はてなキーワード: レスキューとは
○朝食:なし
○調子
むきゅー!
今日はNetflixでアニメを見ながらゲームをするという怠惰な休日を送った。
名探偵格好いいだけはわかった。
なんだけど、TCGというより美少女バトルアニメ的な側面が強い。
Netflixで見たネットゲームの世界に入り込んじゃう系のアニメ。
一期をとりあえず最後まで見た。
これは面白い、戦闘よりも、戦闘前の準備が大事なところとか凄くよかった。
先も気になるし、まずは二期を楽しもうと思う。
対人戦中にアプリがたびたび落ちるので、相手の迷惑になりそうなので辞めました。
○AoEWD
MSの人気シリーズを日本の会社がモバイル向けにリリースしたゲーム。
元々は競技性の高い本格的なRTSなんだけど、モバイル向けゲームらしく対人戦はAIだし、ガチャもあったりって感じ。
とりあえずフランクでAgeIIまで進めた。
面白いか面白くないかで言うと、よくわからないんだけど、なんか熱中してしまう不思議さがあるな。
何かしながらでも出来るし、これからもやろうかなあ。
○遊戯王TFSP
プリズマー、レスキューラビット、シャドーミストを軸に、融合モンスターの素材の通常モンスターを墓地に落として、
僕はカオス期にリアルの遊戯王をやっていたので、やっぱりカオスが大好きなんだよなあ。
『Halo 5』第3弾大型アップデート「Infinity’s Armory」の新情報が明らかに
http://www.gamespark.jp/article/2016/01/17/63113.html
うんうん、こうして定期的に大型アップデートがきて、かつそれを無料で楽しめるってのは、
Wii U版『ポッ拳』にガブリアス、テールナー、ミュウツーが参戦!オンラインバトルの詳細なども
http://www.inside-games.jp/article/2016/01/17/94996.html
て、てててて、テールナー?
そういうのあり?
これは参戦希望の夢が広がるなあ。
ひゃっほーい!
久しぶりに明晰夢見れたぞい!
壁に張り付いて進むタイプのSASUKEみたいなのやってて、他の人できないって言ってるけど、
俺は夢だって自覚してたから、できると思えばできるんだと思って、人間には絶対無理レベルのアトラクションを軽々こなしていったぜ!
SASUKEもどきの途中で明晰夢だって気づいて女の子に抱きついたけど、
新聞紙を丸めたようなごわごわした感触が、童貞の想像力の限界だった。畜生。
その後、駅併設のパン屋の外のショーケースにあった、透明な箱に入ったアイス盛り合わせを、買わずに開けて食べてやったぜ!!!
でも、これが現実だったらあそこにいるオバサンとかがうるさく言ってきそうだなとちらっとでも思っちゃったのがめんどくささの始まり。
思った通りにおばさんがきてギャーギャー言い出した。
だからそのおばさんの口にもぶどうゼリーのスプーンを突っ込んで、コレでお前も共犯だ!って言ってやった。
それでもうるさかったからどうしようと思ってたら、周りみたら高速道路になってて、下が海になってて、レスキュー隊員みたいなマッチョが水遊びしてた。
とりあえず海に落としてオバサン殺そうと思って落としたけど、落とす前に「多分落としてもあのレスキューに助けられて殺せないだろうな・・・」って一瞬思っちゃったから、その通り殺せなかった。
今回は、寝る前にyoutubeのJPOPを垂れ流しにしてたせいで眠りが浅かったのが原因だと思う。
2回途中で起きて、1回目はスキマスイッチの全力少年が流れてて、
2回めは平原綾香のジュピターが流れてたのをぼんやり覚えてる。
いやー久しぶりに楽しかった!!
https://twitter.com/asaikuniomi/status/641987573787656192
@asaikuniomi
災害救援活動に大活躍の自衛隊だが、東日本大震災のような大規模災害なら分かるが、本来であれば専門性から言っても消防にその場は譲るべきだ。
というツィートが話題になっていた。
9条をこじらせちゃったおじさんおばさんや、デモにときめくシールズの若い子たちならともかく、発言主がTBSの特派員記者とのことで大変がっかりしている。
バリバリのマスメディアの人間がこのようなことをつぶやいちゃう日本は本当に残念。
普通の都道府県の消防がどのくらいヘリを持っているか、この人は少しでも考えたことがあるのだろうか。
茨城県については調べる時間が無かったので推測だがおそらく1機、せいぜい2機が限界だと思われる。
ヘリって糞高いし運用人材を含めて維持するのが大変なんでバンバン配置できないんです。
東京クラスは確か10機ぐらい持っていたと思うがそれ以外の都道府県はほとんど1機。1機だけだよ。持ってない県もあるぐらい。
この時点で記者の言っていることがありえないっておわかりいただけるでしょう。
同時多発的に救助要請が発生して、500人近くが身動きが取れなくなり、家の屋根や電柱にかろうじて命を預けている人たちを前にして、自衛隊だの消防だのといったラベル付けに何の意味があるのか。無いですよ。全く無い。アホかと思う。
周辺の都道府県の消防が全部応援を送ればいいじゃんとか思うかもしれませんがそんなに簡単なもんじゃありません。あの豪雨でやばいことになってたのは何も茨城だけじゃなくて周囲の都道府県もいつヘリが出動しないといけない状態になるかわからない。茨城のために周囲の都道府県の人たちが犠牲になったら本末転倒なわけで。ゲームじゃないんだから一か八かで全出動なんてありえんわけです。そういう雑なことをよく昔の東側諸国がやってて、お馬鹿事例としてレスキュー関係の人は学びます。
ところで自衛隊はいくつぐらいヘリを保有しているんでしょうか。なんと1000機を超えています。さらにどのヘリも航行時間・収容可能人数は群を抜いて優秀なのに加えて、特に航空自衛隊のエリートパイロットの優秀さはやばいです。なんなんですかあの連中は、思い出しただけでコンプレックスで顔が真っ赤になるレベルで優秀です。
市街地において近距離で2機が同時にホバリングって、あれすごく難しいんですよ。堤防の決壊場所の例のヘーベルハウス付近で何機かが同時に救助してましたけど、あれは見てる以上に相当難しいんです。怖いです。技術と度胸と責任が高いレベルで求められます。市街地だと電線がありますからへたするとロープがひっかかって墜落の二次被害。しゃれになりません。せっかく何人か救助したのに墜落で全滅とか悲惨すぎますから。
自分の命がどうこうよりも、同乗隊員や救助した人たちの命を預かってあるから絶対に墜落できない。でも、安全に飛んでたらいつまでも救助できない。だからリスクを承知で降下してホバリングしないといけない。周囲のヘリの動きも見ないといけない。難易度高いです。ぜひあのパイロットたちには拍手を送ってあげて欲しいです。心の中でいいんで「お前らグッジョブ!」って言ってあげて欲しいです。私のように主に匍匐前進で隊員歴を終えた凡人とは違い国家の財産です。
自衛隊・各都道府県の消防・海上保安庁などたくさんの組織のヘリが同じ現場で迅速に救助するのは極めて困難です。いろんな組織のヘリを同時に同じ地域に派遣してもお互いの意思疎通が難しく活動に障害がでます。だから自衛隊がメインとなってがんがん救助してたのは正解なんですよ。指示系統が統一された組織がメインでやったほうが効率がいいに決まってる。
ヘーベルハウスの前に救助されてた一家、その後すぐ流されてましたよね。あれ近隣の消防が手分けでやってたらまず間に合わなかったと思います。このご時世に洪水で一家全滅ですよ。何だそれ悲しすぎる。相当迅速に救助収容したお陰で多分20~30人ぐらいのレベルで人命が救われているんだということをもっとメディアの人も報道してくれていいのになあ。別に彼らは褒められたくて仕事やってるわけじゃないとは思うけどさ、でも自分の命を張ってでも他人の命を救って家に帰ったら批判されてるとか、悲しすぎますよ。
今はだいぶましになりましたけどね、私が駆け出しの頃におきた阪神淡路の頃はまだまだ自衛隊への批判って凄かったです。自衛隊員になったことを少し後悔するぐらい変な人達の抗議活動が基地前でお盛んでした。3.11の頃には全くそういう人いなくなったけど、みんなどこに行ったんでしょう。日本も変わったのか。
それでも、残念ながらまだ変な批判を自衛隊に浴びせる人は一定数いますし、しかもそれがメディアの記者やってるんだから救いようが無いです。こんなの許されるの多分日本だけじゃないですか。どこの国でもイデオロギー優先して軍の救助を批判しようものならボッコボコですよ。日本って本当に言論の自由が保証されてるなあって思います。
高度な訓練を受けた優秀な兵が、特殊部隊員とか空挺とか、まず最初に一番危険な最前線の任務に突っ込まれる。強襲偵察とかもそうだし、救難部隊も自分を守り生きるためだけでなく、他人を助けるだけのほんのわずかな余裕を訓練によって培って来たから、まず最初に危険な現場に突っ込まれる。
福島第一原子力発電所でも、まずベテランが作業をし続けた結果、早い段階で被爆限度量に達してしまい、現場を退くという話を聞いた。
IT業界も、まず危険な任務に優秀な人員が突っ込まれる。短納期、高技術、低予算のプロジェクトに優秀な人材が突っ込まれる。他にも混乱したプロジェクトにもレスキューとして突っ込まれるのも訓練したベテランである。そして最初につぶれていくのは、優秀な人たちだったりする。そういう優秀な人は、結局使い捨てであり、弊社だけかもしれないが、あらゆる突っ込み・攻撃の対象にさせられるのも、優秀な人たちである。
