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はてなキーワード: 死生観とは

2021-02-01

anond:20210201013731

こうして声をかけてくれてありがとう。人の話を一方的に聞くのは好きだから、また別の機会、気が向いた時に何か書いて投稿してくれたら見にいきたいな。人から死生観を聞くと、救われるのとはまた違うけど、考えすぎてわからなくなった時に一つの指標になるから助かるよ。

2021-01-09

anond:20210108200014

https://web.archive.org/web/20210108152746/http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-3bb9f8.html

 

2021年1月 8日 (金)

緊急事態宣言など

 

 石破 茂 です。

 謹んで新年のお慶びを申し上げます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます

  

 昨日、一都三県を対象とした緊急事態が再宣言され、昨日発表された東京感染者も過去最多の2447人となりました。

 感染者の増加は確かに大事ではありますが、冬になって空気中の水分が減って飛沫が遠くまで飛びやすくなるのは当然のことですし、寒冷地では換気の機会も減少することも考えられますPC検査数の増加によって陽性者が増えるのもまた当然のことです。

 かくなる上は、感染者数ばかりに注目することなく、限界ある国家資源医療資源を、重症者と死亡者を減少させることに重点化して配分すべきなのではないでしょうか。

 「どうすれば重症化・重篤化しないか、どうすれば死に至らないか重要であり、対策情報発信も、このことを重視すべき」と昨年の感染初期よりテレビなどでも何度か申し上げてきたのですが、なかなかそうはなりません。

 医療関係者献身的努力によって、アビガン、レムデシベルヘパリン、デキサメトゾンなどの薬、人工呼吸器類(ネーザルハイフローやECMOなど)、普及率世界一CTなど(この多くを今回初めて知りました)を用いた治療法も随分と進歩し、救命率もかなり上がっているはずなのですが、そのような報道もあまり聞くことがありません。漠然とした感染者数よりも、基礎疾患を持つ方や70代、80代、90代の高齢の方の罹患率感染者数と死亡者数の正確な分析などの方が知りたいと思うのは私だけでしょうか。

 日本人欧米に比べて人口当たりの感染者数や死亡者数が極めて低いのも、同じ都道府県内でも市区町村によって状況が全く異なることにも必ず理由があるはずで、その科学的な分析が進められれば、もっと精緻政策が打てるのではないでしょうか。

 生活習慣の相違、国民皆保険制度存在、極端な格差社会ではなく分厚い中間層存在していることは決定的に重要な要素であり、この持続可能性を維持できるかが最大の課題です。

 

 諸外国特にスウェーデン対応についても様々な論評がありますし、同政府コメント承知していますが、この国において「『寝たきり老人』(とても嫌いな語感です)が居ない」ということとも関連性がある宗教観死生観問題が、改めて問われているように思われてなりません。

 日本特有同調圧力ゼロリスク志向の強さも改めて感じています。「自粛警察」などという不可思議至極な活動は、今のところなりを潜めているようですが、戦争中の「パーマネントはやめませう」「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」などという「愛国的な」活動が想起されて、とても嫌な思いが致しました。ヘルスリテラシーの低さについても、自らを省みて、これもまた然りと思います

 日本においては大勢世論(「空気」)に抗って異論差し挟むことは忌み嫌われますが、政治世論迎合しすぎてポピュリズムに堕してはいけない、よく自重自戒せねばならないと思っております

                                                                 

 失業率1%上がると自殺者が1,000人から2,000人増えると言われていますが、ここ数か月の自殺者の増加、特に女性割合の増加はとても気がかりです。また、病院にあまり行きたくない、ということで、がんの定期健診の受診数も大幅に下がっています

 風邪インフルエンザが「根絶」されることがないように、新型コロナウイルスも「根絶」される、ということはないでしょう。ただし治療法が広く共有され、重篤化を防ぐことができ、ワクチンが広く行きわたり感染拡大が収束した時に、自殺者が激増し、がんによる死亡者が大幅に増えてしまったとすれば、それは「人類コロナに打ち勝った」証とは言えないのだと思います

 政権は厳しい状況の中であらゆる方面から批判に晒されながらも可能な限りの対応をしているのであり、我々は少しでも国民の支持と理解が得られるように努めなくてはなりません。

 

 昨日のアメリカ議会へのトランプ支持者の乱入と死傷者発生の事態について、トランプ大統領責任がないとはとても言えない状況でした。選挙結果について異議を唱えるだけならともかくも、支持者に対して議会への乱入扇動するようなスピーチなどは、民主主義実力行使による否定紙一重であり、見たくもない光景でした。

 トランプ大統領就任した時、「言を左右して相手困惑させ、自分にとって最も有利な取引を仕掛ける『サスペンスとディールの大統領』となるのではないか」と申し上げたと記憶していますが、まさにその通りの4年間であったと思います大統領当選時の勢いをもって議会選挙を経た結果、共和党も明らかに変質を遂げました。昨年の大統領選挙でトランプ氏に投票した米国有権者は7380万人、この人々が更に先鋭化するのかも全く見通しは立ちません。

 自由建国精神とするイデオロギー国家国民の8割が神の存在を信じ、4割が毎週日曜に教会に通う宗教国家アメリカ国民という意味での民族国家、こういったアメリカ本質バイデン政権になっても変わることはありません。そうであれば、それぞれの自画像理想像基本的価値観対立する米中の軋轢は今後一層激しくなり、日本はより一層厳しい選択を迫られることになります安全保障についての法体系も、装備も、運用も、アメリカ依存から脱却し根本から見直すべきだと思いますし、今までのような問題先送りでは国益を損じると考えます

 それでもなお、同盟である米国が新政権によってその美点である復元力を発揮し、アメリカ民主主義理想に立ち戻ることを心より期待しています

 

