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はてなキーワード: 思い入れとは

2024-02-17

エッタラジェンダの会社について思うこと色々

まず私は株式会社エッタラジェンダについて特に支持する立場でも反対する立場でもない。今回の件について自分の頭の整理をするための文章なのでもし目に止まった方がいたらこんなことを考える人もいるんだー、ふーん程度で流してほしい。

2月9日株式会社エッタラジェンダが設立された。

この知らせはさほど広いとは言えないインド界隈にゆっくりと知れ渡る。

社名が映画RRRのエンディングテーマ曲名であったこから社名に対する賛否両論が巻き起こり、特に否定的な反応が目立った。

私自身、率直な感想としては「私はなんでもいいけど大丈夫かいな」だった。

「旗を上げろ!」という意味の「エッタラジェンダ」という言葉はRRRの象徴的なシーンやメッセージを思い起こさせるもので、ファンにとって思い入れの強い言葉になるのは自然なことだと思う。

個人的にはこれは線引きの問題だと思っていて、会社という団体を立ち上がることで「エッタラジェンダ」の「内側」がファンの中で生まれしまたことが大きかったのでは、と思っている。

多くの人が強い思い入れを共有する集団の中にエッタラジェンダという具体的な集団がつくられ、突然エッタラジェンダの外側に出されたように感じ戸惑う人がいてもそんなに不自然なことではないような気がする。

これがもし「合言葉を共有する集団」のど真ん中で行われたことじゃなければこんなことにはならなかったのでは。

長い妄想だけど、喫茶エッタラジェンダにはRRR大好きなマスターがいて、一般的カフェメニューの他に結構本格的なインドカレーが食べられたり赤と青のシロップがじわりと混ざり合うイメージドリンクがある、とかだったらむしろファンとして一度は行ってみたいお店になれた世界線もあったんじゃないかなあ。そしてたまに貸切でインド映画イベント期間限定イメージメニューとか出てくるとか(そういうお店行きたい)

もし株式会社エッタラジェンダシステム開発(長い)だったとしても名刺交換の時に「へえ、インド映画?そんなに好きなんですかあ」で済みそうな気がする。そもそもこの場合映画ファンに向けて大々的に会社設立の報告をする必要もあまりないが。

他にも「ん…?」と思われてしまう原因、いろいろあったんじゃないかな。

・「エッタラジェンダ」という言葉日本での意味合いが限定的すぎる。例えば株式会社ビームだったら同じことにはならなかったのでは(炎上の気配が見えても違う意味を強調して若干逃げ場もある)

・RRRのヒットで界隈が急に大きくなり、強まった商業色や乗っかり的なものに対するファン疲労。これをぶつけられたのは気の毒である

設立者の方のこれまでのファン活動を鑑みて、権利関係に関して深く理解された上でとは考えにくい部分がある

などなど。

ただ、上記のいずれも反対する気持ち理解できるという話で、法律的または権利的に直ちにアウトではなくあくま道義的可能性)または気持ち的な問題がメインだ。

上記の線引きがどうの話も個々の感受性思い入れベクトルや強さの問題で、コンテンツに対する愛情の強さとは必ずしも比例しないし、辛いと思うこともどうでもいいと思うことも間違っていないと思う。

今回否定的気持ちツイートしたほとんどの方も気持ち的な問題というところは理解されている印象を受けた。悲しみや怒りを感じる投稿は多くあったものの、社名変更希望通り越して強要だったり、口汚く罵倒する言葉ほとんど見えなかった(見えるところにないだけでDMではわんさか届いてたりするのかもだけど)

新たな挑戦をする人を寄ってたかっていじめているような見方をされている方もいたけど、(もちろん強い言葉で詰め寄るのは論外として)嫌だと思うものを嫌だと言うまでの権利は誰にでもあっていいはずだ。今回、新たな挑戦「そのもの」を叩く人って言うほど多かったか…?

結局好きなものを共有するだけで、それ以外は異なる価値観の人の集まりでみんなが同じ意見であることは不可能だし、その状態を目指す必要もない。どの意見も間違っていない。間違えがちなのはいつだって伝え方のほうだ。

そもそもファン向けビジネスをしようと思った時、お気持ち蔑ろにできるものなのだろうか。ファンというもの自体お気持ち集合体だと思う。お気持ち論は根拠にならないという意見もあったが、結構割合の人が同じように感じている気持ち無視して進むことは事業としてリスクがあったのでは。

つらつら書いてみたけど、会社は結局一番残念な形で終わってしまった。お会いしたことはないが、設立された方はオフ会の仲間の皆さんからとても慕われているようだ。ホームページ(すでに消えたが)を見ても「良い奴」なんだろうなあと思う。

動力が並外れに高くてあっという間にリーダーになってしまタイプなのかな、と。それだけに今回これだけあっさり全部取りやめてファン活動のものから撤退されるのは惜しいと思う。

何度も開催した大規模オフ会の中心的な人物(だよね?)として多くの人から慕われていたのが、いざ会社を立ち上げた時にぶつけられた想定外否定的意見の数々に戸惑い打ちのめされたのは想像に難くない。ご本人から詳細を説明されたツイートも状況を好転させることはできなかった。一個人にそれをすべて耐えろと押し付けるつもりはないが、もう少しいい形で共存できる方法はなかったのかと考えてしまう。元々は同じファンなのだから

実務的に頼れる(それこそ法務とか、今回の対応含め)人物はいなかったのか、長いことインド映画を盛り上げてきた方々の力を借りつつ一緒に進めることはできなかったのか、勢いよく進む傍らで大局を把握する軍師表現)的な方がいるだけでも随分違ってたのではなどと、今回のことが起こらなかったもしくはうまく乗り切れたシナリオを思い描いている。

また、この新しい団体によるイベントはどんなものだったのか、いつか私も何かの上映会に参加していたのだろうかともはや叶わないたらればに思いを馳せる。

追記

今回の騒動を異なる価値観気持ちのぶつかり合いではなく、単なる「集団いじめ加害者」と「新しいことをしようとして潰された被害者」の物語としてとらえる人の多さに少し驚いてしまった。

人の感性って思いのほか色々あって、絶対に分かり合えない価値観の人も少なくない。

自分理解共感できる痛みは尊重すべきもので、自分理解、納得できない痛みは非難していいなんていう善悪の考え方は社会で生きていくにはあまりに危うい。だいたい他人気持ちは誰かを納得させるために存在しているものではない。

その気持ちに至った土台の中に明らかな事実誤認が含まれているのならそれを教えるのはアリだと思うが、気持ちのもの否定は争いしか生まない。

もう一つ、設立者の全面撤退により、今回の会社に対する議論ではなく結局クレームつけて潰したという構図だけがクローズアップされてしまい分断が加速しそうだなと思っていた。

設立者さんの人柄やコンテンツ愛で補われている部分も多々あったが、会社設立までのプロセス問題提起されてから設立者さんの対応はいずれも思うところがある。これが全て有耶無耶になって批判勢がただ悪者になるのも違うのでは。

