「ウィット」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ウィットとは

2021-12-19

映画が観られるようになった話

映画が好きだった。いや、大好きだった。

こんな事を言ったら蓮實重彦に怒られそうだ。でも、有村昆なら許してくれそう。

本当に映画が大好きだった。

映画館には年に百回以上行っていた。TOHOシネマズイオンシネマユーロースペース、シネマカリテ、ギンレイホールシネマヴェーラ、新文芸坐早稲田松竹地域映画上映会……。

コロナ禍になってからは行ける機会がほぼなくなった。そして、映画館の経営危機ニュース。SAVE the CINEMA の募金が始まったらすぐに入金した。世界が元に戻ったら、毎日のように映画館に通おう。そう思っていた。

8月のコロナワクチン接種から副反応が出た。

2日程度で終わると言われたが、私の場合は終わらなかった。どんどん悪くなっていき、事前に言われてた副反応以外の事が起こり続けた。

たまたまだろうと気楽に放置していたが、放置すればするほど悪くなった。1ヶ月目あたりから色々な医者に診てもらったが何もわからない。やがて、通院すら厳しい体調になった。家でほぼ寝たきりの生活

それぐらいから初めてネットで調べた。本当に珍しいようだが、私のような人が相当数いるらしかった。みんな困っていた。診てくれる病院が無い。

どうやら最悪のくじを引いてしまったらしい。

ずっと映画のことを考えていた。

接種直後から首と肩の激痛が始まって「これじゃ映画館には行けないな」と思った。

九月の終わりには自宅ですら映画が観れなくなった。5分ほどで強い症状が出てきたからだ。どうやら映画はかなりの負担がかかるようで「二度と映画は観れないかもしれない」と思った。

それから映画を観なかった。何度も試して、身体の反応と映画が結びついてトラウマになるのが怖かった。

4ヶ月が経ち、いろいろな出会いがあった。

いくつかの症状は対症療法苦痛が抑えられる事もわかった。ほぼ寝たきりに変わりはないが、症状をコントロールするための武器が増えた。

ふと、ネットフリックスを見る。

『チック、チック…ブーン!』が配信されている。ずっと気になっていたミュージカル映画。『RENT』を作ったジョナサンラーソンの自伝舞台原作だ。

ラーソン自身は35歳で早逝している。大動脈解離による急死。ウィキによると、正しく診断されていれば亡くなっていなかっただろうと書いてある。妙な親近感を覚えてしまう。

テレビからドゥーンという音が鳴る。懐かしいネットフリックスのSE

手元のApple Watchを見る。心拍数は安定している。

映画が始まる。

カメラ存在意識していない俳優の姿。懐かしい。

これは持論だが、テレビラジオ映画の大きな違いは「出演者カメラへの意識」だ。もちろん、映画であろうと演者カメラ意識している。だが、原則として「俳優カメラ意識していないように見えている事」がその良し悪しに直結する。テレビラジオはその点がもっと緩いのだ。多くの映画監督が「俳優は演技しなくてよい」と言っているが、これはある種逆で映画観客こそが「演技をしない俳優」を求めているのだ。

