はてなキーワード: airとは
タイトルの通りである。今更感のあることを偉そうにと思われるだろうが、自分の気持ちの整理のためにも映画を「観る前」の記録として残しておきたかった。もちろん本作については、何のネタバレも含まない。
私は30歳である。エヴァンゲリオンの第一話はリアルタイムでテレビで見た。見たが、なにせ当時5歳である。新しいロボットのアニメが始まるんだ、という程度の認識しか無い子供が観て楽しいお話しでは全くなく、なんかこわい、という感想とともに一話でドロップアウトした。私はあまり子供のころのはっきりした記憶はないのであるが、これについては、不思議と覚えている。そこから時が流れ、大学生になってようやく本格的にエヴァを観始めた。そういう意味で歴は浅いし、リアルタイムで熱狂した人間ではないかも知れないが、アニメ版、旧劇場版、漫画版など様々な作品を何度も観て、いろんな考察を考えたり見たり、サウンドトラックやフィギュアも買ったりと、一つコンテンツを深く楽しんできたという点において、自分にとっては、かけがえのない作品の一つである。
その中でも何か一つ取り上げるとすれば、私は旧劇場版「Air/まごころを、君に」が好きである。鬱々とした展開であり、非常に難解、いや難解というより、もしかしたらそもそも解は不在なのかも知れないが、それでもこの映画を観た後の心の感覚が好きで、何度も観てしまうのである。一般的には、謎を解き明かすことなく抽象的な展開とともにぶん投げた、後味が悪い、観客にダメ出しするなんて何様だ、などと酷評も多いが、この映画が自分には響くのは事実である。もしかすると、決められたレールの上で、常に自身を大多数の側に置くことで安心してきた自分が、周囲の人間の声とは無関係に自分はこれが好きでいいんだ、と声を大にして言える作品に出会えたことが嬉しかったのかもしれない。
そういう思い入れがある作品だけに新劇場版ももちろんチェックしてきた。破については劇場で3回ほど観た。旧劇場版とは確実に別のベクトルの話であるが、これもまた自分の大好きな作品である。しかし、そこから急にエヴァンゲリオンに対して、距離ができた。Qが公開されたときは大学4回生で、公開日から1か月ほどは海外におり物理的に見れなかったが、帰国後もまだまだ上映期間中だったし、お金も時間も余裕があったので観ようと思えばいくらでも観れた。しかし、この時は世間のあまりの酷評に足が向かなかった。勢いで公開と同時に観てしまえばよかったのかもしれない。しかし、破があまりに好きすぎて、その続編に対して勝手に抱いていた自分の「こうなって欲しい」という期待を大幅に下回ってそうだ、ということを受け入れられなかったのである。この子供じみた感情によりそれっきり観ることがなくなってつい最近まで至ってしまった。仲の良い友人と些細なケンカをしたとき、どちらともなくすぐに謝ればまた仲直りできるのに、どっちも意地を張って謝らないと、どんどん謝るタイミングを失っていき、ついには口も利かなくなってしまう。そんな風にして、エヴァンゲリオンに触れることもどんどん少なくなっていった。さすがに漫画版の完結は見届けたが、それでもQを観る気にはならなかった。
そんななかでついにシン・エヴァンゲリオン劇場版が公開されることになった。「これでエヴァは完結」という点だけで観に行くしかない、という気持ちになった。大仰に言うと、自分の中で大切な作品にちゃんと区切りをつけるにはちゃんと見届けるしかないと感じたのである。今や家族がいるので好きに観に行けるわけではないが、許しを得て序から復習を始めた。まだ自分が一人暮らしだったら、アニメ版の一話からだらだら総復習したのだろうな、などと思いながら。序、破、ときて、いよいよQである。完結作続いていて、もうすぐ観れるのだ、という心の余裕もあり、落ち着いて観ることができた。結果、旧劇場版とは別の意味で難解な展開であったが、思っていたほど支離滅裂とは感じなかった。むしろこれまで気になっていた新劇場版の世界観に対し、ある程度の解が提示されたことで、次が期待でき、悪くない、いやむしろ良い、と思った。同時に、自分としてもエヴァンゲリオンの完結にちゃんと近づけたような気がした。もちろん今日シン・エヴァンゲリオンを観るまで話は完結していない。ただ、それまで勝手に喧嘩別れした気になっていた作品に対して、自分があれから歩んできた人生でもって改めて向き合い、理解し、申し訳ないという気持ちになり、整理をつけた、ということである。これで心置きなく物語の結末を観ることができるのだ、という思いになれて嬉しかったのである。そしてそれをここに記したかった。
シン・エヴァンゲリオン劇場版を観終えた後は自分の中でゆっくりと咀嚼して、完結した事実を受け入れていくのだろう。今はただその時が楽しみである。30歳にもなって楽しみで眠れないことがあるだけでも、幸せというものだ。
あの眼帯はAirで刺された槍の跡って話はどこいったんだ。
自分から考察とかしてる人じゃなくて単なる人の書いたのを読んだだけだけど答えてみる。
明示されてない。
漫画版読むとユイの事が好きだったらしいからユイの息子を助けたかったとか、ユイ自身の思いを継いだとかそんなところ?
メタ的な視点では真希波=デウスエクスマキナ(機械仕掛けの神:ギリシャの演劇で終幕のためにオチをつける役)じゃねーのって言ってる人もいる
漫画読んでないから詳しく知らないんだけど、マリは冬月先生のとこの学生さんだったらしいけど、じゃあなんで一人だけ老けてないの?
エヴァに乗ってると老けないみたいな設定?だったけど、マリがエヴァに乗ったのってQの最初の方で加持さんと一緒にいたところが初めてじゃないの?時間軸が違ったの?
それともエヴァパイロットだから老けないって言う設定とは別の設定があるの?最初からカオルくんみたいに人間じゃなかったってこと?
これも明示されてない。
綾波、式波がクローンだったから~波なマリもオリジナルマリのクローン説とかある。
カオルくんはループしてるみたいな話だったような気がするけどループしてるってどういうこと…?
Qで死んだカオルくんとは別のカオルくんも色んなところで死んで、また月みたいなところの棺桶から同じ姿で生えてきて、死んだあとの時間軸にカオルくんとして登場してくるってこと?
生命の書っていうのに名前を書いているとやり直しても記憶を保てるとかなんとか。
メタ的に言えば旧劇場版や、その他の展開の記憶を持っている、くらいでいいんじゃね。
冬月先生は何がしたかったの?自分のとこの学生がヤバい道に進んで取り返しがつかなそうだから一蓮托生で最後に刺し違える気持ちだったってこと?
刺し違える気はなかったと思う。
マリがエヴァをたくさん食べて、シンジくんを迎えに来たときにエヴァの姿が色々切り替わってたけどあれはどう言う意味があったの?
俺が覚えてないから回答できない。
アスカのシーンで、回想しながら沢山のアスカの写真が一枚ずつ消えてったのに、レイの説明の時には一枚しか写真が残らなかったのに、アスカの時には最後に2枚残ってたのはなんでなの?
惣流と式波で2枚?じゃあ惣流ってどこで何してんの?出てこなかったよね?
式波のオリジナル説と、惣流アスカラングレー説を見かけたけど惣流でいいんじゃね?
破で第九使徒に浸食されたのを封印柱で使徒化しないように封印してた。
加持さんがサードインパクトを止めたって言う話だったけどどうやって止めたの?
破の最後で起きたニアサードインパクトは月から投げたロンギヌスの槍で途中で止められた。
一方Qでは槍が2本刺さってたからカシウスの槍で止めたんだと思う。
槍ってなんだよ!
そんなもんはねぇ!
