はてなキーワード: ウィットとは
通常、最近の総合格闘技ではレスリング巧者と柔術巧者ではレスリングがかつ傾向にあったし、今でもそれは変わらない。しかしこの戦いは全く違った。レスリングのポジショニングでは確かに大田に分があったが、不利な体勢から三角を狙いに行く所の細かさが勝ってしまった。思えばONEの青木真也もレスリングを完封していたし、固める技術の細やかさは近年の通説を覆すのかもしれない。
皇治は倒されない戦い方をしていたから倒れなかったんだ、という説が大勢を占める中で、五味の打ち合いで全く倒れることなく試合を終えた。何がすごいのかといえば、体重差が何階級か上で、しかもハードパンチャーで鳴らした五味に耐えきったという点だ。シバターvs.HROYAやスダリオvsミノワマンのことを考えると相当タフネスといえわざるを得ない。
多くの人が天心の勝利を信じて疑わなかった一戦だが、蓋を開けてみると天心自身のそんな簡単な相手でもない、という自己評価より遥かに楽に勝っていた。内容的にはパンチの打ち合いはフェイントと先読みで全て点心がリードしてゆき、苦し紛れの右ミドルの攻撃を読み切ってワンツーという展開。ところでこの右ミドルもかなりの高威力であり、これを物ともせずカウンターの餌食にした天心の底力は一体何なのか。空いた口がそのままになるレベルだ。コンビネーションも半端なく、相手の一発に左右の1,2,3,4が瞬間的に入ってゆくという神がかったもの。全盛期の辰吉のミットを思い出すレベル。
正直見どころじゃない。大事な観点として総合格闘技は進化しているということ。ミノワマンのパンチの下手さ、タックルへのタイミング間違いなど時代錯誤の技術力の低さが目立った。もうPRIDEの時代ではないと感じた戦いだった。
誰もが予測を付けにくかった試合ではないか。メインだけあって注目度は一番高かったが、蓋を開けると堀口が前回やられた、ローなどでくるっと回転してからもらった不意のパンチをちゃんと警戒していた。堀口自身はパンチではなくローで海に効かせてゆくという非常に分析仕切った戦い方だった。分析が足りなかった朝倉、分析しまくった結果轍を踏まなかった堀口、という慎重さが明暗を分けた。はっきり言って前十字靭帯切断のはあまり感じなかった。おそらくパンチをあまり出さなかったのも作戦であろうし、ダメージは一体どこに、という印象。
朝倉未来vsドミネーターは当人も不満顔で分かる通りまるで予想通りで意外性がなかった。荻原は安牌切ってて面白くない戦いを繰り広げた。それでも別に間違っていはいないが、大晦日にやることでもないような。吉成名高は次世代天心と呼ばれているが、確かにカウンターに光るものがあるとは思うものの、手数が違うしフットワークも天心には及ばない。それと女子総合のレベルが正直あんまり高いとは思えない。乱打戦の中で喰らいながらいや倒れ風に胴タックルに行くとかやっちゃいけないことを何度もやってる。シバターvsHIROYAは体重差があったものの、得意のキックルールでアッパー気味のフックを綺麗にもらっちゃったのは言い訳が効かないのではないか。一応アウトサイダーで結果残してるしね、シバター。
巷で話題の萌えアニメのオタクは害悪だと主張する記事を読んだ感想である。
私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。
ジャンプやサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東のゴールデンタイムで毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケをテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメの世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。
視聴作品数は、履歴書に書けば人間性を理由に採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想をブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラの茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。
簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。
以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。
主に作品ごとのアニメーションが持つ性質、役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。
過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。
それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。
例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。
『氷属性をもつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間の四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』
数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。
これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。
「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。
例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)
おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。
ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである。
むしろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女の性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女は主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。
さらにここに、
『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動しやすいよう周りの空気を自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女が腰掛けているステンレス製の巨大三角柱からは温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手を冷凍保存しようとしている』
と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女の攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDなキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである。
要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現は千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいからキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いからキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。
この時萌え絵かどうかはあんまり本質的な問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感があるかないかの話に過ぎないと考える。
これより先は趣味指向やトレンドとしか言えない領域に突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪の判断軸が及ばない空間である。
もしそれに対して「過去多くの作品で萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまったことで不当にも市民権的なモノを得てしまったからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪でしかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。
ひと昔前にギャルゲーを原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作のアニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。
ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。
当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず、立ち絵と差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的に作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。
その原因は、アニメに萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台が比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写のカットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしまう可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。
つまりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかにアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品のジャンルがアクション主体なのかコメディ主体なのかリアルな恋愛が主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。
実際のギャルゲー原作の作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。
画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤーの存在にすぎないとも言える。
絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品の価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。
だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情に自分がリーチできるかどうかに関心が向いてしまうものだ。
昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆どの人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算や工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当な表現だと個人的には思う。
昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界転生モノアニメのブームが続いているように見える。
少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。
ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界転生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。
この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。
ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。
2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロインの少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校に入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれた世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。
ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。
社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。
何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画の原画を制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。
今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。
端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命そのものだ。
そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオがクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火の魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。
