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2023-09-15

教員給料が上げにくい理由

タイトルちょっと盛った。

はてなー簡単給料上げろ、負担を減らせというけれど教員仕事特性上やるとしたらかなり厳しいことになるということを言いたい。

まず業務がかなり属人的で、時期や部署によってやる内容がかなり変わってくる。

例えば学校全体で数人しかいないような限界集落教員と全校生徒が500人以上の教員では職務内容は全然違ってくる。

他にも部活の強豪校でその部活を中心に回っている学校とそうでない学校でも全然違うし、中学受験が当たり前な学区とそうじゃないところでも雰囲気から全然違う。

他にもその年は非常に手のかかる発達障害の子供を担任するとか、受験生の学年を受け持つとか、地域半グレに感化された連中がまとめて入学してくるとか、生徒同士で妊娠させたか学校責任を取れと保護者が乗り込んでくるとか、例を出せばキリがない。進学校指導特別支援学校指導だって全然違う。

教員待遇給料見直し業務改善を本格的にやるならばこの辺りの教育業界では「センセひとつのんますよ」でなあなあにしておいたほうがいい問題も全部洗い直さなければならなくなる。一方は同じ1時間でもプリントあげて自習させとけばよくて、もう一方は授業中ポテチ開け始める生徒を叱ったり脱走した生徒を下がりたりしなければならない。

もちろん一律で全員給料を上げるのが一番望ましいのだけど、それだけでは結局業務はファジーな「たのんますよ」のままで、ブラック環境を引かないことを願うことしか出来ない。この部分に真面目にメスを入れたらジャニーズ芸能界全体に飛び火するみたいな話になってくる。

まずは教員基本的人権(定時退勤、児童生徒保護者から罵倒されない、パワハラ禁止)の徹底からだけど、どうなんだろうね。

2023-09-14

最近人の親になったけどあの時の親の気持ちがやっぱり全くわからない

中学3年のときの話。

学園祭が終わった夜、部活同級生4人でオールをしようということになりカラオケ雀荘漫喫に行く流れでまとまったのだが(今は知らないが、当時は詰襟のままでも平気で入れてくれる所は新宿渋谷池袋あたりの繁華街まで足を運べば必ずあった)、1年生の後輩が自分も付いて行きたいと言い出した。

「お前は家に帰れ」と皆で説得したけれど、どうしても一緒に行きたいとテコでも動かなかった。結局、「学園祭の日だから特別に親の許可が出てるんです」の一言で仕方なく後輩も仲間に入れることにした。


翌朝、俺は母親に叩き起され、顔を真っ赤にした父親から今までの人生で一番迫力のある説教を喰らい、挙句ビンタまで御見舞された。

後輩の母親が俺の家へ「嫌がってるうちの子を無理矢理朝まで連れ回すとは何事か」と猛抗議の電話を寄越したのだ。


週明け、早速俺は昼休みに後輩のところへ行き

「お前とはもう絶対に遊ばないけど、お前んとこの母親に会わせろ。学校休んででも時間合わせるし家まで行ってもいいか絶対に会わせろ。クソすぎて納得いかねえ」

と申し入れたところ、

その日の夕飯時にやはり我が家電話がかかってきて(母親は1時間ぐらい受話器を手にしたまま謝り倒していた)、「お母さんもう死にたいよ」と泣かれた。

この時まだ父親は帰ってきていなかったが、まもなく自分に訪れる未来想像したらおっかなくなり、大急ぎで貯金箱の金を全部財布に入れて家を飛び出し、携帯の電源を切り、わざわざバスに乗って、少し遠めのファミレス避難しそのままそこで夜を明かした。


午前7時台の東海道線に乗り終点沼津駅で降りてずーっとプラプラしていた(沼津東?高校の近くの海岸絶句するほど綺麗だった)。

昼過ぎ頃、恐る恐る携帯の電源を入れて着信履歴をチェックしてみると、確か妹から3回くらい、同級生たちから20回くらい、学校から5回くらい、家からは本当に数えれないくらいの着信があった。



いよいよ観念した俺はそのまま東海道線に再び乗って学校に行くことにした。家に帰る勇気はとてもじゃないけどなかった。

夕方頃に職員室に顔を出すと、たまたま担任がいたのでそのまま別室に連れていかれた。


先生、俺って立場的にまずいことになってます?」

「いや全然。それよりおうちの人みんな物凄く心配してるから絶対今日そのまま帰れよ。お父さんもお母さんも怒らないか絶対にそのまま家帰れよ」

「わかりました。ていうか先生学園祭のあとのこと知ってます?」

「それも大丈夫から明日からまた学校来なさい」

はい。……でも俺、〇〇の母親にまだ死ぬほどムカついてるし頭パーだと思ってますけどね」

「もういいからそういうことを言うな」


結局、担任の言う通り俺は家に帰っても母親父親のどちらからも全く怒られなかった。

翌日、学校では「親と揉めて家出」という行為を周りから死ぬほどからかわれたが、そのまま何事も無かったかのように学校生活に戻り、部活にも復帰した。

後輩との関係も元通りに……ということは全くなく、結局俺は卒業まで彼と一言も口を聞かなかった。視界に入るのも嫌だったので部活辞めて欲しいくらいだった。



それから20年後、俺は子供(♂︎)を授かり親になった。

まれから数ヶ月しか経ってないのに早速、自分内面的変化を感じていて「親になるとこうも意識を変えられてしまうのか」と驚かされる。

そんなときに突然この家出事件ことを思い出した。

当時のことを親になった者として改めて考えてみたのだが……

やはりどうしても謝り倒して涙を流して俺を叱責した母親、引っぱたいた父親気持ちが全く分からないし、

我が子の無謬性を疑わずにひたすら怒り狂って抗議に抗議を重ねた後輩の母親気持ちも全く分からない。

もしも将来、俺の子供が学園祭あの日の俺と同じことをしたとしても、損をしないよういくつか忠告はするけど絶対に怒りはしない。

後輩と同じことをしたとしたら再三再四

「無理矢理連れ回されたなら向こうの親御さんと話をする。その前に確認するけど、嘘はついてない?あと、何となく断り辛くて不本意ながらついて行ったとかは100%自分責任で無理矢理には当てはまらない。思い出してみて?本当に無理矢理連れて行かれたの?」

くらいには執拗確認する。

だって人間ってウソつくし。愛する我が子だからとか関係ねえし。俺だってウソつくし


どっちの親の気持ちも未だに全くわからない。

2023-09-11

恐ろしい夢を見た話

増田大学2年、女。

昨日の夜から今日の朝にかけて、恐ろしい夢を見た話がしたい。

どこにも吐き出せないからせめてここにだけ書き残させて。

夢の内容は

高校時代の友人と数年ぶりに会って現在自分生活高校生活を振り返りながら談笑する」という字面だけ見れば何ら恐ろしい要素は無い他愛のない夢だった。

その友人との関係性を加味しなければの話だが。

・・・

その友人はみらい(仮名)という名前だ。

元々面識はなかったが、高2の新学期コロナによる数ヶ月にわたる臨時休校狭間で行われたクラス替えで同じクラスになり自己紹介で私が「趣味読書で◯◯◯◯◯と◯◯◯◯が好きです」と言ったのがきっかけで仲良くなった。

自己紹介が終わって自由に席移動して気になる人と話していい時間になった時、私は元々友達が少ないためクラス内に友達がいないこと、そして他人に執着しない性格だったこともあり手持ちの本を読んでやり過ごそうとした。

