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2021-11-27

第5章 ニートマンセー

前回 https://anond.hatelabo.jp/20211125221032

人生の行く先は、2chのトップページに置かれていた壺の色だった。

大学に通い出した私が思い知ったことが4つある。

1 オタク教師以外とのコミュニケーションの仕方がもはや分からない

2 プログラミングはやはり自分には向いていない

3 とにかく就活の準備をしなければならない

4 就活の準備をするためにはサークルバイト勉強を頑張らなければいけない

それは致命傷じみたコンボとして繋がった。

開幕小足が入ったらそのまま10割のクソゲー

というほどではない。

ただ反撃の機会がないまま画面端で起き攻めを喰らい続け負け続けて4ラウンドを使い切った形である

何故、勉強ぐらいは頑張れなかったのか。

簡単である

「こいつらには流石に勝てる。だって俺の通ってた学校は仮にも中高一環で割とみんないい大学言ってるんだぜ?」

なんて思って見くびっていたからだ。

実際はゲームオナニーしかしてない7年間だった。

勉強なんてほとんど出来ない。

必死問題文をゲーム的に読み込んで4択を2択にまで減らして運ゲーを繰り返していただけだ。

クイズゲームの要領で受験をやって、それで入った滑り止めだ。

まりは、ゲーム的に問題を解く能力が低い代わりに自分より基礎学力が高いやつなんてすでに腐るほどいる中で舐めていたのだ。

勉強で結果出すからバイトしねーわ。

サークル時間無駄っしょ。

でも俺、地頭勉強できるから勉強はほどほどで。

意味不明勘違いの中で大学時代は浪費された。

就活が始まると、手持ちの弾の無さに愕然とした。

ソレ以上に、振り返ってみると成績が思ったより悪いことに驚いた。

なんだか全てが嫌になった。

そして、大学に行かなくなった。

滑り込み単位をかき集めた。

無気力課題を提出しては助教から「いっそ丸写しぐらいしたらいいのに」とたしなめられた。

ボロボロ卒論発表。

脳が記憶ロックをしていたので何を研究していたのが思い出せない。

しゅごい……トラウマって本当にありゅんら……。

モチのロンで、就活は失敗したままで大学卒業した。

就活浪人である

ひとまず、現実から逃げるためにゲームネットをして過ごした。

半年ほどがたち、親と喧嘩をし、流石に不味いなと思って

「実は公務員試験勉強してたんだよ!」

といきなり口走った。

実際に願書は出していた。

もちろん勉強はしていないが、願書だけだしていた。

なんで公務員なのか。

楽そうだと思ったからだ。

流石に親の目がキツいので公務員試験勉強が始まった。

1年目、当然落ちる。

ただ手応えはあった。

公務員試験理系選択すれば実はかなり楽勝だった。

ぶっちゃけ理系勉強なんて大学でもあんまやっていない。

プログラミングの基礎教養としてちょっと数学をしたぐらいで、ぶっちゃけ文系に近い。

だがそんなの関係ねえ。

パソコン理系っぽいだろ?

まあ暗記苦手だから社会科勉強し直すよりは科学のが楽なのよね。

小学校の頃は得意科目だ(と思)ったし。

問題の中には中学受験の頃にやった算数パズルもあったし、簡単プログラミングもあった。

中学受験組でプログラマー崩れの自分には何げに色々と有利だった。

1年目に落ちたあとは猛勉強のためにファミレスとかで勉強を始めたが、だんだんこれは行けるなと思ってこっそりゲーセンに通ったり古本屋時間を潰したりするようになった。

親が見ている時間だけ頑張るくせがついて、親が帰ってくる前にオナニーして寝て夕方だけ勉強して夜ふかしする生活にもなってきた。

うっすら死を感じた。

これは駄目なパターン

失敗することのメリットに「これ同じ失敗するやつだな?」と気付けるようになることがある。

そこでなんとなく引っ張られてしま不思議な引力があるが、そのとき自分はソレを振り切れていた。

今思うと凄いな。

受験直前の3ヶ月ぐらいは頑張って普通生活をし、普通勉強をしていたので試験は受かった。

面接は「大学時代は自堕落だったけどここ最近めっちゃ健康的な生活をするようになって~~~」とベラベラ喋って心を入れ替えた感をアピールしてなんとか一次は通った。

二次で落ちた。

一次で通ったことに自信をつけたのか、適当公共事業関係がありそうな職場面接に行った。

筆記テストが出されたが、公務員試験をやったばかりなので簡単に解けた。

面接では「公務員試験落ちちゃったけどやっぱ人の役に立ちたくて」とどこまで本音なのか、そもそも嘘だとして言って得があるのかもわからないことをずっと喋っていた。

でも私にはもうそしかない。

そもそも最初から無い。

プログラマーになることを諦めるのが遅かったし、そうじゃなかった可能性に対する準備が足りてないし、そもそも人生でまともに頑張った回数が少なすぎる。

友達も少なすぎる。

あっさりだった。

私は、なんか公共事業っぽいことをしてるっぽい会社に入ることになった。

次回 https://anond.hatelabo.jp/20211127202908

2021-11-02

anond:20211102205530

立憲は共産と組んだが枝野が辞め大衆が求めていた中道左派に戻ると予想できる

この予想だけは外れると断言できる

たとえば枝野小選挙区ではギリギリ勝利だった

まり野党共闘のおかげで滑り込み当選したようなもので、枝野はもう共産党に頭が上がらなくなってしまった

そんな議員が今の立民にはゴロゴロいる

あと、全トを始めとする連合系労組との関係修復も望み薄

不倶戴天の敵の共産党にちょっと浮気したけどやっぱり元サヤでお願いします」と言われて連合系労組はいはいと納得するとは到底思えんし、そもそも支持母体に頭を下げて詫びを入れるような文化が今の立民には無い

立民は今後ますます共産依存を深めていくよ

野党共闘本来目的を達成した共産党は高笑いが止まらんだろうな

2021-09-26

心を燃やしてないのかも

昨日の鬼滅の映画観て

煉獄最後の言葉が50代のおっさんの心にも刺さった

以下抜粋

「己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと、心を燃やせ、歯を喰いしばって前を向け」

「君が足を止めて蹲っても時間の流れは止まってくれない 共に寄り添って悲しんではくれない」

思い返せばいつでも逃げてきた

学生時代勉強しなくても入れる高校入学

就職たまたま受けたとこに滑り込みで受かって

別にやりたくもない楽しくもない仕事を30年

かといって転職する勇気はなく続けてきた

結婚もその時なんとなく付き合ってた人に結婚を迫られたからしただけ、本当に好きな人は他にいたのに...