なんかみんな満足とか不満足とか判断できるくらいには理解できてるみたいだし、アラサーアラフォーのオタクの共通言語的な雰囲気の作品みたいだし見てみるか〜って今年になってから見た私みたいなにわか知識では全然理解できないシーンばっかりだったけど、多分、シンジくんはお父さんと和解?できて、中学生の頃の初恋みたいなものにもケリがつけられて、自分が不幸にした世界でも頑張って生きてる同級生を見て立ち直る決心をして、ハッピーエンド的な感じで大団円ってことで良いんだよね…?
アラサー、アラフォーオタクの心にしこりになって残ってたのは、テレビ版、旧劇場版(Air/まごころを、君にとかEoE)で3回も物語に決着がつかなかったことなんだと思う。
特に旧劇場版は監督のメンタルがやられてたせいで「他人はいないといけないけど、近くにいると傷つけあう。それでも現実に戻らないと」みたいな結論になって、その結果アスカの「気持ち悪い」で締めることになった。
それが今回のシン・エヴァンゲリオンでは前向きなメッセージで終わることが出来たから、エヴァを追ってきた人は成仏できたんだと思う。
そこに至るまでのシナリオが陳腐だとか、アクションシーンが序、破に比べてQ、シンはイマイチとか、俺/私はアスカとシンジ/カヲルとシンジのカップリングが見たかったんだよ!みたいな嘆きも一部残ってはいるけどね。
なのに、例えば「庵野は変わった」とか「庵野は間違いなく震災に影響を受けた」とか「庵野も歳取った」とか「結婚したからつまらなくなった」とか「会社を背負うようになって保守的になった」とか「また庵野のオナニーか」などなど、一体なんなんだ? と思うばかりの「庵野」だらけ。
なんで否定派ばっかりなの?肯定派が庵野を出すのはいいの?庵野を引き合いに出すことじゃなくて良作だと感じた自分と意見が違うのが嫌なだけでしょ?
一番つまらなかったのは、エヴァなどの動かし方が下手すぎる、という事でした。
AIRで見た弍号機のあの素晴らしい動きはシン・エヴァには影も形もありません。破まではあったのに、Q以降は全然ダメですね。
増田もケチつけてんじゃん。期待が過剰になり過ぎて、シンジがかつて叫んだように「ボクを裏切ったんだ!」と思うくらいに思い込んじゃってるの?自分で作れば?
オタク趣味の権化みたいな庵野秀明氏の作り出したエヴァンゲリオン。
元々のオタクとはどんなものかというと、まず漫画、アニメや特撮ものが大好きで、SFが大好き。
つまり、リアルをあまり受け入れたくない人たちの集合である、と私は思っている。
今とは違うが、二十年以上前、20世紀の間は、アニメオタクというのは明らかに差別されていた。
かくいう私は、そんなにオタクではなかったが、ちょっとでもアニメの話をしようものなら、友人に「虹オタ」とバカにされた。
ちなみに私は富野派ではなく高橋良輔派であり、ボトムズに一生添い遂げる気分である。すぐ「むせる」とか言ってくる輩はボトムズをバカにしてると思う。ボトムズこそ真の神話・伝説アニメである。
だから、わかる人にはわかると思うが、エヴァンゲリオンは最初は好かんかった。
要するに、アニメ的に女々しいからだ(女々しいという言葉自体最近は躊躇われるが、単純にアニメ女という色が好かんというだけである)。
男っぽいアニメだからボトムズが好きなのではない、媚びてないから好きだったのである。
レイ、アスカ、ミサト、リツコ、マヤ、マリ(は新劇場版だけど)などの女性キャラは、明らかにありとあらゆる一般的オタクを取り込もうとするイカガワシイものに写った。
なので、ボトムズ派でエヴァ好きには悪いが、真のボトムズ派であった私はエヴァなど毛嫌いしていたし、虹オタと呼ばれるのも嫌だったから決して近づかなかったのである。
でも、あれだけ20世紀の終わりに大ヒットを飛ばしているのを横目にしていると、どうしたって気にはなっていた。
そして時は過ぎ、世間ではあんまり誰もエヴァを言わなくなった頃、蔦屋でDVDレンタル半額セール開催中とポスターを見て、半額ならいいかとTV版エヴァのDVDを全部借りて一気見したのである。
負けた、と思いましたね。
大勢の人がいろんな事を言いますが、私は単純に「とても面白かった」のです。当然ですが、25・26話の非難殺到話だって、私の時期には既にAIRが出てましたので問題ありませんでした。
ロンギヌスの槍がどうとか、ゼーレだの、ガフの扉だの、人類補完計画だの、何がなんやらさっぱりわかりませんでしたが、何度も何度も繰り返し見ることになってしまいました。
個人的には、自分自身の父との関係と、シンジとゲンドウの関係がなんとなく似ていて、共感を感じる部分もありました。
まぁでもそんなに深く考えずに、とにかく面白いと、ハマったのですけど、やはり色々と意味がわからない点が多く、本やネットを調べ始めていたのですが、謎解きはそれなりに興味深いのですが、ある頃から非常に気になる名詞が頻発することに気がつきました。そうです……
庵野はこう考えている、庵野が言いたいのはこういうことだ、庵野の人生観が、庵野はすごい、庵野は……
やたらと、「庵野」とばかり目につくわけです。
ボトムズ命の私にとって、実際、高橋良輔は素晴らしいとは思っていますが、高橋氏の考えなど正直どうでもいいのです。
これはガンダムでもそうだった、富野などどうでもいい。気になるのは、ボトムズならキリコであり、ガンダムならシャアであり、ランバ・ラルであり、セイラさんだ。
この理由の根源は、謎が多過ぎたからであり、相当考えない事には細かいストーリーの意味がわからないからであり、結局そこで「庵野は何を考えているのか」に帰結させざるを得ないからでしょう。
それはわかるとしても、これが正直、私にとっては非常に鬱陶しい。
私はただただ単純にエヴァンゲリオンを楽しみたいだけです。どうでもいいのです、庵野など。
今回の新劇場版だって、存分に楽しみましたが、意味がやはりわからないので、Qとかになると頭の悪い私などはネットで調べたりせざるを得なくなるわけです。
そして、シン・エヴァンゲリオン鑑賞。
正直、noteやブログ記事は鬱陶しいのレベルを遥かに超えて「庵野」祭り状態。なんなんでしょう?
今回もまた、映画館で存分にエヴァを楽しみましたが、やっぱ気になるじゃないですか、世間の評価ってどんなもんなんだろうって。
でも見たら「庵野」だらけ。
もっとも、私も絶賛というわけではありません。
一番つまらなかったのは、エヴァなどの動かし方が下手すぎる、という事でした。
AIRで見た弍号機のあの素晴らしい動きはシン・エヴァには影も形もありません。破まではあったのに、Q以降は全然ダメですね。
なのに、例えば「庵野は変わった」とか「庵野は間違いなく震災に影響を受けた」とか「庵野も歳取った」とか「結婚したからつまらなくなった」とか「会社を背負うようになって保守的になった」とか「また庵野のオナニーか」などなど、一体なんなんだ? と思うばかりの「庵野」だらけ。
わかるよ。君たちは自分でエヴァアニメ作れないもんだから、庵野さんに託したんだ、きっと。庵野さんならきっと自分を満足させてくれる、と。
ところが、その期待が過剰になり過ぎて、シンジがかつて叫んだように「ボクを裏切ったんだ!」と思うくらいに思い込みが強烈になり過ぎたのでしょう。
別にいいけどさ、映画だけを純粋に楽しまんのん? とどうしても思ってしまう。
だったら、自分で書けよ、出来んくせに。
庵野よ、聞け。
お前は「卒業式」をやってるつもりだったんだろうが、みんなはとっくに『新世紀エヴァンゲリオン』なんて作品は卒業してたんだ。
お前が作ったあのどうしようもない投げっぱなしの『Air/まごころを、君に』とかいうエヴァ完結編があったろ?