間違いなく時代やトレンドに関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。
だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。
だが、予算や制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。
製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。
コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。
もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。
けれど、
あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。
私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである。
巷で話題の萌えアニメのオタクは害悪だと主張する記事を読んだ感想である。
私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。
ジャンプやサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東のゴールデンタイムで毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケをテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメの世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。
視聴作品数は、履歴書に書けば人間性を理由に採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想をブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラの茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。
簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。
以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。
主に作品ごとのアニメーションが持つ性質、役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。
過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。
それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。
アニメーション、画面上の動きの一つに、こうした共通言語や構図の時間的変化から読み取れる言語で感じて欲しい叙情性に補完を入れたいのか。
例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。
『氷属性をもつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間の四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』
数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。
これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。
「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。
例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)
おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。
ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである。
むしろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女の性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女は主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。
さらにここに、
『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動しやすいよう周りの空気を自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女が腰掛けているステンレス製の巨大三角柱からは温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手を冷凍保存しようとしている』
と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女の攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDなキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである。
要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現は千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいからキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いからキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。
この時萌え絵かどうかはあんまり本質的な問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感があるかないかの話に過ぎないと考える。
これより先は趣味指向やトレンドとしか言えない領域に突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪の判断軸が及ばない空間である。
もしそれに対して「過去多くの作品で萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまったことで不当にも市民権的なモノを得てしまったからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪でしかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。
ひと昔前にギャルゲーを原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作のアニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。
ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。
当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず、立ち絵と差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的に作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。
その原因は、アニメに萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台が比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写のカットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしまう可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。
つまりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかにアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品のジャンルがアクション主体なのかコメディ主体なのかリアルな恋愛が主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。
実際のギャルゲー原作の作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。
画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤーの存在にすぎないとも言える。
絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品の価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。
だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情に自分がリーチできるかどうかに関心が向いてしまうものだ。
昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆どの人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算や工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当な表現だと個人的には思う。
昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界転生モノアニメのブームが続いているように見える。
少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。
ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界転生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。
この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。
ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。
2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロインの少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校に入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれた世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。
ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。
社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。
何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画の原画を制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。
今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。
端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命そのものだ。
そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオがクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火の魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。
間違いなく時代やトレンドに関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。
だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。
だが、予算や制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。
製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。
コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。
もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。
けれど、
あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。
私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである。
主張に一貫性が無いだの、お気持ちを他人に強要してるだのと主張する人たちがたくさんいるけど
なんでみんなそんなにバカのフリしてるの?
広告対象と関係ない過度に性的な広告止めろってのを「肌色面積が問題なんだな」って曲解して何になるの?
広告の差し替え自体はウィットに富んでいて素晴らしい返しだと思うが、それを錦の御旗にして罵り合いに使うのは惨めだよ?