なぜ打ちのめされた時に、閉じこもって周りのせいばかりにしてきたのだろう

前を向き少しでも努力すればよかった

自分の脚で立って前を向き歩き出す事が何故出来なかったのだろうか

それは自分が弱かったせいだ

だが今は違う

誰も俺を助けてはくれない

大人になる程、責任は増える

それが人生だ、勇気、度胸、覚悟持って生きていこうと思う

2021-09-03

anond:20210903094615

40代って氷河期世代だと思うけど、もしくはバブル崩壊直前の滑り込みかな

そういう時に自分能力以上の会社に入ってダラダラ20年以上給料泥棒してきたんなら、今更変える訳無いだろうな

2021-08-03

弊社の職域接種

クソ真面目になんとか最低人数を確保しようと出入りの業者まで巻き込んで名簿作り(残業発生)

そのため申し込みが遅れ、河野大臣制限コメントを出した後にようやく滑り込み

政府から連絡が来て、ワクチン確保の見通しが立たないとのこと

「8月半ばに次の連絡をするけど、お前の会社は〇番目な」と意味不明の連絡

そうこうしているうちに自治体の接種券配布が始まる←今ここ

最低人数確保のために申し込んだけど、自治体の方が早いんならそっちにしよう。

色々言われたらワクハラだってコンプライアンス窓口に言ってやろ。

2021-05-28

母親ワクチン打った

75になったばかりで滑り込み対象者だった。

申し込み開始の朝にパソコンの前に貼り付いて重い画面をリロードし続けた甲斐もあって、27日の朝一番摂取の予約ができた。

血圧とか肥満とか、コロナになったら重症リスクが高いと思っていたから、すんなりと打ってくれると言われたとき安心した。

もちろん最初から打つつもりだったわけではない。

テレビに踊らされて、コロナになったほうがよほどリスクが高いというのに小さな副反応を気にしていた。

どうせそんなことだろうと、本人の話は半分くらいにして、ところでワクチンを打っても感染は減らないらしいという話をした。

要するに自分リスクを背負いたくないから打ちたくないだけで、他人が打ち終わればコロナが消えて元通りになると思っていたのだ。

ところがワクチンを打ったところで感染が止まるわけではない。

無症状のままウィルスを持ち歩き、自分は症状がでないままに人にうつすようになる。

から、突然自分だけ発症して、誰にもらったかもわからないままに重症化する危険性がある。

そんな話をしたら割とあっさりと観念してくれた。

母親は孫に会いたいという。しかし、小学生の子どもたちはいつ無症状感染していてもおかしくない。

毒ガス感知の小鳥のように、自分センサー代わりになるしか気づく方法はないのだ。

幸いながら今の所、発熱などの症状が出た試しはないが、それでも学校先生や通っている塾の講師が陽性だったという話は絶えず聞こえてくる状況だ。

それでもしつこく連れてこいというのだから最後自分の選んだ死に様だと連れて行くようにはしていたが、その心配もようやく終わることができる。

わかっているよ。それでも連れて行かないのが子ども責任なのだということは。

しかし母がいうには、孫に会えないならば死んだも同然だと、目をうるませながら本気のトーンで詰めてくるのだ。

それで死なれでもすれば寝覚めが悪くなることはわかりきっているが、それでも死に方くらいは選ばしてやりたいという気持ちが勝ったのだ。

そんな綱渡り状態もやっと終わる。

母は孫に会う以外、人よりもよほど厳しく感染対策をしている。

これも早い段階で、何をしようと人に会わないのが一番の対策だと口を酸っぱく言い続けてきたからだ。

旅行観劇趣味だった母から楽しみを奪い続ける生活がようやく終わろうとしている。

オリンピックなんてどうでもいい。とにかく人々の日常が早く取り戻されることを願う。

2021-04-08

anond:20210408193215

そういうのとか一家総出で農作業してた頃に滑り込みでGGI測れば良かったのにな。

経済分野だけは女性の良好な進出数字で出たかもしれんのに。

2021-03-22

海外大学院に行って挫折する話4

海外には都合3年いた。その間、向こうの学生ルームシェアをしたりもしたけど、結局打ち解けることができず、友人と呼べる存在を作ることができなかった。日本人が何人か住んでおり、彼らと時折り食事をしたりした。

それなりに歳を食っていたので、向こうで研究生活を始めようとした時には多少のスキル知識を持っていたのだが、努力できないという資質によって、あっという間に周囲の学部生にも追い抜かれ、かといって死にものぐるいの努力をすることもできず、成長をすることができずに終わってしまった。最後に同地を離れる時には、やはり、日本を離れた時と同じように逃げ出すようにして戻ってきた。国や学問領域によって違うのだろうが、PhD未満の学生に対するお情けのような学位があり、それを貰って帰ってきた。

日本海外での生活で二十代を失ってしまった形だが、自分人生はこんなもんなんだろうという諦めがついたのも事実だ。学部の時には少しばかりいい成績であったことで勘違いし、自分が何ものにでもなれるような気でいた。実際にそこで着実に努力をしていれば、目指すところにたどり着けただろうとも思う。とはいえ、それができなかったことは素直に受け止めている。幸い、帰国後に滑り込みのような形で一般企業就職し、過去研究分野とは離れたところで普通に暮らすことができている。翌年の自分地位を憂うことなく、また、毎月給料が振り込まれ生活というのは本当に精神衛生にとってよいものだ。

大学院をやめてしばらくは当時のことから目を背けていたが、最近は少しずつ冷静に振り返ることもできるようになった。日本にいた頃の同僚の名前研究者の名前として見かけても、彼ら彼女らの歩みを想像して受け止められる程度にはなった。先日、コロナになる前だが、日本に戻ってから結婚して生まれた息子を連れて大学に行き、キャンパスを歩いて学食定食を食べてきた。研究室に挨拶に行けるほどの心の整理はできていないが、こんな人生かと今は思っている。

https://anond.hatelabo.jp/20210320225100

2021-03-14

もしかして増田って奪い放題なのか?