まぁ、割に合わない気もしますけどね。優秀が故に、より高いリスクを背負うってのは。
自衛隊のご飯は美味しいとよく聞くが、そりゃMREばかりはどうかと思うが、駐屯地や基地の食堂、艦内食とか美味しかった。それに引き換え弊社では競争相手の無い一企業独占状態の社員食堂。全然美味しくないし量も少ない。かといって安いかと思いきやそうでもない。文句があるなら外に食べに行けばと言われるが、事実上、外に食べに行くのは不可能な状態。一番近い飲食店(しかも牛丼屋)まで片道歩いて20分(コンビニはもっと遠い)。そして昼休みは45分しかない。何の楽しみも無い。
お偉方の得意な言葉にOJTがあるが、単に教育訓練費をけちっているだけで、前線の現場には大変な負担である。考えてもみよ。入隊したての新兵を何の訓練も無しに前線送り。生き残ればラッキーなんて軍隊が存在するとでも?前線のベテランがカバーするので大変な負担になる。優秀な兵隊は最初からいるわけではなく、国や軍隊が造り出すものであるよ。志願なら最初に試験類はあるだろうが、日々訓練である(戦時で無ければ)。IT業界では逆だ。通常が戦時であり、極稀に教育訓練がある。
ルーキーのOJTだけでも大変だというのに、IT業界ではフレンドリファイアは日常茶飯事。むしろフレンドリファイアは同じ人員が繰り返し起こす。自軍の最前線が進もうとする先に、せっせと地雷原を築く、クラスター爆弾を投下する。これが無いだけでも6割以上は効率が上がるはずなのに。
そして指揮官がイカン。なにしろ、ほとんどの指揮官は「炎上したプロジェクトを(人海戦術で)担当する事でやり甲斐を得る」事を明言している人が多い。弊社の部長課長連中はそんな感じ。現場の兵隊にはえらい迷惑な話である。まして戦力の逐次投入は被害を増すばかりである。指揮官であれば、プロジェクト内のくそったれな人員を基準にそれでもプロジェクトを進められるよう、環境を整えたり根回しをするものなのに、プロジェクト内最優秀を基準(であればまだマシだが、ほとんどの場合夢想のエスパーが基準)にして作戦を遂行する事になる。
顧客や自社上層部への工程進捗報告はもちろん、大本営発表である。
現場に渡される兵器もよく分からない。フルHDの画面の物を作らなければならないのに、支給されたPCはVRAMが8MB、モニタはSXGAだったとか、HDDが40GBであるとか、開発環境がExpressEditionであるとか、中古品で光学ドライブが動作しないとか。B-29に竹槍で闘いを挑めとでもいうのだろうか。コストカットの影響がこういう風に現れるから困る。
確かに、こちらもプロである以上、弘法筆を選ばずの如く、道具を選ばず任務を遂行する努力はするが、職人さんの使っている道具をみてみろ。職人が納得のいく道具を使っているだろう。相手がR-77装備のSu-35やMig-29だというのに、手持ちの戦力がサイドワインダー装備のF-4やF-1とかで対抗しなければならないとか。しかももっと悪い事にAWACSがいない。自機搭載のレーダーと肉眼だけが頼り。プロジェクト開始時点から絶望的な状況なのはよくある。指揮官の立てる作戦は「状況に柔軟に対応しつつ、臨機応変に」という玉虫色の指示しかこない。こんな命令が上から下りてきた軍隊はどう動くか見てみたい。
昔、ある出会いがあった。
おそらくは、一秒すらなかった光景。
されど。
その姿ならば、たとえ地獄に落ちようとも、鮮明に思い返すことができるだろう。
その先が地獄だとしても前に進むと決めた士郎と
その先が滅亡と知っていても王になると決意したセイバー
やっぱりこの二人は似たもの同士だと改めて思ったなあ
本編のアーチャーの詳細の中で「なんのペナルティもなく固有結界を使いこなし」という一文があったが、本当に消えかかった身でも発動可能なくらい消費が少なかったんだな
わりと初期の頃このペナルティがどれくらいのものなのかと議論されていたがまさかこんなところで結論が出ようとは
HAの『たとえ地獄に落ちようとも思い返すことのできる光景』をまさかUBWで見れようとはなぁ………
アーチャーが契約した“かつてのセイバー”に対する思い入れ、出会いの強さがしんみりと来たぜ
……だからこそ、歯痒いものを感じる
セイバーの聖杯に対する願望、そして自分の内にある鞘の存在を知るほどの関係に至っていたのに、なんで彼女を救えなかったんだ馬鹿野郎………!!
この世界の士郎は先にアーチャーを見たからこそ、アーチャーの様にはならないんだろうな。
守護者の立場が確定したアーチャーはもう抜け出せないけど、後悔だらけの自分とは違う道を示す自分を見たわけで。
本人にはもう救いはなくても、可能性を感じられるだけマシ、なのかなあ。
問おう、貴方が私のマスターか
のカットが入っててまたいいわ。あのシーンて確か本編士郎じゃなくて
本編アーチャーの過去編だったよね。
セイバーの表情もとても良かった。
そういえば士郎はよく「借り物の理想に執着してしまった愚かな男」って言われてるけど、どっかの誰かさんが言ったように「借り物の理想を持たない人間はいない」んだよな。そして自分も元だけど「借り物の理想」をもった人間に該当する。
何年か前、ある人の実況動画をみて、その実況者がプレイしたゲームの素晴らしさに憬れて、自分もそのゲームの製作者のように素晴らしい作品を造りたいと思うようになったのよ。
でもいつからだったか覚えてないんだけど、自分の抱いた理想が「そのゲームの製作者のように」ではなく「自分だけの、自分にしかできない作品を創りたい」という理想に変わったたんだ。
つまり何が言いたいかっていうと、全ての理想に対するanswerは「他人から受け継いだ借り物の理想を借り物の理想のままに終わらせるか」と「借り物の理想を自分だけの理想に変えられるか」という二つの結論に帰結するんじゃないかなといいたいんだ。
新規の人のコメントで「袖がないアーチャーの服は『涙を拭くことができない』ことを表していると思った。」っていうのを見てめちゃくちゃ納得した。
一晩たって落ち着いて考えてみると、この一番大事なシーンを時間の制限ついたアニメにしっかり合わせて分かりやすく構成してると感心するわぁ…
原作やったのがだいぶ昔でアーチャーの言葉にひたすら対抗して打ち合ってたイメージあったけど、ちゃんとその苦しみを理解してその上で対峙するって段階を丁寧に丁寧に描写してたのがほんとよかった、特に同情なんてしないけど心が欠けそうになるってシーン。
あと原作やった時は二人にしか目が行かなかったけどセイバーさんめっちゃ辛そうだな
挿入歌の「傷だらけの硝子の心が」の部分でボロボロの士郎が映って、「忘れかけた熱をともす」でアーチャーに切り替わってるんだよな
偶然かもしれないけど、なんか感じるところがあった
ある意味では士郎にとっても(桜関係や横暴なところを除けば)そういった持ち味を持った慎二も愛おしい日常の象徴だったんだな。だからこそHAでの殺し殺されるっていう緊迫した感じや魔術に対する毒気が抜けて、これから間桐家から出て一般人として再出発しようと語る慎二と士郎のやり取りは(セイバー&桜√で死んでることを考えると)胸にくるものがある。もしHAが映像化したらぜひ入れて欲しい。
理想に執着しているのであって助ける相手に執着していないと言っているのだと思う
衛宮士郎は幸福のために邁進する者ではなく、もっとあいまいなものを守ろうとしているに過ぎないと
だから誰を救うのかも定まらない
それは特定の誰かを助けるために必死になれる人間(たとえば士郎のために真剣に怒った凛など)に比べれば動機が弱い
自分の欲望ではなく願いのために戦うから薄っぺらいんだとエミヤは言いたいんだと思う
じっさいは薄っぺらいどころか士郎は折れる気配すらないと悟るんだけど
今思えばアヴァロンって必ず誰かを救ってくれる要なんだよね…士郎の命が切嗣によって救われただけじゃなく切嗣自身も士郎と出会い救われたし、SNでは後にセイバーが士郎と忘れられないあの夜に出会って彼女自身が救われるきっかけになったしさ。皆の架け橋のような存在だよね。
数ある宝具の中でも、特にアヴァロン(全て遠き理想郷)は尊いものに感じるな。
エミヤに「その先は地獄だぞ」と言われた後の士郎の微笑みが素晴らしかった。
自分の理想の根底にかつての自身の願いがあったことに思い至っての、自身の理想が空虚な借り物でなかったことへの安堵、かつての自分と同じようにたとえ未来の自分から進む先が地獄だと告げられてもその道を進むことをやめようと思わない「自分」と言う人間の性への苦笑、そしてこれからも理想を追い求めていくという決意、それらがあらわれた絶妙な表情だった。
「士郎は人間の振りをしたロボット」とよく言われていたけれど、実は士郎も自分自身のやりたいことを追い求めたれっきとした人間だったんだな。
士郎の始まりは切嗣との出会いでも「正義の味方」という借り物の理想ではなく大災害の地獄の中で願った「誰かを助けたい」という思いだった
今回の話は視聴するまで不覚にも自分ですら忘れていた事柄を士郎と一緒に再確認させられたエピソードだった
これまで士郎は「人間のフリをしたロボット」や「士郎が人間になれるのはHFだけ」っていう意見が多かったし、自分もそう思っていたところがあったけど
今回の回想を見て、改めて以前にきのこが語っていた「士郎という人間は大災害に遭わなくっても最初からああいう人間だった」や「士郎は成長しない主人公」という言葉通り、士郎は最初から士郎以外の何者でもないと改めて気付かされた
今回のUBWはアーチャーが忘れてしまった大切な事を思い出す物語であると同時に、視聴者が「衛宮士郎は衛宮士郎という一人の人間である」っていう原作をした時には分かっていたことを思い出す話じゃないのかな?
