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はてなキーワード: クラスメイトとは

2024-04-06

anond:20240406052012

標準的な人がフィクション現実区別できると信用に足るほどの、マトモな性教育日本義務教育で施されていれば何も問題視されなかったと思う。

世界トップ企業に率いられて、いま急速に性的消費が見直されてるのは、性教育政府が軽視し、オタクコンテンツを自浄する力を民間は持たず、日本を変えるのは結局外圧から

生成AIによる児童ポルノ被害も共有せずクライアントサイドで作る分には合法かいってスルーされてるけど、アメリカではとっくに議論が始まってます未成年同士でクラスメイトが脱がされるのは目に見えてるのに、またしても全員でシラを切ってるのが日本の現状ね。

2024-04-04

はてなー画像生成AIを誤解しているようだけど

はてなーは「電子書籍が出れば紙書籍が売れなくなるのは当然の流れ」というノリで生成AIイラストレーターのことを語ってるけど、実際のところは「漫画村で読めるから単行本は買わない」というノリに近いのが今の生成AIの現状なんですよ。

ここら辺は漫画家の中でも理解できていない人がいて、森川ジョージさんが正にそれで同業者からフルボッコにされている真っ最中なんだけどね。

還暦近い方なので仕方ないところではあるんだけど、漫画家協会理事やってるから面倒なんだよなぁ、マジで

 

 

それはともかく、画像生成AIは数億のイラストを元にして絵を生み出してるんだけど、その元となったイラストはほぼ全部無断転載で、中には児童ポルノ画像まで入ってるのまで有って問題になっているんですよ。

なので欧米では法で規制しようかという話も当然のように出ているわけです。

将棋AIAI同士で対局を繰り返してその棋譜を元に強くなるんだけど、画像生成AIは現状はどうしても人間が描いたイラストを元にせざるを得ないので問題を孕みまくっているんですよね。

 

 

クリーンデータセットを元に学習すれば良いんだけど、そのようなイラストは現状だと著作権切れの古いイラストしかないんじゃないかな?

そんな面倒なことをせず、Pixivというジャップが大量に良いイラストを纏めてくれてるからクロールしてぶっこ抜いて使おうぜ、というのが今の画像生成AIの現状だと思う。

 

 

それでも身内だけで使ったり、自分画力向上のための添削ツールとして使ったりするくらいならまだ理解できるんだけど…

現状だと「才能ないし努力もしたくないけど、SNS漫画イラストチヤホヤされてるインフルエンサーが羨ましくて仕方が無い! でも自分では努力したくないでござる!」というクズ画像生成AIで勝ち誇ったり、勝手に嫉んだ漫画家イラストレーターに似た画風の画像を出力して誹謗中傷に使ってるから問題になっているんだよ。

先月までアニメやってた「即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。」の主人公クラスメイト他人から貰ったチートでイキってたけど、正にあんな感じのクズが量産されてるんだよね。(「即死チート」の作者は人間の愚かさというものがよくわかってらっしゃる。)

 

 

そして最近だと更に先鋭化してAIを使ってるに違いない、とAI警察化して勝手認定して冤罪発生させまくりなんだよなぁ。

イラストレーターが潔白証明しても耳を貸さないし、懲りないし、本当にクズなんだわ…

とにかく、功罪のうち、罪の方が大きすぎるのでイラストレーター漫画家はピリピリしてるんですよ。

 

 

はてなーの中には「Winny本体が悪いんじゃなくて、悪用するユーザーが悪いんだ!」という人が居るかもしれないけど、今の画像生成AIは「違法画像を大量に同梱したWinnyを配布している」状態なんですよ。

ダメに決まってるだろ、常識に考えて。

 

 

さっさと法規制して欲しいものだけど、日本でそれ関係国会議員である赤松健氏はこの件に関しては動くことは期待できないと思うんだ…

だってデビュー作が「AIが止まらない」だよ?

AI擬人化して開発者である主人公ラブコメする作品を描いた人なんだよ?

最新作の「UQ HOLDER!」では人類進歩を全肯定し、そのために血を流しながら前に進むような漫画を描いた人だよ?

AIという先進技術規制するのとは正反対立場な人なんですよ。

なので、イラストレーター漫画家諸氏は赤松健氏以外の議員ロビー活動をした方が良いと思います

2024-03-31

20年くらい前に発達障害と診断されるまでとされてから

当時小学生だった。

子供ながらにあの頃は発達障害についての情報ほとんどなかったと思う。インターネットも今より普及していなかった。母親は髪を振り乱しながら、おかしい、普通の子じゃない、普通に出来ないなんて、おかしい、おかしい、変、変、変、どうして出来ないのと毎日叫んでいた。

じゃあどんな小学生だったかと言うと、まず運動音痴だった。リレーはいつもドベだし、逆上がりもできない。跳び箱に挑むとタイミングがわからなくて、そのままぶち当たって箱を破壊する。マット運動で転がると眩暈がして上手く起き上がれない。逆に勉強自分で言うなって話だけどかなり出来た。字を書くのは上手くはなかったけど、勉強自体は楽しかったしすぐ理解できたので何もしなくても満点だった。

運動会ではお荷物だったしドッヂボールでは毎回泣きたくなるくらい当てられてたけど、体育自体は好きだった。勉強だったら負けなかったし、友達も沢山いた。

変わったのは、親の仕事の都合で県外に引っ越しからだった。

子供なんてちょっとしたこといじめてくる。田舎からたからとか、身長が高くてのろまだったからとか、服がユニクロからとか、ゲームを持ってなかったからとか、流行りのドラマを見てなかったからとか、塾に行ってないのにテストで満点取ったからとかであっという間にいじめられるようになった。

教室に入るとささっと4人くらいから囲まれて、色々言われた。メンバーは日替わりだった。半年くらいは我慢してたけどある日急に行く気がすっかり失せてしまって、仮病を使って休むようになった。

それを母親は許してくれなかった。学校に行かないなんて普通じゃない、おかしい、と毎日私を打つようになった。いじめられるから行きたく無いと言えばよかったのかもしれないけど、私が田舎から来たのもユニクロを着てるのも、ゲームを持ってないのも、ドラマを見てないのも、塾に行ってないのも、テストが満点なのも全て紛うことな事実だし、事実を言われただけだしな…これはイジメではないはず!ただなんか学校行きたくないだけ!と謎に前向きだった。いじめってバカとか死ねとか言うものだと思っていた。

(あの頃の自分に言いたいけど、階段から突き飛ばされたり、靴の中に土入れられたり、クラスメイトが川に落ちた時お前の責任にして学級裁判もとい糾弾会開くのは立派ないじめだと思うよ!)

