNTT以外で夏ごろで。
電話がとても好きだった。高校ぐらいのときはモデムから高速リダイヤルをかけるアプリとか、
公衆電話の番号を探すツールとかを書いていた。PHS、携帯が普及しだしたころから
そもそも仕様があまり手に入らなかったので興味を持てなくなった。113はよくお世話になった。
就活のときそのへんのことを思い出したのと、プログラミングが好きだったのでNTTなら
なにかできるんじゃないだろうかと思いたくさん受けた。
当時はプログラマというものの地位がものすごく低い時代だったと思う。
そんな時代に「プログラミングやりたいです。ICPFCとかめっちゃ楽しいです。」という割に
基本情報すらとっておらず、コミュ力も非常に低い上に専攻が純粋数学とか落ちて然るべき。
更にNTTがどういう人材を欲しているのかという企業研究もろくにしていなかったため、
自分が御社にどういう貢献ができるのかを説明できず、ただやりたいことだけを喋っていたた。
また純粋数学は研究内容の説明がしにくいというのはわかりきった話だったので、それは対策するべきだった。
3分で研究内容を話すというプレゼン。SPIがよかったらしく1次面接は免除という連絡をいただき、
喜んで2次面接に望んだところ純粋数学の研究発表で、「この研究の社会的意義はなにか?」という質問をされ無事死亡。
社名にソフトウェアなんてついてるぐらいだからプログラミングがガッツリできるんだろうと思い、
某CPUの命令セットの素晴らしさとその効率的なエミュレータ実装について熱く話す。
面接官の「そんなことにしか興味ないんですか?」という返事は今でも覚えている。
グループディスカッションで落ちる。コミュ力とか見られてたきがするが審査員は見てただけなので詳細は不明。
面接前に社員と雑談する謎の時間があり、「T大の人、ぜひ来てほしいんですけどNTTDとかNTT株に
取られちゃって蹴られてしまうんですよね…」という話を聞く。その時点でDには落ちていたので苦笑いして面接へ。
当時盛り上がっていたNGN関係の話で面接官と盛り上がるも俺が考える最強の通信スタックの実装法を
NTT系列はだめだったので結局某SIerに就職。年収は300万弱から5年ぐらい在籍しても500万弱ぐらいだった。
最初は流石に年収低すぎということで某Rエージェントで転職活動をするもリーマンショック真っ最中で
在籍も1年とかだったため「君なにしにきたの?」オーラがすごかった。その時点での転職は失敗。
SIerによくある通り仕事でコードというものはほとんど書かず、Excel、Wordがメインであった。
ただ仕事自体は暇だったので、合間にひたすらProject Eulerをやっていた。
今はお仕事が変わり、AI関係のソフトウェアエンジニアみたいなお仕事をしている。
相変わらず面接ではコード書きたいですとかAtCoderとかの競技プログラミングの話しかしていないのだけど、
10年前に比べると反応がとてもよくなったと感じる。年収も都内に何の不自由もなく暮らせるぐらいまでは
もらえるようになった。プログラマの地位は相当向上しているのではないだろうか。
個人的にはAtCoderやTopCoderで黄~青ぐらいのプログラマの社会的地位が10年で年収400万から1000万ぐらいまで上がった感じがある。
今は1000万!と言いたいところですが、うまい棒5万本分ほど足りません。一本行けるように今後も精進します。
ただ今都内はソフトウェアエンジニアバブルといってもよく、かなり年収水準が上がっている気がします。
ですので多少は夢を持ってもよいのかなと。
キリの人も入社時は優秀だったんだと思います。あともし採用されるポテンシャルがあったとしても
ちゃんと業界研究しないのはだめかと。いろいろな意味で私はだめでしたね。
1990年代はまだ固定電話の古い交換器や緑・ピンク電話などが残ってた時代で、電話の面白い挙動が
NIFTY-SERVEのフォーラム等で盛り上がっていた時代でした。そのため当時は同じような人が結構いました。
うけてません。NTTの社風に合わないと全滅する可能性もあった(そして実際そうなった)ということで、
最近のNTTDのOSS関係へのコミットは凄まじいですね。あの部隊は尊敬しています。
あのへんのコミッタ方たちはどういうルートで採用されたんでしょうね?