すると、「ねえ、◯◯◯◯◯好きってホントわたしも好きなんだ〜」とみらいが話しかけてきた。

第一印象は「綺麗だな」だった。

二重まぶたに通った鼻筋、光を湛える黒目がちの瞳、細く白い腕、赤い唇。

どこをとっても絵に書いたような美少女だ。

◯◯◯◯◯は私達の世代が好んで読むような作家ではないので本物の読書家だということは問わずとも明らかだった。

その後時間の許す限り◯◯◯◯◯や他の好きなこと、部活などの話をした。

その日の下校の時にはどちらともなく先生の目を盗んで校内でスマホの電源をつけ、LINEを交換するほど意気投合していた。

その日から臨時休校で暇を持て余していたこともありほぼ毎日のようにLINEでいろいろな話をした。

初めて話したときからなんとなく感じていたが、みらいは私と思考パターンが似ていた。

そして学力もほぼ差が無かった。

得意な教科の話になったとき時、二人とも同じ教科を挙げた。

その教科は私が1年の間たった1度だけ1位を名も知らぬ誰かに明け渡してしまった教科だった。

まさかと思いながら「もしかして1位取ったことある?」と返信した。

すると、「もしかしてずっと1位だったの◯◯(増田の下の名前)だったの!?私、1回だけ1位取ったことあってその回以外はずっと2位だったの!」と返ってきた。

こんなことってあるのかと思った。

それと同時に彼女のは切磋琢磨しあえる良い関係になる予感がした。

臨時休校が明けて登校が始まると私達はさらに仲良くなった。

それとともに私の中には負の感情が巣食いはじめた

初めて遠隔ではない担任の授業を受け、二人で談笑しながら教室へ向かっていると、担任からしかけられた。

増田新川(みらいの苗字)(仮名)!お前ら1年の頃から同じクラスだったのか?」

担任にはそれぐらい仲がよく見えたのだろう。

「違いますよ〜!担任なら前のクラスぐらい把握しておくのが筋ってもんじゃないですか〜?」

とみらいが軽口を叩いているのを横目に見ながら私は内心嬉しくて堪らなかった。

こんな美少女と対等な友人関係を築けていることが他人の目から見ても明らかなこと、私はその事実歓喜した。

しかし、その数日後私は地獄を見た。

その日、授業が終わると担任ロッカーを整理しているみらいの所へ向かうのが見えた。

その数秒後、廊下から二人の笑い声が聴こえてきて、今度は私のもとに担任がやってきた。

その担任第一声が

「ごめん。新川増田だと勘違いして声かけちゃった。だってお前ら背丈といい雰囲気といいなんか似すぎなんだよ。」

だった。

信じられなかった。あの美少女を私だと見間違えるなんて。

だって私は重い一重まぶたで背も彼女ほど高くはない。

それなのに見間違えるなんて許せない、彼女の美に対する冒涜だとさえ感じた。

きっと委員会の連絡か何がだったとは思うが、担任のその後の言葉が頭に入ってこないほどの衝撃だった。

担任と会話したあとチャイムがなったので自分の席に戻るともう一度さっきのことについて思索を巡らした。

そこで私は気付いてしまった。

私がおかしいということに。

普通人間なら心の中で喜ぶべきことを私は赦されないことだと感じて、しかも怒りさえも感じた。

どう考えてもおかしい。

他人に執着しないはずの私が、彼女には彼女に対しては何故かこんなに心を掻き乱されている。

もう手遅れだった。

その頃にはもう彼女への、そして彼女の美に対する感情はもはや信仰の域に達していたことを、その時ようやくわからされた。

私とみらいはいつもそばに居た。

休み時間になると彼女の方から私の所へやってくるのが当たり前だった。

その美しさや性格から友達は多いが、その数多くの友達の中で私のことを選んでくれた。

それが私にとっては至上の喜びだった。

クラスメイトが

「みらいちゃんかわいい〜」と言うと

みらいは

「まぁね〜」と当たり前だとばかりに返答していた。

そんな彼女自己肯定感の高さがこの上なく好きで、でもそんな彼女が眩しかった。

だってはいつも彼女の影だったから。

彼女が他のクラスメイトの「かわいい」と言われる時、私はいつも息苦しかった。

私をかわいいと言ってくれる人はいいから。

当たり前だ。わかってる。私が彼女より醜い事は私自身が誰よりも知っている。

決して表には出さなかったが称賛を全てほしいままにしている彼女が横にいると気が滅入ることも多々あった。

それでも私は彼女と一緒にいた。

二人でいる時だけは、その美しい瞳に私以外は映らないから。

それから数カ月後、修学旅行が始まった。

もちろん全ての行動を共にした。

一日目は某県の某資料館へ2学年全員で向かった。

みらいも私も暗い場所は苦手なのでドキドキしながら入館した。

手が触れたのを契機に、どちらともなくお互いに指を絡めて相手の震えを感じながら暗い館内を歩いた。

私は手汗が出やすい体質なので1度手を解こうとしたが、

「怖いから話さないで」と小声で訴えられたので逆らえるわけもなく結局出口までそのまま向かった。

その次の日は班別活動で某県の某洋館へ向かった。

私がお土産を見繕っていると、みらいが

「ねえ、◯◯こういうの好きでしょ?」といきなり声をかけてきた。

彼女の指差す先には、色とりどりの硝子でできた美しいエジプト香水瓶(中は空)があった。

美しい曲線と精緻彫刻

まさに私の求めるもののものだった。

凄く綺麗……とつぶやく

「全部一点ものらしいよ!せっかくだからお揃いで買おうよ!」とみらいはもう買う気満々でその手の中には桜色の香水瓶が収まっていた。

私は彼女のそれとデザインの一部がよく似た空色香水瓶を選び二人でレジへ向かった。

その日の夜食ホテルレストランで食べた。

なかなか量が多く、少食気味なみらいは食べきることができるのかと心配になったのでそれとなく隣にいる彼女を見やるともう限界という顔をしていた。

すると彼女の方から

「これとこれ食べれる?」と言ってきたので有り難く拝借した。

それで終わると思いきや、デザートミニケーキの二種盛りがやってきた。

私はぺろりと平らげたが、彼女はどうしても最後の一つが食べられないようだった。

そして

「ごめん。これ食べれる?」と聞いてきた。

私はうんと言おうとしたが、

私の食器フォークはつい先程席を巡回しているホテルの方に回収されてしまったので食べる術がない。

手で食べるのははしたないしと逡巡していると

はい、あ〜ん」

と私の方に彼女フォークで刺したケーキ差し向けてきた。

同じテーブルの生徒の視線彼女の手と私の顔に集まり、恥ずかしさで頬に熱が走るのを感じた。

いつまでもこのままではいられないと思い、覚悟を決めて顔を近づけ、食べた。

修学旅行でそんなことが起こったため、その後の学校生活ではクラスメイトに彼女との仲をからかわれることも増えた。

「なんかみらいちゃん増田さんって二人だけの世界?っていうか独特な空気感あるよね〜」と言われたりなんかもした。

今まではそう感じたことは無かったがあの修学旅行を経ると確かにと思う自分も居た。

その関係に心地よさを感じる一方、今振り返ればどこか嫌悪感があった。

念のため言っておくと、私は普通の女だ。

小中学生の頃は普通男子と付き合っていたし、好きになるのはいつも男だった。

でも共学は嫌いだった。共学の女が嫌いだった。

あらぬ噂を立てて私と彼氏を引き離そうとする、そういう汚い女が大嫌いだった。

から高校女子校を選んだ。

中学時代仲の良かった先輩から

女子校は本当に生きやすい。男がいないとそういう争いとかもないし。」と聞いていたのもあり必死勉強して女子校入学した。

女子校は先輩の言う通り生きやす空間だった。

秘密の花園なんてのは空想だけれど、進学校だったこともあり皆自分が一番大切だから自然無駄な争いを避けるようになっていたから本当に生きやすかった。

彼女存在けが想定外だった。

今思い返すとというより当時から薄々感じていたが、みらいはボディータッチが多かった。

1日に少なくとも2回以上はハグしてくるし、堂々と人前で手は繋ぐし、とにかく距離感おかしい。

最初こそ戸惑っていた私も仲良くなるにつれて気にしなくなってきたものの、時折嫌悪感に近いものを感じることさえあった。

でも、やめてとは言えなかった。

だってそうされている時だけは自分特別だと感じられたから。

2年の3学期になって3年生0学期なんていう進学校あるあるワード教師の口から出始める中、彼女との関係が変わった(と増田勝手に思っている)出来事が起こった。

2学年最後模試だ。

その前の記述模試から国数英3教科に加えて理社科目が追加された。

その記述模試ではあの教科は二人仲良く同点だった。

最後模試マーク模試だった。

2年最後だしここで一つ頑張ってあの教科でみらいに勝ちたいと密かに思っていた。

毎晩負けまいと勉強して迎えた本番。

習っていない範囲もあったが自分勉強してカバーした分自身はあった。

3月、結果が出た。

私はその教科で全国一桁の順位を取った。

模試順位掲示されるので早速見ると、みらいは私のすぐ下の段にいた。

しか偏差値には20程の差があった。

私は勝ったと思う前に彼女の不調が気になった。

トイレに行っていたみらいがこちらに来て順位が張り出された紙を見ると

「やっぱり◯◯はすごいよ、」と一言言って自分の席に戻っていった。

その日は話しかけてもどこか上の空だった。

次の日、彼女は休んだ。

心配休み時間隠れてスマホを起動させ、LINEを開いてメッセージを送った

すると数分後

明日は行ける。心配かけてごめん。」と返ってきた。

こんな時まで謝ってくるのが彼女らしいなとその時は思った。

次の日予告通り彼女は帰ってきたが、いつものボディータッチは無いしなんだかひどく静かだった。

結局2年の終業式の日まで彼女はずっとそんな感じだった。

3年になるとクラスが離れた。

前はあんなに同じクラスがいいと思っていたのに、最近彼女の煮えきらない態度をあまり好ましく思っていなかったので実際の所は

嬉しさ7割悲しみ3割といったところだった。

しかしその思いはすぐ覆された。

一つがクラスメイトの私に対する反応だった。

2年の時みらいと私ともう一人のクラスメイトの3人でたまに会話することがあった。

3年に進級してそのクラスメイトとはまた同じクラスになったので声をかけると

素っ気無いそぶりですぐ別の友達の所へ向かっていった。

そこで私は気付いてしまった。

結局私は彼女が隣りにいなければ価値のない、何も特別なところなどない人間だと。

みらいとはクラスが2つ離れていたため頻繁には話すことは無かったが、たまに会話するとそれはそれは惨めな気持ちになった。

彼女友達が多い。

私にとっての彼女はたった一人の心を許せる友人だった。

けれど彼女にとっては大勢友達の中の一人でしか無いという事実に串刺しにされる気持ちだった。

から私は彼女抜きで特別になると決めた。

2月模試の結果が私の背を押してくれた。

私にはポテンシャルがあることを教えてくれた。

それだけに縋って、今までの人生でやったことのないぐらい死ぬ気で勉強した。

その成果は存外早く出て6月模試では早速学年1位に躍り出た。

この結果には教師陣も驚いたのか露骨におだててくるようになった。

それをあしらいながら只管勉強した。

7月、もう何ヶ月もLINEなんて送ってこなかったのにみらいから急に連絡が来た。

夏休み日中学校勉強するよね?