差し替え前の広告と差し替え後の広告が同じように性的な広告だって本気で考えてるの?
前もって釘をさしておくと、「差し替え前も問題ないだろ」は回答になってないぞ。
「差し替え前も差し替え後も性的度合いは全く変わらない」って主張じゃないと「差し替え後も批判しなきゃ一貫性が無い」論に一貫性がなくなるからな。
よくわからんなー。
メジャータイトルじゃないのは理解できるけど、オタク/サブカル/ジャンプ向けというよりマガジン系の少年誌読者向けというか。
荻野真(孔雀王)や荒俣宏(帝都大戦:これ、タイトル意識してる?)とか知ってるおっさん受けもある程度はあるかもしれない。
昔はゴッドサイダーとかオカルト志向のものは結構あったんだけど、今はすべてが暴かれた時代なので、そもそもジャンルとして出てこないんだよね。少なくともメジャーどころでオカルトなものは少ない。
ただ、リーマンショックからの延々と続くデフレ経済、津波、コロナと続いてオカルトが注目される下地はできているので、そこでキュレーションされた結果出てきたものなんだろう。
構造としては特殊体質の天才型主人公、プロフェッショナルな師匠型の人物、バトルの仕組みという少年漫画的な要素は網羅していて、学園物が入って連載が続けやすいようにする工夫(という名のバッドノウハウ)が見られる。
ジャンプにはジャンプ漫画家に課せられたそれこそ呪いってものがあって、ジャンプ漫画家は王道となったものを履修させられる。だからDBが流行ったらトーナメントが常態化し、ワンピが流行ったら友情を組み入れることを意識させられる。ヒロアカで学園が出てきたら学園を入れたほうが良いとなる。葛藤して真っ向から打ち勝つという古びた概念も入れなければならない。
がんじがらめの伝統芸能の中でジャンプらしくない、と言われるのはさぞ作家にとてはプレッシャーだろう。それこそ藤本タツキのようなナチュラルな天才レベルでなければ(※)ジャンプ評価軸に入ってしまう。
せいぜいTwitterで消費される層をそんなふうに呼んだのだろうか?
作品そのもののことを言えばこの手のものにあるグロさが足りんかなとは思う。味方の人間が半分取り込まれて意識があるのに真っ二つにする胸糞系のエピソードとか(原作にはあんのか?)。
※藤本タツキは厳密に言えば天才というより映画を見すぎたオタク作家だと思っている。つまり天才というより天才に近い秀才という印象がある。このタイプは理論に凝り固まって小島秀夫みたいなガチガチに固められた世界観を構築するか、ウィットに富んだ世界観を構築するかに分かれる。見たものも影響してて、藤本は明らかにタランティーノのファン(というかそんなこと言ってた気がする)。
(ピンフスキー氏のツイート:https://twitter.com/hideyosino/status/1136252884020895744?s=20より)
こうした「OOしてそう」、は自身にオタクくん(ここでは狭義の「オタク」、すなわち「何かにはまっている人」ではなく、「深夜アニメやソシャゲなどの教養のあるインターネット住民」を指す)要素がある人間であればだれでも聞いたことがあるだろう。
私は、この「OOしてそう」という定型文が好きである。ここではこの定型文の魅力と応用例を紹介したい。
そもそも私はインターネット((特になんJ、例のアレ界隈))特有の「罵倒ネタ」が好きである。
