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はてなキーワード: 描写とは

2022-09-28

anond:20220927195940

画像検索しても出てくるのは現代画像

当たり前だけど夏目漱石描写した時代の風景ではない

その時代を見たことがない人が普通に読めば現代目線しか風景想像することができない

おとなしくドラマ漫画で見た記憶で補完するだけにして細かいことはスルーしてキャラのやり取りだけを楽しもう

2022-09-27

リコリス・リコイル初動2.3万枚

売れたねえ

 

百合好きは

後半たきなが蚊帳の外

百合バディモノじゃなかった

もっとたきちな百合に集中しろ

 

文句を垂れていたが、売れたねえ

 

今年一番の初動記録達成で一つ分かること

やっぱり百合という関係性だけで売るのは、とてもキツいんだということ

 

百合プラスαを持て

ギャグでも、シリアスでも、日常描写でも、なんでもいいか百合以外の見所を作れ

 

メインのキャラ作りました、それらのやりとり描きます、だけでは弱すぎるんだ

 

リコリコは後半路線変更して、百合よりホモ関係性を押し出し

たきなより真島や吉村にご執心する千束の様子を描いた

そこがヒットの秘訣

吉村はともかく、声優人気もある真島を軸に据えたのは、結果として幅広い層にウケる結果になったんじゃないか

百合好きはOPに騙されたと被害妄想に耽っているが

百合二の次に置け

百合好きは粗末な餌で釣れる

釣ったら放置OK

売上的には最適解と分かったのは

業界にとって収穫じゃないかと思う

リコリス・リコイル初動2.3万枚

売れたねえ

 

百合好きは

後半たきなが蚊帳の外

百合バディモノじゃなかった

もっとたきちな百合に集中しろ

 

文句を垂れていたが、売れたねえ

 

今年一番の初動記録達成で一つ分かること

やっぱり百合という関係性だけで売るのは、とてもキツいんだということ

 

百合プラスαを持て

ギャグでも、シリアスでも、日常描写でも、なんでもいいか百合以外の見所を作れ

 

メインのキャラ作りました、それらのやりとり描きます、だけでは弱すぎるんだ

 

リコリコは後半路線変更して、百合よりホモ関係性を押し出し

たきなより真島や吉村にご執心する様子を描いた

吉村はともかく声優人気もある真島を軸に据えたのは、結果として幅広い層に受ける結果になったんじゃないか

百合好きはOPに騙されたと被害妄想に耽っているが

百合二の次に置け、百合好きは粗末な餌で釣れる、釣ったら放置OK

売上的には最適解と分かったのは業界の収穫じゃないかと思う

リコリス・リコイル初動2.3万枚

売れたねえ

 

百合好きは

後半たきなが蚊帳の外

百合バディモノじゃなかった

もっとたきちな百合に集中しろ

 

文句を垂れていたが、売れたねえ

 

今年一番の初動記録達成で一つ分かること

やっぱり百合という関係性だけで売るのは、とてもキツいんだということ

 

百合プラスαを持て

ギャグでも、シリアスでも、日常描写でも、なんでもいいか百合以外の見所を作れ

 

メインのキャラ作りました、それらのやりとり描きます、だけでは弱すぎるんだ

 

リコリコは後半路線変更して、百合よりホモ関係性を押し出し

たきなより真島や吉村にご執心する様子を描いた

吉村はともかく声優人気もある真島を軸に据えたのは、結果として幅広い層に受ける結果になったんじゃないか

百合好きはOPに騙されたと被害妄想に耽っているが

百合二の次に置け、百合好きは粗末な餌で釣れる、釣ったら放置OK

売上的には最適解と分かったのは業界の収穫じゃないかと思う

小説などの描写イメージできない :追記あり

旧字で旧仮名使いの古い本を読むわけでもないのに、どうしても活字の本の中での描写が頭の中でイメージしきれない。

読めない本の種類としては圧倒的に小説が多い。

技術書解説書などは問題がない。

一番の問題は、風景などの視覚的な描写を頭の中でしっかり思い浮かべるのができてないことだと思う。

知識が足りてないという事もあるし、ひとつひとつのパーツは理解できてもそれを頭の中で映像化するのが難しいのだ。

例えば

私は墓地の手前にある苗畠の左側からはいって、両方に楓を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。 するとその端れに見える茶店の中から先生らしい人がふいと出て来た。