これは伸びる!と思った奴にブクマして、「書きました」とだけ書いたら、自分が書いたみたいになるじゃん

・いい増田を書いた風を装って尊敬を集められる

・いい増田を「セルクマするようなカスが書いたゴミ」に貶められる

この2方向での運用が考えられる

とくに後者増田文学への攻撃力が高そうだ

余韻ある文体で締めてる増田文学を見つけ次第、ファーストサードブクマくらいに滑り込み、「書きました」あるいは無言でセルクマタグをつける

もう勝ったようなもんだ

わざわざ追記して「コイツが書いたんじゃない!」というと、増田文学の風情はぶち壊し

反応がなかったらセルクマはrealに変わり、完全に増田を"奪え"る

消されたら、それはそれで勝ちだ

無敵すぎるじゃん

今度やってみようかな

でも、ブクマカとして終わる感じがするんだよな

それ用の捨て垢作ろうかな…

2021-02-27

楽天アンリミ 申し込んだぴよ🐤

300万人以内に何とか滑り込みセーフぴよ🐤

ウマ娘盆栽としては面白いけどゲームとしてはしょっぱい

ゲーム性

・得意なコースを作って特化させる(芝S とか)

・得意な戦術を作って特化させる(逃げ とか)

・強いカードを引く or 借りる

の3点に集約される。

プレイヤースキルが入り込む余地は薄く

・現段階の手持ちにおける育成ウマ選択

伏兵など一部の特殊スキルを利用した特化戦術による滑り込み画策

ぐらい。

漠然と育成して、

漠然レースに出し、

アイテムを使って勝つまでリトライをするだけになるのが基本。

勝敗に乱高下はあるものの育成の数値が代々伸びていくので盆栽としては悪くない。

ゲーム作業ビジュアルを求める人にはおすすめ

反面、勝利を目指して戦略を組み立てるという要素はか細い。

ゲームに挑戦や競技性を求める人からすると物足りないだろう。

話題ゲームイナゴしてゲームとしての底が見えたら満足して帰る人なら◎。

スマホゲームRPGが元々好きな人でじっくりやれる新しい移住先として検討するなら○。

競馬ゲームの新作をプレイしたい人や、競馬話題で盛り上がりたい人は△。

スマホゲームが合わない人、作業ゲーや盆栽ゲーが苦手な人にはX。

2021-02-23

フェミニズム保守思想鬱病の発覚を遅らせる危険がある

攻撃的な思想陰謀論めいた妄想世界被害者妄想……。

これらは心の病のサインの一部だが、フェミニズム保守思想はこれらを「そういう思想運動である」と誤魔化してしま効果を持つ。

たとえばだが、低賃金と過疲過労で弱り、世界絶望いてうつ状態になりかけている人間フェミニズム保守思想は音もなく滑り込み自分が生きづらい原因は男性特権だったり、在日特権のせいだ!と誤った怒りの矛先を与えてしまう。誤った矛先ばかり見て、鬱屈とした気分をもたらす真の原因、たとえば過労だったり低賃金だったりというものに向き合うことを難しくする。

2021-01-01

満員電車も悪くない

満員電車に乗ってたら若いギャルが走ってきて滑り込み乗車。

ワイの斜め後ろでハァハァ

もろワイの耳に吐息ハァハァと吹きかかる。

おっさんだったらぶちのめしてる。

2020-12-29

医療崩壊間近になってくるとコロナ発症早い者勝ちって感じするわ

もうこのまま市中で指数関数的に感染拡大して完全に医療崩壊してから発症しても自宅待機でろくな診察も治療も受けられなくなるわけじゃん

もちろん比較感染リスクに曝されない生活送ってる人はそこまで切迫感ないかもしれないけど、職業上どうしても感染リスクに曝される生活送ってる人は、実際感染するなら今が瀬戸際って感じだよな

どうせこの先感染するならっていう予測不可能な前提の上に立った仮定の話ではあるけどさ、どうせ感染するなら完全に医療崩壊する前に滑り込みたいよな

2020-11-03

32歳の絞りカスお姉さんだよ

若い時分に自分から積極的性的消費されて、フェミおばさん達~~wwwって笑ってきた女が32歳になったわけだけですけど、まぁ、なんつーか、相変わらず性的に消費はされてますし、なんかどん詰まり感ありますよね。

一応まぁ滑り込み結婚したんですけど、うっかり離婚なんかしちゃったりね。

そんな訳でまた男女のしょうもない如何わしいフィールド戦にまた出てきちゃったりね。

幸か不幸か容姿がいいのでお誘いはあるが、なんけスーパーわかりやすい穴モテか、ガチガチすぎてちょっと引くなーと完全に二極化してしまった気がする。

ちんちん勢(年下か同い年ぐらいのクズイケメン)からはスキモノのスケベなプチ熟女ヤッホーうちでUber頼む?うち来る?とりあえず寝よ?みたいな感じで、ガチ勢(同い年前後の真面目系フツメン)からはすぐ結婚視野にいれて今度こそ僕と幸せになりましょう オープンテラスでまずはお茶でも~みたい感じ。中間層が全くいない。

やっぱ絞りカスからなんか訳分からん方向行くの?多分私性格クソだから結婚向いてないと思うんだけど、豆腐メンタルからセフレとかも向いてない。なんか絶望感あるな。うんちうんち。

2020-11-02

友達右翼左翼にみごとに分かれた

なかなかイイ大学ウンチ学部滑り込み、それなりに学部横断的に人が集まるサークルに入ったんですよ

周りの人はみんな賢くてさ、話しててスゲーなあと思わされることも多々あったわけだ いろいろ考えてるなあ!ってさ

俺はわりとノンポリというかなにも考えんと生きてるし、高校までは偏差値50前後のところにいたから、政治の話なんてされたらそりゃ尊敬ですよ

ほんで卒業後、その尊敬できる友達のうちの2人がみごとに右翼左翼に分かれた まあTwitter観測してるだけなんだけども、どっちもすげー典型的な感じで面白いんだよなあ

黒瀬深とかをファボり萌えアニメなんかも好む感じの右翼サイドと、津田大介とかをファボりつつヴィーガン生活シフトしていく感じの左翼サイド

どっちも俺としては行きすぎ判定を下したいあたりにいる人の言説を好んで読んでるっぽくて、見ててちょっと怖い

その2人はわりと仲が良くて、2人きりじゃないにせよ旅行に行ったりもしてた仲なんだよな

同じ大学に通い、同じサークルを選び、合宿では同じ釜の飯を食った仲間なわけですよ

それが社会に出たらどっちも特定の側に身を置き、前衛には出ないにしろ思想戦争に参加している

ファイアーエムブレム風花雪月なんだよな

頑張って2人が会うような会をセッティングしようかな

戦闘会話が見られるかもしれない

いや見たくねえなあ

2020-10-15

anond:20201015112900

新卒のまま一つの会社にいれば学歴による収入の差は大きいよ。俺が入ったとこは最終学歴でなれる役職に上限もあったし

転職する時にはそういう大企業での経験ありって事で+評価されて、収入面であまり学歴の差は無くなって行った感じ。

俺の最初の同期は高卒~院卒含めて200人以上いたけど、次の年は大卒以上のみで50人だから、ほんと滑り込み

俺と同い年で、大学行ったせいで氷河期体験した人もいただろうな

anond:20201015111438

え?そうなのか?