そういう風に思わせてくれるufoときのこの演出は本当にすごい
ある意味ではこれまでのfateの総決算ともいえるの名エピソードでした
Fate/stにおいては近くにアーサー王がいるとオートリジェネが入る便利装備
もう一つ便利機能があるがこれは別の話
アーサー王物語にて、策略でアーサー王と決闘させられたある騎士がすんでで相手の正体に気がつき
鞘をアーサーに返却、同時に鞘の加護が消滅してしまい、治癒しきっていなかった致命傷が元で死亡してしまった
と、本来なら死亡しているであろう傷でも命を繋ぎとめてしまう能力がある
もう一つの便利機能、害意判別といいアーサー王物語におけるエクスカリバーの本体はこっちなんじゃないかとの声も
忘れてしまったモノを思い出す為に記憶(うみ)に潜り、あの地獄、あの原初の光景の中にある大切なモノを手繰り寄せる。
Fateは偉大な英霊同士のバトルが目玉なのはよく分かるし、派手だから目に付きやすいし当然だと思う。
でもやっぱり、こういった『人間の想い』を丁寧に織り上げる物語こそが、Fateの真骨頂だとPC版をプレイした時からずっと感じてた。
次話の『answer』もだけど、これから終局まで続く怒涛の展開に期待!
ユニクロ士郎は前編通してやるともうこれしかねぇって感じになるからね、仕方ないね。
個人的に士郎のユニクロについては、端的に士郎の特徴を現してる気がする。
服装って現代では(昔からそうではあるが)自分をよりよく見せたいとか人と異なる服装をして自己の個性を出したい、または同じ服装をすることで一体感を味わいたいといった意味で使われると思う。でも、士郎にはそういった人より優れた自分を見せたいという“自己”には乏しい。士郎がユニクロ着てることからそういう風にも読み取れるんじゃないかなぁと自分は思ってます。
凛の「アイツはああでなくちゃいけないって、ああいうヤツがいてもいいんだって救われてる。」
20話視聴後の感想はまさにこの心境だった
衛宮士郎というキャラクターは創作物の中でも一番好きなキャラかもしれん
違うアーチャーも言ってただろ
「助けたいから助ける」そこに理由がないから偽善だって言ってる
普通の人は大切な人だからとか誰かを助けるに足る理由が存在する
でも士郎は見ず知らずの人すら命がけで助けてしまう
でその理由を挙げるなら死にそうな誰かを助けたいという理想しかないんだよ
間違ってない願いだけど人間として致命的に欠けている
「それを手にする前に、きちんと考えたほうがいい。それを手にしたが最後、君は人間ではなくなるよ」
「おい、そこから先は地獄だぞ」
剣を抜くカットもそうだけど、この辺りもまた対比になってるなぁ
元から、「今、願ってる主体」が士郎以外の誰かだったことはないよ原作でも。
これ、普通の物語なら「始まりがなんだろうとこれは俺の心だー!」になるんだけど
そこで、「もう借物だとか自分の心だとか、理想が理想である前には超些細ですし」
までぶっとぶのがUBW。
「笑いたかっただけ」みたいな話は、普通のキャラにとっては深刻なんだけど
衛宮士郎二人にとっては、自分が偽善呼ばわりされるなんて大した話じゃないから
話さくさく流れて理想の話になっちゃうんだよね。
そこを凄い脳内で拡大してる人が出たりする。
それこそ、「士郎は切嗣の行動をなぞってるだけ」とか。
士郎は切嗣に「憧れた」わけだけど、
それはつまり、「ああいうものに憧れを抱く、善しとする価値観」を
士郎が元々持っていないと始まらない。
それを考えると、もうちょっと複雑なんだよねその辺り。
アーチャーの「幸せそうだったから憧れただけ」を真に受けるのはナシだしな。
「実は贖罪」もそうだけど、UBWであいつが殊更露悪ぶって口にする言葉を
それよりは
>「―――覚えてる。俺を覗き込む目とか、助かってくれと懇願する声を。
> その淵で思ったんだ。自分が助かった事じゃなくて、助けてくれるヤツがいる事は、なんて」
> 素晴らしい、奇蹟なんだって事を。
の辺りを読み込んだ方が未だヒントになりそうな。
→じゃぁもっと決定打になるものを見せてやろう
っていう意味じゃないか? UBW展開は。
「お前の辿り着く先はこの不毛の荒野だ」を文字通り目に物見せると。
あと、演出的には、Ufoはアーチャーと士郎を背負う空(特に雲)で表すそうだから
多分answerが凄いことになる。
UBWは心象世界だから、心象のぶつかりあいをビジュアル化する装置になりうるんだよ。
まさかここにきて、「アーチャーのUBW展開はローコスト」という設定が
演出上の最強のカードになろうとは。
某動画サイトでのコメントはアーチャーがセイバーを間接的にdisってるwwって解釈してるから違和感ある。
あそこのシーンのセイバーはアーチャーの言葉に傷ついてるわけじゃなくて自分と同じような道を歩んだ士郎の成れの果てのアーチャーを痛々しく思いながらも自分と似た願いを持つアーチャーを否定しきれない葛藤も持ちながら二人の問答の答えがどうなるか見守ってるんだと思う。
ホントそれ。そもそも願いが間違いなだけでセイバーの在り方自体はFateの全編を通して否定しえないものとして書かれてる。
SNから入った人はセイバー√で初めにそれを理解するんだけどそれをZeroで盛大に全否定したもんだから
そこから入った連中はセイバー=否定される、していいキャラとして認識してるから大問題。
虚淵のネームバリューもあって被害は甚大よ。
たまに絵に起こしてもらうと、ゲームのCGイベントは戦闘だし、
「いかにもうおおおおおとか言いそう」なとこが対外的には押されがちだったけど
基本「己と向き合い自分の心を形にする」人間だから
実は「動」だけじゃなくて「静」の面も強いんだよね。
その「静」に支えられるから熱さもあるって感じ?