大学時代はXSSとバイナリ解析に興味があったはずなのですが、就活ではその道は選びませんでした。
忘れていたというのもあるのですが、その数年前に日本のセキュリティ系の団体とちょっともめてしまった
というのがあるのかもしれません。日本のセキュリティ業界はちょっと前までアングラっぽい雰囲気が
漂っていました(世界的にそうだっただけな感じもします)が、そんな方たちも某FF○Iとか某NAとか
ホワイトハッカー側で大きく活躍されてるようで、もしセキュリティ業界に身をおいていたら
そういう変化も楽しめたのかなぁとは思います。
あ、徳丸さんのブログはいつも楽しく拝見させていただいています。
あの某NAのLuminさんでしょうか。当時はとても落ち込みましたが、今では楽しくやれているので
ググったら確かにいろいろ出てきたけど、私はそんなにひどい目に遭ったことないなぁ。Y!mobileがソフトバンクの子会社になってもショップは基本的にウィルコム時代とあんまり変わってないのかな。そんなに親切丁寧ではないが、基本料金が安いだけあっていろいろとお値段相応な感じ。
電波はソフトバンクの傘下に入ってからの方が対応エリアが広がったと思う。たぶん昔のPHSが都市部じゃないとつながらなかったので、それより良いと思うんだろう。昔ソフトバンクユーザーにケータイメールを送ったら、送った本人も忘れる頃に届いた記憶があるけど、最近はケータイメールよりLINEだからねぇ…。
少なくともY!mobileを使っていて特に困ったことはないよ。そんなに電話もLINEも頻繁に使う訳ではないので、基本料金が安いことが大事。
今だと、ピンサロあたりはふらっと予約もなしに行ってみたりするけどヘルス、ソープは店のウェブサイト見て女の子の情報やシステムを吟味して、店に電話やメールで予約。
前世紀だと、そもそもお店のウェブサイト自体がないのも多いだろうし、いわゆる風俗雑誌やスポーツ新聞、あるいは盛り場にある無料案内所みたいなところで吟味してたの?ヘルスはともかくソープだと総額とか分からなくてきつくない?
一時間前の確認電話なんかも携帯持ってない人も多いだろうし、今みたく携帯が普及してから導入されたシステム?
あと、店を介さず直接女の子へ連絡する姫予約とかどうだったの?
今なら Twitter や Line 10年くらい前は mixi のメッセージやE-mailだったけど、ポケベルの頃は「8ガツ8ニチ18ジカラ2ジカン」とか送ってたの?
今からもう四半世紀以上前の話だが、大学の時の就活でテレビ局とラジオ局を受けた
ただ自分のテストの点という縦軸と大学の偏差値という横軸がクロスしただけという理由で
地方から上京し、一人暮らしを始め、その大学のシラバスの一環で、私は人生で初めてインターネットに触れた
白黒画面でブラウザのMosaicで見たインターネットのホームページは
寝食を忘れるくらい、気付いたら朝になっているぐらい夢中になっていた
その時のあまりの衝撃で
白黒画面でブラウザのMosaicで見たインターネットのホームページは
当時はラジオもテレビも生放送ではFAXでお便りを募集していた
ハガキよりも早く、文字とイラストが送れる当時にしては便利な機械だったからだ
テレビを見ながら片手で入力してテレビの前を一歩も動かずに送れる
しかもデジタルデータだから、デジタルデータのまま取捨選択して画面に表示できる
FAXみたいに人の手で用紙を壁に貼ってテレビカメラで撮るなんてのも不要
テレビでもっとPメールやインターネットを活用できるようにしたい
それは制作会社がやることでウチでやることではない、とかいわれた
まあそれでも当時の俺が思いつくぐらいなので、他にもきっと思いついている人は居るはずです
それでも変われずに、凋落してようやく変わろうとしてもがいているようですが、はやく沈んだほうがいい
1回ぶ壊れたほうが変化は早いです
(15年ぐらい前のライブドア騒動でかわれなかったのがターニングポイントかな、つーかそれでも15年前だよ!!)
まあその後の私は普通にインターネット関連の会社に就職してぼちぼち幸せに暮らしてます
さて、今はテレビはほとんど見ないのですが最近VRにハマりまして欲しいコンテンツが出来ました
しかしそれは凋落していてもテレビ局でないと作れないと思うので提案したいのです
四半世紀たってようやく正しい事が証明されている、先を読める私の提案です
もちろん、それはそれだけで楽しいです
しかし入り込めるVR(仮想現実、人工現実感)の世界は、本当に現実だけなのでしょうか?
人として生きていくと、どうしても自分の現実しか経験することができません
しかし、たとえば本で偉人の伝記を読むとその人の人生の一部を経験したと感じることができないでしょうか?
たとえばドラマを神の視点から見るのではなく、登場人物の視点で見るんです
そしてその視点になる人を変更できる
そういうドラマが見たい!