叩くもの母親の手から布団叩きに変わる頃、ようやくクラスの子からダサいとか謝れって言われるから行きたくない!と泣いて吐き出した。それくらいがなんだ戦え!やり返せ!と言われた。

ブランド物の服を着たあの小柄なクラスメイトたちが、私には小鬼に見えた。そんな小鬼と戦えない。

普通はどんなことがあっても行ってるはずなのに、どうしてこの子は行かないのか、普通じゃないのか、こんなのおかしいと母親ノイローゼになっていた。父親は俺は知らないの一点張りで、他の女性たちに夢中だったし、もう少ししたら私にも手を出すようになってきた。我が家は完全におかしくなっていた。

真冬に寝巻きのまま裸足で外に出されたり、どこかの川沿いや公園児童養護施設の前に置いていかれるようになった。この頃になると、うちの親は話が通じないからおまわりさんに助けてもらおうと交番に行くようになった。毎回家に送ってもらってお宅の娘さんが…とインターホンを押すや否や両親は飛び出して私を抱きしめていた。涙を流して、ほんの些細な喧嘩なんです、私たちが悪いんです、厳しくしすぎました、本当に帰ってきてくれてよかった、この子私たちの宝物、ご迷惑をおかけして申し訳ありません…と泣いてぺこぺこしながらおまわりさんたちにお礼を言っていた。そういう両親を見ておまわりさんたちもすっかり態度を軟化させて、ご両親に迷惑をかけちゃ駄目だよ、と私に説教をして帰っていく。外面はめちゃくちゃいいのと隠すのが上手いので、今でも両親は周りからは、上品で優しいお母さんと思慮深く手先が器用でなんでも作れるお父さん、こんな素敵なご両親なんてあなた幸せだよと言われている。嘘だろ。

子供ながらに何もかもがもうだめかもしれない、と思うようになったある日、機嫌の良い母親ならお出かけしよう、と連れ出された。狂言自殺を繰り返していた母親を前に心中という単語がチラッと頭をよぎった。長い長い時間電車に揺られ、着いたのは病院だった。そこでまた長い時間ゲームのような、簡単テストのようなものを受けた。今まで何度か精神病院に引きずられて行ったことはあったけど、あそことは全然ちがうな、と思った。

アスペルガー症候群の傾向が出ています、みたいなことを言われた。

なにそれ?頭の病気?治らない?一生?と一瞬ショックを受けたものの、治らないなら仕方ないと諦めた。

それから母親は激しい浮き沈みはあるものの私の不登校基本的には許すようになった。この子アスペルガーから、頭の病気から仕方ないと。反面で私に天才になれと言うようになった。エジソンだってアスペルガーだった。学校にも行かなかった。同じアスペルガーから絶対になれると当然のように言った。少しでも逆らうと怒り狂って、お前は人殺しになってお母さんのことも殺すんだろうと怒鳴ってきた。当時話題になっていた事件犯人が、発達障害だったからだそうだ。

私が中学の頃に父は単身赴任となり、私たち母子だけで暮らすようになってから、だいぶん楽になった。ちゃんと「学校」と呼ばれる場所に通えるようになったのは高校からだった。そこの高校名前漢字で書くことができれば受かると言われているくらいのレベルだった。一番最初数学の授業は2桁の足し算のプリントをひたすら解けと言われた(後ろの席の男子からこれわかんねぇから答え教えてくれと言われた時はびびった)。長い期間のストレスからか、自分名前漢字平仮名カタカナ以外ほとんど書けなくなっていたのでとにかく早く、どうにか楽しつつ巻き返せないか試行錯誤した。相変わらず短距離走球技は酷いものだったけど、長距離ならそれなりにできるとわかった。家にいたくなくてボランティアやら勉強会やらに積極的に参加した。授業態度は良かったので(そもそも周りが最悪なのもあった)先生からは良くしてもらえた。先輩達は挨拶もろくにできねぇのかと凄んできて恐ろしかったけど、お陰で誰にでも大きな声で挨拶ができるようになったし、怒らせなければ面倒見の良い人達だった。ヤンキーばかりかと思ったクラスメイトも親切で、今でも何人かとは親しい付き合いがある。頑張れたお陰か無事大学にも通えた。

途中就職に失敗して鬱になりかけたりニートになったりして、心療内科から貰った全然効かない薬を飲みながらカウンセリングを受けたけど、結局一番効果があったのは、気晴らしに始めたバイト給料を使っても良いと言われた時だった。現金を使える自由が私には何より効いた。

本屋に行くと発達障害に関する本がズラッと並んでいる。少し前までは発達障害の人とどう付き合うかという内容ばかりだったのに(それでも最初本屋にあった時点で衝撃を受けた)、発達障害自分がどうやって生きていくかのライフハックが書かれた本たちが並んでいるのを見ると、昔に比べて良い時代になったのかもしれないとしみじみ思う。

ところで、私が子供の頃貰った「アスペルガーのお友達どう付き合うか」の本を読んでみると、症状が全然当てはまらない。肌触りに敏感でもないし、誰か(この本で言うとクラスメイト)が泣いていたらどうしたのかと心配になる。怒らせてしまったら私のあの言葉や態度が悪かったのかと気付くし、これじゃないと駄目みたいな強いこだわりも特にない。社会復帰してから遅刻寝坊もした事がない。作業にのめり込むこともないし、無くし物もしない。特に親しい友人や夫に、もしかしたら発達障害かもしれないから当てはまるなら正直に教えてほしいと頼んでみたけれど、特にない、別に普通だと言ってもらえた。私を含めた全員素人からなんとも言えないけども…。

最近気になる話を聞いた。子供のうちに猛烈なストレスを受けると、発達障害によく似た症状が出るらしい。それに関する論文をしっかり読んだわけでもないので、あくまそうかもしれないの粋だけど、もしかしたら、と思ってしまう。もう一度あのテストでも受ければ良い話なんだけれどめんどくさい。

私は普通になったんだろうか。なっててもなってなくても、今それなりに幸せからどっちでも良いか。もう寝よう。

2024-03-24

車椅子に乗っていた同級生のお母さん

少し前に車椅子女性話題で盛り上がっていたときに思い出した。

小学生時代、ある同級生母親は、彼女の夫が押す車椅子に乗って運動会やら授業参観やらの行事を観に来ていた。周りの保護者より少し若く見える、痩せた、色の白いお母さんだった。


その同級生子供のくせにそこはかとなく辛気臭いオーラを纏っていて、暗くて友達もいないのに一人で何か喋ってニヤニヤしているようなやつだった。当たり前にずっといじめられていた。仮にOとする。


Oは児童養護施設から通ってきているのに、学校行事はいつも両親が揃って参加していた。休日には家族揃ってスーパーで買い物する姿を度々見かけた。

母親病気のこととか何か事情があって家族で暮らせないのだろう、と今ならば想像するに難くないけど、施設育ち=親がいないという認識の当時のわたしたちの目には、別に居を構えながらも仲がよさそうなO一家の姿は異様なものとして映った。

ひどい話だけど、Oだけでなく家族ごと、クラスメイトから、いや学年中から差別されていた。気がする。

例のごとく車椅子グラウンドにやってきて運動会を観覧し、教室に戻って昼食をとる際、土のついたタイヤのまま校舎に乗り込むO夫婦の姿を、わたしたちは冷ややかな目で見た。ちゃん入り口にそれ用のマットが敷いてあって、踏んできているにもかかわらず。


小学校高学年、思春期にさしかかり不安定な心身をもてあまし、わけのわからない苛立ちやさみしさをお互いに悟られまいと取り繕っていた。障害とか施設育ちとかの事情を抱え、差別されながらも健気に生きているO一家の姿はいじらしく、尖った心を持ち寄るわたしたちの格好の的だった。


ある土曜日の午後、市の陸上大会に向けての練習があった。全員参加ではなく有志の集まりだったので、普段教室であまり喋らないタイプの子とも仲良くなれて、楽しい

練習が終わって、わたしたち麦茶を飲みながらずっと喋っていた。日焼けするからと木陰のところに集まって、実はあの子のことが嫌いとか好きとかキャアキャア叫びながら喋った。