この「罵倒ネタ」とはどういうことかというと、例えばこういうのである。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm30714097
このように、罵倒をエンターテイメントとして消費する場面では、皮肉・ウィットに富んだ表現をすることが勝負となる(例えば、巨人小笠原や金本蔑称シリーズなど)。
したがって、欧米のジョークが好きな人は「罵倒ネタ」との親和性は高いかもしれない。
その中でも私は「OOしてそう」という罵倒が好きである。理由を述べよう。
このように手軽・上品に高いダメージを与える罵倒句、それが「OOしてそう」である。
次では、その応用例を見ていこう。
この「OOしてそう」を作る際に問題なのは、この「OO」である。
私が秀逸だと思う基準は、
この二点である。
この基準に基づけばいろんなインターネットの人やキャラに対して「OOしてそう」作ることができる。
くくさまかな
ボスタイマー公開してルエリ鯖でライオン殴ってたチーター時代からただもんじゃないと思ってたけど常に時代の先を行ってる
昔からバーチャルキャラクターじみてたけど今一周回って遅ればせながらVtuberっぽいことやってるの草
はてな民ですら観測範囲に入ったのはP-GOサーチの時くらいか
マビノギ全球監視観測システムkukuluの時点で常軌を逸してたけど
個人でゼロ年代の時点でやたら高機能なライブ配信サイトを開発してJASRACと契約もするとか常人の趣味レベルではない
ちなみにフォローしていても滅多に呟かないし何の為にもならない
しかしSNS向けの非常にウィットに富んだ発言をする謎の才能があるので味わい深くはある
岡村隆史の発言をネットで見た時、当然、うわ、最低だな、と思った訳だけど、
調べてみるとどうもラジオのリスナーからの「コロナの影響で、今後しばらくは風俗に行けない?」という内容の質問に答える中での発言だったらしい(みんなはこれ認識してたんかな?もしコメントくれるなら先頭に1-認識してた、2-してなかった、で教えてくれるとうれしい)
ま、そうだとしても最低なのは変わらないのだが、
ただ、「じゃあ代わりに何と言うべきだっただろう?」と考えてみると、なかなか難しい。
そもそも私は岡村じゃないし芸人でもないのでそんな事考える義理は無いのだが、あの発言が言い逃れ様も無く完璧に最低だったと思うために考えてみる事にする。
まず条件。
1.「コロナがあるから、しばらく風俗には行くな」という意味のメッセージで返さなければならない
2.芸人として、ウィットに富んだ、又は意外性の有る返しをしなければいけない(エンターテイメントである為)
(3.)「今我慢すれば、後に良い事がある」というメッセージにできれば尚良し
件の質問を受け、その場がラジオで彼が芸人である以上、1.2.はほぼ絶対条件だが、3.は絶対ではない(が、岡村の発言は達成している)ので()を付けた。
3.については成程、単に「行くな」と言うより後に希望を持たせるだけ、行かせない為に有効ではある。
さて、ではこれらの条件を満たし、かつ岡村の発言のように最低ではない回答は、どのようにすれば良かったのか、
考えてみると成程、中々難しいのは確かだ、
ラジオについて良く知らないのだが、もし質問への回答が台本ではなく即興だったなら、私にはうまく返せる自信は無い
今我慢すれば、風俗の経営もコロナで大変だろうから、料金設定も安くなるはず!だから今は我慢しよう!
