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はてなキーワード: 科学史とは

2024-08-29

ガリレオとかニュートンのような科学史に確固たる名を刻んでいる人や、平和賞文学賞を除くノーベル賞受賞者以外のその他有象無象学者研究内容というは、価値的には、

一般社会でいえば会社内でのほとんどだれでもできるありふれた日常業務をこなす程度のものなのかね?

(だからこそ、ガリレオニュートンがいた時代にも他にも研究はいたはずなのに、その人たちがなにをやったかなど価値がないとみなされてろくに本として語りづかれるほどの動機形成されなかったのだろう?)

査読を通っている以上最低限の学術的な体裁価値はあるわけだが、ニュートンレベル研究者なら当然できることを、そんな研究に頭を使うのはもったいないからとそういう人がその研究をしない結果として、そのおこぼれを替えが利く存在としての凡庸研究者がたまたまやっているという感じがして、その感じが日常業務をする人たちのありようと似ている気がした。

別に自分でなくてもできる研究自分がしているということだよな。

もっと会社で誰でもできるような雑用をしている人は、そもそも博士号取れないので、そういう意味では会社雑用論文執筆とは全然レベルが違うわけだが。あくま研究者同士で比較した場合の話。

あ、ノーベル賞と言いましたが、各分野のノーベル賞匹敵する賞の受賞者も含めることにする。

数学ならフィールズ賞ガウス賞など。

2024-08-04

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

2024-07-26

「チ。」に対する反応

アニメにおいてキリスト教描写無茶苦茶なのも悪役になるのも今更誰も怒らないと思うけれど

いちおう、redditスレを読んできた 

/r/anime/comments/1ebkdrd/orb_on_the_movements_of_the_earth_teaser_visual/

 


 

anond:20240725235510

2024-06-17

https://anond.hatelabo.jp/20240614205200 タグ付けソースつづき

文字数制限かなんかで途中で切れる……

2003年 (第8巻)11月 特集食の安全安心環境
2003年 (第8巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(2)ジェンダー
2003年 (第8巻) 1月 特集日本計画 Japan Perspective社会
2003年 (第8巻) 5月 特集地域生活安全保障社会
2003年 (第8巻) 6月 特集:ITによる科学能力開発国際会議情報
2004年 (第9巻) 2月 特集こころ科学する医療人間
2004年 (第9巻) 5月 特集:持続可能社会のための科学技術に関する国際会議2003 -エネルギーと持続可能社会のための科学エネルギー
2004年 (第9巻) 1月 ●学術会議は考える学術教育
2004年 (第9巻) 3月 ●「日本学術会議法の一部を改正する法律案」について学術教育
2004年 (第9巻) 6月 ●日本学術会議法の改正によせて学術教育
2004年 (第9巻) 8月 特集科学する心を育てる学術教育
2004年 (第9巻)10月 特集科学ジャーナリズムの進展のために学術教育
2004年 (第9巻)12月 特集日本学術会議第143回総会について学術教育
2004年 (第9巻)特集:第4回アジア学術会議(SCA)学術教育
2004年 (第9巻) 特集日本学術会議主催公開講演会学術教育
2004年 (第9巻) 科学技術への理解共感を醸成するために学術教育
2004年 (第9巻) 特集日本学術会議第142回総会 新生日本学術会議の在り方学術教育
2004年 (第9巻) 特集科学技術政策の在り方学術教育
2004年 (第9巻) 特集:高度専門職教育日本社会学術教育
2004年 (第9巻) 特集科学責任所在学術教育
2004年 (第9巻) 9月 特集日本学術会議から農林水産大臣への答申  地球環境人間生活にかかわる水産業及び漁村多面的機能の内容及び評価について環境
2004年 (第9巻)11月 特集都市生活環境を考える環境
2004年 (第9巻) 4月 特集学術の再点検 -ジェンダー視点から(その3)-ジェンダー
2004年 (第9巻) 7月 特集人口減少社会パースペクティブ社会
2004年 (第9巻) 特集科学国境歴史政治・国際
2005年 (第10巻) 5月 特集国境を越える生殖医療と法医療人間
2005年 (第10巻) 1月 ●学術会議は考える学術教育
2005年 (第10巻) 6月 特集日本学術会議第144回総会について学術教育
2005年 (第10巻) 7月 特集:今、教養教育を考える学術教育
2005年 (第10巻) 8月 特集21世紀学術における横断型基幹科学技術役割学術教育
2005年 (第10巻)10月 特集日本学術会議第145回総会学術教育
2005年 (第10巻)11月 特集日本学術会議20始動学術教育
2005年 (第10巻)12月 特集:第146回日本学術会議総会 日本学術会議新体制スタート学術教育
2005年 (第10巻) 特集:第19期の活動を振り返って学術教育
2005年 (第10巻) 特集新日本学術会議における人文・社会科学系の活動について学術教育
2005年 (第10巻) 2月 特集大陸棚画定を考える環境
2005年 (第10巻) 特集自然災害災害
2005年 (第10巻) 4月 特集:どこまで進んだ男女共同参画ジェンダー
2005年 (第10巻) 特集犯罪科学する社会
2005年 (第10巻) 特集:事例を中心に見る統計科学現代価値情報
2005年 (第10巻) 特集学術研究個人情報情報
2005年 (第10巻) 9月 特集人間宇宙物理
2005年 (第10巻) 3月 特集:持続可能社会のための科学技術に関する国際会議2004 ―アジアの巨大都市地球の持続可能性―歴史政治・国際
2005年 (第10巻) 特集:第5回アジア学術会議(SCA)歴史政治・国際
2006年 (第11巻) 5月 特集ライフスタイル健康医療人間
2006年 (第11巻) 6月 特集:終末期医療 ─医療倫理・法の現段階─医療人間
2006年 (第11巻) 8月 特集臨床医学研究の発展のために医療人間
2006年 (第11巻)10月 特集スポーツ科学医療人間
2006年 (第11巻)12月 特集科学技術イノベーション学術学術教育
2006年 (第11巻) 1月 特別座談会科学コミュニティーとしての新たなミッションを考える学術教育
2006年 (第11巻) 2月 特集新世代が変える日本学術会議学術教育
2006年 (第11巻) 4月 特集日本学術会議第147回臨時総会学術教育
2006年 (第11巻)11月 特集日本学術会議新体制 ─日本学術会議第149回総会─学術教育
2006年 (第11巻) 特集座談会:「科学上のミスコンダクト」学術教育
2006年 (第11巻) 特集 シンポジウム:「技術者の倫理社会システム学術教育
2006年 (第11巻) 特集新世代が変える日本学術会議(続編)学術教育
2006年 (第11巻) 特集日本学術会議改革ヘの軌跡と課題学術教育
2006年 (第11巻) 特集日本学術会議第148回総会学術教育
2006年 (第11巻) 9月 特集海洋生物学の新たな時代環境
2006年 (第11巻) 特集環境教育環境
2006年 (第11巻) 3月 特集男女共同参画の一層の推進に向けてジェンダー
2006年 (第11巻) 特集ジェンダー学と生物学対話ジェンダー
2006年 (第11巻) 7月 特集公共性ルネッサンス ─21世紀市民社会を考える─社会
2006年 (第11巻) 特集統計から見た日本経済格差社会
2007年 (第12巻) 5月 特集医療崩壊させないために医療人間
2007年 (第12巻)12月 特集保健医療と個人情報保護医療人間
2007年 (第12巻) 特集社会福祉教育近未来医療人間
2007年 (第12巻) 特別講演:寄生動物国民及び政策感染症ミレニアム開発目標 / ロバート・メイ卿医療人間
2007年 (第12巻) 特集化学今日から明日へ化学生物
2007年 (第12巻) 1月 特集科学者の行動規範学術教育
2007年 (第12巻) 2月 特集博物館が危ない! 美術館が危ない!学術教育
2007年 (第12巻) 9月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2007年 (第12巻) 特集:学協会機能強化のための調査学術教育
2007年 (第12巻) 特集日本学術会議第150回総会学術教育
2007年 (第12巻) 7月 特集:脱温暖化社会へのチャレンジ環境
2007年 (第12巻) 特集子どもを元気にする環境とは ─政策の現状と評価こども
2007年 (第12巻)11月 特集自然災害軽減に向けてパラダイムの変換を災害
2007年 (第12巻) 6月 特集地域研究最前線 ─知の創成─社会
2007年 (第12巻) 8月 特集:法的制度としての私と公をめぐって社会
2007年 (第12巻) 特集21世紀における生活科学役割社会
2007年 (第12巻) 4月 特集:人文社会科学役割責任人文
2007年 (第12巻) 特集物理学の今日から明日へ物理
2007年 (第12巻) 3月 特集歴史としての戦後思想としての戦後歴史政治・国際
2007年 (第12巻)10月 特集中国東アジア科学技術と持続的社会歴史政治・国際
2007年 (第12巻) 特集政治学の今日から明日へ歴史政治・国際
2008年 (第13巻) 1月 特集シンポジウム 医療システムのゆくえ医療人間
2008年 (第13巻) 8月 特集生殖補助医療のいま ─社会合意を求めて─医療人間
2008年 (第13巻)12月 特集:信頼に支えられた医療の実現 ─医療崩壊させないために─医療人間
2008年 (第13巻) 特集:医工学先端研究と教育創造的結合医療人間
2008年 (第13巻) 特集生物科学今日から明日へ化学生物
2008年 (第13巻) 7月 特集科学コミュニケーションメディア学術教育
2008年 (第13巻) 9月 特集:若手研究者の育成学術教育
2008年 (第13巻)10月 特集高校における地理歴史教育改革学術教育
2008年 (第13巻)11月 日本学術会議第21期スタート -第154回総会開催-学術教育
2008年 (第13巻) 6月 特集瀬戸内海浅海を考える ~浅海その生物生産環境とその保全防災環境
2008年 (第13巻) 特集:脱温暖化森林木材役割環境
2008年 (第13巻) 特集環境学のミッション環境
2008年 (第13巻) 特集総合工学役割展望工学
2008年 (第13巻) 特集明日社会共通資産 ―建設系分野からの重点研究課題提案工学
2008年 (第13巻) 4月 特集人口ジェンダー  ―少子化対策可能か―ジェンダー
2008年 (第13巻) 3月 特集:わが国の自殺の現状と対策社会
2008年 (第13巻) 特集リスク Permalink | 記事への反応(0) | 10:30