お前が宮村にフられたからってアスカをズタボロにしたり、自分の作品を否定したオタクへ意趣返ししようとしたあの作品だよ。
お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。
アニメや漫画の登場人物たちに「自己投影」することは無くなった。
「感情移入」はするかもしれんが、キャラクターを自分だと思い込んだりはしない。
キャラクターはキャラクターのまま楽しむし、キャラクターを応援する。
アニメや漫画、ゲームのストーリーを自分の人生だと思うことだってない。
エンタメはエンタメだって、作り物だってそれを分かった上で楽しんでる。
「まるで自分が描かれているようだ!」と錯覚したお前の素晴らしいエヴァからそうやってみんな卒業していったんだ。
なんて書いてたか覚えてるか?
『誰もが楽しめるエンターテイメント映像』を目指すって書いてたんだ。
もう卒業したエヴァだったけれども、お前の私小説じゃないエンタメ作品としてのエヴァが見られるかもと思ってワクワクしたよ。
ついでに終わって8年かそのくらい経って久しぶりに語りたくなったのもあったよ。
序は良かったよ。
あの時の映像を今風にするとこうなるのかーって素直に感心した。
破も良かったよ。
中盤まで第十二使徒以降暗くなった本編をエンタメに寄せるとこうなるのかと感心して、最後のシンジが決意を決めるところはEOE以降なんどもシンジがそうなる二次創作を書いてきた俺には報われたような気持ちになったよ。
「同窓会」は大盛り上がりだ。
なんでか知らんがそこから入ってきた奴らに得意げに昔のお前の投げっぱなしを語ったりしたよ。あの投げっぱなしも良い思い出になってたんだ。
昔から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。
もちろん俺も好きだったよ。
良い同窓会になるって本気で思ってたんだ。
ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?
ムカついたんだろ?
ガイナとエヴァの権利関係で揉めて、「エヴァンゲリオンがあるからダメなんだ」と思ったんだろ?
今まで一人のキャラクターだったシンジにまたお前が乗り移ったのをQで見たよ。
なにをしてもうまくいかないと厭世的になってる。
Qからきちんと伝わってきたよ。
お前、鬱だったんだな。
そしてシンだ。
嫁ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構のエヴァでオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。
作中のシンジの言葉を借りるならば「落とし前」をつけるべく「卒業式」をやろうとした。
しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。
現実を生きてきたんだよ。
そうじゃなかったのはお前だけだ。
エヴァの監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァの呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。
お前だけだよ、未だにキャラクターをキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。
昔好きだった女の宮村=アスカを、作中のオタクだったケンスケに渡したのは俺たちへのご褒美のつもりだったのか?
庵野=シンジが昔好きだった宮村=アスカに「好きだった」って言うところなんか気持ち悪くて泣きそうだったぞ。
みんな幸せにしてたラストの駅のシーン、アスカだけ一人だったのは離婚してる宮村への当て擦りか?
そんなにフラれたのがムカついたのか?
まぁもうどうしようもない。
庵野よ、聞け。
お前は「卒業式」をやってるつもりだったんだろうが、みんなはとっくに『新世紀エヴァンゲリオン』なんて作品は卒業してたんだ。
お前が作ったあのどうしようもない投げっぱなしの『Air/まごころを、君に』とかいうエヴァ完結編があったろ?
お前が宮村にフられたからってアスカをズタボロにしたり、自分の作品を否定したオタクへ意趣返ししようとしたあの作品だよ。
お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。
アニメや漫画の登場人物たちに「自己投影」することは無くなった。
「感情移入」はするかもしれんが、キャラクターを自分だと思い込んだりはしない。
キャラクターはキャラクターのまま楽しむし、キャラクターを応援する。
アニメや漫画、ゲームのストーリーを自分の人生だと思うことだってない。
エンタメはエンタメだって、作り物だってそれを分かった上で楽しんでる。
「まるで自分が描かれているようだ!」と錯覚したお前の素晴らしいエヴァからそうやってみんな卒業していったんだ。
なんて書いてたか覚えてるか?
『誰もが楽しめるエンターテイメント映像』を目指すって書いてたんだ。
もう卒業したエヴァだったけれども、お前の私小説じゃないエンタメ作品としてのエヴァが見られるかもと思ってワクワクしたよ。
ついでに終わって8年かそのくらい経って久しぶりに語りたくなったのもあったよ。
序は良かったよ。
あの時の映像を今風にするとこうなるのかーって素直に感心した。
破も良かったよ。
中盤まで第十二使徒以降暗くなった本編をエンタメに寄せるとこうなるのかと感心して、最後のシンジが決意を決めるところはEOE以降なんどもシンジがそうなる二次創作を書いてきた俺には報われたような気持ちになったよ。
「同窓会」は大盛り上がりだ。
なんでか知らんがそこから入ってきた奴らに得意げに昔のお前の投げっぱなしを語ったりしたよ。あの投げっぱなしも良い思い出になってたんだ。
昔から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。
もちろん俺も好きだったよ。
良い同窓会になるって本気で思ってたんだ。
ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?
ムカついたんだろ?
ガイナとエヴァの権利関係で揉めて、「エヴァンゲリオンがあるからダメなんだ」と思ったんだろ?
今まで一人のキャラクターだったシンジにまたお前が乗り移ったのをQで見たよ。
なにをしてもうまくいかないと厭世的になってる。
Qからきちんと伝わってきたよ。
お前、鬱だったんだな。
そしてシンだ。
嫁ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構のエヴァでオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。
作中のシンジの言葉を借りるならば「落とし前」をつけるべく「卒業式」をやろうとした。
しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。
現実を生きてきたんだよ。
そうじゃなかったのはお前だけだ。
エヴァの監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァの呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。
お前だけだよ、未だにキャラクターをキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。
昔好きだった女の宮村=アスカを、作中のオタクだったケンスケに渡したのは俺たちへのご褒美のつもりだったのか?
庵野=シンジが昔好きだった宮村=アスカに「好きだった」って言うところなんか気持ち悪くて泣きそうだったぞ。
みんな幸せにしてたラストの駅のシーン、アスカだけ一人だったのは離婚してる宮村への当て擦りか?
そんなにフラれたのがムカついたのか?
まぁもうどうしようもない。
庵野よ、聞け。
お前は「卒業式」をやってるつもりだったんだろうが、みんなはとっくに『新世紀エヴァンゲリオン』なんて作品は卒業してたんだ。
お前が作ったあのどうしようもない投げっぱなしの『Air/まごころを、君に』とかいうエヴァ完結編があったろ?
お前が宮村にフられたからってアスカをズタボロにしたり、自分の作品を否定したオタクへ意趣返ししようとしたあの作品だよ。
お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。
アニメや漫画の登場人物たちに「自己投影」することは無くなった。
「感情移入」はするかもしれんが、キャラクターを自分だと思い込んだりはしない。
キャラクターはキャラクターのまま楽しむし、キャラクターを応援する。
アニメや漫画、ゲームのストーリーを自分の人生だと思うことだってない。
エンタメはエンタメだって、作り物だってそれを分かった上で楽しんでる。
「まるで自分が描かれているようだ!」と錯覚したお前の素晴らしいエヴァからそうやってみんな卒業していったんだ。
なんて書いてたか覚えてるか?
『誰もが楽しめるエンターテイメント映像』を目指すって書いてたんだ。
もう卒業したエヴァだったけれども、お前の私小説じゃないエンタメ作品としてのエヴァが見られるかもと思ってワクワクしたよ。
ついでに終わって8年かそのくらい経って久しぶりに語りたくなったのもあったよ。
序は良かったよ。
あの時の映像を今風にするとこうなるのかーって素直に感心した。
破も良かったよ。
中盤まで第十二使徒以降暗くなった本編をエンタメに寄せるとこうなるのかと感心して、最後のシンジが決意を決めるところはEOE以降なんどもシンジがそうなる二次創作を書いてきた俺には報われたような気持ちになったよ。
「同窓会」は大盛り上がりだ。
なんでか知らんがそこから入ってきた奴らに得意げに昔のお前の投げっぱなしを語ったりしたよ。あの投げっぱなしも良い思い出になってたんだ。
昔から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。
もちろん俺も好きだったよ。
良い同窓会になるって本気で思ってたんだ。
ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?