しかし、設立者さんは撤退の際問題提起をされていた方にDM捨て台詞暴言を送りつけていたとのことで。相手の言い分を理不尽と思うなら公に反論してもっと議論を重ねればよかった。批判を押し切る選択肢も、少し主義を曲げて社名を変える、スピーディーユニット名を全面に出す(そういやこの話どうなったん)などやりようがないようには思えない。

これまでの対応でもあまり良い手を打たれているとは思えず歯痒い思いをしていたが、これは本当に悪手だったと思う。そもそもネット上での騒動なんだから裏で仕返ししようとバラされるに決まってるじゃないか。本文スクショを貼られなかっただけ良かったと思う。こんなことをしたら「愛と勢いに溢れたちょっと不器用だけど応援したい人」のイメージまでも失ってしまう。

サークル内の兄貴分としてはとても頼りになる人、けれどいざ法人化となったとき批判する勢力を納得させるだけの力量もなく、かといって一度全て飲み込んで突き進み結果で語るだけの推進力もなく(社名を絶対に譲歩できないのであればこれが一番現実的選択肢だった)、多くの人が寄り添った「優しすぎた被害者」の立場までも本人が手放しかけている。

もしくは人一人の力なんて結局はこんなもんなのかな。

応援してます!」だけではなく現実的な助言や手助けをくれるパートナー存在が見えなかったことが個人的には一番残念。

2024-02-14

熊代亨先生トークイベントおつかれさまでしたat梅田ラテラル

熊代亨先生、先日梅田ラテラルにて行われた『「推し」で心はみたされる?』のトークイベントおつかれでした。せっかくなので感想というか、お手紙を書いてみたいと思います

私はあの日の観客の一人です。子どもが3人いて最近ラグビー観戦にはまった者といえばわかっていただけるでしょうか。本来ならメールDMの方が良いのでしょうが、あえてこちらにしました。迷惑だったら申し訳ありません。また、こういった文章に不馴れなので読みにくい点もあるかもしれませんがお許しください。

普段、私はトークイベント等にはほとんど行った事はないのですが、思いきって参加してよかったです。インターネットや著書で知っていても、実際に目の前にすると「遠くから眺めていた人がこんなにも近くにいるぞ」と妙に感慨深いかったです。2時間程度ではありましたが、同じ時間、同じ場所にいられて嬉しく思います

トークイベントでは新刊テーマである推し」について先生や他の参加者の話を聞きながら考えていたのは「ヒトはどこまでいっても社会動物である事実から逃れられない」ということです。今回推しの話から時代ごとの世相の変化、承認欲求所属欲求比重の移り変わり、果ては社会福祉までと誰かが無理やり話題を変えた訳でなく自然と話が膨らんでいきました。推しという個人感情を語ってもどうしても社会接続されてしまうような、そんな気がしました。ヒトが解脱娑婆から抜け出す日はまだまだ遠そうです。

はいま35歳ですが、ラグビーというボールすら触ったことのないスポーツ観戦になぜはまったのかわからないとお話しました。その際先生自分の心の鍵穴にうまく刺さったのではないかとおっしゃりました。鍵と鍵穴のたとえはいいですね。確かに観戦するという行為自分の中にするりと入ってきた気がします。鍛え上げた選手達が荒々しくも規律を守って(ペナルティを出さないで)プレーしている姿に心躍らせますが、もしかしたら力のある者が正しく力を行使する様に憧れがあるのかもしれません。実際強いチームはペナルティが少なくスマートプレーしていますし、それがまた格好良いのです。

一方で家族に対してはどこか一歩引いたような気持ちがあります。少なくとも周りのお父さん達と比べるとどう家族思い入れが足りないのではと感じます。妻にもたまに文句を言われます先生はむしろ子ども推しにのめり込みすぎるより全然いいんじゃないかと言ってくれました。思い悩んでいたわけではありませんが、ちょっとほっとするような、励まされた気持ちになりました。

どうして家族をうまく推せないのだろう考えると、私の両親も同じく「推し」がへただったからだと思うのです。

両親はとある同じ地方出身で、父は貧乏農家の三男、母は貧乏大工の娘でした。地方出身先生ならお分かりでしょうが、50年以上前農家の三男ともなれば扱いはさんざんなものだったそうです。また幼くして母親(私からみた祖母)を失くしており、ずいぶん寂しい思いをしていたようです。母も自分の親がずいぶん厳しかったようで、成績が少しでも下がろうものならヒステリーと言えるくらいに叱られたと聞いています

そのせいなのか両親はお互いにうまくリスペクトし合えてなかったし、子ども立場から見てもナルシシズムを充たすには不十分でありました。社会に出てから子育てをしている人をみて、こんなにも子どもにかかわり合うんだととても驚いたのを覚えています

無論、大人になった今では両親にとっての精一杯だったのは理解できます。彼らなりに「推し」ていたのだと。

ただ、私は4人きょうだいですが他の3人も親に対してどこか一歩引いているように見えます。もしかしたら私は家族、あるいは血縁という概念にいい感情がないのかもしれません。

実際、妹は結婚していますが、子ども絶対に作らないと明言しています自分遺伝子は残してはならないと考えているようです。実は私もその意見には共感します。もしかしたら子持ちのくせにうっすらとした反出生主義者なのかもしれません。

それでも生まれた命がある以上ちゃんと育てて社会に送り出さなければなりません。幸い、知人や会社の同僚に子ども推しの参考になる人達とたくさん出会えました。なにより妻という心強いパートナーがいます。見よう見まねではありますが、たとえ擬態であっても良き親、良き「推し活」でありたいと思います

今回のようなトークイベントをまた大阪でされるのかはわかりませんが、いつの日かお目にかかるのを楽しみにしています。短い時間ではありましたが、言葉を交わし合えた者として、ささやかながらこれから先生を「推し」として応援しています

anond:20240213223201

ほんとですね。最近の色々な情勢やニュースを見て、日本乗っ取られるのでは?と何だか不安だったのと、あの地域思い入れがあるのとで、大分取り乱してしまいました。反省

原神やらないし、中華資本アプリは1つも使ってないですよ。(見落としがなければですけど…)

100均もそれ以外も、全部は難しいけどなるべく日本のもの探して使ってます日本企業頑張ってほしいし…

そして国籍差別なんてしてませんよ。好き嫌い自由。それに中華の全てがダメと思っているわけでもないし。かのセイフは嫌いだけど、他の人間好き嫌いはその人によるって感じ。

チャイナドレスいいなって思うし、料理は好きだし。前の職場にいた中国人も好きでしたよ。中国語も教えてもらったりして。

でも海外資本モール(中華じゃなくても嫌)より自国モールお金使いたい。全部取って代わられたら嫌だなって。そんな感じ。大分保守的自覚はあるし、特に議論する気もないです。

めちゃくちゃ長くなっちゃった

もし最後まで読んでくれたらありがとう親切な人。

最初投稿の事調べてコメントしてくれたし、悲しいって分かってくれたの嬉しい。

私はあまりこういう匿名ツール向いてなさそうなのでしばらくロム専になりますが、何と言うか、いつかまたどこかで〜(ハンカチを振る絵文字)