2024-06-14

https://anond.hatelabo.jp/20240614204953勝手タグ付けソースだよ

1996年 (第1巻) 5月 特集:脳の科学こころ問題医療人間
1996年 (第1巻)11月 特集高齢者介護医療人間
1996年 (第1巻) 4月 (創刊号) 特集戦略研究と高度研究体制学術教育
1996年 (第1巻) 6月 特集:第3回アジア学術会議学術教育
1996年 (第1巻) 8月 特集日本国際賞受賞記念講演会から学術教育
1996年 (第1巻) 9月 特集:若手研究学術教育
1996年 (第1巻)12月 特集:第124回日本学術会議総会学術教育
1996年 (第1巻) 7月 特集地球環境問題を考える環境
1996年 (第1巻) 特集:転換期にある工業産業工学
1996年 (第1巻)10月 特集女性科学研究ジェンダー
1997年 (第2巻) 2月 特集パラダイムの転換学術教育
1997年 (第2巻) 3月 特集大学改革任期制学術教育
1997年 (第2巻) 6月 特集伝統と新しい地平 ―第4回アジア学術会議学術教育
1997年 (第2巻) 7月 特集:第125回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻) 8月 特集:第16期から17期へ学術教育
1997年 (第2巻) 9月 特集:第17期の発足 ―第126回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻)10月 特集:高度研究体制確立を目指して学術教育
1997年 (第2巻)11月 特集地域における学術活性化を目指して学術教育
1997年 (第2巻)12月 特集:第127回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻) 特集:2国間学術交流レイシア派遣団報告学術教育
1997年 (第2巻) 4月 特集地球食料問題を考える環境
1997年 (第2巻) 1月 特集平和共生歴史政治・国際
1997年 (第2巻) 5月 特集グローバリゼーション産業空洞化歴史政治・国際
1998年 (第3巻) 3月 特集クローン羊"ドリー":遺伝子科学のはかり知れないインパクト    化学生物
1998年 (第3巻) 特集クローン羊"ドリー":バイオテクノロジー最先端で今、何が、どうなっているか    化学生物
1998年 (第3巻) 2月 特集二国間学術交流 スイス及びスウェーデン派遣団報告学術教育
1998年 (第3巻) 6月 特集21世紀科学への視点 ―第128回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 7月 特集アジアにおける学術の直面する課題 ―第5回アジア学術会議学術教育
1998年 (第3巻)12月 特集:新たなる研究理念を求めて ―第129回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 1月 特集地球未来 ~人間の存続環境
1998年 (第3巻) 5月 特集地球惑星宇宙科学の現状環境
1998年 (第3巻)11月 特集食品研究の新領域をさぐる ―食とからだの科学を中心に環境
1998年 (第3巻) 4月 特集ジェンダー   ―社会的文化的性別」と現代ジェンダー
1998年 (第3巻) 8月 特集日本経済課題展望日本ビックバンに向けて社会
1998年 (第3巻) 9月 特集行政改革課題展望社会
1998年 (第3巻)10月 特集ライフスタイルの転換と新しい倫理 ―21世紀社会に向けて社会
1999年 (第4巻) 4月 特集生殖医療とその社会的受容医療人間
1999年 (第4巻) 1月 特集21世紀に向けた学術の新たな改革学術教育
1999年 (第4巻) 3月 特集国民の期待に応えて ―科学最前線から学術教育
1999年 (第4巻) 6月 特集:IGBPの研究成果の統合に向けて ―第130回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻)10月 特集日本学術会議創立50周年学術教育
1999年 (第4巻)12月 特集:わが国の大学等における研究環境改善について(勧告) -第131回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻) 2月 特集ごみを考える環境
1999年 (第4巻) 8月 特集海洋環境
1999年 (第4巻)11月 特集科学技術社会社会
1999年 (第4巻) 特集少子化問題社会
1999年 (第4巻) 5月 特集学会インターネット情報
1999年 (第4巻) 9月 特集学術からみた「美しさ」について人文
1999年 (第4巻) 7月 特集人口環境 ―持続的発展に不可欠なアジア役割 ― 第6回アジア学術会議歴史政治・国際
1999年 (第4巻) 特集科学技術の発展と新たな平和問題歴史政治・国際
2000年 (第5巻) 1月 特集学術研究の国際ネットワーク学術教育
2000年 (第5巻) 3月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 4月 特集世界科学会議21世紀のための科学学術教育
2000年 (第5巻) 7月 特集:第17期を締めくくる成果 ―第132回日本学術会議総会学術教育
2000年 (第5巻) 8月 特集:第17から第18期へ学術教育
2000年 (第5巻) 9月 特集:第18期始まる学術教育
2000年 (第5巻)10月 特集俯瞰研究プロジェクトへのアプローチ学術教育
2000年 (第5巻)11月 特集研究業績評価 ―実態問題学術教育
2000年 (第5巻)12月 特集:第18期活動計画の全容学術教育
2000年 (第5巻) 特集各部抱負学術教育
2000年 (第5巻) 特集:第8回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 特集世界科学アカデミー会議学術教育
2000年 (第5巻) 2月 特集安全災害
2000年 (第5巻) 6月 特集男女共同参画社会における日本学術ジェンダー
2000年 (第5巻) 5月 特集司法改革課題展望社会
2001年 (第6巻) 2月 特集21世紀とヒトゲノム医療人間
2001年 (第6巻) 4月 特集21世紀と新エネルギーエネルギー
2001年 (第6巻) 1月 特集21世紀科学役割を問う学術教育
2001年 (第6巻) 3月 特集21世紀科学アカデミーデザインする学術教育
2001年 (第6巻) 5月 特集学術活動のための次世代育成学術教育
2001年 (第6巻) 6月 特集:「科学技術」の概念を人文・社会科学へと拡張学術教育
2001年 (第6巻) 7月 特集大衆化された大学での教育はいかにあるべきか学術教育
2001年 (第6巻)11月 特集日本学術会議改革に向けて学術教育
2001年 (第6巻) 特集:常置委員会の目指すもの学術教育
2001年 (第6巻) 特集日本社会の変容と教育の将来学術教育
2001年 (第6巻) 特集:第1回アジア学術会議学術教育
2001年 (第6巻) 特集特別委員会活動経過学術教育
2001年 (第6巻) 8月 特集遺伝子組換え食品をめぐる最近の動向環境
2001年 (第6巻)10月 特集:食から見た21世紀課題環境
2001年 (第6巻) 9月 特集10代は変わったか!こども
2001年 (第6巻)12月 特集データベースの新たな保護権利制度導入反対への初の声明情報
2001年 (第6巻) 特集21世紀IT社会情報
2002年 (第7巻) 5月 特集医療最先端医療人間
2002年 (第7巻) 8月 特集ナノテクノロジー化学生物
2002年 (第7巻) 9月 特集動物実験化学生物
2002年 (第7巻) 1月 特集新世紀の日本学術会議学術教育
2002年 (第7巻) 3月 特集科学技術新世学術教育
2002年 (第7巻) 6月 特集:新しい日本学術会議に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 7月 特集ノーベル賞100周年記念国際フォーラム創造性とは何か」学術教育
2002年 (第7巻)11月 特集:変革をめざす国立大学 ―学長たちは考える学術教育
2002年 (第7巻)12月 特集日本学術会議の今後の方向に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 特集:「大学の自立」と「学術経営」のあり方を探る学術教育
2002年 (第7巻) 特集:第2回アジア学術会議(SCA)学術教育
2002年 (第7巻) 特集学術科学研究の成果と社会学術教育
2002年 (第7巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(1)ジェンダー
2002年 (第7巻) 2月 特集創造性と日本社会社会
2002年 (第7巻)10月 特集:「身体障害者との共生社会」の構築に向けて社会
2002年 (第7巻) 特集日本計画社会
2002年 (第7巻) 特集グローバル化時代対応する高等教育課題歴史政治・国際
2003年 (第8巻) 2月 特集研究教育現場から見た国立大学改革学術教育
2003年 (第8巻) 3月 特集科学社会 ―いま科学者とジャーナリストが問われている―学術教育
2003年 (第8巻) 7月 特集私立大学さらなる発展学術教育
2003年 (第8巻) 8月 特集:第18期から第19期へ学術教育
2003年 (第8巻) 9月 特集:第19期始まる学術教育
2003年 (第8巻)10月 特集:新しい学術の体系学術教育
2003年 (第8巻)12月 特集:第19期活動計画学術教育
2003年 (第8巻) 特集活動計画各部抱負学術教育
2003年 (第8巻) 特集:第3回アジア学術会議(SCA)学術教育

