はてなキーワード: 描写とは
内容というか構造をそもそも理解してないし、ある設定に対して突っ込んでいたけどそこの部分は映画内でしっかりフォローもされていた。
そんな映画レビューのサイトでもPVはだいぶあるみたいだし、パンフレットに寄稿した経験を自慢していた。
もちろん、すべての映画批評のサイトがこうじゃないことも理解してるし、結局は書いているのが素人だってことも理解してる。
それでも、だ。「映画を年に○○本観ています!」と喧伝されると盲目的に内容を信じてしまうものなんだろうか?
たとえば野球の解説を、全く野球の経験がなく、ただ「毎年100試合以上観ています!」という人物が行ったとして、言っていることに説得力を感じるだろうか。
文章においても本来、同様のことを考えるべきである。しかし誰しもが文章を書くことが出来、情報を発信できるような状態になるとついそれを忘れてしまう。
考えなしに観ると違和感を覚える描写でも、構造を意識して観ると納得する描写は数多くある。
俺が読んで楽しめないBLはメス役の男の属性があまりにもメスに振り切れすぎてるやつだ
(というといまどきのBLはほとんどこの型になるのだと思うが)。
やっぱ男である俺的には僅かながらのリアリティを欲するのだと思うけど、
メス役のメスが完全にメスであると感情移入のスキがなくて入り込めなくなってしまうのだ。
昔はもう少しオスでありながらオスに犯されていく違和感をメス役が抱いている描写があったような気がするのだが、
最近のは言葉だけで全然心の中の葛藤が描けてなくてそこが残念でならない。
と、いいつつオカズにはするんだけど。
虫プロ作品やタツノコプロ作品が黒人描写・差別描写批判の槍玉に再び上げられる日は来るのだろうか
現状音声テープから差別用語部分だけ消去される程度で済んでいるけど南部の唄を欠番化した理論に
当てはめたらはるかにやべーのが山ほどありそうでちと恐ろしい
歴史修正主義を今すぐやめろ。
常に何の理由も必要とせずセクシャルマイノリティが当たり前に存在してきたのが日本のオタクコンテンツだ。
それを不適切だとして勝手に改変しセクシャルマイノリティの存在を抹消してきたのが欧米だ。
その欧米が今さらになって急に「セクシャルマイノリティに寛容な進歩的なボクちゃん達」に目覚め「日本は遅れてるゥ~」などとイキり散らすのは、許さない。
例によってまた元発言の主の名前は武士の情けで伏せといてやる。
ちなみにこれみんなスーパーマンの息子をポリコレが無理矢理ゲイにした時の話な。
>逆だよ。同性愛者であることに「なぜ」は要らんのじゃ。掘り下げるかどうかは作品の趣旨やテーマによるが、当たり前のようにそこに居る、が大事で今まで蔑ろにされてたことなの。
↑
逆だよ。同性愛者であることに「なぜ」が要らんかったのが日本じゃ。
当たり前のようにそこに居る、が今まで蔑ろにされてたのが欧米じゃ。
>「我々を納得させる理由がないとセクシャルマイノリティの存在を許さない」という人。現実のセクシャルマイノリティにももちろん同じ目線を向けて生きている。
↑
「我々を納得させる理由があろうとなかろうとセクシャルマイノリティの存在を許さない」としてセーラームーンもCCさくらも勝手に改変したのが欧米なのだが?
「「我々を納得させる理由がないとセクシャルマイノリティの存在を許さない」という人」なんてのは、日本のオタクにはもともと存在しないのだが?
謎なのだが?
>異性愛者のキャラで「なぜそのキャラは異性愛者になったのか」の掘り下げはどれだけ存在するんですか?その掘り下げがない異性愛者の恋愛描写は「そういう配慮」とは感じないんですか???
↑
基本的に恋愛物のコンテンツは「なぜその人を好きになったのか」を掘り下げるものなのだが?
>好きなもんを好きなことに理由なんて無い思うんやけど
>私だって妻のこと好きやし
↑
逆だよ。
好きなもんを好きなことに理由なんて無いはずなのに、あきらかに「理由がある」から不自然に見えて反発するんだよ。
本当は同性愛者じゃないのに「ポリコレに配慮する進歩的なリベラルインテリ」だと思われたくて同性愛者のふりしてるようにしか見えない。
>「理由を説明してくれないと存在に納得できない」というのは同性愛差別そのもの
↑
誰も「存在に納得できない」とは言ってない。
「その作品に登場する必然性があるのか納得できない」しか言ってない。
>同性愛者が同性愛者である事に理由なんてないし、作者も当たり前に存在すると思ったから登場させてるんですよ。
↑
逆だよ。
当たり前に存在するものとはされていない欧米の価値観が背後にあるから、無理にでも「当たり前に存在するんだ!当たり前に存在するんだ!」と強調する必要があり、
日本のオタクコンテンツなら自然に当たり前の存在として同性愛者を描いてきた。
このスーパーマンのような無理やりゴリ押しするような不自然さは日本のオタクコンテンツには無い。
>これちょっと違うな。「作者も当たり前に(同性愛者が)存在すると知っていたから」に訂正します。
同性愛者が同性愛者である理由などなく当たり前に存在してきたのが日本のオタクコンテンツなのだが、
欧米は日本と違って同性愛差別が酷くて「当たり前には存在しないもの」として扱われてきたから無理矢理「当たり前に存在するんだ!当たり前に存在するんだ!」と強調しなきゃならないので
「当たり前」な感じが全然しなくて描写が唐突かつ不自然だから反発を招くんだよ。
欧米ポリコレコンテンツの側が「同性愛者が当たり前に存在するもの」として描かれてきた日本のオタクコンテンツから謙虚に学べよ謙虚に。
日本のオタクコンテンツなら自然に当たり前の存在として同性愛者を描いてきた。
このスーパーマンのような無理やりゴリ押しするような不自然さは日本のオタクコンテンツには無い。
だから日本のオタクコンテンツにセクシャルマイノリティが常に登場してきて日本のオタクは誰もそれを悪くは言わなかったんだよ。
欧米人のオタクがどう思ってたのかは知らないけどな。日本のオタクなら「セクシャルマイノリティが存在すること自体が嫌だ」とは“絶対に”言わないし、
「セクシャルマイノリティが存在すること自体が嫌だ」と言うオタクがいるならそいつは日本人じゃないだろう。
少なくともキリスト教かイスラム教が社会の多数派となる文化圏で育った人間じゃなきゃ「セクシャルマイノリティが存在すること自体が嫌だ」という発想には“絶対に”ならない。
>先入観や偏見とは何ぞや?という疑問に対して、とても納得の行く答えを身を持って示してくれているツイート。
「先入観や偏見とは何ぞや?」というのがよくわかるツイートだな。
「日本人は欧米と違って遅れてるから、セクシャルマイノリティに先入観や偏見がある奴ばかりに違いない」という「先入観や偏見」だな。
実態は「真逆」なんだがな!!!!!俺はべつに「日本にはセクシャルマイノリティに対する差別は無い」とは言ってねーのだが?