ふと話が途切れ、もうそろそろ帰る?という雰囲気になったところで、一人が「そいえばさー」と口を開いた。

「そういえばさ、どうでもいいんだけど、こないだイオン行ったらOがまた家族でいたんだよ。

でねぇ、これマジだよ?…Oのお母さんが、歩いてた」


わたしたちは、爆笑した。ゲラゲラ笑った。全員で涙を流して、息も絶え絶え転げ回って笑った。

おかしかった。いつも白い顔をして、旦那車椅子を押されているお母さん。そんなお母さんが自立して歩いているなんて、突飛で、シュールナンセンスだった。前衛的な発想のようだった。


おかしい以上に、気持ちよかった。言ってはいけない、笑ってはいけないことなのはみんな分かっていた。

広い校庭にわたしたちしかいなくて、おかしことなんて何もないのに馬鹿笑いして、すっごく悪いこと言ってるのに誰にも迷惑をかけていないか咎められなくて、こんなひどいわたしたちを誰か止めてほしいのに、芝生の上に転がったままどこへでも行けそうな、行ってしまいそうな気がして、怖いけど楽しくて、無敵だった。

曇ってるけど日射しは強くて湿った風が吹いていて、みんな同じ日焼け止めの匂いがしていた。ひざの裏側に芝生が刺さってチクチクしたけど、手で払うとさらりと落ちた。気持ちよかった。


家に帰り、キッチンに立つ母にOのお母さん歩いてんだってーと言うと、「Oさんの奥さんは脚が悪いんじゃなくて病気で体力がないか車椅子なんでしょ。何言ってんの」と返ってきた。つとめて不愛想な母の声になんでか安心したのだった。


数年後Oのお母さんは亡くなったと聞いた。

陸上練習ときメンバーは、中学に入って少しヤンキー風味になったけど、成人後に同窓会をしたときにはごく普通かわいいお嬢さんの姿だった。今ではほとんどの子結婚して親になって、忙しく過ごしていることと思う。

Oが大人になった姿はどうしても想像できない。どんな暮らしをしているんだろうか。


校庭でひどいことを言って笑い転げて、誰か止めてほしいと思った。

その後の人生で、ちゃんと止めてもらえたと思う。元々優しい気持ちの子もたくさんいるけど、意地悪だったわたしたちも、失敗して傷ついて、自分のことが嫌になってもそれでも生きていくという選択をしたとき他人に寛容になろうと努めて、その習慣が体に馴染んだと思っている。

何の罪もないO一家に冷たい目線を向けて嘲笑っていたことを思い出すとき、ひどかったなと思う気持ちは本当なのだけど、あの陸上練習後のお喋りの時間には青春フィルターがかかっていて、思い出すとキュンとする。

キュンとしたあと、でもやっぱり酷すぎるよねと心の中でつぶやいて、少し許されたような気持ちで回想を終えている。

2024-03-21

anond:20240321113411

松本人志は圧倒的にいじめられっ子いじめっ子として生きてきてるで。

大体苛められっ子が、虐めといじりの境界線を、笑えたらいじりで笑えなかったら虐めとか言うと思うか?

幼稚園や低学年の頃いじめられっ子

オレは幼いころ、何を隠そう、イジメられっ子だった。幼稚園ときプール時間自分の水鉄砲をとられても、ただ泣いてるだけ。先生に泣いている理由を聞かれても答えられないほどの気の弱い子供であった。

松本人志遺書

小学校に上がってもそれは変わらず、男の友達などまったくいなくて、女の子とばっかり遊んでいた。

松本人志遺書

小学時代障害者虐め

小学生の時。岡田って奴が居てね。足が悪くてね。片足引きずるように歩くの。オレ何度かイジメた事が有ってね。でも子供って気まぐれで。いちど家に遊びにいったの。友達でもないくせに。。。そろそろ帰ろかなって思ってたら岡田のお母さんがパートから帰ってきてね。。。

2013.06.12 00:43

https://twitter.com/matsu_bouzu/status/344479996892565505

松本人志@matsu_bouzu

。。。クラスメイト岡田が連れてきたの初めてやったんやろうね。お母さんが凄い嬉しそうで。オレにやさしくて。ありがとうね。仲良くしてあげてね。って何度も言われて。。。オレ罪悪感でたまらんようになってね。。。おばちゃんオレ岡田のことイジメたこと有るって。言えなくてね。。。

2013.06.12 00:44

https://twitter.com/matsu_bouzu/status/344480235489746944

松本人志@matsu_bouzu

。。。なにより。岡田がお母さんの前でオレと親友のふりしたのが切なくて。辛くて。。。オレ心の中で。岡田と。お母さんと。いろんなもんに何度もゴメンなさいって思って。。。

でも岡田とはその後も友達ってわけでもなかったな。。。

なんとなくの昔話。。。

おわり。

高校時代ミニコン感覚被害者遺書を書き停学になるレベルの虐め

同級生に飛び蹴りをくらわしたり、頭をポカンとどついたり、まるでおもちゃのように扱っていた。

鹿砦社ダウンタウン浜ちゃん松ちゃんごっつええ話」

こんなこともあった。授業中、突然立ち上がり、スーツと前へ歩いていったかと思うとみんながよくいじめていた同級生の頭をパカンとどつく。どついた後、表情一つ変えないで、いつものあのムスっとした顔で、スーッとまた席に戻る。

鹿砦社ダウンタウン浜ちゃん松ちゃんごっつええ話」

いつもいじめていた同級生が、ある日遺書を書いて、自殺をほめのかした。その遺書の内容は、「僕はいつも学校に行っていじめられています特に松本は、僕をいつもトイレに連れ込んで、雨あられのようなパンチを振るいます。これ以上学校に行ってもおもしろいこと何もありませんから、僕はこの世からいなくなってしまったほうがいいと思っています

鹿砦社ダウンタウン浜ちゃん松ちゃんごっつええ話」

「俺らは何回も停学くらってたから、あのときは無期だったんかな。松つんは初めてだったから、確か二週間か一ヶ月ぐらいだったと思うわ。担任先生学年主任職員室に呼び出され、停学の宣告を受けたの覚えとるわ」

鹿砦社ダウンタウン浜ちゃん松ちゃんごっつええ話」

松本高校の時無期停学になった時の話があってね。ほんまにな五人ぐらいでな、遊んでてん。いわゆるほたいてたんやな。で、あの一人ちっちゃい奴がおってんけど、そいつを何かこうみんなでミニコント的な感じで、こう膝蹴りみたいのを…もう全然入れてないで。

放送室 第233回 2006年03月18日

松本ヘッドロックう~やったりとかしてたわけよ。でも、確かに若干いじめられっぽい感じの奴やったけど、少なくともその場は遊んでやってたわけよ。俺らにしたらもう普通にミニコント、遊んでるだけやったんけど、次の日に原稿用紙5枚ぐらいに、そいつがあのー「集団リンチを受けた」みたいな。

放送室 第233回 2006年03月18日

松本:あの~誰々君にヘッドロックをされ、その後松本君が膝蹴りを数発僕の腹部に…みたいなことをバーッと書かれて、ほいで全員無期停学になったのな。で、そん時は「いやいやいやいやー、ありえへんなー」って。

放送室 第233回 2006年03月18日

松本:ほいでみんな他の5人も全員みんな「いや、もうあいつ頭おかしいんかい」という話やんか。いやねんけど、まあまあ今になって考えると、彼にしたらそんな感じやったんやろなあ。