他に「今我慢すれば、コロナが解消してから行ったときに感動がより大きくなる」というのも思いついたが、殆ど小学生の回答なので却下した(上もそんなに変わらないかもしれないが。。。)
正直、考えれば考えるほど無理ゲーではないかと思った。そもそも質問が罠だ。風俗について聞かれたのだから風俗で答えるしかなく、しかも質問者=客にとって都合の良い情報を出さなければいけない。その時点で詰みではないか。
上の私の回答にしても、(本来風俗に行かない)女性の損失を店の損失に置き換えてはいるものの「他人の不幸と、それによる客の得を期待する」構造は変わっていない。
それに料金設定が安くなれば風俗嬢の取り分も減るかもしれない(その辺り詳しくないので分からないが)
ただ、だ、たしかに私には無理ゲーだった、私には適切な「こうすれば良かった」は思い浮かばなかった。
だが、それはあくまで私の話だ。ユーモアに欠ける、頭の固い、いちいち文章が長い、当然芸人の素質など皆無の私の話だ。
他の人なら違うかもしれない。もし、「こう答えれば良かった」を思いつく人がもしいたら、教えてほしい。
普段大喜利で鍛えているあなた達なら面白い、そして倫理的に不味くない回答を思い付くだろう。
それから、素人だけではなく、他のラジオパーソナリティーならどう答えていたかも聞いてみたい、
私はラジオに詳しくないが、もし知ってるラジオ番組があったら、「コロナの影響で、今後しばらくは風俗に行けない?」という質問を投げてみて欲しい、私も手当たり次第に投げてみる。
人とコミュニケーションを取るときに、からかいだとか、イジるという名目で悪口を言うことは一歩譲ってあるだろう。問題は、コミュニケーションが目的であるならば、相手を不快にさせたら失敗で悪口を言った奴の責任のはずなのだが、そういうやつは大抵「冗談なのに怒るほうが悪い」みたいな態度を取り始める。ウィットに富んだイジりならいくらでも話を広げて楽しめるんだが、純粋な悪口で何一つ面白みのないただの罵倒を言う奴に限ってそういう態度をとる。そもそも、イジりだのからかいだのはそこそこ強い信頼関係の裏付けがないなら99%失敗するのだ。距離感もつかめてない。
そういう奴にはかならず「その罵倒は何一つ面白くない」「コミュニケーションにしても失敗してる」「全く面白くない事を言って「笑わせたいんだから笑えよ」って言ってるレベル」「クラスのウェイ系に同じテンションで絡もうとして引かれるコミュ障と同じ」みたいな「ツッコミ」をするんだが、それに対してマトモな返しがあった試しがない。「怒んなって」とか、「冗談じゃん」みたいな、まさか自分がコミュニケーションに失敗したと思っていないダサい返しをしてくる。ゴミみたいなボケにちゃんとツッコんであげてるのに、助け舟に気づかずに「怒ったお前が悪い」「冗談を解せないお前が悪い」に固執する。ツッコミに対応できないってことはコミュニケーションを取りたいのではなく、「ただ悪口を言いたいだけ」なのだ。その言い訳に「コミュニケーションとしての悪口」を使ってるだけで。完全なるコミュ障。バズワードのコミュ障じゃなく、コミュニケーション障害。
ダサすぎる。自分がコミュ障だと気づいてないどころか、「悪口言える俺ってコミュニケーション取れてる」と思ってそうなのがマジでダサい。同情はしない。
結婚10年目のアラフォー子なし会社員の男だけど、セックスレスが辛くて仕方ない。
夫婦仲は良好で、セックス以外に不満はない。むしろ精神的な相性は良い方で、ちゃんとした夫婦喧嘩をできるくらいにはコミュニケーションもできている。
レス解消のアプローチは色々やってみて、その度に暫くは復活するのだけど、結局レスに逆戻りというのが何度か続いてからの完全レス5年目。妻が言うには元々セックスが嫌いで、今まで付き合っていた人とも避けていたらしい。それを言われたのは完全レスになってからなので、後の祭りなんだがな…。
とはいえ、自分のセックスに問題があるならともかく、行為自体が嫌いという理由で断られたら強いるわけにもいかない。一方で風俗やセフレについては許容すると口では言っていたので、性欲だけは外で発散する方向でやっていくことにした。