日本人は伝統的に「セクシャルマイノリティは当たり前に存在する」として、テレビとかでもオネエキャラとか昔から普通に受け入れてきたのだが?
しかし、だから差別が無いかというと、そんなふうに「オネエキャラ」みたいに面白おかしく弄って消費するのも一種の差別なんだが?
ただしそれは欧米流の「存在自体を認めない」というタイプの差別とは異なるスタイルの差別なんだが?存在自体は認める、ただし弄る、というのが日本流の差別なんだが?
そんなふうに存在そのものはとっくに受け入れてる日本に「存在自体を認めない」とする欧米流の差別への対抗である「存在を認める」という形のカウンターの方式を押し付けても意味がないばかりか
「弄る」という日本流の「差別」を「差別じゃない」から「良いこと」とされかねないから、マイノリティの立場からすれば迷惑なんだが?
俺がもしマイノリティの立場だったら、「俺のことはほっといてほしい、存在を無視してほしい、面白おかしく弄られるのはもう嫌だ」と思うと思うのだが?そういう「俺がかまってやると相手も嬉しいはずだ」とかいう勘違いの善意の押し付けは弱者からすれば「攻撃」としか感じられず、そっちのほうが差別なんだが?
同性愛者が同性愛者である理由などなく当たり前に存在してきたのが日本のオタクコンテンツなのだが、
欧米は日本と違って同性愛差別が酷くて「当たり前には存在しないもの」として扱われてきたから無理矢理「当たり前に存在するんだ!当たり前に存在するんだ!」と強調しなきゃならないので
「当たり前」な感じが全然しなくて描写が唐突かつ不自然だから反発を招くんだよ。
欧米ポリコレコンテンツの側が「同性愛者が当たり前に存在するもの」として描かれてきた日本のオタクコンテンツから謙虚に学べよ謙虚に。
ZもZZも安彦設定画に似ても似つかぬ作画だったからいきなりそこで挫折したな
時々見てたけどニュータイプらしさの誰よりも強い描写ってのもなくて
強力なメカが出てきても設定はほとんどなにも生かされることもなく
だんだんモビルスーツもそれガンダムの世界観なの?ってのが多くなってきて
以降のガンダムシリーズはまったく見てねえわ
よくあれでついてく人おるなって感じ
昨日某所に投稿した物の再掲
作画は良いとは言えないが万人に薦められる名作
万人向けとは言い難く人を選ぶが名作
ガンダム最高傑作と言っても過言ではない宇宙戦闘が描かれる名作
とりあえずガンダムを見た事無い人にはこれか初代を薦めれば無難な不朽の名作
二時間足らずの尺に時代を一新した新たなガンダム世界と二人の主人公の対になる家族像の映像を詰め込んだ意欲作
初代からZへの空白期間の戦いが超クオリティの作画で描かれる良作
宇宙世紀の大トリを飾る最終回を見た後爽やかな気持ちになれる名作
少年漫画のような熱い戦いに友情・師弟愛・家族愛・恋愛など心を震わせる人間ドラマが描かれる名作
濃いキャラクターが繰り広げる強烈な人間劇が見ていてまず飽きないだろう名作
華々しい戦果を挙げるヒーローでは無い歩兵としてのガンダムと敵味方の恋愛が描かれるミリタリー色濃い名作
戦後の時代を舞台にした新世代の少年が世界を見て回る隠れた名作
前作で描き切れなかった後片付けの戦いが超クオリティの作画で描かれる傑作
ガンダムらしからぬ牧歌的な雰囲気の全てのガンダムを過去にした名作
少年・おじさん・女性層とありとあらゆる層を引き付けた屈指の話題作
全編CG作画で描かれる戦場で消えていった兵器とそれに乗る男達が主役の良作
TV版よりは万人向けになった良作
デジタル制作によるTVアニメとは思えないハイクオリティな戦闘描写が素晴らしい名作
とりあえずガンダムを見た事無いけど興味ある人にはこれを薦めておくと無難な良作
今見ても異常な超高速戦闘が繰り広げられる作画クオリティは恐らくシリーズ一の名作
あらゆるガンダムファンへのサービスとホビー漫画のお約束を踏まえた熱い展開が魅力の名作
金属が擦れ合い火花散る戦闘とアウトロー達が主役の作風が人を選ぶ異色作
初代とは僅かに異なる世界異なる戦域ではぐれ者達の死闘が描かれる良作
舞台を一新し新たなガンプラバトルとボーイミーツガールが描かれる良作
UCの続編でありCG作品を除き初めてインコムを映像化した記念すべき良作
一度挫折を経験した者達が寄り添いもう一度立ち上がるまでの戦いを描いた名作
CGには拙い部分があるが各ガンダムの後日談・前日譚・IF・幕間の戦いが描かれる楽しい名作
尺の短さ故駆け足ではあるが主役側のキャラはよく立っている良作
以上
SEED DESTINY、AGE、ビルドファイターズトライ、閃光のハサウェイ、Gのレコンギスタ、その他SDガンダムはまだ観てないor全話見てないので作品評を書けない
sangping 本当にSEED DESTINYは見ていないから書けないのか? 本当にSEED DESTINYは見ていないから書けないのか?
まだ見てない。長いから。出来ればリマスター前のバージョンをDVDで見たいと思っている。
SEEDを話題作・鉄血を異色作に分類したけど、客観的に見て名作や良作と書くと角が立つからこう書いただけで個人的にはかなり好きな部類のガンダムに入ってる
sangping 本当にSEED DESTINYは見ていないから書けないのか? 本当にSEED DESTINYは見ていないから書けないのか?/追記:これだけ見ていて「長いから」は笑った。本当に長いからなのか? 本当に長いからなのか?