2024-02-12

婚活出会う話のつまらない人

お見合いの席でまず二人で会話をするが、話のつまらない人は「自分の軸がない」。

 

仕事思い入れがあるわけでもなく、「自分がしたい仕事」をしているわけでもない。

そういった人の趣味は、旅行、食べ歩き、散歩が多いのだが、その場限りの楽しみを追い求めている人が多い。

 

看護師お金もあるせいか海外旅行に何度も行っていたりする。

だけど、町並みがきれいだったとか、きれいな景色を見たとか、それは悪いことではないけど、

パーッと遊んで楽しかったというだけで、後に残る何かがあるわけでもない。

 

で、そういった女性に限って、男に依存したい考えが垣間見える。

経験的に知ってることだけど、自分の軸がない女性は(男もだけど)、男に多くを求める。

「男は〜であるべき」「男はスマートにお会計を払うもの」「車の運転はしてくれるもの・・・

その上、主体性がなく受け身である

他力本願で、わがままである

軸のない性格の人は大抵こうだ。

なのに、偉そうだったりもする。

 

自分の軸がない人は決まって会話がつまらない。

 

仕事人生の中心ではなくても、茶道が好きで長年続けているとか、

サッカーが好きとか、プログラミング勉強をむっちゃ頑張っているとか、

取りたい資格があって頑張って勉強をしているとか、

そういうのがない人って案外、多いんだなって、婚活をしていて思った。

 

で、そんな人と結婚してもつまらないだろうなとも思った。

結婚生活の楽しみは旦那(もしくは妻)がもたらしてくれると言わんばかりだ。

自分に軸がなくて行動も積極的でない人と出会うと、これは苦労しそうだと思ってしまって、お断りする。

 

そんなものじゃね?

ていうか、婚活出会女性にはそんな人がそれなりにいる(男はしらん)。

ゴールデンカムイ555を見た

ネタバレあり

カムイは丁寧に作ってあるのが分かってポイント高い

最初ちょっとアレ?って感じでも見てたら馴染んでくる

杉元とか少女雑誌読んでそうだし

序盤の雑魚と、蝋燭ガジガジが再現度高ぇなって

方陣営で陽動してたスーツの奴、多分名無しなんだけど妙にカッコよくて好き

クマとレタラとか、CG進化すげーなって

観客にファミリー層が多い。作る側も意識してる感じはするけど、元々エログロ作品だと思うんだが

序盤だと谷垣狩りが一番好きなんだけど、それは次でやるんかな

それやるってことは辺見もやらざるを得ないんだができるんだろうか




555は…

令ジェネと一緒でやりたいことはわかるけどもっとできただろって

とは言え、20年振りでたっくん草加マリ海堂北崎オリキャスでファイズ続編ってのは偉業だし555なのも間違いないんだけど

SEED映画で期待上げ過ぎたんかなぁ…でも散々続編やってたっくんも草加も何回死ぬんだよってくらいやりつくしはいるししょうがないのかも

パラダイスロストの続編かとも思ったけど本編後でパラレルワールドっぽい?草加生きてるし

出てくる女全員おかしいんだけど、命の恩人を秒で売るおばあちゃんトップで何だお前??

オルフェノクカップル倫理観おかしいが

ラー油必殺技不発はそこギャグでやるのはいいんか?展開としてはいいんだけど

戦闘シーン、令ジェネもだけどごちゃごちゃした集団戦されるのあんまり好みじゃないんよな

ガンダム映画が高クオリティ戦闘シーンでサービスしまくってくれるのと対比もあり

ちょっとそのベッドシーンはどうなんだ?いやこれはいい方のトンチキだけど

北崎ロボと草加ロボ!

面白いのは面白いオルフェノクでもよかったんじゃ?とも

オチに繋がるのわかるけど

クライマックスで初期ファイズなのは好き。アクセルも使って欲しかったが

う~~~~~~ん、個人的には復活のコアメダルくらいメチャクチャやってくれた方が…っても演者思い入れとかファン考えると難しいよなぁ

観る前に気になってたのが演者が亡くなった木場さんの扱いで、共存理念は受け継がれてるけど直接は関わってない感じで

まぁデリケートなのはわかるけど

SEED脚本書いてた監督の妻が逝去してて、当時ぼろくそ叩かれてた(クセの強い夫妻なので一方的被害者とも言えんが)のがある意味リベンジできたわけで

作中でのキララクスへの罵倒が当時のアンチスレそのままとか、死者が守護霊になって心を守ってるみたいなとこからこじつけできなくもなかったり

これはあん関係ない話だけど

間違いなく555ではあるけど、一番面白い回の555ではなかったって感じかなぁ個人的感想だけど

2024-02-10

anond:20240209233700

最近漫画業界もなろうコミカライズで似たようなことやってるような…

まあ思い入れの無いなろう系作品がどんな扱いされても知ったこっちゃないか

2024-02-09

anond:20240209131247

冒頭の「The(ジ)」

 ← わざわざ強調したい理由でもあるのか? 思い入れ?w

2024-02-08

思い入れのある漫画作品二次創作

はてぶでこの世界のすずさんのプラグインスーツ姿の絵が流れてきてそこそこ嫌な気分になった

もちろん絵を描く自由はあるし喜ぶ人もいるので止めることもできないのでこの辺りに書き捨てる

2024-02-07

日本原作者自分作品別に大切に思っていないのではr

出版社が作者を守ってくれるとか思ってるのが馬鹿じゃないの?


出版社著作者から作品複製権の許諾をもらって、印刷したモノを売って商売してるやん

から出版社にとっては「印刷したモノが売れる」のが大正義やん

そのためには、商品名タイトルがみんなに知れわたるように、ドラマ化とか歓迎やし

2次創作同人誌とかも歓迎するわけやn

逆に本の売り上げが下がる海賊版はノーセンキューやん

一方で、原作者世界観とかキャラかに思い入れがあって、それをいじられたくないと思ってる場合

極端な話、エロ同人より世界観が維持される 海賊版の方が未だマシとかいってた人だっておるわけやし


金銭欲とか名誉欲なんかで漫画描いている作家やと出版社とその思いを一つにできるけれど

そうで無い場合原作者著作物に対する思いと著作物を複製して売る出版社著作物にたいする思いはまあまあ不一致するわけやn

せやのに、クソ雑魚素人金も知識もある組織相手に単身のこのこ直接やりとりして大切な作品契約交わすなんて自分作品別に大切に思っていないのでは?


海外とかやと著作権エージェントにお願いして出版社とかと著作権契約するもんやん?

(アメコミはだいたい業務著作から出版社自身著作権持ってるけれど)

作品に対する、ポジション全然違う出版社になんとなく自分の期待するような管理を期待するのが間違いやないん?

