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2023-07-26

アラサー 男 鬱病歴15年

中学生の時から両親に虐待を受け、(人格否定暴力鬱病発症

高校2年生は鬱病が酷く、引き取られた祖父母の家で1日中寝ている生活

担任教師のお情けで3年制に進級はでき、なんとか登校できるまで回復したが、もとから落ちこぼれ気味だったのもあり、勉強は全くついていけず

療養&浪人で3年間浪費し、21で大学入学するも、その年に中退

鬱病の症状が改善しないので、主治医から電気けいれん療法全身麻酔をして、脳に電極刺して電気を流す治療)を勧められ、受けるもの記憶力、思考力が落ちるだけで鬱病改善はせず

なんとか就労するものの、1社目は仕事ができなさすぎて1年ちょっとでクビ(遠回しに退職しないかと打診された)になる

今も辛うじて2社目で会社勤めをしているものの、仕事ができない無能自覚はある

薬を変えたり、朝日を浴びたり、運動をしてみたり、電気けいれん療法を試してみたりと色々改善できないか試したが、全く実らず

人生の半分以上を鬱病の症状に苦しみながら生きてきたが、まったく良くなる気配が感じられない

元々突発的な希死念慮はあったが、今は「この先良くならないなら今死んでしまったほうが楽ではないか」という考えに取り憑かれている

自分が異常である自覚はあるものの、異常であるという自覚がある故に自分判断に自信も持てなくなってしまった

昔は「普通幸せな家庭を築く」という憧れがあったような気はするが、今は叶わないことも理解している

今後、どうしたいか・どうなりたいかすら思い浮かばないが、何らかの救いを求めてここに書きなぐっている

この文章を読んで「こんな奴もいるんだな、こいつよりはマシだな」と誰かの救いになることを願っている

anond:20230724165514

元増田です。地味に時間かけたのでジワッと伸びてうれしい

やはり言われると思ったベビーカー問題、もうちょっと書いてみる

ベビーカー不要論、元保育士の妻の言なんだが

彼女は主に3歳児クラス担任をしていたキャリアがあり、とにかく体力を付けるッ散歩で鍛えるッという熱い想いがあった

とりあえずプロの言うことだし間違いないだろう、という事でこうなった

あとうち車あるので抱っこでもそこまで長時間の移動がなく、ダメなら車に戻ればいいのではという目論見もある

これ公共交通機関半日お出かけとかになるとだいぶ話は変わってきそうな気がする

まぁ厳しかったら速でハードオフかに行って買おうとは思う

今初めて調べたんだが、うちはもうB型ってやつで行けるんだな!やったぜ!

なんかおばあちゃん手押し車みたいだしデザイン三輪がよかったが軽さは正義

あと、この前のプライムデーラジオフライヤーの折りたたみワゴンを買っちゃった…

若干かさばるが底板クッションもしっかりしててなかなか良い!My New Gear!

かい公園とか行った時はこれで護送すればいいな。行った先で椅子にもなるしお弁当も食べられるぞ

活用するのが楽しみだ

2023-07-25

お気持ち表明文は適切な国語教育の結果」というお気持ち表明文

まず「お気持ち表明文」というのは「数値的な議論論理的議論展開を期待しているにもかかわらず、求めていない意見感想を述べてしまレポート論文」という意味で良い?

そういう意味なら、適切な(?) 国語教育のおかげなんじゃないかと思う。

例えば最近新卒とか大学生小学校低学年だった時の学習指導要領である平成20年の「国語科の教科の目標」は下記の通り記載がある。

国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や想像力及び言語感覚を養い,国語に対する関心を深め国語尊重する態度を育てる。

これだけ見ると立派なんだけど、日本国語道徳教育という絶対に外せない存在があって、学習指導要領の一番下にこんなことが書いてあるんだよね。

道徳との関連についての事項

国語による表現力と理解力を育成するとともに,人間人間との関係の中で,互い

立場や考えを尊重しながら言葉で伝え合う力を高めることは,学校教育活動全体

道徳教育を進めていく上で,基盤となるものである。また,思考力や想像力及び言

感覚を養うことは,道徳的心情や道徳判断力を養う基本になる。さらに,国語

尊重する態度を育てることは,伝統文化尊重し,それらをはぐくんできた我が国

郷土を愛することなどにつながるものである

なお,3(2)には,教材選定の観点として,道徳性の育成に資する項目を国語科の

特質に応じて示している。

そして3(2) で説明される望ましい教材の観点っていうのは下記。

(2) 教材は,次のような観点配慮して取り上げること。

国語に対する関心を高め,国語尊重する態度を育てるのに役立つこと。

イ 伝え合う力,思考力や想像力及び言語感覚を養うのに役立つこと。

ウ 公正かつ適切に判断する能力や態度を育てるのに役立つこと。

科学的,論理的見方や考え方をする態度を育て,視野を広げるのに役立

つこと。

生活を明るくし,強く正しく生きる意志を育てるのに役立つこと。

生命尊重し,他人を思いやる心を育てるのに役立つこと。

自然を愛し,美しいものに感動する心を育てるのに役立つこと。

我が国伝統文化に対する理解愛情を育てるのに役立つこと。

日本人としての自覚をもって国を愛し,国家社会の発展を願う態度を育

てるのに役立つこと。

世界風土文化などを理解し,国際協調精神を養うのに役立つこと。

一般的な生徒がこの学習目標を達成したかはさておき、この教材選定軸から選ばれたもの必然的道徳の教材みたいになるんだよね。

そんでもって日本における「道徳」といえば儒教で、そして儒教的な考えってのは「年長者の考えが常に正しく、それに対して同意する」という日本人そのものみたいな考えじゃん?

変な話かもしれないけど、日本において国語教育において自由議論とか自由感想とかっていうのは存在しない。だって先生が常に正しいし、先生が気に入る提出物が評価されるし。学校教育において生徒の生殺与奪の権利を与えられてるのは担任教師でしょ?