当方20代後半。PHSのイエデンワだけを所有している。ガラケーすら持っていない。
YモバイルのPHSサービス終了で今後どうしようかと考えあぐねているところだ。
さて、自分は「きららファンタジア」と「ららマジ」というソーシャルゲームに興味を持っている。
可愛らしい女の子も沢山出てくる作品で、キャラクター一覧を見ているだけで眼福である。
自制心がない人間にソーシャルゲームを与えたらどうなることか。
あるいは自分のスケジュールがソーシャルゲームのイベントなどに振り回され依存することは自明である。
そんな状況になったら目も当てられない大惨事となる。
だから自分はソーシャルゲームに手を出さないよう、スマホやタブレットを持たないようにしてきた。
しかし代償行為として両作について情報収集をしていると段々とプレイしたくなってきてしまう。
幸い今はPHSとPCしか持っていないため、プレイしたくてもできない環境にある。
うん、自分と似てる。
https://anond.hatelabo.jp/20171127215759
ジョブズはiPhoneを発表した時に「携帯電話」として発表した。
これって実はかなりすごい、というかジョブズがすごいと言われている理由。
具体的にiPhoneを見てみると、誰がどう見ても「パソコン」の域だ。
言ってしまえば「小さいパソコン」だ。そしてAndroidが日本でiPhoneにシェア率を奪われているのはどうしてもこの「小さいパソコン」から抜け出せていないから。
それをジョブズはあくまでも「今までの携帯電話に便利な機能が付いた」と説明をすることで「新しいものを拒否する人間」に受け入れられた。
現在は社会の逆風を受けまくっているマーガリンだが、一時期はバターのシェアを越えていた。
だが、それ以前。「マーガリンとバター」は同じ土俵ではなかった。例えるならぶどうジュースとワインぐらい別物のように考えられていた。
マーガリン業界はなんとか味をバターに近づけて、目隠しすればバターとマーガリンの味がわからなくなるぐらいまで味を近づけた。だけど全くマーガリンとバターは別物と考えられていた。
そこで、ルイス・チェスキンという臨床心理学者は当時は白い塊だった「マーガリン」を黄色に塗った。そうすることでマーガリンはバターの代替品となりバターのシェアを凌ぐようになる。
人はまず最初に新しい物を見た時、自分の経験の中からその物をカテゴライズする。
もしAppleがiPhoneをiMac Pocket的な持ち運べるiMacとして発売すれば当時シェア率が低いiMacを見ればわかるように全く普及しなかっただろう。言ってしまえば、PHSやBlackBerry、windows phoneのような扱いになっていた。
なので、Phoneと名前をつけ、あくまでも電話として売り出して、パソコンを与えたのだ。
パソコンとインターネットを与えられた人間がどうなるのかは増田を昼間っから見ているみなさんが一番良くおわかりだとおもいます。
それまでの携帯電話っていうのは基本的にガラケー。つまりディスプレイとボタン(操作パネル)が別々で、画面を大きくし、さらに携帯性を高めるために二つ折りが基本形。PHSとか色々あったけど、基本的にはおんなじ。マウススクロールボタン見たいのが携帯のど真ん中に配置されてたのもあったかもしれない。ボタンぽちぽちして、番号の六押したら画面が右スクロールとか、8押したら下に移動とか、とにかく直感的に操作できなかった。あいうえおの”お”も何回も連打するのが普通。(違う入力方法もあったけど直感的ではない)それがiPhoneでは画面を直接触って操作するようになった。デジタルな機械の携帯電話をアナログな方法で操作できるように工夫されたので、それ以降猫でさえiPhoneを操作できるようになった。画面を見ながら操作するって簡単に見えるけど、iPhoneとガラケーだと次元が一つ違う。操作した時のフィードバックにしたって、バイブ機能使ってちょっと震えるようにするとか、パチパチ音を出すとか、ちゃんと考えられてた。こういう細かい操作性にしても当時からすごくよく考えられてて、画面上のボタン一つで英語入力にもかな入力にも、さらに今でも一般的なフリック入力がiPhone出た当時から使えてたし、出た当時から既に完成しているスマートフォンだった。
当時iPhoneが発売された当時に一番他の人に自慢して「おー」と言われたのがマップ機能。当時はGoogleマップだったと思う。住所入力したらその住所の場所が出てきて、ちょっと操作したらそこまでの案内してくれる。当時僕は営業で、出先に会社から「これこれこの場所のお客さんが話を聞きたいそうだから向かってくれ」って言われて分厚い地図片手にどこ行きゃいいんだって調べてた。携帯でもできたけど、iPhoneの操作性は当時飛び抜けてた。分厚い地図を持たずに走り回れた。それに携帯電話に自分の必要な機能やゲーム、アプリケーションなんかを入れられる拡張性もガラケーより全然あった。コンパス、セカイカメラ、音楽、Gmailや他のメールとの同期:会社のメールと自分の個人のメールを一つのアプリで受け取れたし、iPhoneあればかなりのことができたと思う。
基本的にこの二つがすごかったんじゃないかな。革新的なUI、アプリでの拡張性と利便性。当時からiPhoneの基本的な構造って変わってないし、今もほぼ全てのスマートフォンが真似して、機能を追加してる。一発目から今でも通用するスマートフォンの基本形を築いたって意味で本当に凄かったと思う。