きちんと知識経験を持ってて、原作者側のポジションからフルコミットしてくれる専門の代理人契約だの管理だのをお願いするのが

自分作品別に大切に

2024-02-04

暇だったからアクナイの孤星を動画消費したけど全然さらんかった

やっぱね「俺のやってるスマホゲームが今凄いことになってるからお前らもやろうぜ!」は信じちゃ駄目なんだな。

正直俺も薦めてきた奴に「漫画だけは先に読んでおけよ」って言われたからかろうじてついていけたが、これマジで新規アニメ知識だけでこのイベクリアしても全然面白くなかったと思う。

ぶっちゃけこれは「三体」では全くない。

宇宙の謎や生命本質にも迫ってない。

ライン生命に集った超インテリのしんみりしたサブストーリークライマックス以上でも以下でもなかった。

一見すると物語の核心に迫っているように見える要素は実際には壮大な思わせぶりだ(俺もアクナイ最初の3ヶ月ぐらいやってたのこれがいつもの「ケルシーポエム」の一種なのが理解るんだが、それすら知らんド新規がいきなり見たらなんか凄いことやってるようで結局謎が解けずに終わるのはノイズしかないだろ)

ぶっちゃけアクナイずっとやってた人にとって孤星は楽しかったんだと思う。

俺もちょっと齧ってたし復習も漫画で済ませたおかげで何となく楽しめたけど、この楽しみ方はなんというか……キャラゲーの楽しみ方なんだよな……。

最悪の終へと向かっていくトロッコに乗せられながら、何だかんだいって世界はしめやかにそれぞれが覚悟した通りの道へと収束する。

どうしようもない現実と戦った果て、それぞれのキャラクター自分なりの満足感の中で自分人生との戦いに決着をつけていく。

基本的アークナイツはサブシナリオでもバッドエンド系のものが多く、そのどれもがどうしようもない現実によって想像してた未来ゴミになる物語展開をしてくる(崩壊するリゾード、故郷を追われた者達、最悪の避難所生活魔女狩り……etc)。

今回のシナリオで思い通りにいってなかったのはワガママ放題のジジイ共ぐらいで、彼らはそもそもプレイアブルですらないのでイマイチ思い入れもない。

思い入れのあるキャラクターは皆シナリオが終わる前より少しだけいい顔で明日に向かって歩き出している。

ずっと遊んできた人はこういうのにグっと来ちゃうんだろうな。

でもさ、それを過剰に評価しすぎるのはなんか違うよ。

だってそうやって滅茶苦茶に持ち上げられて呼び込まれてやってきたイナゴに「サイレンスがメガネを外し、イフリータが先輩風ふかし、ミュルジスが孤独を乗り越え、ロスモンティスが過去と決別し、その他色々とライン生命関係者人生の精算を済ませただけじゃん?超凄いSFはどこ?」とか言われるのスゲームカつくだろ?

だって自分でクソみてーなこと言ってるのは自覚してる。

でもさ、正直に言わないと次もまた同じことが起きるじゃん?

俺はもう嫌なんだよ。

流行ってるからまどマギみたけど、まあ深夜アニメにしてはよくやってる方かなー」とかさ、当時ガチ震災が起きて最終回前後空気感がめちゃめちゃだったのを味わってないようなのに言われたくないわけよ。

もっと引き籠もってこうぜ?

変に新規なんて呼ばなくていいよ。

一発勝負買い切りゲームとかならまだしも、やたらと長生きしてるコンテンツに対して「今回のイベントは本当に凄いんだ!」とかしなくていいよ。

それは誰も幸せにしない。

ゲーム全体で宣伝する気にならないなら、それは人に勧めても仕方がないんだ。

2024-02-02

原作VS脚本議論、どこへ行く?

世間ブクマも「原作改変はどこまで許されるか」みたいな話ばっかしてるけど、

そんなん、ケースバイケースに決まってるじゃん

マンガは絵。小説文章アニメは絵の動画ドラマ映画は実写の動画

それぞれに特性が違うんだから、同じ物語でも伝え方はまったく異なるでしょ。

原作尊重した結果、原作とは表現が違ってしまうことだってあるでしょ

原作にはないセリフドラマでは追加したほうがいいケースとか。

逆に、原作にあるセリフでもドラマでは削ったほうがより効果的だとか。

上手に原作翻案された作品なら、そんな違いにはむしろ誰も気づかないよね。両者を見比べたら実は色々と違うところだらけなのに、「原作のまんまだった!」っていう印象を与えられたら、それこそが最高のドラマ化だよね。

 

そういった原作に寄り添う作品作りとはまた別に、あえて原作とは違うベクトルに持っていくアプローチもあるよね。

マニアック原作からコアとなるアイデアだけをいただいて、もっとテレビ的な普遍性を持たせる、とか。

原作掲載誌の読者層とテレビドラマ視聴者層は一致するとは限らないから、アレンジする。

もちろん原作者の了解あってこそのアプローチであって、原作者の了解もなくファン思い入れを踏みにじるようなアレンジをすれば当然炎上する。

でも上手にやればドラマ原作の人気を超える作品になることだってあるでしょう。

おおまかな設定だけを原作からいただいて脚本ドラマオリジナルって作品、いくつもありますよね。「おみやさん」とか。

 

まりどっちもアリなんですよ。

原作VS脚本議論なんて無意味なんです。

原作オリエンテッドだろうがなかろうが、作ろうと思えばどっちでもみんなが満足するいい作品は作れる。

そのために共通しているのは「上手にやる」こと。

原作者とのコンセンサスを得ないままどっちつかずのスタンスドラマを作ろうとするとトラブルになる。

今みんなで議論温度を上げて追及すべきはやり方でしょ。

テレビ局のプロデューサーは何をしていたのか。

出版社の窓口担当者は何をしていたのか。

そういうところにもっと目を向けましょうよ。

2024-02-01

大人気のスパイファミリーは作者がキャラに対して思い入れが全くない(売れることだけを追求したキャラ)らしくて、実写化に対するハードルが低くていいじゃないでしょうか。

自作品思い入れやこだわりがある作者の漫画は今後、映像化を退避されことになって、そのような漫画は売れなくなっていくだろうね。

2024-01-31

anond:20240131132519

いくらでも事例あるだろ、漫画家編集者揉め事……。

特に編集者は移動とかあるからね。

引き継ぎの編集者がその漫画家に対して何も思い入れなくて

コミュニケーションろくに取らないとかざら。

今回の騒動日テレから見た風景時系列で書いた。

日テレ漫画原作ドラマ取れたで!どうやら原作者はかなりこの作品思い入れがあるらしい。よーし、原作者ファーストで行くで!」

日テレ「作者めっちゃ話に注文つけてくるやん!でも、原作者ファーストから脚本家と調整しながらやっていくで!」

日テレ「最終2話は原作者脚本かきたいだって漫画プロではあっても、ドラマ脚本はまた違うんだけどなあ…でも、原作者ファーストや!脚本家降格させて、原作者アサインや!これぞプロの調整力!