お気持ち表明文はロジカルじゃないという言い方だけど、この学習指導要領の下なら、お気持ち表明文は十分ロジカルじゃない? だってそれ以外の答えは絶対に正解にならないように教材が選定されるんだから理論的な正しさを議論するよりもさっさと媚びへつらう方が点数が高いに決まってる。おまけに中学とかは内申点がついてまわってくるからもっと媚びへつらった答えを書く圧力がついてまわる。

テンプレを教えるのは良いが、そのテンプレゴミだと害悪しかない。正直、小学校先生ロジカル文書作成が出来るのか疑っている部分があるが、出来るというのであればそれをきちんと教えてほしい。

個人的教師に教える能力が無いと疑ってるのは同意だけど、仮にロジカル文書作成方法を教えたとして、生徒がロジカルな答えを書いてくるかは疑わしい。ディベートだってなんだって、年長者が知っていて、かつ正しい答えがない限り日本の授業では議論対象にならなさそうだから

それにディベートロジカルトピック学習要領に入れたところで即座に「ロジカル教師の受けがいい答案例」と銘打った教材が出回るのがオチじゃないかな。生徒はそれを読んで回答を書き、教師もそれを読んで回答を採点するみたいな…

2023-07-23

私はどうしてまともになったんだろう

私は小学校のころからサボりグセがあった。

マンガネットにハマり、自分HPを作って絵を載せ、お絵描き掲示板に入り浸っていた。

中学私立に通いながら、あるときから休みがちになり、中2の途中から高1まで不登校だった。

体調が悪かったのもある。太っているのに性格が悪く、嫌われていたのもある。

側湾症という背骨病気コルセットをしていたのも地味につらかった。

休んだ日はネット小説を読んだりして過ごし、家族とは最低限の会話しかしなかった。

親に反抗し、都合が悪くなると黙り込んだり当たり散らしていた。

当時、私は家族お金を盗んでいた。

普通生活を送っていなかったのでお小遣いがなかったというのもあるが、財布に3千円入っていれば千円など、バレないようにして漫画お菓子を買っていた。(バレていた気はする)

祖父の引き出しか蒐集していた500円玉をくすねたこともある。

親は不登校児の親があつまる支援会に行ったり、私を美術館公園に連れ出したりした。

姉は同じ学校だったので、妹の担任からプリントをもらう係をしてくれていた。

友人も連絡をくれたりをして、高校1年生の秋から、本格的に学校に復帰した。

親と先生サポートで進級もクリアし、大学も4年で卒業した。

高校1年生の秋からは、親のお金は盗んでいない。

休むのも、嘘ではなく「○○が痛い」という正当な理由になった。(相変わらず怠け癖はあるが)

中学のあの時、私は悪魔に憑かれていたのだろうか?

それともあれは私の本質で、今は理性という仮面かぶっているのだろうか。

社会人10年目の今年、祖父が亡くなった。

盗んだお金のことはついに謝れなかった。

親にも、多分、言えないまま墓場まで持っていくだろう。

この出来損ないの人生を助けてくれた家族に、どうにか孝行したい思うのだが、今は一人暮らしをしていて自由になるお金はあまりない……。

300万はあるけど、老後のことも考えると手をつけられないし、親の方が何倍も稼いでいる。

どんな家族孝行をしたらいいんだろうか。

anond:20230722044447

なんで肝心なところをぼかして書くかなあ

担任共産党繋がりというのはありがちだけど

アジールとかじゃなくて

社会的養護の制度に当てはまる事例だったんでしょうよ

政党関係なく入れる

2023-07-22

anond:20230722044447

共産党員担任共産党独自に作ったセーフティーネットの一部のおかげだろ

行政サービスだけじゃ救われてないし、弱者の味方を本気でやってくれてる人たちに感謝しろ

親がDVして勉強すると罵られた俺が救われた時の体験

https://anond.hatelabo.jp/20230721191432

この増田を読んで、自分人生を振り返ってしまった。

俺の父は母に暴力を振るう男だった。母は母で、そのストレスを俺にぶつけた。

父はじゃれ合ってるだけ、と言ったし、母はじゃれ合ってるだけ、と言っていた。俺も、心の片隅で、人を殴る程度、じゃれ合ってるだけだろ、と今だに感じることがある。

両親は、勉強にたいしてコンプレックスがあった。『勉強なんか何の役にも立たない』が口癖で、

かといって、スポーツ等の習い事に金を出してくれるわけではなかった。

家で宿題をやろうものなら、2人は半笑いで『馬鹿宿題なんかやっても無駄』だの、『俺は宿題を一度もやらずに卒業した』だの言って、俺を罵った。

友達大事しろ』などと言っていたが、実際に家に友達を連れてきたら、友達連中に対して、チビだの、不細工だの言って笑っていた。

俺が大事にしているものを嘲り笑う時だけ、両親は結託した。

家に帰りたくなかった。当然のように成績はどん底だった。家は団地の4階だったが、両親に見つかる玄関を通りたくなくて、何度もベランダを伝って部屋に出入りしていた。

中学の時の担任は、そんな俺に言った。

「市が運営する施設がある」と。

土曜、家に帰りたくなくて、友人たちの、遊園地行きにくっついて行ったのだ。親に無断だったから、教師の人たちが車を出して、夜なのに探し回ってくれていた。

21時ごろ、駅前保護された俺に対し、車の中で担任先生は俺に、そのような提案をしたのだ。傍から見ても、俺の状態はひどかったらしい。

結局、それは実現しなかった。両親から逃れるための施設に入るためには、両親の許可必要だったからだ。

何より、俺が『施設』に入りたくなかった。恥ずかしかったのだ。家に帰りたくはないが、施設に入って、学校に通う。そういう俺を想像したくなかった。

そんな状況だった。だが、ある日事態は突然、好転した。

そして、とても、とても胡散臭いテキストがこれから書かれるけど、一応聞いてくれ。

結局、俺を救ったのは、共産党の家だった。

俺の、中学の先輩の家だ。地元じゃ結構有名な家だった。(本業は、習字先生か何かをやっている人)

担任は、どういう手段を使ったのか知らないが、そこに話をつけた。

そこからは、早かった。

俺はあるおじさんとおばさんの家にとりあえず入ることになった。2人は優しかった。

両親には市から指導が入った。俺は塾に行かせてもらえることになった。学校では、『親戚のおばさん達の家にいる』といったような話ですんなりと話せた。

どういうルートか知らないが、俺に対する金も、おじさんおばさんは市だか県だかから貰いはじめ、俺の口座を作ってくれた。

勉強を許された俺は、無事に公立高校に通う事ができた。『高校卒業したら、市役所に入れてやる』とまでおじさんには言われた。

高二の時に、両親の離婚が成立し、結局、俺は父との二人暮らしを選んだ。(親権だのなんだのも、共産党の介入があったらしい)

