はてなキーワード: オリオンビールとは
オクトーバーフェストは楽隊が演奏する音楽も楽しみの一つだ、ソーセージを囓りながら楽しく飲める。
この前地ビールのお祭に行ったら、オクトーバーフェスト的な音楽が流れていて、せっかく日本のビールなんだから日本の音楽にすれば良いのにと思った。
でも考えてみたら日本の音楽は皆でご機嫌にビール飲む場面に似合わない。
静かに日本酒飲んでる場面にしか似合わんイメージがある、酒と泪と男と女や舟唄のイメージだと思う。
酒が飲める飲めるぞー酒が飲めるぞーは似合うが、海外からの留学生が歌っていたビビデバビデブーの替え歌なので日本の歌と言えるか微妙すぎる。
辺野古の座り込みに行った。ちょいちょい身バレ防止のためフェイクを入れるが行った時期はひろゆきが行った以降とはしておく。
自分のスタンスとしては「基地も軍もそりゃない方が良いだろうが、警察や税金が嫌でもあるように存在するのはしかたないことだし、ましてや沖縄は要衝であり普天間の危険性を考えれば移転やむなし」というもの。
まあ比較的保守(彼らの言い方を借りれば右翼)にあたると思う。
結論から述べると今あるような基地反対運動は彼らがこの世を去る時同時にほぼ消滅していくだろうと感じた。三点理由を挙げる。
朝早くから高齢者たちが常連感を出しつつ(これはまあいつも来ているのだからそうではあるが)ニコニコしながら集まってきて、「時間になったから始めます」と言いながらどこかで聞いたような声のあげ方をし、予定通りに機動隊に排除され、昔の学生運動を紹介する映像で見たような動きをする……はっきりいってめまいがする思いだった。何もかもが古いのだ。
全ての情報媒体は新聞、テレビ、個人が作る新聞めいたチラシ。以上。そしてそれを継続していることに誇りを持ち、新聞やテレビを見ない若者は不勉強だくらいの雰囲気をひしひしと感じた。
私は一日や二日しかいなかったため全てを見たわけではない。ないが若者を取り入れようとしているなら、比較的若い私が来たときくらいは率先して「ネットで、You Tubeで、インスタ、ツイッターでこんなことやってるよ!」と取り込みを図るくらいの気概は見せてほしかった。
そういった姿勢は全くなく、それでいて若者が来ないと嘆かれても「そりゃそうでしょ」としか言いようがない。
たとえば基地反対のデモのはずなのに、土砂搬入ゲート前で行われた最後の主張は「シュプレヒコール!」と数度叫んだ後に「基地建設反対」「岸田政権を許すな」「戦争反対」「きれいな海を返せ」「ロシアは侵略を止めろ」「軍は出ていけ」「自衛隊の共同利用反対」などなどこれでは収まらないほど沢山のことを言い募るものであった。
まず出だしから古い。シュプレヒコールって……まあそれは良いとして基地建設反対の集会・デモじゃなかったんかとこの時点で言いたくなった。
その後(正直行きたくなかったが)テントの中まで付き合って主張を聞かされたが「天皇を許すな」「マイナンバー反対」「アベ政治は未だに禍根を残してけしからん」などと口角泡を飛ばす。これで新規参入ねらいは厳しすぎる。
まず論点を一つに絞って間口を広げないことには新しい風は入ってこないだろう。
基地反対、米兵の非道は許しがたい、普天間は危険だ、戦争は繰り返してはいけない。こういったことは確かに真であるし、私もそういった部分は直していかなければならないし、また戦争反対の意見はまっとうだと思う。
だがそれに対して「どうすれば戦争は起こらないのか」とか「基地や安全保障とは何なのか」といった視点は皆無であった。ただ反対、ただ怖い、ただ嫌だ。それだけがあった。
それなのに「私は基地移転もやむなしかなと思うんですよ」などと言おうもんなら話を聞いてくれる雰囲気でもなかった。議論をする気はないのである。
もっと言えば、彼らは基地と駐屯地の区別もついていないし、若者がこの現代において過激なデモに参加することへのリスクも解っていないし、台湾問題は中国の国内問題だから日本には関係ないと本気で信じている。
反対運動は尊いものであろうし、平和を希求する心は評価されるべきだ。しかしそこに軸足を置きすぎるあまり彼らには基地建設以外の何もかもが見えていないように思えた。
これはあくまで個人の感想であり、私が実際に行って思ったことでしかない。これを読んで「ああ、やっぱり辺野古って、沖縄ってこんなもんか」と思うより前にぜひ沖縄へ実際行ってみてほしい。
沖縄県民にも賛成派と反対派はいる。だが基地問題はどう言いつくろってもそこにあるのだ。それをどう表現するかの違いでしかないが、私には少なくともこの活動はこの世代以降にはつながっていかないだろうとしか思えなかった。