日テレドラマも無事終わったで!テイストは変わったけど、これはこれで良いっていう感想もあるし、良い着地だったんやないか?二期もまたよろしく頼むで!」

日テレ脚本家がなんかインスタでぶつくさいってるな。でも、個人の発信を大手マスコミのワイが制止するのも無粋な話やで。放置放置。」

日テレ原作者ながーいお気持ちTwitterで書いてるで。で、でも、ワイらは可能なかぎり要求を汲み取ってた訳だし。原作者一時的な不満に一々反応してられへんわ、次のドラマ制作で忙しいんじゃい!」

日テレ「えぇ、栃木で…自分自分を…なんで…あんなに良いドラマだったのに…」

2024-01-30

アイシールド21」読切に倒れ伏している

昨日のジャンプ買った?

20年ぶりの「アイシールド21」読切、どうだった?


・読めて感激、気分はお祭り文句なしに大喜びできている人

・ 「アイシールド21」という作品にはひとつ欠点もないと感じる信心深い人

ヒル魔好きな人

以下の文章を読むことはおすすめしない。

読切うれしい。21周年おめでとう。ありがとう

増田もそう思ってるよ。嘘じゃない。


思ってはいるけど、漫画ファンとしては、

ぶっちゃけ全然手放しで喜べない、

看過できない仕上がりだったとも思っている。

なのでここにその旨のお気持ちを記録しておく。


・今回の読切に少しでも思うところがあった人

・「アイシールド21」という作品全体を通じて積年の思いがある人


向けの内容である


・筆者について

・はじめに

・読切のストーリーについて

作画について

・かつてのアイシールド21の何が素晴らしかったのか

・まとめ


の順で触れていく。

あと言っておくが「アイシールド21」の21周年は心から祝っている。

おめでとう。読切企画を実現してくれた関係者各位、先生方、心からありがとう


しかどうしてこうなった



筆者について(読み飛ばし可)

アラサー漫画オタク

・往年のアイシールドファン。連載開始から最終話までリアルタイムジャンプで読んでた

単行本画集も持ってる。アニメも見た。

・連載後半は2ちゃんアイシスレ見たりもしてた(本スレアンチスレを兼ねる様相で当時はおどろいた)

はじめに

かきおろし読切の制作が決定したという作者の告知があってからこの日をずっと楽しみにしていた。

完結して十何年もたった作品の続きが読める、

こんな奇跡はまたとない。

お祭り読切です」という言葉にいやおうなく期待は高まった。

発売日、即ジャンプ買って読んだ。



………………。



昨日からSNSは「アイシールド21が読めて嬉しい!」といった歓喜の声にあふれている。作品名でトレンド入りもしている。

総じてネガティブ意見は言いづらい空気が漂っている。


昨今、批評批判混同され歓迎されない風潮だが、

いちファン作品真剣に相対したいち記録となることを信じてせっせとこれをネットの海に流している。


読切のストーリーについて


まずあの話、どうでした?

過去キャラ総出演!」

セナVSヒル魔まさかの激突で激アツ展開!」

…とは思えなかった。

というか読切では当然のように「ヒル魔セナ、双璧のW主人公」みたいな雰囲気が醸されているのだが、

そもそも大前提として、本作品はW主人公作品ではないだろう。

という確認がなされないまま作られている印象だった。


ヒル魔というキャラクターが大いなる魅力や影響力をもっている、そのこと自体異論はない。

人気投票では主人公を凌ぐレベルの票をあつめ、

ストーリー於いて重要役割を担い、

彼の求心力とある種のカリスマ性が、読者並びに各種ファンダムを今なお牽引していることにも異論はない。

原作者が格別の思い入れを注いでいることにも、この際異論はないものとする)

それでも、少年漫画としての「アイシールド21」に考えをはせるなら、第1話の構造からいっても、

この物語主人公セナひとりであり、

この物語は「アメフトを通して描かれる小早川瀬那の成長譚」でなくてはならないはずだ。

……にもかかわらず、本作はそこをぶらしていった。

連載半ばからヒル魔は悪い意味でどんどん主人公化していった。

そしてそれが改善されていないどころか、全面化していたのが今回の読切だった。


思えば、最終話の落としどころはまだマシだった。

セナの結末とは別のレイヤーで、ヒル魔の着地点を描いていたからだ。

デビルバッツ創立時のコアメンバー3人、

ヒル魔・栗田・武蔵がそれぞれ、

京大・炎馬大・バベルスという別の進路をとり、三国志の道を選ぶ。

ここの3人が対等なライバルとなる結末は、

物語構造からしても納得感があるものだった。

にもかかわらず読切で披露されたのは

セナvsヒル魔NFLにいくのはどっちだ!?」対決………って、



三国志とはなんだったんだ?????

武蔵と栗田の立場がなさすぎて、あんまりじゃないのか????????



(※さらに言うなら武蔵に至っては読切に影も形も出演がないの、本当にあんまりだったと思う。回想の円陣にもいないとはいったい…。

※この点について「読切から興味をもった読者に武蔵存在を伏せたかった・ネタバレを防止したかたからでは」という擁護意見も目にしたが、

そうであるなら円陣では後ろ姿で顔が見えないように描いたりすればいいだけだし、現在軸の観客ポジションはいてもいいはずである

それすらない以上、描き忘れ疑惑が晴れるものではないと思う)


読切の大筋を

「先輩とライバルになり、それを超えていく主人公セナ

という骨子にするのならせめて

セナ率いるドリームチーム vs デビルバッツ創立時メンバー3人が再結成するドリームチーム

…みたいな構図にはできなかったものだろうか。

さらに「AIをしのぐのは人間勇気」みたいなテーマを(是非はともかく)導入したいのだったら、

半端にセナ主人公とせず、いっそいさぎよく「読切なので主人公ヒル魔です。セナは脇役として登場してもらいます」などとして構成してしまうほうが、

まだ「作者のエゴ」と「読者」と「読切作品としての完成度」、すべてに対して誠実な仕上がりをみたのではないだろうか。


このあたりの整合性のとれていなさ、ちぐはぐさが、読み味の違和感、納得感の薄さにつながっているように思う。


(※余談だが、アイシールドスポーツマンガとして傑出している点であり特色のひとつに、

天才と凡人」というテーマ残酷なまでに描いているところが挙げられると思う。

それを思うと、読切からその要素が完全に排除されていたのも惜しむべき点だった。

その意味においても、読切では

身体能力においてはある種の天才であるセナと、今度はそれに挑む身体的凡人ヒル魔

といったふうにセナとは別の視点ヒル魔視点から描いてしまうほうがいっそ面白かったんじゃないだろうか。

原作者ヒル魔描きたい欲も、キャラファン読者の需要も両方満たされただろうし

本作の新たな面を見せることができたんじゃないか、等々。

後述するが、原作者編集者はそういった検討すらしなかったのだろうか)


あとこれも看過できないので言及するが、

セナvsヒル魔試合」という今回の読切が、アニメ最終話の追認に近いものになってしまっていることにも絶望しかない。

アニメアイシールドはあらゆる意味筆舌尽くしがたい出来栄えなのだが、満を持した読切がそれと今さらカブるって、そんなことがあっていいのか。


作画について

村田先生、みんなご存じ、少年漫画界屈指の超絶技巧ハイレベル画力の持ち主。

アイシールド完結から十数年、満を持しての読切、

すなわち『ワンパンマン』のようなアップデートされた村田先生作画で、

令和のアイシールドが読めるのか!?!?