ムカついたんだろ?
ガイナとエヴァの権利関係で揉めて、「エヴァンゲリオンがあるからダメなんだ」と思ったんだろ?
今まで一人のキャラクターだったシンジにまたお前が乗り移ったのをQで見たよ。
なにをしてもうまくいかないと厭世的になってる。
Qからきちんと伝わってきたよ。
お前、鬱だったんだな。
そしてシンだ。
嫁ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構のエヴァでオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。
作中のシンジの言葉を借りるならば「落とし前」をつけるべく「卒業式」をやろうとした。
しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。
現実を生きてきたんだよ。
そうじゃなかったのはお前だけだ。
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お前だけだよ、未だにキャラクターをキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。
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庵野=シンジが昔好きだった宮村=アスカに「好きだった」って言うところなんか気持ち悪くて泣きそうだったぞ。
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まぁもうどうしようもない。
庵野よ、聞け。
お前は「卒業式」をやってるつもりだったんだろうが、みんなはとっくに『新世紀エヴァンゲリオン』なんて作品は卒業してたんだ。
お前が作ったあのどうしようもない投げっぱなしの『Air/まごころを、君に』とかいうエヴァ完結編があったろ?
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お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。
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もう卒業したエヴァだったけれども、お前の私小説じゃないエンタメ作品としてのエヴァが見られるかもと思ってワクワクしたよ。
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序は良かったよ。
あの時の映像を今風にするとこうなるのかーって素直に感心した。
破も良かったよ。
中盤まで第十二使徒以降暗くなった本編をエンタメに寄せるとこうなるのかと感心して、最後のシンジが決意を決めるところはEOE以降なんどもシンジがそうなる二次創作を書いてきた俺には報われたような気持ちになったよ。
「同窓会」は大盛り上がりだ。
なんでか知らんがそこから入ってきた奴らに得意げに昔のお前の投げっぱなしを語ったりしたよ。あの投げっぱなしも良い思い出になってたんだ。
昔から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。
もちろん俺も好きだったよ。
良い同窓会になるって本気で思ってたんだ。
ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?
ムカついたんだろ?
ガイナとエヴァの権利関係で揉めて、「エヴァンゲリオンがあるからダメなんだ」と思ったんだろ?
今まで一人のキャラクターだったシンジにまたお前が乗り移ったのをQで見たよ。
なにをしてもうまくいかないと厭世的になってる。
Qからきちんと伝わってきたよ。
お前、鬱だったんだな。
そしてシンだ。
嫁ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構のエヴァでオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。
作中のシンジの言葉を借りるならば「落とし前」をつけるべく「卒業式」をやろうとした。
しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。
現実を生きてきたんだよ。
そうじゃなかったのはお前だけだ。
エヴァの監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァの呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。
お前だけだよ、未だにキャラクターをキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。
昔好きだった女の宮村=アスカを、作中のオタクだったケンスケに渡したのは俺たちへのご褒美のつもりだったのか?
庵野=シンジが昔好きだった宮村=アスカに「好きだった」って言うところなんか気持ち悪くて泣きそうだったぞ。
みんな幸せにしてたラストの駅のシーン、アスカだけ一人だったのは離婚してる宮村への当て擦りか?
そんなにフラれたのがムカついたのか?
まぁもうどうしようもない。
庵野よ、聞け。
お前は「卒業式」をやってるつもりだったんだろうが、みんなはとっくに『新世紀エヴァンゲリオン』なんて作品は卒業してたんだ。
お前が作ったあのどうしようもない投げっぱなしの『Air/まごころを、君に』とかいうエヴァ完結編があったろ?
お前が宮村にフられたからってアスカをズタボロにしたり、自分の作品を否定したオタクへ意趣返ししようとしたあの作品だよ。
お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。
アニメや漫画の登場人物たちに「自己投影」することは無くなった。
「感情移入」はするかもしれんが、キャラクターを自分だと思い込んだりはしない。
キャラクターはキャラクターのまま楽しむし、キャラクターを応援する。
アニメや漫画、ゲームのストーリーを自分の人生だと思うことだってない。
エンタメはエンタメだって、作り物だってそれを分かった上で楽しんでる。
「まるで自分が描かれているようだ!」と錯覚したお前の素晴らしいエヴァからそうやってみんな卒業していったんだ。
なんて書いてたか覚えてるか?
『誰もが楽しめるエンターテイメント映像』を目指すって書いてたんだ。
もう卒業したエヴァだったけれども、お前の私小説じゃないエンタメ作品としてのエヴァが見られるかもと思ってワクワクしたよ。
ついでに終わって8年かそのくらい経って久しぶりに語りたくなったのもあったよ。
序は良かったよ。
あの時の映像を今風にするとこうなるのかーって素直に感心した。
破も良かったよ。
中盤まで第十二使徒以降暗くなった本編をエンタメに寄せるとこうなるのかと感心して、最後のシンジが決意を決めるところはEOE以降なんどもシンジがそうなる二次創作を書いてきた俺には報われたような気持ちになったよ。
「同窓会」は大盛り上がりだ。
なんでか知らんがそこから入ってきた奴らに得意げに昔のお前の投げっぱなしを語ったりしたよ。あの投げっぱなしも良い思い出になってたんだ。
昔から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。
もちろん俺も好きだったよ。
良い同窓会になるって本気で思ってたんだ。
ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?
ムカついたんだろ?
ガイナとエヴァの権利関係で揉めて、「エヴァンゲリオンがあるからダメなんだ」と思ったんだろ?
今まで一人のキャラクターだったシンジにまたお前が乗り移ったのをQで見たよ。
なにをしてもうまくいかないと厭世的になってる。
Qからきちんと伝わってきたよ。
お前、鬱だったんだな。
そしてシンだ。
嫁ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構のエヴァでオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。
作中のシンジの言葉を借りるならば「落とし前」をつけるべく「卒業式」をやろうとした。
しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。
現実を生きてきたんだよ。
そうじゃなかったのはお前だけだ。
エヴァの監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァの呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。
お前だけだよ、未だにキャラクターをキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。
昔好きだった女の宮村=アスカを、作中のオタクだったケンスケに渡したのは俺たちへのご褒美のつもりだったのか?
庵野=シンジが昔好きだった宮村=アスカに「好きだった」って言うところなんか気持ち悪くて泣きそうだったぞ。
みんな幸せにしてたラストの駅のシーン、アスカだけ一人だったのは離婚してる宮村への当て擦りか?
そんなにフラれたのがムカついたのか?
