あまりにも酷いので、ここに
東浩紀とか言う人の周りには、馬鹿しか居ないのかも知れないが。
これを読んだ人が駆け下りたりしたら、被害が拡大するの分かってるのか?
http://eco.nikkeibp.co.jp/em/column/toichi/13/02.shtml
現在の日本の主要ウラン輸入国はオーストラリア(輸入量の33%)、カナダ(27%)、ナミビア(16%)、ニジェール(13%)の4カ国で輸入量の9割を占める。
そんなんつぶやかれても、状況がわからない外野は同意も批判もできないよ。
A「この問題を解決するためには、○○を△△するように働きかけると良いと思う」
元増田「考えが浅いな(キリッ」
A「なんだよ。文句言うなら対案を示せよ」
元増田「対案厨乙!」
こんな感じ?
という話は出た?既出?
火力発電所を増やせば原発はいらないんじゃないかという話についてはまあ否定出来ないと思う。
ただそれは日本の生命線を原油のみに依存するという形でもある。
今でこそ原子力の危険性について取りざたされてるけど、それ以前に言われてたのは原油の安定供給への危機感。
それは枯渇の問題もあるし、政治的な問題もある。
日本のエネルギーを原油に全て委ねるとしたら中東問題も今までのような悠長なスタンスはとれないだろう。
節電の話になると、真っ先にコンビニの深夜営業とパチンコ屋が槍玉にあがる。
http://www.jp.horiba.com/sensorium/eu/eu18/eu18_1.htm
↑によると、コンビニで消費している電力の半分は冷蔵・冷凍設備で、
ピーク時の電力消費を抑えることにもならない。
http://www.eccj.or.jp/succase/08/b/pdf/25kan20.pdf
電力の半分以上を空調設備に使っている。
深夜にしか買い物に行けない人にとっては、コンビニの深夜営業は欠かせないものだ。
パチンコ屋の営業をやめたら、パチンコ業界に働いてる人はみんな失業するだろう。
経営者の在日朝鮮人だけじゃなく、液晶屋もプログラマーも煽りを受けるし、アニメ・ゲーム業界も影響がある。
そういう「深夜のコンビニ」や「パチンコ屋」を必要とする人達に対する想像力を欠いてるのだろうか。
自分と異なる人達がどういう状況に置かれても、自分の生活さえ今まで通り回っていれば構わない、
というエゴイズムをむき出しにしてるだけじゃないのか。
東日本沖で起きた巨大地震について http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/etc/EastJM9.html
地震が発生したときの地震学者は《大変なことが起きてしまいました。》と勿論思うけど、その一方で「地震キター!これで論文5〜6本書けるから、私の学会での地位も安泰だ」とも思ってしまう者です。
「東日本沖で起きた巨大地震について」書かれた小山先生も《大変なことが起きてしまいました。》と思う一方で、「チキショー!これが富士山大爆発だったら俺のテリトリーだったのにい」とほんの少し、本当にほんの少しだけど、思ってしまったでしょう。
Amazonで「小山真人」と入力して検索すると解りますが、小山先生は以下の本を書いたり監修されたりしてます。
先生の次の本は「《東日本全体の地殻歪が再配列・不安定化》している。それに伴って富士山の活動も活発化してるため、いつ噴火してもおかしくないのだ」という内容になります。
その本の狙いの一つは「富士山噴火が近いので、観測・研究のために予算を投じるべきだ。ついては私、小山真人に研究予算をつけなさい」というものです。予算の確保も研究者の重要な仕事の一つであり、また、自己主張が強くなくては学者としてやっていけないので、このことは恥じることでも何でもありません。
を見てみましょう。
画面を下の方にスクロールしていって論文タイトルを眺めると、小山先生の専門は「火山」であることが解ります。先生の専門である「火山」と、先生が「東日本沖で起きた巨大地震について」で論じられた「地震」の間には以下の大きな違いがあります
科学的な観測が可能になってからは噴火の記録がない富士山は「いくつかの火山」には含まれません。2000年に噴火した際に素早い避難で被害を抑えた有珠山などが噴火予知しやすい火山になります。
地震予知が不可能なのは、地震学者が怠慢なためではありません。日本全国をカバーする満足な観測網がなく、地震発生時のデータが取れないためです。それでも「ある地域での大地震は周期的に発生する」という仮説のもとに粗い精度で「200年〜300年周期で大地震が発生する」と言っているのです。
このロングスパンの周期を突き止めるために、小山先生のもう一つの専門である「歴史地震」が用いられています。古文書に記された地震に関する文書を調べ「吉原では灯籠が倒れたという記述があるから、震度は6ぐらいだな」と見当をつける研究です。ひたすら古文書にあたり、いつの地震のものかはっきりしない記述の年代の見当をつけ、震度の見当をつけ、震源地を探っていくという考古学に近いものが「歴史地震」です。
地震予知の現在のレベルは「地震は、いつか、どこかで、必ず起こる」というものです。にもかかわらず《歪の再配列にともなう地震や火山噴火が、今後数年かけて東日本全体で起きていくことになるでしょう。》と断言できる理由が解りません。
今回うごいた太平洋プレートに沿った部分に歪みが生じているというのなら解ります。《実際にインドネシアでは》と小山先生が挙げている事例は、同じプレート境界で地震が続くことを示しています。なのでこの文章の主旨が「太平洋プレートの境界で、今回うごいていない、十勝沖・根室沖、伊豆諸島沖で大規模地震が続く可能性がある」なら理解できます。