…というファンの期待は儚くも裏切られた。


今回の読切の作画

最終巻付近の、あのへんの絵柄………である


……そうか……。


初期からずっと絵がうまくて、

どんどん画力が凄みを増していって、

20巻あたりになってくると最強に脂がのってきて、

綿密な書き込みコミックスの隅々の描きおろし

強いこだわりや作品愛を感じられて、

だけどそんな村田先生が心身の調子を崩し、

あのすばらしい絵が、だいぶ淡泊ラフな方向へ変わってしまった、

そんな、あの頃の絵柄…


遠くにいるキャラには顔描き込みさえなく、

防具や背景の作画もそこはかとない省エネで、

特徴的な造形のキャラ達もどことなく平均化されている、

そんな、あの頃の絵柄…


フィールドにいるはずのキャラがなぜか観客席にもいるとかい

キン肉マンもかくやの謎作画ミス連発のうえ

それを誰も指摘しないままジャンプでお届けされていた、

そんな、あの頃の絵柄………



…………そうか………。




掲載日もガチガチに21周年に合わせているわけではなさそうだし、

読切制作告知はずいぶん前に行われていたし、

作画時間、じゅうぶんとれていたはずでは…ないのだろうか。

武蔵はおらず、十文字の顔の傷は違う所にあり、

背番号服装の誤りも細かく発生しており、

そんなこまごまとしたミスをチェックして修正する手間すら…惜しかったのだろうか。


もしや、アイシールド、描きたく……なかったのだろうか。


憶測にすぎないけれど、したくもない想像が膨らんでしま作画がただただ悲しい。




かつてのアイシールド21の何が素晴らしかったのか



なぜこんなにも失望感が大きいのか。

失望感を覚えるということは、

そもそもアイシールド21」という漫画に何らかの幻想を抱かせるような霧でもかかっていたんじゃないだろうか。


その正体は何か。



理由をたどると「原作作画の分業制でつくられた作品であること」が挙げられると思う。


そもそも原作者稲垣先生のほうはそこまでキャラの扱いに手厚いタイプではないと見受けられる。

キャラクターにとんでもない退場のさせ方をしたり、

かと思えば突飛なタイミングで再登場させたり、

桜庭アイドルヘアや阿含ドレッドをある日突然無慈悲に剃り上げてファン阿鼻叫喚の渦に叩き込んだり等々

何にせよ相当ストーリー優位の作り方をしている作家と思う。

それはそれで一つのスタイルなので良い悪いの問題ではない。

事実アイシドクターストーントリリオンゲームと3本つづけて大ヒットを飛ばしている優れたストーリーテラーであるわけだし、どれもとんでもなく面白いし)



だが、作画を担う若き村田先生は、真逆タイプだった。


要人から端役に至るまで、

あらゆるキャラクターにかっこよさや愛嬌人間味、

バックボーン想像させる表情や振る舞いなどの魅力を付与して、

見るものに何らかの愛着を抱かせるような造形に仕上げ、

コマコマ情熱をこめて作画していた。


信じられない密度で、オマケページを埋め、

色んなキャラの色んな一面を描きまくってくれた。


別冊として出たデータブックでは各校の全チームメイトの顔カット100人単位で書き起こし、

人物紹介には毎巻のように「ウォーリーを探せ」のようなぎしり楽しい一枚絵を用意し、


神龍寺戦完結巻にいたっては、カバー絵などの余白をフルに使って、

様々な光景を高解像度で補ってくれさえした。


かような作画者による手厚いキャラメイクによって、

アイシはただストーリー面白い・アメフト題材に新規性があるというだけではなく、

キャラクターを「推したくなる」作品に化けた。

そういう層のファンを獲得したという意味でも、商業的な成功をみた。



これは原作作画別れているからこその、やや特殊な事例であると思う。

原作者のつくったストーリーキャラに、

作画者の解釈が加わったことで魅力が倍増している。

まり村田先生がこの作品魔法をかけてくれていたのだ。

アイシ推しキャラがいるとしたら、

それは村田先生魔法をかけてシナジーを起こしたキャラなのだ



そして時を経て、魔法は解けていった。

何かのきっかけで、のっぴきならない理由で、本作を作画することへの情熱が失われてしまったのかもしれない。

読者にそれを知るすべはない。

ともあれ、作画による丁寧なフォローや補足はされなくなり、ありし日の熱量は失われ、

原作ある意味むき出しとなった結果が、連載終盤のアイシールドともいえる。


読切でも、魔法は解けたままだった。

そのことが残念でならない。



まとめ


長々と書いてきたが、ぶっちゃけ少し真面目に作品に相対していればこのくらいのことはいくらでも思い浮かぶはずと思う。

プロ作家編集者ならなおさらのはずだ。


なのにお出しされてきたのは、

素人でもこれだけの問題点をあげつらうことができてしまう、

そういう出来栄えの読切だった。


逆に、なぜそんな出来栄えで世に出てしまったのか。

これに関して「編集者何やってんだよ」という視座を欠くわけにはいかない。



読切をつくるとなって、まともな打ち合わせの一つもしなかったのか?

傾向と対策は、作品分析はしなかったのか?

この作品ファン層は? 

客観的に見て作品の愛されている点は? 

批判されている点は?

少しリサーチすれば情報感想玉石混交いくらでも掘り出せるはずだ。

作者の描きたいもの、興味関心のあるテーマは?

それを作品化するとして、最良の形とは?

プロットは、構成は? 今何をどのように描くべきなのか?

精査していればもう少しブレや迷走は防げたはずだ。

編集者作画クオリティ面にまでは口出しできないかもしれない。

にしても、あきらかな作画ミス校閲し指摘することはできるはずだ。

設定確認や、過去単行本と見比べるくらいしなかったのか?


「どうせ手を抜いたって、愛がなくたって、ファンなら喜んでジャンプを買い、涙を流してありがたがるだろう」


と、作品知名度にあぐらをかい編集部によって読者全員がナメられていること、

それが記念読切から透けてみえてくることが、作品を愛読してきた者として慚愧にたえない。


期待は捨てているけれど、改めて言いたい。

ジャンプ編集部ちょっとはマトモに機能してくれ頼むから


そして少しでも反省したなら俺らに誠意を見せてくれ。

すなわち、ファンアンチもぐうの音も出ずに拍手喝采してしまうような、素晴らしいクオリティに練り上げた「アイシールド21短期中連載とか企画してください。金とアンケートならいくらでも出します。わあわあ言うとりますが未だにアイシールド大好きなんです。よろしくお願いします。ほんとマジで