まぁもうどうしようもない。
登校拒否をしていた14歳の頃に、入れ替えのない田舎の映画館で、朝から晩まで座って劇場版を見ていました。親も何をやっているのか心配だったのでしょう。ある日、ふと後ろを見ると父が座っているのに気づき、恥ずかしさと嬉しさを感じたものです。父は映画の感想を何も言いませんでしたし、14歳の自分にも、なぜこの映画を何十回と観ているのか分かりはしませんでした。当時の私の部屋には、すべての壁にエヴァのポスターが貼ってありました。
そして、結婚をして2児の子宝に恵まれ在宅勤務と子育てを両立している今日、嫁に頼み込み、仕事終わりの夕方に1人で映画館に行って参りました。もちろん子供のお風呂は先に入れております。
私はようやくアスカにフラれた気分です。いつも心のどこかにいた彼女の幸福を心から祈ってやみません。
14歳の頃の私はシンジ君をどう思っていたでしょうか。不登校児の僕ですら情けないと思っていたように覚えています。もし僕がパイロットであれば、みんなを救っていただろうと。今日の彼は、親の気持ちを理解し、周りの人間を助け、社会へと踏み出しました。大人へと歩み出した彼を新入社員のように見守っています。
そして、碇司令の独白に何を感じたでしょうか。親として、孤独だった子供から愛する人間に出会えた大人として、彼の願いが叶って本当に良かった。
営業時間短縮で夕飯が外で食べれなかったので、冷食とストロングゼロ2本を買って家で食べております。テレビでは、Air/まごころを、君にをNetflixで流しながら。何十回と観た当時の気持ちは薄れてしまったことを寂しく思いながらも、今日までエヴァンゲリオンが好きで本当に良かった。今まで本当にありがとう。
追記しようとしたら最後のところが途切れ始めたから別枠で書くよ
もっとマイナーで、とにかくスニーカーに関するアーカイブ知識だけを欲するならば
超マイナーモデル、カスタムモデル、PEモデル、チャリティーモデルの収集をおすすめする。
これらは球数が少なすぎて、フェイクすら作れないものも多い。(逆にネットに出回るコンセプト写真だけで再現したフェイクもあるが)
例えば最近ではNike Dunk Low Cactus Jack x PlayStation、製法上フェイクが作られにくいfoamposite one ParaNorman
Nike x MSCHF x INRI Air Max 97 Jesus Sneaker、WWWESH STUDIO™ x HEIGHTENED SENSE TN(c): NIKE® + CONVERSE®
日本人が当選してたUNHeardof × SABOTAGE × NIKE SB DUNK LOWやair32 x Nike Dunk SB Low "Stay Home"
世の中に存在するのか怪しい、triple S x AJ1 offwhite
PEシリーズの入門編としてのオレゴンダックスシリーズ、できるのならばF&Fモデル
アンダーグラウンドに手を染めて、没になってしまったコンセプトモデルの収集なども面白い。
air max 95 zen ventiなど、2000年代中期の奇抜なスニーカーも現代なら手に入れられるかも知れない。
また、ハイヒールのDunk Highなど海外の一部で流行した違法スニーカーなどもどこかで手に入るかも知れない。
ストリートファイター3や4ではユンがoldshool履いてたね、テリーはallstarのlowを履いてたかも知れない
第一次では漫画作品でどんな靴が描かれていたのか気になります!!!
他にはめっちゃ安いAJ11とかもあった気がする。(ニューバランスの1400もあったらしい?)
スペシャルフィールドのAF1もあったような気がするけど、手元にドロヘドロがないのでどうだったか。。
よふかしのうたには、3話辺りにWomen's Air Max FF 720が出てたかなぁ
ちなみに闇金ウシジマくんはティンバーランドのブーツやルブタンのトゲトゲスニーカー、AF1のlowやターミネータのlowみたいな感じの靴ばかり履いてた
ドロヘドロもウシジマくんも世界観に沿ったスニーカーが描かれているのがちょっと好き
よふかしのうたは、確か当時発売されたスニーカーをそのまま描いた感じじゃないかな、それはそれで後から見直したら時代背景が見られていいかも知れない
世界観にあったスニーカーは素晴らしくて、スケーターのユンが壊れても買い直しやすいold schoolを履いてることがスケーターらしくて最高なんだ
たまにスケーターイラストを見るけど、AJ11履いたり、エアマックス履いてオーリーしてるシーン描かれるとちげええよ!!!!って発狂しそうになる
(ぶっ壊れやすくて高い靴や靴底が厚い靴は怪我をしやすいし、色々めちゃくちゃで、簡単に言えば百合の間に挟まるやつが出る百合作品みたいな罪深い物)
スニーカーカルチャーは貧困層の成功者への憧れという、コンプレックスな部分から始まった物なので、ちょっと精神的に不健康な面があって
劣等感ゆえに行われる高値マウントは個人的に良しとしていない。
というのもアウターとスニーカーは今は買いやすくなったとはいえ青天井なので、格差が現れやすく学校でも高いアウターが禁止されていたり、スニーカーに指定があったりもしている。
でも、スニーカーマニアの持ってるスニーカーの思い出を聞くのは本当に楽しいし
レアスニーカーも買うに至った理由や思い出を聞けると初心者でもすごい面白いかも知れない
スニーカーの世界の転売について、気になるならstockXの最高入札額順のスニーカーを見てみたり
https://stockx.com/ja-jp/sneakers/highest-bid
今期の物が知りたければhighsnobietyを見るといいかも
https://www.highsnobiety.com/?s=the%20top%2010%20most%20valuable%20sneakers
スニーカーのテクノロジーについては真っ二つにして解説するサイトが好きなんだけど
第2次スニーカーブームの人間なのでちょっとジェネレーションギャップあるかも知れないけど手がソワソワして書かずにいられなかった。
増田がどういう意図で書いたのかわからないから、とりあえずスニーカーに詳しくない人向けにオススメすると
お金があるなら、ニューバランスの1000番台買っちゃってもいいと思う。
1300が有名だけど、個人的には1400を推す。まあニューバランスは自分のファッション感覚的に合わないから、そこまで詳しく言及できるものではないんだが
ニューバランスは公式でソールの修理などを行っているから、高いのを買ってずっと履くのに向いているんだ。
修理については下記のスニーカーが対象。まあフラッグシップモデルは手厚くサポートされてるから、マジで生活のための正当な投資としては、ニューバランスが一番いいよ。
https://shop.newbalance.jp/user_data/packages/support/repair_list.pdf
じゃあそんなお金がない人はどうすりゃいいの?って話なんだが
ナイキの安物ランシューを履いてりゃいいよ。スニーカーの魅力は、安い投資でそれなりの性能が得られる部分でもあるんだ。
やっぱタンジュンが一番安いな、3000円台ならこれがいい。アディダスならファルコンランかな、ナイキの方が軽くて汎用性高いらしいけど。
個人的にはアウトレット行って、サイズのあうそれなりのランシューがオススメ。
アウトレットで何を買えばいいのか?だが、プーマならスエード、アディダスなら都市名の名前のやつは最高、VANSはハーフキャブが大好き。ultra cushはマジで最高。
ナイキはなんだろう。。個人的にオレンジの箱以外ならなんでもいいかも。
たまに海外から日本へ商品が入ってきていたりしてるからアウトレットは面白い。
ちょっと前ならair max97のnintendo64カラーがアウトレットで売ってたね。
ちなみによく話題に上がるzoom alphafly next %なんかは勝負靴で、普段使いには向かないし、耐久性はかなり低い。なのでオススメしない。
主語をデカくして言うが、人間なんてNIKEのタンジュン履いて、GUの服着て、iPhoneSE持ってりゃ見かけ上は全員平等なんだ、そこに貧富の差はないんだ。