父は、まともになっていた。暴力も振るわなくなっていたし、俺のことをバカにするようなことはなくなっていた。

好意的に見るなら、実の子と離れ離れになった期間が、父を変えたのかもしれないが、

俺としては、父の獣性のようなものが、母と上手くかみ合ってしまった、というような気がする。父が母を狂わせ、母が父を狂わせていたのではないかと思う。

市役所には入らなかった。

採用担当党員だし、生活保護担当党員から、どうとでもなる』とおじさん達は笑っていたが、どうにもしっくりこなくて、俺はそのルートには乗らなかった。

俺を保護したおじさんとおばさんの使っていた手は、籍を入れず、おばさんは生活保護を受け取り、結局夫婦のように暮らす、という手段だった。

生活保護担当党員なのだから、何も文句はでないらしい。だが、とにかく俺は、そういうのが、なんとなく不正であると思ったから、やめた。

結局、今はちゃんと、サラリーマンをやれている。共産党の力は借りていない。

おじさん達の家で暮らす間、俺は新聞赤旗の代金を回収する手伝いもしたし、なんなら、未だに赤旗が届く。

選挙にも、たまに協力しろ要請がかかる。個人感情としては、恩もあるがやはり、『あまりよくない団体だな』と思っている、そういう距離感だ。

底辺から救われ、建て直せたタイプ人生だと思う。

俺を救ったものは、なんだったのだろう。教師か、共産党か、おじさんとおばさんか、改心した父か、俺に執着しない母か、当時俺と友達でいてくれた人達か。

あるいは、『運が良かった』の一言、つまり自身幸運が俺を救ったのか。

なんとなく俺は答えを出している。

俺を救ったのは、社会の余裕、ファジーさ、雑さ、あるいは多様性(嫌いな言葉だが)というものなのではないかと思っている。

ズルをして、生活保護を掠め取るような人達が、俺を救ったのではない。

ズルをして、生活保護を掠め取るような人達が、生きていられる社会の余裕が、俺を救ったのだ。

世の中には、太い流れがある。普通にルールを守り、普通価値観で、普通に利益を生み、普通に人に迷惑をかけないように。そういう太い流れが。

だが、その太い流れに乗らなくても、生きていていい。そういう、ファジーさが、俺を救ったのではないだろうか、と思っている。

何の役にも立たないかもしれないが、こういう事を書けるのも、こういうことを読めるのも、また一つの社会の余裕、雑味だと思う。

雑な社会が救うものもある。

2023-07-21

anond:20230721100401

会ったことがある逮捕者だと子供が通ってた小学校で別学年の担任先生盗撮で捕まった

  

anond:20230721092943

何コレ珍百景で卒業式の様子が放送されてたはず。

https://rongkk.com/nanikore-2019-4-7-6/

あとこの映画で始業式の様子が写ってる。

https://www.amazon.co.jp/%E5%B3%B6%E3%81%AB%E3%81%A6-%E5%92%8C%E5%B3%B6%E5%8D%81%E5%9B%9B%E7%94%B7/dp/B095ND9HCZ

中学校は生徒が1人だが、学校には校長教頭担任副担任養護助教諭の5人の先生がいて、給食は新くんのお母さんが作っている。島に同世代の子どもがおらず、新くんは放課後 毎日のようにお父さんと海釣りをし、釣った魚を自分でさばいて夕食に食べる生活をおくっている。学校生活では、定期的に本土運動会クラブ活動に参加して本土の生徒と交流もしており、時には本土友達が島に遊びに来ることもある。島では、新くんが淋しくないように島民の方々が学校行事積極的に参加、島の住民みんあと多くの時間を一緒に過ごしてくらしてきた。

2023-07-18

自分学校勉強が好きでもないはずなのに、何で学校に行ってた行けてたか

自分幼稚園児になり始める辺りの頃、幼稚園門前で強烈に泣き叫ぶほど入門拒否拒絶して、無理矢理幼稚園に入れられてた記憶があるから、[^1]慣習的に教育施設に通う事になってた。多分渋々行ってる[^2] [^3]。

(親か誰かか何かに)迷惑をかけないために学校を行ってた可能性が浮かんだ。[^4]


それから考えられるであろうのは、 自分が好まない場・環境という地味に不快に耐えて学校に行き終わったら解放され好きな事していい。つまり義務ノルマをこなしたんだから自分権利がある」的な。


[^5]自分は、はたして小中学校に通っていた間や授業中は、意義のある学習勉強になってたのだろうか?。

書いてて1時間ぐらい経ってた。



[^1]: なぜそれから通えていたのかよくわからないが気付いたら、それ以降から

[^2]: 思い出してみると、小2の始めまで、登校した日の7割以上が朝遅刻してたと思う。自分でも遅刻ちょっと惨めに感じるぐらいなぜか遅刻してしまう。小1の女性担任先生残暑見舞い年賀状かのハガキで「学校遅刻しないように」と書かれてしまうぐらい。

[^3]: 小2の時に、算数教科書を見たか授業かで、時計の読み方を知った以降、なぜかそれ以降なにか意識が変わって、目立って遅刻した覚えがない。ちなみに発達障害でもない。教科書にはアナログ時計が載ってた覚えがあるし家もアナログ時計だった。

[^4]: 別な話として、自分幼稚園児の時に次男小学校不登校な様子を見て「(幼稚園に)行けてる自分は偉い?」というような事を母親に聞いた事が一度あると思う。それが関係ある話か不明だが。

[^5]: 高2で不登校退学にずっとなってる

2023-07-16

非モテ運動音痴男性ユーモア

小学校

50m20秒とクラスダントツに足が遅くて、先生提案クラス全員参加リレーメンバーから外される

中学

運動会台風の目競技リハーサルで、外側回ってると遠心力に絶えられずふっとばされて脳震盪起こして運動会参加できず

バレーサーブ成功率0% 卓球サーブ成功率5%

高校

持久走の授業で自分だけ授業時間内に終わらないことが続いたため自分だけ特別距離を短くしてもらう。

強制参加の校内マラソン大会では10km2時間半かかってしまい、走り終わる頃には担任以外全員帰宅してた

クラスマッチでは俺が加わると負けるからどの競技にも参加できず

大学

キャッチボールしようぜと言われたためやってみようとすると顔面ボールがあたりメガネ破損

2023-07-13

小学生の頃のパソコンの授業で掲示板質問し合うみたいな時間があって、そこで回答に対してありがとうございます!ってコメントしたのを担任先生に褒められたのをずっと覚えている

2023-07-11

私自

最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分直視することから逃げてきた。

幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベル胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しか祖母毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。

私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎人間としてはかなり)知的好奇心教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。

祖母は80歳を過ぎるまで苛烈自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。

物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい名前を挙げられた女の子たちに向かい祖母を止めない母親に向かい自分にも向かった。

はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格容姿趣味人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。

肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。

私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。

土地二束三文で買える田舎町にある実家敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室ひとつ風呂台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。

母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。

母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分不手際が契機となり、怒鳴られ人格否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。

小学校5年から学校いじめの標的になった。担任女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道いじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。

家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校いじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動いちばん盛んな頃に短大に進学して、父親警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。

それから長い年月が過ぎた。

祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。

母は合わない職務鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。

私は中年になった。自分と向き合うことから逃げ続けたままで。

この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。

脳内には14歳の私が世界万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれ規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。

ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。

私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。

それは、世界でただひとり私にしかできないことだからだ。

2023-07-09

anond:20230709145734

子供障害者って認めたくないんでしょ。

息子の小学校にも発達障害持ちの特徴役満毎日業態度や忘れ物で苦労している生徒がいたけど、担任保護者に一度病院での検査を勧めた事に腹を立ててクレームを入れたって噂があったし。