 年末年始生来怠惰さに加え、雑事に追われて勉強らしい勉強も出来なかったのですが、中川恵一准教授東大附属病院)の「コロナとがん」(海竜社)、小林よしのり氏の「コロナ論」(扶桑社)、橋爪大三郎氏の「中国VSアメリカ」、同氏の大澤真幸氏との対談「アメリカ」(共に河出新書)、加藤陽子氏の「それでも日本人は『戦争』を選んだ」(新潮文庫)、は極めて示唆に富む大変に興味深いものでした。

 合間に久々に再読した、没後50年となる三島由紀夫短編・中編(新潮文庫)の文章の独特の華麗さにも魅了されたことでした。

  

 週末の日本列島はまた寒波の襲来に見舞われそうです。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

2020-12-31

無限ザオリク

勝手想像だけれど、老衰で死んだ人をザオリクで生き返らせたとしても、すぐにまた老衰で死んでいくような気がする。

しかし、そこでまたザオリクをかけるとする。

するとまた老衰する。

そこで、もう一度ザオリクをかけて、という具合に無限ザオリクによって、死を回避することが出来る。

ザオリク問題

どの程度の期間経過するとザオリクは効かなくなるのか?

ゲーム内では、どれだけ死亡状態放置してもザオリクをかければ生き返る。

肉体がどれだけ腐乱していても、全く問題なく生き返るということだ。

その間、魂はどこに存在しているのか?

別の場所彷徨っているのか?

肉体の中にとどまっているのか?

そもそもザオリクは魂を肯定しているのか?

単に肉体を再生しているだけではないのか?

ザオリクはどこへ向かっていくのか?

パーティ全員を生き返らせる、ザオリクンは存在しているのか?

もし存在しているのなら、パーティ人数をチートすることさえ出来れば、世界中の全員をパーティ化することで不死の世界が構築できる。

世界は一つのパーティであるべきだし、すでにひとつパーティであるともいえる。

魔王におけるザオリク

魔王の死の直後、ザオリクで生き返らせる部下をがいないのはどういうわけだろうか?

動物魔王ではなく組織を作る人間魔王ならば、当然そういう存在を配置させているはずなのだが?

ゆえに必ず勇者の装備には魔王の復活をおさえる効力がある、とどめを刺すアイテム必要である

ザオリク無効化必要である

オルテガ問題

なぜオルテガザオリクされなかったのか?

ザオリクの条件とは?

ザオリクがある世界における死生観

ザオリクがある世界ならば、この世界とは死生観が異なるはずである

ザオリク経験

魂はどこにあるのか?という問題の回答はザオリク経験者に聞けばわかる問題だ。

あなたは死んでいる間どうしていましたか

なんの記憶もない。

なんらかの記憶がある。

つのパターン

しかし、記憶があったとして、それが果たして死後の世界肯定につながるのか?

三途の川をみた、というような体験が死後の世界肯定にならないように死後の記憶があることが死後の世界肯定にはならない。

2020-12-21

助けてほしい

何か絶望的なことがあったわけではありません。余命を宣告されたわけでもありません。

社会的地位も多少あって、社会人平均よりも少しは豊かな暮らしをしております。家庭も円満です。

それが故でしょうか、毎日が無情に過ぎていくことが、とても儚くて寂しい。ありとあらゆる思い出が過去のものとなり、これから未来のきっと楽しい出来事ですら過去のものになることが確定ということを考えると、何だか無意味というか、ただただ悲しいのです。かといって、辛いことが起きるのは嫌。

一種死生観のような考えなのでしょうか?

宗教を学ぶべき?科学を学ぶべき?

とにかく、最近毎日ちょっと辛いのです。

2020-12-05

anond:20201205184046

死生観の違いなんかね

認めてない国もあるよな

2020-11-29

理想の死に方はハードルが高い

世の中にはポックリ信仰だのコロリ観音などというものもあり、「ぽっくり死ぬ」のが一つの理想とされている。

まあ確かに死ぬと判っていて長く苦しむのは、特異な死生観を持っている人以外は嫌だろう。

また、認知症などで長く家族負担をかけて、とてつもない醜態さらし続けて「いつ死ぬんだろう」と半ば願われながら死ぬのも、物寂しい話である

ピンピンコロリは、やはり一つの理想である

とはいえ、1人暮らしの人などがいきなり自宅で死ぬと、発見されるまでに時間がかかってしまい、遺体や自宅が無残な状況になりかねないリスクがある。

では仕事中に死ぬのが良いかというと、これも微妙だ。

友達少ないから、全社会議とかで大勢にお別れしてもらえるのはまあちょっと興味あるけど、正直、社長とか上司とかが何言い始めるか分からない危険性があるし、

遺族が過労死労災を疑ったりして、後味が悪い結果にもなりかねない。

かといって通勤中とかに死ぬ電車が止まってしまい、何千何万の通勤客の呪詛を受けながら死ぬ、という割とキツいシチュエーションになってしまう。


なので、ポックリ死ぬなら、旅先が良い。

旅先の人にはちょっと迷惑をかけてしまうが、恨みつらみは残らないし、何か楽しく人生を生きて死んだ感が漂うから、遺される人も若干気が楽だ。

とはいえ、ポックリ死ぬのは、何の準備もしてないので、本人は良くても周囲に面倒をかける。

心の準備もできない。お別れも言えない。喧嘩中だったりしたら後味も悪い。連絡すべき関係先を洗い出すのも一苦労だし、遺品の整理も面倒だし、部屋が汚かったり、恥ずかしい所有物とかが発見される危険性もある。

という事で、お別れを言う時間くらい欲しい。

しかし、お別れを言うには「大病を患っている」という前提が必須である

事故死ぬ場合は、即死を免れても意識不明のまま死ぬ可能性が高いので良くない。ふためと見られない顔になってる可能性もあるし、恨みつらみや相手方保険屋との交渉とかがあって面倒極まりない。

やはり病死である。それも死ぬと判ってから1週間程度の猶予は欲しい。

部屋の整理は諦めるとしても、せめて3日はないと、遠方にいる家族が死に目に会えない危険性があるし、お別れがあわただしくなってしまう。

しか半年以上入院というのも厳しい。最後の方はかなり苦しみそうだし、そんだけ入院すると費用馬鹿にならない。家族金銭負担がかかっているのを気にしながら死ぬというのも、きつい。