長いからだよ。それと近くのレンタルビデオショップが閉店したから視聴する手段がない。お金も時間も無い。
hdkINO33 “長いからだよ。それと近くのレンタルビデオショップが閉店したから視聴する手段がない。お金も時間も無い。” バンダイチャンネルでHDリマスターが見放題(月課金)ですよ。(時間はどうにもならん)
俺はリマスター前バージョンを見たいのですな。動画配信サイトだと大体リマスター版しか見れないらしいから、DVDを借りるか中古で買わないと見れない訳だけど…
【追記】
機動戦士ガンダムNTを″UCの続編でありCG作品を除き初めてインコムを映像化した記念すべき良作"と評したけど
子供の頃からサワムラーが人に蹴りを入れてるところとか、セーラー戦士たちが磔にされてるところだけを読み返してたくらいに暴力的な描写が好きなんだけど、大人になってもやっぱり好き。なんなら殴られたいなって気持ちもある。
家族や会社の人にはもちろん言えないし、アウトプットが得意じゃないのでSNSとかも壁打ちで全然交流がない。
もう当たり障りのない会話をするのがしんどい。
しかも隠してるつもりなのに言動から滲み出てるみたいで、飲み会とかで酔っ払いに実はMでしょ?とか性癖やばそう笑とか言われて、愛想笑いで適当にごまかすの本当に辛い。自分のいないところで何か言われてそうで恥ずかしい。会社辞めたい。消えたい。いっそ開き直れたら楽なのに。なんで普通になれないのか。
NetflixのドキュメンタリーThe Social Dilemmaは、ソーシャルメディアの問題を厳しく描写したことで、世界中で話題になった。
依存症からプライバシーの問題まで、ソーシャルメディアのマイナス面については耳にするが、ソーシャルメディア企業は、オンラインでのユーザーの行動や発言をどのように管理しているか、ユーザーデータをどのように扱っているかについて、秘密主義を貫いている。
Twitter等が収集できるデータの種類は、大きく 3 つのカテゴリに分類される。
サービスの対価を支払う顧客は広告主であり、サイトが販売しているのはユーザーの関心(アテンション)である。したがって、ソーシャル メディアにとっては、ユーザーをできるだけ長くページにとどめておくことが目的になる。
ユーザーが好きだったり関与したような投稿の情報を利用して、個人の好みに合わせたコンテンツをレコメンドするシステムを備えている。ユーザーは無意識のうちにYouTubeなどで長時間過ごすことになる。
お気に入りのブランドの靴をオンラインで検索した人は、 知らないうちに、ブランドのより多くのアイテムを求める広告に圧倒されるようになる。監視資本主義はここから引き起こる。
「監視資本主義」は、2014 年にハーバード大学のShoshana Zuboff 教授によって造られた言葉だ。データの収集と生成は、インターネットの大規模な監視に依存しており、多くの場合、Google などの無料のオンラインサービスを提供する企業によって行われている。要は、検索、いいね、購入を監視することにより、オンラインでの行動を収集および精査する。
感情から政治的傾向まで、ソーシャルメディアは直接的または間接的にお前の行動を操作できる。2018年、ケンブリッジ・アナリティカと呼ばれる会社は、「ドナルド・トランプを大統領に選出するのを助ける」ために、知らないうちに何千万人ものアメリカ人に関するFacebookデータを購入していたのだ。その後、マーク・ザッカーバーグが議会での証言に呼ばれ、オンライン消費者のプライバシー権に関する議論が始まった。
研究者は、オンラインで我々は「フィルターバブル」の中にいると主張している。人は反対意見を見ないため、自分の意見は常に正しいに違いないと信じるようになっている。
異世界ものとか田舎を舞台にした作品以外は基本的に東京近郊をイメージして作られていると思う。
舞台装置としての街並みや家、通勤通学の風景にそういう都会めいたものが現れやすいと感じる
ちょっとした田舎だと車通勤が当たり前なので電車や徒歩で移動すること自体が少ない。電車だろうが1時間に数本で全然混んでいないってこともよくある。田舎でもピンキリだがアニメの道路ってほんときれいだし、国道と県道と市道で雰囲気がガラッと変わるという描写もあんまりない。歩行者信号がないところで車が全く止まらなくて立ち往生ってシーンも見たことがない。
別にそういうものがあって何が変わるのってことだが、舞台装置としての街並みにも個性があってほしいなって。全部舗装されたレンガ調の歩道をビル群を背景に歩いているってのは、なんか画一的に見える。まあどれも東京のほうがやりやすいんだろうけどさ。
この前のスーパーカブとかは街並みをちゃんと描いていたが、ああやって地域性を全面に出さない限りはよくみる東京っぽい何かなんだよな。
お前のどこが間違いについて話そう。
お前は最初にこう言った。
>フィクションに性被害を増やす方向に影響があるのは確かだと思うんだよね。
ここが俺が指摘したい根本の誤り。
お前の「性癖」は、確かに教育というか文化の影響下にある。文化のせいで性癖が増えているようにお前は感じる。
違うよね。「性欲」だ。
フィクションによって「性欲」は増えてないし、フィクションを抑圧しても「性欲」は減らない。したがってフィクションによって性被害は増えないし、それを見えなくすることで性被害は減らない。ここまでは論理的な事実。歴史的な事実もある。フィクションの性描写が旺盛な国で性被害が多いと言う事実はなく、むしろ文化面の性が抑圧されていた時期に性被害が多かった。
そういう事実をもとに、俺は断言する。フィクションに性被害を増やしている事実はない。フィクションの規制にどんなにうまいことパッチいれても、性欲による被害が増えたり減ったりはしない。