2024-03-04

中学生の息子に勉強を教えるときにやった内容

小学校小6~中学1年まで極度に勉強ができなかった。

テスト問題文の理解ができなかったり、問題文の日本語は読めるが表現が気になってその所を何度も確認して先に進めず1問目以降白紙などもあった。

このような状態だと学校集団塾では改善はしないだろうと感じたので、自分勉強につきっきりになることにした。

幸い、私はある程度勉強はでき、中学レベルなら英国数ならほぼ満点はとれる。

まず、問題文を読んで頭がパンクしてしまうことに関しては、深く考えるとパンクしてしまうということなので、そのパンク兆候がでたらその問題から離れる訓練をした。

日々の家庭学習問題集をとかせ、それが発生しそうなら知らせてスキップする。

テストときでも、損切して0点を防ぐ効果がでた。

そのあと、問題文でパンクする問題を一緒に説いて、問題文は何を求めているのか2人でじっくり考えるようにした。

そうすることで、問題文の表現パターンが分かり、次第にテスト問題文の意味が分かるようになってきた。

もともと息子は社会理科は興味があるので、問題文が読めればある程度テストでも点数が取れるようになった。

(一部追記)

なぜ小6から勉強ができなくなったのかというと、小学校の頃は雰囲気でやってもなんとかなっていたから。

しかし高学年だと英語もはじまり、内容も高度化して遅れていった。

私も「小学生なら特に何もやらなくても大丈夫だろう。」という楽観もあった。あまりテスト結果もみてなかった。だがそうならなくだんだんと置いていかれるようになっていた。

よって、6年からできなくなったというわけではなくて、表面化したという表現が適切かもしれない。

数学

問題問題が解消された後は、数学理解が進んだ。

算数小学校時代は苦手だったが、中学にきて意外にも好転してきた。

正負の計算方程式最初の関門だが、正負の計算で今まで『0より小さい数字になるような引き算はできない』というルールに感じていた気持ち悪さが解消され、調和した四則演算ができるので一気に数に対する理解度が増した。

方程式はやり方を教えて何度かやっているうちに、四則演算理解度が高まっていたので難なく扱えるようになった。

その流れで、連立方程式も進んだ。

一次関数数学の第2の関門だが、これは科学史への興味が効果がでた。

デカルトについてと、代数幾何学を同じ計算でできるということを教えたら、興味が増し。

交点が連立方程式でとけることに感動していた。二次関数自主的に予習していた。

国語

興味がある本はどんどん買った。

私が持っている本も年齢的に理解できないとしても貸した。

はじめは音読で読んでいたが、次第に黙読になりスピードもました。

最近国語の読解問題もとけるようになってきた。

たまに私が読んでいた本を息子が読んでいるときに、理解をしているか要約させたりしている。

英語

これが今もできない

元々、文章理解して意図を汲むというのを苦手としていた上に、日本語構造が違うので理解の糸口が見つからない教科だった。

単語の読み方も法則が分からないようで、理解が難しいようだ。

まずは英語文法と成り立ちから教えた。

ラテン語からゲルマン語、ノルマンコンクエストフランス語が入ってきたといういくつかの文明の交わりで言葉が変わっていったというところ教えた。歴史が大好きなのでこういうので覚えてくれる。

曜日ローマ神話、月名とラテン語の数詞とカエサルアウグストゥスなど、そういった言葉語源も添えると覚えてくれる。

そのあとで、主語動詞特に中学校では後半にやるけど5文型は先に教えた。この子構造理解したら先に進めるタイプなので、文法構造からやった。

そのかいあって、単語並び替え問題等では最初は全くすべてをランダムにおいていたのに、今は少しずつ文法構造はわかってきた。

文法は言われればわかるが、単語がどうも覚えられない(覚えてくれない)

単語効率の良い覚え方はレクチャーしたが、英語以外の教科では理解をした後に一気にすべてがわかるブレイクスルー体験したがために、どこか暗記に銀の弾丸があると思っている節がある。

から本人は怠けてしまう。

1年1学期の白紙よりかは良くはなってきているが…今後、改善必要ポイントだ。

勉強のやり方

定期テスト後に学校指定問題集を提出が義務付けられている。

テスト直前になると問題集を解くだけに忙しくなると勉強ができないので、2週間くらい先を進めて予習して問題集をやらせている。早めに課題を終わらせて、自分自身の問題点に向き合える時間をふやす

余談だが、学校でもその問題集を使うので毎日持って帰るのが大変だ。今は学校では置き弁がゆるされているが(じゃないと運べない量)、ちゃん勉強するとなると荷物が大量になるというジレンマがある。

インプットアウトプットの間隔を短くさせるために、1ページごとに採点・間違えたところの確認・再度問題を解く・というサイクルを持たせている。

最終的に、独力で自分課題発見解決のサイクルができればいいが、まだそこは難しい。問題がとけない原因を言語化させるように努めている。

言語化ができれば、半分以上解決したようなものだ。

採点の際には私も一緒にやって理解度を確認している。その際には、あてずっぽうで答えて当たったことをさせないために、回答の根拠ちゃんと聞くようにしている。

今やっている範囲以外のことの理解も足りているか確認もここでする。英語だったら授業範囲ではないが、以前やった単語表現が出てきたらちゃん理解しているかを聞く、

学校指定されている問題集以外にも、たくさん解かなければ身につかないので、市販問題集で補ってやっている。

試験を想定した実戦形式問題場合時間を短めに設定して、制限時間内に終わらせるようにしている。

これはなるべく家庭学習で実戦より難しい状態にしておくことで、実戦が楽になるためだ。

以前のように問題文でパニックになるのを防ぐためでもある。

学校と塾について

学校はあまり勉強に熱心でないと感じた。

良い教師もいるが、教えるのが苦手な教師もいる。

それどころか、学校教科書も体系立てて書かれておらず、そのまま読んでも理解しづらい。

特に英語に感じたことだが、読む・聞く・話す・表現する を重視するあまり文法単語に関してはサラっと先に進んでいる。

指導要領が増えているため時間がないのかもしれないが、とにかく内容がスカスカだと思う。

to不定詞を例にとれば、名詞用法形容詞用法副詞用法 があるがそれをまとめて説明しているページがなく、

英語表現コラム的な位置ちょっと書いてあるだけなのだ

旺文社の『中学総合研究』など総合的な説明が書かれている本を買って、体系づいた知識アクセスできるようにする必要がある。

これに関しては数学も同じだ。

また、受験に関しても中学校の教師はあまり良いアドバイスをしてくれない。問題の傾向などの情報も持っていないようだ

私は塾はなるべく通わせたくなかった。本人の集団学習に馴染めない傾向というのもあるが、それだけでない。

高校義務教育でないにしてもほとんどが進学するようになった現在、進学への対策義務教育の範疇だと思う。

貧乏でも義務教育をちゃんとしていればいい高校に入れるべきなのだが、塾に通わせなければならない現状はおかしいとおもう。

また、塾と部活をやると大人でも過労死基準労働時間に相当する拘束時間になってしまう。それを子供に強いるのはおかしい。

なので、社会の歪みをそのまま迎合するのも避けたかったので、学校がクソなら親の私がその穴を埋めようとしていた。

だが、今年の春から中三なのだが、学校高校受験に関する良い情報を何一つ持っていないので不安しかない。

また、英語がやはり伸びない。

私は勉強はできても教えるプロではないので、やはりプロの力は必要だと思い、個別指導に通わせることにした。

受験の開幕前だが、今までを振り返ってみるとまあ親としてちゃんとできたかなとは思う。

引き続き、今後も息子の自己学習監督していく。

追記

反響があって驚いている。

読み返してみると、勉強のことばかり書いていて詰め込みさせ過ぎなんじゃないかという印象を与えそうなので、一応勉強以外のことも追記しておこうと思う。

まず、ゲームスマホ禁止をしていない。

私がゲームをするし不公平だし、禁止したところで不満が出るだけだ。

ただ、ゲームも「負けて・リプレイをみて・問題点を改善して・試合に挑む」という姿勢学校勉強と同じだということ。成績の上位層の生徒はゲームも大体うまい。ということは教えている。

ただ、ゲームカジュアルにやってほしいので、介入することはない。

スマホ問題をとく15分か30分はLINEをしないという制約をつけている。やることは一つに絞れと。

どうやら女子メッセージ取り合って一喜一憂しているらしいが、私は気づいていないふりをしている。

恋愛などに介入すると親への信頼を損なう可能性があるからね。

2023-10-30

anond:20231030212609

科学史を彩る人々も歴史の中に生きてんだから先にそっち教えないと訳わかんないだろ

anond:20231030212609

日本史の代わりにするのはよく分からないが、数学理科系科目の時間数学史や科学史をやるのはアリだと思う

日本史のかわりに科学史おしえたほうがよくないか

数学とかの理系分野とのシナジーがあるし。

いきなり「積分ってのがあって」とか言われても困る。科学史を教えておけば「色々な図形の面積を求めたいので取り尽くし法ってのがあったんですが、これは後世で発見される積分と似てますね。あなた方が明日数学の授業で習うやつです」みたいな導入ができる。

何かを教わるのに「なんでこんなことやるの?」「こんなの誰がどういう気持で見つけたの」みたいな裏付けみたいなもの必要タイプバカも居るんです。

ちょっと参考にした https://science-log.com/%E6%95%B0%E5%AD%A6/%E5%BE%AE%E5%88%86%E7%A9%8D%E5%88%86%E5%AD%A6%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/

日本史は、まあ時代劇的なのを見せたらええじゃないか

2023-09-10

物理学ファインマン社会学ヴェーバーか?