俺45だけど、バブル滑り込みのおかげで高卒ではあるが結構会社就職できた。

それ以降何度か転職はしてるけどずっと正社員だし、そこそこは貰えてる。

まあ正社員としては貰えてない方か。

ギリギリ生きてるって感じ。

2020-09-28

追記あり大学院生引きこもり

M2なんですよ。

で、ありがちなことに投げ出して引きこもっていたんですよ

原因について言語化したくなくて考えないでおいたんですけど増田にならできる気がするので書きますね。

言い訳を垂れ流しま



・今年はコロナの影響で3月-5月学校侵入禁止だったんです。だから研究ができないか雑誌会をめっちゃやろうかということで月1本くらいやることになっていたんですね。本来就活が終了した人から大体7月くらいにやるんですけど。

・ついでに自宅で就活をする必要があるではないですか。でもちっとも進まなかったんですよ。自宅なんて寝る用のスペースしか用意していないのに、部屋は妹と同室なのに、自己管理ができないかコアタイムがちがちの厳しめな研究室にしたくらいなのに、説明会も会場に行くのではなく自宅で好きな時間に見るようになってこれまた自己管理必要性が出てきて、そもそも友達がいないし、まあこの辺は言い訳なのですが、ESが出せない出せない。うっかり期日を過ぎた企業が多数で、何とか出せた数社も締め切り数時間前に滑り込みだし、まあそんな感じでグダグダしていたんですよ。それを横目に数少ない友人は内定を決めてくるしね。

とはいえ思ったよりも自己を律せられなかったなと思う。1月から発狂したように就活をしていて体力が無い癖にその体力の無さを認められず把握せず管理せず休みほとんどなく体力的に疲れていたというのもある。コアタイム中に実験をサボって就活をしているというのが快感で、就活をしないのだったら実験をしなくてはならないというのが一応のプレッシャーではあった。これが急に無くなってサボろうと思えば私だけの不利益でサボれてしまうんだもの

・そんな中雑誌会もしなければならないじゃないですか。私そんなに成績いい方じゃないし本当下から数えたほうが早いし有機化学も得意じゃないしでもまあ実験は好きだから研究室来たんですけど手を動かすのは好きだけど得意とは言っていないのですけど、

で、だからこれまで雑誌会は本当に締め切りのめちゃくちゃ前からゆっくりじっくりやるのが好きだったんですよ。でも就活(やっているとは言っていないが)の合間を縫ってやるのが本当に進まなくて。1つ目は締め切り1週間遅れで無理やり仕上げたけど自分の目で見てめちゃくちゃクオリティ低いし。っていうか普通雑誌会が出来たら発表する前に先輩や同僚に見せるのが慣例なんですけどそんな暇もないし。

・というかね、うっかりもうM2なんですよ。つまりね、後輩の面倒を見なければならないということなんですよ。でもここ2年で全然成長していないし本当成長が遅くて。正直私より後輩の方が普通にできるし。だから私に雑誌会の添削を頼んでも大したこと言えないと思うのよね。というか添削本当に苦手なんですよ。普通に頭悪いし本質理解せずにパターン丸暗記の段階だから応用が効かないし。ああ私勉強できなかったんだな分かっていたことじゃないか。でもそうすると5人もいる後輩をもう一人の同期がほとんどすべて面倒を見ることになるじゃないですか。同期はまあ面倒見がいいし要領がいいし文句はめちゃくちゃ言いつつもやれると思うんですけどそれは申し訳ないし何より悔しいじゃないですか。でも私事実後輩の面倒を見るの得意じゃないしできないし苦手なんですよ。こう、できないのにできるふりをして無駄に高圧的に的外れなことをいう典型的な悪い上司ムーヴをしてしまうんです。まあ言い訳なんですけど。

(今考えると結果的に投げ出しているので後輩指導を同期に丸投げしていることになっている。意味がない。)

・で、二つ目のも無理やり仕上げたんですけど本当クオリティ低くて。というか2つくらい難しくて分からないけど調べ方が分からなくて。これを晒して後輩に笑われるのが怖くて。恥ずかしくて。

・で、提出を投げ出してすべての連絡を絶って引きこもったんですね。

就活もちょうどいいから投げ出して。推薦で行く予定だった最終面接も投げ出して(これは本当に、後輩に申し訳ない)、ほかもろもろ投げ出して。

そしていつの間に9月である

引きこもっていた期間の行動や心理については、父が音読してくれたこブログほとんど同じであるどのブログだろう。探せなかった。

追記こちらのブログです。

https://note.com/kazuaki3280/n/n95ea3a34bc06

びっくりするくらい共感してしまった。

私の現状を知った父に引っ張り出され無理やり研究室に行かせられているのが今日である

・まあ今年の、同級生ありがちな就職は厳しそうだろうなというタイミングから諦めもついたというのもある。


この後は思ったことをつらつら書きます


・正直私は今でも退学したい。恥ずかしい思いをする場から逃げ出したい。

ただこうやって当時の心理言語化すると感じるが、本当に視野が狭いし、中島敦の「臆病な~」を送りたい状態だな。今もそうであることは否定しないが。

就活ハイになって、先輩もいなくなって、自分期待値を上げたのが悪かったのかもしれない、敢えて悪者を作るとすれば。

・他の同僚に受け入れられるかという話ですが、みんな意外と優しいので私がヘラヘラしていたら受け入れてはくれるし排斥はしないと思うし、そこはあまり心配はしていないのだけど、普通に受け入れられた後に普通研究を続けた後普通研究とかのコミュニケーションでうまくいかなさそうでそれは心配


・多分留年すると思うんだよね。前期の研究の必修の単位落としたし。

就活どうしよっかな、いっそ別の分野で文系就職をした方がいいのかしら。でも他にとりえもないしコミュ力が無いからこの分野(化学系のメーカー)で就職したいとM1の時に思ったのであって、文系就職の方が苦戦しそうな気がする。

でもなあ、研究室で私がうまくやれていたかというとそんなことないので、きっと雰囲気や求められている資質が同じな化学メーカー研究職に行ってもどうせダメな気がするなぁ。

そこは迷わないと決め打って就活をしてきたんだけど、こうなった現状迷ってしまうな。じゃあ他の分野と言われても何、って感じだしな。どうやって調べたらいいかすら分からないな。就職イベントかに行けばいいのか?インターネット苦手だな。

分かんない。どうやって決めたらいいのかわからない。自分で決めて自分自分責任を取るのが怖い。


M2になってさ、できる人にならなくてはならないという思いはまあめちゃくちゃあったよね。そこは諦めたほうがいいんだろうなと言う思いは持つことにした。

・うちの研究室の5年前くらいの卒業生に似たように3年かけて卒業した先輩がいることは知っている。隣の研究室で私の2つ上の先輩に留年した先輩がいることも知っている。前例がいればいい訳ではないが、まあ事実として少しの安心材料にはなる。

研究についてですが、そもそも個人テーマだし、ちょうど芽が出ないから他のテーマやりたいですと言っていた時期だったし、その意味ではあまり問題は大きくない。

12月学会に行くと言ってしまっていたので、それをどうするかは教授相談しなくてはならない。多分振り込みはしたが申し込み書類は書かずに投げ出したし事前のなんちゃらも何もしていないのでどうしたらいいのか教授相談しなければならない。


教授はい先生だと思う。比較的手厚いし、生徒を気にかけているのは感じるし、私に心配メールを送ってくれていることからもその辺は豆である

ただ優秀な人には嫌われがち。管理したがりだし、厭味ったらしくはあるし。

・ただ事実として毎年のようにドロップアウトする学生が続出しているのは先生が可哀そうだなと思う。私みたいな学生をうっかり取ってしまって本当に申し訳ない。多分お情けで取ってくれたのは知っているし(私の年は偶然定員オーバーしていなかったから落とされなかったが他に人がいたら落としていたとは思う。似たようなことは取るときに言われた。)、本当はた迷惑学生申し訳ない。

母が言っていたが、だとしても取ってしまった以上卒業まで面倒を見るのは仕事なので教授義務らしい。知らないがアメリカならとっくにクビなのではないだろうか。

その辺は日本大学の古くて有り難い部分だと思って権利行使するべきなのだろうか。定期的に頭の中の私が「私にそんな権利ない!やめるべきだやめたいし!」と叫ぶ。

でも父も母も口を揃えてやめるなと言うのでやめない方がいいのだろうな。

・せめて雑誌会をさ、クオリティ低いものを提出するか、せめて「間に合いませんごめんなさい次週でいいですか」の連絡くらいするべきよね。別に就活も投げ出して私生活も投げ出せば許してくれるわけではないから。先生は私がこんな感じなのは十分知っているのだから優しくも「無理そうですか?」というメールもしてくれいていたのだし。

当時は鬼の形相のメールに見えたが今読むと全然そんな事なくてむしろ優しい文面で驚く。

最近先生が、なよい学生が増えたから緩くなったよねと言われていて、その一翼を私も担ってしまったのが悔しい。

(悔しいと思う箇所がずれているとはよく言われる。これもそうなのだろうか。多分本当に悔しいことは他にあって、でも言えなくて、まだ言えそうなことになすっているような気がしている。)

・ねえそういえばこれファーストコンタクト教授にしたけれどさ、普通は同僚の学生とか他の研究室の懇意にしている先生かに相談すべきだったのだろうか。

もうちょっと書きたいことがあるのだけどまた書いて再投稿します。

出来たら罵倒せずにスルーしてくれると嬉しいです




【9/29 0時 追記

とてもあたたかコメントが沢山ついていて本当に驚きました。ありがとうございます。涙が出ました。

お礼とか現状とか色々と言いたいことはあるんですけど、もう遅いので明日書きます

【9/29 11追記

筆が滑って超長くなってしまいましたが追記しました。

https://anond.hatelabo.jp/20200929104822

2020-08-28

干渉ママから逃げた発達障害早大生のイマ

母は「女手一つで子どもたちを育て上げた立派なママである

しかし一方でたいへん過干渉な束縛ママだった。

ーーーまぁ、ここまでの話はよく聞く。

先日

https://ddnavi.com/serial/563023/a/

を読んだ。母子密着と共依存の話。見てみると面白い

ほんで

早稲田政経発達障害先輩が職場不適応を起こしている話を読んだ。

私の場合、深刻な問題が起きたのは、

母親から距離を置き、共依存関係が切れ、自力で生きて行かざるを得なくなった時だった。

就職活動である

母親高卒で、就活のことは全くわからないというタイプだった。

今まで「恋愛ダメ」「○大に行かないとダメ」「ママを養わないとダメ」などと言ってきた母親が、ここで急にハンドルを切ってきた。

「娘ちゃんの選びたいようにするのがいいよ。ママにはわからないし。」

めちゃ今更である

私は自分意思判断力で決定するという岐路に、唐突に立った。

ママを養わないダメなのかな…?」と、公務員試験勉強をやってみたり、安定した大企業面接を受けたものの、全くダメだった。

主体性ゼロで育ったお人形のような私が、

強い意志モチベーションを持って社会自分を示す同級生と闘わないといけない。

早々に心が折れ、一人暮らしの部屋で昼夜逆転適応障害になった。そのうち、一学年下の人たちの就活が始まった。

心療内科ガチ心理検査を受けた。

そこで判明したのがガチガチ発達障害(ADHD)と愛着形成からくる不安障害である

数値を見て「わはは!こりゃすごいね」と医者が笑っていた。

私は19歳くらいまで「偏差値の高い大学に入れば自動的人生薔薇色、大手企業で働けるのだ」

という母親第一書記洗脳を大真面目に信じていた。救いようのないアホである

そして早稲田大学滑り込み上京

母親という「最高指導者」がいない環境に放たれたADHD。在野の精神

…タガが外れ放蕩時代を過ごした。

ストロングゼロ中毒者みたいな精神状態を思い浮かべてくれれば雰囲気は合っている。

本当なら大学でも学友とコミュニケーションを沢山とってインターンサークルで結果を残し自信をつけないといけない。プログラミング英語も使い物になっておくべきだ。

こういうことの知識収集プランニングが全く出来なかった。まぁ頑張ってはみたのだが、足りなかったかもしれないし、怠惰だったこともある。

サークルコンテストで頑張った時期もあるようだが、適応障害ストロングゼロ生活記憶ボロボロになってから、それを生き生きと語ることが出来なくなった。

(頑張った気持ち、というのは瞬間真空パック出来ないので、早めにアピールして他者から評価にした方がいい、と思う。)

ともかく、母の「指導」を受けることが出来なくなった私は孤立し、無数の選択肢がある自由から逃げ出したくなった。自分で選ぶということをしっかりやってきた同級生に比べて自我がなく、きわめて幼なかったと振り返って思う。

これが母子密着、共依存を経て、唐突に野に放たれた発達障害者の怖さだと思う。

甘え、逃げ、依存思考停止責任放棄

親と共依存になった子どもが誤って学んでしまう悪癖の一覧である

子ども母親の言われた通りにやっていて、大学受験は大団円しかし後で大きなしわ寄せがやってくる。

就活で失敗したことをいくつか書く。

発達障害で言うと、

複数あるESの締切に間に合わない。落ちる。各社の方向性に合わせて自分を微調整して動くことが出来ない。発達障害を見抜かれる。地図が読めない。大手町のビル迷子になる。