良かったらうちの部室くる?」という内容だった。

彼女美術部の期待の星で、大学も某美大を目指していた。

3年に入ってからは画塾にも通い始めたと聞いた。

彼女には夏休み特別に部室の一角占領する権利顧問からもらったらしい。

私はその誘いにあっさり乗った。

彼女と実質二人だけで過ごせる時間をみすみす手放す訳がなかった。

夏休み、みらいの部活の日はみらいの部室で、それ以外の学校開放日はひたすら教室図書館勉強をする日々が始まった。

部室ではみらいが自分の背丈ほどの大きさのキャンパスにひたすら油性絵の具を塗りたくっていた。

正直油性絵の具の匂いは苦手だったが、みらいと同じ空間にいる方が大切なので我慢した。

他愛のない話をしながら、彼女は絵を、私は過去問をそれぞれ仕上げていった。

そんな夏が終わると、また連絡を取る回数が減った。

それもそのはず、彼女は推薦と一般美大受験するため、画塾に通うだけでなく面接練習なども必要になったからだ。

私はただ勉強していった。

この頃には志望校偏差値を大幅に上回る成績を取れるようになってきた。

冬がやってきた。

去年のクリスマス彼女と一緒に過ごしたのに今年はひとりだ。

そんなことを思いながら夜食で出されたホールケーキの残りを頬張りながら勉強していると突然LINE電話がかかってきた。

みらいだ。

素早くスマホに手を伸ばし電話に出た。

「ねえ、受験終わったら卒業旅行行こうよ。

修学旅行でまわったとこ、また二人で全部回ろう」

みらいは電話越しにそう言った。

私が

「うん、絶対行こう。約束

と言うと

「うん。約束。」という言葉最後電話が切れた。

突然そんな提案をしてきたのには驚いたが、その約束は私を鼓舞した。

そして迎えた共通テスト

かつて無い手応えを感じた。

自己採点をするとこれまで取ったことのないほどの高得点だった。

私は私大1本だったか2月受験は終わった。

みらいは家の都合で国公立しか受けられないと言っていたか3月にならないと結果は出ない。

祈るような気持ち2月を過ごした。

3月の頭、卒業式があった。

式が終わってもみらいの元へ向かった

「◯◯、待ってた」

そう彼女は言った。

写真撮りたい」

そう言うと彼女は私にカメラを向けてきた。

自分顔面に自信が無い私はせっかくだから二人で映ろうよと言って彼女スマホを借りてツーショを撮った。

その後は卒アル落書きをし合って別れた。

案外あっさりした別れだった。

そのときはそれでいいと思っていた。

だって卒業旅行に行こうと彼女は言ったから。

その日、LINE彼女スマホで撮った写真が送られてきたのを最後彼女からLINEが送られてくることは無かった。

みらいは志望校合格したら連絡すると言っていた。

彼女志望校合格発表日が過ぎても連絡が来なかったので、私はある決意をした。

整形をする決意を。

幼い頃から親に「醜い顔で産んだから形代は出すよ。ただし、高校卒業したらね」と言われていた。

今こそその時だと思い、すぐカウンセリングの予約をし、施術プランと日程も決まった。

私の思い一重は施術とダウンタイムを経て左右差のない整った二重になった。

大学が始まってからもみらいから連絡が来ることは無かった。

私は私で上京したので新しい暮らしと新しい環境に慣れるので精一杯でみらいに連絡している時間もなかった。

二重になってから人生難易度体感20レペル下がった。

大学同級生とはすぐに仲良くなれた。

それこそみらいが高校時代同級生から言われていたように

かわいい」なんて言われるようにもなった。

高校時代までの私からしたら信じられないほど環境が変わった。

やっぱり美は正義だなと感じた。

前期は友達遊んだテストレポートと格闘している間に過ぎ去っていった

夏休みも終わりに差し掛かった頃、ふとみらいのことを思い出した。

そして私からLINEを送った。

時間後、数日後、数週間後。

待てども待てども返信が来ない。

それどころか未読無視をされている。

プロフィール画像などは変更されているかLINEを見ていない訳では無いだろうに。

つの間にか私は彼女LINE確認しなくなっていった。

しかし私は今でもふとした瞬間にかつての彼女を思い出してしまう。

例えば鏡で自分の顔を見るとき

いつだっただろうか。

私とみらいはあの時担任が言ったように本当に瓜二つだと初めて気付いたのは。

卒業式の後、送られてきた彼女と一緒に写った写真をまじまじと見てみると

私と彼女は鼻の高さ、形、口の大きさ、頭蓋の形が本当によく似ていた。

そう、違っていたのは目だけだった。

私が二重に整形したことで、私の目はぱっちりと開くようになり、彼女の瞳の形そのものになっていた。

今の私と彼女双子のようにそっくりなのだろう。

今の彼女はどんな顔をしているのだろう。きっと美しさが増しているだろう。

そんなことを、私は鏡で自分の顔を見ると考えてしまう。

・・・

今日見た夢は

みらいと数年越しに会って食事なんかしながら

近況や今までのこと、あの時はお互いをどう思っていたかについて話し合う夢だった。

美しいのは相変わらずだなぁなんて彼女を見つめていると、

「◯◯、整形したの?良いじゃん似合ってるよ」なんて言ってきた。

本当に彼女らしいなんて思っているとアラームの音で現実に引き戻された。

起きて夢かぁと思いながら十数ヶ月ぶりに彼女LINEを開いたがやはり既読はついていない。

午後、用事を済ませて家に帰って来ると既読がつくはずないのになんとなくまたみらいのLINEを開きたくなった。

その衝動のまま、トーク画面を開き、自分の送ったメッセージを目で追う

「みらい!最近どう?元気?」

見慣れたそのメッセージの上に目を向けると、そこにはそのメッセージを送った日付が表示されていた。

それを見て息を呑んだ。

そこに表示されていたのは

「1年前の今日の日付」だった。

こんなに都合のいいタイミングで夢に出てくるほど彼女の幻影をいつまでもいかけている自分が心底恐ろしい。

という話。

anond:20230911181027