そしてこの手の左派運動は全国的に終焉を迎えていくだろう。なぜなら同じ雰囲気はどの左派運動にも感じられるからだ。
朝に起きるのは珍しい。
なんだか今日はとても早く目覚めてしまった。起きるとベッドの隣、ぼくの脱いだジーンズの上で猫が寝ていた。
昨日もお酒を飲み過ぎた。毎日のルーティンってかんじでお酒をたらふく飲む。
昨日飲んだ友人はもう4年かそれ以上の付き合いなのだけれど、あなたと出逢ってできた友人だから話をするとあなたの事も会話に登場させたりしてしまう。それで、あなたの姿形を意識して、こうやって朝に言葉を残す事になった。
大きな蟹、テトラポット、ダイナミックな雲とそれを反射してるオレンジか白か青い海と。夕方、ぼくらはL字のコンクリートの上で座ってた。
なんの話をしたのか、あまり覚えてないけれど、ぼくが生きていた中で多分とても美しい思い出、それも美しい思い出の中でもとびっきり、とびっきりにインパクトもある美しい思い出になってる。
隣のビーチで水着も持っていないのに適当に脱いでから浮いていた丸太に乗って足を滑らしたりしていたこととかも。
ぼくは全然文章が上手くない。言葉が不自由なんだけれど、あなたはとっても分かってくれるし上手だから恥ずかしいのだけれど、あなたが教えてくれた通り、この手紙が届いたり届かなかったりすればいいと思う。
もう日は暮れて、2人でたぶん手を繋ぎながらよく知らない真っ暗な道を帰った。
オリオンビールしか島にはなくて、ぼくはビールとか全然好きに今もなれないけれど、いっぱい飲んだ気がする。
あと覚えてることは、島から本島に帰って乗ったタクシーでdaokoと米津玄師の打上花火が流れていたこと。あの曲を聴くと、ぼくはあなたと島で夕日を見ていたことをいつも何度でも思い出せる。
ぼくは、あなたと会って次の日に行った美術館のことも思い出す。あなたと話した多くのこと、あなたは今のぼくを確かに作っていて、やっぱり全部の会話を憶えていることなんて勿論できないんだけど、今思えば…、いいえ、思ってたんだけどとても可愛らしい、可愛い人だったと思う。それから、傲慢かもしれないけれど、あなたの孤独や孤独とかいえない何か、特別な秘密とか魅力みたいなのも分かってた気がしてる。
今のことを言えば、2人は会ってそしてまた別々の場所で生きているっぽいしもう会わないかも知れないし、あなたはぼくに会いたくないのかもしれないし、ぼくもわざわざ会うなんてことはきっとできないし、もう会えないかもしれないんだけれど、あなたがぼくにくれた小説の影響はかなり受けているし、新宿のサブウェイで3時間か何時間かかけてすぐ読んじゃうくらい面白かった。ぼくはあまり本を読まない。読めないけれど、ぼくが生きた少ない人生の中で1番ちゃんと読んだ本だったかなと思う。
ぼくはやっぱり。人が生きて一緒にいると一緒に居れなくなっちゃったりするけれど、あなたと関係がどうとか関係なくお話がしたいと思ったりする。最近のぼくはお酒を飲んだり適当に人と話してるだけだけど、あなたとの話はあなたとしかできない手触りがした。
今からぼくはまた少し寝るかも知れない。猫が足を舐めている。
もうかれこれ10年ほど前の話なので書く
自分が担当していた取引先の社長から来月の連休に沖縄に旅行に行くという話を聞いた
那覇ではなく宮古島にダイビングをやりに行くというので、「そうなんですか 自分も昔講習受けてライセンスだけは持ってるんですよ」と返事をしたのが間違いであった
暫くしてその社長から電話があり「参加予定の1人が急遽これなくなってキャンセル料とかもったいないので増田君来れないかな」と誘われてしまった
自分としてはそこまでダイビングが好きではないしという思いもあったが、「若くてかわいい女性看護士2名も来るよ」という台詞に負けて参加することとなった
参加メンバーは取引先の社長とその友人、60過ぎくらいの夫婦、若い看護士さん2名、自分、インストラクターの計8名
関西空港からの宮古島直行便に乗り、到着当日はダイビングはしないというのでその夜はしこたまお酒を呑んだ
翌朝酷い二日酔いの中でダイビングをすることになったわけだが、船での移動時間が異常に長い
自分は海岸からすぐのところに潜るのかと思っていたのだが、ダイビングポイントまで高波に揺られながら1時間以上かかるという
酷い二日酔いの中でさらに船酔いにもなり、吐きそうになるのを耐えながらようやくポイントに到着