哲学者永井均さん、M・ヴェーバーを精読したこともない人が社会学を叩くのは自分馬鹿であることを喧伝しているようなものであるとの見解を示す」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2221010

このブコメの話。

自然科学におけるリチャード・ファインマン権威性と人文科学におけるマックス・ヴェーバー権威性を並べちゃうのは典型的ダメ議論という気がする。

文系教育には原典講読という伝統文化があるが、自然科学教育において原論文を精読することは比較的めずらしい。大学社会学科でヴェーバーを読んでいない学生モグリだろうが、物理学科でファインマンを読んだことない者はいくらでもいる(はず。「ファインマン物理学シリーズはそれほど人気のある教科書とはいえないし、一般向け作家として人気があったのは一時代前だろう)。

現代の「社会学」についてまともにコメントをしようとするならマックス・ヴェーバー著作、少なくともその教科書的(=広く合意のある基礎的な)解釈を知っている必要がある、というのはそれほど異論のないことだと思う。なぜなら社会学をはじめとする現代人文科学議論は、過去学者がつくりあげてきた概念言葉)をその文脈込みで参照し、再解釈しながら展開されているからだ。M・ヴェーバー理論現代社会学の基礎の一部、別のいい方をすればある種の共通言語的基盤となっていることは否定できない。そして人文科学における二次文献は不可避的に当該の文献の著者の解釈文脈を帯びたものになるので、そもそものM・ヴェーバー議論を知るためにはM・ヴェーバーを(できるかぎり原語で)読む以外の方法がない。

他方で物理学をはじめとする理学系の自然科学について、たとえば放射性物質一般的な性質などについてあれこれいうために特定原論文を読む必要はまったくない。たとえばアインシュタイン原論文を読解することと、相対性理論理解することはそれほど関係がない。読むのは凡百の大学教科書でもいいし、なんなら「一般読者向けに」(ただし適切に数式を用いて)書かれた解説本でもいい。

なぜなら現代物理学の最新の知見、つまり多くの者がもっと妥当であると認める理論についての解説は、基本的に誰が書いたものでも同じ前提、同じ内容、同じ結論になるからだ(基本的法則定理にもとづく数式の展開によって示される)。知見のコアは何らかの前提のもとに何らかの理路を示す数式の展開もしくはその結論であって、誰が書いたか、どう書かれているかといった文脈関係がない。

物理学はたしかにこれまでの物理学史(歴史に名を残す偉人と無数の無名研究者たちの論文の蓄積)の産物だが、その到達点を知見として理解するために科学史理解する必要基本的にはない。ファインマン特定の業績によってノーベル賞を取ったが、その業績について知ろうとする場合でも、必ずしも彼の書いたものによって理解する必要はない。

2023-07-05

荒廃していく「ように見える」時代の流れと、遥か古代から続く「世界はより悪くなっている」の思い込みの興味深さ

興味深い、というような気がしてくる。

.

ええと、どこかの段階では自分場所を作るべきなんだろう。ただ、今はここに書き記しておきたい。

.

今起きているフランス暴動――黒人系・アラブ系二世に対する日本コメント欄での無理解と、暴動を起こす側の無理解はよく似ている。

.

他者への不寛容排斥対立。分断。

トランプ大統領がその流れを「生んだ」というわけではないだろう。むしろ議事堂襲撃や退任によって世界的な流れは若干緩んだかもしれない。

.

ロシアはどうだろう? どちらかと言えば、無理解は加速したが中国拡張主義の速度は緩んだと言える。

そう、中国はと言えば国内の急速な失業率悪化が報じられている。まぁ、その原因は欧米と同じく「日本化」、いわゆる人口問題による先進国の老化ではあるのだが。

.

新型コロナは明けたが、それでも世界はより悪くなっているのだろうか?

.

答えは、わからない。そもそも「より悪くなっている(気がする)」というのが100%個人主観による感想から

そして客観的研究によると、『FACTFULNESS』が何年か前にこれをテーマとしてベストセラーになったが、

世界はより良くなり続けている」のだという

https://www.gentosha.jp/article/23545/

他にも、同様の研究がある。「昔はよかった。今はダメだ」と、紀元前古代シュメール人粘土板にすら書いてあるという。

エジプトピラミッドにも「最近若い者は」と落書きがある、というのはネットミームだそうだが、そう遠く外してもいなかったわけだ。

https://newspicks.com/news/6972076/body/

.

世界はより良くなり続けている」とはどういうことか?

すなわち、世界乳幼児死亡率、栄養失調率、極度の貧困率乳幼児ワクチン接種率及び病死率などはいずれも改善されているということだ。

.

そして、人間の脳には本来世界はより悪くなり続けている」と考える仕組みが備わっている。

より厳密には、「昔の記憶を良い思い出に書き換える」「現在未来について悲観的な予測をする」「恐怖やネガティブな要素を重要視する」といった本能だ。

いずれも、昔のことはポジティブに考えて悪いことはさっさと忘れた方が健康的だし、危険を悲観的に予測し、重要視して避ける。

生存率を上げるための合理的本能である

.

その辺りは『FACTFULNESS』本編の序章に詳しいのでここまでにするとして、

ではそれを前提にすると? 少し興味深い見方もできる。

.

まり、「世界の荒廃も一時的で、一側面的で、見方によるものしかない」のだとすれば?

.

たとえば戦争ロシア-ウクライナ間で起きていることは悲劇だ。

だが、統計的にはどうか。約35万人の死傷者数と見積もられている。

1980年代イランイラク戦争では約100万人以上。しかし、世界人口総数が当時は44億人、現在は80億人を超えていることを鑑みると、

人間一人当たりの死の悲劇性は半減しているのだから、状況は統計以上に改善している」と考えることもできるかもしれない。

まぁ、世界人口総数あたりの戦死比率は間違いなく減少している。

.

世界改善され続けている」――これはとても興味深い。

何故なら、本能直感とは反する結果だからだ。とても科学的だ(科学史では直感に反する事実がしばしば証明される)。

.

もちろん、日本経済人口問題、「先進国の老化」、人種差別、などなどの諸問題は間違いなくある。

しかし――それでも世界改善されているのだとしたら?

.

一つには、「今は揺り戻しのターン」だという捉え方がある。

そもそもが、一つ前の時代悲劇とは世界大戦であり核戦争寸前の冷戦である。それに比べれば、まぁ差別暴動テロも局地的戦争も、大した問題とは言えない。

歴史的にはヨーロッパでは毎日のように戦争を起こしていた時代もあるのだし。

.

冷戦終結から2010年代まで、長らく続いた平和の次の「戦争の、あるいはネガティブのターン」だと捉えることもできるだろう。

それなら、耐えていれば次にまた幸福時代が訪れるわけだ。

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とはいえ、それは「誰にとって」幸福時代なのか?

冷戦終結から2010年代までを最も幸福に過ごしたのは、やはり先進国人間だろう。

日本もまた、高度経済成長からバブル崩壊辺りまでの期間はきわめて幸福だったに違いない。

.

だとして。そうした時代の主役ともいうべき人々が、舞台を他に譲るのだとしたら?

.

西側諸国の次はアジア、その次はインド、その次はアフリカ……と、予測されている。人口動態からは。

それが、「次のターンで幸福になる人々」なのかもしれない。

まぁ、その理屈になる場合アフリカの番が来るのは次の次、ぐらいなのだろうが。

.

世界改善され続けている――それは、言い換えれば、「今見えている景色よりも過去は遥かに地獄だった」ということを保証するに過ぎない。

もっと言うなれば過去の一時点は現在よりもネガティブな要素があった」と言うべきか。縄文時代労働時間は2-3時間だったらしいのだし。

サピエンス全史』は「農業人類史上最大の詐欺」と語り、科学は素晴らしき発明だと言う。

.

事実はどうなのか? そもそも事実などあるのか?

「その時代に最も幸福な人々」が語る言葉は、真実であると同時に欺瞞なのでは?

.

つまるところ。荒廃も幸福も、大した違いなどないのかもしれない。

からそれが、興味深いと思った。

.

この先、世界はどのように「荒廃」し、「幸福」になるのか?

その二つに大差がないのなら、あるのはパターンの違いであり、ディティールの異なる時代なのだろう。

それは、面白いと思わなければ損だ。

.

相対主義的な捉え方だという自覚はある。

だが結局のところ、人は自分の見たいように世界を見るし、それは一つの観点としては真実なのだ

.

迫害される黒人アラブ人にとって「世界は極めて攻撃的」だし、

彼らの暴動を受ける側は「彼らは極めて攻撃的」であり、

そのどちらでもなく平穏母国で暮らす黒人アラブ人の人々にとっては対岸の火事にすぎない。どうだっていいことだ。

そもそもが、そんな区分意識さえしないだろう。

.

幸福だと思う人にとって世界幸福で、悲劇だと思う人にとって世界悲劇的だ。

ならばどこまで行っても、最初からそんな世界喜劇なのだろう。

.

興味深く、楽しむべきなのだろう。

世界の次のターンは悲劇か? 幸福か?

.

それは、ただ自分自身が決めることでしかないのかもしれない。

荒廃していく「ように見える」時代の流れと、遥か古代から続く「世界はより悪くなっている」の思い込みの興味深さ

興味深い、というような気がしてくる。

.

ええと、どこかの段階では自分場所を作るべきなんだろう。ただ、今はここに書き記しておきたい。

.

今起きているフランス暴動――黒人系・アラブ系二世に対する日本コメント欄での無理解と、暴動を起こす側の無理解はよく似ている。

.

他者への不寛容排斥対立。分断。

トランプ大統領がその流れを「生んだ」というわけではないだろう。むしろ議事堂襲撃や退任によって世界的な流れは若干緩んだかもしれない。

.

ロシアはどうだろう? どちらかと言えば、無理解は加速したが中国拡張主義の速度は緩んだと言える。

そう、中国はと言えば国内の急速な失業率悪化が報じられている。まぁ、その原因は欧米と同じく「日本化」、いわゆる人口問題による先進国の老化ではあるのだが。

.