おまえは、フィクションの規制でもうまくいくかもしれないが、お前のチンチンのエゴのためにフェミに反対する、と言う。
キモヲタは「黒人」が嫌いなんじゃなくて「ポリコレ」が嫌いなんだよ。
【悲報】��オタクさん、ブチギレ 「イヤァァァァァ!!新しく始めたソシャゲに「黒人」がいるううううう!!!」
https://itest.5ch.net/leia/test/read.cgi/poverty/1613830539
もっと大昔は、サイボーグ009にも幻魔大戦にもマクロスにも当たり前のように黒人キャラがいたやん。
不思議の海のナディアは当初もっと黒人らしいデザインだったのがボツにされて色黒な日本人にされたという話を聞いたが。
それが90年代初頭頃に漫画の黒人描写を差別だと批判されて、それから昔の漫画を再販するときは巻末に「今の感覚では差別っぽい部分があるけど昔の人が書いた漫画だから仕方ないからご了承ください」的な文章が必ず載るようになった。
この時の差別反対ムーヴは、昔の漫画が平気で描いてた「野蛮な人食い人種」とかそういうあきらかに差別以外の何ものでもない描写を批判したまっとうなものだったのに
当時の世論は(キモヲタじゃなくても)圧倒的に「表現の自由ガー!」だったんだよ。
しかも最近の「表現の自由ガー」のキモヲタはだいたいネトウヨだけど、当時はリベサヨが中心になって自由ガー自由ガーと騒いでた。
またさらに、そういう批判があると過剰な反発と同時に過敏な自粛も起きるのは世の常で、
べつに差別でもなんでもなくとも黒人を登場させただけで「また差別だと叩かれる!」と出版社が勝手に被害妄想して、それ以来もういっさい黒人の絵は描いてはいけない風潮になったんだよ。
それもまたキモヲタやリベサヨ(つまりリベサヨどうしの内ゲバ)が「サヨクが差別だ差別だ騒ぐせいでアニメや漫画に黒人を登場させれなくなったのは表現の自由ガー!」と騒いでたのだから
現代のキモヲタが逆に「黒人を出せと強制するポリコレのせいで表現の自由ガー」と騒いでるのは、なんかもうほんとにめんどくせえな。
かつて、差別でもなんでもないのに黒人を出しただけでリベサヨが「差別だー!」と騒ぎ、またはヘタレ出版社が「差別だと叩かれるゥー」と騒ぐ、そういう過剰反応したように
現代ではポリコレでもなんでもないのに黒人を出しただけでキモヲタやネトウヨが「ポリコレだー」と過剰反応して騒ぐのか。
ただ、なんでもかんでも「ポリコレだー」と過剰反応するキモヲタは異常だし絶対に許さないけど、
最近、ピーチ姫を黒人にしろとかでひと悶着あったけど、ポリコレがそういう事を言うせいでキモヲタの反ポリコレ感情をわざわざ刺激してるのがわからんのか?
キモヲタは馴染みある既存のキャラ設定を外部からの圧力で無理やり変えさせられる事に反発しているのであって「黒人だから嫌だ」と言ってるわけじゃないんだよ。
中には本音か逆バリか知らんけどわざと挑発するかのように差別的な言葉を叫ぶネトウヨキモヲタもいるから、そいつらがポリコレ派にエサ与えてんだけど。
実際にはただ設定を変えろと外部から政治的な都合で強制されるのが不快なだけなのにそこをわざとか天然か無視して「ほらみろやっぱりこいつらレイシストだ!」と決めつけて攻撃するからキモヲタ側もさらに反発するのであり
そんなの何の得になるんだ?
差別解消には役立たないばかりか無駄に反感買ってさらに差別が酷くならないか?
要は偽善者リベサヨは差別を無くしたいんじゃなく誰かをレイシストと決めつけて攻撃する事でストレス解消と同時に自分たちが道徳的な優位に立って気持ち良くなりたいだけであり、
むしろ差別が無くなるとそれができなくなるから、本音は差別を無くしたくない、だからキモヲタやネトウヨがますますマイノリティに反感持つように煽りたいのだろうな。
ポリコレ偽善者リベサヨってたいていマイノリティ当事者じゃないもんな。
黒人のヒロインが必要なら黒人のヒロインを登場させる新しいシリーズを作ればいいのに、とくにアメリカのポリコレリベサヨって、意地でも既存の作品の設定を弄るのにこだわるよな。
アメコミやハリウッド映画でも、既存のキャラを黒人やイスラムや女性に変えて毎回無駄な反感を集めてる。
黒人や女性を主人公にした新しいシリーズを立ち上げるのは売れるかどうかわからないリスクがあるから既に売れてる既存作品に寄生しようという魂胆か?
すなわち、身体男性、性自認も男性、ビジュアルは女性、性愛の対象は元のゲームの中では違うのかもしらんが二次エロ創作ではいつも男とヤってたからたぶん男、
まあゲスな言い方すれば「女装ホモ」なんだろうけどたぶんもっとポリコレ的に正しい名称があると思うけど
そういうものとして描かれていたキャラがポリコレとTRAの圧力によって無理矢理「トランス女性」だった事にされてしまった。
これでまたファンがこの無理矢理なキャラ改変にブチキレて、それをポリコレTRA勢が「トランス差別だ!トランス差別だ!」と騒ぐいつものお決まりのパターン。
これで俺がちょっと前の黒人エルフや黒人人魚の時も(実際は何十年も前からだが)指摘してきたとおり、「人種」も「ジェンダー」も同じポリコレ権力の勢力が棒にして振り回してるのだが、
いつもポリコレ権力と対峙してるのがフェミの天敵でもある表自ミソウヨキモヲタである事もあって、なおかつ今回のブリジットは国内のキモヲタ界の話だから更にそうなるんだけど、
「敵の敵は味方」と勘違いしたのか、いつもならTRAを激しく批判してるツイフェミの人々が、もうひとつの天敵であるはずのTRAと一緒になってポリコレ棒を振り回してオタク叩きしてるのがアホらしくてたまらない。
差別じゃないものを勝手に差別だと決めつけて、何を言っても聞く耳持たない手口とか、完全に一致してるのだが。
エルフや人魚の時は人種問題だったからポリコレとTRAは別ものかのように誤魔化せたかもしれないがブリジットはがっつりトランスジェンダリズムのゴリ押し直球なんだから