妙なこだわりを吐露してしまったが、要は映画独特の演技をしている人間を久しぶりに見ることができたのだ。

それだけで嬉しかった。喜怒哀楽を揺さぶるシーンでもないのに涙が流れる。流れ続ける。

手元のApple Watch心拍数を見る。心拍数は安定している。

物語は続いていた。

『チック、チック…ブーン!』は90年代ニューヨーク舞台にしたミュージカル。美しいメロディウィットに富んだ詞、そして優しい物語

主人公三十路前のジョナサンミュージカル作曲家を夢見ており、彼の周囲には貧しい芸術家たちがいた。ダンサー恋人LGBT広告マン、そしてHIV友達

HIVなので「やあ、今日T細胞は順調だったよ」なんて会話が出てくる。ああ、似たような会話、今日SNSでもやったなあ。

観ている間、ずっと涙が止まらなかった。

幕が下りる。物語が終わる。最後まで心拍数は安定していた。

観終わった後、鋭い眼痛とやや強い頭痛が長時間続いたが、幸いにもひと眠りしたら収まった。どうやら通して観るにはまだ早いらしい。

それから週に1回だけ、30分おきに休憩を入れながら映画を観るようになった。

途中で止めるなんて、以前の私なら映画への侮辱だと思っていたかもしれない。

でも、いいじゃないか

ラーソンのミュージカルRENT』に「SEASONS OF LOVE」という歌がある。

歌詞がなかなか興味深い。

525,600分、この人生における一年分の時間を人はどうやって測るんだろう?というような内容だ。

歌にはいろんな単位が出てくる。コーヒーを淹れた回数、笑った回数、喧嘩した回数。

自分も思い浮かべてみる。

Suicaを改札にかざす回数。

スーパー食材を選ぶ回数。

上司に怒られる回数。

後輩に冗談を飛ばす回数。

朝の散歩で澄んだ外気を吸い込む回数。

映画館に行く回数。

8月を境に数えられなくなったものがたくさんある。

何で測ればいいんだろう。何で測れば救われるのだろう。

ジョナサンラーソンは「愛で測ろう」と書いた。

まりにも青臭くて暑苦しい言葉

でも、いい言葉だと思った。

例えまったく外出できなくても、これから何かを、誰かを愛する事は出来る。

そして、こうなってしまってから助けられた、たくさんの愛を数える事ができる。

決して今までの人生に負けてない。

現に『チック、チック…ブーン!』を観た時の感動が、私に残っていた映画への愛そのものであるはずだから

2021-12-08

anond:20211208164632

愚問だけど、もう少しウィットに富んだ返しをしてくれたら面白いのに

念のため、なぜ愚問かを説明すると

10ドルワイン10ドルワイン価格差

・その倍率と満足度相関性

・金とモノの価値

話の前提を無視した挙句、それぞれの価値妥当性について個人レベルですら言及できていないからだね

なのに「使い切れないほどの金」って、「最大品質」ってアンタ……

まあ、さすがに分かって書いてるとは思うし、一週まわって面白い文言だけどさ。

2021-11-25

エリート女子とかワーママ(たぶんホンモノ)を何人かフォロー

みんな面白い 文章とかノリが。

今まで知らなかったカテゴリー

頭の回転が早そうでウィットに富んでる

2021-10-18

anond:20211018083311

スタイルカウンシルポール・ウェラーだってインタビューでは口下手キャラ相棒ミック・タルボットが横から助け船(それもウィットに富んだ)を出してあげるのが常だったらしいけど、自作ライナーノーツはワザワザ筆名つくって書くほど、それに影響されてフリッパーズ・ギター時代オザケンがもじったペンネームで書いてたくらい、…つまり天は二物を与えない場合もあるんやで😷

2021-08-30

しろコンプライアンスしっかりしてるヒップホップないの?

弱者マイノリティへの思いやりもあり、

環境人権にも留意したリリック勝負する感じの。

ウィットに富んだやつ出てこいや

2021-07-28

anond:20210727235502

わざわざプラモやってるガキ、おたくとか書いて

煽る気満々なのがすごいなぁと思う。

フランス語学者さんがサッカー選手問題について書いたような

インテリジェンスウィットが全くなくて

単に感じ悪い品のない文章だなぁと思った。

2021-07-25

anond:20210724202104

お高くとまってる奴が多いというか実際親ガチャ成功してる奴は他のところより多いと思うよ

治安は良いし文盲も少ない

でも性格が良いかというとそうじゃなくてウィットに富んだジョークのつもりで底意地の悪い発言ばっかりしてるイメージ

友達にはなりたくないタイプ

2021-07-24

友達が「ユーモアに大切なのはエスプリだよ」って言うから

エスプリって何?」そう尋ねたら、「ウィットさのことさ!」と答えてきた。

ウィットって?」

エスプリのことだよ」

「なるほど」と僕は頷いた。

2021-07-20

anond:20210720110017

こんなシュールandウィットトラバにうわキモしか思えないなんてかわいそうだ(横)

2021-07-17

障碍者小山田圭吾知識人Eテレ

巷では小山田圭吾イジメ問題大炎上している。……どんな時代でもイジメはなくならないというが、イジメスタイル感性時代とともに変わってきたようにおもう。

70年代は、ゴリゴリ暴力カツアゲという"利益目的イジメ"だった。社会全体が貧しく、不良はイカつげで、弱者障碍者はカモだった。だが大多数の層は「見て見ぬ振り」か、せめて白い目では見ていた。