新型コロナは明けたが、それでも世界はより悪くなっているのだろうか?

.

答えは、わからない。そもそも「より悪くなっている(気がする)」というのが100%個人主観による感想から

そして客観的研究によると、『FACTFULNESS』が何年か前にこれをテーマとしてベストセラーになったが、

世界はより良くなり続けている」のだという

https://www.gentosha.jp/article/23545/

他にも、同様の研究がある。「昔はよかった。今はダメだ」と、紀元前古代シュメール人粘土板にすら書いてあるという。

エジプトピラミッドにも「最近若い者は」と落書きがある、というのはネットミームだそうだが、そう遠く外してもいなかったわけだ。

https://newspicks.com/news/6972076/body/

.

世界はより良くなり続けている」とはどういうことか?

すなわち、世界乳幼児死亡率、栄養失調率、極度の貧困率乳幼児ワクチン接種率及び病死率などはいずれも改善されているということだ。

.

そして、人間の脳には本来世界はより悪くなり続けている」と考える仕組みが備わっている。

より厳密には、「昔の記憶を良い思い出に書き換える」「現在未来について悲観的な予測をする」「恐怖やネガティブな要素を重要視する」といった本能だ。

いずれも、昔のことはポジティブに考えて悪いことはさっさと忘れた方が健康的だし、危険を悲観的に予測し、重要視して避ける。

生存率を上げるための合理的本能である

.

その辺りは『FACTFULNESS』本編の序章に詳しいのでここまでにするとして、

ではそれを前提にすると? 少し興味深い見方もできる。

.

まり、「世界の荒廃も一時的で、一側面的で、見方によるものしかない」のだとすれば?

.

たとえば戦争ロシア-ウクライナ間で起きていることは悲劇だ。

だが、統計的にはどうか。約35万人の死傷者数と見積もられている。

1980年代イランイラク戦争では約100万人以上。しかし、世界人口総数が当時は44億人、現在は80億人を超えていることを鑑みると、

人間一人当たりの死の悲劇性は半減しているのだから、状況は統計以上に改善している」と考えることもできるかもしれない。

まぁ、世界人口総数あたりの戦死比率は間違いなく減少している。

.

世界改善され続けている」――これはとても興味深い。

何故なら、本能直感とは反する結果だからだ。とても科学的だ(科学史では直感に反する事実がしばしば証明される)。

.

もちろん、日本経済人口問題、「先進国の老化」、人種差別、などなどの諸問題は間違いなくある。

しかし――それでも世界改善されているのだとしたら?

.

一つには、「今は揺り戻しのターン」だという捉え方がある。

そもそもが、一つ前の時代悲劇とは世界大戦であり核戦争寸前の冷戦である。それに比べれば、まぁ差別暴動テロも局地的戦争も、大した問題とは言えない。

歴史的にはヨーロッパでは毎日のように戦争を起こしていた時代もあるのだし。

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冷戦終結から2010年代まで、長らく続いた平和の次の「戦争の、あるいはネガティブのターン」だと捉えることもできるだろう。

それなら、耐えていれば次にまた幸福時代が訪れるわけだ。

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とはいえ、それは「誰にとって」幸福時代なのか?

冷戦終結から2010年代までを最も幸福に過ごしたのは、やはり先進国人間だろう。

日本もまた、高度経済成長からバブル崩壊辺りまでの期間はきわめて幸福だったに違いない。

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だとして。そうした時代の主役ともいうべき人々が、舞台を他に譲るのだとしたら?

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西側諸国の次はアジア、その次はインド、その次はアフリカ……と、予測されている。人口動態からは。

それが、「次のターンで幸福になる人々」なのかもしれない。

まぁ、その理屈になる場合アフリカの番が来るのは次の次、ぐらいなのだろうが。

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世界改善され続けている――それは、言い換えれば、「今見えている景色よりも過去は遥かに地獄だった」ということを保証するに過ぎない。

もっと言うなれば過去の一時点は現在よりもネガティブな要素があった」と言うべきか。縄文時代労働時間は2-3時間だったらしいのだし。

サピエンス全史』は「農業人類史上最大の詐欺」と語り、科学は素晴らしき発明だと言う。

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事実はどうなのか? そもそも事実などあるのか?

「その時代に最も幸福な人々」が語る言葉は、真実であると同時に欺瞞なのでは?

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つまるところ。荒廃も幸福も、大した違いなどないのかもしれない。

からそれが、興味深いと思った。

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この先、世界はどのように「荒廃」し、「幸福」になるのか?

その二つに大差がないのなら、あるのはパターンの違いであり、ディティールの異なる時代なのだろう。

それは、面白いと思わなければ損だ。

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相対主義的な捉え方だという自覚はある。

だが結局のところ、人は自分の見たいように世界を見るし、それは一つの観点としては真実なのだ

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迫害される黒人アラブ人にとって「世界は極めて攻撃的」だし、

彼らの暴動を受ける側は「彼らは極めて攻撃的」であり、

そのどちらでもなく平穏母国で暮らす黒人アラブ人の人々にとっては対岸の火事にすぎない。どうだっていいことだ。

そもそもが、そんな区分意識さえしないだろう。

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幸福だと思う人にとって世界幸福で、悲劇だと思う人にとって世界悲劇的だ。

ならばどこまで行っても、最初からそんな世界喜劇なのだろう。

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興味深く、楽しむべきなのだろう。

世界の次のターンは悲劇か? 幸福か?

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それは、ただ自分自身が決めることでしかないのかもしれない。

2023-03-12

文系なのに科学史を書くという無謀なことをしている

しか科学の発展なくして文系の発展もない

2023-03-05

anond:20230305230927

科学史陰謀論みたいにw

オマエはユーチューブみようとしたら必ず邪魔してくる刺激的なティーザーCMかよ

2023-01-27

フェミ誹謗中傷ばかり

https://twitter.com/ginirorider/status/1618749734881210370

猫目石🐾🧷💍💙💛猫柱・猫の呼吸

@ginirorider

千葉美裸さんや伊藤詩織さんのような性暴力被害者粘着して誹謗中傷した連中や変な陰謀論でcolaboを叩いて女性へのヘイトスピーチをする #暇アノン 、その暇アノンに便乗してバスカフェ妨害した煉獄コロアキ

やっぱり反フェミって害悪だわ

#MeToo

#colaboに連帯しま

#性暴力を許さな

引用ツイート

ぬい👉まとめサイト有償👈

@frompoison

21時間

被害者女性死ぬまで追い詰めた、名指しされた #暇アノン 。どう責任取るつもりだ?

消すなよアカウント

園子温告発していた女性は二度も三度も殺された。男たちによって。 twitter.com/Nyaho2c/status…

午前8:16 · 2023年1月27日

時系列が合わないし関係ない。

https://twitter.com/kon7110_0701/status/1618724188625444868

こんな人0701@自民党政権打倒

@kon7110_0701

このツイートにあるように、北米西欧に限らず世界的にみれば、ミソジニーに凝り固まった男性である岸田、菅義偉麻生ひろゆきらは、信用されていない一方で、伊藤詩織さんのように女性差別や性暴力に抗議した女性は、特別な敬意が払われていると思う。 #colaboに連帯します #StopFeminicides

引用ツイート

伊藤憲二 科学史

@kenjiitojp

1月16日

フェミニストが嫌われているというのは日本語SNSとか、男性中心の企業等での話では。国際的には、少なくとも北米ヨーロッパでは、むしろ日本ミソジニストの方がはるかに嫌われているだろうし、彼らのことが知られれば知られるほど嫌われるだろう。

午前6:34 · 2023年1月27日

草津町のしょこたんを忘れている。

2022-12-11

anond:20221209230121

文系翻訳に対する感覚の話、ブコメちょっと反応してみる。

何が書いてあるか、誰が書いているか、の違いか文学作品ならそら後者やろうけど、技術書理論論文後者重視したら権威主義への傾倒でしかないな

いや、文学研究でも「何が書いてあるか」です(「何が書いてあるか」を解釈する上で「誰が書いたか」という情報必要場合があるだけ)。たとえば、ピケティ英語で書いた論文なら英語から訳すべきで、ピケティフランス人からといってフランス語から重訳するのはおかしい。逆に、仮に著者がイギリス人でも、フランス語で書かれた本ならフランス語から訳すべき、そういう話です。文系大事にしているのは「文章それ自体」であって、文章それ自体を忠実に原語から訳すことが重要である、というのが文系の考え方。

だって、「オリジナル文章」こそが我々にとっての生データですからね。もちろん完全にオリジナルなのは難しい場合が多いけど、なるべくオリジナルに近づける努力をすることは必要で、原文にあたるのはその基礎的な作業であって学部生とかの未熟な人でない限りは省くべきではないプロセスですよね、ってこと)

さえぼう氏側は「間違いが起こり得る」としかわず、具体的にどこが「間違いだった」という指摘がないから、屋上屋を架す空論でしかない。具体的に誤訳だったという指摘、出版から随分経つけど今までにあった?