職場民度低すぎないか

小中は休むなら連絡帳なり電話なりで親の方から連絡するのが普通だが、増田の親は何も連絡せず担任から連絡されるまで放置だったのか?

2023-09-10

奇形界隈に告ぐ 顔整い気にする暇あるなら勉強バイトしとけ

醜形恐怖症にとらわれている奇形界隈の若い子達に伝えたいことがある

増田簡単プロフィール

・女 02line 大学在学中

高校時代一時奇形界隈に居た

・埋没済み

結論ズバリ

タイトルの通り「奇形界隈に告ぐ 顔整い気にする暇あるなら勉強バイトしとけ」だ

これは実体から言える確かな事実

中高生奇形界隈の子は少しでも後悔の無いように過ごして欲しいから読んで欲しい

ガチ顔整いの母親と一重デブチビハゲ親父からまれ増田は幼い頃から奇形だった

奇形自覚幼稚園の頃からあった

お遊戯会で眠り姫をやることになったあの日、眠り姫が大好きだった増田は真っ先に眠り姫に立候補した

あの時の先生言葉は今でも覚えている

増田ちゃんちょっと違うカナー。他の役やってねー。」

その後、キッズモデルをやっていた生まれながらの顔整いマリちゃん仮名)が選ばれたのを目の当たりにし、この世は顔が全てだと悟った

小中は顔が原因でいじめられて完全に自分顔面が嫌いになった

厚い唇 分厚いまぶた 激強蒙古

コンプレックスでいっぱいだった

高校生になってTwitterをはじめて、自分コンプレックスを調べるうちに奇形界隈と出会った

居心地が良かった

なにより自分と同じ感情を抱えながら生きている人がいて安心した

でも本当にこれでいいのか ここに居て良いのかという疑問が湧いた

だっていくら顔整いを気にしたところで変わらないから 自分の顔は

そこから自分の顔をいか人間に近づけるかに専念するようになった

アイプチが一瞬で白いカスと化すほどの激重一重の増田は埋没で二重になることにした

流石に高校在学中に整形するのは

いくら

常に単独行動 

授業中指名された時以外は口を開かない 

休みは一人校舎裏ごはん 

文化祭シフト時間以外トイレ籠りのガチぼっちだった増田でも無理なことは知っていたから、

受験終わったらやらせてくれと親に頼み込んだ

元々親は増田が幼い頃から

自分の子と思いたくないやら川から拾ってきたやら言ってきた分、

罪悪感があったのだろうか 

私が志望していた某国公立大に受かれば費用負担すると言ってくれた

それからTwitterを開くことも忘れて日夜勉強に励んだ

頑張れば整形できると思うとそれ以外のことはどうでも良くなり、

間食を食べたり娯楽に時間を費やさなくなった結果、体重は落ち成績はぐんぐん上がり、学年首席になった

3年になって担任が変わった

その時の担任オブラートには包んでいたもの

友達いないのはどうかと思うけど勉強だけして実績をウチの高校に残してくれればいいよ」

という旨の声掛けを初面談の時にしてきたのでより一層勉強だけに意識を傾けることができた

模試のたびに偏差値も全国順位もぐんぐん上がり「これはイケル」と思えるようになってきた

埋没ができるかもしれないという状況に

ハイのようになっていたのだろうと今では思う

クラスメイトからは裏で

増田さんって狂ったように勉強してて怖いよね。」と言われていたのを覚えている

それすら褒め言葉のように感じるほど当時の増田は異常だった

自分の顔をどうにか人間に近づけたいという欲

たったそれだけのために社会性も何もかもかなぐり捨ててとにかく勉強していた

そして無事に共テと二次突破し念願の志望校合格と埋没の費用を掴んだ

合格したその日にカウセの予約をした

カウセ当日は二重のライン決めと料金プランを立てた

極厚まぶたは脱脂と3点止めでようやく人並みの二重になることが分かった

金プランは取れることも想定して念のためかけ直しアリのプランを選んだ

数日後施術をした

笑気麻酔を吸うと視界がサイケデリックレインボーに包まれ全身が高揚感で満たされた

正気が戻ってきて

薬吸うとこんな感じなのかなとか思っていたら

急に現実が襲ってきた

まぶたを縫う感触気持ち悪い

痛くて呻いていると

もっと吸って!」と声をかけられた

どうやら息を吸うのを止めていたようだ

その後鼻から必死に笑気麻酔を吸い続けていると施術が終わった

手に持たされた鏡で自分顔面を映すと人間が映っていた

やっと人間になれたという喜びで涙を流れた

ダウンタイムは軽めで済んだけど想像以上にダウンって感じで少々病んだ

大学入学式の頃にはまるで生まれつき二重だったかのようにナチュラルに良い感じの幅になってくれた

顔がようやく人間になれたという事実想像以上に増田の心のささえになった

入学式隣の席の顔整いに意を決して話しかけると普通にニコニコしてくれた

それだけで今までの人生が救われた気さえした

だって今までは話しかけるだけで嫌な顔をされ続けてきたか

しか意気投合して友達になれた

やっぱ人生顔だなと再認識するとともに、やっと人間になれたから今度こそまともな社会性を持って暮らそうと決意した

すると中学時代部活に入って即退部したのが信じられないぐらいサークルは楽しくて、一緒にご飯を食べたり遊びに行くような友達もできて、人生大逆転した

今は毎日楽しく生きてる

長文すまん

結論

結局どれだけ綺麗事を言っても顔の良さと社会の優しさは切っても切り離せない

増田場合は整形してありえないぐらい生きるのが楽しくなった

からこそ、若いうちに容姿によるハンデをカバーするための学力や特技は伸ばすべきだし、

整形願望があるなら親を説得したり

説得できなければ資金を稼ぐ努力はすべきだと思う

顔整い気にしてる時間マジで無駄

その時間勉強バイトに充てて、将来の自分幸せに歩いていくための道の舗装をしよう

終わり

2023-09-09

大昭和時代小学生男子学校で必ず一度はやったことがあること

1.裸足で学校中をうろついて画鋲踏む

2.三角牛乳を足で踏んで「パァアアアッッッ!!」言わせようと踏んだら欠席者の中身入ってるやつで男性担任からしこたま殴れらる

3.窓ガラス割る

他にある?