いくら許容されても堂々とやるのは憚られたので、最初のうちは月に一度くらい、会食と称して仕事帰りにソープへ通ってみた。お気に入りの人も見つけて、よく言う「体は満たされるけど心は虚無」みたいな感覚もなかったので、経済的な問題を度外視すればやっていけるかなと思った。まぁ、その経済的な問題が大きかったのだけど。
我が家は子なしとはいえ、妻が病気がちで働けていないので自分の収入だけで生計を立てている。独身であれば月イチどころか、大衆店なら週イチで通っても余裕で貯金できるくらいには収入はある。ただ妻を養うとなったら諸々のコストや家賃は倍になる上、医療費もバカにならない。障害年金や手帳のことも検討したけれども、そうした補助の対象にはなっていない。そんな状況なので、入り用の月だと一度ソープに行ったら月の収支がトントンということもしばしば。
そんなわけで、今度は出会い系に手を出してみた。よく出会い系はトータルコストでは風俗よりも高くつくと言われるけれども、お互いに体だけの関係と割り切っているならば、食事やデートとかの無用なコストは省けると考えていた。
甘かった。
自分の場合は運の良い方だったと思う。援デリと呼ばれる業者の罠は避けられたし、いくら課金しても出会えないということもなかった。出会い系を始めて1週間くらいで、アプローチして意気投合した同年代の既婚女性と会うことになった。出会い系でリアルに人と会うのはもちろん初めてだ。
相手の第一印象は知的なキャリアウーマン。その印象通り会話はウィットに富んでいたし、食事や掛かった費用は全て割り勘にしたいと向こうから持ち掛けられた。奢られるのは相手に支配される感が出るから嫌らしい。そういう部分にいちいち好感を持った。
そう、好感を持ってしまったのがいけなかった。割り切った関係なんて口では言っていても、心を完全に制御できるなんてできるはずもなく。それは相手も同じだったらしい。この関係はすぐにセフレではなくて婚外恋愛の方へ向かってしまった。妻に関係が知られる前に、また相手と完全な肉体関係へと至る前に終わったからよかったものの、あのまま突き進んでいたら危なかったかもしれない。
その後は出会い系で業者ではない個人でやっているような人と何人か会ってみた。そういう関係と割り切っていれば、さすがに恋愛関係に発展などしないだろうと思ったからだ。ただ、その手の人達はどうにもルーズなタイプが多くて、毎度遅刻されたり借金を持ち掛けられたりと、なかなかディープなクラスタだと思い知らされた。そのくせ相場的にはホテル代と合わせると大衆ソープとそこまで大差ない。結局この路線も長くは続かなかった。
そんなこんなで、今はコロナのおかげで「外で性欲発散」なんて言ってる場合ではなくなっている。
妻とのセックスはもうあり得ないし、ソープは経済的に厳しい。出会い系は問題のある相手か、無ければ無いで恋愛になってしまう。お互いに性欲の発散だけを求めていて、手間の掛からない関係とかってあり得るんだろうか?
妻と離婚すれば経済的な課題は無くなるし、そもそも普通に恋愛してセックスして良くなるのだけれども、離婚を突き付けるほど嫌いになるのは難しい。結局は妻とセックスのどちらを取るかという究極の選択なのかもしれないけれども、セックスという動物的な本能に縛られているのが本当に辛い。だからこそ、その欲求の部分は何とかサクッと発散したいのだけれども、どうしたものかとずっと逡巡している。
よくある「男兄弟が多かったので~」とか「わたしオッサンなのでw」とか「男っぽいってよく言われるんだ~」とか性同一性障害とかでもなく
どこか自分のアイデンティティを俯瞰的に見ていて、計算高いサイコパスみたいな奴。割とちやほやと大切に育てられてきたはずなのに、
男みたいに自分一人で生きていかなきゃいけない事を理解してるような。
ネットで一人称が「私」とかでも、内面の弱弱しさとか、ちやほやされようだとか依存心とかが無くて、文章はウィットに富んでいて理知的。
30代、既婚、子持ちの男だが、AV女優のファンイベに行きたい。撮影会とかじゃなくて店舗でDVD買ったら参加できるやつね(枚数で特典変わるような)
恥ずかしくていけないとかじゃなくて、カメラをコンデジ(RX100シリーズ)しか持ってないから行って良いのか分からない。スマホNGってのはあるらしいが、コンデジって良いのか?