夏目 漱石こころ」より

夏目漱石はかなり分かりやすい素直な文体作家だと思うけど、自分にはこういったちょっとした描写ですらイメージするのが難しく感じる。

墓地は思い描ける、苗畑は普通の畑とは違うのか?と不安になったのでググった画像で補完するがまあ大丈夫

楓、広い道、茶店、どれも単体では想像できるけど、問題はこの光景俯瞰で見えない、地図のように絵を描こうとしてもかけないのだ。

まず「左側」でつまづいて、苗畑と広い道の位置関係もわからない。

漫画ならこれらが全て背景絵として描かれてると思うので、なんの引っ掛かりも感じないだろうと思う。

小説だと光景を事細かに描写する必要もない場合もあるわけで、そういう時はある程度読者が好きにイメージすればよいんだけど、自分場合まり曖昧しかイメージできなくてその場面の全てがぼんやりしたものになってしまう。

小説自体は、場面ごとの描写がはっきりと頭の中で映像化できてなくても読み進めることはできる。

でも頭の中で映像化されていないとぼんやりした空間登場人物がそれぞれ現れるだけという味気ないものになる。

から頭の中で映像化できないことがとても歯がゆいのだ。

ミステリー小説なんかでトリックとして建物構造だとかが描写されてる時もだいたいよくわからない。

特に空間把握能力が著しく欠けているのかなとも思う、実際地図を読むのは下手だし方向音痴だし。

ただそれだけじゃなくてちょっとしたディテールとかも掴めない事が多いし、それが気になって中々先に進めなくなったりする。

小説の中で描かれる描写が、全部ちゃん自分の頭の中で思い浮かべることができたらどんなにいいだろうと思う。

でもどうしてもそれができなくて、結局集中しきれず最後まで読みきらないことが多い。

子供の頃からまり読書はしてこなかったし、漫画ばかり読んでいた。

今は漫画はたくさんあるから漫画でいいじゃんと開き直ってもいいんだけど、やっぱり小説もっと読み込めたら楽しいんだろうなと思う。

なにか特訓の方法などあるんだろうか?

小説挿絵を描く人ってどんな風にして描いてるんだろうか?


追記

コメント色々ありがたい。

一番驚いたのは「そこまでイメージする必要はないのでは」という意見が多いことだった。

みんな小説など読んでる時は頭の中である程度具体的にイメージしながら読んでるものだと思いこんでいた。

ただ、言われてみれば登場人物の顔はおぼろげなまま読んでるのにそこは気になってないとか、自分の中に矛盾もあることに気づいた。

ファンタジアではないかという意見もあり、初めて知った言葉だけどこれも興味深かった。

自分がアファンタジアかどうかは分からないが、記憶イメージとして思い出すことはできるので、そういうのとはちょっと違うのかもしれない。

anond:20220927110553

でもコンプレックス持たれてる対象の子はいわゆる巨乳サイズじゃなくて、女からみたところの美乳サイズかつスレンダー美少女だし、それならまああるかなと思う。

過剰なバストサイズにせず全体的なスタイルの良さの一貫として胸が描写されてるのは、作者やキャラデザ担当女性であるということと無関係ではないのでは。

anond:20220927073821

といっても、こういう描写必要だしやられているのは、名作であるべきではない感じのアニメだろ。日常系ってやつ。

 