まさかいいかげん気づいたものだと思いたい所なのだが。エルフや人魚の時は、誰も「黒人がエルフや人魚の役をやるのは許さない」なんて一言も言ってなく、黒人が主人公の新作を作ればいいのに既存の作品をわざわざ改変する事しか考えてないからポリコレは嫌なんだと言ってるんだよ。
つまり、「ポリコレのゴリ押しに反対してる」のを「黒人を差別してる」と決めつけてレイシスト呼ばわりしてくるのがポリコレ主義者なんだ。
TRAも、誰もトランス女性そのものを拒絶なんかしておらず、性自認だけでOKになったらトランスじゃない男が便乗してきたりとかで女性の安全がヤバいし、つまり「トランスジェンダリズムに反対してる」のを「トランス女性を差別してる」と決めつけてくるんだよ。
完全に一致してんだわ。
あと表自キモヲタが何かゴチャゴチャ言ってたけど、ツイフェミもたいていオタクなんだし、「オタク的な表現を規制せよ」とは誰も言っておらず、公共の場にはふさわしくないとか、あと、単にセクハラとかの描写がヤダという個人の感想にすぎないのに、
表自キモヲタは自分らが日頃フェミに対してやってるのと同じ事をポリコレからやられてるんだという構図にさっさと気づけよな。
さらについでに言うと、ツイフェミもまた、格差社会を批判してるだけの非モテ弱者男性の俺らを「女をあてがえと言った!」などと言ってもいない事を勝手に言ったと決めつけて攻撃してくるんだが
これも自分らがTRAや表自キモヲタからやられてるのと同じ事を俺ら非モテ弱者男性にやってるんだが、どうせ一生気づかないだろうな。
ブリジットを無理矢理「トランス女性」に改変された事件はまた、これも俺がずっと指摘し続けてきたとおり、
ポリコレとかTRAとかの偽善者インテリエリートリベサヨの皆様は、本人達の自認では自分らが最先端の革新的な思想の持ち主だと思ってちょうしこんでるのだが、
「性の多様性」という観点からすれば、「身体男性、性自認男性、ビジュアルは女性、性愛の対象は(二次エロ創作だけかもしらんが)男性」というブリジットは本来めっちゃ「性の多様性」を象徴する存在たりえたはずなのだが
ポリコレTRAの権威はそれを「多様性」とは認めてくださらないわけ。
あくまで「トランス女性」と限定しなければ「多様性」じゃないって、多様性が無いのはどっちだよ。
女みたいな格好してる男はそれだけでもう「男」じゃなくて「女」だ、なんてのは、古臭い男尊女卑の家父長制のホモソのマッチョイズムなのだが。
昭和の時代は例えば青とピンクから選べと言われたら男の子なら青、女の子ならピンクを選ばなければならず、男のくせにピンクを選ぶなんてのは「オカマ」呼ばわりされ、「お前は男らしくないから女だ」と決めつけられ、「女扱いされる」ということはすなわち「人間扱いされない」ということを意味した。
何重にも差別なんだよ。女性もセクシャルマイノリティも、そういうの抜きにしても単に趣味がマイナーだったりちょっと個性が強かったりするだけの個人も、全てまとめて差別されるんだよ。
それが平成の世になり、ほんの少しずつだが、「ピンクが好きな男の子がいてもいい、女の子が青を選んでもおかしくない」という風潮になりつつあった。
昭和の時代に「男なら野球とバイクが好きじゃなきゃならない」とかいう風潮があってもそういう「男らしい趣味」には全く馴染めなかったから、「オカマ、女、すなわち人間扱いしなくていい存在」とされ、徹底的に差別され虐待された昭和世代の俺としては
これからの世の中は俺らの頃と違って「多様性」が尊重される良い世の中になるんだなと思ってちょっと嬉しかったのだが、そんな甘い期待はすぐ裏切られた。
昨今騒がれてる某宗教と某政党のアレによって意地でも昭和のマッチョ主義に逆行させたろうという非常にウヨい保守的な思想に基づいた陰謀が進行していたからでもあるんだが
そんな平成のバックラッシュは令和のより強力なバックラッシュと比べれば、今思うと牧歌的なもんだった。
しかもあの強大な某政党と某宗教のタッグによる陰謀すらも長閑に見える令和の大バックラッシュは、ウヨじゃなくリベサヨが主導してるのがまた救いがたく恐ろしい。
平成よりも、いや昭和よりも強力な勢いで、「男らしくない男はすなわち女だ」とされてしまう。
ほんとに、かつてのブリジットのような人物は存在することが許されない、そんな男か女かわからない奴なんか完全に「女」としなきゃ存在することを許さない、
つまり「性の多様性」など存在せずこの世には「男」と「女」の二種類しかいない、とするのがトランスジェンダリズムの思想なのだ。
よって「性に多様性なんかない、男と女しか存在しない」などというトランスジェンダリズムと一致する主張をもって「トランスジェンダリズムを論破したった」つもりになってるような保守派からの批判は的はずれすぎてスベってる。
「性の多様性」は間違っていない。
口では「性の多様性ガー」とか言っておきながら、やってる事は「性の多様性の否定」という矛盾だらけだからTRAを批判してるんだよ。
俺の場合はな。
っていうか「性の多様性」の前にまず「個の多様性」なんだけどな。
インテリはデカイ視点でしかものを考えない癖がついてるから、「個」というものを無視しがちなんだよ。
だからウヨとかサヨとTRAとかの極端な思想にすぐ捕らわれて思考が硬直化するんだよ。そんでまた、俺はブリジットもブリジットが出てくるゲームも何も知らないんだけど、
今回の騒ぎのまとめを見たら、ブリジットは故郷の村の迷信のせいで子供の頃から女装させられてたのだが、故郷の迷信が間違ってる事を証明したがってた?
てな背景があるらしいじゃんよ。
それを「実はもともとトランス女性だったから結果オーライ」って事にしたら、故郷の村の迷信もべつに間違ってなかった事になってしまわないか?