勝手な想像だが、ああいうのに来るファンって、ちゃんとした一眼レフ持って、フラッシュ持って、ポーズもちゃんと指定できるんだろうけど、正直自分はどれも持ってない。して欲しいポーズってのもピンとこない
あまりオープンな世界じゃないし、検索してもいいカメラ持ってるのは前提みたいな感じだから踏み出せない
なんか気の利いた差し入れして、ウィットに富んだ会話して、すこしでも素人感出したら後ろに並んでる奴らに鼻で笑われそうってイメージなんだが、もし経験あるやつが居たら教えて欲しい
俺の友人が虎になった話をする。
前置きしておくが、これは行き場のない俺の愚痴だ。フェイクも多い。うっかりこの文章を目にしてしまったあなたは今流行のクソデカ感情だと笑ってほしい。あなたが腐女子ならおもちゃにしたっていい。そういう、感情を整理したいがための愚痴だ。彼からしてみれば裏切りも甚だしい、誰も幸せにならない告発だ。それでも、俺はかつての彼に戻ってほしいというエゴでこの文章を書いている。
話を戻そう。俺にはそこそこ仲の良い友人がいる。まだ彼との友情は過去形にはしたくないので現在形で語ろう。彼は理知的で、ウィットの利いた発言をして周りを楽しませる、仲間内でのインフルエンサー的存在だ。
そんな彼が、数ヶ月前に仲間内にある秘密を話してくれた。それは、彼がある炎上案件に関わっているということだった。
その炎上案件は俺達仲間内でも何度か話題に上り、珍しく意見の割れている案件だった。そんな彼のささやかな秘密は俺達の間で共有されることになったが、特にその後は炎上案件に関わっている彼を労いこそすれ話題には上らない…はずだった。
最近、とある全く別の件からその炎上案件が未だ鎮火していないことを知った俺は、彼を案ずる気持ちからその案件をウォッチし始めた。すぐに、俺は俺自身の平穏を考えれば間違った選択をしたことに気づくことになる。
いくつかその話題に言及するアカウントを見ていくうちに、彼が仲間内でしてくれた報告は特定の側に極めて偏った、バイアスの掛かっているものだとわかってしまった。彼の関わっている炎上案件は、彼の言うような被害者と加害者の明確なネットリンチではなく、双方共に我を通したいだけで議論をするつもりすらない、地獄だった。
想像できるだろうか。理知的でウィットの利いた発言で場を和ませてくれた、人の悪口なんて決して言わなかったはずの彼が、相手には見えない場所とはいえ冷笑的なニュアンスで他者をあげつらっていたときの得も言われぬ哀切が。彼の支持する側にも非があるとまるで気づいていないような口ぶりに感じた悲哀が。
なるべく彼を否定しないようにしながら諭すような言葉を吐く裏で、俺は、あるnoteの記事を思い出していた。(https://news.line.me/articles/oa-rp24814/ae7c3b51b739)
彼はきっと、炎上と戦い続けるうちに、それとわからぬまま虎に、怪物になってしまったのだ。彼を変えてしまったのはきっと、何を発言しても悪意をもって切り取られる炎上だ。特定の個人を恨むつもりはない。
ここまで読んでくれた人はそんな自己保身で塗り固めた言葉をこうして綴る、縁を切られる覚悟で彼のことを止めにいくことすらできずにこんなところで愚痴を吐く臆病な俺を笑ってほしい。
そして、君がもしこの文章を読んでくれているのなら。悪いことは言わないから戻ってきてほしい。そしてもうあんな、心を疲弊させるだけで話しても何も生まない人たちと関わらないでほしい。君の関わっている案件は人を傷つけるだけ傷付けて何も生まない地獄のような炎上なのだから。君の祈りは決して間違っていないからこそ、もっと健全な場で話し合ってほしい。
とはいえ、これは俺のエゴだ。彼も俺も立派に成人していて、どちらかが保護者という関係でもないから、彼のネット上の交友関係を俺が制限することはできない。だからこんなインターネットの最果てで、彼が怪物をやめる時が来ることを祈っている。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 113 | 10628 | 94.1 | 43 |
01 | 45 | 4172 | 92.7 | 49 |
02 | 34 | 3404 | 100.1 | 30 |
03 | 26 | 1825 | 70.2 | 30.5 |
04 | 19 | 2991 | 157.4 | 40 |
05 | 20 | 1491 | 74.6 | 31 |
06 | 36 | 5614 | 155.9 | 49 |
07 | 58 | 5581 | 96.2 | 35 |