毎日疲れ果てて帰ってくると、カロリーの高い名作はむしろ見れないって体験をするんだよね。

CGDCTは素晴らしい文化だ。

anond:20220927084325

風が吹くのはパンチラシーンの典型

まり風が吹く描写を入れるというのは男性にある種の期待を与えているということであり、その裏には女性性的搾取固定化しようとする意図が見える

女性は抑圧されている

anond:20220926223353

わかる

ワイが名作と思ったアニメはだいたいこういうしょうもない描写ない

anond:20220926223353

これは俺(おじさん)の性欲なんだけど、俺は貧乳が好きなので、貧乳巨乳よりも劣っているような描写を見ると、それを好む俺も劣っているのかなと思って嫌な気分になってしまう。

「えっ、でも小さい方が好きでしょ?」って煽ってくる生意気なメスガキがいい。

耳かきが好き

ほぼほぼ毎日レベル耳かきをしてしまっている。出張先にも耳かきを持っていく。細いタイプの「匠の技」が一番のお気に入りだ。

耳かきをするときには、耳かき小説を読みながらする。あの効果音表現や、耳が綺麗になっていく一連の描写が、より一層耳かき気持ちよくしてくれる感じがするからだ。

冷静に考えるとこれ、エロ小説を読みながらオナニーするのに近いんだよな……。オナニー映像より文章派。耳かきも、あのスコープ映像を見ながらしたりASMRを聴きながらするのはちょっと違う気がしている。こんなところに共通点ができるとは思わなかった。

anond:20220926044355

俺は現状リコリス・リコイルは今年度オリジナルアニメで1番面白かったと思っている。

主人公女性2人(千束、たきな)とそのモデルケースにもなりえる男性2人(吉松ミカ)の関係について完璧ものが見れたので一切文句が無い。(主人公2人だけだと最後描写が軽くなる)

もしアラン機関テロリストの真島、DA存在について尺を割いた代わりに主要人物の描写希薄になってしまっていたら、主役が可愛いまあまあ面白アニメとだけ記憶していただろう。

こういった取捨選択ができていることからむし制作陣に拍手を送りたい。

次回作も期待しています

anond:20220926232235

デビュー作「本日ハイライ島」の時点で絵柄がほぼ完成されてるんだよな

その絵柄で一世を風靡して80年代日本カルチャーの一端を担ったと言っても過言ではない

そのスタイルを完全に確立した後に、DBのバトル展開に対応して作り上げた新しい絵柄がまたすごい

子供でも真似しやすシンプルスタイル、しっかりしたデッサン力に裏打ちされた破綻のない肉体描写

バトルの流れ、誰が誰をどうやって攻撃たか、読みやすさと視線誘導が考え抜かれており、

漫画を読み慣れていない外国人でも違和感なく入り込める

2022-09-26

フェミ「シンウルトラマンセクハラ描写ないわ」

オタク「これはフィクションですが?www何が悪いの?www現実性犯罪に物申せよwwwお気持ちwww




オタクけものフレンズ2でイエイヌちゃんアムールトラちゃん可哀想で傷ついた!あの作品は犬好きを敵に回した!許せないぃぃぃぃぃぃ!!」

anond:20220926143811

いやだからそれはつまらないが先で理由が後だから

そもそもギャグ漫画なのにつまらないことが罪なんだよ

罪のあるものには見当外れでもあることないこと何を言ってもいいことになってんだよ

 

でもキモヲタシコらせアニメに女の描写対象外の女がリアリティ云々するのはアンパンマン対象外の成人が「アンパン自我を持つなんてリアリティがない」とか言い出すレベルの愚行じゃん

anond:20220926141103

これは実際には「男子校描写リアリティがない」から叩かれてるわけではなく

ギャグ漫画なのに絶望的につまらいから叩かれてるだけじゃん

 