これはもう「具体的に間違いがあるから問題だ」ではなくて「重訳なのがけしからん」という話なので……具体的な実害の問題じゃなくて規範の話をしてるんですよね。ただ、その規範が他の分野の人たちに受け入れられていない、という状況。

たとえば増田は、ちょっとマニアック事柄についての論文を有名な査読誌に投稿したことがあるんですけど、「よく調べてあるけど学術インパクトが足りない(要は面白くない)。却下」という趣旨のやり取りを何度かして、もういっか、めんどいから載るとこに載せよ、って思って当時所属してた機関紀要に無査読論文いたことがあるんですよ。業績欄には当然その論文を載っけてます(もちろん査読の有無は明記した上で)。で、この論文形式上査読なしであることに特段の問題はないですよね。だって研究結果が間違ってるわけじゃないもの。ただ有名な雑誌に載るほど面白くないだけ。それでも、論文には査読がついていて当然、という人たちは「いや、査読なしだと間違った論文が載るリスクがあって、だから査読がないもの論文と認めるべきではなく……」って言いたくなるんじゃないですか? 「重訳だと誤訳リスクが……」ってのもそういうことですよ。

物理学では基本的英語から翻訳だと思うけど文句言ってる人見たことないなぁ・・・価値観の違いを感じる

物理学のものではないですけど、いちおう、文系には科学史という分野もあり、そこでは物理学歴史について原語を使った研究がされてます。たとえば、 isbn:4486021746 なんかは、ソ連時代物理学をめぐる論争について研究した本で、がっつりロシア語の文献を読み込んでますネットで読める論文だと、DOI: 10.34336/jhsj.47.248_193とか)。外国学者が書いたこの本 isbn:4815808090 も、英語以外の文献も読んでたような(この本は面白いので超オススメです)。アインシュタインドイツ語相対性理論論文を書いたわけですからね(DOI: 10.1002/andp.19053221004)。もちろん、繰り返すようにこれらはあくまで「物理学対象とした文系学問」であって、物理学のものではないので、「物理学では基本的英語から翻訳」というのはそうなんだろうなぁ、と思いますが。

これ、医学系が人文系にIF要求するような無理筋を感じる 読者がやるのはピケティ研究じゃなくてピケティを踏まえた研究では

これメチャクチャ思いました。過去査読云々の論争を思い出しちゃいましたよ( anond:20181009070341 とか、 anond:20181011090428 とか、このへんの話ね)。「翻訳するとき原典から訳すのが当然だろ!」「いや、別に重訳でも意味が取れてればそれでいいじゃん……」「出版スピード感大事だし……」っていうやり取り、まんま過去の「論文は全部査読するのが当然だろ!」「ええ、別に査読で載せても、後続の論文でしっかり吟味されてればそれでいいじゃん……」「出版スピード感大事だし……」っていうやり取りとソックリというか。増田は「なんで原典にあたるという当然のことを重要視しないんだろう……」って思っちゃうんですけど、理系経済学の人たちも「なんで査読という当然のことを重要視しないんだろう……」って思ってたわけですよね。まあだからあんまり自分野の基準で他分野にケチつけるのはよろしくないなぁと、自戒を込めて。

追記

査読に落ちる場合は、その落ちる原因をちゃんと指摘されてるんじゃないの?そんなお祈り一行みたいな感じで落とされるっけ?

増田に書いたことは原文ママじゃなくて要約です。当たり前でしょ……(ほんとはきちんと細かく落とす理由を書いてあったけど自分の専門分野も出した雑誌名前も言いたくない)。まあ「大意」とか「趣旨」とか書いておくべきだったかもしれないけど流石にこの文面見たら要約だとわかるっしょ? って思ったんですけど伝わらない人もいるんだなぁと新鮮な驚きを感じたので「趣旨」って付け足しておきましたわ。要約を鉤括弧で括ったこちらにも非はあるし。

査読もされていないのに「だって研究結果が間違ってるわけじゃないもの」と自信満々に言えるのが分からない...文化が違う

から丁寧に「有名な査読誌に出して面白くないからと蹴られた」話をしたんですけど伝わりませんでした? 間違いがあるとかじゃなくて、マニアックすぎてうちの雑誌に載せるには面白くない、っていう理由却下されたんですよ。まさかそこに引っかかる人が出てくるとは。ちゃんと経緯は書いてあるでしょ。

でもまあ、反射で「査読ついてないなんてけしからん」って思っちゃうってことですよね。重訳もそういうことです。反射で「直訳しないなんてけしからん」って思っちゃう、っていう話。

インパクトが足りない。却下」が研究結果の正しさの保障になる???

わざと言ってます? それとも本当に読めてない? 「よく調べてあるけど」と前置きしたでしょ? 研究成果それ自体への疑義査読からは呈されていません。むしろ称賛されてます。その上で面白くないから書き直せってやり取りを何度もしたの(再投稿を可とするリジェクトだった)。何度か書き直して、ああこれは先方が求める「面白さ」と増田がこの研究に感じている「面白さ」が噛み合うことはないな、と思ったので再投稿せずに無査読紀要に載せることにしました。自分にとっては自明ことなので説明不足になっていたきらいはあり、そこは申し訳ないけど、もとの文章ちゃんと読んでくれませんか?

だいたい、研究成果の正しさはディジタルじゃなくて、「部分的には正しいが、しかし……」みたいにグラデーションがあるものでしょ。査読100%の正しさが保証されると考えているならそれは大間違いですよ。増田研究だって研究手法結論的に「正しいか、間違いか」なんてディジタルに言えるような研究じゃないっす。なので査読で「間違いだとわかる」なんてこともほぼあり得ない(資料の読解間違いとかはあるかもしれないけど、増田論文総体として「間違い」であることを示すには増田論文と同程度以上の調査をし論文を書く必要があるんで、普通査読じゃ「間違い」とか言えないはず。関連する資料を全部諳んじてる大家なら別だけど)。

そもそもピケティ先生は狭い学術ギルド論文として書いたんじゃなく経世済民の書として世に問うたわけだから増田の話(や一部ブコメ)は大分ズレてるのでは。例えば「翻訳とか無駄原本を参照汁」的な暴論との文字数

学術業界だけじゃなくて、一般書の方でも最近は「原語から訳すべき」という流れが定着しつつあったじゃないすか。スタニスワフ・レムも昔はロシア語からの重訳だったけどポーランド語からの新訳が出てるし、昔はフランス語経由で訳されてたイスマイル・カダレも今はアルバニアから訳されてるし、バスク語チベット語イディッシュ語文学翻訳されてきたでしょう? そういう流れが出てきてたのに有名なフランス語の本を英語から重訳するなんて、というショックは当然ありますよ(だから私は『三体』も相当ガッカリしましたよ。中国語版には検閲が入ってる、と聞いて納得したけど。エーレンデュル捜査シリーズの方は、重訳自体はもう仕方ないけど、頼む~~~せめて著者の名前おかしいのくらいはどうにかしてくれ~~~って感じ。重訳のせいで著者の名前すらおかし表記がされてるんですよね……)。時代を巻き戻す気か、と反射で思っちゃうのも無理はないです。

2022-10-03

anond:20221003102349

しょっぱなの拷問シーンの外連味で作品スタンスは十分に表明されている

リアリティよりも面白さを優先しますよ!って宣言だろあれは

それも分からない層にまで読まれしまうほど成功したのがあの作品責任だとしたらそうかもしれんけど。


ただ、題材とした科学史に対するリスペクトが足りないという批判だったら理解はできる

こんなの間違ってる!ではなくて、これはちょっとひどくない……?ってニュアンスなら。

anond:20221003090612

あれは、「チ。」を批判しているというより、一般人科学史への無理解批判しているのだと思う。

 

科学史ちゃんと知ってるなら、例えばノブナガが女体だった、みたいな作品と同程度の扱いにならんとおかしい。

為になるマンガみたいな感想がのさばりすぎ。

みたいな。

漫画面白自体否定してなさそうだからな。

 

ただ言ってる本人も自分論理の矛先を明確に理解しているかが怪しいとこはある。

科学史理解一般に広まってないのは、漫画じゃなくて科学史ロビイング不足のせいだし。

魁!!男塾』の民明書房容認するなら『チ。』も容認せざるを得ない

『チ。』を批判してる科学史キモオタは『魁!!男塾』を読み返して思考実験してみてほしい

この二つの間に本質的な差はない

『チ。』を否定するメソッドにおいては『魁!!男塾』の民明書房否定せざるを得ない

魁!!男塾』の民明書房容認するメソッドにおいては『チ。』も容認せざるを得ない

ということがわかるはず

2022-08-06

ダーウィンは「生き残ることができるのは変化できる者である」とは…

自民Twitter炎上で注目 「ダーウィンの進化論」とは:東京新聞 TOKYO Web

ダーウィンは「生き残ることができるのは変化できる者である」とは言わなかった。英語で流布しているのはこうである

It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change.