不安障害では、不安自己PRが出来ない。PRしていることが嘘のようで罪悪感があり眠れなくなる。(アスペ的要素もある)

そんな感じで、就活は大きな傷を残し失敗。

背水の陣で挑んだ院試で某院に入り、何とかバイトのかけもちでピヨピヨと生きている。

もう親から仕送りはない。

しかし2度目の就活もまた、怖くて出来ないでいる。

もうすぐ、夏が終わる。

2020-08-07

anond:20200807171013

クソド文系最近流行りの言葉で言うとサピオセクシャルワイ将

高3段階で偏差値数学34現国74世界史68

私大文系接客販売スキル資格取得と顔面スタイル向上に四年間を費やし

メーカー秘書課に滑り込み同期の中から京大院卒を奪取し無事寿退社

ガチで稼ぐし同学部の男と比べて擦れてないし

たまにする理系トーク訳わかんなくてマジで濡れる

びっしょびしょやて

2020-08-06

怠惰

中学まで一切勉強しなくても地方地元公立学校ならトップクラスの成績が取れて、調子づいて県下一、二を争う進学校に入ったらみるみるうちに落ちぶれ、それまで地頭でどうにでもなった経験に加えて学習習慣など一切確立していなかったこから一向に勉強せず、高3のあるとき学校へ行くのがたまらなく億劫になり欠席を重ねた結果中退して母親を泣かせ、通信制高校編入してどうにか高卒にはなるもの大学受験は散々な結果で浪人しかしやはりろくに勉強せず、それでも模試では稀にまぐれ当たりの良い成績が出るので予備校担任と親への最低限の面目は保ち、一浪の末どうにか中堅公立大学滑り込み合格、ところが一人暮らしを始めた大学では今まで以上に怠けるので1年次で修得できた単位は30にも満たず、2年前期の期末試験明日に控えながら半年以上片付けられていないゴミ溜めのような部屋でこれを書いている。人生間違えた。死にたい死ぬのは怖いので死にたくないけど今の部屋を引き払って学歴労働も一切求められない全く別な環境で全く別な人間として生きたい。

2020-07-17

今年の内定取り消しは一味違う

イッセイミヤケ内定取り消し

「先が短い企業に入らなくてよかったじゃん」

就職氷河期入社直前に内定取り消しがあった。

7月はまだ採用活動続いてる分マシでしょ」

とかおじさんおばさん達は言ってるけどさ。本人達からしたら絶望よ。

イッセイミヤケ内定もらった3月にさ、

内定取れた!コロナ4月以降の就活まじでヤバそうだけど、滑り込みセーフ!!!

って安心して勉強なり趣味なり打ち込んでたのよ彼らは。

で確かに4月以降の就活はやばかった。

・「コロナで今後の景気がわからいから、採用中止ですメンゴ」のメールが何通も来る。

・今年から経団連3月一斉就活解禁がなくなって、どの企業も早期選考に力を入れてたらもう枠が埋まってる企業が多い。

7月のこの時期に優良企業求人を探すのは至難の技

誰もが景気悪化を感じてる7月になって

「ごめんま就活して」

気持ちが追いつかないよ。せめて5月に取り消してくれって感じ。

32歳腐女子ヒャッハー毎日

追記

読み返してみたら自分は例の32歳腐女子の方よりもだいぶ多角的に「痛い」し「ヤバイ人間だなと思った。なんらかの観測暇つぶしに役立てて頂ければ幸いです。(たぶん役立たないが)

【本文】

32歳腐女子の方の増田がちょいバズしてアンサー30歳腐女子の方の増田ちょちょバズするなど、なんだよ、今もしかして30代腐女子の波来てんの!?という感じで、我も32歳腐女子独身彼氏いたこと無し)の一人として、赤裸々な毎日告白してみたいと思いました(なんかこの祭りっぽさに乗りたくて)。何も益になることはない増田だと思うので肩の力を抜いて読んでね。

日記形式でいきましょうか。

【先週】

月曜日

バイト休みの日なので思う存分に寝ていたというか、体がほぼ動かない。こんなことってある!?と思うが、32歳の体力なし腐女子(っつーかとっくに女子って歳じゃねえよな、まあ元の意味から離れてる感じだから一応使うけど)ともなると、週6勤務の後にはもはや一日半の休息を必要とするのである。ガッデム。

ちなみに今は夜の街でのバニーガールバイトしかしていない。昼の仕事は、頭が痛すぎて6月に辞めてしまったのだ。えっ!?頭が痛いだけで仕事を辞める!?さすが32歳腐女子だな……32歳腐女子面目躍如、というところだが、まじで頭が痛すぎてもう勤務できなくなったのである。昨年12月初旬、突如いつもの肩こり頭痛に対して頼みの綱のEVEが効かなくなり、毎日毎日毎日毎日痛いのでおかしいなと思い病院へ。レントゲンを撮ったら、肩こり頭痛っちゃ肩こり頭痛なんだけど、首の骨が擦り切れてますぜ、ということだった。頚椎ヘルニアのように首の骨が突き出ているわけではないのでその治療はできない、薬と注射対処していくということになった。その後さまざま鎮痛剤のレベルを上げていき、注射(星状神経節ブロック注射)を続けたが、はっきり言って6月になってとうとう痛みに負けた。嘘だろ。約半年毎日死ぬほど頭が痛かった。どうにもならねえ。もう仕事限界であった。とうとう脳のMRIを撮ることになったが異常はなし。このままだと「線維筋痛症」という診断になりますと言われながらの血液検査。ここまでで検査費2万が吹っ飛んでいる。コロナ禍により収入激減の憂き目にあっていたため精神的にも死んだ(もともと双極性障害二型でもあるので、すぐうつにもなる。ドンマイって感じなのである)。ちなみに精神的に死んでも最長二日で回復する。32歳ともなると二日もあれば回復ちゃうである血液検査の結果が出て、どうやらMCTDという膠原病兆候があるらしく、膠原病先生の診察の日まで暫し待たれよ、と言われる。

膠原病先生膠原病じゃないですね。安心してください

オオオオオオイ結局なんなんだこの痛みは?(ちなみに、膠原病線維筋痛症を併発しやすく、線維筋痛症双極性障害との併発が多い)と思いながら、とりあえず線維筋痛症なのだろうと自己判断し、これは「もう痛くないのに脳が痛みの信号を出し続けてしまバグ」らしいので、つまり「痛くない」と思い込めばいいのでは?ということに気づいた(もはやどの鎮痛剤も注射も効かない状況)。