まらないものをつまらないというとき評論家気取りで理由をつけたがる人が一定数いて、後付けで理由つけてるだけだから

最初から完全に想定ターゲットから外れてる女がキモヲタ向けアニメリアリティ云々するのとは状況が違う

anond:20220926134822

百合としても後半千束と真島ヨシさんに焦点置かれてたきな周り雑な感じだし

そもそも百合として絶賛する人一切信用できねえ

バディ描写として真島ロボ太に負けてるしカプ描写としてヨシミカに負けてるし

anond:20220926044355

リコリスキャラデザ声優の演技、いかにもSF好きにウケそうなディストピア世界観はほぼ満点だった。ただ脚本が軽すぎたので10話以降見るのがキツかった。

千束とたきなのDAでのアクション友情パートとかは見ていてアツくなれたけど、、真島とヨシさんのストーリーラインはみんな動機が軽すぎるしギミック説得力も正直うすい

ヨシさんは千束人殺しになれ!と言い続けるだけの壊れたロボットないし長引いた厨二病患者しか見えない。千束不殺を貫くのはいいが、そのために電波塔からあっけなく落ちるのはそれでいいのだろうか。楠木司令は深い考えがありそうに見せかけるだけで行き当たりばったりの無能、ロボ太は国の中枢にハッキングできるけどちょっとしくったらすぐに逮捕されるというパワーバランス。先に逮捕しとけよ。真島も愉快犯なのか偽善を暴く志士なのか、どちらにしてもただのチンピラ感が抜けずラスボスとして凄みに欠ける、というかあまり怖くない。千束を殺せるのに殺さない、というシーンが多すぎた。


プロットというよりはなんか描写の仕方とか掘り下げ方な気がするのよね。キャラの作り込みというか。

竜とそばかすの姫良かったよ

金ローを録画しておきながらプライムビデオで見るのが最近のパティーン

  

細田監督はここ何回かの「家族観が合わねえな」って感想が重なったせいで全然期待してなかったんだけど、竜そば主人公とその周りの関係家族じゃなかったので良かった

そこだけを評価軸にしてる訳じゃないけど、とりあえずそれがラストに絡まなかったので気にならなかった

話は良くあるというか色々な過去作のつまみ食い。これはわざわざ語るほどでもないくらい知られた事だろう

  

主人公クラス炎上した時がイメージとしてボードゲーム描写されてたのがボドゲ好きとしては嬉しかった。ラストのその後が再炎上だったのかは知らない

合唱隊の中の人が最強ババアたちで感激した

主人公たちの声の演技に関してはまあしゃあない

ヒロちゃん可愛い

忍のあご上げて話すザ・イケメン!って感じのしぐさはやっぱ慣れない

  

まとめると細田監督作品としてはぼくウォーの次くらいに良かった

人魚の肉と不老不死関係についての話

人魚の肉を食すると不老不死・不老長寿となる」という物語は、八百比丘尼伝説・昔話として有名でもあるし、仮にそれらを読んだり聞いたりしたことは無くても、高橋留美子連作漫画人魚の森』シリーズを読んだから何となく知っているという人も少なくない。

しかし、そもそも何故、人魚の肉を食したら不老不死・不老長寿となるのか?その理由というか説明については、知らない人も多いのではないだろうか。

これを書いている増田が、その理由らしきものについて書かれたもの最初に読んだのは、神話学者大林太良の著書『神話の話』(講談社学術文庫)であった。この現物を、確かに所有しているはずなのに本棚倉庫の中から見つけられないので、ここでは記憶を頼りに大林説を書き起こすが、もしも『神話の話』の現物を持っている人は、そちらを見た方が早い。図書館で探してもよい。

まず、八百比丘尼伝説概要は、大同小異、以下のようなものである。「龍宮の主を助けた漁師が、龍宮に招待されて主から宴などの歓待を受け、家路につく際に主から土産として、人魚の肉を貰い受ける。聞けば、それを食した人は、不老長寿となるという。家に持ち帰ったはいものの、人魚の肉を食べるのに怖気づいた漁師は、いったん戸棚にそれを保管する。しかし、漁師の留守の間に、彼の娘が人魚の肉を食べてしまう。人魚の肉のことを父から聞かされるが後の祭り。はたして、娘は不老長寿となってしまう。父親である漁師も、娘が結婚した夫も、近所の人たちも、漁師の娘が愛した人たちは皆、寿命が尽きて世を去るが、彼女だけは不老長寿の若々しいまま、この世に取り残される。その孤独境遇を嘆いた娘は、仏門に入るものの、その後も長く若々しいままで生き続け、とうとう八百比丘尼(八百歳の尼僧)と呼ばれるようになり、最後洞窟の中に籠もり、人々の前から姿を消す」