80年代は、お笑いブームと金余りもはじまり、不良はヤンキー臭があってもお笑いもイケる奴が「モテ」になった。暴力や貧しさという負の側面はイジることで笑い飛ばす風潮になった。ヤクザはヤッちゃんと呼ばれ、貧乏長屋パロディになり、弱者障碍者はイジりの対象になった。暴力的な不良でなくとも、弱者のみっともなさや不自然さを笑えば勝ち組に回れる。暴力より笑いのほうが平和じゃん?と。弱者をマジ顔で擁護する正義漢なんてアナクロだしダサい。強きを助け弱きをくじくタケちゃんマンは笑いにくるんだ本音としてウケた。そんなライト感覚で従来の一般層も弱者を笑うほうに回った。

90年代は、社会隠蔽する負の側面を見世物小屋的に取り上げるサブカル民の一部……つまり従来のモテの条件だった暴力金も顔も微妙だが面白いことは言えるし弁は立つ……が、80年代モテ系のイジメ作法を真似し始める。知的階級弱者障碍者擁護すべしという戦後リベラル的な不文律を、「だーってそんなんじゃモテないし、助けてもいいことないし、素直に見たら笑えるじゃん?」と開き直った感じでもある。つまりビザール系な知的興味の"対象物"扱いである。

かくて不良系のみならず知的とされる階層までが、「ジョークだよジョーク」、「悪ふざけが過ぎたけど一緒に遊んでただけ」、「社会参加しさせろというから仲間に入れて遊んでるんじゃん」とうそぶく、そういう笑いにくるんだ「道化イジメ」に精を出す時代ともなった。

小山田圭吾が「俺はアイデア出してただけよ?」と言い募るのは当然だ。彼はサブカル民だから、「あたまのわるい不良みたいに直接暴力に訴えるなんてダサイ真似は、この俺がするわけないよ?」と言いたかったわけだ。

前フリが長かった。

この時代Eテレに、児童向け特別支援教育番組の"グルグルパックン"というものがあった(1994~1999年放送)。かの有名な"ストレッチマン"が最初に登場した番組である。当時の生活リズムとちょうど合う時間放送されていたのと、自閉症知的障害児童たちのゆるさとストレッチマンハイテンション不思議空気感に、何となく習慣的に見るようになっていた。番組内容はゆるくて差別感や悪意も感じず、むしろ怪人に扮した支援学級の先生たちの奮闘や障害児童の頑張らない日常……チャリティ番組的なお涙頂戴ではない……は穏やかでいい感じであった。

ある日、寝ぼけまなこでテレビをつけた時、そこには隅に小さく番組ロゴが映っていた。自分は目を疑った。

https://pbs.twimg.com/media/EubSIAtVIAEI9Rp.jpg

寝ぼけた目に小さなロゴは、"クルクルパークン"……"くるくるパー君"と読み取れたのだ。(画像を縮小して、目を細めてぼやっと見てほしい。) ものすごい悪意を感じて、たじろいだ。

もちろん。「自分の目がボケてた見間違いでしかないじゃん」、「差別意識や被害意識のある奴はどこにでも差別を見出すんだよな」、「障害児童を画面に出すのも微妙なのにそんなヤバいことしないでしょ?」と、矢のような反論が飛んでくるのはわかっている。ただの見間違いか因縁をつけているだけと言われるだろう。ただあの、「弱者障碍者に親切顔で接近しながら裏では小馬鹿にして嘲笑うことは、知的イケてる層のウィットに富んだ身振り」とされていた90年代雰囲気を踏まえると、何とも奥歯に物がはさまったような釈然としない気持ちにもなる。ましてや、「NHKでは知性や学歴を鼻にかける高慢反抗的な奴はEテレに回される」という風説を耳にしていると、陰でイジメをする優等生が「見間違いで妄想して何を言っているんだ。邪推でみんなの善意努力否定する気なのか?」とうそぶくような、抜け道確保済みの確信犯的な振る舞いじゃないかとも思えてくる。いや、出てくるみんないい人だよ。それら全部を身内ごとひっくるめて嘲笑うような"見間違い"だから知識人特有の底意地の悪い見下しを感じたのだが。

そういえば、このあたりから日本の成長は失われていったな。二枚舌が使えない者が"発達障害者"としてあぶり出されはじめた時期でもあった気もする。

真偽は謎の上に、四半世紀前のことを持ち出して因縁つける気もないが、世間話題にのっかって「90年代はそういう風潮だった」と確認し、「だれか同じようにロゴに気づいてた人いなかったのかな」と書きおいてみたかっただけだ。読み捨てていただきたい。