某  の人と仕事をしているが、本当にクソ。

重箱の隅をつつくわりに、何も決めない。

慎重に話し合い合意を取りながら進めてきたが、そんなことは決めていないといきなりハシゴを外す。

たくさんの人が関わっていてお金も発生しているのに迷惑がかかることなおかまいなし。

こちからねがいしてやっているわけでもないのに、終始やりたくない態度。

かといって注文は多く、それを守ってたら、何もできないし進まなくない?というレベル

都合よく言ってたこ撤回するし、そのたびこちらは悪くないを連呼

こちらが困ってるほど嬉しそうにサディスティック嫌がらせをしてくるやつもいる。ドン引き

保身の塊なだけでなく悪意の塊。

めちゃくちゃ偉そう。

指示を出さないわりに、提示したものに対しては後出しジャンケンダメ出しの嵐。

評判が非常に悪いところだが、その評判の上をいくゴミクズ

さっさと縁切りたいが、間に入ってる人のメンツを考えて形だけやっている。

それはそれで思い入れを入れないでやるからしんどい。けど仕方がない。

ほんと、叩かれるのには理由があるわ、と思う。さっさと潰れてほしい。

叩きすぎじゃね?と思ってたが、中身から腐ってるわ。

腑に落ちた。

がんがん叩いてくれ。あいつら、マジで最低の人種。◯んでくれ。

ガンダムSEED FREEDOM20年越しに気付いた

私はSEEDシリーズ別にそこまで好きじゃなかったことに。

いや別に嫌いじゃない。嫌いじゃないけど、特別好きでもない。無に近い。

そのことに、映画を観てやっと気が付いた。

20年前、思春期だった自分の周りには、SEEDが好きな友人たちがたくさんいた。

MS好きな人キャラ好きな人CP好きな人……皆それぞれ何らかの形で熱を上げていた。

みんながこんなにハマるのだから面白いのだろう。素晴らしい作品なのだろう。私自身も毎週リアタイしながら、そう思っていたつもりだった。

で、20年越しの映画ガンダムSEED FREEDOMを観た。

ビッッックリするくらい盛り上がらなかった。私だけ。

周りの人たちは終映後、早速盛り上がっていた。あれがよかった!これがよかった!スゲー!神作品!そんな声まで聞こえてきた。

私はというと、「こんなものか?」くらいの気持ちボケーと座席に座っていた。

映画自体の出来は素晴らしかったと思う。映像は見応えがあった。ストーリーもまあいい話だった。

でもそこに、私の思い入れは無かった。自分でもビックリした。

私はSEEDシリーズが好きなんだとずっと思っていた。でも確かに、思い返すと「何が好きなのか」は長年よくわからなかった。

MSのカッコよさは私にはわからなかった。キャラクターも誰が好きとか特になかった。映画を観て好きになったキャラとかもなかった。みんながんばってるなあ、とボケ〜と眺めるだけだった。

映画を観た後、興奮気味に感想を語ってくれる友人たちの話を聞きながら、私はそんなにSEEDに興味なかったんだなあ、ということをぼんやり自覚していた。

でも周りの人たちは私のことを「SEED好きな人」となぜか認識しているので、四方八方からすごい語られてきて今ちょっと困っている。

話聞くだけなら全然いいんだけどね。映画は良かったです。

実写化原作ファンのためではないということ

その昔、かぐや様は告らせたい実写化の際に赤坂アカ先生が以下のようにコメントしたのは有名だが


漫画実写化は、漫画の連載を100年やっても読まないだろうなっていう遠い層に向けて『かぐや様』を届けてくれる漫画家としては滅茶苦茶有り難く、かゆい所に手が届く文化です」と、実写化についての考えを吐露しました。そして、原作ファンに「かぐや様がより遠くの人へ届く様に、後押しする感じで応援して欲しいと願っております



実写化するのは原作ファンの為ではないという表題もっとオタク認識するべきだと思う。

じゃあ誰のためかと言うと原作ファン以外の人のために作られているのだ。それは俳優女優ファンだったり、お茶の間テレビを見る層や、ミーハーな人のため。他の売上を立たせるために作られている

原作ファンの為の作品作りなら実写化しない方向でグッズやイベントなどのメディア展開したほうが確実にファン満足度は高いわけだし。生身の人間二次元人間表現するって言ったって限界がある。

よく実写化の中でも称賛される事がある2.5次元舞台だって熱狂的なファンは多くいるが、テニミュなどの有名な舞台でもテニスボールは直接打たれてる訳ではない。

キャラクターだって出番や台詞の少ないキャラ演者オリジナル解釈だけで生きる事になるし、それがある程度許容される事も少なくない。そもそも2.5次元舞台ですら原作を見たことがない人も多く入っていることは知られるべき。

今回のセクシー田中さんドラマを見てた者からすると確かにラストの終わり方は不完全燃焼だったように見える。

原作から入ってる人ならふわっとした終わりで漫画に期待が出来るラストだったと思うが、ドラマしか見ていない層の方が多い地上波で描かれた人間関係の結論もなく(恋愛的な要素抜きにしても)、スッキリはせず続編を期待する人も多かったように思える。

ドラマとしての完成度なら脚本家の思うように書き切った方が良かったのではないか?と視聴者が思うのも見てみればわかると思う。

実写やアニメ原作二次創作という捉え方もあるくらい、限られた枠の中で普段触れて来なかった層にアプローチするにはある程度のストーリーの改編やキャラ解釈の変え方があっても致し方ないものだ。

その改編にもし原作者が怒りを露にするならそもそも実写化なんてさせるべきではなかったと思う。現実的にある程度の事は許容せざるを得ないのだから

実写化に限らずアニメだって声優イメージと違う事や、アニメ雑誌で描かれた製作会社の一枚絵に原作者がこのキャラはこんなポーズしないと激怒アニメ円盤化しなかったジャンプ作品もあったが、あまりにも思い入れの強い原作者は実写化や他のメディアミックスはしない方がいいし、原作ファン実写化なんて見ない方が幸せだと思う。

実写化原作好きな人のためではないというのは繰り返し書いておく

誰が悪いかではなく、何が事実かだ

漫画家芦原妃名子さんが、自分テレビ脚本に関わっても良いという契約をしたときは、誰が代理人または顧問だったのか

脚本を書いた経緯をブログやXに乗せて話題にしようとしたのは、誰と相談してのことか

話題にしたかったのに、どうして炎上とかしたら、あっさり消したのか

脚本を自ら書くほど作品思い入れがあり、それはまだ連載中なのに、どうして自殺たか

 

行動が不自然だし、顧問弁護士なんぞが操っていたんじゃないのか

弁護士は味方の役割のくせに(消したブログ名前出てたか?)、依頼人が死んだらもう出てこない?