もし歪みが異なるプレートもしくは内陸の活断層に生じると言いたいのであれば、同じプレート境界での地震を挙げるのではなく、内陸部で大地震が発生している事実、もしくは隣接する異なるプレートの境界で大地震が発生している事実を挙げなくてはなりません。
それでも地震や火山噴火が東日本全体で起きるという理由は何なのでしょう。現在の地震学で、そのような知見が得られるのでしょうか。
もし《歪みの再配列のために地震・火山活動が起こる》と言いきれるだけの知見があるなら、どこに歪みが生じていて、それがいつ頃解放されるのか言えるのではないでしょうか。「どこで解消されるか解らないけど、とにかく東日本のどこか」というのは、一体なんの根拠があって断定できるのでしょう。
小山先生が挙げられたプレート図を見れば解りますが、日本はいくつかのプレートがぶつかる地点に位置しており、大地震が起こりやすい国です。
しかしこれは、昨日今日そうなった訳ではなく、ましてや東北地方太平洋沖地震が発生してそうなった訳ではなく、日本列島が形成された頃からずっとそうなのです。東海大地震については、何十年も前から「いつ起きてもおかしくない」と言われ、東南海・南海地震についても警戒が続いています。
なので東北地方太平洋沖地震によって《地学的に平和で安定した時代は終わりを告げた》わけではなく、日本に住む以上は「地震は、いつか、どこかで、必ず起こる」状態にあります。
地震に対して備えるのであれば、地震のない日が何年も続いても、日々備えを怠らないことが重要となるでしょう。大地震が起きたからと言って慌ててパン・カップラーメン、トイレットペーパーを買い占めるのとは、異なる態度が重要です。
小山先生のテーマに「防災」もあります。事実を淡々と述べて行く中で防災意識が高まらず、歯がゆい思いをされたこともあるのではないでしょうか。そうした思いが、今回のようなある種「煽っている」文章を書かせているのではと思います。
ということです。
まだわかんないの?
危険だと分かっていながらそういう職についてんでしょ?
性風俗の仕事してビッチって呼ぶなって言ってるようなもんだよ。ばかじゃないの?
あと、君らの親がどれだけ廃業しようが関係ないでしょ。むしろありがたいよ反対派にとっちゃね。
これは戦争なんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20110322221802 を書いたけど、減価償却ではなく単純に数式を使えばよかったと思ったので、数式を使って説明してみた。
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原発推進派によれば発電量1単位あたりの発電コストは原子力発電が最も低いとされ、原発推進の根拠となっている。しかし「福島原発は施設を更新していれば大丈夫だった」という主張はこれと矛盾し、原発推進の根拠をなくしてしまう。発電量1単位あたりの発電コストは多分次のような式で計算しているはずである。
発電のための総コスト / 発電量
発電のための総コストは理屈では発電量に従って増える部分と発電量に増えない部分に分けることができる。前者を「発電のための変動コスト」、後者を「発電のための固定コスト」とする。議論を簡単にするため「発電のための変動コスト」は発電量に正比例すると仮定し、係数をaとする。すると発電量1単位あたりの発電コストは次の式に変形できる。
a + 発電のための固定コスト / 発電量
発電量は「1年あたりの発電量 * 施設の使用期間」に置き換えることができる。従って上記の式も
a + 発電のための固定コスト / (1年あたりの発電量 * 施設の使用期間)
となる。この式からわかるように施設の使用期間を長く設定することで発電量1単位あたりの発電コストを低くすることができる。そして施設の使用期間を長く設定することによる発電量1単位あたりの発電コストの低下が大きいのは発電のための固定コストが大きいものである。http://www.nuketext.org/yasui_cost.html によれば、原子力発電は初期投資が大きく固定コストが高いと考えられ、使用期間を長くすることによる発電量1単位あたりの発電コストの低下の「恩恵」を最も享受できる。そのため使用期間が15年くらいと設定すると、原子力発電は発電量1単位あたりの発電コストでLNG火力発電等に負けるのに、使用期間を40年と設定するともっとも効率的な発電方法となるのである。「福島原発は施設を更新していれば大丈夫だった」という主張は一見原発を支持する主張である。しかしその主張は「施設の使用期間を短くする」ことも含まれ、結果原発を支持する根拠をなくしてしまう主張でもあり、矛盾しているのだ。
みんな、やっぱりすごく不安なんだなー、と思った。
「福島原発は施設を更新していれば大丈夫だった」という主張は一見原発を支持する主張である。しかし「施設を更新する」ということは使用期間を短くすることを意味するので、原発を支持する根拠をなくしてしまう主張でもあるのだ。このように「福島原発は施設を更新していれば大丈夫だった」という主張は矛盾しているのである。
私が中学・高校のころの心理状態で被災地の避難所にいたとして、被災の当事者ながらも避難所の作業を率先してやっていたとする。それが誰か大人にとっては中高生の献身的で感動的な活動に見えたとする。
しかし、私は思いやりと利他的精神だけでその行動をとってはいないだろう。簡単に言うとちょっとしたヒーローになりたくてそれをやっている。しかも授業もなくほかにやることも行くところもなくなったのだから尚更だ。もし肉親や帰る家を失っていたとしたら、それこそ体を動かしたくなるだろう。きっといろいろは考えられないと思われるからである。