08 | 69 | 6259 | 90.7 | 30 |
09 | 92 | 6440 | 70.0 | 38 |
10 | 126 | 10548 | 83.7 | 54 |
11 | 188 | 14815 | 78.8 | 39 |
12 | 247 | 17906 | 72.5 | 36 |
13 | 207 | 18549 | 89.6 | 36 |
14 | 136 | 11685 | 85.9 | 39.5 |
15 | 146 | 8337 | 57.1 | 30.5 |
16 | 126 | 11219 | 89.0 | 44.5 |
17 | 144 | 17148 | 119.1 | 46.5 |
18 | 101 | 8540 | 84.6 | 40 |
19 | 60 | 6279 | 104.7 | 43.5 |
20 | 120 | 12849 | 107.1 | 35 |
21 | 105 | 15791 | 150.4 | 42 |
22 | 149 | 15822 | 106.2 | 39 |
23 | 146 | 13079 | 89.6 | 49.5 |
1日 | 2513 | 230972 | 91.9 | 39 |
戦争回避(6), チャーター機(5), ストーンズ(4), 今でも(5), アウトブレイク(3), 悲惨な戦争(3), 須田(3), 帰国者(3), 美容部員(3), pau(3), 豚バラ(11), ワシ(43), 日本人女性(31), 感染(46), マスク(41), ウイルス(17), 不細工(29), 咳(11), 濃厚(8), 中国人(23), 世界一(12), メイク(17), 隔離(11), 接触(13), 2020年(9), 悲惨(16), 募集(19), 化粧(19), 戦争(38), 症状(11), モテる(12), 中国(36), モテ(21), 患者(10), 修正(9), ネトウヨ(29)
■ /20200129085117(21), ■俺がモテるってどうして早く教えてくれなかったんだ? /20200128205241(18), ■はてなにいる女性たちはどうやってメイク買ってるの /20200129173154(14), ■YouTube世代のジャニーズについて /20200129114150(11), ■appleからの領収書です。 /20200129090637(10), ■ /20200129153854(9), ■全裸露出で逮捕された /20200128222818(9), ■季節外れで悪いんだけどお化け出た(ブクマカにいくつか返信) /20200129081245(9), ■絵を描くのが好きな中学生に何かプレゼントするとしたら /20200129221006(7), ■ /20200129163604(7), ■中肉中背でドブスな地味女先輩のせいで一発で性癖歪んだ /20200128160337(7), (タイトル不明) /20161019222009(6), ■セルフスタンドでガソリン入れるときに /20190204173122(6), ■ソープ嬢「(どんなお客さんかな?)」ガチャ 俺「まあお茶でも飲んで」 /20200129110316(6), ■楽天の送料無料強制が物議をかもしてるけど /20200129113451(6), ■はてなIDを消した。さよなら、はてな。 /20200129131502(6), ■社会人だけどフィリピンに1週間語学留学してきたよ /20200129131909(6), ■ウィットにとんだ返し /20200129164529(6), ■250円と780円を足して2で割って、ってできるもんなの? /20200129151619(5), ■ /20200129153842(5), ■ /20200129120131(5), (タイトル不明) /20200129155336(5), ■日本人女性って世界一不細工なのに「私達は世界一モテる」って言うよな /20200129115939(5), ■26を過ぎてから体質がすごい変わってしまった /20200129164055(5), ■ADHD夫婦の片方が投薬を始めたら生活が終わりかけた話 /20200128105229(5), ■なんで富士山の山頂にリフトを作らないの? /20200128234109(5), ■良心が残ってるオタクに言いたい /20200129174403(5), ■前澤さん、絶対節税なんてしないでくれ /20200129200901(5), ■みんな性犯罪には甘いよなあ /20200129143702(5)