今回の、内面でのアーチャーとの静かな対峙で
「静」の面が凄いクローズアップされたと思った。
自分はこれが見たかったんだよね。
とりあえず、「以前の記憶がない」は「ほほをつたう」と矛盾してると思う。
士郎、思い出に浸るのを自分に禁じただけで、普通に記憶はあるぞ。
> 何もなくなった場所にいって、有りもしない玄関を開けて、
> 誰もいない廊下を歩いて、姿のない母親に笑いかけた。
> ……あの日の前に戻れて。
> 何もかも悪い夢だったのだと、そう目が覚める日を待ち続けた。
士郎って割と元々ああよ。
衛宮士郎がアーチャーと士郎に分かれて真剣に自分の将来を模索するお話まじ熱い
アーチャーは自分が辿った選択ではろくな道筋にならないと力説する
士郎は自分が進む未来は「選べる道」ではなく「選びたい道」を進もうとする
幾度の面談を経て衛宮士郎は見つけづらい険しい道筋を見つけて答えとする
自分会議(物理)は死ぬほどストレスたまりそうだけどその分効率の良さが半端じゃないな
今回のエピソードは、アーチャーの月下の誓いに対する「呪い」という言葉が
あまりにそのまま伝わり過ぎていることに対する反論的な意味もあるのかな……と思った。
余人から見れば呪いととられかねない歪なものなのは確かだし、発言したのが未来の士郎と
いう点もあって、「信憑度が高い」と取られても仕方がない部分はある。
だが、そうじゃない。そんなものは、アーチャーのレトリックに過ぎない。
「月下の誓いに至るには、大火災のさなかで救いを求める自分がいて、生存者がいないと分かりながらも
助けようとした切嗣がいた。だからこそ、救われない人間をこそ救おうとするエミヤが生まれた。呪いなんて、忘れてしまったアーチャーの後付だ」というように。
ここら辺、原作やってても勘違いしちゃう人間がいるし。これをより説明的にしたことを指してデチューンと言ってたのかもね。
なんだかんだ分析してるが、初見じゃもうボロボロ涙でて凄かったよ。そうだよ!そうだよ!と絶叫しちまった。
価値観っていうと語弊があるのかもしれないが
とにもかくにも「心」はないと憧れも発生し得ないってところは
押さえておいてもいいのではと。憧れって心の働きなので。
災害中の描写から、衛宮士郎の連続性を断つ描写は作者したつもりないと思うんだよな-。
っていうか、原作の描写をそう読まれちゃったことを踏まえて再構成したのが
んー、言いたいことは分る。確かにもっともだ。
だが、「心が死んだ」「ゼロの状態で切嗣から新規に心を貰った」だと
極論すると、士郎以外の誰であっても
上記二条件を満たせば、士郎の如き人間になるってことだろう。
実際問題、それは非常に考えづらくないか?
なんで士郎がああまで凄まじい人間になっちゃったのかって言ったら
やっぱり元々「何もできないのに謝って楽になるのはだめだ」と
涙を呑んで歩き続けるような真っ当すぎて真っ直ぐすぎる子供だったからで、
そういう心をベースに憧れが発生したからだろう。
「心が死んだ」「ゼロの状態で切嗣から新規に心を貰った」
を強調し過ぎると、なんっかその辺拾えてない印象になる。
大事そうな話をよく読むとさっくり投げっぱなしにしつつ
「え、そこ?」ってとこに落ち着くのな。
よく考えたら何故その話が理想に落ち着く、みたいな。
読み甲斐があるといえばそうなんだけど、お陰で
「借物」が「心がない」と誤解されたり
「笑いたかっただけ」が一人歩きしたり、
今回、物凄い分かり易くバッサリまとめてきて、色々衝撃だった。
始まりは憧れ、でも根底に在るのは願い って、きのこだなぁおい
思い出したよ、くっそながい文章アホみたいにぶっ通しで昼夜読み続けてここの所で「なんて尊い大馬鹿野郎どもだ」ってボロボロ泣いたの。
今回は素晴らしかった。
なんというか、エミヤシロウというキャラクターの魅力を再確認できたよ
人間なら誰であれ死に絶えるような地獄の中で意味もなく切り捨てられる小さな命をこそ守りたいと願った少年が、その地獄の希望をくれた人から受け継いだ理想によって、その最も救いたかったものを切り捨てて大多数を救うものになってしまったんだからやるせないよなあ
士郎が本当に凡人なら、途中で折れるんだろうけど、地獄の道行を後悔なく駆け抜けることができてしまった心身の強さに物悲しくなる
一応補足しとくけど、兄貴とディルでは置かれた状況が全く違うからな
兄貴とディルを比べてディルをけなしている人はそこらへんを忘れているし、あえてどちらがより酷いかといえばディルの方が遥かにひどい状況だったんだよなぁ
そりゃ恨み節の一つも吐きたくなるだろって納得するくらいに
仮にディルが戦闘続行を持ってて、セイバーと切嗣を倒してケイネスたちを救えた後に消滅したなら恨み節は残さなかったろうし
もし兄貴がディルと同じ状況だったら、恨み節はともかくとしてやはり憤怒の形相で怒っていたんではなかろうか
それに主君に忠を尽くすってディルの願いも、強い奴と全力で戦いたいっていう兄貴の願いも自分本位な願いという意味では同じだからディルも兄貴同様、立派なケルトの英雄だと思うけどなぁ
士郎が人助けをしたいのに、元々法政志望してたことが昔から疑問だった。救急隊とか医者とか、もっとわかりやすく人助けできる仕事があるのに、と。
でも、きっと士郎はそんな自分の手の届く距離だけに留まるミクロの人助けではなく、社会の仕組み全体を変えるようなマクロの人助けをしたかったんだろうな。
そう思うと、世界と契約したのも、膨大な力で社会全体をよりよくできるという期待を持ってたのに、実際は何の権限もないただの末端の処刑人でしたっていうオチに涙せずにいられない。
なんて愚かで、なんて愛おしいんだろう。大人しくレスキュー隊にでもなっていれば良かったのに。でも身の程を超えて、それより上を、人類の幸福の根源を求めてしまう士郎だからこそ、愛せずにはいられない。
大河になってアーチャーを馬鹿馬鹿って言いながら思い出してくれるまで思いっきり抱きしめたい。
俺もそんな風に思っていたけどFateを深く考察するようになってちょっと考えが変わった
士郎が最も助けたいのは苦しみ足掻いてなお幸せになろうとする人なんだよね
だからもしかしたら罪を犯しても尚幸せになろうと苦しんでいる人をこそ助けたいと思っていたのかも
分かりやすい消防隊員や警察官を目指さないのは
だからあのゲリラの少年を始めとする人々はアーチャーにとっては助けたい相手だったんじゃないかって
指導者はともかく実際に戦っている人達は思想に関係なく自分や家族が食べていく為だったりするし
>>「(幼士郎の)この地獄を覆してほしいという願い」
>原作ではこう
>>自分では持ち得ないから、その尊さに涙した。
>>いけないのか。自分の気持ちではないから、それは偽物なのか。
それ、別に矛盾しなくない?
士郎は元々恐ろしく真っ当な子供で、「『誰か』この地獄を覆してほしい、みんな助かってほしい」
っていう願いを持ってた。
でもそれは、救いのない、誰も彼も死んでいく現実をつきつけられて
意味をなさなくなった(これを「心が死んだ」作中では表現する)
そして、その地獄にあって未だ生存者を探す、
「『自分で』地獄をどうにかしようとする」切嗣に会って、
士郎は、「助かりたい」「助かってほしい」という情動すらボロボロになった己の心では
抱けなくなってたその思いに涙したわけだろう。
SN切嗣では強すぎて物語にならないのは分かるけどだからといってケイネス一人に原作で語られた外道戦術使うのはちょっと弱体化させすぎやな(せめてもう一組くらい・・・)
会話の制約があったとはいえ、セイバーをあからさまな無能騎士道中にしたり、切嗣に明らかにおかしい戦争は英雄のせいだ論を抱かせるのもちょっとな(過去編から考えても切嗣が恨むようになるのは魔術師のはずだし、セイバーがあんなに騎士道大好きなはずもないから、明らかに話の都合のためにそうなったようにしか見えない)
これはもうちょっとやり様があったのじゃないかと思ってしまう
後やっぱりなぜ切嗣は火災の犯人になったのだろうか?