という事で、1か月前くらいに余命が判って、家族や親戚・友人に連絡して、身辺整理を済ませて、1週間前くらいに入院して一通りお別れを済ませて、最終的になんか良いセリフを言って眠って3分くらいで、ピー、ご臨終です、というのが理想である


しかし、どういう死因ならそんな事が可能なのか。

コロナは割と近いが、あれは陽性反応が出たら1日かそこらで問答無用入院である身辺整理もできないし、入院する段階ではまだ死ぬと決まってないから、関係者に通知もしにくい。

それに、コロナ死ぬ場合、途中からなんかゴツい機器で呼吸を助けてもらう形になるので、お別れを言えない。感染するといけないから遺族も立ち会えないし、遺体の顔すら見えないという。

じゃあガンならどうかというと、ガンで死ぬのは相当キツい。最後モルヒネ使って痛みを取り除くとしても、そこに到達するまでに、手術や放射線治療などがあり、相当苦しむ。

それに、専門家じゃないから良くわからないけど、末期がんで余命1ヵ月になるまで気づかないというのも、さすがにレアじゃないだろうか。半年前には気づいてしまう気がする。そうすると、死ぬまで長い。

1か月前に死ぬとわかって、あまりしまず、身辺整理をする余裕があり、お別れも言える。

そんなの、何か凄い感じの宇宙船事故で冷たい方程式的な何かが無ければ、ありえないのではなかろうか。(私は宇宙飛行士じゃないし、前述の理由事故死はちょっと問題あるので、どのみち却下である

理想の死に方はハードルが高い。

2020-11-07

おーん?またうっさい奴が……

と思ったら、

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6375815

鬼滅の刃』は本当に「怖いから観ちゃダメ」? カウンセラーが明かす子どもへの影響とは

記者映画劇場版鬼滅の刃無限列車編』のレイティングはPG1212歳未満の観覧には保護者の助言・指導必要)。

命の大切さ、死を受け止める力など、まずは親が『鬼滅の刃』のテーマ理解することが必要かもしれないですね。

カウンセラー】 「『怖いシーンは見ちゃダメ』と隠すのではなく、しっかりと話をしてほしいと思います現代の子どもたちは、

死んでも何度でもリセットできるゲームなどの影響もあり、死生観麻痺しがち。『鬼滅の刃』を親子で観て、

人間死ぬ。だからこそ命を大事にしなくちゃいけない』『守ってあげなくちゃいけない』という話をすることは、とても大切だと思います

良いこと書いてた。

すみません。そこまで考えて読んでいませんでした(36歳)。

2020-09-25

思うに、鹿せんべいが食べられないなら死んでもいいやって 覚悟している鹿もいるんじゃないか

人間のように、どんなに寝たきりになっても長生きしたいと考えるとは限らない。

死生観が鹿と人間では異なる可能性がある。

強盗対応する訓練って戦争中の戦車の下に地雷を持って飛び込むやつと同じ死を恐れぬ洗脳のための訓練なんだな

北朝鮮自爆の授業で死生観を討論する話とも同じだし

イスラム国処刑プロパガンダ映像だと言って死刑練習死刑囚にやらせるのとも同じ

死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ連続して言われると安全バイアスなって死ぬのを軽く考えるようになる

それを利用して洗脳して国や会社の思い通りに動かすんだろうな

【実話】借金2300万…サラ金企業を恨んで襲撃。武富士放火殺人

https://www.youtube.com/watch?v=o-Emt_k1npM anond:20200925121019

明らかに危険局面なのに社員が脱走しないのは変

2020-09-24

これは死生観問題

BIの事だが

現状の死ぬだけの年寄りに過剰な医療を施す仕組みは維持不可能

それより若いうちから消費をして元気にやって年取ったらポックリ行こうやという価値観にどれだけの人が合意できるかだ

問題死ぬほど角が立つからそうとは言いづらいという事だ

2020-09-20

改変を要求してるのはフェミニズムではない

創作物は「A:物語構造意味・内容)」→「B:表面的な要素(表現方法・設定)」→「C:読み手視線時代価値観)」で成立する。

で、Cが変わった時にBがそのままだとAの意味が変わってしまうんだよ。

しか物語で一番重要な部分はAだから、Cが変わったならばBも同じく変える事でAの構造を維持するのさ。

まりCで変わったものジェンダー観だろうが死生観だろうが美的センスだろうが、そこが変わったならBを調整する事は物語構造のもの要請

からこそ銀英伝のように原作者自身がそれを望んだりする場合もあるし、当然読み手側が求める事もある。

創作物が好きなんだったら物語論でも少し勉強してみると良いかも知れないよ。

anond:20200919212538

2020-09-19

舐達麻は死生観が刺さった。

大きな喪失があった時期に出合い自分が感じていた死の危うさや怖さに近いものを感じた。

喪失を受け入れるためのキャパティ作り、感情言語化に役立った。

から好き

2020-09-05

[]

今回は少年ジャンプ+で読める『マナーアプリオリ』の雑感

前提

正直、ひとつ作品として評価するとそこまでじゃないけれども、琴線には触れたね。少なくとも、久々に長文で感想書きたくなる程度には。

私は子供の頃、ハムスターを飼っていて失敗した覚えがある。二匹飼ってたけれども、一匹は脱走して、もう一匹はケージを日なたに長時間置いていたせいで死んでしまった。いや、殺してしまったというべきだろう。あの時、私はペットを飼うべき人間じゃないって思ったよ。

ただ、それから大人になって色々と考えを巡らせるようになると「愛玩動物」という概念文化のものに疑問を持つようになった。だって動物を飼う」という行為自体必要のないことだから。もし、それに必要性があるというならば、それは飼う側(人間側)の都合でしかない。