The evolution of a misquotation | Darwin Correspondence Project には、この誤った引用の由来が解き明かされている。これをうけた日本語記事もある。

じつはこれはダーウィン言葉ではない。彼の考えでさえないのだ。科学史家の調査によれば、これは元々1960年代米国経営学者レオン・メギンソンがダーウィンの考えを独自解釈して論文中に記した言葉であった。それを他者引用を重ねるうち少しずつ変化して、最後ダーウィン言葉として誤って伝えられるに至ったものである

誰もが知っているダーウィンの名言は、進化論の誤解から生じた!(千葉 聡) | ブルーバックス | 講談社(1/2)

では、どういう考えを解釈していたのだろうか。すくなくとも、こうは書いている。

ある土地にすむ生物の多くが変化し改良されているとしたら、競争原理生物相互関係をめぐる重要原理により、あまり変化せず改良されなかった生物種は消滅させられる定めにあることが理解できる。そういうわけで、長い目で見ると、同じ地域にすむすべての種はなぜ最終的には変化するのかという理由がわかってくる。変わらない種は絶滅してしまうからなのだ(強調引用者)

isbn:4334751962

原文では

When many of the inhabitants of any area have become modified and improved, we can understand, on the principle of competition, and from the all-important relations of organism to organism in the struggle for life, that any form which did not become in some degree modified and improved, would be liable to extermination. Hence we see why all the species in the same region do at last, if we look to long enough intervals of time, become modified, for otherwise they would become extinct. (強調引用者)

2022-07-20

anond:20220720124155

話を合わせたいターゲット層がどのレベルなのかにもよると思うが、この時代ベストセラーりある種のパラダイムシフト引き起こしたような古典的名著とか科学史フォーカス当てた本がいいんじゃないかな

個人的にはサイモン・シン宇宙創造かいいと思う

あとは新書を手当たり次第に読み漁る

2022-01-21

anond:20220121150248

本能の語が用いられなくなった理由ひとつは、これが説明的な概念としてはあまり役に立たなかったためである。(中略)アメリカ科学史カール・デグラーによれば、1920年代から30年代にかけてアメリカ人類学心理学の文献からこの語が急速に消えた。これは人種主義と結びついた優生学運動の人気の凋落と、行動主義文化決定論のような空白の石版説の人気の高まりの時期と一致する。

そもそも本能」という概念自体優生学的なんだね。

2021-11-03

小説を書いていた俺が面白かった中世ヨーロッパの本を共有する

歴史を学ぶ上での四つの視点

かつて趣味小説を十年近く書いていた者だ。俺も理系だが、理系歴史を学ぶ上で決して弱みではない。むしろ物事を大局的に眺め、出来事意味や結果をロジカルに考えるうえでは助けになるし、論理的文章も得意だろう。なので、自信をもって執筆に向かってほしい。

とはいえ、いきなり中世ヨーロッパ舞台にした小説を書くのは難しい。農民であれ騎士であれ、生活の細部を思い描こうとするだけで筆が止まってしまう。朝起きて顔を洗い、用を足して食事をする、その半時間のことなのに細部がさっぱりわからず、筆が進まない。ありがちな悩みだが、深刻な悩みでもある。

仮に十年前の日本舞台にした小説を書こうとしても、「当時はスマホが既にあったか」「はやっていた音楽は何だったか」「あの事件はもう起きていたか」など、俺たちの記憶は甚だ頼りなく、資料に頼らざるを得なくなる。ましてや、生まれる前の出来事など仮定仮定を重ねた蜃気楼のようで、資料なしでは立ちすくんでしまう。よくわかる。なので、俺が読んで面白かった本を共有したい。

ところで、増田世界史勉強したいと述べているが、どうも「小説を書くための中世ヨーロッパ知識が欲しい」と「知識から漠然世界史について学びたい」が混在しているようだ。ブクマレスを見ると、その両方に対する回答がある。俺は、ひとまず前者について答えたく思う。後者については、中央公論社の「世界歴史シリーズか、講談社の「興亡の世界史」を読んで、そこから気になったキーワードからどんどん広げていくといいと思う。なお、俺は前者しか通読していない。

さて、過去世界を生々しく想像するためには、俺は四つの視点必要だと考えている。数理的視点物質視点、非物質視点それからエピソード視点だ。以下、それぞれについて述べる。各々の視点に応じて、手に取るべき書籍は異なってくる。

さらに、この四つの視点があると、頭の中で歴史知識を整理するのに役に立つ。少なくとも俺にとってははやりやすい。

数理的視点

過去世界は偉大なようだが、人口現代よりも少なく、都市の規模は小さく、穀物工業製品生産量も少ない。そういうわけで、もしもタイムスリップして中世大都市を眺めたとしても、その小ささに俺たちは意外さを覚えるかもしれない。確かに現代にも通用する芸術作品はあるかもしれない。時代は異なるが、ピラミッド紫禁城のような壮大な建物もあるだろう。とはいえ庶民はそんな生活とは無縁であったはずだ。パリ城壁は今や環状線であるが、今のパリ都市圏はそれを越えて広がっている。

さて、小説を書く上ではリアリティ必要になる。それを支えるのが数の感覚だ。例えば、ある国家人口がどれくらいで、即時に動員できる兵士がどれくらいで、都市都市距離がどれくらい離れており、移動速度はどれくらいか集落の規模はどの程度か。船舶で運べる量は。モデルとする時代数字をおおよその知っておくことで、明らかに自然描写は減らせるだろう。このあたりについては「銃、病原菌、鉄」や通史的に世界人口を扱った書籍が助けになると思う。細かいことは気にしなくていい。オーダーが合っている程度で充分だ。数字を確かめるだけなら、ウィキペディアだけでもいい。これは英語版を併用することを薦める。

物質視点

要するに衣食住の細部だ。先ほど騎士農民の一日を想像するのが難しいと述べた理由はこれになる。増田必要としているのはおそらくフランシス・ギースの出しているシリーズだ。都市農村、城の生活が細かく書かれている。

他に、当時栽培されていた植物動物については、「世界史を変えた50の○○」シリーズもいい。ある素材が手に入るか入らないか、あるいは知識の有無だけで国の命運が変わるというのは、たびたび起きてきたことだ。中世ではないが、例えばヒッタイトで鉄の製法が独占されたこと、柑橘類で長期航海の敵、壊血病が防げるとか、そうしたことだ。

また、具体的な書名はいちいち挙げられないが、図版の多い図解○○のようなシリーズも良い。もし、増田視覚的にものを考えるタイプならなおのことだ。慣れていくと建築芸術の○○様式というのが何となくわかるようになってくる。

加えて、児童書も侮っては行けない。専門家が監修した子供向けの本は、えりすぐりの内容を含んでいる。仮に含まれていないとしても、これだけは伝えておきたいという基礎知識は抑えてある。これは立花隆が言っていたことだったと記憶しているが、なじみのない分野を学ぶためには基本的な内容の本を三冊読むといいそうだ。なぜなら、本当に大事なことはその三冊すべてに書かれているからであり、結果的にその分野の基礎を身に着けることができる。

物質視点

これは当時の人間が何を知っており、どんな風に考えていたかを指す。直接は物質として残らない、人の頭の中にあった知識文化にまつわることだ。当時の科学知識価値観法律迷信などもここに含めてよい。

さっき中世人の朝を想像するのが難しいと述べたが、昼以降の社会生活想像するのはこれでさらに難しくなる。

たとえば俺は異世界ファンタジーをあまり読まないのだが、中世には叫喚追跡という風習があった。当時のイングランド自由市民犯罪が生じた場合には、その犯人逮捕処罰する義務を負っていた。隣保組織の長は角笛を吹き、大声で喚声をあげながら犯人を追跡しなければならず、また周囲の住民もその指揮に従って追跡に加わることが義務付けられていた。しかも、この協力を怠った住民に対しては制裁が課せられる。寡聞にして、こういうファンタジー小説は読んだことがない。

ここまではいかないにしても、海外文学を読むとなじみのない、ちょっとしたジェスチャー迷信出会うことがある。欧米だと、指を交差させることで幸運を祈るし、ロシア人は今でも扉越しに握手をすることを嫌う(宇宙ステーションでさえ)。この辺にリアリティは宿る。ジェスチャー関係なら、中世とは少しずれるが「常識世界地図」が面白い。

法に関しては詳しくないがが、習慣や生活については先ほど述べたフランシス・ギースの本が参考になると思う。価値観では「中世の秋」がいいだろう。科学史については、増田理系から「磁力と重力発見」を薦めたい。難易度はかなり高いが、知識いか科学になっていくかを肌で感じられる。

当時の職業に関しては、未読だが「十三世紀のハローワーク」がいいらしい。

キリスト教宗教史に関しては、聖書エピソードの概略や聖人伝を知っているといい。絵画が好きなら名画で学ぶ○○といったシリーズがたくさん出ている。ただし、聖書がわかったからと言ってキリスト教がわかったことにはならないので注意。

エピソード視点

これは著名な人物の伝記に関する話だ。あるいは、当時の人々が親しんでいた物語も含めてもいい。こういう偉人の伝記や小話をたくさん知っていると、歴史好きの物知りとしてマウントを取ることができるが、その出来事世界史上でどのような意味があったかを語れなければ、自己満足で終わり益は少ない。とはいえ、興味深いのは確かで、プロットの参考になるかもしれない。

このあたりの知識のためには、児童書も含めて伝記を読みあさることになる。または、ハプスブルク家歴史だとか、各国史だとかを扱った新書を乱読する。絵画に興味があるなら、これも名画で見る○○のようなシリーズおすすめだ。

当時の人々に身近だっただろう中世騎士物語については、ブルフィンチアーサー王伝説シャルルマーニュ伝説をまとめている。それとは別にマビノギオン」も面白い。とはいえ、いきなり原典に当たる必要はなく、入門書を読めばいい。

ギリシアローマ神話は呉茂一の本が細かいところまで網羅しているし、ホメロスオウィディウス岩波文庫に入っているが、呉茂一の本は初心者には細かすぎるし、原典に当たるのは趣味領域から小説を書くなら入門書で充分だと思う。同様の理由で、「史記」だとか「ローマ帝国興亡史」なども趣味に属する。当時ならではの視点面白いが、鵜呑みにできない誤謬もあるだろう。

かに読んで面白かったもの

もちろん、単純に上記の分類にすべて本が収まるわけではない。大抵の通史・各国史はこれらを兼ね備えている。

以下、何となく面白かったものを思いついたままに書く。「中世ヨーロッパ歴史」「十二世ルネサンス」「ケルトの水脈」「西ヨーロッパ世界形成」(ただしこの本は著名な王の事績ほとんどの載っておらず、当時の価値観や考え方についてのページがほとんどで、そこがアマゾンで叩かれている)。それから、隣人から視点として「「イスラームから見た世界史」「アラブが見た十字軍」など。