このへんが皮肉にも、「自分たちは先進的なつもりで実態は古臭い男尊女卑の因習に逆戻りしてるだけ」というTRAの現実の姿と一致してしまっているな。
アホくさ。
ブリジットの女性自認を、日本かぶれの差別主義キモオタどもへの9.11だと喜ぶトランス支持の外人さんたち
https://togetter.com/li/1946396
『GUILTY GEAR -STRIVE-』ブリジットの性別についての公式発表を喜ぶ反応まとめ
https://togetter.com/li/1945899
俺はあくまで、TRAとポリコレのゴリ押し戦略に反発してるだけで、奴らのやり方が気に入らないからといって、キモヲタ界隈における「男の娘」の扱われ方が正しかったと言いたいわけではない。
逆に言うとキモヲタが正しくなかったとしても、だからといってポリコレTRAが正しい事にはならないわけだし、
キモヲタが間違ってるとするならばポリコレTRAはもっと間違ってるというだけの話だ。
俺はあくまでも監視して通報する目的でキモヲタの二次元エロをいろいろチェックしているわけだが
あくまでも監視目的で某シブで誇張抜きで万くらいのエロ絵師をフォローしてたりするので、元ネタのゲームや漫画やアニメは知らなくてもそれをネタにした二次エロ創作だけは知ってたりするから、
アイマスのアイドルとかもデレステにハマる前に思ってたイメージとずいぶん違うなと思ってよく思い出してみたらそのイメージはだいたい二次エロ創作で歪められたイメージだったりするのだが
そういう事があるから通報目的で監視するのを怠ってはならないのだが
ブリジットとかの「男の娘」の流行り始めの頃とか考えてみると、だいたいが「男」が「男の娘」のア◯ルを岡したりしまくって「メス落ち」させるとかのマッチョな内容ばかりで、
「男の娘」のそのチ◯コは何のために付いてんだよ?と疑問に思っていた。
要するにキモヲタもまた、「男らしくない男」はすなわち「女扱い」するべきであり、「女扱いする」という事はすなわち「人間扱いしない」という事を意味するという、男尊女卑マッチョ思想だったというわけだ。
ただ最近の「男の娘」キャラは、やはり何のゲームのキャラなのかは知らないんだけど、アストルフォだとかポイズンだとかが出てきて、
こいつらたいてい自分のほうから男を「掘」ったりしてるから、最近はけっこう流れが変わってきたのかなと思う。
それともマゾが増えただけか。
それはとりあえずどうでもいいとして、
初期の「男の娘」ブームにおいて「男の娘」は「女のかわり」でしかなく、「女のかわり」に「女扱い」すなわち「非人間的な扱い」をしてもいい存在と位置付けられていた「男の娘」はやはりキモヲタ文化が女性差別的である証拠でしかないけれども
そうだとしても「男の娘ではなくトランス女性である」というふうに改変したからといって女性差別じゃなくなるわけではないのだから、
矢吹健太朗の絵と話が好きなんだけど、お色気描写がいらないんだよなぁ。
個人的には全く無くても大丈夫。ファンが期待している感じも嫌だ。
でも応援するけど。
Q.なんでお色気がいらないの?
○ご飯
○調子
僕のオールタイムベストゲーム「トリック×ロジック」を手掛けた伊東幸一郎氏が手掛けた実写ADVときいて発売前からテンション上がっていたのだが、個人的な都合で中々遊べずようやくクリアした。
そんなわけで、感想行くぜ!
公式がネタバレ禁止を強く提言されているので、ネタをバラす行為はしないが、僕の感情は書くので、ミステリの知識がそれなりにある人なら推察できると思うので、読まないでください。
・ある章が浮きすぎてる
いきなりマイナス面から書いて申し訳ないのだが、章仕立てのゲームになっていて、とある章だけが別ゲームすぎた。
一般論的にこのジャンルと、ミステリやADVは近似のジャンルとして扱われているのかもしれないけど、個人的には大違いなのでキツかった。
テキストアドベンチャーを遊びたくて「ニンテンドーeショップで『アドベンチャー』を検索してゼルダの伝説が出るときの気分」をなぜか僕が思うテキストアドベンチャーを買ってるのに味合わされるような不快感で、この章が嫌すぎて全体の評価もマイナスの目線で見てしまっている。
そういうジャンルの違いがあれどゲームとして面白かったのならまだ評価できるのかもだけど、単純にゲームとしてもしょうもなくて、ガッカリ。
(このジャンル遊びたくないから遊んでないので、ジャンルとして平均点なのか否かはわかんないけど)
謎を解くって言葉だけなら近似なんだけど、これは解かれるための謎であって、そもそもどうして謎がこさえられたのか? から謎解きを始めるミステリとは対極にあるジャンルなんだよなあ。
こういう書き方をしたら何を言いたいのか伝わるだろうし、そうだと知って読んだらすぐ気付くからネタバレ禁止と言われてもだなあ。
勿論ネタを読めた/読めなかったで評価するつもりは全く無く、単純にこの構造が作中事件の謎解きにはあまり影響していないのがいまいちだった。
事件とは別に作中の人物に隠された事実がありそれの開示が面白いのなら、ミステリじゃないジャンルでも良い気がしてしまい、しっくりこなかった。
今作ならある事柄を誤認させてた訳だから、その誤認が犯人特定のロジックに使われてもよかったんじゃないかなあ。
早々に犯人候補の重大な要素が示されるせいで、そこに関するトリックが無いと単純に登場人物の数目が足りなくなることもあって、コレで気づかれないと思っていたというインタビューは無理があるんじゃないなあと思わされた。
・物語は好き
人間にとって普遍的なテーマを描いていて、かつ僕がそれを好きなので、そこは十分楽しめた。
ただ、ミステリはそういった物語と謎が絡み合ってるからこそミステリなのであって、そこの乖離が気になった。
そうならそうでいっそのこと、本筋とは関係のない短編集のような構成にするとか、登場人物の繋がりもための短編連作の構造にするとか、今の長編一本を章仕立てに分割というのは、無理を感じた。
この手のゲームのお約束で間違えた選択肢をした時のはちゃめちゃコメディ部分があるのだけど、いちいち最初に戻される上にそこからの再会がモッサリしているせいで、イライラしてしまい、途中からは間違い選択肢は踏まないように遊んだ。
かなりのテキスト、かなりの動画を見逃していると思うが、流石にこれは耐えきれなかった。
スタッフがコレをインタビューで自慢してたぐらいなので見たかったが、もっと気軽に見れるようゲームシステムを工夫して欲しかった。いや、工夫っていうか、間違えたところにすぐ戻れるようにして欲しいだけなんだけど。
そもそも、明らかに嘘の選択肢を「あえて」選んでるんだから、そこに推理を間違えた罰として最初に戻るのなら、そりゃ「あえて」選ばないようにするでしょ。
そもそも「あえて」じゃなくて本気で間違えてるからちゃんと一から考え直して欲しいと思ってるんかなあ。
それならまあなんだけど、せっかく沢山作ったんだから、そこを楽しく読ませる工夫があるとよかったと思った。
手掛かりパネルをヘックスに配置するんだけど、妙に凝った斜めからのアングル、妙に凝った画面配置になってて、シンプルに方眼紙でいいよ、方眼紙でってなった。
・仮説が長い
どう考えても捨て選択肢を長々とやったり、対偶関係にある選択肢を全部やったりと、ここを眺める時間が楽しくなかった。
そもそも仮説は仮説のタイトルだけで良くて、中身の描写はお任せでよかったんじゃないかなあ。
・総じて
物語とゲームの構造にあるトリックはきちんち噛み合っていて、人間としての普遍的なテーマを描くために有効に使われていて楽しかった。
特にある登場人物の万感の思いがこもった泣きの演技は、自分も自然と一緒にないていた。
スタッフロール後の美しいある自然と人の映像も、この作品全体を通しての〆に相応しい悲しい映像で、兎に角しんみりした辛いお話だった。
けれど、残りの、その他の事件の謎やゲームとしてのシステムなどが全く噛み合っておらず、映画や小説でも良かったんじゃないかな? 無理にゲームしなくても…… と思ってしまった。
面白かったんだよ!