わざわざ楽じゃない人生選んで馬鹿だなぁとは思うけど、そういう親もいるよ。

2023-07-02

anond:20230628000633

https://anond.hatelabo.jp/20230628091536

文句を言うたら自分で作れ言うてじゃあ料理本立ち読みしたりネットで色々調べて弁当作ったろ思ったら食材勝手に使うな言われてだったら食材買う金くれやって言うたら無駄遣いするな言われて結局詰むやつを私も経験者したからわかるし小6のとき家庭科の授業でエプロン縫う課題出されたときうちにミシンなんかないからお前が針で手縫いしい私は縫い物なんかわからんから教えられんし最近お前が米を大量に食うせいで家計が逼迫してるんや的なことを言われて肩身の狭い思いをしながら家のばっちいタオルとか古着渡されて丈が足りひんもんだから同級生に笑われながら魚屋の前掛けみたいなクソダサい汚いエプロン作る羽目になって担任が焦って前掛けに筆と白い絵の具で魚の文字を書いてくれてこういうのも世の中にはあるからなって守ってくれたけど結局クラス中の笑い者にされたしもちろんそんな親だからお使いさせるために携帯は渡されてたけど当時流行ってたDSとかの娯楽品なんか一切買ってもらえんし私が学校で浮いてるとかでハブられて笑い者にされててもそんなん誰でも同じや大人になったらわかるとか言うて一切意に介さず親戚を呼んで酒盛りをするときには人生で唯一縁日で買ってもらって私も馬鹿からそんなのでも親に買ってもらったものからって大切にしてたんやけどスポンジ製の鹿の角を被ってピーナッツとか投げられながら親戚のキモおじとか母親の友人の息子に服脱いだりお尻を見せて卑猥な芸をすることを強制されたりして結局母親の友人の息子には犯されてそのことを親に訴えても相手にされんから自傷してホンマなんや信じてや言うたら世の中誰でもつらいんや甘えるな言うてビンタされて流されたし中学になると身長が170cm超になってお前そんな立派な体してるやんから運動しろプロアスリートになって稼げや言われて無理やり陸上部に入れられたり美容院も行けなかったから前髪パッツンロング維持やったけど自分でハサミで切ってたし私が使ってええ言われてる家のシャンプーがかなりケミカルなやつで肌が真っ赤に腫れてボロボロになるしフケも大量に出るから変えてって必死に訴えても相手にされず真っ赤に腫れた頭皮を親に見せるために自分で一部を丸坊主にして頭皮がこんなに真っ赤に腫れてるのに何もしてくれないのって訴えてもやっぱり相手にされなかったとか本当に酷い扱いをされすぎた結果楽しみといえばお小遣いゼロの中欲しい物とか好きなものの絵をノートに描くことくらいだったけど友人関係には恵まれたので長期休みには家出みたいな感じで友達の家に長期に渡って泊まり込んだり高校ときには家に放置されてたベース学校に持ち込んで同じ意味軽音の子に直してもらって夜中にこっそり見てたけいおん話題意気投合してコピーバンドやったりその時だけは幸せやったけどマジでガチャミスる10代を棒に振るしうちは肉は体に悪いし贅沢品や日本人なら米で腹を膨らませろや味噌汁最後の一滴まで飲めとかホンマヒドい食育で結局中学とき栄養失調で陸上部練習中にぶっ倒れて救急車呼ばれて病院行きになったけど親は意にも介さずお前体力ないなとか揶揄してきて結局親は両方とも塩分糖分摂りすぎで後年糖尿病になってるんやけどもう絶縁したしどうでもええんやけどあいつらどんな教育受けて育ったんや思うし今や学校クラス内での格差自殺する事例もあるちゅうのに子供の訴えに耳も貸さずひろゆきみたいに論破して気持ちよくなってる辺り件の馬鹿女は本当に幼稚なんやろうな思うし親の役目は子供保護することでもトロフィーライクなペット扱いすることでもなく子供を一人の人間として自立させることや的な話をそこかしこで聞いたが全くその通りやと思うしイライラしてるとき自分の子供につらく当たってスカっとしようとか子供の自立に必要家事全般スキルを一切習得させず子供と同レベルに立ってマウント取って何も成長させず一定期間が来たら人間不信を植え付けたまま勝手社会に放逐するその風潮こそが少子化の原因やないんと思う次第だしトー横とかドン横オア下池公の子たちに聞いても同じような生い立ちやからやっぱり私やあの子達の親に当たる氷河期世代は碌に勉強せんとアニメゲームファミコンサブカル代表されるキモオタコンテンツに夢中になって欠陥品に育って発達障害拗らせた結果大人になれんクズに成り下がってそれを見透かされて仕事貰えへんのを社会せいや政府せいや責任転嫁してるだけちゃうかとホンマ思います

2023-07-01

「もう少し仕事積極的になりましょうby上司

ボーナス前の人事評価にこう書いてあった

積極的はいったい…?

そういえば小学校通知表にも「もう少しやる気を出しましょうby担任」みたいなことを書かれたことがあった

当時の俺も、やる気とは…?って首を傾げた気がする

与えられたことだけやって満足するな、できることを増やせ、チャレンジしていけ、ってことだろうか

そうだとしても上司よ、行動したとして増えるのは負担だけでお賃金は増えない

非正規だし、昇級とかもない

チャレンジすれば、成長すれば正社員になれてお賃金増えるってことかもしれない

でも正社員、全国転勤じゃん

日本の果てに飛ばされたら目も当てられない

県内異動だとしても朝は早くなり夜は遅くなる

この仕事メリットは自宅至近で仕事が楽で残業が少ないということ

全部失う

定時で退勤してコメダジェリコ吸いながらこね回したネタ帰宅後にこね回して俺の考えた最強の推し漫画爆誕させる

これができなくなるなら働く意味もなくなる

から上司並びに弊社、ごめんなさいね

あなたとは本気じゃないの、遊びなのよ

2023-06-29

私の母親日本人ではない

物心ついたときから私には母と兄しかいなかった。母はまだ幼い兄と私を連れて父と離婚した。暴力を振るわれたとかで離婚したと言っていた

狭いアパート家族3人で暮らしていて、深夜に仕事をしている都合上、夜になると兄と私は同じアパートに暮らす母と同じ国籍夫婦に預けられた。

今では真偽は不明だが、母は私達を預かる代わりにその夫婦お金を渡していたらしい。ほんとうに苦労して育ててくれていたと思う

兄と私が園児になったころ、その夫婦のところに預けられなくなった。トラブルか何かがあり、母はその夫婦に私達を預けることをやめたらしい

母は私達にゲームを買い与えたりして手間を省いてたかもしれない。他にもおもちゃは買い与えられたが、私達が欲しがったのはわかりやすゲーム機で遊ぶことだった。

家に子供けがいる状況で、その頃から私達はおかしくなっていたのだと思う

やんちゃする兄を母は躾としてハンガーで叩いたことがあったらしい。当時はまだ体罰が許されていた時代だったかもしれない。そしてまだ幼い兄はそれを真似て、私が言うことを聞かないときハンガーで叩いて言って聞かせた。