ペットを飼っている人たちが、他種に対する思いやりやら命の尊さを語ることがあるけれども、あれって本気で言ってたら怖いよね。だって読んで字の如く「愛」する「玩」具として手元に置いている立場なのに、その状態動物死生観客観的に語ると空々しくなってしまう。ペットに服を着せて「飼い主側の都合でそういうことをするのは如何か」みたいな意見は昔からあるけれども、そもそもペットとして飼ってる時点で人間側の都合を押し付けてるから

もちろん、それは動物を飼うということだけではない。食べるため、服の素材にしたり、或いは政治的パフォーマンスのためにお立ち台にあげられる。害獣害虫、益のあるなしなんて人間社会の決めたこと。自分たち生活を豊かにするため、時に排除し、時に利用する。グラデーションに違いはあれど本質は同じで、せいぜい細かな差異人間という第三者たちで語るだけ。結局のところ利己的な対応をとっているに過ぎない。私たちは「命の選り好み」を各々で強いられて、「倫理的バグ」を抱えて現代社会を生きている。

淡々と描かれる命の弄び

といったことを踏まえると、『マナーアプリオリ』という作品はえげつない。本作のテーマが何かって言うと明白で、それは「愛玩動物」。それを人間に置き換え、宇宙人立場から人間社会が抱えた「命の選り好み」と「倫理的バグ」を風刺的に描いている。『鬼滅の刃』で「生殺与奪の権他人に握らせるな」ってセリフがあるけれども、もし握らせて相手倫理に委ねたらこうなるともいえる。言葉意思疎通を図れるヒト対ヒトでそれなのに、動物相手だったら尚さら

ミノウルスの皿』と比較している人もいたけれども、本作は“愛玩動物”という視点から他種の命に対して問題提起を行っていて、食べるかどうかっていうのは一要素、側面的な話だと思う。『ブタがいた教室』っていう、学生たちが育てた豚を食べるかどうかで議論させた話があったけれども、本作がやっていることはそっち路線。「命を学ぶ」という“学ぶ側の唱えたお題目”によって、ブタの「命を弄ぶ」という側面。

テーマについては解釈余地ほとんどないと思う。あと、本筋に対しても解釈余地は少ない。大体のことは作中で語られてるし。最初の1ページで飼い犬が捨てられて、飼い主側の都合やらが語られる。旦那さんの「一日中ケージに閉じ込めてるのはかわいそうだ」だっていうのも、人間フィルターを通して語られる一方的倫理。それが人間の身に降りかかるという分かりやすい構図。

例えば「命の選り好み」と「倫理的バグ」については分かりやすい。主役の宇宙人たちの世界でも共食いは犯罪自分たちと見た目が似ている人間を食うのはゲテモノ扱いで、忌避する者もいるが一応はOK。まあ、これは哺乳類を食べるかどうかとか、クジラを食べるかどうかみたいな感じかな。

人間の子供に情を抱いたサッピは「殺すなんてかわいそうだ」といって、クンダは「それはエゴだ」という。なるほど一理ある。でも後にクンダは「そいつ幸せはとっとと食われて余計なストレスとおさらばすることだ」なんて言う。いや、それもエゴでしょ、ってツッコミは読者がするしかない。けれども、そのツッコミを本気でできるほど私たちは上等じゃない。

個人的に目を引いたのは痛覚のあるなしで是非を決めようとするシーンだね。痛覚がなかったら刻んだり好きなように弄んでもいいのかっていう疑問はあるけれども、これは現代ヴィーガンにも通ずる。痛覚がないか植物で、生物ではない。殺して問題ない命。その判断自体人間の決めたカテゴライズしかなく、それは「命の選り好み」の延長線上でしかない。あまり思慮深くないクンダは時々の感情判断し、サッピの方は独自基準が多少なりともあるが本質は同じ。無差別ではないが公平でもない。

露骨メッセージ性、損なうエンターテイメント

ここまで語っておいてなんだけれども、私は本作を高く評価してはいない。テーマに対して淡々としすぎてて、ストーリーライン起承転結の盛り上がりがあまりない。そうすることで残酷さを如実に浮かび上がらせるって意図なのは分かるけれども、それが一作品としてのエンターテイメントから見たとき、やや面白みに欠けるのは確か。

プロットに対しメッセージ性も露骨で、説教臭さが抜け切れてない。宇宙人文化倫理観、言葉選びが人間社会とほぼ同じで、語られることも作品内で馴染んでない。ひいては宇宙人の二人も本作のテーマ風刺的に描くための舞台装置、配役でしかないことを意味する。なんというか、『寄生獣』の終盤で環境問題について語りだす件があるけれども、あれだけ抜き出した感じ。有り体に言えば浮いてる。

ただ、私からいわせれば物足りないってだけで、現代社会は「命の選り好み」と「倫理的バグ」について、大衆は割り切るかどうか以前の段階。大半は無自覚的に享受し、狭い範囲内で限定的倫理を振りかざすのが精一杯。踏み込んで論じる段階にすらいけてない。それで描いても読者の大半はついていけないだろうし、少年ジャンプ+というサイト掲載マンガとしては丁度いい按配といえなくもないかな。

2020-07-27

こんな感じの死生観宗教観?って名前ある?