虚淵さんが言峰大好きだったから変えたんじゃないよな流石に
ナタリアとの別れによる正義への絶望や故郷での事件等の過去編がよかったから余計にそこらへんの矛盾や弱体化が気になってしまうな
横からだけど、「士郎は正義の心を元来から備えていた」と思われる描写は今回、原作、前回のアニメでも見えたりしてるよ。
・泣きながら災害のなかを歩いた。その時、周囲から「助けて」 と声が聞こえてきた。止めてくれ、オレにはそんな力はない。という感じの描写。
・そして今回の顔。泣いてはいるけど、泣き顔ではない。
「誰か助けて」ではなく、「助けられないのに助けを求められることに対して謝りながら、歩き続けた」
スマホからだと書きにくいな…
俺は
「たしかに、始まりは憧れだった」
「けど、根底にあったものは願なんだよ」
「(幼士郎の)この地獄を覆してほしいという願い」
「(切嗣)誰かの力になりたかったのに、結局、何もかも取りこぼした男の、果たされなかった願いだ」
って解釈した
根底にある願いは切嗣に会う前から持っていた
のコメントを見て思ったけど、確かに「こんな地獄を覆して欲しい」っていう表現は、今まであの手この手を尽くして地獄を覆すために努力してきた切嗣の願いとしては受動的すぎるかなって思うんだよね。だからこれはやっぱり地獄を前に何も出来なかった子供士郎の願いなんだと思う。
車の傍の死体
暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。
トンネルの中の死体
暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。
荒野の木の周りの死体
暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。
世界との契約
暗転[赤い画面に黒い文字で]――いずれ辿る、地獄(りそう)を見た。
という事?
そうじゃなくて、
地獄を見た。
地獄を見た。
地獄を見た。
――いずれ辿る、理想(地獄)を見た。
ってこと。
いや、原作ではとてもそうは見えなかったけどな。
実力的には1/10しか戦闘能力出せない状態でも圧倒的に士郎<アーチャー。
そして勝負のついた最後の一刀もアーチャーなら余裕で防げた。けれど防がずに士郎の攻撃を受け入れたってちゃんと理解出来る用になってる。
セイバーも「アーチャー…何故……」って疑問を口にしてた筈だし。
だからこそDEEN版でそこが分かりづらくて不満点になってるんだし。
セイバーが辛そうなのは士郎達が殺し合ってるのに見てる事しか出来ない辛さだと、思うけどな。
彼女はずっと士郎の生き方は危ういと言ってたし、実際に破滅したアーチャーが士郎を殺そうとしてるんだからそりゃ辛い。
士郎とセイバーは似たもの同士だから士郎やアーチャーの気持ちもセイバーは理解できるだろうしね。
挿入歌にあるSTARDUSTって星屑もそうだけど「夢を見るようなロマンチックな気持ち」という意味もあると知ってショックを受けたよ。星屑はまさに「願い」の記号だけどそれだけじゃなく、地獄と知っていても夢を掴みにいく士郎の熱い気持ちも表しているようでAimerさん、なんという言葉を選んでくれたんだ。ついでに、
Ashは色も熱も失った灰塵=アーチャー
Judasはエミヤシロウを最後には殺してしまう裏切り者=理想
として歌詞を見ると本当にアニメ映像とリンクしていてもうこの歌が大好きになってしまったよ。本当になんてすばらしい物をつくってくれたんだこの人たちは。
大体19時30分くらいだったかと思う。
仕事帰りにいつものように福島に向かってあみだ池筋を歩いていると、
何台もの消防車がサイレンをけたたましく鳴らしながら追い越していった。
よーく見ると、その他にも救急車と消防車が10台以上並んでる。
あぁ、これは川に人が落ちたんだなと確信した。
この時まで、九死に一生、感動の救助の瞬間!
みたいなのが見れるんじゃないかと少しだけドキドキしていたのだが
橋を渡りながら野次馬の隙間から水面を見てみると、潮が満ちていて
誰かが溺れてるような気配はないように波一つ起きておらず、
色は濁っておりひたすらに静かに真っ暗だ。
サッと血の気が引いた。
こんなとこに沈んでしまったら、簡単には引き上げれないだろう。
三分くらい水面を眺めてしまったがレスキュー隊はまだ陸上にいたし、
時間がかかりそうだと怖くなりその場を去った。
その後が気になり、電車に乗るとツイッターなんかで掛かりそうな検索ワードをひたすら検索していた。
私が目撃した二時間後につぶやいてる人もいた。
大学四回生の夏、下宿の扉に「出入禁止」とチョークで大書し、親を呼ばれて精神病院に連れて行かれた。
パソコンを買ってもらったのは小学三年生の冬だった。今でも覚えている。1996年12月2日のことだ。Windows95発売で世間は揺れていた。インターネット回線がうちに来たのは翌97年の1月、これはそこそこ早い導入だったと思う。さらに翌々年の99年にはケーブルテレビで常時接続になった。親には先見の明があったが、しかしパソコンには詳しくなかった。PC-8001も確かそうだ。親はこれが次世代の必需品になると確信して買っていたが、買った一方で使い道が分からなくてオブジェとして放置していた。親はPC-8001をパソコンだと言っていたけれど、僕にとってパソコンはおっきなテレビが標準で付属しているものだったし、マウスもなかったので、それがパソコンだとは到底思えなかった。でも親は言った。今度来るのは違うんだ、オフィスも入っているパソコンなんだ。僕は聞いた。一太郎っていうやつは入ってないの?テレビで言ってたよ、と。親は答えた。オフィスってのは一太郎より機能がスゴイんだよ。僕はへぇ、とだけ言った。どちらにせよペイントは入っているだろう。ペイントなら親戚の家で使わせてもらったことがある。パソコンはお絵かきができるのだ。マウスをカチカチして、キーボードをカチャカチャするのだけが楽しみで、納品の日を一週間ひたすら待った。その頃、漢字の宿題提出が滞っていて、そのままでは居残りでさせられることになっていた。僕は久々に奮起した。いつもは踏み倒していた宿題を、全部一気に終わらせた。家に帰るとパソコンが電気屋さんの手で設置されつつあった。今は亡き、ニノミヤで買われたパソコンであった。
97年にインターネットを始めた。一日一時間まで。実のところ電話代の問題ではなく、一時間ほど使うとブルースクリーンが発生するからだった。一日一時間以上動かすと壊れるから。PC-8001をキッチリ買った親なのに、それぐらいの(?)ITリテラシーであった。ただ別にそれを責めるつもりはない。僕はすぐにアングラサイトに入り浸った。人に飢えていたのだ。普通のチャットには人がいない。テレホタイムにならないと、誰一人ログイン氏亡いのだ。でも、アングラサイトなら四六時中書き込みがある。僕は思う存分厨房行為を楽しんだ。煽り騙りなんかは、小学生がやっても大人がやっても大して変わらないものだ。You is a big fool manという文句をリアルタイムで目にした人は、多くても数百人だっただろう。何千、何万のツイッタラーが押し寄せ、ブクマが1000以上付くような今の炎上とはほど遠い暢気さだ。当時の匿名掲示板とはそういうものだった。誰一人本気で投稿しなかったし、しかし誰一人面白くない書き込みをしようとはしなかった。トイレでもネタを考え、思いつけばすぐに投稿し、ワラタが付くのを待ち続ける。あやしい、あめぞう、あやしい、2ch。人の多いところから人の多いところへ。ワラタが多くもらえる場所へ。気づいたらインパクが終わっていた。
その一方で僕は中高一貫の私立校に入学していた。高校受験がないことから、ネット依存はさらに加速した。しかし2000年を境にアングラ掲示板は衰退の一途をたどり、2ch一強時代を迎えていた。1ch.tvをボコったりするなど楽しいネタがないわけではなかったが、匿名掲示板はネタの宝庫と言うより、本気でちゃんと議論することもできる場所になり始めていた。ちゃんと議論しようとしたらすぐさま崩しにかかるのが2ch隆盛以前の匿名掲示板文化であったが、2003年頃を境にはっきりと潮目が変わっていったように思う。まあその辺はどうでもいい。アングラと非アングラの境目は消え始めていた。
その狭間に、僕は生きていた。
自分で掲示板を設置することにした。けれども何をして良いのか分からない。CGIレスキューに救援要請をして本も買った。Perlだ。Perlしかない。しかしPerlがどうして動いているのかは、全く分からなかった。何十行、何百行もの文字の羅列が、どこでどうなって、掲示板になるのか。インタプリタ?コンパイラ?訳が分からない。そもそもCPUがどうやって動いているのかも分からない。僕にとってプログラムとは、セットアップウィザードでCD-ROMをギュンギュン言わせながらインストールするものであって、掲示板というものは、Teacupで借りるものだったからだ。でもどうやらそうじゃないらしい。コンピューターに翻訳するのがコンパイラです。さっそくコンパイラを使ってみましょう……