いや、マジで、なんかずっとマイナス面ばっかり書いてるけど、面白かったんだって。
ただ、あまりにも、本当にあまりにも、あの章だけが楽しくなさすぎて、それをズルズル引きずってしまいこんな文章になってるんだって。
あそこだけ記憶消してたらそれこそ「オールタイムベストが更新された」ぐらいの感想書いててもおかしくないだって。
上で書いてるミステリ的な部分、全部あの章のせいでそういう構造をマジマジと考えたから思いついただけであって、遊んでる時は素直に面白かったんだって。
多分傾向が同じなので読んでるものをあげる
病理を扱っているので、医療系にありがちなショッキングな描写は少ない。
割と守備範囲広くしてきたのでもっと病理を丁寧に描いて欲しいがやはり面白いとおもう。
ドラマ化したのいつだっけ
天才ハッカーを投資家が育てる話。絵に癖があるが説明口調なのと所々にネタがしこんであって面白い。ドラマ化するかなと思ったがそうでもなかった。Ingressの描写がある。
色んな賭け事をする漫画。ドティ、コーヒーフレッシュ、潜水艦、エアポーカーはオススメ。
架空のヨーロッパ風の国を舞台にした戦争系。キレイな絵な上に話が面白い。主人公は巻き込まれ系の天才肌なので保護者目線でみれる。アニメ化希望
猛犬たきなは良かった、1話では左遷されて牙を抜かれた状態だったかもしれないがもっと早く覚醒させるべきだった。
女子高生が社会悪を未然に抹消するというディストピアな描写から始まった本作だが、結局この作品が描きたいのはアラン組織あるいは日本社会のような巨大な悪との戦いなのか、その悪に利用されまた逆に利用して自らの望みを叶えようとする駒(ちさと、真島)の哲学なのか12話になってもはっきりしない。
銃撃の中継は誤魔化す内容に差し替えられたが、11話ですでに街中で紙袋に入った銃とリコリスによる抑止(射撃)が発生しておりパニックが発生していた。
そもそも日本の一般市民が拾った銃を即座に発砲をできるという描写は雑すぎて正視に絶えない。
リコリコメンバーを際立たせるためにフキ、さくら他モブリコリスは地味なキャラデザになっているようだが、物語全体の方向性が見えない中でこの子たちの出番も不必要に多すぎてかえって悪目立ちしている。
Amazon Prime Videoのおすすめが定期的に話題になるが、見ようと思ったらプライム対象外になってた…ってことが割とある。ならAmazonオリジナルなら消えないのでは?と思いオリジナル作品からいくつか感想など書いてみた。そんなに見てないので大したリストにならなかった。アマプラ入ってる人は大抵見てるだろう。今から入るって人にはちょっと参考になる…か?
どれ見たか思い出すためにWikipediaの「Amazonが配信するオリジナル番組のリスト」を見てわかったが、Amazonオリジナルと表記されていても「買い取り」作品の場合は配信が終了することかある。現に評判の良かった「Mr.ロボット」はアマゾンでの配信は終了してしまっている。「リーガルバディーズ フランクリン&バッシュ」も一度配信終了リストに載った(現在配信中)。
アメドラ見てる人ならどこかで見たことがある、色んなドラマに(主に)悪役ゲストで出てるタイタス・ウェリバーが主演の刑事もの。顔つきからダーティコップものかな?と思わせて割と真っ当な刑事っぷり。人気が出てS7まで製作され、現在スピンオフの「ボッシュ: 受け継がれるもの」S1配信中。
個人的にはS1はいまいちだがS2からはめちゃくちゃ面白かった。脇のデカ箱+ビア樽コンビが最高。
ちなみにスピンオフは「買い取り」作品なのでいつか見られなくなるかもしれない。
syfyチャンネルでS3まで製作され打ち切られたがベゾスが大ファンだったためにAmazonで拾われたハードSFドラマ。
S1序盤は地味だがどんどん盛り上がっていく。S4からはまた地味になるが。宇宙船や戦闘の描写がいいんですよ。ちゃんと宇宙船に穴が空くし。
サイコサスペンス…サイコスリラーかな?S1はジュリア・ロバーツ主演、S2で完結。一回30分なので見やすい。S1では過去のアメリカの復員兵の復帰支援施設での出来事と、そこで働いていたケースワーカーのハイディの現在が交互に描かれる。とにかくS1の不穏な空気感が良い。演出が素晴らしい。Wikipediaにはズバッとネタバレが書かれているのでネタバレ嫌い組は見てはいけません。
話題になったので知っている人も多いであろう、ブラックな笑いのヒーロー物。かなりグロ。エロもある。話は面白い。ホームランダーが取り繕っていたものがどんどん剥がれていく。
ニューヨークのオーケストラにいたオーボエ奏者による回顧録を原案とし、南米から来た天才指揮者ロドリゴ(デュダメルがモデル)と新人オーボエ奏者ヘイリーをメインにオーケストラをめぐる人間模様や楽団の現実問題等を描く。
自分の中のイマジナリーモーツァルトに話しかけてるロドリゴ、楽団に入りたいヘイリー、ヘイリーのルームメイトのリジー、予算確保に走り回る総裁グロリア、ちょいちょい口を出したがる名誉指揮者トーマスなど脇の人々もみんなチャーミングで良い。S3のシベリウス5番のシーンが美しい。
S4は日本が舞台になるが、変なロボと変なクラオタが出てくる。あんなチンピラみたいなクラオタおらんやろ…面白いからいいが。
画集からインスパイアされたというSFドラマだけど、装置や研究の謎は特に明かされたりしないのでSFっぽい雰囲気のドラマ、って感じ。北欧の田舎の薄暗い空気と佇むなぞのロボ、って絵はたっぷり味わえる。そういうの好きな人におすすめ。
最近公開されたクリス・プラット主演のお父さん復讐もの。クリス・プラット、今回はシリアス演技。アクションは金かかってて見ごたえはある。