世界観

人類の魂はたった一つ

・一つの魂がある人の人生を生き、死んだらまた別の人の人生を生き、を繰り返してる

・魂は時間を遡れる、例えばある子供人生を生きた後でその親の人生を生きたりする

・それでも数百年単位で見れば魂は過去の人間の人生を生きてから未来人間人生を生きている

人類絶滅すれば、魂は最後の一人の人間人生と一緒に消滅する

行動方針

・魂が消滅しないようになるべく長く、多く人類繁栄しないといけない

・なるべく人類の苦しみの総和が少なく、幸せの総和が多くなるように生きる

他人は皆過去未来自分なので親切にしてあげる

漠然とだけど、こんな感じの雰囲気自分は生きてるんだけど、元ネタ?というか発想の元が思い出せないんだ

2020-07-11

東京都の新型コロナ若者中心であり重症者が少ないか大丈夫

東京都の新型コロナ若者中心であり重症者が少ないか大丈夫」は本当か?

https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20200711-00187636/

著者は「若い人は重症化しないので大丈夫」というのは間違っていると言っており、その理由として「すでに流行若い人だけではない」「若い人も重症化することはある」の2つを挙げている。

だけど正直これを読んでも自分には「いや、若者大丈夫じゃん」としか思えなかった。

1つ目の理由の「すでに流行若い人だけではない」に関しては「スウェーデンのような方針をとればいいだけでは?」としか思えなかった。

2つ目の理由の「若い人も重症化することはある」に関しては、「重症化することはあってもその可能性が極めて低いなら生活を営む上で無視するしかない」としか思えなかった。

以前調べたけど、若者重症化率は1%未満とかだし、死亡率に至ってはもっと低い。

ゼロリスクを求めたら他人を轢き殺すリスクがある自動車運転すらできなくなるぞ。

この記事の前提として「老若男女生きていることが何より大事」という、生命至上主義とでもいうような死生観があるように思える。

でもその死生観は(自分を含めた)日本若者にとっては当たり前ではなくなっていると思うんだ。

2020-06-23

BLEACH一護がかわいそうなポイント

ジャンプ漫画ではありがちなのかもしれないが

・15-17歳という若さ、かつ短期間でとんでもない戦闘力を手に入れてしまったのが不幸。競技の才能だけが際立ったスポーツ選手みたいな状態

精神的なケアというか、指導者的な役割を果たす人が少ない。いても短期間、戦闘力のみを高めることに専念するコーチ

父親!色々知っているだろう父親から説明サポートが少ない。サポートしてくれたと思ったらやっぱり戦闘力を高めるコーチ

あの世のいざこざに巻き込まれ、数十歳〜数百歳も歳の離れた化け物と敵対したり協力したりする羽目に。そりゃ話が合わない。

・実はあの世問題死生観の違いや生死の在り方の違いをめぐる対立から生じているっぽいが、誰も説明してくれない。

・誰も説明してくれないから戦う理由は「守るため」しか見つけられない。ダチや街を守るために健気に戦う。付き合いが良い。

・けっこう死にそうになる。

2020-06-09

十二国記の謎と次回の短編集について、勝手に予想し、語る。

初めに

私は一介の十二国記ファンである中高生の頃にはまり、「白銀の墟 玄の月」で再燃した。

記事では、十二国記世界の疑問点について語り、次回の短編集の内容について、時には私の好みで脇にそれつつも、予測したい。その途中で、私自身のこの作品に対する解釈思い入れにも立ち入るかもしれない。

記事のおおよその内容

十二国記の今までの流れ。

十二国記シリーズ外伝を含め、次の順に出版された。

物語のあらすじについては、熱心な読者が多いと思われるので、略す。さて、この順で読み返すと、次のような傾向がみられる。すなわち、王と麒麟視点から見た世界よりも、庶民から見た世界比重が大きくなっているのだ。確かに、「月の影 影の海」では陽子は大変な苦労をして玉座上り詰めるし、「風の万里 黎明の空」「黄昏の岸 暁の天」では、いかに王としての責務を果たすかが語られる。一方で、同じ「風の万里 黎明の空」は民衆レジスタンス物語であり、それがさら大輪の花を咲かせるのが「白銀の墟 玄の月」だ。これは都市の規模ではなく、国家規模にわたる抵抗だ。

もう一つの傾向とは、読者層の拡大である。もともと少女向けレーベル出版されたからだろうか、十代の少年少女にとって教訓となるような個所は少なくない。「風の万里 黎明の空」における鈴、祥瓊の扱いを見れば顕著だ。一見同情すべき境遇にいるようでいて、それに甘んじている彼女らを待ち構えているのは叱責であり、罰である。この年齢になって読み返すと、幾分説教臭く感じなくもない。

しかし、「丕緒の鳥からシリーズ全体の印象ががらりと変わった。組織の中で働く官吏や、避けられない災害を前にして自分のできることに必死になる民衆の姿は。年齢を重ねた読者の心も打つ。少女向けとされる小説から最も縁遠いように思える、中高年の男性もうならせるだろう。この作品は、あまりにも不条理世界で生きる人々へのエールとなっている。

まり、これから尚隆や陽子視点から物語が描かれることは少なくなるのではないか。きめ細やかな民の物語を描くとき、王の存在は強すぎる。「東の海神 西の滄海」も、一歩間違えれば「俺TUEEE」っぽくなってしまう(そうならならずに尚隆が有能かつ魅力的に描ける腕前がすごい)。そう考えると「白銀の墟 玄の月」で出てきた尚隆は作者なりの大サービスだったのかもしれない。それに、神隠しにあった泰麒で始まった物語は、一応は解決しているのだ。王や麒麟のこの先に物語は、長編としては出てこないかもしれない。

十二国記で一貫してきたテーマは何か

前項でも述べてきたが、次に尽きるだろう。

十二国とはどういう世界

十二国では天帝が定めた天綱が憲法としてあり、王が定める国法、地綱はそれに反することはできない。また、州の法律も王が定めた法に反することはできない。

天帝は民に土地を与え、それを耕すことで生計を立てるように命じた。逆に言うと、天の設計した社会では、民衆は生まれた里で農業だけをして過ごすことしか想定されていない。

しかし、現実はそうではない。「図南の翼」に出てきた珠晶の家族のような大商人もいるし、「白銀の墟 玄の月」に出てきた宗教関係者もいる。冬器を作る工房もある。私塾もあれば宿もあり、雁のように豊かな国では副業で馬車を出す者もいるし、事実上奴隷だっている。

