はてなキーワード: 伝統的子育てとは
死因は何より貧しさだろうけど、危険への無知もあるし、昔の人と話してると死んでも仕方ない覚悟で女が畑仕事や家事をやってた感じもする
百姓貴族で書かれてた机の脚に赤子くくりつけて放っておいてたのとかも今なら虐待だしいつ事故で死んでもおかしくないよね
忙しかったし父親の育児参加が無かったから仕方なかったみたいな感じの話を聞く
自民森派の支持母体の捨て育てのとこも多くの政治家が推薦してるけど戦後からのオカルト育児だし昔ながらの育児や家庭賛美は根強いよ
【前文より】
・かつて子育ては、社会から温かく厳しい「眼差し」に支えられていた。
・今は、伝統的子育て法が伝承されず、父母が途方に暮れている。
・発達障害のような「気になる子」が増えて学級崩壊が起きた。不登校や非行と発達障害との関係も指摘されている。
【条文より】
似非科学呼ばわりされているけれど、私には「発達障害は生まれつきの障害なのでどうにもなりません」認定の方が似非科学に思える。
個人的にはそもそも「発達障害」なる概念そのものが疑わしく思う。
脳なんていまだにブラックボックスなのに「生まれつき脳の機能障害で一生治らない」という烙印を押して個人を差別する事が本当に科学的に正しいのか。
「発達障害」というのは本来障害でも何でもない人達を差別して排除するためのレッテルでしかないと思ってる。
あくまで作られた障害でしかないと。作られた障害だから、社会のありようによって増えたり減ったりする。だから教育で減る事だってあるはずだ。
はっきり言って「発達障害」なんていうのは肌が褐色なのが障害だとか、目が細いのが障害だとか言ってるのと変わらないと思う
必要なのは障害者として扱って特別な「支援」により周りに合わせる事ではなく、そのままの個性で素晴らしいと肯定する事ではないか。
「発達障害」教育というと、当事者を矯正して「社会」に適合させる事にばかり熱心だが、本当に必要なのはそれ以外の子に対する教育じゃないか?身体障害にしろ人種や民族にしろ、「差別はいけません」と教育するのが第一だ。「特徴を矯正して、差別者に媚びへつらって気に入られるようになりなさい」と、当事者を「支援」したりはしない。
変わってる子、空気読めない子をハブってはいけません、人は一人一人違うのだから他人の個性を認め合いましょう…そういう教育。昔の日本にあって今の日本にはない教育。
昔、少なくとも二十年くらい前までの日本では、今なら絶対発達障害認定されているような人でも職人芸などを生かしてお金を稼ぐ事が出来ていた。周りも「変わった人」として、結構好意を持って接していたと思う。少なくとも今のように障害者認定されて差別される事はなかった。
虫愛ずる姫君という古典がある。化粧もせず、流行りの衣装を好まず、他の女の子が好まない虫を愛する姫の話。当時として一般的ではなかったんだろうけれど
それでもそういう娘を美しいものとして描いた作品が千年後まで残っている訳だ。
社会人の身だしなみとして暗黙のうちに化粧を強要され、常に気配りと甲斐甲斐しさが求められる現代日本の女性には、虫愛ずる姫のように自由に生きる事は不可能だろう。
昔の全てが楽園だった、なんて言う気はないけれど
少なくとも「発達障害」と見做される特徴を持った人々にとっては昔の日本の方が生きやすかったし
生き方の幅も広かった。
親学がらみでまた名が出てきてるけど、はてならしい小バカにしきったものばかり。それ以前に彼の親学について触れたもの読んでも分らない。
3.11の義捐金の送り先の一つに「あしなが育英会」も含めた結果、『NEW あしながファミリー 号外』というのが送られてくるようになった。その、直近2号に「編集長特別インタビュー」として下村博文文部科学大臣が大々的に取り上げられている。(さらに、少なくとももう1号は続く)
このインタビューが興味深い。
肩書きが文科相のほか、「あしなが育英会前副会長・高校奨学生第一期生」。たしかに、途中までは交通遺児として苦労しながら……という話。鈴木宗男さんを何となく連想した。
とある通り、ディスクレシア(識字障害)の子についての対処や思いが、けっこうな分量を占める。
注目すべきなのは、これを読む限り、下村氏の対処は全然間違っていないように見えること。もちろん気づくまでは「手を上げたこともあります」というようなものなのだが、ひとたび障害が分ってからは、この分野での先進国であったイギリスに留学させるなど(これはそれだけの余裕がないとできないが)頑張っている。
おかしな療法に手を出して結果オーライからのめり込む、なんてのとは全く無縁だ。紙面での言葉ももっともに思える。というより立派だ。
ということで、読んでの疑問。これ、高橋史朗氏の言う「親学」と両立できるの?
いや、高橋氏どころか、自分が別のとこで言ってることと整合性取れるの?
問題:次の文 発達障害を予防する伝統的子育てとは | 下村博文 を読んで作者の真意を答えなさい。
正答:学習障害の子を持つ親として、長所を伸ばす、どのような子どもも受け入れる多様性を持った教育をすすめようという願い。
私はブログのほうは、(政策秘書などの)別人が書いている可能性も疑っている。そもそも文体が冷たすぎて、こちらのインタビューと全然肌合いが違う。
まあ、いずれにしてももう少し詳しく、下村氏と「親学」の関わりについて知りたい。小バカにするだけではなしに。自民党の特質の一つとして、「ぬえ」みたいな性格挙げることができると思うけど、それが「親学」というものにも当て嵌まるのではないか?
『NEW あしながファミリー 号外』、あしながから送ってもらってる人、ここにははもちろんたくさんいると思うから、細かいインタビューの内容は誰かが補足してくれるでしょう。それから著書もあるので、それを使うのが一番なのかもしれません。では