これ書いてる今現在3話まで見た。配役の人種がどーたらこーたらと色々物議醸してて、検索してもストーリーの感想までなかなかたどり着かん。個人的には人種は気にならないけど、ヌメノールでのガラドリエルが若者ムーブ過ぎてちょっと気になる。ガラドリエルでも若い頃はあんなもんなんだろうか。
新聞の読者投稿欄の恋愛物語を一話完結でドラマ化。S1はいい感じにオチもある物語が多くてほっこりします。
死後に脳内の記憶をバーチャル空間にアップロードして金がある限り永遠に生きられる世界のコメディ。金が無い人はアップロードしても容量の問題で一日に数分しか活動できなかったりという世知辛さ。主人公がアップロードされた経緯に不審な点があり…とサスペンス展開に。
イーガンで似たような設定あったなと思い出す。
オカルト事件を解决していくコメディ。面白かったけどS1で終わってしまった。
ハルマゲドンを阻止しようとする天使と悪魔、人間のオカルトコメディ。悪魔たちは悪魔の子を人間の子とすり替えるが、うっかり間違ってすっかりいい子に育ってしまうのであった。地獄の番犬もかわいいわんこに。
その他、マーベラス・ミセス・メイゼル、スニーキー・ピート、子供向けだとまほうのレシピ、ゴーティマー・ギボンが評判いいみたいです。そのうち見る。
元英軍兵士で今はホテルのナイト・マネジャーであるパインがかつて殺された恋人の復讐をすべく、武器商人ローパーの組織に潜入。ドキドキスパイもの。
トム・ヒドルストンとエリザベス・デビッキが美しい。ちなみにタイトルはナイトマネジャーだけどマネジャーやってるの序盤だけだった。
スター・トレックの続編ドラマ。親友データを失い、失意のうちに実家のぶどう畑でワインを作っていたピカードのもとに一人の女性が助けを求めて現れる。
スター・トレック全然見てないんだけど、冒頭の掴みが好みすぎて見てしまった。面白かった。
本国アメリカではパラマウントの配信サービスにて配信中なので、最終シーズンはアマゾンでの配信がないかもしれない。悲しい。
二人の破天荒弁護士のドタバタコメディ。よくありがちな深刻な展開がなく気楽に見られる。嫌味な同僚や弁護士の父親との確執もあるにはあるが、全員アホなので全然深刻にはならない。「シリコンバレー」のディネシュ役の人が広場恐怖症の弁護士役で出てくるが、ほぼディネシュ。
あとグッドオーメンズと原作者一緒ということでアメリカン・ゴッズはS1だけ見た。かなり暗かった。
ハンズオブゴッドは1話でやめてしまった。つまらんとか面白いとか言えるほど見てないが、単に1話目の殺人シーンとかが辛くて。
男の欲望から生まれたキャラクターは姿形は違えど漏れなくママだ。なぜなら男はママを新たに発見し、ママが増えることに無上の喜びを覚えるからだ。すべての男はママ以外の女を描写することができない。ママを失う悲しみだけが悲しみであり、それ以外の悲しみは借り物の表現に過ぎない。エロコンテンツのメスガキですら「かっこよくエッチできるかな?」というママのお願いの一形態だ。男は常にママの指令を待っている。
私は「ポリコレ嫌い」が苦手だ。
私と似た観測範囲を持つ人はこの一文で過不足なく伝わるであろうが、もう少しだけこの背景を共有したい。
ポリティカル・コレクトネスという考え方は、社会を構成するあらゆる属性の人々が、その属性によって不愉快に感じたり不利益を被らないようにしようという理念である。
なるべく多様な人を包摂するような視野で表現しようということだ。
どういうわけかこの「ポリコレ」はいわゆる「オタク」と呼ばれる人たちにおよそ蛇蝎のごとく嫌われている。
何のオタクか?と問われると明瞭な回答を与えることができないのが歯がゆいが、おそらくアニメ・ゲーム・映画等に関心を持っていて、積極的にソーシャルメディアで語り合う人たちと言ってもいいかもしれない。
そして、私はこの「オタク」による「ポリコレ」の嫌いかたが苦手なのだ。
その嫌いようといったらまるで「ポリコレは倒すべき外敵、屈してはいけない」というような具合なのである。
マイノリティの属性を持つキャラクターが登場すると「出たよポリコレ」。
ポリティカル・コレクトネスが無謬の理念であるとは言わないし、理念の実装にあたってプラクティカルな問題が起こり得ないとも言わない。
極端な話ではあるが、例えば「日本の田舎の中学校」を描く作品にアフリカ系日本人と中国系日本人とヨーロッパ系日本人とアイヌ民族と琉球民族と大和民族の全てを出演させなければポリティカルにインコレクトであるとするような言説は、私の感覚では受け入れがたい(し、皆さんもそう感じるのではないかと思う)。
けれども、私の目に映る「ポリコレ嫌い」の批判はそういうことではないようなのだ。
私には「マイノリティが描写されること自体からポリコレを連想して、それに敵愾心を燃やしている」ように見えてならない。
先ほど挙げた「マイノリティを描かなければならない」という理念とは対象的に、「マイノリティを描いてはならない」という理念にすら映る。
おそらく私は、「ポリコレ」という「倒すべき外敵」に抱かれる敵愾心と、それに対する無自覚が苦手なのだと思う。
無邪気に使われる「ポリコレに屈した」という表現にも「負けてはいけない外敵に負け折れてしまった」という含意があり、屈折した被害者意識を感じてしまう。
ポリティカル・コレクトネスと向き合うことを避け、漠然とした怒りの感情を「ポリコレ」に仮託していると感じてしまう。
とにかく、鬱屈としているのだ。
改めて明言したいが、ポリティカル・コレクトネスというのは上でも述べた通り無謬の理念ではないと思う。
しかし、誰もがその属性によって必要以上に傷付けられない表現を目指すという素朴な理念自体は間違ったものではないだろう。
実装にあたって様々な問題が起こってしまう理念自体を陶冶していくためにも、我々はポリティカル・コレクトネスから顔を背けず向き合うべきなのではないだろうか。