そして、最大のイレギュラーが定住民でさえない黄朱の民だ。彼らが歴史に関わってくるあたり、実際の中国の歴史にもよく似ている。

言い換えると、天は王と官吏農民だけの世界を想定していたが、天の条理の隙間を縫う形で民は複雑な社会形成してきた。そして、この世界民衆ルールの穴をつき豊かに暮らしているし、謀反を起こす力もある。これは、専制君主世界ではあるけれども、ランダムで選ばれた大統領支配される民主国家の姿に、少し似ているのだ。私たち世界大統領首相も間接的に選ばれるため、民意がどこまで反映しているか、はっきりしていないところがある。十二国世界は、実は私たち世界鏡像なのだ

今後の作品の傾向としては、黄朱の民のように条理からはみ出てしまった人々にもスポットライトがあることと思う。と同時に、黄朱の民はこの世界の条理に生じた大きなほころびでもある。現に、彼らの里木はよそ者が触れれば枯れる、大きなペナルティを負っている。

それと、この世界では思いのほか宗教がしっかり根付いていた。我々が最初にこの世界宗教を教えてくれるのが合理主義者の楽俊だったため、この世界の人々はあまり天に頼らない印象を受けたが、子供を授かるには祈るほかはないわけで、むしろ熱心な信仰がないと不自然であった。

十二国記女性

十二国記が元々は少女向けに書かれたことをうかがわせる設定はいくつかある。例えば、王と麒麟運命的な出会いだ。女性向けフィクションにはオメガバースをはじめとして、そうしたパターンが多い印象がある。もう一つはときとして未婚の女性をひどく不安にする妊娠出産からの「解放」だ。女性苦痛が大幅に減らされており、またこちらの世界とは異なるいくつかの価値観女性に優しい。王も麒麟官吏も(軍人を除けば)男女同数だし、子供のいる女性再婚相手としてむしろ歓迎される。ジェンダーSFフェミニズムSFとして十二国記を読み解くことも可能だろう。血縁意識が薄いのもその傾向を示している。とくに、楽俊はこちらの遺伝について、似たような顔をしたやつが同じ家にいるのが薄気味悪いのでは、と漏らしている。

しかし、この期待は裏切られる。ここはけっして楽園ではなかった。「白銀の墟 玄の月」のなかで李斎は、男社会軍隊で生きる女性の苦しさを吐露する。また、明らかに暴力を受けた女性も登場する。それに、序盤からすでに妓楼も登場している。この世界セックスワーカーがどれほど過酷生活を送っているか不明だが、妓楼に行くことはあまり道徳的に褒められたものではないようである(余談だが、楼閣が緑色に塗られているのは現実中国にもあった習慣であり、「青楼」と呼ぶそうだ)。

考えてみれば、官吏女性も多いとされながらも、登場する官吏の多くが男性である育児負担こちらよりもはるかに少ないので、昇進や待遇に差があるとも思えないのだが、これも隠されたテーマかもしれない。

それと、生理問題がどうなっているかもはっきりしない。初期作品の傾向からすると生理から解放」されている可能性が高かったが、女性の苦しみをテーマとするならば、生理のしんどさやそれにまつわる迷信タブーが出てくると考えるほうが、筋が通っている。

天帝女性

天帝女性、または西王母兼任している可能性が、ふと浮かんだ。別に女性が王になれるのだから天帝西王母より偉い理由別にない。

十二国記って男性しかいない場所がないこともなんだか怪しい。軍隊も三割は女性だ。逆に、女性ばっかりの場所が蓬山である麒麟を育てるのは女仙たちだからだ。これも天帝女性説を補強しないだろうか? また、妖魔が雄だけというのも、なんだかそれに関係しそうだ。単純に作者が女性だというだけのことかもしれないが。そもそも「いない」可能性もあるが、根拠は全くない純粋空想だ。

天帝ラスボス

考察サイトが華やかなりしころ、いくつかのサイトでは天帝ラスボスなのではないか、という説がまことしやかにささやかれていた。確かに黄昏の岸 暁の天」での天の対応はあまりにもお役所的ではある。ルールに従わなければ何もできないところが、法律に定められていなことは原則としてできない公務員によく似ている。

だが、もともと中国道教死生観がそういう面がある。「救急律令」も、法令を守るように促す言葉であり、古代中国役人賄賂に弱かったように、今でも神々に心づけを渡す習慣がある。

そして、自分天帝ラスボスになりえないと考えている最大の理由が、十二国記不条理にあらがう人々の物語であるからだ。天帝を倒した後どんな世界を作るにせよ、人間が作り上げた世界である以上はやっぱり不完全なものになるだろうし、仮に完璧世界を作ってしまったら、それは理想郷を描いた現実逃避のための小説になってしまう。「黄昏の岸 暁の天」のなかでも陽子はつぶやいている。天が実在するのならそれは無謬ではありえないのだ、と。

結論

私が次回の短編集に出てくると予想する要素としては、今までの物語を受けて次の通りだ。

また、

そして、長編がありうるとしたら

と考えている。

おまけ1 奏が滅びるとしたらどのような形か

しろくでもない空想をしてみる。六百年の大王朝が滅びるとしたら、それはどうやってか。

王朝最後はいくつかの傾向がある。一つは陽子暗殺しようとした巧の錯王や、慶の予王のように、王個人劣等感に押しつぶされるパターン。もう一つは芳の王(祥瓊の父)や一つ前の才の王(黄姑の甥)のように、長所裏目に出るパターンだ。祥瓊の父は清廉な人柄であったが、完璧主義者で罰が苛烈に過ぎた。黄姑の甥も正義感にあふれていたが、現実検討する能力に乏しかった。

で、奏の特徴としてはのんびりとした気風がある。これが欠点となるのは、のんびりした気風で対応できないほどの速さで十二国世界に変化が起きる場合だ。つまり、利広の情報収集を絶てばいい。彼が旅先で死亡するか、家族が業を煮やして彼を王宮に拘束するかだ。ところが、「帰山」では、しばらく王宮暮らししろ、という趣旨台詞がある。