ファッションの素晴らしいところはそう言うところである。バーバラクルーガーはこれを見てなんて言うだろう。
大体言いたいことは終わり。
増田が「靴が欲しいんじゃなくて、知識が欲しい」とかそう言う感じだったらこっちの方が気に入りそう。
とは言っても、かなり偏見あるからここら辺からボロが出始めると思う。
ナイキは商売がうまい。スニーカーは正直、高くても値段相応ってわけじゃないんだけど、売るのがうまいから高くても売れちゃう。
カルチャーを促進することを重要視している。これはスタバとかもカルチャー意識から自社に還元しようみたいな働きがある感じに
ナイキも顧客に対してそう言う意識を持ってもらおうとしているんじゃないかな。ブランドは「思想」を買って着飾るのだ。
今はSB Dunkが流行っているが、スケートカルチャーとしてのナイキはカスで、カスすぎてスケートブランドのconsolidatedがdrunk hiって靴を出してた。
まあ、そんなナイキだが生まれもasicsのコルセアをパクってコルテッツとして売るっていう不義理なところから始まったブランドなので、カスみたいなことばっかりしてるのは平常運転かも知れない。
アディダスやプーマみたいな靴から生まれた会社じゃなくて、経営学の学生から生まれた会社だからどちらかというと、靴自体よりもその他周辺の物に魅力があると思う。
ナイキはスニーカーを少量生産して、希少性を持たせるというブランディング手法をとっているため、ほぼダメージがない。
みんなにスニーカーを持ち上げさせて、生産数絞って稼ぐって感じ。なので、コルテッツなどの有名スニーカーに関しても、数年単位で生産されてないこともしばしば。
結局この希少性による2次流通で余計に格差が広がるんだけどね。
じゃあ何が一番ダメなのかというと、ブランディングを崩壊させることだからフェイク品を履くことが一番ダメージがでかい。
全員が希少な靴を履けば価値の比較ができなくなって平等になるので。ちなみに偽物を履こうが履かまいが、少量生産なのでナイキの収益に違いはない。転売屋が泣くだけ。(在庫があるなら他社ブランド購入や不買の方が効果的だけど)
国内で偽物を買うとすれば、ラクマが偽物をめちゃくちゃ売ってるから、結局ナイキにお金を払うのか楽天にお金を払うのか、みたいな地獄の2択になってしまう。
偽物と言えば、マフィアにお金が回るとか児童労働が…みたいな話もあるが、ナイキも暴動の発端になるようなヤバい組織だし、児童労働もさせてたし変わらないかも知れない。
インスタで出回ってた工場のシーンでは、途上国の家族営業みたいな感じでフェイクスニーカーを作っているのは見かけたけど、子供はいなかった気がする。
ストリートカルチャーとフェイクは切っても切れない関係で、ダッパー・ダンの話などが見ていて面白いかも知れない。
第二次のスニーカーブームをざっくり語るとこんな感じだと思う。世間とネットの自論だし、メディアの説とは乖離してるかも。
1.スキニーブームで足元が目立つ この辺りでK-POPとかではスニーカーのブームがやや来ていた感じがする。
2.2016年にモアテンがアジア圏で発売される。 この靴は視認性を第一に作られたから、ここから火がついたと思う。
3.ダッドスニーカーが来る。 ここら辺から靴が強調される服装が多くなって来た気がする。
4.StockXが開始。 価格順でトップにDunk SB Low Parisが表示される。
5.リセーラーが中古で安くなったDunk lowを買い占める
なんか、それまでに2013年辺りとかは、「外し」として、きこりファッションと共にニューバランスやサッカニーとか地味目なのが履かれていた記憶があるけど、曖昧だからうまく言えない。個人的に世のアラサーはここら辺のまま地味目な靴を一生履いてるんじゃないかと思ってる。
2011年にも2014年にも2017年にも、何かスニーカーで暴動起きてるけど知らない。リベンジストームとかもう忘れた。オールドスクールが定番になって終わった。
そういえば2.の時点で視認性のあるスニーカーとオタクが相性良すぎて、ハイテクスニーカーのイラストがめっちゃ出たな。
(スプラトゥーンのおかげもあるかもしれないけど。)よふかしのうた とかが一番顕著でわかりやすいかも。
ここら辺でかなり広まったんじゃないかなとも思う。第一次の時はどうだったんだろう?遊戯王や格ゲーはスニーカー出てたよね。
第二次ではノームコアの流行りと共に「わかりやすさ」がより強調されてsupremeのボックスロゴとかが流行ってきて
オタクはとりあえずOFFWHITEだとかsupremeだとかを着てるイメージがある。
あとなんか謎にHUFとripndipを知っている。スケーターでもないのに…ジェルミクラインは知らない。
スニーカーの出る作品としては、ドロヘドロが一番世界観とマッチしてて好き。
これはマジで伝えたい。スニーカー好きがどんな考えなのかは知らないけど、個人的に好きな魅力が1つある。
スニーカーが貧富の差を逆転させて、ファッション史に名を刻んだこと。
ゴプニクだって金持ちに憧れて始まってるadidasジャージのファッションだし。ハイヒールだってそうじゃん。
ファッションショーはなんであんな奇抜な服作るんだ?着られねえよ、動きづらい。
とか思ったんだが、それが”狙い”らしくて、「動く必要もない」という部分に意味を持たせてるらしい。
ルブタンが赤い靴底なのも、絨毯以外で履かないみたいな理由だし。
でも、ラッパーなどが成功してセレブの仲間入りになった結果、ファッション史としては異例の事態が起きた。
あの、動きやすい、スニーカーを、なんならバッシュを。(ヴィトンはAVIAのパクリみたいなやつを作ってた)
貧民層のカルチャー(黒人文化の成功の証がスニーカーだったんだけど)が反映されたのが
個人的に、第一次と比べ、スニーカーの文化は随分オープンになった。
正直なところ、コレクションはあんまり意味をなさなくなった。(とはいえ気がつくと勝手に30足ぐらい溜まってたりするが)
と言うのも、ネットショップが発達していて「お金があればいつでもレアなスニーカーが買える」と言う状態になっている。
昔みたいにカタログを見て、毎日スニーカーショップに通って…なんてことはあまりないんじゃないかな。
唯一スケートショップでスケシューを買うときはある気がするけど。
だから、これ持ってます!ってアピールするやつはスベってて痛い。中身がない。
それこそ、適当に通ぶりたいならスニーカー売買サイトで値段の高い順で買えばいいんじゃないかって思う。
基本的にスニーカーもカードゲームなどと同じく、投資商品成り下がっているので
自分が好きだ!って思うデザインの靴を買ってみるといい。ポリシーを貫ける人の方がかっこいいと思う。
自分の持ってるものを、定価じゃなくて転売価格で語り始めるといよいよ"終わり"になる。
「AJ1だから」「つま先が黒だから」とか謎に正解を求め出す奴が多いけど、好きな物は理由なしにもっと胸張っていいと思う。
個人的に気に入ってるのは、セカストで手に入れたallstar w-punk xx-hiの30cmのやつ。
メンズでallstarのバカ長い靴は手に入らないから、vansのスノーブーツやasicsのボクサーブーツを買いかけた。
高いので言えばsupremeコラボのfoamposite oneやAF1 highの黒。最近のならStrangeLoveのDunkLowとか。
現代っ子って、コピーに対して寛容になっている。反動で現物に価値を見出したりするけど、そう言うのは逆張りでクールと見なされているだけで主流じゃない。
そんな感じのがスニーカーにも来ていて、インスタでちょっとした議論になったけど
フェイクを着るのは悪くないって考えの子が多くなったんじゃないかなと思う。
これに関しては序盤に話した希少性による格差に対するカウンターカルチャーかも知れないけど(カウンターカルチャーで食ってたナイキが食われるのは面白いね)
ラクマでは「dude9系」って言葉で質の悪い靴が売られてるから、見つけ次第通報した方がいい。
Dior x AJ1のフェイクも出るぐらいなんだから、セレブも大変だろうと個人的には思ったのだが
つまり、話題になったOFF WHITEのAJ1であっても数ヶ月経てば無価値とされてしまう(日常的に履いたりはあるかもだけど)