放送室 第233回 2006年03月18日

2024-03-14

我が子のいじめ

去年、娘が学校友達いじめているらしいという話を聞いた。

まさかと思いつつ、本人に尋ねる前に周りから話を聞いて確認することにした。

相手は元々仲の良かった女の子で、いじめの内容はいわゆる「仲間はずれ」だった。

露骨無視や加害はしていないが、昼休み放課後の遊びに誘わないだとか、授業でグループ分けをするときメンバーに誘わない、といったような内容だった。

親の私自身、小中学生の頃に似たような経験をした。仲間はずれされたのも、したのも、どちらも経験がある。当時はそれを「いじめ」とまでは認識していなかったが、今の基準ではそうなのだろう。

当時のことはあまりはっきりとは覚えていないが、そういった経験を経て、合う友達と合わない友達区別がついていったような覚えがある。

しかし勿論仲間はずれをするのは肯定するつもりはないし、親としてもそれがエスカレートして激しいいじめになってしまう前に芽を摘んでおきたい。

でも、そりが合わないと感じるクラスメイトまでも無理やり友達として仲良くし続ける必要があるのだろうかとも思ってしま自分もいる。特に最初は接点がなくても席順が近い子と仲良くなるものだし、そこから親友になることもあればフェードアウトするように離れていくこともある。

どうしたものかと思いつつ、当時は6月下旬とかだったので2学期にも同じような状態のようだったら介入しようかなと考えていた。

そしてこれは本当に幸いなことに、夏休み明けにクラス転校生がやってきて、その子が大変な人格者だったようで、その子を中心にクラスがまとまったらしく親の出る幕はないまま終わった。

まさに僥倖という感じで落ち着いたのだが、転校生が来なかったら私はどうすべきだったんだろうな。

2024-03-13

千切りキャベツコロッケを塩で食べる人に会わない

いつからか千切りキャベツコロッケは塩をかけて食べるようになった

目立ちたいとかじゃなくて好きだから

そして30近くなって思う

コロッケはともかく

千切りキャベツに塩かけて食べる人いない

トンカツ屋さんとかでも他の客みるけど

千切りキャベツに塩かける人いない

みんなドレッシングか何もかけないか

そんな感じ

高校の時のクラスメイトもみんな塩はかけなかった

おいしいのに

みんなわかっちゃくれないんだ

2024-03-10

ドラゴンボールトラウマがある人

ってかなり多いと思うんだけど、そういう配慮はないんだろうか

全国の男子小学生マネしてクラスメイト暴力奮いまくってたから、被害者の数はかなり多いはず

2024-03-09

短気だけど「優しい」と評価されるクラスメイトがいた

自分自身もその人のことを「優しい人」と思っているし、周りも概ね同意見だった。

でもその人は、気に入らないことがあるとすぐキレるし、嫌いな担任に叱られると担任の机を怒鳴りながら蹴っていた。どう考えてもヤバい奴だった。他にそんな人は1人もいなかった。

でもどうしてもその人のことを「性格が悪い」とか「嫌なやつ」とは思えずむしろ「優しい人」だと感じるのは何故なのか。ほかにあん癇癪持ちいなかったのに、癇癪持っていないほかのクラスメイトのほうがよっぽど性格悪く感じていた。


例えば偶然放課後に聞こえた会話で、その人は自他共に認める潔癖症だったんだけど、ほかの子手作りバレンタインチョコをブスから貰ったらどうするかって話してる時に、話題を振った他の男達は「キモい、捨てる」って言ってたけどその人だけは「別にキモいとは思わない。全部は食べられるかわからないけどなるべく食べる」みたいなこと言ってたり、発表のグループが一緒だった時に、私以外全員発熱休みだったんだけど、それを知った彼だけは、発表の時間だけ顔真っ赤で苦しそうなのに「一人は申し訳ない」と言ってわざわざ来てくれたり、なかなかクラスに馴染めない時に話しかけてくれたり、優しかったなあって思う。

2024-03-06

留年ヤバイ

隣の席の人が亡くなりました

私は人付き合いが苦手で、そのうえ成績も悪いただの落ちこぼれです。

亡くなった隣の席の人は所謂一般的学生でした。

きちんと友達もいて、遅刻も欠席もほとんどせず、平均より全然成績も良い人でした。交通事故により亡くなりました。

その人と私はグループワークなどで話す機会こそありましたが、特別仲が良い訳ではありませんでした。

からその人が亡くなったことを告げられた際も、衝撃こそあれど他のクラスメイトの様に大きな悲しみに包まれることも無くそのまま日常を送っていました。

今は進級・進学の時期です。私は今までの怠惰祟り進級も危ぶまれる状況になり、そんな折に「その時死ぬのが私なら、もっと社会に役立つ真っ当な人間が生きられたのかな」と思うなどしています

それまで何も感じず何もせずに居たのに、なんともまぁ自分勝手な事です。

留年しそうでワロタ

隣の席の人が亡くなりました

私は人付き合いが苦手で、そのうえ成績も悪いただの落ちこぼれです。

亡くなった隣の席の人は所謂一般的学生でした。

きちんと友達もいて、遅刻も欠席もほとんどせず、平均より全然成績も良い人でした。交通事故により亡くなりました。

その人と私はグループワークなどで話す機会こそありましたが、特別仲が良い訳ではありませんでした。

からその人が亡くなったことを告げられた際も、衝撃こそあれど他のクラスメイトの様に大きな悲しみに包まれることも無くそのまま日常を送っていました。

今は進級・進学の時期です。私は今までの怠惰祟り進級も危ぶまれる状況になり、そんな折に「その時死ぬのが私なら、もっと社会に役立つ真っ当な人間が生きられたのかな」と思うなどしています

それまで何も感じず何もせずに居たのに、なんともまぁ自分勝手な事です。

留年しそうでワロタ

私は人付き合いが苦手で、そのうえ成績も悪いただの落ちこぼれです。

亡くなった隣の席の人は所謂一般的学生でした。

きちんと友達もいて、遅刻も欠席もほとんどせず、平均より全然成績も良い人でした。交通事故により亡くなりました。

その人と私はグループワークなどで話す機会こそありましたが、特別仲が良い訳ではありませんでした。

からその人が亡くなったことを告げられた際も、衝撃こそあれど他のクラスメイトの様に大きな悲しみに包まれることも無くそのまま日常を送っていました。

今は進級・進学の時期です。私は今までの怠惰祟り進級も危ぶまれる状況になり、そんな折に「その時死ぬのが私なら、もっと社会に役立つ真っ当な人間が生きられたのかな」と思うなどしています

それまで何も感じず何もせずに居たのに、なんともまぁ自分勝手な事です。

2024-03-02

問 L〜2Lサイズの服を着ている人は「はっきり太っている」のか

答 身長と体型による。あと服屋にもよる。167cm67kgの自称ぽちゃ筆者においては、HoneysのLLは着れなくはないが着丈が足りずに腹チラするイメージ。肩まわりデカい系でもあるので布帛のブラウスだと入らないかもしれない。

あと背が高くなくても胸があると小さいサイズは着れなかったりするらしい。高校時代、小さくて細かったクラスメイトのAちゃんに「AちゃんはSでしょ」と無邪気に言ったら「胸が入ればね」とため息とともに返された思い出。

とはいえ、かの増田は「他人に体形について期待されてる事、それ自体がツラい」と自分で書いているので(追記だが)、かけるべき言葉は「太ってないよ(痩せている方がよいとする価値の追認)」ではなく、「太ってても別にいいよね〜わたしもそう〜」だと思った。