書き洩らしているかもしれないが、今のところ思いつくのは以上だ。

他に、中世舞台にした小説映画おすすめだ。難解だが読み応えのあるミステリ薔薇の名前」、SFだが「異星人の郷」がいい。「大聖堂」は未読だ。「モンティ・パイソン・アンド・ホーリーグレイル」はコメディだが細部の正確さは中世映画随一であるとのこと。毒のある笑いに抵抗がなければおすすめ

増田に注意してほしいこと

中世風の舞台を描くために中世について勉強する。素晴らしいことだ。俺は敬意を表する。それに読んでいるうちにどんどん楽しくなってくるだろう。何かを知る、これは純粋な喜びだ。

だが、小説を書く以上、ある程度は想像力で補わないといけない。ある場面を書く際に必要情報があるとしても、そもそもその資料存在しないかもしれない。研究者でさえわからないことは多い。俺もこれだけ読んできたが、わからないことだらけだ。むしろ、疑問が深まった感さえある。細部も忘れてしまった。増田はぜひ自分で本を買ってメモを取るなり線を引くなりしてほしい。読み飛ばさず、時間を掛ければそれだけ得るものも多いだろう。

もっとも、描写に困った場合は、該当シーンを省いてしまうのも手だ。小川哲がどこかで述べていたが、ある歴史SFを書くときに、細部を省略したシーンがあるという。ストーリーにあまり関わらない部分を省くのは、立派なテクニックだ。読者だって中世建築の細部について延々読まされても困るだろう。

もうひとつ忘れてはいけないのは、増田研究者になろうとしているのではなく、小説を書こうとしている、ということだ。知識目的ではなく、手段だ。これを忘れてしまうと、他人の設定の粗を探したり、中世なのに価値観現代的なのを揶揄し始めたりする。こうなると、物語世界を素直に楽しめなくなる。

大事なのは歴史的正確さよりも、読者を喜ばせることだ。そういう意味では、演出として火薬が出てきたっていい。あるいは、読者が感情移入やすくするように、人を殺してなんぼの武将ではなく、戦争で人を殺すことをためらう武将として、描写する必要がある(ドラマ戦国武将がやたらと戦争を嫌い、優しいのはそのためだ)。異世界ファンタジーの読者が読みたいのは中世ではなく、中世っぽいものだ。そもそも中世ヨーロッパ風なのに唯一神を信じていないファンタジーは多い。

そういう意味では、本を読んでもその知識が直接生きることは少ないかもしれない。くれぐれも、読者に向かって知識をひけらかしてはいけない。あるシーンの正確さのために資料に当たるのはいいが、その成果を延々披露しては読者のストレスになるだけだ。もちろんそういう衒学的な歴史小説もあり、固定ファンはついているが、ネット小説の読者には少ないだろうし、ネット小説の肝であるPVを稼ぐことにはならない。これはいい悪いではなく、ネット書籍媒体の差だと思っている。

また、レッドオーシャン中世ヨーロッパファンタジーに飛び込むのなら、正確さよりも作者の専門知を活かしたものの方が(ブクマで書いている方もいるが)読者の目に留まりそうである。そして、くどいようだが、これだけおすすめの本を書いてきたが、読者が欲しいのは正確な知識ではなく血沸き肉躍る物語である

だが、作者にとっての最大の危険は、どんな物語よりも過去に起きた事実の方が面白いのだと気づいてしまうことだ。この罠にはまると、どんな小説所詮作り事と思われて素直に読めず、何を書いてもむなしくなってしまう。言い換えるなら、創作欲が知識に殺されてしまう。増田には、これに一番気を付けてもらいたい。

それを防ぐには、面白小説を読み、面白ものを書くこと、これに尽きる。先行作品としての中世ファンタジーを愛し、数多く読み、繰り返し読むこと。

知識の増える専門書を読むより、中世ファンタジーの書き方を読むべきだった、と増田がならぬよう、幸運を祈る。

anond:20211031163129

2021-08-13

学術書の類を読むときプロによる書評も一緒に読め

ブレグマン(2021)『Humankind 希望歴史』を勝間さんがブログで紹介しているが、その記事ブコメ地獄と化している。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/katsumakazuyo.hatenablog.com/entry/2021/08/12/162845

「なんとなくだが俺はこう思う」「著者はチェリーピッキングしててクソ」みたいな主張がエビデンスなしに書かれており(そもそも君たち原書読んだ?)、それらにスターが当然であるかのように集まっている。これらは理性的議論でもなんでもなくただのエコーチェンバー現象である。やはり、ブコメという文字数制限があるメディアできちんとした議論を行うのは無理があることが分かる。

こういう学術書やそれに近いものを読むときに私が習慣としていることがある。本を読む前にプロによる書評を読め。

ここでのプロというのは、新聞でそういう書評をいっぱい書いているプロレビュワーのことではなく、プロ学者のことである

例えば、"Bregman Humankind book review"とかでgoogle scholarなどを調べると、文化人類学者によるこの書評がヒットする。

A Sceptical Review of Bregman’s 'Humankind: A Hopeful History'

https://www.newenglishreview.org/custpage.cfm?frm=190173&sec_id=190173

この書評によれば、「過去において狩猟採集生活住民同士が戦争ばかりして殺し合っていたというのは基本的には嘘」というブレグマンの主張は文化人類学的には嘘っぱちである

"As a journalist he not only knows very little anthropology but also has an irritating folksy style"(ジャーナリストのブレグマン文化人類学についてほとんど何も知らないだけでなく、イライラするほど垢抜けない文体を用いており)、"This is reminiscent of a very bad undergraduate essay"(これはとても下手な学部生のエッセイを思い出させるような主張だ)、などとやたら攻撃的な評がなされており、それはそれで大丈夫かという気持ちにはなるが、少なくとも一人の専門家視点から見た学術的な評としては参考になる。もちろんこの書評が真理で『Humankind』は読む価値なし、とここで主張したいわけではない(私は文化人類学者ではないのでその判断はできない)。

このような視点批判的に本を読解することは、当該分野の知的蓄積を持っていない素人には不可能である。誤った知識を盲信しないために第三者によるファクトチェックには目を通しておいた方がよい。逆に、その道の専門家が「よく書けた本である」と肯定的に評していれば、ある程度安心して読むことができる。

プロによる書評をどのように探すか

日本語書籍なら「(書名) 書評」でググる学者による書評に絞りたい時は「(書名) 書評 教授」でググったり「(書名) (著者名)」でGoogle scholarしたりするとよい。

英語書籍日本語翻訳された本を読むときもこれで原著の評判を調べる)なら「(書名) (著者名)」でGoogle scholarするのがおそらく一番よい。ある程度有名な本ならプロによって書かれた書評学術ジャーナルに載っており、それがだいたいヒットする。特にいわゆる文系学術ジャーナルには毎号Book reviewコーナーがよくあり、そこに載っている書評は「本の主張まとめ」→「本の批判検討」→「本の評価」というフォーマットで書かれていることが多いため大変読やすい。ただ一つ問題があり、これらのジャーナルはほぼ有料である研究機関所属するか金を払うことによりこの問題解決する。

また、twitterで「(書名)」で調べ、研究者っぽい人による短評ツイートを探して読むという方法もある。研究者のTwitterはだいたい実名かつ顔写真アイコンソース:私の印象)なので、それで目grepしてからプロフィールをチェックするとよい。ちなみに関心がある分野の研究者のtwitterアカウントは普段からフォローしておくとたのしい。

余談:近年のポップな人類歴史書の怪しさについて

冒頭で「ブコメがやべえ」と批判したが、こういう風呂敷を広げまくって人類史を俯瞰したぜと主張する売れ筋本に警戒心を抱いてしま気持ちはよく分かる。なぜなら、最近のそういう本に対しては「適当こくな」と専門家からツッコミが入ることが実際に多いから。

例えば、Humankindの書評として上に挙げたものを書いたC.R. Hallpike先生は、ハラリの『サピエンス全史』に対しても批判的な評を行なっている。

Review of Yuval Harari's Sapiens: A Brief History of Humankind.

https://aipavilion.github.io/docs/hallpike-review.pdf

ちなみにこのHallpike先生は、未開社会フィールドワークを行なった経験から最近のポップな歴史書は文化人類学デタラメばっか書きおって」と心底お怒りらしく、全員(チョムスキー含む)まとめてぶった切る本まで書いている。Hallpike先生過激な主張を好むことも踏まえると(参考: https://twitter.com/profdanhicks/status/1336981539893161984 )、この本に対するプロ書評が見つからないのは残念である

C.R. Hallpike(2018). "Ship of Fools: An Anthology of Learned Nonsense About Primitive Society".

https://www.amazon.com/Ship-Fools-Anthology-Nonsense-Primitive-ebook/dp/B07HX4188K

また、このような人類歴史スキャンダルとして最近話題になったのが、スティーブン・ピンカー(2019)『21世紀啓蒙』における「学術ルール違反事件である

ピンカーが書中で「科学史家による主張」として紹介していた言説が、脚注をたどると科学史家でなく社会心理学者によるものであったことが分かり、さらピンカーによって引用されていた文章は実際には同じ論文内の別部分の文章を継ぎ接ぎしてピンカーにとって都合の良いように捻じ曲げられていた、という事件である。詳しくは以下のツイートを参照。

https://twitter.com/mccormick_ted/status/1419672144368308225

もちろん『21世紀啓蒙』におけるピンカーの主張自体に対するプロからの異議申し立て存在する。

https://www.abc.net.au/religion/the-enlightenment-of-steven-pinker/10094966

というわけで、売れている学術書を無邪気に読むことすら危うさを孕む行為であるメディアリテラシーだいじ。

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