お手上げだった。
コンパイラがないのだ。コマンドプロンプトにはない。Linuxを入れる?使い方が分からない。Vine Linuxが初心者にお勧めだった頃の話だ。ボケッとしててもGNomeぐらいは動かせる程度には簡単になっていたが、そこからターミナルを開いてgccでコンパイルするなんて想像も付かないことだった。Hello, Worldはなんとか表示できても、それをGUIで動かす方法が分からない。僕はデスクトップに「Hello, World」のポップアップウインドウを表示させたかったのに。全然訳が分からなかった。
プログラムが動いている方法を知らなければならない。プログラミングを学ばなければいけない。しかし全体像を把握するにはあまりにもほど遠い……。絶望感が支配し始めていた。Hello, Worldはできたけれど、その先が全くわからない。どの参考書を読んでも分からない。ググってもググっても分からない。ポインタで躓く初心者が多いです!……どの本にも書いてあったけれど、僕はポインタどころか、変数の種類がたくさんあるところでお手上げだった。int?char?long???意味不明の文字列が並び続ける。メモリ?メモリって、挿したらいいんじゃないの?確保?fopen????どんなプログラミング言語も、何一つ分からなかった。その頃インターネットは加速し始めていた。切るのが当たり前だったJavascriptが復権し、Ajaxと名を変えてやってきた。掲示板スクリプトもどんどん高機能化し、もはやPerlを知るだけでは何一つできないようになってしまった。苦痛の日々が始まった。どの言語も、全く分からなかった。分からなければならないという焦りが募っていった。
あるとき、一年間ほど、とりあえずお手上げのままにしておくことにした。大学受験が迫ってきたからだった。そして案外あっけなくそれは終わった。僕は某大学の情報科学科に入った。
教授がガイダンスで説明したとおり、情報科学科のプログラミング演習はそれほど多いものではなかった。一回生の時なんか、キーボードを目で追って人差し指で打っている人もいるぐらいだった。学校の授業はアテにならない。そして大学受験でいったん引っ込んだ、とにかく十代でなにかしないと、という焦りが復活してきた。
大学のキャンパスは広すぎた。何をして良いのか全く分からなかった。授業内容はひどくつまらなく、何が役に立つのかも分からず、ただただ苦痛で、キャンパスでサークル活動に打ち込んで楽しく過ごせるほど社交的ではなく、かといってオタク集団に混じる勇気も無く、とにかく、とにかくここで四年間、四年間で何かしないと、何かしないと就職に間に合わない、大学院進学に間に合わない、十代のうちに何か大きな事を成し遂げなければならない。日々研鑽に励み、日々プログラミングスキルを磨き、日々勉強会に参加し、日々コードを書き、日々環境設定をし、日々本を読み、そして日々コードを美しく書かなければならない、そういう焦りだけがどんどん加速していった。大学の生協で片っ端からプログラミングの本を買った。ド初心者向けのPerl本から、美しいコードは何か、みたいな本まで。でも、どれ一つ、僕のスキル向上には役に立たなかった。プログラミングスキルの向上=自分自身の地位=生活の保障、と思っていた自分には、悪夢のような現実だった。
とにかくインターネットと一緒に歩んできた僕にとって、ITスキルはすなわち力であり、むしろITスキル以外は何の価値も持たないもの、と思えるほど脅迫的な観念にとらわれていた。入ってくる情報はさらに増えていった。Cができるのは当たり前、Ruby on Railsがアツい、Java、PHPはもちろんできるよね、MySQLは当然使えるよね、もちろんHaskell、Scheme、Objective-Cもやらなきゃね……何一つできないのに、習得すべき言語だけがどんどん増えていく。加えて美しいコードを書け!という文句が飛んでくる。クソッタレが。何が美しいコードじゃ。goto使ってもいいだろ。好きなだけ使わせろクソッタレが。全部getsで書いてやる。クソが。アルゴリズムアルゴリズム勉強会勉強会ビューティフルコードMacMacMacジョブズジョブズジョブズ……???????????????
それでもなんとか、そう、なんとかなった。友達が優秀だったのだ。僕には到底できないような、きれいに整理されたコードを書く人だった。聞けば在学中から外注のプログラマをやっていて、それなりに稼いでいたのだという。性格はちょっとアレで、風俗に勇気を出して行こうかどうしようか迷ったけどその金でオナホ買ってシコってオナホを床に叩きつけたみたいなヤツだったけれど、そいつからもらったコードを、わざと汚く成形し、変数名も汚らしくし、提出し、なんとかなった。結局自分で最初から最後までプログラムを作ることはできなかった。丸々コピペはしなかったけれど、コピペがなければ卒業は無理だっただろう。
そうして三回生の終わり、試験がどっと押し寄せてきた。一月のことだった。機械学習と……なんだっけ?そういう感じの試験が、2月の初日、行われることになった。三回生はただでさえ試験が多かったが、その大トリこそが機械学習だったのだ。
まるで意味が分からなかった。推論、それは分かる、機械学習?機械に学習??やっていることは数式だしベイズがどうの……まるで分からない。泣きそうだった。三年間必死こいて勉強したり勉強会に行ったりプログラミングスキルを上げようとしたり本を読んだり色々したのに、何一つ得るものは無かったのだ。僕はあやしいわーるどでオマンコ連呼していた頃から、何一つ成長出来なかったのだ。そしてそれは、間違いなく、疑いようがなく、自分のせいだった。自分の頭が悪いせいで。自分の勉強不足のせいで。自分のせいで……コンピュータとともに、十何年も育っていた僕にとって、コンピュータに関するスキルこそが、全ての力の基準だったのに、その全てを否定されたような気持ちだった。プログラミングができなければ、死ぬ。だって、友達はみんな就職して、SEになったりSIerで働いたりネットワーク管理者になったりしてるのに、僕はなんで、こんなところに。そいつらに取り残されるのに。みんな勉強会に出てMacを持ち寄ってハッカソンしてるのに。泊まり込みでプログラミングしたりしてるのに。なんで僕は、fgetsすらマトモに使えず、getsとscanfだけであなたの名前を入力してください オマンコ オマンコさん、こんにちは!みたいなプログラムしか書けないんだ。
大学四回生になった。研究室を選択する必要があったがしなかった。しないでは困るとのことで、適当に書いたらその一番上に配属された。でも一切研究せず、下宿に引きこもって何もしないをした。今日の輪講はここまで進みました!という報告が毎週回ってくるが、まるで研究室では日本語でなくアラビア語が公用語になっているのではないかと思えるぐらいの光景だった。この頃、近所の人の証言によれば、言動がおかしく、訪ねてきた人に暴言で返し、殺す殺すなどの声が聞こえ、時折モノを投げつける音が聞こえたりしたそうだ。まあよく知らない。僕は普通に何もせずぼんやりネットを見ていただけのような気がするけど。
それからしばらく経った。
結局僕は中退した。そして別の大学に入り直した。今度は、工学じゃない別の場所に。みんなキーボードの文字を読みながら指先でキーを叩いている。安心する光景だった。僕らはプログラミングを習わなくてもいい。これから習う必要も無い。タッチタイピングだって、できるに超したことはないだろうけど、できなくてもいい。ただ、そこにある便利なモノを使えば良いだけなのだ。Chromeを使っていて、うっかり開発者向けコンソールを開いてしまっても、何も分からなかったことにして閉じて良いのだ。きっとマクロを書けば、楽ちんに勝手にやってくれるような作業を、人の手で何度もやる。それでいいんだ。マクロを考えるために必死になる必要なんか無い。マウスで右クリック、コピー、ペースト。それでいいのだ。キーバインドすら覚えなくて良い。メモ帳を使ってもいい。viやEmacsのキーバインドを覚えなくてもいい。マウスも使えないようなエディタと格闘する必要は無い。Macを買っても、XCodeやportsを入れる必要は無い。iTunesでiPhoneを同期させて、音楽を聴くだけでいいんだ。
僕はもうプログラミングしないでいいんだ。