これが奏の滅亡フラグかといえば穿ち過ぎな気もするが、宗王一家は全員同じ筆跡で公文書が書けて、しか御璽を押した白紙が大量にあるので、一度分裂したら矛盾した命令が出されまくって国家の体をなさなくなり、あっと言う間に沈む危険がある。白紙委任状ほど危険ものはない。ああいう仲のいい家族崩壊する様子を書くのって、日本人作家は上手だというイメージがあるが、数ページで滅んだ、と示されるのもまた冷たくていい。

おまけ2 「王気」という言葉について

「王気」という言葉一見すると単純な造語であるしかし、景麒は、自分は半ば獣なのだ、と述べている。さて、「王気」にけものへん「犭」がつくとどうなるか。「狂気」になってしまうのである。失道は避けられないのかもしれない。

おまけ3 四令門の名前

黄海を取り巻く四令門のある街で、雁では未門と申門の代わりに人門、恭では辰門と巳門の代わりに地門がある。では、言及されない才と巧ではどうなるか。陰陽道を考えると、才では丑門と寅門の代わりに鬼門、巧では戌門と亥門の代わりに天門、と思われる。

おまけ4 「戴史乍書」の記述はなんであんなにそっけないのか

十二国記を初めて読んだときには、本編と「戴史乍書」の関係って、講談や旅芸人お話と、正史みたいなものだと空想していた。三国演義歴史書の三国志やその注釈から成立した、みたいな話だ。つまり、本文も旅芸人の語りであり、実際に起こった歴史とずれている可能性がある。

また、中国の歴史を知るにつれて、歴史書の記述はわざとそっけなくしていると考えるようになった。春秋の筆法というか、どのような事件が起こったかをどのくらいの濃度で書くかによって、歴史的な出来事に対する価値判断が含めているわけである。細かい経緯を書いた記録はたぶん別にある。

最近は、国家機密をぼかす目的もあると踏んでいる。阿選の幻術なんかの記述があっさりしているのも、たとえば妖魔が符で使役可能だとか、王と黄朱とのつながりとか、暴力行使可能麒麟がいるとか、かなり危険情報だ。事情を知っている人が読むと「ああ」ってなるが、それ以外の人は読み飛ばすようにできている。

おまけ5 登場人物名前元ネタ

楽俊の姓名である張清は水滸伝に出てくる。しかし、水滸伝盗賊活躍するピカレスクロマンである文人肌の楽俊とはだいぶ違う。

桓魋は少し近い。孔子を襲った荒くれ者と同じ名前だ。そして、面白いことに「魋」だけで「クマ」意味がある。「熊どん」というほどの意味を持つ字なのだおるか。

祥瓊の父の字は仲達で、三国志諸葛亮ライバル司馬懿と同じだ。雁の白沢瑞獣名前。「白銀の墟 玄の月」の多くの官吏たちも、実在する中国官僚文人たちから名前が取られている。とはいえ名前が同じだからと言って同じような人物像とは限らないので面白い

おまけ6 遵帝はなぜ「帝」なのか

「帝」という称号始皇帝の考えだしたものだ。諸侯が王を名乗ったため、王のタイトルに重みがなくなってしまった。そこで、王の中の王を意味する称号が生まれたのである

しかし、それを考えると十二国記世界では帝の称号が生まれないはずだ。なにせ、侵略戦争がありえないのだから、王よりも上が出てくるはずがない。そのため、王より上の称号は、山客か海客由来の語彙ということになる。

語彙だけではない。現実中国文化には、周辺の異民族との交流からまれてきた要素が結構あるので、十二国世界でそれらが取り入れられたいきさつも妄想するのは楽しい。例えば、スカートキルトではない、ズボンパンツ状の服は騎馬民族に由来することが多い。そこまで考えるのは野暮かもしれないが、十二国世界匈奴西域の影響の薄い中国文化を持っていると空想するのは、歴史ヲタにとってはきっと楽しい時間だ。

おまけ7 景麒の角の文字

十二国記アニメで、景麒が塙麟に角を封じられるとき、「生心気鎮風」と読める金文が刻まれるのだけれど、あれって根拠があるのか。私にはわからなかった。

終わりに

つらつらと書いてしまった。

残念ながら、小野不由美の他の作品との比較検討はしてこなかった。未読のものが多いためだ。また、作者の細かいインタビューも入手できていないので、見落としているものがあるかもしれない。

積んである本を片付けたら、ホラーは苦手だがぜひぜひ読んでみたい。

そして、次回の新刊のんびりと待っている。小野不由美先生、本当に泰麒の物語物語を完結させてくださり、ありがとうございました。

2020-06-08

スピってるやつが本当しんどい

スピッツのことじゃないよ。スピリチュアルのやつ

死者に敬意がないとか言っててさ?頭おかしくない?

おかしいは言い過ぎかもしれんけど、こうもナチュラルローカライズされて一部の地域だけでしか通じない思想

さも全人類が共有しているみたいな、全然世の中のことを知らないで上から目線で、自信満々に自分の考えが全宇宙で通じる正義だと思い込んで発言ちゃうのダセェんだよ

日本的霊魂とかの死生観前提のローカル思想だかんな

そんなことも把握できてなくて、今回のダーウィン賞に対して怒られても、そもそういう観点の賞じゃねーからしかならん

気持ちはわかる、俺も日本で生まれ育ってどっぷりそこの生死間前提の宗教観をお前らと共有しているからわかるけど、

それは我々のコミュニティしか通じないことだし、それを宇宙の真理みたいに錯覚するのは、マジでヤバすぎる

ダーウィン賞に怒るのはもっともだけど、それはダーウィン賞がクソなのではなく、日本死生観配慮がないことを怒るべきで、

ダーウィン賞がとち狂った倫理観を持っているわけじゃなく、彼らの世界では日本のように死んだ人間神聖視するようなスピリチュアル文化がないだけで、文化問題であることくらい分かれよ。

そんなこともわからんで怒り踊らされて訳わかんねーたわ言言ってるの、きしょいっつーの

お前の感覚は一つの地域しか通じないスピリチュアル文化だってことくらい、分かれ

わかった上で、怒るべきは、ローカル大事にされているスピリチュアル文化に対してのフォローが欠けていて、多くの同胞を悲しませることです。

というような起こり方がベターでしょうね。

なんだよ使者への尊敬って。尊敬するかどうかはどういった人間だったかによるだろ。死んだらみんなえらい!って

お前ら(我々)固有の文化だろう。少なくとも世界中の人間の間でコンセンサスを得ているような思想じゃねーよ

なのに、なぜそれが、この世の心理であり正義であると、誤解するのか。

もっとTVとかネットニュースかに触れて、世の中のことを見ましょうね

2020-06-02

スウェーデン方式賛美してる奴らよ!