大林太良によれば、これと殆ど同じ内容の話が、朝鮮半島平壌仏教寺院伝説として残るという。但し、日本八百比丘尼物語には見られないディテールとして「結婚して夫を迎えたが、子宝に恵まれない」という描写が、朝鮮半島版の物語には有る。

まり人魚の肉を食することによる不老不死・不老長寿の獲得は、生殖能力喪失するというトレードオフになっている。このような不老不死性と生殖能力トレードオフは、八百比丘尼物語にだけ見られることではないことを知っている人もいることだろう。

例えば日本神話では、人間寿命に限りが有る理由として、ニニギノミコトオオヤマツミノカミから娘の女神を嫁に迎える物語が語られる。オオヤマツミには二人の娘、姿形が麗しくないイワナガヒメ、姿形が麗しいコノハナサクヤヒメがいた。ニニギノミコトは、見た目を重視してコノハナサクヤヒメを選ぶが「イワナガヒメを選んでおけば、不老不死でいられたものを」とオオヤマツミノカミから言い渡される。花が咲き、実を成し、種を残して枯れる植物のように、こうして人は有限の寿命となった。岩石のような、長い年月が経過しても残るような不老不死性は、こうして人から失われた。

女性差別侮辱する古語として「うまずめ(=子を産まない・産めない女)」というものがあるが、これを漢字で書けば「石女」である。言うまでもなく、この言葉にはイワナガヒメ(岩石の女神)とコノハナサクヤヒメ(植物女神)の嫁取り物語と同じ考え・物の見方が、素朴な形で反映されている。

昔の人たちが呪術的な発想として、生殖能力の有無と不老不死性を結び付けて考えたであろうという仮説自体は、現代人も自然と受け入れられるであろう。

問題は、何故、人魚イメージ生殖能力の有無が結び付けられたか、その点が定かではないところである。これについて『神話の話』の中で大林太良は、一つの示唆として、中国の人・袁枚(えんばい)の残した『子不語(しふご)』という書物に収められた、次のような挿話を紹介する。

「袁枚の甥が、地方役人として赴任する旅の途上で立ち寄った集落で、住人たちが騒いでいた。何があったのかと尋ねると、その集落に住む或る夫婦の妻の下半身が魚になってしまったという。彼女証言によれば、昨夜は夫と同衾し(夫婦の夜の営みを行い)、眠りについた。夜更け、下半身がむず痒くて堪らず、手で搔いていた記憶があるが、疥癬のように皮膚がポロポロと剥がれ落ちる感触が有った。朝になり、彼女が目覚めた時には、下半身は鱗の有る魚のものになっていたとのことである。剥がれ落ちていたのは、どうやら鱗だったようである

大林太良は、この『子不語』の挿話について、わざわざ夫との同衾について言及しているのは「下半身が魚になる前の女性は、二本の脚を開いて男性を迎え入れる性行為可能であったが、下半身が魚になったことで、脚を開くこと、すなわち性行為不可能状態になった」と言っているのだと考える。そして、人魚の肉による生殖能力喪失も、これと同じ発想なのではないかと言うのである

個人的には、この大林太良説を初めて読んだ時は「ううん、ホンマかいな?」という半信半疑感想であった。しかし『神話の話』を読んでから暫く経過した後、大林説を補助するような話を、別の学者著作で見かけた。が、やはりこの著作も、本棚倉庫で見つけられずにいた。それがつい最近、その本を古本屋発見して再入手した。嬉しい。だから舞い上がって、ここで記念にメモを残そうと思い立ったわけである