 

具体的な司法手続として、死因を特定しない事件カテゴリを作らないと、殺人事件時効撤廃した意味も薄れる(「原因不明死」とか)

弁護士頼むときは、死後対応求めないといけないな(権利承継の手続

増田はある種の芸能界弁護士の言うことをハイハイ聞いてて、病院に送り込まれて死にかけたことがあるし

NHKトイレ事件自殺扱いだったな(「NHK解説副委員長自殺 局内トイレで」)

ダムは水を溜めるものテレビは輩を溜めるものだろ(輩を溜めてるテレビ正義なんてあるわけねーんだよ)

anond:20240129201124

一言言わせてもらいたい

誰が悪いのか。

 1.原作者

 2.脚本家

 3.プロデューサー

 4.日テレ

 5.脚本家プロデューサー日テレ

https://fujimedia22.com/2024/01/29/ashihara-hinako/


原作者とした場合理由については、

商業目的なので、原作に拘られてもTV番組として成り立たない事が有るため、

そのような事が起こりうることは理解してい貰わないと話にならない、等という事が考えられる。

海外の例でも、スティーブン・キング原作映画化されたものがいくつも有るが、

どの作品を見ても原作とは大きくかけ離れたものになっている事実は否めない。

但し、契約として原作から逸脱するようなストーリー演出が有った場合原作者拒否できるものならば、

原作者契約しそれを反故にした側が悪いのは決まりきっているが、現段階では契約内容を知り得ていないので。




原作者自分作品に対して非常に思い入れのある人だったというコメントを目にした。

それは当然のことだと思う。

でも自分の思うようにさせてもらえなかった、自分の思うようにいかなかった、

それに腹を立てたのか、心が傷ついてしまったのか、

はたまた、そんなに揉めるつもりはなかったのに、自分の考えを上手く伝えられずに炎上してしまった事に心を病んで...

心の奥底の事は分からないけれど、自ら命を絶つような事ではなかったと思うのだが。

残念でしかない。

合掌。

芦原妃名子、この騒動でようやく作者名覚えた

マンガタイトルは知ってたし、ずっと好きで読んでたのに

たくさん読んでるうちの一つだと思ってたけど、こうなってみて気持ちが落ち込む程度には思い入れがあったのかも

地味なアラフォー女子が頑張ってることで世界が開けていくような話で、読んでて前向きな気持ちになった

それがもうこうなってしまっては、今後は読めないなと 

読むと思い出してしまって

2024-01-29

クマが捨てられてた

トラックの荷台に他の粗大ゴミとごっちゃに縛られ固定されていたクマぬいぐるみ

人より大きいように見える、もう綿がへこたれてクタクタクマ

どんな経緯で買われてなぜ今そこにいるのかもわからない笑顔クマ

ただ道すがら見かけただけで何の思い入れも無いのにすっごく寂しく感じてしまった

いるかと言われてもいらないんだけどさ

2024-01-26

はるかぜちゃんとそのママが、【推しの子】の重曹を演じさせろと騒ぐ

重曹ちゃんこ有馬かなは「子役時代は売れていたが天狗になって干された女優」というキャラ

彼女の造詣にあたり作者は「未就学児の頃は売れていたが、今は干されて滅多にテレビにでも出れずマイナー舞台バイトで食ってる女優」の春名風花ことはるかぜちゃんインタビューをした

重曹モデルはるかぜちゃんである

はるかぜちゃん声優でもあるが、アニメ化重曹ちゃんの役はもらえなかった

そして実写化も決まったが、そちらでもはるかぜちゃん重曹役はもらえず

はるかぜちゃんママは「実写重曹はるかぜちゃんがよかった」というツイートリツイートしまくり、「舞台化したら今度こそはるかぜちゃん」とアピール

https://twitter.com/info_amagoi/status/1749940357339676902

https://twitter.com/info_amagoi/status/1750022988702024109

https://twitter.com/info_amagoi/status/1750024103820701882

こどものおもちゃ」の主人公役や夢見りあむクレクレしてたころと同じムーブ

馬鹿信者勝手脳内キャスティング披露するのと同じノリで本人や母親がやるのは痛いんよ

推しの子には思い入れいから本当にこいつが来て阿鼻叫喚になっても面白そうではあるけど

自分の好きな作品でこんなのに取り憑かれたら辛かろう

こどものおもちゃ欲しがってた頃の取り巻きがだいぶ消えて、役を射止めた子がバッシングされるような空気がなくなっただけ良かった

ネットでクレクレと騒いでほしいものもらえてたら現状の消えかけっぷりはないし、むしろおいしい仕事を遠ざける一方だろ

学習能力がなさすぎる

娘の顔が元嫁に似てきた

正確には不倫して子供ほって消えた屑女に似てきた

吐くほど気持ち悪い

正直言って早く出て行ってほしい

クソ女の血入ってるのがよく分かるお前の顔見たら

全部滅茶苦茶に引っ掻き回したクソ女の本性とか

全部フラッシュバックして吐き気するねん

稀に来る親や兄夫婦がお前の事を綺麗なった言う度

顔だけは綺麗やったクソ女がダブって気分悪くなる

まれ持った性格なんてどうにもならんから

お前も母親と同じように容姿が美しい事を利用して

いつか誰かの人生ぶっ壊していくのかもな

俺は元嫁に容姿が似てるお前が心底気持ち悪いし

何をどうしても一生好きにはなれん

俺は義務から法律でそうしないとあかんから

ルールを守ってお前を育ててるだけやねんで

ついでに言うとクソ女が出て行って以降、

「あそこ父子家庭らしい、おかしいんちゃう」って

「娘おる家は気を付けたほうが良いかも」なんて

適当な噂で近所でも避けられるようになったか

周囲に助け求めたり相談するのなんて早々諦めたわ

都度ネットで調べて全部その通りに対応しただけや

からお前を育てたのはネットに転がってる情報

俺の愛情とか思い入れとか、すまんけど一切無いわ

今、学校友達や進路の事相談してくる時もそうや

「今いいですか」「すみません」って言われる度

そんなん進路なら学校先生に言えやって

人間関係なら友達愚痴れやって本心は思ってるで

突き返さんのは仕事やって割り切ってるから

仕事で部下の話を聞く時と同じ対応してるだけや

俺がお前に必要最低限しか接して来んかったせいか

お前は一回も反抗期が無かったな

それだけはありがたいと思ってるわ

反抗されて腹立つとかそんな次元じゃなくて

嫌いなお前が、何に腹立てて何が不満なのか

理解しようとすら思えず放ったらかした筈やから

多分そうなったら俺は何も解決できんかったやろな

もう自分の娘やと思って扱ってすらないんかもな

だって俺の血入ってるかどうかすら怪しいもんやで

それはそれで仕事では毎日偉そうに命令するくせに

本性はええ歳して匿名ネットポエム書くような

こんなつまらオッサンの子じゃなかったとしたら

お前にとっては嬉しい事やと思うけど

お前次第やけど、一応お互いあともう数年の辛抱や

金なら必要なだけ渡すし

行きたい学校、やりたい勉強

全部お前の好きなように勝手にしたらいい

俺はお前の夢も成績にも全く興味ないか

全部好きに決めて何もかも自由にしたらいい

法律で決まってる義務を守っただけで

何でお前の人生にいちいち口出しせなあかんねん

頼むから一日でも早く出て行ってくれ

俺には嫁も子供も生涯おらんかった事にしたいんや

出て行ったら一生連絡して来んな

二度と俺のところに帰って来んな

そうしてくれたらやっと俺は

この世で最も憎い人間の事思い出さずに済むねん

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