2021-07-07

言葉を知っていても、聴覚障害のことだと思ってる人がけっこういるみたいだな。

もちろん聴覚障害を伴っていることもあるけれど、発話障害で口がきけない人のこと。

映画ミュート・ウィットネス」は傑作なので観てほしいな。

この主人公も耳は聴こえるのに聴こえないと勘違いされるシーンがある。

2021-06-27

anond:20210627060130

ダジャレは、脳の語彙力の機能の衰えっていうのは割と定説。でもウィットとは別物。

2021-06-16

レスバトル発の哲学的大発見

そんなもの寡聞にして知らないが見逃されてるだけな気もするんだよな

裾野が広い山ほど高いっていうし、レスバトルには相当な人間が参加してきてるわけだから本来その議論からまれものは計り知れない

何としてもその論争に勝利すべく機転なりウィットを利かせるうちに従来の論理学では見出されていなかった論法が生み出されていることだってあるかもしれない

哲学者という名の大学教授論文とか書いて金をもらっているように、レスバトラーにもそういった功績に応じて褒賞金が出るべきなんだよな

でも金を与えられるような身分人間先入観ネット上のレスバトラーを軽視してるからなのかそもそもそこで画期的大発見がなされようが光が当てられることもないのだろう。

あれ、ソーカル事件ってレスバトルみたいなもんだっけ。でもあれだって媒体な純然たる査読誌だしなあ…。

2021-04-27

問題解決を、セクシーに。」小泉進次郎 Powered by Apple

問題解決を、セクシーに。

気候変動に立ち向かう。すべての声を一つにして。

楽しく、クールに、そしてセクシーに。

問題解決は苦しいだけではありません。

もっと肩の力を抜いて。ステーキを食べながら。

 

 

 

 

 

 

30年後のあなたは、何歳ですか?

未来のことを、常に考えています

30年後の自分は、何歳なのでしょうか。1

30年後には、さらに30年後のことを考えているかもしれません。

30年後の、その先へ

足し算の答えが分からなくてもご安心を。Siriに話しかけてみてください。2

 

 

 

 

 

 

究極の反省を、決して伝わらない形で。

反省しなくてはいけません。

とても反省しています反省している色が見えない、という点を。

Super Retina XDRディスプレイは、反省している色を鮮明に映し出します。3

アクセシビリティ機能を使うと、反省の色が見えやすくなります

 

 

 

 

 

 

“46”、それはマジックナンバー

30でもなく、50でもなく、46。

シルエットが浮かんできました。

おぼろげながら、浮かんできました。“46”という数字が。

ですが、ご注意を。くっきりとした姿が、見えているわけではありません。4

 

 

 

 

 

 

環境大臣なので、環境大事です。

今のままでは、いけないと思います

からこそ、日本は今のままではいけないと思っています

地球には時間がありません。私たちが動かなければ。

100%再生アルミニウムに、1000%取り組みます

Appleは、ビジネス環境にも配慮しています5

 

 

 

 

 

 

進次郎のサポート

クリステルが質問にお答えします。6

チャットまたは電話でどうぞ。

今すぐチャットする 〉

 

 

1. 30年後の生存保証するものではありません。

2. Siriの利用にはインターネット接続必要です。

3. 約10億6433万色、2,000,000:1コントラスト比(標準)

4. 2021年4月時点での数値目標です。今後、根拠を示さずに変更される場合があります

5. Appleにおける環境への取り組みは https://www.apple.com/jp/environment/ をご覧ください。

6. クリステルは進次郎のオフィシャルパートナーです。

 

 

桃太郎比較する 〉

https://anond.hatelabo.jp/20210426101419

ネタ元を見る 〉

https://anond.hatelabo.jp/20210425041223

 

1.1 リリースノート(2021.04.28 配信)

・このリリースには、以下の問題修正が含まれます

「妻」の表現Apple的でないため本文から削除し、脚注6を追加しました。

・このリリースには、以下の不具合が含まれます

一部ユーザーから要望のあった「のどぐろ」は、1.1時点では実装されておりません。

 

1.2 リリースノート(2021.04.29 配信)

・このリリースには、以下の問題修正が含まれます

パラグラフごとの間隔を増やしました。

・このリリースには、以下の不具合が含まれます

一部ユーザーから要望のあった「のどぐろ」は、1.2時点では実装されておりません。

 