2日間、痛くても「痛くない」と友達へのLINEでもTwitterでも言い続けた。

まじで痛くなくなった。

イヤッホーーー!!!!!!というわけで、この前の週からバイトバニー)を本格的に再開していたのである。初っ端から長すぎる。ごめんね。

ちなみにこの日のTwitterを見ると、どうやら夜になって号泣していたようだ。これを「夜泣き」と呼んでいる。とくに何も無くても過去のこと(主に家庭のこと、病気のこと、非常に微々たる割合恋愛のこと)を思い出して唐突に泣き出すことがある、32歳腐女子はまだまだ赤ちゃんである

火曜日

同僚バニー(26歳美女)と上野動物園へ遊びに行く。整理券12時だったので、雨の中かなりタイトスケジュールで回る回る!つねにソーシャルディスタンスが徹底されており(おみやげやさんも入場規制していた)、トラさんなどは直接見えるゾーンが封鎖され、遠くからしか見れなかった。マヌルネコ達の館も封鎖されていた。がーん。しかし、大きな動物たちは見ることができ、キリンもゾウもシマウマシロクマも数十年ぶりに実物を見る私は大感動であった。動物園のあと、星乃珈琲オムライスを食べ、同僚の買い物(GU)について行ってはしゃぎ、帰ってくる頃には完全にエンストを起こしていた。体力がないというレベルではないのだった。死んだ。

水曜日

どうやらバイトに行ったようだ。よく覚えていないが恙無くこなしたと思われる。

木曜日

エアコンをつけようと思って窓を閉め、エアコンをつける前に寝てしまい、部屋の中で軽い熱中症になる。部屋の中で熱中症になるの何度目ですか。3度目です。これだから32歳腐女子は!!そのような自業自得をもってして、バイト体調不良ですとかぶっこいて遅刻して出勤する。コロナでお客さんが少なかったのでたまたま怒られないですんだ。ラッキー!(水商売では非常に珍しいことに、当店、遅刻や当日欠勤の罰金制度がない)

金曜日

どうやらこの日もバイトに数分遅刻している。お前遅刻しかしないのか。この日は金曜日なのでさすがに店も忙しく、洗い物をしていたら己の力を制御できず、掴んだだけでふつうのグラスを握り潰して割ってしまい、破片が刺さって流血が止まらなかったりした。しかし肌が強いので特に処置をすることな絆創膏をきつく巻いておいたら数日後にはかさぶたになった。普通は掴んだだけでグラスは割れないし、皮膚の下ガラスが入ったらもっと怪我するものかと思っていたが、意外に軽めのアクティティとして通過した。

この日あたり、ナガノさんの「なんか小さくてかわいいやつ」のLINEスタンプが発売されたり、ねこちゃんさんの動画日記更新されていたりしてご機嫌な一日だった。どちらも32歳腐女子にはすごくおすすめコンテンツです。癒しですわ〜。

土曜日

事件。「痛くない」と思い続けることで治まっていたはずの頭痛が、二週間の時を経て、俺の元に舞い戻ってきた……。それはさておき真田さん(おけけパワー中島漫画で一躍有名に)の漫画更新され、今回の子はいつ綾城さんに繋がるのかとわくわくした。バイト普通に出勤したが、「あたまがあたまがあたまがいたいのすけ」というツイートが残っているあたり、限界突破を感じる。店は早閉めだったので始発まで数十分眠り、何とか回復したようだ。

日曜日

冬コミが中止とのこと。英断というかもうどうしようもないよな、というTLお通夜ムード。せめて印刷所さんを潰さないために、俺たち本は出し続けようぜ、とTL上で固く誓い合うオタクたち。ちなみに私は字書きである真田さんは漫画の方なのにあそこまで字書きのヤバイ心性を緻密に捉えていてすごいなあと思う)。初めて書いたのは高一の時のテニスであるカップリング秘密ですが、ジュニア選抜とだけ言っておきましょう。いやごめんこんなこと言って何も面白くない、せんべでした(千石×跡部)。えっその2人って何?どこ?という感じですが、ジュニア選抜けが俺たちの生きるよすがだった。当時はなかなか人気で、湯キリコ先生も描いてくれたりしていたんだよ。その後高三あたりから本格的にサイト運営を始め、その頃は銀魂で、毎週ジャンプを買っては友達(同じ字書きにして奇跡的に高校が一緒だった、かつテニスを教えてくれ銀魂にも同時にハマった)と250文字メール(※docomo)を10通ずつ送り合い、一日のメール送信総数が50通を超えていました。250×50ですでに萌え語りだけで12500文字を超えているので、字書きというのはヤバイ生き物なのである。その頃から15年の時を経て、未だに私はちょいちょい小説二次創作をしている。小説を書くのは結構、かなり好きだ。書くことのカルマみたいなもの(人気に悩んだりとか)からはわりと自由性格なので、のんびりと活動できてラッキー、と思っている。

日曜日

連日のバイトの疲れが出たのか、またしても夕方まで寝ていた。12年来の付き合いの腐女子友達(30歳)とお互い体力が残っていたら会おうか?と言っていたのだが、そのようなものはお互い欠片も残っていなかったので「諦めよう」と即座に結論。30代腐女子たちは潔いのである

夕方になり、最近できたセフレ(たぶんセフレだと思う)から今日会う?」と言われたので人生二度目の白金台へ。でかいテレビでヒロアカの続きを視聴し、「やっぱりかっちゃん(爆豪さん)が好きだ」という思いを強くした。

月曜日

セフレ休日だと言うので、18時までごろごろして(正直私はごろごろするのは好きではないが、なんとなく別の部屋で原稿をしたり神に贈るお誕生日のお祝い絵を描いたりすることがマナーとして憚られたのだ)、疲労を感じながら帰宅

ちなみに日曜日から月曜日にかけてセックスは3回した。その内訳はこうである

1回目:前戯は丁寧だったものの、挿れた瞬間に「イきそう」と言われ、マジか!?と思ったが、まじで三擦り半くらいで終わった。おい!!!!!!!!

