2021-03-20

海外大学院に行って挫折する話3

日本大学院でうまくやれなくて、逃げるようにして海外大学院に行った。行き先はPIになってから数年の若手だがメジャー論文にいくつも論文をだしている教授のいる、一流ではない州立大学だった。最初居候をさせてもらう形で、その後PhDコース試験を受けて入学をするような段取りだった。

この後のことはあまり書きたくない。彼は非常にフェアであり、かつ、環境も悪くなかったと思うが、結局、私自身の怠惰のせいで、その段取り通りには行かなかった。海外にまで行って再度思い知らされたのは、学部でのパフォーマンスの良し悪しと、その後の研究室での良し悪しに関して、求められるものが全く違う、ということだった。そこの落差を乗り越えるためのサポートや、それを乗り越えるための努力の仕方などは国が違えば様々なのだが、落差を本人の努力によって乗り越えなければいけないということには違いはないのだった。

研究とは本質的には関係のないところで海外に行って私を悩ませたことの一つとして、世間知のようなものの体系が大きく違うことがある。読んできた本、見たテレビ、口ずさんだ歌、学校あるある話などが全く違う。私は、新見南吉や森のくまさんで育ち、ドリフとんねるずに笑い、山月記ドグラマグラを読みながら世界に対して斜に構えてみたりもしてきた人間なのだが、そのような経験の引き出しは海外人間共感し合うのに当然ながら何の役にも立たない。会話のネタというのは共通経験知識に基づくものから、それが薄い相手とは、面白い話をすることが難しい。私は、知的ユーモアのある人間でありたい、と欲しているのだが、そのような会話ができない、というのは地味に辛かった。

話は脱線するが、クイズや謎々というのは知的遊戯だが、一方であれは、高度にドメスティックものであるクイズ番組などでは、日本一般的な良い高校良い大学を出ている「知的な」人間が7割程度解けるように調整された問題が出題されるのであり、「知的な」人間芸能人クイズ王と競い合いながら、自らの知性を感じるのが彼らにとっての楽しさとなっている。海外に行くと当たり前だが、クイズ番組で出題される問題がまったくといっていいほど分からない。日本語の壁を下に見て海外に出たのは私自身だが、日本語の中でこそ私が自分の知性と見做していたもの相対的価値があったことに気づかされ自尊心を傷つけられたのだった。

https://anond.hatelabo.jp/20210317174502

記事への反応 -
  • もう日本に帰ってきてから10年以上になるのだが、当時のことを書いておく。 私は、地方の公立高校からあの大学に進んだ。大学の中でも成績は上位で、演習や卒論も上手くやっていた...

    • 当時所属していた(日本の)大学では何の成果も出せなかったのだが、かと言って研究を切り上げることもできなかった時に、海外の大学に行くという選択肢が手元に残っていた。認めたく...

      • 日本の大学院でうまくやれなくて、逃げるようにして海外の大学院に行った。行き先はPIになってから数年の若手だがメジャーな論文にいくつも論文をだしている教授のいる、一流ではな...

        • 君たちはスポンジボブやニンジャタートルで笑ってる間に僕はエヴァみてポケモンプレイしてたんだけどね!って言い返せばよかったのでは

          • 例えば八重樫や山本昌のフォームはどんなものかとか、ビックリマンチョコのチョコを捨ててシールだけ集めて問題になった話とか、ズッコケ3人組の中ではどの話が好きかとか、同じ時...

            • 米国生活には「わかりケア」が足りんかったと どうでもいいけど年代的にラインとかなさそうね 今なら夜ふかしツイッターは24時間眠らないのに

        • 海外には都合3年いた。その間、向こうの学生とルームシェアをしたりもしたけど、結局打ち解けることができず、友人と呼べる存在を作ることができなかった。日本人が何人か住んでお...

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