 

 

Anonymous Diary Literary Awards 2021のお知らせ

Anonymous Diary Academyは本日、毎年恒例のAnonymous Diary Literary Awardsを開催し、世界中増田文豪による最も優れた55の増田文学作品をたたえました。受賞者はAnonymous DiaryにおけるHatena Bookmark件数を反映して選ばれます。毎年、Anonymous Diary Literary Awardsの受賞者は大胆でクリエイティブで独創的なテキストに命を吹き込んでいます。これらの受賞文学執筆デザイン模倣した人々は、その技能ビジョンスタイル意志の強さ、ウィット釣りを通じて、増田文芸コミュニティの仲間だけではなく、ワールドワイドウェブにおけるすべての人にもインスピレーションを与えています

 

「この前、私は小名浜地元組合長とお会いしましたが、いま試験操業で何が獲れるんだと言ったら、『最近ノドグロが獲れるんだ』と。『あ~福島ノドグロ獲れるんですか、私ノドグロ大好きなんですよね』って言って、『じゃあ今度一緒に食べよう』って、『環境大臣室にぜひお越しください』と。『一緒にノドグロ食べましょうよ』って言ったときの、あの『いいんですか』っていうね、喜んだ顔。嬉しかったですね。なので、けっしてそういった皆さんが、ふたたび傷つけられることがあってはならないと。その思いで、こういった問題にもしっかり向き合っていきたいと思っています」と、環境担当プレジデント、進次郎は述べています

 

Anonymous Diary Literary Awardsを受賞した作品は、最新のMaciPhoneおよびiPadを通じて全世界で購読できます

受賞作品をまだご覧になっていない増田文学ファンの皆さんは https://anond.hatelabo.jp/20211226173836 から無料で購読いただけます

2021-04-21

anond:20210420125011

自民嫌いでもこいつらはないと思うよ。

立憲民主議員や支持者の言動見てると。

このエントリも「本気でそう思ってるならそりゃ政権なんてとるなど無理だな」だし、たとえジョークだとしてもウィットのかけらも感じない。

2021-02-15

友達いなさすぎて文中で人の会話が書けない

俺のぼっち歴は相当なもので、プライベートで遊ぶ関係友達勘定するならばたぶん中学一年生ぐらいの頃に映画を見に行ったのが最後だ。(クラス映画を観に行く話をしてるところに俺が空気を読まずに“自分も行っていいか”と訊ねたことでついていく運びになった。今にして思えば、彼らにとっていい迷惑だった)

大学生の頃同じゼミのやつからマクドナルドに呼び出されたことはあるが、どうだろう……友達だろうか…友達ではないな。

なんなら映画を観に行ったときも、俺は観てすぐ帰ったので(楽しくなかったのではなく、普通に映画を観て満足したらすぐ帰りたくなった)そのあとなんやかんやでそのことを突っつかれ、俺はやるせない気持ちになった。「帰るわ!」と言って、特に引き止められずに「ああそう?じゃあまた」と言われたのだからそりゃ帰るよ。

俺は高校大学友達と呼べる人間が一人も出来ないまま過ごし、わけのわからぬまま人生の一番自由な時期を、イヤホンが耳に刺さったまま一人で過ごした。

サークルは一時期落語研究会に属していたが、裏方だけやろうと思っていたのに字が汚すぎて題目名前を書いた紙すら満足に書けず、あがり症のおかげで「時そば」を、客ではなく先輩の前で練習することすら出来ない始末。(なぜか、“枕”という、噺の前にやる些細な無駄話だけは少しだけ達者に話すことができた。20分ほど)どうしたものかと悩んでいたが、ちょうどそのとき部内の人間関係トラブルが生じ、同級生が一人、先輩が二人やめたところで俺も便乗して辞めた。

俺は完全に一人になった。孤立という自覚さえない一人だった。

暇なときイヤホンで外界の情報遮断してなんかしらの曲を聞きながらキャンパス内を徘徊し、たまに構内を出て無意味に一時間ほど歩き通してみたりした。

これで偏差値の高い大学に通っていたとかなら人と違う視点を持ったがゆえの孤立とか格好がつくのだろうが、普通に偏差値の低い大学に通っていたので、俺はぼっちで、しかバカなだけだった。