両方に言えることだが、スニーカー自体にそこまで価値はなくて、「セレブには物凄い人脈がある」ということをアピールしている。
回り回って言うと、オタクがモアテンみたいなわかりやすいスニーカーを好んで、絵に潜ませたり、自称スニーカーマニアがつま黒のAJ1 highにこだわるのも
言語として、相手とコミュニケーションを取るためであって、周囲あってこそのスニーカーになっている。
貧富の差があり、悩んだ末の行動がフェイクの着用かも知れないので、真っ向から否定はしないが。。
でも競争ばっかりしてないで、芯をもった上でルールに則った中での楽しみもあって良いと思う。
個人的にオススメするのは、日本限定の伊藤忠版ALL STARを履き潰すこと。
これは安く手に入るし、自分の個性が全面に出るし、他人には絶対に真似されない希少性のある靴ばかりだから、簡単に楽しめる。(履き心地はあんまりだけど)
当然ながら、靴は履く物であって、肩に乗せたり家に飾ったりする物ではない。
(そう言えば佐藤隆太も防水スプレーかけないし、スニーカーをスニーカーとして履いて楽しむタイプだった気がする。)
スニーカーマニアはCT70をやたら高尚な物だとするが、ナイキ傘下のコンバースは日本においてフェイクであり、フェイク批判してる奴がアレを履くのはダブスタじみてて個人的にあまり好きにはなれない。。
結構こういうマイナー叩きみたいなのは割とあって、ABC Mart製スタンスミスはクソだ直営を買え!みたいなのも国内だけでもあるんだけど、実際のところ直営版はシュータンが薄くてスネにぶっ刺さるとかあるから、あんまりライフスタイルを無視してイキる奴の話は当てにしない方がいい。
(abcmart製スタンスミスはシュータンにクッションがあって履きやすい)
ちなみに日本製のALLSTARも今やそんなクッション性に大差ないし、どちらも履けばすぐへたる。
ちなみにABC Martなどにある日本版ALLSTARは、品番すら書いてない物も多くアーカイブがしづらい。
内側がフェルト地のコンバースとか、アッパーが二重になったコンバースなどは今見つけることはできるのだろうか。。
関西に観光する場合は、柿本商店に足を運ぶといいかも知れない。
もっとマイナーで、とにかくスニーカーに関するアーカイブ知識だけを欲するならば
超マイナーモデル、カスタムモデル、PEモデル、チャリティーモデルの収集をおすすめする。
これらは球数が少なすぎて、フェイクすら作れないものも多い。(逆にネットに出回るコンセプト写真だけで再現したフェイクもあるが)
例えば最近ではNike Dunk Low Cactus Jack x PlayStation、製法上フェイクが作られにくいfoamposite one ParaNorman
Nike x MSCHF x INRI Air Max 97 Jesus Sneaker、WWWESH STUDIO™ x HEIGHTENED SENSE TN(c): NIKE® + CONVERSE®
日本人が当選してたUNHeardof × SABOTAGE × NIKE SB DUNK LOWやair32 x Nike Dunk SB Low "Stay Home"
世の中に存在するのか怪しい、triple S x AJ1 offwhite
PEシリーズの入門編としてのオレゴンダックスシリーズ、できるのならばF&Fモデル
アンダーグラウンドに手を染めて、没になってしまったコンセプトモデルの収集なども面白い。
ナイキくらいしか買ってないが、こんな感じ。履いてない奴の方が多いのでエアプではある。持ってるのは
Airmax1 Air jordan1 mid, 1 high, 11 low, 14, air force1, ファントム リアクト など
基本的にイケてる奴ほど供給が少ないイメージがある。履き心地に関してはあんまり気にしてないので、ほぼ言及してません。
また、ガチ勢ほどではないので、用語は適当です。ガチ勢は突っ込んでくれ、
AMシリーズで一番好き。オーソドックスなのが好きなので。最もスニーカーらしいスニーカーだと思うが、nike by you(後述)以外で安定供給がない。コラボとか復刻(限定で出される。カラーバリエーション変えたりしてるもの)もちょいちょいあるが、何かダサくないかな?と思うことが多々ある。
1をマイナーアップグレードした感じ。ちょっとナードっぽい感じがする。安定供給の印象があるので、人気なのかな。
Air max狩りで有名な縞々のスニーカー。正直見た目はカッコ良いけど、履いたらあんまりカッコよくないのでは?と思ってる。何かぼてっとしてるので。
ウェーブが未来的なデザイン。これもやっぱりカッコ良いんだけど、履いたらカッコよくないのでは?と思ってる。
靴紐に向かってのびる放射線がカッコ良いが、旭日旗を思い出すのがマイナス。これも履くと微妙だろうなと思います。
単純にカッコ良い。が、供給が少ない。非常に悲しい。欲しい。
上以外はデザインをモダンないし、未来的にしようとして失敗している感じがするので省略します。
95以降は履いたらカッコよくなさそうと思うのは足型が細長くなってるからです。履き口から爪先にかけて幅がそんなに変わってない感じがします。買ってないから適当言ってますけど。
足幅の広い私(2E~3E)が履くと変な形になってしまうことが考えられるので微妙と書いてます。足幅が細い人は似合うかも。ただ、日本人は足幅か広いらしいので似合う人は少ないと思うな。
多すぎるので好きなやつだけ。ここを見ろ。全てはここにある。
https://www.jordan.com/collection/
最も人気で有名なナイキの看板。熱狂的なファンもいるのでよく転売対象になる。ここら辺は私より詳しい人がたくさんいるし、狂ってる奴もたくさんいる。
個人的な印象はスニーカーの中ではクセのないデザインで最もカッコ良い、王道って感じ。ゴツすぎないので何着ててもそんなに違和感がない。
安定的な供給が白しかないので欲しければすぐ買えるというものではない。品薄商法やめてほしい。low, mid, highとローカット、中間、ハイカットと展開が多い。コラボに関してはdiorとのコラボがめちゃくちゃ綺麗でめちゃくちゃ値段が高い(ハイブランドとしては妥当)のが印象的。それくらい特別なことができるスニーカーともいえる。
割とsnkrsで復刻とかコラボが出てる。カッコ良いので欲しいけど競争率が高い。ただ、1よりゴツくなってくるので、服装を選ぶ感じはする。
このシンプルな感じがたまらない。欲しいなぁ。でも手に入れても、似合わない感じがするなぁ。
snkrsで抽選したらたまたま当たった。カッコ良いけど、足幅がはき口から一定で、足幅が広い人ほど、形が崩れるよなって思った。でも履かずに眺めてるのは楽しいね。
デザインがオーソドックスで迷ったらこれ買っとけば良くね?って思う。ほぼ同じデザインでカラーバリエーションが豊富にあるので、好きなの選べるよ。nike by you unlockedだとさらにアレンジができる。ハイカットもある。最もナイキで推されている商品だと思う。
スニーカー好きとしてはいつでも手に入るので今買わなくても良いかなとなる。ただ、雑に扱っても良いので一足はもっといて損はない。
よくわからない。人気であることは確か。詳しい人書いてくれ。正直デザインがaj1 high, aj1 low, af1, af1 highとかぶってない?
Nikeが提供するオリジナルのスニーカーが作れるサービス。オリジナルと言っても既存のスニーカーを選んでから、パーツごとに選択肢から選ぶ形式。unlockedという仕組みもあって、パーツの選択肢が特殊なもの(蛇柄とか)が増える。unlockedはゲリラで提供されたりするので、いつも行っているわけではないっぽい。
既存のスニーカーから選べると言ってもajシリーズは作れない。
抽選で欲しいのが当たらなかったり、昔出たものをもう一度手に入れたいときに代替として使うらしい。正直マニア向け。
ここら辺は適当。正直nikeがどうやってカテゴライズしてんのかわからねえ。多分使った技術を名前に盛り込んでるっぽいけど、デザイン性とどう整合性とってんのかな?