あれって日本じゃ到底受け入れられない方式なのにやりたいのか?


自分は嫌だわ。死生観の違いだよな。スウェーデン自身効果あり!とか言っているけど数字はまだまだだし、人口国民一人当たりの面積や都会の密集率等なにもかもが違う

人が大都市圏に極めて密集している日本スウェーデン方式やったら、とんでもない人数が一度に罹って、無駄なのに病院に詰めかけて他の患者が割りを食って、オマケに死んだら国のせいにして遺恨を残しそう。衛生観念高くてもそれを越えそうだ

2020-05-24

命を返してとか言いだす変な宗教死生観の人やばい

2020-05-19

名作が終わると作品の表層だけ捉えた批評流行

鬼滅の刃面白いのってクライマックスまで一気に行って最終回がどうこうって話じゃないんだよ。

なんでそこだけを語るかなあ。主人公が優しい、死生観がどうこうってのも、大事だけどそう単純化してはいけない。命を扱った作品なんていくらでもある。どうしてあの世界観の息遣いを感じられるかというとこに踏み込まないと何の話にもなってない。

はてなでは(ニュースサイト一般に言えるかもしれないが)「大衆は単純なものに踊らされがち」みたいな本質を何もわかってない言説が持て囃されがちだ。

こういう要素だけを挙げてヒットを分析するのがけものフレンズとき流行ったけど、そういう見方をしていた人たちが作った2がどうなったか鬼滅の刃比較された長期連載の大作にも言えるが(だれた飽きたはお前の気分だろ)批判するにしろ褒めるにしろもう少し作品面白いところあるいはファンというものに敬意を持って分析して欲しい。

2020-05-07

anond:20200507102450

スウェーデン方式やね。

検討は有りだとは思うけど、日本死生観でも有権者の年齢構成からも無理だろ。

から高齢者だけ~」「致死率は~」は現状認識してない意見だよ。

2020-05-03

「夜の街」は死ぬ

after緊急事態宣言を考えてみたが、所謂「夜の街」クラスターの原因となったと推測される接待飲食営業性風俗関連特殊営業一時的にほぼ壊滅するんじゃないかと思う。

まずワクチン治療薬が万民にいきわたらない限り、コロナ以前の経済活動不可能だ。

仮に緊急事態宣言明けにコロナ以前の経済活動に戻すとなると、無対策場合実効再生産率が2を超える以上、再流行医療の逼迫→再度の緊急事態宣言へと至るのは明白だと思う。

コロナ治療医療崩壊が起きない程度に諦める(スウェーデン方式選択であればコロナ以前の経済活動に戻すことも考えられるが、これには死生観の変革も求められ、政治国民理解ハードルが高い。

諦めずに医療崩壊を防ぐためには2つの選択肢が考えられる。(あるいは併用)

一つ目が所謂外国new normal専門家会議が語るところの新しい生活様式市民が行うことだ。

これは実効再生産率0.5-0.7となる現在経済活動の水準から若干元に戻し、医療を維持できる実効再生産率0.8-0.9となる程度の経済活動を行う選択理解している。

この場合、濃厚接触を行う可能性が高い産業には自粛継続なり接触頻度を低める工夫をしての営業社会的に求められる可能性が高い。

二つ目感染者のトレーサビリティを強化したうえで、徹底したクラスター対策を行うことだ。これは韓国台湾選択している方式理解している。

この場合国民は何らかの形で行動履歴政府に常時提供し、感染者が判明し次第、過去の行動から接触者を割り出し通知する仕組みを構築する必要がある。

言うまでもなく、このどちらも前述の産業との相性は極めて悪い。

前者の濃厚接触そもそもこの手の産業提供している本質的価値のものであるし、後者トレーサビリティはこの手の産業顧客匿名性を一般的に求める以上、利用を嫌厭する大きな理由になる。

テレビ番組ネットでも「夜の街」産業従事者が緊急事態宣言が明け、元通りになることを心待ちにしている声が流れることがあるが、心の中で「まあ助からんやろうなぁ」と思う。

同じことはインバウンド関連事業者にも思う(海外旅行の復活には日本旅行者母国双方の感染収束している必要があるが、それは年内どころか来年、再来年までかかるケースも多いだろう)。

政府がどんな手を打とうと(経済的に)死ぬであろう人が、希望を捨てない発言をしているのはぶっちゃけメンタルに来る。

まり他のSNSリアルでは悲観的は発言もできないので、整理がてら増田に書き捨てる。

2020-04-20

日本はこのままいくとコロナ死ぬより経済死ぬ人数の方が多くなる

先進国の中で最も自殺率が高いこの国で、経済自殺数に明確な相関があるこの国で、ピーク時年間三万人以上が自殺するこの国で、老人がコロナで一万人死ぬのと、働き盛りが自殺で一万人死ぬのと、どっちが国の未来のために重大な問題論理的結論は明確であっても、結局は自殺者が増える方向に社会は進むんだろう。残念でならない。

そんなことを言うと、じゃあ自分祖父母コロナで死んでも良いのか、なんていうやつが現れるけれど、年長者から順に死ぬのは正しいという死生観を持つ自分としては、自分祖父母コロナ死ぬより、自分の同期の友達自殺死ぬ方が嫌だよ。

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