件の大林太良の説を補助する記述が載っていたのは、金関丈夫著作木馬と石牛』(岩波文庫)である。ちなみに、解説大林太良その人である

この『木馬と石牛』に収められた「榻(しぢ)のはしがき」という論文が、人魚による不死性と生殖能力喪失イメージの結び付き仮説を補助するような記述を含むものである。この論文は何について書かれたものか、簡単説明すれば、国文学におけるオナニー文学について論じたものである。これは、悪巫山戯で書いているのでも、嘘を書いているのでもない。本当のことである。初めて読んだ時は「お硬い岩波文庫で、こんな珍論文を読めるとは」と、かなり吃驚したものである

本題に入ると、金関丈夫によれば、天明六年の自序がある東井春江による『譬喩尽(たとへづくし)』という俚諺(りげん)辞典の「い」の部には「一夢二千三肛四開(いちむにせんさんこうしかい)」という俚諺(ことわざ)が収められている。その意味は「性行為の中で快感が大きいものランキングベスト4」である。念のために言うと、男性立場でのランキングである。4位の「開(かい)」が「女色すなわち男女の営み」を指す。この「榻のはしがき」の一節を初めて読んだ時「なるほど、『開(かい/ひらく)』の語と『男女の性行為』のイメージは、昔の人の頭の中では自然に結び付いていたのだなあ」と納得し、大林太良説も納得して受け入れられるようになったと、そういった次第である

何?ベスト3の意味が知りたい?いちいち言わなくても、字を見れば薄々察しがつくだろうからかい説明は書かない。なお、同「榻のはしがき」によれば、戦国時代頃に来日したポルトガル人宣教師たちが、布教活動を行うために編纂した日本初の日本語/ポルトガル語翻訳辞書『日葡辞書』には「Xenzuri」という単語が収録されているとのことである

とりあえず『神話の話』も『木馬と石牛』も、どちらも非常に面白い本なので、機会があれば図書館などで探して一読することをお勧めする。

また、人魚の話に関しては、椿のモチーフなど海女文化八百比丘尼伝承などにおける人魚イメージに影響を与えた可能性の話、人魚の肉はフケツノカイ(キュウケツ[9つの穴]ノカイ)すなわちアワビのことではないかという可能性の話など、色々ほかに面白そうな話が有るので、興味が有る人は調べてみることをお勧めする。

木馬と石牛』再入手で舞い上がっている状態で書いたので、乱文になり申し訳ない。とりあえず以上である

リベラルって『先決問題要求の虚偽』という詭弁術をめちゃくちゃ多様してないか

先決問題要求の虚偽とは要するに、証明されていない勝手な前提をさも大前提のように持ってくる詭弁一種

わかりやすい例でいくと大昔に進化論否定する際によく使われてて、

「すべての生物は神が作ったのだから進化論矛盾している よって進化論は間違っている」

というように、そもそも『すべての生物を作ったのは神である』という前提が怪しいのに大前提として持ってくる感じ


リベラルってこれをめっちゃ多用してない?

大体は「○○が正しいのは大前提として~」として疑わしい『正しさ』の前提を前置きで持ってくる人が非常に多い気がする

ぱっと思いつくのでいうと、「(性的消費は滅ぼすべき社会悪だというのは大前提として)この作品描写性的消費にあたりますよね?」

「○○の格差が間違っているのは大前提として、格差を生み出している○○は滅ぼすべき悪である」みたいな

「いやそもそもそこの前提あってます???」って言いたくなることがめちゃくちゃあるのだが、リベラル自身はどう思ってるのだろうか

他人解釈が怖い

題名の通り、他人解釈が怖くなった。漫画とかアニメとか映画とか小説とか、そういうのを読んだ後に他の人の感想とか反応を見たりするのが好きで、アニメなんかも2周目は感想付き(アニメリアルタイムに実況するやつ)をよく見る。普通感想だったらまだいいけど、表現とか、描写かに筋道立てて作者の意思とか何を表現たかったのか、といった風な考察とか解釈が怖い。現代文の答え合わせをしているようで、とても怖い。文学的要素、というか行間を読むような作品とか。具体例を出すとシャニマスのような作品趣味範囲内なんだし個人で楽しめばいいというのはもちろん分かるけどそういう他人解釈自分が思った事と違うと、とても悲しい。間違いじゃないと分かっていても、そっちの方が確かに正しいなってなって。自分はなんて浅いんだろう。これで好き、なんて言えるのかとか。けれど見ずにはいられない。自分の「好き」が正しい好きかどうか確かめなくちゃいけないから。ここまで書いてみて自分自己肯定感の無さを感じるなーとか、他人からどう見られてるか気にしすぎじゃない?とか思った。SNS、やめた方がいいのかも。分からないけど