兄は母がいるとき私に躾をすることがないので、私は夜になるのが怖くなっていた。

すぐに言えばいいものを、子供ながら母が苦労していることがわかっていたので言えずにいた。自分けが我慢すればいいことだと思っていたかもしれない

兄の行動は徐々に歯止めが効かなくなり、ある日、本当に怖くなってしまたから泣きながら母に兄のことを話した。

それから母は深夜帯の仕事をやめて昼間に働くようになった。


父は山に囲まれ田舎に住んでいた。亭主関白のもののような人だと思う

私は父が何をしている人なのか職業以外なにもしらないまま育った。それより父を父親だと思うことができなかったのでどうでもよかったまで思っている

まだ読み書きもできなかったころ、母がお父さんと話してほしいと言って電話わたしてくれた。父とは物心ついたとき父親だと言われて会ったことがあったから、電話先にいる人物父親だと私は認識して話していた。

そしてある時、父にお金がほしいと頼むように母に「おねがい」された。私達は教えられたとおりの内容を電話で話した。

例えば、お母さんがお金がないって言ってるからお金ちょうだい。といった子供が言える最大限の言葉で父に頼むのだ。

そして頼むことができれば褒められ、父が無理だと言った日にはもう1回電話して頼むように言われることもあった。

まだクレヨンとかで絵を描く子供が5万円ちょうだいなんて言うのだから、ほんとうに今考えると気持ちがわるいと思う

うその時点で母に合わせないといけないと思っていたかもしれない。そしてこれは19歳になるまでやっていた。

たぶん離婚したとき養育費について具体的に決めていなかったのだと思う

から父親らしいことをされた記憶は私には数えるくらいしかない。それも本当にたまに会ったときにだけだった。10代半ばあたりからお金を頼む相手しか見てなかった


まだ園児だったこから、私は自分が他の子たちと違うことを認識していた。

母は日本語の読み書きができないのだ。だから私達が通う場所ことなどを理解するのに苦労したのだと思う

持っていく必要もの行事などは、私はいつも忘れていたしできなかった。兄もそうだったのか今では過ぎたことなのでわからない

しかし他の子不自由なく過ごしていて、自分にできないのはなぜかわからなかった。

それと母が昼間に働くようになったときは、いつも私達の迎えだけがすぐには来なかった。

兄が小学生になったあたりで、静かになる施設の中ひとりで迎えを待つ時間が途方もなく感じたのを覚えている。

いつもより早く母が迎えに来たときはすごく嬉しかったと思う


小学生になった私と兄は多少物事理解するようになっていた。引っ越しして前よりもまともな生活ができた。

ここから母は私達の教育学校に任せるようになった。元々、教育などされていないかもしれなかった。教えられたことと言えば、母が帰ってくるま家事をすることだったかもしれない。

今でも母が仕事から帰ってくる時間あたりから何かしなきゃいけないとか、待たなくちゃいけないとか焦ったりする。怒られないようにしなきゃいけないと考えていたと思う

仕事をしなければいけない母は日本語勉強する時間は無い。大きくなったらお母さんを支えてねみたいなことを言われた覚えがある

厳密には仕事で疲れて日本語勉強することができないのが正しいかもしれなかった。

勉強を教えられなかった私達は学校へ行って授業を真面目に受けても、勉強をするということがわからないのだ

宿題をやってくるように言われて家へ持ち帰っても、宿題をするということを教えられていないからやれなかった。

母も口では宿題をやれと言うが、やらせようとはしなかった。

兄もそんな感じで、私達が自分から勉強することができたのは高校生からだったかもしれない

学校関連の保護者が処理すべきプリント用紙や、家での細々とした書類なんかはその頃から兄と私がやるようになっていた。

ここまで読めば予想できるとは思うが、もちろん学校行事に母が来れるはずもなく、私達も親が日本語理解するのが難しく仕事で参加できないのをわかっていた。

保護者込みの学校出来事といえば、三者面談があると思う

それだけはさすがに保護者必要なので仕事を休んでもらって来てもらっていた。

先生宿題や成績のことを言及されたとき、私を責めるような辱めるようなことをその場で母から言われたのを覚えている。

親が外国人の教え子なんて当時はまだまだ珍しかったのだろう、私の担任になった先生たちはあまり触れないようにしてるよう感じた。

それはそうだと思う、明らかに厄介ごとを抱えてるのだから


勉強ができなかった私は高校生になり、片道1時間弱かけて偏差値の低い高校に通っていた。

1年生の時はまったく勉強ができなかったのと、いじめられて孤独だった私は深く傷がついている状態だった。

それでも周りに心配させないように隠して過ごしていたが、途中から環境が良くなったこともあり卒業するまでは一般的高校生だった。

変わらず母は私達に教育などしてくれなかった。私達は家事を手伝っていたが、それは怒られるからやるといった感じでしていた。

私はその頃には周りの顔色を伺ったり合わせようとするような人になっていた。自分さえ我慢すればいいと思っていたのだ。

ある時死にたいと母に泣いて告げたときすごく優しくしてもらったことを覚えている。


兄が成人して家から離れるまで、まだ私達は家族でいたのかもしれない

大学生になった私はいなくなった兄の代わりに家のことをやるようになった。私には無理だった

兄と私は違うのだ。それなのに母と兄は私にも同じように立ち回ってほしかったらしく、できない私を責め続けた。

から私は泣き虫だったのだが、感情を出すのを悪いことだと捉えているかもしれなかった。

怒るときも悲しいときも泣いてしまうし、自分の気分が落ち込んでいるとき自分を責めていた。

母はそんな私に向かって泣けば済むと思っているとか、もう今じゃどんなことを言われたのかここに書けなくなってしまった。

そして悪い出来事が積み重なっていたときのある朝、玄関のドアノブに手をかけた時、開けられなかった。まだ1年生の夏休みすら過ごしたことがなかった

私が引きこもってる間に母はなにもしてくれなかった。普通は親とかが休学手続きなどをしてくれるだろうが、私の母はそんなことわかるはずがなかったのだ。

そして一切大学に連絡がいかない状態が続き、ある日家に届いた退学通知を見た時から、私はそれまでの自分が失くなったように感じたのを覚えている。

兄もたまに家に帰ってきていたが、私が何もしてくれなかった周りを責めたときから帰ってくることはなかった。


それから半年か1年引きこもって半年アルバイトをするかしないかみたいな生活をしている。友達もいなくなってしまった。

引きこもりから脱せた時、低賃金でも収入を得てやり直そうとしている私を見て、母は応援してくれていた。正確には何も言ってこないようになっただけだったが。

仕事をするようになっても上手くいかないことが多かった。馴染めなかったり体力的にも向いてないのに無理やり働いて続かなかった。

まだ家から出れないときから、母は光熱費などの支払いを忘れることが多かった。口座引き落としにすればいいと思われるだろうが、母がそんな手続きできるわけがない

電気やガスが止まるとさすがに私も困るので、何も話し合いをせずに自然と私が家の支払いの一部を負担するようになったのだが、私の貯金たまることがなかった。それよりも本当に忘れているんじゃないかと思うくらいだった。