2回目:なんとなく手コキさせられ、まあいいかと思っていたら「舐めて」と言われ、フェラから前戯なしで挿入。またしても早い。

3回目:なんかまじで今回ちゃんとしたセックスしてなくねえか?と思ってイラついたので、とりあえずなぜかフェラ。何も言われないので「飽きた」と言ってやめたが、「入れて欲しい」と言ってみたら挿入になった。う〜ん。

結論相手早漏のためあまり合わない。

それと、お世辞なのかどうかよくわからないが、フェラうまいと今まで複数人に言われた。なぜだと思う?理由はもちろん32歳腐女子からですね。そこらのオンナとは違うんだよ、読んできたフェラシーンの数が。男が男にするフェラだけどな。だいたい二次創作18禁小説に書いてあるとおりに実践したらOKでした。別に他にネットで調べたりとかしてない。

彼氏いたことはないんですが、31までに処女を捨てようという企画バイト先で持ち上がり、私も二次創作18禁小説をよりよく書くためにはいっぺんセックスもしないとな、と思っていたので、その企画に便乗して誕生日の2日前に滑り込み処女を捨てました(おめでとう)。その後7〜8人?くらいセフレがいたので、というのも、これはけっこう個人差のある事なのでデータを集めないとだめだなと思い、実地でセックス研究した結果ですが、まあ今はもうしなくていいかなという気持ちです。でもいざセフレができると、やはりセックスについて貪欲データ収集しようとしてしまますね。快楽はそこまではないし、行為絶頂したこともないです。絶頂があればより受けの気持ちがわかるのに、とすこし悔しい気持ちですが、イくのには初体験から数年かかると同僚バニーから聞いて諦めました。また昨年、ほぼ初めての恋愛片思い)も経験したので、良い人生勉強になりました。

帰宅後は風呂してバイト。開幕テキーラ5ショットで死にました。

火曜日

テキーラその他の酒で死んだままバイト。なんとまたしてもテキーラが入る。

水曜日

ぼろぼろの状態で、大幅に寝坊バイトに2時間遅刻し、先輩(25歳)に怒られ&慰められて号泣し、その後お得意さんのお客様の連れてきた初めてのお客様店長の知り合い)に難癖を付けられてキレてしまい(キレるなよ)号泣し、最後は私にキレたそのお客様に慰められ、閉店後付き合いのあるお店の中華料理を諸事情死ぬほど食べて吐きそうになりながら帰宅ダイエットの数値がよかったのに全て終わった。店長と「友達有名人場合自分立ち位置」について熱く語った(私の友達の神絵師たちは漫画家だったりイラストレーターだったり、とにかく神なので店長友達国民ミュージシャン)の話に共感する所が多かった)。

木曜日

友達の家で友達小説原稿を下読みする約束があったのにまた寝坊。ほんと寝坊しかしねえな。友達は許してくれたのだがスタバのごろっとしたフラペチーノなどを買い、友の家へ。早く下読みすればいいのに求人応募の締切日だったため(当然何も準備していない)、謝りながら友達の家で自己PRと志望動機文章化し送信。やっと下読みを始めるも、疲労感により30ページでリタイアした。使えないにも程がある(ちなみに残り80ページ強)。持ち帰って拝読することになった。ちなみに、友達がその原稿イメソンとしていた、ßźの「LOVE PHANTOM」と、そのアンサーソング「HINOTORI」のライブ映像を見せてもらい、激しく感動する。稲葉さん、松本さん、やっぱパネェ演出パネェライブ円盤「HINOTORI」は最高のプロダクト。曲も何もかもいいし、私はここで初めて「LOVE PHANTOM」がオペラ座の怪人モチーフに取っていることに気がつくというアハ体験をした(32年目の気づき)。

このように、32歳腐女子毎日楽しく生きています全然原稿なんかしてません。いや、しろよ!とは思うのですが、健康問題労働により、「食べて寝て働き、Twitterを見る」が精一杯のところです。でも、動物園に行ったりセフレに会ったりしてたじゃん、と今思いました。いい加減にしろありがとうございました。

2020-07-11

精神ストレスケトン体が出た話


精神ストレスが多くなると、私はご飯を食べなくなる。

誰しも経験があることだろう。食事が喉を通らなくなるのだ。

最長で三週間ほど、わたしは一日一食春雨スープで過ごしていた時期があった。それは時にワンタンスープであったりもしたけれど、それ以外はスポーツドリンクだけで過ごしていた。

当然、身体にガタはくる。倦怠感からまりだんだんと常に付き纏う吐き気に変わった。目眩を起こし、営業スマイルを作ることすら困難になる。

それでも、何か食べなくては、という気になれなかった。

ある朝、今までと比べられないほど具合が悪かった。

職場へたどり着いたはいいが、あまりの顔色の悪さに早退するよう勧められた。営業担当に早退許可申請しているうちに吐き気を催し、スポーツドリンクしか入れていない胃から黄色い液体を吐き出す。吐くとそのうち楽になったが、ロッカーで帰り自宅をする間に手も足もビリビリと痺れ始めてまともに動けなくなった。なにもしていないのに全身の倦怠感と息切れ動悸が止まらない。

フラフラした体で休日診療所滑り込み吐き気を訴えた。ストレスだと分かってはいたが、職場に診断を報告しなければならなかったからだ。

待ち合いの間に尿検査を受けた。普段風邪も引かないので診療の手順として順当なのかは分からないが、まあふつうに尿検査を受けた。

間も無く名前を呼ばれ診察室にはいると、おじさんよりはおじいさんに近い医者が座ってこちらを見ていた。

「どうぞ」

手で椅子を指し示し、私は荷物をカゴに入れて腰掛ける。

吐き気がするんだね」

はい

「尿検査の結果、ケトン体が出ています

初めて聞く単語だった。それを察した医者説明をつづけた。

「いわゆる『飢餓』の状態です。栄養が足りていなくて限界になった体は、自分脂肪を燃やして生きようとしています

「…はい

「なにかストレスがあるのかな」

柔らかい声だった。私はいまも、この言葉を思い出すと涙がでてくる。

問診票には、『ご飯が食べられない』とは書かなかった。ただ吐き気がする、とだけ訴えていた。熱もなかった。尿検査をしてみたらケトン体が出ていた。

ケトン体が出ると言うことは、つまり食事ができていないのだ。でもそれを症状の一つとして私は訴えなかった。つまり食べられていないと言う自覚があり、原因もきっと分かっている——というところまで医者は分かっていて、そう言ったのだろうと思った。

人間関係で、とは言えなかった。内科医師には関係のないことだから

心療内科に行くべきだったのを、ここへきてしまたことを申し訳なく思っていた。

職場上司が変わって…」

環境の変化というのはストレスの原因になるからね。それはもうどうしようもないこと?」

はい…」

「何かうまいこといくといいけどね。…ケトン体が出るのが続くとそのうち倒れてしまうし、自分しんどいでしょう。お砂糖をたくさんいれた飲み物でもいいから、お腹に入れるといいよ」

それが正しいかなんて、調べてもないから今だってからないけれど、私はこの医者出会たことで間違いなく救われた。

精神ストレスは専門外だから、と突っぱねられていたらあの時期を乗り切ることは出来なかったかもしれない。

結局そのあとストレスの原因は解消し、日常生活に戻ることが出来たが、それからも時折食事の取れない時期は訪れた。

あんな風に手足が痺れて辛い思いをしないよう、砂糖をいれた飲み物意識的に飲むようにしている。

それはケトン体が出ないようにするためでもあるし、あのおじいさん医師言葉を思い出す時間でもあるからだ。

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