ソールがリアクトという技術でできているらしい。よくわからないが、履き心地は軽い感じはする。デザインは総じてモダン。
ソールが特徴的。ソール全面がエアーを封止した透明な樹脂になっている。デザインも未来すぎず、古すぎずって感じがして好き。
アッパーがニット生地でできていて、足にフィットする。通気性があって履き心地が良い。冬は寒い。
上記は全てを網羅してないです。上に書いてないので好きなのがあったら好きに書いてくれ。
これにさらにコラボとかが加わるからさらにカオス。off whiteとかsacaiとかundefeatedとか。
書いててやっぱり飢餓感煽って商売してんなーって改めて思いました。
よくわかってないとこもあるなーって思ったんで誰か補足とか書いたな!してくれ
snkrsとか抽選ってなに?って人もいると思うので説明すると
snkrsはnikeが提供しているサービスで限定品やコラボ商品をsnkrs経由で売っています。人気商品等は書いたい人(テンバイヤー含む)が多いので抽選という形で商品を売っています。当たったら買えるし、当たらなかったら当然ですが買えません。体感だと数%くらいの確率で当たる感じがする。
精神科 鹿児島県立姶良病院 鹿児島県姶良市平松6067 TEL:0995-65-3138 FAX:0995-65-8044 E-mail.air-hos@pref.kagoshima.lg.jp
http://hospital.pref.kagoshima.jp/aira/
「2019-06-19 県内唯一の公立精神科病院 社会のニーズに応えたい
1983年鹿児島大学医学部卒業。鹿児島大学医学部附属病院神経科精神科医員、県立鹿児島保養院医長などを経て、2013年から現職」
「また、医療観察法に基づく指定入院・通院医療機関としての役割も担っており、研修も実施しています。この研修は、関係者をはじめとする地域の精神科医療関係者を募り、年に1回程度開いています。
裁判員制度が始まってから、全国的に精神鑑定の件数が増えています。責任が重い仕事ですので、当院では6~7人が分担しています。精神鑑定ができる医師の養成も、われわれの役割です。そのためには、経験を積んでもらうことが必要。社会の要請に応えられる人材が育ってくれたらと願っています」
「時代とともに患者構造や病状が変化し、地域社会の精神疾患患者に対する目も変わってきました。地域移行も進んでいます。
私たちの役割は、まず患者さんや地域の方が困ったときに、すぐに対応できる力をつけておくこと。さらには地域住民にも、精神疾患や精神疾患がある患者さんに対する理解を深めてもらい、地域全体の対応力を上げていくことなのだと思います」
「2020/11/27 13:00 日置5人殺害公判 「被告は重度の妄想性障害」 起訴前鑑定医が証言
2018年に日置市東市来町湯田の民家で男女5人が殺害された事件で、殺人と死体遺棄の罪に問われた近くの無職岩倉知広被告(41)の裁判員裁判第6回公判が26日、鹿児島地裁(岩田光生裁判長)であった。起訴前に精神鑑定した医師は「犯行当時は生来の自閉スペクトラム症(ASD)に加え、重度の妄想性障害を抱えていた。深刻な精神状態にあった」などと述べた。
起訴後に精神鑑定した別の医師は25日の証人尋問で「妄想性障害の程度は軽微で、一連の犯行は元来の人格傾向の影響を強く受けている」と証言。裁判の大きな争点である責任能力の判断を巡り、参考となる鑑定医の意見が大きく分かれた。
26日の証人尋問に出廷したのは、県立姶良病院の山畑良蔵院長。検察側から依頼を受け、逮捕・送検後に期間を延長しながら18年7月から19年1月まで精神鑑定した。
山畑院長は、生活の変化などから妄想性障害を発症した時期を04年前後と推定。一時的に軽減することを繰り返し、長期的には悪化していたとした。病状の深刻さを踏まえ、統合失調症の可能性も示唆した。
妄想性障害の悪化により、「思考・行動に異常があった」と指摘。弁護側から動機や行動選択への影響を問われ、山畑院長は「誤った考えに基づく病的感情は、当然行動に影響を与えている」と述べた。
27日は、精神科医の証人尋問や被告人質問、遺族の心情意見陳述を予定している」
https://373news.com/_news/?storyid=129151
平成元年に卒業し、鹿児島大学病院精神科で研修を受けました。精神科は自然科学だけでは解明できない興味深い世界があるのでと思って期待もありましたが、漠然とした不安もありました。
しかし、指導医の先生方に丁寧に指導していただき、また、いろんな病状、個性のある患者様と向き合い経験していく中で、「人の心」「精神」というものを自分なりに考えるようになり、学会で発表したりもしました。
姶良病院は、鹿児島県における精神科医療の中核としての役割を果たしています。精神科に興味のある先生方にとっては、貴重な研修ができるものと思います」
http://hospital.pref.kagoshima.jp/recruitment/message/aira.html
「県立姶良病院情報誌 第 62 号 やすらぎ 令和元年 7 月 1 日発行 病院理念 ~安らぎと幸せを~
「山畑狂蔵」とは 副院長 堀切靖
知らない方が多いと思うが、山畑良蔵院長は以前「山畑狂蔵」というペンネームを持っていた。少し自虐的で、少し自慢げで、少し笑いを取った、とってもいいネーミングだと私は思う。
「狂」の其の一:顔で笑って、実は心の中で怒っている。逆に、怒っているように見えて、心の中では笑っている。これ、まさしく「狂」
「狂」の其の二:私は昨年から医療観察法病棟の病棟医長をしているが、多職種で会議を開き、入院継続の 3 要件や症状評価の 17 項目を検討したり、外出、外泊では詳細な計画を立てる等、大変。大雑把な私は集中力がなくなり、いつしか違うことを考えたり、眠くなったりする。しかし、狂蔵氏は、それらの報告を聞き、ちょっとした?間違いに気づき、でも、実はそれが大きな問題だったりするのに気づかされる。その集中力、注意力、気づきの鋭さ、まさに「狂」
「狂」の其の三:志布志の田舎で生まれ育った、まさしく神童。神童は数学者を目指していたと言う。高校時代の愛読書は哲学書。狂蔵氏が入院していた時、私が感動した小説を差し入れたところ、小説を読む楽しみは将来に取っておいていたのだと。その知力、忍耐力、まさしく「狂」
「狂」の其の四:医療観察法病棟を開棟する際、20 人?30 人?の職員で研修会に参加。懇親会の後の 2 次会は狂蔵氏がカードでポン。腹が出ているのは昔からだったか?まさに「狂」
「狂」の其の五:長年にわたり姶良病院に勤務し、海千山千の処遇困難例の治療に携わる。その間、興奮し暴言を吐く患者と対峙すること数えきれず。時に消化器で泡だらけにされたこともあれば、包丁を持った患者に追いかけられたこともあり。それでも患者を愛する狂蔵氏、まさに「狂」
「狂」の其の六:姶良病院は交通事故や違反が多いということで、繰り返し職員に指導が行われている。実は狂蔵氏は 2 回も後ろから追突されたことあり。しかも、1 回は大きなダンプカーであったが、ボルボに乗っていたためか、特に怪我はなし。ただ車は 2 回とも廃車。これも「狂」なる故か。
「狂」の其の七:毎年、95 パーセントの稼働率を維持し、県立病院の経営改善に最大限に貢献する。医療観察法病棟の開棟、精神科救急病棟の開棟、各病棟の改築を行った。去年は自治体病院精神科部会の会長、来年は日本司法精神医学会の会長を務める。さらに重大事件の鑑定、各所での講演等々、その働きぶりは、もう「狂」と言うしかない。だが、近くで見ている私が一番すごいと思うのは、リスクマネージメントや組織を運営、管理する能力である。管理者としての能力はとても真似できない秀逸な「狂」。
「狂」と言いながら、褒めてしまった。なので、ここでこそっと言っておこう。狂蔵氏は隠れセクハラ親父である。可愛い女性職員に「おっ、今日の洋服はかわいいね。いいね!」等、ポロッと言ってしまうのを私は聞いている。その心の中は「狂」に違いない」
http://hospital.pref.kagoshima.jp/aira/images/stories/contents/201901yasuuragi.pdf
・・・殺人事件の精神鑑定も行っている県立病院の医者たちが「あのセンセイは狂っている、狂だよね~」などと院内誌に堂々とおふざけを書く人権感覚のなさ。
誰向けでもない。ヘビロテした曲たち