2022-09-25

リコリコの感想

個人的には面白かった

で、他の人はどうだったかなと調べたら設定ふわふわストーリーガバガバ微妙評価だった

言われてみれば、と思ったので思ったことを書き出してみる

DAという組織

犯罪隠蔽するといった機能を考えると、そもそもこの大前提から無理がある

目撃者どうすんねん問題

情報操作が当たり前すぎてお前らが犯罪組織感)

ここに違和感を抱いた人はまずこの作品を見ないであろう、てか見てないよね?

なので、この組織に関しては真面目に考えずにファンタジーであるという認識を持った方がいい

最終回前に、銃を持って犯罪者を粛清するリコリス存在全国ネット(暫定)で公開され、その誤魔化し方にアニメ視聴者かギョッとした

最もその後、全ての人々がガバガバ工作を信用しているわけではないという描写が成されたが、DAという組織が隠れて治安を維持するという設定そのものミラクルであることを考えると、そういう世界なんだろうな、という理解に落ち着くのが無難かもしれない

要するにつっこんだら負け、なのだが、どんでん返しを期待する視聴者側としては肩透かしを食らったのも同然なので、もうすこしなにかいい案はなかったのですかと思わなくもない

アラン機関

全貌が明らかにされていない組

ミシュランの星つけるみたいに、才能ある人にペンダントを送る、ある種の慈善活動をしているような印象がある

才能に対して支援するアラン機関犯罪組織イコールではないが、現在テロリストとして活動する真島を支援している背景もあるので何がしたいのか謎

……ではあるが、それはそれとして、組織全体としては犯罪組織ではないと思われる

判断材料が少ないのでこれ以上話を広げられない)

今回の延空木の1件は、エージェントである吉松によるもので、そこだけを見れば彼は立派な犯罪である

じゃあ彼は何をしたかったの?という疑問の答えは「自分が才能を見出し少女が思い通りに成長しなかったから解らせに来た」だろう

殺人の才能を生かすことでどんなメリットが得られるかなどについても言及はない模様

舞台装置として認識してるので、理由はさておき、ばやっとした理念理解出来ればいいか認識している

あるいは今後の話の展開のために敢えて何も語っていないのかもしれないが、そもそもメインとなる話はリコリスであるから、続編があったとしてもアラン機関が登場する理由はないだろう

千束ペンダント捨てたし

・真島

ぽっと出じゃなかった髪がすごい人

弱者の味方と語るが、強者蹂躙することで弱者の味方になるという認識なのだろうか

所謂ラスボスポジションで、尽く千束に絡んでくるある意味人間味のあるテロリスト

バランスを取るためにテロを起こすのは割高ではないかと思われるが、広く世間弱者ににアピールするために事を大きくしている……のかもしれない

自分なりの美学があるらしく、破壊の限りを尽くすと言うより、何かしらの爪痕を残すことを目指している?