それが分かったとき、全てから解放されたような気がした。僕を苦しめ続けたプログラミングというものは消えてなくなった。パソコンでやる作業は、昔と一緒、匿名掲示板にオマンコと書き込むだけだ。それ以上のことをしなくてもいいんだ。勉強会に出てハッカソンする必要は無いんだ。プログラミングスキルを錬磨しないと死ぬなんてのはウソだったんだ。美しいコードを書かないと天罰が下るというのはウソだったんだ。毎日毎日はてブのホッテントリを見てると、プログラミングでマスターしなければならないこと、何何する方法、開発者必須スキル、便利ツール、Macでのアプリ開発、セキュリティ、通信、データベース、勉強会、ハッカソン、そういうもので溢れている。苦しくないのか不思議で仕方ない。もちろんプログラミングをしていて楽しい人もいるんだろう。けれど、僕みたいに、プログラミングという行為が苦痛で苦痛で苦痛でしかない人もいる。たとえ1000回の同じ操作でも、人力でやる方がマクロを書くよりも楽だという人も、ここに存在するのだ。そしてそのような人の存在も当たり前に肯定されるのだ。みんな苦しまなくて良いんだ。誰かが勝手にやってくれればいい。できる人にお金を渡して、僕らはそれを享受するだけで良いのだ。ここでプログラミングという言葉を連呼したけれど、コーディングという言葉との違いとか、そういうのを気にするような人とおつきあいする必要は無いのだ。いずれプログラミングは必須スキルになるとか言われて何年も何年も苦しみ続けてきた。けれど、そんなことをする必要は無いんだ。
それでぶっちゃけここからが本番なんだが、十代でなんとかしないと、という焦りはこないだの青木君の小四なりすましの話に似ている。僕もそうだった。僕らの世代だと登大遊氏なんかが結構輝いてて、ああいう感じにならなきゃ、と思っていた節はある。十代の時になにか成し遂げないといけない、そのためには誰かに認めてもらわなければならないという焦りは、どれくらいの「大人」に理解してもらえることなのだろうか?誰かの承認を得たいという承認欲求を、同じ世代の誰かを使って満たすことができず、むしろ同じ世代の誰かを一緒に引き連れて、承認欲求を満たしてくれる「教祖」にすがりつく。NPOの大学生が「承認」を欲し、政治家が「承認」を与えているのだ。AO入試用の作文?図?みたいなものも見かけたが、「私はリーダーシップがあります!」とか実にくだらないことしか書いていない。しかしそういうものでさえ、学生団体とやらは「承認」してくれる。結局、オウム真理教が丸ごと開けたポジションに、バラックが建ち並び闇市が行われていて、コミュニケーションで自然と得られるはずの承認欲求が、法外な札束で取引されている、そんな感じのような気がする。
意外にブクマが増えていた。PC-8001は俺が産まれる前に買われたもので、ずっとオブジェだったのだ。動くかどうかもわからない。テレビに接続するコードがなかったから。
今日、NHKのクローズアップ現代でやなせさんの番組があった。
なぜかアンパンマンが、ある人たちに重なった。
アンパンマンは、おなかがすいている人がいたら、自分の顔を差し出して与える。自己犠牲の表れだ。
アンパンマンは、困っている人がいたら、自分を嫌っている人も笑顔で助ける。
アンパンマンは、バイキンマンが町の人をいじめていたら、自分が傷つくのを恐れず立ち向かう。
戦争を経験しているやなせさんは嫌がるかもしれないけれど・・・僕は、やっぱり自衛隊隊員だと思った。
自衛隊隊員さんは、災害など危険な場所に駆けつけて、炊き出しや救助活動をしてる。
自分を犠牲にして困っている人のところに駆けつけて手を差し伸べる。
自衛隊隊員さんは、自衛隊の活動に批判的な人が困っていたとしても救助に向かう。
たとえそれが危険な場所であったとしても「仕事ですから」と笑って救うだろう。
そして、バイキンマンが攻めてきたとき、自衛隊隊員は、日本国民を守るためにバイキンマンと戦ってくれるはずだ。
アンパンマンがバイキンマンにパンチするとき喜んでいるとは思わない。
アンパンマンは心の中では、きっと泣いていると思う。
バイキンマンと戦わないと町の人がもっと泣くことがわかっている。
暴力をふるうこと、傷つくことを、一人で背負ってバイキンマンと戦っているんだと思う。
きっと、自衛隊隊員だって好んで戦争をしたいと思っている人はいないと思う。
殺し合いが好きだったら用兵部隊にいくはずだ。
そして、戦争が起こったとしても、喜んで戦場に行きたいはずはない。
でも、自衛隊隊員たちが戦場に行かなければ、日本国民はバイキンマンにいじめられることがわかっている。
人を殺す、その心の傷を・・・そして、死ぬかもしれない、その恐怖を一人背負ってバイキンマンと戦うんだと思う。
中にはバイキンマンと話し合えばいいじゃないかという人もいるかもしれない。
でも、バイキンマンは、毎度毎度いたずらしに町にやってくる。
アンパンマンもバイキンマンと話し合えば、戦うことはないのに・・・と
NHKの番組の中でも、やなせさんは絶対的な正義はないと言っていた。
まさしく、そのとおりなんだと思う。
アンパンマンでの戦いは、バイキンマンの正義とアンパンマンの正義のぶつかり合いなんだと思う。
この正義と正義がぶつかるところで、戦争が起こっているんだろう。
正義を振りかざしているものに、話し合いってできるものなんだろうか?
できるとすると、私が悪ぅございましたと卑下しながら妥協点を探すことぐらいじゃないかな・・・
自衛隊の組織が狂ったとしても、自衛隊隊員さん一人一人はアンパンマンであってほしい。
ないことを願うが、もし、最悪、戦争が起こったとき、自衛隊隊員さんはアンパンマンマーチを口ずさみながら、勇気を持って現地に向かってほしい。
町の人たちである僕たちは、アンパンマンの世界同様、彼らを誇りを持って送り出すことができるようであってほしい。
僕個人の願望です。
ジャパンベストレスキュー水の救急車 の知名度にはかなわないな
※父がもらってきた名刺にマンションタイプ1=2667円って書いてた。
父「やすいですね。今、WiMAXで月々4480円だし、よく途切れるんですよ。」
店「オプションも付けて契約してくれれば50000円キャッシュバックです!」
3か月後、月々の料金が15000円になって困った父から電話がかかってくる。
1039円 wifiパック
計5586円
計5670円
2772円 NTTのBフレッツ料金
計3769円
よく考えてくれよ。電話もリモートサポートもテレビもいらないじゃないか!!BBマルシェは野菜通販だし、全然関係ねーだろ!オンラインストレージ使わねーだろ!お掃除&レスキューって!おい!お父さんの仕事は水道設備の保守でしょ!!!
☆そういうわけで、ヤマダ電機でフレッツ申し込むと月々の支払いが15025円になることがあるよ☆
☆Wi-Fiパックを申し込んでウイルス対策も2つ申し込んでるのに、申し込みの時にバッファローのWi-Fiルーターとノートンまで購入してしまったらしいよ☆
解約はヤフーが5250円。NTTは工事料金20000円くらいを一括支払い。2年割りの違約金もかかるらしい。
結局ヤフーは違約金を払ってすべて解約。NTTはBフレッツ(2772円)のみ継続。プロバイダはBBエキサイト(月々525円)に変更した。ひかりTVは接続して登録してからでないと解約できない、今月も無料にするので使って見てほしいと言われたが解約した。
お父さんには、オプション利用料 俺 300円を契約してもらった。(特別料金だよ)
★★★2年後の今日に解約するとして、それまでに実際に払う料金を見積もりをしてみてください!★★★
☆キャッシュバックは上手く利用して無料期間内にちゃんと解約するとちょっと安くなるよ☆
NTTは東日本です。「思いっきり割り」「2年割り」「フレッツメンバーズクラブ」も少しややこしいです。
__ __ __ __ __
追記:たくさんブックマークがついててびっくりしました。少し補足します。
これは、フレッツメンバーズクラブに登録してマンスリーポイント(1年目は毎月100ポイント)を使ってはじめて実現できる料金みたいです。
「フレッツメンバーズクラブ(105円値引き 要、会員登録 値引きのための操作あり)」
で、やっと2667円です。
割引前の定価表示をわかりやすくしてもらいたいです。
鋭いです!黒幕は俺かもしれません( *´艸`)
__ __ __ __ __
ヤマダ電機の店員さんは、ちゃんと説明してくれたようです。父からは「説明を受けました」という署名も、もらっているそうです。キャッシュバック後の無料期間のうちにオプション解約すればヤフーのオプション料金はかからないと説明もしたそうです。
でもね。
「解約を忘れた場合に毎月1万5千円以上かかることを口頭で伝えたか?」→「いいえ、でも契約書面に書いてある。」
「フレッツの定価を口頭で伝えたか?」→「いいえ、でも契約書面に書いてある。」
「このオプションをあなたさんは使ってる?」→「使っていない。」
こんなの店員さんも売りたくないと思うんだけどなぁ。
「上席のものに相談してまいりますので、少々お待ちください」の連発だった。上席さん何やってるの!お父さんもしっかりしなさい!
467 ソーゾー君 [] 2012/04/30(月) 12:06:50 ID:TrdQfTuQO Be:
医者が開発した毒が原因。
段ボールに大量の書類を詰め込んで「捜索してます!」とイメージ操作…
親父を亡くしたガキが入院?「お父さんを返せ…」だとさ…
電力会社を管理していた怪しい法人や組合に家宅捜索したのかね?
