はてなキーワード: 終焉とは
辺野古の座り込みに行った。ちょいちょい身バレ防止のためフェイクを入れるが行った時期はひろゆきが行った以降とはしておく。
自分のスタンスとしては「基地も軍もそりゃない方が良いだろうが、警察や税金が嫌でもあるように存在するのはしかたないことだし、ましてや沖縄は要衝であり普天間の危険性を考えれば移転やむなし」というもの。
まあ比較的保守(彼らの言い方を借りれば右翼)にあたると思う。
結論から述べると今あるような基地反対運動は彼らがこの世を去る時同時にほぼ消滅していくだろうと感じた。三点理由を挙げる。
朝早くから高齢者たちが常連感を出しつつ(これはまあいつも来ているのだからそうではあるが)ニコニコしながら集まってきて、「時間になったから始めます」と言いながらどこかで聞いたような声のあげ方をし、予定通りに機動隊に排除され、昔の学生運動を紹介する映像で見たような動きをする……はっきりいってめまいがする思いだった。何もかもが古いのだ。
全ての情報媒体は新聞、テレビ、個人が作る新聞めいたチラシ。以上。そしてそれを継続していることに誇りを持ち、新聞やテレビを見ない若者は不勉強だくらいの雰囲気をひしひしと感じた。
私は一日や二日しかいなかったため全てを見たわけではない。ないが若者を取り入れようとしているなら、比較的若い私が来たときくらいは率先して「ネットで、You Tubeで、インスタ、ツイッターでこんなことやってるよ!」と取り込みを図るくらいの気概は見せてほしかった。
そういった姿勢は全くなく、それでいて若者が来ないと嘆かれても「そりゃそうでしょ」としか言いようがない。
たとえば基地反対のデモのはずなのに、土砂搬入ゲート前で行われた最後の主張は「シュプレヒコール!」と数度叫んだ後に「基地建設反対」「岸田政権を許すな」「戦争反対」「きれいな海を返せ」「ロシアは侵略を止めろ」「軍は出ていけ」「自衛隊の共同利用反対」などなどこれでは収まらないほど沢山のことを言い募るものであった。
まず出だしから古い。シュプレヒコールって……まあそれは良いとして基地建設反対の集会・デモじゃなかったんかとこの時点で言いたくなった。
その後(正直行きたくなかったが)テントの中まで付き合って主張を聞かされたが「天皇を許すな」「マイナンバー反対」「アベ政治は未だに禍根を残してけしからん」などと口角泡を飛ばす。これで新規参入ねらいは厳しすぎる。
まず論点を一つに絞って間口を広げないことには新しい風は入ってこないだろう。
基地反対、米兵の非道は許しがたい、普天間は危険だ、戦争は繰り返してはいけない。こういったことは確かに真であるし、私もそういった部分は直していかなければならないし、また戦争反対の意見はまっとうだと思う。
だがそれに対して「どうすれば戦争は起こらないのか」とか「基地や安全保障とは何なのか」といった視点は皆無であった。ただ反対、ただ怖い、ただ嫌だ。それだけがあった。
それなのに「私は基地移転もやむなしかなと思うんですよ」などと言おうもんなら話を聞いてくれる雰囲気でもなかった。議論をする気はないのである。
もっと言えば、彼らは基地と駐屯地の区別もついていないし、若者がこの現代において過激なデモに参加することへのリスクも解っていないし、台湾問題は中国の国内問題だから日本には関係ないと本気で信じている。
反対運動は尊いものであろうし、平和を希求する心は評価されるべきだ。しかしそこに軸足を置きすぎるあまり彼らには基地建設以外の何もかもが見えていないように思えた。
これはあくまで個人の感想であり、私が実際に行って思ったことでしかない。これを読んで「ああ、やっぱり辺野古って、沖縄ってこんなもんか」と思うより前にぜひ沖縄へ実際行ってみてほしい。
沖縄県民にも賛成派と反対派はいる。だが基地問題はどう言いつくろってもそこにあるのだ。それをどう表現するかの違いでしかないが、私には少なくともこの活動はこの世代以降にはつながっていかないだろうとしか思えなかった。
そしてこの手の左派運動は全国的に終焉を迎えていくだろう。なぜなら同じ雰囲気はどの左派運動にも感じられるからだ。
自分のことをオタクと言っていいか正直分からないが、今はもう解散してしまったとあるグループが大好きだった。
そのグループはアーティストなので、そのグループが作る音楽はもちろんのこと、パフォーマンスも、人間性やキャラクターも好きで解散してからも元メンバーの活動を追いかけている。
ただ、純粋にそのグループとメンバーを応援していたわけでもない。
ストレートに言ってしまえば、その様は百合にしか見えなかった。
そのグループを知る少し前から私は百合に目覚めてしまっていたので、最初はもちろん音楽から入ったのに、テレビやラジオ、ライブ、雑誌のインタビュー、彼女らの公式サイトの日記を見ていたら、もう百合にしか見えなくなったのだ。
もちろん、実際はそうではない。
そこの分別はついてる。
元メンバーは今や全員既婚者だし、当時からファンタジーだとかもう一つの世界線として楽しんでいた。
正直に言えば、音楽でも百合でも楽しめて、どちらも最高なのだから、このグループって奇跡か何かじゃないのか?とか、私って凄くお得な性癖持ちだ!なんて結構な具合に舞い上がっていたところもある。
それに2ch(正しくはPINK板)にも専用スレがあって、百合SSが幾つも投稿されていたし、何なら自らSSの投稿も数回した。
百合作品を通じて一時期は同い年の友人もできた(今は連絡取れないが)。
その友人らとは純粋に音楽やライブパフォーマンスの感想と、百合フィルターを通してメンバーを見ての萌えポイントなんかもよく話していた。
凄く楽しかった。
友人らもSSを書いていて、私より数段は構成やストーリーが上手くてSS職人の域だったりで、とにかくオタクとして楽しい日々があった。
でもグループもそれなりに活動期間が長くなると色々あって、グループの体制変更や諸事情あっての活動休止などが起きて、そのショックから2chの百合スレは廃れて落ちた。
私も活動休止の影響があって百合観点でのオタク活動からは離れてしまい、ただの音楽ファンになった。
それでも彼女らグループの音楽やパフォーマンスは素晴らしかったので満足だった。
ここまで来ると、なんとなく何てグループなのか分かる人には分かるかもしれないが、グループ名は伏せておいて欲しい。
時が流れて、最近になって私は「BLも好きだし、断トツでBLの方が先に触れたのに、百合の方がとびきり好きだよなぁ」と自らの性癖を顧みていたんだが
そこで「あのグループの百合が何より好きだった。」と急に思い出した。たまにグループの音楽は聴くのに何故か百合のことだけ忘れていた。
百合作品は好きなくせにあまり普段触れない(BLももちろん)けれど、友人らがオタク気質でBLネタをたまにTwitterでつぶやくのでそれを見て自らを顧みたら、奥底に仕舞い込んでいた百合萌え魂(何ソレ)に再び火が点いてしまった。
懐かしくなって、落ちた2chの百合スレを頑張って探した。それは過去ログにキチンと残っていた。
私が大好きで悶えた、職人によるSS作品も自分で書いた拙いSS作品もそこにはあった。
懐かしさと嬉しさと湧き上がる百合萌え具合から、机に頭を打ちつけてしまいそうなのを幾度と堪えて(オタク仕草が過ぎる)、過去ログを読み耽った。
いや、だった。
そのうちにグループに色々が色々あって、突然終焉を迎えたこのグループの百合に、百合としての"終わり"をちゃんと設けたいと思ってしまった。
だからファンタジーとして、でも事実を含めながら終わらせようと思った。
動機から何から私の勝手100%ではあるが、百合スレが半端な状態で終わっていたのが何故か居た堪れなくなった。
起承転結を作り、キャラクターの性格をキチンと含ませて、現実とファンタジーと幾らかの私の願望を織り交ぜて……
っで、なんか一日で出来てしまった。
あの頃はいくら考えても萌えネタをSSに落とし込めなかったのに…なんと呆気ないことか。
とは言え内容がストーリーとして辻褄が合うように出来ているかは、自分では分からない。
でもとりあえずは納得いく形にはなったので、満足している。
そして出来上がると今度は欲が出てきて、公開する場が欲しくなる。
ただ、扱っているのは実在する人物なので、大っぴらにネットに載せるわけにもいかない。
なのでブログを開設することにした。
というか、開設した。
SS公開はパスワードを設定して、安易に人の目に晒されないようにする。
ただここにURLも検索ワードもパスワードも書かないし、そもそもまだ書き上げたSSは投稿すらしていない。
まぁ近いうちに昔百合スレに投稿したSSから投稿しようと思う(過去作は3本しか無いが)。
もしこの記事を読んで、何のグループか分かった人の中に百合スレの住民がいたのなら、SSが投稿されていたスレタイをヒントに頑張ってブログに辿り着いてくれたら嬉しい。
Twitterのフォロワーには、元メンバーを純粋に応援する人や私が百合オタクだなんてこと知らない人、知らなくていい人がいて、この一連の個人的な出来事を書けないので、ここに書いてしまった。
これはインターネットやSNSに毒されると、何処かに投稿して報告したくなってしまうオタクの性だ。
気持ちが悪いと笑ってくれ。
それじゃ、気が済んだオタクは巣に帰るよ。
実入りが減るなら運用コストが削られるのは当然であり、結果的にアプリストアに頼る以外の道がない弱小アプリがコスト削減のために切り捨てを喰らう。
手数料どころかストアの運用にまで政府が口を出すならそれこそ資本主義の終焉だ。
「公正な競争を」というお題目で進める施策が競争を潰す事になる。
アプリストアの手数料が下がれば「既に成功したアプリ販売者」にとってはうれしいだろう。
自分たちの実入りが増えて、競合他社が増えないように新規参入を阻害できるわけだから。
それは「公正な競争」なんだろうか?
好きな手数料のストアを自由に開設できるはずのAndroidでサードパーティーストアが死滅してるのは何故なのか?
それを碌に考えもせずに政府が強制で物事進めたって、スマホの値引き制限みたいにビジネスに冷や水かけただけって結果になりかねないよ
タイトルは釣りではなく。オタク男子の夢である担当キャラの声で行為をしたこともある。
以前は声優に関わる業界に所属し、現在はまったくの別業界に転職したので、野望を持つオタクのためにも書き残しておきたい。
業界の女性声優オタクのチーフADという立場的にはほどほどの自分。このレベルでも経験上女性声優という生き物とは、<ふつう>にしていれば付き合える。
もちろん、業界は声優に関わりがある職種であることは前提に。そして、この<ふつう>はいわゆる一般男性的なふつうで、恋愛のフォーマットなやつなのだが、
·オタクではないふりをする
·仕事で目立った働きをする
·こまめな気配りをする
·見た目に清潔感を持つ
過去に植田佳奈さんも仰ってたが1の声優ファンではないふりをすることは最も大事だろう。よくスタッフが仕事後に<過去の○○の時から好きだったんですよ~>など好きな声優に話しかけるが、このセリフを言ったらもうアウト。
一瞬で彼女とは仕事とスタッフの関係になってしまう。あくまでも我慢し、興味ないふりをし続けることが最重要事項だ。
あとコミュニケーションとりつつ現場の回数をこなせば、まず大勢でのご飯程度はいけるだろう。そこからは大勢での食事を回数勝負で接点を増やし、個人的なつながりへと進んでいく。
単推しを狙うのは彼氏がいるタイミングとかもあるだろうし、手広く立ち回ることも重要。
そして相当売れている人ではない限り、彼女たちは劣等感が強い。
名前を聞く人でさえ年収ベースの収入は300万から500万程度とタレントとしては大したことない。それは99%は落ちるオーディションのせいで、やさぐれている人も多い印象。彼女たちはキャリアのすべてがオーディションと呼ばれる就職活動で、どんな有名所もほぼすべて落ちる。
就職活動をしたことがある人なら経験はあると思うが、数社落ちただけで落ち込むだろう。彼女たちはそれを年に数十から百以上のペースで行っている。これでまともな精神でいられるわけはない。
反動で売れて安定軌道に乗った(と勘違いしてる)人は、横柄な態度に変貌する人も多いのだが。特に男性は。
なので、オタクが感じているような<神聖感>は当人たちには一切なく、仲良くなったあとは<とにかく話を聞く>、<肯定する>のが大事。もうここからは普通の恋愛と変わらない。
<なんとかなるなる事件>でもあったように、収入と支出のバランスが悪い声優はパパ活もしている。大体の声優は自由に時間が効くバイトでまじめに生活しているが。
実際に付き合っていた声優のひとりは、アイドル系経験があり、スポーツ作品のヒロインをやっていたぐらいそこそこの知名度。収入は300万程度。極度に自己評価が低く、その割にブランドを着飾り?たびたびインスタに投稿する悪い癖もあった。
声優といえども芸能界。売れている人の収入は桁が一つはゆうに変わるし、安定もしない。そんな人たちと仕事していると劣等感も生まれていくのだろう。自分の身の丈に合わない支出もしてしまう。
私自身もその彼女には保険金をかけられその受取人にしろと強要されたし(当時は好きだったので気にならなかったが)、金銭も3桁以上は貸していた。思えば今考えるとお金の無心しかされてこなかった。
それでもお金は足りず、身体の関係ありのパパ活をしてしまう。そこそこ名前は売れているというのに。
そうなると関係性としては終焉。彼女に尽くしていた男側も病むし、彼女は別のナニカのせいにしていく。そして最後には<パパ活でレ●プされたからもう男とは関わりたくない>のメッセージだけで終了。典型的女子のやり方だ。3年も付き合っていたのだが……。
付き合うことと継続することは別
男性、女性も関係なく、声優業界は村社会。もちろんサークル的な身体関係のトラブルは多い。事務所の上部はタレントにも手を出しているし、有名声優は何又もしている。最近は2.5次元俳優が声優業界に入ってきており、その手癖は従来の男性声優どころではないと聞く。このように女性声優周辺のライバルは多く、きらびやかな経歴を持つ人も多数いる。
その中では普通にしっかり働いて稼いでいることも個性になったりする。そのため、アイドル声優と付き合うこと、行為までは叶えることは夢ではない。しかし、それを維持することは経験上難しい。それはしょうがない、彼女たちは声優業界という異常な村に住む妖精たちだから。
一般常識をそこに当てはめてはいけないこともまた事実なので、今後<声優と付き合あいたい>的な野望を抱く方々には、私の経験談を頭に入れて、選択肢の一つとしてうまく立ち回ってほしい限りである。
日本経済新聞(1月18日電子版)の「世界の格下げ2割増、22年501社 米金利上昇響く」を興味深く読んだ。
同記事は《世界の企業の信用力回復が鈍ってきた。2022年に社債の格付けが下がった企業(金融除く)は501社と21年に比べ2割増えた。米国を中心とした金利上昇で債務不履行(デフォルト)リスクが高まり、低格付け企業の格下げが目立った》に始まり、米格付け会社S&Pグローバル・レーティングによる社債発行企業の格付けリストが紹介されている。
生活雑貨の米ベッド・バス・アンド・ビヨンドは22年7月にシングルBプラスからシングルBマイナスになり、11月に選択的デフォルト(SD)になった。ドラッグストアの米ライト・エイドも1年でシングルBマイナスからSDに下がった。ちなみにウクライナ鉄道はトリプルCプラスからダブルCとなった。世界の格下げ社数は2年ぶりに増加した。
一方で格上げ企業もある。高級ブランド・コングロマリットの仏LVMHモエヘネシー・ルイヴィトンはシングルAプラスからダブルAマイナス、大手ホテルチェーンの米マリオット・インターナショナルはトリプルBマイナスからトリプルB、半導体の米エヌビディアがシングルAマイナスからシングル Aにそれぞれ格上げされている。
ウクライナ鉄道は格下げとなったが、ロシアによる軍事侵攻に晒されているウクライナのソブリン債(国債や政府機関債)はどうなったのか。やはりシングルBからトリプルCプラスに格下げとなった。
では国別のソブリン債格付けはどうなのか。実は筆者の手元に昨年12月現在の主要格付け会社による一覧表がある。以下、紹介する。
S&P社格付け=トリプルA:ドイツ、カナダ、ダブルAプラス:米国、ダブルA:英国、フランス、韓国、シングルAプラス:日本、中国、ダブルBプラス:ギリシャ、ダブルC:ロシア。ムーディーズ社格付け=トリプルA:米国、ドイツ、カナダ、ダブルA2:フランス、韓国、ダブルA3:英国、シングルA1:日本、中国、アイルランド、トリプルB1:スペイン、トリプルB3:イタリア、ダブルC:ロシア―である。
見落としてはならないのは、我が国が両社格付けランキングで共に韓国を下回っていることだ。
次に格付け調査から除外された金融業界の現状を見てみよう。先週末の1月13日までに米金融大手各社の22年10~12月期決算が明らかになった。米銀最大手のJPモルガン・チェースの12月期決算は純利益が前の期比22%減の376億ドル(約4兆8000億円)だった。バンク・オブ・アメリカが前の期比14%減の275億ドル、シティグループも32%減の148億ドルだ。資産運用会社最大手のブラックロックは純利益が前年同期比23%減の12億5900万ドル(約1600億円)であった。
各社軒並みに大幅減益である。さらに17日には22年10~12月期決算で純利益の前の期比48%減112億ドル(約1兆4000億円)を発表した米投資銀行最大手のゴールドマン・サックス(GS)が3200人の大規模人員削減を決定した。米連邦準備理事会(FRB)の金融引き締め方針の堅持と今年後半期の米景気後退懸念が高まったことで、世界に冠たるGSは消費者向け金融ビジネスを大幅に縮小することを余儀なくされたのだ。
米投資銀行の一方の覇者であるモルガン・スタンレーもまた純利益が27%減の110億ドルとなった。同社も昨年12月に約1800人の人員削減を発表している。
こうして見てみると、「MMT(現代貨幣理論)幻想」の終焉に直面した日本の先行きは一体どうなるのか、心配が募るのは筆者だけではあるまい
上手に生きるコツは美味しいカルボナーラの作り方とよく似ている。
30歳を過ぎるまでカルボナーラを作ったことのない僕が人生に躓いたのは仕方がないことだったのだと思う。
料理をしなかったわけではないし、パスタを作ったことがなかったわけでもない。
普通の人はペペロンチーノを作り、ボロネーゼを作り、カルボナーラを作る。
でも僕はカルボナーラを飛ばしてジェノベーゼやアマトリチャーナなど他のパスタを作り続けた。
なぜかカルボナーラは敬遠してしまった。それを説明することはむずかしい。あのクリーミーさに満ちた感じだったり、半卵なのか全卵なのかはっきりしない感じだったり、そもそもカルボナーラという名前だったり、いろいろな理由を挙げることはできる。
しかし、どれが理由なのかと言われると、はっきりとは明言できない。言うなればカルボナーラをカルボナーラ足らしめてるカルボナーラらしさがなんとなく僕にカルボナーラを敬遠させた。
僕は同い年の人たちと同じようにかわいい子に声をかけ、デートをして、セックスをした。でも、それだけだった。
恋することや愛することは一度もなかった。
それは小説や映画などで使われる、話をおもしろくするための修辞学的な表現だと思っていた僕は、それが現実に存在するものだと知ってひどく驚いたものだった。
僕は恋や愛をユニコーンやペガサスのようなものだと思っていた。
現実の動物をベースにしているから、似ている動物はいる。しかし、それはあくまで空想上の生き物であると。
「どういうこと?」
「カモノハシの標本を送られたイギリス人もその存在を信じなかった。鴨のくちばしとビーバーの体をツギハギしたものだと思い込んで。おかしな話よね。そこにカモノハシはいたのに」
彼女とはそれっきりだった。
彼は自らのことをニューハーフともトランスジェンダーとも言わなかった。ただのオカマだと言った。彼女と呼ばれるのも好まなかった。
女性ホルモンは摂取していたが不定期だった。真面目にクリニックに通ったかと思うと、突然行くのをやめた。そんなことを繰り返していたので、オカマは男性と女性の間を行ったり来たりしていた。
特に深い理由があったわけではない。ある時僕はオカマと寝た。酒で記憶をなくしたわけでも、ヤケになったわけでもなく、なんとなく僕はオカマと寝た。それがどこか自然な成り行きのように思えた。オカマは男性みたいで女性みたいで不思議な感じだった。
オカマとは付き合っていたわけではなく、友達のような関係だった。僕に彼女がいた時もあったし、オカマに彼氏がいた時もあった。でも、どちらからともなく連絡を取って、相手の家でご飯を作り、ワインを飲んで、セックスをした。僕とオカマはそんな関係だった。
いつものようにオカマの家に泊まった翌日、僕が起きるとオカマが料理を作っていた。
オカマはいつも楽しそうに料理を作った。料理を作るオカマを見るのが僕は好きだった。
オカマは話をしてくれた。オカマという生物の生態についての話だった。
オカマになるのは金がかかる。昼の仕事で稼ぐには厳しいし、そもそもオカマになればなるほど、昼の仕事は難しくなる。オカマが言う通り僕はオカマの警官や教師というものを見たことがなかった。だから多くのオカマは夜の仕事をする。
若いオカマはいい。若いオカマは綺麗だから自分も周りも満足する。でもオカマも年をとる。年をとったオカマは醜くなる。夜の仕事は難しくなり、周りから求められることも少なくなり、その醜さに何よりも自分自身が絶望する。昼の仕事の経験もなく、夜の仕事を続けられるわけでもなく、誰からも求められることのなくなった醜いオカマとなってオカマの生態は終焉を迎える。
「ねえ、バビルサって知ってる?」
「なにそれ?」
「インドネシアにいるイノシシの仲間。長いツノが生えててだんだん伸びて最後には自分の頭に刺さって死んじゃうんだって」
「へえ、変わってるね。でも急にどうしたの?」
「それってオカマに似てるなって思ってね」
そう言ってオカマは2人分のカルボナーラを持ってきた。僕はカルボナーラは好きじゃなかったけど、オカマのカルボナーラだけは好きだった。確かに美味しいカルボナーラだったけど特別美味しいってわけではなかった。でもなぜだか好きだった。まるでオカマのようだった。そういって僕らはカルボナーラを食べた。僕らの関係はオカマが自殺するまで続いた。
女の子と上手に遊べなくなった。
嘘というわけではないのだけど、思ってもいない言葉を言えなくなった。
例えば本当に綺麗な子以外には綺麗だと言えなくなった。そして本当に綺麗な子は、多くの場合、綺麗なこと以外には褒めるべきとこがなかった。そういったわけで僕は女の子と上手に遊べなくなった。僕は暇を持て余した。
ただこの話にはミステリアスな少女もオシャレな小人も出てこない。劇的な体験だったり非日常的な冒険だったりそういったイベントも起こらない。仕事をして、洗濯をして、アイロンをかけて、料理を作って、ワインを飲んで、夜に眠る。そんな生活が何年も続いた。そして僕は何年も飽きることなくカルボナーラを作り続けた。
オカマのカルボナーラを思い出しながら作り、カルボナーラを食べながらオカマを思い出した。男のようなオカマを思い出し、女のようなオカマを思い出し、元気なときのオカマを思い出し、辛そうなオカマを思い出した。思い出すオカマによってカルボナーラの味は変わっていった。
でもしばらく経った頃からカルボナーラの味は変わらなくなった。そして僕の生活はすこし変わり始めた。相変わらず思ってもいない言葉は言えなかったが、以前より思う幅が増えた。どんな人にも美しさがあり、優しさがあるように思えた。もちろん、多くの場合は、という留保付きだったけれど。
僕は相変わらずカルボナーラを作り続けた。パスタを茹で、生ハムを炒め、ワインを加え、パスタを入れて、卵とチーズを混ぜて、黒胡椒をたっぷりとかける。ひとつひとつの行動が美味しいカルボナーラを形作るように、僕の生活のひとつひとつの行動が意味を持ち始めた。現実と人生が地続きになった。
もちろん、失敗することもある。茹で過ぎたり、ワインを入れすぎたり、火が強すぎたり。でもそういった失敗もどこか友達みたいに思えるようになった。そして僕はそんな具合に人生を生きるようになった。カルボナーラのように。相変わらず時々失敗はするけれど、どんなカルボナーラでも美味しいものだ。多くの場合は。
2023-01-14 部分改稿
供養。
小学校からの腐れ縁のオタク仲間で、それぞれ住んでるジャンルは全然違ったけど沸った想いをお互いに語り合い聞き合い、インターネットミームでゲラゲラ笑ったりした。一緒に旅行に行ったり、同人活動を手伝ってもらったり、しょうもないネットの記事をLINEに送りつけてだらだら下らない話をしたりしていた。
ただ自分はアホだからたまに何か失礼だったり不快なことをやらかしてしまって、その度に相互フォローのアカウントでエアリプみたいにぼかして愚痴られてるのが昔からしんどかった。
しんどかったけど、こんなアホのポンコツ人間とこんなにも長く仲良くしてくれていい奴だな、自分が悪いな、またやらかしてしまったな、いつも申し訳ないな、優しいから直接言えないんだろうな、とずっと思ってた。
コロナ禍が始まった年だったか、自分の推しが大変なことになって、すごく精神的に荒れてた頃があった。
大変だから何とか応援したい+見納めになるかもしれないタイミングだった。だから元親友を今までイベント事に誘ったことは多分ほぼ無かったかもしれないけど、その時はよかったら今度有料配信があるから観て欲しいって誘ってみた。けど観れたら観るわ(観ない)で、当日は自分の推しの映画だか配信だかを見ていた。
あっちの推しのイベントや遠征にも付き合ったのに、こっちの推しには、推しが大変だって話してたのに付き合ってくれないんだと思って、それが結構ショックでTwitterで思わず愚痴ったら、それがド地雷だったみたいでまたTwitterで愚痴られた。
それについては結構長いこと愚痴られて、やっちまった感で申し訳無さと自己嫌悪で結構しんどくて、お詫びに誕生日祝いも兼ねてプレゼントをあげてとても喜ばれたけど、謝罪に対しては「いやお前の推し知らんのよ」って言われたのもまたショックだったし、その後も愚痴は止まらなかった。
以前はルームシェアでもするか、老後は一緒の老人ホーム入ろう、なんて言ってたのに、突然家を買うみたいな話をしだして、態度も一気によそよそしくなった。
謝ったから許されるとは思ってなかったけど、遠回しに独り言みたいにぼやかれるよりハッキリぶつけてもらいたいと思って、ビビりながらクソ長文LINE送ったけど「別にお前のことじゃないけど、誤解させたなら悪かった」「Twitterで愚痴られるの気になってたって言う割に、自分はこないだそういうツイートしてたよね^^」みたいなことを返された。
こんな人だったっけ?と思った。
それから、私が悪かったなと思った。
私は期待し過ぎてたんだと理解した。
いつも私の推しなんか別にいいよって10年以上言ってたのに、いきなり見てくれって何だって話だし。そもそも顔がどうしても覚えられないってずっと言われてたのに。その時元親友の推しもコロナで大変だったのに、自分本意だったなって反省した。
元親友の推しジャンルは自分からは好まないものの、親友の好きなものだから知りたいし喜んでる親友を見たいと思っていた。でも友達だから必ず付き合う必要も無いし、断るという選択肢あったのにそれを選ばなかったのは自分だった。
「何かあるなら直接言ってくれ」は、嫌な思いをさせた側のエゴでしかない。Twitterも私が誤解してるだけならフォロー外して見なければいいだけだ。
ただこれは私の悪意が含まれるけど、もしこの場は誤魔化されただけで、実は本当に私の愚痴だとしたら、本人が見られる場で「はぁ〜嫌な思いしたな〜いやお前のことじゃないけどね?」と繰り返し発言する神経が分からないなとも思った。
だからとりあえずTwitterのフォローを外した。相互フォロー必須の鍵垢にしてたから申し訳ないけどブロ解した。一言も言わなかったけどフォロリムご自由にって書いてあるからまあいっかと思った。自分のことじゃないとしても、もう元親友の愚痴を見たくなかった。
あまりのよそよそしさで、もう元親友は私のこと嫌いなんだろうな、もう遊ぶこともないだろうなと思い込んでゲームのフレンド登録も消してしまった。
まあ腐れ縁だし遠い将来に来たる訃報くらいはなと思って、LINEだけは一応残した。SNS一つ残ってれば連絡は取れるし、今までもLINEでよくやりとりしてたし。
もしかしてこのことでまた何か呟くかなと思ってTwitterを覗きに行ったら、やっぱり私の愚痴を話してた。「おっ向こうからフォロー外したかw助かるわw」なんて言ってた。
最終的に「私は何もしてないけど突然友達にTwitterで暴言吐かれた。後から謝りたいと言われた」「元々変な子だったし付き合いも長いからまあいいよって返したけど、結局その後Twitterもゲームもブロックされた。LINEもブロックされてるかもしれない」「多少モヤったけど、自分でも驚くくらい感情が動かなかった」「私のことを大事にしてくれる友達を大事にしていこうと思った」みたいなことをツイートしてた。
ああ、これが本音かぁ。そうだったんだ、今まで長らく本当にごめんね。でも本当にそんな人だったんだね、今まで気づかなかったよ、ごめんね。
昔から変な奴と思いながらも付き合ってやってたのに、いきなり地雷踏まれたらそりゃあ不快で嫌いになるよなって納得した。
今まで一緒にゲラゲラ笑ってた思い出も全部パァになるくらいどうでもよくなったみたいだし、そこまでになったら私ももう関係を取り戻すのは大変過ぎる。
冷静に考えれば黙ってフォローを外すなんてとても乱暴で、ともすれば強いショックを与える可能性のある行為だったと思う。でも何も感じなかったそうだし、変に断ってから外すとそれはそれでめんどくさかっただろうから、結果的にこれで良かったなと思った。
本当に他意は無かったのに私が勝手に気にし過ぎてグルグルしてるなんて精神的に不健全だったし、向こうからしたらどうでもいい奴が視界から消えたし、お互いにとってこれがベストだったに違いない。
きっともう二度と連絡し合うことは無いんだろう。「達者でな」ってツイートに心の中で、お前も元気で暮らせよ、いつか線香あげさせてくれたら、もしくは線香あげに来てくれたら嬉しいよと返しながら、晴れやかな気持ちでTwitterの検索履歴から元親友のアカウントを消した。
それから1年半くらい経って、突然連絡が来た。
遠慮がちに腰低く「連絡見るのも嫌かもしれないけど、良かったら忘年会でも」みたいな連絡が来た。
正直ねずみ講かどこどこに投票してくれみたいな話かと怪しんだけど、私のことが嫌いを超えて無関心になってたのに、どういう風の吹き回しなんだろうと思った。以前元親友のことを相談していた友達には止められたけど、応じてみた。クリスマスも近かったから、元親友の好きな食べ物を手土産に買って行った。
実際会ったら全然ねずみ講じゃなかった。腰が低かったのは直前にクソ長文LINEが残ってたから気を遣ったそうだ。
仕事で鬱になってしまって、死ぬことをふと考えた時に、死ぬまでにやりたいこととして私に会いたいと思ったらしい。
一方的に切られてもショックを感じないくらいどうでもいい嫌いな人間に会いたくなるなんて、鬱はやっぱり怖い病気だなと思った。自分もなったことがあるが、食が細くなったり不眠になったりで体力が削られることで余計に弱って考えや行動がおかしくなるから仕方ないなとは思った。
あと友達を増やすにはどうしたらいいかと相談された。元親友にとって私は「友達を大事に出来ない人間」「いきなり暴言吐いてくる変な奴」なのに、どうしてわざわざ会って訊くんだろうと思った。
私を含めて友達と言える人はすごく少なくて、でも私以外の友達には遠慮してしまって物寂しさを感じてるらしい。自分なりに友達に配慮して、大事にしてて偉いなと思うと共に、どうして大事にされてないと感じる私がまだ友達扱いなんだろうと内心首を傾げた。
色々不思議だったけど、鬱はどうしても一定ネガティブになるから思考の壁打ちは大事だし、自分なりに答えて、後は昔みたいに最近ハマってるジャンルの話とかして、よいお年をって解散した。手土産は素直に受け取って帰っていった。
まずプラスのパターン。これは「何かを投じてる」という意識が無く、ただただ楽しい・快と思える状態。
次にプラマイゼロのパターン。これは例えば「あの人すごいめんどくさい(=精神でマイナス)けど、高いご飯奢ってくれる(=金銭でプラス)んだよな」「あの人暴力振るう(=体力でマイナス)けど、一緒にいると幸せ(=精神でプラス)」みたいな状態。
最後にマイナスのパターン。これは「こんなに○○してあげたのに、ちっともお返ししてくれない」「本当は○○したいのに物足りない、寂しい」など、自分の投資に対してリターンが少ないと明確に感じている状態。
例えば同級生、同僚だとか同じコミュニティにいたり、妊婦仲間とかライフステージが同じだと、時間や精神が自動積立されるから関係性が維持しやすくて、逆に同じじゃない場合は維持したいなら自分から積極的に投資しにいかないといけないし、相手も自分に投資したいと思っていてくれないと成立しない。
あと精神に関してはFXとか暗号資産みたいなもので、突然高騰したり暴落したりする。一番不確定要素がデカい。先の例で言うDV彼氏みたいな、客観的には大損でとっとと手放した方がいいのに、本人にとってはリターンがすごくて手放せなくなる、みたいなこともあるから、ちゃんと自分の状態をメタ認知していかないと危ない。
更に人間関係は、アップデートをかけ続けていかないといけない。
もちろんしなくてもいい・必要としない関係もあるけど、例えば学生から社会人になる、結婚をする、子供ができる、みたいなライフイベントは、その人の暮らしがガラッと変わる。暮らしが変われば連絡の取り方だけじゃなくて、その人のトピックスもボキャブラリーも変わってくる。
人間関係ってどうしても現状に甘んじてアップデートをあまりかけないけど、例えば「独身同士の付き合い」があって、ある日どちらかが結婚・出産した場合、「独身と既婚子持ちの付き合い」に変えられないとどこかで破綻する可能性がある。
そういった時に「これからも仲良くしたいんだけど、連絡は独身時代みたいな感じだと迷惑にならないかな?」「もしよかったら子供の話してもいいかな?子供連れて遊んでもいいかな?」みたいな一言を投げかけられるか=アップデートをかけにいけるかが結構大事だと思ってる。
こういう明確なライフスタイルの変化はまだわかりやすい。環境とか置かれた状況、時間の流れで生まれた小さな小さな変化の積み重ねによって実はお互い色々変わっているのに、それに気付けていないパターンは結構重篤なのにきっかけが無くてアップデートがかけにくい。
そして人間関係はここまで語った内容に加えて、縁や運、偶然というものもあると私は信じている。様々な要素があるからこそ、出会って3日で入籍するようなカップルもいれば、数十年来の付き合いがある日突然終焉することもある。高齢者になって恋が芽生えることもあれば、若くして運命の出会いによってプロの道へ歩み出す人もいる。人間関係は面白くも難しくもあって、それらを感じて一喜一憂しながら生きるのが、高度なコミュニティを形成して暮らす生き物の醍醐味なんじゃないだろうか、と私は考えている。
自分の法則で言えば、我々は最初はプラスの関係だった。それは間違いない。
しかしいつのまにか「お互い嫌なところを感じながらも、一応楽しいから」というプラマイゼロの関係に成り下がってしまったのを自覚しながらも、そのまま漫然と維持してきてしまったツケを払ったんだと思う。
私が勝手に期待という莫大な精神を一方的に投じて、一人で損が出た時の一言で、相手の精神を大暴落させてしまった。
私も優良銘柄だと思って保有してたけど、長期的に続いていた地味に痛い損失にふと目がいってしまって、もうこんなに暴落してるから、今から挽回するにはかなりの投資が必要になるし、元々損失のある銘柄にそこまでのリソースを割く必要も感じない。これはポートフォリオに積極的に残しておいても仕方ないと考えてしまった。
向こうも長期的に小さく小さく不快が積み重なっていたからこその大暴落だったんだろうし、アップデートをかけずにいた古いままの我々はもうとっくにガタがきていて、たまたまあの時の私の一打がきっかけになっただけの、必然の結果だったんじゃないだろうか。
向こうにとって今の時点で私からどういうリターンがあったのか分からないけど、忘年会の席であの時の話はほとんど出なかったから、向こうとしては過去のことには蓋をしてアップデートをかける気は無さそうだった。
破綻したものを再構築するのはとても大変だし、仕事や生活、他の友達との付き合いで忙しいから、私としても助かった。とりあえず鬱は本当に怖い病気だから早く寛解するといいなと思う。
読み返すといやに卑屈で、それでいて根に持った文章になってしまった。根に持つ以前に、数十年の付き合いだったから後ろ髪を引かれた部分はあって、「人生の大半を過ごした友達だからこそ」、「私の期待を分かって欲しかった」「何が嫌だったのかちゃんと理解させて欲しかった」「あの時のことを腹割って話して、わだかまりを無くしたかった」みたいな気持ちがやっぱりあったんだと思う。
でも関係の年数そのものに価値は無い。これも所詮「過剰な期待」だし、時間も経ってしまったから流石にもうどうでもいい。記憶の経年劣化で私も、きっと向こうも、都合の悪いことは忘れて、被害者意識だけが強まっているようなレベルまで塩漬けにしたものに、腹を割って話すような大規模アップデートは相当しんどいものになるに違いない。
だからもういい。めんどくさい。何考えてるんだろう本音はどうなんだろうどうせ後でツイートするんだろうってグルグルするの疲れた。あの日の帰り道もきっと何かツイートしてたんだろうなと思ってしまう。この気持ちを訴えたところで「それは申し訳なかったけど、その場ではダメなとこ気付けないんだね^^」なんて言われるに違いない。
もし仮にものすごい相互の努力の果てに無事アップデートできたとしても、疑心暗鬼は多分一生拭えない気がする。
そう。散々偉そうに持論を垂れておいて、結局のところ私は久しぶりのコンタクトで、忘却の彼方にあった遺恨を思い出してしまったから、これを綴っている。書きながらネガティブ感情を反芻してしまった。あの時感覚的に捉えていたことを、書き綴ることで言語化して、あの時よりも強くはっきりと再認識している。
人は楽しかった思い出よりも嫌な思いをさせられた記憶の方が残る。今はもうありし日の思い出への後ろ髪よりも、根に持つ気持ちの方が強くなってしまった。この増田は、ただの被害者意識と、エゴの塊から来る、自分のしでかしたことを棚上げした八つ当たりの怨嗟だ。
それを心の内に留めておけず、隠れてインターネットに吐瀉物を撒き散らす自分の何と幼稚なことか。そんな自分を吐き切って、これを限りにもうこの2022年に置いていく。きっと元親友も、自分のことは本来ならとっくに置いていっていただろうから。
辛い時に思い出してくれたのは嬉しかったけど、無事寛解した暁には今度こそブレずに、トラウマにまでなる思いやりのない非常識な私のことなんて早く忘れて、自分のことを大事にしてくれる友達と仲良くしていって欲しい。
性自認は完全に男性だし、自分が男性であることに対する違和感は全くない。
これまで男性として育ってきてしまったからかもしれないが、今更手術を受けて女性になろうと思うほど逼迫した思いも抱えていない。
恋愛対象は両方だと思う。
多くの場合好きになるのは女性だが、男性を好きになったこともある。
ちなみに全く女性にはモテない。女性にモテていたらこんな拗らせた思いを抱えることもなかったのかもしれない。
変な悩みを抱えずに男性として生きれていたと思う。
女性になって、女友達と一緒におしゃべりして、お化粧してお出かけして。加工だらけの写真をインスタにアップして。
素敵な男性に愛されて、子供を産んで。間違ってもはてな匿名ダイアリーなんて読まない。
その自身の願望の表れの一つとして、私は一人称が全然統一できない。
使い分けは意識的ではないのだが、ふとした瞬間に「私」と言ったり「僕」と言ったり「俺」と言ったりする。
「私」という一人称がふとした瞬間に出てくるのは、自身の女性化願望の現れの一つであると自覚しているし、
自身を男性として表現したいときには「俺」と言っているように思える(もちろんフォーマルな場面で「私」という一人称を使うからといった理由も存在する)。
この文章もそうやって書いていく。
そんな私だからフェミニストの女性をみると腹が立って仕方がない。
いや、違う。もっと本心で、正直に言ってしまえば、もうちょっと拗らせている。
50%の確率で、「私から見れば運よく」女性に生まれることが出来たのにも関わらず、
彼女たちは、女性であることが辛いと言い、いかにも男性や男性社会に加害されているかのように嘆くのである。そんなのずるくない???
ただ単に「女性に生まれた」ことだけを嫉妬しているわけではない。
そもそも、フェミニストの女性が「生きにくい」というのは「女性だから」ではないだろうと思っている。
単純に、「現代社会」が我々のような「メンヘラ体質」にとって生きにくいだけなのだと思う。
男性だろうが、女性だろうが、現代社会は息苦しく、辛い世の中なんだ。
そりゃ僕だって表立って、「女性ばっかりずるい、女性になりたかった!」と声を大にして言いたい。
でもそんなのダサいし、みっともないし、誰からも共感されない。Twitterなら炎上まっしぐらだと思う。フェミニストが秒で寄ってくると思う。
これだって炎上するんじゃないかとビビりながら書いてる。誰も読まないよね、こんなブログ。だから大丈夫。
俺はそんなのは嫌なんだ。不特定多数のみんなから共感されながら、「うんうんわかるよ、君も辛かったね、君は悪くないよ」って言われたい。
肯定してほしい。他者からのいいねが欲しい。そう思ってしまうのが現代社会の生きずらさでしょ?
一方で女性は違う。
生きずらい自分の目の前に「フェミニズム」という、いかにももっともらしい思想が落ちていて、共感してくれる人もいっぱいいる。
「生きずらい自分」が悪いのではく、「女性を大切にしない社会」が悪い、と責任転嫁して、自分を守ってくれすらする。いいねだっていっぱいつく。
そりゃ目の前にそんな都合のいい思想が落ちていたら飛びつきたくなるだろうと思う。
そこに「社会を変革する」なんていう大義名分がついていたら、他者を攻撃する自分のことだって肯定できるだろうし、
「自分は社会に対して貢献しているんだ」という達成感や誇らしさすら得ることが出来る。アドレナリンやらオキシトシンやら、脳内麻薬ドバドバだと思う。
そう、私も女性だったら多分フェミニストになっていて、男が悪い、社会が悪いと騒ぎ立てていたと思う。
きっとそれは無自覚的に快楽だろうし、弱い自分を肯定してくれさえもする。自分でも自分を肯定できる。
もちろんフェミニストの彼女らがそれを認めることはないだろうし、自分が女性だった場合にもそれを認めるなんて屈辱的なことは絶対にしないと思うが
(ただし、クロワッサン症候群のようにある日突然にフェミニズムの流行りが終焉を迎えて、彼女らには何も残らない……なんて日が来ることもあり得るなと最近は思っていたりもする。ざまあみろろツイフェミども)。
でも、俺は男だ。
自分を守ってくれる安易な思想が落ちていない。「ミソジニー」? いや違うな、俺は女性が嫌いなわけじゃない。
ていうか、むしろ女性が大好きだし、大好きだからこそ女性になりたいとすら感じているのだから。そういう意味では私は自分を原理主義的な「フェミニスト」であると思っている。
だから言い訳なんてできない。俺の生きずらさは、現代社会に適応できない俺が悪いのであり、誰も共感なんかしてくれない。
もしも、このブログを読んで、少しでも同じ悩みを抱えている人がいたら、共感してほしい。それだけで俺は心から救われます。
女性にとって、自分を救ってくれる「フェミニズム」があるのに、僕にとってそれはない。そんなのずるいじゃないか……。
毎日その不条理をかみしめて生きてる。毎日女性に嫉妬しながら生きている。
だから俺は毎晩、「朝起きたら美少女に生まれ変わってますように」と願いながら眠りにつく。
(別に可愛くなくてもいいけど可愛いに越したことはないよね、うん。でも女性はお化粧が出来て、ある程度顔がよくなくても擬態できる。それもチートだと思う。俺だって化粧してかっこいい男になれるなら毎日化粧するわ。でも今はまだ男性用化粧品って種類が少ないのよね~)
一昨日も昨日も明日も明後日も寝る前に祈る。もちろん今日も。でもそんな日は絶対に来ない。不条理すぎると思う。
今の俺の最後の希望は、俺がまだ若いこと。今はまだ20代前半で、これからある程度は稼いでいける見込みがある。
今に金持ちになって弱者男性を脱却して、女を見返してやるんだ、なんて、女になりたいのにもかかわらずそんな女への復讐を胸に抱きながら今日は眠りにつく。
最後に。
長文乱文失礼しました。
ここまで読んでくれた人、あなたのおかげで今日はいい夢が見れそうです。
本当にありがとう。
コメント読んだ。
ありがとう。誰も読まない、誰も目にとめないことがいちばん嫌だったから、批判的でもコメントくれてうれしい。
批判コメント結構、むしろもっとじっくり議論したいまである。私もこの拗らせた悩み解消したいからね。
だから日常ではそんな価値観を隠して生きているわけで、こんなネットの片隅に愚痴をこぼすことくらい許してほしい。
さて、コメントを読んで足りなかったなと思ったところを補足する。
まず私は「女性に権利を与えるべきだ」「女性を尊重するべきだ」という根源にある主張はまず理解できるし、同調しているんだ。
むしろ女性の方が生物として上位種であるとすら考えている。男性である自分に劣等感すら覚える。
なんで上位種である女性に生まれなかったんだと心の底から思う。
これは論理的というよりも感覚的にだ。なんで、と聞かれても思ってしまうのだから仕方ない。
そういう意味で自分を原理主義的な「フェミニスト」だと思っている。
「女性の方が優れているのだから、女性を尊重するべきだ」という肌間隔があるからだ。
そのうえで、表層的な一つ一つの事象、例えば「女性の管理職の割合が低い! 男女平等のために割合を上げろ!」とか
「月経で辛い女性が多いんだから、生理用品は無償配布しろ!」とか
そういうのにもほとんど同意する。まあわかる。全くわからない例もあるけど、ここには書かない。
でも彼女らの本懐はそこにはない気がしていて。
例えば上に挙げたようないくつかの事象とか、さらにそれ以外にも彼女らが抱えている様々な一つ一つの「女性特有の」悩みももちろん抱えているんだと思う。
どこまで行っても生物学上は男性の俺にはわからない悩みだっていっぱいあるんだと思う。大変だね、救ってあげたいと心から思う。
でもそれらを社会が解決したところで彼女らの要求は増えていく一方だと思うんだ。
それは本質的に彼女らが「メンヘラ体質」で「弱者気質」だからだと思う。女性だから悩んでいるんじゃなくて、弱者だから悩んでるんじゃないの?
そもそもフェミニズムなんかなくても、昔から強い女性は社会進出していた方はいたわけで、「女性だからできない、虐げられている」には少し疑問符がある。
女性だとか男性だとか関係なく、ただ単に、弱者の自分を守ってくれる、弱者の自分を救ってくれる、それが彼女らの本懐だと思うんだ。
だから、別に女性だからとか関係なくて、きっと彼女らが男性だったら、その時は「弱者男性に女をあてがえ」って言ってたと思うんだ。
男性だからとか、女性だからとかじゃない、弱者だから救われたい、それだけなんだよな。
だから彼女らを救ってくれる「フェミニズム」が目の前にある事実がうらやましい。俺だってそんな浮き輪があるなら飛びつきたい。