で、結局最終的には千束と命のやり取りがしたいと語るあたり、バランスとは何だったのか

およそ美学に基づいてテロを起こすという点においてはヒールとして興味深い

とはいえ、結局何がしたかったのこの人V2であることには変わらない

大衆リコリス存在認知させることで、日本の闇を暴いたのだとして、それがどうバランスを取ることに繋がるのか不明

美学のもとに世間をさわがすテロリスト」くらいの認識落ち着け特に何も思わない

・たきな

DAに戻りたいという左遷されたリコリス

結果、DA支部にて感情かになり、命令無視するような狂犬と化した

しばしば話の展開が早いと語られるが、千束心臓の件もそうだろう

個人的にはたきなが千束に情を抱き始めているのはよく分かったので、戸惑うところまでは理解出来る

しかし、いくら感情かになったとはいえ、理性を失うほど突っ走るキャラだったのだろうかという疑問は残る

命のやり取りしてるんだから必死になって当然!とは思うけれど、突然好感度が50が5000くらいにぶち上がった印象で、ちょっとびっくりしてしまった

吊り橋効果かもしれない

あと単純に疑問なのですが、命令無視しまくった結果左遷続行ということなのですよね?

左遷先の方が伸び伸び過ごせそうなあたり、楠木さんどうなんですか?

とまあ主に後半戦の疑問をまとめた

カッチリしたバトルものというより、女子メインの日常ガンアクションもの、という認識だったので、ふわふわした設定はさほど気にならなかった

キャラの掛け合いというか、場面の切り取り方がアニメというよりドラマというか、そっちを彷彿とさせたので会話劇が気に入った結果かもしれない

当然キャラが合わない人は合わないだろうし、ストーリーおもんなって人は何度見てもおもんな、って思うだろう

色んな設定が他作品を模したコピーアニメって評価も見たが、この令和のご時世、見たことも無いオリジナリティ溢れる作品の方が珍しい気もするんだがなあ

まあ、面白かったと言ってる人間でも、こんな不満は感じてるというメモ

漁港の肉子ちゃん」見た

 母一人子一人の環境で、強烈な個性を持つ母親の肉子ちゃんにやや振り回されるように生活している喜久子の成長を描いたアニメ。喜久子は母子家庭ということもあり、母がダメ男に引っかかりがちなこともあって、子供なりに自分がしっかりしなくてはいけないと思っているふしがある。

 喜久子が、二宮という男の子のチック的な症状を見たことをきっかけに、彼と親しくなる。後に明かされるが、実は喜久子にもちょっとそれっぽいところがある。二人の関係は恋というよりも親友や同志を見つけた感じに近い気がする。普通とはちょっと外れたところにいる仲間を見つけたような。だから二宮に対しては気を許して、母親にもしないような友人とのトラブルについての話ができるし、感情をあらわにしてぼろぼろ泣いたりもできる。

 このアニメ全体が喜久子の主観を通したイメージを描いているようなところがあって(同じ町に住む同級生まりあの家が異様に豪華だったり)、その中で喜久子自身は一貫してリアルタッチ描写されているのだけれど(逆に母親の肉子は徹頭徹尾マンガ的な存在として描かれる)、喜久子が二宮と会話して、二宮マネをして変な顔をするときだけは、顔がぐにゃっと歪んでマンガっぽくなる。二宮の前だけは母親の前ですらあまり崩そうとしない大人びた顔を取り払って、子供っぽい表情ができる、ということかも。

 肉子ちゃんに対しては自分が面倒を見なくてはいけない相手だと感じていて、母親として頼ったり甘えたりできる存在だとは感じていない。大人を頼れる存在と見なしていないから、自立しなくてはいけないと思いこんでいるところがある。彼女が切実なほどに寄る辺のなさを抱えて日々を送っていることに周囲の大人たちは気づいておらず、その認識ギャップが終盤の展開を導く構成になっている。そういう意味ではあのラストは、大人が自らの役割説明して大人子供関係を再契約する話だったのかもしれない。デウス・エクス・アッペ。

 キャラクター関係性で言うと、肉子と喜久子の関係性は千束とたきなの関係性と近いかもしれない。「私は君と会えてうれしいうれしい」みたいな。

 喜久子のキャラクターデザインがカチュア・ピアスンぽくてものすごくかわいいフィギュア化されたりすることはまずないだろうけど、フィギュアが欲しい。

 アニメの仕掛けとして、トカゲセミの声がCocomiでないのは見るものに対してちょっと誠実でない感じもした。本職の声優でない人にそこまで演技はさせられなかったのかもしれないけれども。

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