海の中は名前のよく分からないカラフルな魚でいっぱいだったが、自分は吐き気を抑えるので精一杯だった
ダイビング終了後、また1時間ほどかけて帰るわけだがダイビングをしたあとなので10月の沖縄といってもやはり寒い
他の人たちはマイ機材に防寒着も準備している中、フルレンタル機材で防寒着なんぞ用意しているわけもない自分はすぐに尿意を催してきた
インストラクターにその旨を伝えるとボートを止めるのでボートのへりに捕まって下半身を海につけてしろと言う
なるほどと思いながらもう限界に来ていた私は指示されたとおりに小便をしようとしたところ、あろうことかブリュブリュと下痢便も水着の中に出してしまった
両手はボートに捕まっているので水着を脱いで海水で洗うことも出来ない しばらく時間がたちインストラクターが「終わりましたか」と聞いて来たところで私は全てを白状した
インストラクターに片手を掴んでもらいながら水着を脱ぎ海水でゴシゴシと洗いながしボートにあがる自分
若い看護士さんからの「大丈夫ですよ 私たち二人ともオペ看なんでもっとグロいのとか見慣れてますから」というフォローが自分をより一層惨めにさせた
3泊4日のダイビングツアーであったが、私は翌日のダイビングはキャンセルさせてもらい、一人で宿で待機し昼間からオリオンビールを呑んだ
その日の夜食にはダイビング中に見たカラフルな魚の刺身が出てきた
「もしかしたら自分の下痢便を餌として食べた魚たちがそこら中泳ぎ回っていて、みんなそれをおかずとして食べているのかな」と思うと少しだけ気が晴れた
ルートビアという、アメリカではポピュラーな炭酸飲料がある。(見た目がビールっぽいからそう名付けられただけで、アルコールは一切ない。)
その歴史は古く、コーラよりも先に発明された。薬剤師が滋養強壮・栄養のために作ったドリンクが元だという。コーラもドクターペッパーも元はそうだが。
アメリカでは子供がとにかく好きな炭酸飲料というイメージらしく、あのスヌーピーの大好物である。
コーラは説明不要だが、ドクターペッパーも日本では広く認知されているだろう。
しかしそれらに並ぶルートビアは日本では普及しなかった。それはなぜか?
ルートビアは、リコリス(サルサパリラ)という植物の根のエキスが含まれており、この味がまず受け付けない。
海外の子供はリコリスが大好きで、リコリス味のグミは海外ではポピュラーな菓子である。
一時期スーパーやコンビニでも販売されるほど話題になった、熊のキャラクターで有名なグミ「HARIBO」にも勿論リコリス味がある。
真っ黒い渦巻き状の硬いグミで、パッケージイラストにはそのリコリスグミが自転車のタイヤとして描かれており、
日本ではドン・キホーテや輸入食品店で販売されているが、大体「世界一まずいお菓子」「罰ゲーム用にどうぞ」などという不名誉な手書きポップが添えられているほど、日本人には受け付けない味だ。
閑話休題。
ルートビアは、そのリコリスの味がするだけで日本人には受けないのに、更にサロンパス(湿布)、またはムヒ系のスースーするフレーバーも添加されている。
日本人にとって、食品からサロンパスやムヒの香りがしたら食欲は失せるだろう。
リコリスとサロンパスの香りがする炭酸飲料。日本人には一切受け付けない要素しかない。
ググっても「世界一まずいドリンク」などと扱き下ろされたページばかりヒットする。
俺が生まれて初めてルートビアを飲んだのは高校生のとき。こんなまずいもん、飲める訳ねえだろうと思った。
でも、俺はバニラコークが好きだった。2002年頃、日本でコカ・コーラにバニラ味がついたものが発売された。そのまんま、コーラに強烈なバニラフレーバーがついたものだが、俺はこの強烈なバニラの虜になった。
しかし、やっぱり日本では「クソまずいジュース」とされ、短命に終わってしまった。
アメリカでは今もバニラコークは販売されているが、日本には一切輸入されていない。輸入食品店にも無ければ、ネット通販でも取り扱いがない。
2010年代になって何度かコンビニ限定で復刻したが、日本人向けに味が変わっており、バニラの香りが完全に薄くなっていた。あの強烈なバニラを欲している俺には物足りない代物だった。
アメリカに行かなければ、あの強烈なバニラを味わうことが出来ない。シュークリーム分ならぬ、バニラ炭酸分が尽きて限界を迎えたころ、友人が嫌がらせでエンダー社のルートビアを買ってきやがった。
こんなマズイもの、と思いながら飲むと、俺が求めていた強烈なバニラがそこにはあった。
これ!これだよ、これ!
エンダー社のルートビアは、バニラコーク並の強烈なバニラが売りだったのだ。なぜ高校時代に気づかなかったのか。
近所のドン・キホーテでも安くエンダー社のルートビアが販売されているのもわかり、そこからルートビア三昧の幸せな日々が始まった。
ある日、試しに他社製のバニラフレーバーが無い普通のルートビアを飲んでみたところ、普通に飲むことができた。っていうか、ルートビアって美味いじゃん!
東南アジアや台湾では「サルサパリラ」の名でルートビアが親しまれている。暑い中、キンキンに冷えたスースーする炭酸を飲むのは格別なんだろう。
台湾のサルサパリラ「沙士」は、日本でも中華系輸入食材店で販売されており、これもルートビアとほぼ同じ味でドンピシャ。ルートビアも沙士もかかってこい!状態である。
しかし、エンダー社以外のルートビアも沙士も遠出しないと買えないので買いだめはキツいし、値段が一缶136円である。値段的にも買いだめはちとキツい。
やっぱりエンダーのルートビアが近所のドン・キホーテで安く買えるんで、それでいいやと思っていたら、そのドン・キホーテからルートビアが消えてしまった。
ルートビアが飲みたくてたまらない時だけ遠出して購入したが、ある夜、冷蔵庫にストックが無いのにルートビア欲がマックスに達してしまった。
今から電車で遠出はキツいぞ…何かルートビアを飲む方法は無いか…と模索したところ、近所の沖縄料理屋にならあるのではないか、と思いつき、無かったら無いでオリオンビール飲んで我慢しよう…と訪ねてみるとしっかりメニューにルートビアが!
大喜びで、沖縄料理もそこそこにルートビアを何杯もおかわりしてがぶ飲みしていると
米軍基地の関係で沖縄ではそこら辺でルートビアが売っているとはいえ、沖縄出身者でもここまでルートビアばっかり飲む人はいないだろう。俺は北海道出身だ。
日本人でも、おそらく生まれながらにルートビアがある生活なら普通に飲むんだろう。
北海道の炭酸飲料といえばガラナであり、北海道出身者は普通にガラナを飲むが
メッコールだって、日本人はマズイマズイというけど韓国ではポピュラーだ。
育った環境が味覚に大きく影響与えるんだなあ、としみじみ思う。
とりあえず俺の異常なルートビア欲を抑えるには、沖縄ではそこら辺でルートビアが安く売っているし、エンダー社がハンバーガーショップを出しておりそこではルートビア飲み放題だという。
僕はその日も活字拾いの仕事を終えて家に帰るところだった。
沢山の活字を拾ってチカチカした目を休めるべく遠くを見ながら
するとそこにひとりの少女が立っていることに気がついた。
僕は自転車を停める。
「どうかしたの?」と僕は彼女に尋ねる。「道に迷ったの?」
「違うの」と彼女は言った。「ここ、幽霊が出るって噂があるでしょ」
少女が中で車に轢かれたのだ。僕も献花を行ったことを思い出す。
「申し訳ないけれど、出口まで送って貰えないかしら」
僕はそれほど脚力はない。だけれど、自転車はすいすい進む。
やがてトンネルを出た。「どう?」と僕は尋ねた。「帰れそう?」
彼女は深々と礼をして言った。「時間はある? 見せたいものがあるの」と。
「私、バレリーナ志望だったのよ。踊りを見て欲しいの」
それで僕らは近くにある公園に行って、彼女は噴水の前に立った。
地面にしゃがみ込む僕を見下ろして言った。「今から踊るわ」
指先や足先をピンと立たせて、優雅に泳ぐように彼女は踊った。
彼女はひと通り踊り終えると、「私の踊りどうだった?」と訊いて来た。
「素晴らしいよ」と僕は言った。「とっても上手だった」
「才能なんてどうだっていいことだと思うよ」と僕は言った。
「少なくとも僕にしてみれば、君の踊りは素晴らしかったんだから」
そう言うと、彼女は笑って言った。
「ありがとう」と。
「君、こんなところで何してるんだね」と僕は突然後ろから呼ばれた。
僕はトンネルの真ん中に座っていた。後ろで迷惑そうにトラックの運転手が
僕を見つめている。声を掛けたのは警官だった。「危ないじゃないか」
「ごめんなさい」と僕が謝ると警官は言った。
噂は途絶えてしまったことを知った。その理由は流石に僕にも分かる。
今でも僕は思い出すんだ。彼女の凛々しい踊りのことを。
そして相変わらず、僕は活字拾いの仕事を続けている。
今日、仕事が終わったらまた献花をするつもりなんだ。彼女へのお礼に。