どれぐらい偏差値が低い大学かというと、ここを出た某作家が著者略歴にうちの大学ではなく、所属していた他大学サークル名前を書いてしまうぐらい偏差値が低い。

とは言え、何も本当に音楽聞きながら歩くだけの学生生活だったわけではない。たまにラーメン屋巡りとかしてたし、ちょいと小銭があるとき雀荘に立ち寄ったり、また、本当に本当~~~に暇なときは、ネット小説をチョロッッッッッとだけ書いたりしていた。半年に、ほんの六、七行ずつみたいなペースで。

そうしてある日、気付いたことがある。

俺は意外と、少なくとも感想文みたいなレポートを提出して怒られていた同級生よりかは、文というヤツが書けるのでは?と。

それまでは星新一ズッコケ三人組ぐらいしか読んだことが無く、他にはエブリスタでクソみたいな異世界転生系小説を読んであざ笑うというカス以下の習慣しかなかったのだが、それが思いのほか文章力の向上に繋がっていたのだろうか。「こういう文章を書かない」という手本は意外と役に立った。気がする。

ブリスタで小さい賞を取ってアマギフを三千円ぶんぐらいもらったりして調子づいた俺はもうちょっと色々書いてみようと思い、半年に一度ペースで書いていた小説で人と人がどうのこうのするパート差し掛かり、そこを頑張って、ウィットエスプリの利いた小気味良い会話文を作ろうとした。

出来なかった。

どうやっても平面的な、話している人間人格が反映されない、ただの「文」にしかならなかった。読んでいて不気味だった。作品思い入れのない声優が「あのキャラやってみて」と頼まれ、とりあえず声だけ出してみた。みたいな。あるいは同じ作品で共演する声優同士に、台本なしでそのキャラ即興で演じてみてくれ。と頼んだ時の会話のような…

とにかく形容しがたい、薄っぺらさが隠せない会話になってしまう。

要するに、三人称視点の文はてんでダメだった。『楽しそうな会話』が書けない。

反対に、一人称視点だとけっこう書けた。なのでレポート論文はヒョイヒョイ書けた。あれは一人称視点で書く文章からだ。だが小説は別だ。いくら一人称でも話の途中で主人公が人と会話をしなくてはならないときがある。これが本当にできない。

相手がどういう感情主人公に話しかけているかを考え、主人公の受け答えでどう気持ちが動いて、気持ちに応じてどう対応が変わるかを考えてセリフを作る。すると、何を考えているかわかっている俺から見ればそれに気付かず喋っている主人公が妙にマヌケに思えてきて、そうなるとそのマヌケ一人称視点で綴られている他の文もマヌケな文に見えてくる。そしてどっと気が萎える。

なんのことはない。俺が普段人の感情機微について推し量るような機会とほとんど出くわさず、機会があっても推し量る能力がないマヌケであり、そのマヌケぶりが主人公に伝染していただけのことだった。

好機を逃さず利用することを中国故事で『奇貨居くべし』と言うらしいが、機会を利用する能力を養う方法まで故事は面倒を見てくれないらしい。(きかい。と打とうとして“きかお”とタイポしたら予測変換に出てきたので、意味を調べた後使いたくなった)

とはいえ書かないと続きに進めないので、そこら辺のコミュニケーションパートはなあなあに、サッと流して次に進むのだった。

いろいろな作家の言では、脳内キャラクター像をしっかり組めばストーリー舞台範疇で、頭の中で勝手に動いてくれるそうだが、俺の脳内に居るキャラクター達は揃いも揃ってマネキンばかりだ。俺の思い通りのポーズはとるが、決して動き出さない。

仕方なくマネキンポーズを手作業ちょっとずつズラして、それを繰り返したもの描写して連続した動きを表現しようと試みるも、そうして出来上がったものは生きた人間の動きとは言い難い、不自然ものに仕上がる。どれだけ細かく刻んだストップモーションアニメも、自立して動く現実映像のように滑らかにはなってくれないのと同じだ。どうしてもギクシャクする。