みんなbeautifulだよ、となりがちな昨今のアメリカで、uglyの何が悪いの?と言っていた人もいたような。

2024-02-29

クラスメイトの共有物扱いにされるほど立場が落ちたヒロインが冴えない男子童貞卒業相手なっちゃうあたりが一番興奮するよね

2024-02-28

XXくん係

小学生の頃に殴り合いの喧嘩をした相手同姓同名(年齢も合致居住区もほぼ合致)の男が殺人逮捕されたというニュースを見て朝から萎えてる。

2月25日札幌コンビニで3名を死傷させる犯行に及んだ宮西浩隆容疑者に思うことを書く。

彼とは小学校同級生だった。当時から彼は攻撃性が高く異様な雰囲気だったので、クラスメイトから敬遠されていた。

孤立している彼を可哀想に思った私は、たまに彼と一緒に下校したり(彼の実家小学校

近所で小さな店を営んでいた)遊びに誘ったりした。

彼のどこが変わっていたかというと、たとえばさ行をうまく発音できなかったり協調性がなかったり、言動がやや過激だったりした。おまけに体格がよかったので、大人も手を焼いているように見えた。

たまに暴力事件を起こすこともあったが、とりわけ

問題児だったわけではない。

ただ、少なくとも当時の彼にとって唯一の友達と言っても過言でなかったであろう私にさえ、彼は暴力を働いた。応戦したものの私は小柄な子だったので、彼に簡単に突き飛ばされてしまった。その時、彼が「なんだ、たいちたことないじゃん」と言い

放ちにやにやしていたのを覚えている。私にはとても不気味な光景だった。あまり覚えていないが、それから疎遠になったと思う。彼はいっそう孤立した。

似たような出来事が彼の人生で繰り返されたのは想像に難くない。

宮西容疑者には何かしらの障害があったのだと思う。それだけでなく

生育環境も良くなかったかもしれない。彼の実家の様子(店頭)は殺伐としどこか荒んでいたし、理由は忘れたが(少なくとも私は)彼の家族や両親の話題タブーだと当時は思っていた。私が勝手にそう思っていた可能性があるし、どこかで彼の複雑な家庭環境を小耳に挟んだ可能性もある。

いずれにせよ、

小学生の時点で既に異様だった彼が健常者とは考えにくいと思う。授業中にいきなり立ち上がって絶叫したこともある。行動がもはや健常者のそれではなかったのだ。

一方、実は冗談が好きでよく笑う男でもあった。

彼の犯行は許されるものではないし、彼を擁護する意図もない。ただ、もし彼の生育環境

少しでも違ったり、十分に表面化されていない“見えない障害”に対する社会的理解サポートが整備されていたりすれば、犯行に及ばなかったのかもしれない──と思うと残念でならない。

「狂った男の凶行」として処理してしまうのは、問題根底にある真の課題をみすみす見過ごす粗末なやり方だと

私はどうしても感じてしまうのだ。

被害者やご遺族の無念を晴らすためにせめてできることがあるとすれば、それは「同じ悲劇を繰り返さないように皆で努めること」ではないだろうか。

この問題根底には、見えない(あるいは見えにくい)障害問題に対する無理解や無策があるように思う。

障害だけでなく、介護や片親、精神疾患など複雑な事情を抱えるご家庭も然り。様々な世帯に通じる課題が潜んでいるように思うのだ。だからこそ考える価値があると思う。

宮西容疑者は確かに狂っていたのかもしれない。しかし彼をいっそう狂わせたのは、もしかすると社会無理解と無策かもしれない。

彼をただの狂人として糾弾するのでなく、些細ではあるがこの投稿を参考に社会的問題として考えてくれる人が一人でも増えてくれればと思う。

お亡くなりになった方のご冥福をお祈りするとともに、被害者の方々の一日も早いご回復を願っております。また、ご遺族の方々には心よりお悔やみ申し上げます

なお、本件に関する個別のご質問その他諸々への対応や回答はご遠慮させていただきますのであらかじめご了承ください。

2024-02-26

給食まらせ、小1男子児童が死亡 ウズラの卵か

クラスメイト死ぬってことを受け止められるんだろうか。先生はなんと説明するんだろう。

自分が死と言う概念理解したのが何歳だったかからない

今でも理解していないのかもしれない

2024-02-25

毒親じゃなかったのに幸福に思えないか子供要らない

毒親に育てられ、子供のころ不幸だったけど、自分育児を上手くやると思って子供作ってる人がいる。

毒親を恨んでるけど、自分毒親に似ている自覚があって、同じことを自分も繰り返しそうだから子供作らないという人もいる。

まり考えずに子供作って、案の定虐待連鎖させ、あまり考えずに自分欲求充足のことだけを考えてる人もいる。

子供を持つ持たない、反出生主義の賛成派反対派、などの界隈には毒親関係する人が多い。

私の親は別に毒親ではない。虐待されてないし所得は高いほうだったと思う。海外旅行にも連れて行ってもらった。

習い事も塾も行っていた。今考えると結構コストが毎月かかっていた。

でもなぜかうっすらと小4くらいのころから、生きていたい気持ちが薄かった。

消滅したいというか、死ぬのは痛くて苦しそうだし、はじめから存在しなかったことになりたいような気持ちがうっすらとあった。

いじめられてもいない。いじめターゲットにされるような目立ち方をしたことが無かった。

クラスメイト部活の先輩、先生、誰にも悪い印象は持ってない。部活の後輩にはなんかナメられてた気がしたけど、どうでもよかった。

社会のレールから脱落したこともない。中学受験メジャーではない地方都市高校受験をして進学校へ、そこから駅弁正社員就職

大学浪人就職浪人のような所属のない時期を過ごしたことがない。

うっすら憂鬱ではあるけど、明確な鬱状態になって勉強仕事ができない、部活に行けないなどのダウンをしたこともない。

恋人いたことも数回ある。周囲の人間に対して不満がない。周りの人間のせいで幸せが無いんだというふうには思わない。

生きていてよかったとか、子供を作り子供にも幸福を感じさせよう、という強い欲求を感じる器官が無いという欠損が、こちら側にあるから駄目なんだと感じる。

異性叩きや若年世代叩きや老害叩きや政治叩きや外国人叩きなどに熱心な人たちは敵を殲滅すれば幸福が得られると期待をもっていそうだ。

他人に怒るエネルギーを持っている人間のほうがよほど子供を持ちそうに思う。子供を持つには負のもの攻撃的なもの、害あるものを含めて「エネルギー」が必要だ。

何も考えずに子供を持ち虐待連鎖させる人間は「子孫をのこすタイプ人間」だ。

自分はとりあえず生きているだけで、怒ったり期待したりすることができない。

不幸でもない。生きていて金に困ったり暴力を受けたりしたことがない。

死ぬまで生きているだけなのだろう。交際は向こうから来たパターンしか発生していない。自分からは何もできない。

意欲が持てないのだ。恋人ができれば、結婚すれば、子供ができて育てばそこに幸せがあると期待できない。期待しないから怒らずに済んでいるのだが。

今の状態でも不幸は感じていないし、子供が夢を叶えただので親として強い幸福を感じる、といったことを求める気にならない。

子供が重度障害で生まれたり、子供犯罪を起こしたりして、強い不幸を味わうのも嫌だ。

要するに意欲がない。感情上下に耐えられるだけの元気がない。

2024-02-24

今日の夢

中学校時代好きだった人の夢を見た。

十年以上経って、一度も会っていないくせに時々見るその人の夢。

今日学校卒業式の日。

進学先が違うからもう会わないかもしれない。好きだと伝えるか、いや出来るはずがない。

気恥ずかしい所の話じゃない。

あぁ、今日で終わりかぁ。と思っていたら、その人が隣に来た。

どん、と軽く体をぶつけて来たその人を見れば、こちらを見ている。周りに卒業式だと賑やかな他のクラスメイトもいる。

じっと見つめてくるが、その人はぶつかってきたあと、何も言わない。

好きな人そばにいる事で、恥ずかしいやら、何か言うのかと思うが、何も言わない。

何?と問うても、曖昧な軽口以外口にしない。

私が何かを言わないと、察したその人は、そう、じゃあいい。と言って、笑いながら他のクラスメイトのところへ行こうとした。

もうこれきり。何もない。でもきっと、その人が私の近くに来たのは、何かの意味があったのでは。と、焦燥感に駆られその人に手を伸ばす。

しっかりと意識して触れた、その人の手を握れば、嫌がるそぶりはなく、好きだった笑いを含んだ目でこちらを見てくる。

他のクラスメイトもいるのに、こんな場所で言わせるのか、その人は待つように、こちらを見ている。

好きだ。好きだ好きだ。

告白なんてたいそうなものとも思えない、馬鹿な一つ覚えのように、単語のみを口にした。

突然の告白現場に遭遇したクラスメイトが、騒ぎ立てる中、その人は笑い、俺も好きだよ。と笑った。

進路が分かれているのに、それでもこれから続く、関係を繋げようと提案するその人──…

ってところで、滅茶苦茶な動悸と発汗で目が覚めた。

夢の余韻で寝ぼけた頭だが、死ぬほど嬉しくて恥ずかしかった。

夢とは、あったかもしれない分岐の一つなのかと思えば、こういう未来もあったかもしれないのだな。と思って二度寝した。

私は私の人生選択に後悔など一ミリもないが、そういう他愛もない人間らしい未来もあったのかもしれないと思った。

2024-02-21

他人病気自分に移して治す能力がある

から共感性が高いと言うのだろうか、友人に大腸がんが見つかると自分も憩室炎になるというようなことがあった。

そして自分が憩室炎にかかり通院しているうちに、友人は元気になっている。

クラスメイトが脚を骨折した怪我をした際もそうだ。

何故か自分が転び、左手を打撲した。無論、自分が苦しむタイミングクラスメイトギブスも取れ、順調に回復している。

この能力を使うには心から相手の痛みを理解したいと思う必要がある。弟や祖母が腕を怪我した時は理解したいという気持ちになれず、駄目だった。

そして今度は、母の臓器に大病が見付かった。当然のごとく自分は治る事を望み、自分犠牲になっても構わないと思った。

母の手術が成功して一年が経過し、私の身体には予兆が訪れていた。大きさにして実に母の二倍の腫瘍。これは自然に退縮することはない。

そう、私は誰かの傷を自分に擦り付けることで近い誰かの肩代わりが出来てしまう。思いが大きければ大きい程に影響力は強く、自分へのダメージはでかい

救えた達成感を得た事は一度もなく、平気な顔をしている彼らから寧ろ蔑ろにされることすらある、自分には何らメリットの無い能力だ。

ああ、自分腫瘍がどうにもならないのはきっと力を使いすぎたからだ。無闇に共感なんざするもんじゃない。

いじめ100%加害者が悪い論

あれ嫌いなんだよね

どっちかというと「いじめられる方にも原因がある」派

例えば小学生の時、同じクラスにスンゲー髪の長い子がいたのよ。

背が低いか椅子に座ったら床にまでつきそうなレベルの。いっつも結んでない。(親の言いつけとかでそうしてんのかな?と思ってたけどその子の姉によると本人の希望で頑なに切らないらしい)

給食当番のつけるキャップに髪が収まらいから出してるんだけど、その子がよそうおかずに髪がついちゃったりすんのね。

イヤじゃんそれは。俺はイヤ。

でも先生が言っても親が言っても髪を切らないし、もちろんクラスメイトが言っても無視

からみんな、その子給食当番をしているときは配膳台に並びたがらなくなった。

そしたらしばらく経ってその子が数日学校を休んだと思ったら、学年主任が出て来て「クラス総出でいじめをするとは何事だ!」って説教。あとはテンプレ

まあ小学生露骨な態度って大人でも割と傷つくし、そこに悪意が見えたならその子は大変傷ついたんだろう。

それに関して俺も態度を隠せていた自信はないので普通に申し訳ないと思っている。1対複数の状況だしね。

でもその状況をつくり出したのは誰?っていう。

もちろん何か譲歩策が出せないまま”不快を態度に出す”っていう浅はかな言動をした俺含めクラスメイトが最も悪いのは言うまでもないよ。

けどそれで「加害者100%悪い」って言われるのは納得がいかない。

先に俺たちは結構我慢してたんだが?っていう。

髪を切るかせめてくくってくれという懇願を、何度もした。

「おい髪どうにかしろよw」とかいうからかい混じりとか嘲りまみれのソレではなく、結構まっとうにお願いしていた(俺主観)。

でもその子自分スタイルを変えなかったから、俺たちがダメな方向に変わった。

の子に対する態度がいじめだと自覚していた人間なんてその時いないだろうし、けれどその子いじめだと感じたんだから事実いじめだったんだろう。それならクラスメイトはみんな同罪だ。

比率で言って100:0で俺たちが悪いのか?は今でもよく考える

80くらいまでは「マジで俺が悪かったな…」って思える。99くらいまでは「やっぱ俺が悪いかも」と思える。でも1くらい情状酌量余地があってよくないか

の子が「私のスタイルクラスメイトに不快感を与えているんだ」っていう自覚さえ持ってくれたら、絶対お互いこんなことにはならなかっただろうと思う

顔の造形とか身長とかまあギリ体臭とか、本人の努力でどうしようもないこととか他人に強いられて仕方なくしてることならともかくさ、自分でどうにでもできる範囲での話ね

言うまでもないけどいじめって何億色あんねんが前提だから「なんとなく」とか「そこにいたから」とかそういうテキトー理由いじめられたガチ無罪いじめられっ子の話は別だよ。それは加害者100%悪い

2024-02-17

チクリ魔クリスティ君は哀れ

俺が小学校の頃、公園と林の中間みたいな公園の大きい植木の中にいい感じの空洞があって

そこで仲間と秘密基地作って遊んでいた事がある。


基地って言っても1.5畳くらいの空間で、今思えば色々汚いけど、

自販機の下漁って手に入れた小銭を貯めて駄菓子とか買い溜めしてそこに備蓄したり、

読まなくなった漫画本(週刊誌とか)を持ち寄って皆で読んだりしていた。


学校で「チクリ魔くん」って呼ばれてたクラスメイトがいたんだけど

そいつがある日、基地の噂聞きつけて入れてくれって言われたけど、当然断ったの。

どうせ仲間に入れたら先生にチクるだろうって。

そもそもチクらなくても一緒に遊んで面白くないから勘弁だって

案の定そいつホームルーム時間基地のこと全部バラしやがった。

先生基地まで来てお菓子とか漫画本も没収されてかなり説教された。


学校の仲間の遊びに加わる権利があると思います!仲間外れはイジメです!僕はイジメられました!

って主張してたけど、子供ながらに「コイツガキかよ」って思っていた。

自分の思う通りにならないからぶっ壊してやる!ってヤツはワガママなガキでしか無い。

当然それからもチクリ魔くんは皆から相手にされずぼっちだった。


チクリ魔くんみたいな人間大人になってもたまに見かける。

異常に構ってちゃんで、自分から積極的交流する気も無い癖に

構って欲しいそぶりだけはする誘い待ちで、話もやる事も面白く無く

人の悪口ばかりが多くて他人不快にさせる様な事ばかり言ってて

その癖相手にされないと全力で被害者面して大騒ぎして場を壊そうとするヤツ。


その手の人間を見かけたり、遭遇する度にうんざりさせられるけど

(増田ブクマカではよく見かける)

ガチ友達いなさそうなヤツってのは色んな意味で「おかしい」と痛感させられるよね。

酷い偏見だと思うけど、チクリ魔くんみたいなヤツにコミュニティ壊された経験ある身としては素直に笑えない。


そりゃワガママなガキのまま成長してない様なヤツとは誰だって深く付き合いたく無いし

友達がいないのは当然を超えた当然なんだけど、

孤独ますます構ってちゃん悪化しておかしくなっていくのだろう。

悪循環なんだけど本人は嫌われ者から敢えて救いたい人間もいない。


大人の「チクリ魔くん」は、どうしたら救われるのかまるで分からない。

放っておいて害が無ければ放置で良いけど、そういう訳でも無いからなあ。

勝手にウザ絡みしてきては思った様に構ってくれないとキレて騒いで

色んな所で被害者アピールし始めるから始末が悪すぎる。

2024-02-14

10年前起きた、同級生殺人事件現場に行った話

 不謹慎聖地巡礼をしてきた。

 何かと言うと、10年ほど前にとあるセンセーショナル事件があった場所を見に行ってきたのだ。女子高生による同級生殺人事件である。今回は、そのレポとそんな悪趣味聖地巡礼を決行するに至った経緯の2点を、書き手である私の過去の自語りを多大に含めながら書いていこうと思う。事件現場特定して見に行ったイチ野次馬の実録として読んでもらえれば幸いである。

 はじめに言っておくが、私はこういった事件が起きるたびに容疑者地元出身高校は云々……と嗅ぎ回るような野次馬ではない、とだけ表明しておく。しかしこういった行動に出ている以上、完全否定はできないところはあるが。

 はじめに、その事件の内容を説明する。2014年に起きた、女子高生による同級生殺害事件である。当時15歳の加害生徒Aが、同級生であるBさんを自室に連れ込んで絞殺動機は「体の中を見てみたかった」「人を殺して解体してみたかった」といったものだった。(以下、それぞれ加害生徒=A、被害生徒=Bさんと表記

 事件の具体的な名称地名については関係者迷惑をおかけしてはいけないので伏せさせていただいたが、手口が特徴的なため、調べれば聡明な読者諸君においてはすぐピンとくるであろう。

現地レポ

 事件現場となった場所は、事件発生からほどなくしてネット上では特定されていた。私は現場となったマンション名をgoogleマップ検索、自宅からルート検索し向かった。

(ちなみに事件現場マンションは、事故物件掲載サイトの「大島てる」さんにも掲載されている。Aの実家も)自家用車を走らせ、現場に到着した。所要時間割愛させていただく。

 現場国道に面しており、すぐ近くには駅や大きなアーケード街があった。駅が近い故か、市営のコインパーキング現場マンションの向かいにあった。車をそちらに止め、徒歩で現場に向かった。

 ここで、あらかじめ大事な前提を記載しておく。現場敷地内には立ち入っていない。


敷 地 内 に は 立 ち 入 っ て い な い


 そこまですると流石に不法侵入になってしまうので、面した道路から歩いて観察するだけにとどめた。私もそんなことでお縄になりたくないので、その点はご理解いただきたい。


 現着し、まずはマンションの外観を観察してみる。10階建てでおそらくオートロック。今ではどの部屋にも人が住んでいる気配がある。現場となった5階にもまた、どの部屋にもカーテンがはまっていた。10年も経ってしまえば、その近くの人々の生活もすっかり元通りのはずだろう、という考えが自分にはすっぽり抜け落ちていたことに気づかされた。

 マンションの裏手には駐車場が2台分ほどある。ただしもしかしたら、隣のビルに入っているクリニックの患者用かもしれない。駐車場付近から見上げると、当然マンションベランダが頭上にずらっと見える。AはBさんの殺害後、証拠隠滅のためにスマートフォンを5階のベランダから投げ落としたのだという。彼女スマートフォンが落ちていたのはこの辺りだろうか、と思いをはせる。

 駐車場からさら路地を入ると、住宅が斜面に立ち並んでいた。ここから先は進んでいない。途中で引き返したのは、非常に坂道が急でその後の体力を考慮したためだ。この町の特徴的な地形ではあるが、国道から一本細い路地に入っただけで急峻な坂道になる。西側には海があり、その海岸線近くまで山地が迫ったこの街の地形故だ。

 マンションに数秒黙祷し、周辺の探索に移った。国道の向かい側には小さな商業施設があり、昔ながらのブティックを中心に、1フロアだけのイオンダイソーが入っていた。ブティック中心だからか、店内は年配の女性が多い。日本のどこにでもある、田舎商業施設風景に心が安らぐ。商業施設の1Fからアーケード街に通じており、今どき珍しく賑わいのある商店街が広がっていた。雰囲気で言うなら、福岡市天神新天町商店街にかなり近い。

 商店街は今どきのカフェ居酒屋といった飲食店から昔ながらの八百屋かばん屋、チェーン店ドラッグストアアニメイトまであった。筆者は商店街と言えばシャッター街と化した薄暗い故郷商店街しか頭になかったためまあまあ驚いた。にぎわうアーケード喧騒の中で、AもBさんもここで一緒に買い物を楽しんでいたのだろうか。楽しい時間をすごしたのちに、あのような凶行に及んだのだろうか。そんな、彼女と一緒にお出かけを楽しんだ後にお持ち帰りして夜はムフフなことをして、じゃないんだから……と下世話で邪な形容をした。凡人かつ俗物の私にはそういった想像限界だった。勿論、真相はAにしかからない。

 横断歩道渡りマンションのある側に戻る。国道沿いに北西に進むと、5分もせずに県の弁護士事務所が見えた。Aの父は敏腕弁護士だったと聞く。Aの父は、Aの母が亡くなった後まもなくして若い女性と再婚した。それがトリガーになったかは知らないが、2014年3月にAは父の殺人未遂事件を起こしている。Aと一緒には住めないと判断したAの父は、Aの戸籍を外してAの祖母養子にし、マンション一人暮らしをさせることに決めたという。この事実だけ見ると父親もAの扱いに手を焼いていたのと同時に、法的には娘を切り捨てた薄情者、という印象を受ける。

 しかし、現地を歩いてみると、現場の近くには県の弁護士事務所があり、父の職に大いに関係していたであろう場所がある。2014年当時からあったのかはわからないが、もしかしたら父は、自分業務で関わることの多い場所の近くに娘を住まわせようと、ひいては見守りたい意思があったのかもしれない。娘のために駅の近くかつオートロック自分職場からも近い賃貸物件を見繕って用意してあげていたのかもしれない、と思いをはせる。やはりやるせなさを覚える。

 結果としてAの父親2014年10月に自宅で首を吊っているのが発見され、そちらの実家もそれで「大島てる」さんに掲載されている。Aの父親の行動には怒りを覚えるところも多いが、同時にどうにもできなかったのだろうと痛ましさを覚えた。

 ここまで想像を巡らせたのち、私はマンション近辺を後にした。名物ハンバーガーが食べたくなった、ヤニを吸いたくなった。そういったその時湧きあがった欲求が、私を2014年から2024年へと引きずり戻してくれた。


 参考程度に記載するが、賃貸サイトによる2024年2月現在家賃相場は、その市はワンルームで3.72万円。現場となったマンションワンルームだが4Fの家賃が4.9万円と、その地域では少しお高めな印象は受ける。築年数も浅く何より駅近物件からだろう。ちなみに、現場となった502号室はどの賃貸サイトにおいても今は入居者募集されていなかった。

聖地巡礼動機

 では、なぜそのような不謹慎聖地巡礼を決行したのか? その理由は、「私がこれまでの人生で1番執着した事件だったから」にほかならない。少し回りくどいが、私自身について、この増田匿名性を損なわない程度にお話しする。

 筆者である私は、Aと同年齢である。そして2014年に何をしていたかというと、やはり高校1年生をしていた。私とAの経歴には非常に共通点が多い。もっとも、Aの方が実家は太く彼女自身の才能も豊かなのは間違いないのだが、その内面には非常に共感できるところが多かった。Aも私も、住んでいる県も学校もまるで違うのだが、だいたい同じくらいの偏差値帯の公立中高一貫校中学受験で入っている。抜けきらない中二病一人称は女なのに「ボク」だったし、Aのようなかなり短いショートヘアをしていた。高1の途中から不登校児になったのまで同じだった。(一つだけ自慢。今でこそ私はうだつの上がらない無職だが、高1当時は県内模試で2ケタの順位につけるくらいには学力もあった。)

 問題はここからである。高1当時の私は、少年事件について調べるのが大好きで、それをモチーフにして同級生を殺しまくるお話ケータイ小説執筆投稿していた。今思うと二重に恥ずかしい子どもである

 事件発生当時まず何を私が考えたか。「A、私の書いたの読んだの?」である。今考えると普通にそんなのはあり得ない確率であるし、ほぼ妄想の域だった。しかしそれくらい手口が酷似していた。後ろ暗い喜びと同時に、思考回路が同じという点でかなり精神的に追い詰められた。二律背反感情が板挟みになっていた。学校に行っても、やはり同じ高校1年生が起こした事件ということでクラスでの関心も高く、「キ〇ガイだよね~(笑)」とクラスメイトが笑っているところも見かけた。今でも思い出して動悸がする瞬間である

 そしてそのケータイ小説掲載に関しては、投稿を削除した。そのうえで、もう創作はしないと筆を折った。

 そしてその後、連日ニュースがそれを報じてどんどん事件の全容が見えてきた頃には、私はネットでAの情報を漁りまくっていた。私はもともといじめられっ子で、当時はいじめっ子たちのピグTwitter特定して、特にアカウントは作らず毎日のように静観するという人聞きの悪い趣味を持っていたから、そういうのが大好きではあった。また、AにはASD自閉スペクトラム症)があり、その点も考慮して医療少年院送致がふさわしいとの判決が出た2015年頃、実は私もASDの診断を受けていた。偶然にしてはあまりにも近すぎると、一方的シンパシーを感じていた。

 そしてそのうちに、Aに対してどんどん惹かれていったのだ。Aのような人の内面深淵のぞき込みたい、という気持ちになり、進路希望調査では心理学部のある大学を書くようになった。その後、急速にメンタル調子を崩して精神科医療にかかったり、卒業も危ぶまれるくらいには学校に行かなかったりしたが、どうにか高校卒業した。

 犯罪心理学をやりたいです!と意気揚々心理学部のある大学に入り、臨床心理学系の大学院にまで進み、少年司法の分野に行きたいと思い公務員試験を受け、児童相談所に勤務した。今振り返ると、「心理学がやりたい!」の起点はさかのぼればすべてAへの関心に行きつくと思う。我ながらどうかしている。

 そして現在2024年2月児相勤務は上司や先輩から陰湿いやがらせに遭い、私はひっそりと公務員退職した。今は退職してから3か月が経つ。公務員時代の蓄えでギリギリなんとか食えているが、正直来月以降の生活は先が知れない。なんでこの分野に焦がれ続けて10年間走ってきたのか? その疑問を問い詰めた時、この事件存在が頭をよぎった。2024年のあの現場を、Aが生きていた町の2024年を見れば、私のこの思いを終わらせられると思った。以上が、私がこんな不謹慎聖地巡礼をもくろみ、決行した理由である

 ちなみにわたしは結局、大人になってから二次創作という形で再び筆を執るようになった。どれだけ思考回路狂気の側に近く、そのリビドーを表出させたいと願ったとしても、創作という法に触れない表現方法を選ぶことができた。私はその点で非常に適応的でポジティブな強みを持つことができたのだと、今は肯定出来ている。

 話を本筋に戻すと、私はこの旅で、ようやくAへの執着に諦めがついたように思う。私は間違っていたかもしれないとはいえ10年間走り続けてきた。そしてきっと、AはAで、医療少年院かあるいはどこかで、償いとAの人生を生きているのだろうと思い至った。やっと私は2024年自分を生きていけるようになったと思えた。不謹慎だろうが、ようやく私はこれで前を、未来の方を向いて歩いていけそうな気がしたのだ。

 最後に、被害者の方のご冥福をお祈りすると同時に、Aの更生と治療がうまくいっていることを祈る次第である

追記

 ちなみにこの後、普通に私はその街の名所を一通り回り、観光して帰宅した。軍港の町なので、港に停泊している米軍の大きな船を眺め、海上自衛隊博物館見学してきた。他にも、ネイルチップが取れて応急処置シールを買うためダイソーに入ったら、パンキッシュ服装マダムと談笑したり。名物バーガーを食べていたらバラエティ番組ロケの一団が店に入ってきてびっくりしたり。〇本雅美に似ていたが、声が違ったのでおそらくローカルタレントかなにかだろう。

 10年経とうと、何も変わらず日常は回っていることを実感した。そしてそのことは、私にとって救いでもあった。

2024-02-12

anond:20240211222432

でもおまえのいう「恋愛」って風俗サンタみたいな一方的性欲じゃん

クラスメイトがいいたかったのは性欲をあきらめてから連帯だの友情だのはじまって恋愛につながる人間関係の基本だろ

中学生から進歩できてなさそうでそっちのほうが心配

そりゃ中学生まだ子供だから男としてみれないわ

おまえは未成年の子供を女としてみてたんだろうけどな

2024-02-11

男として見れないってトランスジェンダーでも同じこと言うのか?

・・・今ではそう思う。

オレは個人攻撃するつもりじゃないので、エアリプに留めるが。

恋愛を諦めろ

自己完結する趣味に逃げろ

女の関係ないとこで幸せになれ

男性から下り

・・・というのはさ。中学時代にオレを「男としてみれない」って捨て台詞を吐いたクラスメイトを思い出すよ。今では、もしオレがトランスジェンダーだったとしても同じこと言えるのか、って思うがね。

anond:20240211121146

男ってまじで人権意識が低いよな

男って人権自分たちのモノと勘違いしてるからか明らかに人権意識が低い

性犯罪冤罪について、まじであってもいいと思っていて疑わしきは罰するべきと考えているみたいだ

更に男は奢るべきのような差別的ジェンダーバイアス根深く、改善する兆しもない

また、腐男子界隈ではナマモノかい人権侵害ジャンルがあるらしかて驚いてしま

男向けにナマモノがあってアイドルエロ同人とかクラスメイトエロ同人とか作られてたらどう思うのだろうか?

とにかく男は人権意識先進国の水準に達してない

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