さらに私からお金を借りていくことが多かった。ある時、私の貯金がたまらないことと支払いについて母に言ったことがあったのだが、今まで世話していた分やるのは当然で一緒に住んでいるのだから当たり前といった感じで喧嘩になった。

私はこの時点で支払いのことや諸々の家のお金にまつわることが嫌いになっていた。喧嘩をしたくないので母が忘れている支払いを全部していたのだ。

働けるようになったのだから私が負担することは自然な通りかもしれないとは思うが、先に進むためのことがなにもできなかった。

安定した収入を得る仕事をする必要があるのはわかっていたが、自信がなくなっていたのと自分はなにがしたいのか今でもよくわからない。

私は甘ったれなんだと思う


母とはいつも喧嘩しているように思える。昔と同じで家事をやらなかったりすると怒るのだ。

一緒に住んでいるならして当たり前だと思うだろうが、感情が爆発してから何かをやろうとするのが本当にできなくなってしまった。私自身もこういうことはできなくちゃいけないと思っているのに上手くできなくなってしまった。

私は母を話が通じない相手として見ている部分があるのでこの家には異常者しかいないんじゃないかと思うことがある。

1年前、心療内科に通うようになってそこで初めて私には精神疾患があることがわかった。処方された薬を服用するようになって母にそれを説明したのだが理解されなかった。

そして私自身ただ薬を服用してるだけで次に繋がっていかないことを自覚してしまって数ヶ月前から通院をやめた。

また半年前にアルバイトをやめてしまったので少しだけの貯金を切り崩しながら家の支払いをしていたが、もうそ貯金もなくなってしまって今に至る。


よくある親エピソードなんだろうと書いてて思うが、日本語理解できる親というのが私には羨ましかった。

私の母はコミュニケーションがとれるくらいには日本語が扱えるが、ひらがなカタカナの一部を除いて日本語の読み書きができないのと難しい言葉などが全くわからない。

故に学校勉強した自分の子供だけが頼りということだ。そしてそんな私がいつまでも家にいるか生活できているんだろうと思うことが何度もある。私の人生は母のためだったかもしれない

わかりやすく言うなら宗教的な考え方を持っていて、科学を話すことができない人だといえばいいのだろうか。言語さえまともに通じる相手ならここまで苦労しなかったのかなとか、こんなふうになることがなかったのかなとか気休めに考えてしま

ほんとうはもっと筆舌に尽くし難いエピソードが多くあるのだが、書いていたらきりがないのでここで終わりにする。


ここまで読んでくれてありがとうございました。

2023-06-28

anond:20170608163024

小学校教員です。記事を読んでびっくりしました。私が勤務している自治体では、特別支援級に勤務している先生の多くが(統計は手元にないので、体感で6割程度)、支援学校免許を持ったベテラン(5年以上支援級で勤務)の先生です。この記事にあるように、「1年ごとに先生がガラッと変わる」ことはありえません。「指導力不足」の先生がやむなく支援級の担任に回るケースは確かにありますが。地方なので教員ステータスが高く、地元国立大学教育学部小学校支援学校免許を取得し、生涯特別支援教育に携わりたいという意欲を持った人材も多い印象です。特別支援級の担任になると、1日あたり1000円の手当がつくのですが、それも支援級のベテランが多い要因かもしれません。他の自治体には同様の手当はあるのでしょうか?

2023-06-25

anond:20230624224022

ゼルダでさえやってなさそう。

小5の息子の友達だれもやってない。マイクラとかエーペックスはやってるみたい。

この前クラスに一人だけやってる人いたって言って、誰って聞いたら担任先生だって

2023-06-20

親の不倫子供彼氏

結局自分第三者なので、べつに広末氏がだれと不倫でも浮気でもするのは勝手にしていればいいと思っている。キャンドル氏がサレて憤るのも分かる気もする。鳥羽氏逃げ回ってて草、謝れる大人になれよ子供か?

かに広末は人を魅了する才能がある、きっと異性(同性にもありうるが)に「この人は自分が守ってあげなければいけない」、と思わせる才能も持っている。その結果の男性遍歴だろうし、結婚歴だろう。これはもう開花してしまった才能なので、今更枯らすことも摘むこともおそらく難しいし、そうしたいというならば本人の努力次第。

でも結局一番つらく苦しい思いをしているのは子供だ。育児放棄はしていない、いい母親だった。とキャンドル氏は言っていたが、両親がいない間が少なくともあったはずで、その間はご長男が見ていたのだろうは想像に容易い。まあでもそんなこと実際の家族しかからないことなので、これは割愛

例の会見の記事を見て思ったのは、末っ子長女はわけがからなくて泣いている……これはしょうがないこと。長男次男が「大変だろうから母さんについていくよ」、と言ったのが気になった。一緒に様々な意見を見ていたので、経済的理由で付いていくのでは、という憶測になるほどと思った。ATM

父親も大変だろうにな……が第一だった。その次に湧いてきた憶測は、広末が息子たちを彼氏化しているのではないかということ。上記でも述べた通り「この人は自分が守ってあげなければいけない」という観念を、子供たちに植え付けてしまったのではないか。そうなると面倒くさい、すこぶるだるい

ある親が保護者会に出た時、担任教師から「息子さんを彼氏と思わないでください」と言われた。というツイートはるか昔に読んだのを思い出した(詳しくはパブサしてね)。

この先子供たちも恋愛経験し、結婚もするだろう。でもそこに辿り着くまでに、パートナーになる人の前には「広末涼子」がそびえ立つ。しか母親の面をした熟練彼女。どんなに付き合って一緒の時間を過ごしたとしても、広末の子供たちはパートナーよりも広末涼子を選ばれ、広末涼子と比較対照される。つらい。結婚出来ても「おふくろ」と書いてかのじょとるびがつく女が最優先になりうる可能性が高い。しんどい