地震と津波で物流が分断され取り残された人を見捨てて餓死させまくって
数人救って英雄気取りの警察・レスキュー隊・自衛隊を指揮した副都知事…
「映画化すべき!」と愛人♂の活躍を称賛するホモセックス愛好家のアホ都知事。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/
467 ソーゾー君 [] 2012/04/30(月) 12:06:50 ID:TrdQfTuQO Be:
医者が開発した毒が原因。
段ボールに大量の書類を詰め込んで「捜索してます!」とイメージ操作…
親父を亡くしたガキが入院?「お父さんを返せ…」だとさ…
電力会社を管理していた怪しい法人や組合に家宅捜索したのかね?
地震と津波で物流が分断され取り残された人を見捨てて餓死させまくって
数人救って英雄気取りの警察・レスキュー隊・自衛隊を指揮した副都知事…
「映画化すべき!」と愛人♂の活躍を称賛するホモセックス愛好家のアホ都知事。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/
467 ソーゾー君 [] 2012/04/30(月) 12:06:50 ID:TrdQfTuQO Be:
医者が開発した毒が原因。
段ボールに大量の書類を詰め込んで「捜索してます!」とイメージ操作…
親父を亡くしたガキが入院?「お父さんを返せ…」だとさ…
電力会社を管理していた怪しい法人や組合に家宅捜索したのかね?
地震と津波で物流が分断され取り残された人を見捨てて餓死させまくって
数人救って英雄気取りの警察・レスキュー隊・自衛隊を指揮した副都知事…
「映画化すべき!」と愛人♂の活躍を称賛するホモセックス愛好家のアホ都知事。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/
私は昨年の11月に、近所の川に架かる橋から飛び降りました。死ぬつもりでした。
家を飛び出して、母が追いかけてきました。現実から逃げたい一心で欄干を乗り越えました。橋から落ちてゆく間、不思議な体験をしました。心の底から"開放感"を感じました。
もう、何物からも邪魔されない、という。とても清々しく、いっそ「気持ちいい」という感覚でした。さほど高くない橋だったのですが、意識はそこで一旦途切れました。私はあの時、一度死んだのだと思います。ですが、すぐに激しい痛みで意識が回復しました。脊椎の粉砕骨折、肋骨、鎖骨の骨折、肺がつぶれる。
病院で10時間に及ぶ手術をしました。手術で、輸血を受けたそうです。
もうあの日から9ヶ月。私はずいぶん変わりました。「自分一人の身体じゃない」という意識が強くなりました。以前はリストカットは常習者でしたが、あの日からは、本当につらいときは頭をよぎることはあります。でも、切りたくありません。夜に川から引き揚げてくれたレスキュー隊員さん。病院の整形外科、精神科、循環器内科の先生方、看護師の皆さん、理学・作業療法士の先生方。特に、CICUには1ヶ月以上いたので、不安なときに話をしてくれて、心強かったです。
今、私は自分の足で歩いています。自分の手でこれを書いています。顔にもほとんど痕は残っていません。週末に病院に行って、折れた鎖骨を支えているプレートを外す手術をいつにするか決めます。
約束はできませんが、私はもう自殺はしないと思います。あれだけの人たちに助けられ支えられ、守ってもらった"命"。
片手の指の数くらいは未遂で危ない橋を渡りました。自分の命なんて、ちっぽけで軽いものだと思っていました。
でも、違います。命を創るには、一人じゃ足りないんです。父親と母親が揃わないとだめなんです。皆、産まれた時から一人じゃないんです。時にはそれが鬱陶しく、「何で頼んでないのに産んだんだ」と、私も親に言いました。でも、それも成長していくには必要な発言だったのかもしれません。
"生きる"とは、感謝の上に成り立っているものだと思います。"生かされている"のです。
私もこれから先の人生で、「生きるか、死ぬか」と悩むことがあるかもしれません。
私はひとりじゃない。
ツイートもブログも、メールもない。電話だって出来ない。電気・ガソリン・ガスが失われ、津波に傷つけられた街では本当に昔からのやり方で物事が行われている -ペンと紙で。
コンピュータやウェブサイト、3G携帯はもちろん、20世紀の印刷出版は利用できずに、街唯一の新聞である石巻日日新聞では記事が大きな紙に黒のフェルトペンで書かれている。
現代のメディアとは思えないが、この方法は機能している。
「このような悲劇に苦しむ人々は食べ物や水、そして情報も必要としています」夕刊紙である石巻日日新聞にて主筆を務めるタケウチヒロユキは語った。「これまではテレビとインターネットでニュースに触れていた。しかし灯りも電気もなくなって、彼らにはうちの新聞紙かないんです」
近年のアラブ世界をまたがる政治的醸成が新しいメディアの持つ力を華々しく告げる一方、世界で最も「つながった」国である日本での悲劇は、時計の針を逆転させた。少なくともここ何日かは、印刷/手書きのことばが優位となった。
執筆・編集が終わると、タケウチと同僚が手作業で複製し、史上最悪の地震とそれに続いた死の津波に生き残った人々がいる避難所へと配られる事になる。
「情報を手に入れるのに必死なんです」津波が自宅の一階に押し寄せて以来、10日間オフィスで寝泊まりを続けるタケウチは語った。
16万都市の1/3に電気教kっゆうが再開され、タケウチの新聞はペンを置き、印刷を始めた。ネットはまだ使えない。月曜の一面では「奇跡の救出劇」、80才女性と16才の孫息子が瓦解した石巻の自宅から日曜日に救出された物語を讃えていた。
海岸線を仙台に下ると、かつて賑やかだった100万都市では、デジタルによる意見は停止している。「こんな状況では、紙(媒体)の力は他(のメディア)にはない」街を代表する新聞である河北新報の社長でありオーナーでもある一力雅彦は語った。ほとんどの店が閉じた今では、ラジオの電池を買う事ができない。
この地域の電気供給が崩壊し、仙台のコンピュータやテレビはシャットダウンされたが、一力が持つ仙台の新聞はその間も発行されている。津波の日には1ページの号外さえ届けている。
情報に飢える住民は、(一力)社主に「生活を守るために私たちの新聞に頼っている」と話した。大災害についてだけでなく、毎日の生活に関わる情報が提供される。どの店に食べ物があって、どの道で瓦礫が除去されたか、どの銀行に現金があって、有名酒販チェーンのどの店が再開したかなどについてだ。
石巻は仙台よりも小さく、被害は長引いており、日日新聞は津波の後の2日間は発行できなかった。6人いる記者のうちの1人は、仕事から戻る途中に車にのったまま飲み込まれた。彼は生き残り、数日を病院で過ごして現場に戻った。
主筆であるタケウチは、3月11日午後2時46分に地震に襲われた時にはオフィスにいた。その日の入稿を終え、紙面では1面には石巻の「隠れた魅力」についての記事が飾られ、役所の担当者は病院やその他の施設を改善する約束をしていた。
地震は2階建ての新聞社社屋を揺さぶり、激しさのあまり蛍光灯は天井~落ち、ファイルキャビネットは床の上で横滑りした。
最初の手書き版は3月13日に準備され、「可能な限り正確な情報を得られるよう努める」誓いが特集された。日本中から集められたレスキュー隊の到着と被災地域の広がりが伝えられた。石巻では海辺の家屋やビジネスはぶち壊された。3万を超える人々が避難所に逃げ込んだ。「今や被害の全貌が明らかになった」という見出しがつけられた。
明くる日、身元が確認された34地域の人々の名前と年齢が載せられた。絶望の兆候でもある、スーパーでの略奪も伝えられた。
しかし紙面では、打ちのめされた人々の気持ちに拍車をかけるようなものよりも、明るい話題が努めて選ばれたとタケウチは言う。「希望につながる事を探しています。これが私たちの考え方です」 「数が増えるばかり」という理由で、死者名の掲載は取りやめとなった。1300以上の遺体が確認されている。
「こうした努力が電子メディアの不在を補う上で役立っている。電気や水、十分ではない食べ物での生活はうんざりするくらい大変です」石巻の25才になる、イシカワユタカは言う。「でも最悪なのは情報がない事です」メールやネットサーフィンが恋しいと彼は語った。
いろいろな事情で飼育放棄されたペットというのは実に沢山いますが、実は、そういうペットの
レスキューをやってるボランティア団体というのも各地に結構あります。
御説明のような事情であれば、レスキュー対象であると認知してくれる団体はありそうな気が
します。彼らはペットレスキューを第一目的としているので、飼育主として信頼できなさそうな
交通費等の負担については団体や事情によっていろいろだと思います。
お住まいの場所がわかりませんので、ご自分で検索してみて、そういう活動をしている人達に
連絡をとってみては如何でしょうか。
実は、我が家の飼い猫も、そのような団体から「預かって」いる猫です。(実質的には譲り受けた