やっぱり、友達いないとダメかなあ。友達がいたら創作活動なんて手出してないと思うんだけど。

2021-01-21

現職民主党議員学歴一覧

日本

北海道

立命館

慶応義塾

東京

青山学院

昭和薬科

北海道

秋田短期

中央

立教

玉川学園女子短期

弘前学院

東京⇒米アイオワ州立大

早稲田

東京⇒米ジョンズ

北海道

早稲田

東京医科歯科

東北

東北学院

中央

慶応義塾

上智

神奈川

東京

法政

明治学院 中退

武蔵工業武蔵工業大院

京都

東北

東北

東北

早稲田

慶応義塾

立教

立教⇒米テキサス州ダラス大院

専修

早稲田明治大院

東京

お茶の水女子

東京

中火

明治

信州

早稲田

立教⇒米ウィットワース大院

上智

慶応義塾日本大院

埼玉 中退

早稲田

慶応義塾

成城

成城

青山学院

早稲田

早稲田⇒米ミシガン州立大

早稲田

中央東海大

東京

東京⇒英オックスフォード大院

東京工業

慶応義塾

東京⇒米スタンフォード大院

横浜国立

津田

早稲田

日本日本大院

拓殖

慶応義塾

慶応義塾

早稲田

横浜国立

東京⇒米スタンフォード大院

慶応義塾

慶応義塾⇒米ジョンズ

早稲田

新潟新潟大院

玉川

東京

新潟

早稲田

東京 中退

同志社

東京

早稲田早稲田大院

東北

東京

都留短期

早稲田

早稲田

成城

京都⇒米ワシントン

日本

神奈川

米・オハイオ州

早稲田

早稲田⇒米ミシガン州立大

名古屋名古屋大院

愛知教育

一橋

京都

早稲田早稲田大院

東京

東京⇒米ペンシルバニア大院

東京⇒米コロンビア大院

日本

慶応義塾

上智 中退

名古屋工業名古屋工業大院

上智

皇学館

米・ジョージタウン

明治

三重短期

立命館 中退

一橋

京都

京都京都大院

早稲田

中央同志社大院

京都

同志社京都大院

慶応義塾

東京⇒米ノースウエスタン大院

京都京都大院

京都京都大院

東京

京都

関西

立命館

東京

立命館⇒米ミシガン州立大

広島

神戸

東京

東京⇒ジョンズホプキンス大院

東京

東京

奈良教育

中央

芦屋

東京

東京⇒英オックスフォード大院

岡山

大阪

中央 中退

一橋一橋大院

東京

東京

宇都宮

東京 中退

早稲田

東京

明治

早稲田

日本

一橋

慶旛義塾

東京神学東京神学大院

明海佐賀女子短期

福岡教育

一橋⇒米プリンストン大院

中央

京都

東京

東京

東京⇒米カリフォルニア

早稲田

早稲田

東京工業⇒米ハーバート大院

筑波

東京

北九州市

法政

早稲田

東京

国際 中退

フィンランドカレッジ

京都⇒米ジョージタウン大院

2021-01-19

大人になるってつまらないこと?

発達障害で心の成長が人より遅く、ずっといろいろな夢や幻想に縋っていきていた。

しかし、最近少し自分の心がなんだか大人びてきてしまった気がする


しまった気がする、というのは大人になったから嬉しい!とか前より良くなった!とシンプルに喜ぶような質ではない気がしているか


なんというか荒涼としたところに来たなあという気がしている


自覚している状態を書くと、

以前のような他人への幻想がゴッソリ減ったので、いろいろな夢物語への期待や願望が減った

スピリチュアル的な自己実現など)


感性ウィット物語じみた感じからドライな感じになった。


しかし、期待が減ったからと言って、普通にしにたいとか思うし病みに病むし、人生スッキリ楽になった訳ではない


しろ、考え方の世界や甘えに逃げ込めた以前の方がなにか期待や優しさのような“もや”、人間というもの可能性への無限の期待や甘えが私の世界に漂っていた。

そういう浸ったり縋ったり逃げ込んだり言い訳に使ったりできるなにか、一切がゴッソリと減ってしまった。


ふわふわして精神世界的な前より地に足のついた、というか物質的でドライ見方に変わったかもしれない。

以前なら、満たされない気分に対し大きな夢に向かい追い続けもがいていたところをお金インスタントに気分を解決できるならそうしようといういかにも「大人」びた行動に出るようになったことなど


以前みたいに他人への依存が減ったので、離れていく他人を行かないで…と袖を引き止めるような気分も気力も無い。他人無駄に関わることがない分寂しさを感じることもないが、荒涼とした感覚