娘は分からん母親に似るかもしれないし、母親反面教師に出来るかもしれない。これも本人次第。

この先子供たちがいじめ対象にならないといいなと思う。親のやらかし子供に降りかかるし、子供やらかしは親に来る。不倫は文化なんて令和の時代通用しないよ。

2023-06-15

体育もスポ少部活も大嫌いだった。

脳筋、なんて揶揄されてるのを見るたびに思い出すけど、まともな指導者に当たったことがない。

小学生のころの体育の成績は「励ましたい」←励まされたことがない

中学生のころの5段階評価はいつも「2」

高校生のころの10段階評価はだいたい「3」か「4」

課題全然こなせなかったのは事実だけど、それに向かい合ってくれるような指導者は皆無だった。

成人してだいぶ経ってからスキーをやってみた。

思いのほか滑ることができて驚いた。

自分身体能力はすこぶる低いと思っていたから。

苛立つことなく、諦めることもなく、根気強くアドバイスをし続けてくれた配偶者には本当に感謝している。

スキーだけは、好きなスポーツだと言えるようになったのが嬉しい。

振り返れば、私の出会った体育やスポーツ指導者は、私のようなできない人に対してできるように教えようとしてくれたことがなかった。

親が勝手に決めてきてやらされたミニバスは、ルールを知らなかった。

小学4年とか、それくらいの時期だった気がするけど、私は低学年の子たちのグループ指定され、ペアを組んでなんとなくボールパスし合っていた。

それ以外に何をしたらいいのか分からなかった。

ゴールに向かってボールを投げる機会があっても、私のボールがゴールに届くことはなかった。

ボールの投げ方もよく分からなかったのだ。

何度投げても入らないこの競技は、ちっとも楽しくなかった。

1,2回、試合に出させていただいたことがある。

お情けであることは子どもの私にも十分理解できた。

当然のことながらポンコツな動き、なんの役に立つこともなく、周りのうんざりした雰囲気が刺さる。

その場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

コーチは上手な子にしか眼中になく、彼らに厳しい指導をしていたけど、

特に自分には何も教えてくれないこの人の存在がこの時はよく分からなかった。

なぜこの人に皆頭を下げるのか?

なぜこの人に「ありがとうございます」と言っているのか?

今ならばとりあえずそうしておくのがいいと分かるし、スポーツ世界は厳しい上下関係存在するということも知っているけど、

自分の知らないルール基準で進んでいくこの集団に属していることが、みじめで苦痛だった。

お礼を言うべきことを私は一度でもしてもらっただろうか?

入団したとき挨拶くらいはしただろうけど、「コーチ」と何かやり取りをしたことはほぼなかったことに気づいた。

時代的な背景もあり、水も満足に飲めない環境地獄だった。

結局ミニバスは辞めた。

体育の授業では、校庭に半分埋められたタイヤや馬跳びはなんとか跳べる(またげる)けど、跳び箱は跳べない。

踏切板を置かれたところで、分からない。

周りの動きを見ても、「上手に跳んでる」事実が分かるだけで、どうしたら跳べるのか結局分からなかった。

中学生になると、跳び箱の奥行は更に伸びた。

小学校にある跳び箱も跳べないのに、こんな細長いの跳べない。

マット運動身体をどうしたらそうなるのか分からなかったし、体力測定のボール投げは最低ラインの線までいかなかった。

小学校の担任体育教師も、見ているだけ。きっと安全管理のためだろう。それは必要なことだ。

たまに上手な子が何かを挑戦しようとしているときには手助けしてたけど。

私にかけられた言葉は「やれ」「なんでできないの?」だった。

こっちが知りたいくらいだ。

まあ分かる、分かるよ、できる子を更にできるようにする方が簡単からね、達成感もあるだろうし。

でも指導する立場としてできない奴にそれができないならせめて黙ってろ。

あれかな?できない奴をこき下ろして恥さらしにすることでストレス解消してたのかな?

サンドバッグかよ。

教育者とは何だろうか。


競技ルールは知っていることが前提で、みんなどこでそういう知識をつけていたのか不思議だった。

今ならインターネットで調べればすぐに出てくるけど、当時はどうやって調べたらいいのかも分からなかった。

部活運動強制だった。

田舎学校から選択肢もなく、しぶしぶバレー部に入ったものの、ここでもやっぱりルールが分からない。

やたら人数の多いこのバレー部は、だいたいの人が球拾いと、走り込みと、腹筋背筋。

ボールに触れる機会はない。

この時点でかなりの運動嫌いになっていた私にとって一番マシだったのは球拾いだった。

単調で時間永遠にも感じられる走り込みや腹筋。ただ苦しいだけだった。

競技をする方がまだ気が紛れていいけど、参加に値する身体能力がないからひたすら苦行に徹するのみ。

ここに所属する意味とは何か?

お片付け要員にしたって多すぎる。

ただぞろぞろとついていくだけの、休日試合

何もできないし、できるようになることもないし、得るものもないし、苦痛と拘束と息苦しさばかりの体験だった。

オリンピックスポーツ大会にも興味がない。

他人がやっているのを見て何がそんなに楽しいんだろう?なぜそんなに熱狂できるのだろう?

アイドルかにも興味ないけれど、友人に「それは推しからだよ」と言われて、概念として納得できた気がする。

プレイヤー自身ファンであるならなるほど、確かに夢中にもなるだろう。

ただ、ファンでも推しでもなんでも構わないけど、

なぜ公的というか、全国大会とか世界大会とか、テレビの独占放映だとか、交通規制してまでやるのだろう。

それって随分と押しつけがましいと思わないか

スポーツからの「みんなスポーツ好きだよね!協力してくれるよね!応援して当然だよね!」という圧を感じる。

歴史を見れば、肉体賛美や競技場での決闘に湧き上がるのも理解できるのだけど、

少なくとも「全員がスポーツ界や競技好意的ではない」ということは知っておいてほしい、と思う。


結論というか、提案として、

スポ少に限らず何等かのスポーツをする団体は、ぜひとも目的や応募条件を明示してほしい。

ルールも知らねえ運動音痴はお断り、としてくれればこんなみじめな思いをすることはなかった。

学校の体育も部活も、エンジョイ勢ガチ勢(とできればゆるーいグループ)に分けて運営してほしい。

教員不足や労働環境に関する問題は別の深刻な問題なのでここでは置いておく。

その競技を思いっきりやりたい人たちにとって、私のような運動音痴は足を引っ張るだけの存在だし、こちらも楽しめるはずがない。

お互いにとって不幸なのだ

教育カリキュラムとして身体を動かすことがマストなら、運動音痴には基本的身体の動かし方だとか、そういうところから教えてほしい。

学校教育地域環境で体育嫌いになる人が一人でも減ることを願う。

2023-06-12

障害ある子供普通学校普通の学級に行かせるな

障害ある子供の親御さんたち、教育委員会先生たちの薦めを無視して無理矢理普通公立校普通の学級に入れるのはやめろ。

発達障害やら何やらあるが、全国の支援学校支援学級に在籍している知的障害割合が1番多いため、主に知的障害の子供について話す。ただし、他の障害種別でも通用する話ではあると思う。

だいたい、文頭で指摘したような、障害がある子を無理やり他の子と同じ環境に入れたがるような親というのは

自分の子供に障害があることを頭ではわかっていても認めたくない。

特別支援学校(学級)やそこに通う子供、あるいは障害者それ自体に対する強い偏見がある

子供のヤバさ(学力の遅れや集団に馴染めないなど)をきちんと把握できてない

のいずれか、あるいはハイブリッドなのだテレビ等でよく美談のように語られる中では「普通学校で学ぶことの方が様々な経験ができる」みたいな、あたか子供のためを思っているかのような美辞麗句で誤魔化すが、大体はこのどれかに当てはまる。

そもそも普通公立校に通うことが本当に障害ある子供のためになっているのだろうか?中には他の子とお互い刺激しあって力を伸ばす子もいるだろうが、ごくごく一握りだと思う。大半は勉強についていけず、お客さん状態(授業中、発言もできずただ終わりまでぼーっと座ってるだけ)になっているのが関の山だ。仮に学習についていけているとしたら、先生学校の大変な努力配慮の末に辛うじて成り立っているものだろうし、おそらく長くは続かず、学年が上がり内容が難しくなっていくごとに真綿で首を絞められるが如く状況は厳しくなっていく。

そもそも、そのように学習に大変な配慮必要とする子が学級にいることで、先生負担は遥かに増す。私学ならともかく、公立校教員に「一部の子は見捨ててでも授業の進度を優先する」という選択肢はないに等しい。つまり理解に困難を抱える子供への授業作りが主となってしまい、授業内で応用的な内容、ハイレベル適用問題などに取り組むことが難しくなる。また、授業は普通に進めるが、その分ついて来れなかったところは放課後につきっきりで学習するという手もなくはないが、それをするということで先生負担が増えているというのは火を見るより明らか。そして先生負担が増えると困るのは誰か、皺寄せが行くのは誰か。その学級の子である。無理矢理普通級に障害ある子供を入れることにより、巡り巡って自分たちの首を絞めている。自分だけならまだいいが、影響は大なり小なりそのクラスの子供全員に及ぶ。

障害のある子が特別支援学校特別支援学級に入るプロセスのことを「就学相談」や「就学指導」などといった呼び方をする。

おおまかなプロセスとしては

幼児期からの発達の様子を見て、幼稚園保育園などから声がかかる、あるいは小学校入学前にある就学時検診における知能検査などの結果を見て、もしくは小学校中学校在学中に随時学校教育委員会から就学指導を薦められる。

公的機関医療機関などで発達検査を受ける。

③発達検査の結果から教育委員会の人などがその子にあった判定を下す。

④次年度以降、③で出た判定の進路へ進む。

といった流れである。だが、保護者はこのプロセス中いつでもキャンセルができる。保護者が嫌がれば就学指導は中止され、自動的普通公立校普通の学級に行くことになる。また、③で特別支援学校判定が出たとしても「普通公立校支援学級ならギリ許すけど特別支援学校お断り」みたいなパターンもある。というかこのパターンは割とよくある。(普通学校支援学級在籍者のうち、体感1〜2割はそれ)

ここで曲者なのは保護者意向次第でいつでもやめられる」ということ。冒頭で示したように、自分の子障害があると認めたくない人や偏見を持っている人は、そもそも就学指導の話を持ちかけられた時点でブチギレる。プロセスの途中でも、他所から変な知識を入れ知恵されて突然やめたりする。そうなるともうお手上げである。冒頭の黒ポチ3つめのパターンも厄介といえば厄介だが、子供のヤバさに気づいてくれたら考え直してくれることがよくある気がする。(まあ気づくまでに何年もかかって、結果勉強理解は同学年の子より遥かに遅れて取り返しがつかなくなっている事が多いのだが。)

もう一度問うが、無理矢理普通学校普通の学級に行かせることが子供のためになっているのだろうか?

就学指導で「貴方の子特別支援学校判定です」と言われたということは「お前の子バカガイジなんだ」と言われてるように捉えるかもしれないが、そうではない。その子特別支援学校で学ぶことが合っているというだけの話である。それによって何ら人格が貶められることはないし、就学相談に携わる人間は誰もそんなこと思ってない。

環境の面でも大きな違いがある。小学校ではクラスの定員は35人だが、支援学級なら8人、支援学校なら6人であるちょっと考える頭があれば、これだけで雲泥の差とわかるだろう。さらに、支援学校担任が2名になる場合もある。また、学校設備面でも、当然普通学校と比べ遥かに充実している。教員免許特別支援学校用の免許のため、専門的な知識を身につけた教員ばかりなのである。(当たり前だが、普通小学校には小学校教員免許しかない人だって当然いるのだ。)どちらで学ぶことが、子供本人のためになるだろうか、子供本人の成長につながるだろうか。

更に言えば、障害ある子供の将来に関してもやはり特別支援学校にはアドバンテージがある。特別支援学校では「作業学習」という時間があり、職業訓練のような事もする。また、特別支援学校であれば、障害のある人でも就職給料を稼ぐことのできる職場とのコネクションもある。普通校では作業学習時間はないし、就職支援だって特別支援学校専門性には敵わないだろう。

長くツラツラと書いてしまったが、世の保護者に言いたい。自分の子障害があり、特別支援学校特別支援学級で学ぶことを薦められたら、どうかその通りにしてあげてほしい。教育や発達に関してある程度知見を持った人が何人も集まってそういった判断を下しているので、それを無視して無理矢理普通クラスで学ばせることは、本当に子供のためにならない。親のエゴしかない。親のエゴ普通学級に入り、理解が難しい授業を一日6時間聞き続ける生活を何年も強要しないでやってほしい。その結果(必ずしもこうなるというわけではないが、一例として)小5小6や中学生になっても九九の3の段も言えなかったり、小3になってもひらがなの50音が読めないような子を生み出さないでやってほしい。その子たちは、その子たちにあった環境勉強していれば、もっと伸びることができたかもしれないのだ。

親のエゴ普通学校に通わされ、勉強が十分身に付かず年だけくって卒業していく子供のこれから人生における苦労を考えると、気の毒としか言いようがない。

2023-06-10

七五三って7歳と5歳と3歳だろうが。

16歳に向かって七五三じゃねえよ。

担任も笑いやがって。神田外語大なんて底辺文系卒業した人間教師なんてやるんじゃねえ。

大学サークル彼女いるかいきなり話振ってきて「いない」って答えたら「〇〇は背低いから無理」とか笑って言ってきたあの聖澤庄之助似の教育学部文系学科のブスにも彼氏いやがるし、世の中どうなってんだよ。

俺は人間からな。サンドバッグじゃねえんだよ。この世でサンドバッグは低身長のくせに子供を産んだ俺のクソ毒親と低身長のくせに男から告られてその上そいつを振った分際を弁えない妹だけで十分だ。

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