2023-09-08

指定校推薦入試

愚痴を聞いてほしんだよ。

先日勤務先の私立女子校で推薦入試判定会議があったのだけれど。

大学から学部学科ごとに推薦枠(定員)と推薦のための最低基準をいただいているので,

各生徒の希望と成績を照らし合わせ,競合が起こりそうな場合担任面談を行い

志望校誘導しながらパズルを組み上げるように推薦希望の生徒全てにどこかしらの大学の推薦を与えられるよう

夏休み返上で準備をしてきた。

全教員に生徒の志望状況を共有してから

管理職,高3担任進路指導部,生徒指導部,教務部が集まっての判定会議

カンニングによる指導歴あり」

「高1でピアス穴による指導歴あり」

制服スカート丈について再三指導してきたが,改善が見られず。会議前日の全校朝礼でも見咎められ,指導を受けた」

などなど,推薦して良いものかとのご意見が集まる生徒が複数あった。

最終的には全員希望通りに推薦を与えることになった。

モヤモヤするのは

校長が「要するに問題スカートの丈なんでしょ?そんなことで推薦取り消しだなんてなったら,絶対もめるわよ」

とか

担任が「厳しく指導できなかった私のせいで,生徒が成長できなかった,申し訳ない,生徒側に罪はないので認めてやってほしい」

とか

「推薦してほしいと生徒保護者が言えば,学校は推薦しなければならない」空気があったこと。

欠点を補って余りあるほどの活躍をした生徒なんですよ,といったようなアピールは誰からも出ず。

十分反省して改心しているかというと会議前日になっても摘発を受けている。

会議結論としては全員希望通りに推薦することになったが,どうにもすっきりとしない。

2023-09-07

教員だけど遺言かもしれない

やっほー高校教員だよ

まだまだ新米

毎日勉強だと思って頑張るぞ〜

自分担任してるクラスにやっべー男子生徒がいるんだ

とはいえヤンキー漫画とかみたいなヤバさではない

学力もぼちぼちくらい

全国模試偏差値35くらい?笑笑

授業も座って聞けるし、毎日登校もできる

えらいね

でも、ボクは確信してるんだ

こいつは5年後にはレイプ犯かなんかになってるだろうなーって

適当大学適当に入って、適当な飲みサーで、インカレ女子大学生酩酊させて集団レイプするだろうなーーってね

いかんせん人権意識がクソ低いってこと

ついでに女好きだし女子はモノだと思ってるよ

でもね、最近ボクはそいつレイプより前に殺人するかもなーとも思ってる

殺されるのはボクってわけ

そいつはねー野球部なんだ

ボクは野球全然興味ねぇから知らねぇけど、そいつはまぁまぁ上手いらしいよ笑笑笑笑

でもね、生活態度が悪くてレギュラー降ろされちゃったんだ

チームメイトに対しても選抜外の生徒をバカにしたりしてたんだって

クズだね〜死ねばいいのにね〜

顧問いわく、結局団体競技からチームの輪を乱す奴はいらないんだって

でね、そいつレギュラー外された時期からクラス大人しいヤツを攻撃するようになったんだ

お前が死ねばいいのにね〜

あと、少しでも気に入らないこととか面倒なことがあると、学校とか担任のせいにするようになったんだ

で、ボクはそいつ言動を毎回注意してたんだけど、その攻撃がボクにも向きだしたんだ

キモいとか頭おかしいとか、黒板描いてる最中に大声で言われてるよ

ぜんぶぜんぶぜーーんぶボクが悪いんだって

で、ボクはポッキリメンタルが折れてしまった

ここのところ眠れてないよ

病院は暇がなくて行ってないけどねー

限界を覚えたボクは野球部顧問に、奴の素行相談したんだ

野球部顧問は超ベテランで、奴の素行が悪いことはわかってて、なんでも相談してくれって言ってくれてるんだ

今まではたまに報告くらいだったけど、

今回は本格的なSOSを出したってワケ

顧問はじっと聞いてくれて、奴と話をするって言ってくれたよ

これで奴はレギュラー復帰からさらに遠ざかったわけだ

やったね

このまま地獄の底まで消えてくれればいいのに

でも、ボクは思ったわけだ

奴には「反省」ってもんがインストールされてない

奴にとって世界で一番正しいのは自分

ボクは知ってる

義務教育修了までで「反省」とか「感謝」を学ばなかった人間高校でそれを得ることはまずないって

他責思考病気から治らないし、

いつだって奴にとって悪いのはボクだ

どうせ戦争病気も全部ボクのせいだと思ってるよ

で、レギュラーから遠ざかった奴は、またボクのせいだと思うだろうな、と

実際ボクがチクってるわけだし、奴の生活態度についてもボクへの攻撃についても、ボクがチクる以外にないんだけどね

で、ボクを恨んだ奴はボクを殺しに来るってワケ

大学必死勉強して免許取って最期がこれか〜

茨城都市部20代男性教員クラスのガキに殺されたらボクのことだと思ってね

2023-09-06

仕事をサボってソシャゲに興じている旨を公言してはばからない人

・明らかに機密資料なのに平気で写真撮ってSNSに上げる人

担任してる児童生徒を自慢したいあまりモザイクもかけず集合写真SNSに上げる教師

全員身内しかいない鍵垢でやってるけど、その身内が告発しないってどうして信じられるんだろう

普通に職業倫理としてダメだし(特に教師なんか犯罪リスク考えてないのかな?)

全員一応友人だし、告発して彼らの人生破滅に追い込みたいわけではないけど、すごく気になる

縁切ったほうが早いのかなあ

『母という呪縛娘という牢獄』を読んだ

インターネット徘徊をしていたら偶然見つけた『母という呪縛娘という牢獄』を読んだ。最初から最後まで一気に読んだのだけれど、読解力以前に母親を殺した娘が反省していることが全く理解できなかった。演出なら理解ができるけれど、本心ならよくわからない。

娘は母親洗脳に近い教育をされた上に、暴力や進路を勝手に決められることなどまあこんなことよくできるなってことを強いられていた。この時点で娘は母親を殺しても「まあそれだけされてればそうなるだろうな」と思っていた。旅行も行っていたというけれど、母親の好きなテーマパークだし、そんなのは押し付けでは? と思ってしまった。父親は別居、学校では教員に嫌われ唯一頼れる教員は娘を諭して家に帰らせる。

いやなんでみんなこぞって娘を助けないの!? 父親は娘が中学生ときには出ていったと書いてあったけれど、自分母親(妻)のことが無理になり逃げだしたっていうのに娘を置き去りにして見殺しにしたわけでしょ!? そこで連れていけない理由があったとしても、児相に繋げることすらできないの? 娘がひどいことをされていたって知っていたのに無視するって本当に父親なの? 唯一頼れる教員も、娘が「担任と仲が悪いか相談できない」と言っていたのに「俺が繋ぐ」とも自分で通告することもせずになあなあにして帰したって、そもそも教員として生徒を守るってこともできないの? となってしまった。

そのうえ最後には娘が「母親申し訳ないことをした」と言っていたと書いてあって、なんだかなと思ってしまった。「父親には感謝している」ともあったけれど、見てみぬふりをして逃げ出した父親に対して、母親を殺したら何かと世話を焼き始めたか感謝するということがよくわからなかった。一度娘を見捨てた父親がその罪を滅ぼそうとしているだけにしか読み取れない。娘になにかあったとしても、母親のしいたことは異常そのものだし、周りの大人が誰も手を差し伸べないということが全くわからなかった。なんで娘にここまでした母親無罪の「被害者」になり、母親に数十年も虐待を受けていた娘は「加害者」になるんだろうか。殺人なのでそうなるとは思うけれど、こんなのほぼほぼ正当防衛になるのでは? と思ってしまった。これはこちらの性格が悪いのか?

暇空茜の実家

0210 Manners maketh man ◆dali1V2LfM (JP 0H87-QfDG [2.56.252.91 [上級国民]]) 2023/08/26(土) 11:42:08.32

実家から東大寺学園までのルートを調べたら、大和西大寺駅で乗り換えるようです。安倍さんが撃たれた場所ですね。

中学校時代の遊び場だった」という投稿とも一致しました。


暇の発狂の仕方がカラスミ特許で住所晒された時に似てるしガチなんかね?

東大寺学園の最寄り駅は近鉄高の原駅と考えられる

まり近鉄奈良線から大和西大寺駅近鉄京都線に乗り換えるので、実家近鉄奈良線沿線にあるということ

近鉄奈良線は鶴橋環状線接続するから鶴橋大学時代の行きつけがあるというのもそういうことやろなぁ


近鉄奈良線は大阪市東大阪市生駒市奈良市にまたがってるわけだが

小学校時代担任吉野に飛ばされたエピソードから奈良県出身がほぼ確定なので、奈良市生駒市のいずれかの出身

住所でポンで奈良市生駒市水原家を確認すると以下の住所が確認できる

奈良市東九条六条杉ヶ町六条西、朝日

生駒市東生駒月見

この中のどれかが実家可能性が高い

ま、ある程度絞り込めてるし、ハズレでも親戚に着弾する可能性は高いから、もし年賀状送るなら全部に送っちゃうのもアリかもね

巻き添えの水原氏の霊には哀悼の意を表する…勘弁してくれ

2023-09-01

娘(17歳高2)が担任からおっぱい差別されたらしい

始業式から帰ってきた娘の話

娘「担任先生に『おっぱい触らせてあげるから明日の実力テスト問題教えて』って言ったら『そういうセリフはあと10cm大きくなってから言え』って言われてさ(笑)

私「おい娘」

娘「私Bカップから10cm大きくなったらFカップじゃん? だからAちゃんがちょうどFカップからAちゃんに同じこと言わせてみたらAちゃんは『そういうセリフはあと5cm大きくなってから言え』って言われたらしくって。おっぱい差別じゃん!(笑)

私「良いのそれ?」

娘「Aちゃん制服の上から見ても明らかに大きいかしょうがないよ」

娘は笑っているけどこれで良いんだろうか?

2023-08-31

GTO読破した

TOKYO MX放送されていたドラマ反町GTOが先週最終回を迎えた。

松嶋菜々子ロスを感じつつ、そういえば、なんだかんだ最後までGTO読破したことがないと思い、読んでみた。

知る人は多いと思うが内容は、教師に裏切られたことをきっかけに、すさんだ中学生教師イジメ、次々と廃人化させていたところ、他の教師とは明らかに異なる主人公担任となり、学校生活の中で一人また一人懐いていくというもの(1997年2002年)。

たぶん、当時は学級崩壊イジメが割と問題になっていた時代だったのだろうと推察されるけれど、当時の現実の生徒もこんなにエネルギッシュだったのかなぁ?と思い出すことができなかった。

今の生徒は、きっと、当時よりも手軽な娯楽が増えているので、いちいち熱くならないかイジメをやるなら、ネット携帯端末等駆使し、陰湿にやるのではないかと思った。

ただ、内山田教頭の長ボヤキの中には、当時の社会情勢に触れる文言も散りばめられているのだが、2023年でも言われていることが割とあることにやや驚いた。

失われた30年とはよくいわれるが、マンガ連載当時から20年、大人世界はさほど変わっていないのかもしれないということに、何とも言えないモヤモヤした気持ちを抱いた

(反町や松嶋や生徒の演技を見ていると、現代ドラマの演技の方が格段に進歩しているのを感じた。中尾彬現代の目で見ても良い演技だと思った)。

個人的には13巻の、パンツを脱がすレベルで散々イジメていた男子のことを、吊り橋効果ガッツリ好きになってしま上原杏子が良かった

(当時、アニメも見ていたが、やっぱりこの場面が良かったと思っていたことを思い出した)。

今連載されていたら、ネットでそれなりに叩かれるのだろうが。

2023-08-29

卒業文集によくあるランキングで「しまむらの服が似合いそうな人」っていうのがあって、男子投票されたことを今でも根に持ってる

マイナスランキング担任が止めさせると思うが「しまむらの服が似合いそうな人」は直接的じゃないから止めなかったんだろうか 止めろよ

2023-08-24

親が陰謀論者なんだが、自分も狂ったらどうしよう

実家やばい。親がやばい兄弟やばい

まず、陰謀論って聞いて大体の人が思いつくであろうヤバいオッサンとオバサンの形をうちの親はしている。目がイカれてるし、肌がパサパサで2人とも清潔感がない。誇張じゃなく年齢より15歳くらいは老けて見えると思う

前提としてネットでよく見るディープステート的なベーシック陰謀論と、反ワク的なエセ医療と、ホタテパウダー野菜を洗うみたいなトンチキ自然派親和性が高くて、1つ罹患するとぜんぶ患う奴が多い

うちの親はそのタイプで、添加物を異常に怖がる自然派から電磁波に怯えたり薬を嫌がるようになり、コロナ禍で完全に親ロとディープステート的な陰謀論に転がり落ちていった

あと母親子宮系みたいなカルトにも過去にハマってま◯こにパワーストーン入れたり、ガチ障害者の弟に指入れさせたりしてた。詳しくは子宮系で調べて笑ってほしい。それ関連のきしょい本が今も家のどこかに積み上がってる

父親は反ワクデモとかノーマスクデモに参加してたし、一時期話題になった反ワク団体にも入ってた。子供の頃は行き過ぎた母親自然への執着に苦言を呈してくれる唯一の人間だったが、仕事が行き詰まったのと同時に母親と一緒に陰謀論にどっぷりになった。趣味ヤフコメ実名で荒らすこと。YouTube真実があると信じてる

訳あって自分子供時代の一部を祖父母の家で育ったんだが、家に戻ったら知的障害のある弟が爆誕して全裸で走り回ってるし、両親もどっちもぶっ壊れていて子供ながらにショックだった。

この障害のある弟も、根拠のない食事療法発達障害が治るサプリ(笑)で育てられたものからかわいそうだった。昔は意思疎通がある程度できてたが、環境が悪すぎて今は完全に二次障害を起こしてクソ漏らしながら家で暴れ回ってる

息子が障害持ちだったのも親がぶっ壊れていった理由の1つやと思うが、子供ながらに親父も母親もなんか障害持ってんじゃねえかと思っていた。あと、子供の頃は自然派系のキャンプとかキャンドル作りとかに連れて行かれたが、参加している大人がみんな異常に空気が読めなかったり不器用だったから、そういう気質人間がホイホイされるんだと思う

あと共通点で言うとみんな清潔感がなかった。自然派的なものに傾倒すると風呂に入らなくなったり、謎の自家製シャンプー石鹸を使うようになるので、きちんと皮脂や汚れが落とせていないのだ。独特のすえた匂いがする

親が使ってる手作りシャンプーを使うとフケが制服に落ちて最悪だったから、わいは中学生から自分薬局で買ってた

ある程度の年齢までごく普通祖父母の家で育ったか一般的な家庭の常識が身についたが、子供の頃からあの家で過ごしてたらと思うと今でもゾッとする。実際小さい頃にめちゃくちゃマク○ナルドとコンビニ弁当悪口を言われたせいで今も若干食べるのに抵抗がある

結局、陰謀論カルト宗教教祖信者と同じ仕組みなんだろうなと思う。YouTuberとか謎の作家とか謎の専門家が、メンタルに何らかの異常を抱えているプライドの高いバカを騙して本やらサプリやらパウダーやら売りつけてんだよな

高校入るタイミングでまた祖父母が引き取ってくれて普通を取り戻したんだが、中学時代とかは親が給食添加物ガー!!!って担任に鬼電したり、歴史教科書を炭で黒塗りしたりとかマジキチすぎて辛かった

未成年だった時は実家結構行く用事があって出入りしてて、コロナ禍とかいくたびに両親がぶっ壊れていくのが分かってホラーすぎた。あと片付けられないのに謎の手作りグッズ(電磁波を跳ね返すやつ)とかケースで買わされたっぽい水とかお茶が増えていってて、ゴミ屋敷ってこうして作られていくのかもしれないと思った

今はほぼ顔を合わせないようにしてるけど、一応なんかあったとき用に唯一ブロックしてない家族LINEグループには“ワクチンを接種した人間脳みそ寄生虫発見!”みたいな怪文書が頻繁に届く。

幸いにも片方としか血は繋がってないんやが、あの親のように自分もいつか狂う日が来たらと思うとめちゃくちゃ怖い

anond:20230824171558

まだ精通する前の話だけど、小学生のころ水泳大会に出るメンバーが足りて無くて担任先生がやってみないって言われてやっちゃったんだよね。

その担任先生練習を見る役をやっていて、水着を見たときはなんかドキドキしたのを覚えてるな。

水着性癖にはならなかったけど、好みの女性タイプはあのとき先生ベースになってるなと思うことはある。

そういえば、今の奥さんもどことな先生に顔が似てるわ。

2023-08-16

自分子供の時と今とは全然違うなー、と思うこと

保育園先生が優しい。自分保育園の時(30年前)は保育園先生はめちゃくちゃ怖かった。給食をこっそり捨てていた子をボイラー室に閉じ込めるなど日常的にあった。今なら大問題だろうな。

・今は世の中の仕組みやルール子供向けに説明した本がめちゃくちゃたくさん出ている。自分子供の時にこんな感じの本に出会えていれば、もっとはやく世の中のルールが分かって生きやすかったんじゃないかなと思う。

宇宙人とみつける仕事図鑑という本、こんな本が自分子供の時もあったらよかったなあ。子供の時に読みたかった。

自分は5歳くらいから、歩いて10分くらいの友達の家や公園に1人で行っていたが、今では未就学児が1人でどこか行くなんて考えられないよな。なんなら小学生だって登下校に親が付き添ってたりする。こんなふうに親が付き添うようになって、実際、事故とかは減ったのかな。

・今は小学校宿題の丸つけは親がするんだってな。自分小学生の時は、担任もしくは自分で丸つけのどちらかだった。小学校教師負担軽減のためか。でも親が忙しい家庭はどうしているんだろう。

2023-08-14

https://anond.hatelabo.jp/20230814151043

  法令とは何か?    信用性のある芸能人歌詞などから推測する。はるか遠い観測でまるで笑えないウソ (ナイトメア

                               「よくできた解答」の果てに迷い抜く世の中はなぜ (GLAY

                               社会にはルールがある。だがなそのルールってやつは全て頭のいい奴が作ってる。つまり頭のいい奴に都合のいいように作られて

                               いるってことだ。逆に不都合な部分は分からないようにうまく隠している。だからお前ら損をしたくなかったら勉強しろ

                               結論を教えてやる。東大に行け。バカとブスこそ東大に行け。(安倍寛

  問題点  GLAYが第2の歌を歌った平成12年時点で、 「よくできた解答」 など存在したのか?多くの芸能人流行歌の中で、社会ルールの正体をばらしたのは尊重できる。

  問題点2 安倍寛の言っている内容はあまりにも悪質すぎる。

                               

    信用性のない第三者による申し立て内容

     昭和63年に延岡市保育所に入れたがギャーギャーと泣きわめき通園しない。インフルエンザになったときについでに精神科にみてもらったら自閉症と診断された。小学校では

    集団教育に参加できない、高学年になると発話ができない。中学校ではサッカー部に入るが長続きせずインターネット通信に没頭。高校では勉強に没頭し担任とは最低限の会話しか

    しなかった。一浪して東京大学法学部に進学するが社会性に疎く切符の買い方などを親が全部教えた。在学中のウェブログには人気があったが卒業前後から言動おかしくなり、

    文部科学省に対する恨みから脅迫罪逮捕。釈放後に延岡に連れて帰ったがますます人間不信に陥る。

2023-08-09

中学の時に担任セックスして以来、20年くらいセックスしてない

後に男子生徒食いまくってたのが発覚して逮捕されたプロ童貞食いだったことを考えると

これは素人童貞ということになってしまうのではないだろうか

2023-08-08

anond:20230808144858

ワイは謎の小学校担任先生になって生徒に道徳を説いたり人生の歩み方を語る妄想をよくしてる

2023-08-06

担任教師日教組だったから~」「〇〇したら職員室に呼び出された~」考(再掲)

(かなり前に書いたものですが、バービンハイマーのミーム騒動などもあり改めて知ってみたいので、一部修正の上再掲します)

5ちゃん2ちゃん)でも、SNSでも、

・「児童学生時代教師日教組だった(せいでなんらかの不利益を被った)」

・「○○(思想信条的な何か)をしたら職員室に呼び出された」

というたぐいの話が広く出回っている。これらの話には大体、平和教育人権道徳教育同和教育への批判見解が含まれているようだ。

組み合わせて例えてみれば、「平和教育時間日教組教師が反自衛隊的な講話をした。それに対して冷静に反論する感想文を書いたら職員室に呼び出された」みたいな話だ(あくまで例えである)。

別の例を挙げれば、「人権 本物はやたらに言わない」と描かれた人権ポスターと、それを描いたとされる小学生エピソードが、たびたびなにかの機知のように出回っている。(参考:https://twitter.com/PatriotNewsJPN/status/170058241861103616

あるいは、別に放送委員として給食時間に彰晃マーチを流したら職員室に呼び出された」みたいなものもその一種かも知れない。単に流行に乗ったのかそれともオウム真理教に対する何らかの確固たる意志があったかは分けられるだろうが。

私は90年代後半~0年代に、関東の一都市公立学校義務教育を過ごしたが、

教師日教組であるとかそうでないとかを意識したことはないし、

あるいは何か「大人の建前に都合の悪い」ことをして職員室に呼び出された経験や、それを見聞きしたこともない。

子どもらしい単純な悪戯や、非行、それに対する指導などは見聞きしたことはあるし、理不尽教師の思い出もいろいろあるが)

もちろん、年代や、日教組組織率など地域的な差はあるだろう。(一般的東日本より西日本の方がその様な教育に熱心と言われているようだ)

しかし、そんなに、一言で言えば、アグレッシブ対立しょっちゅう存在するのだろうか。

特に大きな疑問として「職員室に呼び出された」という話の場合、その職員室に呼び出された後の話がほとんど見受けられないのである

それほど思い出に残る、思想的な挑戦の末に職員室に呼び出されたのなら、その職員室での対面の場で何か大きな教訓とでもいうべき体験がありそうなものだが。

2014年横浜中学生が、修学旅行先の長崎で、平和教育を行っていたガイド被曝者に対し「死にぞこない」と暴言を吐いたという事件がある。(参考:https://hi-hyou.com/archives/1193

これは学校という閉じた空間ではなく、学校外に向けて起きた事件といえるが、ネット上で見られるエピソードには当然これ程のインパクトがないし、裏付けもない。

普通のいたずらや非行とも違う、早熟ともいえる思想対立を経て、「教師日教組である」と喝破したり、平和教育などへの批判精神を表明したはずの人々は、実際何を得たのだろうか。

もし、なにか、「担任教師日教組だったから~」「(社会的歴史的な何かについて)〇〇したら職員室に呼び出された~」といったエピソード経験した(起こした)り、それについて見聞きした方がいたら、ぜひ反応を頂きたい。

できれば、大まかでよいので地方年代とその時の歳・公立私立か・職員室なり説教なりの対立で何が起きたのかなど、当時の環境も添えてほしい。

2023-07-31

中学とか高校教師の事異常に覚えている奴がいるけどあれはどういう能力なんだろう

流石に担任だった先生名前は何人かは覚えているけど、20年近く前の各教科の担当とか覚えてないよ

全ての教師同級生とか覚えていたら大学卒業まででも何千人も覚えてなきゃいけないし

職場顧客情報まで入ってくると古いものまで覚えてられん

2023-07-29

ユーチューブプレミア公開やってる「響け!ユーフォニアム」なんて見るんじゃなかった

そういえば思い出した、遥か昔の頃、俺も吹奏楽部に入ってたこと。

今は”(吹部)スイブ”なんていうのか?俺の時代は“ブラバンブラスバンドの略)”って言ってたけど。

パーカッションをやりたかったけど、すごい人気でそれこそ「オーディション」で選考されて、

箸にも棒にも掛かからなかった俺はサファイアちゃんと同じ「コントラバス」に配属された。

ちなみにコントラバスは誰もやりたがらない堂々の不人気No.1楽器

クソデカくて運搬が大変なのに、音低すぎてよほど吹奏楽に知見があってかつ耳の良い人でもない限り音を聴き当てることができないからね。

作中でもサファイアちゃんけが希望者でかつなり手がそれまでいなかったっていうのはすごいリアリティだ。

だけど一人きりのコンバスだったサファイアちゃんとは違って、俺には3年生の先輩が二人、2年生の先輩が一人できた。

全員女性だった。

中学生、ド思春期、関わったことがある年上の女と言えば学級担任かばちゃんかかぁちゃんだけの童貞にとって、

ひとつふたつ上のお姉さんは言い得も知れないほど何かを感じずにはいられなかった。

早い話、性欲持て余しまくりだった。

一人だけだった少年後輩の俺に、先輩方は本当に優しく、時に厳しく、指導してくれた。

特に3年生の二人は引退が近いこともあって、かつ二人とも弟がおられたみたいで、「ウチの弟とは違って素直でかわいい~」ってな感じで

ズブズブに可愛がってくれた。

俺は毎晩ズブズブにオナペットにした。

作品夏休み中のコンクールの話だったけど、同じく当時の俺もコンクール体感していた。

ブラスバンド部というのは、とにかく金がかかる。

楽器代、メンテ代、移動代、その他諸々。

コンクールの会場は都市部コンサートホールだったんだけど、その会場までは学校が手配した貸し切りバスでの移動だった。

だけど上記の通りいろいろ金がかかるため、少しでも浮かそうとしてバス観光バスではなく、その辺を普段走ってる路線バスが行先に「貸切」って表示させたボロいやつだった。

先輩が「増田ちゃんは座ってな!」って俺を座席に座らせてくれて、本人たちは立ってくれた。

路線バスから車内につり革があって、先輩たちはそれにつかまっていた。

ふと座った座席から先輩たちを見ると、つり革につかまってガードがゆるゆるになった、先輩たちの「脇」が露わになっていた。

ボーボーだった、わき毛が。

当時の中学三年生くらいはまだ、ムダ毛の処理なんてしなかったのだろう、

とにかくボーボーだった。

そんなボーボーの光景をみて、俺は衝撃を感じるほどの性欲が沸いて沸いて沸き立ってどうしょうもなかった。

中坊にとって女性のわき毛は、もう大人のそれでしかなかったから。

先輩にバレるかもしれない、という恐怖に駆られながらも、会場に到着するまでの30分間、2秒に1.5秒くらい俺は盗み見た。

会場楽屋での音合わせ、舞台袖の雰囲気結果発表までの緊張感、

なんか色々あったと思うけど、俺の頭の中は貸切の路線バスの中で仕入れたとびっきりのズリネタをいち早く消費することしかなかった。

学校に戻って解散したあとは猛ダッシュで家に帰り、出るだけ出した。

結果は銀賞だったような気がする。はっきり覚えてない。

その後三年生の先輩方は引退した。

一人いた二年生の先輩には正直何も感じておらず、拠り所を失った俺はほどなくしてユーレイ部員になり、知らない間に入部さえしていなかったことになっていた(高校入試の時に途中退部とかだと内申書に響くから、らしい)。

特に何にも夢中になることがなくなった俺はテキトースーパーファミコンかばっかりやって、気づいたら中学卒業してた。

その後も何かに熱中することもなく、やがて中年になり、結婚も出来ず、金曜日たまたまユーチューブで見たアニメにほだされて、土曜日駄文をダラダラと書くことくらいしかやることがなかった。

何かを一所懸命、やればよかった。

悔し涙流すくらい、やればよかった。

それは若い時が断然よかった。

三年生の先輩をオナペットにした思い出しかなかったあの時のことだけど、それでもやっぱり、二度とない良い思い出に違いなかったから。

ああ、

なんか余計な事思い出した。

あん青春劇、見るんじゃなかった。

俺にでも若い頃は、その可能性があったことを今頃知らしめられてどうする。

見るんじゃなかった。

2023-07-27

息子がハッタショっぽい

9歳になるのだが、どういうわけか漢字を覚えられない。

読めることは読めるのだが、例えば骨という感じの四角いところを左右逆に書いてしまう。

あと球技が極端に苦手で、ボール投げができないことから発達障害ではないかと思っている。

しか数学がどうやら得意らしく、学年でも上から数えたほうが早いと担任が言っていた。

うーむ。どういう方向に育てるべきだろうか。

追記

おまいら㌧クス。ディスガイアっていうのな。

とりあえず漢字ドリル公文やらせるわ。ボール投げは動きを分解して教えようと思う。

追記

長渕剛「オラッショ!セイ!」

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