例えるなら多少ごちゃついててもぬいぐるみとか温もりのあるアイテムがいっぱいある部屋 or

キレイに片付いていても、何もなくて冷たい部屋


具体例が少なくて例えばかりで申し訳ない。

あと投稿初めてなのでルールなどわかっていなかったらすみません


きっと仕事結婚生活など、大人的な生活に意義を見いだしている人は精神大人だった方が生きやすかったり結果を出しやすかったりするのだろう。

しかし私は子供じみた夢に絶望し、大人的な生活にもやりがいを全く見いだしていないのでうちひしがれているのかもしれない。


発達障害ではない一般人達は早ければ10代とかでとっくに経験していることなのかもしれないが、大人になることについて他の人はどう思っているのだろうと思った。


子供若い子を見て「キラキラしてていいなぁ〜」とつぶやく大人は私と同じような荒涼感を感じているだろうか?

大人になることのメリットってなんですか?

2021-01-15

anond:20210114231523

新卒会社入ってビックリしたのはヘタクソでもウィットの欠片もなくても、とにかく露骨イヤミを言うことが格好いいと思ってるオッサンがたくさんいたこと。

2020-12-31

RIZIN.26の見どころ・感想

所英男 vs. 太田忍

通常、最近総合格闘技ではレスリング巧者と柔術巧者ではレスリングがかつ傾向にあったし、今でもそれは変わらない。しかしこの戦いは全く違った。レスリングポジショニングでは確かに大田に分があったが、不利な体勢から三角を狙いに行く所の細かさが勝ってしまった。思えばONE青木真也レスリング完封していたし、固める技術の細やかさは近年の通説を覆すのかもしれない。

五味隆典 vs. 皇治

皇治は倒されない戦い方をしていたから倒れなかったんだ、という説が大勢を占める中で、五味の打ち合いで全く倒れることな試合を終えた。何がすごいのかといえば、体重差が何階級か上で、しかハードパンチャーで鳴らした五味に耐えきったという点だ。シバターvs.HROYAやスダリオvsミノワマンのことを考えると相当タフネスといえわざるを得ない。

天心 vs. クマンドーイ・ペットジャルーンウィット

多くの人が天心の勝利を信じて疑わなかった一戦だが、蓋を開けてみると天心自身のそんな簡単相手でもない、という自己評価より遥かに楽に勝っていた。内容的にはパンチの打ち合いはフェイントと先読みで全て点心リードしてゆき苦し紛れの右ミドル攻撃を読み切ってワンツーという展開。ところでこの右ミドルもかなりの高威力であり、これを物ともせずカウンターの餌食にした天心の底力は一体何なのか。空いた口がそのままになるレベルだ。コンビネーションも半端なく、相手の一発に左右の1,2,3,4が瞬間的に入ってゆくという神がかったもの。全盛期の辰吉のミットを思い出すレベル

ミノワマン vs. スダリオ

直見どころじゃない。大事観点として総合格闘技進化しているということ。ミノワマンパンチの下手さ、タックルへのタイミング間違いなど時代錯誤技術力の低さが目立った。もうPRIDEの時代ではないと感じた戦いだった。

朝倉海 vs. 堀口恭司

誰もが予測を付けにくかった試合ではないか。メインだけあって注目度は一番高かったが、蓋を開けると堀口が前回やられた、ローなどでくるっと回転してからもらった不意のパンチちゃんと警戒していた。堀口自身パンチではなくローで海に効かせてゆくという非常に分析仕切った戦い方だった。分析が足りなかった朝倉分析しまくった結果轍を踏まなかった堀口、という慎重さが明暗を分けた。はっきり言って前十字靭帯切断のはあまり感じなかった。おそらくパンチをあまりさなかったのも作戦であろうし、ダメージは一体どこに、という印象。

ほか

朝倉未来vsドミネーター当人も不満顔で分かる通りまるで予想通りで意外性がなかった。荻原は安牌切ってて面白くない戦いを繰り広げた。それでも別に間違っていはいないが、大晦日にやることでもないような。吉成名高は次世代天心と呼ばれているが、確かにカウンターに光るものがあるとは思うものの、手数が違うしフットワークも天心には及ばない。それと女子総合レベルが正直あんまり高いとは思えない。乱打戦の中で喰らいながらいや倒れ風に胴タックルに行くとかやっちゃいけないことを何度もやってる。シバターvsHIROYAは体重差があったものの、得意のキックルールアッパー気味のフックを綺麗にもらっちゃったのは言い訳が効かないのではないか。一応アウトサイダーで結果残してるしね、シバター

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん